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仙台高等裁判所 昭和59年(ネ)393号 判決 1987年7月30日

控訴人(第一審被告)

産業振興株式会社

右代表者代表取締役

徳島榮佐

控訴人(第一審被告)

鈴木勝広

控訴人(第一審被告)

須田寅吉

右三名訴訟代理人弁護士

大島四郎

被控訴人(第一審原告)

加藤カツ

外六名

右七名訴訟代理人弁護士

石川克二郎

渡辺大司

主文

原判決中控訴人らの敗訴部分を取消す。

被控訴人らの請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  控訴の趣旨(控訴人ら)

主文同旨

二  控訴の趣旨に対する答弁(被控訴人ら)

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二  当事者双方の主張及び証拠の関係は、原判決事実摘示及び当審記録中証拠関係目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一加藤正雄(以下「正雄」という。)が昭和三九年一月二九日午後五時三五分頃、岩手県西磐井郡平泉町字鈴沢地内の国道四号線上で交通事故(車両との衝突事故)に遭い、右事故により死亡したことは当事者間に争いがない(以下右交通事故を「本件事故」といい、右事故発生地点を「本件事故現場」という。)。

そうして、<証拠>によると、本件事故はいわゆるひき逃げ事件とみられるところ、右事故発生後捜査当局の捜査にもかかわらずひき逃げ犯人の検挙に至らずいわゆる迷宮入りとなつていたものであることが認められる。

被控訴人らは、本件事故は控訴人鈴木勝弘の運転する自動車によつて惹起されたものであると主張し、控訴人らはこれを争うのでまずこの点について判断する。

二本件においては、控訴人鈴木が運転する自動車が正雄に衝突するのを目撃した第三者が存在するなどの本件事故についての直接的な証拠は存しないが、被控訴人らの前記主張事実と一応関連するものとして次のような証拠あるいは事実がある。

1  <証拠>を総合すると、控訴会社釜石営業所長であつた控訴人須田は昭和三八年七月頃宮城県泉市松森字天ヶ沢(現南光台三丁目)に自宅の新築にかかり、その設計施工を控訴会社の従業員で建築士である大阪某に一任し、右大阪はその工事を同じく従業員で大工職の大久保鶴松、岩鼻清次郎の二名に当らせ、同年一二月頃には完成したこと、その頃(ただしそれが同年内か年が明けてからかの点はさておく。)、控訴人鈴木は当時控訴会社釜石営業所に所属する同会社所有の六人乗り小型貨物自動車(トヨタ製、以下「本件自動車」という。)に阿部幸夫及び大久保鶴松(以下「阿部」、「大久保」という。)を同乗させて運転し、泉市にある控訴人須田方の玄関先のコンクリート打ちあるいはその補修工事のため、資材を積んで深夜(午前二時か三時頃)釜石市を出発し泉市に向つたこと、途中阿部を仙台市の入口付近で降ろし控訴人鈴木と大久保の両名のみが控訴人須田方に赴いて工事を終えその後、帰途再び仙台市の入口付近で阿部を乗車させて三名で釜石市に向けて国道四号線を北上したこと、その途中の夕方、阿部は運転席左隣の助手席で居眠りをし、大久保も運転席の後部座席に体を横たえていたところ、急になにかが車に衝突した音がして急停車したので、その衝撃で同乗者らも目を覚ましたこと、控訴人鈴木が降車して車の周囲を回つて見たが、衝突したらしきものはなにも見当らず、ただ左右に二つずつある前照灯のうち左側の一つのガラスの中央が直径二〜三センチメートルにわたつて破損し穴があいていたことを発見したがライト自体には異常がなかつたのでそのまま発車し、釜石市には当日午後九時頃帰着したこと、阿部は右衝突のことが妙に気になつて寝付けず同人の母にそのことを話したこともあつたこと、翌日控訴人鈴木は控訴会社に右の破損事故のことを告げてガラス(ライトの覆い)を買つて貰い自らそれを修理したこと、以上の事実が認められる(以下控訴人鈴木らが体験したなにものかとの衝突の出来事を「本件鈴木の事故」という。)。

2  原、当審における証人大塚栄は、大塚は、①昭和五五年九月四日控訴会社釜石営業所事務室において阿部から、②同月二七日花巻市所在ホテル花城において同じく阿部から、③同五六年九月八日午後平泉町から釜石市に向う車中において同じく阿部から、④同日夜釜石市の控訴人鈴木の自宅付近の車中において同人及び阿部から、⑤同月九日午後、平泉町から仙台市に向う車中ないし同市所在三井アーバンホテルで控訴人鈴木から、それぞれ、本件事故は阿部と大久保が同乗していた本件自動車を運転していた控訴人鈴木が惹起したこと(即ち本件事故は本件鈴木の事故であること)を認める趣旨の話を聞いた旨、そして右阿部あるいは控訴人鈴木との対話のうち右②ないし⑤につき録音をとつてある旨証言する。

3  <証拠>によると、阿部幸夫及び控訴人鈴木は大塚栄に対し、本件事故が控訴人鈴木の運転する本件自動車によつて惹起したことを認めるかのような趣旨の発言をしていることが認められる。

4  <証拠>によると、

(一)  阿部は昭和五五年九月四日突然大塚に訪問され、本件鈴木の事故(なおその当時大塚は本件事故のことは知らなかつた。)のことに触れられたが、その際かなり周章狼狽するかのごとき態度を示したこと、

(二)  阿部は昭和五六年九月八日午後花束と線香を持参のうえ平泉町所在竜王寺の正雄の墓地を訪ね、花などを供えた後墓碑の前に泣いて手をついて謝罪の態度を示し、その後訪れた被控訴人加藤カツ(正雄の妻)方においても泣いて謝罪するの態度を示したこと、

(三)  控訴人鈴木は翌九日、右(二)の阿部同様花束等を持参して正雄の墓地を訪ね、涙を流しながら花束等を供えて拝み、更に墓碑に抱きつくようにし、その場に来ていた被控訴人カツらに対しても涙を流しながら謝罪するの態度を示し、

(四)  更にその後大久保も正雄の墓参りをしたこと、以上の各事実が認められる。

三しかしながら前項1ないし4に摘示の各証拠及び認定事実を総合しても被控訴人らの、控訴人鈴木が本件事故を惹起したとの主張事実を認めることはできない。その理由は次のとおりである。

1 前記二1に認定のごとき控訴人鈴木らが体験したその事故(ひろくいえば同控訴人らが深夜釜石を出発し、夕方国道四号線を北上したこと)の時期が本件事故の発生した日に一致することを客観的に認めるに足る証拠はない。

ところで<証拠>によると、昭和三九年一月二九日は岩手、宮城両県にわたつて相当量の降雪、積雪があり、本件事故現場に近接する一関市では同日二八日午前九時から翌二九日午前九時までの積雪量は三〇センチメートル、翌三〇日午前九時には一七センチメートルに及んでおり、釜石市でも一月二九日午前九時には一二センチメートルの積雪が記録され、仙台市においても一月二九日の積雪は同月中におけるものとしては昭和一一年来実に二八年ぶりの大雪で、前日までは殆んど降雪はないが同二九日午前九時には実に積雪二五センチメートルに達し国道四号線の築館でも二一センチメートルになつていたこと、本件事故現場においても相当多量の降雪ひいては積雪があり、本件事故後警察官が現場に急行するまでに附近一帯の道路は徐雪車による徐雪を余儀なくされたほどであつたことが認められ、右事実によると、もし控訴人鈴木が昭和三九年一月二九日に本件自動車を運転し、釜石市と泉市との間を往復したとするならば、釜石市を出発する時からあるいはその途中においてタイヤにチェーンを巻くとかあるいは少なくともスノータイヤを用いるとかしたであろうことが当然考えられるところ、本件自動車がこれら雪に備えての運行をしたことを認めるに足る証拠は全くなく、却つて前掲阿部、大久保、控訴人鈴木の各供述によると同人らが自動車を走らせた日は路上には雪はなかつたことが認められ、しかも前記のごとく仙台市は当日例年にない大雪で泉市は同市に隣接し気象条件が同市とほぼ同一であることは公知の事実であるから泉市においても当然相当量の降雪や積雪があつたものと窺われるところ、もし大久保が当日このような状況下でコンクリート打ちあるいはその補修に当つたとするならば、右工事は、不可能か可能であつたとしても著しく困難で難渋したであろうことが窺われるのに前掲大久保、阿部らの証言あるいは甲第四ないし第七号証等を仔細に検討するもこれらの状況を窺わせる部分は全くなく、大久保らの泉市の控訴人須田宅における工事は何ごともなく順調にすすみこれを終えたものと推認されるのである(なお被控訴人らの立証その他全証拠によつても、控訴人鈴木、阿部、大久保あるいは更に控訴人須田らが本件に関しなんらかの共謀あるいは証拠工作等をしたとの事実は認めるに足らず、却つて控訴人鈴木、阿部らが本件鈴木の事故がいつであつたか、すなわち、昭和三八年中であつたか翌三九年に入つてからであつたか記憶していない旨供述していることなどからすると右共謀等の事実は存しないことが認められる。)。

そうだとすれば、控訴人鈴木ら三名が釜石市と泉市とを往復し、その間帰宅途上の国道四号線上において控訴人鈴木が何ものかに衝突したという事故を経験した時期は確定できないけれども前記二の3及び4のごとき証拠あるいは事実を総合したとしても、少なくとも本件事故の発生した昭和三九年一月二九日であつたと断定することはできないものというべきである。

この点につき原審証人大久保は、控訴人須田の自宅は同三八年一一月頃完成し、入口から玄関までのコンクリート打ちないしその補修のために控訴人鈴木の運転する本件自動車で右須田宅まででかけたのは同年一二月中であつて年が明けてからは行つていない旨証言するが、右証言は、(1)<証拠>によると、控訴人須田及びその家族は昭和三八年一二月二三日同自宅所在地への住民登録法上の転入届をなし、かつ右完成した建物についての保存登記は同日新築を原因としてなされ、控訴人須田はその家族と共にその正月を新宅で送つていることが認められること。(2)<証拠>によると、岩手県では昭和三八年一二月二一日以降三一日までの間、釜石市において二七日に三センチメートル降つたのみで、他日は殆んど降雪なく、仙台市では同年一二月中一センチメートルの積雪が一日だけで、他日は殆んど降雪もなく岩手、宮城両県共に昭和三八年一二月中は降雪、積雪らしきものがなかつたことが認められ、右年内中ならば自動車はチェーンをつけたり、スノータイヤを使用しないでも運行できたであろうことが窺われるところ、前記認定のとおり控訴人鈴木は降雪、積雪のない時期に本件自動車を運行していたことなどの諸事情に照らし首肯する余地は十分にあるというべきである。

2  次に本件事故によつて正雄に生じた傷害の部位程度と本件鈴木の事故によつて本件自動車に生じた破損の状況との関係について検討する。

<証拠>(裁判官の鑑定処分許可状に基づく正雄の解剖所見に関する医師桂秀策の鑑定書)によれば、次の事実が認められる。

正雄の身体には、左鼠経部から左大腿前面上部にかけて直径約一七糎の円形変色部があり、胸腹部に左第四、第六、右第二、第三肋骨骨折の他、腹間膜に小児頭大の穿孔、S字状結腸部に手拳大の穿孔がある。また左前腕手背面の肘関節付近に皮下出血を伴う筋断裂、左膝蓋部及びその上下に鶏卵大のを含む皮下出血数か所があり、顔面には左前額部に鶏卵大の腫脹、左眉内側に鋭利な創、頭腔内には左額部に頭皮下出血、前頭蓋窩左篩骨に骨折、左右前頭葉に軟膜下出血がある。右のうち、左大腿前面上部を中心とする円形変色部は足底からの高さ、その形状からみて車両のヘッドライト部がほぼ前方から衝突したものとみられ、胸腹部の損傷はその程度からみて身体のほぼ前方から車両前部がかなり強い力で衝突したものと考えられる。右に見たように正雄の損傷部位は身体の左側部分に偏つており、身体の右側部分には右膝部内側に鵞卵大の皮下出血があり、右大腿骨が右膝関節部で内側に脱臼しているほか、右手背部に軽度の皮下出血があるのみであつて、また背部には全く損傷はない。

以上の事実によると、右医師が右鑑定書において推断するように自動車のヘッドライト、車体本体、フロントグリル、バンパー附近など自動車の前方部が全般にわたり正雄に激突強打しその殆ど全身(ただし主に左側半身)に損傷を与えたものであり、右正雄の傷害の部位程度によれば当然衝突した自動車に対してもかなりの破損あるいは凹損を与えるなど顕著な事故の痕跡を残したであろうことは推測するに難くないところ、本件において本件自動車の損傷として明らかなのは前記のとおり前照灯の一個のガラス部分の中央部のわずかな破損にとどまり、他に破損等の発生したこと(あるいは破損等は生じたが人目につかぬうちに修復してしまつたことなど)を窺わせるに足りる証拠はない。

そうだとすれば、右の点によつても、本件自動車が本件事故を惹起したと認めることは極めて困難である。

3 次に、控訴人鈴木及び阿部から本件事故が控訴人鈴木の運行していた本件自動車によつて惹起したことを認める趣旨の話を聞いたとの前記二2の大塚証言についてみるに右証言はこれを否定する原、当審における控訴人鈴木及び阿部の各供述に照らし直ちには採用しがたく、また前記二3の録音テープないしその反訳文(甲第四ないし第七号証)についてみるに、右録音が控訴人鈴木、阿部の承諾なくしかも録音していることを秘匿してなされたという点でその証拠の適格性に疑問の余地なしとしないがこの点はしばらくさておき同人らの発言(記載)内容自体をみるに、これらは控訴人らの前記の主張事実を積極的に肯定するものではなく、右事実を否定せずあるいは肯定するやにみられるというあいまいなものであるが、これらはすべて対話者(聴取者)である大塚の積極消極両面にわたる誘導あるいは誤導尋問に誘発されてなされあるいは阿部らを暗示にかけながら有無をいわさず大塚の質問を肯定させるといつた類のものであること右テープの検証の結果等によつて明らかであるから右検証の結果及び甲各号証をもつて被控訴人らの前記主張事実を認定するに足る十分な証拠とはなしがたい。ところで右大塚証言によると、大塚は昭和五三年二月頃から同人が常務取締役をしていた森川産業株式会社が控訴会社と取引関係を持つようになつてから控訴会社本店あるいは釜石営業所に出入するようになつていたところ、もと控訴会社の従業員で釜石営業所に勤務していた某及びその友人でもある佗美(たくみ)守(右佗美は控訴会社を退社した後森川産業に入社)から、かつて控訴人須田が控訴会社釜石営業所所長であつた当時泉市に自宅を建てたが、その際同所長専任の運転手である控訴人鈴木が同社の事業用の自動車に同社の大工である大久保及び従業員の阿部を同乗させ右自宅にでかけ、その帰途宮城県と岩手県の県境付近で事故を起したらしいとの漠然とした噂話を聞き込み昭和五四年秋頃から当時大塚ないし森川産業と取引をめぐつて紛争状態にあつた控訴会社に対する悪感情から攻撃材料としての情報入手の目的もあつて右噂にいう事故に関心を持つようになり、かねて控訴会社釜石営業所で一度会い面識のあつた阿部を何の前ぶれもなしに訪ね、突然伝え聞いていた右噂の事故の話をしたところ、阿部が周章狼狽するような態度を示したため不審を感じ、その後自らあるいはその配下をして一関警察署に対する問い合せあるいは図書館に保存されていた新聞の閲覧をするうちたまたま迷宮入りとなつていた本件事故を知り右噂話にいう事故と本件事故との結びつきを考えるようになつたというものにすぎないことが認められ、右事実によれば大塚の控訴人鈴木らに対する本件事故との関係への疑惑はその根拠はかなりあいまいなものであり、嫌疑として正当性(合理性)を持つためには前記判示したような問題点に関する客観的な資料を収集することなどが必要不可欠であるというべきところ、右大塚証言、前掲阿部証言、控訴人鈴木の供述、甲第四ないし第七号証及録音テープ関係の検証の結果によれば、大塚は前記何某及び佗美守から聞いたという噂話の出所及び右噂話の真偽を裏付けるに足る事実関係(たとえば控訴会社の出勤簿、休暇届等の確認により控訴人鈴木ら三名が仙台市や泉市の須田方に出かけたのが本件事故発生当日であつたか否か、あるいは控訴人鈴木らが釜石に帰つた後本件自動車につきどのような修理がなされたか、なされたとすれば誰がどこをどの程度になしたか(けだし前記のとおり自動車が死亡事故を惹起するような衝突事故に遭つた場合は右事故車にもバンパーの破損等相当の修理を要する状態に至ることは一般の常識だからである。)等々)を調査したことはなく、漠然たる見込みあるいはあて推量の域を出ないまま専ら阿部ないしは控訴人鈴木に執拗に接近面談し同人らを心理的に追い詰めいわばその自白のみを追及することに専念し、その間かくしどりの録音を操作したものであることが認められるのであつてこれらの点からも阿部らから同人にとつて不利益な陳述を聞いたという大塚証言はとうてい採用できない。

4 最後に前記二4(一)ないし(四)に認定の阿部、控訴人鈴木及び大久保の正雄への墓参等のいわゆる態度証拠(被控訴人らにとつてはこれがまさに最重要の証拠であろう。)の意味について検討するに、たしかに通常の感覚からすれば加害者の自覚がないままに涙を流しながら被害者の墓参をしたりその遺族に謝罪したりすることは考えにくいところではあるが、前掲阿部、大久保、控訴人鈴木、原審における被控訴人加藤カツの各供述に弁論の全趣旨を総合すると、右三名の墓参等は同人らの自由な意思のもとに自発的になされたものではなく、大塚に言葉巧みに誘い出され、同人から予め、迷宮入りしたひき逃げ事件の真犯人墓参の通知を受けその取材のために待機していた新聞記者やテレビ局のカメラマンの前で大塚に同行されるまま、事の意外さに驚き心情的には全く孤立無援の状態になつた同人ら(前認定のように一緒の墓参ではなく日を違えて一人ずつのそれである。)が異常な精神状況のもとに大塚の暗示的な演出におどらされ悔しさも手伝つて涙を流したりするに至つたものであること、しかも大塚は控訴会社にとつて相手として難しい人物であり、控訴会社の従業員にとつても同人への下手な応待によつては控訴会社を馘になるかもしれないといわれるほど恐れられていた人物であつたことが認められるのであつて、かかる状況下にあつては、主体性に乏しい素朴な人間とみられる控訴人鈴木や阿部らがたとい迫真性ある墓参謝罪の態度を示したとしてもそのことをもつて控訴人鈴木が本件事故を惹起したと推認することはできない。

四以上要するに、被控訴人らの立証その他全証拠によつても控訴人鈴木が阿部及び大久保を同乗させて昭和三九年一月二九日本件自動車を仙台市方面から国道四号線を北上し同日午後五時三〇分頃本件事故現場に差しかかり正雄に衝突し本件事故を惹起したとの事実を認めるに足りない(却つて控訴人鈴木らは本件事故と無関係である。)というべきである。

そうだとすれば被控訴人らの本訴請求はその余の点を判断するまでもなく理由がなく棄却を免れない。

五よつて、原判決中被控訴人らの請求を認容した部分は失当であるからこれを取消すこととし、民訴法三八六条、九六条、八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊藤和男 裁判官岩井康倶 裁判官西村則夫)

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