仙台高等裁判所 昭和60年(う)56号 判決 1985年12月16日
主文
原判決中、被告人に関する部分を破棄する。
被告人を懲役一年六月に処する。
原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。
この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人日野久三郎、同今井吉之、同布施誠司及び同大室征男が連名で提出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官渡邉靖子が提出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。なお、主任弁護人日野久三郎は、当審第一回公判期日において、右控訴趣意書中、第三点第一の二は、本件各金員の供与、交付の趣旨を争って事実誤認を主張するものではなく、量刑不当の主張の一事由にとどまるものである、と付陳した。
控訴趣意第一点(公訴権濫用の主張)について
所論は、要するに、検察官は、被告人を取り調べてその弁解を聴くこともなく、一片の受供与者の供述を頼りに、専ら公訴時効を中断し、マスコミと世論の非難を回避し、天野派に対する見せしめとするために昭和五四年一一月五日公訴を提起したのをはじめとして二七回も公訴提起を繰り返した後に本件公訴を提起したのであり、かかる公訴の提起は検察官の合理的な訴追裁量の範囲を逸脱し、公訴権を濫用したものであるから、これに対しては公訴棄却の裁判がなされるべきであるのに、本件公訴提起が適法なものとして被告人に対し有罪の言渡しをした原判決は、刑事訴訟法二四七条、二四八条の解釈適用を誤ったものである、というのである。
しかしながら、記録によれば、本件公訴の提起は適式に行われていることが明らかであるところ、検察官が、本件公訴の提起に先立って、いずれも本件公訴事実と同一の公訴事実により、昭和五四年一一月五日に公訴を提起したのをはじめとして、昭和五九年六月一〇日までの間に前後二六回にわたって公訴の提起を繰り返し、その都度起訴状謄本が所定の期間内に被告人に対して送達されなかったことにより公訴棄却の決定がなされた後、同年八月一七日に本件公訴を提起するに至ったこと、そして、本件公訴提起前の各公訴の提起に当たって、捜査官が被告人を取り調べてその弁解を聴く手続を経ていないことは所論指摘のとおりであるが、被告人が後記のように約八年間もの長期間にわたって逃げ隠れしていたという異例の事態に対処した、まことにやむを得ない、むしろ当然の措置であって、これをもって直ちに訴追裁量の範囲を逸脱したものということはできず、また、本件公訴の提起を含む各公訴の提起は、いずれも受供与・受交付者である原判示菊下一雄の捜査官に対する各供述調書を含めて多数の関係者らの各供述調書等により本件公訴事実を認めるに足りる必要にして十分な嫌疑に基づいてなされていることが証拠上明らかであり、右各公訴の提起にあたって検察官に公訴時効を停止する意図があったにしても、それ自体は何ら違法、不当ではなく、記録及び証拠物を精査し、当審における事実の取調べの結果を併せて検討しても、検察官が所論のように専らマスコミと世論の非難を回避し、天野派に対する見せしめとする意図をもって本件公訴提起を含む一連の各公訴の提起をしたものと推認すべき点は認められない。
以上の次第で、本件公訴の提起が検察官の合理的な訴追裁量の範囲を著しく逸脱し、公訴権を濫用したものであるとはいえず、まして本件公訴提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に当たるものとは到底いえないから、原裁判所が、本件公訴の提起が適法なものとして、被告人に対し有罪の判決を言い渡したのはまことに正当であり、原判決には所論指摘の各法条の解釈適用を誤った違法はない。論旨は理由がない。
控訴趣意第二点(公訴時効の主張)について
所論は、要するに、(一) 本件公訴事実は本件公訴の提起前に既に公訴の時効が完成しているので、免訴の判決が言い渡されてしかるべきであったのに、原裁判所がこの点を看過して被告人に対し有罪の判決を言い渡したのは、刑事訴訟法二五〇条に違反し、訴訟手続の法令に違反したものである、(二) 原判決は、昭和五五年一月七日付け公訴棄却決定の謄本をもって、昭和五四年一一月五日付け起訴状が二か月以内に被告人に送達されなかったのは、被告人が逃げ隠れしていたためである旨認定し、このことから本件公訴の時効は停止していて完成していないとするが、右公訴棄却決定謄本や被告人の妻A子の検察官に対する供述調書をもってしても、右起訴状の不送達が被告人において逃げ隠れしていたためであることを認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はないから、原判決の右認定は証拠に基づかないものであり、この点において原判決には訴訟手続の法令違反がある、(三) 右公訴棄却決定謄本のみでは時効停止の証拠としては不十分であり、右決定の理由となった資料が提出されれば、その結果によっては弁護人側としても時効停止についての反証と弁論の再検討の必要があり、その機会が与えられてしかるべきであったのに、原裁判所が、右資料を提出させないまま、弁護人に右の反証と弁論の機会を与えることなく、前記の事実を認定したのは、審理不尽の訴訟手続の法令違反である、というのである。
そこで、所論にかんがみ検討するのに、原判決の挙示引用する関係各証拠によれば、原判決がその理由中の「(弁護人の主張に対する判断)」の項で、被告人の本件公訴事実に対する公訴時効がいまだ完成していないことについて詳細に認定説示するところは、当裁判所においても優にこれを肯認することができるのであって、記録及び証拠物を精査し、当審における事実の取調べの結果を併せて検討しても、原判決に所論のようなかしを見いだすことはできない。
すなわち、原判決が右説示中で挙示引用する昭和五五年一月七日付け公訴棄却決定謄本によれば、被告人に対しては、本件公訴事実の行為の時からいまだ三年を経過していない昭和五四年一一月五日、本件公訴事実と同一の公職選挙法違反の公訴事実により福島地方裁判所に公訴の提起がなされたが、その起訴状謄本が法定の二か月以内に被告人に対し送達されなかったため、右公訴が棄却されるに至ったことが認められる。なお、右事実は、当審において取り調べた被告人に対する福島地方裁判所昭和五四年(わ)第一八八号公職選挙法違反被告事件の記録一冊によっても明らかなところである。
そこで、次に、右起訴状謄本が被告人に送達されなかったのは、被告人が逃げ隠れしていたためであるかどうかを検討すべきことになるのであるが、この点について、原判決は、「前掲関係各証拠によれば」として後記認定に供した証拠を概括的ながらも挙示引用したうえ、「被告人大橋は、昭和五一年一一月二四日ころ、判示第一に認定したような公職選挙法違反の罪を犯したうえ、同年一二月上旬ころから、前記天野光晴の選挙運動者らが次々と同法違反の罪で逮捕され、本件受供与者たる菊下一雄も逮捕されるに至ったため、同人の供述によって自らも逮捕されるのではないかと恐れ、同月一六日夜、自宅を出て逃走したこと、そしてその後、被告人大橋は被告人(原審相被告人)飯屋﨑の援助を受け、昭和五二年一月下旬ころまではホテルや温泉旅館を転々として宿泊し、それ以後は、福島地方検察庁へ出頭した昭和五九年一〇月一一日まで、佐藤四郎という偽名を使い、東京都内のマンションや被告人飯屋﨑の知人宅を転々として隠れ住んでいたこと、及び被告人大橋の妻A子においてさえも、住居地を出た同被告人の所在・動向等を何ら把握していなかったことが認められる」と認定説示し、右事実から「前記起訴にかかる起訴状謄本の送達ができなかったのは、被告人大橋が逃げ隠れしていたためであると認めるのが相当である。」旨の判断を導いていることが原判文上明らかである。
ところで、原判決が右事実認定の証拠として掲げる「前掲関係各証拠」というのは、その文言等からして、所論指摘の前記公訴棄却決定謄本を指すものではなく、原判決がその理由中の「(証拠の標目)」の項で掲げる各証拠のうち、被告人の前記逃亡等の事実に関係のある各証拠を指すことが明らかであるから、原判決が右公訴棄却決定謄本のみによって直ちに右起訴状謄本の不送達が被告人において逃げ隠れしていたためである旨認定したかのように主張し、これを前提として原判決の右認定判断を論難する所論は、原判決の認定説示するところを正解しないでこれを非難するに帰するものというほかはない。
そして、原判決にいう「前掲関係各証拠」、これを具体的にいえば、被告人及び原審相被告人飯屋﨑修太郎の原審公判廷における各供述、右飯屋﨑の検察官に対する各供述調書、A子、早坂淳一及び伊藤淑弘の検察官に対する各供述調書、司法警察員作成の「所在捜査について復命」と題する書面等を総合すると、所論指摘の前記公訴棄却決定の理由となった資料、すなわち当審で取り調べた前記記録一冊を取り調べるまでもなく、先に摘示したように原判決が被告人の逃亡の事実、ないしその経緯、状況について認定説示するところはこれを肯認するに十分であり、その事実に徴し、前記起訴状謄本の送達ができなかったのは、被告人が逃げ隠れしていたためであると認めるのが相当である旨の原判決の認定判断もこれを是認することができるから、原判決の右認定判断が所論のように証拠に基づかないものであるということはできない。
また、原判決が右事実認定に供した各証拠はいずれも、原審第一回、若しくは第二回各公判期日において適法に取り調べられたものであり、弁護人側の弁論が行われた第三回公判期日までには、弁護人側において、これらの証拠に対する反証を提出しようと思えばこれを提出し、弁論をする機会がなかったわけではないことが記録上明らかであるから、原裁判所が弁護人側に対し公訴時効の停止の点について反証ないし弁論の機会を与えなかったとはいえず、審理不尽の違法があるともいえない。
そうすると、被告人の本件公訴事実についての公訴時効の進行は、刑事訴訟法二五五条一項により、被告人が逃げ隠れしていた期間、すなわち逃亡した日の翌日である昭和五一年一二月一七日から福島地方検察庁に出頭した日の前日である昭和五九年一〇月一〇日までの間停止していたことになるのであり、したがって、被告人の本件公訴事実に対する公訴時効は、本件公訴が提起された昭和五九年八月一七日までにはいまだ完成していないことが明らかであるから、原裁判所が被告人に対し免訴の判決をすることなく、有罪の判決を言い渡したのはまことに正当であり、原判決に所論のような訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。
控訴趣意第三点(量刑不当の主張)について
論旨は、被告人に対し刑の執行を猶予しなかった原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。
そこで、記録及び証拠物を精査し、当審における事実の取調べの結果をも併せて諸般の情状を検討するのに、本件は、福島県伊達郡霊山町議会議員で、衆議院議員天野光晴の私設秘書であった被告人が、昭和五一年一二月五日施行の第三四回衆議院議員総選挙に際し、福島県第一区から立候補した右天野の選挙運動者として、同候補者に当選を得しめる目的をもって、同年一一月二四日ころ同郡川俣町の原判示菊下一雄方で、同候補者の選挙運動者である右菊下に対し、同候補者のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬等として現金一五万円を供与するとともに、右菊下から同郡飯野町、川俣町及び月舘町に各居住する同候補者の選挙運動者らに供与すべき投票買収資金として、現金一〇〇万円を交付した事案であって、これらの金員が所論のように主として右選挙運動者らに対する実費弁償ないし同候補者の地区後援会の事務所経費として供与、交付されたものとはいえないところ、かかる買収事犯は、原判決がその理由中の「(量刑の事情)」の項で説示するように、議会制民主主義の根幹である選挙の自由、公正を踏みにじる罪質において極めて悪質な犯行であるうえ、その供与、交付にかかる現金も合計一一五万円という相当高額な金額であり、被告人の当時における社会的地位、犯行の動機、選挙運動者間における地位及び役割、右金員の流布状況、選挙民、社会に及ぼした多大の影響等、殊に、被告人の本件犯行により、当時福島県議会議員であった右菊下に交付された現金が更に下部へ流され、現職の県議会議員や町議会議員を含めて多数の買収事犯をみるに至ったこと、なお、被告人は、本件犯行に自ら主体的にかかわったものではなく、他の者から命令されるままに使い走りをしたにすぎない旨弁解するが、その指示、命令をした者が何人であるか等の具体的な点については、いまだにこれをつまびらかにしない以上、右の点を被告人のために酌むべき事情としてそれほど考慮するわけにはいかないことなどにかんがみると、本件の犯情は芳しくなく、被告人は本件所為について厳しい非難を受けるべきであり、その責任は軽視することを許されない。更に、被告人は、自己の身辺に捜査機関の追及の手が及ぶとみるや、いち早く自己の罪責を免れ、累が他に及ぶことを防止するために逃走し、その後は公訴時効の完成をねらい、約八年もの長期間にわたって逃亡生活を続けていたのであって、改悛の情がなく、法無視の態度を顕著に示すものであるから、この点も厳しい指弾を免れず、原判決が法と社会秩序を不当にじゅうりんしたというのも、右の趣旨において首肯し得ないわけではない。しかしながら、被告人のかかる行状は、犯罪後における犯人の態度の一面であって、量刑の最も基本的な要素である被告人の犯罪自体の違法性、有責性を示すものではなく、これと関連する限度で、また、刑事政策的な配慮として、あくまでも被告人の行為責任に応じた量刑という枠の中で考慮されるべきであり、右限度を超え、過大にこれを評価することは相当でない。そして、右の点については、被告人は、自ら招いた事態であるとはいえ、約八年もの長期間にわたる逃亡中、その妻子の許から遠く離れ、偽名を使い、転々とした仮住いで経済的にも精神的にも極めて不安定な日々を送っていたもので、その間に家族の者らが受けた辛酸も大きく、これらの事情をも併せて考慮すべきである。また、被告人が、全く前科前歴がなく、今回検察庁に出頭して逮捕されるに及んでようやく心の落ち着きを取り戻し、現在は本件の非をそれなりに反省し、今後厳しく自戒して更生することを誓っていることなど被告人に有利な諸事情も参酌されなくてはならない。そこで、被告人にとって有利なあるいは不利な各般の事情を総合し、この種買収事犯に対する量刑の一般的な実情及び右菊下をはじめ本件関連違反者らに対する量刑との権衡をも勘案して、被告人の量刑を考量すると、被告人に対しては今回に限り相当期間刑の執行を猶予し、右期間公民権停止の制裁に服させ、深く自己の責任を反省して謹慎し、その罪を償い、社会生活を通じて自主更生する機会を与えることによっても刑罰の目的を達し得るものと判断される。そうだとすると、被告人を懲役一年六月の実刑に処した原判決の量刑は、その刑期はともかく、刑の執行を猶予しなかった点において重過ぎて不当であるといわなければならない。論旨は理由がある。
よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決中、被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条ただし書により被告事件について更に次のとおり判決をする。
原判決が確定した被告人に対する罪となるべき事実(原判示第一)に法令を適用すると、被告人の判示所為中、現金一五万円を供与した点は公職選挙法二二一条一項一号に、現金一〇〇万円を交付した点は同項五号、一号にそれぞれ該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情の重い交付罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、同法二一条を適用して原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入し、前記の情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 粕谷俊治 裁判官 小林隆夫 小野貞夫)