仙台高等裁判所秋田支部 昭和30年(う)175号 判決
原判決は松浦幹四郎が公訴事実記載の原因により同記載の日時場所において死亡するに至つたこと、被告人忠雄外一名は公訴事実記載の便所附近で松浦幹四郎から殴打されその後恒例の花取行事が開始され多数の者が造花を奪おうと激しく揉み合つている際右幹四郎が酩酊して群衆の中に揉まれているのを認めるや被告人忠雄は、にわかに憤激し矢庭に手拳で同人の頭部を殴打し、被告人美代三は群衆に迷惑なとばかりに右幹四郎を三神合祭殿の方に押しやり群衆の勢に流されて合祭殿東側軒下附近に倒れるや右手拳で同人の頭や肩の辺を殴打し、被告人忠雄において再び手拳で幹四郎の胸部等を殴り被告人十二郎においても藁草履を履いたまゝ幹四郎の肩部を足で蹴つて暴行を加えたことを認定したが被告人等が幹四郎に対し暴行を加えるに当り共謀したとの点、同人の死亡が被告人等の暴行によるものであるとの点、その死因につき斎藤栄作作成の鑑定書記載の如きものによつて被告人富弥を除く被告人三名が加えたとの点につき証拠がないとし被告人富弥を除く各被告人の犯行を単純暴行罪と認定して各罰金刑を、被告人富弥に対しては無罪を言渡した。しかし訴訟記録並びに原審及び当審において取り調べた証拠によれば後記自判の際「罪となるべき事実として」説示のとおり公訴事実のうち原判決が認定しなかつた事実を優に認定しうるのであつて右はひつきよう原審が経験則に反し採証の法則に悖つた結果判決に影響を及ぼす事実誤認を招来したものといわなければならない。以下この点につき論及する、先づ松浦幹四郎の死因は左顱頂部の挫創右硬膜下出血のためであることは鑑定人斎藤栄作の鑑定書の記載により洵に明らかである、なお該創傷は薪、靴底等の凹凸のある鈍器をもつて相当大きな外力が加えられたことによるものと認めるべきことは同鑑定書及び原審第四回公判調書中の証人斎藤栄作の供述記載により明らかである。しかして被告人等が右の如き鈍器をもつて松浦幹四郎の頭部に打撃を与えたかの点は後記自判の際摘録の証拠殊に芳賀正、大川鎮、三浦寛の供述記載並に警察技師丸子千代松作成の鑑定書の記載によれば被告人忠雄、同富弥等は革靴のまゝ倒れていた松浦幹四郎の頭部附近を蹴つていたことを確認しうべきところ芳賀正は昭和二十九年十一月十六日の証人尋問の際従来の供述と喰い違つた供述をしている点、大川鎮は検察官に対する供述を原審第十回公判廷で訂正し、その後法廷外で検察官から取調を受け更に検察官の申請で原審第十二回公判廷で検察官調書を確認して前言を飜している点等の経緯が存することは記録により窺いうるところであるが全記録を通覧するに本件犯行は霊場である月山、湯殿山、羽黒山の三神合祭殿の神域で行われたもので剰え同神社最大の祭礼である五穀豊穣を祈願する「花取行事」の際に敢行されたものであること、右神社と被告人等居住の手向部落は神社の山麓にあつて部落民の多くはこの神社のため生活し祖先以来絶対的崇敬の的となつており神社に不利益を招来するが如きことは部落民の最も禁忌とするところである、さればこそ芳賀正が本件に関し捜査当局の取調べを受けそれに基き部落の青年が次々に喚問逮捕されるや同人は学友からつまはじきされ、被疑者の母からは怒鳴り込まれ、部落民からは村八分的態度に出られて母よしゑの塩干魚等の行商に圧迫を加えられて生活の脅威をさえ感ぜしめるに至りこれが為芳賀正は証人として喚問を受け供述することを極度に嫌い当審からの数回の召喚にも応ぜず行方を晦ましている状態であること又同部落で手向村村会議長をしていた山本嘉一郎が村の青年を犯人として密告したとしてそんな奴を公職につけて置いてはならぬと騒ぎ出され村八分となり遂に名誉毀損の告訴問題にまで発展するに至つたこと等の事情が窺われるのであるから芳賀正や部落民が捜査当局(芳賀正の場合は刑訴二二七条による裁判官の尋問調書を含む)に対し供述した後証人として取調べられた際前者と異つた被告人側に有利な供述をするに至るべきことは窺われるところであるから斯る場合その前、後の孰れの供述に信憑力があるやは遽に決定し難いところであつて供述者の年令、心理状態、供述の内容等仔細に検討して決定すべきであろう、原審は芳賀正の検察官及び裁判官に対する供述は昭和二十九年十一月十六日検証施行の際行われた同人に対する証人尋問調書の記載と対比し(1)同人が松浦幹四郎の倒れた地点を見たという地点、(2)倒れた際の松浦の頭部の方向等において可成の喰い違いがある点、(3)右証人が若年である点、(4)裁判官に対する供述調書は検察官に対する供述調書作成直後に作成されたものである等の事情を綜合して前者を信用しえないとして排斥した、しかし裁判官に対する右供述調書は刑訴法第二二七条に基き検察官の取調に際し任意に供述した者が公判期日においては圧迫を受け前にした供述と異なる供述をする虞があり且つその者の供述が犯罪の証明に欠くことが出来ないと認められる場合に限り検察官は裁判官にその者の証人尋問を請求することが出来るものであつて裁判官は適法な疎明があつて始めて証人尋問をするものであり本件裁判官も検察官の疎明を認めて検察官取調後十五日目に取調べていることが認められるしその供述内容も極めて自然で当時の事情を合理的に供述していることが認められる。但し被害者松浦幹四郎の倒れた際の頭部の方向については他の証拠により確定しうる方向とは逆の方向にある旨の供述をしているが右は記憶違いに基く供述と思われる、又松浦幹四郎が倒れた地点を見たという地点についてその供述中に幾分の差違があつたとしても倒れていた同人を十人余りが取り囲んで踏んだり蹴たりしていた手向の若い者の中に被告人忠雄、同富弥がいてこの二人が一番酷く踏んだり蹴たりしていたとの点、松浦の頭左側から血が出ていたとの点は一貫した供述であるから同供述が全面的に信用しえないとなすのは妥当でない。なお芳賀正は右供述当時中学校二年生で若令ではあるが証言するにつき何等利害関係を顧慮することなく純心な気持で真実を供述しうる情況にある者とも見られるので若令なるの故をもつて信憑性に乏しというのは当らない。以上を綜合して考察すれば芳賀正に対する前記捜査官の各供述調書は採つてもつて事実認定の資に供しうるとするのが相当である。
次に原審は大川鎮の検察官に対する調書及び原審公廷における証言を措信できないとして前者は(1)同人が本件嫌疑で拘束されていた時の供述、(2)興奮と混雑の中に在つて碓永忠雄の靴履きという微細な点に気付きながら暴行していた者の中に三浦十二郎がいたことしか記憶していない、(3)検察官には松浦の股の辺りを踏んだと述べたのに調書には頭を蹴つたと書かれている、(4)原審第十回公判廷で碓氷忠雄は花を担く前に革靴を履いていたのを見ていたから革靴のまゝ蹴つたのだろうと思つたと供述しながら第十二回公判廷で検察官調書と同じ内容の供述を為しその他の点について記憶がない等と供述している経緯から措信出来ないし公判廷における証言も信用しないとしたが右(1)については記録を通覧するも信用すべからざる理由を発見しえない、(2)については靴履のまゝ頭の附近を蹴るという異状な状態であるから興奮と混雑の中にあつた時と雖も之に気付いたといつても何等不思議ではなく又多数の者が取巻いて暴行していた中に被告人三浦十二郎のみより記憶していないといつてもこの供述は措信するに足らないと輙く排斥するのは条理に反する、(3)について検察官が供述者において股の所を蹴つたと述べたのを故意に頭を蹴つたと調書に記載せしめたということは通常ありえないところであり同人の供述を措いては他に之を窺う資料なく且つ当該調書には作成後読み聞けて事実相違なしとし署名指印している事実に徴し検察官の故意又は強制に基く供述記載でないことは明らかである。なお同人が原審公廷で股を蹴つていたと供述しているが俯伏せに倒れている松浦幹四郎の股を蹴ることは条理上考えられないし鑑定人斎藤栄作の鑑定書の記載にも松浦幹四郎の股辺に損傷著変なしとなつているので被告人忠雄が松浦の股辺を蹴つていたとの供述は採るに足らないことが容易に判明しうる、(4)について大川鎮の証人尋問は前後三回に亘り第一回第二回の前半は被告人忠雄が松浦幹四郎を靴履のまゝ股のところを蹴つていたと供述しながら二回目の後半に至つて被告人忠雄が靴で蹴つていたのは見ないと供述を飜し次いで検察官の再尋問請求の結果被告人忠雄とは小学校時代からの友達で今度の事で罪になる様では可愛想と思つたので遂嘘を言つてしまつたと第一、二回の前半の証言同様証言するに至つたことが記録により窺われる、されば大川鎮の捜査官並原審第一、二回の前半の供述が右第二回後半の供述と相違しているとの理由で排斥するのは失当である。次に原審は被告人富弥が本件犯行に関与した証明がないというのであるが後記自判の際挙示の証拠によれば同人は松浦幹四郎等から殴られた後一旦直務所に入つたが其の後花取行事が始まる前合祭殿の花置場に行つたことを認定しうべく、その後被告人忠雄等と共に後記認定の如き犯行に及んだことを認むるに足る。
原審は前叙の如く被告人等が松浦幹四郎に暴行を加えるに当り共謀した証拠はないとしたが共謀とは必ずしも謀議画策した場合のみに限るのではなく数人が相互に他人に暴行する意思あることを認識しながら共同して暴行を加える場合をも包含すると解すべきである。本件につきこれを観るに被告人忠雄同富弥の両名が松浦幹四郎等から暴行を受けたことにより被告人忠雄等が三番花の倒れた附近において右松浦を発見するや同人に対する報復のため共に同人を殴り押すようにして合祭殿東側の軒下附近に俯伏せに倒し他の被告人等も同輩の報復のため共に之を取囲み各自松浦に暴行する意思あるものなることを認識しながら共同して同人に本件暴行を加え傷害致死の結果を生ぜしめたものであることは後記自判の際示す証拠により確認しうるのであるから被告人等の共犯関係の事実は認めえられるので被告人等はその暴行による傷害致死の責を免れない。
なお被告人等の暴行と松浦幹四郎の死亡との間に因果関係が存することは後記自判の際示す証拠を綜合すれば被告人等は共謀の上被告人忠雄同富弥等は靴履のまゝ松浦幹四郎の頭部を蹴り、被告人十二郎、同美代三も共に踏む殴るの暴行を加え傷害を負わしめその結果死亡するに至らしめたことは洵に明らかである。
以上説示のとおりで原判決には所論のような違法があつたと認めるので破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十二条に則り原判決を破棄し同法第四百条但書に基き当裁判所は改めて次のとおり判決する。
「罪となるべき事実」
被告人等は孰れも月山、湯殿山、羽黒山の三神合祭殿の鎮座する山形県東田川郡羽黒町大学手向字手向の若衆であるが昭和二十九年七月十五日同神社の祭礼として恒例のいわゆる花取行事といい居部落の若衆が約三尺四方高さ約三尺の櫓に丸太を立てその先端を蔽う藁に造花を挿したもの三組を担いで三山神社の神輿等と共に行列を作つて境内の鏡池を一周し練り歩いた後参詣人達は右丸太を押し倒して造花を競つて奪い取りこれを持ち帰つて五穀豊穣、家内安全を祈願するといういわれの行事に参加すべく同神社に登り来り被告人忠雄及び同十二郎は一番花を同美代三は三番花を担いだものであるが右花取行事が行われる直前被告人忠雄、同富弥の両名は同神社境内便所附近で松浦幹四郎から些細なことに因縁をつけられた上殴打された。同日午後二時過頃花取行事が開始され一番花、二番花と順次群る参詣人によつて押し倒され三番花も右境内三神合祭殿東南方の石畳通路附近で押し倒され造花を取ろうとする群衆と取らせまいとする丸太の担ぎ手、果ては造花を競つて奪おうとする者同志が激しく揉み合つている際、被告人忠雄は同人が曩に前記暴行を受けた松浦幹四郎が飲酒の上酩酊の風態で右群衆の中に揉まれているのを認めるやにわかに憤激し報復のため矢庭に手拳で同人の頭部を殴打し被告人美代三は同人を合祭殿の方に押しやり群衆の勢に流されて同合祭殿東側軒下附近に俯伏せに倒れるや被告人等は共謀の上これを取り巻き被告人忠雄、同富弥は靴履のまゝ同人の頭部を被告人十二郎は足にて同人の肩部を被告人美代三は手拳で同人の頭部肩部を蹴る、踏む、殴るの暴行を加えて顱頂部挫傷等の傷害を与え因つて右硬膜下出血のため同月二十一日午前七時頃東田川郡立谷沢村所在、同人の自宅において死亡するに至らしめたものである。
(裁判長裁判官 松村美佐男 裁判官 小田倉勝衛 裁判官 小友末知)