仙台高等裁判所秋田支部 昭和46年(う)28号 判決 1971年8月24日
被告人 大久保英雄
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役六月に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
原審ならびに当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、仙台高等検察庁秋田支部検察官検事善方正名提出にかかる山形地方検察庁鶴岡支部検察官検事手塚元一作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は次のように判断する。
論旨第一点(法令の解釈適用の誤の主張)について
所論は、原判決は本件公訴事実の外形的事実についてはこれを全面的に認めながら、公務執行妨害については後藤巡査の公務執行は許された実力行使の範囲を逸脱した違法な行為であるから公務執行妨害罪は成立しないと判断した。しかし、道路交通法六七条一項および警察官職務執行法二条一項にもとずく停止要求にしたがわない場合、警察官が相手方を停止させるため、ある程度の実力行使が許されるのであり、本件後藤巡査の行為は、許される実力行使の範囲内のものとして適法な職務執行であるから原判決は、道路交通法六七条一項および警察官職務執行法二条一項の解釈を誤り、その結果適法な公務執行行為を違法なものと判断し、結局刑法九五条一項の解釈適用を誤つたもので、右誤は判決に影響を及ぼすこと明らかである、というのである。
本件公務執行妨害に関する公訴事実(但し、原審第一一回公判期日において訴因変更後のもの)は、「被告人は昭和四二年九月七日午前〇時五分ころ、鶴岡市本町一丁目三番地所在飲食店「六助」方前道路において、酒に酔い斎藤清治外三名を乗せた普通乗用自動車を運転して発車しようとした際、警ら中の鶴岡警察署勤務巡査後藤栄男から被告人が道路交通法に反して酒に酔い自動車を運転しようとしている疑いで職務質問のため運転免許証の提示を求められるや、逃走しようとして同車を運転発車させたので、その際被告人に酒臭を感じた右後藤巡査が更に被告人は酒に酔い同車を運転していると認めて停止を求めたのにかかわらず、これを知りながらその停止の求めに従わず、かえつて増速したので同巡査において被告人がそのまま運転を続けるときは交通事故を惹起するおそれがあると認めたところから、引き続き被告人の右運転を停止させて職務質問を行うべく同車のハンドルおよびドアーを掴んで停止を求めたが、被告人はこれを知りながら、同巡査をふり落しても逃走しようと決意し、そのまま時速約二〇キロメートルで同巡査を引きずりながら進行し、約二六メートル進行した際、道路右側の電柱に衝突の危険を感じて同車から手を放した同巡査をして路上に転倒させて同巡査に暴行を加え、もつて同巡査の右停止要求および職務質問の職務の執行を妨害した」というのである。
これに対し、原審は右公訴事実の外形的事実については、これをすべて認定しながら、道路交通法六七条一項および警察官職務執行法二条一項による停止の措置は、精々肩に手をかけて停止を促すなど説得の手段としての限度における多少の物理力の行使は許されるとしても、それ以上の強制にわたる実力による停止は許されず、本件の如く車両のドアーのみならず、ハンドルを掴んで止めようとした判示警察官の行為は、密閉された車内の被告人を逮捕する行為とほとんど同視できる程度の実力行使であり、警察官職務執行法二条一項の停止の限界を越える違法な職務の執行として刑法九五条一項の保護する公務にあたらないから、本件被告事件が罪とならないと判断したのである。
ところで、原判決が一部無罪の理由中で認められるとしたその外形的事実は、挙示の関係証拠により、優に認定しえられるので、右事実を基礎として本件後藤巡査の職務執行行為の適法性について検討する。
警察官職務執行法二条一項は、何らかの罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者等を停止させて質問することができる、と規定し、警察官に対し、一定の要件のもとに停止および質問の権限を与えているところ、右の停止権は刑訴法上の強制処分ではないから、人身の拘束を伴うものであつてはならないこともちろんであり(同条三項)、したがつて逮捕と同視すべき人身の拘束を伴う実力の行使は、同条項の許容しない違法のものというべきことまさに原判示のとおりである。けれども、右条項は犯罪の予防と捜査という公共的要求から、憲法および刑訴法に牴触しない限度において、人身の自由の制限を認めているものであることにかんがみ、ある程度の実力行使を認めているものと解すべく、この場合、右停止権は質問権を確保するための手段として与えられるものであるから、逃走して質問から逃れようとする者に対しては、質問を可能にする状態に置くため、必要かつ妥当な範囲内で一時的に実力を行使することも同条項の許容するところと解すべきである。
これを本件についてみるのに、後藤巡査が、深夜、飲食店から出て来て駐車中の普通乗用自動車に乗り込み、これを発車させようとした被告人に近付き、運転免許証の提示を求めた際、被告人から酒臭を感じたという本件の具体的状況のもとでは被告人が酒酔い運転等何らかの罪を犯すと疑うに足りる相当な理由があること明らかで、被告人がこれを無視して発進したところから同巡査が職務質問のため、右手でハンドルを、左手でドアを掴んで停止させようとしたことは自動車が逃走手段として極めて大きな威力を発揮することにかんがみ、同条項所定の停止のための実力行使として必要というべく、かつ運転者に対し、財産的損害を与えることもなく、その精神的苦痛も軽微であるから、社会通念上妥当な範囲内のものであることが明らかである。されば、本件後藤巡査の所為は警察官職務執行法二条一項所定の職務質問として適法な職務執行行為というべく、原判決がハンドルに手をかけることをもつて逮捕と同視すべき実力行使と断じたことは、同条項の「停止させ」の意義を不当に狭く解し、ひいては刑法九五条一項の解釈適用を誤つたもので、右の誤は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから論旨は理由があり、その余の控訴趣意に対する判断をまつまでもなく原判決は破棄を免れない。
よつて、本件控訴は理由があるので刑訴法三九七条一項、三八〇条により原判決全部を破棄するが、ここで同法四〇〇条但書の適用の有無について考えるに、本件公務執行妨害罪の訴因については、原審において法律判断の対象となる事実関係はすべてこれを確定し、刑法九五条一項の職務の適法性に関する法律判断のみで、本件を罪とならないものとしたのであるが、右原審の法律判断を誤として、異なる法律判断に基づき有罪と認めうる場合であるから、同条項により訴訟記録及び原審において取り調べた証拠のみによつてただちに被告事件について判決することができる場合と認め、次のように判決する。
(罪となるべき事実)
原判示第二事実に代えて、次の事実を認定するほか、原判示事実を引用する。
第二、前記日時場所において、右巡査から停止を求められるや、前日午後八時過ぎころから午後一〇時半ころまで知人らとビールを飲んで自動車を運転し鶴岡市内に来て更に少量のウイスキーを飲み再び運転をしていたため、飲酒して運転したことが発覚することをおそれて逃走しようとし、急速に前記車両を発車させたところ、右後藤巡査は被告人に酒臭を感じ、酒に酔つて右車両を運転している疑いで職務質問のため、右手で被告人運転の前記車両のハンドルを、左手でそのドアーを掴んで停止させようとしたところ、被告人は同巡査をふり落してでも逃走しようと企て時速約二〇キロメートルに増速し、同巡査がハンドルから手を離すと転倒する危険があり、やむなく、ハンドルを掴んで小走りでほとんど引きずられたような状態になつているのに、あえて約二六メートル運転を継続し、もつて同巡査を引きずる暴行を加え、よつて同巡査をして道路右側の電柱に衝突の危険を感じさせて同車から手を放さざるの止むなきに至らせて同巡査を転倒させ、もつて「同巡査の停止要求および職務質問の職務執行を妨害すると共に、」同巡査に対し、全治約五日間を要する右肘、左膝打撲傷、右下肢捻挫の傷害を与えたものである。
(証拠の標目)
原判決証拠の標目欄記載の証拠と同一であるからこれを引用する。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は昭和四五年法律第八六号(道路交通法の一部を改正する法律)による改正前の道路交通法六七条一項、一一九条一項八号に、同第二の所為中公務執行妨害の点は刑法九五条一項に、同傷害の点は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条に各該当するところ、第二の公務執行妨害罪と傷害罪は一個の行為にして二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、一罪として重い傷害罪の懲役刑にしたがい、第一の所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で被告人を懲役六月に処し、情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法二五条一項によりこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、原審ならびに当審における訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文を適用して全部被告人に負担させる。
よつて主文とおり判決する。