仙台高等裁判所秋田支部 昭和55年(う)46号 判決 1980年12月16日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、被告人及び弁護人村岡昭作成の各控訴趣意書記載(但し、被告人作成の控訴趣意書記載の第二の主張を撤回し、弁護人作成の控訴趣意書記載の事実誤認の主張は左記論旨のとおりである旨釈明した。)のとおりであり、これに対する答弁は、検察官松崎康夫作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
弁護人の論旨は、要するに、被告人は、昭和五四年一〇月一日深夜秋田市樽山方面で拾得した自転車を交番に届けるためその自転車を押して路上を通行中、たまたま出会つた通行人斎藤列子に依頼して警察官を呼び寄せたが、被告人が右自転車を窃取したものと疑つた警察官に無理矢理にパトカーに乗せられ、機動捜査隊庁舎まで連行されたうえ、自転車窃盗の容疑で取調べを受けるうちに、原判示「北州飯店」に勤務中現金を盗んだ疑いをかけられて同店を辞めたことを正直に話したところ、かえつて、警察官から右現金を盗んだものと決めつけられ、被告人の頭を机に二、三回打ちつけるなどの暴行を加えられ、翌二日午前三時ころに至り、頭が痛いのと一睡もさせてもらえなかつたため、真実は裁判のときにいえばよい、と考えて虚偽の自白をし、その後、秋田警察署における取調べ及び検察庁における取調べの際にも、真実は裁判のときにいえばよい、との考えから虚偽の自白を続けたのであるから、右自白の任意性には疑いがあり、従つて、被告人の捜査官に対する各供述調書には証拠能力がないのに、原判決は原判決挙示の捜査官に対する各供述調書により原判示窃盗の事実を認定しており、右各供述調書以外の原判決挙示の証拠のみによつては右事実は認定できないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反及び事実の誤認があり、仮に、右各供述調書に証拠能力があるとしても、右各供述調書中の自白には信用性がなく、原判決挙示のその余の証拠のみによつては原判示窃盗の事実は認定できないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのであり、被告人の論旨は、要するに被告人は、原判示犯行に及んだことはなく、原判決挙示の被告人の捜査官に対する各供述調書中の自白は、弁護人主張の理由によりなされたもので、任意性も信用性もなく、原判決挙示のその余の証拠のみによつては原判示窃盗の事実を認定することはできないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。
そこで、原審及び当審で取り調べた証拠を総合して検討すると、被告人が本件により逮捕されるに至つたいきさつは次のとおりであり、これに反する証拠は信用できない。
(1) 被告人は、昭和五四年一〇月一日午後一一時四〇分ころ、秋田至仁会から借りた自転車に乗り、もう一台の中古自転車(所有者不明)を引いて秋田市樽山字石塚谷地二七三番地の三斎藤列子方付近路上を通行中、たまたま出会つた右斎藤に対し、「国鉄の秋田車両基地の土手で自転車を拾つたので警察に届けたいが、交番を教えてもらいたい。」旨申し向け、これに対し、同人が「この辺には交番はないから警察に電話で連絡してやる。」旨答えるや、警察への連絡を依頼し、同人方前で警察官の来るのを待つうちに、一〇分位経つてから秋田県警察本部刑事部捜査第一課機動捜査隊所属の警察官三浦丈久及び佐藤徳也がパトカーで駆けつけた。
(2) 右警察官らは、右斎藤から事情を聞いたが、被告人が右中古自転車を所持していることに不審を抱き、被告人に対し、「盗んで来たんではないか。お前。」などと申し向け、被告人を右自転車の窃盗犯人と決めつけるような態度で職務質問をし、これに立腹した被告人と口論となつたので、被告人を右機動捜査隊庁舎に連れて行つて取り調べようと考え、「これ以上に聞きたいことがあるからパトカーに乗つてもらいたい。」旨要求し、「何もしていないから車には乗らない。」と大声で叫んで乗車を拒否する被告人を両側から抱え、その抵抗を排して無理にパトカーの後部座席に乗せ、その横と運転席に右警察官二人が座り、なおも同行を拒否する被告人と口論中、応援要請を受けた右機動捜査隊所属の警察官村山徳次郎がパトカーで駆けつけるや、警察官らは、被告人を右機動捜査隊庁舎に連行して取り調べるのが真の目的であるのに、「自転車の拾得手続をする必要があるから同行してもらいたい。」旨申し向け、これを口実にして被告人に同行を承諾させ、翌二日午前一時ころ右機動捜査隊庁舎に被告人を連行した。
(3) 右警察官三浦及び佐藤は、被告人を右機動捜査隊庁舎に連れて行つた後、約束に反して自転車の拾得手続をすることなく、直ちに被告人を取調室に入れて自転車窃盗の容疑で取り調べたが、被告人は自白をせず、そのうちに、被告人が警察官の悔べつ的な言葉に立腹して室内にあつた椅子を持ち上げて振りまわすや、右三浦、佐藤のほか右村山も加わつて被告人を制圧したが、その際、右耳を下に向けた被告人の頭を数回机に押しつけて暴行を加えた。
(4) 右三浦及び佐藤は、被告人が同人らに制圧されて抵抗を諦めた後も、さらに取調べを続けるうちに、被告人が「原判示『北州飯店』に勤務していたが売上金を窃盗した疑いをかけられたので辞めた。」旨の事実をもらすや、右「北州飯店」に電話をかけて右事実を確認したうえ、右売上金窃盗の容疑で被告人を取り調べ、これに対し、被告人は、当初右売上金窃取の事実を否認していたが、同日午前三時ころになつて、強度の興奮による頭痛と眠気のため自白するに至り、その結果、同日午前四時二〇分ころ右窃盗容疑により緊急逮捕された。
(5) 被告人は、右機動捜査隊庁舎における取調べの途中「帰らせてくれ。」と要求したが、警察官から「それどころじやない。」といつて拒否された。
以上の認定事実に基づいて判断すると、右のように警察官が被告人を無理にパトカーに乗せ右機動捜査隊庁舎に連行した行為は、警察官職務執行法及び刑訴法によつて許容される任意同行の限度を逸脱する違法な任意同行であつて、実質的逮捕行為に当たり、その後右自白を得るまでの間も違法な身柄拘束が続けられたものと認めるほかはなく、しかも、右違法な任意同行が行われた当時、警察官の主観においても客観的にも被告人を逮捕し得る実質的要件すなわち被告人が何らかの罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由は存在しなかつたものと認めるのが相当であり、右警察官らは、被告人を逮捕し得る実質的要件がないにもかかわらず、被告人から自転車窃盗についての自白を得る目的で故意に右のような違法な任意同行を行い、これを利用して取調べを行つた結果、本件窃盗につき、被告人の自白を得たものと認めざるを得ないから、このような場合には、右違法な任意同行に引き続く取調べにより得た被告人の自白の証拠能力はもとより、その後の緊急逮捕及び勾留中になされた被告人の一切の自白の証拠能力も否定すべきものと解するのが相当である。
そうすると、原判決挙示の各証拠中、被告人の検察官及び司法警察員に対する各自白調書は証拠能力がなく、右各自白調書以外の原判決挙示の各証拠をもつてしては被告人が本件窃盗行為に及んだ事実を認定することはできないから、右各自白調書を証拠として採用し、これにより右事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるものといわなければならないから、本件控訴趣意中被告人の自白の任意性に関する論旨及び事実誤認の論旨につき判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。
よつて、刑訴法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但し書により自判すべきところ、本件公訴事実は、「被告人は、昭和四七年一一月二日名古屋地方裁判所豊橋支部において、窃盗、有印私文書偽造同行使、詐欺未遂罪により懲役一年二月に、昭和五〇年四月一日豊橋簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年二月に、昭和五一年七月二七日新潟地方裁判所佐渡支部において、常習累犯窃盗罪により懲役二年に各処せられ、右刑はいずれも後記犯行前一〇年以内に、その執行を受け終つたものであるが、更に常習として、昭和五四年九月三〇日午前一時三〇分ころ、秋田市大町四丁目一番一一号飲食店「北州飯店」こと藤島静子方において同人所有の現金一万五、〇〇〇円を窃取したものである。」と、いうのであるが、原審及び当審で取り調べた証拠のうち、被告人の自白はすべて証拠能力がなく、その余の証拠のみをもつてしては右公訴事実中窃盗の事実を認定することは困難であつて、右公訴事実については結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。
(角敬 吉本俊雄 小林克已)