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佐賀地方裁判所 平成元年(ワ)160号 判決 1997年1月24日

原告

甲野春子

外四名

右原告四名法定代理人親権者母

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

河西龍太郎

本多俊之

中村健一

松田安正

梓沢和幸

被告

佐賀県

右代表者知事

井本勇

右指定代理人

栗﨑忠義

外六名

右訴訟代理人弁護士

安永宏

蜂谷尚久

松尾紀男

右安永宏訴訟復代理人弁護士

牟田清敬

主文

一  被告は、原告甲野春子に対し金四二七万八〇三一円、原告甲野花子、原告甲野一郎、原告甲野二郎及び原告甲野三郎に対し各金一一六万九五〇七円並びにこれらに対する平成元年九月一五日から各支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。ただし、被告が原告甲野春子に対し金一四〇万円の、その余の原告らに対し各金四〇万円の各担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告甲野春子に対し金五七九七万円、原告甲野花子、原告甲野一郎、原告甲野二郎及び原告甲野三郎に対し各金一九四四万二五〇〇円並びにこれらに対する訴状送達の日の翌日(平成元年九月一五日)から各支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、殺人・放火事件で取調べを受けていた重要参考人が警察署の取調室において死亡したが、その遺族である原告らが、①右は、捜査に当たった警察官らが違法な取調べをし、参考人を精神的・肉体的に追い詰めて、同人にけいれん発作を起こさせたことに起因するものであり、しかも、右けいれん発作の際に、警察官らは適切な救護措置を怠った過失があるとして、同警察官らの属する佐賀県警察の管理及び運営を行う被告に対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償を求め、②また、右参考人の死亡後、警察官らは右参考人を被疑者として扱うべきではないのにそのように扱い、真犯人ではない太郎をあたかも真犯人であるかのように報道機関を通じて発表し、遺族である原告らの名誉を毀損したとして、前記①と同様に、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき損害賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実及び括弧内の証拠により認められる事実

1  当事者

(一) 原告甲野春子は、亡甲野太郎(以下「太郎」という。)の妻であり、原告甲野花子、原告甲野一郎、原告甲野二郎及び原告甲野三郎は、太郎の子である(甲一)。

(二) 被告は、佐賀県警察本部、佐賀県小城警察署及び同武雄警察署の警察官の属する佐賀県警察の管理及び運営を行う地方公共団体である(弁論の全趣旨)。

2  太郎死亡に至る経緯

(一) 平成元年三月二八日午前四時五五分ころ、武雄市武雄町大字富岡<番地略>において、歯科医師中尾貞重方木造瓦葺二階建家屋が同所一階付近から出火・炎上し、これにより同家屋(合計面積約二二二平方メートル)はほぼ全焼した。同家屋の焼け跡から中尾貞重(当時七三歳)(以下「貞重」という。)と同人の妻登美江(当時六八歳)の焼死体が発見された。佐賀医科大学で右両名の解剖を実施したところ、右両名の死因は背部等数箇所の刺創による出血死であることが判明した。そこで、佐賀県警察は、同本部、同小城警察署及び同武雄警察署の警察官を組織して、同本部刑事部長山崎喜四郎を捜査本部長とする「歯科医師夫婦殺人・放火事件捜査本部」を設置し、殺人・放火事件として捜査を開始した(以下、右貞重夫婦殺害にかかる一連の事件を「本件殺人・放火事件」という。)(争いのない事実、乙四三)。

(二) 右捜査本部の警察官(以下「捜査官」という。)は、貞重の甥である太郎(貞重の兄弟は三男一女であり、貞重は三男、末っ子の妹が甲野ミツエであり、ミツエの子が太郎)を、平成元年三月三一日、武雄署武雄温泉駅前派出所に出頭を求め事情聴取を行ったほか、平成元年四月一六日、同月一七日(以下、単に月日のみを記載したときは平成元年をさす。)、小城署において太郎に対する取調べを行った(争いのない事実、乙三、三一)。

(三) 右の取調べの過程で、四月一七日、太郎は貞重夫婦を殺害したことなど本件殺人・放火事件の犯行を一部認める旨の供述をし、これを内容とする供述調書(以下、便宜上これを「自白調書」という。)が作成された(争いのない事実)。

(四) 四月一八日未明、太郎宅の家宅捜索が行われ、また、同日午前中に太郎所有車両についてルミノール検査が行われた(争いのない事実)。

(五) 右家宅捜索において、太郎は、途中からこれに立ち会ったが、その際、自宅便所付近の壁に頭を二、三回ぶつける動作をし、後ろに倒れかかり、手足をばたつかせる異常行動を起こし、捜査官に取り押さえられながら、救急車で国立佐賀病院まで搬送されるということがあった(争いのない事実)。

(六) 四月一八日昼、太郎は小城署で取調べを受けるべく、同署に出頭し、小城署第一取調室において昼食を取ったが、その最中、午後一時三五分ころ、箸を口に入れて「うー」と言って突然立ち上がり後方に倒れかかり、手足をばたつかせるなどの異常行動を起こした。捜査官らは太郎の口から箸を取り上げた上、太郎の手足を押え付けたり、太郎が舌を噛むことがないようにスプーンや布きれを巻いた杓文字を太郎の口の中に入れるなどの措置を取ったが、太郎は、右の過程で、口蓋を負傷し、その出血血液を誤嚥して、同日午後二時〇八分ころ、窒息死した(争いのない事実)。

3  警察官の報道機関に対する発表

(一) 捜査本部の山崎刑事部長、塚本参事官は、平成元年四月一八日午後四時二二分から午後五時一四分までの間、小城署二階会議室において、また、同山崎刑事部長は単独で、四月一九日午後零時四〇分から午後一時二三分までの間と四月二〇日午後三時三〇分から午後四時〇七分までの間の二回にわたり、佐賀県警察本部四階会議室において、右の太郎死亡に関してそれぞれ記者会見を行った(争いのない事実)。

(二) 佐賀県警察本部長伊藤正博は、四月一九日午後零時過ぎ、同本部四階会議室において定例記者会見を行い、その際、右太郎の死亡に関して所見等を述べた(争いのない事実)。

二  争点

1  取調べの違法性及び太郎の死亡との因果関係

(原告らの主張)

(一) 取調べの違法性等

捜査本部の捜査官らは、後記(1)記載のように、太郎に本件殺人・放火事件の嫌疑を認めるに足りる客観的合理的理由は存在しないにもかかわらず、太郎を犯人と決めつけ、後記(2)記載のように、太郎のアリバイの主張その他の弁解については裏付捜査などなさないまま、威圧的な取調べを続け、後記(3)記載のように、太郎の病状、睡眠の状況、摂食の状況等を一切考慮することなく、長時間かつ執拗に自白を追及し、捜査官らの期待する自白を強要した。

捜査官らはこれら違法な取調べにより、太郎を精神的・肉体的限界の極みに追い込み、太郎にけいれん発作及び口蓋傷害を生ぜしめ、その結果、窒息死に至らしめたものである。

(1) 嫌疑の不存在について

捜査官らが太郎に嫌疑を認めた理由は、①本件殺人・放火事件の発生する前に、太郎が貞重から叱責を受けたことがあったということ、②右事件発生当日、太郎が事件発生を知った経過について、太郎の供述と他の参考人の供述との間にわずかな矛盾があること、以上の点のみである。しかし、右の点だけでは、太郎を被疑者として特定するに足らない。

佐賀県はいわゆる迷宮入りの殺人事件が多いことで有名であり、昭和五五年から昭和五八年までに四件の未解決殺人事件があり、しかも、平成元年一月二七日には三人の女性絞殺死体が発見されたが平成元年三月二八日に至っても犯人が見つかっていない状況にあって、佐賀県警察本部には県民の信頼回復へのあせりがあった。このような状況下で、捜査官は事件の長期化についてのあせりのゆえに、本件殺人・放火事件において太郎の嫌疑を基礎づける客観的合理的証拠は皆無であるのに、とにかく犯人を挙げなければならないとしてずさんな見込捜査に陥り、太郎の精神的・肉体的限界を越えた違法かつ過酷な取調べを継続したのである。

(2) 太郎のアリバイ主張その他の弁解に対する裏付捜査の欠如

太郎は、平成元年四月一六日に取調べを受けた際、本件殺人・放火事件発生当時は服巻医院に入院中であったというアリバイ主張をして否認を続けた。しかしながら、捜査官は、太郎を真犯人と決めつけることにのみ急いで、太郎の弁解を裏付けようとはしなかった。捜査官が太郎のアリバイの裏付けのため服巻医院関係者らから事情を聴取したのは太郎の死亡後のことである。

また、前記(1)②で述べた他の参考人の供述との矛盾についても、太郎は、再度、その者に記憶違いはないか確認してほしいと哀願したにもかかわらず、これを受け付けなかった。捜査官は太郎の供述についてことさらに虚偽の供述をしているものと決めつけ、自白を追及し、右参考人に対して記憶違いでないか、供述の矛盾について合理的な説明を容れうるのではないかという観点からの裏付捜査を全くしなかった。

(3) 取調方法の違法性

太郎は、昭和六三年一二月二日、重症の慢性肝炎のため服巻医院に入院し、平成元年四月六日退院となったが、同月一七日も病状の改善はみられないままであった。捜査官らは、右のような疾患を有する太郎の病状への配慮を欠いたまま、①平成元年四月一六日午前七時から翌一七日午前零時一五分ころまで連続一七時間あまり、②次いで四月一七日午前八時ころから翌一八日午前二時一五分ころまで連続約一八時間、③さらに約六時間後の四月一八日午前八時三〇分ころから死亡に至るまで五時間、太郎をその全面的拘束下において自白を追及している。

また、取調の経過は、次のとおりであった。

平成元年四月一六日は、出頭時においては、捜査官は、太郎を朝食をとる間もなく小城署に連行し、取調時においては、被害者の焼死体の写真を示して机をどんどん叩きながら「早く成仏させてやらんか」などと大声で怒鳴りつけ、あるいは、太郎を取調室の壁に向かい近接して立たせたまま、その耳元で壁をたたくなどし、さらには、昼食もとらせないまま長時間の連続した取調べをし、疲労困憊した太郎が椅子の上で姿勢を崩すと、椅子をつかんでガタガタゆするなどして自白を強要するというものであった。太郎は、翌日午前零時一五分ころ帰宅したが、食事も取らず、眠れないまま午前五時ころ起床した。

四月一七日も、午前八時ころ捜査官から出頭要請があり、太郎は朝食も取らないまま小城署に出頭した。そして、太郎は、この日も前日と同様の取調べを受け、長時間の脅迫的取調べに意識が朦朧となり、正常な判断ができなくなり、ついには予断に基づいた自白調書を作成させられた。捜査官は、太郎の手をつかんで自白調書に無理矢理指印させるに至った。

しかも、この間、太郎がほとんど食事を取らず、睡眠もほとんど取っておらず、長時間かつ執拗な自白追及により精神的・肉体的に最悪の状態にあったにもかかわらず、捜査官は、四月一八日午前一時二〇分という非常識な時間に太郎宅の捜索に着手し、太郎をこれに立ち会わせた。その結果、太郎は、けいれん発作を起こして転倒し、口から泡や血液を吹き、手足をばたつかせるという事態に至った。

四月一八日も、捜査官は太郎の健康状態を一顧だにせず、午前九時ころから午後一時半ころまで取調べを強行し、再び、太郎にけいれん発作、口蓋傷害を起こさせることになった。

なお、同日午後一時ころには、捜査官二名が太郎の両脇を抱きかかえて拘束し、衆人環視の中あたかも太郎を真犯人として逮捕したかのような態様で小城署に連行するということもあった。

以上のような捜査方法は、実質的には逮捕状によらない違法な逮捕であり、明らかに任意捜査の限界を逸脱している。

(二) 自白の信用性

捜査官が太郎に対し違法かつ過酷な取調べを強行したことは、次のとおり太郎がなした自白の内容に全く信用性がないことからも推認できる。

すなわち、太郎の自白には、予め捜査官が知り得た事項が記載されているにとどまり、いわゆる秘密の暴露はない。太郎の自白調書には貞重夫婦殺害の時間、場所、方法について太郎が供述したように記載されているが、それは捜査官が被害者の司法解剖の結果などから予め知っていた事柄に属するに過ぎず、いわゆる秘密の暴露ではない。

また、太郎の自白には、重要な部分において客観的事実に合致しないところがある。例えば、太郎の自白調書によれば、貞重殺害の動機として、母が取得した保険金(太郎の兄甲野邦彦が死亡した際の生命保険金)の一部を太郎が使ったことを貞重にとがめられたことが挙げられているが、右保険金使用の事実を知る母甲野ミツエはこれを他に公言していないのであるから、貞重が右事実を知り得たということは客観的にあり得ない。また、太郎の自白調書によれば、犯行に使用した凶器は犯行直前に母の居宅兼店舗である「花乃屋」から持ち出したとされているが、右「花乃屋」は当時施錠がされており、侵入することは客観的に不可能であった。さらに、太郎の自白調書によれば、凶器の隠匿場所として「自己の事務所か倉庫に置いたと思う。」と供述しているところ、その後の捜索によっても凶器は一切発見されていない。

以上のとおり、太郎の自白は信用性がなく、これは捜査官の違法かつ過酷な取調べによってもたらされたものと推認することができる。

(被告の主張)

(一) 太郎に対する捜査の必要性と取調べの適法性

(1) 捜査本部は、被害者の職業、社会的地位、資産状態などから物盗り、痴情、怨恨関係などこの種事件で想定される全形態についての捜査を進めることとし、付近住民等に対する聞込みや、従業員、親族に対する事情聴取など広範囲で多角的な初動捜査を行った。

平成元年三月三一日、捜査本部は、被害者の親族一三名、被害者の経営する中尾歯科医院関係者八名に対する事情聴取を行った。その結果、太郎に関しては、①太郎の父が昭和三一年に死亡した後、貞重が太郎を父親代わりとなって面倒を見ていたこと、②貞重は、太郎の経営する防水塗装業「マル福建装」の取引先メーカーの保証人になっていること、③太郎は貞重の保証で銀行から四、五回借金しており、貞重死亡時にも二〇〇万円の借金があったことなどの事情が認められ、太郎の貞重に対する精神的・経済的依存性が強いことが認められた。

また、太郎は、平成元年三月三一日の事情聴取において、「本件事件発生前後の同月二七日夜から二八日朝は服巻医院におり、自宅には居なかった。二八日朝、服巻医院に居たところ、妻からポケットベルの呼出しを受けて貞重宅の火災を知り、右医院から、直接、武雄に向かった。」旨供述し、太郎の妻である原告春子も、「太郎は服巻医院に居て自宅には居なかった。ポケットベルで太郎を呼び出して同人に本件火災を知らせた。」旨供述したので、その裏付捜査を行った。すると、本件事件発生前後の平成元年三月二七日夜から同月二八日朝の同人の所在について、取引先関係者らの供述との間に齟齬がみられた。すなわち、太郎の仕事の取引先の山口産業こと山口義博は平成元年三月二八日午前七時ころから午前八時三〇分ころの間、太郎の自宅に電話をして太郎と会話した旨供述し、太郎が右時間帯には自宅に居なかったとする太郎や原告春子の供述に相反する供述が得られた。そこで、捜査本部は、右山口の供述の信憑性を確かめるため、山口の妻や山口の取引先関係者に裏付捜査を実施したが、その結果、右山口の供述は信憑性の高いものと認められた。さらに、服巻医院関係者にも事情聴取を行ったところ、原告春子がポケットベルをした医院内でポケットベルの音を聞いたものは誰もいなかったという捜査結果が得られた。そしてまた、太郎は三月二七日夜、服巻医院へ向かう途中、コンビニエンスストアに寄って週刊誌二冊を購入したと供述したが、同日午後八時から午後一〇時までの間に右雑誌が売れた事実はなかったことが判明した。

これらの事実によって、「二七日から二八日朝までは服巻医院に泊まっていたので自分は事件とは関係ない」という太郎のアリバイは完全に崩れ去ったのみか、夫婦そろってことさらに服巻医院在院を装っているのではないかとの疑いをもった。

また、銀行等の捜査の結果、太郎は、多額の借金を抱えていることが判明し、さらに、、兄邦彦の葬儀のときに貞重から叱責されていたとの目撃証言も得られ、金銭面あるいは怨恨関係からの犯行動機も推認される事実が浮かび上がってきた。

右のような捜査結果から、太郎には犯行の動機となり得る事情が存在することが推測された上、アリバイ工作を図った形跡が認められたので、容疑者として太郎を任意で取り調べることとした。

(2) 太郎に対する取調べの適法性

太郎に対する捜査は次の要領で行われた。

まず、四月一六日は、午前七時ころ、捜査官が太郎に任意の出頭を求めたところ、太郎はこれに応じ、小城署に赴いた。午前中は太郎の承諾を得た上、ポリグラフ検査を実施し、その終了後、昼食を取らせた。午後から事情聴取を開始し、途中一時間、帳簿類の任意提出を受けるため、太郎方に赴いたことがあった。午後の事情聴取は、午後五時に終了した。その後、夕食と休憩を取らせ、午後六時一〇分ころ事情聴取を再開し、午後一一時一六分終了した。

翌四月一七日は、午前九時五分ころ、事情聴取を開始し、昼、夕に各約一時間の食事と休憩の時間を取って、午後一〇時ころまで行われた。なお、午後三時ころ、太郎は、自分に言い聞かせような言い方で、「おいが殺したっちゃないかな」と自供をほのめかす発言があり、捜査官が改めて黙秘権を告知した上、太郎が自発的に何かを喋るまで待つという態度で事情聴取を続けたところ、太郎は自供を始め、自白調書が作成された。

太郎の事情聴取終了後、太郎宅の家宅捜索が予定されたが、太郎はそれに立ち会いたくないとの希望を示し、小城署に居残った。そして、捜索終了の連絡がなく、四月一八日午前二時近くになったため、次の取調べの都合もあることから、捜査官が帰宅を促したところ、帰宅の意志を示したので、捜査官が太郎を太郎宅まで送って行き、太郎は、家宅捜索に立ち会うこととなった。なお、太郎が家宅捜索に立ち会った後、太郎は右側頭部を便所出入口板壁に軽く打ちつけたり暴れるなどし、さらに舌を噛むなどの自殺行動を取るということがあったが、右の行動は、太郎が意識的に行ったものであり、けいれん発作などではない。

太郎に対する捜査経過は以上のようなものであり、太郎に対する捜査は刑事訴訟法一九八条に基づく任意捜査として行われたものであるところ、右の捜査経過において、太郎に対する暴行、脅迫、その他直接的な供述の強制はなく、取調べの時間、方法、食事・休憩の取り方等において、太郎の心身に多大な苦痛や疲労を与えるようなものは何もなかった。

(3) 以上のとおり、太郎が自白するまでの事情聴取は、本件事件に関し、被害者夫婦と関係のあるあらゆる関係者を取り調べた結果、太郎は生前の被害者と物心両面にわたって日頃の関係が最も深いのに、事件当日のアリバイに関し、関係者と唯一供述の食い違いがあり、また、経済的に苦境にあって、被害者貞重から経済的援助を受けていたことや、同人から多数の人間が臨席するところで叱責されるといった貞重に対して怨恨を抱く事情をもつ数少ない関係者の一人であったことなどから、同人に対する容疑が深まったことにより開始されたものであって、事情聴取に際しても、太郎は終始協力的であって、事情聴取の間、太郎は肉体的不調を捜査官に訴えたようなこともなく、また、太郎が事情聴取を拒否したり、帰宅の希望をもらしたことは全くなかった。

そうすると、本件任意捜査は、本件事案の性質及び重大性、太郎に対する容疑の程度、太郎の態度、捜査官として事案の解明をする必要性等を勘案すると、社会通念上、相当と認められる方法、態様、限度において許容される範囲内のものであることは明らかである。

(二) 自白の信用性

原告らは、太郎の自白調書は客観的事実に反する部分が多々あり信用性がないと主張する。しかしながら、動機の供述については、捜査官がとくに話題としていたものでもないのに、太郎の方から「婆ちゃんのことばいわんぎよかったとけ」と言い出したことから供述が始まったものであり、その供述経過に照らして信用性が高く、また、凶器の入手先についても、原告らはそれが保管されていた「花乃屋」に侵入することは不可能であったと主張するが必ずしもそうとはいえないし、さらに、犯行前に存在したはずの太郎が凶器として持ち出したと供述した包丁が、その後の捜査において、「花乃屋」から紛失していたことが判明しており、これらに照らすと、太郎の自白の信用性は高いものである。

仮に、太郎の自白調書に信用性がない部分があったとしても、太郎の自白調書は、任意出頭を求めて調べ始めた二日目になされたものであって、その内容において、概括的であるのはやむを得ないところである。被疑者が真犯人の場合であっても、情状その他の思惑から真偽取り混ぜた自白をすることは決して珍しいことではない。細部について不自然な点や事実と合致しない点、矛盾点等があれば、通常はそれらの点についてじっくりと追及がなされ、やがてそれらが整理されて捜査は熟成し、終結に向かっていくものであるから、太郎が死亡していなければ殺害の動機や貞重方の進入経路、成傷器等について後日詳しい取調べが行われ、その結果、詳細な供述調書の作成に至っていたであろうから、それらのことがなされる機会もなく、結果的に唯一の自白調書となってしまっている本件自白調書について、その信用性を争い、矛盾を指摘したところで、そのことから直ちに捜査・取調べの違法性が推認されるものではない。

2  介護義務違反の有無

(原告らの主張)

(一) 介護義務の存在及びその程度

(1) 警察官は、病人、負傷者等で適当な保護者を伴わず、応急の救護を要すると認められることが明らかであり、かつ応急の救護を要すると信ずるに足りる相当な理由のある者を発見した時には、とりあえず警察署、病院、精神病者収用施設、救護施設等の適当な場所においてこれを保護しなければならない義務を負う(警察官職務執行法三条一項二号)。

(2) 太郎は、小城署の取調室で参考人として取調べを受けている最中にけいれん発作を引き起こし、口蓋を負傷したものである。本件は、警察の管理下の取調室内で捜査官の事実上の指揮監督を受ける取調べの最中、外部と隔離された密室内で右症状を発現させたものであり、捜査官は太郎に対し、加重された介護義務を負う。

(3) 太郎のけいれん発作及び口蓋の負傷は任意捜査の限界を越えた長時間にわたる違法捜査の結果引き起こされたものである。太郎のけいれん発作及び口蓋の負傷は捜査官の過失により発生したものであり、捜査官は太郎に対し加重された介護義務を負う。

(二) 介護義務違反の事実

(1) 気道確保義務違反

太郎は、平成元年四月一八日午後一時三五分ころ、小城署取調室において、けいれん発作を引き起こし、意識を失い、口蓋を負傷した。このような場合、捜査官らは、直ちに太郎を下向きに横臥させ、口蓋からの出血が気管、気管支に流入し、呼吸困難に陥らないよう気道を確保する応急義務がある。しかるに、捜査官らは太郎がけいれん発作を引き起こし、口蓋を負傷した午後一時三五分ころから坂田医師がかけつけた午後二時〇三分ころまで太郎の両脇から複数名で抱えるように太郎を立たせ、壁に押しつけるように支えておく等気道の確保に何ら注意を払わず、口蓋からの出血が気管、気管支に流入するままに放置した。

(2) 小城消防署の救急隊の介護を妨げた介護義務違反

捜査官は、太郎がけいれん発作及び口蓋傷害を発生させた約五分後の一時四〇分ころに、小城消防署の救急隊に出動を要請した。救急隊は、気道確保のための器具、吸引器、酸素吸入器など太郎の応急処置に必要な器具を持参し、午後一時四六分ころ、小城署にかけつけた。救急隊は直ちに太郎の介護にあたろうとしたが、捜査官らは太郎が興奮しているなどの口実で、太郎の介護を積極的に拒否し、太郎のいる部屋の隣室で、救急隊を午後二時ころまで待機させた。午後二時〇三分、捜査官らは救急隊員に対し医師と連絡がとれたから戻るように要請し、せっかく駆けつけた救急隊員に太郎の介護をさせることなく帰らせてしまった。

以上のとおり、捜査官らは太郎の健康状態が危険であるものと判断し緊急な処置をとるため小城消防署の救急隊を呼び寄せながら、小城署にかけつけた救急隊員に太郎を介護させることなく約一四分待機させ、あげくの果てには介護の必要なしとして救急隊を帰らせた捜査官には重大な介護義務違反がある。

(三) 介護義務違反と死亡との因果関係

太郎のけいれん発作及び口蓋傷害はいずれも致命傷となるものではない。けいれん発作はそのものとして致命傷とならないことは医学上の常識である。そして、口蓋の傷害は長さ一センチメートルから二センチメートル、幅0.8センチメートル、深さ一センチメートル以下のものが三ヵ所であり、この傷が致命傷とならないことは明白である。太郎はけいれん発作を起こし、意識を失っている間に口蓋から流れ出した血が徐々に気管、気管支に流入し、気管及び気管支に血液がたまり、呼吸困難が発生し窒息死したものである。

捜査官らが、太郎がけいれん発作を起こし、口蓋を負傷して以後、坂田医師がかけつけるまで(午後一時三五分ころから午後二時〇三分ころまでの二八分間)、口蓋から流れ出る血液が気管または気管支に流入しないように太郎を下向きに横臥するなど気道を確保する措置を取っていれば、太郎は血液を気管及び気管支に詰まらせ窒息死することはなかった。太郎の死因は血液が気管・気管支に詰まり呼吸困難に陥り、窒息死したものであり、水死に極めて似ている。小城消防署の救急隊員はいずれも職業上水難事故に対する救助の技術を十分体得しており、救助のための器具を所持していた。救急隊は太郎がけいれん発作を起こしてから一一分後に小城署に太郎の蘇生に必要な器具一式を携え到着していた。その時、捜査官が救急隊の介護を妨害しなければ、救急隊が太郎の気道を確保し、血液を吸引し、酸素吸入を開始し、人口呼吸を施し、適切な病院に早急に送り込み、太郎の生命を救助することは十分可能であった。捜査官が救急隊の介護を妨害したため、太郎は救急隊到着以後三〇分も有効な人口呼吸、酸素吸入措置を受けることができなかった。呼吸困難に陥りつつあった太郎にとって気道確保のための応急措置が三〇分遅れたことは致命的であった。太郎の死亡時刻が午後二時〇八分(救急隊到着の二二分後)とされていることを考え合わせると、捜査官の救急隊の介護妨害は太郎の死因の直接的な原因と断定することができる。

(被告の主張)

(一) 介護義務の存在及びその程度

(1) 警察官職務執行法三条一項二号違反について

警察官職務執行法は、その全体の法的性格からみて、警察官の行政目的を実現するための手段を定めたものである。そして、同法三条にいう「保護」とは、行政目的のひとつである個人の生命身体の保護の責務を遂行するための具体的な一方法として、自傷他害のおそれのある精神錯乱者、泥酔者等や、自らの安全を保持できない病人、負傷者等緊急の救護を要する状態にある者をとりあえず警察署、病院、精神病者収容施設、救護施設等の場所において保護することをいうものである。本件においては、太郎は小城署の取調室において、突発的に自殺を図ったものであり、発作によりけいれんを起こしたものではないから、同法三条にいう精神錯乱者、泥酔者、病人、負傷者にも該当しない。

(2) 加重された介護義務の主張について

原告らは、平成元年四月一八日小城署内において起きた事実を捉えるにあたって被告とは全く異なる前提事実(違法捜査によりけいれん発作に陥ったということ)に立って介護義務を論じているが、その前提事実が誤りであるから、原告らの主張は当を得ない。

すなわち、人権を尊重した任意捜査の枠内の取調べにおいて、太郎は自己の意思により口腔内に食事に用いていた割り箸を突き刺して口蓋部を損傷させたうえ、舌をかんで舌部挫創を発現させ、それらの自傷によって生じた出血血液を吸引して窒息したものである。このように、口蓋部及び舌部の損傷による窒息は太郎自らの意思によって引き起こされたものであり、太郎のこのような行為は第三者には通常全く予想できない行為であり、また結果を防ぐことも不可能であって、もちろん原告らの主張するように任意捜査の限界を越えた長時間にわたる違法捜査の結果、太郎にけいれん発作等を引き起こさせるに至ったものでもないから、被告にはなんらの過失も存しない。

(二) 介護義務違反の事実

(1) 気道確保義務違反について

太郎は、平成元年四月一八日午後一時三五分ころ、小城署第一取調室において、うどんを食べているとき、突然、「うー」と言って椅子から立ち上がり、捜査官が見たところ口中に割り箸を入れていたので、これを取り上げたが、その瞬間、太郎はさらに「うー」と言って歯を噛みしめ、後方に倒れかかりそうになったので、捜査官らは太郎が舌を噛もうとしていると判断し、これを防ごうとして太郎の身体を支えながら口を開かせようとしたが、太郎の抵抗が激しく口を開かせることはできなかった。

そこで、他の捜査官にも応援を求め、協力し合って、終始太郎が舌を噛んで自殺を図ろうとする行為を阻止すべく懸命の措置を取ったのである。

したがって、捜査官らは、右に述べた具体的状況のもとで、太郎の口の中の口蓋部挫傷により出血していたことを予見し得ず、また出血の状況を知り得なかったのであるから、捜査官らはそもそも太郎の気道を確保すべき状態を認識し得なかったのであり、またその認識し得なかったことにつき十分合理性が存するのである。

このように気道確保の予見可能性のない本件において、原告らは異なる前提事実(違法捜査によりけいれん発作に陥ったということ)に立脚してその義務のあることを主張しているがそれは事実の認識においても、論理的にも誤りである。

(2) 小城消防署の救急隊の介護を妨げた介護義務違反について

太郎の自殺行為を認知した捜査官が一一九番通報により小城地区消防事務組合消防本部に救急隊の出動を要請したが、その時間は一一九番通報の覚知時間からすると四月一八日午後一時四〇分ころである。そして、同日午後一時四六分ころ、救急隊が小城署に到着して、救急隊員の田中良弘が一人で二階の刑事防犯課室に何らの資器材等を携行せず上がってきた。しかし、救急隊が到着した時、太郎は興奮して暴れ、口を固く結び、舌を噛む行為を繰り返していたのであり、現場にいた捜査官は懸命に太郎の口を開かせるための措置をしている最中であった。したがって、捜査官らが救急隊員を事情の分からないまま現場に入れたとしても、救急隊員らは捜査官がなしていた以上の行為をなし得るはずもなく、むしろ捜査官が継続して行ってきている太郎の自殺行為防止活動との呼吸が合わず、かえって現場は混乱することが予想されたので、捜査官は救急隊員の現場への立入りを控えてもらったものであって、特段に救急隊員の救急活動を妨げたものではない。

その後、捜査官がしゃもじを太郎の口の中に入れて舌を噛むことができない状態にした時点においては、太郎は興奮もおさまり、落ち着きを見せ、呼吸は若干荒れていたものの、顔色も普通であった。そこで、医師がまもなく到着する旨の報告を受けた捜査官は、すでに医療器具も到着していることから、救急隊による病院への搬送をするよりも医師の到着をまって治療を受けた方が、より早くより妥当な応急処置ができると判断し、待機中の救急隊員に午後二時ころ引き上げてもらったのである。

このように救急隊が小城署に到着した時点においては、救急隊は太郎に対し、何らの介護をなすべき状態になかったものであり、捜査官が救急隊員に介護をさせなかったとしても過失を構成するものではない。

(三) 捜査官が太郎の呼吸その他を確認するまでは正常であったのであり、捜査官が太郎のもとを離れたその直後に口腔内の血液を誤嚥し、瞬時のうちに死亡したことが明らかである。ところで、このような血液の誤嚥の状態が生じた場合、これに処する方法としては、誤嚥後直ちに気管を切開して血液を吸引するしか方法がなく、この切開についても切開できる医療器具をもち、それに必要な技術をもった医師のいる施設内での治療をする以外に方法がなかったのである。したがって、本件の場合、仮に坂田医師や救急隊員が当初から太郎の面前にいたとしても、一度、太郎が血液を誤嚥してしまった以上、太郎の気管を切開する方法は取り得ず、仮に切開したとしても窒息状態が始まった以上、死の結果は免れなかったのである。まして、右窒息状態となった太郎を病院に搬送しても既に手遅れで、太郎の死を阻止する手段は全くなかったのである。

本件は、太郎が割り箸を口の中に突き刺して自殺を図るという、通常全く予測し得ない行動に及んだことと、口中の血液を誤嚥して死亡するという、二重のまったく希有な事柄が重なって生じたものであって、捜査官がこれらの事実を予見することも、結果を回避するのも不可能であったものである。

3  名誉毀損の成否

(原告らの主張)

捜査本部の捜査官及び県警本部長伊藤政博(以下、これを総称して「捜査機関」という。)は、自らの介護義務違反で太郎を死亡させた責任を隠蔽し、かつ本件殺人・放火事件の真犯人を逮捕できず、事件が迷宮入りすることで世論から警察が批判されることをかわすため、同事件の被疑者として扱うべきではない太郎を故意に被疑者として扱った上、次に掲げる所為を行い、真犯人ではない太郎をあたかも真犯人であるかのように報道機関を通じて発表する等の世論操作を行い、もって、太郎の妻子である原告らの名誉を毀損した。

右において、仮に、太郎を被疑者として扱うこと自体は名誉毀損にならないとしても、捜査機関の右所為は無罪が推定される被疑者の権利を侵害するものであり、太郎の妻子である原告らの名誉毀損を構成する。

(一) 写真撮影の容認

捜査本部の捜査官は、平成元年四月一八日午後一時〇五分ころ、太郎を小城署において取り調べるため、同人を出頭させるに当たり、捜査官二名において、真犯人ではなく参考人に過ぎない太郎の両腕を左右からかかえ、頭から背広の上着をかぶせて顔を覆って連行し、かつその連行場面を同署正面玄関前で待ち構えていた佐賀新聞ら多くの新聞社のカメラマンが撮影するのを容認した(このときの撮影された写真を見た読者がその連行される様子から太郎を真犯人と思い込んでも不思議はない。)。

(二) 記者発表

(1) 平成元年四月一八日の家宅捜索中、太郎が舌を噛むということがあったが、真実は、太郎にけいれん発作が起こり、その発作の一態様として舌を噛んだというにすぎないのに、捜査機関は新聞記者に対し、「平成元年四月一八日午前二時三〇分ころ、太郎は自宅の玄関先にて舌を噛んで自殺を図り、未遂に終わった。」と虚偽の内容の発表をした。

(2) 前同日、小城署取調室において、太郎が死亡するということがあったが、真実は、自殺ではなく太郎が口蓋を割り箸で数回刺され、出血した血液が咽頭から気管支まで詰まったことによる窒息死であったのに、捜査機関は、太郎の口蓋が割り箸で刺されたことについては秘匿して「同日午後一時二五分ころ、小城署二階の取調室において、昼食にうどんを食べさせていたところ、捜査官のすきをついて舌を噛んで自殺した。」との虚偽の内容の記者会見をした。(右の真相は、太郎が家宅捜索中に呈したのと同じくけいれん発作に襲われ、これに驚いた捜査官が、太郎が舌を噛むのを防止すべく割り箸を太郎の口に突っ込み、その際に太郎の口蓋を刺したものと推察される。)。

(3) 捜査機関は、平成元年四月一八日、記者会見において、「太郎が本件殺人・放火事件につき自供を始めていた。」と発表した。しかし、右の発表がなされた際の物的証拠の収集状況は、殺人の物証である凶器も発見されていないし、太郎が真犯人であれば当然被害者の返り血を浴びてしかるべきなのにそれが付着しているであろう衣服も発見されておらず、また、太郎のライトバンから検出されたとする血液も微量のうえ、人血か否か定かでない状況であった。したがって、右の自供は、一切の裏付のない段階のものであり、また、その内容においても、矛盾だらけで、しかも、放火については認めておらず、動機も不明確なものであり、正確には自供とは評価できないものであった。そして、右捜査本部の太郎に対する取調べは、前述のように任意捜査の限界を越えた違法なものであり、任意に自由な意思に基づき、太郎が供述したものとは考えられなかった。このような状況下における「自供」については、慎重なうえにも慎重を期すべきであったにもかかわらず、捜査本部は、あえて自供を始めたという結果のみを発表した。新聞等により「自供」したと報じられれば、読者が太郎を真犯人と思い込むのは明らかである。

(4) 捜査機関は、平成元年四月一八日の記者会見において、真実は、平成元年四月一八日午後零時四〇分ころ、太郎の車両についてルミノール反応検査施行のための検証・資料収集をしていたのにとどまり、その結果は出ていないのに、太郎の車内一六か所から血液反応があったとの虚偽の発表をした。仮に、右ルミノール反応が陽性との結果が出ていたとしても、それだけでは、血液か否かも定まらず、血液であるとしても人血か動物血かも定まらない状況であったのに、右のような虚偽の発表をした。

(5) 捜査機関は、平成元年四月一八日ころの記者会見において、太郎を重要参考人から被疑者に切り替え、被疑者死亡で送検する方針であることを発表した。

(6) 伊藤県警本部長は、平成元年四月二一日付けの西日本新聞社の記事において、同社記者によるインタビューの中で、「捜査本部には重要参考人が犯人であるという心証がある。」旨述べている。

(被告の主張)

原告らの主張は、いずれもその前提となる事実関係を誤認したものであり失当である。

(一) (写真撮影の容認)について

本件殺人・放火事件は発生の当初から新聞記者等マスコミの注目を集めており、捜査本部としても参考人を取り調べるに当たっては分散して取り調べ、また取調べをする場所を事前には教えないなどの配慮をしていた。平成元年四月一八日当日も、新聞記者の撮影を避けるため、太郎の任意同行に際しては、小城署の表玄関からではなく裏口の勝手口から入るようにするなど配慮し、太郎に対しても降車・入署の際は警察官の指示に従うように注意していた。しかしながら、太郎は、捜査官の指示に従わず、小城署に着くや否や勝手に車を降りて一人で勝手口に歩き始めたことから、捜査官二名は新聞記者らの撮影を妨害するため両脇からガードする措置をとったが、間に合わず、正面から写真撮影されてしまったものである。なお、その際、捜査官は新聞記者に撮影の制止を口頭で呼びかけたが、新聞記者はこれに従わなかった。

事実関係は以上のとおりであり、捜査官が意図的に撮影をさせたり、これを容認したということはないのであって、右のような事実関係のもとでは名誉毀損は成立しないというべく、この点に関する原告らの主張は理由がない。

(二) (記者会見)について

本件は取調中の被疑者の突然の死亡という特異な事案であるから、可及的に素早くその時点における事実関係を発表することが公益的要請であり、これに応える必要があった。特に本件がその死亡という事実を避けて通れない性格のケースである以上、その死因についてその時点で捜査本部が把握し、認識している事実を発表せざるを得ない状況にあった。そのような中で、本件の記者会見が行われた。

しかも、記者会見での発表内容に虚偽は存在しない。すなわち、平成元年四月一八日未明に太郎が自殺を図ったが未遂に終わったこと(原告ら主張の(二)(1))、同月一七日午後から夜にかけて自供を始めていたこと(原告ら主張の(二)(3))、太郎の自動車内の一六カ所と車内に積載されていた折り畳み式の傘から一四カ所のルミノール反応が検出されていたこと(原告ら主張の(二)(4))、太郎に嫌疑があること(原告ら主張の(二)(5)(6))はいずれも客観的な真実である。また、太郎の死因(原告ら主張の(二)(2))については、発表事実と客観的な事実は食違うものの、発表当時把握されていた事実に基づくもので虚偽ではないし、発表事実を真実と信じたことについて相当な理由があるというべきである。すなわち、太郎の死因は、舌を噛んだことによるものではなく口腔内の血液を吸引したことによる窒息死であったが、発表当時は未だ右の事実は判明しておらず、しかも、同日未明に太郎が舌を噛んだことがあり、小城署取調室でも突然立ち上がって「ううっ」とうなって口を固く結んで苦悶したのであるから、捜査官が太郎がまた舌をかんで自殺を図ったとその時点で判断したとしても軽率ではなく、そのように信ずるについて相当な理由があったというべきである。

以上のように、本件記者会見は、報道機関から求められてもいないのに、ことさらに行ったというものでもなければ、また敢えて虚偽の事実を発表したというものでもない。太郎の死亡という事態の急変に伴って、それまでの経過を発表する必要があって、ごく客観的に何の歪曲もせずにその当時把握されていた事実に基づいて発表したものであるから、その発表になんら違法な点はない。

4  損害

(原告らの主張)

(一) 太郎の死亡による損害

(1) 太郎の損害

① 太郎の葬祭料 一〇〇万円

② 太郎の慰謝料 二〇〇〇万円

③ 太郎死亡による逸失利益

八一〇五万三〇七七円

(請求金額は右の内金七二四〇万円)

なお、逸失利益の算定要因は次のとおりである。

ア 年収

太郎は、死亡当時個人企業を営んでいたが、左記平均賃金を下回らない収入を得ていた。

平均年収 七二六万二三〇〇円

(賃金センサス平成元年度大学卒四二歳の男子労働者全国平均賃金額)

イ 死亡時年齢 四二歳

ウ 就労可能年数 二五年

エ 生活費控除率 三〇パーセント

オ 中間利息控除に関し右に対応する新ホフマン係数15.944

④ 相続

太郎の相続人は、妻の原告甲野春子、子の原告甲野花子、原告甲野一郎、原告甲野二郎、原告甲野三郎であるところ、太郎の被告に対する損害賠償請求権を原告春子は二分の一宛、その他の原告らは各八分の一宛相続により取得した。

(2) 原告ら固有の慰謝料

原告ら各二〇〇万円

(二) 名誉毀損に基づく損害

慰謝料 原告ら各四〇〇万円

(三) 弁護士費用 原告らそれぞれにつき、前記(一)、(二)の各原告の請求額の一割

(四) なお、原告ら各自の請求額は別表のとおりである。

(被告の主張)

原告らの主張する損害額については否認する。

第三  争点に対する判断

一  認定事実

見出し下の括弧内の証拠によれば、以下の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  平成元年四月一六日までの犯人捜査の経過

(乙三、一三、一七、二二、二三、四三、証人白武隆之)

(一) 捜査本部は、火災鎮火直後の平成元年三月二八日午前六時四五分から午後八時三〇分まで、同日午後零時三〇分から午後一一時一五分まで、翌二九日午前九時一〇分から午後零時三〇分まで、同日午後三時から午後六時三〇分まで、同月三〇日午前九時三〇分から午後六時二〇分まで、同月三一日午後一時から午後六時三〇分まで、同年四月一日午前九時から午後九時三〇分までの計七回にわたって、犯行現場の実況見分を行った。

また、貞重の遺体解剖が、同年三月二八日午後四時四五分から午後九時四〇分まで、妻登美江の遺体解剖が、午後一時二〇分から午後九時まで行われた。

右捜査の結果、貞重には七か所の刺創、登美江には三か所の刺創があること、また、両名の着衣から灯油が検出されたこと、金庫内にあった預金通帳や現金在中の財布、寝室のたんすの中にあった時計、ネックレスなどの貴金属、骨董品、刀剣類などは盗難にあっていなかったことが判明し、とくに貞重に対する執拗な刺し傷の状況から判断して、同人に対する怨恨による犯行の可能性を疑わせる状況が認められた。しかし、それ以上に、凶器となる刃物など犯人を特定する手掛りとなる物の発見には至らなかった。

(二) また、捜査本部は、犯人の手掛りを得べく、事件認知後、連日一〇〇名前後の捜査官を動員し、現場及び逃走経路と予測される場所の周辺の捜査を行った。右の捜査において、捜査本部の捜査官は、発生現場を中心に半径約五〇〇メートル内の居住者、現場付近の新聞配達人、現場付近の定時間帯の通行者、タクシー運転手などに対する聞込み、車両検問を行い、逃走経路と予測される場所については、その道路沿線、駅、バス停の周辺者に対する聞込みなどを行った。

右捜査の結果、事件当日午前一時から午後にかけて犯行現場前を通った二十数名を割り出したが、それらの者から犯人を特定する有力な情報を得るには至らなかった。その他、犯人に関する有力な目撃証言は得られなかった。

(三) さらに、捜査本部は、貞重の生活実態を明らかにする目的で、平成元年三月三一日、貞重夫婦の親族(太郎も含む)、歯科従業員など周辺関係者について事情聴取を広く行なった。

右捜査の結果、貞重夫婦に痴情関係に原因するトラブルの存在を認めることはできず、また、太郎を除く親族等に、貞重に対して殺害の動機となるような怨恨を持つとみられる不審人物は見い出せなかった。

(四) そのような折、貞重の生活実態を明らかにする目的でなされた前記平成元年三月三一日の親族等に対する事情聴取において、太郎は要旨以下の供述をした。

(1) 私の父は昭和二八年ころに死亡したが、その後は、貞重が私の父親代わりとなって、私はもちろん母のミツエ、兄の邦彦を含む家族全員の面倒を見てくれ、私と私の親兄弟は貞重に大変世話になった。

(2) 私の兄は母と二人で住んでおり、武雄で「花乃屋」という食堂を営んでいたが、母も兄も何かと貞重には世話になっていた。兄は三月一三日死亡したが、そのときも貞重がすべて采配してくれて、兄の葬式をつつがなく行うことができた。

(3) 私は、昭和五五年ころ、当時勤務していた輸入商品の販売会社を退職し、特殊内装工事関係を目的とするマル福建装の事業を始めたが、その際、貞重には、取引先のメーカーの保証人に立ってもらった。

(4) 私は、事業遂行上、現金が必要なときは、一時的に貞重の信用で銀行から借り入れてもらっており、金銭面において貞重に世話をかけていた。貞重の信用による借入れは二年前から四、五回あり、一回の額が二〇〇万円から二五〇万円で、累計すると現在までに約二〇〇〇万円に達し、現在でも約二〇〇万円を借りている。

(5) 私は、昭和六三年一一月二日から肝臓で服巻医院に入院している。

(6) 事件前日(三月二七日)は、入院中の服巻医院で、朝、検診を受けたが、その後、病院を抜け出して仕事をし、そして、自宅へ帰り休んでいたが、子どもがうるさかったので、同日午後九時ころ、服巻医院に戻った。翌朝午前七時ころ、服巻医院で寝ていたところ、ポケットベルが鳴ったので、自宅に電話し、妻から「お母さんから連絡があり、朝の四時半ころ、川良が火事になったが、ぼやみたい」と知らされた。

一方原告春子は、平成元年三月三一日の事情聴取に対し、「主人太郎は、三月二七日の朝病院に戻って行った。その日の夜は帰らず病院に泊まっていたものと思う。三月二八日午前七時一五分ころ、ポケットベルで呼び出し、電話してきた太郎に火事を知らせた。その後、太郎は病院から真っ直ぐ川良の伯父方に行った。」旨供述し、三月二七日夜から二八日朝まで太郎が服巻医院にいて自宅にはいなかったとする点について太郎の供述と一致した。

(五) 捜査本部は、太郎の供述の裏付捜査をするべく、服巻医院看護婦や太郎の経営するマル福建装の取引先などに対して事情聴取を実施したところ、次のことが判明した。

まず、福巻医院看護婦に対する事情聴取の結果、太郎は、慢性肝炎の病名で服巻医院に入院していたことは確認されたが、その生活実態は、服巻医院にはほとんど泊まらず帰宅し、医院で朝食をとった後、昼は医院を抜け出してマル福建装の仕事をしており、夜間は足繁く麻雀に通うなど入院を要するような患者ではなかったことが判明した。また、太郎は、三月二八日午前八時ころ、服巻医院一階待合室に居たこと、同午前八時一五分ころ、医院診察室において採血をしたこと、同午前八時三〇分ころ、副院長の診察を受けたこと、同午前八時四五分ころ、同医院を出たことが確認され、結局、同午前八時以降については、太郎は服巻医院に居たことが確認されたが、それ以前に太郎が服巻医院に居たかどうかは確認できなかった。また、太郎は、同午前八時二〇分ころ、同医院の待合室で看護婦に会う度に、「親類の家が火事である」「放火のごたっ」と言いふらしていたことが判明した。

次に、捜査本部は、四月八日、太郎の経営するマル福建装の取引先である山口産業株式会社の山口義博に対して事情聴取を行ったが、その結果、山口は「三月二八日午前七時ころから午前八時三〇分ころまでの間、自宅か事務所からか、仕事の打ち合わせのため、太郎の自宅に電話したところ、太郎が出て、同人から『今、武雄の親類の家が火事である。今から行こうとしている。今日は仕事ができない。今から行かんばいかん。』と言われた。翌日の新聞で、それが殺人・放火事件であることを知りました。三月二八日朝電話したことは間違いありません。太郎が入院していたことは知らなかったので、病院へは電話するはずもありません。」と供述した。

(六) ところで、太郎の供述と山口の供述と比較すると、本件犯行直後の三月二八日朝の太郎の行動について矛盾が見られる。すなわち、太郎の供述によれば、この日の朝は、太郎は、服巻医院から直接武雄に行ったということであり、これを前提とすれば、この日、太郎は自宅に居たことはあり得ないことになるのに対し、山口は、午前七時から午前八時三〇分ころまでの間に太郎宅に電話をし、太郎が電話口に出たと供述しており、これを前提とすれば、太郎はこの日の朝、自宅に居たことになる。

なお、前記の服巻医院看護婦の捜査結果から太郎は午前八時には服巻医院に居たことが確認されているが、それ以前の行動は確認されておらず、結局、太郎はこの日午前七時から午前八時ころまでの間に自宅に居た可能性は残り、山口の供述が明らかに誤っていると断定する根拠もなかった。

さらに、太郎の供述から、太郎と貞重との間には太郎の幼少時以来、緊密な関係が認められ、現在でも、金銭的に太郎が貞重に世話になっている関係が認められた。

そしてまた、太郎は、三月二八日の朝、未だ貞重の家が火事であるとしか知らされていなかったのに、服巻医院の看護婦に対して「放火のごたっ」と言いふらしているのも奇異であった。

これらの諸点を考慮して、捜査本部は、太郎が本件殺人・放火事件の犯人である可能性もあるとみて、太郎、原告春子、山口の各供述相互の矛盾を解明し、太郎と貞重との金銭関係を詳細に解明するため、更に太郎を取り調べることとした。

2  平成元年四月一六日の太郎に対する捜査

(乙五、九、一五、一七、一九ないし二一、三五、証人白武隆之、同加茂賢治)

(一) 同日午前七時ころ、捜査官二名は、事前に太郎に連絡することなく、普通乗用車にて太郎方に赴き、同人に小城署までの任意同行を求めた。太郎は、特段難色を示すこともなくこれに応じ、朝食を摂らないまま小城署に出頭した。なお、小城署に同行するに際しては、太郎が捜査官に対し、自分の自動車で小城署に出頭したい旨申し出たので、太郎の車両の助手席に捜査官の一人が案内役として同乗した上、右太郎の車両と捜査官の車両と二台で小城署に向かった。

(二) 太郎が小城署に到着してから、太郎の取調担当官である県警本部捜査一課の加茂賢治警部補は、太郎に対して、ポリグラフ検査をしてもよいかどうか尋ねた。太郎は、軽い感じで「いいですよ」と言って、これを承諾し、承諾書に署名指印したので、同署第四取調室において、ポリグラフ検査を実施した。右検査は、まず、技術吏員が同日午前七時五六分から午前八時一七分まで太郎に対して面接を行い、その後、午前八時二五分から午後零時一七分まで検査する方法で行われたが、その間、各約一〇分ずつ二回休憩時間が取られた。右検査の結果、太郎の動揺傾向、緊張傾向は顕著で、全質問に反応するという状態を呈し、記録が全体に乱れ、判定不能となった。

(三) ポリグラフ検査終了後、太郎は右第四取調室において休憩(食事)を取った。

(四) 右休憩の後、午後零時四五分ころから加茂及び江里口巡査部長による太郎に対する取調べが始まった。なお、取調べは、小城署第一取調室において、加茂を主捜査官、江里口を補佐官として行われた。

(五) 右の取調べにおいては、当初、太郎の経営するマル福建装の設立の状況、取引銀行、会社の経営状態、実兄邦彦が死亡した平成元年三月一三日以降の行動、本件事件の前日と当日の行動、兄邦彦の生命保険金の使途等について聞き取りが行われた。

(六) 右の一通りの聞き取りは、午後五時一〇分ころ終了した。なお、右取調べの最中、太郎は三月二二日から同月二六日までの行動等については事務所にある帳簿を見た方が説明し易いと述べたため、同日午後三時一〇分から午後四時一〇分までの間、捜査官が太郎に同行して太郎方事務所に行き、太郎から前記取調べに関する関係帳簿の任意提出を受けるということがあり、その間、取調べは中断された。

右取調べが終了後、午後五時一〇分ころから午後六時一〇分ころまでの間、太郎に食事休憩の時間が与えられた。太郎は、麺類を希望したので、飲食店からこれを注文し、太郎に与えた。

(七) 夕食までの取調べにおいて、太郎は、「兄邦彦が死亡した際、生命保険金約七〇〇万円が母ミツエに振り込まれたが、そのうち七〇万円位を母ミツエから借りた。」などと供述した。しかし、事前の捜査で、生命保険金がミツエの銀行口座に振り込まれて後、三月二〇日から二四日までの間に五六五万円が出金されたこと、三月二七日に太郎の銀行口座に二三五万円が入金されていることなどが客観的事実として判明しており、加茂は、ミツエからの借金額に関する太郎の供述と右の客観的事実との間に隔たりを感じた。

また、太郎は、三月二七日から二八日にかけての行動について、「三月二七日から二八日朝までは服巻医院に在院していた。」との供述を維持し、前記山口の供述に矛盾する供述を繰り返した。

(八) そこで、夕食後以降の取調べでは、右のミツエからの借金額及び三月二八日の行動の二点を中心に取調べが行われた。

右取調べに対して、太郎は、まず、三月二八日朝の行動について、山口の供述との矛盾を指摘されると、「山口から電話が掛かってきたのは三月二七日夕方のことである。」と供述し、加茂が、「山口は電話の時、太郎が火事だと言っていたと供述しているが、二七日は未だ火事は発生していないではないか。」と追及しても、太郎は、「山口から電話があったのは三月二七日に間違いない。山口に確認してほしい。」との供述を繰り返し、あるいは沈黙するなどした。

また、太郎は、ミツエからの借金額については、当初、「七〇万円しか借りていない」との供述を維持したが、加茂から三月二〇日と二四日にかけてミツエの口座から合計五六五万円が引き出されている事実を告げられると、その後沈黙し、しばらくして三〇〇万円を借りたこと、右は兄邦彦の生命保険金の一部であることを認めた。そして、太郎は、虚偽の陳述をした理由について、「伯父から、兄邦彦の生命保険金はミツエの借金返済に充てるように言われていたことから、真実を話せば疑われると思った。」と供述した。

右の供述に対し、加茂が「警察として、伯父さんが君にどのようなことを言ったか知らなかった。君が三〇〇万円を借りたならば、どのような理由があれ、素直に言えばよかったではないか。」と申し向けると、太郎は下を向き沈黙するという状態であった。

右のような状態で夜も耽けたので、取調べは、午後一一時一六分打ち切られた。

ところで、この日の取調べで、太郎は、「三月二八日の朝、服巻医院を出て、午前八時四五分ころ、服を着替えるため車で自宅に一旦立ち寄り、妻と二言三言話をし、武雄へ向かった」と供述したが、他方、この日(四月一六日)の春子に対する取調べにおいて、春子は「三月二八日の朝は、太郎は服巻医院を出てから真っ直ぐ武雄に向かった」などと太郎の供述に矛盾する供述をしたことが判明し、また、この日(四月一六日)行われた前記山口とその妻山口京子に対する事情聴取において、山口が太郎宅に仕事の打ち合わせのため電話をした日付は三月二八日であることが再確認されたため、捜査本部は、ますます太郎の三月二八日の行動に不審を懐いた。

そこで、捜査本部は更に太郎の取調べを続行することにした。

加茂らは、太郎の取調べ後、同人の帰り際に、「また、明日来てください」と告げると、太郎は「いいですよ。朝九時からでもいいですか。」と言った。そこで、出頭時刻を翌日午前九時と打ち合わせた。また、三月二七日及び二八日に来ていた着衣を尋ねると、「今、着ている服である。」と答えたため、太郎が自分の乗用車で帰宅した後、捜査官が同日、午後一一時三〇分過ぎころ、別の車で太郎宅を訪ね、同人から右衣服の任意提出を受けた。

3  平成元年四月一七日の太郎に対する捜査

(乙四、六、一八、証人白武隆之、同加茂賢治)

(一) 同日午前九時ころ、太郎は、小城署に自分の車で出頭した。なお、太郎の出頭に先立つ午前八時二〇分ころ、加茂は、太郎に電話を架け、小城署への出頭に当たっては、当時、太郎の周囲を取材していたマスコミ関係者に注意するよう連絡した。太郎は、その際、「新聞記者はせからしかですね。新聞記者に気づかれないように、仕事に出るふりをして新聞記者をまいてきます。」と答えていた。太郎が小城署に出頭した際には、太郎は、「家を出てから二、三台の車につけられたが、仕事に行くふりをしてまいてきた。」と話していた。

(二) 同日午前九時〇五分ころ、前日に引き続き、太郎に対する取調べが行われた。取調べは、前日同様、第一取調室において、加茂と江里口により執り行われた。取調べの内容も、前日に引き続き、三月二八日朝の所在と保険金の借用についてであった。

(三) 太郎は、取調べにおいて、三月二八日朝の所在について、「病院に居たのは間違いありません。」と前日と同様の供述を繰り返し、山口供述との矛盾については、「山口産業の社長にも、夜、電話して確かめました。私が山口さんに電話で『自分と話したのは三月二七日やったでしょう。』と話したら、山口さんは『そがんやったかにゃー』ということを言われていましたので、もう一度、確認してみてください。」と供述し、また、「事件当日、私が病院に居たことは間違いないから妻に聞いて下さい。」などと供述した。これに対し、加茂が「君の奥さんにも話を聞いている。奥さんは、二八日の朝は君は家に立ち寄っていないと言っている。」と言うと、太郎は「そんなことはありません。それは妻の勘違いでしょう。」と言い、さらに、加茂が「君の奥さんは勘違いかも分からないが、山口さんの電話の件は、何度も山口さんに確認している。山口さんの勘違いはないはずだ。」と言うと、太郎は下を向き、沈黙して答えないという状態であった(なお、太郎の取調べと平行して、四月一七日、他の捜査官が、山口供述の信用性を確かめるべく、山口が事件当日太郎宅への電話に前後して電話を架けたという、その電話の相手方今泉建設株式会社の牛島武文に対して裏付捜査を行った。その結果、山口から牛島に対する電話が事件当日になされた事実が確認され、山口供述の信用性は増強されている。)。

また、保険金の借用については、加茂が「保険金を太郎が使い込んだことを貞重は知っていたのではないか。」「君が七〇万円しか借りていないなどと嘘を言ったのは、そのことで、伯父から何か言われたのではないか。」と尋ねると、太郎は沈黙していたが、やがて「三月二五日か二六日ころ、伯父さんから電話はありました。ただ『元気で頑張れよ』という内容で、別に保険金のことは言われませんでした。」と供述した。そして、加茂が「こういうことは早く言うべきではなかったのか。」と申し向けると、太郎は「事件とは関係がないと思って、言いませんでした。」などと供述した。

(四) このようなやり取りは、午後零時から午後一時までの食事休憩時間をはさみ、午後三時ころまで続いた。この間の加茂の質問の仕方は相手方に問いつめるようなものでなく、時折、質問を発し、相手方が自発的に発言するのを待つというものであり、一方、太郎の態度は徐々に捜査官の視線をそらすようになっていった。

(五) そのような折、同日午後三時ころ、太郎は、「ひょっとすれば、伯父さん夫婦を殺したのは自分かも分からない。」旨供述し始めた。これに驚いた加茂は「言いたくないことは言わなくてもいい。」と黙秘権を告げた上、「君が今言っているのは大変なことだぞ、よく考えて話をしなさい。」と言った。すると、太郎は「そうですね。自分は関係ないですよね。」と供述し、さらに、加茂が「もし、君が本当に伯父さん夫婦を殺害したとするならば、伯父さん夫婦を早く成仏させてやらなければいけない。」と言うと、太郎は、下を向き、何か考える表情で沈黙した。

(六) 同日午後五時ころ、取調べは一時中断され、太郎に食事休憩の時間が与えられた。太郎はほとんど食事を摂っていなかった。

(七) 同日午後六時ころ、取調べは再開され、加茂が「伯父さんから電話があった際、君は何か言われたのではないか。」と再度糺したところ、太郎は「婆ちゃんのことば言わんぎよかったとけ。」と、犯行動機めいた答え方をした。そこで、加茂が「婆ちゃんとはミツエさんのことか」と確認すると、太郎がうなずいたので、さらに捜査官が「伯父さんから電話でどういうことを言われたのか。」と尋ねると、太郎は、それには直接答えず、低い声でゆっくりポツリポツリと「ぼんやり覚えとっもんねー。」「おんじさんが悪かもんねー。」「婆ちゃんのことば言わんぎよかったとけ。」「おんじさんの家の浮かぶもんねー。」「おんじさんが仏壇の前に立ちしゃがみのごとしとんさっとば覚えとっもんにゃー。」「そいば、後から何回か刺したもんなぁ。」「血はあんまい出とらんもんにゃー。」「そん時、おばっちゃんの来んさったもんにゃー。」「腹んにきば刺したもんにゃー。」「やっぱいオイばいにゃー。」「夢じゃなかとばいにゃー。」「火はつけとらんごたっもんねー。」「赤い炎は覚えとっもんねー。」と、断片的に犯行の概要をひとしきり供述した。

(八) 加茂が太郎に対し、具体的に説明を求めたところ、太郎は要旨次のような供述をした。

(1) 犯行動機について

兄邦彦の生命保険金のうち三〇〇万円を、母ミツエの借金返済ではなく自分の負債返済に流用したことを伯父は知らないでいると思っていたが、どういうわけかこれが貞重の知られるところとなって、三月二六日ころ自分の留守中自宅に貞重から電話があり、貞重方に連絡をとるようにとのことだったと妻から聞き、早速貞重に電話を入れたところ、同人からいきなり「太郎、お前は、あれほど邦彦が残した保険金は使うなと言っておいたのにどうして三〇〇万円も使ったか。もうお前には保証もせん。ミツエの面倒も、もう俺は見らん。お前が佐賀に引きとってみれ。」と言われた。

かつて母には何度も佐賀に来るように勧めたことがあったが、かねて妻春子と母ミツエの折り合いが悪い上に、ミツエが武雄を離れたがらなかった事情があり、そのような自分の母を見放し、武雄から追出して自分に引きとらせようとする貞重の言葉に愕然とし、無性に貞重を憎らしく思った。

しかし、貞重にミツエを見放されては、七一歳になる同女はもちろん自分も立ち行かないことになるので途方に暮れた。

三月二七日の夜、服巻医院のベッドの上でいろいろ考えて眠れず、貞重に翻意してもらうため話し合おうと思って、三月二八日午前一時ころ、自分の車で服巻医院を出発し、二時ころ貞重方を尋ねたが、起きてきた貞重から玄関先で、けんもほろろに「帰れ」と突き放すような言葉を浴びせかけられた。その時の伯父の剣幕から伯父は本気だと思った。

貞重は一度言い出したらあとに引かず、自分の思ったことはどんな手段を使ってでもこれを果たそうとする性格であるから、「貞重に睨まれたら母ミツエは武雄に住むことができない。ミツエが武雄に安住していくためには、こうなったら貞重を殺すしかない。」と貞重殺害を決意した。

(2) 犯行態様について

貞重の殺意を固めてから、実家の「花乃屋」へ行って包丁を持ち出して、貞重方へ引き返して玄関口から入り、一階寝室に入ると、気配に気づいた貞重が目を覚まして起きあがり、自分の姿を見て逃げる格好をしたので、同人の腰付近を後ろから一回刺した。貞重が仏壇の前付近で「たちしゃがみ」するような格好になったので、後ろから何回も刺した。

そのころだったと思うが、伯母が自分の名前を呼びながら止めに入ってきたので、腰付近を一回刺したところ、伯母が這うように逃げたので、さらに刺した。

その後、暫くぼーっとしていたが、赤い炎を見てから貞重方を出た。

佐賀の家に帰り、ズボンを着替えた。包丁は途中捨てた記憶がないので、家の事務所か倉庫に置いたものと思う。

太郎は右のように犯行態様を供述し、包丁の置き場所の図面を自ら作成した。

(九) 右のとおり、太郎の供述があったので、その旨の自白調書を作成することとし、同日午後九時四〇分ころ、出来上がった供述調書を読み聞かせ、誤りがないかどうかを確かめ、太郎に署名指印を求めたところ、太郎はしばらく考えた後、同日午後一〇時ころ、意を決したように「分かりました。死刑でしょうね。しかし、しょんなかですもんね。」と言いながら、捜査官が机上に置いたサインペンを取り、キャップをあけ、左手で調書を押さえ、右手で署名をなし、指印については、「どの指でするのですか。」と捜査官に尋ね、左手人差指である旨知らされると、捜査官から指紋押印用の特殊インクケースを受取り、自らその蓋を開け、左手人差指に右インクをつけ調書および図面に指印をした。

(一〇) 太郎は、署名指印後、何かふっきれたような表情になり、落ち着いた態度で捜査官に対し、さらに「もう死刑は間違いなかでしょうね。覚悟はしとるですよ。嫁御と離婚する手続をとった方がいいでしょうね。仕事した分も請求し、清算せんばいかんけん、明日午前中少し時間ばくれんですか。伯父さんは死んでまでもオイを苦しめんさっ。今日は最後の酒ば飲みたかですね。」などと言った。

4  平成元年四月一八日未明の家宅捜索

(証人加茂賢治、同吉丸卓伸、同原口福市、原告甲野春子)

(一) 右供述調書の作成後、捜査官は、裁判官から太郎所有の普通貨物自動車の捜索差押令状を得たほか、太郎方居宅並びに事務所の捜索差押令状の発付を得て、四月一八日午前一時一七分から太郎方居宅、事務所の捜索を、春子の立合いを得て開始したが、捜査官が春子に対し、捜索差押令状を示すと、春子は「言うたですか。」と言った。

その後、捜索を実施していた同日午前一時四五分ころ、春子は子供を両親に預けたいと申立て、捜査官がこれに応じると、春子は直ちに両親に連絡し、春子の両親である原口夫婦及び春子の妹公枝が午前二時ころ到着し、公枝が春子の子供三人を連れて実家に向かい、春子と原口夫婦が捜索に立ち会った。

(二) 一方、太郎は、右供述調書作成後、捜査官が太郎に対し、同調書に基づいて太郎方の捜索差押令状を取り、それが取れ次第、家宅捜索に着手するが、それに立ち会うかどうかを尋ねたところ、太郎は「家には妻子がおり、妻の両親も来ているだろうから、捜索には立ち会いたくないので捜索が終わるまでここにおってもいいですか。」と捜索終了までの残留を希望したため、同署二階の刑事防犯課のソファーを太郎に提供し、太郎はそのソファーに座って休息し、時間を過ごした。

(三) 四月一八日の午前二時ころ、捜索終了の連絡がなかなか入らず、次の取調べの都合もあることから捜査官が太郎に帰宅を促すと、太郎は「そうですね。車を押さえられとっけん、送ってもらってもよかですか。」と帰宅意思を示したので、捜査官が太郎を送ることとした。太郎はその帰宅車中で「新聞記者がおるでしょうかね。」とマスコミの張り込みを気にし、また、「包丁は出たでしょうかね。」と捜索結果に関心を示した。

(四) 午前二時一五分ころ、太郎方近くまで着いたが、その周辺にはまだ新聞記者が張り込んでいたため、それら記者がいなくなるまで車中で待ち、午前二時二五分ころ、太郎は自宅に入った。

(五) 捜査官は、太郎の帰宅直後、一分ほど、既に太郎方勝手口土間で発見していたサンダル一足の確認とその写真撮影に太郎を立ち会わせた。

その際、捜索を担当していた吉丸警部補から、未だ凶器が発見されていないという状況を聞いた加茂が、太郎に対し、「凶器(包丁)は家からも倉庫からも事務所からも出らんやったぞ。本当はどこにあるのか。」と尋ねると、太郎は驚いたような顔をして、「そうですか。今日は勘弁して下さい。」と答えた。

(六) 加茂は、後刻詳しい事情を聞こうと考え、午前一〇時に迎えに来ると告げると、太郎はこれを了承した。

5  家宅捜索中の異常行動

(甲二九の1・2、乙五六、五七、証人白武隆之、同加茂賢治、同福島寬人、同吉丸卓伸、同上妻益隆)

(一) その後、四月一八日午前二時三〇分ころ、太郎は自宅トイレの前に立ちながら、太郎方に来ていた義父の原口に対し、「酒ば持って来とらんね」と聞いた。家宅捜索実施中の捜査官福島寬人巡査(佐賀県警察本部捜査一課所属)の観察では、太郎の口調は、特段興奮した様子はなく、通常どおりであった。

ところが、原口が「酒は持って来とらん」と答えるや、太郎は、自分がかけているメガネを右手で外し、トイレ前の板壁に二、三回軽く、右側頭部を軽く打ちつけながら前にしゃがみこむような格好をして、そのまま後方に倒れかかった。これを見た福島巡査は太郎の後ろから抱きかかえるようにしたが、太郎は今度は手足をばたつかせた。福島巡査が感じたところでは、右の太郎の行動は手足を押さえられるのを振りほどこうとするようなものであった。そこで、一人では押さえきれないと判断した福島巡査が「おい」と声を上げて近くの捜査官を呼び、付近にいた捜査官吉丸卓伸警部補(武雄警察署刑事防犯課所属)ら四、五名がこれに加勢し太郎の手足を押さえた。しかし、太郎の手足をばたつかせる行動は治まらなかったので、吉丸警部補らは太郎をトイレの向かい側にある六畳間に抱きかかえて移し、同間に敷いてあった布団に仰向けに寝かせた。

(二) 太郎はその後も手足をばたつかせ、体をそらしたりなどするので、吉丸警部補らが太郎の手足を押さえつけた。太郎は、手足を押さえつけると、おとなしくなり、捜査官がまた手を緩めると、再び手足をばたつかせるなどし、これを繰り返していた。太郎は、そのうち口を強く噛みしめながらもぐもぐさせ始めた。福島巡査は、太郎の口元に血がにじんできたのを認め、太郎が舌を噛んだものと思い、口元を開けさせようとしたが、太郎は口を開けようとせず、そこで、近くにあったタオルをねじって太郎の口に入れた。すると、太郎は舌でタオルを押し出そうとし、捜査官らがタオルを押し込めば、太郎が舌を使ってこれを押し出すということが繰り返された。捜査官がタオルを強く押しつけると、太郎は、捜査官に対してにらみつけ、口ごもりながらも「痛かやっか。離さんか。もうせんけん分かった。」などと言っていた。

(三) 吉丸警部補は、太郎の口内の傷を確認することができなかったので、午前二時三四分ころ、一一九番通報をして救急車の出動を要請した。

(四) 午前二時三九分ころ、佐賀市消防署の救急隊が到着したが、太郎は引き続き興奮状態で手足をばたつかせていたため、同救急隊の救急隊員の持ってきた担架に乗せきれず、結局、捜査官四ないし六名がかりで太郎を救急車に運び入れた。太郎は、救急車の中でも上体を起こそうとしたり、口に当てているタオルを振りほどこうとしたり、手足をばたつかせていたので、捜査官らは、救急隊員にタオルに代わるものを要求し、その求めに応じて、救急隊員らは、太郎にタオルに代わるバイトブロック(ゴム製舌咬防止器)を一個装着させた。しかし、太郎は右の装着に際しても、バイトブロックを舌で押し出そうとしたり、顔を左右に振ったりしてこれを外そうとしていたので、更にもう一個バイトブロックを装着させた。太郎は、このときあるいは病院に着くまでの車中において、太郎は口ごもりながらも「分かった。もうせんけんが、口ん中んとば早う出して。」と言っていた。

(五) 救急車は、佐賀市日の出一丁目所在の国立佐賀病院に向かったが、その際、太郎には捜査官らが付き添い、太郎方に居合わせた春子や春子の親である甲山夫婦らは太郎に付き添わなかった。

(六) 午前三時ころ、救急車は病院に到着したが、到着してからも、太郎は捜査官に押え付けられながら救急室に連れて行かれた。そして、捜査官から「もう、暴れんね。手を離しても抵抗せんね。」と話しかけられ、太郎は「もうせん。」と言ったので、捜査官らは手足を押さえるのをやめ、バイトブロックもはずし、同病院の当直医師上妻益隆の診察に委ねた。

(七) 上妻医師は、捜査官から太郎が舌を噛んだ旨聞かされていたので、太郎の舌の状態を確認した。しかし、歯形があり血腫があった程度で大事はなかったので、治療は施さなかった。また、上妻医師は、当初、看護婦から患者はけいれん発作であるようなことを聞いていたこともあって、念のため、太郎に、けいれん発作の既往を確認したが、太郎はこれを否定し、さらに、太郎の意識が清明であることが確認されたので、病的なものはないものと判断した。そして、捜査官は、太郎を自宅に帰らせることにしたが、帰り際、その場に駆けつけていた白武捜査一課長に、「もう馬鹿なことせんやろ。もう二度としないと約束するか」と言われ、太郎は、「もうせん。早く帰ろう」と言っていた。

(八) 太郎は、右診療後、捜査官の車両で捜査官とともに自宅に帰り、すぐ就寝した。自宅に着いたのは午前三時半前ころであった。太郎が帰宅後、中断されていた捜索は再開されたが、凶器や返り血を浴びたような衣服等犯人の決め手となる有力な物証は発見されず、午前四時四〇分ころ、捜索は打ち切られた。

6  家宅捜索以降太郎死亡に至るまでの経緯

(甲二五の1ないし7、乙一、二、二四ないし二九、三九ないし四二、五九、証人白武隆之、同加茂賢治、同岩瀬常幸、同的場梁次、同坂田豊彦、同田中良弘)

(一) 四月一八日午前一〇時ころ、篠原巡査部長及び荒木信幸巡査長が自動車で太郎を迎えに行った。同人らが太郎方に着くと、太郎は自ら玄関から出て来るや、篠原運転の自動車助手席にいきなり乗り込み、「新聞記者のおっぎ、せからしかけん、早う出さんね。」と出発を促し、同人らは太郎所有車両を押収していた佐賀市高木瀬町の佐賀県警察機動隊に向かった。

(二) 同所において、捜査官らは太郎所有車両の捜索をなし、午前一〇時四五分ころから午後零時四〇分ころまでの間、同車のルミノール反応検査を実施し、太郎をこれに立ち合わせた。右ルミノール検査の結果は、車両から一六カ所、車中にあった折りたたみ式傘から一四カ所の陽性反応を検出したが、当時は右検査によって血液かどうかは判明しなかった。

(三) ルミノール検査終了後、捜査官らは太郎を車に乗せて、小城署へ向かった。当時、小城署には、既に太郎が取調べを受けていることを知って、マスコミ関係者が取材活動のため待機中であり、ルミノール検査中、小城署刑事防犯課長岩瀬警部から「小城署に新聞記者が居るから、同行する際は裏の台所勝手口から入るように」と電話連絡があったので、篠原らは右指示に従うことにした。

そして、午後一時〇五分ころ、太郎らは小城署に到着した。そして、篠原巡査部長と荒木巡査長は太郎の両脇を固めて、衣服やカバンなどで、太郎の顔を隠しながら太郎とともに同署勝手口の方に歩き始めた。このとき、小城署に居た他の捜査官も勝手口の方に太郎をガードすべくその応援のため太郎の許へ駆けつけようとしていたが、その隙間をぬうようにして待機していた佐賀新聞の記者が太郎の前面から太郎の側に駆け寄り、同記者によって右太郎の写真撮影がなされた{なお、被告は、太郎が捜査官の指示に従わず助手席から勝手に降車し、小城署勝手口に向かったが、二、三歩よろけたため、篠原巡査部長と荒木巡査長がともに太郎をかばうために、太郎の両脇をかかえたところを、たまたま前記新聞記者に写真撮影されてしまったと主張するが、右撮影された写真(甲一二の1の1の写真)の内容に照らし、右主張は採用できない。}。

(四) 午後一時〇七分ころ、取調べを担当する加茂は、太郎を第一取調室に入れ、同人に食事をしたか尋ねた。太郎は未だ食事をしていないということだったので、加茂は太郎に何が食べたいか聞き、太郎はうどんを希望したので、肉うどんを飲食店から取ってやった。なお、取調室には、加茂と太郎のほかに、加茂の補助をする江里口も同室していた。

(五) 午後一時二〇分ころ、飲食店からうどんが届いたので、これを太郎に与えた。太郎は、うどんをひとすすりした後、「きのう噛んだ舌が痛いから水を持ってきてくれ」というので、加茂は太郎に、水を持ってきてやった。そして、午後一時三五分ころ、加茂が太郎から目を離したすきに、太郎は突然、「うー」と言って口中に割り箸を入れたまま椅子から立ち上がった。これをみた加茂は、箸を飲み込もうとしていると思い、割り箸を取り上げたが、その瞬間、太郎はさらに「うー」と言って歯を噛みしめ、後方に倒れかかりそうになった。そこで、江里口巡査部長は後方から太郎の肩を押さえた。加茂は、前回、舌を噛み、自殺を図ったということを聞いていたので、太郎が再び舌を噛もうとしていると判断し、太郎の身体を支えながら、素手で開かせようとした。しかし、太郎は口を固く結んで口を開かせることはできなかった。加茂は、「何をしている。そんなことはするな。」などと言って、さらに手で口を開けようとしたが、太郎の口を開くことはできなかった。加茂は、さらに「甲野馬鹿なことをするな」と叫び、太郎の手を握って太郎を制止しようとしたが、太郎は身体をくねらせ、両手両足をばたつかせながら暴れたので、加茂は、二人では押さえきれないものと判断し、「おーい、来てくれ」と叫んで他の捜査官にも応援を求めた。

(六) 加茂の声を聞いて、白武隆之捜査第一課長、杉光誠巡査部長、篠原和広巡査部長らが駆けつけた。そのとき、前方から加茂に、後方から江里口にそれぞれ抱きかかえられていた太郎は、これを振り払うように手を左右に、足を前後にばたつかせていた。白武が加茂にどうしたのかと尋ねると、加茂が「(太郎が)割り箸を口に入れた」と言ったので、白武は、一瞬、太郎が割り箸を嚥下したのかと思ったが、床を見ると割り箸が落ちており、再び太郎を見ると、太郎が口を固く結び歯を食いしばっている様子であったので、舌を噛んだのではないかと思った。そして、「甲野やめろ、なんしょっとか」と言って、太郎の口を両手で開けようとしたが、太郎は白武の顔を見ながら、歯を噛みしめ、手足を前後左右にばたつかせ、頭を左右に振って暴れるので、白武は、太郎の口を開けさせることはできなかった。さらに、他の捜査官も太郎の両側から口を開かせようとしたが、同様に暴れていたため、太郎を制止することができなかった。

(七) そこで、白武課長は、立ったままでは太郎を制止することはできないと判断し、他の捜査官らに太郎の手と足を持って同人をして床に腰を下ろさせるように指示した。そのころ、岩瀬警部、岩永警部補、光石巡査長、荒木巡査長が応援に駆けつけており、太郎の右腕を岩永が、右足を篠原が、左側から杉光が左腕を、光石が左足を握り、太郎を壁に背中をつけた状態で床の上に座らせた。その後、加茂、江里口は退出した。

(八) 他方、加茂から「割り箸を口に入れた」と聞かされた篠原巡査部長は太郎が割り箸を飲み込んだものと思い、岩瀬警部に「太郎が自殺を図った。箸を嚥下したようだ。」と伝え、岩瀬は、午後一時四〇分ころ、一一九番通報して、「箸を飲み込んだようです。小城署まで救急車をお願い致します。」と救急隊の出動を要請した。また、午後一時四二分ころ、小城署から約二〇〇メートルの近距離にある小城郡三日月町大字久米九九八番地坂田外科に電話し、応対に出た看護婦に「今、取調中の者が箸を飲み込んだようです。至急先生に来てもらうよう言って下さい。」と坂田医師の派遣を要請した。

(九) 午後一時四六分ころ、人工呼吸用資器材(吸引器付きの自動人工呼吸器、手動式人工呼吸器、足踏み式の吸引器など)、気道確保用資機材(蘇生用背板など)、酸素吸入、胸骨圧迫心マッサージ用資機材などを救急車に積載した小城消防署の救急隊が到着した。救急隊員の一人田中良弘隊員は、患者に対してどのような措置が必要か確認するため、まず、太郎の居る取調室に向かった。しかし、救急隊が到着した旨報告を受けた白武は、太郎は興奮し暴れている状態であり、救急隊に見せても仕方がないと判断し、立川巡査部長に救急隊に待機してもらうよう指示した。そして、立川巡査部長は、取調室まで向かおうとしていた田中隊員に「白いものを見たら余計興奮すっぎ、いかんけん。」などと告げ、救急隊員を小城署刑事防犯課室まで押し戻し、そこで待機させた。

(一〇) 一方、白武は、太郎の口を素手で開かせることは困難であると考え、そばにいる捜査官に「何か歯をこじあける物を持ってこい」と指示した。その後、捜査官が小型スプーン一本を持ってきたので、これを受け取った篠原巡査部長が、その柄の方を太郎の上下の歯と歯の間に差し込み、口を少しこじ開け、そこに白武が右手親指を差し込み、さらに白武が所持していたハンカチを太郎の歯と歯の間に差し込んだ。このとき、白武は、太郎は明らかに意識的に噛みつくという動作であることを感じた。しかし、太郎は手足をばたつかせ、歯を強く食いしばり、白武の親指を噛み続けたので、白武は、他の捜査官に杓文字を持ってくるように指示し、その後、捜査官が木製しゃもじ一本とプラスチック製しゃもじ一本を重ね、柄の部分に布切れを巻いた物を持ってきたので、篠原巡査部長がこれを受け取り、二本重ねた柄の部分を太郎の歯と歯の間に差し入れた。そうしているうち、太郎の抵抗は弱まり、太郎が落ち着きを取り戻したように見えたので、白武は、右手親指を抜き、ハンカチを取り出し、その後、太郎が顔色も普通で、呼吸も確かであることを確認し、午後二時ころ、救急隊員に「坂田医師ば呼んどるけんが救急隊の方は帰ってもらおうかね。」と告げて、救急隊を引きとらせた。

(一一) なお、右の一連の騒動において、太郎は、割り箸により軟口蓋に三か所(長さ約2.0センチメートル、幅約0.8センチメートルのもの、長さ約1.3センチメートル、幅約0.2センチメートルのもの、長さ約1.9センチメートル、幅約0.5センチメートルのもの)、咬舌により舌に三か所(いずれも長さ約0.6センチメートル、幅0.5センチメートル)の損傷を生じ、そこから口内に出血した。そして、午後二時以降太郎は口内の右出血血液を誤嚥した。

(一二) 午後二時〇三分ころ、坂田医師が小城署に到着した。その時、太郎は壁に背をもたれかけ、足を伸ばしたような格好で座っており、三、四人の捜査官が太郎の手足を押さえ、他の捜査官が太郎の口の中にしゃもじをくわえさせていた。坂田医師が、太郎の脈拍をみると、脈はほとんど触れない状態で、呼吸は下顎呼吸の末期の状態であった。そこで、坂田医師は、太郎の姿勢が悪い状態であったことから、太郎を横臥位にした上、口内の凝血を取り除き、強心剤セジラニド、同アンナカ、呼吸促進剤テラプチクを注射するなどの応急措置を取った。しかし、その甲斐無く、午後二時〇八分、太郎の脈と呼吸は停止した。坂田医師は、心臓マッサージを開始し、これに驚いた白武は、午後二時〇九分ころ、救急隊の再出動を要請した。同一六分、救急隊が到着し、坂田医師とともに、心臓マッサージ、レサシテーター(人工自動蘇生器)、バックマスク(手動式蘇生器)による人工呼吸を施したが、太郎は蘇生せず、蘇生措置は打ち切られ、午後二時二八分ころ、太郎の死亡が確認された。

二  事実認定及び認定事実の評価に関する当事者の主張について

1  原告らは、本件の事実経過において、捜査官は、任意同行の際、太郎に食事をさせる間もなく警察署に連行したとか、取調べの際、太郎に対して貞重らの焼死体の写真を示して机をたたきながら大声で怒鳴りつけたり、太郎を取調室の壁に向かって立たせて耳元で壁をたたくなどして自白を強要したとか、取調中、太郎に対して昼食も取らせなかったとか、自白調書に無理矢理指印させたなどの事実を主張する。

原告春子やその父甲山一郎も、本人尋問あるいは証人尋問において、家宅捜索終了後に、太郎が「捜査官から後ろの方に組んでいた腕を無理矢理つかまれて自白調書に無理矢理指印させられた{証人原口福市尋問調書(第一六回口頭弁論)第四三項}」とか、「伯父さん夫婦の焼けただれた死体の写真を見せられたり、机をどんどん叩かれたり、頭を突っこくられたり、椅子をがたがたいわして、気をつけをさせられたりした{原告春子尋問調書(第一四回口頭弁論)第三三五項}」などの話をしていた旨、右主張に沿う供述をしている。

しかしながら、右春子らの供述以外に自白強要があったことを示す証拠はない上、太郎が春子らに語ったとする右の話についても、その内容は、単に自白強要をされた事実を指摘するにとどまり、捜査官との間でいつどのような会話がなされ、どのような状況で頭を叩かれたりしたのかなどの詳細な説明はなく、また、自白調書への指印は無理矢理させられたというが、署名はどのようにしてなされたのかその経緯も明らかでなく、あまりにも抽象的であるから、この太郎が話したという右の内容程度では、自白強要の事実を認めるに足らない。

また、原告らは、太郎の自白調書の内容は信用するに値するものではないことについて、犯行に使用したとする凶器の所在場所である「花乃屋」から凶器を持ち出すことは不可能であったこと等縷々指摘し、このような信用性のない自白調書が作成されたのは、捜査官が太郎に対して過酷な取調べを行ったことを推認させるものであると指摘する。

しかしながら、所論の自白調書は、太郎が殺害について認める供述をして初めて作成された概括的な内容の調書であるから、その供述中に矛盾する部分や客観証拠による裏付がない部分があったとしてもやむを得ないところであり、そのことから直ちに右調書の任意性、信用性がないことに結びつくことにはならない。しかも、本件の自白調書は、貞重殺害の動機においても犯行態様においても比較的詳細であって迫真性があることに鑑みると、それが捜査官の威圧的な取調べによって、作成された作文であると推認することはできない。

したがって、この点の原告らの指摘も適切でない。

以上によれば、原告らの右主張は採用できない。

2  原告らは、右の事実経過において、家宅捜索中に太郎が壁に頭を打ちつけて病院に搬送されるまでの太郎の異常行動(家宅捜索中の異常行動)は、けいれん発作であると主張し、他方、被告は自殺を図ったものであると主張する。

そこで判断するに、原告春子は、本人尋問において、家宅捜索中の異常行動に関して、太郎が倒れたときはひきつけを起こしたような感じであったと供述し、また、右家宅捜索の現場に居合わせた原告春子の父甲山一郎も、証人尋問において、家宅捜索中の太郎は目がうつろであったこと、異常行動を起こしたときはてんかんのようなショックを起こしたものと思ったことなどを供述している。さらに、乙第五七号証によれば、太郎を診察した上妻医師も、太郎が救急車で国立佐賀病院に搬送されてきた際、当直看護婦から「救急車が着きましたが、けいれんを起こしたという人が搬送されてきたようです。診察をお願いします。」と聞いたこと、診察に当たるため、搬送された太郎の側に居た警察官に状況説明を求めたところ、責任者と思われる警察官が「患者さんは、警察署で捜査をしている人ですが、先程、家の中でけいれんかひきつけを起こしたようです。」と述べたのを聞いたことが認められ、さらに加えて、証拠(乙二、五六)によれば、太郎の負傷それ自体は軽傷であるなど、一見、原告らの主張に沿うような証拠が存在する。

しかしながら、前記認定した太郎の一連の異常行動に関する捜査官の観察、体験事実、すなわち、太郎はトイレの壁に頭を打ちつける前にわざわざ眼鏡を取り外したこと、捜査官が太郎を制圧中は、太郎の目は視点が定まっていたこと、捜査官が太郎の手足を制圧すれば手足をばたつかせる行動は治まり、制圧した手の力を緩めると太郎は再び手足をばたつかせるということを繰り返し、あるいは、捜査官が太郎の口に入れたタオルを舌を使って押し出そうとするなど意識的と思われる行動がみられたこと、異常行動終了後、捜査官が「もう馬鹿なことはせんやろう」と言ったことに対して太郎は「もうせん」と言ったこと等々に鑑みると、太郎の異常行動は意識的に自棄的になって自傷行為に及んだものと認められ、それが病的なけいれん発作であるとは認められない(なお、右の捜査官の観察、体験事実の認定は、捜査官の供述に負うところが大きいが、その供述は詳細で、捜査官に有利な事実ばかりを供述したとも窺われない上、不合理な点は見当たらず、臨場感があって信用でき、これに対して、原告春子らの家宅捜索中における体験供述は抽象的であるから、右認定事実に沿わない限度で採用できない。)。

また、仮に、右の捜査官の観察、体験事実が認定できるかしばらく置くとしても、少なくとも、①太郎の異常行動が始まってから九分後には太郎には意識があることが救急隊員によって確認されていること、②そのとき、太郎は興奮状態にあってバイトブロックが二本も装着されたこと、③太郎の興奮状態が治まったのは、救急隊が太郎宅に到着してから二一分後、病院に到着してからのことであること、以上の事実はほぼ争いがなく、証拠(甲二九の1・2)によって動かし難い事実として認められるが、これら事実からしても、太郎がけいれん発作に陥ったものと認めることはできない。すなわち、右によれば、太郎の異常行動が始まってから九分後には既にけいれんやひきつけの状態にはなく、しかも、その後、太郎は約二〇分にわたり意識的に暴れていたということになるが、救急隊の到着前に、単にけいれん発作があっただけというなら、意識回復後長時間にわたって太郎が意識的に暴れるというのは不自然であり(けいれん発作から意識回復後に長時間にわたって興奮状態が継続することがあり得るとする証拠もない。)、むしろ、自棄的状態に陥って、その興奮状態が覚めやらなかったことによるものとみる方が自然である。

そして、前記認定の経過とくに執拗に口を開けようとせず、舌を噛もうとするそぶりを見せていたこと及び興奮状態が治まった直後の太郎の言動等に照らせば、家宅捜索中における太郎の異常行動は、けいれん発作に陥ったものではなく、自棄的自傷行為に及んだもので、太郎が自殺を図ったものと認めるのが相当である。

なお、原告春子は、当審の本人尋問において、太郎はけいれん発作の既往歴があったなどと供述しているが、その内容は具体性を欠く上、反対に、太郎は上妻医師の問診に対し、けいれん発作の既往歴はない旨答えたことが認められ、また、もし、太郎にけいれん発作の既往歴があり、家宅捜索中、太郎が病的な発作に襲われたのなら、太郎が国立佐賀病院に連れて行かれた際に、その場に居合わせた妻をはじめとする家族の誰かが太郎の健康状態を心配してこれに付き添ってしかるべきところ、本件においては、それを妨げる特段の理由もないのに誰も付き添っていないことが認められ、これらに鑑みると、原告春子の供述は採用しがたい(原告春子は、病院まで付き添わなかった理由について、居合わせた実父甲山一郎に「警察の管轄だから行くな」と言われたため、右病院まで同行しなかった旨供述し、甲山もこれに沿う供述をするが、右供述はそれ自体不自然であり信用できない。)。

また、前記のように、上妻医師は、太郎が病院に搬送された際に、警察官から「けいれんかひきつけを起こした」と聞いたことが認められるが、他方、証拠(乙五六、証人上妻益隆、弁論の全趣旨)によれば、上妻医師は、太郎を診て、病的な異常を認めず、自殺を図って舌を噛んだのではないかと疑問を持ったこと、診察前あるいは診察中に、太郎が自殺のおそれから暴れるということで鎮静剤が必要ではないかなどの話が出ていたこと、上妻医師は、白武課長との会話から、太郎に自殺を図られたことが明るみになれば警察の不始末になるから白武課長はこれを隠していたのではないかとの印象を懐いたこと、以上の事実が認められ、これらによれば、捜査官は太郎が自殺を図ったものと考えたが、上妻医師には敢えてこれを伝えなかったとみる余地があり、右の点だけでは、太郎の行動がけいれん発作であると認めるに足りない。

さらに、原告らは、太郎が異常行動に陥ったとき言葉を発していなかったこと、異常行動の直前に、太郎は甲山に酒を所望しているが、右言動は不可解であること、事後に、自殺をしようとした動機を聞き、家族に再度自殺をすることのないよう注意を促すなどの措置を取ってしかるべきであるのに、これらの措置が取られなかったことをもって、けいれん発作が推認される旨指摘する。

しかしながら、太郎が言葉を発しなかったからといって、そのことから直ちに太郎の行動が無意識下になされたということができるものではないし、家宅捜索中に酒を所望したことについても、小城署における自白後帰宅までの間の太郎の行く末をはかなんだような言動に照らせば、むしろその気持ちも理解でき、異常であるといえるものではない。また、捜査官は、家族に対して太郎が自殺をしないように注意を促した形跡は窺われないものの、一応、本人に対して「もう馬鹿なことはせんやろう」と注意をしていることが認められ、これらの点に鑑みると、原告ら指摘の事実があるからといって、直ちにけいれん発作が推認されるということはできない。

そしてまた、太郎の負傷それ自体は軽傷であることが認められるが、それは、捜査官により舌を噛む行為等を途中で阻止されたためであり、結果が軽傷であったことから直ちに太郎が自殺を企図したことを否定する理由にはならない。

結局、以上を総合すれば、家宅捜索中における太郎の異常行動は、けいれん発作に陥ったものではなく、自棄的自傷行為に及んだもので、太郎が自殺を図ったものと認めるのが相当である。

3  また、原告らは、前記認定の事実経過において、小城署取調室において太郎が急に立ち上がってから死亡するまでの太郎の異常行動(取調室での異常行動)は、けいれん発作であると主張し、他方、被告は自殺を図ったものであると主張する。

そこで判断するに、原告らは、右異常行動がけいれん発作であると主張する有力な根拠として次の点を指摘する。すなわち、太郎の死因は、口蓋の損傷による出血血液を誤嚥したものであるところ、窒息するほど出血血液を誤嚥することは意識の清明な状態では通常の生理現象としてはあり得ず、右の死因はとりもなおさず太郎がその当時、けいれん発作で意識がなかったことによるものと推認される旨指摘する。

しかしながら、意識が清明であれば血液を誤嚥して窒息死することはあり得ないとの証拠はなく、また、警察官らが太郎の口内に杓文字やスプーンを突っ込み、なおかつ太郎が手足をばたつかせるので、警察官らがこれを制止しようとして太郎ともみ合っていた状況のもとでは、たとえ意識があったとしても血液を誤嚥することはあり得ると考えられ、坂田医師も、証人尋問において、意識の有無にかかわらず、座った状態で、血液を口中いっぱいに貯めたまま口を固く結んで息を吸い込めば、自然に誤嚥することがあり得る旨指摘しているところであって(証人坂田豊彦尋問調書一五七項ないし一六一項)、結局、血液を誤嚥したこと自体によって、本件がけいれん発作であると推認することはできない。

また、前述のごとく、家宅捜索中の太郎の異常行動はけいれん発作とは認められず、自傷行為であったと認められること、取調室での異常行動は、それが始まってから救急隊が帰隊するまでの約二五分間の長時間にわたって継続していたこと、前記認定にかかる太郎の一連の異常行動に関する捜査官の観察、体験事実などを総合すれば、取調室での太郎の異常行動も、けいれん発作に陥ったものではなく、自棄的自傷行為に及んだもので、太郎が自殺を図ったものと認めるのが相当である。

結局、取調室での異常行動はけいれん発作であったとする原告らの主張も採用できない。

三  判断

1  争点1(太郎に対する捜査の適否)について

(一) 原告らの主張によれば、太郎は、捜査官によって自白を強要され、精神的肉体的に追いつめられて、けいれん発作を引き起こしたなどの事実を指摘しているが、前記一、二に説示のとおり、原告ら指摘の右各事実はこれを認めることができない。したがって、右一連の違法捜査によって太郎がけいれん発作に陥り死亡したとして被告の責任を追及する原告らの主張は、その事実関係について、前提に大きな誤りがあり、到底これを容認することはできない。

もっとも、前記一の認定事実を前提としても、太郎は割り箸で口蓋を突くなどの自棄的自傷行為に及んで最終的に死に至っており、その原因は、一連の太郎に対する捜査がきっかけとなって、太郎の精神状態に異常を来たしたことによるのではないかとの可能性も否定できないことから、右一連の捜査に、行き過ぎ、違法な点はなかったかについて、なお検討を要するものと言わなければならない。

(二) そこで、前記一の認定事実をもとに四月一六日以降の太郎に対する捜査の適否について判断する。

前記認定の太郎に対する取調べ経過とりわけ平成元年四月一六日の任意同行直後のポリグラフ検査の実施、その後の長時間の取調べなどの事実に照らせば、同日以降の太郎に対する取調べは、刑訴法一九八条に基づく被疑者に対する任意捜査として行われたものと認められる。

ところで、任意捜査の一環として行われる被疑者に対する取調べは、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において許容されるものと解すべきである(最高裁昭和五七年(あ)第三〇一号昭和五九年二月二九日第二小法廷決定・刑集三八巻三号四七九頁参照)。

(1) そこで、右の見地から更に勘案するに、まず、太郎に対する当初の任意同行についてみるに、四月一六日までの捜査の進展状況からみて太郎に対する容疑は濃厚とまではいえないにしても、ある程度存在していたと認められ、しかも、本件が被害者二名の殺人・放火事件であるという事案の重大性にも鑑みると、この段階で太郎から事情を聴き弁解を徴する必要があったことは否定できないところである。また、任意同行の方法、態様の点をみても、任意同行を求めた時間は早朝ではあるものの、出頭要請に際して、捜査機関が太郎に対して物理的強制力を用いたことや威迫的な言動をしたということもなく、また、太郎は朝食を摂らずに小城署に出頭しているが、原告ら主張のように捜査官が太郎に食事を摂る間も与えず連行したという事実は認められず、その他出頭要請の仕方に、特段、不穏当、不誠実な点は認められない。したがって、任意同行に相当性を欠くところがあったものとは認められない。

(2) 次に、任意同行後の捜査についてみるに、なるほど捜査官は、太郎を任意同行後、嫌疑はそれほど濃厚ではないのに、太郎の弁解を一切聴することもなく直ちにポリグラフ検査を実施しており、この点は、捜査のあり方としてやや勇み足の感は免れない。また、太郎に対する取調べは、ポリグラフ検査を含めて、第一日目が午前八時前から午後一一時一六分ころまで、第二日目が午前九時ころから午後一〇時ころまでの比較的長時間におよんだ上、右の取調べ終了に引き続いて、捜査機関は、深夜であるにもかかわらず、太郎宅の家宅捜索を実施し、その一部に太郎を立ち会わせたこと、右捜索中に、太郎が自棄的自傷行為に及んだということがあったにもかかわらず、捜査機関は、予定通り第三日目の午前一〇時ころ太郎を迎えに行き、午前一〇時四五分ころから午後零時四〇分まで車両の捜索を行い、これにも太郎を立ち会わせ、その後も引き続き太郎を取り調べることを予定していたことなどの事実が認められ、これらの点に徴すると、取調べ・捜索の実施に当たって、捜査機関として、捜査を受ける太郎の心身の疲労などへの配慮が足りなかったのではないかとの印象を払拭できない。

しかしながら、ポリグラフ検査については、その実施に当たって、捜査官が太郎に執拗にこれらに応じるように説得するなどこれを強要した事跡は窺われず、また、太郎は、捜査官のポリグラフ検査の要請に対して特段難色を示すこともなく直ちにこれを承諾し、右検査に応じたという経過に鑑みると、太郎を任意同行後直ちにポリグラフ検査を実施したことをもって直ちにこれを違法視することはできない。

また、太郎に対する取調べは比較的長時間におよんでいるものの、その取調べは自白に至るまでその調書の作成を含めて二日程度に過ぎず、それが徹夜にまでおよんだということもない上、昼と夕には食事と休憩時間が与えられており、また、取調べの際、とくに暴行、脅迫がなされたとか、太郎が取調べを拒否して帰宅しようとしたり、休息を申し出たにもかかわらず、捜査官がこれに応じなかったなどの事跡はなく、さらに、太郎が殺人について自白めいた言動をなした際には、捜査官は黙秘権を告知しかつ発問はより慎重に行ったことなどが認められ、これらの事情を考慮すると、右の取調べが太郎の心身に過度の疲労を及ぼすような内容であったとは言い難く、加えて、太郎は、当初は、犯行を否認したものの、捜査官の抱く疑問に対しては不合理な弁解をなし、また供述の変遷を重ね、更に肝心な点については沈黙する態度に終始し、取調べが長時間におよんだのも理由がないわけではなかったことなどに照らすと、取調べが相当性を欠いたということはできない。

さらに、その後の捜索の実施や取調べの予定についても、物証が少ない本件において、太郎が本件犯行の重要な一部である貞重に対する殺人について自白した以上、その自白の信用性を確かめるために、犯行の証跡が残存する蓋然性が高くかつその隠蔽が容易な太郎の身辺についてまず捜索を実施するのは必定であり、また、この時点で、これらの捜査を打ち切れば、太郎が帰宅後態度を翻し、犯跡を隠蔽する可能性もないとは限らないから、たとえ深夜であったとしても、自白調書作成後直ちに捜索の実施に着手したのもやむを得ないというべきである(なお、捜索の実施については、裁判官の令状を得て行われており、手続的にも違法はない。)。そしてまた、太郎は、自宅の捜索中に、一度、自棄的自傷行為に及んだことがあったものの、前記認定の太郎の捜索中の行動の様子からすると、意識は清明であって精神的異常を疑わせる不自然な言動もみられず、疲労から精神が錯乱し右行動を取ったというよりも、一時的に短慮を起こした行動であったことが窺われ、他に太郎の心身に著しい異常があったことを窺わせる事跡はなかったのであるから、捜査機関が捜査を中断せず、なおも第三日目の捜索の立会いや取調べを続行したとしてもやむを得ないところと言わなければならない。そして、右の点は、太郎宅の捜索の結果、自白どおりに凶器の存在を確認できず、自白の信用性の根幹にかかわる点に疑問が生じた本件捜査の展開に照らせば、なおさらというべきである。

(3)  以上判断したところに加え、本件は被害者二名の殺人・放火事件であるという事案の重大性を総合勘案すると、四月一六日以降の本件太郎に対する捜査は、社会通念上任意捜査として許容される限度を逸脱したものであったとまでは断ずることはできない。

(三) ところで、原告らは、太郎が取り調べを受けた四月一六日の段階では、未だ太郎を被疑者と扱うほどの客観的合理的証拠はなかったにもかかわらず、捜査機関は予断と偏見に基づいて太郎を犯人と決めつけて取調べを開始したものであるとして、捜査の違法性を指摘する。

そこで、この点について論及するに、捜査手続上被疑者が不利益を受ける度合いは、捜査の各手続によって異なると解されるから、任意同行、逮捕、勾留、起訴の各段階において、その要求される嫌疑の程度は異なるとみるのが相当である。そして、任意同行、任意取調べは、被疑者に対する捜査手続上、初期の段階で、被疑者の承諾を得て行われるものであって、もっとも被疑者に対する不利益が小さいものであると解されるから、その段階では十分な嫌疑が要求されるものではないとみるのが相当である。もっとも、任意同行、任意取調べといえども、事実上、これを拒否することは心理的抵抗を伴うし、精神的苦痛を強いられることは明らかであるし、また、これが行われることによって、被疑者は社会的にも名誉、信用を失墜することになりかねないから、全く根拠がないのにこれを行うことは許されず、一応の合理的根拠が必要となるものと解するのが相当である。

そこで、これを本件についてみるに、前記認定事実によれば、本件殺人・放火事件が発生してから四月一六日までの捜査では、現場及びその周辺の捜査において犯人に結びつくような有力な物証や目撃情報はなく、また、被害者関係者の取調べの結果、太郎以外には犯行動機に結びつくような事情をもつ不審人物を絞り込めない状況にあったことが認められる。唯一、犯人像に結びつく手掛りとしては、被害者宅には金品被害がなかったこと、被害者貞重には多数の刺し傷があったことなどから、本件の犯人像としては怨恨に基づく犯行も疑われるという状況があったにすぎない。このような犯人捜査の手掛りが少ない状況下で、他方、四月一六日の時点において、太郎にはその経営するマル福建装が財政的に逼迫していたこと、被害者貞重に金銭面で依存していたことなどの事実が存在し、しかも、太郎は、犯行当日朝の行動について第三者の供述と矛盾する供述をなしており、服巻医院の看護婦に対し特異な言動をしていたことが認められる。右の貞重に対する金銭面での依存関係は、それが金銭トラブルに発展し、貞重殺害の動機となったとみる余地を残すものであるし、また、太郎の犯行当日朝の行動に関する第三者の供述との矛盾についても、それが直接犯行時のアリバイに関するものではないとしても、右アリバイ主張の内容が妻である原告春子の供述と一致し、アリバイ主張に密接に関連する点についていわゆるアリバイ工作を図った可能性もあり、看護婦に対する特異な言動を考慮すると右供述の矛盾を重要視することは捜査機関として必要なことであったと認められる。

そうすると、右のような犯人の手掛りが少なく、一応、怨恨に基づく犯行も疑われる状況下で、太郎には貞重に対して怨恨を抱くに至る余地を残す事実関係があり、しかも、太郎はアリバイに密接に関係する事項について第三者と矛盾する供述をしていたことなどの事実に照らすと、捜査本部が、一応、この段階で、太郎に対して捜査の焦点を絞ったこともあながち不合理とはいえず、しかも、本件が被害者二名の殺人・放火事件であるという事案の重大性に鑑みると、比較的早いこの段階で、太郎に任意出頭を求めて、同人から、その経営する会社の経済状況、貞重との関係、アリバイ等について、更に詳細に事情を聴取する必要性があったことは否定できないところである。

右の諸点に鑑みれば、捜査機関が太郎について犯人ではないかと一応疑いを持ち任意同行して取調べを行うだけの合理的根拠はあったものというべきである。

したがって、本件において、捜査本部が予断と偏見に基づいて太郎を犯人と決めつけて太郎に対する取調べを開始したとみるのは相当でなく、原告らの右主張は採用できない。

(四) また、原告らは、取調べの際、太郎がアリバイ主張をして否認を続けたにもかかわらず、捜査本部は、太郎の弁解について裏付けをすることなく取調べを継続したとして、捜査の違法を指摘する。

しかしながら、前記認定事実によれば、四月一六日までの取調べを始めるまでに、既に、三月三一日の供述をもとに、犯行前夜から犯行当日の朝にかけての太郎の行動について、病院関係者や取引先などに対する事情聴取などの捜査がなされており、その結果、アリバイを裏付ける証拠がなく、また、山口の供述と矛盾する点が発覚したのであるから、太郎のアリバイ主張について裏付捜査がなされていないということはできない。また、原告らは、山口の供述について、それが記憶違いでなかったかという観点から裏付捜査がなされていないと主張する。確かに、山口から太郎宅への架電状況をNTTなどに照会し、あるいはその記録を押収するなどの客観的証拠の収集がなされれば、山口の供述の真偽は容易に判明するのに、これがなされた形跡はなく、そのような捜査が何故なされなかったか疑問はあるが、捜査官がこれらの捜査を故意に怠ったと認める証拠もない上、捜査官は、太郎に対する取調べと平行して、四月一六日に再度、山口に対する事情聴取を行い、また、その信用性を確かめるため、同日、山口の妻にも、さらに、翌日、山口の取引先の牛島にも事情聴取をするなどの裏付捜査をする努力をし、右の捜査結果から山口の供述の信用性は一応増強されたことが認められるから、裏付捜査の巧拙はともかくこれを怠ったと評価することはできず、山口供述について、記憶違いではないかとの観点から裏付捜査がなされていないとの原告らの主張は採用できない。

(五) さらに、原告らは、捜査官は太郎を取り調べるに当たり、太郎の病状も顧ず、太郎に食事も取らせなかったなどと捜査の違法を指摘する。

なるほど、証拠(乙二、九、証人白武隆之、弁論の全趣旨)によえば、太郎は生前慢性肝炎を患い、四月一六日の取調べ時は、服巻医院から退院したばかりであったこと、死亡後の解剖においても太郎の肝臓の所見として細顆粒状を呈する肝硬変があるとされていることが認められるが、他方、証拠(乙九、証人白武隆之)によれば、捜査機関は、太郎が服巻医院に入院中にあってもほとんど外出しており、入院を要するような状態ではなかったことを把握していたことが認められ、また、取調べに当たって、太郎から健康状態の異常を訴えられた事跡も認められないから、捜査官が、その症状が重篤なものであったとは判断せずに、捜査を継続したとしても違法のかどはない。また、太郎は食事をほとんど摂っていないかもしれないが、捜査官が食事の機会を与えなかったものでもなく、それが相当長期にわたったものでもないこと、一応、本件取調べは太郎の承諾を得て行われていることなどからすれば、捜査を継続しても違法とはいえない。

(六)  以上によれば、本件任意捜査は違法ということはできず、そうである以上、被告は、捜査に関して、太郎の死亡に対する責任を負わないものというべきである。

2  争点2(介護義務違反の有無)について

(一) 被疑者に対する捜査官の一般的義務

被疑者に対する取調べは、それ自体、被疑者の精神に動揺を来たし、身体に変調を及ぼす危険性を内在するものである。また、捜査官が被疑者を警察署において取調べを行う場合は、たとえそれが被疑者の承諾を得て行われる場合でも、その行動は全く自由であるものではなく、特段の理由もなく、取調べを拒否し、あるいは退去を申し出れば、事実上、捜査官によって翻意を促され、説得を受けるのが通常であり、また、被疑者自身、余計に捜査官から嫌疑を受けるのではないかとの不安がよぎるものであり、余程の強固な意思をもって取調べを拒否し、あるいは退去を決意しなければそれができないという意味では行動の自由が制限されているということができる。とくに、警察署の取調室という密室で捜査官と対峙させられるときは、その環境と権威の上に、被疑者が心理的に萎縮するのは想像に難くない(取調休憩中であっても、この理は変わらない。)。そうすると、このような事実上捜査官の支配下にある被疑者に対して、その心身に影響を及ぼす危険を内在する取調べを行う捜査官は、その反面として、条理上、被疑者の生命、身体の安全を保護し、健康を保持すべき義務があるというべきである。そして、右の義務の内容には、被疑者の自傷行為が発生した場合には、直ちに、適切な救護措置を取るべき義務が含まれるというべきである。

なお、原告らは、太郎に対する介護義務を基礎づける根拠として、警職法三条一項二号の主張をするが、右の主張は太郎がけいれん発作に陥ったことを前提とした主張であるから、その前提に誤りがあり、採用できない。

(二) 本件における捜査官の救護義務違反の有無

(1) 前記認定事実によれば、太郎は割り箸を喉に突っ込み、口蓋を損傷し出血したが、なおも太郎が舌を噛むようなそぶりを見せたので、捜査官らは、太郎が舌を噛んで自殺を図ったのではないかと認識し、これを防止すべく、太郎の抵抗を押しのけて口をこじ開けようとし、しかも太郎が口を開けまいと抵抗するところ、スプーンや布切れを巻いた杓文字を口中に押し込めようとしていたことが認められる。

ところで、被疑者が割り箸を口中に突っ込み、あるいは舌を噛むようなそぶりを見せるなどして自傷行為に及んだ場合は、その者は、割り箸あるいは歯牙により口腔内組織を損傷する可能性がある。そして、健常者が口腔内組織を損傷し出血しても、平穏な状態であれば、その出血した血液を誤嚥するということは通常考えられないが、右のように、自傷行為者が激しく抵抗し、これに対し自傷行為を阻止する者がその口を無理にこじ開けようと格闘する場合には、右自傷行為者がその血液を誤嚥する危険性は十分にあり、まして、右のように自傷行為者の口中に杓文字などの異物を入れるというのであれば、これを入れる際に、あるいは口中に異物を入れた後に、血液を誤嚥して窒息死する可能性は相当程度認められる。そして、警察官としては、一般人と異なり、警職法二条に基づく保護義務があることから、学習や訓練等により、右のような具体的状況にあるときには、自傷行為者が血液を誤嚥して窒息死することがあり得ることを当然予見できたというべきである。仮にそうでないとしても、警察官としては、右のような具体的状況にあるときには、自傷行為者の生命、身体に不測の事態が発生するおそれがあること自体は予見できたというべきである(他方、警察官としては自傷行為それ自体を防止しなければならない義務も負っており、負傷者の身体の安全を図るために対処するのに困難を強いられた状況にもあったと認められる。)。

そうであれば、被疑者が割り箸を口内に突っ込み、あるいは舌を噛む自傷行為に及んだことを認識した捜査官としては、捜査官自ら自傷行為者が血液を誤嚥することを防止し、あるいは、直ちに、救護の専門家である医師や救急隊の派遣を要請し、その者らに、自傷行為者に不測の事態が発生しないように終始監視させ、不測の事態が発生した場合に、直ちに救護にあたらせることができるような態勢を整えておかなければならない注意義務があったとみるのが相当である。

(2) これを本件についてみるに、太郎は四月一八日午後一時三五分ころ割り箸を口内に突っ込み、かつ舌を噛む自傷行為に及んでおり、臨場した捜査官らもこれを認識し、しかも自傷行為者の口中に杓文字などの異物を入れるなどして自傷行為を制圧すべく格闘していたのであるから、太郎の口内出血の可能性及びその血液を誤嚥する危険性を予見するか、少なくとも太郎の生命、身体への不測の事態の発生を予見すべきであったと認められる。そして、前記認定事実によれば、救急隊が駆けつけてきた同日午後一時四六分当時、明らかに太郎は血液を誤嚥してはいなかったものと認められる。また、証人坂田豊彦によれば、一般に窒息症状から呼吸停止まで五ないし八分(証人的場梁次によれば、七ないし一〇分)を要すること及び坂田医師は午後二時〇八分ころ太郎の呼吸停止を確認したことが認められるから、計算上太郎の窒息状態は午後二時〇〇分から午後二時〇三分の間(または午後一時五八分から午後二時一分の間)に生じたことになる。一方、前記認定(一6(一〇))のとおり、白武は午後二時ころ救急隊を引きとらせたが、その前に太郎の顔色が普通で呼吸も確かであったことを確認している。したがって、太郎は救急隊が引きとった午後二時以降に血液を誤嚥したものと認めるのが相当である。そして、救急隊が引きとる前に白武が太郎の呼吸等を確認した時点では、太郎は落ち着きを取り戻したようにみえた(一6(一〇))というのである。

そうすると、救急隊が小城署に到着した午後一時四六分の時点から直ちに太郎の様子を監視していれば、当初太郎が暴れている時点では救急隊は捜査官がなしている以上の行為をなし得なかったとしても、その後太郎の興奮状態が治まる徴候が認められた時点で、救急隊が、その専門的知識、経験により太郎の血液等の誤嚥による窒息死の可能性を予見し、直ちに太郎に適切な姿勢を取らせるなどして太郎の血液の誤嚥を防止することができたと判断するのが相当である。

結局、捜査官としては、太郎の血液の誤嚥の前に医師や救急隊の派遣を要請しており、この点は相当であったのであるが、その後、救急隊に太郎を監視させることが何ら困難であったとは認められないのに、独自の判断で、到着した救急隊に太郎を監視させず、同日午後二時ころ帰隊させた点に救護義務を怠った過失があったというべきである。

(3) なるほど、捜査官としては、被疑者の自傷行為を防止すべき義務も負い、被疑者を落ち着かせ、あるいは更なる自傷を防止し不測の事態が生じないように、被疑者の行為を制止する必要もあり、捜査官がこれが先決であると判断しても無理からぬものがあるけれども、口中に異物を押し込むような危険な状態が生じている以上、窒息などの不測の事態に備えて、捜査官において被疑者の制止行動をしながらでも、端で救急隊員に被疑者の表情、態度を監視させる程度のことはさせてしかるべきであったというべきである。

(三) なお、被告は、捜査官は太郎の口蓋負傷を認識していなかったのであるから、その出血血液の誤嚥も予見できず、したがって、誤嚥を予測したことを前提とする救護義務は負わない旨主張するが、口蓋負傷を認識していなかったとしても、少なくとも太郎が割り箸を口中に突っ込んだ事実、舌を噛もうと歯をくいしばった事実は認識しており、口中から引き抜いた割り箸に血液が付着していたことも認識可能であったと認められるから、口内の出血の可能性も当然予見できたというべきであり、しかも、口内の様子を確認することができなかったのであるから、捜査官自らあるいは救急隊等の助力を得て血液の誤嚥の危険も予見して、前述のように適切に対応すべき義務があったというべきである。したがって、被告の右主張は採用できない。

(四) 以上によれば、捜査官には、救護義務を怠った過失があり、結局、これによって太郎が死亡するに至ったと認めるのが相当である。

3  争点3(名誉毀損の成否)について

(一) 名誉毀損に関する原告らの主張は要するに、伊藤県警本部長及び捜査本部の警察官ら(以下、総称して「捜査機関」という。)は、太郎の死亡により本件殺人・放火事件が迷宮入りし、これによって警察が世論から批判を受けること等を恐れ、被疑者が死亡したことにより事件は決着したかのように装うため、嫌疑のない太郎を被疑者として扱い、あたかも太郎が真犯人であるかのように印象づける事実を種々報道機関に公表し、もって、太郎の妻子である原告らの名誉を毀損したというものである。

(二) なるほど、証拠(甲一二の1の1・同1の2、一二の2の1ないし同2の2、一二の3・4、一三の1の1、一三の2・4・5、一五、一六、一八、弁論の全趣旨)によれば、捜査機関の記者に対する四月一八日以降の発表内容には、①本件殺人・放火事件について、太郎が一部自供を始めていたこと、②その矢先に太郎が舌を噛んで自殺を図ったこと、③太郎は一部自供後の家宅捜索中にも自殺を図り未遂に終わったことがあったこと、④捜査機関は、太郎が貞重方に出入し借金をかかえており、またアリバイがはっきりせず矛盾があったことから、四月一六日から取調べをしていたこと、⑤太郎所有の車両に対するルミノール検査の結果、車内一六か所から陽性反応が出ていたことなどの内容が含まれていること、また、報道記者に対し、⑥山崎刑事部長は「太郎の供述の裏付けなどの捜査を継続し、状況によっては被疑者死亡で送検することもあり得る」と発言し、⑦伊藤県警本部長も「捜査本部には重要参考人が犯人であるという心証がある」と発言したことが認められる{なお、原告らは、⑤に関し、ルミノール検査に関する捜査機関の公表は、単に陽性反応が出たとの公表に留まらず、あたかも人の血液であることを示す反応が出たかのように「血液反応が出た」と公表した旨主張する。確かに、佐賀新聞(甲一二の1の1)、読売新聞(甲一二の2の2)、西日本新聞(甲一八)などの報道記事にはそのような記載がみられるが、他方、毎日新聞(甲一二の3)、朝日新聞(甲一二の4)では、「ルミノール反応を検出」「ルミノール検査で陽性反応が出た」との記載があるにとどまり、これら不統一な記事内容からすれば、捜査機関としては事実の公表としては「ルミノール検査の結果、陽性反応が検出された」と公表したにとどまるとみるのが相当であり、これに反する記事は捜査機関の右公表事実を独自に解釈して記事にしたものとみるのが相当である。また、⑥に関連して、捜査機関は太郎を被疑者死亡で送検する方針であることを報道機関に公表したと主張する。なるほど「重要参考人を被疑者死亡で送検する方針を固めた」などの記事の記載が数社の記事にみられるものの(甲一二の4、一三の1の1)、西日本新聞社の記事(甲一三の5)には、具体的に「山崎捜査本部長は、捜査体制について、『今週いっぱいで現在の百人体制を六〇人前後に縮小するが、結末をつけるために捜査は続ける。状況次第で被疑者死亡のままで書類送検もあり得る』と語った。」と記載されており、これが捜査機関が行った報道と認められ、他の記事は右の山崎の発言を解釈して記事にしたものとみるのが相当である。}。

右の①ないし⑤の各事実や⑥、⑦の各発言が報道機関を通じて公表されれば、太郎は、本件殺人・放火事件を犯した疑いがある有力な被疑者であること、さらに言えば、太郎は右事件の真犯人であり、また、真犯人であるからこそ自白をし、自殺を図ったに違いないとの印象を受けることがあることもあり得るところであり、右公表行為が太郎ないしその遺族である原告らの名誉を毀損する行為であることは否定できないところである。

(三) ところで、一般に、名誉毀損に該る行為があっても、それが公共の利害に関わるもので、もっぱら公益を図る目的のもとになされた場合にあっては、適示された事実の真実性が証明されたときは、右行為には違法性がなく、また、その事実の真実性が証明されなくとも、その行為者において当該事実が真実であると信じるについて相当な理由があるときには、右行為には故意または過失がなく、結局不法行為は成立しないものと解するのが相当である。

前記各公表事実及び発言内容は、警察署取調室内で重要参考人が死亡したという事故のてん末の一部であり、また、右事故後の捜査の行方に関するものの一部であるところ、右は、世間の重大な関心事であり、極めて公共的性格を有する事柄であって、捜査機関としても、国民の知る権利に応えるべく、これを詳らかにすべき責務があったものとみるのが相当である。

そして、本件は重要参考人に対する継続捜査中の死亡事故であるが故に、世論の関心は捜査に無理がなかったかどうかという点、つまり、重要参考人に継続捜査するだけの合理的な嫌疑はあったのか、取調べ方法に相当性を欠いた点はなかったかという点に集中するので、捜査機関としては、当時、把握していた太郎に対する嫌疑の内容、取調べの経過に言及せざるを得ない状況にあり、前記認定した本件殺人・放火事件の一連の捜査経過をある程度詳細に公表する必要性は極めて高かったものといえる。

したがって、前記各事実及び各発言を公表した行為は、公共の利害にかかわるもので、もっぱら公益を図る目的でしたものと推認するのが相当である。

(四) そこで、本件において、前記公表した事実の真実性、ないしはそれが真実であると信じるについて相当な理由があったか否かについて判断する。

(1) まず、捜査機関は、太郎の家宅捜索中の異常行動及び取調室での異常行動について、これを自殺と公表している(前記②及び③)ので、その公表事実の真実性についてみるに、前述のように、太郎の右各異常行動は自傷行為であり、太郎が自殺を図ったものと認めるのが相当であるから、右公表事実は真実であると認められる。

なお、捜査機関は四月一八日の公表(第一報)において、太郎の正確な死因を公表せず、「舌を噛んで自殺した」と公表し(前記②)、太郎が舌を噛み切って死亡したとの印象を受けるような不適当な表現があったことが認められるけれども、右表現は、太郎が舌を噛んで自殺を図ろうとし、最終的に死亡したという点を表現したものという点では捜査官の認識した事実に沿うものであるし、また、右の表現が不適切である点は死亡の因果経路に関わるものにすぎず、太郎の死亡が確認されてから記者会見まで二時間も経過しておらず、太郎の死因を正確に知り得る時間的余裕があったとは認められないこと(原告らは、捜査機関は右公表の時点で正確な死因を知っていたと主張するが、公表の時点で正確な死因と判断できるだけの材料があったとは認められない。)に鑑みると、少なくとも捜査機関の第一報としてはやむを得ないというべきであり、また、証拠(甲一三の1の1、一三の2・5、一四の3)によれば、翌日(四月一九日)の記者会見で正確な死因が改めて発表されていることが認められ、これら諸点に照らせば、右の不適切な表現のみをもって捜査機関の公表が不相当であったということはできない。

(2) 次に、捜査機関は、「太郎が一部自供を始めていた」と公表しているが(前記①)、犯罪事実の一部について太郎からこれを認める旨の供述が得られていたのは事実であり、しかも、前記認定の右供述が得られるまでに捜査の結果判明した事実、右供述を得るまでの経過及びその内容に照らせば、それが明らかに虚偽であると判断できるようなものではなく、一応、裏付捜査をしてみる価値を備えているものと認められるから、これを自供と評価するのも相当というべきであり、結局、捜査機関において、「太郎が一部自供を始めていた」と公表した事実は真実であり、その表現においても適切さを欠くところもなかったというべきである。

なお、原告らは、右供述の詳細について、公表当時は、裏付捜査がなされていなかったこと、右供述後の家宅捜索で、太郎の供述どおりには凶器等は発見されていないこと、供述には不合理な点があることなど自白の信用性がないことをもって自供とは評価できない旨縷々主張するけれども、裏付捜査が未了という点から直ちに右供述を自供と評価するのは不相当であるとみるのは相当でないし、また、供述に若干の不合理な点があったとしても、その供述が初期に得られた概括的な内容である以上致し方なく、一応、裏付捜査をするに足りる程度の内容であれば、これを自供と評価しても何ら差し支えないというべきである。

(3) さらに、捜査機関は、太郎は貞重方に出入し借金をかかえており、アリバイに矛盾があったことから、四月一六日から取調べを開始していたこと、太郎の使用車両のルミノール検査の結果、一六ヵ所に陽性反応があったことなどを公表しているが(前記④、⑤)、前記認定事実のとおり、それは真実であると認められる。

(4) そしてまた、伊藤県警本部長や山崎刑事部長の発言(前記⑥、⑦)についても、その当時の捜査機関の見方を公表したもので、公表内容に誤りがあったとは認められない。

以上のとおり、前記各事実はいずれも真実であったということができる。

(五) 加えて、前記認定した公表事実は、太郎の嫌疑を基礎づける性質の事実ではあるが、他方、証拠(甲一二の1の1、一二の2の1、一三の4、一八)によれば、太郎の供述どおりには凶器が発見されなかったことなどの嫌疑を減殺する事実も前記公表事実と合わせて公表されていることが認められ、さらに、右に掲記の証拠に現れた新聞報道の記事によれば、太郎の供述は裏付捜査が未了であることも公表されていることが認められ、右新聞報道の記事を全体として読むと、太郎の犯行を一部認める旨の供述が直ちに信用に値するものか即断できないことを読みとることができるから、捜査機関の公表行為に片寄りがあったものともいえず、捜査機関の公表行為全体をみても相当性を欠いた点は存在しないというべきである{なお、証拠(甲一三の3・5、一四の1ないし3)によれば、捜査機関は四月一八日の記者会見の段階で、救急隊派遣を一度要請したにもかかわらず、同人らに何も応急処置をさせず待機させた後帰していたことを公表せず、報道機関の独自の調査によって、これが明るみになり、後に弁明するということがあったことが認められ、この点の公表の仕方に相当性を欠いた点は認められるけれども、右の事項は、太郎の嫌疑に関わる事項ではないから、この点をもって、名誉毀損の成否に影響するとみるのは相当でない。}。

(六) ところで、原告らは、嫌疑がない太郎をあえて被疑者として取り扱った上、被疑者と印象づける事実を多々公表した点に違法があると主張するが、前記認定のように、太郎には四月一六日の取調べを受ける段階で既に一応の嫌疑があった上に、その翌日には太郎は犯行の一部を認める供述をし、犯行動機及び犯行態様をひとしきり供述しており、これらに基づいて自宅や所有車両の捜索差押令状の発付も得ていたのであり、さらに、ルミノール検査の結果においても陽性反応が出ていたという事実が存在しているなどの諸点に鑑みると、捜査機関において太郎に対する捜査を継続すべき嫌疑があったのは否定できないところであり、したがって、前記各事実の公表当時、捜査機関が嫌疑のない太郎を敢えて被疑者として扱ったということはできない。

確かに、本件においては、太郎の自白どおりには凶器も発見されておらず、犯行時に返り血を浴びたと思われる衣服も発見されておらず、太郎の自白の信用性に疑問を差し挟む余地は大きく、今となっては、太郎が真犯人であると認めるに足りる証拠はないといわざるを得ないけれども、そのことから直ちに、捜査中であった本件公表当時において、太郎を被疑者として扱うことが違法視されるものではない。

そうすると、捜査機関が太郎死亡の経緯やその後の捜査の行方などを公表するに際して、たとえ太郎を被疑者であると印象づけるような事実に言及したとしても、相当性を欠いたということはできない。

(七) また、原告らは、右各事実の公表は、捜査機関が世論から批判を受けるのをかわすなどの不当な意図や目的をもってなされたものである旨主張するので、この点について論及するに、確かに、当時、佐賀県管内では重大事犯で未解決事件がいくつかあることは甲第八号証にもあるとおり当裁判所に顕著な事実であるところ、本件殺人・放火事件もが未解決事件となるようなことがあれば警察の信用が大きく失墜し、しかも、取調室内で重要参考人を死亡させたとあっては捜査の方法等について世論の批判を浴びることは必至であるから、捜査機関としても世論の批判をかわしたいという衝動にかられることもあり得ないではない。しかしながら、前述のように、太郎死亡に至る経過を公表するのは捜査機関の責務でもあるから、公表に際して、殊更に虚偽の事実を公表したり、太郎が真犯人であるかのように事実を誇張し、あるいは脚色するなどしたのでない限り、不当な意図を認めることはできない。そして、前記各事実や発言内容が真実であり、事実の誇張や脚色がないことは前示のとおりであるから、捜査機関において、もっぱら不当な意図があったとは推認できない。原告らは公表後の裏付捜査において捜査機関が虚偽の捜査報告書を作成したとか本件訴訟において偽証をしたことなどを指摘し、これをもって公表行為の不当な目的を主張しているようにも解されるが、公表後、仮に原告ら主張の事実が認められるとしても、公表当時の不当な目的を直ちに推認することはできないと解されるから、原告らの主張は採用できない。

(八) さらに、原告らは、太郎を真犯人であると印象づけるため捜査機関が取った行動の一つとして、太郎が警察官によって連行される姿を新聞記者によって写真撮影されるがままに任せておいたということが名誉毀損に当たると主張する。しかし、前記認定(第三の一6(三))のとおり、太郎はあたかも逮捕された被疑者のような様相で写真撮影されたとは認められるものの、右は捜査官が新聞記者による写真撮影を防止するために被疑者の容姿を隠していたところを偶然に撮影されたものと認められ、ことさらに捜査官が意図して太郎を真犯人であることを印象づけるため、新聞記者による写真撮影を容認したと認めることはできない。そして、右の撮影写真をことさらに報道機関に発表するように働きかけたような事情も認められない。

したがって、右の点をもって名誉毀損が成立するとの原告らの主張は採用できない。

(九) 原告らは、捜査機関の前記各事実の公表は無罪の推定を受ける者の権利を侵害するものであると主張するが、右の主張は結局のところ、名誉毀損をいうものと解され、以上に説示したところがそのまま当てはまると解されるので、その主張も採用できない。

(一〇)  結局、本件の公表行為は名誉毀損としての違法性を欠き、不法行為を構成しないものとみるのが相当であり、被告に損害賠償の義務はないものというべきである。

4  損害

(一) 太郎の損害

(1) 太郎死亡による逸失利益

五六五六万〇六三一円

なお、逸失利益の算定要因は次のとおりである。

① 平均年収 五七三万三〇〇〇円

(賃金センサス平成元年度学歴計四二歳の男子労働者全国平均賃金額)

太郎は、前記認定のとおりマル福建装という屋号で内装工事業を営んでいたが、当時、原告らが主張するような大学卒四二歳の男子労働者の全国平均賃金額を下回らない収入を得ていたことを認めるに足りる証拠はない。しかし、家族もいるのであるから、就労可能期間を通じ右の程度の収入はあるものと認めるのが相当である。

② 死亡時年齢 四二歳

③ 就労可能年数 二五年

④ 生活費控除率 三〇パーセント

⑤ 中間利息控除に関し右に対応するライプニッツ係数14.094

(2) 太郎の死亡慰藉料二〇〇〇万円

(ただし、後記減額事情は後に考慮する。)

(3) 葬祭料 一〇〇万円

(4) 減額事情

前述したところによれば、太郎を救護する際に、捜査官に救護義務を怠った過失が認められるが、その内容は、執拗に抵抗していた太郎を救命するため、必死に行動していた緊迫した状況下における救護措置に不十分な点があったというものであるから、捜査官に強い避難を加えるのは酷であること、また、もともと太郎がこのような自傷行為に及ばなければ、本件死亡事故は発生しなかったこと、その他本件に現われた諸事情に照らすと、太郎の損害については、一割の割合で被告に負担させるのが相当である。

(5) 相続

太郎の妻である原告甲野春子が相続する金額は三八七万八〇三一円。

太郎の子であるその他の原告らが相続する金額は各九六万九五〇七円。

(二) 原告ら固有の慰藉料

諸般の事情を考慮すると、原告らの固有の慰藉料として、各一〇万円を被告に負担させるのが相当である。

(三) 以上を合計すると、次のとおりである。

(1) 原告甲野春子につき 三九七万八〇三一円

(2) その余の原告らにつき 各一〇六万九五〇七円

(4) 弁護士費用

本件事案の内容、審理の経過、認容額その他の諸事情を考慮すると、原告らが被告に対して請求することができる弁護士費用は、原告甲野春子につき三〇万円、その余の原告らにつき各一〇万円が相当である。

(五) 以上によれば、原告らの認容額は、次のとおりである。

(1) 原告甲野春子

四二七万八〇三一円

(2) その他の原告ら

各一一六万九五〇七円

四  結論

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、主文記載の限度でこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、主文のとおり判決する(訴訟費用については相当でないので仮執行宣言を付さない。)。

(裁判長裁判官木下順太郎 裁判官一木泰造 裁判官遠藤俊郎)

別紙<省略>

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