佐賀地方裁判所 平成16年(ワ)342号 判決 2007年1月12日
主文
1 原告の主位的請求を棄却する。
2 被告は,原告に対し,874万3886円及びこれに対する昭和63年3月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告のその余の予備的請求を棄却する。
4 訴訟費用は,これを4分し,その3を原告の負担とし,その余は被告の負担とする。
5 この判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求の趣旨
1 主位的請求
被告は,原告に対し,3343万2447円及びこれに対する昭和61年11月26日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 予備的請求
被告は,原告に対し,3198万3447円及びこれに対する昭和63年3月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
1 事案の要旨
原告(昭和42年2月15日生)は,被告が設置・経営するA病院(以下「被告病院」という。)において,昭和61年11月26日に左大腿骨接合術と骨移植術(以下併せて「第1手術」という。)を,昭和63年3月23日に左大腿骨接合プレート抜釘術(以下「第2手術」という。)をそれぞれ受けた。
本件は,原告が上記いずれかの手術の際に担当医により左大腿部にガーゼを遺留され,これにより後遺障害が残存するなどの損害を被ったと主張して,被告に対し,民法715条に基づき,主位的請求として,第1手術の不法行為を原因として,損害金3343万2447円及びこれに対する第1手術の日である昭和61年11月26日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求め,予備的請求として,第2手術の不法行為を原因として,損害金3198万3447円及びこれに対する第2手術の日である昭和63年3月23日から支払済みまで同様に年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 争いのない事実等
(1) 当事者
ア 被告は,日本赤十字社法に基づき,常時,健康の増進,疾病の予防,苦痛の軽減その他社会奉仕のために必要な事業を行うこと等を業務として設立された法人であり,被告病院を設置・経営している。
イ 原告は,被告との間で診療契約を締結して,被告病院で治療を受けた患者である。
(2) 第1手術の施行
原告は,昭和61年11月26日,被告病院において,同病院勤務のB医師の執刀により,左大腿骨接合術と骨移植術(第1手術)を受けた。
(3) 第2手術の施行
原告は,昭和63年3月23日,被告病院において,同病院勤務のC医師の執刀により,左大腿骨接合プレート抜釘術(第2手術)を受けた。
(4) ガーゼの遺留
第1手術又は第2手術のいずれかの機会に,ガーゼ1枚が原告の大腿部に遺留された(以下,遺留されたガーゼを「本件ガーゼ」という。)。
(5) 被告の責任
ア B医師又はC医師は,第1手術又は第2手術の際,ガーゼが患部に残存してないかどうかを確認するべき注意義務を怠り,本件ガーゼを遺留したまま患部を縫合した過失があるから,民法709条に基づき,第1手術又は第2手術により,原告の被った損害を賠償する責任がある。
イ 被告は,第1手術及び第2手術当時,それぞれB医師及びC医師を雇用しており,同医師らは,被告の事業の執行として,第1手術及び第2手術を実施したのであるから,被告は,民法715条に基づき,第1手術又は第2手術により,原告の被った損害を賠償する責任がある。
(4) 本件ガーゼの摘出
本件ガーゼは,平成16年5月18日,D病院において,左大腿部軟部腫瘍摘出術(以下「本件摘出手術」という。)により原告の大腿部から摘出された。
3 争点及びこれに関する当事者の主張
(1) 本件ガーゼ遺留の時期
〔原告〕
原告の左大腿部が切開されたのは,第1手術及び第2手術だけであるから,本件ガーゼは,第1手術又は第2手術の際に体内に遺留されたことは明らかであり,両者はいわゆる択一的関係にある。
主位的請求としては,第1手術により,予備的請求としては,第2手術により,本件ガーゼが遺留されたものと主張する。
〔被告〕
本件ガーゼが原告の体内に遺留されたのが,第1手術又は第2手術のいずれかの機会であることは認めるが,その余は否認する。
(2) 原告の傷害・後遺障害と損害額
〔原告〕
ア 原告の傷害・後遺障害
(ア) 傷害の内容
原告は,本件ガーゼの遺留により,左大腿部軟部腫瘍(腫瘤)の傷害を受けた。なお,これは,一般的には,「ガーゼオーマ」と呼ばれる異物性肉芽腫である。
(イ) 治療経過
原告は,平成16年3月4日から同月9日までE病院及びF整形外科において通院治療を受け,同月19日から同年4月1日までD病院において通院治療を受け,同月2日から同月16日まで同病院に検査入院し,同月17日から同年5月13日まで同病院において通院治療を受け,同月14日から同年6月4日まで同病院において入院治療を受け(この間,同年5月18日に本件摘出手術を受けた。),同月5日から同年7月16日まで同病院において通院治療を受けた。
(ウ) 後遺障害の程度,内容
a 醜状痕
原告には,本件摘出手術により,左大腿部に15.7cm,16針の手術痕を残しているから,自賠法施行令別表二の後遺障害等級14級5号(下肢の露出面に手のひらの大きさの醜いあとを残すもの)の後遺障害に該当する。
b 神経症状
本件摘出手術において腫瘍及び周囲の骨性成分は可及的に切除されたが,深部では腫瘍と接して神経,血管が走行していたため切除されておらず,本件摘出手術後も腫瘍が残存している。
このため,原告には,左大腿部内側及び後面の圧痛及びしびれという神経症状が残存しており,本件摘出手術後の症状固定日である平成16年7月16日において,大腿中央の骨欠損部に一致して骨化していることがX線所見により確認されているから,他覚的検査によって上記神経症状が証明されているといえる。
したがって,原告の上記後遺障害は,自賠法施行令別表二の後遺障害等級12級13号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に該当する。
イ 原告の損害額
(ア) 治療費
40万3985円
原告は,平成16年3月4日から同年7月16日までの間の本件ガーゼ遺留に関する治療の費用として,F整形外科,E病院,D病院に対し,総額40万3985円を支払った。
(イ) 入院雑費
5万5500円
原告は,本件摘出手術のために,平成16年4月2日から同月16日までの15日間及び同年5月14日から翌6月4日までの22日間の合計37日間の入院を要し,入院雑費は1日当たり1500円として算定すべきである。
(ウ) 慰謝料
a 入通院慰謝料
150万円
原告は,本件ガーゼ遺留に関する治療のために平成16年3月4日から同年7月16日までの間,入院又は通院による加療を要した。
b 本件ガーゼ遺留自体による慰謝料
(a) 主位的請求
1914万9000円
原告は,第1手術を受けた昭和61年11月26日から本件摘出手術を受けた平成16年5月18日までの6383日間,本件ガーゼ遺留に基づく左大腿部の圧痛及び腫脹により肉体的精神的苦痛を被り,原因が判明しなかったため不安を感じた。
また,原告は,本件ガーゼ遺留により左大腿部に圧迫,骨化,血腫及び肉芽腫形成等の違法な身体侵害を継続的に受けていた。
そして,本件ガーゼ遺留による原告の肉体的精神的苦痛,不安に対する慰謝料は1日当たり3000円(年額109万5000円)を下らないから,本件ガーゼ遺留自体による慰謝料額は,日額3000円の6383日分である。
(b) 予備的請求
1770万円
上記と同様に,日額3000円として,第2手術を受けた昭和63年3月23日から本件摘出手術を受けた平成16年5月18日までの5900日間分の慰謝料
c 本訴の立証に関する通院慰謝料
90万円
原告は,本訴の損害立証のための検査のために休業して通院し,筋電図のために針を刺されたり,レントゲンの放射能を浴びたりして,精神的苦痛を被った。この損害立証のための通院慰謝料は90万円を下らない。
d 後遺障害慰謝料
300万円
後遺障害12級相当
e 慰謝料増額事由
被告は,全国に92もの病院を有し,医療に関する情報を必要かつ十分に有していながら,本件ガーゼの遺留とガーゼオーマとの因果関係を否定するなど,不誠実な訴訟追行に終始していること,腫瘤の再発可能性があることなどについては,慰謝料増額事由として斟酌されるべきである。
(エ) 休業損害
35万2000円
原告は,本件摘出手術当時,G有限会社に勤務して,日給8000円の収入を得ていたところ,本件ガーゼ遺留に関する治療のために,平成16年4月から同年6月までの間に44日間の休業を余儀なくされた。
(オ) 逸失利益
553万2007円
上記のとおり,原告には,12級の後遺障害が残存しているところ,原告は,症状固定時(平成16年7月16日)に満37歳(昭和42年2月15日生)の男性であり,満67歳まで30年間就労が可能であり,平成16年1月から同年3月までの休業前3か月間には64万2635円(年収換算257万0540円)の収入を得ていたのであるから,原告の逸失利益の現価をライプニッツ方式により算定すると,次のとおりとなる。
(計算式)2,570,540×15.372×0.14≒5,532,007(円未満切捨て)
(カ) 本請求の立証のための費用
3万9955円
原告は,本請求の損害立証のために,次のとおり検査費用等合計3万9955円を負担した。
a 平成17年6月24日
D病院
1770円
b 同年8月2日
D病院
3675円
c 同月31日
D病院
1万0140円
d 同年9月14日
D病院
9480円
e 同年10月7日
D病院
220円
f 同月12日
H病院
6430円
g 同月25日
H病院
7000円
h 同月26日
D病院
1240円
(キ) 弁護士費用
250万円
原告は,原告訴訟代理人に対し,本件訴訟追行を委任し,報酬として250万円を支払うことを約した。
(ク) 請求額
a 主位的請求
上記(ア),(イ),(ウ)a,(ウ)b(a),(ウ)c,(ウ)d,(エ),(オ),(カ),(キ)の合計3343万2447円
b 予備的請求
上記(ア),(イ),(ウ)a,(ウ)b(b),(ウ)c,(ウ)d,(エ),(オ),(カ),(キ)の合計3198万3447円
〔被告〕
ア 原告の傷害・後遺障害について
(ア) 原告の傷害について
原告は,「腫瘍」と主張しているが,ガーゼ遺留により腫瘍が生じることはないし,いわゆる「ガーゼオーマ」も腫瘍ではない。
原告は,D病院を紹介したF整形外科受診以前に左大腿内の腫脹について医療機関を受診したこともなく,趣味で大腿部に負担がかかる大型バイクを運転し,さらに電気工事関係の労働に従事して,その後,非常勤勤務から常勤勤務になるなど就労は順調であった。
そして,本件摘出手術は,平成16年4月2日から同月16日までの間の検査目的の入院の後,原告の都合,希望により同年5月のゴールデンウィーク明けの同月14日に施術されたことに照らして,待機的なものであって緊急性がなかった。
以上によれば,原告には,本件ガーゼ遺留によって肉体的精神的苦痛不安を生じさせるような症状が全く存在しなかったのは明らかである。
(イ) 原告の後遺障害について
a 醜状痕について
後遺障害等級14級5号における下肢の露出面とは,通常の成人男性であれば,原則として膝関節以下の部分を指し,左大腿部は下肢の露出面に当たらない。
また,本件手術瘢痕は,同じ左大腿部に残る多くの瘢痕(原告がバイク事故により,第1手術及び第2手術を余儀なくされて残ったもので,本件ガーゼの遺留とは無関係なもの)と同様のものであり,外見自体も一見して手術痕とわかるものであるから,「醜いあとを残すもの」には該当しない。
したがって,原告には,醜状痕の後遺障害はない。
b 神経症状について
原告の左大腿部につき,筋力の低下,萎縮などの症状はなく,神経に関する後遺障害を示唆する所見はない。
原告の神経症状の後遺障害として主張されているものは,左大腿部違和感及び左大腿部前面のしびれという軽度な主訴のみであり,第1手術,第2手術等複数回施行された手術によって生じた,一部はケロイド様になっている多くの瘢痕に基づく症状であると見ることができる。
イ 原告の損害額について
(ア) 原告主張の損害額はすべて争う。
(イ) 本件ガーゼ遺留自体による慰謝料について
上記のとおり,原告の過去の療養態度からして,本件ガーゼ遺留によって原告に肉体的精神的苦痛不安を生じさせたとはいえないから,本件ガーゼ遺留自体による慰謝料は認められない。
(ウ) 逸失利益について
仮に,原告に何らかの後遺障害が認められるとしても,原告の過去の療養態度や手術痕の位置・程度からすると,原告の労働能力に影響を及ぼすものでないことは明らかであるから,逸失利益は認められない。
第3当裁判所の判断
1 本件ガーゼ遺留の時期(争点(1))について
(1) 原告は,主位的請求において,第1手術の際,本件ガーゼが遺留された旨主張しているが,これを認めるに足りる的確な証拠はない(なお,甲2中には,「ガーゼは腫瘤の内後方に存在し,恐らく大腿骨骨折の手術時の出血に対し止血するために挿入されたものと思われる。」との記載があり,甲23中には,「原告は,D病院のI医師から,第1手術の止血用ガーゼが遺留されたままになっていたと思われるとの説明を受けた」旨の記載があるが,第2手術も第1手術と同一部位についてのものであって,同じくガーゼが使用されていたこと(乙5)に照らすと,上記の証拠のみによって,第1手術の際,本件ガーゼが遺留されたとまで認めることは困難である。)。
そして,前記のとおり,被告病院における昭和61年11月26日の左大腿骨接合術と骨移植術(第1手術)及び同63年3月23日の左大腿骨接合プレート抜釘術(第2手術)のいずれかの機会において,原告の左大腿部にガーゼが遺留されたことについては,当事者間に争いがないから,本件ガーゼは第2手術の機会に遺留されたものと認めるのが相当である。
(2) そうすると,原告の主位的請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がない。
また,原告の予備的請求について,前記争いのない事実等記載のとおり,被告は,民法715条に基づき,原告に対し,本件ガーゼ遺留による損害を賠償すべき責任を負う。
2 原告の傷害・後遺障害と損害額(争点(2))について
(1) 診療経過等
前記争いのない事実等及び証拠(甲1,2,3の1ないし14,11,17ないし19,21の1ないし8,23ないし26,乙1ないし6,原告本人)並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告(昭和42年2月15日生)は,J大学在学中の昭和61年10月11日,バイク事故で,左大腿骨骨折,脳挫傷等の傷害を負い,被告病院に搬送され,治療を受けた。
イ 原告は,被告病院において,昭和61年11月26日に左大腿骨接合術と骨移植術(第1手術)を,昭和63年3月23日に左大腿骨接合プレート抜釘術(第2手術)をそれぞれ受けた。
本件ガーゼ1枚が,第2手術の機会に,原告の大腿部に遺留された。
原告の左大腿骨骨折については,平成元年2月9日,被告病院の担当医師により治癒した旨診断された。
ウ 原告は,平成元年3月,上記大学を卒業し,同年4月,東京都港区aにあるK株式会社にコンピューターソフト開発の正社員として就職した。
原告は,平成元年ころ,バイクに乗車した際,左大腿部付近が腫れていることに気付き,違和感や鈍い痛みを感じるようになった。
原告は,平成元年ころ,一度,左大腿部につき上記の勤務先の近くにあったL病院に通院して診察を受けたが,担当医師から「今すぐにどうこうするという状態ではない。」旨言われたので,その後は通院しなかった。
エ 原告は,平成5年ころ,東京から佐賀県に戻り,実家の鯉料理屋の手伝いをするようになった。
原告は,平成7年ころ,広島県で電気工事の仕事に従事するようになった。
原告は,平成11年ころからは,左大腿部の腫脹がひどくなり,鈍い痛みもあったが,それほど深刻な状態ではなかったため,特に医療機関の治療を受けることはなかった。
オ 原告は,平成14年ころ,広島から佐賀県の実家に戻った。
原告は,平成15年夏ころから,左大腿部の疼痛がひどくなり,何か悪いできものができているのではないかと思い,同年9月24日にM整形外科において左大腿部につき診察を受けたがその原因は分からなかった。
カ 原告は,左大腿部の腫脹及び疼痛が増強したことから,平成16年3月4日及び同月9日にF整形外科に,同月5日,同月9日にE病院に,同月19日及び同年4月28日にD病院にそれぞれ通院し,同年4月2日から同月16日までの間は検査のために,同年5月14日から同年6月4日までの間は,平成16年5月18日の本件摘出手術のために,同病院に入院した。
なお,原告は,本訴の損害立証のため,平成17年6月24日から同年10月26日までD病院に(実日数6日),同月12日及び同月25日の2回H病院に,検査を受けるべく通院した。
キ 本件ガーゼ遺留により,原告の左大腿部には,古い凝血塊様の肉芽を中心とし,もろい,周囲に骨化を伴う両手掌大の程度のガーゼオーマ(異物肉芽腫)が生じ,左大腿骨中央内側部が長さ約10cmにわたって圧排され,骨皮質が欠損していた。
ガーゼオーマとは,生体がガーゼ等の術後の遺残物である異物に対して炎症反応を起こして,線維化が強ければ癒着,被包化,器質化を起こして肉芽腫を形成し,滲出性変化が強ければ膿瘍を形成するものである。
ク 本件摘出手術を担当したD病院のI医師は,原告の傷病名について,「左大腿部軟部腫瘍」,腫瘍の原因として,「腫瘍(腫瘤)の原因は,長期間にわたる圧迫があったものと考えられ,巨大な血腫やガーゼ(異物)による肉芽腫であったと思われる。」,後遺障害として,醜状痕と左大腿内側,後側に圧痛を伴うしこりの残存ありと診断している。
D病院のN医師は,原告の後遺障害について,症状固定日は,平成16年7月16日,左大腿部の醜状痕のほか,自覚症状として,「左大腿部の違和感,同部の前面のしびれ」,他覚症状等として,「左大腿後面に索状物をふれる」等と診断している。
(2) 原告の損害額について
ア 治療費
40万3985円
証拠(甲3の1ないし14)によれば,原告が上記金額を本件ガーゼ遺留による左大腿部の腫瘤の治療費として支出したことが認められる。
イ 入院雑費(平成16年4月2日~同月16日,同年5月14日~同年6月4日の合計37日間)
5万5500円
証拠(甲11,乙1,2)によれば,原告が本件ガーゼ遺留による左大腿部の腫瘤の検査及び治療のために上記の37日間入院したことが認められ,その期間中,1日当たり1500円を下らない入院雑費の支出を余儀なくされたものと推認できるから,入院雑費は上記の額となる。
ウ 慰謝料
500万円
(ア) 前記認定事実によれば,原告は,平成元年ころから左大腿部の腫脹や鈍い痛みを感じていたものの,診察を受けたL病院の担当医師から,「今すぐにどうこうするという状態ではない。」旨言われたことから,その後は通院しなかったこと,平成15年夏からは,疼痛がひどくなり,これらは増強し,同年9月下旬にM整形外科の診察を受け,最終的には,平成16年5月18日に本件摘出手術を受けたこと,ガーゼオーマの発生機序に照らすと,原告の左大腿部のガーゼオーマは本件ガーゼ遺留後徐々に増大していたものであることが認められ,これらの事実によれば,原告は,程度の差はあれ,平成元年ころから平成16年の本件摘出手術に至るまでの長期にわたり,左大腿部の違和感や疼痛を感じていたのは明らかというべきである。
被告は,この点に関し,原告が長期間,病院の診察を受けていないことから,何らの苦痛を感じていなかった証左である旨主張しているが,前記のとおり,原告は,既に平成元年ころに通院していること,腫瘤は徐々に増大していたことなどからして,原告が何らの苦痛も感じていないはずがないのであって,長期間通院していないことも,その箇所が2度に渡り手術を受けた部位であり,医師から「今すぐにどうこうするという状態ではない。」と言われ,当時それほど深刻な痛みを感じていなかった患者の対応としては,特段不自然なものではないというべきであって,この点に関する被告の主張は採用できない。なお,同様の理由により,原告には,過失相殺をしなければならないほどの落ち度は認め難い。
(イ) 以上のとおり,原告の肉体的苦痛を被った期間はL病院の通院時から起算しても約15年間の長期にわたること,原告は本件ガーゼ遺留によるガーゼオーマにつき本件摘出手術を受けることを余儀なくされ,そのために上記認定の入通院を要したことのほか,本件ガーゼ遺留は医師の基本的かつ重大な注意義務違反であること,原告の左大腿部の腫瘤は,本件ガーゼの遺留によることが明らかであるにもかかわらず,被告は,「腫瘍」と「腫瘤」の違いを過大視して,本件ガーゼの遺留と原告の左大腿部の腫瘤との因果関係を否定するなど不誠実な応訴態度に終始していることなどを考え併せれば,本件ガーゼ遺留により原告が被った精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料額(入通院慰謝料を含む。)は,500万円をもって相当と認める。
(ウ) 原告は本訴の損害立証のための検査及び通院についても慰謝料が発生する旨主張するが,原告は自らの立証のために検査や通院をしたにすぎず,その費用については,後記のとおり,別途損害として認められるのであるから,それ以上に損害立証のための検査や通院に関して慰謝料請求権が発生する余地はない。
エ 休業損害
35万2000円
証拠(甲5,6)によれば,原告が上記ガーゼ遺留による左大腿部の腫瘤の治療等のために44日間休業したこと,日給8000円であったことが認められるから,休業損害は上記の額となる。
オ 逸失利益
99万2446円
(ア) 後遺障害の有無・程度について
a 醜状痕について
原告は本件摘出手術による手術痕も自賠法施行令別表二の後遺障害等級14級5号(下肢の露出面に手のひらの大きさの醜いあとを残すもの)に該当すると主張する。
なるほど,証拠(甲8)によれば,本件摘出手術後約10か月後でも手術痕が鮮明に残存していることが認められる。しかし,そもそも,上記手術痕は,その位置からして下肢の露出面における醜状に当たらないし,原告は電気工事士として稼働している(原告本人)ところ,上記手術痕の存在が電気工事士としての原告の職業内容に悪影響を及ぼすものとはいえず,労働能力を喪失させる後遺障害に当たると認めることはできない。なお,上記手術痕の存在は,後遺障害慰謝料の算定に当たって考慮すれば足りるというべきである。
b 神経症状について
前記認定事実及び証拠(甲2,11,乙2,原告本人)によれば,原告の左大腿部には,本件摘出手術後もガーゼオーマの一部が残存していること,そのため,違和感及びしびれの症状が本件摘出手術後約1年を経過した後も残存していることが認められ,これは後遺障害等級14級9号の局部に神経症状を残すものと認めるのが相当である(なお,原告が主張する他覚的所見と神経症状との関係を認めるに足りる的確な証拠はないから,上記神経症状が後遺障害等級12級13号に該当するとは認められない。)。
被告は,この点について,上記神経症状が第1手術及び第2手術による瘢痕組織によるものであると主張しているが,これを裏付ける医学的な証拠はなく,上記認定のD病院の原告の主治医の診断結果を左右するものではないから,被告の上記主張は採用できない。
(イ) 労働能力喪失率及び喪失期間について
上記の症状の程度,内容などを考慮すると,症状固定時から10年間,5%の労働能力を喪失するものと評価するのが相当である。
なお,原告は,本件摘出手術による本件ガーゼの摘出後もガーゼオーマの増大の可能性があり,後遺障害の程度の認定において考慮すべきである旨主張するが,D病院の原告の主治医による診断書にもそのような記載はなく,他にこれを認めるに足りる的確な証拠はないから,上記原告の主張は採用できない。
(ウ) 基礎収入額について
証拠(甲6,23,原告本人)によれば,原告(昭和42年2月15日生)は,平成元年3月にJ大学を卒業し,平成14年からG有限会社に勤務し,現在までの間に非常勤,正社員の勤務形態の変動はあるものの,症状固定日(平成16年7月16日)直前の平成16年1月から同年3月までの3か月間には合計64万2635円の収入を得ていたことが認められる。基礎収入については,平成15年分の年収(甲9)は,就職後,間がない時期のものであるし,賃金センサスによる平均収入額(平成16年度賃金センサスの産業計・男子労働者学歴計の全年齢平均賃金は年収542万7000円である。)からすると,原告は将来にわたり,上記平成16年1月から同年3月までの収入額を得られる蓋然性が認められるから,同額に基づき逸失利益の算出をするのが相当である。
(エ) 算定
以上を前提に逸失利益の症状固定日(平成16年7月16日)における現価をライプニッツ方式により算定すると,以下のとおり,99万2446円となる。
(計算式)642,635×4×0.05×7.7217≒992,446(円未満切捨て)
カ 後遺障害慰謝料
110万円
上記の神経症状及び手術痕の程度,状態等に照らせば,原告の後遺障害慰謝料としては,110万円をもって相当と認める。
キ 損害立証のための費用
3万9955円
証拠(甲21の1ないし8)によれば,原告が本訴の準備のための検査費用として,上記金額を支出したことが認められる。
ク 小計
794万3886円
ケ 弁護士費用
80万円
本件事案の内容,難易度,認容額等に照らすと,被告の不法行為と相当因果関係の認められる弁護士費用は,80万円が相当である。
コ 合計
874万3886円
なお,不法行為に基づく損害賠償債務は,損害の発生と同時に,何らの催告を要することなく遅滞に陥るものであり,同一の不法行為により生じた同一の身体傷害を理由とする損害賠償債務は1個と解すべきであって,一体として損害発生時に遅滞に陥るもので,個々の損害費目ごとに遅滞時期が異なるものではない(最高裁判所平成7年7月14日判決・交民28巻4号963頁参照)ところ,治療費,入院雑費,休業損害及び後遺障害逸失利益等の一部の損害費目について,原告の治療費等の支出日又は原告の後遺障害の症状固定日までの中間利息を控除するなどして,他の損害費目と異なる算定を行うのは相当ではない。
3 結論
以上によれば,原告の主位的請求は理由がなく,原告の予備的請求は,被告に対し,損害金874万3886円及びこれに対する不法行為の日(第2手術の日)である昭和63年3月23日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが,その余の予備的請求は理由がない。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 神山隆一 裁判官 田中芳樹 裁判官 稲吉大輔)