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佐賀地方裁判所 平成2年(ワ)59号 判決 1992年7月17日

原告

馬場﨑一男

原告

馬場﨑秀子

原告ら訴訟代理人弁護士

八谷時彦

被告

右代表者法務大臣

田原隆

被告指定代理人

糸山隆

外一三名

主文

一  被告は、原告ら各自に対し、金一一九六万一三〇七円及び内金一〇九六万一三〇七円に対しては平成元年五月二九日から各支払済みまで、内金一〇〇万円に対しては平成二年四月二一日から各支払済みまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その三を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ら各自に対し、金二七五七万七二二〇円及び内金二五〇七万七二二〇円に対しては平成元年五月二九日から各支払済みまで、内金二五〇万円に対しては平成二年四月二一日から各支払済みまで、それぞれ年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告馬場﨑一男(以下、「原告一男」という。)は訴外亡馬場﨑佳織(昭和五八年三月六日生女子・以下、「亡佳織」という。)及び亡馬場﨑匠(昭和六〇年八月一〇日生男子・以下、「亡匠」という。)の父、原告馬場﨑秀子(以下、「原告秀子」という。)は亡佳織及び亡匠の母である。

(二) 被告は、佐賀県神埼郡神埼町大字鶴所在の馬場川排水機場(以下、「本件機場」という。)を設置・管理するものである。

2  事故の発生

亡佳織及び亡匠は、平成元年五月二八日午後四時一〇分ころ、本件機場内の沈砂池で溺死した(以下、右事故を「本件事故」という。)。

3  本件機場及び周辺の状況

(一) 本件機場の東側には、一級河川馬場川を挟んで、南北に走る町道鶴東線及び県道三瀬神埼線沿いに鶴東地区の集落(世帯数五三戸)が、西北側には鶴西地区の集落(世帯数五〇戸)があり、本件機場はこれらの民家の密集する集落から一〇〇メートル程度の場所にある。

なお、本件事故当時、原告秀子、亡佳織及び亡匠が居住していた大澤止津男宅は、鶴東地区で右馬場川東岸に隣接している。

(二) 右馬場川の本件機場東側付近では魚釣りなどをする人も多く、子供らが恰好の遊び場として本件機場に立ち入る可能性が高かった。

(三) 本件事故当時、本件機場は、その第一期工事が終了していたものの、継続工事が予定され、未完成の状態であり、本件機場及びその周囲の当時の状況は別紙図面(1)ないし(4)のとおりであった。すなわち、

(1) 本件機場は北側管理橋付近から南側管理橋付近にかけて、その西側外周沿いに、高さ二メートルのAフェンス及びA門扉(別紙図面(1)黄色線)、並びに、これらが繋がる高さ1.2メートルのBフェンス及びB門扉(別紙図面(1)赤線)が、その東側外周沿いに、同じくBフェンスがそれぞれ設置されていた。

(2) 本件機場北側を東西に走る町道鶴線から本件機場管理道路への入口付近、Aフェンス北端付近、東側Bフェンス北端付近及び南側管理橋から機場本体付近の計四か所には、それぞれ安全ロープが設置され(別紙図面(1)緑線)、Aフェンス北端付近、南側管理橋両端付近、機場本体の東西両面の計五か所には、立入禁止の看板が設置されていた(別紙図面(1)紫丸)。

(3) 導水路、沈砂池及びその間にあるコンクリート堰には、雨水が溜まっており、導水路は水深約二、三〇センチメートル、沈砂池は水深約二メートルになっていた。

4  本件事故発生の態様

(一) 亡佳織は、友人の吉岡佐和子(以下、「佐和子」という。)とともに、前記大澤宅から町道鶴東線を北上後、町道鶴線を西進し、前記安全ロープ設置場所から管理道路を南進してB門扉に至り、B門扉を乗り越え搬出路Aを下って導水路に入った。

(二) 他方、亡匠は、右大澤宅から町道鶴東線を南下後、馬場川に架かる木橋を渡り、さらに南側管理橋を渡って北上したか、あるいは、亡佳織らと同じ経路を辿ったかして、同じくB門扉に至り、B門扉東側支柱とBフェンス支柱との隙間を通り抜け搬出路Aを下って導水路に入った。

(三) 亡佳織、亡匠及び佐和子の三名は、導水路内でアメンボ採り等をして遊んでいたところ、亡匠が、導水路南側に接するコンクリート堰の南側斜面を滑り落ちて沈砂池にはまり、これを助けようとした亡佳織も同様に右斜面を滑り落ち、右両名とも溺死した。

5  本件機場の設置管理の瑕疵

(一) 本件機場北側の町道鶴線から管理道路への入口部分に設置されていた安全ロープは、ダラリと垂れ下がった状態で放置されており、およそ進入防止の役目を果たしていなかった。

(二) 立入禁止の看板は、前記のとおり計五か所に設置されていたが、本件機場への進入口となりやすい前記管理道路の入口部分やB門扉部分には設置されておらず、加えて、設置されていた看板はいずれも、どこの工事現場でも目にする工事中につき立入りを禁止する旨の看板にすぎず、危険につき立入りを禁止する旨の危険告知を内容とするものではなかった。

(三) 前記のとおり、本件事故当時、本件機場は未完成の状態で、沈砂池への進入を防止するものはBフェンス及びB門扉のみであったところ、これらの高さはわずか1.2メートルで、幼児にも簡単に乗り越えることができた。しかも、前記のB門扉東側支柱とBフェンス支柱との間には約一六センチメートルの隙間があり、幼児には簡単に通り抜けることができた。

(四) 右のとおり、子供でも容易に沈砂池へ進入できる状態にあったにもかかわらず、金網や鉄柵を設置する等、導水路から沈砂池への転落を防止する設備は全く施されていなかった。

(五) 以上のとおり、本件機場は危険な状態にあったにもかかわらず、平成元年三月末の第一期工事終了後放置されたままで、監視員を置いて周辺の見回りをさせる等の措置は一切講じられていなかった。

6  被告の責任原因

本件事故は被告の本件機場の設置管理の瑕疵に基づくものであるから、被告は国家賠償法二条一項により後記損害を賠償すべき責任がある。

7  損害

(一) 亡佳織及び亡匠の損害

(1) 逸失利益

本件事故当時、亡佳織は満六歳の女子、亡匠は満三歳の男子であったので、昭和六二年度賃金センサスによる各年間給与額から、いずれも生活費として五〇パーセントを控除し、さらにホフマン係数(亡佳織は18.387、亡匠は17.344)による中間利息を控除すれば、亡佳織の逸失利益は金一四九二万三八〇八円、亡匠の逸失利益は金一五二三万〇六三三円となる。

(2) 慰謝料

亡佳織及び亡匠が、死亡により受けた精神的苦痛を慰謝するに足る金額は、各金五〇〇万円を下らない。

(3) 相続

原告両名は、亡佳織及び亡匠の右損害賠償請求権を、相続により各二分の一・金二〇〇七万七二二〇円ずつ取得した。

(二) 原告両名の慰謝料

原告両名が、亡佳織及び亡匠の死亡により受けた精神的苦痛を慰謝するに足る金額は各金五〇〇万円を下らない。

(三) 弁護士費用

原告両名は、弁護士たる原告ら訴訟代理人に本件訴訟の提起追行を委任し、その報酬の支払いを約したところ、そのうち各金二五〇万円については、本件事故と相当因果関係のある損害であるから、被告において賠償すべきである。

8  よって、原告らは、被告に対し、各金二七五七万七二二〇円及び内金二五〇七万七二二〇円に対しては本件事故発生の日の翌日である平成元年五月二九日から各支払済みまで、弁護士費用である内金二五〇万円に対しては本件訴状送達の日の翌日である平成二年四月二一日から各支払済みまで、それぞれ民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)は認める。

2  請求原因2(本件事故の発生)は認める。

3  請求原因3(本件機場及び周辺の状況)について

(一) 同(一)は認める。

(二) 同(二)は否認する。

本件機場周辺一帯は、もとは田圃で農作業従事者以外に一般に人が立ち入るような場所的環境になく、本件事故当時は、本件機場建設工事のために周辺地には掘削土が山積みされ、本件機場南側では水資源開発公団による導水管の埋設工事が行われ、また、間近に圃場整備事業が予定されていたことから付近農地は休耕状態で、農作業従事者の立入りすらなくなっていた。

また、本件機場に近接した場所には子供の遊び場となるような施設・場所等はなく、周囲一帯の工事状況からして、子供が本件機場付近に立ち入ることはなかった。なお、本件機場周辺の子供の遊び場としては、鶴東地区の仁比山農業協同組合倉庫前広場や公民館前広場、鶴西地区の観音様前広場等、適当な広場が散在している。

(三) 同(三)は、いずれも認める。

4  請求原因4(本件事故発生の態様)について

(一) 同(一)のうち、亡佳織及び佐和子がB門扉を乗り越え搬出路Aを下って導水路に入ったことは認めるが、その余は否認する。

右両名は、前記大澤宅から町道鶴東線を南下後、馬場川に架かる木橋を渡り、さらに南側管理橋を渡って北上し、B門扉に至ったものである。

(二) 同(二)のうち、亡匠が前記大澤宅から町道鶴東線を南下後、馬場川に架かる木橋を渡り、さらに南側管理橋を渡ってて北上し、B門扉に至ったこと、及び、搬出路Aを下って導水路に入ったことは認めるが、B門扉東側支柱とBフェンス支柱との隙間を通り抜けたとの点は否認する。

亡匠も亡佳織らと同様、B門扉を乗り越えたものである。

(三) 同(三)は知らない。

5  請求原因5(本件機場の設置管理の瑕疵)について

(一) 同(一)は否認する。

(二) 同(二)のうち、管理道路の入口部分やB門扉部分に立入禁止の看板が設置されていなかったことは認めるが、その余は争う。

Bフェンス及びB門扉は、まさしく人が立ち入ることの危険性を表示しているものであり、加えて、亡匠のような幼児にも十分理解できるように人が手を広げて侵入を阻止している姿を図示した立入禁止の看板及び安全ロープが設置されていたのであるから、子供や幼児にも、本件機場内へ侵入することの危険性は十分察知できたはずである。

(三) 同(三)のうち、本件事故当時、本件機場が未完成で、沈砂池への侵入を防止するものがBフェンス及びB門扉だけであったこと、これらの高さが1.2メートルであったことは認めるが、その余は否認する。

Bフェンス及びB門扉の設置目的は、主として工事関係者が誤って転落することを防止するためのもので、その高さが1.2メートルあれば、身長約一九〇センチメートルの者の転落を防止でき、転落防止施設としては十分なものであったし、当時の六歳児の平均身長が一一六センチメートルであったことからすれば、亡佳織及び亡匠がこれを乗り越える行為は通常予測しえない異常な行動であった。

また、B門扉東側支柱とBフェンス支柱との隙間は約一五センチメートルであり、亡匠が本件事故当時三歳九か月の幼児であったとはいえ、これを通り抜けることは不可能であるか、相当無理な異常行動の結果であった。

(四) 同(四)のうち、導水路から沈砂池への転落防止のための防護柵等の設備がなかったことは認めるが、その余は否認する。

本件事故当時、本件機場に人が日常的に立ち入るような状況はなかった上、安全ロープ、フェンス、門扉等によって人の侵入は阻止されていたのであるから、原告主張のような防護柵を設置する必要性はなかった。逆に、これを設置することは、沈砂池に滞留した土砂を排出するのに障害となるだけでなく、水位上昇時に浮遊物が柵の開口部を閉塞して治水効果を妨げる等、本件機場の管理に重大な支障を及ぼすのであり、現にそのような施設を設けた実例もない。

(五) 同(五)のうち、本件機場に監視員が置かれていなかったことは認めるが、その余は否認する。

本件機場建設工事の休止期間中、近くの城原川の堤防付近で吐出水槽の関連工事が行われており、その監督に出向いた際や、本件機場の継続工事の調査に出向いた際に、職員が本件機場についても週二回程度の割合で巡視しており、本件機場の構造、用法、場所的環境及び利用状況等を考慮すれば、十分な管理体制であった。

6  請求原因6(被告の責任原因)は争う。

7  請求原因7(損害)は争う。

8  請求原因8も争う。

三  抗弁(過失相殺―予備的)

仮に、本件機場の設置管理に瑕疵があったとしても、亡佳織及び亡匠の本件機場への侵入は、相当無理な方法によるものであったこと、右両名は、自己の着衣が浸るほどの水深の場所があることを認識しながら、本件機場内の導水路内で遊んでいたこと、亡佳織及び亡匠の監護者らは、被告による事前の事業説明や日々目前で続けられる本件機場建設工事を目の当たりにしていたことにより、本件機場の構造等を知悉していたのであり、また、原告秀子においては、本件事故前に亡匠とともに本件機場近くの馬場川橋付近に立ち入った際、工事関係者から工事箇所は危険であるから近づかないよう注意を受けていたのであって、常日頃から亡佳織及び亡匠に対し本件機場に立ち入らないように注意することにより、さらには、本件事故当日においても、亡佳織ら三名が子供達だけで外出する際に適切な注意をすることにより、本件事故の発生を容易に回避できたこと等、原告側にも重大な過失があったのであるから、過失相殺がなされるべきである。

四  抗弁に対する認否

争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(当事者)及び同2(本件事故の発生)については、いずれも当事者間に争いがない。

二そこで、本件機場及び周辺の状況について判断するに、請求原因3(一)(本件機場周辺の集落等の状況)及び同(三)(本件事故当時の本件機場及び周囲の状況)は、いずれも当事者間に争いがない。右争いのない事実に、<書証番号略>、証人川原小西郎(以下、「川原」という。)の証言及び<書証番号略>、証人福田健吾(以下、「福田」という。)、同志岐悟(以下、「志岐」という。)及び同久胡元忠(以下、「久胡」という。)の各証言、検証の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

1  本件機場は、佐賀市から鳥栖市へ通じる国道三四号線から筑後川水系馬場川(一級河川)に沿って県道三瀬神埼線を約1.3キロメートル北上した佐賀県神埼郡神埼町大字鶴の田園地帯に設置されており、本件機場敷地の東側に沿って馬場川が南北に流れ、その東側を南北に走る町道鶴東線及び県道三瀬神埼線の沿線に鶴東地区の集落(世帯数五三戸)があり、本件機場の北西約三〇〇メートルの位置に鶴西地区の集落(世帯数五〇戸)があって、右両地区を結ぶ町道鶴線が本件機場の北側を東西に走っている。

本件事故当時、原告秀子、亡佳織及び亡匠の三名は、原告秀子の実家である大澤止津男宅に居住していたが、右大澤宅は、本件機場の東約五〇メートルの馬場川東岸にある。

2  本件機場の敷地及び周辺一帯は、従来水田として利用されていたものであるが、昭和六三年七月二七日から平成元年三月三〇日にかけて、流況調整河川佐賀導水事業の一環として、被告が直轄で神埼産業株式会社及び祐徳建設興業株式会社に請け負わせて本件機場の第一期建設工事を施工しており、右両社は、本件機場敷地の西側及び南側隣接地を、各地権者から、本件機場建設工事または三本松川機場建設工事に伴う仮設用敷地として借り受けていた。また、本件機場南側においては、昭和六二年一二月二六日から平成元年八月二二日までの間、水資源開発公団による佐賀東部導水事業に係る工事が断続的に繰り返され、本件機場西側約一〇〇メートルの城原川(一級河川)においては、昭和六三年一一月一九日から平成元年七月一六日までの間、流況調整河川佐賀導水事業の関連工事が施工されていた。さらに、本件機場西側では、平成元年九月ころから、圃場整備事業が予定されていた。

本件機場は、前記事業の目的の一つである内水排除を行うための施設であり、洪水時の馬場川下流一帯の出水に伴う内水被害の軽減を図るため、馬場川の流水のうち毎秒最大五立方メートルを流況調整河川佐賀導水路へ導水し、城原川へ吐出させるための施設である。

3  本件事故が発生した当時の本件機場の構造及び付近の状況は、別紙図面(1)ないし(4)のとおりであった。すなわち、

(一)  主な施設として、北側から順次、流入堰、土砂溜、導水路、沈砂池、スクリーン、機場本体(ポンプ場)、吐出水槽が配置され、流入堰付近及びスクリーン付近の各上部に管理橋が設置され、導水路西側には沈砂池等に堆積した土砂を搬出するために緩やかなスロープ(勾配一五パーセント)の搬出路Aが設置されていた。導水路と沈砂池との間には、導水路底面からの高さ三〇センチメートル、幅一メートルのコンクリート堰があり、コンクリート堰から沈砂池に向かって約四五度の下り勾配で深くなり、コンクリート堰上面と沈砂池底面との落差は二メートルであった。

(二)  土砂溜、導水路及び沈砂池には、雨水が貯留しており、その水深は、導水路で約三〇センチメートル、沈砂池で約二メートル、その間のコンクリート堰部分で約五センチメートルになっており、殊に、沈砂池では、貯留水が混濁し底が見通せない状態になっていた。

(三)  前記各施設の周囲には、その西側に、流入堰付近から搬出路Aの途中上部付近までは高さ二メートルのAフェンス及びA門扉が、搬出路Aの途中上部付近から南側管理橋まではAフェンスに繋がって高さ1.2メートルのBフェンス及びB門扉がそれぞれ設置され、東側では、北側管理橋から南側管理橋にかけて高さ1.2メートルのBフェンスが設置されていて、A・B両門扉は、いずれも施錠されていた。

B門扉は、その上下の中間部付近に横板が入っている。

B門扉東側支柱とその東側のBフェンス支柱との間には、一五センチメートル強の間隔があった。

(四)  本件機場北側を走る町道鶴線から本件機場管理道路への入口部分、Aフェンス北端部分、東側Bフェンス北端部分、南側管理橋から機場本体部分の計四か所には、それぞれ黄色と黒色の縞模様の安全ロープ(通称、トラロープ)が張られていたが、前記管理道路入口部分に張られていた上下二本の安全ロープは緩く張られて垂れ下がっており、容易に通り抜けられる状態であった。

また、馬場川には、前記コンクリート堰の東側延長線付近に板が架けられ(以下、「仮設木橋」という。)、これを渡れば本件機場東側敷地内に立ち入ることができた。そして、南側管理橋付近に張られていた上下二本の安全ロープも、通り抜けは容易な状態にあった。

(五)  Aフェンス北端部分、南側管理橋の東西両端部分、機場本体の東西両面部分の計五か所には、関係者以外立入禁止」の文言及び工事関係者らしき人物が両手を広げた絵の記載がある看板が各一枚ずつ設置されていた。

(六)  本件事故発生当時、本件機場に監視員は配置されておらず、被告(佐賀河川総合開発工事事務所)の担当職員が前記城原川における関連工事の工事監督や本件機場の後記継続工事の調査に出向いた際、週二回程度本件機場周辺を巡回していた。

4  本件機場建設工事は、その第一期工事が平成元年三月三〇日に終了していたが、本件事故発生当時、本件機場は未完成で、継続工事が予定されており、本件事故後、ポンプ設備の製作据付け、上屋建築、除塵装置の製作据付け、周辺整備及び舗装工事等が平成二年三月ころまで行われた。

継続工事終了後の本件機場の構造及び付近の状況は、別紙図面(5)のとおりであって、搬出路Aの途中上部付近でBフェンスと段違いに接合する形になっていた高さ二メートルのAフェンスが、右接合部からA門扉及び門扉を挟んで本件機場南側の馬場川橋西端付近まで延長され、その上部に乗越え防止用の三本の有刺鉄線を張り巡らせた忍返しが設置されている。

三請求原因4(本件事故発生の態様)について判断するに、<書証番号略>、証人福田の証言、原告一男本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、亡佳織は同級生の佐和子とともに、前記大澤宅から町道鶴東線を北上後、町道鶴線を西進し、管理道路入口に張られた安全ロープを通り抜け、右管理道路を南進してB門扉に至り、B門扉を乗り越え搬出路Aを下って導水路に入ったこと、亡匠は、亡佳織らとともにこれと同じ経路を辿ったか、あるいは、一人で大澤宅から一旦南下し前記仮設木橋を渡って本件機場東側敷地内に入り、さらに南側管理橋を渡った後に北上したかのいずれかの経路でB門扉に至り、前記のB門扉東側支柱とBフェンス支柱との隙間を通り抜け、搬出路Aを下って導水路に入ったこと、右三名は、導水路南側付近で、アメンボ採り等をして遊んでいたところ、亡匠が前記コンクリート堰から沈砂池への下り勾配を滑り落ち、これを助けようとした亡佳織も同様に滑り落ちて、右両名とも、水深約二メートルの沈砂池にはまって溺死したこと、以上の事実を認めることができ、右認定に反する<書証番号略>の記載部分及び証人久胡の証言部分は、いずれも同証人や警察官らの推測の域を出ないのであるから、にわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

四そこで進んで、本件機場の設置管理の瑕疵の有無につき検討する。

本件機場内に設置された沈砂池には、前記認定のとおり、雨水が貯留しており水深が約二メートルあり、その周囲には手を掛けるところもなく、幼児がここにはまった場合には、独力で這い上がることが困難であるから、右沈砂池に幼児が立ち入った場合には人命に対する危険性が高く、前記認定のとおり、被告の担当職員が本件機場を週二回程度巡視していたのであるから、その際右貯留水の水深を認識できたというべきである。加えて、前記認定のとおり、右貯留水は混濁していて、沈砂池の底が見通せず、水深を認識することは幼児にとって困難な状況であったうえ、導水路の水深が約三〇センチメートルであったところ、コンクリート堰上面から、沈砂池底面までは勾配が約四五度の傾斜面となっていたのであるから、右危険性はより高かったといわなければならない。そして、本件機場周辺には、鶴東地区及び鶴西地区の集落(合計約一〇〇戸)があること、本件機場及びその周辺一帯が、従前水田として利用されており、昭和六二年八月ころからは、本件機場建設工事を始めとする流況調整河川佐賀導水事業や佐賀東部導水事業の各関連工事が繰り返され、さらに平成元年九月ころからは圃場整備事業も予定されていたことは、いずれも前記認定のとおりであり、確かに、周辺住民が、農作業等のために、本件機場及びその周辺一帯に多数かつ頻繁に立ち入ることはなかったものと認められるけれども、本件機場は、馬場川の流水を引き入れる構造上、馬場川の支流のような形で建設されており、証人福田及び同志岐の各証言によれば、本件機場東側の馬場川では、日頃、魚釣りをする人や魚採り等をして遊ぶ子供もいて、時折、散歩や馬場川での魚釣り等のために、付近住民が前記管理道路から本件機場敷地内に立ち入っていたと認められること(右認定に反する証人久胡の証言部分は採用しない。)、それまで水田であったところに新たに建設された人工池のような本件機場が、周辺住民殊に子供の興味の対象となったであろうことは想像に難くなく、<書証番号略>、証人福田及び同志岐の各証言に弁論の全趣旨を総合すれば、亡佳織ら三名はアメンボ採りのためのバケツを持参して本件機場内に立ち入ったことが認められ、このことからすれば、亡佳織らが本件機場内の導水路等でアメンボ採りができることを事前に知っていたものと推認でき、前記のとおり、右導水路に至る搬出路Aが緩やかなスロープであること等を総合すれば、本件機場内の導水路等が周辺住民の幼児にとって誘惑的な存在(最判昭和五六年七月一六日判例時報一〇一六号五九頁参照)であったと考えられる。

そして、B門扉が高さ1.2メートルで、しかも上下の中央部付近に横板が入れられていたことは前記認定のとおりであり、他方、<書証番号略>に弁論の全趣旨を総合すれば、平成元年度における六歳児の平均身長が一一六センチメートルであったことが認められることからすれば、1.2メートルの高さで、しかも丁度足掛かりになるような右横板の入れられたB門扉を、当時六歳であった亡佳織が乗り越えることは、さほど困難であったとは考え難いこと、また、B門扉東側支柱とBフェンス支柱との間に一五センチメートル強の隙間があったことは、前記認定のとおりであるところ、<書証番号略>によれば、子供が右の隙間を通り抜けることは容易なことと認められ、したがって、本件事故当時三歳九か月の幼児であった亡匠にとっても同様に容易であったと認められること、のみならず、証人久胡の証言によれば、Bフェンス及びB門扉は、主として転落防止目的の設備であり、本件機場内への侵入防止設備は高さ二メートルのAフェンス及びA門扉であることが認められるところ、前記認定のとおり、本件事故発生当時、本件機場はその第一期建設工事が終了しただけで未完成の状態にあり、右侵入防止設備であるAフェンス及びA門扉は、本件機場西側の流入堰付近から搬出路Aの途中上部付近までしか設置されておらず、亡佳織ら三名が侵入したB門扉付近には設置されていなかったこと、本件機場のような人工公物である営造物については、その管理者に、河川、湖沼のような自然公物に比し、より高度な安全確保措置を講じることが要請されること等を併せ考えると、被告としては、幼児がB門扉を乗り越え又はその東側の隙間を通り抜けて、本件機場内に侵入することを防止するため、右未完成のAフェンス及びA門扉に代わるべき十分な侵入防止措置を講じる義務があったというべきである。

そこで、右措置が講じられたか否かについて検討するに、前記のとおり、本件機場敷地内への進入口として利用される蓋然性が最も高いと考えられる前記管理道路北側入口部分に設置された安全ロープが、上下二本とも緩やかに張られて垂れ下がり、これを持ち上げたり押し上げたりすることによって、子供でも容易にここを通り抜けることができ、南側管理橋付近にも安全ロープが張られていたけれども、通抜けは容易な状態であったこと、計五か所に立入禁止看板が設置されていたけれども、本件機場敷地内への進入口である前記管理道路入口付近、あるいは、本件機場内への侵入口となりやすい前記B門扉付近には設置されておらず、しかも、その立入禁止看板の内容は、前記認定のとおり、「関係者以外立入禁止」の文言と工事関係者とおぼしき人物が両手を広げた絵であって、必ずしも本件機場の危険性を十分に示したものではなく、殊に亡佳織らのような子供に対しては、「あぶないから、はいってはいけません。」等の文言によるより直接的な表現でなければ、危険告知の方法としては十分でなかったと考えられること、加えて、本件機場東側の仮設木橋がそのまま放置され、付近に安全ロープや立入禁止看板等の侵入防止設備は全く施されていなかったこと、さらに、前記認定のとおり、担当職員による巡回は、いわば片手間的に行われていたに過ぎなかったこと等から判断すれば、前述の侵入防止措置が十分に講じられていたと認めることはできない。

したがって、亡佳織がB門扉を乗り越え、亡匠がその東側の隙間を通り抜けて本件機場内に侵入したことが、その管理者の予測を超えた行動とすることはできず、結局、本件機場は営造物として通常有すべき安全性を欠いていたものであって、本件事故当時における本件機場の管理には瑕疵があったというべきである。

五そして、右侵入防止措置が十分に講じられていれば、本件事故は防止できたというべきであるから、右瑕疵と本件事故との間に因果関係があることは明らかである。

六次に、本件事故による損害につき検討する。

1  まず、亡佳織及び亡匠の逸失利益について判断する。

(一)  亡佳織が本件事故当時満六歳の女子であったことは前記のとおりであるところ、平成元年度賃金センサスによる女子労働者の平均年間給与額金二六五万三一〇〇円、一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であることを前提とするライプニッツ係数10.117、及び生活費控除率三〇パーセントを基に計算すれば、亡佳織の逸失利益は金一八七八万八九八八円(円未満切捨て)となる。

次に、亡匠が本件事故当時満三歳の男子であったことは前記のとおりであるところ、平成元年度賃金センサスによる男子労働者の平均年間給与額金四七九万五三〇〇円、一八歳から六七歳までの四九年間就労可能であることを前提とするライプニッツ係数8.739、生活費控除率五〇パーセントを基に計算すれば、亡匠の逸失利益は金二〇九五万三〇六三円(円未満切捨て)となる。

(二)  ここで、被告主張の過失相殺につき判断するに、前記沈砂池は、不完全ながらも、Bフェンス及び施錠されていたB門扉によって、外部からの侵入を禁ずる意思が客観的に表明されており、亡佳織らにおいても、そのことは認識可能であったと考えられること、<書証番号略>及び証人久胡の証言に弁論の全趣旨を総合すれば、本件機場の周辺住民、殊に前記仮設用敷地として借り上げられた土地の地権者に対しては、本件機場建設等に関する事前説明が行われており、前記大澤止津男も右地権者の一人であったことが認められるところ、本件事故当時、亡佳織及び亡匠と同居していた原告秀子や右大澤らは、このような事前説明等や、常日頃右大澤宅から約五〇メートルの所で現実に行われている本件機場建設工事を見ることによって、本件機場の概況を把握し、その危険性についても一定の認識があったはずであるし、現に、原告秀子は、本件事故前に亡匠と馬場川橋付近を散歩中に工事関係者から本件機場敷地付近に立ち入らないよう注意を受けたことがあった(証人久胡の証言により認める。)のであるから、原告秀子らにおいて、日頃から亡佳織及び亡匠に本件機場敷地内に立ち入らないよう注意すべきであったにもかかわらず、これを十分行っていたとは言い難いこと、さらには、本件事故当日も、原告秀子は、大澤宅で遊んでいた亡佳織ら三名の動静に留意していれば、右三名がアメンボ採りのために本件機場敷地内に立ち入ろうとしていることを察知して、注意を与える等の適切な監護を行って、本件事故の発生を未然に防止することができたにもかかわらず、前掲<書証番号略>によれば、原告秀子は亡佳織らの動静に留意することなく、右三名が大澤宅を出掛けた後になって気付いたことが認められること、その他諸般の事情を総合考慮すれば、原告ら被害者側にも本件事故の発生につき相当程度の過失があったものと言わざるを得ず、その過失割合は亡佳織及び亡匠の両名につきそれぞれ七割と認めるのが相当である。

そうすると、亡佳織及び亡匠の各逸失利益として被告が賠償すべき金額は、亡佳織につき金五六三万六六九六円(円未満切捨て)、亡匠につき金六二八万五九一八円(円未満切捨て)となる。

2  次に、亡佳織及び亡匠の各慰謝料につきみるに、右過失相殺において考慮した諸事情等からすれば、それぞれ金三〇〇万円が相当である。

3  以上により、亡佳織及び亡匠の被告に対する各損害賠償請求権は、それぞれ金八六三万六六九六円及び金九二八万五九一八円となるところ、前記のとおり、原告両名は亡佳織及び亡匠の両親であるから、右各損害賠償請求権をそれぞれ二分の一ずつ(合計金八九六万一三〇七円ずつ)相続した。

4  そこで、原告両名固有の各慰謝料につきみるに、前記過失相殺において考慮した諸事情、殊に、本件事故の発生が、原告ら自身の親としての監護姿勢の不備に起因するところ大といわざるを得ないことを考えると、原告各自につき金二〇〇万円が相当である。

5  以上によれば、原告両名は、被告に対して、各自金一〇九六万一三〇七円の損害賠償請求権を有することになるところ、原告両名が本件訴訟の提起追行を弁護士である原告ら訴訟代理人に委任し、その報酬を支払う旨を約したことは、弁論の全趣旨から明らかであるから、本件訴訟の難易、訴訟進行の経過、請求額及び認容額等の本件に表れた諸般の事情からみて、右金額の約一割に当たる金一〇〇万円をもって、本件事故と相当因果関係のある損害と認める。

七以上の次第であるから、原告らの請求のうち、各自が被告に対して、合計金一一九六万一三〇七円及び内金一〇九六万一三〇七円に対しては本件事故発生の日の後である平成元年五月二九日から各支払済みまで、弁護士費用である内金一〇〇万円に対しては本件事故発生の日の後である平成二年四月二一日から各支払済みまで、それぞれ民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条を適用し、仮執行の宣言については、相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官生田瑞穂 裁判官岸和田羊一 裁判官永渕健一)

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