佐賀地方裁判所 昭和30年(ワ)126号 判決 1958年12月27日
原告 古川司一
被告 武雄市
主文
被告は原告に対し金十九万五千円及びこれに対する昭和二十九年十二月二十六日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
本判決は原告に於て金六万円の担保を供するときは主文第一項に限り仮にこれを執行することが出来る。
事実
第一申立
一、原告の申立
被告は原告に対し金十九万五千円及びこれに対する昭和二十九年八月一日より右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、
訴訟費用は被告の負担とする、
保証を条件とする仮執行の宣言を求める、
二、被告の申立
原告の請求を棄却する、
訴訟費用は原告の負担とする、
第二主張
一、原告の主張
(一) 原告は元朝日村助役の職にあつたところ昭和二十九年四月一日右朝日村は武雄町、橘村、若木村、武内村、東川登村、西川登村と合併して新に武雄市として発足したが、その際右合併に関する協定が町村合併促進協議会の議に諮られその議決を経た上右旧町村議会で議決又は承認されて成立(成立時期は昭和二十九年三月十六日以前)し、昭和二十九年四月二十日武雄市臨時市議会に於て再確認を経て条例としての性質を有するに至つた。
(二) 原告は右合併協定の結果昭和二十九年度中は残務整理と合併による混乱を防止する為新しく発足する武雄市朝日町支所の吏員として勤務し行政の運営に当ることとなつたが右合併協定には合併の為退職の止むなきに至つた者は公務員の待命退職に準じて退職手当金を支給することになつてをり、その支給方法として昭和二十九年度即ち昭和二十九年四月一日より同三十年三月三十一日迄の間における退職した日以降の残期間の俸給月額と同額の金員を退職と同時に一時に支給すると定められていた。
(三) そこで原告は残務整理も終了し支所に勤務する必要もなくなつたので昭和二十九年七月三十一日新武雄市朝日町支所の右吏員の職を退いたが原告の退職当時の俸給月額は金二万四千四百円であつたので被告は原告に対し退職一時金として原告が退職した昭和二十九年七月三十一日以降残期間八ケ月分の俸給額に相当する金十九万五千二百円を原告の退職と同時に支給すべき義務があるところ、被告はいまだこれが支給をしないので右金額の内金十九万五千円及びこれに対する退職の日の翌日たる昭和二十九年八月一日より右完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める為本訴請求に及んだ。
(四) 仮りに前記合併協定が条例としての性質を有しないとしても右合併協定は町村合併促進法に基いて成立した町村合併促進協議会に於て同法第二十四条の趣旨に則り協定されたものであつて旧各町村の議会の議決又は承認を経た上新市の臨時市議会に於て再確認されたのであるから被告を拘束する。
(五) 仮りにしからずとするも右協定事項は合併関係町村の事務処理のため設けられた組合の協定事項類似のものであるから右協定書は規約の性質を有し被告を拘束する。
(六) 仮りに以上の理由により原告の被告に対する退職金請求が認められないとしても被告市の市長は前記合併協定の退職金に関する条項を合併に基く退職金の支給に関する条例案として市議会に提出すべき法的手続を講ずる義務があるのに拘らず故意又は過失によりこれが手続をとらず右被告市の市長の不作為により原告に対し原告が昭和二十九年七月三十一日当然受領すべき筈であつた退職一時金十九万五千円の受領を不能ならしめこれと同額の損害を与えたものである、而して右損害は地方公共団体の公権力の行使に当る被告市市長のその職務について生じたものであるから原告は被告に対し国家賠償法第一条に基き金十九万五千円及びこれに対する右損害の発生した昭和二十九年七月三十一日の翌日である八月一日より右完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める為本訴に及んだと述べた。
二、被告の主張
(一) 請求原因事実(一)項中、原告が昭和二十九年三月三十一日まで元朝日村助役の職にあつたこと、昭和二十九年四月一日武雄町、朝日村、橘村、若木村、武内村、東川登村、西川登村が合併して新に武雄市として発足したこと、その際合併に関する協定が町村合併促進協議会に於て議決された上、昭和二十九年四月二十日武雄市臨時市議会に於て再確認されたこと、右合併協定が東川登村議会の議決を経たことはこれを認めるがその余の事実は否認する。
元来地方自治法第二百五条、地方公務員法第四十四条は退職年金、退職一時金の支給について規定しているが、同条は退職年金、又は退職一時金を受けることが出来ると云う抽象的規定にとどまり、右規定により直ちに具体的請求権が発生するものではなく更に地方自治法第二百四条は給料及旅費の額並にその支給方法を条例でこれを定めなければならないものとされ、他方地方公務員法第二十四条第二十五条によれば職員の給与は条例で定め、この給与に関する条例で支給されなければならず又これに基かずには如何なる金銭も有価物も支給してはならないと規定しており、具体的に退職年金、退職一時金は、退職年金又は退職一時金の支給に関する条例により始めてこれが請求権が発生するものである。
更に本件武雄町外六ケ村の合併による武雄市の設置は知事によつてなされる行政処分であり、内閣総理大臣の告示によつて始めてその効力を生ずるものであつて合併手続の過程に於てなされた合併関係町村の合併協定当然の効果として合併を生ずるものではないので右協定は公法上の協約と解し難く退職者は右協定により直接退職手当金請求権を取得するものではない。
(二) 請求原因事実(二)項中、原告は合併協定の結果昭和二十九年度中は残務整理と合併による混乱を防止する為朝日町支所の吏員として勤務することになつたこと、本件合併協定には合併による退職の止むなきに至つた者は公務員の待命退職に準じて退職手当を支給することになつていたことは認めるがその余の事実は否認する。
(三) 請求原因事実(三)項中原告は昭和二十九年七月三十一日朝日町支所の吏員の職を退いたこと、原告の退職当時の俸給月額が金二万四千四百円であつたことはいずれもこれを認めるが、その余の事実は否認する。原告の退職は合併とは関係のない原告自身の職務上の失態に基くものである。
(四) 請求原因事実(四)項は否認する、町村合併促進法第二十四条は合併関係町村の一般職の職員の身分引継に関する措置を定めたものであつて特別職たる原告には何等の関係のない規定である。
(五) 請求原因事実(五)項は否認する、地方公共団体の組合に関しては地方自治法に於てその設立手続要件、その他に関する詳細な規定が置かれているのでこれ等の規定に準拠することなくしてはその設立は認められない。
(六) 請求原因事実(六)項は否認する、原告主張の国家賠償法に基く損害賠償請求は請求の追加的、予備的併合に該りこれが訴の変更は本位的請求との間に請求の基礎を異にするので許容されるべきでない。
第三立証
(一) 原告の立証
甲第一乃至第四号及第七第八号証、甲第五号証の一乃至四、甲第六号証の一乃至六を各提出し証人中村源一(第一、二、三回共)同香田四郎、同光武巽、同村山照、同中野巖、同諸岡茂雄、同古川滝馬、同外尾猪一郎、同大渡利一、同浦郷弥作の各証言並に原告本人尋問の結果を援用し乙第一、二号証はいずれもその成立を認めると述べた。
(二) 被告の立証
乙第一、二号証を提出し証人高田敏雄、同大渡利一、同中村茂作、同岸川仁一、同中山末松、同樺島義勝、同馬渡元義の各証言並に被告代表者本人尋問の結果を援用し甲号各証はいずれもその成立を認めた。
理由
原告は元朝日村助役の職にあつたこと、昭和二十九年四月一日武雄町、朝日村、橘村、若木村、武内村、東川登村西川登村が合併して新に武雄市として発足したこと。その合併に当り昭和二十九年三月十六日以前に合併に関する協定が町村合併促進協議会の議決を経て成立し昭和二十九年四月二十日武雄市臨時市議会に於て再確認されたこと、右合併協定には合併により退職の止むなきに至つた者には公務員の待命退職に準じて退職手当を支給することになつていたこと、原告は合併協定の結果昭和二十九年度中は残務整理と合併による混乱を防止する為武雄市朝日町支所の吏員として勤務することになつたことは当事者間に争いのないところである。ところで原告は右合併に関する協定は武雄市臨時市議会に於て再確認されたものであるから条例としての性質を有する旨主張し、被告に於てこれを争うのでこの点について判断するに、元来条例を制定するにつき要する法定の手続としては先ず地方公共団体の長及議員のいずれかから条例案として当該地方公共団体の議会に文書を以て提出され当該議会に於て法定の手続を経た上出席議員の過半数を以て議決されて成立し次で当該地方公共団体の議会の議長は議決のあつた日から三日以内に当該地方公共団体の長に右議決された条例を送付し、長は右条例の送付を受けた場合再議の措置、その他裁判所に対する出訴等の措置を考慮した上送付を受けた日から二十日以内にこれを公布することが必要であり(地方自治法第十六条)公布によつて始めて右条例は対外的に効力を生ずるのである。ところが成立に争いのない甲第三、第四号証及証人中村源一(第一、二、三回共)同香田四郎、同中野巌の各証言を綜合すれば本件合併協定書は昭和二十九年四月二十日開会された武雄市臨時市議会に於て、武雄市議会議員訴外野田伝、同訴外香田四郎より議第三十二号議案協定書再確認の件として提出されていることが認められるがその他条例としての前記法定の手続を経たことについては何等の証拠もないので本件合併に関する協定が昭和二十九年四月二十日開会された武雄市臨時市議会に於て再確認されたからといつて右合併協定書(甲第一号)中の四項第二号の退職手当に関する条項が条例で定められた事項としての性質を帯有するに至つたものとは認めがたい。
次に原告は仮りに本件合併協定事項が条例としての性質を有しないとしても町村合併促進協議会に於て町村合併促進法第二十四条の趣旨に則り議決した上旧町村議会の議決又は承認を得、武雄市臨時市議会に於て再確認されたのであるから原告は右合併協定に基いて被告に対し退職手当金請求権を有する旨主張し、被告は地方自治法第二〇四条、第二〇五条地方公務員法第二十四条、第二十五条、第四十四条の規定によれば条例に基かずしてはいかなる名目の金銭も有価物も支給出来ない上本件合併協定は公法上の協約と解し難いので退職者は右合併協定により直接退職手当金請求権を取得するものではない旨主張するのでこの点につき判断するに成立に争いのない甲第一号証、甲第六号証の六並に証人中村源一(第一、二回)同香田四郎、同光武巽、同村山照、同高田敏雄、同大渡利一、同中野巌の各証言を綜合すれば昭和二十九年二月上旬頃旧武雄町を中心として朝日村、橘村、若木村、武内村、東川登村、西川登村が合併して新に武雄市を新設すべく各町村より七名宛の委員を選出して町村合併促進法にもとずく町村合併促進協議会を構成し昭和三十年四月頃に合併する運びとなつていた。ところが武雄町は短兵急に合併を急ぎ昭和二十九年四月一日には合併を実現したい旨要望があつたが朝日村、橘村、若木村、武内村、西川登村、東川登村では当時各村長、助役、収入役の任期が後一年あり右武雄町の要望を容れ昭和二十九年四月に合併すると任期満了前に退職の止むなきに至る為任期満了後の昭和三十年四月頃に合併したいとの見解が多く武雄町の右要望には容易に応じ難いという機運にあつた、そこで昭和二十九年二月二十日頃当時杵島地方事務所長をしていた訴外中野巌が仲介の労をとり同事務所に於て町村合併促進協議会を開いた結果、右武雄町の右要望を容れ昭和二十九年四月に合併を実現するが合併関係各町村の町村長、助役、収入役の身分の保障については充分考慮する等、その他種々合併に関する合併関係各町村の意見調整をなした、そこで合併関係各町村長が更に協議の上合併協定書の原案を作成し各自各町村の代表者として署名押印した上合併関係町村議会の審議を経て昭和二十九年三月十一日武雄町新町八百屋大広間にて開催された町村合併促進協議会に於て協議事項として<1>新市建設計画案、<2>計画案に対する知事の意見書の外に<3>右合併協定書が提出され原案どおり議決されて右合併協定書が成立したことが認められる。
そこで右合併協定書により町村長、助役、収入役の身分の保障、即ち優遇案として本件合併により退職するの止むなきに至つた者には公務員の待命退職に準じて退職手当を支給する旨協定がなされたこと、右町村合併促進協議会は町村合併促進法第五条にもとずいて設置されたものであること、並に前記の通り合併協定書は新市建設計画案、計画案に対する知事の意見書とは別に提出議決されていることより考えれば右合併協定書に定められた事項は町村合併促進法第六条の市の建設に関する計画そのものには該当しないが同法第五条一項中の「その他町村合併に関する協議」により定められた事項であると認めることができる、而して右協議は一種の合併関係町村間の約定であると共に新に発足する合併町村はその約定事項を尊重しこれを施政の上に実現する法律上の責任を負担するに至るものであると解する、蓋し右協議が合併関係町村のみを拘束し新に発足する合併町村に何等法的拘束を与えないものであるとするならばわざわざ町村合併促進法第五条第一項に町村合併に関する協議を行うこと自体を明定する必要もなく又町村の合併を促進することも期待できないであろう。
次に右合併協定事項は昭和二十九年四月二十日武雄市臨時市議会に於て再確認を経ていることについては当事者間に争いのないところであるが右再確認が武雄市議会の議決の性質を有するものであるか否かについて考えるに成立に争いのない甲第三号、第四号、第八号証、証人香田四郎、村山照の各証言並に弁論の全趣旨を綜合すれば本件合併協定書は昭和二十九年四月二十日開会された武雄市臨時市議会に於て武雄市議会議員訴外野田伝、同訴外香田四郎より議第三十二号議案協定書再確認の件として提出され議員総数百十四名に対し百名並に武雄市長職務執行者訴外山口直基、職務執行者代理訴外外尾猪一郎、橘支所長訴外光武巽、朝日支所長訴外中村源一、若木支所長訴外高田敏雄、武内支所長訴外浦郷弥作、東川登支所長訴外釘町又雄、西川登支所長訴外大渡利一出席の上、議員訴外香田四郎より提案趣旨の説明がなされ更に質疑討論の後万場一致を以て可決されていること、即ち議会の議決としての法定の手続を経て協定書再確認の議案が可決されているのであつて合併に関する協定書中第四項第二号の退職金に関する条項は武雄市臨時市議会に於て議員の定数の半数以上の議員が出席し全員一致で地方自治法第九十六条第一項第八号に規定する新たに義務を負担する場合の議決として適法に成立していることが認められる。それでは右退職金に関する条項は被告主張のように条例によつて定められなければならないかどうかの点について考えると昭和三十一年六月十二日法律第一四七号(同年九月一日施行)による現行の地方自治法第二〇四条並に同条の二の改正前の地方自治法第二〇四条第一項の規定には普通地方公共団体は普通地方公共団体の長及その補助機関たる常勤の職員に対し給料及び旅費を支給しなければならないこと、更に第二項に給料及び旅費の額並びにその支給方法は条例でこれを定めなければならないと規定され同法第二〇五条は第二〇四条第一項の前記職員は退職年金又は退職一時金を受けることが出来ると規定しているが右第二〇五条は退職年金又は退職一時金を受けることが出来るという抽象的規定にとどまりこれにより直ちに具体的な請求権が発生するものでないことは勿論であるが第二〇四条の規定によれば条例で定めなければならないのは給料及び旅費のみであつて退職年金又は退職一時金が右給料及び旅費に含まれないことは云うまでもないところであるので右各法条から退職年金、退職一時金については必ずしも法律又は法律の根拠に基く条例によらなければ絶対的にこれを支給し得ないと解することはできないしまた地方公務員法第二十四条第二十五条によれば職員の給与、勤務時間、その他の勤務条件は条例で定め職員の給与は右給与に関する条例に基いて支給されなければならず又これに基かずには如何なる金銭又は有価物も支給されないと規定され、同条に規定する給与とは給料の外に扶養手当、勤務地手当、期末手当、勤勉手当、特殊勤務手当、超過勤務手当、休日勤務手当、夜勤手当、寒冷地手当、石炭手当、更に退職手当も含む概念であると解されることはもとより同法上退職手当金についても条例にもとずかずにはこれを支給することが出来ないことも当然であるが同法第二十四条第二十五条は一般職たる職員に関する規定で地方公務員法第四条によれば法律に特別の定めがなければ特別職に属する地方公務員には地方公務員法の規定は適用されないと規定されていることより明らかである、そこで原告は昭和二十六年七月上旬朝日村々長訴外中村源一より朝日村助役として同村議会の同意を得て選任されその任期は昭和三十年六月までで結局原告は本件合併当時地方公務員法第三条の規定にもとずく特別職にあつたこと及び合併協定書第四項第二号の退職金に関する条項は特別職たる町村長、助役、収入役に関する定めであることが認められるので本件の場合原告については地方公務員法第二十四条第二十五条の適用もないと云わなければならない。
結局合併当時特別職の身分を保有していた原告に対して退職一時金を支給するについては法律又はこれに根拠を有する条例の規定は必要とするものではなく単なる退職手当金支給に関する議会の議決及び予算措置のみで支給し得るものと解せざるを得ない、もつとも昭和三十一年六月十二日法律第一四七号に基いて地方自治法第二〇四条第二項の追加旧第二項の一部改正(第三項となる)及び第二〇四条の二の追加された後は特別職に属する職員に対して退職手当金を支給するについても条例にもとずかずしてはこれが支給はなし得ないことになつたのであるが右昭和三十一年六月十二日法律第一四七号は昭和三十一年九月一日から施行されるのであつて合併協定書第四項第二号の退職金に関する条項が武雄市臨時市議会で議決されたのは昭和二十九年四月二十日であるので右協定に基く退職金請求については右改正法律第一四七号の適用はないものといわなければならない。
結局本件合併協定書第四項第二号退職金に関する条項は前記認定の通り昭和二十九年四月二十日開会された武雄市臨時市議会に於て法定の手続を経て適法に議決されたものであるが右議決は市議会に於て地方自治法第九十六条第一項第八号に規定する新たに義務を負担する旨の議決であるものというべく、よつて右議決により被告市は本件合併にもとずいて退職するの止むなきに至つた町村長、助役、収入役に対しては公務員の待命退職に準じて退職手当を支給する旨の意思を決定したものと云うことができる。更に証人中村源一(第一回)同香田四郎、同高田敏雄の各証言を綜合すれば合併関係各町村殊に朝日村は昭和二十九年度予算は昭和二十八年三月二十日以前に村議会に於て議決され所謂三役の俸給についても昭和二十九年度予算に組入れられてあつたこと、そこで合併関係各町村の昭和二十九年度各予算を持寄つて合算したものを武雄市の昭和二十九年度予算とし市議会の議決を経ていること、合併により退職するの止むなきに至つた者があつた場合は予算の款項目の流用は出来ないが予算の更正のみで退職一時金を支給することが出来たこと並に証人浦郷弥作の証言並に被告代表者本人尋問の結果並に弁論の全趣旨を綜合すれば当時武内村村長をしていた訴外浦郷弥作は武内支所に本件合併協定書第四項第二号の退職手当に関する条項にもとずいて退職一時金の請求をした際被告市は同訴外人が町村合併に伴う分村問題から退職するのやむなきに至つたものと認め単に予算措置を講じただけで武内支所より昭和三十年五月三十一日金十五万八千五百円武雄支所より昭和三十年五月六日金三万円、同月三十一日金十二万八千五百円、計金三十一万七千円支給されていることが各認められることから考えて被告市は本件合併により退職するに至つた者に対しては右臨時市議会の右議決にもとずいて公務員の待命退職に準じて退職手当金を支給する(上記退職手当金の範囲については当事者間争がない)義務があるものといわなければならない。
そこで証人中村源一(第一回)同香田四郎、同光武巽、同村山照、同高田敏雄、同中野巌の各証言を綜合すれば合併関係各町村の村長、助役、収入役は武雄市として発足した後に於ても町村長は当該旧町村の区域の支所長に、助役、収入役は一般職の職員としてそれぞれ一年に限り勤めることが出来るが残務整理等も終り勤務する必要もなくなつた場合は期間満了前に於ても退職することとしその場合に退職をした者には昭和二十九年度中即ち昭和二十九年四月一日より昭和三十年三月三十一日迄の間退職した日以降の残期間の俸給額相当の金額を退職一時金として支給を受けることが出来ること即ち昭和二十八年十一月一日施行、同年十二月二十八日改正人事院規則一五-七(特別待命)に準じて合併後一年間は町村長、助役、収入役に対して武雄市に於てその身分を保障する趣旨であつたことが認められるので結局被告市としては合併関係町村の町村長、助役、収入役が合併により退職するに至つた場合退職した日以後昭和三十年三月三十一日迄の残期間俸給額相当の金員を退職一時金として支給する義務があるものといわなければならず他に右各認定を覆すに足る証拠はない。
而して原告が昭和二十九年七月三十一日武雄市朝日町支所の吏員を退職したことは当事者間争がないが原告は原告が退職したのは残務整理も終了し朝日町支所に勤務する必要もなくなつたからで右合併の結果退職するに至つたものである旨主張し、被告は、原告が退職するに至つたのは合併とは関係のない原告自身の職務上の失態に基くものであるから原告に対しては退職手当金を支給する義務はない旨主張するのでこの点について判断するに証人岸川仁一、同中村茂作の各証言によれば原告は職務上の失態によつて武雄市朝日支所吏員の職を退いた旨の各証言があるが右各証言は後記認定の各証拠に照し措信し難い即ち成立に争いのない乙第二号証、証人中村源一(第二回)同村山照、同高田敏雄、同大渡利一(第一、二回)同岸川仁一、同中村茂作(証人岸川仁一、同中村茂作の各証言中前記措信しない部分を除く)同諸岡茂雄、同古川滝馬、同外尾猪一郎、同中山末松、同樺島義勝、同馬渡元義の各証言及原告並被告代表者本人尋問の結果を綜合すれば旧朝日村に於ては本件合併することになつた結果朝日村の廃庁式を行つたが、その際同村の自治功労者表彰規定に基き同村の村会議員として十五年以上勤労した人を表彰することになり原告は同村村長訴外中村源一の命により被表彰者について調査をなし、訴外村山照を被表彰者として加えたが右調査に異議をとなえるものがあつたので再調査したところ、同訴外人は表彰を受けるについて期間数ケ月が不足していることが判明したので原告は朝日村役場備付けの議員名簿に登載されていた村山照の当選年月日、任期、住所、氏名、生年月日まで墨を以て抹消してしまつたこと及このことが朝日村村議会に於て非難されたこと、更に旧朝日村高椋部落に保育園を建設することになり、その際当時武雄市朝日町支所に勤めていた原告は支所長の命によりその予算編成の衝に当ることになつたところ原告は業者に見積書を提出させ議案を作り朝日地区協議会に提出して審議した結果、屋根は粘土瓦を以て葺くことに決定されたが予算の関係からセメント瓦によるべく当初の建築計画を変更しようとしその旨佐賀県の許可を受け、事後承認の型で右協議会の承認を求めたところ同協議会に於て委員より議会を軽視するものである旨非難されたことがあるが前者の非難の点は当時武雄市朝日町支所長であつた訴外中村源一自身も昭和八年施行の村議会議員選挙に於て訴外村山照は補欠で当選しているものと思い込み右当選の日より算えて丁度十五年の年限に達していると感違いしていた位であり原告は訴外村山を被表彰者に推薦するについて特別の利害関係もなくその間不正の目的もなかつたし、後者の非難の点は前記保育園の建築は昭和二十九年一月着工し同年四月下旬頃完成したのであるが、その建築資金は厚生省から二分の一、佐賀県から四分の一の補助金の交付があり残り四分の一は地元負担であつて、佐賀県当局からも係官が指導監督に来ていたこと、朝日地区協議会は工事費を約金五十万円程度で承認することになり、業者に公入札に付した処江北町の峯組が落札し同峯組の出した見積書はそれより高い価格で落札していたが右協議会としては見積額で工事をすることを要望したこと、その様なことから原告は執行者として苦しい立場になり業者よりは工事費の増額をするか、粘土瓦をセメント瓦に設計変更して貰いたい旨要請され、そこで原告としては補助金のこともあつたので佐賀県に建設計画変更について相談したところ病院等でもセメント瓦葺が多くなつているからとの理由でこれが変更について承諾の回答を得たこと、ところが朝日町支所協議会で反対されたので当初の計画通り粘土瓦で工事を完成したこと、右工事も昭和二十九年四月下旬完成し保育園経営上必要な保母の採用、器具等の購入等も七月上旬に一通り済み合併後残務整理の仕事もなくなり朝日支所協議会に於ても助役の残務整理も済み辞めさせてもよいとの風評も起り原告も暇であるのに支所の吏員として留ることは種々の雑費も余計にかゝるものと判断して昭和二十九年七月二十九日附を以て朝日支所長訴外中村源一を通じて辞職願を出したもので前記各非難は当らないことが認められ他に右認定を妨げる何等の証拠もないそうだとすると原告が退職するに至つたのは本件合併に基くものであるということができる。
次に原告は被告より昭和二十九年三月三十一日退職慰労金として金十万円を、昭和二十九年九月二十日朝日村職員退職手当支給条例の定めるところにより金三万六千六百円の支給を受けたことについては弁論の全趣旨により認められるが、証人中村源一、同光武巽、同村山照、同高田敏雄、同大渡利一、同中野巌の各証言によれば右金十万円の慰労金は本件町村合併により合併関係町村は廃庁となるので町村長は金十七万円、助役、収入役は金十万円一般職員は金二千円とその外町村議会議員にもそれぞれ記念品代という名目で金員が支給されたものであつて、退職した者にも退職しないで武雄市の吏員又は市議会議員として残つた者にも一律に支給されていること更に朝日村職員退職手当支給条例により原告に支給された金三万六千六百円については前記認定の通り本件合併協定書第二項第四号の退職金手当に関する条項は合併により退職するの止むなきに至つた特別職の地位にある者に対する身分の保障の趣旨を以て協定されたものであるところ町村合併促進法第二十四条第三項には合併後一ケ年以内に退職を申立た職員に対しては退職手当金の支給については特に優遇するよう取り扱わなければならないと規定され一般職の職員に対しては勿論、特別職の職員に対してもこれが優遇しなければならないのは当然であるから合併により退職の止むなきに至つた者に対しては特に退職金支給条例以外に退職手当とし支給しなければならないことが認められるので原告が被告より右慰労金として十万円、退職手当支給条例により朝日支所吏員として退職した為の退職手当金三万六千六百円の支給を受けたとしても本件合併にもとずく退職一時金請求権とは何等の消長を来さないものと云わなければならない。そうだとすると合併当時特別職の地位にあつた原告はその任期が昭和三十年六月迄であり本件合併により退職するの止むなきに至つたものとして合併協定書第四項第二号に基く退職一時金を受ける権利は有するもので結局被告は原告に対し退職一時金十九万五千円を支払う義務があるものといわなければならない。而して原告並被告代表者本人尋問の結果によれば原告は昭和二十九年十二月二十五日武雄市役所に武雄市長中野敏雄を訪れ同市長に対し本件合併協定書第四項第二号に基く退職金を請求したことが認められ他に右認定を妨げる証拠もないので右請求の翌日以降被告は右退職一時金に対する遅滞の責を負うに至つたものと謂はなければならない。よつて爾余の点並に爾余の請求(国家賠償法第一条に基く請求)については判断するまでもなく原告の被告に対する退職一時金十九万五千円並に原告に於てこれが履行の請求をなした昭和二十九年十二月二十五日の翌日である昭和二十九年十二月二十六日より右完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求はこれを正当として認容しその余の請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 原田一隆 末光直己 西村四郎)