佐賀地方裁判所 昭和33年(ワ)162号 判決 1960年3月29日
原告 国
被告 株式会社佐賀銀行
主文
原告の本訴請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告指定代理人は「被告は原告に対し金二十九万千二百六十円及び内金二十六万四千円に対する昭和三十一年三月一日以降完済に至るまで百円につき一日三銭の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決を求め、その請求の原因として、
一、訴外協栄建設株式会社(以下訴外会社と称する)は、昭和三十一年九月二十五日現在において、昭和三十一年法人税(納期同年二月二十九日)金二十六万四千七百二十円、同法人税(納期同年八月三十一日)金十三万二千三百六十円、過少申告加算税金一万三千二百円、延滞加算税金一万三千二百円、滞納処分費金百四十円以上合計金四十二万三千六百二十円並びに右各税に附帯する利子税、延滞加算税を滞納していた。
二、訴外会社は被告に対し同年九月二十五日現在において無記名第二回割増金附「さかえ」定期預金百万円(昭和三十年十一月五日申込、元利金支払期日昭和三十一年五月五日)と同第四回割増金附「さかえ」定期預金百万円(昭和三十一年三月二日申込、元利金支払期日同年七月三十日)との合計金二百万円の定期預金債権を有していた。
三、佐賀税務署収税官吏は、国税徴収法第十条、第二十三条の一第一項にもとづき昭和三十一年九日二十五日訴外会社の被告に対する右定期預金債権のうち第一項記載の滞納税金、利子税、延滞加算税合計額の限度でこれを差押え、同日その旨を被告に通知し昭和三十二年二月二十八日までにこれが支払をなすよう通知した。
四、原告は訴外会社の前記滞納税金中法人税金十三万二千三百六十円については昭和三十二年四月二十七日に充当処理したので同税金は同日消滅したが、訴外会社はその余の前記第一項記載の各税金を支払わない。
五、よつて原告は被告に対し右差押にかかる前記定期預金債権のうち、昭和三十年十一月五日預け入れの定期預金百万円より訴外会社の残存滞納税金である前記昭和三十一年法人税(納期同年二月二十九日)金二十六万四千七百二十円、過少申告加算税延滞加算税各金一万三千二百円、滞納処分費金百四十円以上合計金二十九万千二百六十円相当額及びその内金二十六万四千円については履行期後である昭和三十二年三月一日以降完済に至るまで百円につき一日三銭の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及ぶと陳述し、
被告の答弁に対し
一、佐賀税務署収税官吏が右定期預金債権を差押え、被告にこれが差押通知書を発した当時被告が訴外会社に対し金二百七十万円の債権を有し該債権の担保として被告が右定期預金債権に質権を設定する際公正証書を作成しなかつたことはいずれも認める。
二、被告は本件債権差押通知書の差押債権欄に表示されているような預金債権は存在しないと主張するが、同欄記載の債権の表示に正確を欠く点があるとしても被差押債権の表示は要するに表示自体により債権が特定し、滞納者、第三債務者その他利害関係人に当該債権が差押えられたことが明らかになれば足りるのであつて、本件差押当時訴外会社は被告に対し金二百万円の前記定期預金以外には預金等の債権を有していなかつたのであるから、右債権が差押えられたことは明確であつて差押調書及び債権差押通知書の些細な誤記は差押の効力に影響がない。
三、被告は被告が訴外会社に対して有する前記金二百七十万円の債権と訴外会社が被告に対して有する前記定期預金債権は本件差押と同時に相殺適状となつたので被告の右債権を自働債権とし、訴外会社の右債権を受働債権として対当額で相殺したと主張するが、被告主張の被告と訴外会社間の手形取引約定によれば、訴外会社は被告に対し相殺権を附与することを内容とする相殺の予約を結んだのであつて、右約定所定の条件を充足する事実が発生すると当然に弁済期が到来し当然に相殺の効力が生ずる停止条件附相殺契約を結んだものではなく、右予約に基く相殺の効力は相殺権を附与された被告に於て予約完結権の行使によつて相殺の意思表示をすることによりはじめて生ずるものである。従つて被告としては右約定に基き相殺の意思表示をすると否とは全く被告の自由裁量に委ねられており、若し被告が右約定により弁済期を到来させて即時の弁済を受けようと欲すれば右相殺の意思表示をなすことができ、これを欲せず従来の弁済に従つて弁済を受けようと思えばこれまた何らの妨げはないわけである。ところで被告は本件差押前に前記約定をはたらかせ、右自働債権について期限の利益を剥奪し、よつて相殺適状の状態にさせ、相殺の効力を生じさせる予約完結の意思表示をしたと認められる何らの事実も存しない。又前記約定には被告は訴外会社に対して何らの通知をすることなく相殺することができる旨規定されているが、元来法律関係の変動は特別の場合を除いて意思表示によつてのみ生ずべきものであるから右規定は法律的に無意味である。のみならず被告が訴外会社に対して有する前記債権の履行期は昭和三十一年十月一日であつたところ同年十二月二十六日更に期限の猶予を与え、同日支払期日を昭和三十二年一月二十日とする手形に書換えさせ、同年二月四日に至りはじめて相殺の意思表示をなした事実からみても、被告が本件差押により前記約定をはたらかせ、前記債権につき期限の利益を剥奪して相殺適状を生じさせるため相殺予約の完結権行使の意思表示をしなかつたことは勿論、その意思すらも有しなかつたことは明らかである。従つて右債権は本件差押当時である昭和三十一年九月二十五日には未だその弁済期が到来せず相殺適状となつていないから被告は相殺を以て原告に対抗することはできない。と述べ、
立証として甲第一乃至第五号証を提出し、乙号各証の成立(乙第四号証の一乃至四第五号証については各その原本の存在)を認めた。
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、
原告の請求原因事実中、訴外会社が被告に対し昭和三十一年九月二十五日現在に於て原告主張の定期預金二口合計金二百万円の債権を有していたこと、佐賀税務署収税官吏が同日国税徴収法第十条第二十三条の一第一項にもとずき、右定期預金債権の内原告が主張する訴外会社の滞納税金、利子税、延滞加算税以上合計額相当額を限度としてこれを差押え、同日その旨並びに昭和三十二年二月二十八日までにこれが支払をなすよう通知したが、被告は同日までに右支払をなさなかつたこと、右訴外会社の滞納税金中法人税金十三万二千三百六十円については、昭和三十二年四月二十七日充当処理により消滅したことはいずれもこれを認めるが、訴外会社が昭和三十一年九月二十五日現在において原告主張のような税金を滞納していたことは知らない。原告の差押通知書によればこれに表示せられた預金債権は弁済期を昭和三十二年二月二十八日とされているが、被告は訴外会社に対し右弁済期に該当するような預金債務を負担しておらない。換言すれば右弁済期の預金債権は存在しなかつたのであるから右差押は無効である。
抗弁として、仮に原告の差押が訴外会社の被告に対して有する右二口の定期預金債権に対してなされた差押であつたとしても、被告は訴外会社に対し昭和三十一年六月十六日弁済期を昭和三十一年十月一日とする手形貸付による金二百七十万円の債権を有しており、該債権の担保として右定期預金債権に質権を設定し、その預金通帳二通を占有していた。尤も右質権設定に際し公正証書は作成しなかつたが、右貸付の際被告は訴外会社との間に訴外会社が他から差押を受けた場合は直に被告貸付債権の弁済期が到来する旨の取引約定を締結していたので右約定に基き本件差押によつて右手形貸付債権と右定期預金債権は相殺適状となり、被告は昭和三十二年二月四日訴外会社に対し右手形貸付債権を自働債権とし、右定期預金債権を受働債権として対当額において相殺する旨の意思表示をなした。ところでこの相殺の意思表示が本件差押後であつても、その自働債権たる前記貸付債権が原告の差押以前に取得されている限り右相殺の意思表示は有効である。
なお、訴外会社は昭和三十一年十二月二十六日額面金二百七十万円、支払期日昭和三十二年一月二十日の約束手形一通を被告宛に振出し、被告はこれを受取つたがこれは被告が前記のようにさきに訴外会社に金二百七十万円を貸付ける際訴外会社振出の同額の約束手形を受取つていたのでこの手形の支払期日に手形の書換をしたものであつて、右書換当時訴外会社から税金を完納するから右貸付金の支払を猶予して貰いたい旨懇請されたので、被告はいつでも本件定期預金債権と相殺することができる権利を抛棄することなく単に右貸付金の弁済期を猶予する意味において前記の如く手形を書換えたのである。
と述べ、
立証として乙第一、第二号証、第三号証の一乃至六、第四号証の一乃至四、第五号証、第六号証の一、二を提出し、証人山田虎雄、同岩永鉄雄の各証言を援用し、甲号各証の成立を認めた。
理由
一、訴外会社が被告に対し昭和三十一年九月二十五日現在において、(一)昭和三十年十一月五日申込、無記名、第二回割増金附「さかえ」定期預金百万円、元利金支払期日昭和三十一年五月五日、(二)昭和三十一年三月二日申込、第四回割増金附「さかえ」定期預金百万円、元利金支払期日同年七月三十日の二口の定期預金債権を有していたこと、佐賀税務署収税官吏が昭和三十一年九月二十五日国税徴収法第十条、第二十三条の一第一項に基き、右定期預金債権の内訴外会社の滞納税金、利子税、延滞加算税以上合計額相当額を限度としてこれを差押え、同日その旨並びに昭和三十二年二月二十八日までにこれが支払をなすよう被告に通知したが被告は同日までに右支払をなさなかつたこと、訴外会社の滞納税金中法人税金十三万二千三百六十円(納期昭和三十一年八月三十一日)については昭和三十二年四月二十七日充当処理により消滅したこと、被告が訴外会社に対し金二百七十万円の債権を有していたことは当事者間に争がない。
二、成立に争のない甲第一、二号証を綜合すると、訴外会社は昭和三十一年九月二十五日現在に於て、昭和三十一年法人税(納期同年二月九日)金二十六万四千七百二十円、同法人税(納期同年八月三十一日)金十三万二千三百六十円、過少申告加算税金一万三千二百円、滞納処分費金百四十円以上合計金四十一万四百二十円を滞納していたことが認められ、他に右認定を妨げる証拠はない。
三、被告は本件差押通知書の差押債権の表示によれば、原告主張の本件差押は前記第一項中(一)、(二)の定期預金債権を差押えたものとはいえないから右定期預金債権の差押として無効であると主張するのでこの点について判断する。成立に争のない甲第三、第四号証に証人山田虎雄の証言を綜合すると、本件差押通知書の債権者欄には協栄建設株式会社と表示され、また差押債権欄には差押えるべき債権の表示として「定期預金二百万円(昭和三十二年二月二十八日満期)」と記載され、本件差押調書の差押債権欄にも右通知書と同様の表示がなされており、これらの表示による定期預金二百万円の弁済期と前記(一)、(二)の定期預金債権の弁済期(この弁済期については当事者間に争がない)と相違していることが認められる。しかし本件差押当時訴外会社は被告に対する定期預金としては右(一)、(二)の定期預金合計金二百万円しか有しなかつたことが認められるから、右差押調書並びに差押通知書中の各差押えるべき債権の表示は右(一)、(二)の定期預金債権を差押えるものとしては正確を欠く憾みはあるが尚他の債権と紛れる程特定を欠いているとはいえず、右通知書全体の記載から見ると右差押を受けた債務者たる訴外会社、第三債務者たる被告に於ても容易に右(一)、(二)の定期預金債権が差押えられたものと理解できるところであつて、本件差押は右(一)、(二)の定期預金債権を特定して差押えたものと認めるのが相当であり同差押が不存在の債権を差押えた無効のものであるとする被告の主張は採用できない。
四、そこで被告主張の相殺の抗弁について判断する。被告が訴外会社に対し金二百七十万円の債権を有していたことは前記のとおり当事者間に争がない。成立に争のない乙第三号証の一乃至六、第五号証によると、被告と訴外会社との間には昭和二十七年十二月末頃より手形貸付による取引関係があり、被告が昭和三十一年六月十六日訴外会社に金二百七十万円を貸付ける際訴外会社が担保として被告宛に額面同額の約束手形を振出し、右手形は一ケ月毎に書換えられていたこと、最後の書換手形は昭和三十一年十二月二十六日に振出され、その支払期日は昭和三十二年一月二十日と記載されてあつたことが認められる。又成立に争のない乙第一、第二号証に証人山田虎雄、同岩永鉄雄の各証言を綜合すると、被告と訴外会社との手形貸付による取引関係について昭和三十年八月三日訴外会社は被告に対し取引約定書(乙第一号証)を差入れたこと、同約定書記載の各条項中第八条によれば借主たる訴外会社が国税、地方税、その他公租公課金等の滞納処分を受けたとき等同条各号に定められた事由があつたときは訴外会社の被告に対するすべての債務は弁済期が到来したものとし、訴外会社又はその保証人の被告に対する預金その他の債権は期限の如何に拘らず債務と相殺されても異議ない旨及びこの場合被告は訴外会社に対し何らの通知、催告も要しない旨が定められていること、同年十一月五日被告は訴外会社に対する右貸金債権の担保として被告に対する預金債権につき債権質を設定する旨の質権設定契約を締結し、被告は同契約に基き前記(一)、(二)の定期預金債権に対し質権を有していたこと(被告が右(一)、(二)の定期預金債権の各通帳を占有していたことは当事者間に争がない)が認められ、以上の認定を妨げるに足る何らの証拠もない。ところで取引約定書の右条項によれば停止条件附相殺契約のようにも窺えるが、同書第八条第五号に「貴行(被告)が借主又は保証人において債務を履行し得ない虞があると認めたとき」と記載され債権者たる被告の主観的事情が前記相殺の効力発生の一事由と定められている点と前記認定のように被告は本件差押の後に手形を書換え前記貸金債権の弁済期を猶予したこと、前掲証人山田、同岩永の各証言によつて認められる被告は同特約により本件差押後は何時でも右貸金債権と前記(一)、(二)の定期預金とを相殺できると考えていたが本件差押により当然相殺の効力が生ずると迄は考えていなかつたこと等の諸点を綜合すれば同特約は相殺の予約であつて、被告は右約定書第八条各号に定められた事由の発生した場合予約完結の意思表示である相殺の意思表示をなし得る権能を取得しているに過ぎないものと解するのが相当である。
被告が前記(一)、(二)の定期預金債権に質権を設定していたことは右認定のとおりであるが、質権設定に際し公正証書を作成しなかつたことは前記のとおり当事者間に争のない点であるから被告は同質権の実行により本件国税に優先して前記貸付債権の弁済を受領し得るものではない。
次に前記(一)、(二)の定期預金債権の各弁済期がそれぞれ昭和三十一年五月五日、同年七月三十日であることは当事者間に争がなく、又右認定のとおり被告が訴外会社より最後の書換手形を受領したのは本件差押のなされた昭和三十一年九月二十五日以後の同年十二月二十六日であつて、同手形の支払期日は昭和三十二年一月二十日であるから手形貸付による金二百七十万円の貸金債権の弁済期も同日に猶予されたものというべく、従つて同日以降同貸金債権と前記(一)、(二)の定期預金債権は相殺適状になつたものといわねばならない。成立に争のない乙第六号証の一、二に前掲証人山田の証言によれば、被告は同年二月四日訴外会社に対し右貸金債権を自働債権とし、前記(一)、(二)の定期預金債権を受働債権として相殺する旨の意思表示をしたことが認められる。而して民法第五百十一条は差押を受けた第三債務者が差押後に取得した債権を以て被差押債権と相殺しても差押債権者に対抗できない旨規定しているのであつて同条の反面解釈からも第三債務者は差押前に取得した債権を以て差押後に於ても被差押債権と相殺して差押債権者に対抗できるものと解すべき根拠があるばかりでなく又第三債務者が差押の時までに将来相殺に供し得る債権を有する限り差押によつて第三債務者の右相殺に供し得る期待を奪い去るべきではなく、このことは既に差押前に第三債務者が債権を取得している限り同債権と被差押債権が相殺適状となつた時期如何(差押の前後)によりその取扱を異にする理由はないと解するのが至当である。
そうだとすると本件の場合、前記認定のように被告が訴外会社に対する貸金債権は本件差押前である昭和三十一年六月十六日に成立し、該債権と訴外会社の被告に対する前記(一)、(二)の定期預金合計金二百万円の債権とは昭和三十二年一月二十日に相殺適状となつたわけであるから被告が同年二月四日右賃金債権を自働債権とし、右定期預金債権を受働債権としてなした相殺の意思表示は有効であつて同日右定期預金債権は消滅したものというべく、従つて被告は原告に対し右債権の消滅を主張し得るから被告の相殺の抗弁は理由がある。
五、よつて原告の右定期預金の存在を前提とする本訴請求は失当として棄却を免れず訴訟費用につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 原田一隆 末光直己 橋本達彦)