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佐賀地方裁判所 昭和36年(ヨ)60号 判決 1965年12月07日

申請人 中島博明

被申請人 杵島炭礦株式会社

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

申請代理人は「申請人は被申請人にたいして、雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。申請費用は被申請人の負担とする。」旨の裁判を求め、その申請理由を次のとおり述べた。

一、被申請人は石炭の採掘販売等を業とし、佐賀県において杵島炭礦を経営している。

申請人は昭和二五年五月に被申請人の経営している杵島炭礦に礦員として採用されたものである。

二、被申請人は昭和三六年三月一八日、申請人の属する杵島炭礦労働組合(以下労組と略称する)に申請人の懲戒解雇を申入れたが、その懲戒事由は

1  屡々他の従業員を教唆して、早昇坑、入坑拒否、入坑遅延等をなさしめ、或は会社係員の作業指示を拒否させ、

2  多数の従業員を煽動し、職制上の係員に対し、これを罵倒し、脅迫し、果ては監禁して、義務なきことを強要し、身体に危険の発生する不安を抱かせ、

3  自らもまた職制上の係員に対し、暴行、傷害を加え、義務なきことを強要した、

というのであり、これが被申請人の就業規則第六五条第一、三号および第一二号(就業規則各条の内容は後記のとおり。以下同じ)に該当するというのである。

労組はこの申入れに反対して被申請人と団体交渉を重ねたが、被申請人は昭和三六年四月一九日付で申請人に対し、右と同様の理由で懲戒解雇する旨通告した。

三、しかしながらこの懲戒解雇は無効である。

(一)  (就業規則違反の事実の不存在)被申請人の主張している解雇事由は、虚構の事実であるか、又ははなはだしい事実の歪曲であり、あるいは正当な労働組合活動を非難しているものである。

(二)  (不当労働行為等)仮に申請人にいくらか被申請人主張のような就業規則違反の事実があつたとしても、それが本件解雇の決定的な動機をなしたものではなく、その決定的な動機は、申請人がかねてから熱心な組合活動家であつたためである。即ち、申請人の組合幹部としての経歴は次のとおりである。

1  昭和二九年四月から三〇年六月まで、労組職場委員、大町炭礦青年会副会長

2  昭和三〇年六月から三一年六月まで、前同

3  昭和三一年六月から三二年六月まで、労組職場委員、大町炭礦青年会機関紙部長

4  昭和三二年六月から三三年六月まで、労組職場委員、大町炭礦青年会会長、労組四坑二区仕繰・掘進・日役職場分会副分会長

5  昭和三二年一〇月から三三年六月まで、労組特別調査委員会委員(昭和三二年八月から一〇月までの争議中で被申請人の不当労働行為に対する調査のための委員会)

6  昭和三三年六月から三四年六月まで、労組職場委員、労組四坑二区仕繰・掘進・日役職場分会会長、同査定委員

7  昭和三四年六月から三五年六月まで、前同のほか労組仕繰・掘進・日役職場協議会副議長

8  昭和三五年六月から三六年九月まで、前同、但し協議会議長

そのほか、申請人は昭和二九年一月から現在まで、日本共産党員であり、申請人が組合活動家であり、日本共産党員であることは被申請人会社内にひろく知れわたつていた。

被申請人はこのように熱心な組合活動家であり日本共産党員である申請人を解雇し、申請人を職場から追放するとともに、企業合理化反対闘争に直面していた労組を威嚇し、組合の団結を動揺させようとはかつたものである。このような意図でなされた解雇は、労働組合法第七条第一号第三号に該当し、かつ憲法第一四条第一項、労働基準法第三条、民法第九〇条に違反するもので無効である。

(三)  (解雇権の濫用)仮に申請人にいくらか就業規則に違反する事実があつたとしても、それらはいずれも被申請人の不当な行為によつて挑発された出来事であるか、古い時期の出来事であるか、又ははなはだ軽微な就業規則違反であるにすぎない。このような行為を理由に極刑である懲戒解雇をすることは社会通念に照して不当であり、これに対しては懲戒解雇以下のより軽い処分をすべきであつたのに、被申請人がいきなり申請人を懲戒解雇処分にしたのは懲戒権の裁量を誤り、かつ就業規則第六五条但書の解釈適用を誤つたものとして無効である。

(四)  (賞罰委員会の手続欠缺)就業規則第六六条によれば、労働基準法第二〇条第三項の認定がないかぎり、懲罰処分は礦業所長が賞罰委員会にはかつて行うことになつているところ、本件解雇については労働基準法第二〇条第三項の認定がないのに、賞罰委員会の手続がとられていない。就業規則第六六条本文の「懲戒処分は必要に応じ、、、、」という文言は、同条但書との関係上、労働基準法第二〇条第三項の除外認定がない限り、必ず賞罰委員会に諮らねばならない趣旨と解すべきである。賞罰委員会はつくられていなかつたけれども、就業規則の制定権は使用者である被申請人にあるのであるから、賞罰委員会を被申請人が自ら作らなかつたことは、被申請人が賞罰委員会にはかる義務を免れさせるものではなく、本件解雇は労働者保護のための規定である就業規則第六六条に違反して無効である。

四、申請人は被申請人に対し解雇無効確認の本案訴訟を提起すべく準備中であるが、被申請人からの賃金のみで生計を立てていた申請人は、その判決確定を待つていては将来回復できない損害を蒙るおそれがある。よつて申請人は本件申請におよぶ。

又、申請代理人は被申請人主張の解雇理由について次のように答弁し、かつ主張した。

1  (解雇理由1について。以下順次同様)昭和三三年六月二八日、五坑事務所会議室において四坑二区仕繰・盤打作業に関する査定協議が行われたこと、この交渉が二九日午前二時頃まで続いたこと、二番方、三番方礦員の大部分が入坑しなかつたことは認め、その余の事実は争う。礦員賃金の能率給の部分は賃金協定の枠の中で査定委員会における交渉により決定されることになつていたから、申請人らは査定委員会の権限外のことを要求したものではない。

2  昭和三四年七月八日、五坑総合事務所において、四坑二区の六月下期賃金査定協議が行われたこと、被申請人職員が査定打切りを提案したことは認め、その余の事実は争う。

3  昭和三四年八月二四日、四坑二区一一卸で川崎係員が鶴田組に対し、被申請人主張のような指示をなし、同組が主張のような賃金を要求し、川崎係員がこれを拒否したこと、会議室で川崎係員が誓約書に捺印したことは認め、その余の事実は争う。

4  否認する。

5  否認する。

6  昭和三四年一二月二日午前九時頃、被申請人主張の場所において北島係長補佐に対し、西岡礦員の死亡のため西岡組の人員補充を要求したことは認め、その余の事実は争う。申請人は組員の補充を要求したものであつて、組の編成替えを要求したものではない。

7  応援作業を拒否するよう教唆したことは否認する。炭礦では従来、礦員の同意なしに職種、職場を変更することは行われていなかつたのに、係員が一方的に職場変更を命じたために紛争が生じたものであり、申請人の全く関与しないところである。

8  その頃五坑採礦事務所で山本係員に協定違反の作業指示について抗議したことはある。その余の事実は争う。

9  争う。

10  昭和三六年三月一六日、四坑二区一二卸左三片の礦員が坑口六時間以上で昇坑したことは認める。

その余の事実は争う。

そのほか被申請人主張の就業規則各条の内容は認める。

なお、被申請人が申請人の懲戒解雇処分を労組に申入れて来たときも、又その後の解雇通告の時にも、被申請人が述べた懲戒理由は、被申請人が本申請事件において解雇理由として述べている1ないし10のうち1・2・3・5の事実のみであつてその余の解雇理由は本裁判係属後に攻撃、防禦の手段として主張されたにすぎず、本件の争点は被申請人の解雇の意思表示の効力の有無であつて、この効力いかんは解雇の意思表示の原因となつた申請人の行為いかんにより左右されるものであるから、もともと本件解雇処分の事由となつたものでない4・6・7・8・9・10の事実は本件解雇の効力に関係を有しないものである。

被申請代理人は主文同旨の裁判を求め、申請人の申請理由に対し次のとおり答弁した。

一、申請理由第一項の事実は認める。

二、申請理由第二項の事実中、申請人が労組の組合員であることは不知。その余の事実は認める。

三、申請理由第三項の(一)は争う。申請人を懲戒解雇にした理由は後記のとおりである。

四、申請理由第三項の(二)の事実中、申請人が熱心な組合活動家であつたことは不知、組合幹部としての経歴のうち、1ないし3は不知。4のうち労組四坑二区仕繰・掘進・日役職場分会副分会長であつたことは認め、他は不知。5は不知。6ないし8のうち労組四坑二区仕繰・掘進・日役職場分会長、同査定委員であつたことは認め、他は不知。申請人が日本共産党員であることは不知。申請人を職場から追放し組合の団結を動揺させようとしたことは否認する。本件懲戒解雇が不当労働行為であるとの主張は争う。

五、申請理由第三項の(三)は争う。

六、申請理由第三項の(四)の事実中、就業規則第六六条の内容および本件解雇について賞罰委員会の手続がとられていないこと、労働基準法第二〇条第三項の認定がなされていないことはいずれも認める。しかし賞罰委員会の手続を履践していない懲戒処分といえども無効ではないし、又本件解雇については労組との間に充分な協議をつくしている。

被申請代理人は被申請人が申請人を懲戒解雇にした理由を次のとおり述べた。

1  昭和三三年六月二八日、申請人は五坑事務所会議室において行われた四坑二区仕繰・盤打作業に関する査定協議の際、従来四坑二区におけるこの作業の賃金は能率給の固定給に対する比率を一四五%から一五五%の間で定められていたが、一二卸坑道仕繰盤打作業に従事していた永井組と高倉組の六月上期の賃金を一率に一六〇%とするよう要求し、かかる事項は被申請人、労組間で交渉すべき事柄であるにも拘らず、この不当な主張を容れさせるべく、礦員を教唆して一番方三四名を二時間早昇坑させ、二番方二二名、三番方三七名に入坑を拒否させ、これらの礦員約七〇名を煽動して、被申請人職員である村岡四坑々長、石橋労務係長、土橋採礦係長、永井採礦係長補佐を取囲み、これを罵倒、脅迫し、職員が退場しようとするのを実力で阻止し、特に、事態収拾のため本社に出頭命令を受けていた村岡坑長の退室を妨害し、同坑長が一旦前記事務所から出て本社に向かおうとしたところを多衆の力によつて引戻し、結局同日午後一時半頃から翌日午前二時頃まで右事務所に監禁して、二八日午後一時半以降の前記職員の会社業務遂行を全く不可能にした。

又、前記礦員の早昇坑、不就労によりこれら礦員の担当する作業個所の作業が遅延したのはもとより、礦業所全体の作業遂行に大きな障害をおよぼした。

これらの申請人の所為のうち、脅迫、村岡坑長の本社出頭のための退室妨害、その他職員に対する業務妨害は就業規則第六五条第二号(就業規則各条の内容は後記のとおり。以下いずれも同じ。)に、礦員約七〇名を教唆煽動して礦員らと共に職員を監禁した点は同条第一二号に、早昇坑、入坑拒否の教唆は同条第三号に各該当する。

2  昭和三四年七月八日、四坑二区の六月下期賃金査定協議に際し、その当時四坑は従来の一、二、三区を一、二区に統合し、その査定基準について問題があつたためこれを被申請人と労組間で交渉中であつたから妻鹿採礦係長はこの点に関する話合を打切るよう求めたが、申請人らは旧三区所属の礦員の査定基準の変更を要求し、五坑総合事務所において、礦員約六〇名を煽動して会議室に引入れ、右係長、同係長補佐の北島、松尾、遠藤、寺崎等被申請人職員を取囲んで罵言を浴びせ、同人らを午後三時半頃から一〇時までの間監禁して、同職員らの業務執行を妨害したほか、同職員らの背中や肩をこづき、妻鹿係長の手指に負傷させるなど暴行、傷害を加えた。

これらの所為のうち職員に対する業務妨害は就業規則第六五条第二号に、暴行を教唆し、礦員を煽動してこれとともに職員を監禁した所為は同条第一二号に各該当する。

3  昭和三四年八月二四日、四坑二区一一卸で坑道の破れがあつたので、被申請人係員川崎力男は同卸で作業中の鶴田組に、掘進作業を中止して破れ片付け作業をするよう指示したところ、同組は、中止した掘進作業の賃金を保障するほか、破れ片付け作業の賃金を要求したので川崎係員はこれを拒み、翌二五日の鶴田組と同係員との話合いも喧噪して結着しなかつた。翌二六日午後五時過、申請人は鶴田組その他の分会員五、六〇名と共に職員組合事務所に押しかけ、同事務所会議室において川崎係員を取り囲み、申請人らが主となつて同係員をつるしあげ、午後六時四〇分頃申請人は谷又喜と意思相通じ、椅子に腰かけて机につかまり、外に出されまいとしている右川崎の両手をねじり外し、両脇下に腕を差入れて入口附近まで引きずり出す暴行を加え、更に強制的に同人を近くの八幡神社境内に連れ出し、五、六〇名の礦員と共に同係員を取囲んで約一時間にわたつてつるしあげ、更に同係員を前記会議室に連れ戻して二時間近くつるしあげ、申請人らは申請人が書いた謝罪の誓約書に捺印すべく強要して捺印させた。

これら申請人の所為のうち川崎係員に対する暴行は就業規則第六五条第二号に、誓約書に捺印されて義務なきことを強要したことは同条第一二号にそれぞれ該当する。

4  昭和三四年九月三〇日午前一〇時頃、弁天連卸切替分岐点附近において、坑内巡視のため入坑した妻鹿採礦係長に対し、申請人が前項の暴行事件で捜査、起訴されたことについて、同係長が捜査官に対し申請人らに不利な供述をしたとして、同係長を取囲んで難詰し、谷又喜と意思相通じ、申請人が「証人として出廷しないことを誓約せよ」と不当な約束を要求し、「お前は係長であるが、礦員の諸君は使はせんぞ、帰つて子供の顔でも見ておれ」と申向け、谷が「働いている二〇〇人を連れて来るぞ、その時になつてあわてるな」と申向けるなど三〇分にわたつて同係長を脅迫した。

右の行為のうち、脅迫の点は就業規則第六五条第二号に、不当な約束の要求は同条第一二号にそれぞれ該当する。

5  昭和三四年一〇月一四日、採礦係長補佐松尾松次は査定委員である申請人、谷又喜らと共に検収及び作業条件確認のため坑内を巡視していたところ、弁天卸第一岩盤坑道の詰所附近において、申請人らは松尾係長補佐に対し、山口組の材料運搬の操作給を出せと不当に要求して、これを拒まれたことに憤激し、「ほんとにお前操作給を出さんのか」と云つて片手で同補佐の襟をつかんで首を締め、前記谷が同補佐が首に巻いていたタオルを両手でもつて首を締めるなどの暴行を加え、更に七卸堅支道において、右谷が同補佐のかぶつている鉄帽に白墨で一八〇%と落書して威圧を加え、もつて同補佐の業務である坑内巡視を妨害し、同補佐は申請人らの行動に危険を感じて、以後申請人らと坑内巡視をしなくなつた。

以上の暴行、威圧を加え、恐怖のあまり同補佐をして以後査定委員との坑内巡視を中止するに至らしめた行為は、いずれも就業規則第六五条第二号に該当する。

6  昭和三四年一二月二日午前九時頃、五坑採礦事務所で四坑二区採礦係長補佐北島信市が賃金伝票の整理をしていたところ、申請人が四、五名の礦員と共に同事務所に来て北島係長補佐に対し、同年一一月三〇日に殉職した西岡礦員の補充として西岡組の人員補充を要求した。

しかし、西岡組は西岡礦員の殉職前は四名で編成していたが、通常仕繰の組は三名編成で補充の必要がないことや、組の編成は同係長補佐の権限外のことでもあるので、同係長補佐はこの要求をとり上げなかつたところ、申請人らは同係長補佐を取り囲み、口々に「お前が西岡さんを殺した」「お前は人殺しだ」等の暴言をあびせ、約四〇分間にわたつて同係長補佐をつるし上げ、その間同係長補佐の伝票整理の業務を妨げた。

この行為は就業規則第六五条第二号に該当する。

7  杵島礦業所では四坑二区の第一岩盤と一二卸との間が約三〇メートルの落差があつたので、之を貫通させて入気および材料運搬坑道を設けるべく、昭和三五年二月頃から掘進にかゝり、八月からこれを緊急個所として、おそくとも九月二〇日までには完成を期していたが、作業員のうちで休む者があると作業能率が著るしく落ちるので、係員の指示により本来の担当組以外の組員に応援させる必要があり、八月上旬と九月一日には永江採礦課長補佐と労組高村生産部長との間にこれに協力する約束がなされた。ところが九月一日申請人は、谷又喜宅に四坑二区の掘進夫らを集め、応援を拒否するよう教唆したため、掘進夫等は同月三日、五日、六日になされた係員の応援指示をいずれも拒んだほか、前記坑道が貫通した九月二八日までの間の応援指示の殆んどを拒否した。坑道貫通予定から八日も遅延したのは応援がなされなかつたことが大きく影響している。

この応援作業の指示拒否の教唆は就業規則第六五条第三号に該当する。

8  昭和三六年二月三日朝、四坑二区左二片の奥で崩落があり水量が増えて来た。同片のバツクさらえは六時間特認個所でありかつ四交替で作業に当つていたので、四番方が作業現場を離れて次の方が現場に来るまで二時間あり、その間にポケツトに水が入つてポケツトの積込が不能になるので、同個所の係員山本信文は、バツクさらえをしていた中原礦員に対して次の作業員が現場に着くまで働く、いわゆる面交替を指示した。

山本係員が昇坑後、五坑採礦事務所で賃金伝票および着到簿の整理をしていたところ、午前九時四〇分頃申請人が先頭となり、他の礦員七、八名と同事務所に押しかけて山本係員を取り囲み、中原礦員に対する面交替の指示を協定違反であると非難して、その作業指示の取消を迫り、又六時間以上在坑したことに対して賃金を払えと要求した。

しかしながら申請人らの非難と要求は、昭和三五年九月一五日に被申請人と労組間に取り交された仕繰夫の賃金並びに作業量に関する覚書によれば理由のないものであるから、山本係員はその旨を再三説明したが、申請人らは聞き入れず、「昨日今日北海道から来て杵島のことが何がわかるか」「このふうけもん」等と罵言をあびせ、同人を侮辱し、約四〇分間にわたつて同人をつるしあげ、その業務の執行を妨げた。

右のうち山本係員に対する業務妨害は就業規則第六五条第二号に、同係員の正当な作業指示である旨の説明をきかず作業指示の取消を迫つた行為は同条第四号の「正当な指示に服従しなかつたとき」に、同係員に対する侮辱は同条第一二号に各該当する。

9  昭和三六年二月四日午後一時頃から申請人は白水礦員を交えた他六名位の礦員と共に五坑採礦事務所に押しかけ、前日四坑二区第一岩盤仮詰所においてバツクさらえ作業を従来の五時間特認取扱から六時間特認取扱に変更したことについて、福島次男係員が白水礦員らに説明した際、福島係員が労組を侮辱したと称して、永江課長補佐らに抗議したが、午後二時近くなつたので永江課長補佐が二番方である白水に入坑を指示したところ、申請人は「入坑しなくていい」と云つて入坑指示を拒否させた。この抗議は深夜まで続けられたが、翌五日午前一時半頃に至り、申請人は待機させていた三十数名の礦員と共に採礦事務所に隣接する総合事務所に押入り、同事務所で事態の収まるまで待機していた福島係員、宇賀神課長、永江課長補佐を取り囲み、三〇分間にわたつて福島係員の謝罪を要求し続けた。

以上の行為のうち、永江課長補佐の白水礦員に対する入坑指示を拒否させたことは就業規則第六五条第四号の「正当な指示に服従しなかつたとき」に該当し、前日の8記載の作業指示取消の強要と相俟つて、正当指示に「屡々」服従しなかつたことゝなり、福島係員に対する謝罪強要は同条第一二号に各該当する。

10  四坑二区一二卸左三片掘進作業は、作業を進捗させるため四交替で掘進に当つていたが、作業個所が降水が多いため昭和三六年三月一六日の一番方までは六時間特認扱いとなつていたところ、降水を防止する設備が完成したので、北島係長補佐が同日二番方から特認を取消し、現場面交替をするよう指示し、同行していた労組査定委員の高祖らもこれを了承した。したがつてこの場合作業員の在坑時間は、作業現場で六時間と、これに坑口から現場までの往復時間を加えたものとなるのに、申請人は四交替も坑口六時間で昇坑してよいのだと称して、同日二番方、三番方の礦員一四名を教唆煽動して、坑口六時間で早昇坑せしめ、同片礦員をして同月二五日まで引続いて早昇坑させたため、被申請人がこの作業を四交替として急がせた目的を達し得ず、採炭の為の材料運搬および通気に非常な障害を及ぼした。

又、同月一七日午前九時半頃、五坑採礦事務所において、前日の検収結果を整理していた北島係長補佐のところへ、申請人は数名の礦員を連れて、前記同月一六日の二番方、三番方の出勤票を持つて来て、実際には現場面交替をしていないのに、四交替の捺印をせまり、同日午前一一時まで執拗にこれを要求して同係長補佐の前記執務を妨げた。更に、申請人は同片の礦員を教唆し、同礦員をして、本来繰込係が保管すべき出勤票(同月一七日、一八日、二〇日分、四〇枚以上)を申請人の手許に持参させて不法に所持し、被申請人の再三に亘る提出要求に応ぜず、同月二三日に至つてようやくこれを返還した。このため同片礦員らの賃金計算に重大な障害を与えた。

以上の行為のうち、礦員を教唆して出勤票を自己の手許に持参せしめ、以つて賃金計算業務を妨害した事実、および北島係長補佐に対する業務妨害は就業規則第六五条第二号に、坑口六時間で礦員を早昇坑させた行為は同条第三号に、出勤票の提出要求を拒んだことは同条第四号に、出勤票に四交替の捺印を強要したことは同条第一二号に各該当する。

当事者双方主張の就業規則の関係条項。

第六五条 礦員が左の各号の一に該当するときは懲戒解雇する。但し情状によつては謹慎(出勤停止)に止めることがある。

(1)  法令又は当礦業所所定の規則に違反したとき

(2)  他人に対し暴行脅迫を加え又はその業務を妨害したとき

(3)  故意に事業の妨害となる行為をなし若しくはこれを教唆煽動したとき

(4)  作業に関する正当な指示に屡々服従しなかつたとき

(5)  引続き無断欠勤一五日以上又は正当な理由なくして欠勤三〇日以上におよんだとき

(6)  勤務を怠り社外の業務に従事する等甚しく背信行為をしたとき

(7)  就職に際し氏名を詐称する等重要な経歴を詐りその他不正な方法を用いて雇入れられたとき

(8)  業務上の横領その他背任の行為をなしたとき

(9)  前条第四号乃至第一〇号に該当しその情状が重いとき又は回を重ね改悛の見込がないとき

(10)  謹慎中行状不謹慎にして改悛の見込がないとき

(11)  禁錮以上の刑に処せられる犯罪を犯したとき

(12)  その他前各号に準ずる行為のあつたとき

第六六条 懲戒処分は必要に応じ礦業所長、賞罰委員会に諮つて行う

但し労働基準法第二〇条第三項の認定があつた場合はこの限りでない

第六九条 賞罰委員会に関する規定は別に定める

(疎明資料省略)

理由

(当事者間に争のない事実)

一、被申請人は石炭の採掘販売を業とし、佐賀県において杵島炭礦を経営し、申請人は昭和二五年五月に被申請人の杵島炭礦に礦員として採用された。

二、被申請人は昭和三六年三月一八日、杵島炭礦労働組合に申請人の懲戒解雇を申入れ、その懲戒事由として示されたのは申請人主張の三項目であり、労組はこの申入れに反対して被申請人と交渉を重ねたが被申請人は昭和三六年四月一九日付で申請人に対し右と同様の理由で懲戒解雇する旨通告した。この懲戒解雇については就業規則に定められた賞罰委員会に諮る手続はとられていない。

三、申請人は昭和三二年六月から三三年六月まで労組四坑二区仕繰・掘進・日役職場分会副分会長、昭和三三年六月から三六年九月まで右分会長、査定委員であつた。

四、昭和三三年六月二八日、五坑事務所会議室において四坑二区仕繰盤打作業に関する査定協議が行われ、翌二九日午前二時まで続き、二番方、三番方礦員の大部分が入坑しなかつた。

昭和三四年七月八日五坑総合事務所において、四坑二区の六月下期賃金査定協議が行われ、被申請人職員が査定打切りを提案した。

昭和三四年八月二四日四坑二区一一卸で川崎係員が鶴田組に対し、掘進作業を中止して破れ片付け作業をするよう指示し、鶴田組が掘進作業の賃金を保障するほか破れ片付け作業の賃金の支給を求め、川崎係員はこれを拒んだ。同月二六日川崎係員は謝罪の誓約書に捺印した。

昭和三四年一二月二日午前九時頃、五坑採礦事務所において申請人は北島採礦係長補佐に対し、西岡礦員死亡のため西岡組の人員補充を要求した。

昭和三六年二月三日、申請人は五坑採礦事務所において、山本係員に対し同係員の中原礦員に対する面交替の作業指示を協定違反であるとして抗議した。

昭和三六年三月一六日四坑二区一二卸左三片の礦員は坑口六時間以上で昇坑した。

以上の事実はいずれも当事者間に争がない。

(就業規則違反の事実の有無など)

一、申請人は解雇理由とされた就業規則違反の事実の存在を争うので、その存否を判断するが、その判断の対象とさるべき違反事実の範囲について、申請人は本申請において主張されている就業規則違反の事実の多くは、解雇通告当時明らかにされていなかつたものであるから、解雇の効力如何は、解雇通告当時明らかにされていた規則違反の事実のみを対象として判断さるべきであると主張するのでまずこの点を考える。

懲戒解雇の場合には懲戒理由を明示して被解雇者の弁疎を可能ならしめることが、雇傭関係の信義則から要求されるものであると解されるところ、成立に争のない乙第一八号証によれば、被申請人は申請人に対する解雇通知において、解雇理由を「就業規則第六五条に該当する行為があつた」としていることが認められるが、それより一ケ月前である昭和三六年三月一八日、被申請人は労組に申請人の懲戒解雇を申入れて、その懲戒事由として申請人主張の三項目を示し、被申請人と労組とはこれについて交渉したことは当事者間に争のない事実であるから、この事実に鑑みると、申請人に対する解雇理由はこの三項目の事実を示すことによつて明示されているというべきである。そして、なるほど成立に争のない甲第三号証によれば、被申請人は労組に対する懲戒申入に際し、右三項目を示したほか、その具体的事実の二、三の例示として、被申請人が本申請において主張している前記就業規則違反の一〇項目の事実のうち、1・2・3・5の事実のみを掲げ、その余の事実は例示として具体的には掲げられていないことが認められる。しかしながら右の1・2・3・5の事実は右認定のように例示として掲げられたものであつて、例示以外の事実を排除するものではないし、被申請人が示した三項目の懲戒理由と被申請人が本申請において主張している4・6・7・8・9・10の事実とを対比してみると、これらの事実はおゝむね被申請人が示した三項目の要約された懲戒理由に該当することが認められるから、これらの事実が解雇理由として示されなかつたとする申請人の主張は理由がない。それに、使用者と労働組合との間の協約によつて、解雇の場合には使用者と労働組合とが協議することが解雇の要件とされているような場合には、この協議に付議されなかつた事実を解雇事由として主張することは許されないが、本件の場合のように、かかる協約のない限り、解雇の意思表示の際に明示された以外の就業規則違反の事実を解雇事由として裁判上主張することを拒まねばならない理由はない。よつて以下被申請人の主張にかかる一〇項目の就業規則違反事実を対象として、その事実の存否ならびにそれが懲戒解雇に相当する規則違反であるかどうかについて判断する。

二、そこでまず被申請人の主張する申請人の規則違反の行為はすべて、申請人が労働組合職場分会長ないしは、これが当然に兼務するものとされる査定委員として行動し、又はそれに関連して行つた行動であるから、各就業規則違反事実の認定の総論的前提として、職場分会長の地位、査定委員の地位、職務、査定協議の実際などについて考察する。

成立に争のない甲第一、二号証、乙第二一号証の一、二、第二四号証の一、二、申請人本人尋問(昭和四〇年三月一六日)の結果により真正な成立を認められる甲第一〇号証、証人中島福次(昭和三八年二月一九日)、同平岩繁美、同石橋喜平(昭和三七年一一月六日)、同中野竜明(昭和三八年三月一九日)の各証言および申請人本人尋問(同年四月一六日)の結果によれば次の事実が認められ、これに反する疎明はない。

「申請人の属する杵島炭礦労働組合には、各礦所の各職場毎に組合下部機関として職場分会が設けられ(昭和三四、五年頃には六十数分会があつた)、申請人が就労していた四坑二区においては、二区仕繰・掘進・日役職場分会があつて、分会長一名、副分会長二名その他の役員があつて組合員四百数十人を擁し、申請人は昭和三二年六月から翌三三年六月まで副分会長、昭和三三年六月から三六年九月まで分会長の職にあつた(この役職にあつた事実は前示のとおり当事者間に争がない)。分会長は分会を代表し、分会の運営と統制をはかり、決議機関(職場総会、拡大委員会、職場役員会)を召集するものとされる。

査定委員の制度については、杵島炭礦においては昭和三〇年一一月以前から、被申請人と労組の協定によつて査定委員の制度が設けられているが、これは主として請負給、能率給の支給される職場において、賃金、労働条件等に関する規則、協定等の公正、円滑な適用、実現をはかるための、被申請人側の担当員と労組側委員との協議の制度であつて、査定委員の任務とされる事項は次のようなものである。一、作業個所の条件認定(作業現場の作業条件の良悪によつて作業時間を短縮し、又は賃金を加増する制度があるので、その前提となる坑内作業個所の条件を認定する)二、作業個所の条件および協定適用についての検討 三、査定の協議(請負および定率(時間給)個所適用の決定や請負個所についての標準作業量の決定)四、検収等(達成作業量の確認など)五、査定に関連する苦情処理 六、査定委員間で必要と認める事項。労組側査定委員は各分会毎に組合員によつて選出されるが、分会長は当然に査定委員を兼務し、そのほか沿層掘進、岩石掘進、仕繰、採炭などに分かれて、二区分会においては任期一年で、十数名の査定委員が選出され、その氏名は被申請人に登録される。申請人は昭和三三年六月以降解雇通告の日までこの査定委員であつた。

被申請人側の委員は、特に委員として任命されず、大体職制にしたがつて係長、係長補佐、係員などがこれを担当し、そのほか随時坑長、課長ら上級職員の指示によつて課長補佐ら上級者も査定協議に参加している。この査定は一期(賃金支給の基準となる半月間)のうち前記査定業務の第一項について三日間、第二、四、五、六項について四日間、査定協議については二日程度を目安として必要日数をこれに当てることに協定され、労組側の査定委員に対しては査定業務に服している間の賃金は被申請人の負担によつて支払うものとされている。査定協議は通常は午前八時頃から午後四時頃までになされるのであるが、協議が結着しないために(協議に際して意見が分かれた場合の処置については協定はなく、格別の慣行もない)協議が深夜におよぶことが四坑二区以外においても屡々あり、査定委員でない分会員が査定協議を傍聴するために参集し、協議場に入ることが四坑二区以外においても屡々あつた。又、査定協議が査定委員の間で結着せず、解決が困難な場合には、屡々労組役員(主として生産部)が解決に乗り出し、労組上層部と被申請人上層部との交渉に引き継がれて解決した。そのほか、昭和三三年六月に申請人が二区職場分会長となつて査定委員になるまでは、四坑二区における査定協議は協議の実質を備えないもので、二区の組頭らはより条件のよい作業を得、又査定について有利な取扱を受けるため、被申請人側係長補佐ら担当員に物品を贈るなど賄賂を供し、ために被申請人側係員の専横を招いていたが、申請人が査定委員になつてからは、これを改め、査定並びに査定協議において、申請人が中心になつて分会員の主張を強力に提示するようになり、分会員に対しても査定協議の進捗状況や結果をその都度報告して、査定協議の内容を知らしめるようになつた。」

右認定によれば、査定委員は、査定および査定協議に従事している間の賃金を使用者たる被申請人によつて支給され、被申請人が使用者として行う被傭者の賃金等決定のための一段階を担当する機関に組み込まれているものであるから、査定委員の行う査定業務は会社業務であつて、労組側選出の査定委員が労組の下部機関であつたり、査定協議が使用者と労働組合の一機関との団体交渉であつたりするものではない。

しかしながら査定業務の内容が、作業条件による労働時間や賃金の決定に密接な関係があり、又これらに関する苦情の処理およびそのほかにも査定委員間で必要と認める事項などかなり広汎に弾力性のあるものとされており、又労組側査定委員は組合員からの選出に委ねられていてそれが賃金、労働条件等に関する協約、就業規則などの公正円滑な実現をはかるための協議の制度であつてみれば、査定業務が会社業務であつても、労組側選出の査定委員は、協約等の公正な実現のために労働組合員の利益を擁護すべき立場から査定業務にたずさわる者として予定されていることは明らかで、してみれば、その活動は労働組合活動の実質をも併せ有するものであると云わねばならない。そうして作業個所の条件の認定などの事実の認定や協約の適用について、労使の利害の対立のために労組側査定委員と被申請人側担当者との間で意見に相違を来たすことが生ずるであろうことは容易に考え得ることであり、又その意見の相違のため、ことに査定協議が相当に紛糾することもあろうことは、通常予期されることゝ云わねばならない。そして査定に関する苦情処理が査定業務のひとつにあげられていることからみても、不断に生起する労働時間、賃金等の労働条件や協約の適用の問題を、折衝の機会の多い被申請人担当者と査定委員との間の協議に付して、より具体的に、柔軟に解決することによつて、労使間の円滑を図ることも査定委員制度に期待されているものと考えられる。とすると査定協議が、双方の意見の相違のため紛糾し、労組側査定委員が被傭者の利益を擁護しようとする余り、協議における言動が粗暴にわたり、或いは査定協議が団体交渉的性格をおびて来ることは、ある程度まではやむを得ないものとされねばならないし、そのほか申請人らの礦員という職業から来る、日常の言動のいろあいをも考慮にいれて、以下の就業規則違反の有無を認定せねばならない。

三、以下各就業規則違反の事実について判断する。

1  成立に争のない乙第六号証、証人村岡忠道、同石橋喜平(昭和三七年一一月六日)の各証言、証人中野竜明(昭和三八年三月一九日)、同松尾忠康、同平岩繁美、同瀬戸口三十四の各証言および申請人本人尋問(昭和三八年四月一六日)の結果の各一部を総合すると次の事実が認められる。

「昭和三三年六月二八日、午前八時三〇分頃から五坑総合事務所会議室において、労組側査定委員申請人、瀬戸口三十四、浦中照男、被申請人側査定担当者永井採礦係長補佐ほか一名によつて査定協議が開かれたが(当日同所において査定協議があつたことは前示のとおり当事者間に争がない)正午近く、四坑二区一二卸坑道の仕繰、盤打作業に従事していた永井組と高倉組の六月上期の賃金査定になつたところ、申請人ら労組側査定委員は固定給と能率給で構成されている賃金の能率給(固定給に対する割合で表わされる)を一六〇%にすることを求めたのに対し、永井係長補佐はこれを過大な要求であるとして討議の継続を拒んで離席し、討議は中断された。労組側査定委員はこれを誠意なきものとし、瀬戸口、浦中委員は繰込場において入坑しようとしている二番方礦員および昇坑して来た一番方礦員ら(この一番方は四七、八人のうち、このとき三四人が定時刻よりも数十分早く昇坑しているが、当時は礦員が先山(組頭)に在坑時間を示す出勤票を託して、早昇坑することがやゝ慣行化していた。)に対し、右査定の模様を報告したところ、二番方の一部礦員は入坑したが、右礦員らのうち約六〇人(いずれも二区分会員)が同査定委員らの一応の制止にもかゝわらず、委員会を傍聴せんものとしだいに会議室附近に集つた。一方この気配に、被申請人側査定担当者石橋は、四坑々長村岡忠道に事情を報告し同坑長や土橋採礦係長が加わつて、午後一時三〇分頃から委員会が再開されたが、集つた分会員のうち約四〇人は会議室に入つて委員らの机の周辺に立ち、他は窓からのぞき見、やじを飛ばす者もあつて相当喧噪な状態であつた。その間、村岡坑長が午後二時入坑予定である二番方の礦員に対して入坑するよう再三求めたところ、申請人が「一六〇%を認められぬといつているのにどうして皆が仕事に行かれるか」と発言したこともあつた。双方の委員の主張は折合わず、申請人らは午後二時三〇分頃、村岡坑長らに対し別室で検討するよう求め、坑長らは坑長室へ退室し、午後五時頃まで坑長室において、双方の担当者、査定委員のみで討議がなされた。申請人らの主張は、従来四坑二区の仕様、盤打作業の能率給は四坑一区、三区、五坑の同種作業に較べて不当に低く、又永井、高倉組の作業個所は従前より作業条件が悪くなつており、なお従来は被申請人係員の専横のため査定並びに査定協議が正常に運営されず、同一作業に従事しても、組によつて賃金を差別されるなど不当な扱いをうけていたものであつて、一六〇%に増額すべきものとするものであり、被申請人側委員の主張は、従来四坑二区の仕繰、盤打作業の能率給は一四五%ないし一五〇%の間で、作業条件(片の温度、片の広さ、坑道の傾斜その他)や組の実績を勘案して定めるもので、永井、高倉組の作業個所の条件は従前と変つていないから、永井組は一四五%、高倉組は一五〇%を相当とするというものであるが、一六〇%が相当であるかどうかは別として、申請人らの主張した事情はおゝむね事実に添うものであつた。

午後五時頃、前記分会員は坑長室へ移つて来て、坑長室において再び喧噪な状態になり、五時半頃、坑長は上長である藤瀬次長から三坑に来て経過状況を説明せよとの連絡を受け、二回位室から出ようとしたが礦員らに囲まれて阻止され、他室へ電話をかけに行つても二人位の分会員が同行し、申請人ら査定委員も「賃金を決めてくれさえすればどこへ行つてもよい、それまでは出てもらつては困る」など云い、午後八時頃には、坑長が屋外へ出たところ、礦員が「坑長が逃げよるぞ」と叫び、申請人が率先してほか数人とともに坑長を室内に連れ戻したこともあつた。

このような状態で、申請人らはその要求を容れられないため、従来査定協議において解決が困難な場合には労組生産部が問題をとりあげて被申請人側と交渉する例もあつたので、申請人は生産部からの参加を求め、これに応じて、午後八時頃労組生産部から平岩生産部長、高村同次長が到来し、その後は労組側は平岩らが主となつて交渉に当つたが、午後九時三〇分頃には三番方の礦員三〇人位(三番方礦員の大部分が入坑しなかつたことは前示のとおり当事者間に争がない)が更に坑長室附近に集つて喧噪し室内に入つて来たため、査定委員らは会議室、坑長室更に会議室へと場所を変えながら、翌二九日午前二時頃に至つた。そこで村岡坑長、石橋労務係長、緒方課長補佐(五時過から参加した)は交渉の打切りを求めて会議室を出たところ、廊下において待機していた礦員らに取り囲まれ、申請人もこれに加わつて容易に身動きできない状態になつて罵言をあびせるなど喧噪したため、午前二時四〇分頃平岩生産部長が礦員らを戸外に集合させ、坑長らとの間に交渉は引続いて行う、永井係長補佐が査定場から離席したことは謝まるなどの了解ができた旨を報告し、坑長らは拘束をとかれた。

この問題については同年七月四日頃、申請人ら査定委員をまじえない労組上層役員、生産部と被申請人側との交渉により、三卸堅支道の作業は一五七%、その他の坑道の作業は一六〇%の能率給を給することに落着した。」

右認定に反する証人中野竜明(昭和三八年三月一九日)、同松尾忠康、同瀬戸口三十四、同平岩繁美の各証言並びに申請人本人尋問(昭和三八年四月一六日)の結果の各一部は、証人村岡忠道、同石橋喜平(昭和三七年一一月六日)の各証言に照して採用せず、証人石井善九、同本山魏の各証言は成立に争のない乙第八号証の一ないし三並びに証人山口愿の証言(昭和三九年九月一日)に照して措信しない。

右の申請人の行為が被申請人主張のような監禁に当るかどうかについて考えるに、村岡坑長は、午後一時三〇分頃から査定協議に加わつたのであるが、午後五時頃までの間、坑長らが行動の自由を奪われていたことは認められない。しかし午後五時頃分会員が坑長室へ来てからのち、翌二九日午前二時頃坑長が打切りを求めて室外に出たときに、申請人ら分会員がこれを取囲み、同四〇分頃、平岩生産部長がこれを集合させて拘束をとくまで、申請人ら分会員は坑長の行動の自由を拘束してこれを監禁していたというべきである。その他の職員の動向は明らかでないから、これが監禁されていたとは認められない。

そこで、この坑長監禁の行為が就業規則第六五条第一二号に該当するかについて考えるに、同号は「その他前各号に準ずる行為のあつたとき」としているのであるが、就業規則において懲戒事由が明定されている場合には、それは懲戒の事由を明確にするとともに、明定された事由に該る行為がなければ懲戒されないことをも示しているものであるから、各事由の列挙は制限列挙と考えるべきであり、したがつて、又、同条第一二号のような概括条項もこれを厳格に制限的に解釈しなければならない。しかして懲戒の目的は職場における企業秩序維持を目的として定められるものであるから、かかる目的に鑑み、又、懲戒解雇は最も重い懲戒(成立に争のない乙第五号証によれば、就業規則には事由と情状にしたがつて順次、譴責、減俸減給、謹慎、解雇の四種が定められている)であることを考慮したうえ、第六五条第一ないし第一一号に定める事由に比肩すべき企業秩序違反の行為をもつてはじめて同条第一二号に該当するものとせねばならないし、そのうえ第六五条各号の文言に一応該当するものであつても、同条が情状によつては謹慎の処分に止めることがあることも定めていることから考えると、その企業秩序違反が解雇に相当するものであるには、その程度が重くなければならない。このような見地から、右監禁の行為を考えると、査定協議の行き詰りがその原因であることや査定協議が実質上労働組合活動の実質を有することを考慮してもなお、企業秩序を自己の要求を達せんが為にびん乱するものであつて、第六五条第二号の「他人に対し暴行、脅迫を加え」ることに準ずるものとして、その程度も著るしく職場秩序を害するものであり、申請人の分会長としての主動的な立場や、自ら坑長を連れ戻した行為を考えると、申請人の監禁の行為は第六五条第一二号に該当すると云わねばならない。

次に村岡坑長の本社出頭のための退室妨害、その他午後一時半以降の坑長ら職員に対する業務妨害については、村岡坑長らは査定協議を進捗させるため現場に臨んだのであるから、協議に参加することを自らの業務としたのであつて、他に格別の為すべき業務があつたのではなく、村岡坑長の退室妨害にしても、坑長は査定協議の模様を藤瀬次長に報告しようとしたもので、査定協議に付随したことをしようとしたに過ぎないのであるから、坑長ら職員が監禁されたことのほかに、申請人らの行為によつて業務を妨害されたということはできない。

脅迫についてはこの事実を認めることはできない。

早昇坑、入坑拒否の教唆については、前認定の事実によれば、早昇坑は当時やゝ慣行化していたものであつて、これを申請人が教唆した事実は認められず、入坑拒否については、査定協議の行き詰りのため、これに関心をもつた礦員が協議の結論を待つて入坑しなかつたものであつて、申請人が入坑拒否を唆かしたということはできない。

2  成立に争のない乙第九号証の一ないし三、証人妻鹿米一(昭和三七年一一月六日)、同高村武、同永江光夫(昭和三九年一一月一二日)の各証言、証人白水信行(昭和三八年五月二一日)、同中野竜明(同年七月一六日)、同松本一男(同日)の各証言並びに申請人本人尋問(同日)の結果の各一部を総合すると次の事実が認められる。

「四坑は従来一、二、三区から成つていたが、昭和三四年三月一六日から三区は分割されて一、二区に統合された。そこで旧三区と旧二区との査定基準に相違があつたため統合後の旧三区については、旧三区又は旧一、二区いずれの査定基準に依るべきかの問題を生じ、労組生産部と被申請人側とは六月上旬から一部においてその話合いもなされており、労組は総会において旧三区についても旧二区の査定基準によるべしとの態度を定めていた。労組生産部の高村生産部長、永淵生産部次長と被申請人側永江採礦課長補佐、上田労務係長らとの話合いは同年七月六、七日頃には相当進捗していたところ、七月八日四坑二区の六月下期賃金査定協議にあたり、この日は午前九時頃から五坑総合事務所第三会議室において労組側査定委員申請人、浦中照男、谷又喜らと被申請人側妻鹿採礦係長らとの間で査定協議が行われていたが、旧三区の仕様、掘進の査定に至つた際、妻鹿係長は旧三区の査定基準の問題は、被申請人と労組の上層部で話合つていることを理由に、旧三区にも旧二区の基準を適用すべしとする申請人らの主張に応じないでいた。労組側査定委員の浦中、谷らは午後二時過頃、繰込場で一番方昇坑者に対し、通例のように、当日の査定交渉で旧三区についての交渉が進捗していないことを報告したところ、三、四〇人の礦員は査定協議の行われていた第三会議室附近に集つて室内に入り、申請人は室外にあふれている礦員を室内に入れるため、つめ合うよう云つたこともあつた。その後午後六時頃までは相当騒々しい中で経過したが、その間妻鹿係長は電話などのため室外に出ることもあつた。午後六時頃、妻鹿係長は室外に出て、労組と永江課長補佐らの話合いの模様を問合せたところ、上層部で交渉しているから査定委員会での話合いは打切るよう連絡されたので、妻鹿係長は少憩の後午後七時頃から採礦事務所会議室において再開された査定場で、申請人らにこの旨を伝えて中止を申入れた(査定協議打切りを提案したことは前示のとおり当事者間に争がない)が、労組生産部から査定委員会での交渉も継続するよう指示された申請人ら査定委員はこれに応ぜず、この頃には礦員らは更に加わる者もあつて五、六〇人になつて室内にあふれ、妻鹿係長らを囲んで罵言をあびせるなど喧噪し、中には数人の酒気を帯びた者があつて妻鹿係長の身体をこづくなどしたため、妻鹿係長は三回位室外へ出ようと試みたが礦員らに妨げられ、午後八時過頃には妻鹿係長が室外へ出ようとするのに、申請人が戸を閉めよと指示し、それに応じて室外にいた礦員が戸を強く閉めたため硝子が割れて、その破片で妻鹿係長が手指に軽傷したこともあつた。

このような喧噪は更に続いたが、一方当日午後から労組高村生産部長らと永江採礦課長補佐らとの話合いがなされた結果、二ケ月半内に四段階を経て旧三区の査定基準を旧二区の査定基準に引き直す方針がほゞまとまつたので、午後一〇時頃労組永淵次長らが五坑総合事務所に赴いて申請人らに右の結果を伝えたため、申請人および集つていた礦員らは解散して、妻鹿係長は拘束をとかれた。」

右認定に反する証人白水信行(昭和三八年五月二一日)、同中野竜明(同年七月一六日)、同松本一男(同日)の各証言並びに申請人本人尋問(同日)の結果の各一部は、証人妻鹿米一の昭和三七年一一月六日証言に照して採用しない。

よつてまず監禁の成否について考えると、妻鹿係長が午後五時までの間、行動の自由を制約されていたとは認められない。午後七時から採礦事務所会議室において話合いが再開されて後、午後一〇時申請人らが解散するまでの間は、妻鹿係長は室外へ出ようとするのを分会員らに妨げられ、又一度は出ようとするところを、申請人が戸を閉めさせたことがあつたことや、申請人の分会長としての主動的な地位から考えると、申請人は分会員らとともに右時間の間、妻鹿係長の行動の自由を奪つて監禁したものといわねばならず、かかる行為は妻鹿係長が懸案について、労組と被申請人の上層部において交渉中であるから、その結果を待つように主張したことは、査定協議の中止を求めるに相当な理由である(懸案の結論いかんは、査定に重大な影響がある問題であるから、査定協議においてこの問題を討議することは妨げないが、この問題は他坑にも関係ある問題であつて、被申請人の職制上より上部の職員と、労組本部関係者との話合いがなされ、その交渉が相当進捗していたのであるから、申請人らは査定協議において、上層部の交渉結果を待つことによつて不利益を蒙るわけでもなく、むしろより下部での折衝を差し控えてしかるべきものと考えられる。)ことを考慮すると、前記1において示したと同様の理由で、右監禁の行為は就業規則第六五条第一二号に該当する。なお、査定協議が労働組合活動の実質をも有することを考えても、右のような行為が組合活動の程度を超えるものであることは云うまでもない。

妻鹿係長以外の職員の動向は明らかでないから、これが監禁されていたとは認められない。妻鹿係長らに対する業務妨害については、前記1について述べたと同様の理由でこれを認めることはできない。

暴行教唆については、酒気を帯びた者らの妻鹿係長に対する行為を、申請人が教唆したことは認められず、申請人が室外へ出ようとする妻鹿係長を阻止するため、戸を閉めるように分会員に云い、戸が閉められた結果硝子が破れて妻鹿係長が負傷したことについては、偶然の結果であつて、申請人の右行為を監禁行為のひとつとすることはできても、妻鹿係長に対する暴行を教唆したものということはできない。

3  証人川崎力男、同江口栄、同鶴田定、同高村武の各証言、証人白水信行の証言(昭和三八年一〇月三日)並びに申請人本人尋問(同日)の結果の各一部によれば次の事実が認められる。

「昭和三四年八月二四日、四坑二区一一卸で坑道の破れがあつたので、坑内保安係員川崎力男は、午前九時四〇分頃、一番方として入坑して掘進作業にあたつていた中野組と鶴田組に対し、破れ片付け作業に従事するよう指示し、同組員らはこれに従つたが、鶴田組の責任者である鶴田定は当日の賃金として、掘進作業についての八時間分の賃金を保障するほかに破れ片付け作業についての賃金を支給するよう求めたが川崎係員は一応これを拒んだ(以上の事実は前示のとおり当事者間に争がない)。

翌二五日、午後二時三〇分頃から三時過頃まで五坑総合事務所第二会議室において、川崎係員、妻鹿採礦係長ほか三人と鶴田定など鶴田組六人、査定委員谷又喜ほか五人との間で、前日の川崎係員の賃金についての意見の是非などについて話合いがなされたがその際、前日に川崎係員が査定委員と話合つてくれと発言した、しない、ということから紛糾し、口論の状態となつて、川崎係員が鶴田定に対し、「とぼけるな、ふうけもん」と云つたため更に双方感情的となり、話合いは打切られた。

次の八月二六日、川崎係員は妻鹿採礦係長から当日は仕事を休むように云われてこれに従つたが、査定委員から事情の連絡を受けた申請人は、これを更に労組高村生産部長に知らせ、午前一〇時過頃高村部長らは川崎係員の属する職員組合事務所(礦員が主体となつて杵島炭礦労働組合を作り、職員は職員組合を作つている)に赴き、事務所において江口執行委員長や、折からこれに事情説明をしていた川崎係員に対し、同係員が礦員らの待つている五坑へ来るよう求めたが、江口らは少人数による話合を望んでこれを拒み、その後も立石職組組合長が高村生産部長らと折衝したが解決の目途がつかなかつた。午後五時三〇分頃、四坑二区職場分会員約六〇人が申請人とともに、高村生産部長の指揮により職員組合事務所に押しかけ、立石職組組合長と高村生産部長らとの話合いの結果、川崎係員が一人で会議室で話合に応ずることになり、他の職組幹部らは隣室に控え、会議室において申請人ら分会員が川崎係員を取りまく格好になつた。ところが冒頭に、申請人らが、当日川崎係員が仕事を休んだのは会社の指示か個人の考えかと尋ねたのに対し、川崎係員は軽々に応答すると揚げ足をとられて難詰され、又係長らに迷惑をかけることになるのではないかとの危惧からこれに応答せず、再三、再四の質問にも答えないで、以後約一時間以上を全く沈黙し通し江口職組執行委員長が川崎係員に話すことをすゝめたのにも応ぜず、沈黙を続けたため分会員らはこの態度に激昂し、午後六時四〇分頃分会員の間から、頭冷しに外に連れ出せなどの声があがつたのに呼応し、査定委員谷又喜および申請人は、外へ連れ出されるのを拒んで椅子に腰掛けて机を掴んでいる川崎係員の両脇下にそれぞれ左右から腕を入れ、強いてこれを立たせて、会議室入口附近まで四、五メートル引きずり出し、その後は川崎係員もあきらめて、分会員らに囲まれながら事務所近くの八幡社附近にいたつた。同所において再び分会員らは川崎係員を取り囲み、申請人らが主となつて、鶴田に対して暴言をはいたことや前日の査定委員らとの話合態度などについて、謝罪を求めたが、川崎係員はこれに対して応答弁明はしたものの、謝罪に応じないため結着せず、午後七時四〇分頃申請人ら分会員は川崎係員とともに職員組合事務所会議室へ戻つた。その後は会議室において同様の難詰の状態が続いたが、その間職組立石組合長らが川崎係員を呼んで、同人も悪いのだから謝らねばならぬとすゝめたことがあつた。又九時頃には会議室において着席している川崎係員を、口論に立腹した鶴田定が背後から急に押して前のめりにさせたこともあつて、結局午後九時過ぎ、川崎係員は謝罪の態度を表明せねば放免されないものと考えるにいたり、申請人が、暴言のこと、前日の査定委員との話合態度、当日の話合当初に沈黙を続けたことについて謝罪する旨の書面を作り、川崎係員がやむを得ずこれに拇印を押捺した(捺印したことは前示のとおり当事者間に争がない)ので申請人ら分会員は解散した。」

右認定に反する証人白水信行の証言(昭和三八年一〇月三日)並びに申請人本人尋問(同日)の結果の各一部は証人川崎力男、同江口栄の各証言に照らして措信しない。

右認定によれば、被申請人が川崎係員に対し、同人を会議室入口附近まで四、五メートル引きずり出す暴行を加えたこと、ならびに、川崎係員に対し、その意に反して謝罪する旨の書面に拇印をさせてこれを強要したことを認めることができる。そこで右暴行が就業規則第六五条第二号に該当するかどうかを考えるに、一応右行為は同号の文言に該当するけれども、前記1において述べたように、この暴行も、その態様事情により程度の重い企業秩序違反であることを要するものであるところ、申請人がかかる暴行に出でた主な原因は、労組幹部と職員組合幹部との話合いのうえ、川崎係員に弁疎させることになつて、川崎係員と分会員とが会議室に会したのに、川崎係員が単なる危惧から全く応答を拒否して約一時間にわたつて沈黙を続けたことにあるのであつて、この態度は職員組合幹部でさえも支持しなかつたものであることや、申請人ら分会員がかかる場合に、場所をかえて話をしようと考えることもあながち理由のないことではないことを勘案し、又、暴行の態様が身体に対する攻撃的なものではなく、話合いの場所をかえるため同行を強制したものであるに過ぎないことを考えると、この申請人の行為が他の解雇事由と相まつて懲戒の事由となることはとにかく、この事実のみで、解雇事由に相当する暴行に該当するということはできない。

強要の点についても、申請人ら分会員の行為は、多数の勢威によつて川崎係員の拒否を断念させた不当なものではあるけれども、川崎係員について鶴田礦員に対する態度や、応答拒否など非難さるべきものがあつたのであつて、職員組合幹部ですら川崎係員に謝罪をすゝめていた状況であつたことを考えると、この申請人らの不当な強要が就業規則第六五条第一ないし第一一号に準じ、この事実のみで懲戒解雇に相当するほど重大な秩序違反の行為であるとはいえない。

4  証人妻鹿米一(昭和三六年一一月二八日)、同北島信市(同日)の各証言によれば次の事実が認められ、この認定に反する申請人本人尋問(昭和三八年一〇月二九日)の結果は右各証言に照らして措信しない。

「昭和三四年九月三〇日、妻鹿採礦係長はほか二名とともに、作業個所の査定のための巡視をする目的で入坑し、午前一〇時頃四坑二区の連風洞と岩盤の切替分岐点付近で、同様査定のための巡視で入坑した申請人、谷又喜ほか二名の労組側査定委員と出会つたが、同所において申請人と谷は妻鹿係長に対し、前記同年八月二六日の川崎係員に対する暴行事件で、申請人らが警察の取調べを受けたことに関し、こもごも、「吾々を豚箱に入れたのはお前の責任だ。」などゝ難詰し、「証人として出廷しないことを約束せよ。」と強く迫り、更に「お前は係長だが礦員の諸君は使わせないぞ、家に帰つて子供の顔でも見ておれ。働いている二〇〇人を連れて来るぞ、そのときになつてあわてるな」等と約三〇分にわたつて難詰して威圧した。妻鹿係長らは申請人らと別れて坑内詰所に赴いたが、同行していた北島係長補佐らは申請人らの態度から万一を慮り、妻鹿係長自身は折角来たのだから予定通り三時過頃までの巡視を続けるというのを説得し、近辺を少時巡視したのみで、妻鹿係長は午前一一時三〇分頃昇坑し、北島らは予定の個所の巡視を終えて昇坑した。」

申請人の右行為は、その発言内容、勢威からして妻鹿係長を脅迫したものと認められ、その態様が上長に対するもので、査定業務に従事中のことであることや、この脅迫が職場内における暴行事件についての警察の取調に対する不満から出ているもので、妻鹿係長には問責さるべき何の責任もないことを考えると、かかる脅迫行為は、程度の重い秩序違反として、就業規則第六五条第二号に該当するものである。

たゞ「証人として出廷しないことを約束せよ」と迫つたことが不当な約束の要求として同条第一二号に該当するものであるかについては、この要求は右に認定した脅迫の目的たる性質を有するものと考えられるから、この言葉は脅迫の内容をなすものと考えるべきで、これを独立の行為として評価すべきではなく、これを脅迫とは別個の行為として、懲戒の対象にとりあげることはできない。

5  証人松尾松次の証言によれば次の事実が認められ、この認定に反する申請人本人尋問(昭和三八年一〇月二九日)の結果は右証言に照らして措信しない。

「昭和三四年一〇月一四日、四坑二区採礦係長補佐松尾松次は武富係長補佐および労組側査定委員申請人、谷又善、白水信行とともに、検収並びに査定のための巡視の目的で入坑したが、午前一〇時一〇分頃弁天卸第一岩盤坑道附近において、同所附近で掘進作業に従事していた山口組は二、三〇〇メートル離れた所から坑木を運搬していたので、申請人らはその操作給を支給するよう求めたが、松尾係長補佐はこれを支給すべきものでないと主張したことから、申請人はこれを立腹し、直後を歩いていた松尾係長補佐を振り向いてその襟を片手で掴んで首を締め、続いて前記谷が松尾係長補佐の首に巻いていたタオルを両手で締める暴行を加えた。松尾係長補佐はこのため、申請人らと共に坑内巡視することに危険を覚え、当日は申請人らと共に巡視を続行したが、以後申請人らと共に巡視することを断つた。」

右のような申請人の暴行々為は、その動機、行動の態様からして、明らかに重大な企業秩序違反の行為であつて就業規則第六五条第二号の暴行に該当する。

業務妨害の点については、松尾係長補佐は以後申請人らと共に巡視しなくなつたのであるが、坑内の作業条件等事実確認のためや検収のための巡視は、そもそも被申請人側担当者と労組査定委員と共にしなければならないものであるのか、又共に巡視できないことが査定、検収業務にいかなる障害を来たすのかについて疎明がないから、申請人の右暴行の結果松尾係長補佐の業務が妨害されたということはできない。

6  証人妻鹿米一(昭和三七年一月一六日)、同北島信市(同日)同中野竜明(昭和三八年一一月一二日)の各証言および申請人本人尋問(同日)の結果を総合すると次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

「昭和三四年一一月三〇日、四坑二区弁天十卸において、西岡組の西岡重雄が感電死した事故があつたが、これは被申請人の主として電気係員らが電気ケーブル接続部の絶縁を怠つていた明らかな不備が原因であり、一二月一日に西岡の葬儀が行われた。

一二月二日、査定委員である申請人は西岡組の鈴山礦員から、五人で構成されていたうちの西岡が殉職したのでこの補充をするよう求められたので、本来組員の補充は労務部の管轄に属する事柄ではあるが、作業の振り当てや査定を担当し、その仕事量の七〇%を申請人ら査定委員との折衝に当てゝ組員の構成を知悉し、又従来組員の変更について労務部等に意見を出し、申請人ら査定委員からも意見を徴したりして実際上これに主たる役割を果していた採礦係長補佐の北島信市に対して、西岡組の人員補充を求めるべく、同日午前九時頃五坑採礦事務所に赴いた。北島係長補佐はその頃入坑前の賃金伝票の整理をしていたが、申請人の要求(西岡組の補充を要求したことは前示のとおり当事者間に争がない)に対し、当時はまだ人員補充のことは考えておらず、又一人が欠けても作業には差支えないと考えていたことや、補充については係長、課長とも相談のうえで考慮すべきことがらでもあつたため、補充のことは考えていない旨を応答し、又、西岡礦員の殉職についての申請人とのやりとりのうちに、殉職の直接責任は北島らにはない趣旨の発言があつたため、申請人並びに遅れて同所に来た労組側査定委員谷又喜ほか三、四名は北島係長補佐の机の囲りで、こもごも「そういう態度だから人を殺すのだ。人殺し。」などゝ大声で罵り、北島係長補佐も立腹して応酬し、約二、三〇分間このようなやりとりの末、北島係長補佐が激怒して帰宅したため、申請人らも去つた。」

申請人の右認定のような言動のため、北島係長補佐が行つていた賃金伝票整理の仕事をすることができなかつたことが認められるが、これが懲戒解雇に相当する業務妨害であるかを考えるに、申請人の「人殺し」などの言動は、個人に対する侮辱的攻撃であつて、当を得ず、同係長補佐の激怒を招くことは当然であるが、同係長補佐は査定業務を担当し、本来その仕事量の七〇%を査定委員との交渉に当てゝいたもので、苦情処理も査定業務の一であること、同係長補佐が礦員の組構成について従来実際上主な役割を果していたことや、又、申請人は人員補充の要請により、これを必要と考えて交渉に赴いたこと、同係長補佐と応酬していた時間、妨げられた業務の内容程度、当日は西岡礦員の葬儀の翌日であつて、その殉職が被申請人側の明らかな不備に原因するものであつたことを考慮し、そのほか、職制をなしている職員と職場作業に当る礦員との間に対立的な感情の窺われる当時の事情のもとで、職制側にある同係長補佐が、死亡事故に対する直接責任がないことを云々したことが、申請人らの感情をいたく刺激するのは無理からぬことである事情をも考慮に入れると、申請人のかゝる言動により同係長補佐の伝票整理が行えなかつたことを、他の理由と相まつて解雇の事情とするのはとにかく、これを直ちに就業規則第六五条第二号に該当するものというのは相当でない。

7  証人永江光夫(昭和三七年二月六日)、同鎌田正見の各証言の各一部、証人小副川穣、同山岸保秋の各証言および申請人本人尋問(昭和三八年一二月一〇日)の結果を総合すると次の事実が認められる。

「昭和三五年二月から四坑二区においては、弁天卸第一岩盤と一二卸との間を貫通させて、入気並びに材料運搬坑道とするため、これを当初は同年七月までに完成予定であつたが果さず、永江採礦課長補佐は労組高村生産部長と話合のうえこれを緊急個所とし、この作業に従事する者のうち休む者などがあると支障を来たすので、同年八月中には両者の間で、このような場合には他の組から応援ありつけ(作業場指示)をすることになつた。九月初頃には戸亀組ほか二組(組は各組ともおゝむね五人構成である)が右作業に従事していたが、九月三日山岸組に対して戸亀組の応援をするよう指示したが山岸組はこれに従わず、同月五日、七日にも山岸組又は小副川組は係員の応援作業指示に従わなかつた。その後この貫通作業は同月二八日に完成したが、その間同月二一、二二両日に山岸組から指示に従つて応援作業に従事したほか他の組の者が応援したけれども、小副川組が応援作業に従事したことはなかつた。しかし小副川組については従前から作業指示について円滑を欠くことが多かつた。」

右認定に反する疎明資料はない。山岸組、小副川組が九月三、五、七日に係員の指示に従わなかつたのが申請人の教唆によるものであるとの点については、証人永江光夫(昭和三七年二月六日)、同鎌田正見のこれに添う各証言があるが、この各証言は、証人小副川穣、同山岸保秋の各証言並びに申請人本人尋問(昭和三八年一二月一〇日)の結果に照して採用せず、又右認定によれば応援作業は九月二八日までの間山岸組その他の組によつてなされていたことが認められるから、このように拒否が組織的統一的になされたものでないことに鑑みると、右に認定した作業拒否が二区職場分会長たる申請人の指示や教唆によるものと認めることはできない。

8  成立に争のない甲第四号証の一、二(成立に争のない乙第一号証は甲第四号証の一と同内容)、証人山本信文、同永江光夫(昭和三七年三月六日)の各証言、証人中野竜明(昭和三九年三月三一日)、同中島福次(同日)の各証言および申請人本人尋問(同日、昭和三九年四月二八日)の結果の各一部を総合すると次の事実が認められる。

「昭和三六年二月三日朝、四坑二区左二片の奥で崩落があり、左二片の水量が増して来たので、同片のバツクさらえ作業はそれまで六時間特認作業(作業条件等が悪く就労者に不利であるため、通常は入坑から昇坑までの在坑八時間勤務であるけれども、在坑六時間で在坑八時間と同一の賃金を支給する取扱いをうける作業)とされていたが、この取り扱いであると、作業員が交替のため現場を離れて次の作業員が現場に到着するまで、二時間の間隔が生ずるので、その間に増水して作業が不能になるおそれがあつたため、採礦係員山本信文は、バツクさらえ作業に従事していた中原礦員に対して、次の作業員が現場に到着するまで作業に従事したうえで交替する、いわゆる現場面交替をするよう指示し、中原礦員はこれを応諾し、結局同礦員は通算七時間作業に従事して昇坑した。

ところが、中原礦員は午前九時頃申請人ら査定委員に対して、右の現場面交替の指示は納得し難いと申出たので、これをうけた申請人ほか査定委員ら五、六人は、午前九時四五分頃、五坑採礦事務所において賃金伝票並びに着到簿の整理にあたつていた山本採礦係員のところへ赴き、その机をとり囲んで、「二片の面交替は協定のどこに書いてあるか。超過作業分の賃金を支払え。昨日今日北海道から出てきて何がわかるか。」などと約四〇分間にわたつて大声で、主として時間超過作業分の賃金を支払うこと、或いは面交替指示の不当を認めることを要求した。その後午後三時頃まで主として永江採礦課長補佐と労組執行部、申請人らとの間で話合いが行われた結果、永江課長補佐から山本係員が紛糾するような指示をしたことについて陳謝があつて落着した。

礦員の作業時間を緊急の場合などに係員の指示によつて延長することについては、労組、被申請人間の協定その他に明定されてはいないが、従来慣行として、当該礦員の同意のうえで係員の指示によつて時間延長が行われていた。又、係員の指示によつて本来の作業時間を超えて作業に従事した場合の賃金の支給については、労組と被申請人との間に昭和三五年九月一五日次のような協定が成立している。中原礦員が従事していたのは定率作業(時間給作業)であるが、この定率作業は拘束(在坑)八時間に対応するものであり、右協定以前には五時間特認或いは六時間特認作業においてこの時間を超過して作業した場合には超過時間に対応する賃金を別途に支払つていたが、右協定において、従来の時間超過作業の実績を勘案し、定率作業の賃金のパーセントを一般に引上げる措置をとつたうえで、五時間或いは六時間特認作業における時間超過の作業分については、それが拘束八時間を超えるものでない限りは、別途に賃金を支給せず、拘束八時間を超えるものについてのみ三〇分間について三五円の割合で賃金を支給するように改めた。しかしながら右協定の解釈については、協定の表現が必ずしも明確でないため、協定成立に至る交渉経過が申請人ら組合員に明瞭でないことゝあいまつて、申請人ら組合員には五時間或いは六時間特認作業の時間超過作業について、それが拘束八時間以内のものである場合にも、別途に賃金が支給されるものと解釈される余地が充分にある。」

右認定に反する証人中野竜明(昭和三九年三月三一日)、同中島福次(同日)の各証言および申請人本人尋問(同日、昭和三九年四月二八日)の結果の各一部は、証人永江光夫(昭和三七年三月六日)の証言、前出甲第四号証の一、二に照して採用しない。

まず業務妨害について考えると、申請人の言動によつて約四〇分間山本係員の事務ができなかつたことは認められるが、採礦係員として作業現場において礦員に作業に関する指示をする者は、その指示等について礦員らの疑問を生じ、この釈明を求められたときには、その指示の根拠等を釈明する責任があるものと考えられるから、査定委員たる申請人が現場礦員の不服を受けて釈明を求めた場合、これに応ずることも山本係員の業務範囲内のことであると云わねばならない。たゞこの場合の申請人の言動が、とかく一方的で侮辱的言辞に及んだことは、説明を求める場合の態度として不相当であるけれども、前認定のような協定の不明確や、申請人らの賃金支払の要求も協定の解釈上、故意又は明白な誤りということはできないこと、山本係員の仕事が妨げられた程度などを考慮すると、申請人の行動を就業規則第六五条第二号の業務妨害に該当するということはできない。

次に作業指示不服従について考えると、就業規則第六五条第四号において、作業指示の不服従を懲戒事由としているのは、指示に従わず作業能率を低下させることが企業の効果的な運営を阻害することに主眼があると解されるところ、申請人は山本係員から作業の指示を受けてはいないし、又同係員の指示によつて作業に従事すべき立場にある者でもなくて、ただ同係員がすでになした作業指示の適否を云々しているに過ぎず、しかも作業は同係員の指示どうりに既に完了しているのであるから、申請人が山本係員の指示に不当を鳴らした行為を、作業指示不服従に該当するということはできない。

又、申請人が「昨日、今日北海道から出て来て何がわかるか」と云つたことは侮辱的言辞ではあるが、これが就業規則第六五条第一二号の概括条項に該るかについては、同号は前記1に述べたように解釈されるべき条項であるところ、侮辱は、これを受ける者に対する感情上の加害であるにすぎないから、これを受ける者が職場における名誉的地位にあつて、この名誉を著るしく傷つけることが、その職場での地位を失墜させるような特別の事情があればとにかく、かかる事情のないかぎり侮辱的言辞が直ちに企業秩序を害するということはできないから、申請人の言動をもつて右条項に該当するということはできない。

9  成立に争のない甲第四号証の一、二、証人福島次男、同松本一男(昭和三九年四月二八日)、同浦中時一(同日)の各証言および申請人本人尋問(同日)の結果の各一部を総合すると次の事実が認められる。

「昭和三六年二月三日午後三時過頃、一番方担当の福島次男採礦係員は四坑二区第一岩盤仮詰所附近のバツク清掃作業について、これは従来五時間特認作業であつたが、水量も少なくなつて沈澱物も少いとして六時間特認作業に相当するものとして、一番方から六時間特認に切替え、その旨を二番方担当の馬場係員に申し継ぎしたため、馬場係員は二番方として現場に来た内田袈則礦員ら三人に対して、右作業を六時間特認作業として指示したところ、内田礦員はこれに不満を述べて説明を求め、間もなく分会職場委員である白水信行もこれに加わつた。ところがまだ近くに居合せた福島係員がこれに応答するうち、右白水が労組分会職場委員であることを明らかにしたのに対して、福島係員が「ふうん、職場委員てや」と云うなどその地位を軽視するような言動をし、又特認の変更について、五時間特認作業は常時膝以上の水中作業を行うときとされ、ここにいう常時とは、主たる作業の主たる時間を指称するものである旨被申請人、労組間で協定されているのに、当該作業現場においては、ボタ積みとか休憩等の場合には水につからなくてもよいことを理由に五時間特認には該当しないかのような口吻をしたため、白水信行はこれを不満としてこれを申請人ら査定委員に報告した。

翌二月四日正午頃職場協議会議長を勤めていた申請人は職場協議会(査定委員並びに職場委員によつて構成されており、労組の補助連絡機関であるが、査定委員会で解決し得ない問題の処理に当ることもあり、当日は四坑一、二区、五坑の役員ら二五、六人が参集した。)を召集し、同協議会において白水信行から事情を聴いて、被申請人側に釈明を求めることに決し、白水信行は今後の交渉に立会わせる必要があるところから、同人を当日は以後協議会業務に従事させ、これに対しては協議会が賃金を保障することにした。この協議会業務従事については従来から、協議会の決定により行うことが屡々あり、協議会業務に従事すれば、会社業務を休むことになることは、被申請人において黙認され、これが問題とされたことはなかつた。その後、右協議会に参集した者のうち申請人ら約二〇人は、五坑採礦事務所において、永江採礦課長補佐らに対して福島係員の職場委員侮辱の謝罪要求と特認変更の不当を主張したが、午後二時頃永江課長補佐は、二番方の入坑時間であり白水信行は当日の二番方であつたため、同人に対し入坑するように求めたので、申請人は協議会が白水を当日は協議会業務に従事させることに決定していることを説明した。

午後二時過、労組組合長藤井生産部長ら労組役員が協議会からの連絡により事務所に来たので、申請人ら職場協議会の者は以後の交渉をこれに委ね、その後午後一二時頃まで永江課長補佐らと労組役員との間で話合がなされた。ところが結着にいたらないまゝ、労組役員が申請人らが待機していた採礦事務所内の二区査定委員詰所に来て、申請人らに対し、自分達で行つて釈明してもらつた方がよかろうと云つたため、待機していた申請人ら協議会構成員約二〇名は、翌五日午前一時三〇分頃、永江課長補佐、宇賀神課長、福島係員のいた五坑採礦事務所に隣接する総合事務所にいたり、同人らの机をとり囲み、申請人らは口々に「もう一ぺんここで言つてみろ。生意気だ。あやまれ。これからまだうるさいぞ覚えておけ。」などゝ申し向け、約二〇分後に申請人が他の者をうながして去つた。」

まず指示不服従について考えると、白水信行は、当日は職場協議会の決定により、協議会の業務に従事することになつたもので、従来からこのようなことは屡々行われており、かかる決定があつたときは会社業務に従わないことは、被申請人の黙認するところとなつていたものであるから、労使間にかような慣行が成立していたものと解され、永江課長補佐が、白水に入坑するよう指示したのに対して、申請人が白水は協議会の決定に従つていると説明したうえは、右慣行によつて白水が当日入坑すべき理由はなく、したがつて、申請人が不当に入坑を拒否させたものということはできない。

次に謝罪強要については、申請人らの言動が過激にすぎるものであつたと思われるけれども、福島係員には原因となる謝罪すべき言動があつたことや、申請人らが福島係員らを取囲んでいた時間からすると、さほど執拗な行動でもなかつたこと、約二〇分後には自主的に立去つたことを考えると、申請人らが福島係員に対して強く謝罪を要求した行為が、就業規則第六五条第一二号に該当するほど企業秩序を乱すものであつたということはできない。

10  証人山口愿(昭和三九年一一月一二日)の証言によつて真正な成立の認められる乙第一三、一四号証、証人柴戸徳義の証言によつて真正な成立の認められる乙第一五号証の一ないし三、第一六号証、証人北島信市(昭和三七年五月二九日)、同島健二、同富永末一、同永江光夫(同年九月一八日)の各証言、証人松本一男の証言(昭和三九年七月九日)並びに申請人本人尋問(同日)の結果の各一部によれば次の事実が認められる。

「四坑二区一二卸左三片詰延び作業は、材料運搬と通気の為必要な坑道を通す作業で、緊急を要する作業であつたが、昭和三六年三月一五日までは、作業現場に降水が多いためこれを六時間特認作業(入坑から昇坑までの在坑時間が六時間)の取扱いとし、緊急作業であるため四交替(この場合には六時間特認の四交替であるから、一日二四時間のうち交替のための入昇坑に要する時間の間は作業現場に作業員がいない)を実施していたけれども、坑道天井にトタン張りがなされて降水が防がれたため、北島信市採礦係長補佐は現場に同道した労組側査定委員高祖、松本および作業個所責任者と話合いのうえ、三月一五日二番方から六時間特認を取消し、以後は四交替を行い、面交替をするよう指示した。この四交替とは、当該作業が緊急を要する等のため、間断なく作業員を作業に従事させて作業の進捗をはかる目的で、一日二四時間を四分して、各作業組が六時間ずつ現場で作業し、次の作業組が現場に到着してから交替するいわゆる現場面交替を意味するものである。(したがつて、坑口から作業個所までの距離等、往復に要する時間によつて作業員の入坑から昇坑までの在坑時間は六時間を超え、場合によつては八時間近くにおよぶことになる。)そして九州の他の一般の炭礦においても、又被申請人炭礦においても従来から、四交替はこのような内容の現場面交替を意味するものとして実施されていた。

三月一七日午前九時三〇分過頃、五坑採礦事務所において北島係長補佐が検収結果の整理事務をしていたところ、労組側査定委員松本一男ほか二人が来て、同月一六日の二番方三番方は現場面交替をせねばならないのに、在坑時間六時間で昇坑したため、係員がこれを四交替作業を行わなかつたものとして、四交替の認証をしなかつたことを不満とし、四交替は在坑六時間であると主張して四交替を実施したならばその認証印のあるべき右二番方三番方の出勤票を持参して、これに四交替の認証印(坑口係員がこの認証印を押捺すると、在坑時間が六時間を超えていれば在坑八時間の賃金を支給される)を押捺するよう要求し、北島係長補佐は認証印は同人が押印するものではないし、現場面交替をしていないのに四交替の認証をすることはできないと主張して互いに譲らなかつた。松本一男が北島係長補佐のところへ来て約二〇分後に、申請人、査定委員谷が同所へ来て、松本らと同様の主張を繰り返えし宇賀神課長、永江課長補佐らが説明しようとするのにも取りあわず、申請人が、今から在坑六時間で上げてしまうぞなどと云つて、約二〇分後に申請人が他をうながして去つた。

六時間特認が取消された三月一六日以後、一二卸左三片の掘進作業に従事する礦員のうち約半数の者が現場面交替をすることなく昇坑し、同月二五日までの間にその延員数は約一〇〇人に達したため、作業の進捗を妨げたが、同月二五日以後は面交替が実施された。この早昇坑は申請人らの指示によつてなされたものであつた。そのほか申請人は労組役員と連絡のうえ同作業に従事していた礦員らに指示して、本来は繰込係が保管すべき出勤票(繰込係が入坑、昇坑の時間を記載して礦員の在坑時間を記録し、賃金伝票とあいまつて、礦員の賃金を決定するのに必要なものであつて、入坑時間を記載した出勤票と賃金伝票とを礦員が受領して入坑し、これを坑内係員に預けて作業し、昇坑時にこれを持つて昇坑して繰込係に渡し、繰込係が昇坑時間を記載して保管する。その後経路をへて給与課へ回付され賃金計算の基礎となる。)の三月一七日、一八日、二〇日分合計四〇数枚を当該対象礦員らが昇坑する都度申請人の手許に集め、これを前記四交替制についての問題が被申請人との間で解決していないことを理由に、労組(本部)に預け、同月二〇日、二一日の給与係長補佐および繰込係からの返還請求に応ぜず、二二日にも再度請求された結果、二三日午前一〇時頃にいたつてこれを繰込係に返還した。この出勤票は給与係において日毎に賃金台帳を作成するのに必要なものであるが、これが給与係に入手されるのが遅れたため、翌月一二日までに賃金支払の準備を完了せねばならない給与係において事務に繁忙を来たした。」

右認定に反する証人松本一男(昭和三九年七月九日)、同南里進の各証言並びに申請人本人尋問(同日)の結果の各一部は、証人北島信市(昭和三七年五月二九日)、同永江光夫(同年九月一八日)の各証言に照して採用しない。ことに三月一六日以後の早昇坑が申請人の指示によるものでないとの趣旨の右申請人本人尋問の結果の一部、証人南里進の証言は、右早昇坑が相当の期間にわたり、分会の多人数によつてなされたこと、三月二五日以降早昇坑が一斉になくなつたこと、申請人の三月一七日の北島係長補佐に対する言動によれば、それがかなり組織的に行われたことや申請人の分会における地位から云つて、申請人の指示によるものであることは間違いないと考えられるから、到底採用し得ない。

まず、礦員を早昇坑させたことによる事業妨害の点について考えると、礦員らが八、九日間にわたつて延約一〇〇人が早昇坑したことにより作業の進捗が妨げられ、これが申請人らの指示によつてなされたものであるところ、被申請人炭礦においては、従来から四交替は面交替を意味するものとして行われた事実からすると、申請人の指示はやゝ明確を欠く協定の文言をたてに、自己の主張を強行すべく、組織的な早昇坑を指示して故意に作業の進捗を妨げたものというべきであつて、かかる行為は労使間の信頼関係を著るしく害する企業秩序違反として、就業規則第六五条第三号の「故意に事業の妨害となる行為」をしたものに該当する。

次に北島係長補佐に対する業務妨害の成否を考えると、申請人の同係長補佐に対する主張は正当なものではないが、申請人の行為により事務を妨げた時間が約二〇分に過ぎないことや言動の程度を考えると、この行為が他の解雇事由と相まつて解雇の事情とされることはとにかく、この行為のみで就業規則第六五条第二号に該当する行為であるとはいえない。又同係長補佐に対する捺印強要の点についても、申請人らの要求が就業規則第六五条第一二号に該当する程度の強要行為があつたとは認められない。

出勤票を手許に集めたことによる業務妨害については、申請人が自らの主張要求を被申請人に承諾させる手段としてであつても、被申請人の賃金計算の基礎となるべき出勤票を恣意に手許に集めることなどは許されない行為であるが、懲戒事由としてみると、その申請人の行為によつて計算業務が通常のように円滑にいかず、期限に間に合わせるため繁忙を来たしたのであるが、申請人の行為による実害がこの程度のものであつたことを考えると、これを他の懲戒事由と相まつて懲戒事情として考慮することはとにかく、これをもつて直ちに就業規則第六五条第二号の業務妨害に該当するとはいえない。又出勤票提出の要求に応じなかつたことが同条第四号に該当するものと被申請人は主張しているが、同条項の趣旨は前記8において述べたようなものであるから、この提出要求は同号にいう作業に関する指示であるとはいえず、申請人の行為を同号に該当するものとはいえない。

四、以上のとおりであるから、申請人には1の監禁、2の監禁、4の脅迫、5の暴行、10の事業妨害の各就業規則第六五条各号に該る行為があり、そのほか前示のような数個の、それ自体としては直ちに懲戒解雇に相当するものではないが、懲戒の事情として考慮されてもよい行為があつたものである。

(不当労働行為の成否など)

申請人は、たとえ就業規則違反の事実があつたとしても、本件解雇の決定的な動機は、申請人がかねてから熱心な組合活動家であつたためであるから、本件解雇は不当労働行為として無効であると主張するので判断する。

前示、当事者間に争のない事実のほか、申請人本人尋問(昭和四〇年三月一六日)の結果により成立を認められる甲第一〇号証、成立に争のない甲第一号証、証人藤永茂の証言および申請人本人尋問(同日)の結果によれば、申請人は被申請人に解雇されるまでの間、昭和二九年四月から三六年六月まで労組職場委員、昭和三四年六月から三五年六月まで労組仕繰、掘進、日役職場協議会副議長、昭和三五年六月から三六年六月まで同協議会議長の役職にあつたほか、昭和三二年一〇月から三三年六月まで労組特別調査委員会委員(十数名で構成される)として、昭和三二年八月から一〇月までの間の被申請人炭礦の争議における被申請人の不当労働行為に対する調査活動に従事し、決議機関の委員として活溌に発言し、労組内ではいわゆる左翼的な組合活動家であると目されていたことが認められる。

申請人が右のような労働組合の役職にあり、又活動を行い、ことに四坑二区職場分会長として、又労働組合活動の実質をも併せ有する査定委員としての活動を活溌に行つていた(就業規則違反の成否が問題とされて、先に認定した申請人の行為のほとんどは、申請人の査定委員としての活動に関連したものである)ことは、被申請人に明らかに了知されていたものと推認され、又査定委員としての活動についてはこれが認識されていたことが明らかであるところ、使用者が活溌な労働組合活動家を好まないことは、労使関係の常態からいつてむしろ通常のことであり、又先に就業規則違反の成否について判断したことからみられるように、被申請人がかならずしも懲戒解雇に相当するとはいえない事実をまで懲戒事由として過大評価している主張態度から考えても、被申請人が申請人を組合活動家として相当に嫌忌していたであろうことは推認に難くない。

しかし、それ以上に、被申請人が本件解雇について不当労働行為の意思を有していたと認めるべき具体的な事実は認められない。そこで、申請人の就業規則違反の行為について考えると、前示1、2、4、5の第六五条各号該当の行為は、いずれも職制上の上長に対する行為であり、その行為の態様も、各事実について判断したように、それぞれが解雇に相当するといえる企業秩序違反であつて、これらの行為がいずれも労働組合活動の実質を有する査定業務に関連するものであることを考慮しても、明らかに正当な組合活動の範囲を超えるものであり、ことに10の事業妨害の行為は著るしく労使の信頼関係を害するもので、そのほかにも前示のような、それ自体としては懲戒解雇に相当しないが、懲戒の事情として考慮されてもやむを得ない企業秩序違反の行為が数個あることを考えると、申請人は重大な企業秩序違反を重ねて、労使の信頼関係を破壊したものとして、被申請人がこれ以上申請人との雇傭関係を継続し難いと決定するに至る相当の理由があるものと云わねばならない。

なお、解雇の理由として考慮された申請人の行為のかなり多くのものは、解雇のときより相当過去に遡るものであり、このように相当以前の事実を解雇の理由として主張する態度は、場合によつては、既に忘れられた事実をまでも挙げつらつて、強いて解雇を理由づけようとするものとして、その解雇についての不当労働行為の疑を生じさせることもあろう。しかし本件解雇の場合には、昭和三三年に申請人が四坑二区職場分会長になつて以来先に判断した1ないし10のような数々の紛争によつて、労使間の関係がとかく円滑を欠き、対立的な関係を生じていたことが窺われる事実を考慮すると、むしろ被申請人は、申請人の就業規則違反の行為が重ねられるのを見つゝ、強行態度に出ることを自制していたが、前示10の事業妨害事件にいたつて、懲戒解雇を決定するにいたつたものと考えられるのであつて、かかる場合に、相当過去に遡つた事実を懲戒事由として改めて指摘することは充分理由のあることである。

そして、前示のような事由を理由とする解雇は、その企業秩序違反、労使間の信頼関係破壊の程度から考えて、申請人の前記のような労働組合活動による被申請人の嫌忌のあるなしに拘らず、被申請人が企業を運営する者として採らざるを得ない方法であつたということができる。とすると、本件解雇が申請人の労働組合活動を理由とするものであるとの申請人の主張は理由がない。

そのほか、申請人は、申請人の解雇は労働組合活動を理由とするほか、申請人が日本共産党々員であることを理由とするものであると主張するので判断するに、証人藤永茂、同石橋喜平(昭和四〇年三月一六日)の各証言および申請人本人尋問(同日)の結果によれば、申請人が被申請人に雇傭されていた当時から日本共産党員であることおよび、労組組合員と被申請人職員には申請人の行動から、申請人が同党員であることはほゞ知られていたことが認められるけれども、それ以上に、被申請人が申請人の同党員であることを理由として本件解雇をなしたと認めるに足る証拠はなく、前示不当労働行為の成否について判断したように、申請人の就業規則違反の程度が重大な企業秩序違反であつて、申請人が同党員であると否とに拘らず解雇の処置はとらざるを得ないものと認められるから、申請人のこの主張は理由がない。

(解雇権濫用、解雇手続違反など)

申請人は本件解雇は些細な就業規則違反、又は被申請人に挑発された行為を理由とするものであるから解雇権の濫用であると主張するが、前示就業規則違反の成否の判断においては、解雇が最も重い懲戒であることを考慮し、程度の重大な企業秩序違反のみが解雇に相当するものとの基準によつて申請人の行為を評価したものであつて、かかる基準を以つてしてもなお、申請人の行為は懲戒解雇に相当する就業規則違反に該るのであるから、申請人のこの主張は理由がない。

次に解雇手続の違反について考えるに、就業規則第六六条には「懲戒処分は必要に応じ礦業所長、賞罰委員会に諮つて行う。但し労働基準法第二〇条第三項の認定があつた場合はこの限りでない」、同第六九条には「賞罰委員会に関する規定は別に定める」と定められており、被申請人が本件解雇において、賞罰委員会に諮る手続をしなかつたこと、本件解雇において労働基準法第二〇条第三項の認定がなかつたことはいずれも当事者間に争のない事実である。そこでかかる懲戒手続規定に違反した解雇の効力を考えるに、証人石橋喜平の昭和四〇年三月一六日証言によれば、この賞罰委員会は労使双方の委員をもつて構成さるべく予定されていたことが認められるが、このように解雇に際して、被解雇者の属する労働組合の何らかの関与の機会が認められるのは、解雇に関して労働者の利益のために、使用者に資料を提供し、かつ意見を述べて使用者の決定に参与する機会を与えて、労働者の地位と利益を守ることを目的とするものであるから、この趣旨からすると、就業規則第六六条には「必要に応じ」とあるけれども、これは礦業所長が賞罰委員会に諮るか否かの決定権を有することを定めたものではなく、賞罰(ことに罰)に処する場合には、同条但書の場合を除いて、必ず賞罰委員会に諮るべきものであつて、たゞ賞罰委員会を常置機関とせず、賞罰の必要が生じたときに構成すべきものとする趣旨に解すべきである。

しかしながら、解雇決定に対する労働組合の関与保障の程度は、就業規則や労働協約の定めの内容によつて強弱があり、例えばいわゆる同意約款があるような場合には、その関与保障の程度は最も強く、これに反する解雇は効力を有しないものであるが、本件解雇の場合、その関与保障の程度は「賞罰委員会に諮つて行う」とあり、この文言および、この解雇に対する制限が労使間の協約としてではなく、単に使用者が一方的に制定するものである就業規則に定められた使用者の自制にすぎないことからすると、この趣旨は賞罰委員会に賞罰の可否を諮問し、その意見を徴して参考にする趣旨であると解されるから、この場合の賞罰委員会はいわゆる諮問機関であつて、賞罰に対する労働組合の関与は、その程度に弱いものとしてしか認められていないのであり、又、本件解雇に際しては、被申請人はあらかじめ労組に解雇申入れをして、これについて交渉を重ね(この事実は前示のとおり当事者間に争がない)、賞罰委員会に諮るよりいわばより直接的な申請人の利益保護の措置を経ているのであるから、就業規則に定める諮問手続を経なかつたからといつて、本件解雇を無効ならしめるものではないと考える。

以上のとおり、申請人の本件解雇が無効であるとする主張はいずれも理由がなく、本件解雇が無効であることを理由に、被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めんとし、その仮の地位を定めることを求める申請人の本件申請は理由がないからこれを却下すべく、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 弥富春吉 人見泰碩 田中昌弘)

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