佐賀地方裁判所 昭和37年(ワ)330号 判決 1964年4月14日
原告 小松政人
被告 佐賀県
代理人 井上俊秀 外一名
主文
被告は原告に対し金五〇万円及びこれに対する昭和三八年一月一五日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを三分しその一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
事 実(略)
理由
一、昭和三六年一一月一二日頃佐賀県知事は、その管理にかかる佐賀県伊万里市白野の二級国道の改修工事として、同所十三塚橋の架換工事を請負業者下組をして行わせていたこと、(原告は被告が右国道の管理者と主張し、被告もこれを容認しているが、道路法一四条一項の規定に照し、右管理者は佐賀県知事であること明らかである。しかし原告の主張のうちには右の趣旨が含まれていると解し得られるし、この点は被告も格別争う態度はみられない)当時右工事は未完であつて現場は脱橋していたこと、原告は前記同日午後一一時頃同国道上を第二種原動機付自転車を運転して伊万里市伊万里町より唐津市方面に向つて進行中、右脱橋個所に気付かず同所に突込み、約二米下の川底に転落し、重傷を負つたことは当事者間に争いない。
二、そこで次に原告が右のような事故に遭遇し、負傷したのは道路管理者たる佐賀県知事の国道管理に瑕疵があつたために生じたものか否かにつき考察する。
(一) まず当夜、佐賀県知事の右国道管理に瑕疵があつたか否かについてみるに、
検証の結果や証人松尾弥澄、同久保田守人の各証言を総合すれば、前記十三塚橋は前記国道下を横断して流れる川幅僅々数メートルの小川に架けられた橋であつたが、これが架換工事のため同国道は両岸よりそれぞれ一四・五メートルの間、前記下組により占用されていたものであることが認められる。しかして該橋は脱橋中であつたのであるから既に右占用箇所(以下工事現場と指称する)附近は通路として予定された性質を有しなかつたこと明らかであり、従つて道路管理者としては、これに代る道路を設けることは勿論、本来の道路に異状があることにより起ることの考えられる事故発生の危険を排除するため万全の措置をとる義務があるものといわねばならない。
(1) ところで当夜を含めて右工事の期間中、右占用箇所の南側に迂回道路が新設されていたことは当事者間に争いなく、
(2) 証人吉野安義、同前田勇及び前掲松尾証人の各証言によれば、工事現場の伊万里側入口附近(迂回路進入口附近)の道路上、唐津方面に向つて(以下特に断らない限り同断)左脇に「工事中」と記載した標識が設置されていたことが認められ(尤も吉野証人の証言によれば同標識は道路と平行に近く設置されていたものと認められ、右前田、松尾両証人の証言中、右認定に反する部分は措信しない)、
(3) 又証人今坂仲二郎、同多久島平馬及び松尾証人の各証言によれば、右同所の道路右脇で迂回路進入口の手前には「徐行」と記載した木札が立てられていたことが認められる。
(4) 次に、被告の主張する如く、工事現場入口(以下特に断らない限り伊万里側を指称する)にバリケード(交通禁止柵)が設置されていたかどうかについて証拠を検討してみるに、
(イ) 松尾、久保田両人は、松尾が工事現場の工事責任者であり、久保田はその配下であるところ、事故発生当日(一一月一二日)工事現場では、午後五時まで作業をした後帰途につくに際し、久保田が現場を通行止にするため道路を遮断するバリケード(木枠に横板を打ちつけ、表面は縞模様を施した横幅一ないし二メートル、高さ一メートル前後)をその入口附近の道路両脇に二つ、その間に一つ並べて立てた旨供述し、
(ロ) 証人樋渡輝男、同前田勇はおのおのその翌一三日朝現場を通りがかつて原告が川底に転落しているのを発見した際、工事現場入口には二つのバリケードが間を開けて並んで立つていたがその間にはもともう一つのバリケードが並んでいたものと思われ、そのうち真中の分が飛ばされて倒れたようになつていた旨供述するが、
(ハ) 松尾、久保田両証人についてはその前記身分的地位もさること乍ら、後記(二)以下に認定する諸事実に照しても、その供述は直ちに措信し難いし、樋渡証人は受傷した原告の救出のことにもつぱら気をとられていたため、バリケードのあつたことはともかく、それがどこにどのような形でおかれていたかについての記憶は極めて曖昧であると自らも供述している位であつてこれも信頼するに足りない。又前田証人は、自ら運転するバスの進行に関し、前方左右に注意をこらしていたと供述するので、その前記供述は一応信を措き得るかに思えるが、後記下平・樋口両証人の証言と対比して必ずしもそうではない。
(ニ) しかして、吉野証人の証言によれば、同人は事故発生当夜の午後八時頃、あたかも原告と同様第二種原動機付自転車を運転して伊万里町から唐津方面へ向け現場を通行せんとしたが、既に同日午後一時頃同所を伊万里町へ向け一度通行したことあるにも拘わらず同所が工事中であつたことを失念しており、かつ亦現場には材木の散乱しているのを認めたのみであつたので、四〇メートル位手前で前方にこれを見乍ら、直前になるまでそれが工事現場であることを思い出さず、危く通過するところであつたこと。
(ホ) 又証人下平末次の証言によれば、同人は伊万里市内のタクシー会社に勤務する運転者であるところ、その翌早朝、報により原告を救出するべく小型乗用車(トヨペットクラウン五一年型)を運転して現場に赴いた際、工事現場内へ道路中央を通つて右乗用車を真直ぐ乗り入れて脱橋箇所の手前、二、三メートルまで至つたがその間なんらの障害物はなかつたこと、現場入口附近には道の両側にバリケードが立つていたものの、少なくとも左側のそれは道路と平行気味であり、両者の間隔は車が通つて左右それぞれ約三〇センチの余裕がある程度であつたこと、
(ヘ) 証人小島満義の証言によれば、同人は南波多町井手野所在の医師であるが、一三日早朝急報を受けて乗用車で現場へ急行したところ、既に原告は運び去られた後であつたが、迂回路の上から望見したところでは工事現場入口附近右側にバリケードが一つ盛土にもたせかけたようにして道路と平行に置いてあつたこと
(ト) 証人樋口亘の証言によれば、同人は当時、工事現場から伊万里寄に数百メートルの地点に設けられている大坪駐在所駐在の巡査であつたが、一三日早朝樋渡より事故の報せを受けたので自転車で現場へ向つたが、その途中原告を乗せて病院へ向う下平の運転するタクシーに行き合うたこと、現場では一応の状況を見たが、現場入口附近の道路両側にバリケードが立つていたものの、道路を遮断したようにも、又道路脇にこれと平行に片付けたようでもなく、チグハグな形であつたこと
等の各事実を認めることができる。
以上の諸事実を総合してみると、事故当夜、工事現場の入口附近の道路両側には、木枠に横板を打ちつけ、表面は縞模様を施した横幅一メートルないし二メートル、高さ一メートル前後のバリケードが一つずつ立つていたこと、それは特に道路を遮断する形で道路と直角になつていたものではなく、そうかといつて道路脇に片付けるためこれと平行になつていたものでもなく、チグハグにゆがんでいたこと、両者の間隔は小型乗用車が通過してなお両側に約三〇センチずつの余裕がある程度であつたことが推認されるが、両者の中間に、更にバリケード一箇が立てられてあつたことは認めるに足りない。
(チ) 尤も、この点に関し、証人田中保臣、同真崎宗一の各証言によれば、一三日早朝工事現場入口附近と脱橋箇所のホボ中間(工事現場入口の道路中央附近から約三、四メートルの距離がある)にバリケードが一箇転倒していれこと、それには新しい損傷がみられたことが認められ、この事実に併せて後に(2)において認定する如き諸事情を考えれば、もともと右バリケードは前記二つのバリケードの中間に立てられていたのに原告の運転する第二種原動機付自転車にひつかけられ、はねとばされたのではないかとの臆測ができないわけでもない。
前記真崎証人も交通係警察官として事件を処理するにつき、右の如き判断をなした旨供述する。
しかるに右両証人の各証言によれば、バリケードの損傷部分は正面から向つて左側、その高さは中段であり、第二種原動機付自転車の相当部分はステップ上部と考えられるのである。しかして田中証人の証言によれば右バリケードの転倒していた位置は道路の中心線より左側寄りと認められ、樋渡、前田、下平各証人の証言によれば原告が転落した位置は中心線よりやや右寄りと認められ又樋口証人の証言によれば、同人が一三日朝現場を調べた際原告の第二種原動機付自転車のものと思われる車轍痕があつたがそれには特段の異状はみられなかつたことが認められ、もしさきの臆測を貫ぬこうとすれば以上の事実を総合して、原告の運転する第二種原動機付自転車は道路左寄から右寄に向けて進行し、右側ステップ上部でバリケード左側をひつかけてこれを少なくとも三、四メートル左前方へはねとばし、自らはそのまま直進したということになる。
しかし乍ら、かかる現象は経験則上にわかに首肯し難く、従つて前記の如き臆測を確定することはためらわざるを得ないのである。
以上の次第で工事現場を遮断するべく完全な形でバリケードが立てられていたものとは認められない。
(5) 事故当夜現場附近にはこれを照明する光源はなく暗かつたこと、かつ赤色灯も設置、点灯されていなかつたことは被告の認めて争わないところである。
ところで、道路を占用して工事を実施する者に、工事現場にさく又はおおいを設け、夜間は赤色灯をつけることが義務づけられていることは道路法施行令一五条五号の規定上明らかであるのみならず、本件工事現場は伊万里市の市街地を出外れた個所で附近一帯に人家はなく、幅員七メートルの平坦で直線をなし交通頻繁な前記国道が伸長しているという地理的状況からすれば、殊に夜間は自動車等の運転者をして本件工事現場の所在を識別し、予知させる措置を講じていないと、これに気付かないか、よしんば気付いたとしても直前になつてからであつて、制動措置も問に合わない危険が多分に存するものといわねばならない。もとより、自動車等の前照灯を照射し、運転者において前方注視を怠らなければ、かかるさくを設けず、又赤色灯をつけなくとも、現場の相当手前でこれを発見することも可能といえよう。しかし乍ら、だからといつて道路交通の危険防止の観点から工事施行者に課せられた前記義務を怠ることは許されず、右危険はなお消滅するものではない。
してみれば、本件工事現場の状況殊に夜間照明の状況には本件国道交通の安全性保持について欠くるところがあつたというべきであり、該国道管理者たる佐賀県知事の管理義務違背の責は免れ得ない。しかして佐賀県知事の行う本件国道の維持、修繕その他の管理の費用は道路法五一条一項の定めるところにより被告がこれを負担することは明らかであるから、右国道の管理に瑕疵があつたため他人に損害を生ぜしめたときは、国家賠償法三条一項の規定により費用負担者たる被告もその損害賠償の責に任じねばならない(原告は右国道管理者は被告であるとして同法二条により賠償責任ありと主張しているが右主張には同法三条による請求を含むものといえるし特にこれを排斥する趣旨とは考えられない)。
(二) 次に被告の右国道管理上の瑕疵と本件事故の発生との間に因果関係があるか否かについて考えてみよう。
原告本人は事故当夜の出来事は全く記憶にないと供述し、他に亦目撃者も見当らないので、事の真相を直接に知る方法はないが、前掲証人等によつて知り得る事故後の現場の状況その他の諸事情から推測することも不可能ではない。
(イ) 当夜現場にはその入口附近の両側にともかくもバリケードが一箇づつ置いてあつたことはさきに認定した通りであり、
(ロ) 樋渡、樋口、田中、松尾、多久島各証人の証言によれば、現場の左側には、石かバラスを一メートル足らずに盛つてあつた上に、ベルトコンベアが置かれていたことが認められ、
(ハ) 真崎、田中両証人の証言によれば、一三日朝現場を実況見分したところ、そこには原告の第二種原動機付自転車が通過した車轍痕は認められたが、急制動をかけたことによるスリップ痕はなかつたことが認められ、
(ニ) 田中証人の証言によれば、同人が一三日朝初めに一人で現場を調べた際、転落していた第二種原動機付自転車の前照灯には点灯スイッチが入つていたことが認められ、
(ホ) 証人岩永武勇、同関野淑子、同山口良子の各証言によれば、事故当日は原告の住居地たる南波多町井手野部落所在の白山神社の祭礼があり、原告も祝酒を飲み、午後七時頃前記車を運転して伊万里町へ赴き、バーにおいて四、五時間位の間にウイスキーのストレートシングル一杯とハイボール三杯、スロージン一杯を飲んだことが認められる。
(ヘ) しかして弁論の全趣旨よりして、伊万里町への往路は本件事故現場の迂回路を通行して行つたこと、従つて右現場が工事中なることを原告も承知していたことを推認するに難くない。
以上の各事実からみるに、原告は伊万里町より自宅への帰路飲酒のため多少とも酔い、注意力が低下していたこと、そのため工事現場の存在を忘れており、かつ又原告の運転する第二種原動機付自転車は法定の基準に適合する前照灯を備えつけていたものと推認されるから、少なくとも五〇メートル手前において前記道路脇のバリケードなりベルトコンベアなりが照射された筈であるのにこれに気付かなかつたこと、従つて急制動をかけることもなく、道の両側にあつた二つのバリケードの中間を通り抜けてそのまま工事現場に直進し脱橋箇所に空つ込んだことを推認することが出来る。
そうしてみれば、仮りに今一つ真中のバリケードが設置されてあつたとしても或いは結果は大して変らなかつたかも知れない。しかし乍らもし佐賀県知事において前記下組に指示して現場自体を照射する設備を施しておくなり、少なくとも夜間赤色灯を設置しておくなりせしめておいたら、いかに注意力が低下していたとしても暗夜にともるその鮮明な色彩はかなりの手前において原告の注意をひかずにはおかず、ひいて当該箇所が工事中なることの記憶を喚起し、これに応じる措置をとつたであろうと推認することは容易である。
このようにみてくると、本件事故の発生は原告において前方注視を尽さなかつた過失と道路管理者たる佐賀県知事における前記道路管理上の瑕疵が競合してその因をなしたものと認めるべきであるが、その程度は後者の方がはるかに大きいといわねばならない。けだし、道路交通の安全に関しては通行人個々が能う限り注意を致すべきは勿論であるにしても、既に述べたように道路殊に本件の如き交通頻繁な国道中に架けられた橋が脱落している場合はその交通安全に及ぼす影響が極めて大きいのに鑑み、道路管理者は事故の発生を防止するため万全の措置を尽す義務あるものというべきだからである。
(三) よつて進んで原告の被つた損害について調べてみる。
(被告の受傷の程度)
証人種子田芳文の証言によつて真正に成立したことの認められる甲第三号証、第三者作成にかかり形式により当裁判所が真正に成立したものと認める甲第六号証の各記載に右種子田証人の証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、原告は前記のように川底に転落した結果、脳震盪症、頭部顔面挫創、胸部打撲傷、皮下気腫、右大腿骨々折等の重傷を負い、翌一三日伊万里市内前田病院に入院したが、十数日間は意識障害を来し、一一月二五日大腿骨々折に関する外科手術を受け、引続き各種治療を受けて昭和三七年二月一九日退院したこと、その後しばらく通院していたが、大腿部治療のため同年五月二五日再入院し同年六月二日退院したこと、受傷後記憶力が非常に低下したので同年七月一三日同病院に赴いて訴え、投薬を受けたこと、なお同年四、五月頃から井手野部落の小島医師の許へ通つて大腿部の電気治療を受け、八月頃には佐世保の医療法人慶友会西海病院へ赴き、脳震盪後遺症により爾後なお三ヶ月の加療を要する旨診断され、その後約四回通院して投薬を受けたこと等の事実を認めることができる。
(物質的損害)
1 証人小松満太郎の証言(第一回)によれば、原告の右受傷により、その治療その他に父訴外小松満太郎が以下摘示する如く各種の出費を要したことを認めることができるが、これらは本来原告の負担すべきものであるから、原告の被つた損害というを妨げない。
(1) (治療及びこれに附随する費用)
(イ) (入院費用)
成立に争いのない甲第四号証の一ないし六、第五号証の一ないし一〇の記載と証人小松満太郎の証言によれば原告の父訴外小松満太郎は昭和三六年一一月一三日から昭和三七年二月一九日までの入院費用として、昭和三六年一一月二七日から昭和三七年二月二〇日までの間に前田病院に合計金六一、七八五円を支払い、同年五月二五日から同年六月二日までの入院費用として、同病院から金五、〇五〇円の支払請求を受けているが未払であることを認めることができる。
(ロ) (入院中の諸経費)
(物品購入費)
小松証人の証言並びに同証言によつて真正に成立したことの認められる甲第九号証の記載及び原告本人尋問の結果によれば、原告が前田病院に入院したことにより小松満太郎は別紙物件目録記載の物品が必要となつて同記載の各代金を以て新たに購入したことが認められる。しかし乍ら右各物品のうちタオル・木炭・練炭・氷を除いては原告が最後に退院した昭和三七年六月二日を超えてなおその価値は残存したものと考えられ、その割合は平均して三割を下らないものと認めるのが相当であるから、結局本件事故による損害としては購入代金総額三三、一二〇円より、前記タオル等を除くその余の物品の価格の三割に当る七、四一〇円を控除した金二五、七一〇円と認めるのが相当である。
(看護人日当)
又同証拠によれば、原告の入院中、看護人として、昭和三六年一一月一三日から昭和三七年一月三一日までは二名、(原告は同期間中二名ないし五名を要したと主張するも、看護のために二名を超える人員を要したという特段の事情は認められず、事実上仮りにそうであつたとしても本件事故と相当因果関係あるものとは認めるに足りない)同年二月一日から同月一九日までは一名を要したことが認められる。尤もこれらは同居の家族である原告の父、母もしくは姉(文枝)が、或いは他家へ嫁いた長姉、次姉或いは他処で稼働している妹が交互に看護に当つたもので、これに対し現実に日当を支払つた事実のないことは小松証人(第一回)の供述するところであるが、原告が看護日当を請求する趣旨は右看護のため同人等が家事、農耕等について被つた損害を原告において補填する意味をも含むものと考えられるので右請求を肯認し得る。しかして右金額は一日金四〇〇円を以て相当とすべきであり、以上合計金七一、六〇〇円となること計算上明らかである。
(看護人及び原告入院中の給食外飲食費)
前掲同証拠によれば、原告が手術を受けて後、昭和三六年一一月二六日以降退院まで、病院において受ける給食が十分喉に通らなかつたので栄養補給のため毎日平均牛乳二本ヨーグルト一本を飲用しその代価が合計金三、六一二円となること、原告の入院期間中を通じてみれば前記認定の看護人二人のうち一人は他家へ嫁いだ姉達或いは他処で独立の生計を営む妹が毎日交互にその任に当つたものといい得、その食費として昭和三六年一一月一三日以降昭和三七年一月三一日まで毎日金一五〇円宛合計金一二、〇〇〇円を要したことが認められる。なお今一人は同居の家族であり、その食費として特別の支出を要したと認めるに足りる証拠はない。
(看護人交通費及び通信費)
前掲証拠によれば、原告の看護の為前記の人々が自宅と病院の間を往来したバスの運賃として合計金六、一〇〇円を要したことが認められる。なお、静岡済生会病院に看護婦として勤務している妹ミドリを呼び寄せた電話代、汽車賃等に一万円余を要したことが認められるが、原告は病院に入院していたことでもあり、肉親も身近にいたのであるから、妹が原告の身を案じて遠路遙々駈けつけたのであろう心情は理解し得るも、看護人として特に遠方から呼び寄せる必要があつたとは認められない。即ち右旅費等は本件事故と相当因果関係あるものとは認められないので損害に計上しない。又原告が前田病院退院後なお数回通院したがそれに要したバス代として合計金五六〇円の支出をなしたことが認められる。更に原告は、前記認定の通り、昭和三七年八月頃から佐世保市内の西海病院に四回通院して頭脳の診療を受けた際、用心のためいずれもタクシーを使用し、その代金として合計金六、四〇〇円の各支出をなした旨供述するがしかしタクシーを利用せねばならなかつた特別の事情についてはみるべきものなく、直ちに採り難い。
(ハ) (その他の医療費)
原告が退院後小島医院に通院して受けた電気治療費及び西海病院における診療費として主張するところは、これに副う小松証人の証言があるが、裏付けるに足りる確証がない(これらの証拠書類は容易に入手し得る筈であると考えられるのになんら提出がない)。
(2) (修繕費)
小松証人の証言(第一回)及び第三者作成にかかり、同証言によつてその真正に成立したことの認められる甲第七号証の記載によれば、本件転落事故により 当夜原告が乗用した第二種原動機付自転車は破損しその修理に金三〇、〇〇〇円を要したことが認められる。
(3) (労働力補充に要した費用)
第三者作成にかかり小島証人の証言(第一回)によつて成立の認められる甲第八号証、前掲甲第九号証成立に争いのない乙第三号証の一の各記載に証人下平亨、前掲井手(第二回)、小松(第一、二回)各証人の証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、
原告は従来父満太郎、母ミキ、姉文枝と同居し、父と共に、祖父亡恵左エ門若しくは父名義の農地並びに他よりの借用地等併せて田地九反三畝二六歩、畑地六反五畝一六歩、果樹園七反八畝二四歩を耕作、管理していたものであるがその労働の中心はむしろ原告にあつたところ、本件事故に遭遇したことにより昭和三六年一一月一三日から昭和三七年八月末頃までこれらの作業に従事し得ず、その結果自家農作業を行うに際し、昭和三六年一一月末頃より昭和三七年六月頃までの間に耕耘、除草、田植、麦蒔、麦刈、薪材運搬、果樹定植等のために多数の機械、作業員の雇入を余儀なくされ、その経費として金七三、五〇〇円の支出を要したことが認められる。但し、原告が健康なときも毎年一一月頃より翌年六月頃までの間に作業員の雇入費用として平均三万円を要していたことは原告の自認するところであるから、これを控除した金四三、五〇〇円が本件事故に伴う費用の増加分として同額の損害を被つたものというべきである。
(4) (得べかりし利益の喪失)
成立に争いのない甲第一一号証の一ないし三、小松証人(第二回)の証言によつて真正に成立したことの認められる甲第一二号証の一、二の各記載に種子田、小松(第二回)証人の証言及び原告本人尋問の結果(第二回)を総合すると、原告は本件受傷前その労働により年間約三五万円の所得を生み出していたが、(被告は原告名義の所得は皆無と主張し、成立に争いのない乙第一号証の一、二の記載にはその趣旨に副う伊万里市長の証明がみられるが、公簿上の名義はともかく、原告の労働によつて実質的に収益をあげていた事実は否み得ない)本件負傷後は脳震盪後遺症により、記憶力が著しく減退すると共に注意力が敢漫となり、又疲労し易くなつて、その労働力はこれまでのところ負傷前に比して約二分の一に減じたことが認められる。(原告は負傷前の労働力の五分の四を喪失したと主張するが、その本人尋問に当つては負傷前の半分以上の仕事はなし得ると自ら供述している)。
しかして前記所得を生み出すために要する経費及び税金等として年間金四万円の支出を要したことは原告の自認するところであるから、これを控除すると年間の純収益は金三一万円であつたと認められ、従つて本件負傷により喪失した年間の得べかりし利益は金一五五、〇〇〇円となる。
ところで原告の受けた脳震盪後遺症が今日まで続いていることは認められるにしても種子田証人の証言に照しても向後終身継続するものとは断定し難く、また何時まで継続するものともこれを確認するに足りる根拠はない。しかして前掲各証拠によれば原告の療養中他より労働力が補充されたことによつて年間の収益は維持されていることが認められ、かつ右補充に要した費用は既に損失に計上したのであるから、本項に計上すべきものは原告が再び現実に作業に従事するようになつて以後の本件口頭弁論終結時までの分である。原告本人尋問の結果(第一、二回)によれば、原告が再び作業に従事するようになつたのは昭和三七年九月以降であることが認められるから、結局原告が本件事故により喪つた得べかりし利益は今日までのところ一年につき一五五、〇〇〇円の割合による一年六ヶ月分金二三二、五〇〇円と認めるのが相当である。
2 以上のほか原告の主張する損害については、その主張に副う小松証人或いは原告本人の供述がないわけでもないが、これを確認するに足りない。
3 そうしてみれば、本件事故により原告の被つた物質的損害は合計金四九二、四一七円となるところ、本件事故の発生には原告の運転者として尽すべき前方注視義務を怠つた過失が競合していることはさきに認定した通りであるから、原告の被つた損害のうち被告の賠償すべき額を定めるについては右の事情を斟酌すべきであり、その結果右賠償額は以上認定した各損害額よりその約四分の一に相当する金額を控除した金三五万円と定めるのが相当である。
(慰藉料額)
原告が本件受傷により、多大の精神的苦痛を被つたことは察するに難くない。さきに認定した本件事故の原因、原告の家庭的状況、受傷の身体的、精神的影響その他記録にあらわれた諸種の事情を考慮し、右苦痛を慰藉するには被告において金一五万円を支払うのが相当である。
(四) 総括
以上の次第で原告が被告に対し本件事故による損害賠償を求める本訴請求は物質的損害賠償として金三五万円、慰藉料として金一五万円、合計金五〇万円およびこれに対する前記不法行為の日より後の日である昭和三八年一月一五日以降右支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当としてこれを認容すべきであるが、その余は失当として棄却を免れない。
よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条を適用し、なお仮執行宣言は必要ないと認めるのでその申立を却下して主文の通り判決する。
(裁判官 弥富春吉 佐藤安弘 岡田春夫)