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佐賀地方裁判所 昭和48年(わ)1号 判決 1973年9月20日

主文

被告人を懲役三年に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、西村伊之吉、同ユキの長男として本籍地に生れ、昭和二三年九月から同四六年七月まで九州各地の税務署に勤務し、その後父伊之吉(明治二六年一二月一四日生)と同居していたのであるが、伊之吉は生来短気でわがままのうえ酒を好み、しかも酩酊すると家族の者に暴力を振るい、妻ユキには生前生傷が絶ない程であつたが、同女が昭和四六年一月一〇日死亡してから伊之吉の矛先は被告人夫婦、ことに日常身のまわりの世話をする被告人の妻エイに向けられ、ことごとにつらく当るので、これを避けるため被告人夫婦が伊之吉と別々に食事をするようになつたことが、さらに同人の不満をつのらせ、一層ひどく当り敢らすようになつて、飲酒しては器物を投げつけ、殴打するなどの乱暴狼藉を繰り返していた。そのため家庭に波風の絶える間がなかつたが、被告人は父のこのような行状に苦慮しつつも、なるだけ相手にならないようにして辛抱していた。ところが昭和四七年一二月一五日午後三時ごろ伊之吉は老人クラブの会合から酒に酔つて帰宅し、晩酌をするうち、いつもの酒癖を出し、エイに対し「家庭というものは一緒に話しながら飲んだり食べたりするものだ。俺だけをのけものにして、親不孝者が」などと罵しりはじめ、灰血を投げるなどして暴れ、その場は一応おさまつたものの、午後七時ごろ再び怒りだし「この親不孝者が。」「貴様らは出て行け。」などと怒鳴りながら被告人の居室にやつてきて被告人の襟首をつかむなどしてからんだので、被告人は伊之吉を強引に隣室に連れて行き布団に寝せつけて一旦外に出たが、二〇分程して家に帰つてみると、中で同人が暴れており被告人の姿を認めるややかんや湯呑茶碗を投げつけたりするので、被告人は伊之吉のあまりに執拗かつ粗暴な振舞に憤激し、同人の顔面を二・三回手拳で殴打したうえ同人をねじふせて布団をかぶせ、その場を立ち去るべく縁側に出たところ、なおもうしろから追いすがつてきた同人から後頭部を二・三回殴打されたので、憤激のあまり振り返りざま同人を両手で突きとばし、さらに起きあがつて立ち向つてきた同人を蹴り倒し、これらの転倒の際、柱で頭を打つてあお向けに倒れた同人の顔面などを数回にわたり足蹴りするなどの暴行を加え、右暴行により頭部・顔面打撲の傷害を負わせ、よつて同人を同日午後九時一〇分ごろ同所において右傷害によつて惹起された脳浮腫および硬膜下出血により死亡するに至らせたものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

一検察官は、被告人の判示所為が刑法二〇五条二項の尊属傷害致死罪に該当し、同条項を適用すべきであるとするに対し、弁護人は、同条項は法の下の平等を規定した憲法一四条一項に違反し無効であると主張するので、この点について判断する。

(一)  憲法一四条一項は、国民に対し法の下の平等を保障した規定であつて、事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨と解すべきである。

(二)  ところで、刑法二〇五条二項は、自己または配偶者の直系尊属を身体傷害により死に至らせた者は無期または三年以上の懲役に処する旨を規定しており、被害者と加害者との間における特別な身分関係の存在に基づき、同条一項の定める普通傷害致死の所為と同じ類型の行為に対してその刑を加重したいわゆる加重的身分犯の規定であつて、このように同条一項のほかに同条二項をおくことは、憲法一四条一項の意味における差別的取扱いにあたるというべきである。

(三)  そこで、刑法二〇五条二項の右のような差別的取扱いが、憲法一四条一項の許容する合理性を有するか否かについて検討する。

1 刑法二〇五条二項は、他の尊属に対する犯罪についての加重規定と同じく、これが設けられるに至つた思想的背景には、封建時代の親殺し重罰の思想があるものと解されるのみならず、同条項が卑属たる本人のほか、配偶者の尊属に対する罪を包含している点からみても、直系尊属は直系尊属であるというだけで常に無条件に尊重されるべきものとしているのであつて、すでに日本国憲法によつて廃止された「家」の制度と深い関連をもち、一種の身分制道徳に立脚するものといえる。すなわち、これらの規定は、尊属卑属間における権威服従ないし尊卑の身分的秩序を重視する旧家族制度的道徳観念を背景とし、これに基づく家族間の倫理および社会的秩序の維持をはかることを目的としたものと考えられ、個人の尊厳と人格価値の平等を基本理念とする憲法一四条一項の精神とは相容れないものといわなければならない。

2 もとより、通常直系尊属と卑属とは自然的情愛とこれに基づく協力扶助の関係によつて緊密に結ばれており、そのなかで子が親を大切にすることは子の守るべき基本的道徳であることはいうまでもない。しかし、これはいわゆる尊属に対する尊重報恩ではなく、人情の自然なる発露であつて、かかる道徳は本来個人の自覚に基づき自発的に遵守されるべきものであり、刑法二〇五条二項の如く、法律で強制するに適しないものである。ところで、この自然的情愛の発露とは別に、従来わが国において重視されてきた尊属に対する尊重報恩なる道徳観念は、孝の観念を基調とする歴史的な一定時期の家族制度のなかでつちかわれたものであつて、両者を同質の普遍的道義として理解することは妥当でない。しかるに同条項が、親子のほかこれと同じく互いに自然的情愛とこれに基づく協力扶助の関係によつて緊密に結ばれ、長幼の別や責任の分担に伴う秩序が存する夫婦、兄弟姉妹などの親族的結合のなかから、卑属の直系尊属に対する関係のみをとり上げて(しかも配属者の直系尊属まで同列に置いて)刑を加重していることは、結局相互の情愛と協力扶助によつて結ばれている親族共同生活の秩序維持を目的とするものではなく、尊属に対する尊重報恩を核心とする旧家族制度的思想に根ざすものと解されるのであつて、このように、被害者が直系尊属であることのみのゆえをもつてとくにこれを重んずべきものとする身分的差別規定は、現在ではすでにその合理的根拠を失つたものといわざるをえない。

3 更に、社会情勢の発展とこれに対応する国民思想の変遷にともない、尊属殺重罰規定を有していた諸外国においても、近時しだいにこれを廃止し、または緩和しつつあり、わが国においても最近発表された「改正刑法草案」では尊属重罰の規定が削除されている情況のなかで、昭和四八年四月四日最高裁大法廷判決によつてその理由はともかく結論においては尊属殺人罪の刑法二〇〇条の規定が違憲無効なものとされ、こと尊属殺人罪に関する限り特別加重の規定が適用されなくなつた現在、刑法二〇五条二項など尊属に対する犯罪につき刑の加重を規定した刑法のその余の各条項を、なお合憲、有効なものとして維持するだけの合理的根拠はもはや認めがたい。

4 以上の理由により、刑法二〇五条二項は、日本国憲法下で容認されるような合理的根拠に基づかない不合理な差別的取扱いをするものと認められるから、憲法一四条一項に違反する無効の規定としてその適用を排除すべきである。

二判示事実に法律を適用すると、被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するので、所定刑期の範囲内で処断すべきところ、本件犯行の情況について考えるに、被告人は判示認定のような経緯のもとに本件犯行に及んだもので、その動機において相当同情されるものがあり、また犯行の態様についても、被害者は顔面を中心に全身にわたつて打撲の痕があるので、老人相手にやや残酷な暴行がなされたかにみえるが、判示のとおり被害者は長時間にわたつて暴れているので、これらの傷害は自損行為をも含めてその間に生じたものであり、かつ、長年このような被害者の酒乱に耐えてきた被告人が被害者に執拗に挑まれて最後にはついに自制心を失い興奮状態に陥つて殆ど衝動的に行動したことがうかがわれるのであつて、右のような被害の外形的事実をもつて被告人を厳しく責めることはできない。被告人は過去に特段のあやまちもなく正常な社会生活を営んできたものであり、本件についても深く悔悟していることが認められる。よつて被告人を懲役三年に処し、前記のほか諸般の事情を考慮し同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文により全部を被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(杉島広利 梶田英雄 二神生成)

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