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佐賀地方裁判所 昭和49年(ワ)24号 判決 1977年2月25日

原告 大脇忠男

原告 トヨタカローラ佐賀株式会社

右代表者代表取締役 前田政雄

右両名訴訟代理人弁護士 山口米男

被告 国

右代表者法務大臣 稲葉修

右指定代理人 布村重成

<ほか五名>

主文

被告は、原告大脇忠男に対し二五八万七、〇九六円、原告トヨタカローラ佐賀株式会社に対し一八三万三、三八六円およびこれらに対する昭和四八年一二月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告大脇忠男に対し三九一万円、原告トヨタカローラ佐賀株式会社に対し一九三万六、九九九円およびこれらに対する昭和四八年一二月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第一項につき仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  敗訴の場合における担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

《以下事実省略》

理由

一  佐賀地方検察庁検察官が昭和四七年一〇月一一日、原告大脇を本件公訴事実により、私文書偽造罪の被告人として佐賀地方裁判所に起訴したこと、これに対し、同裁判所が昭和四八年一二月一四日、無罪の判決を言い渡し、右判決が控訴されることなく同月二九日確定したことはいずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、本件公訴提起が検察官の過失に基づく違法な公権力の行使によるものであったかどうかについて判断する。

1  検察官は、捜査終結時の証拠に基づき、当該被疑者に対し、犯罪の嫌疑が十分で、将来有罪判決を得る可能性があるとの合理的心証に達した場合には、起訴を猶予すべき特段の事情がない限り、原則として公訴を提起すべき職務上の義務を負うものであるが、裁判官による証拠の評価につき、自由心証主義を採用する刑事訴訟法の下では、裁判官が同一の証拠について検察官と異なる評価をなし、その結果犯罪事実の証明なしとして無罪の判決を言い渡すことも当然予想されるところであるから、無罪の判決が確定したからといって、直ちに検察官の公訴提起が違法なものであったと断定することは妥当でなく、検察官の証拠の評価が、自由心証の範囲内にあるものとして是認される場合には、なお公訴提起は適法なものであったとしなければならない。

しかしながら、検察官が事案の性質上当然なすべき捜査を怠るなど適切な証拠収集に務めず、不十分な証拠によって安易に犯罪の嫌疑を認定したり、あるいは収集された証拠に対し、その合理性を肯定しえないような評価をなすなど自由心証の範囲を逸脱して事実を誤認し、その結果公訴事実について証拠上合理的な疑いがあり、有罪判決を得る可能性が乏しいにもかかわらず、これを看過して公訴を提起するに至った場合には、かかる起訴行為は違法であり、これにつき検察官には過失があると解するのが相当である。

2  これを本件についてみるに、《証拠省略》によると、本件事件の処理にあたった山下検事は、捜査段階を通じて収集された証拠のうち、蘭司法書士の検察官に対する供述調書、原告大脇の司法警察員および検察官に対する各供述調書、辰次、保馬およびハツエの司法巡査、司法警察員および検察官に対する各供述調書をもって、原告大脇に対する嫌疑は十分であり、かつ将来有罪判決を得る可能性があると判断して本件公訴提起に及んだことが認められるところ、《証拠省略》を総合すると、右各証拠のうち、原告大脇の犯意を認定しうる直接証拠としては、原告大脇の昭和四七年一〇月九日付検察官に対する供述調書中の自己の刑事責任を認めたかのような後記供述部分(これが自己の刑事責任を認めたものと評価しうるかどうかはしばらく措く。)のほか、共犯者とされた辰次の自白を録取した司法警察員および検察官に対する各供述調書が存在するだけであり、その他はいずれも間接的状況証拠にすぎないことが認められ、また原告大脇の司法警察員および検察官に対する右各供述調書における本件文書作成に至る経緯および作成状況等主要な事実に関する供述部分は、後記認定のように、辰次の供述とは著しく異なる内容のものであったから、これに本件公訴事実の記載内容を対照すると、山下検事は、辰次の供述を最も重視し、辰次の供述に反する原告大脇の供述は措信し難いものと判断して、本件公訴提起に及んだものと推認され、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

ところが、《証拠省略》によると、本件刑事判決は、「原告大脇と辰次との共謀についての唯一の直接証拠ともいうべき辰次の供述は、他の証拠に照らし全く信用できず、また原告大脇の自己の刑事責任を認めたかのような供述部分も、辰次が保馬、宗次郎の承諾を得ていないのではないかとの疑念を抱いたことをことさら強調拡大して犯意に結びつけた無理がうかがわれるから、結局原告大脇の共謀を認めるに足りる証拠はない。」旨判示し、山下検事とは著しく異なる証拠の評価をなしたことが認められる。

3  よって、まず、本件公訴提起の際に存在した前記各証拠の内容を検討し、原告大脇の犯罪の嫌疑が十分あるとした山下検事の右判断が、自由心証の範囲内にあるものとしてなお是認しうるものであったかどうかを判断する。

(一)  辰次の供述について

(1) 辰次の捜査段階における供述には、後記認定のように、取調べの経過により、その内容に重大な変遷がみられるが、《証拠省略》によると、原告大脇との共謀について直接証拠となりうる供述の骨子は、概略次のようなものであったことが認められる。

「昭和四五年五月はじめころ、原告大脇の勧めで、原告会社と継続的な車両取引契約を締結することになったが、その際原告大脇から兄保馬と父宗次郎を保証人とするよう、求められたので、早速宗次郎にその旨相談した。しかし、宗次郎からは頭ごなしに断られてしまったので、原告大脇に宗次郎の承諾を得られなかったと話したところ、原告大脇は『それは困ったな。おやじさんの印がないとどうにもならん。』と言ったのち、宗次郎の実印を手に入れるには、印鑑登録の改印届をすればよいこと、それには宗次郎が多忙で出頭できないということにして宗次郎の委任状を作成し、所定の改印手続をとれば良いことなどを教えてくれた。宗次郎の承諾が得られなかったので、原告会社との取引をあきらめかけていたが、原告大脇から教えられて初めて改印届の方法などを知り、その方法によれば、原告会社との間で取引契約が締結できることが判ったので、宗次郎の実印を偽造することを決意した。そこで、牛津町の井上印判店に行き、三文印を刻ってもらい、それを使って宗次郎の実印の改印届をしたうえ、同人の印鑑証明書を一通交付してもらった。一方、保馬については、宗次郎から頭ごなしに断られたので、どうせ頼んでも無駄だろうと思い、最初から保証人になってくれとは頼まなかったが、当時たまたま佐賀スズライト販売株式会社(以下、佐賀スズライトという。)に対する六万円ほどの自動車部品等の代金債務について、保馬に保証をしてもらうことになっており、印鑑証明書を預かっていたので、これを原告会社との取引に利用することにし、保馬には、佐賀スズライトの件で実印が要るからと嘘をいって実印を借り受けた。このようにして手に入れた保馬と宗次郎の実印および印鑑証明書は、いずれも原告会社の営業所で直接原告大脇に手渡した。その後、原告大脇から電話で蘭司法書士のところで書類を作成するという連絡があったので、蘭事務所に出かけて行き、原告大脇とともに本件文書の作成を依頼したが、原告大脇には、宗次郎の承諾を得られなかったと伝えてあるし、保馬の了解を得たとも話したことはないから、原告大脇は、その際、保馬、宗次郎の同意がないことは当然知っていたはずである。」

(2) しかしながら、《証拠省略》を総合すると、原告大脇は、辰次から保馬所有の田畑が一町ぐらいあると聞いていたので、それだけあれば担保としても十分であると考え、当初は保馬のみから連帯保証と担保の提供をしてもらうことで、辰次との取引契約に応ずることとし、昭和四五年五月一日付でサブデーラー取引契約書を作成した際には保馬のみを連帯保証人とし、本件文書の作成を蘭司法書士に依頼するに際しても、保馬のみを連帯保証人兼根抵当権設定者とする契約書の原案を用意していたこと、ところが蘭司法書士が右契約書の原案に原告大脇の依頼であらかじめ調査していた保馬所有の不動産を記入したのを見て、それが意外に少ないことが判明し、担保として不十分だと考えたため、その時初めて辰次に対し、宗次郎をも担保提供者として追加するよう要求したものであり、それ以前に宗次郎の担保を要求したことはなかったことが認められるから、当初より保馬、宗次郎の双方につき担保を要求された旨の辰次の前記供述は、とうてい措信し難いものであったといわなければならない。

(3) また、《証拠省略》によると、辰次は、昭和四二年五月八日、自己の実印の新規登録をしたのち、本件事件当時まで、同年一〇月三〇日、同年一一月八日および昭和四三年九月二一日の三回にもわたって、その改印届をしていたことが認められるから、本件事件当時、辰次は改印届の方法などに関し十分な知識を有していたものと推認され、原告大脇から教えられて初めてその方法を知った旨の辰次の前記供述も、にわかに信用し難いものであったといわなければならない。

(4) さらに、《証拠省略》を総合すると、本件文書の作成および根抵当権設定登記の申請手続に使用された宗次郎の実印は、辰次によって改印届がなされたものであったが、辰次が右改印手続をしたのは昭和四五年五月二五日であり、右手続に使用された宗次郎の印鑑証明書も同日付で発行されていること、保馬の印鑑証明書も同年五月一九日付で発行されたものが右手続に使用されていること、ところが、原告大脇が辰次とともに本件文書の作成を依頼すべく蘭事務所に赴いたのは、同年五月一八日か、遅くとも同月一九日の一回だけであり、それ以後原告大脇が同事務所を尋ねたことはなかったことが認められるから、辰次が蘭事務所に赴く以前に宗次郎の実印や印鑑証明書を原告大脇に手渡すことは物理的にも不可能であり、保馬の印鑑証明書を手渡すことも不可能に近かったというべきであり、加えて《証拠省略》によると、蘭司法書士は、本件刑事事件の証人として、保馬、宗次郎の実印および印鑑証明書は、いずれも辰次自身が直接事務所に持ってきたとも証言していることが認められるから、これらの事実に照らせば、保馬、宗次郎の実印と印鑑証明書は蘭事務所に赴く以前に原告大脇に手渡した旨の辰次の前記供述も、とうてい信用できないものであったといわなければならない。

(5) もっとも、《証拠省略》によると、辰次の昭和四七年一〇月九日付検察官に対する供述調書では「これまで保馬と宗次郎の印鑑証明書を同時に原告大脇に渡したように述べてきたが、それは誤りで、保馬の印鑑証明書をもらったのは昭和四五年五月一九日のことであり、その日かその翌日に原告大脇に渡したが、宗次郎の印鑑証明書は、蘭事務所で原告大脇に保馬の不動産のほか宗次郎の不動産も担保に入れなければ契約できないといわれたので、以前に教えられたとおりの方法で宗次郎の改印届をし、印鑑証明書を交付してもらって、その日かその次の日に原告大脇に渡したものである。」として、原告大脇から宗次郎の実印の改印届の方法を教えられたのは、蘭事務所に行く前であったが、実際にその方法で宗次郎の実印の改印届をしたのは蘭事務所に行ったのちのことである旨供述内容が変更されていることが認められるが、すでに認定したように、辰次の供述では、宗次郎から保証人となることを断られ、原告会社との取引契約をあきらめかけていたところ、原告大脇から、宗次郎の実印がなければどうにもならんといわれ、その実印の改印届の方法を教えられて初めて本件文書の偽造を決意するに至ったというのであって、原告大脇が、辰次との取引契約の前提条件として、宗次郎の担保を要求していたことが、犯意形成の重大な要因となったとされていたのであるから、宗次郎を担保提供者とすることは、蘭事務所に赴く以前にすでに双方で了解されていたはずであり、従って、右供述に立脚するかぎり、原告大脇が、蘭事務所で宗次郎の不動産も担保に入れなければ契約ができないといったというのも理解し難く、また辰次が宗次郎の印鑑証明書を準備しないまま蘭事務所に出かけたということも極めて不自然なことであったとしなければならない。従って、右供述の変更は、かえって辰次の供述の不合理性を益々増大させることになったといわなければならない。

(6) つぎに、《証拠省略》を総合すると、佐賀スズライトが昭和四五年当時、辰次に対し、保馬の保証を要求した事実は全くなく、同社が辰次と取引関係にあったのは、昭和四二年秋から昭和四三年末までのことであって、昭和四四年以降は専ら辰次に対する債権の回収に務めていたこと、そして、昭和四五年四月一〇日、同年七月二四日および同年八月二八日には、佐賀スズライトを手形債権者、辰次および保馬を手形債務者とする支払命令が発せられ、また昭和四七年九月一四日には、同社から保馬に対し、右手形債務の履行を催告する旨の内容証明郵便が送達されたため、そのころ保馬は妻順子とともに同社に赴き、辰次の債務につき連帯保証をしたことはない旨申し入れていたことが認められるから、佐賀スズライトの件で保馬に保証をしてもらうことになっており、印鑑証明書を預かっていたので、これを流用した旨の辰次の前記供述も、また事実に反した供述であったといわざるを得ない。

(7) このように、本件文書作成に至る経緯および作成の状況等に関する辰次の供述は、客観的事実に反する部分が多々存在し、とうてい信用できないものというほかはないが、これらは、いずれも本件犯行を決意するに至った事情や原告大脇との共謀を説明する主要な事実に直接関連して述べられたものであるだけに、単なる部分的な記憶違いなどではとうてい説明のつくものではなく、結局辰次の供述全体の信憑性をも根底から覆えすに十分なものであったといわなければならない。

(二)  原告大脇の供述について

(1) 《証拠省略》を総合すると、原告大脇は、捜査の当初から、本件文書作成に至る経緯および作成の状況等に関し、次のような供述をなし、自己の刑事責任を明確に否定するとともに、辰次、保馬およびハツエの供述は、本件根抵当権の実行を免れるためになされた虚偽のものであって、同人らの供述の裏付け捜査をすれば、自己の無実が明らかになる旨主張し続けていたことが認められる。

「昭和四五年四月ころ、辰次の回した手形が不渡りとなり、その解決のため、辰次の経営する自動車整備工場に赴いた際、辰次から不渡り手形を出したのは、自動車の取引をさせてもらえないためであるということをきいた。当時原告会社は車両販売の実績が芳しくなかった時でもあったので、辰次に車両販売の仕事を勧めてみようと思い『うちの会社の車を売ってみんか。一台につき五万円のマージンをやる。そうすれば、工場も大きくなる。』というと、辰次も大いに乗り気でこれを承知した。そこで、車両取引契約に際しては、一定の担保を提供してもらう必要があったので、辰次にその旨説明し、担保を提供するよう要求したところ、その数日後、辰次から電話で『保馬が担保を提供することを承知してくれた。保馬の田畑は一町ぐらいある。』との連絡があったので、それだけの不動産があれば担保としても十分だと思い、保馬を連帯保証人兼根抵当権設定者として取引契約を締結することを了解し、蘭司法書士に保馬所有の不動産を調査するよう依頼した。その後辰次から保馬の印鑑証明書などが整ったという連絡があったので、昭和四五年五月一九日の午前一〇時に、蘭事務所で落ち合って契約書類を作成することにした。

そこで、根抵当権設定契約書の原案(ただし連帯保証人兼根抵当権設定者欄および不動産の表示欄は空白)を用意して蘭事務所に赴き、蘭司法書士から右契約書に保馬の不動産を記入してもらったところ、それが意外に少なかったので、担保として不足だと思い、辰次に対し、改めて宗次郎をも担保提供者とするよう要求した。辰次はこれを承諾し、宗次郎の実印や印鑑証明書などは後で用意するということだったから、蘭司法書士にも、保馬のほか宗次郎をも連帯保証人兼根抵当権設定者として契約書を作成するよう依頼した。その際、蘭司法書士が、辰次に保馬の権利証を持参したかどうかを尋ねると、辰次は『権利証はない。』と答えたため、同司法書士は、権利証がなければ手続はできないといって書類の作成を打ち切ろうとしたので、権利証が紛失したような場合には、保証書によって登記手続をすることができることを知っていたから『権利証がなければ保証書によって登記ができるでしょう。』といって、その後の手続を保証書によって進めるよう依頼した。

本件文書を作成するについて、保馬、宗次郎に直接会ってその了解を得ることはしなかったが、辰次が『保馬の承諾を得た。宗次郎についても同意を得て実印や印鑑証明書などを用意する。』といっていたので、それを信用していたし、また書類の作成はすべて蘭司法書士に一任していたので、すべては同司法書士の方でやってくれるものと思っていた。その後同司法書士から、保馬、宗次郎に直接会って了解を得たという連絡があったので、保馬や宗次郎は当然本件文書の作成を承諾していたものと信じていた。」

(2) もっとも、《証拠省略》によると、原告大脇の昭和四七年一〇月九日付検察官に対する供述調書には「蘭司法書士に本件文書の作成を依頼する際、辰次が保馬の権利証がないといったので、保馬の承諾を得ていないのだなあと感じました。辰次が保馬の承諾を得ていると述べた時も本当かなあという疑問がありました。ですから保馬に直接あたってみなかったのです。それは会社の業績を上げるため早く担保をとってしまえばいいという気持ちがあったからです。それで保証書の話をしました。宗次郎の権利証については、その時あるかないかまでは聞いてはいませんでしたが、辰次は宗次郎の承諾も得ていないのだなあと思ったので、宗次郎についても保証書を作って抵当権を設定するよう依頼しました。辰次は宗次郎の印鑑証明書などは後から持ってくるといっていましたが、宗次郎の分も、辰次はでたらめな方法で書類を整えるのではないかという考えはしていました。蘭司法書士に念のため保馬、宗次郎に会って確かめてくれないかと頼んでいたのですが、それは、辰次が承諾を得ていないという考えが浮かんだので、万一警察沙汰になったとき、後からでも承諾を得たということにした方が都合がいいという気持ちからであったことは否定できません。」との自己の刑事責任を認めたかのような供述部分があることが認められる。

(3) しかしながら、原告大脇のこれら供述を全体としてながめれば、同人は、蘭司法書士に本件文書の作成を依頼する際、辰次が権利証がないといったことから、若干疑問に思ったこともあったが、辰次の言葉を深く疑わず、保馬、宗次郎の承諾を得ているものと思っていたこと、ただ自ら直接同人らに会ってその了解を得なかったことに落度があったことを一貫して供述していたものと考えるのが自然であり、原告大脇の自己の刑事責任を認めたかのような前記供述部分は、検察官から理詰めの質問を受けて不用意に漏らした発言を、ことさら犯意に結びつけようとしたものであることが、その供述自体および原告大脇本人尋問の結果から窺われるので、これをもって、自己の刑事責任を認めたものと断定することはできないというべきである。

(三)  保馬、ハツエの供述について

(1) 《証拠省略》によると、保馬およびハツエの両名は、捜査官に対し、次のような供述をしていたことが認められる。

「保馬、宗次郎名義の不動産に、原告会社の根抵当権が設定されていたということは、宗次郎の死亡した二、三日後の昭和四七年五月二〇日ころ、近所の高木儀一さんから、保馬、宗次郎の土地、建物がすべて原告会社の抵当に入っており、競売に付されることになっているという話を聞くまでは全く知らなかった。そこで早速小城町役場に行って調べてみると、保馬、宗次郎の不動産には、いずれも原告会社のための根抵当権設定登記がなされていることが判明し、非常に驚いた。しかし、保馬は、昭和四五年五月ころ、辰次から佐賀スズライトの件で保証を頼まれ、印鑑証明書を一通とってやったことはあるが、原告会社との取引のために、担保の提供を承諾したことはなく、また宗次郎の実印や権利証はすべてハツエが保管しており、宗次郎が生前このような重要な契約をする際には、必ずハツエに相談していたから、宗次郎が本件文書の作成に同意していたとすれば、当然ハツエにも相談があったはずであるが、ハツエがそのような話を宗次郎から聞いたことはなかったから、宗次郎がこのような同意をしたとはとうてい考えられない。しかも、佐賀地方裁判所から任意競売開始決定の正本が送達されてきたので、その対策を講ずるため、いろいろと調査した結果、宗次郎の実印が辰次によって改印されていることや、根抵当権設定登記の申請手続には、保馬、宗次郎の権利証に代わる保証書が利用されていたことなどが明らかになった。そこで辰次にそのことを問いただしたところ、辰次は、原告大脇の指示に従って宗次郎の実印を改印し、本件文書を勝手に作成したということを白状した。」

(2) しかしながら、《証拠省略》を総合すると、保馬、宗次郎に対しては、根抵当権設定登記手続が、両名の権利証に代わる保証書によってなされたため、佐賀地方法務局小城出張所から、不動産登記法施行細則六九条の四により、昭和四五年五月二七日発送の郵便ハガキをもって、右登記が完了した旨の通知がなされたほか、原告会社からも、昭和四七年一月一四日付および同年二月一四日付各内容証明郵便をもって、本件文書に基づく連帯債務の履行催告が、また同年五月八日付内容証明郵便では、右根抵当権設定契約解除の通知がそれぞれなされており、これらの郵便物は、いずれもそのころ右両名に送達されたことが認められるから、保馬、ハツエらが、昭和四七年五月二〇日ころまで本件文書の成立や本件根抵当権設定登記の存在をまったく知らなかったとはとうてい考えられないところであり、この点に関する同人らの前記供述はたやすく措信できず、また辰次から佐賀スズライトの件で保証を頼まれて印鑑証明書をとってやったとの保馬の前記供述がとうてい措信できないことは、すでに検討したとおりである。

(3) しかも、《証拠省略》によると、本件文書の作成を依頼された蘭司法書士は、本件根抵当権設定登記の申請手続をする以前の昭和四五年五月二五日ころ、保馬、宗次郎に直接会ってその了解を得た旨捜査の当初から一貫して供述していることが認められ、さらに《証拠省略》を総合すると、保馬およびハツエ(宗次郎は昭和四七年五月一七日死亡)の両名は、同年九月五日原告大脇を私文書偽造、同行使罪で告訴するに及んだが、当時すでに右両名(ハツエは宗次郎の相続人として)に対しては、原告会社から本件根抵当権に基づく任意競売の申し立てがなされ、佐賀地方裁判所から、同年五月二二日ころ、任意競売開始決定正本が送達されていたこと、そのため右両名は、同裁判所にその執行停止の仮処分申請をなすとともに、原告会社を被告として本件根抵当権設定登記の抹消を求める訴えを提起していたこと(右仮処分の申請および訴えの提起は当裁判所に顕著な事実である。)が認められるから、仮に本件文書が真正に成立したものであったということになれば、保馬およびハツエは前記訴訟に敗訴し、前記任意競売が実施されるという切迫した状況にあり、本件文書が真正に成立したか否かは、右両名にとって極めて重大かつ直接の利害関係を有する問題であったといわなければならず、従って、右両名が、本件根抵当権の実行を回避すべく、あえて虚偽の供述をなす危険性も十分に考えられたのであるから、これらの諸点を合わせ考えると、本件文書が保馬、宗次郎の全く不知の間に作成された旨の保馬、ハツエの前記供述も、にわかに措信し難いものであったというべきである。

(四)  蘭司法書士の供述について

(1) 《証拠省略》によると、蘭司法書士は検察官に対し、次のような供述をしていたことが認められる。

「昭和四五年五月一八日ころ、私の事務所にきた原告大脇と辰次から、本件根抵当権設定登記手続の依頼を受けた。保馬、宗次郎の右登記申請に関する印鑑証明書や実印などは、原告大脇が黒っぽいかばんから出したと記憶しているから、同人は、事務所に来る前にそれらを辰次から受け取っていたものと思う。そのとき権利証がなかったので、辰次に尋ねると、権利証はないというので、それでは登記ができないと答えると、原告大脇が『権利証がないなら代わりに保証書を作って手続をとってくれ。』といった。権利証がなかったので疑問に思い、契約は完全にできているかどうか確かめると、辰次は保馬、宗次郎の承諾を得ているといい、原告大脇も右両名に会って了解を得ているといっていた。それで辰次と原告大脇の言葉を信じて、保馬、宗次郎の了解があると思い、書類を作ったが、前述のように疑問があったので、登記を申請する二日ぐらい前の昭和四五年五月二五日ごろ、保馬と宗次郎に会って確かめたところ、宗次郎は当初承諾していないといっていたが、結局辰次は財産がないから仕方がないなあといって承諾してくれ、保馬も三〇〇万円で了解しているようなことをいっていたが、結局承諾してくれたので登記手続をした。原告大脇からは、保馬、宗次郎に会って了解の有無を確かめてから書類を作ってくれといわれたことはないが、両名が了解していることを原告大脇に電話で伝えた記憶はある。」

(2) しかしながら、すでに認定したように、本件文書の作成および根抵当権設定登記の申請手続に使用された宗次郎の実印は、昭和四五年五月二五日に改印届がなされたものであり、その印鑑証明書も同日付で発行されたものが右手続に使用されているのであるから、原告大脇が同年五月一八日ころ、宗次郎の印鑑証明書や実印を蘭事務所に持参した旨の蘭司法書士の前記供述は直ちに採用できないものであったといわなければならない。

(3) また、原告大脇は当初保馬のみから担保を提供してもらうつもりであったところ、蘭事務所で、蘭司法書士が契約書の原案に保馬の不動産を記入したのを見て、それが意外に少ないことが判明し、担保として不十分であると考えたため、その時初めて辰次に対し、宗次郎の不動産も担保として追加するよう要求したこと前記認定のとおりであるから、原告大脇が、蘭司法書士に対し、宗次郎に会ってすでに了解を得ているといったとは、とうてい考えられず、この点に関する蘭司法書士の前記供述も直ちに採用できないものであったといわなければならない。

(4) のみならず、蘭司法書士の前記供述によると、蘭司法書士は昭和四五年五月二五日ころ自ら保馬、宗次郎に会って、本件根抵当権設定について承諾を得たというのであるから、宗次郎の実印の改印届が同年五月二五日になされていることを合わせ考えると、少なくも宗次郎に関する限り、蘭司法書士は宗次郎の承諾を得たうえ、本件文書を作成したのではないかとの心証が形成される余地もあるのであって、事実、《証拠省略》によると、蘭司法書士は、本件刑事事件の証人として「宗次郎に会って直接承諾を得たのは本件文書が完全にでき上がる前で、保馬、宗次郎の実印を本件文書に押捺したのは、同人らに会う前であったか後であったかはっきり覚えていない。」旨証言していることが認められるのである。

(5) さらに、蘭司法書士の前記供述によると、保馬は蘭司法書士に対し、三〇〇万円で了解しているといっていたというのであるから、保馬に関する限り、極度額の点はともかく、根抵当権を設定すること自体は当初から承諾していたのではないかとの反対心証が形成されることも十分可能であったといわなければならない。

以上のとおり、本件公訴提起の際に存在した前記各証拠のうち、本件公訴事実に沿うものには、いずれも客観的事実に符合しない重大な瑕疵があり、これをもってしては、原告大脇の犯罪の嫌疑が十分であるとはとうてい認められないものであったといわなければならないから、原告大脇の有罪を肯定するに足りる証拠はない旨判示した本件刑事判決は、まさに正当であったというべきである。

4  そこで、つぎに、原告大脇の犯罪の嫌疑が十分でないのに本件公訴を提起した山下検事に、前記説示のような検察官としての過失があったかどうかについて判断する。

(一)  すでに認定したように、本件事件は、保馬およびハツエが、昭和四七年五月二二日ころ、佐賀地方裁判所から本件根抵当権に基づく任意競売開始決定の通知を受けたため、原告会社を相手方として、同裁判所に、その執行停止の仮処分および本件根抵当権設定登記の抹消を求める訴えを提起するとともに、同年九月五日、原告大脇を私文書偽造、同行使罪により告訴するに及んで捜査が開始されるに至ったものであって、本件事件の処理にあたっては、このような事件の背景を念頭において、関係人の供述の真偽を検討する必要があったものというべきである。

ところで、本件公訴事実に沿う辰次、保馬、ハツエらの前記供述が極めて信用性に乏しいものであったこと、このことは、本件根抵当権設定登記申請書や辰次、宗次郎の実印の改印届、保馬、宗次郎の印鑑証明書などを関係機関から取り寄せあるいは佐賀地方法務局小城出張所に不動産登記法施行細則六九条の四による通知の有無を照会するなどの裏付け捜査をすることによりたやすく判明し得るものであったことはすでに検討したとおりであり、右の程度の裏付け捜査は、強大な捜査権限を有する検察官として、極めて容易になし得るものであったといわなければならない。

そのうえ、原告大脇との共謀を肯定する辰次の前記供述に関しては、原告大脇がこれを全面的に否定する供述をしていたほか、本件文書作成に至る経緯および作成状況等主要な事実に関しても、右両名の供述はことごとく対立するものであったこと、一方辰次の供述には、取調べの経過とともにその内容に著しい変遷があり、その結果、その供述自体にも重要な事項に関して相互に矛盾する点が生じていたことはいずれもすでに認定したとおりであるから、仮に裏付け捜査がなくても、辰次の供述の信用性には、深い疑問が投げかけられて然るべきであったといわなければならない。

しかも、《証拠省略》によると、保馬およびハツエは「本件根抵当権に基づく任意競売開始決定の通知を受けた際、辰次に事情を問いただしたが、辰次は知らないの一点張りだった。宗次郎の実印が辰次によって改印されていることが判明した時も、辰次に対し、お前が知らないはずはないといってきびしく追求したが、辰次はそのようなことはしていないといい張っていた。その後辰次が逮捕されたため面会に行った際、再び問いただしたところ、辰次は、原告大脇の指示で宗次郎の印鑑証明書などを渡したということを認めたが、その際にも、今回のことはほとんど原告大脇が勝手にやったことだといって詳しいことは話さなかった。」旨供述していたことが認められるうえ、《証拠省略》によると、辰次も取調べの当初には「蘭事務所で原告大脇がどのような書類の作成を頼んでいたかは知らなかったし、でき上がった書類も見せられていない。裁判所から競売通知が来て、初めて保馬、宗次郎の不動産に根抵当権が設定されていたことを知った。原告大脇に保馬、宗次郎の実印や印鑑証明書を渡したのも保証人に立てるつもりからだけであり、当時根抵当権を設定するということを聞いていたなら、原告大脇に印鑑証明書などを渡すようなことはしなかった。」旨供述していたことが認められるから、これらの事実によれば、辰次は、原告大脇との共犯関係を肯定し、原告大脇を主謀者とすることによって、保馬、ハツエの強い非難を回避しようとしていたか、あるいは保馬、ハツエと経済的利益を共通にする立場から、本件根抵当権の実行を免れるため策動していたものと考えることも十分可能であり、その供述の信用性を判断するにあたっては、特に慎重な証拠の検討と十分な裏付け捜査を尽くす必要があったといわなければならない。

このように、本件公訴提起の際に存在した各証拠の内容を仔細に検討すれば、辰次らの前記供述には、不自然かつ不合理な点が多々存在し、その信憑性にも疑問があったということは十分窺い知ることができたというべきであるから、本件事件の処理にあたった検察官としては、これら証拠の瑕疵を認識し、十分な裏付け捜査を尽くすべき職務上の義務があったというべく、辰次らの前記供述を安易に措信することはとうてい許されないものであったといわなければならない。

(二)  ところが、《証拠省略》によると、同検事は、(1)蘭司法書士の供述から、原告大脇が本件文書の作成を依頼した際、辰次が権利証を持参していなかったので保証書によって手続をとるよう指示したことなどが判明したこと、(2)原告大脇自身、当時原告会社の販売実績を上げるため本件文書の作成を急いでいた旨供述していたこと、また(3)原告会社の上司から、原告大脇がこれまで会社の実績を上げるためかなり無理なやり方をしてきており、そのため上司から何度か注意を受けたことがあった旨の供述を得ていたこと、さらに(4)宗次郎の死亡直後に本件根抵当権に基づく競売の申立てがなされたことなどを総合して、辰次らの前記供述を措信するに至ったというのであり、特に(4)の点を一番疑問に思っていたというのである。

しかしながら、(1)の点については、保証書で登記がなされた場合には、登記所から登記を完了した旨登記義務者に通知されるのであるから、保証書による登記申請がなされたからといって、必ずしも登記義務者に無断で申請されたものと疑うことはできないし、(4)の点についても、《証拠省略》によると、原告会社は宗次郎死亡前の昭和四七年四月上旬ごろ、原告ら訴訟代理人に本件根抵当権に基づく競売の申立てを委任していたのであって、宗次郎が死亡したため、右申立てに及んだものではないこと、原告大脇は、この点について原告ら訴訟代理人を取り調べてもらいたい旨山下検事に申し立てていたことが認められ、また(2)、(3)の事実のみによっては、前記辰次らの供述の信憑性に対する重大な疑問が解消するものとはとうていいい得ないから、これをもって原告大脇の犯意を認定することもできないというべきであり、結局、山下検事の右判断には、合理性を認めることはできないものというほかはない。

(三)  してみると、山下検事は、その信憑性には多くの疑問がある辰次らの前記供述を安易に措信して、十分な証拠の収集および収集された証拠の検討を怠り、ために自由心証の範囲を逸脱して事実を誤認し、原告大脇に対し犯罪の嫌疑があるとは認め難いにもかかわらず、有罪判決を得る可能性があるとして、本件公訴提起に及んだことが明らかであるから、本件公訴提起は違法であり、これにつき山下検事には過失があるというべきである。

そして、検察官の起訴行為が公権力の行使にあたることはいうまでもないから、被告は、国家賠償法一条一項により、本件公訴提起によって原告らが被った後記損害を賠償する責任がある。

三  よって、本件公訴提起による原告らの損害につき検討する。

1  原告大脇の損害

(一)  休職による損害

原告大脇が昭和四七年九月一九日、本件事件の被疑者として逮捕されたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、原告大脇は、昭和四七年九月当時、原告会社の取締役、総務部長の地位にあり、毎月給与一〇万円および役員報酬三万円の各支給を受けていたこと、ところが原告会社の就業規則には、従業員が刑事事件をおこしたときは休職とする旨の規定が置かれていたところから、同年九月一九日本件事件で逮捕されると同時に右就業規則に基づき休職処分に付されたこと、そのため、同年一二月に支払われる予定であった年末賞与の半額一一七万五、〇〇〇円を減額されたほか、昭和四八年八月に支給されるべき賞与三五万円および同年一二月に支給されるべき賞与四〇万も支給されず、また昭和四八年五月に予定されていた三万円の昇給も見送られたこと、その結果別紙給与等支払一覧表(三)記載のとおり、無罪判決確定の前日である昭和四八年一二月二八日までの間に合計一一六万二、〇九六円の収入を減じられ、同額の損害を被ったことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

しかして、本件事件は、原告大脇の職務に直接関係したものであり、原告会社の社会的信用にも重大な影響を及ぼすものであったから、原告会社が右就業規則に基づき、原告大脇を休職処分に付したのもやむを得ない措置であったというべきであり、また、右休職処分は、原告大脇が本件事件の被疑者として逮捕されたことを直接の契機とするものではあるが、原告大脇に対し嫌疑不十分として不起訴処分がなされていれば、右休職処分は、その段階で当然解除されたものと推認されるから、これらの諸点を考え合わせると、原告大脇の休職処分に伴う前記減収は、本件公訴提起によって生じた損害と認めるのが相当である。

ところで、原告大脇は昭和四八年五月開催の株主総会において取締役の地位を解任されたとして、その地位喪失後の役員報酬をも本件公訴提起によって生じた損害であると主張し、被告にその支払いを請求しているが、《証拠省略》によると、原告大脇は、右株主総会において取締役を解任されたものではなく、任期満了後取締役に再任されなかったに過ぎないことが認められ、本件公訴提起を受けなければ、原告大脇が当然右株主総会において取締役に再任されたということはできないから、原告大脇が取締役に再任されなかったことと本件公訴提起との間に相当因果関係を認めるのは相当でなく、従って、取締役の地位喪失後の役員報酬を休職による損害として請求する部分は理由がない。

(二)  刑事弁護費用

《証拠省略》によると、原告大脇は、本件公訴提起による刑事裁判に際し、原告ら訴訟代理人を弁護人として選任し、その着手金、公判記録謄写料および成功報酬等として合計四二万五、〇〇〇円の支払いを余儀なくされたことが認められるところ、本件事件の難易、公判の経過その他諸般の事情を考慮すると、右金額は刑事弁護費用として相当であり、本件公訴提起と相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。

(三)  慰謝料

《証拠省略》を総合すると、原告大脇は、昭和四七年九月一九日本件事件の被疑者として逮捕されたのち、引き続き勾留され、同年一二月一九日保釈されるまで九二日間にわたって身柄を拘束されたほか、昭和四八年一二月二九日本件刑事判決が確定するまで約一年二か月もの間被告人としての地位にたたされ、名誉、信用に対する重大な打撃を被ったこと、昭和四七年六月ごろから自覚症状のあった右耳の耳鳴りが右身柄拘束中に昂じて神経性難聴になったことが認められるから、その間の原告大脇の精神的苦痛は甚大なものであったことは推測するに難くなく、これらの諸点を考慮すれば、原告大脇の慰謝料は一〇〇万円が相当である。

2  原告会社の損害

《証拠省略》によると、原告会社の就業規則には、休職中の従業員に対する給与等の支払いは別に定めるところによる旨の規定が置かれていたものの、右条項に基づく細則が制定されていなかったところから、原告会社は、取締役会の協議に基づき、原告大脇に対し、その休職期間中従前の給与相当額を保障することとし、別紙給与等支払一覧表(二)記載のとおり昭和四七年一〇月から昭和四八年一二月までの間合計一八八万五、〇〇〇円を支払ったことが認められる。

右認定の事実によると、原告会社が支払った右給与相当額のうち、別紙給与等支払一覧表(四)記載のとおり、本件公訴提起日である昭和四七年一〇月一一日から無罪判決確定の前日である昭和四八年一二月二八日までの間の給与等の相当額合計一八三万三、三八六円は、本件公訴提起と相当因果関係にある原告会社の損害と認めるのが相当である。

3  以上によると、被告に対し、原告大脇は前記(1)の(一)ないし(三)の合計二五八万七、〇九六円、原告会社は前記2の一八三万三、三八六円の各損害賠償請求権を有していることが明らかである。

四  よって、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告大脇において二五八万七、〇九六円、原告会社において一八三万三、三八六円およびこれらに対する無罪判決確定の日である昭和四八年一二月二九日からそれぞれ支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容するが、その余はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、九三条を適用し、なお本訴においては仮執行宣言は相当でないのでこれを付さないこととして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 塩田駿一 裁判官 三宮康信 窪田もとむ)

<以下省略>

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