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佐賀地方裁判所 昭和60年(行ウ)7号 判決 1988年9月30日

原告

豊島明夫

右訴訟代理人弁護士

本多俊之

河西龍太郎

右訴訟復代理人弁護士

中村健一

被告

武雄労働基準監督署長右近守

右指定代理人

岩本嘉昭

永田善則

山本和成

宮下善久

家永和一

保田輝一

菖蒲正己

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対して昭和五六年七月二九日付でなした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、大工業を営み、労働者災害補償保険法二七条一号により同法の適用を受ける者である。

2  原告は、昭和五五年一一月初めころ建築業荒川伝次から、武雄市花島団地内の下平宅増築工事を手伝うよう依頼され、同月一八日午後一時三〇分ころ右工事現場において、脚立にまたがり角材を抱え上げようとした際、脚立の片方が急に土の中にめり込んだため、バランスを失って、約一・三メートル下方の地面に約一五キログラムの角材と共に落下し、頭部、背中、足を強打した(以下「本件第一事故」という。)。

3  原告は、同月二七日午前一一時ころ前記工事現場において、縁の鴨居の溝さくり作業のため重量約八キログラムの電動溝切り機を操作中、足場を踏みはずして後頭部を柱で強打した(以下「本件第二事故」という。)。

4  原告は、本件第二事故後激しい吐気と目まいを感じ、作業を中止し、救急車で武雄市内の貝原医院に運び込まれたものの、直ちに国立嬉野病院、更に大村市内の国立長崎中央病院に転送され、国立長崎中央病院において脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血(以下「本件疾病」という。)と診断されて手術を受け、昭和五五年一一月二七日から昭和五六年三月一二日まで同病院において入院治療を受けたが、退院後は以前より動作が鈍くなり、頭痛が激しく疲れ易いなどの後遺症に悩まされ、一か月に一〇日位しか仕事に出ることができない。

5  昭和五五年一一月一八日までにすでに原告の脳内には脳動脈瘤という基礎疾病が形成されていたところ、本件第一事故によって脳動脈瘤が破裂したのに加え、更に本件第二事故によって破裂に増悪を招いたものであるから、本件疾病は業務上の事由により発生した疾病というべきである。

6  原告は被告に対し、本件疾病は業務上の事由により発生したものであるとして、労働者災害補償保険法に基づき、昭和五六年二月二五日療養補償給付の請求を、同年三月一二日休業補償給付の請求をそれぞれなしたが、被告は本件疾病を業務外の疾病と認定して同年七月二九日療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をした。

7  原告は、本件処分を不服として佐賀労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、昭和五八年七月二日右審査請求が棄却されたので、更に同年八月一七日労働保険審査会に再審査請求をしたところ、昭和六〇年三月一二日付で再審査請求を棄却する旨の裁決がなされ、その裁決書は同年五月二九日原告に送達された。

8  よって、本件疾病を業務外の疾病と認定してなされた本件処分は事実を誤認し、法律の適用を誤った違法な行政処分であるから、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は知らない。

3  同3の事実中、原告が原告主張の日時場所で溝さくり作業のため重量約八キログラムの電動溝切り機を操作していたことは認めるが、その余の事実は知らない。

4  同4の事実中、原告が昭和五五年一一月二七日午前一一時ころ作業を中止し、救急車で貝原医院に運び込まれ、国立嬉野病院、国立長崎中央病院へと転院したこと、国立長崎中央病院で脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血の診断を受け、原告主張の期間同病院に入院したことは認めるが、その余の事実は知らない。

5  同5の事実は争う。

原告は、原告が本件第二事故が発生したと主張する日の二、三日前から頭痛を訴えるなど脳動脈瘤破裂の前駆症状が認められるから、このころより既に出血は開始していたものであり、原告が作業中に倒れたのは、その自然発生的経過によるものと解するのが相当であり、たまたま作業中に発症したからといって、業務上の疾病と認定すべきではない。

6  同6の事実は認める。

7  同7の事実は認める。

8  同8の主張は争う。本件疾病は業務上の事由に基づくものではないから、被告の本件処分は正当であって、取り消すべき理由はない。

第三証拠関係(略)

理由

一  請求原因1、6及び7の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二1  請求原因2の事実(本件第一事故)について判断するに、(証拠略)によれば、原告は昭和一一年一月二日に肩書地に出生し、地元の中学校を卒業後、昭和二七年から大工の弟子入りをし、昭和三三年ころから独立して、大工(一人親方)として一般家屋等の建築業を営んでいたこと、昭和五五年には、木造住宅(約四〇坪程度)新築三戸、増築二間(約九坪)、車庫新設一棟等を手掛け、同年一一月初めころ、武雄市武雄町所在の下平宅の増築工事(既存建物のテラスを取り壊して一四・八七平方メートルの広縁を造作する工事)を荒川工務店こと荒川伝次から手間請けして、同月一〇日ころから右工事に取りかかっていたことが認められる。

2  ところで、原告本人尋問の結果中には、原告は、同月一八日午後前記下平宅の工事現場において、桁と桁との間に「つなぎ」の材木を入れる作業をしている間に、「つなぎ」に用いる長さ約一メートル八〇センチメートル、一〇・五×一五センチメートル角、重さ約一五~二〇キログラムの角材を肩にかついで脚立に上がり、その最上部にまたがって立ち、右角材を上げようとしたとき、脚立の片足が土の中に入り、原告は脚立、角材もろとも地面に倒れ、木製の土台に頭を打ちつけ、ぼーっとなってその場に座り込み、約一時間横になっていた旨の供述部分がある。そして、証人豊島弘子の証言中にも原告の右供述に沿う供述部分があるが、以下の理由により右各供述部分は措信することができない。

(一)  まず、そもそも本件第一事故が原告の供述どおりであれば、その事故の大きさは、原告の主張する本件第二事故よりも明らかに大きく、原告の頭部に与えた衝撃度も大であると言えるにもかかわらず、証人豊島弘子の証言及び原告本人尋問の結果(いずれも前記措信しない部分を除く)によれば、本件第二事故(その内容はさておく)後、搬送された貝原医院、国立嬉野病院、国立長崎中央病院の医師や看護婦に対して、原告も原告の妻も本件第一事故について全く述べていないことが認められる。

(二)  さらに以下に述べるとおり、原告は、被告に対して行った本件疾病に基づく給付請求、佐賀労働者災害補償保険審査官に対して行なった審査請求及び労働保険審査会に対して行なった再審査請求の際、本件第一事故の存在につき何らの主張も供述もしていない。すなわち、

(1) (証拠略)によれば、原告が本件処分について、佐賀労働者災害補償保険審査官に対して行なった審査請求において、原告は本件第一事故について何らの主張もしていないことが認められる。

(2) (証拠略)によれば、昭和五七年六月一〇日佐賀労働者災害補償保険審査官溝上政弘が佐賀労働基準局において原告に対して行なった事情聴収に際して、原告は、一五年前に掛合で眼を打ったことや、一〇年前にトラックを運転中追突されたこと等かなり過去に起きた出来事を述べているにもかかわらず、本件疾病の九日前に起きたという本件第一事故については一切述べていないことが認められる。

(3) (証拠略)によれば、昭和五七年八月二五日に行なわれた同審査官の実地調査においても、原告は、既往症として昭和五五年一一月に一、二日風邪で嬉野町所在の樋口医院で治療を受けた旨述べているにもかかわらず、より重大であるべき本件第一事故については供述していないことが認められる。

(4) (証拠略)によれば、昭和五八年三月一日の佐賀労働基準局における同審査官の事情聴取に際して、原告は昭和五五年一一月二三日の結婚式で吐き気のあった旨述べているものの本件第一事故については一切述べていないことが認められる。

(5) (証拠略)によれば、原告の妻豊島弘子も昭和五七年八月二五日同審査官が原告の自宅で行なった事情聴取に際して、昭和五五年一一月に原告が風邪のため嬉野町所在の樋口医院で診察を受けた旨述べているもののこれより重大であるべき本件第一事故について一切述べていないことが認められる。

(6) (証拠略)によれば、昭和五八年三月二八日、同審査官が原告の自宅で行なった原告の妻に対する事情聴取に際して同女は、昭和五五年一一月中に原告が具合が悪いと言っていたのは、一一月二三日結婚式に出席し、飲酒して吐いた際のみであり、他は気づいていない旨述べていることが認められる。

(7) (証拠略)によれば、原告が前記審査請求の棄却決定について労働保険審査会に対して行なった再審査請求の際にも、原告は本件第一事故について何らの主張もしていないことが認められる。

(8) 原告本人尋問の結果(前記措信しない部分を除く)によれば、原告は右再審査請求代理人の森虎男弁護士に対しても本件第一事故について何ら述べていないことが認められる。

(9) 原告本人尋問の結果中、本件処分直後、原告が武雄労働基準監督署の係官に対し、電話で一言、本件第一事故について話した旨の部分も、前述の経緯に照らし、にわかに信用することができない。

(三)  右(一)及び(二)(1)ないし(8)の事実に、本件第一事故についての原告本人の供述部分が、右事故のあった時刻、打撲部位等についてあいまいな点が多く、首尾一貫していないことを併せ考えると、前記各供述部分は到底信用することができない。

3  もっとも、証人中野延子の証言中には、本件第一事故の存在をほのめかす供述部分があるが、右供述部分は、昭和五五年一一月一八日の夜、武雄市の聖龍院のどこで原告の妻に会ったのかという点について、証人豊島弘子の証言とくい違い、またあいまいな点も多くにわかに信用することができない。

また、(証拠略)の本件第一事故に関する記載部分も、原告のいとこの妻にあたる中野延子が、本件訴訟提起後、原告に頼まれて作成したものであり(右事実は証人中野延子の証言により認められる)、その作成時期及び作成経緯に照らすと右記載部分は直ちに信用し難く、採用できない。

4  (証拠略)(一九八〇年のカレンダー)中には、一一月一八日、一九日の欄に本件第一事故についての記載部分があるが、右記載部分は、原告本人の供述によれば、本訴提起後である昭和六一年初め頃原告が記述したものであるにもかかわらず、その記述自体「夫と私弘子と二人で立家…」といった具合に原告の妻が記述した体裁をとっており、極めて不自然であるうえ、前同供述によれば一一月一八日には薬屋に行っていないにもかかわらず、その日に薬屋に行った旨記述していたり、前同供述によれば当日は発熱していないのに発熱の記載があるなど、記載内容からみても直ちに信用し難く、採用できない。

また、(証拠略)(金銭出納簿)中には、昭和五五年一一月一八日の欄に本件第一事故に関する記載部分があるが、右記述自体いつなされたのか、鉛筆で書かれていたのを本件訴訟に際してペンで書き直したのか、それとも当初からボールペンで記載されていたのか原告の供述自体一定していないうえ、(証拠略)によれば、原告は、原告が本件第一事故が発生したと主張する日の数日前の同月一一日、一五日、一七日に胸痛等を訴えて嬉野町所在の樋口医院において「急性気管支炎・腎炎の疑い」で受診していることが認められるのに、(証拠略)にはその旨の記述がないなどその記載内容からみても直ちに信用し難く、採用できない。

5  以上のほか、本件第一事故の存在を認めるに足りる証拠はない。

三  次に、請求原因3の事実(本件第二事故)について検討するに、(証拠略)を総合すると以下の事実が認められる。

昭和五七年一一月二七日午前八時ころ、原告は、荒川工務店の作業場に到着し、前記下平宅の増築工事に使用する鴨居等を約一時間くらいで加工仕上し、これを軽トラックに積載し、午前九時すぎころ、右工事現場に到着し、直ちに約一時間くらいかけて外装板を二箇所に打ち付けた。その後、六畳二間の鴨居に溝をさくる(掘る)作業にかかるとき、荒川伝次の提案で、原告が加工仕上げした鴨居ではなく、既設の鴨居に電動溝切り機で溝をさくることになった。右二間の既設の鴨居二本は、いずれも長さは約二八五センチメートル、高さは約一八〇センチメートルで、右鴨居二本にそれぞれ二本ずつ、合計四本の溝をさくることになった。右作業に使用された電動溝切り機は、原告がかつて使用したことのあるものであり、重さが約八キログラムあり、右作業は、右工具を荒川伝次が真中で支え、これを、椛島鶴子が押し、原告が引くという形で、右三名とも上方の鴨居を見ながら行われたが、原告はこの作業の際、後頭部を覆うヘルメットを着用していた。右作業の途中で、原告らは作業を容易にするため、床板から約二九センチメートルの高さに足場板を置き、背の低い原告と椛島鶴子がその足場の上に乗って作業をした。一本の溝をさくる作業には、途中で三、四回約三分程度の休息をとったため、約二〇分を要したが、午前一一時ころ、四本目の溝さくり作業中、残り約五〇センチメートルのところで、原告が具合が悪いと言ったため、作業は中止された。このとき、荒川伝次と椛島鶴子の両名は、原告が足場板から足を踏みはずしたところを見ておらず、また原告の頭部が後方の柱にあたる音も聞いていないし、ショックを感じたりしていない。作業中止後、原告の顔は真っ青で、縁側に座り込み、椛島鶴子が原告の背中をさする等したが、その際、原告は、意識があったが、荒川伝次と椛島鶴子の両名に頭を柱で強打したということを一切述べなかった。原告は、その後も意識がはっきりしており、言葉も普通に話せる状態であって、同日搬送された国立嬉野病院及び国立長崎中央病院において医師に対し、二、三日前から頭痛があり、同日午前一一時頃、作業中に強度の頭痛に襲われた旨述べたが、作業中に頭部を強打した事実については全く述べず、国立長崎中央病院を退院する間際になって、医師に対し、作業中に頭を打った旨述べた。

右認定の事実に照らすと、原告本人尋問の結果中請求原因3に沿う供述部分はたやすく信用することができず、(証拠略)のうち、請求原因3に沿う記載部分は採用することができない。

証人中里博子の証言中、国立嬉野病院において原告を診察した同証人が、原告の職場の人間から、原告が頭を打ったことを聞いた旨の供述部分は、証人荒川伝次の証言中、同証人は後日原告から頭部打撲の事実を聞いた旨の供述部分と対比すると、これを採用することができない。

そして、他に本件第二事故の存在を認めるに足りる証拠はない。

四  しかしながら、原告が昭和五五年一一月二七日午前一一時ころ、前記溝さくり作業を中止し、救急車で医院に運び込まれ、転院先の国立長崎中央病院において、本件疾病の診断を受けたことは当事者間に争いがないので、以下、本件疾病の発生日時及び発生原因について検討する。

(証拠略)によれば、脳動脈瘤には、先天性のものと外傷性のものがあるところ、原告の脳動脈瘤は後下小脳動脈分岐部に存在し、同所は先天性脳動脈瘤の好発部位であり、当時の原告の年齢は四四歳であり、四〇歳から六〇歳が先天性脳動脈瘤の好発年齢であることから、原告の脳動脈瘤は先天性のものと考えられること、脳動脈瘤の破裂は、血圧が変動した場合に起こることが多く、入浴時、排便時、睡眠時など日常生活においても発生するものであるが、髄液検査の結果及び臨床所見からみて、原告の動脈瘤破裂は、昭和五五年一一月二七日午前一一時頃に自然発生的に生じた可能性が高いことが認められる。

そして、労働者災害補償保険法所定の「業務上の疾病」とは、業務との間に相当因果関係が存在する疾病を意味するものであって、業務遂行中発症した疾病が先天性疾患等の基礎疾病を原因とする場合には、業務に起因する過度の精神的、肉体的負担によって労働者の基礎疾病が自然的経過を超えて、急激に悪化し、その結果発症に至ったと認められるときに、はじめて業務と右発症との間に相当因果関係の存在が肯定されると解すべきところ、原告には先天性の脳動脈瘤という基礎疾病が存在し、鴨居の溝さくり作業中に本件疾病が発生したことは既に認定したとおりであるから、原告に業務に起因する過度の精神的、肉体的負担があったか否かについて検討する。昭和五五年一一月二七日の原告の作業状況をみるに、前記認定事実によれば、鴨居の溝さくり作業については、原告には電動溝切り機の使用経験がある上、右工具を支えていたのは荒川伝次であり、しかも途中何回か休息しながらの作業であり、右作業前に原告が行ったのは外装板を打ちつける等の作業であって、特に当日原告が質的にも量的にも著しく過重な労働に従事していたとはいえない。さらに、本件疾病の一週間前の原告の作業状況についてみるに、(証拠略)によれば、時間外労働はなく、一一月二〇日は、半日の就労、二一日と二三日は就労していないことが認められ、本件疾病の原因ないし誘因となるような強度の疲労が原告にあったということはできない。

そして、他に原告に業務に起因する過度の精神的、肉体的負担があったことを認めるに足りる証拠はないから、本件疾病を業務上の疾病と認めることはできない。

五  そうすると、本件疾病を業務外の疾病と認定してなされた本件処分に違法の点はなく、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 生田瑞穂 裁判官 池田和人 裁判官 小林元二)

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