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佐賀家庭裁判所 昭和40年(少)1248号 決定 1966年6月16日

少年 B・R(昭二一・一一・一生)

主文

少年を保護処分に付さない。

理由

一、本件送致事実は「少年は自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四〇年一月○日午後六時二〇分頃自動三輪車(福六い四八〇)を運転し、小城郡牛津町○○○××××番地○滝○次方前国道を佐賀市方面に向け、時速約四〇粁で進行中、反対方向のバス停留所に停車中の大型バス(運転士○島○次、車輌番号佐○あ○○○)を約三五米先に認めたが、このような場合、大型バスの後から車輌や歩行者が進路上に出てくることが予想されるので警音器を鳴らして警戒し、出来るだけ道路左端によって減速徐行し、状況に応じ一時停車して事故の発生の防止をしなければならない業務上の注意義務があるのにこれを怠り、そのまま同一速度で進行を継続した過失により、停車中の大型バスに飲酒の上運転して追突し、頭部、胸部を強打した○尾○左○門(五二年)の運転する原付自転車(二種)が道路中央部に進出してくるのを約一〇米先に認めハンドルを左に切ると共に急制動をしたが間に合わず自車右前部を同原付自転車に衝突させ、○尾○左○門は右肋骨第八骨折、左肋骨第五、六、七、八骨折、頭部打撲裂創、頭蓋内出血で同日午後九時四二分死亡した」というにある。

二、而して本件保護事件は、当裁判所に於て保護の適正を期する目的をもって福岡家庭裁判所久留米支部に移送し、同支部に於て、昭和四〇年四月二二日検察官送致の決定があった。ところが送致を受けた福岡地方検察庁久留米支部検察官は、これを同検察庁柳川支部に移送し、更に柳川支部検察官は佐賀地方検察庁検察官に移送し、佐賀地方検察庁の検察官は昭和四〇年一二月二日「本件は被疑者が徐行を怠った過失は認められるが、被害者はバスに追突し、その衝撃で被疑者運転の車輌の約四米の直前に進出して居り、仮に被疑者が徐行していたとしても、本件事故は惹起されたものと思料され、結局犯罪の嫌疑がないので訴追を相当でないと思料する」として再送致をしたものである。

三、よって送致事実の存否について審按するのに、少年の当審判廷における供述、調査官の作成にかかる少年の陳述を録取せる書面、○島○次の司法警察員に対する供述調書、証人林○義、同○島○次、同○島○義、同○中○男に対する尋問調書、医師○島○義作成の○左○門の死亡診断書、同人作成の○左○門に対する診療簿の各記載を綜合すると昭和四〇年一月○日午後六時二〇分頃、○尾○左○門は飲酒酩酊の上、原付自転車(江北町ほ○○○)を運転し、国道三四号線を西進していたところ、○○小学校前バス停留所に於て停車中の○○自動車株式会社の佐賀発、鹿島行の大型バス(運転士○島○次佐○あ○○○○)の車体後部の稍右側に追突し、自己の身体をバスの車体に激突させ、その衝撃で左肋骨第五、六、七、八骨折、頭部打撲裂創、頭蓋内出血、右肋骨第八骨折の傷害を受け、同日午後九時四二分死亡した。そうして右追突と同時に原付自転車はバスの車体後部より右前に出て道路の中央部に進出したところ、たまたま佐賀方面に向い、時速四〇粁でバスとの離合に入って来た少年の運転する自動三輪車(福○い○○○)の右側ポンネットに接触したことが認められる。而して該接触の際に右原付自転車に○左○門が乗っていた事実は少年の司法警察員に対する供述調書以外にこれを証明する資料がないし、少年の右供述調書は前掲証拠にてらして俄に信を置き難い。

却って、以下に述べるところから、右接触の際には、既に○左○門は原付自転車に乗っておらなかったものと推認するのが相当と思料される。

即ち、当時少年の自動三輪車は前述のとおり時速四〇粁でバスとの離合に入って来たのであるから、○左○門が右三輪車に接触したとすれば、二次的に可成りの程度の負傷がなければならないと思われるところ、前掲証人○島○義に対する尋問調書によると三輪車に触れたり、跳ねられたり、あるいは巻込まれたとか、その他三輪車との事故と思料される傷は全くなかったこと明らかである。

次に、○島○次の司法警察員に対する供述調書、証人○島○次、同林○義、同○浪○二に対する尋問調書を綜合すると、バスの乗客が三、四人下車したと思う頃に、バスの車体右後部附近に「ゴツン」と相当にひどい音がし、車体にショックを感じたので、○島証人は何かぶつかったと直感したのでサイドブレーキを掛けた。乗客も驚いてざわめき出したので同証人は下車してバスの後部に廻ったところ、○左○門の上半身部分の激突の跡とおほしくボデー後部の右側の下端から約八〇糎位の高さの箇所に二〇糎平方位の凹んだ跡と、頭部激突の跡らしい一米三〇糎位の高さの箇所に一〇糎平方位の凹んだ跡があった、という事実が認められる。従って○左○門の原付自転車がバスに追突した状況は可成り激しいものであったことがうかがわれるのである。殊に、原付自転車がバスに追突後に道路中央部に進出したという状況からすると追突直前に○左○門がバスに気付きハンドルを右に切りかけたか、あるいは原付自転車の前輪がバスの車体で右方にスリップしたかのいずれかのため比較的自転車の車体の破損は少く○左○門の上半身の左側と頭部が主としてバスにぶっつけられた恰好になったものと認められる。

以上の認定事実からすると、バスの車体に激突した○左○門の身体が追突後に少年の自動三輪車に触れることは先ず考えられないところであって、おそらく○左○門の身体はバスに激突と同時に地上に転倒し、原付自転車のみ独走して、少年の車と接触したものと考えられる。

しかし右の事実については、適確な鑑定を実施することも困難であるので推定に基く認定であるが、かかる推定が妥当性がないとは必ずしも言えないと思われる。

そうすると、○左○門は追突により、どこに倒れたかが問題になるわけであるが、この点について司法警察員の作成にかかる実況見聞調書並びに添付の交通事故現場見取図によると、○左○門の身体は原付自転車と少年の自動三輪車の接触地点から東に約六・六米のところで停車した右自動三輪車の後方で、その軌跡内に、頭を西に倒れて居たようになっている。これは少年の指示に基き作成されたものではあるが、少年の当該指示は暗夜で始めての事故で気が顛倒していると共に、怖くてろくに見ていなかった旨の当審判廷の供述と、前掲の証拠とを合せると、○左○門の倒れていた位置はかなり疑わしく、前記調書には俄に信を置き難い。しかし、前記調書添付図面に表示された位置の近くに倒れていたことは、前認定の諸般の事実から間違いないようではあるが、適確なる位置を認定すべき証拠は全くない。

そうだとすると、○左○門が少年の自動三輪車に触れた事実はこれを認めるに足る証拠がないので、結局本件送致事実は、少年がバスとの離合に当り、減速したとすれば、○左○門の原付自転車との接触が避けられたか、否かについて、審理をするまでもなく、その証明不充分と言わざるを得ない。

よって、少年を保護処分に付することができないから、少年法第二三条第二項前段により主文のとおり決定する。

(裁判官 末光直己)

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