函館地方裁判所 平成13年(わ)330号 判決 2003年3月18日
主文
被告人両名はいずれも無罪。
理由
第1 総論
1 本件各公訴事実及び被告人らの主張
本件各公訴事実の要旨は、「被告人両名は、共謀の上、被告人Aにおいて、C農業協同組合連合会との間に、函館市a町b番c号の被告人A長男D所有名義の住宅兼事務所(木造モルタル、金属板葺2階建、総床面積約210平方メートル)内の家財家具、住宅内収容を目的とし、E農業協同組合を取扱農業協同組合とする火災共済契約(共済金額1000万円)を、また、当時のF火災海上保険株式会社との間に、本件建物を目的とする火災保険契約(保険金額1800万円)をそれぞれ締結していたことから、本件建物に放火して、火災保険金等を騙取しようと企て、
(1) 平成6年11月10日午前4時ころ、本件建物1階中央階段フロアーの床板面に敷かれていたじゅうたん上に灯油を撒いた上、周囲の媒介物に点火して火を放ち、その火を内壁、天井等に燃え移らせ、よって、現に人の住居に使用せず、かつ、人の現在しない本件建物の天井、内壁等約62平方メートルを焼燬した。
(2) 同年12月2日ころ、同市d町e番f号のG事務所において、E農協金融部長Hに対し、真実は上記のとおり被告人両名の放火による火災であるのにその情を秘し、本件火災の原因が被告人両名の故意以外のものであるように装った上、Dを介し、家財家具損害申告書1通を提出するなどして、C建物共済課長Iに対し、火災共済金の支払方を請求し、支払決定権限を有する同人らをして、本件火災の原因が被告人両名の故意以外のものであると誤信させ、よって、平成7年3月8日、E農協から、同市d町所在の当時のJ銀行g支店内の被告人A名義の普通預金口座に、火災共済金名下に1067万9452円の振込入金を受けて、これを騙取した。
(3) 前記(2)記載同様に装った上、平成7年3月7日ころ、Dを介し、同市h町i番j号F火災函館損害サービスセンター従業員に対し、保険金請求書を送付するなどして火災保険金の支払方を請求し、支払決定権限を有する同社北海道本部業務部長Kをして、前記(2)記載同様に誤信させ、よって、同月16日、同社から、同市k町1番m号L信用金庫k支店に開設された同支店長M名義の借受金口座に、同信用金庫に対する被告人Aの借入金の返済に充当するべきものとして、火災保険金名下に1568万6000円の振込入金を受けて、これを騙取した。」
というものである。
これに対し、被告人Aは、本件建物に放火したことはなく、また、本件建物にかかる火災保険金等の請求も、放火していないからこそ保険契約者として請求したものであって詐欺ではないと供述し、被告人Bは、本件建物に放火したことはなく、被告人Aによる火災保険金等の請求については分からない旨供述し、被告人両名の弁護人もそれぞれ同様に述べ、被告人両名は無罪である旨主張する。そこで、以下、本件各公訴事実の成否について検討する。
なお、以下の判示において証拠を引用する場合、証人の公判供述及び証人に対する受命裁判官の尋問調書中の証人の供述については、いずれも証人の姓に証言を付して「○○証言」と、各被告人の公判供述は「A供述」又は「B供述」という。証拠書類については、謄本等により取調べがされたものやその一部が取り調べられたものでもその点の表示を省略する。また、「甲○○」、「乙○○」、「弁○○」とあるのは、それぞれ証拠等関係カード記載の検察官請求甲○○号証、乙○○号証、弁護人請求の弁○○号証のことをそれぞれ意味する。
2 判断の前提となる事実
以下の各事実は、概ね争いがなく、関係証拠(甲1ないし15、37ないし44、46ないし48、107ないし125、A供述等)により認めることができる。
(1) 本件建物及びその火災について
ア 本件建物は、函館市a町n番地eに所在し、その住居表示は同市a町b番c号であり、市道が縦横に走り、一般住宅等が密集する旧来からの住宅街に位置する、幅員7.45メートルの未舗装の市道に面した木造モルタル亜鉛メッキ銅板葺2階建ての建物であり、1階は事務所と住宅の併用となっており、2階はアパート形式の住宅となっている。
本件建物は、同市a町に所在する地番n番e、地積150.54平方メートルの宅地上に建築されているものであり、本件土地ともども被告人Aがその実母から相続した不動産であったが、平成2年8月にN株式会社に、さらに平成4年8月27日にDに所有権移転登記がされているところ、実際には、かねてから被告人Aが、自ら営んでいる貸金業の住宅兼事務所として使用していた。
イ 本件建物については、周辺住民から、平成6年11月10日午前3時52分ころ、警察に、同日午前3時54分ころ、消防に、それぞれ火災の通報があり、同日午前3時57分ころに消防による放水が開始され、同日午前4時36分ころに鎮火したが、延べ床面積約210平方メートルのうち、焼損床面積約62平方メートル、焼損表面積約158平方メートルの半焼状態となった。
被告人Aは同月8日からO病院に入院していたため、本件火災当時、不在であった。
(2) 本件建物に関係する火災保険等の加入状況、保険金等支払状況
ア 火災共済契約(家財についての契約)
(ア) 加入状況
被告人Aは、昭和54年ころから、C(E農協取扱い)との間で、本件建物内の家財家具、住宅内収容を目的とする火災共済契約を締結、更新していたが、本件火災時には、契約申込者を被告人Aとして、共済期間が平成6年7月19日から平成7年7月19日まで、家屋用途を一般住宅(火災後の調査で一般住宅、事務所に変更)、共済の目的を家財家具、住宅内収容(火災後の調査で家財家具、事務所内収容に変更)、共済金額を1000万円(火災後の調査で807万円に変更)、掛金を1万7000円(火災後の調査で1万7750円に変更)とする火災共済契約を締結しており、火災が発生し、家財、住宅内収容に損害が生じた場合、最大限、共済金額を限度とする共済価額(共済の目的が存在する場所における時価額)が支払われるほか、残存物とりかたづけ費用共済金、特別費用共済金が支払われることとなっており、特約として、共済契約者又は被共済者の故意又は重大な過失によって生じた損害については、共済金を支払わない(約款第10条(ア))との条項が定められていた。
(イ) Cによる調査、保険金支払状況
本件火災の発生後、Cでは、契約者である被告人Aが不在の間に火事になったこと、予め家財が運び出されていたとのうわさがあったこと、本件火災後、現場を暴力団関係者とおぼしき人物がうろついていたことなどから、契約者である被告人Aが何らかの形で本件火災に関係しているのではないかとの疑念を生じ、慎重に調査を進めたが、被告人Aが本件火災に関係していることについての明らかな証拠を発見することはできなかった。被告人Aは、平成6年12月2日ころ、Dを介して、E農協金融部長Hに家財家具損害申告書を提出して、保険金支払権限者たるC建物共済課長Iに対し保険金の支払を請求し、同人が決済した結果、被告人Aに対し、Cの従業員や鑑定士による調査の結果算出された火災共済金、臨時費用等各種費用の合計となる1067万9452円が平成7年3月3日にCからE農協に振り込まれ、同月8日に、同額が、E農協から、被告人A名義の普通預金口座に振り込まれる形で支払われた。
イ 店舗総合保険(家屋についての契約)
(ア) 加入状況
被告人Aは、Dを保険契約者及び被保険者として、平成4年8月28日、F火災との間で、保険の目的を本件建物、保険期間を平成4年8月28日から平成9年8月28日までの5年間、保険金額を1800万円、保険料を19万8360円とする店舗総合保険契約を締結した。この保険契約に伴う保険金請求権には、後に詳述するとおりL信用金庫k支店が平成4年にDに貸し付けた1500万円、更に平成6年に貸付けが実行された1200万円の債権を被担保債権とする質権が設定された。なお、この火災保険契約には、特約として、保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人の故意又は重大な過失、法令違反により損害が生じた場合は保険金を支払わない(店舗総合保険普通保険約款第2条1項(1))旨の定めがあった。
(イ) F火災の調査、保険金支払状況
本件火災の発生後、F火災では、当初から放火の疑いがあり、それにつき保険契約者らの関与も疑われたことから、独自に調査等を実施したが、保険契約者であるDらの関与を示す明らかな証拠を発見することはできなかった。
そこで、平成7年3月1日付けのDからの保険金請求書が、同月7日ころ、函館市h町i番j号F火災函館損害サービスセンターに到着し、翌8日ころ、札幌市o区南p条西i丁目p番所在のi丁目ビル9階同社北海道本部業務部第1損害サービスセンターに送付されたことから、支払権限者であるF火災北海道本部業務部長であるKが保険金の支払を決済し、F火災従業員や鑑定士の調査結果を踏まえて、各種保険金合計1568万6000円を保険金として支払うこととなった。火災保険金の具体的な支払方法としては、当該火災保険に質権を設定したDの同意を得て、平成7年3月16日、F火災から、D名義の保険金振込指図書に基づき、保険金が、L信用金庫k支店借受金口座に振り込まれ、同月17日に、前記1568万6000円のうち、L信用金庫のDに対する貸付残金96万84円(内利息886円、平成4年の貸付分)及び貸付残金1148万3460円(内利息1万825円、平成6年の貸付分)に相応する金額が債務の返済に用いられ、残る324万2456円が、D名義の普通口座に入金された。
3 本件火災の原因について
本件火災の原因について検討すると、関係証拠(甲2、4ないし9、128、129等)によれば、本件火災当時、函館市内の天候は曇り、午前4時の時点で気温は14.9度、湿度66パーセントであり、火災後の現場の状況は、本件建物1階中央部付近の焼燬の度合いが強く、建物全体の焼燬の具合からして、火元は1階中央部の階段ホール(すなわち公訴事実中の階段フロアー)南側東端の階段下付近であると認められるところ、消防による見分時に当該部分床面側から強い油臭が感じられ、灯油が浮遊しており、当該部分床上の複数の残焼物、じゅうたん片から灯油が検出されたこと、当該部分付近からガスコンロ、アイロン、配線、灰皿等、出火の原因となるものが見分されず、日頃からそのような物が置かれていた形跡もないこと、本件火災当日は、日頃本件建物に居住している被告人AはO病院に入院中であり、被告人Aの営む金融業についての事務員として雇われていたPは、本件火災の前日も通常どおり出勤し、帰宅時にはたばこの火の始末をした上で住宅部分入口ドアと事務室入口ドアの施錠をして帰宅していること、それにもかかわらず本件火災当時、少なくとも1階北側東端寝室の窓及び鉄格子の扉が開放され、1階南側東端の勝手口(ボイラー室出入口)のドアは施錠不能で、外部からコンクリートを立てかけて戸締まりしていた状態であり、1階南側居間の南側窓は施錠されておらず、1階北側西端の事務室入口ドアの施錠がされていなかったなど、もともと施錠されていない、あるいは施錠が外されたとおぼしき開口部が複数存在し、人の出入りが疑われる状況であったこと、本件建物1階事務室内の机、階段フロアー内の鉄製金庫などの引き出しや扉が開けられ、片付けてあった書類等が机の上に雑然と置かれているなど、事務室内が物色されたとおぼしき形跡があること、1階西側玄関横の物置にはポリタンク数個が置かれていたが、そのうち1つには灯油が約6分目ほど入っており、給油ポンプが差し込んだままになっていたこと、出火時刻が午前3時台後半という、深夜から早朝にかけての人目に付きづらい時間帯であり、また、通常の人の起居により失火が生じる時間帯とはいえないことが認められ、消防当局でも、本件火災を、何者かが本件建物の1階開口部から建物内に侵入し、1階中央の階段フロアー南側東端の階段下付近に灯油を撒き、午前3時49分ころ、何らかの発火源を用いて放火したものと推定している。
前記認定事実を前提とすれば、当該箇所における自然発火や失火の可能性は低く、かえって外部から侵入した第三者による放火が疑われる状況が複数認められることからして、消防当局の見解は是認できるものであり、本件火災は、自然発火や火の不始末による失火とは考え難く、外部から侵入した何者かが、本件建物1階中央部の階段フロアー南側東端の階段下付近において、灯油等を利用して放火したことによるものと認めるのが相当である。
4 本件における検察官の主張及び証拠の構造
本件において、検察官は、起訴状、冒頭陳述等において、本件放火について、首謀者を被告人A、実行犯を被告人Bとする共謀共同正犯である旨主張しており、本件各詐欺については、本件放火が被告人両名による犯行であることを前提としている。したがって、当裁判所としては、まず、本件建物について、被告人Aと同Bが共謀の上、被告人Bが実行犯として本件放火を遂行したといえるか否かを検討する必要がある。ところで、本件においては、放火の実行行為ないしはその直前直後の実行犯に関わる目撃証言や放火の実行についての謀議等についての目撃証言など、いわゆる直接証拠ないしはそれに極めて近い有力な間接証拠、間接事実は存在せず、検察官は、被告人らの本件犯行に係る動機、犯行前後の言動といった、間接事実、間接証拠の積み重ねにより犯罪事実の立証を目指している。当裁判所としても、これらの事実や、証拠を慎重に検討、評価した上で、本件各公訴事実の成否についての判断を示す必要がある。
第2 被告人Aの本件への関与について
1 前記のとおり、検察官の主張によれば、被告人Aが本件の首謀者であり、本件火災によって主として利益を受けたものであるとされていることから、実行行為者とされる被告人Bについての検討はひとまず置き、まず先に被告人Aの本件への関与の存否を検討することとする。
2 本件前後の被告人Aの経済的状況
関係証拠(甲17ないし33、102、127、乙1、2、4ないし7、W証言、A供述等)によれば、本件前後の被告人Aの経済的状況について以下の事実が認められる。
(1) 被告人Aは、昭和15年に旧満州国φ省に生まれ、第二次世界大戦後、実母らと共に函館市に引き揚げ、昭和40年に結婚し、長男D、長女θをもうけたが、昭和44年に離婚し、子供を引き取って、実母の営んでいた貸金業を引き継いだり、借家業を営むなどしていた。本件火災当時、被告人Aは、貸金の回収で1か月に70万円ないし80万円の収入があり、家賃収入を加えると100万円前後の収入があった。
被告人Aの貸金の原資は、暴力団組長であり貸金業(S商事)も営んでいるSなどから調達していた。また、被告人Aの貸金業の顧客には暴力団員、暴力団関係者も複数おり、それらの者との交友もあり、取立てにこれらの者の力を借りることもあった。
(2) 被告人Aは、昭和60年ころ、母親から相続していた本件土地建物と、函館市q町内に所有していた土地建物を共同担保として、Q保険相互会社から1800万円を借り入れていたところ、平成2年8月ころ、Rが経営するNに対し本件土地建物とq町不動産を譲渡担保として差し入れて所有権移転登記手続をし、約4000万円を借り受けて、Q保険相互会社への債務を弁済し、残余の資金を貸付資金に回すなどしたが、約1年後のNへの返済期日までに返済資金を用意することができなかった。その後、被告人Aは本件土地建物を取り戻そうと、L信用金庫k支店に対し、本件土地建物に1800万円の第1順位の根抵当権を設定し、本件建物についてF火災の火災保険に加入してこれに質権を設定し、さらに、既に担保に供されていた被告人A所有の函館市r町所在の土地建物について第2順位の根抵当権を共同担保で設定することとして、平成4年8月27日に主債務者をD、連帯債務者を被告人Aとして1500万円の融資を受けてNから本件土地建物を買い戻すとともに、q町不動産を処分してRへの支払に充てた。なお、本件土地建物及び借入れの名義人はいずれもDがなっているが、これは、被告人Aが将来の相続のことなどを考えてそのようにしたものであり、本件建物には被告人Aが居住し、その経営する貸金業の事務所として使用し、被告人AがL信用金庫k支店に対する上記債務の弁済も行っており、本件土地建物の実質的な所有者は被告人Aであった。
さらに、被告人Aは、平成6年7月21日に、本件土地建物の隣地の土地建物を、L信用金庫k支店からD名義で1200万円を借り入れて代金1518万円で所有者から購入し、D名義で所有権移転登記手続をした上、本件土地建物と、隣地不動産に極度額3000万円の根抵当権(共同担保)を設定した。
被告人Aは、これらL信用金庫からの借入金について遅滞なく返済しており、平成6年10月末の時点で、平成4年の借入れについては、残金が約1140万円、平成6年の借入れについては、残金が約1185万円であった。
(3) 被告人Aは、前記のとおり、従前からSから貸金の原資を借り入れていたが、平成4年ころ、東京のt所在のTという扇子屋の経営者であるU及びブローカーであるVとの間で、貸借関係のトラブルを生じた。被告人Aは、この貸借に関して、Sから少なくとも1500万円以上の借入れをしており、平成6年ころからはSやその配下の者からその取立てを受け、同年4月にはr町不動産についてL信用金庫から根抵当権設定の解除を受けた上、500万円でこれを処分してSへの返済に充てるなどしたが、そのころ被告人AがSに対し負担する債務は、約2300万円に達していた。また、この件に関して知人であるWから500万円を借りたこともあった。
(4) このように、被告人Aは、Sやその配下の者であるXから厳しく貸付金の返済を求められ、自ら東京に行ってUらと折衝するなどし、被告人Aの主張に基づけば4000万円に上るという貸金の回収に努めたが、回収は進まず、警察に詐欺罪で告訴することなども検討していたが、結局そのような手続はとらなかった。
そこで、Sは、平成6年9月ころから、被告人Aに対し更に厳しく貸付金の返済を求め、本件土地の引渡しにより貸付金の清算をすることを要求するようになっていた。これに対し、被告人Aは、本件火災の前ころに、Sに対し、1000万円を支払って全てを清算してほしいと持ちかけ、その後、実際に1000万円を返済したが、その提案は結局受け入れられなかった。そして、本件火災後、平成6年12月20日付けで被告人A及びD名義で、Wに依頼して振り出してもらった200万円の手形5通をSに差し入れることで1000万円の債務を返済する旨の債務確認書が作成され、この手形5通と、残余の300万円がSに対し支払われ、各手形はその支払期日である平成7年1月から5月にかけて順次決済された。また、被告人Aは、平成7年1月18日に、本件建物が本件火災により焼失して更地となった本件土地の一部(約110平方メートル)を売却し、同年3月までに合計約1100万円をその代金として受け取った。
(5) なお、被告人Aの本件火災前後の経済的状況、Sとの貸借関係については、被告人Aが詳細に公判で供述し、それを裏付けるかのようにも思える証拠物(弁11、12など)も存在しているが、その供述内容は必ずしも合理的ではなく、前記証拠物も、真に本件に関連のある、被告人Aの供述を裏付けるものであるのか疑問の余地がないわけではない。他方、この点については、Sの検察官調書(甲127)における供述やW証言も言及しているが、その内容は、A供述とは必ずしも一致せず、また、これらの供述等を明確に裏付ける証拠も認められない。よって、本件の証拠上、この点については、詳細を明らかにすることはできないが、前記(4)記載のとおり、少なくとも、被告人Aは、本件火災前の時点で、Sへの借金の支払に苦慮し、厳しい取立てを受けていたという限度においては、その事実を認めることができる。
3 被告人Aの犯行動機の存否に関する検討
(1) 本件火災による被告人Aの経済的利益について
被告人Aは、前記第1の2の(2)及び第2の2記載のとおり、本件火災に至るまでに、Cの共済とF火災の火災保険に加入しているのであるが、本件火災前には、資産としてD名義の築後約30年を経た本件建物、本件土地、隣地不動産、貸金債権などを保有しており、また、本件建物は被告人Aの住居として使用され、骨董品を含む家財が置かれている状態であり(被告人Aは、上記以外にも不動産、動産、債権等の資産を保有していたと推測されるが、火災前後における変動を比較するには不要なので、ここでは触れないこととする。)、これに対応する負債として、D名義でL信用金庫k支店から本件土地建物のNからの買戻資金及び隣地不動産の購入代金として合計2700万円(本件当時の残額は合計約2325万円)を借り入れ、これらの土地建物に共同担保として極度額3000万円の根抵当権が設定されており、さらに、Sを含む複数の金融業者らから金融業の原資を借り入れている状態であり、特にSからの債務は約2300万円に上り、返済を強く求められていた。
ところが、被告人Aは、本件火災により更地となった本件土地の一部(約110平方メートル)を平成7年1月に売却し、その代金として約1100万円を取得し、L信用金庫k支店からの平成4年時の借入金の返済として、売買代金の授受が行われた平成7年3月10日に1002万1955円を支払った。また、F火災から本件火災に関し合計1568万6000円の保険金が支払われることとなり、L信用金庫k支店が前記2700万円の債務についてこの保険金に質権を設定していたことから、その残債務1244万3544円に相当する額が返済に充てられ、残る324万2456円がL信用金庫k支店のD名義の口座に振り込まれた。また、Cから本件火災に関し支払われた保険金1067万9452円は、平成7年3月8日に、被告人A名義の普通預金口座に振り込まれて支払われた。これにより、被告人Aは、現金1392万1908円を取得した上、取り片付け費用等がかかるとはいえ、古い本件建物がなくなった更地の状態の本件土地を手に入れることとなり、なおかつ、従前のL信用金庫k支店からの債務を全て清算することができたのである。もちろん、被告人Aは、火災保険等の掛金を出捐しており、本件建物とその内部の家財などは本件火災によりその効用を失い、複数の骨董品や家財などを失ってはいるが、火災保険等の掛金額は、支払われた保険金額に比べればごく少額であること、後記4(4)記載のとおり、本件火災前に本件建物からいくつかの高価な家財が持ち出されたり、骨董品が売却されていること、借用書等の重要書類も持ち出されていることからすれば、生活に必要な家財や価値のある骨董品、重要な書類等の一部は本件火災前に本件建物から持ち出されており、被告人Aが本件火災によって被った経済的損失はそれほど大きいものとはいえない。そして、被告人Aは、本件火災があったことにより、本件土地を処分しやすい更地の状態で手に入れており、実際に本件火災後間もなくである平成7年3月にはこの一部を分筆した上、売却しており、この売買代金は前記のとおりL信用金庫k支店への繰り上げ返済に使用されており、この点でも本件火災により二次的な利得を得ているとさえいえる。しかも、関係証拠(甲17、127、A供述等)によれば、本件火災前に、既に本件土地の一部を被告人Aが売却する計画があることを前提とした融資の相談を被告人AがL信用金庫k支店にしていること、被告人Aが、Sに対し、不動産屋に本件土地建物を売る話があることを話していること、被告人Aが、Wから本件火災前に本件土地を買いたいという人がいるという話を聞いていたことなどが認められ、被告人Aは、本件火災前から本件土地の一部の売却を意図していたと認めるのが相当であり、そうであるとすれば、本件火災によって被告人Aがどのような利益を得たかどうかを考えるにあたっては、本件土地の一部の売却も当然に考慮すべき事項と考えるべきである。
したがって、被告人Aは、本件火災により多大な経済的利益を取得した事実が認められる。
(2) 本件火災前における被告人Aの置かれた経済的状況について
また、被告人Aは、前記2記載のとおり、Sから執拗な貸付金の返済を迫られ、本件土地建物の引渡しなども求められていたのであって、Sが暴力団組長であり、現にその配下のXらが取立てに訪れていたことからして、極めて経済的に切迫した状況であったといえ、後記4(4)エ記載のとおり、その当時本件建物を訪れた者に対しても、経済的に切迫した状態を訴えるような言動をしていること、後記4(4)カ記載のとおり、本件火災前に被告人AがYに日記帳を預けた事実が認められるが、その日記帳の最後のページには経済的窮状を訴える記載があったことが認められる。したがって、被告人Aは、本件火災直前には、早急にSへの返済資金を必要としている状態にあったと認めるのが相当である。
(3) 動機の存否
以上、(1)、(2)で検討したところによれば、被告人Aは、本件火災により火災保険金の支給を受けることで多大な利益を得ることとなる状況にあったことが認められるのであり、本件建物に放火し、火災保険金を詐取することについて、被告人Aには十分な動機があったことをうかがわせる事情、状況があったものといえる。
なお、被告人AがD名義でL信用金庫k支店から借り入れていた各債務については、返済は滞っていなかったのであるから、火災保険金により繰り上げ弁済する必要性はなかったとも見ることができる。しかし、被告人AがSからの借金取立てに苦しんでいたのは前記のとおりであって、その借金支払のために本件を敢行し、その副次的効果としてL信用金庫k支店の債務も弁済して債務を清算できるのであれば、より動機を深めることになるのであり、この点は前記結論を左右しない。
4 被告人Aの本件前後の言動
(1) 被告人Aの本件前後の言動について、検察官は数々の不審な点が認められると主張し、これが被告人Aが本件放火に関与したことを示す重要な間接事実となると主張している。そこで、これらの事実の存否及びそれらの事実と被告人Aの本件への関与との関連性について検討する。
この点に関しては、例えば、Wの事務所兼自宅に本件建物から家財の一部が運び込まれたことのように、客観的事実の存在には争いがなく、その行動の意味の解釈が問題となる事実と、Wらが本件建物の放火について相談を受けていたか否かということのように、客観的な裏付けがなく、もっぱら関係者の供述のみからその事実の存否を判断せざるを得ない事実とがある。そこで、まずこの時期の被告人Aの言動について多くの供述をしているW、Yの証言内容を検討し、これらの供述と他の客観的証拠、関係者の供述、被告人Aの供述を対比しながら、各事実の存否について検討することとする。
(2) Wの証言内容について
ア W証言の要旨は以下のとおりである。
(ア) Wは、以前は運送会社に勤務する傍ら、Z建設という建築会社を経営していたが、平成4年か5年の春先に、知人が被告人Aから借入れをするに際して保証人になったことから被告人Aと交際するようになった。Wは、被告人Aが貸金を回収するため、貸し付けた客が、住宅建築の融資を受けるときに、実際に必要な資金よりも高めに見積もりをして、高めに融資を受けて、その差額を返済に回すといういわゆるオーバーローンを組む客を紹介してもらっていた。また、平成6年ころには、Wが、手形の決済資金を被告人Aに一時的に貸し付けることもあった。本件火災の当時、Wは、本件建物には週2、3回は行っていた。また、そのころ、Yも本件建物に出入りし、被告人Aが貸金の集金をする際に同人を乗用車に乗せて送迎するなどしていた。
被告人Aは、平成6年春ころから、Sの配下であるXから取立てを受けていた。被告人Aも、Xの取立てにつき、「こうやって集金に来て払わなきゃならないので困っている。」「四、五千万円借りている。」などとWに言っていた。
また、Wは、被告人Bとは本件建物で顔を合わせることがある程度の仲であり、平成4年か5年ころ、被告人Bが前記のオーバーローンの手法でs町に住宅を建てる際に、Wがこれを担当したものである。
(イ) Wは、平成6年の春先に、本件建物の事務所兼居間で、被告人Aから、S商事から催促されて借金を支払わなければならないのに、自己の債権の集金ができず、困ったから、放火をして保険金を取るという趣旨の話を聞かされた。Wとしては、被告人Aは当時S商事にはかなり追いつめられているように見えたし、放火をして火災保険金で支払をするのだと思った。Wとしては、被告人Aがさほど酒を飲んでいないときに話しており、何度もそのような話を聞いたので、真剣な話だと思った。
同じく平成6年の春先、Wは、被告人Aから、本件建物内の居間で、家が古くても火災になれば火災保険金が出るのかどうかを調べてほしいと言われ、知人に確認した上、被告人Aに対して、家が古くても保険金は出るから、家財も保険に入っているか契約内容を確認しろとアドバイスした。
被告人Aが、Wに対し、これらの話をしたのは、当時、Wが債権の回収についてアドバイスをしていたからではないかと思う。
また、Wは、平成6年の春先から夏ころにかけて、本件建物2階に人が入居していると思っていたので、被告人Aに対し、2階に人がいるときに火災を出すと、迷惑をかけるし放火だと分かるから出てもらった方がいいとアドバイスをした。
(ウ) 平成6年の夏か、秋口に、Wは、被告人Aから家財を預かるよう頼まれ、テレビや茶箪笥、テーブル、絵、置物などの家財を函館市uの事務所兼自宅に預かった。これらの家財を運ぶのには、Wの勤務先のトラック、運転手を使った。これらの家財については、被告人Aから、もし人に聞かれることがあったら、債権の一部として預かっていると言ってくれと言われたので、事務所兼自宅に出入りする人に対しては、被告人Aという名前は出さずに、担保として預かっていると言っていたが、Wとしては、本件建物に放火をする際に預かっておくという趣旨で預かった。これらの家財は、平成7年夏に、隣地土地上に建てられた被告人Aの新居に返還した。預かった絵のうち2枚は、被告人Aに言われたとおりに知人に説明していたところ、知人から欲しいと言われ、断れなくなり処分してしまった。
(エ) 家財を預かる前ころ、Wは、被告人Aと、本件建物の事務所か居間で、S商事が取立てに来ていて、支払わなければ本件土地建物を処分しても払えと言われて困っているという話をしていたときに、被告人Aから、「知合いの右翼の人に頼めば、いつでも放火する人がいる。放火する場合には、醤油を飲んだりして、仮病になって救急車で入院し、被告人Aが本件建物にいない間に放火する。火をつける人には泥棒に見せかけて入ってもらう。」と言われた。また、放火をする人間について、被告人Aは、「電話をすればいつでも来て放火してくれるんだ。もしやる場合は、しばらく、本件建物には出入りさせず、放火後も函館には来ないようにする。」と言っていたので、Wは、放火する人間は、函館におり、本件建物に出入りしている人間だと思っていた。また、Wは、被告人Aから、「もし火災のことを警察が聞いてきたら、S商事の若い衆がやったと言ってくれ。」とも言われた。
(オ) 本件火災前、被告人Bは、被告人A方に手形の割引や借入の仲介で頻繁に来ているようだったが、本件火災の1か月か1か月半前からその姿を見なくなっていた。
(カ) 本件火災後、被告人AがO病院に入院しているとき、1階の喫煙室で被告人Aと話した際、Wが被告人Aに平成6年春先にばくちの金として貸し付けた1000万円の返済を迫ると、被告人Aは、「うまくいったから火災保険が出るから、それが出たら払う。本件火災について警察の取調べを受けたら、預かった家財については債務の一部としてもらったと言ってほしい。本件火災については、Sの若い衆が放火したんではないかと言ってくれ。」と言われた。そして、貸し付けた1000万円については、平成7年の3月か4月ころ、新車2台と中古車1台を被告人Aが購入してWに引き渡す形で支払われた。
その後、Wは、被告人Aから、「火をつけた人に300万円の報酬を渡した。それで、函館にはしばらく帰って来ない。」と言われた。
(キ) 平成7年2月か3月ころ、Wは、被告人Aとともに札幌αホテルへ行き、被告人Bらと会った。これは、被告人Aが、Tへの貸金の回収を被告人Bの紹介で右翼に頼むということで、Wが自動車を運転して被告人Aを乗せて行ったもので、札幌へ向かう車内では、被告人Bが建てたs郡s町内の建物の件などについて話していたが、Wが、「(本件建物に)誰が火をつけたんだ。右翼と言っているけど、Bさんが出入りしてないけど、彼じゃないの。」と何度か尋ねたところ、被告人Aは、「Bさんに頼んでやった。300万円払った。」と答えた。もともと、Wとしては、被告人Bが、頻繁に出入りしていたのに急に出入りしなくなったことや、被告人Bが被告人Aのところに持ち込んだ手形が現金化できなかったことがあって被告人Aに迷惑を掛けていたことから、被告Bが火をつけたのではないかと疑っていた。札幌αホテルでは、Wと被告人Aは、被告人Bら右翼の者3人と会い、Wと被告人Bは他の3人とは別のボックス席で近況などを話していた。その際、Wは、被告人Bに対し、「あんた、a町手伝ったんでしょう。」と尋ねたが、被告人Bがすぐに答えなかったことから、「500万くらいもらったのか、それくらいもらわなかったらあわないべな。」などと何度か尋ねたところ、被告人Bが、「300万円もらって、おれがやったんだ。灯油に薬品を入れて放火した。保険金は2400万円くらい出たのでないか。」と話した。
(ク) 平成13年1月か2月ころ、函館βホテルで、WとYが強盗事件の相談をしていたときに、Yが、「Aさんとおれ、トラブルあるから、1回敵討ちしなきゃだめだ。」と言ったことから、Wが、「どういうことでできるんだ。」と尋ねたところ、Yが、「あの火事のことで、おれ、日記帳を持ってるんだ。」「親からもらった財産をなくしてしまってどうのこうのと書いてあった。多分放火だから、それで脅しをかけてお金をもらうべ。」と言った。W自身は、そこでは本件火災が放火ではないかとは言っていないし、Yの言う日記帳も見ていない。
イ W証言の信用性の程度についての検討
(ア) 当時のWと被告人Aとの関係は、関係証拠(W証言、A供述、B供述等)によれば、両名の間には互いに少なからぬ額の貸借関係があり、また、Wが建設業を営んでいたことを背景に、いわゆるオーバーローンを利用して被告人Aが貸金の返済を受け、Wは住宅建設の受注を受けるという相互に利用しあう関係にあったものと認められる。なお、被告人Aは、Wを介してオーバーローンを利用して貸金の返済を受ける方法をとっていたことを否定するかのようにも思える供述をしているが、関係証拠(W証言、B供述等)によれば、被告人BがWを介しオーバーローンを利用してs町内に住宅を建築した事実が認められ、Wがオーバーローンによる金融の便宜を利用者に図っていた事実が裏付けられるのであり、これを前提とした場合、被告人Aがオーバーローンを利用して貸金の返済を受けていたというW証言は、客観的状況に合致し信用性が高い。
(イ) ところで、W証言は、被告人AとWとの間で本件放火に関する種々の会話がなされたことをその内容としているが、通常、放火という重大犯罪に関する会話が犯人と目される者と他の者との間でなされるとすれば、その両者の間には、特別に緊密な人的関係があると考えられるところ、この点につき被告人AとWの関係を見てみると、この両名は、上記のとおりオーバーローンを組むという非合法的な行為を共同して行っているほか、貸借関係等もあって経済的な結び付きもあったと認められるから、かなり緊密な人的関係を有していたといえ、放火に関する会話を被告人AがWに対してしていたとしても、そのこと自体がおよそ不自然とまではいえない。
(ウ) また、Wは、本件放火に関する事実については、平成11年に、被告人Aが、Wに対する債権を保証人からも回収をして二重取りをしたということでトラブルとなり、Wが警察に匿名で本件火災を放火であると通報したことがあると供述しており、上記のトラブル以外にも、遅くとも平成10年ころからは、Wと被告人Aとの間では、金銭や不動産を巡ってのトラブルが生じていたことが認められ、被告人Aも、公判において、平成13年1月ころ、Wから借入れを申し込まれたときに断ったことがあると供述しており、Wが本件放火に関わる供述をするようになった背景には、被告人Aとの間の金銭トラブルの存在も否定できない。Wは、自身が起こした強盗致傷等事件で身柄拘束中に捜査機関に対して本件放火に関する供述を始めており、このような供述を始めた理由として、被告人Aとの金銭トラブルをあげて、被告人Aを懲らしめてやるつもりで供述するに至った旨証言している。このような経緯によれば、Wが被告人Aに不利益な虚偽の供述を織り交ぜる可能性がないわけではないが、前記2(1)記載のとおり、被告人Aが暴力団とも関わりのある人間であることや、客観的な事実に符合せずに虚偽とすぐに露呈するようなことを述べるとは考えにくいことを考慮に入れるとすれば、Wがあえて虚偽の事実を並べたてて供述するというような事情は乏しいともいい得る。
(エ) それから、Wと被告人Bとの関係については、本件建物で顔を合わせることがある程度の仲だったのであり、また、オーバーローンの件で経済的に関わりがあるものの、それ以外の接点については証拠上認められず、Wが被告人Bとの関係において、殊更に同人を罪に陥れようとする目的を有しているとはいい難い。
(オ) 次に、Wの捜査機関に対する供述経過から、W証言の信用性を検討することとする。
すると、本件証拠上最初の供述調書となる平成13年6月20日付け警察官調書においては、強盗致傷等事件で身柄を拘束されるうちに、自分のこれまでの人生を反省し、他の犯罪に関する情報も話すこととしたとして、本件火災のころ、被告人AがS等から多額の借入れを重ねて返済に窮している状態であったこと、本件火災前に被告人Aの家財を預かったこと、被告人Aが入院して本件火災が発生した後、被告人Aが、「保険金が下りたらあんたからの借金も返すから。」などと言っていたこと、平成7年2月か3月ころに札幌γホテルで被告人Bらと面会したときに、被告人Bから、被告人Aに頼まれて本件建物の階段のところに灯油を撒いて、火をつけて放火した、300万円もらったなどという話を聞いたので、本件火災が被告人A自らが計画したものだと知ったことなどが供述されており、以後、本件放火の起訴日に近い平成13年9月27日付け検察官調書に至るまでほぼ同趣旨の供述がされている。
一方で、本件放火の起訴日以降である同年10月11日付け警察官調書以降の供述調書においては、上記の供述に加え、平成6年春先のまだ雪が残っていたころ、被告人Aから、「Sから金を払えと言われている。払えなかったら家と土地をよこせと言う。借金を早く整理しなきゃならないし、なんだかんだと返さないといけない。もうどうしようもない。家に火をつけて保険金を取るしか方法がない。」「こういう古い家(本件建物)でも火災保険に入っていたら(火災保険金が)出るんだろうか。」と言われたこと、これを受けて、Wも、知り合いの保険屋に古い家でも火災保険金が出るかどうか確認したり、被告人Aに本件建物2階の住人を引っ越しさせた方がよいなどと話していたこと、また、本件火災の2か月くらい前に、被告人Aが、「家に火をつけるときは自分が居ないときだ。仮病を使って救急車で病院に入った後に火をつける。醤油を飲んで急病のふりをすれば救急隊も疑わない。」と言ったこと、同じころ、被告人Aが「家に火をつけるのは誰か他の人に頼む。」「泥棒に見せかけて家に入ってもらった方がいいが、玄関から入ってもらった方がいいか、居間の窓から入ってもらった方がいいか。」などと言ったこと、さらに、「Sの若い衆が入って火をつけたと思わせたい。」「火をつける人間は1か月くらい前から家に来させないようにしている。」と言ったこと、家財を預かった件についても、「家に火をつけるから高価な家具を一時預かってほしい。」と頼まれたこと、本件火災後、O病院で被告人Aから、「計画がうまくいったからあんたにも借金を返せるよ。もしあんたが警察に事情を聞かれたら、Sのところの若い衆が火をつけたんじゃないかと言ってほしい。」と言われたこと、平成7年2月か3月ころに被告人Aと一緒に札幌へ行く途中に、被告人Aから、「被告人Bに頼んで火をつけさせた。300万やった。」と言われたことなどを一貫して供述している。
しかしながら、被告人Bの関与についての情報に関しては、平成13年10月12日付け検察官調書においては、本件火災前に被告人Aから、「火をつけるのは被告人Bがやる。そういう手配もしている。私が電話1本掛ければいつでもやるスタンバイはできている。」と言われた旨の、また、本件火災後にO病院に行ったときに被告人Aから、「被告人Bに頼んで火をつけさせたから、現金300万をやった。」と言われた旨の供述がある(後者については前日である同月11日付け警察官調書にもその旨の記載がある。)が、これらの点については、同年12月19日付け検察官調書においては、ともに、被告人Bという具体名は出なかったと思うと供述している。
以上のとおり、Wの捜査機関に対する供述には変遷が見られるが、これらの供述間の変遷を検討すると、平成13年9月27日付け検察官調書までの供述においては、本件火災前に被告人Aから本件放火についての話を聞かされていたことについては一切供述がなく、同年10月11日付け警察官調書以降の供述になって、初めて本件火災前から被告人Aとの間で本件放火に関する話をしていたことを供述し、また、本件火災前後の被告人Aとのやりとりについても克明に供述するようになり、特に同年12月19日付け検察官調書での供述は、W証言とほぼ同旨であるといえる。このような平成13年10月10日前後を境として急激な供述の変遷が生じた理由について、Wは、公判において、W自身が被告人Aから放火の計画を打ち明けられてアドバイスをするなどしていたので、放火の教唆とか幇助になるかもしれないと思って、10月まで供述することができなかったが、10月に至っても被告人Aらが否認しているとの話を聞いて、前記のとおり保証人からの二重取りの件もあって、正直に話そうと思い、電報を打って担当警察官に来てもらった旨供述している。W証言によれば、当時Wは自身が起こした強盗致傷等の被告事件で未決勾留中であったことが認められ、W自身が供述するように、本件放火への関与が疑われた場合には、捜査機関の追求を受け、刑責を問われる可能性がないわけではなかったのであり、Wの掲げる理由にも一応納得できないわけではないが、供述を始めた理由については、Wの言う刑責を問われる可能性との権衡を考えると、それまで計算高く行動していたWにしては、情に流された行動として違和感を覚え、直ちに信用することはできない。
しかし、その後の供述内容は、被告人Bの名前が出てくる部分を除けば、ほぼ一貫して変遷がなく、また、関係証拠(甲177、W証言等)によれば、W自身が強盗事件の容疑者として函館中央警察署に接見禁止付きで勾留されていた平成13年6月20日ころになって、本件火災が、被告人Aの行った放火である旨を供述するようになっていることが認められ、もう1人の有力な間接事実についての供述をしているYとの間で、これらの点について口裏合わせをした形跡が認められないにもかかわらず、後記検討のとおり、それぞれが経験し供述する具体的事実は別個のものではあるが、同時期に非常に関連の深い事実、すなわち被告人Aが本件放火を計画していたことをうかがわせる諸事実を経験し、供述しているという点からすると、にわかに虚偽の供述をしているとも断ずることはできない。なお、関係証拠(W証言、Y証言等)によれば、ともに被告人Aにとって不利益な事実を供述しているWとYが、平成13年2月ころに、函館βホテルにおいて、本件火災が被告人Aの放火である趣旨の会話を交わしていることが認められるが、この時点ではWらは自分たちが身柄拘束される事態もいまだ予想していなかったと考えられ、両名がそのような事態に備えて口裏合わせをして殊更に被告人Aを罪に陥れようとしたと考えることは到底できないというべきである。
他方、Wの供述内容、ことに被告人両名がWに対し本件放火に関わる話をしたとされる場面についての供述内容は、被告人両名が言ったとされる言葉のみが浮き上がり、その言葉が発せられた状況等について具体性のある供述がないという特徴が指摘できる。この点、人間の記憶は一様に忘却されていくものではないから、ある出来事についての記憶のうち、一部だけを覚えていて、他の重要ではない部分を忘れていることはあり得ることである。しかし、Wの供述内容を見ると、被告人Aや同Bが述べたとされる供述のみが具体性を持っているのに対し、他の状況についての記憶が余りに貧弱で、釈然としないものが残るのである。
以上の検討によれば、Wの公判供述の信用性に関する外部的事情として、本件火災当時、Wと被告人Aが仕事などを通じて比較的親しい関係にあったが、その後金銭的トラブルから関係が悪化しており、これがWが本件に関する供述をするきっかけとなっていると思われること、口裏合わせの機会に乏しかったにもかかわらず、Yと同様の事実を経験した旨の供述をしていることなど、その信用性を一応肯定する方向に斟酌できる事情があり、一方で、供述に変遷があり、かつその変遷の理由について十分に合理的な説明がされていないこと、その供述内容には必ずしも具体性がないことなど、その信用性を否定する方向に斟酌できる事情もあり、W証言は一概に排斥することはできないものの、各事実の認定に際してはその供述内容を他の関係証拠に照らしながら特に慎重に検討して判断すべきであるといえる。
(3) Yの供述内容について
ア Y証言の要旨は以下のとおりである。
(ア) Yは、平成3年7月ころから、その母親の借金の整理に関して被告人Aの援助を受け、本件建物2階や被告人A所有の他のアパートに居住するなどし、Y自身も仕事をしながら被告人Aの自宅兼事務所の掃除、雑用、車の運転、ノートや200万円くらいの現金の入ったかばん持ちなどをしていた。
Yは、Wとは、平成4年か5年ころ、被告人Aに紹介されて知り合い、Wのしていた建築関係の仕事に関連して、新築住宅の後片付けや清掃をするようになったほか、夜間は病院の警備、設備係をして働いていたが、本件火災のころまで、ほぼ毎日、昼間に本件建物に行っていた。
被告人Bについては、平成4年ないし5年ころ、何回か本件建物で見たことはあるが、言葉を交わしたわけでもなく、ただ頭を下げる程度であり、電話を何回か受けたことがある関係であった。被告人Bが本件建物に来ていた頻度は、平成6年5月ころより前は、月1、2回程度、その後は二、三回程度、電話は、平成6年5月より前は月二、三回、その後は週二、三回、月6回くらいであり、放火の二、三日前まで、その姿を頻繁に見ていた。
(イ) 平成6年9月か10月ころから、Xが本件建物に来て借金の取立てをしていたが、そのようになってから被告人Aの酒量が増え、「先祖から続いた家がなくなる。借金のかたに取られる。Sに借金を払わなければならない。追い込みがかかっている。」などと言っていたが、Yは、これを半信半疑で聞いていた。被告人Aが居間から電話をかけているときに、「うちを買い取ってくれるんでしょう。話が違うんでないか。」と大声で怒鳴っていたため、Yが被告人Aに相手が誰かを尋ねたところ、「Sさんだ。」と言われたことがあった。当時、Yは、被告人Aは、どうしようもなくなって、自殺して生命保険金で金を払うのではないかと思っていた。
(ウ) そのころ、Yは、Wの事務所に被告人Aの家財が置いてあるのを見て、Wに聞いたところ、「Aの家具だ。」と答えたので、Yは、被告人Aが金を工面するため、Wに買い取ってもらったと思った。どうして家財があるのかをWには聞かなかった。また、Yとしては、被告人Aから放火を依頼され、自分も本件建物が火事になることを知っていたので、高価な物を運んだのではないかとも考えた。
(エ) Yは、本件火災の二、三週間前の午後8時ころ、ポケットベルで、被告人Aから呼び出された。被告人Aは、居間でこたつに足を入れて酒を飲んでおり、既に相当量を飲んで酔っている状態で、Yに、「にっちもさっちもいかない。保険の関係もあるから、このうちに火をつける。実行する人も決まっている。もし、その人たちがやらなかったらあんたがやってくれ。」と言って、右手の指2本を立てたので、報酬200万円で本件建物に放火をしてほしいという意味だと思った。最初は冗談だと思ったが、被告人Aが真剣に思い詰めたように言っていたので、せっぱ詰まって真剣に言っているのだと思った。被告人Aが暴力団関係者ともつながりがあったことから、その場しのぎで返事をしたが、放火をやったら捕まるし、七、八年刑務所に入らなければならないと思ったので、1週間後くらいにその放火の依頼を被告人Aに断った。Yが、そのような話をされたのは、いつもそばにいる側近のような感じで周りから見られており信用されていたからだと思った。
(オ) 上記の話と同じころ、被告人Aから、横20センチ、縦25センチくらいの、硬めの水玉模様の入った青色のカバーがついた表紙がミッキーマウス、裏がミニーマウスの日記帳を預かった。これは、夕方に、被告人Aから、「ちょっと預かってくれないか。何かあったら処分してくれ。」と言われて渡された。Yとしては、自殺とか火災があったときには、その日記帳を処分してくれという意味だと思った。その日記帳には、最初の五、六ページは日々の出来事や、お金を貸した人の名前、金額などが書かれていたが、最後のページに走り書きで「にっちもさっちもいかない。先祖続いた家がなくなる。どうしようもない。」などと書かれていた。Yは、本件火災の後、この日記帳を破いて、半分は自宅のゴミ収集の日にゴミに出し、半分は公園のゴミ箱に捨てた。
また、Yは、日記帳を預かった日の二、三日後に、被告人Aから、ファイルに入った借用書の束を預けられそうになったが、断った。
(カ) 被告人Aが入院した日は、本件建物内に被告人A、P、δ、εらがおり、被告人Aは居間で座っており、Yは事務所にいた。この日は、Yが自動車を運転して被告人Aがv町の方面に取立てに行く予定だったが、Pが被告人Aの代わりに行った。そのうち、δから、「ママがおなかが痛いけど、どうしたらいいだろう。」などと言われ、救急車を呼び、δが救急車に同乗してO病院へ向かい、Yは戸締まりをして、O病院へ行った。
O病院に着いたときには、被告人Aがストレッチャーに乗っているところで、Yは手招きされて、5センチくらいの「w温泉○○さん」と書かれたメモ紙を渡され、「申し訳ないけれども、ここに電話してくれ。二、三人の人が泊まっているので、電話して入院したことを伝えてくれ。」と言われた。○○とはΩだった気がするが、自信はない。
翌日、電話番号を調べてw温泉に電話をかけ、相手に、「実はAさんが入院しましたので、今日会うことはできません。ママからの言づてです。」と伝えたところ、相手は、「はい。分かりました。」と言って電話を切った。Yは、それまで被告人Bと電話で話したことは何回かあったところ、その相手の声が被告人Bに似ていると感じた。そこで、Yは、この電話を切った後に、Pに対し、電話の相手の声が被告人Bに似ていたと話をした。
(キ) 翌日朝8時ころ、被告人AとDがアパートにやって来て、本件火災が発生した旨を告げられた。そこで、Yは、以前被告人Aから持ちかけられた本件建物への放火の話は本当だったんだと思った。そして、w温泉への電話が放火の実行犯への合図かなと思った。
現場では、消防から、階段の下が1番焼けていると聞いた。運び出せるような荷物がないか見ていたが、机1個くらいは持ち出した気がする。
(ク) 本件火災のしばらく後に、θ、Pに、被告人Aから放火を依頼された件や、w温泉への電話の相手の声が被告人Bの声に似ていたことを話したことがあるが、同人らに、「まさか間違ってもそんなことを言うんでないよ。」などと言われた。
本件火災の後に、O病院にSがやって来て、被告人Aに対し、「うちが火事になっても借金はなくならないんだよ。」と言っているのを聞いた。
(ケ) 本件火災の後、かつて所属していた右翼団体の上司であるΦに平成7年の暮れにΨ屋の付近で会って喫茶店で話をし、Yが被告人Aから放火を依頼されたが断ったと言うと、Φも、同様に放火を依頼されたけれども報酬の金額も少ないし、放火をする勇気も根性もないので断ったと言っていた記憶があるが、定かではない。
(コ) 平成13年2月ころ、函館市x地区のβホテルで、Wに対して、被告人Aから放火を依頼されたということ、被告人AがO病院に入院した際、同被告人に依頼されてw温泉に電話をかけたときの相手の声が被告人Bに似ていたので、火をつけたのは被告人Bではないかということ、被告人Aから日記帳を預かったが破ってしまったことを話した。Wは、日記帳を被告人Aに見せて脅して金を取ればよかったと言っていた。また、Yが、w温泉への電話に関し、「あのときの声、Bさんに似てた。」と言ったら、ちょっと間があって、Wが、「Bよ。」と言って被告人Bが本件放火をしたということを肯定していた。
イ Y証言の信用性の程度についての検討
Yと被告人Aとの関係は、Y証言によれば、Yが実母の借金の整理で被告人Aの援助を受けたことから付き合いが始まっており、Yは、被告人Aの小間使い的な活動をしており、本件建物にある被告人Aの事務所にも毎日のように顔を出していたというのであり、被告人Aを含む関係者の供述からもこれらの事実を認めることができる。被告人Aは、捜査、公判において、Yに様々なことを頼んでいたのは、単に便利だから頼んでいただけで、特別信用していたわけではないかのような供述をしているが、他方、関係証拠(Y証言、A供述、乙1等)によれば、被告人AはYに対してガソリン代などとして月に二、三万円を渡すことがあったこと、Y以外にも、貸金業の客などに頼んで車で送ってもらうことなどもあったが、その際には金を渡すことはなかったことが認められ、このようなエピソードからしても、Yは、被告人Aに雇われているわけではないものの、頻繁に本件建物に出入りし、被告人Aの周辺で活動をしていた人間であり、そのような活動をYがしていたのは、かつて実母の借金整理で被告人Aに世話になった恩義もあると推測され、被告人AもYに一応の信用をおいていたと考えられる。
また、証拠上、Yが被告人Aに対し、格別に害意を持ち、虚偽の供述をして被告人Aを罪に陥れるような事情は認められない。被告人Aは、公判において、Yが被告人Aの娘であるθに好意を寄せていたのを被告人Aが咎めたことから、これを恨んで、虚偽の供述をしているのではないかという趣旨の供述をしているが、これを裏付ける証拠はなく、また、そのような事実が認められたとしても、それをもって、暴力団とのつながりのある被告人Aを、虚偽の事実を述べることによって罪に陥れるだけの動機になるとは考え難い。
よって、外部的事情からみた場合、Yの公判における証言は一応信用できるものであるといえる。
(4) 被告人Aの本件放火前後の言動等
前記(2)、(3)の検討を前提としつつ、関係者の各供述などの関係証拠を元に、被告人Aの本件火災前後の言動等について1つずつ検討する。
ア 被告人Aが平成6年春ころにWに対し、保険金目的の放火をほのめかしたこと
Wは、前記第2の4(2)ア(イ)記載のとおり、公判において、平成6年の春先ころ、本件建物の事務所兼居間で、被告人Aから、放火をして保険金を取るという話を聞かされたこと、家が古くても火災になれば火災保険金が出るのかどうか調べてほしいと言われ、知人に確認した上で、被告人Aにアドバイスしたこと、また、同年春先から夏ころにかけて、Wとしては、本件建物2階に人が住んでいると思っていたので、この人に出てもらった方がいいとアドバイスしたことなどを供述している。この点についてのWの供述内容は、当時被告人AがSからの借金の返済に困るようになっていたという事実とも合致しており、また、その供述内容も具体的、詳細であり、さらに、被告人Aの発言に呼応してW自身が知人に確認をとったという事実が含まれていること、当時の被告人AとWとの関係からしてそのような話が出ても不自然でないことなど、信用性を肯定する諸事情も認められる。
なお、関係証拠(甲157等)によれば、本件建物2階には、平成6年5月ころから10月ころまでの間、ζが、居住しており、本件火災の前ころに本件建物2階に居住していたのは同人のみであることが認められる。ところが、Wは、2階の住人について言及した時期について、捜査段階では平成6年の春先のまだ雪が残っていたころと供述しており、これはζの入居期間とは明らかに一致しないことからすると、この点に関するWの供述は看過し難い変遷を見せているともいえる。しかし、Wは、この点について、公判では、平成6年の春から夏にかけて何度か話があったこと、2階に実際に人が住んでいるとは思っていたが確実に住んでいたかどうかは分からないと証言しており、その内容は一応首肯することができるといえ、この点についてのWの証言はそのような前提で解釈されるべきである。
したがって、Wが、平成6年の春先に、本件建物の事務所兼居間で、被告人Aから、S商事から催促されて借金を支払うのに、集金にならないし、困ったから、放火をして保険金を取るという話を聞かされたこと、また、同じころに、家が古くても火災になって火災保険金が出るか調べてほしいと言われ、知人に確認した上で、保険金は出るから、家財も入っているか契約内容を確認しろとアドバイスしたこと、また同じころ、Wとしては本件建物2階に人が住んでいると思っていたので、本件建物2階に人がいるときに火災を出すと、迷惑をかけるし放火だと分かるから出てもらった方がいいとアドバイスしたことが、一応認定できそうである。しかしながら、その供述内容の評価については、この出来事のあった時期やその内容に鑑みて慎重にならざるを得ず、後に詳しく検討することとする。
イ Wが被告人Aの家財を預かったこと等
関係証拠(W証言、Y証言、P証言、A供述等)によれば、平成6年10月ころ、被告人Aは、テレビや茶箪笥、テーブル、置物など比較的高価な家財を函館市u所在のWの事務所兼自宅に預けたこと、これらの家財は、平成7年に被告人Aが隣地土地上に新築した事務所兼自宅に戻されたことが認められる。これによれば、客観的には、被告人Aの家財の中でも高価な部類に属するものの一部は、本件火災による被害を免れていることとなり、被告人Aのこの行動は本件放火を計画していたことを裏付ける一つの間接事実とも考えられることになる。
この点について、Wは、公判において、放火するから預けられたと思っていた、被告人Aから、「もし人に聞かれることがあったら、債権の一部として預かっていると言ってくれ。」と言われたので、事務所兼自宅に出入りする人に対しては、Aという名前は出さずに、担保として預かっていると言っていたと述べているが、放火のために預かったとする明確な証言はなく、W証言から、何故に被告人AがWにこれらの家財を預けることとしたのかを直ちに認めることはできない。
また、Pは、公判において、Sから追い込みがあるので、大事なものを運び出すと聞いていた旨、θは、公判において、家財を移動させる理由を被告人Aが客に対して家を直すからと言っていたので、自分もそうなのかと思っていた旨、Yは、公判において、Wの事務所兼自宅に被告人Aの家財が置いてあるのを見てWに聞いたところ、「Aの家具だ。」と言われ、被告人Aが金を工面するためWに家財を買い取ってもらったと思った旨それぞれ証言している。被告人Aの発言を直接、間接に聞いたP、θの供述からすると、被告人Aは、家に家財を置いておくことができない事情があって家財をW方に移すということを周囲の者に述べていたと推測することができる。
以上からすると、本件建物からWの事務所兼自宅にテレビ、茶箪笥など、高価な家財の一部を運び込んだことについて、被告人Aは、周囲の人間に対し、様々な理由を述べて本件建物に家財を置いておくことができない旨を説明していたことが認められる。
また、関係証拠(甲88、δ証言等)によれば、平成6年10月初めころに、被告人Aが、古物商のηに、置物などの骨董品を6万円で売却したこと、δが離婚をする予定だったので、被告人Aからテレビ、冷蔵庫、こたつなどの家財を30万円で買わないかという話を受け、d町にあるΣ家具店で預かってくれるという話をしたこと、その後、結局金がなく買わなくなったが、それらの家財は本件火災後、被告人Aの新居に戻っていたことが認められる。
ウ Wに対し、放火の具体的方法についての話をしたこと
Wは、前記第2の4(2)ア(エ)記載のとおり、公判において、被告人Aから家財を預かる前ころ、被告人Aから、右翼の者に放火を依頼する話を本件建物の事務所か居間で聞かされた旨を証言している。Wのこの点についての供述内容は具体的、詳細であり、被告人Aが救急車で入院し、その間に放火がなされること、放火犯は泥棒に見せかけることなどは、本件火災当時の状況とよく一致しており、また後記エのYの供述とも符合する点も見られる。しかし、本件火災当時の状況は、本件火災後もWと被告人Aとの間には交流があったことからすれば、Wも本件火災後に知る機会があったと考えられ、また、放火犯人がしばらく被告人A方に出入りしないという点については、Wは、その供述からすると被告人Bが放火犯人であるという認識に立って供述しているものと認められることからすれば、自身が被告人Bを見かけた頻度などから逆算して話している可能性も否定できないことなど、必ずしもW証言の信用性が担保されているとまではいい難い状況も認められる。
よって、この点については、Wの供述には信用性がないわけではないものの、裏付けとなる事実に乏しく、この供述の採否は、総合評価に委ねることとする。
エ 被告人Aが、Yに本件建物の放火の依頼と受け取れる発言をしたこと
Yは、前記第2の4(3)ア(エ)記載のとおり、公判において、本件火災の二、三週間前の夜8時ころ、本件建物の居間で、飲酒していた被告人Aから、本件建物に放火するよう何者かに依頼をしていることを聞かされ、更に報酬200万円で本件建物に放火をする依頼をされた旨を供述している。そのYの供述内容は詳細、具体的で、特に臨場感にあふれるものである。また、関係証拠(Y証言、δ証言、A供述、甲81等)によれば、このころ、被告人AはSからの借入れの返済に頭を悩ませ、朝から飲酒するような生活を送っていたことが認められるから、このような客観的状況にも合致しており、信用性が高い。他方、被告人Aはこの点を否定し、本件火災の3年ほど前までは冬の間こたつを出すことはあったが、その当時は本件建物の居間にはこたつはなかったと供述しており、Pも当時本件建物にはこたつはなかったような気がすると供述していることからして、本件建物の居間にこたつがあったとするY証言には疑義を差し挟む余地がないではない。しかし、この点については、Yは、同じく公判で、こたつと言ったのは、テーブルに布団という状態のことをさしていると述べており、必ずしも家具としてのこたつがあったと言っているわけではないと思われること、その他の点においては十分に詳細かつ具体的な供述がされており、また、θも、公判において、時期については明確に覚えていないものの、本件火災後にYから、被告人Aに「火をつけれ。」と言われたけれども断ったということを聞いたと述べており、十分信用性が担保されていること、前述したY証言の全般的な信用性からして、Yの供述の核心部分は信用することができる。
よって、被告人Aが、本件火災の二、三週間前に、飲酒酩酊状態で、Yに対し、本件建物の居間で、「にっちもさっちもいかない。保険の関係もあるから、このうちに火をつける。実行する人も決まっているが、その人たちがやらなかったらあんたがやってくれ。」と言って、右手の指を2本立てた事実が認められ、この事実は、被告人AがYに報酬200万円で本件建物への放火を依頼したものと評価するのが相当である。
オ 本件建物2階の入居状況
関係証拠(甲157等)によれば、本件建物2階には、平成6年5月ころから10月ころまでの間、それまで被告人Aが所有していた函館市r町所在のアパートに入居していたζが、そのアパートを壊すことになったと被告人Aから言われたが、すぐには転居先が見付からないということで、とりあえず本件建物2階に住むように勧められて居住していたこと、その際、いずれ本件建物も取り壊すから新しい部屋を見付けてほしいとは言われていたが、すぐ取り壊すとか、出て行くように催促されたことはなく、一、二年の間は住むことができると思っていたこと、ところが、平成6年10月ころ、被告人Aに呼ばれ、「どうしても家を壊さなくてはならなくなった。あんたいい人だから、本当はいてほしいけど、そんなわけだから、出て行ってほしい。」「家を建て直して息子と住む。」などと言われ、Pが部屋を探してきたので引っ越したこと、本件火災の前ころに本件建物2階に居住していたのはζのみであることが認められる。
カ Yがノートを預かったり、借用書らしきものを預けられそうになったこと
Yは、前記第2の4ア(オ)記載のとおり、公判において、本件火災の2、3週間前ころ、被告人Aから表紙にミッキーマウスの絵が入った日記帳を預かり、本件火災後、その日記帳は破いて捨てたことなどを供述しているところ、Pも、公判において、Yから、被告人Aから預かりものをしていると聞いたことがあること、被告人Aが、本件放火の前にミッキーマウスかスヌーピーのキャラクターの付いた青い感じの厚さ1センチメートル以下のノートないしはメモ用紙のようなものを持っていたことがあると上記Y証言を裏付ける証言をしている。
被告人Aは、この点について、Yに日記帳を預けたり借用書を預けようとしたことはないし、そもそも言われているような日記帳を持っていたことはなく、思い当たることといえば、火事の後に孫が事務所に置き忘れたノートくらいであると供述しているが、Pは、ノートないしはメモ用紙のようなものについては、明確に火災前に見たと述べており、また、Yが被告人Aから預かり物をしているという証言もしていることからすると、Yの証言は一応信用できそうである。ただ、その内容を検討すると、Yが証言する日記帳の記載内容からすると、なぜこの日記帳を被告人AがYに預け、何かあった場合の処分を依頼したのか、その真意を推測しかね、果たしてそのようなやりとりが本当にあったのか疑わしい面もないではない。しかし、Yの証言内容は具体的で迫真性に富み、Yにはあえてこのような手の込んだ虚偽の事実を述べるだけの動機が認められないこと、Y証言によると、その日記帳にはある男性に関する記載があったとされるところ、関係証拠(A供述、θ証言等)によれば、この男性と被告人Aが交際していた事実が認められることなどからすると、その証言の核心部分は信用できるといえ、これによれば、本件火災の二、三週間前ころ、Yは、被告人Aから、青色でキャラクターの絵柄の入った表紙の日記帳を、何かあったら処分してくれと言われて預かったこと、Yとしては、被告人Aのその依頼を自殺とか火災があったときのために処分してくれという意味と思ったこと、その日記帳の中には、日々の出来事が書いてあったほか、最後のページに走り書きで本件建物を失ってしまうといった趣旨のことが書かれていたこと、その日記帳は本件火災後にYが破いて捨てたことがそれぞれ認められる。
また、借用書をYに預けようとしたとの点については、後に検討するとおり、被告人Aが実際に借用書等をPに預けていること、当時Yは被告人Aのところで小間使い的な仕事をしており、毎日のように出入りしていたことからして、それなりに被告人Aの信頼を得ていたと認められ、被告人Aが言うように単なる雑用をするだけの関係でなかったと思われることからすれば、Yのいうファイルに入った書類を預けようとしたことは十分あり得ることであるといえ、さらに、そのような書類をわざわざ預けようとしたとすれば、それは重要な書類と推測されるのであり、結局、借用書などとおぼしきファイル入りの書類を被告人AがYに預けようとしたことは認めてよい。
キ δが、被告人Aから、入院前に、酒を飲んで苦しがるから、救急車を呼んでくれと言われたこと
δは、期日外尋問において、本件放火の1か月くらい前から、被告人Aから、「暴力団から金を借りている。Sに家を取られる。」という話を聞いていたこと、被告人AがO病院に入院する二、三日前の夜に、本件建物に行ったとき、酒に酔っていた被告人Aから、「酒を飲んで苦しがって七転八倒するから、救急車を呼ぶ手配をしてほしい。」と頼まれた旨を証言している。他方、被告人Aは、δが被告人Aから上記のとおり救急車を呼ぶよう言われた日は本件建物に泊まり、被告人Aと同じベッドで寝たと供述するのに対し、このころδが本件建物に来て泊まったことはないし、また、被告人Aのベッドはシングルベッドであって一緒に寝たりはしないなどとして、δの上記証言を否定している。この点について、δは、捜査段階においては、被告人Aの入院は仮病で、本件放火の際のアリバイ工作としてなされたものであると思った旨供述していたところ、公判においては、この点について、そのように思ったことはない旨供述し、δ自身の主観の点について供述の変遷が見られる。しかしながら、δは、被告人Aの言動については、捜査段階においても、被告人AがSに借金をしていて、追い込みを掛けられて本件建物を取られそうになっていると話していたのを聞いたこと、被告人Aは、本件火災の1か月くらい前から毎日ビールを飲んで酔っぱらい、睡眠剤を飲むような生活をしており、Sから借金をして追い込まれていると言っていたこと、本件火災の二、三日前に本件建物に行ったところ、被告人Aがδに、「近いうちに私はバタバタ腹が痛いと言って倒れるから、倒れたら救急車を呼んで。」と頼んだ旨供述しており、被告人Aの具体的な文言はやや異なるものの、被告人Aが、近いうちに倒れるので、その際には救急車を呼ぶようδに話したということで一貫している。δは、自己の主観については、被告人Aからの後難を恐れて、証言をためらっている様子が見て取れ、それゆえに捜査段階とは異なる供述をしているものと推認されるが、いずれにしても、被告人Aの言動については、前記のとおり、捜査、公判を通じて基本的に一貫した供述をしており、その内容は具体的で臨場感があり、暴力団とつながりの深い被告人Aに関して、あえて虚偽の供述をして罪に陥れるだけの理由は認められず、加えて、被告人Aに関する供述をすることについて極めて慎重な態度をとっていることからしても、δとしては、被告人Aに不利にならないように供述をあいまいにすることがあるとしても、被告人Aに不利な虚偽の内容を加えて述べる理由はなく、δの供述は信用できる。
よって、本件火災の二、三日前ころ、本件建物において、被告人Aがδに対し、酒に酔って、近いうちに倒れるので、その際には、救急車を呼んでほしい旨話した事実が認められる。
ク 被告人Aの入院について
関係証拠(Y証言、δ証言、A供述、甲184等)によれば、被告人Aは、平成6年11月8日昼ころ、急に腹部等の痛みを訴え、Yが手配した救急車でO病院に同日午後1時ころ到着して入院したことが認められる。
この点について、検察官は、被告人Aは、本件放火による自己への被害を避けるとともに、放火犯人であるとの疑いを抱かれないように偽装するため、詐病により入院したものであると主張する。
そこで、まず、当時の被告人Aの症状について医学的見地から検討すると、鑑定書(甲195)によれば、カルテ等の診療記録から事後的に検討した結果として、当時の主治医は、被告人Aが、左側腹部から背部にかけての痛みを訴えていたことや同女の既往病歴からして、肺、気管支の炎症、膵炎、心疾患等を疑ったと思われるものの、検査結果からすれば、いずれも主訴に対応する疾病は特定できなかったことを前提に、被告人Aが主訴に対する疾病を解明できなかったことによっては何らの利益を得ていないこと、診療記録に現れた療養態度は通常の病人の訴えと理解できること、疾病に対する主訴も、病状の推移も、診断が付かなかったとしても医学的に理解可能なものであることから、当時の被告人Aの主訴を詐病ではないと結論付けている。このうち、「被告人Aが主訴に対する疾病を解明できなかったことによっては何らの利益を得ていないこと」については、仮に被告人Aが本件放火を計画していたとすれば、保険金による経済的利得を狙って詐病を訴えて本件建物を留守にし、その間に共犯者により放火を実行したという推論が成り立ちうるのであるから、鑑定書の上記指摘は的を射ていないというべきである。また、その他の点については、被告人Aの主訴に対応する疾病は特定できなかったのであって、すなわち、当時の被告人Aには自覚症状の訴えのみが認められるのに対し、被告人Aの主訴に対応する他覚症状は全く認められないことからすると、診療記録に現れた療養態度が通常の病人の訴えと理解できるとしても、これによって直ちに詐病ではないと断定するには論理の飛躍があるというべきである。そして、前記第2の4(4)キ記載のとおり、被告人Aが、事前にδに対し、飲酒の上、腹痛を訴えて倒れるから救急車を呼ぶようにとの依頼をした事実が認められるところ、被告人Aは、その依頼の相手であるδの面前で、しかもその事前予告と全く合致する形で腹痛を訴えているのであり、この事実と、被告人Aの入院時の症状が、自覚症状だけだったとする事実を併せ考えると、むしろ被告人AのO病院への入院は詐病によるものではなかったかとの疑いを強く抱かせるものである。しかしながら、関係証拠(A供述、δ証言等)によれば、当時、被告人Aが膵臓疾患にり患した上、多量の飲酒をしていたこと、更には被告人Aが精神安定剤ないしは睡眠剤等の薬剤を服用した可能性があることなどが認められることからすると、意図的に被告人Aがその症状を招来させたかどうかという点の問題はあるものの、被告人Aの腹痛の訴えが真実であった可能性も否定できない。
以上の事実からすると、結局、被告人AのO病院への入院が詐病によるものであるとまでは認めることはできない。
ケ 被告人Aが入院後、w温泉への電話を指示したこと
Yは、前記第2の4(3)ア(カ)記載のとおり、公判において、被告人Aから平成6年11月8日O病院でw温泉への電話の伝言依頼を受け、翌日、w温泉に電話をかけたところ、相手の声が被告人Bに似ていたことなどを証言している。この点については、Pが、捜査段階において、本件火災後にYやθと本件火災は被告人Aによる放火ではないかと話をしたところ、Yから、「ママに頼まれてw温泉に電話を掛けた。電話に出たのが被告人Bの声に似ていた。被告人Bも火事に絡んでいるのではないか。」と言われたと供述し(甲71)、公判においても、本件火災の前にYがw温泉に電話したところ、電話の相手の声が被告人Bに似ていたという話を本件火災後にYがしていたことを証言しており、θも、本件火災後、しばらくして落ち着いたころ、Yが、本件火災前に被告人Aに頼まれてw温泉に電話をしたところ、被告人Bの声そっくりだったと言っていたと証言していることなどからすれば、Yが本件火災からさほど遠くない時期において、P、θと話をしているときに、本件火災前に被告人Aから依頼されてw温泉に電話を掛けたこと、その電話に出た相手の声が被告人Bに似ていたと話したことは認められ、本件火災後さほど遠くない時期に、比較的仲が良かったと思われるY、P、θらの間においてそのような会話がされていたということは、そのような経験をYが実際にしていたことを強く推認させるものであり、前記供述内容のうち、Yがw温泉に電話をしたところ、電話に出た相手の声が被告人Bに似ていたとYが思ったという点は事実として認定できる。
次に、Yが入院した被告人Aの指示によってそのような電話を掛けたのかどうかという点については、Yは、被告人Aからこの電話をかける依頼をされた場所について捜査段階においてO病院の1階ロビーであったと供述しながら、病室内であったと供述を変更し、公判においては再び1階ロビーであったと証言し、その供述に変遷があり、当時被告人Aに付き添うなどしていたδの証言においても、Yが被告人Aから電話をかけるよう指示を受けるような状況がうかがえないことからすると、この点についてのYの供述の信用性に疑問を差し挟む余地があるようにも思える。しかし、前記のとおり、Yが実際にw温泉に電話を掛けたこと自体は十分認定できるところ、Yには、あえてこの点につき虚偽の供述をするような事情は全く見いだせない。したがって、被告人Aが入院する際に、Yに対し、w温泉に電話をするように指示したことは認定してよい。
一方で、証拠上、被告人BとYが電話を含めて頻繁に会話を交わしていた状況は認められず、Yに、電話の相手の声が被告人Bであるかどうかを聞き分けるだけの経験、能力があったかどうかについては疑問が残る。結局、Yとしては、被告人Bによく似た声の人が電話の応対に出たと感じたという趣旨においてその供述内容は理解されるべきである。
以上からして、Yが、被告人Aから、その入院の際に、w温泉に電話を掛けることを依頼されたこと、その電話をしたところ、Yとしては被告人Bに似た声の持ち主だと感じられた者が応対したことが事実として認められる。
なお、関係証拠(θ証言、P証言等)によれば、本件火災前に被告人Aの指示を受けて、Pも、w温泉の電話番号を調べて電話をかけたこと、また、Pとしては、w温泉という場所は、被告人Aの仕事では一度も出てきたことのない場所であったことも認められる。
コ 被告人Aの入院後、Pが、本件建物の事務所内の金庫の鍵を付けたままにしたり、同金庫内の現金をDに渡したり、借用書等を預かるなどした事実
Pは、公判において、被告人Aが入院した後、本件建物の事務所内の金庫に入っていた現金150万円をDに渡したこと、平成6年11月9日に被告人Aの見舞いに行ったところ、被告人Aから、金庫の鍵は付けたままでいいと言われ、そのとおりに金庫の鍵を差したまま帰ったこと、金庫の中に重要な物は残っていなかったことを証言しており、θも、公判において、本件火災後、Pから、被告人Aに金庫の鍵を付けたまま帰っていいと言われたという話を聞いたと証言している。
P証言によれば、Pは平成3年ころから同11年ころまで被告人A方で事務員として稼働しており、本件当時も事務員として稼働していた事実が認められ、本件について格別の利害関係を有していたり、あえて被告人Aにとって不利益になるような虚偽の事実を述べる事情は認められず、供述内容も具体的であり、この点については、捜査段階でも概ね同様の供述をしていることからしても、その供述は信用性が高い。これに対し、被告人Aは、公判において、Pは男性関係について被告人Aに思うところがあるから虚偽の事実を述べているのではないかとの趣旨の供述をしているが、以前の雇い主であり、これまで指摘したとおり暴力団との結び付きもある被告人Aに対し、遠慮こそすれ、あえて被告人Aに不利益な虚偽の事実を述べるとまでは考えられない。また、被告人Aは、本件火災までに金庫の鍵が何度か抜けなくなったことがあったことから、そもそも鍵を付けたままにしていたと思う旨公判で供述しているが、平成7年1月ないし2月に録取された警察官調書(乙1)では、金庫の鍵は付けたままだが、大切なものを入れたときは施錠してPに鍵を預けていたと供述しており、金庫の鍵を抜き差しできることを前提とした発言をしているのであって、無視できない相違点が見られ、その公判供述は信用できない。
よって、被告人Aが入院した後の平成6年11月9日、Pは、被告人Aの指示に従って、鍵がきちんと掛けられる状態であった金庫の鍵を、あえて鍵穴に差し込んだままの状態にして帰った事実が認められる。
また、現金150万円をDに預けた点については、P自身も預けたことは認めるものの、それが被告人Aの指示によるものであったかどうかについては記憶が明らかでない旨証言しており、被告人Aも、この点については記憶がない旨公判で供述しているが、他方、被告人Aは、前記の警察官調書(乙1)では、自分の指示でPにDに現金を渡すように言った旨供述しているし、Pは被告人Aが雇用していた事務員にすぎず、自分の判断のみで150万円もの多額の現金の処分をするとは考え難いことからすると、被告人Aの入院後、その指示によってPがDに金庫の中にあった150万円を預けたと考えるのが相当である。
また、Pは、公判において、検察官の主尋問に対しては、被告人Aからの指示がいつ出たか覚えてないが、被告人Aが入院して事務所に誰もいなくなるので大事な物を置いておけないことなどの理由により、被告人Aの借用書や権利証を自宅に持ち帰った旨供述しているが、被告人Aの弁護人の反対尋問に対しては、これらの書類を預かったのは入院前であり、家を建て直す話があって貴重なものであることと、Sからの追い込みがあって預かったことと、2つの理由があると被告人Aから聞かされたことを供述しており、さらに、捜査段階では、O病院で被告人Aから金庫の中に保管してあった借用証や権利証を預かるよう言われたと思う旨供述しており、被告人Aから依頼を受けた時期について供述が変遷しており、その時期を特定するだけの定かな記憶を持っているのかどうかについては大いに疑問があり、結局、この点については、Pの供述からは、本件火災前に被告人Aから借用書等を家で保管するよう依頼を受けて持ち帰ったという事実を認めることができるにとどまるというべきである。
サ 本件火災後、病院に被告人Aを見舞ったWに対し、被告人Aが、「うまくいったから返せるよ。」「警察に聞かれたら、Sのところの若い衆がやったと言ってくれ。」と言ったこと
Wは、前記第2の4(2)ア(カ)記載のとおり、公判において、本件火災後、O病院に入院していた被告人Aから、「うまくいったから火災保険が出るから、それが出たら払う。本件火災について警察の取調べを受けたら、預かった家財については債務の一部としてもらったと言ってほしい。本件火災については、Sの若い衆が放火したんではないかと言ってくれ。」と言われ、また、別の機会に、被告人Aから、「火をつけた人に300万の報酬を渡した。それで函館にはしばらく帰ってこない。」と言われた旨を述べている。
この点に関しては、Wの供述は、捜査初期の段階では、被告人Aは、「保険金が下りたらあんたからの借金も返すから、ちょっと事情があったんだわ。」などと奥歯に物がはさまった言い方をしていた旨の供述があり、また、平成13年10月11日付け警察官調書以降の供述では、公判供述とほぼ同旨の内容を(ただし、同日付け警察官調書、翌12日付け検察官調書では、300万円の報酬をもらった者について被告人Bと特定して供述している。)述べている。これらの供述の変遷をみると、平成13年10月11日付け警察官調書以降のWの供述は概ね一貫しており、被告人AからWが家財を預かっていること、被告人Aが借金をしているSに本件火災の責任を押しつけようとしていることなど、当時の状況に合致するとみられる事情が含まれている。ここで述べられている内容には、Wが本件火災前に被告人Aから家財を預かっていることなどが含まれ、Wが本件火災に以前から関与している嫌疑をかけられるおそれがあることからすると、捜査初期の供述においてその点を明確に述べていなかったことにも一応説明がつくといえ、W証言の核心部分は客観的真実に照らして合理的な説明が可能であるように思える。被告人Aの弁護人は、本件放火直後にはF火災やCにおいて本件火災の原因について調査を行っており、直ちに火災保険金が支払われる状態ではなかったから、このような会話があったとは考え難いと指摘するが、ここで被告人Aが述べたとされる会話の内容は、直ちに火災保険金の支払がされることを前提としているわけではなく、将来的に火災保険金が支払われるであろうという前提に立って述べられているに過ぎないと考えられるから、弁護人の指摘はあたらない。
ただし、被告人AとWとの間の会話における被告人Aの発言に関してのWの上記証言は、客観的真実に照らして合理的に説明が可能であるとはいっても、その証言自体を直接的に裏付ける証拠はないから、上記事実が認定できるかどうかは、Wの証言の信用性にかかっているというべきところ、その判断は、後記シにおいて併せてすることとする。
シ 平成7年2月ないし3月ころ、被告人A、同B、Wらが札幌で会った際の状況
まず、関係証拠(W証言、A供述、B供述等)によれば、平成7年2月ないし3月ころ、被告人Aは、Tに対する貸金の回収を、被告人Bが所属する右翼団体の幹部であるιに依頼するため、Wに運転を依頼してその乗用車で札幌に向かい、札幌αホテルにおいて、被告人Bらと面談した事実が認められる。
この件に関し、Wは、前記第2の4(2)ア(キ)記載のとおり、公判において、札幌へ向かう自動車内で、Wが、被告人Aに対し、「誰が火をつけたんだ。右翼と言っているけど、Bさんが出入りしてないけど、彼じゃないの。」などと何度か尋ねたところ、被告人Aが、「300万円で被告人Bに頼んだ。」と答えたこと、札幌αホテルでは、Wと被告人Aは、被告人Bら3人と会ったが、このうちWと被告人Bが、他の3人とは別の席で話していた際、Wが、被告人Bに対し、「あんた、a町手伝ったんでしょう。500万くらいもらったのか。」などと何度か尋ねたところ、被告人Bが、「300万円もらって、おれがやったんだ。灯油に薬品を入れて放火した。保険金は2400万円くらい出たのでないか。」と話したことを供述している。
W証言の信用性については、前述のとおり特に慎重に検討すべきであるところ、このWと被告人A、Wと被告人Bのやりとりの内容については、これを裏付ける直接的な証拠は全くなく、もっぱらWの供述の信用性をどう考えるかによらなければならない。そこで検討するに、Wの供述は、札幌へ向かう車内での会話については平成13年10月11日付け警察官調書になって初めて述べられているが、それ以降は一貫しており、また、札幌αホテルにおける被告人Bとのやりとりについては捜査、公判を通じて供述内容は一貫しているのであるが、これらの出来事は本件火災後に起きた出来事であるから、Wには自己の訴追の可能性等これを述べるのをためらう事情はないと思われるのに、なぜ当初はホテルにおける状況のみを述べて、あえて札幌に向かう車内での出来事については秘匿していたのか、その理由が判然としない面がある。また、被告人Bの関与について、Wは、前述のとおり、捜査段階の途中では、本件火災前や本件火災後にO病院において被告人Bが放火の実行犯である旨被告人Aから聞いたと供述していたが、その後、Bという具体的な名前ではなかったと思う旨供述し、看過し難い変遷を示している。それから、Wは、被告人Aとの車内での会話は、被告人Bが本件建物に頻繁に出入りしていたのに本件火災の前(1か月から1か月半前)に急に出入りしなくなったので、被告人Bを放火の実行犯と疑っていたことから、Wが切り出したと述べており、また被告人Bとの会話において、Wは、「あれだけ、a町(本件建物)に出入りしてたのに、なんで急にいなくなったんだ。」と切り出して、結局、被告人Bに白状させた旨述べている。しかしながら、後に検討するとおり、被告人Bは平成5年4月以降、生活の本拠を函館から札幌に移していた可能性があることも否定できず、そうすると、Wの述べるところはいずれもそのようなやりとりが実際にあったのかどうか疑問を禁じえない。この札幌での出来事に関してWが正確な供述をしているのか疑問が残るところがある。
なお、Wの捜査段階における供述調書では、被告人AやWが札幌で被告人Bらと面談した場所が札幌γホテルである旨の供述がなされているが、W証言によれば、この供述は取調警察官の誤った誘導によりなされていることが明らかであり、面談の場所は札幌αホテルと認めるのが相当である。
一方、被告人A、同Bは、捜査公判を通じて、札幌αホテルにいたのは被告人A、同B、ι及びWの4人であり、4人が席を別にしたことも、前記のようなやりとりをしたこともないと供述し、さらに、被告人Aは、Wに対しSへの借金の処理の件で借金をしており、その返済に回すためにもTからの取立てを進めようとしたため、Wに付いてきてもらった旨を、また、被告人Bは、そのような席で、自己が所属する右翼団体の目上の人間であるιのそばを離れることはない旨を供述している。この点についての被告人両名の供述は、客観的状況にも一応合致しており、上記のごとく変遷しているWの供述に比べると格段に自然であって、信用性が高いといわざるを得ない。結局、Wの上記証言は、被告人両名が共謀の上で本件放火をしたとの推論に立ち、Wが認識したところの客観的真実に符合するよう作出された証言ではないかとする疑問が払拭し切れないのである。そして、この疑問は、前記サにおいて検討した、O病院において被告人AがWに対してなしたとする発言に関するWの証言にも全く同様に当てはまるというべきである。してみると、Wのこれらの証言の信用性は低いと認めざるを得ない。
よって、これらの点については、平成7年2月ないし3月ころに被告人両名とWらが札幌αホテルで面談した事実は認められるものの、その道中や面談の席で、Wに対して本件放火を自認するような被告人両名の言動があったということ、また、本件火災後、O病院において、被告人Aが、Wに対し、「うまくいったから火災保険が出るから、それが出たら払う。本件火災について警察の取調べを受けたら、預かった家財については債務の一部としてもらったと言ってほしい。本件火災については、Sの若い衆が放火したんではないかと言ってくれ。」と言い、また、別の機会に、被告人Aが、Wに対し、「火をつけた人に300万円の報酬を渡した。それで函館にはしばらく帰ってこない。」と言ったということまで認めるのは困難であるといわざるをえない。
5 認定事実の検討
以上の検討に基づいて、ひとまず事実を整理すると、以下のようになる。
(1) 被告人Aによる犯意の表明ないし徴表
この点については、①平成6年の春先ころ、被告人Aが、本件建物の事務所兼居間で、Wに対し、「S商事から催促されて借金を支払うのに、集金にならないし、困ったから、放火をして保険金を取る。家が古くても火事になって火災保険金が出るか調べてほしい。」などと言ったこと、Wは、知人に確認した上で、保険金は出るから、家財も保険に入っているか契約内容を確認しろとアドバイスしたこと、また、同じころ、Wとしては本件建物2階に人が住んでいると思っていたので、本件建物2階に人がいるときに火災を出すと、迷惑をかけるし放火だと分かるから出てもらった方がいいとアドバイスしたこと、②被告人Aが、Yに対し、本件火災の二、三週間前に、飲酒酩酊状態で、本件建物の居間において、「にっちもさっちもいかない。保険の関係もあるから、このうちに火をつける。実行する人も決まっているが、その人たちがやらなかったらあんたがやってくれ。」と言って、右手の指を2本立てて、報酬200万円で本件建物への放火をしてくれるよう申し入れたと受け取れる言動をしたこと、③本件火災の二、三日前ころ、本件建物において、被告人Aが、δに対し、酒に酔って、近いうちに倒れるので、その際には、救急車を呼んでほしい旨話したことが挙げられる。
これらの事実は、いずれも被告人Aの供述をその内容としているから、その持つ意味を考えるためには、被告人Aが当時どのような状況におかれ、どのような趣旨でその発言をしたかを検討する必要がある。
そこで、まず①の事実について検討すると、前記4(4)ア記載のとおり、本件建物2階には、平成6年5月ころからζが入居し、同年10月までは出ていくよう催促されることも特段なかったことが認められ、もし被告人Aが平成6年の春先から既に本件建物への放火を真剣に検討していたとすれば、同年5月ころに本件建物2階に人を住まわせるようなことはしなかったであろうと推測される。また、前記2認定のとおり、W以外の関係者の証言等からすれば、被告人Aに対するSの追い込みが厳しくなってきたのは平成6年9月ころ以降であると考えられることからすると、平成6年の春から夏ころにかけての時点で、被告人Aが放火の実行を真剣に考慮していたといえるのか疑問が残る。
してみると、この点についても、W証言は、前記4(4)シにおいて検討した事項と同様に、Wが認識したところの客観的真実に符合するように作出されたものではないかという疑問が払拭し切れないものであり、その信用性は乏しいものといわざるを得ない。
他方②、③の事実について検討すると、前記2記載のとおり、被告人Aは、当時、Sに対する借金について返済を強く迫られ、返済原資としてあてにしていたTに対する貸金の回収も進まず、経済的に非常に厳しい状態に置かれており、これらの問題を抱えていたことから、朝から酒を飲んで気を紛らわせているような状態であったことが認められる。そのような状況の下、飲酒酩酊状態でYに対し放火の実行を依頼するかのごとき言動をしたとすれば、それはあながち冗談ともとれず、真意から出たものであるとも推測できる。Yも、「最初は冗談だと思ったが、最後になると真剣に思い詰めたように言っていたので、せっぱ詰まっていると思った。」旨供述している。また、同様の理由から、被告人Aが、δに対し、腹が痛いと言って倒れることを予告したことについても、被告人Aの真意に基づいてなされたものと考えても不自然ではない。
そこで、これらの供述が持つ意味について検討すると、Yに対する放火の実行の依頼は、まさに、当時、被告人Aが本件建物の放火を計画し、実行に移そうとしていたことを強く推認させるものである。そして、その内容が、既に第1次的な実行犯の選定、依頼を終えていることを示していることからして、この時点で既に被告人Aの本件放火の計画が進行していることを指し示しているのである。また、δに対する、腹が痛いと言って倒れることを予告した言動については、その内容は、持病を持っている人であれば周囲の人間に発言してもおかしくないようなものであり、実際被告人Aは、体調が思わしくないのに酒を朝から飲んでいた状況がうかがえるのであるが、他方、当時、被告人Aはまさに経済的に窮していた時期であり、あえてこのような発言をしたことについては、単に倒れたら救急車を呼んでほしいという趣旨ではなく、近日中に確実に倒れるから、そのときは確実に救急車を呼んでほしいという、入院手続を取る依頼であったのではないかと考えられるのである。
また、このような検討を前提とすると、④Wが、被告人Aから家財を預かる前ころ、「知合いの右翼の人に頼めばいつでも放火する人がいる。放火する場合には、醤油を飲んだりして、仮病になって救急車で入院し、被告人Aが本件建物にいない間に放火する。火をつける人には、玄関から入るか、ベランダから入るか、泥棒に見せかけて入ってもらう。」「(放火をする人間について)電話をすればいつでも来て放火してくれるんだ。もしやる場合は、しばらく本件建物には出入りさせず、放火後も函館には来ないようにする。」という話を本件建物の事務所か居間で聞かされた旨の証言についても、その時期や会話の内容に照らして信用性が高いようにも思われる。しかし、この点についてのW証言も、これを直接的に裏付ける証拠はないことから、前記4(4)シ、5(1)①において指摘したのと同様の疑問点が指摘でき、事実認定において重視することはできないものと考える。
(2) 本件火災の発生を前提とした行動
この点については、①被告人Aは、平成6年10月ころ、テレビや茶箪笥、テーブル、置物など比較的高価な家財を函館市u所在のWの事務所兼自宅に預けたこと、これについて、被告人Aは、周囲の人間には、様々な理由を述べて本件建物に家財を置いておくことができない旨を説明していたこと、また、同じころ、δが離婚する予定だったので、同人に対し、家財を合計代金30万円で買わないかという話を持ち掛けていたこと、古物商に対し、置物等の骨董品を6万円で売却したこと、②Yが、本件火災の二、三週間前ころ、被告人Aから、「何かあったら処分してほしい。」と言われ、最後のページに走り書きで本件建物を失ってしまう趣旨のことが書かれていた日記帳を預かり、本件火災の後にこれを捨てたこと、同じくYが、日記帳を預かった二、三日後の夕方に、透明なファイルに入った借用書の束とおぼしきものを被告人Aから預けられそうになったが、これを断ったこと、また、本件火災前に、Pが、被告人Aの指示を受けて、借用書等を家に持ち帰り保管していたこと、③平成6年10月ころ、本件建物2階に住んでいたζが、被告人Aから、家を建て直して息子と住むので出て行ってほしいなどと言われ、Pが探してきた家に引っ越したことが挙げられる。
まず、被告人Aが家財をWの事務所兼自宅に預けていたことについては、その後、実際に本件火災が発生し、更にその後、新築した被告人Aの自宅にこれらの家財が戻されていることからすると、本件放火に備えて家財がり災しないように被告人Aが避難させたのではないかとの推測が成り立つ。さらに、この点について、当時、周囲の人間は、家財が本件建物からWの事務所兼自宅に移されたことを知って、本件建物の建て直しや修理などのためにそのようにしたのではないかと考えたり、あるいは被告人Aを含む関係者からそのように聞かされたりしていた状況が認められる。そして、被告人Aは、この点について、逮捕当初の平成13年9月20日付け警察官調書(乙4)では、Wが振り出した1000万円の手形が被告人A経由でSの元に渡っていたので、この手形が取立てに回されるとWに迷惑をかけることから家財を渡してやったと述べていたところ、平成13年10月9日付け検察官調書(乙8)においては、Sから借金の返済のため本件土地建物を明け渡すよう言われていたから引っ越し準備のため家財をWに預けたと述べており、捜査段階においても既に供述に変遷が見られる上、公判においては、「Wに手形が回って迷惑を掛けるので、少しでも金にして足しにしてもらおうと思って、売れやすい見映えのいいものを預けた。」と述べるなど、被告人Aの供述は大きく変遷しており、その場しのぎの供述をしているのではないかという疑いが極めて大きい。さらに、被告人Aは、家財をWに預ける時点において、その理由を周囲に隠していたのであるが、この点について、被告人Aは、自分の借財に関わってくることであるから、そのようなことをあえて関係のない周囲の人に言う必要はないと供述しており、その主張も理解できないわけではないものの、必ずしも具体性のない虚偽の理由を周囲の人間に説明する必要がなぜあったのか疑問である。加えて、被告人AがWに預けた家財については、被告人A自身、これを転売してもWに請求が行くであろう手形金額1000万円には到底足りないようなものであることを自認しており、そのような家財をあえてWの家に運び込む理由が判然としない。このように、家財をWに預けた理由についてのA供述は信用することができないといわざるを得ない。以上からすると、被告人Aが家財の一部をWの事務所兼自宅に預けたことについては、被告人Aから合理的な説明がされているとはいえない。また、δへの家財の売却の話や骨董品等の売却の事実についても、この時期にこれらのことを行った合理的説明が、A供述によってはなされていないというべきである。
さらに、Yが、本件火災前に、被告人Aから日記帳を預かった二、三日後の夕方に、透明なファイルに入った借用書の束とおぼしきものを被告人Aから預けられそうになったが、これを断ったこと、Pが、被告人Aの指示を受けて、借用書等を家に持ち帰り保管していたことについては、本件火災の発生を前提に考えれば、借用書等の重要な書類を本件建物内に置いておくことができない事情が当時あったことを指し示しているといえる。この点について、被告人Aは、公判において、Sとの交渉の中で、債権の共同回収の話が出たが、乗り気ではなかったので、事務所に置いておくと、S側から見せてくれと言われて断ることができないので、息子であるDと事務員のPのどちらに預かってもらうか考えた上、Pに預けた旨供述している。しかし、前記2(5)記載のとおり、被告人AとSとの貸借の経緯については判然とせず、事実を確定し難いが、上記のとおり、被告人Aが本件火災前にWに家財の一部を預け、δに家財の一部売却を持ち掛け、古物商に骨董品等を売却した事実と、Yに借用書類とおぼしき物を預けようとし、結局は、借用書類をPに預けた事実とを併せて考えてみると、被告人Aが本件火災に備えて、家財や重要書類を避難させ、又は一部処分を図ったのではないかとの疑いが強まり、しかも、被告人Aは、これらのことを行った合理的理由を十分に説明できていないのである。
そして、被告人Aが、平成6年10月にζを本件建物2階から退去させたことも、当時の被告人Aには、本件建物内に人が居住していては困る事情があったのではないかということをうかがわせる事情である。ζは、平成6年5月ころ、それまで居住していた被告人A所有の他のアパートを被告人Aが処分するということから本件建物2階に転居してきたものであり、本件建物に長期にわたって居住する約束ではなかったものの、ζは、しばらくの間は本件建物に住むことができるつもりでいたところ、入居から半年も経たないうちに、被告人Aは、突然、平成6年10月になってζを本件建物から退去させたのであるから、この当時、被告人Aにとって、本件建物の使用、処分に関して新たな事情が発生したと考えるのが相当である。この点について、被告人Aは、Sに本件建物を引き渡す話が進んでいたからζを引っ越しさせたとの説明をしているが、前記2(5)記載のとおり、Sと被告人Aの間の貸借関係については判然としない上、被告人Aは、ζに対し、本件建物から退去してもらう理由として、家を取り壊して息子と2人で住むと説明したと供述しているというのであり、以上の事情からすると、ζを早急に本件建物から退去させた理由についても、被告人Aは、合理的な説明をしていないのである。
結局、ここで指摘されている事実は、いずれも本件火災前に、被告人Aにおいて、本件建物に置いてあった物、居住していた人間について、何らかの理由から本件建物外へこれを移動させている事実であり、しかる後、本件火災が発生していることからすると、被告人Aが、本件火災を発生させることを前提とした行動ではないかとの疑いを強く生じさせる事情であるといえるが、これに対し、被告人Aはその疑いを払拭する合理的な説明ができていない状況にあるといえるのである。
(3) 本件火災の発生に至るまでの被告人Aの行動
この点については、①被告人Aは、平成6年11月8日の昼ころ、急に腹部等の痛みを訴え、Yが手配した救急車でO病院に午後1時ころ到着して入院したこと、②Yが、被告人Aから、O病院入院の際に、w温泉に電話を掛けるよう依頼され、w温泉に電話をしたところ、Yとしては被告人Bに似た声の持ち主だと感じられた者が応対したこと、また、本件火災前に被告人Aの指示を受けて、Pが電話番号を調べてw温泉に電話をかけたこと、③Pが、被告人Aが入院した後、その指示に従って、本件建物の事務所内の金庫に入っていた現金150万円をDに渡すとともに、被告人Aが入院した翌日の平成13年11月9日、Pが被告人Aの指示を受けて、鍵がきちんと掛けられる状態であった金庫の鍵を、あえて金庫に付けたままにして帰ったことが挙げられる。
まず、被告人Aの入院については、本件火災の直前に入院をしているという事実は、本件火災の発生を前提として本件建物から離れ、アリバイと身の安全を確保したということを疑わせる事実であるといえるが、前記4(4)ク記載のとおり、被告人Aの入院が詐病によるものとまでは認定できないことからすると、この事実のみから被告人Aが本件放火に関与したことを推認することは困難である。しかし、被告人Aは、当時毎日のように朝から酒を飲み、睡眠薬等を服用するような生活を送っていたのであるから、体調の不良を訴えても何ら不思議のない状態であり、被告人Aとしても、この点を利用して、何らかの手段で意図的に実際に自ら体調を悪化させて入院をし、その間に、何者かに本件放火を実行させるということもあり得ないことではないと考えられ、前記(1)記載のとおり、被告人Aが、δに痛みを訴えて倒れるということを予告し、そのとおりの症状で、しかも、δの面前で腹痛を訴えて入院していることからすると、この入院は、その症状が詐病であるかどうかという点が確定できないとしても、被告人Aとしては、不慮のものではなく、自ら計算してのものであった可能性が高いといえる。
また、被告人Aが、遅くとも本件火災前にPに対し、また、入院時にYに対し、w温泉に電話をするよう依頼した点については、被告人Aは、w温泉という名前自体に全く記憶がないし、PやYに電話するよう依頼したことはない旨供述しているが、Y、θ、Pと3人もの供述が合致していることからすると上記事実の存在は動かし難い。そして、被告人Aの供述状況からすると、被告人Aは、この点について、あえて虚偽の弁解をしていると考えざるを得ないのであり、上記事実は、被告人Aにとって表に出したくない事情に関係することである可能性が高いことや、本件放火の直前であるというタイミングの良さなどの事情を考えると、検察官の主張するように、w温泉への電話が放火の実行犯への合図等本件放火と何らかのつながりがある事実であるとも考えられる。他方、被告人Bの弁護人が指摘するように、放火という重大犯罪の実行の連絡が、Yの供述に基づけば、病院のロビーという開放的な空間で複数の人間が周囲にいる状態で、しかも、情を知らないと考えられるYを介して行われるという不確実な方法でなされるというのは考え難い面もあり、真にこれが本件放火の実行を指示する行為であったのかについては、疑問がないわけではない。
さらに、被告人Aの指示により、Pが、現金150万円をDに預けた点については、被告人Aが入院し、本件建物が無人になってしまうこと、金庫の鍵も付けたままになることからして、安全のために預けることとしたとも考えられるのであるが、これまで検討してきた事実と併せ考えれば、本件放火を前提として現金を本件建物外に持ち出すよう指示したという推論も十分成り立ち得る。また、被告人Aが、Pに対し、本件火災の前日、わざわざ金庫の鍵を付けたままにして帰るよう指示した点については、これまで検討したとおり、この金庫の錠を掛けることができたと認められることからすると全く不可解であるというほかなく、本件放火後の本件建物内の状況からすると、あえて金庫の鍵を付けたままにして、放火犯人が室内を物色した状況を作り出し、部外者の犯行に見せかけようとしたと考えるのが自然である。
(4) 本件火災後の被告人Aの行動
関係証拠(甲37ないし40、45等)によれば、被告人Aは、Cに対し、相当に過大な金額の損害申告をしていることが認められ、殊更に高額の保険金を取得しようとした状況がうかがえる。これについては、被告人Aは、公判において、共済の担当者から説明されたとおりに記載しただけであると反論するが、前掲証拠によれば、明らかに過大な損害申告が意図的になされているとしか考えられず、被告人Aが保険金の取得を強く指向していたことを示しているといえる。けれども、本件放火が被告人Aの関与によるものでなかったとしても、自ら損害をてん補するとともに、これを奇貨として大きな利益を得ようと考えて、過大な損害申告をすることは十分あり得ることからすると、この事実のみから、本件放火と被告人Aとを結びつけることにはちゅうちょせざるを得ない。
(5) 総合検討
以上を踏まえて総合的に検討してみると、まず、被告人AがYに対し放火の依頼とおぼしき発言をし、その際、既に他の者に放火の依頼をしている旨話したことは、被告人Aが本件放火を何者かに依頼したことを非常に強く疑わせる事実である。また、本件放火の1か月ほど前から、本件建物内の家財のうちの一部の高価な物が、Wの事務所兼自宅に運び込まれ、いわば避難させられていたこと、他にも家財の一部をδに処分しようとし、骨董品等を古物商に処分したりして、本件建物内の家財を整理しつつあったこと、借用書等をPに預けるなどしたことは、上記の被告人AのYに対する発言内容を併せ考えると、被告人Aが、本件建物が火災に遭うことを前提として、これらのものを本件建物から移動させ、又は処分したと評価するのが自然である。したがって、これら家財の移動などの事実は、本件建物への放火計画の実行への準備としてこれをとらえると、非常に納得がいく事実である。そして、被告人Aが、δに対し、痛みを訴えて倒れることを予告し、実際に平成6年11月8日に痛みを訴えて倒れ、救急車でO病院に搬送され、入院したこと、その後、同月10日に本件火災が発生したことからすると、被告人Aの入院は余りにタイミングが良く、この入院事実には被告人Aの意図的なものが感じられる。また、Pに対し、本件建物の事務所内の金庫の鍵を付けたままにして帰っていいと指示したことは、極めて不自然な指示であるところ、関係証拠(甲4、A供述等)によれば、本件火災後、本件建物内に物色された痕跡が残されているにもかかわらず、特に盗まれた物がないことなどからすると、放火犯人は、当初から放火が主たる目的であり、物色の痕跡はカモフラージュではないかとの疑いがあるのであるが、金庫の鍵を付けたままにしておけば、金庫に対する物色の痕跡となって、そのカモフラージュを強めることになるのであり、これら事実からすると、被告人Aが本件建物への放火があることを事前に知り、しかも、その放火犯人が窃盗犯を装うという犯行の手口も理解していたとも推測することができるのである。
これらの事実のうち、Yに対して放火の依頼をしたことや既に何者かに放火の依頼をした旨を話した事実以外の事実は、被告人Aが本件建物への放火を目論んだことを直接に指し示す事実とまではいえないものではある。しかし、これまでに認定した諸事実は、いずれも、被告人Aが何者かに本件建物への放火を依頼し、これを実行させたものと考えると納得ができるという状況にある。そして、被告人Aは、これらの事実について、種々の説明をしているところであるが、すでに検討したとおり、被告人Aの説明は合理性がなく、信用性が乏しいといわざるを得ない。
他方、被告人Aが本件に関わる火災保険等に加入した時期、動機についてみると、Cの火災共済については、昭和54年ころから継続加入しているものであり、またF火災の火災保険についても、平成4年にL信用金庫k支店から借入をするに際して、担保設定のために加入したものであることが認められ、その加入時期や加入動機に鑑みると、火災保険等への加入は本件放火を前提としたものであったと考えることはできず、その意味では、この事実は被告人Aと本件放火とのつながりを否定する方向にも働き得る事実である。しかしながら、従前は本来の目的で火災保険等に加入していたものが、既加入の保険等を利用し、放火による保険金詐取を目論むことは十分に考えられることであり、火災保険等への加入時期が早かったからなどといって、保険金目的の放火の疑いが晴れるものではないというべきである。また、関係証拠(甲2等)によれば、本件火災当時、被告人A方には、いまだ相当数の家財が残されており、その中には高価と思われる家財も含まれていたことがうかがわれるところ、この事実も、一見本件放火と被告人Aとの結び付きを否定する事情にも見える。しかしながら、被告人Aとしては、Sへの返済に回すための現金を欲していたと考えられるのであり、これを得る手段として放火による保険金詐取を目論むのであれば、当然、家財をも焼損して損害を演出しなければならず、1000万円という共済価額に見合った家財を本件建物に残しておく必要があったといえ、前記の事実をもって被告人Aと本件放火との結び付きを否定することはできない。それから、被告人Aは、自らが深く信仰している龍神の飾り物を本件火災によって焼失した旨を供述しており、このような個人にとって大切な品物を火災前に運び出さずに焼損してしまったこと自体、被告人Aと本件放火との結び付きを否定する事情にも見えないわけではない。しかし、仮に被告人Aが本件放火を目論んでいた場合、そのような信仰の対象を本件建物から持ち出していれば、真っ先に放火の嫌疑をかけられることは明らかであるから、あえてこれを持ち出さないという可能性も十分あり得るのであり、被告人Aの供述によっても、その龍神に対する信仰は、日頃祭っている龍神の形をした物体ではなく、龍神そのものに対する観念的なものであって、龍神の飾り物が失われることが被告人Aにとって極めて不利益であるとか痛恨事であるとかまではいい難く、被告人Aと本件放火との結び付きを否定する事情とまではいえない。
また、被告人Aの弁護人は、被告人AにはSに対する借金を返済する資金を調達する能力があったことを主張し、その根拠として平成6年11月ころに1000万円を調達してSに支払うことができており、また平成7年3月には本件土地の一部を売却してL信用金庫k支店に対する債務を一部弁済していることを挙げている。しかしながら、本件火災当時、被告人AがSに対して負っている借金の合計額は約2300万円に達しており、被告人Aが1000万円を返済することで清算させてほしいと申し入れたのに対し、Sはこれを拒絶したことはこれまで認定したとおりであって、仮に1000万円を調達できたところで、Sとの間の貸借関係は清算することができないのである。また、本件土地の一部売却は、正に本件建物が本件火災により焼失したことで容易に実行することができたのであり、もし本件火災がなければ、被告人Aとしては、引っ越し先を確保した上で自らの費用で本件建物を取り壊し、本件土地の一部を売却することとなったのであるから、被告人Aは、更に多くの負担をしなければならない状態だったのである。したがって、被告人Aの弁護人の主張はいずれも採用し難い。
(6) 被告人Aの弁解について
本件において、被告人Aは本件放火への関与を完全に否定し、捜査公判においてるる供述している。被告人Aの供述中には、これまで検討してきたとおり、客観的証拠に合致し信用できる部分もあるものの、多くの点において、客観的に認定できる事実に反している部分が見受けられ、また、本件火災から間もない時点である平成7年1月ないし2月に録取された警察官調書(乙1)と、逮捕後公判までの供述の間に少なからぬ相違点が見られるなど、その場その場で都合の良いように供述を変えている態度が強く見受けられる。これは、被告人Aが現に刑事責任を問われ得る立場にいることから、たとえその真実が本件に関連がなくとも、疑いを抱かせるような情報を言いたくないと考えて虚偽の供述をしたか、あるいは被告人Aの性格によるものにすぎないという可能性も考えられなくもない。しかし、それらの事情を考慮したとしても、その供述態度は、ごまかしや客観的事実に反する強弁が目立ち、真摯に真実を述べようとする態度とは到底考えられないのである。
すなわち、被告人Aは、本件火災から間もない平成7年1月ないし2月に録取された警察官調書(乙1)においては、本件火災の原因について漏電についてのみ言及しており、公判においても、当時は不審火であったと話が出たことしか記憶がないと述べているが、平成13年10月9日付検察官調書(乙8)においては、本件建物内に灯油が撒かれていたことは、平成6年11月当時から刑事に聞いて知っていた旨の供述がある。また、被告人Aは、前記警察官調書(乙1)においては、本件火災後、被告人Aが現場に行っていないことを前提とする供述がされているのであるが、公判においては、本件火災当日に外出して火災現場に赴いたことを認めており、関係証拠(甲184等)からすると、被告人Aが本件火災後に火災現場に実際に赴いたと考えるのが合理的である。そうだとすると、被告人Aは、記憶がまだ鮮明な平成7年1月時点で、あえて虚偽の供述をしたと考えられるのである。また、被告人Aは、w温泉には全く記憶がなく、縁もない旨を供述しているが、前記検討のとおり、Y、P、θらが一致してw温泉への連絡の事実を証言していることからして、Yらが被告人Aの指示に基づいてw温泉への連絡を取った事実は認められるのであり、この点について被告人Aはあえて虚偽の事実を述べているとしか考えられない。
また、被告人Aは、暴力団員との交際について、捜査公判において、暴力団員との交際があること、貸借関係があることは認めるものの、取立てを頼んだりしたことはないこと、暴力団員への貸付けは、せいぜい客の中の1割程度であると供述している。しかし、暴力団員が客のうちどれだけを占めているかは必ずしも客観的な証拠に基づいているわけではないから、その供述の当否を問うことはできないとしても、関係証拠(Y証言、甲170、171等)によれば、被告人Aは、暴力団員の名刺を多数所持しており、また、暴力団組織である2代目κの構成員一覧表を持っていることが認められることからすると、暴力団組織と非常に密接なつながりを有しているといわざるを得ない。被告人Aは、公判で、λ組組長の所に行ったときにたまたま紹介されて名刺をもらったりしただけであるなどと供述するが、そもそも一般人はそのような機会に遭遇すること自体が少ないと考えられ、さらに、その際に、このようなものを入手することはほとんど考えられないのであり、そのようないい加減な供述をすること自体、暴力団との関係の深さを物語っている。また、Tの経営者であるUの警察官調書(甲102)や被告人Bの平成13年9月20日付け警察官調書(乙13)によれば、明らかに暴力団風の男たちが被告人Aが債権回収や交渉に乗り込む場面に同席し、脅迫的言動を行っていることが認められる。被告人Aも自認する暴力団関係者との交際の存在や、暴力団員の名刺、暴力団構成表を所持していることからしても、取立てに暴力団員を利用していたことは十分に認められ、これを否定する被告人Aの供述は信用できない。
6 小括
以上の検討によれば、被告人Aには、Sからの借金の返済に関する追い込みを受けており、早急に借金返済の原資を必要としていたこと、本件火災により多大な利益を得たことからして本件放火を実行する動機となり得る事情が認められること、被告人AがYに対し他の者に放火の依頼をした旨話し、更にY自身にも放火の依頼とおぼしき発言をしたこと、本件放火の1か月ほど前から、本件建物内の家財のうちの一部の物が、Wの事務所兼自宅に運び込まれたり、家財の一部が古物商に処分されるなどしていたこと、借用書等がPに預けられていたこと、被告人Aが、δに対し、痛みを訴えて倒れることを予告し、実際に平成6年11月8日に痛みを訴えて倒れ、救急車でO病院に搬送され、入院したこと、その後、同月10日に本件火災が発生したこと、Pに対し、金庫の鍵を付けたままにして帰ってよい旨指示したことなど、本件放火を前提としなければ説明が困難な事実が多数存することが認められるのであり、このことからすると、被告人Aが本件放火の首謀者として、何者かに依頼して本件建物に放火させたということが強く推認されるといわなければならない。
これに対し、被告人Aが本件に関わる火災保険等に加入したのは本件放火よりも2年以上前のことであり、本件火災を前提として加入したものとは認められないこと、本件火災当時、被告人A方には、いまだ相当数の家財が残されており、その中には高価と思われる家財も含まれていたことなどの一見被告人Aと本件放火との結び付きを否定する方向に働く事実も存在するが、これらの事実については、その意味や前記の各事実による推認の強さとの関連を検討すると、その存在が前記推認を覆すほどのものとはいえない。また、被告人Aは本件放火への関与を完全に否定し、捜査公判においてるる弁解しているが、その弁解は信用できず、そのような虚偽の弁解をしていること自体、被告人Aが本件放火へ関与していることをうかがわせる一事情ともいえ、結局、被告人Aと本件放火との関わりを否定する事情にはなり得ない。
第3 被告人Bの本件への関与について
1 これまで検討したとおりの認定事実からすると、実行犯についての検討をする以前においても、被告人Aが本件放火を何者かに依頼して実行させた可能性が非常に高いと認められる。ところで、本件放火について、検察官は、起訴状記載の公訴事実においては、実行行為者を特定せず、被告人両名が共謀の上、放火を実行した旨を記載し、第1回公判における冒頭陳述や第12回公判における当裁判所の求釈明に対する平成14年12月5日付け釈明書においては、本件放火の実行行為者が被告人Bであると明確に主張している。もとより共同正犯の訴因において実行行為者が誰であるかが明示されていなくとも、それだけで直ちに訴因の記載として特定に欠けるものとはいえないが、実行行為者が誰であるかは、被告人の防御にとって重要な事項であるから、当該訴因の成否について争いがある場合等においては、訴因においてこれが明示されていなくとも、審理の経過に照らして検察官が特定の実行行為者を主張している場合には、訴因変更手続を経ることなく、判決において、検察官が主張する特定の者以外の者を実行行為者と認定して、その者との共謀によるものとして被告人を有罪とするのは、当該被告人の防御権の観点から許されないものといわなければならない。したがって、本件において、被告人Bが実行犯であると認定できない場合には、被告人Aの本件放火への関与を示す事実が多数存在しようとも、同人について放火の共謀共同正犯であるとの認定をすることはできない。
すなわち、被告人Bが本件放火に関与していることが証拠上認められるかどうかは、被告人B自身の犯罪の成否のみに関するだけでなく、被告人Aの犯罪の成否にも大きく関わるものである。
以下、被告人Bの本件への関与について、検討することとする。
2 実行犯が満たすべき条件について
まず、本件放火の実行犯が満たすべき前提要件としては、①動機、②被告人Aとの謀議の可能性、③本件現場への臨場可能性等が挙げられる。そして、これらを検討するに当たっては、検察官において首謀者として主張している被告人Aと、実行犯とされる被告人Bとの人的関係が問題となる。そこで、まず、被告人Aと同Bの本件放火前後にわたる交友関係について検討する。
3 具体的検討
(1) 被告人Bの生活状況及び被告人Aとの関係について
ア 関係証拠(W証言、A供述、B供述、乙3、14ないし21、23、25、弁24、25等)によれば、被告人Bについて、次の各事実が認められる。
すなわち、被告人Bは、北海道y市出身で、高校中退後、北海道内を転々としながら稼働し、同郷出身のμと交友を持ち、右翼団体の幹部であるμの実兄のιの誘いで右翼団体であるυに加入していたこと、平成2年ころ、知人の借金問題から被告人Aと知り合い、被告人Aに対し300万円の保証債務を負うこととなり、そのころ、函館市z町内のアパートに住むようになったこと、その後、Ψ町のζの手形を被告人Aに割引してもらうようになり、その後、μやζの社長が自ら被告人Aの元に手形を持ち込むようになったが、ζは倒産し、被告人Aが手形の割引に関連して損害を被ったこと、平成5年3月ころにWを介していわゆる「ふかし」の住宅ローン、すなわちオーバーローンを組んだこと、また、個人的に少額の借入れを被告人Aからしており、少なくとも、平成6年11月ころには残額が約100万円となっていたこと、その後、平成7年2月か3月ころ、被告人AがTへの貸付けの回収の件でιと面談することとなり、札幌αホテルで被告人A、W、ιと面談したこと、その後、遅くとも平成10年ころには函館に居住し、訪問販売の仕事をするなどして生活していたこと、その後、平成12年2月ころ、交際相手のοと2人で、被告人Aが所有する函館市d町所在の貸店舗を借りてリサイクルショップを始めたが、経営はうまくいかず、平成13年2月ころ閉店したこと、また、そのころ、被告人Aが、税金対策のため、被告人B名義の銀行口座を借り、貸金の客からの返済を同口座を通じて取り立てるなどしていたこと、以上の事実が認められる。
イ 他方、本件火災当時の被告人Bの生活状況は必ずしも明らかではない。
この点についての、被告人Bの供述は、捜査公判を通じて変遷を重ねている。すなわち、被告人Bは、平成13年9月20日付け警察官調書(乙13)においては、「平成5年ころに札幌に行き、右翼活動とιの経営するπの仕事を手伝い、北海道檜山郡Ψ町内の現場に行くなどし、Ψ町内のζの役員になっていたμから同社の手形の割引を依頼され、被告人Aのところで手形を割っていたが、そのうちにμや社長が自ら持っていくようになり、その後ζは倒産してしまった。そのころ(平成5年ないし6年ころ)、頼まれれば被告人Aの運転手などもやっており、Wを紹介されて、いわゆるふかしをやった。その後、ιから呼び戻されて、平成7年ころからは、右翼の仕事やπの仕事、ιの運転手などをする一方、かにの販売も始めたが、平成8年にはπもかにの仕事もつぶれ、平成8年8月ころには古タイヤの商売を始めたが、当時も被告人Aと連絡は取っていた。」旨供述しており、平成13年9月20日付け警察官調書(乙14)では、「平成6年ころは、πの仕事でΨ町のζに来ていて、手形割引の件などで被告人Aのところに出入りしていた。」旨、同月23日付け警察官調書(乙16)では、「平成4年ころ、被告人Aを介してWと知り合い、いわゆるふかしを行い、その後、μがζの専務であったことから、平成5年の春先ころから1年ほど仕事を手伝い、これが倒産した後は、札幌でιの世話になっていた。」旨、同年10月9日付け検察官調書(乙19)では、「平成6年11月9日から10日の時期は、札幌のπの手伝いをしていたので、函館にはいない。」旨、同月29日付け警察官調書(乙17)では、「被告人Aのところには、平成4年ころから出入りしており、平成4年ないし5年ころ、頼まれて運転手代わりのようなことをしたり、顔を出したりしていたが、函館を平成6年ころ離れた。」旨、同年12月18日付け検察官調書(乙25)では、「平成4年ころ、μに頼まれてζの手形を被告人Aのところで割り引いており、これが1年くらい続き、その後、μがιのπに入り、自身は、中古タイヤの販売をするようになり、平成6年か7年ころは札幌にいた。」旨をそれぞれ供述しており、さらに、公判では、「被告人Aと頻繁に会っていたのは平成3年ころであり、そのころは週3回くらいは会っており、車の運転をするなどしていた。平成4年ころ、μにΨ町のζの仕事を手伝ってほしいと言われて行くようになり、ζの手形を被告人Aに割引してもらうなどしてもらい、Ψ町と函館市を行き来していたが、家を建ててすぐの平成5年4月前後に札幌に移り、πの雑務やιの運転手をしたり、古タイヤ販売の仕事をするようになり、古タイヤの販売の仕事は、平成5年11月ころから平成10年春先までやり、これによって主として生計を立てていた。ιの地震のときには既に札幌にいた。」旨を供述している。
被告人Bは、本件記録上、平成13年9月19日に逮捕されているが、以上見たとおり、当初は、平成6年の本件火災当時、本件建物への出入りをしていたかのような供述をしていたものの、同年10月9日付け検察官調書(乙19)において、本件火災当時札幌でπの手伝いをしていたので函館には居なかったと明確に供述するようになり、その後は公判に至るまで、その旨の供述を続けている。被告人Bは、逮捕により気が動転していたため逮捕当初は真実と異なる供述をしてしまった旨公判で供述しているが、逮捕直後であればともかく、それから数日もすれば、一応精神的にも落ち着いて当時の状況について思い返すこともできたであろうと考えられることからすると、この供述の変遷についての被告人Bの説明は必ずしも受け容れ難い面がある。また、被告人Bは、公判において、北海道南西沖地震のころには既に札幌にいたと述べ、後述する平成6年11月ころに起こったとされるρの刑事事件の件などを自らの公判供述の裏付けに当たる事実として述べているが、これらの事情は、捜査段階においては一切触れられていない。もちろん、供述調書は捜査官が作成しているものであるから、被告人Bが取調べにおいて供述した内容が全て漏れなく記載されているとは限らないが、供述調書に上記のような時期確定の裏付けとなる事実が記載されていないことからすると、そのような事実は、後でつじつまを合わせるために考え出されたにすぎないとの疑問を禁じ得ない。
σ証言及びA供述は、上記B供述とほぼ一致しており、これを裏付けているかにも思える。しかし、証人σは、その供述によれば、被告人Bが長年に渡り交友を持っていたιの息子であり、また被告人Bが所属していた右翼団体の幹部でもあることが認められることからすると、同証人が被告人Bに有利な供述をする可能性は否定できないし、A供述は、公判における上記B供述を聞いた後になされており、その内容を一致させるのは容易である。したがって、これらの供述が存在するからといって、被告人Bの供述が直ちに信用できるとはいい難い。
一方で、W、Y、Pら関係者の、この点についての証言も混乱している。すなわち、Wは、公判において、本件火災の直前には余り見かけなくなっていたと供述しているが、W自身が本件建物に頻繁に出入りしていたわけではないことからして、被告人Bの本件建物への出入りの状況について的確な認識、記憶を有しているかどうか多大な疑問があり、信用し難いところがある。また、Yは、公判において、本件放火が近付くに連れて被告人Bが頻繁に本件建物に出入りするようになったと証言しているが、その供述の経過をみると、その頻度などについての記憶は混乱している可能性があり、この供述のみをもって被告人Bの当時の行動を認定することにはちゅうちょせざるを得ない。さらに、Pは、公判においては、当時被告人Bが本件建物に出入りをしていたかどうか記憶がないとしながら、出入りしていなかったと思う旨証言しているが、捜査段階では、本件火災になる少し前ころから被告人Bが次第に姿を見せなくなったと供述しているところ、公判証言はあいまいであって信用性が乏しい一方、捜査段階の供述についても、次第に姿を見せなくなったという事実が、どの時点とどの時点を比較して供述したものなのか定かではなく、信頼するに足りるだけの供述とはいえない。してみると、関係者の証言等から、本件当時、被告人Bが本件建物に出入りするなどしていたかどうかを認定することは難しいといわざるを得ず、検察官が主張するように函館にその生活の拠点を置いていたと断ずることはできず、被告人Bが供述するように、札幌にその生活の拠点を置いていた可能性も否定できない。
(2) 動機について
前記(1)記載のとおり、本件火災の前後ころ、被告人Bがどこに生活の本拠を置き、どのような手段で生計を立てていたのかについては確たる証拠がなく明らかではない。しかしながら、被告人Bの捜査公判における供述(乙13、B供述)によっても、被告人Bは、本件火災当時、札幌で古タイヤ販売を主たる仕事としていたこと、被告人Aに対し、300万円の保証債務と100万円程度の債務を負っていたこと、古タイヤの販売については月200万円もの売上を上げた時期もあり、150万円ほどの貯金もできたがιに貸してしまったということが述べられているところ、実際の利益がどれほどだったかについてはこれを裏付ける証拠はなく、これらの供述を前提としても経済的に余裕があったとまではいい難い。また、当時の生活状況について確たる証拠がないということは、当時被告人Bが安定した正業についていなかったことを推測させるものであり、少なくとも、本件火災当時、被告人Bが金銭的に安定した生活をしていたことを示す証拠はない。してみると、被告人Bには、本件火災当時、利欲的動機から報酬のある仕事の誘いがあった場合、これを受けた可能性はあり得るといえ、被告人AがYに対し、報酬を暗示しつつ本件放火の実行を依頼しようとした事実を前提とすると、仮に被告人Aが報酬を示して被告人Bに本件放火の実行を依頼したとすれば、利欲的動機から同人はこれを受けた可能性はないとはいえない。
さらに、前記(1)で認定したとおり、被告人Bは、本件火災前には本件建物に出入りしていた時期があったこと、被告人Aは、ζの倒産に伴い、被告人Bの供述によれば1000万円程度の損害を被ったとされるところ、被告人Aがζ関係の手形を割り引くようになったのは被告人Bが初めにこれを持ち込んだことに端を発しており、被告人Bとしては、被告人Aに対し、損失を被らせた過去があることからすると、被告人Aからの依頼を断り難い状況にあったといえ、放火のような犯罪行為であっても引き受ける可能性もなかったとはいえない。
しかし他方で、これまで検討した事実によっても、被告人Bが本件放火の実行を引き受けなければならないような事情があったとまではいうことが困難である。すなわち、被告人Bが経済的に極めて困窮しており犯罪に手を染めてでも金員を必要としていたとか、被告人Aの意のままに行動していたとかいった事情は見受けられないのである。したがって、動機の面については、被告人Bと本件放火とを強く結びつけるだけの事情は見当たらないといわざるを得ない。
また、被告人Bが被告人Aから報酬とおぼしき金員等の利得を得たことを認めるに足りる証拠は全く見当たらない。また、被告人Aは、本件火災により現実に火災保険金を取得しているから、被告人Bに対し、本件放火の報酬を支払うことは可能であったと考えられるのであるが、証拠上そのような金員等の授受の形跡を認めることはできない。
(3) 本件放火についての謀議について
被告人Bが、仮に本件放火の実行犯であるならば、本件は保険金詐取を目的とする放火であるから、ある程度周到な計画の立案が必要であると考えられ、事前に電話や面談によって被告人Aと謀議を遂げたであろうと推測される。ところが、この点について、本件火災前に被告人両名が謀議とおぼしき行動を取ったことを証拠上認めることはできない。前記(1)記載のとおり、被告人Bが本件火災当時にどのような生活状況であったのかについても、そもそも証拠上判然としないといわざるを得ないのであるが、さらに、本件火災に間近い時期に被告人Bが被告人Aと連絡を取っていた事実すらも証拠上は明らかではない。Yは、本件火災直前に被告人Bが本件建物を頻繁に訪れていた旨を供述しているが、この供述を直ちに信用することができないのは、これまで検討してきたとおりである。
(4) 本件放火の実行可能性について
被告人Bが本件放火の実行犯であるとすれば、函館市内またはその周辺地域に居住していた方が、そうでない場合に比べ、本件犯行を実行しやすいことは否定できない。しかし、前記(1)記載のとおり、被告人Bの本件放火当時の生活状況は証拠上明らかではなく、かつ、本件火災当時、被告人Bが本件建物周辺に出入りしていたか、あるいはその可能性があったのかについても証拠上は明らかではない。
なお、被告人Bの供述に基づいて検討すると、被告人Bは、捜査段階では、札幌のπの手伝いをしていたので函館にはいなかった旨供述していたが、公判では、平成6年11月2日にνの構成員であるρが逮捕されたことから、連絡係になって色々情報を調べたり、病気で対応ができないιに連絡したりしていたので、札幌を一両日離れることはできず、また、μと連絡を取って、同月8日から12日ころまでの間、毎日のように、札幌周辺の24時間温泉等で待ち合わせをしていた旨供述している。ρの件については、σ証言の中にも平成6年11月2日にρが逮捕された旨の供述があり、その時期にそのような事実があったことは認められるが、他方、被告人Bが供述するような、被告人Bがその件で忙殺されていたかについては他にこれを裏付けるものもなく、にわかに信用し難い。また、そのような事情があったとしても、札幌から函館にやって来て、本件放火を実行し、すぐに札幌に帰るということは物理的に不可能ではない。しかしながら、その一方で、本件証拠中に被告人Bの上記供述を覆すべきものが全く見当たらないのも事実である。また、後に検討するとおり、仮に被告人Aの指示によってYがw温泉に掛けた電話が被告人Bに対する本件放火の実行の合図であったとすると、被告人Bはその時点で既にw温泉に待機していなければならないことになり、ここから本件放火を敢行し、居住地に戻ったとすれば、少なくとも二、三日の間は本件のために時間を拘束されていることになり、被告人Bがそれだけの時間を本件犯行のために割くことができる状態であったのか、大きな疑問が残るところである。
(5) 被告人Bと本件放火を結びつける他の事実
ア Yがw温泉にかけた電話について
前記第2の4(4)ケ記載のとおり、被告人Aが入院した際に、その指示を受けてYがw温泉に電話をしたところ、相手の声が被告人Bに似ていたとYが感じた事実が認められる。この点について、被告人Bは、捜査公判を通じて、平成6年ころにw温泉に仕事の関係で宿泊したことはあるが、Yから電話を受けたことはない旨供述している。そして、この点については、既に検討したとおり、Yが、電話口において、被告人Bの声を明確に識別するだけの能力、経験があったかどうかについては疑問が残るといわざるを得ないから、この事実のみからw温泉にYが掛けた電話に出た者が被告人Bであったと認定することはできない。また、前記第2の5(3)記載のとおり、w温泉への電話が放火の実行犯への合図であった疑いがある一方で、被告人AからYへ電話の依頼をした時の状況や、Yを通しての伝達の不確実性等を考慮すると、この電話が放火の実行犯への合図であったと断定することはできない。
イ 逮捕直前に被告人Aと同Bが連絡を取っていること
本件記録上、被告人Bは平成13年9月19日に、同Aは同月20日に本件により逮捕されているが、関係証拠(甲144等)によれば、被告人両名が逮捕される直前の同月16日午前7時58分から約14分27秒間にわたり、被告人Aが携帯電話で被告人Bに連絡を取っている事実が認められる。この点については、被告人Aは、これは、被告人Bの知人から、「警察が来たので、被告人Bに連絡を取ってその知人の方に電話をかけるよう言ってほしい。」と言われたので電話したものであり、そのとき、函館市@町のアパートで知人が死んだことがあったので、その話題などを話しており、警察から疑われているという件で連絡を取ったわけではない旨供述し、被告人Bも概ね同様の供述をしている。この電話において、被告人Aと同Bがどのような会話をしたのか、客観的証拠からは判然とせず、また、被告人両名の上記各供述についても、これを排斥するだけの証拠がない一方で、これを裏付ける証拠もない。したがって、ここでは、平成13年9月16日午前7時58分から約14分27秒間にわたり、被告人Aが携帯電話で被告人Bに連絡を取っていることが認定できるにとどまり、この事実がいかなる意味を持つかという点については、総合評価に委ねることとする。
ウ それから、W証言中には、被告人Aや被告人B本人から、同人が本件放火を実行した旨の話を聞いた旨の供述があるが、この点が信用できないことについてはこれまで検討したとおりである。
なお、Wには、被告人Aに対する関係ではともかくとしても、被告人Bに対する関係では、殊更に虚偽の供述をしてまで被告人Bを罪に陥れるような理由は見いだし難い。しかし、これまでに検討したとおり、Wは、自己が認識したところの客観的真実に符合するように事実を作出して供述している可能性があるのであり、WとYとの会話等により、Wとしては、被告人Bが本件放火の実行犯であると推定し、被告人Aに本件各犯行の刑事責任を確実に負わせようと考えて供述をしているのではないかとの疑問が拭い切れないのである。このように考えた場合、YがWに対し、w温泉への電話や被告人Aの日記帳の話をするなどした際に、少し間をおいて、Wが「Bよ。」と言った事実も合理的に説明できるし、R証言中の、同証人が勾留中のWに接見した際、Wが、「被告人Aはだめ。」「被告人Bはセーフ。」と述べたとする点も、その際に、Wが把握していた証拠の状況から、Wなりの推測を述べたと考えれば、十分に納得できるからである。
(6) 総合検討
以上を前提に考えると、被告人Bは、遅くとも平成3年ころまでには被告人Aと面識を持ち、同人の元に関係会社の手形を持ち込んで割引を受けるなどしていたが、この会社が倒産したため被告人Aに損害を被らせたこと、本件火災当時、被告人Bは、被告人Aに対し、保証債務として300万円、個人的な債務として約100万円の債務を負っていたことが認められる。してみると、本件当時、被告人Bとしては、経済的に困窮していたわけではないものの、借金を抱えていたことからして、利欲的動機から犯罪行為に加担する可能性がないとはいえず、また、これまで被告人Aに経済的な損失を被らせていたこと、自身も借財を抱えていることからして、被告人Aに対する負い目から本件放火の依頼を受諾する可能性もないわけではないといえる。しかし、被告人Bが、犯罪行為に踏み切らなければならないような動機を有していたものとは、関係証拠上認めることはできず、動機の面では、被告人Bと本件放火との結び付きは弱いといわざるを得ない。
また、本件火災前に被告人両名が謀議を遂げた上、被告人Bが放火を実行することが可能であったかどうかについては、前記(1)記載のとおり、本件放火当時、被告人Bが生活拠点をどこに置いていたかについては証拠上明らかではないが、札幌に生活の拠点を置いており、本件火災のころは他の事件に忙殺されていたとする被告人Bの供述は、これを完全に排斥することができず、その供述を前提とすれば、被告人Bが本件放火を敢行することが容易であったとはいい難い。逆に、被告人Bでなければ、本件放火を実行することができなかった事情は何ら認められない。
さらに、本件放火の直前に被告人Aの指示でYがw温泉に電話をした際に応対した人物の声が被告人Bに似ていた事実は認められるけれども、この事実から、このYからの電話に出た相手が被告人Bであったという事実を認めることはできないことはすでに検討したとおりである。そもそも、仮に被告人両名が本件放火の犯人であったとしても、前記第2の5(3)記載のとおり、この電話が本件放火に関わるものであるかどうかは明らかではない。被告人Aが入院の際に何らかの理由で緊急に連絡を取りたい本件放火とは無関係の相手がいたとしても何ら不思議はないのである。
また、本件による逮捕直前に、被告人Aと被告人Bが連絡を取り合っている事実は、被告人Aが本件放火の首謀者であると強く推認されることからすると、被告人Bが本件放火に何らかの関わりを持っているのではないかとの疑いを生じさせるものではある。しかし、その会話内容については被告人両名の供述以外には証拠はなく、また、その前後の状況から会話内容を推定することもできない。結局、この事実も、被告人Bが本件放火の実行犯であることを推認させるものではない。
4 小括
検察官が、被告人Bを本件放火の実行犯だと主張する根拠の大きな柱は、一つがWが被告人Aや被告人Bとの会話の中で被告人Bが本件放火の実行犯である旨同人らから聞いたという点、もう一つが、Yがw温泉に本件放火の直前に被告人Aの指示により電話をした際、電話に出た者の声が被告人Bの声に似ていたと感じたという点である。しかしながら、前者についてはそのWの供述自体が信用性に疑いがあり、後者については、そのような事実が被告人Bが本件放火を実行したことを直接裏付けるものではない。そして、これら以外の事実について検討したところ、本件において、被告人Bが本件放火に関わりを有しているのではないかと思わせるいくつかの事実は認めることができるものの、それらは、仮に被告人Bが本件放火の実行犯であると仮定した場合、これを矛盾なく説明することが可能である程度の意味しか有しないものであり、これらの事実が被告人Bと本件放火とを強く結びつけるものではない。すなわち、本件において、被告人Bが本件放火の実行犯であったとしても説明が付く事実は存在するが、被告人Bが本件放火の犯人であると考えなければ説明が付かないという事実は、証拠上認めることはできないのである。換言すれば、被告人Bが本件放火に関与したと認定するには、合理的な疑いを差しはさむ余地が多分にあるといわざるを得ない。
したがって、被告人Bについては、本件放火に関与したとの証明がないといわなければならない。
第4 結論
以上の検討からすると、被告人Aに関しては、本件放火の首謀者として、何者かに放火の実行を依頼したことが強く推認されるところではあるが、本件放火において実行犯として問擬されている被告人Bについては、本件放火との関わりを疑わせる事実はないわけではないものの、実行犯であることを認めるに足りる証拠はないといわざるを得ず、本件放火に関与したとの証明がないことになり、したがって、被告人Bが本件放火に関与したことを前提としている保険金騙取の事実についても、その帰結として犯罪の証明がないことになる。
したがって、被告人Bについて無罪の言渡しをすることはもちろんであるが、前記第3の1で述べたとおり、本件放火の審理においては、訴因としては明示されていないものの、検察官は実行犯が被告人Bであることを審理の経過において明確に主張しており、実行犯が被告人Bであるかどうかという点は被告人Aの防御権の行使にとって重要な事項であることは明らかであるから、訴因変更手続を経ることなく、本件放火に関し、被告人B以外の者を実行犯として、被告人Aにつき、共謀共同正犯の成立を認めることは、被告人Aの防御権を抽象的にも具体的にも侵害しているといわざるを得ず、許されないものというべきである(そもそも、被告人B以外の者が本件放火を実行した可能性があるという前提に立ったとしても、その者がどういう者で被告人Aとどのような関係にあるのか、被告人Aと本件放火についてどのように謀議したのかなどについて、全く立証はなされていない。)。よって、被告人Aが、本件放火の首謀者であると強く推認される状況にはあるが、この点の事実を確定するまでもなく、本件放火の事実に関しては、被告人Bと共謀して放火を実行したという証明がない以上、被告人Aについても無罪の言渡しをせざるを得ないというべきである。
次に、各保険金詐欺の事実に関しては、その実行犯としては被告人Aが想定されていると考えられるから、放火の場合と異なり、被告人Aについてだけでも犯罪事実が証明されれば、被告人Aを単独犯と認定することができるのではないかとの考え方も成り立ち得ないわけではないようにも思われる。しかしながら、本件は、被告人Aが放火を依頼した人物と共謀して保険金詐欺をも敢行した事案としてとらえるべきであるから、本件各詐欺についても、共犯者の存在が前提となっており、被告人Aと本件放火の実行犯との共同正犯として起訴されているものと考えられる。したがって、本件放火を前提とした本件各保険金詐欺についても、訴因変更手続を経ることなく、被告人B以外の者を共犯者としたり、被告人Aの単独犯として詐欺罪の成否を検討することは許されないものというべきであるから、被告人Bにつき詐欺罪の成立が認められない以上、結局、被告人Aについても、本件各保険金詐欺の事実について、無罪の言渡しをすべきである。
よって、本件においては、被告人両名について、いずれも犯罪の証明がないというべきであるから、刑事訴訟法336条により被告人両名に対し無罪の言渡しをする。
(裁判長裁判官・成川洋司、裁判官・髙橋康明、裁判官・野村武範)