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函館地方裁判所 平成7年(わ)170号 判決 1997年1月21日

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数のうち四〇〇日を刑に算入する。

柳刃包丁一丁(平成八年押第四号の1)没収する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、北海道苫小牧市で出生し、一七歳のころいわゆる的屋稼業に入り、一時本州方面に出て正業につくなどした後、函館に来て、昭和五七年ころ、的屋の組織である東京甲野に所属するAの下で一家名乗りの親分となり、函館市内を拠点に的屋稼業をしていた。ところが、昭和六二年ころ、被告人が函館を離れている間に、東京甲野から絶縁、処払いの処分(以下「処分」という。)を受け、昭和六三年から平成元年にかけて、処分を解いてもらおうとして、函館に滞在中、三度にわたって東京甲野の関係者と思われる者に襲撃されたことから、その後は、本州方面において麻雀店で働くなどして暮らしていた。被告人は、平成五年ころ、再び函館に戻ったが、被告人が処分を無視して函館にとどまれば、また命を狙われるものと思い、護身用に刃物を持ち歩いていた。また、被告人は、平成七年九月から、函館市内の建設会社で土木作業員として働いていたが、専務のBから、「被告人に会ったらただではおかないと言っている者がいる。被告人の家に行きドアを蹴飛ばしたら函館から逃げて行った。被告人を誰かが捜している。」とのうわさ話があることを聞かされ、このうわさ話が自分の生命にかかわる重要なものであることや、処分の撤回による名誉回復のための話合いの糸口になればという思いから、うわさ話を流した張本人を知りたがっていた。

他方、被告人は、平成七年六月ころ、函館市梁川町にある貸店舗で麻雀店を経営しようと開店準備を進め、麻雀仲間のC子名義で建物の二階部分を借りたが、資金繰りがつかないまま開店には至らず、賃料を滞納するようになった。そこで、C子が同じ麻雀仲間のDに麻雀店経営の話を持ちかけ、その年の九月ころ、Dがその場所で麻雀店「乙山興産倶楽部」を開店し、営業していた。

被告人は、平成七年一〇月二三日の夜、実兄のEの生活費を工面するため、麻雀店開業のために投資した資金をDから回収しようと考え、あらかじめ電話をかけた後、午後九時二〇分ころ、兄Eの運転する車で「乙山興産倶楽部」に出掛けた。その際、被告人は、護身用に柳刃包丁を新聞紙に包み、ズボンの左腰にはさんで持って行った。

被告人が店内に入ったところ、D、F、G、H子が麻雀をしており、被告人は、Dと言葉を交わしてから、店内に置いてあった自分の荷物をまとめるなどした。被告人は、Fに麻雀で負けた借りが二万円あったことを思い出し、Dから金を借りて返すと言ったが、Fは、横柄な口調で借金の額は四万三〇〇〇円であると言い、さらに、追い打ちをかけるように強い口調で返済を迫った。そこで、被告人とFは、口論となった。

被告人は、Fの挑戦的な態度から、Fこそがうわさ話を流した張本人ではないかと思い付き、Fにそのことも追及したが、Fがあいまいな返答をしたので、うわさ話の出所を知っている人物と聞いていたIに電話をかけて確かめることにし、Iに電話をかけた。しかし、被告人は、Iから金銭問題を持ち出されたので電話を切り、Fに対し、IがやはりFがうわさ話の張本人だと言っているから自分で電話をして確かめてみろと言った。Fは、これに応じて、Iの電話番号を調べて電話をかけたが、つながらず、受話器を置いたところ、Iの方から電話が入った。この電話にはDが出てIと話したが、被告人は、Dから受話器を取り上げると、一方的にFが言ったんだろうと言って、電話を切り、Fに向かって、「ほらお前だ。」と言った。

被告人は、Fに対しては、Fが張本人だと決めつける態度に終始していた。

(犯罪事実)

第一  被告人は、平成七年一〇月二三日午後九時四〇分ころ、函館市《番地略》にある「乙山興産倶楽部」店内において、F(当時四五歳)に刃物を向けて脅せば、Fがうわさ話の真相を話すのではないかと思い、そのためには、場合によってはFに多少の傷を負わせてもよいと考えた。そこで、被告人は、腰に差していた柳刃包丁(刃体の長さ約二一・二センチメートル、平成八年押第四号の1)を取り出し、Fと向かい合った状態で包丁を右手で被告人の肩くらいの高さに持ち、Fの方に向けて、威嚇するように出したり引っ込めたりした。しかし、Fが両手で被告人の包丁を持っている右手につかみかかったので、被告人とFは、もみ合いとなり、被告人が右手に持っていた柳刃包丁がFの左胸部に刺さり、Fに対し、心刺創等の傷害を負わせ、午後一〇時三五分ころ、函館市《番地略》の社会福祉法人北海道丙川協会函館病院において、心刺創による心タンポナーデにより死亡させた。

第二  被告人は、平成七年一〇月二三日午後九時四〇分ころ、函館市《番地略》にある「乙山興産倶楽部」店内において、業務その他正当な理由による場合でないのに、第一の柳刃包丁一丁を携帯した。

(証拠)《略》

(殺人の訴因に対し、傷害致死を認定した理由)

一  関係証拠によれば、以下の事実が認められる。

1 創傷の部位

被害者が身体に受けた創傷は、

<1> 胸部左から心臓に達する創(致命傷)

<2> 胸部左のごく浅い創(深さ七から八ミリメートルの刺創的創傷)

<3> 左上腕外側上方の切創

<4> 左前腕小指側の切創

<5> 左右手指の創

の五つである。

2 凶器

右の五つの創傷は、いずれも本件で押収されている柳刃包丁によるものであり、柳刃包丁の全長は約三四センチメートル、刃体の長さは約二一・二センチメートル、幅は最大部分で約三・一五センチメートルであり、十分に殺傷力が認められる。

3 各創傷に関する客観的状況

(一) <1>の刺創について

(1) 皮膚表面における傷口の状況は、左乳頭の左上約五センチメートルのところから左下に長さ約二・五センチメートルであり、右創端は鈍く、左創端は鋭い。刺入方向は被害者から見て左横から右方向へ、両肩を結んだ線に対して、垂直ではなく、平行に近い向きであり、傾きはやや下方向に向かっている。

(2) 刺創の先端は、体内の軟部組織で止まっており、骨に当たって止まるなどしておらず、突き刺した後に刃物を体内でひねったりした形跡はない。

(3) 解剖時における皮膚から心臓の創までの深さは約一〇から一一センチメートルであったが、解剖時の心臓は血液が抜けてしぼんだような状態になっていて正確な深さは測定困難であり、創の深さを約一〇から一一センチメートルとするのは不正確である。

皮膚表面における傷口の長さが約二・五センチメートルであり、柳刃包丁の切先から八センチメートルの部分の刃幅が約二・五センチメートル、切先から離れるほど刃幅が広くなる形態(甲31)からすれば、むしろ、深さは八センチメートル以下である可能性が高い。

(二) その他の創傷について

<2>の創傷は、深さ約七、八ミリメートルであり、刺創に近いが、必ずしも刺創とは断定できない。

<3>の切創は、<2>と同一機会に生じたとしても矛盾はないが、必ずしも同一の機会に生じるものではない。

<5>の手指の創は防御創と考えられるが、次に述べるような包丁の取り合いの状況からすれば、包丁を握った被告人の手を被害者がつかんだ際にできた傷だとみるのが最も自然である。

4 加害前後の状況

被告人は、電話の後、柳刃包丁を取り出し、被害者と向かい合った状態で、包丁を右手で肩くらいの高さに順手で持ち、威嚇するように、出したり引っ込めたりした。

これに対して、被害者は被告人に飛びかかるようにして、柳刃包丁を持つ被告人の右手首付近に両手でつかみかかった。被害者と被告人とは、被害者が約一七〇センチメートル、被告人が約一五六センチメートルと身長差があるので、被害者が覆いかぶさるような感じであった。

双方とも力の入った状態で、もみ合いになり、被告人が後退して、被害者と被告人が二人で時計回りに回転して移動するような形になった。二人の動きは、それほど急激ではなかった。

二人の動きが止まってすぐ、Dが被告人を背後から押さえにかかり、Gが被告人から包丁を取り上げた。包丁は簡単に取り上げることができた。

以上は数十秒間の出来事であり、三名の目撃者とも、柳刃包丁がどの段階で被害者に刺さったか分からなかった。

5 凶器を持ち出した経緯、犯行の動機

被告人は、柳刃包丁を護身用に持っていたものであり、被害者に刃物を向けて脅せば、被害者がうわさ話の真相を話すのではないかと思い、そのためには場合によっては被害者に多少の傷を負わせてもよいと考え、威嚇のために包丁を取り出したものと認められる。

なお、被告人の供述調書中には、被害者がとぼけて話さないことに対するいらだちに、うわさ話を流されて男としてのプライドが傷つけられたことによる怒りが合わさって憤激したとの記述があるが、男のプライドが傷つけられたことによる怒りが合わさって憤激したという部分は、威嚇のために包丁を取り出したという被告人のとった客観的な行動と対比すると、そうした動機が被告人にあったのか疑問がある上、仮にそうであったとしても、被害者に謝罪を求め、これに応じないならば、被害者に傷を負わせるなどしてこれを解消する動機としては了解できるが、それだけで、被害者に対し殺意を抱くほどの動機になるとは考え難い。また、被害者が反撃して包丁を取ろうとしてきたので、取られてしまうと自分が殺されると思ったという記述もあるが、被害者に包丁を取られてしまう状況に至らなかった本件においては、やや不自然であり、その存在自体合理的な疑問がある。

さらに、被告人の公判供述によれば、被告人は、当初、被告人のうわさ話を流した張本人は、被害者であると考えていたが、その場の被害者の行動を見て、被害者は、被告人のうわさ話を流した張本人ではないが、他人から被告人のうわさ話を聞いて、被害者への思いを込めて言っているにすぎないのではないかと考えが変わったと主張する。しかしながら、被告人はその公判供述でも認めるように、当初、被告人のうわさ話を流した張本人は、被害者であると考えていたことに争いはなく、そのことを裏付けるように、Iに対して、被害者が被告人のうわさ話を流した張本人かどうかを、被害者を名指しして電話を利用して確認しており、その結果、被告人は、被害者が被告人のうわさ話を流した張本人であるとその場で明言して決めつけている。他面、被害者が被告人のうわさ話を流した張本人ではないかもしれないと被告人が疑問を持つことを感じさせるような客観的な発言や態度はない。その上、被告人自身、被害者が被告人のうわさ話を流した張本人ではないかもしれないと被告人が疑問を持ったとの供述をしたことは、捜査段階では一度もなく、突然第八回公判で供述しているが、その供述の変更の理由についての説明も必ずしも明らかではない。また変更後の供述についても、被害者が被告人のうわさ話を流した張本人ではないかもしれないと被告人が疑問を持ったにもかかわらず、柳刃包丁を使ってまで脅したり場合によっては被害者を傷つけてまで真相を聞き出す対象と考え続けた理由も明らかではない。以上によれば、この点に関する被告人の公判供述は、信用できず、他の関係証拠から認められるように、被告人は、被告人のうわさ話を流した張本人は被害者であると考えて本件犯行を行ったと認めるのが相当である。

6 犯行後の行動

Gは、被告人から柳刃包丁を取り上げると、すぐに二階部分にある店を出て階段を下りて行き、次いで被害者が階段を下りようとしたとき、被告人も、被害者を追って階段上部のホールに出て行った。その後、被告人は店内に戻り、厨房から文化包丁を持ち出し、DとH子に向かって、「俺はやるときはやる。」と叫んだりしたが、午後九時四六分ころ、警察署に電話をかけ、梁川町の麻雀店で人を刺したと申告した。

被告人は、午後九時五二分ころ、救急車が来た音を聞いて外に出、到着した警察官に対し、俺がやったと述べ、警察に任意同行された。

なお、Dの捜査、公判段階における供述中には、被告人は、被害者を追ってホールまで出て行き、被害者を背後から突き飛ばした。あるいは、突き落としたという部分がある。しかしながら、その態様に関する供述は、「背中を両手で押し」(甲80)、「多分片手で背中を押したと思います。」(甲82)、「もしかしたら手と足の両方を使ったのかなというふうに思っています。」(公判供述)などと供述のたびに異なっている。特に公判供述によれば、被告人は、被害者を追ってホールに出ながら、一八〇度向きを変えて、階段を左手にして麻雀店の方を向いた状態から、左手でどんと押したというのであり、不自然な動作といわざるを得ない。Dは、被害者が階段を転がり落ちたような音は聞いておらず、早足で駆け降りるような音を聞いたと一貫して供述していること、被害者の様子を見るためにホールに駆け寄ろうとするなどの反応を示していないこと(公判供述)を考え合わせると、Dの供述の信用性には疑問があり、被告人が、ホールに出て行き、腕を突き出すなどした可能性は否定できないにしても、少なくとも被害者の背中を押して、突き落としたと認定することは困難である。

二  一の認定事実に基づいて検討する。致命傷となった<1>の刺創は、人の急所である心臓部にあり、殺傷力のある危険な刃物によって突き刺されたことによるものである。しかし、このような刺創が被告人と被害者とがもみ合う状況の中で形成されたことや被告人が柳刃包丁を持ち出した経緯などを考慮すれば、凶器の種類と損傷の部位のみから、殺意を認定することはできない。

その上、本件においては、被告人に殺意があったと認定するのに合理的な疑いを持つ事情が多数存在する。

まず、<1>の刺創の深さは、約八センチメートル以下である可能性が高く、用いられた刃物の刃体の長さ(約二一・二センチメートル)と対比して、部分的にしか刺し入れられていない。刺創が体内の軟部組織で止まっており、突き刺した後に体内でひねるなどした形跡がないことからすれば、<1>の刺創は、それほど強く突き刺したことによるものとは認められず、むしろ、刺さって直ぐに抜けた可能性が高い。<1>の刺創の方向や傾き、皮膚表面の傷口の位置などからすれば、向き合っていた被害者に対し、被告人が前方に向かって真っすぐに柳刃包丁を突き出して被害者を突き刺したと考えることは困難である。Dらの目撃供述からは、被告人と被害者がもみ合う状況下で、被害者が被告人に覆いかぶさった際、偶然刺さった可能性が高い。また、約三四センチメートルという柳刃包丁の全長からすれば、もみ合いながら双方が動く中で<2>から<5>の創傷ができないとは断定できない。当初被告人が被害者を威嚇して柳刃包丁を前後に動かした際、又は、被害者が被告人に向かっていった際にできたものとも考えられるから、傷の数が多いことを根拠として、被告人が、被害者を柳刃包丁で突き刺す行為が複数回存在するとして、被告人に殺意があったと断定することもできない。さらに、被告人には、本件犯行当時、被害者に対して殺意を抱くのが相当と考えられる動機があるとは認められない。

なお、被告人の犯行後の行動のうち、被害者を追って階段上部のホールまで出ていったり、新たな刃物を持ち出したり、Dらに向かって叫んだりしたことについては、被害者との口論やもみ合いにより、かなり興奮状態にあったためとも考えられるし、警察に連絡したり、自分の犯行を認めて任意同行に応じたことについても、被告人の手や店内の床に付いた血を見て、被害者が自分のせいで何らかのけがをしたと思って取った行動と見て不自然ではなく、これらの被告人の犯行後の行動を根拠として、被告人の殺意を認めることも困難である。

三  検察官の主張について

1 検察官は、次のように述べて、被告人が被害者の身体の枢要部に少なくとも三回、意識的に攻撃を加えたと主張する。

(一) <1>の刺創は身体の中心部に向かって刺し入れられている。被告人と被害者の身長差から見て、意識的に手を持ち上げ、意識的に手を動かさなければ、刺さらないはずである。

(二) <2>の刺創も<1>と同様に刺し入れられたものである。

(三) <4>の切創も次の二つのいずれかにより意識的になされたものでしかありえない。

(1) 被害者の左腕を身体の左側に沿うように曲げた状態で、<1>を生じさせたのと同様の打撃を加えてできた。

(2) 被害者が左腕を曲げて被害者の体の正面に出した状態で、包丁を前に突き出した。

(四) <3>の切創は、<2>又は<4>の創傷と同一機会に生じた可能性はある。しかし、両方とは同一機会に生じない。

(五) 以上から、被告人から被害者に対して、最低三回の攻撃があり、<5>は防御創であるから、実際はもっと多数攻撃があった。

2 しかしながら、(一)の点については、被害者が被告人に覆いかぶさった状況下では、その身長差から、たとえ意識的でなくても刺さることはあり得ると考えられるので、検察官の主張するように断定することは困難である。(二)の点については、<2>は、刺創かどうかさえ疑わしい七、八ミリ程度の傷であり、<1>の刺創と同様に刺し入れられたと断定するには根拠が乏しい。さらに、(三)の点については、被告人と被害者の間が離れていて、被害者が逃げまどうような状況であればともかく、被告人と被害者が接近してもみ合っていたという本件の状況のもとでは、(1)(2)のいずれかの場合であると断定することは困難である。そうすると、少なくとも三回の攻撃行為があったと断定できることを根拠とする検察官の主張は、いずれも前提を欠くばかりでなく、どこで刺さったか分からないという目撃証言とも合致しないものであって、採用できない。

四  自白調書の信用性について

1 ところで、被告人は、公判段階においては、包丁がいつどうやって刺さったかは分からず、Dから手に血がついていると指摘されるまで刺さったことに気付かなかったし、その時点においても大けがをさせたとは思っていなかったと述べるのに対し、捜査段階の供述調書のうち特に警察官調書は、殺意をもって被害者の胸を意識的に刺したことを認めるかのような内容になっているので、その信用性について検討する。

2 被告人の警察官調書には、被告人が被害者の胸の出血を確認する機会はなかったはずであるのに、左胸から血を出していたとの記述があるもの(乙2)、被害者の左胸を一回突き刺してやったら、刺さったままの包丁を止めに入った男が引き抜いたとの記述があるもの(乙3)、また、被害者と手を押し合っているうちに、被害者と向かい合った格好のまま、包丁を正面に突くような形で刺してしまった(乙9、13、14)、包丁が刺さってすぐ、気が付くと、被告人と被害者の身体は密着しており、被害者は包丁が刺さったまま身体を左にひねるようにして被告人に背を向けて離れた(乙13)との記述があり、被害者の受傷状況に合致しないものなど、肝心な部分について客観的事実と符合しないものが多数見られる。

また、左胸を意識的に一刺しし、手応えがあったかに読み取れる供述調書(乙1から3、14)があるかと思えば、意識的に一刺ししながら、包丁が被害者の身体に抵抗感なくスーッと入っていったとの供述調書もあり(乙5、9、13)、他方、検察官調書では、意識的に胸を刺すつもりはなく、包丁を押し出したとき、あるいは、被害者と押し合ううちに、スーッと抵抗感なく包丁が刺さっていく感触があったとの供述になっている(乙18、20、21)が、これらの供述調書相互間の矛盾や移り変わりについて、何ら合理的な説明がなされていない。

3 このような事態が生じたのは、捜査官が、被告人に殺意があるはずであるとの確信を持っていたことから、被告人に殺意が認められない可能性についての配慮を欠き、被告人に殺意があることを前提として、被告人の殺意自体やそれを裏付ける供述を得ることに主要な関心を奪われ、傷害の部位・態様と凶器である柳刃包丁の客観的な形状、これらの対比などにも関心を払って、被告人に殺意が認められない可能性についても相当の配慮をした上で、被告人の供述を求める態度で事情聴取しなかった結果、被告人の供述内容の矛盾や移り変わりに十分配慮しなかったものと考えられる。したがって、捜査段階における被告人の殺意に関する供述部分は、他の客観的な証拠と対比すると全体として信用性が乏しい。

五  以上の次第で、被告人に殺意があったと認定するにはなお合理的な疑いがあり、被告人に殺意があったと認定することは困難である。しかしながら、関係証拠によれば、被告人自身、柳刃包丁の殺傷力は認識した上、被告人は、本件当時、場合によっては被害者に多少のけがを負わせてもよいと考えて(犯罪事実)第一の行為を行ったと認めることができるから、被告人には少なくとも傷害の未必の故意があり、被告人には傷害致死罪が成立するものと判断した。

(法令の適用)

罰条

第一  刑法二〇五条

第二  銃砲刀剣類所持等取締法三二条四号、二二条

刑種の選択

第二  懲役刑選択

併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、四七条ただし書(重い第一の罪の刑に加重)

未決勾留日数の算入 刑法二一条

没収 刑法一九条一項二号、二項本文(第一の罪の犯行の用に供したもの)

訴訟費用の不負担 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(量刑の理由)

一  本件は、護身用に柳刃包丁を隠し持っていた被告人が、被害者を脅しあるいは傷つけてでも、被害者から被告人に関するうわさ話の真相を聞き出そうとして、包丁を取り出したところ、被害者ともみ合いになり、結局、包丁の刃先が被害者の胸部に刺さって被害者を死亡させたという傷害致死と銃砲刀剣類所持等取締法違反の事案である。

被告人は、かつて所属していた暴力団関係者の襲撃を受けるおそれがあり、その場合の護身用にしようと考えていたとはいえ、人命に対する危険も大きい包丁を隠し持っていたもので、それ自体極めて危険な行為である。その上、被害者を脅したり傷つけたりしてでも真相を聞き出そうと簡単に刃物を取り出して被害者に向け、その結果、被害者の命を奪い去ったもので、動機において特に酌むべき点はなく、結果も重大である。その上、被告人は、被害者の遺族に対して何ら慰謝の措置を講じていない。

以上によれば、被告人の刑事責任は非常に重い。

二  他方、本件において、被害者を死に至らせた状況には、不幸な偶然による面がなかったとはいえないこと、被告人は、被害者に傷を負わせたことに気付くと、自ら警察に電話して自首していること、被害者を死亡させたことについて悔やみ反省していることなど被告人のために酌むべき事情もある。

三  そこで、以上のような諸事情を総合考慮して刑を定めた。

(検察官 岡本哲人 国選弁護人 山本啓二 各出席)

(求刑 懲役一二年)

(裁判長裁判官 荒川英明 裁判官 後藤真知子 裁判官 上杉英司)

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