函館地方裁判所 平成7年(わ)95号 判決 1997年3月21日
主文
被告人を懲役八年に処する。
未決勾留日数のうち四五〇日を刑に算入する。
理由
(犯行に至る経緯)
被告人は、昭和三九年四月甲野信託銀行株式会社に入行し、昭和四〇年に婚姻して三人の子供をもうけた。そして、昭和五九年五月に総合企画部調査役になり、昭和六〇年五月からは業務本部情報開発部調査役、法人部調査役等として勤め、企業買収等の業務に従事するとともに、甲野エンタープライズ株式会社を始めとする実態のない株式会社を複数運営して、企業買収等に必要となる裏金の調達に携わった。その一方、被告人は、平成元年秋ころ、接待を通じてクラブの経営者である女性と知り合い、平成二年には個人的に深い付き合いをするようになり、平成三年六月には二人の間に子供が生まれた。被告人は、その女性(以下「内妻」という。)との生活費も甲野エンタープライズ株式会社等を利用して調達していた。
しかし、いわゆるバブル経済が崩壊し、企業買収の件数も激減したため、被告人は思いどおりに多額の金銭を切り回すことができなくなった。また、平成三年七月には、甲野信託銀行に対して、被告人には愛人がいて子供まで産ませている、副業として会社を経営しているという内容の匿名の投書があり、平成四年五月、投書の影響もあって被告人はそれまでの業務とは全く異なるシステム企画部に配置換えとなった。被告人は、閑職に回されて出世の道が断たれたと感じるとともに、本妻と内妻の二つの家庭を支えなければならず経済的にも困るようになった。さらに、被告人は、以前から気管支ぜん息という診断を受けていたが、これに加えて自律神経失調症、肝機能障害、高脂血症等の診断も受けるようになり、平成五年一〇月以降欠勤し、平成六年一〇月からは休職扱いとなった。
被告人は、出世の希望がなくなった上に経済面、家庭面及び健康面にも問題を抱えていたところ、平成七年に入るころには自殺を思い浮かべ始め、被告人が加入している生命保険の保険金を内妻らに残そうと考えるようになった。
このような折り、平成七年三月二〇日、いわゆる地下鉄サリン事件が発生し、マスコミ各社が一斉にオウム真理教の組織的犯行であると報道するに至った。被告人は、そのころ、新潟県の内妻方で暮らすことが多かったが、オウム真理教関連の報道に強い関心を持つようになり、新聞や雑誌を切り抜いて集めたり、テレビ番組をビデオに録画し、地下鉄サリン事件はオウム真理教の教祖である麻原彰晃の指示によるものであると考えた。ところが、麻原は自分が犯行を指示した事実はなく信者が勝手にやったと供述していること、麻原の裁判は一〇年かかる上に無罪判決の可能性もあることが報道されるようになり、被告人は麻原に対して強い憤りを感じた。また、平成七年五月下旬ころには、日本赤軍によるダッカ事件のようにオウム真理教の信者がハイジャックによる麻原の出国を計画しているという記事が週刊誌に掲載され、被告人はこの記事を読んで、ハイジャックによる超法規的措置によればオウム真理教信者が麻原を奪回する可能性があることに興味を持った。
平成七年六月一九日、被告人は、退職と離婚の話をまとめるとともに東京都大田区の自宅にある荷物を内妻方に送るため、内妻方にあったガムテープを持って、新幹線で新潟から東京に向かった。新幹線の車中で、被告人は、もし自分がオウム真理教信者としてハイジャックを実行するとしたらどの飛行機が制圧しやすいだろうなどと想像し、東京駅に着くと書店に行って飛行機に関する本を見たところ、SRという機種は二階の座席が少なく、コックピットも二階にあるので制圧しやすいことが分かった。そして全日空の時刻表を手に入れ、午前一一時二〇分東京発函館行きの全日空八五七便がSRを使用していることを知った後、オウム真理教の信者がハイジャックするならサリンを使用するであろうなどと空想に浸りながら、東京都内の蒲田駅周辺の商店街を歩き回り、東京都大田区久が原の自宅に帰宅した。
平成七年六月二〇日午前、被告人は、離婚やその後の経済的問題について妻と話し合ったが、妻から一切の要求を拒絶されたため、自分の思いどおりにならないことに激しい怒りを感じた。そこで、荷物を持ち去ろうと段ボール箱を探しに物置に入ると、そこにあった銀色の保冷バッグと角錐が目に入った。そのとき、被告人は、この角錐を使えばサリンの入った袋を突き破ることができると思うと同時に、サリンが入っているように見せかけた袋とこの角錐を使えば、オウム真理教の信者ではなく被告人自身がハイジャックを実行できるのではないかと考えた。そして、被告人はこれまでも頭の中にあった自殺にも思いをめぐらせ、ハイジャックをして麻原を連れて来させ、麻原を道連れにして自殺しよう、そうすれば一般市民は麻原を殺した自分を高く評価するはずなので、名誉の死としてかっこよく自殺できるし、生命保険金が下りて内妻と幼い子供の生活を支えることもできると考えた。
そこで、被告人は、平成七年六月二〇日午後、新潟から持ってきたガムテープや、東京の自宅にあった銀色保冷バッグと角錐を持って自宅を出発し、東京都内五反田でクレジットカードを使って現金三二万円を引き出した後、渋谷にある百貨店東急ハンズまで行って、ドライバーセット、サリン入り袋に見せかけるためのチャック式ビニール袋、時限式プラスチック爆弾に見せかけるためのゴム粘土、伸縮用アンテナ、模型用コード線及びブザー、麻原の首を絞めるためのビニールひも等を購入した。さらに、被告人は、渋谷にある別の店で、指紋を残さないための水絆創膏、変装用のサングラス、航空券を購入するための全日空の株主優待券などを買い求めた後、集めた道具を使ってハイジャックの予行演習を行う必要を感じ、そのために自宅ではなくホテルに宿泊する必要があると考えて、午後七時ころ、東京都内五反田の東興ホテルにチェックインした。
被告人は、ホテルの客室にあるベッドや机に集めた道具を並べてみたが、このような安っぽい道具ではハイジャックの実行は無理であると一旦は考えた。しかし、チャック式ビニール袋に水を入れてサリン入りの袋に見えるかどうか試したり、水絆創膏を指に塗って指紋が消えるか試して、ハイジャックの実行に向けての準備を行った。そして、平成七年六月二一日午前三時ころになると、被告人は、麻原と向かい合って、麻原に地下鉄サリン事件等が麻原の指示によるものであることを告白させる場面を想像するようになった。被告人は、麻原との想定問答を繰り返すうち、次第に興奮が高まり、この日にハイジャックを実行しようと決意するに至った。
平成七年六月二一日午前八時三〇分ころ、被告人はホテルを出発したが、その際、空港行きモノレールの切符が持っている小銭で購入できなかったり、空港での手荷物検査で角錐が発見されたら、あるいは、飛行機内で水の入った袋を持って脅迫したとき、客室乗務員がサリンであると信じなかったり、その反対に驚いて騒いだりしたら犯行を中止しようと考えるなど、ハイジャックの実行にためらいの気持ちを抱きつつも、東京国際空港に向かった。そして、被告人は、東京都内の浜松町駅において、今後生活費に困ったら利用してもらおうと新潟の内妻宛にクレジットカードを郵送し、持っていた五〇〇円硬貨で空港行きモノレールの切符を購入して、東京都大田区羽田空港三丁目三番二号の東京国際空港に着いた。それから、空港ロビー内の売店で変装用の黒色帽子を購入し、指紋が残らないように水絆創膏を指に塗った後、株主優待券を利用し、「コバヤシサブロウ」という名前で午前一一時二〇分東京発函館行きの全日空八五七便のスーパーシート航空券一枚を購入した。それから搭乗手続を済ませ、手荷物検査を何事もなく受け終わると、西旅客ターミナルビル二階の全日空出発ゲート一七番一八番ラウンジ付近にある男子トイレに入り、個室内で、動きやすい服装に着替えて黒色帽子やサングラスを着け、さらにチャック式ビニール袋三個に洋式便所の水を入れてサリンに見せかける道具を作り、それを銀色保冷バッグに入れた。そして角錐、ゴム粘土、ガムテープやビニールテープ等を入れたバッグと銀色保冷バッグを持って全日空八五七便(B-七四七型、機体番号JA八一四六号。以下「本件航空機」という。)に搭乗し、二階席の最後尾にある七五-K席に座った。
(犯罪事実)
被告人は、オウム真理教の信者がサリン入りのビニール袋やプラスチック爆弾を持っているかのように偽装し、これを利用した脅迫によって航空機の運航を支配し、オウム真理教の教祖である麻原彰晃を航空機まで連れて来させて、地下鉄サリン事件などの実行を指示したことを告白させよう、それができなければ麻原を殺害してから自殺し、名誉の死を遂げるとともに生命保険金を子供や内妻に受け取らせようと考えた。そこで、平成七年六月二一日午前一一時二〇分ころ、本件航空機の全てのドアが閉められて航空状態に入り、午前一一時三二分ころ、被告人を含めた乗客三五〇人と乗員一五人を乗せて東京国際空港を離陸し、午前一一時四五分ころ、栃木県付近上空(高度約一万メートル)に差し掛かると、被告人は、二階調理室内において、客室乗務員B子(当時二七歳)に対し、持ち込んだ銀色保冷バッグを開いて中にある水の入ったビニール袋を見せながら、角錐(全長約二二・五センチメートル、金属部分の長さ約一〇・六センチメートル--平成七年押第三〇号の1)を右手に持ってビニール袋を突き刺す格好を見せ、あたかも航空機内にサリンを拡散させるように装いながら、「静かにしろ。分かるな。尊師のためだ。座席の上にあるガムテープで客の目と口を塞ぎ、両手を後ろに固定してこい。言うことを聞けば乗客の命を助ける。」などと脅迫し、B子を利用して二階客室にいた乗客C(当時七一歳)ら四名に対し、ガムテープでその目と口を塞いだり両手を後ろ手に縛る暴力を振るった。次いで、二階調理室付近において、客室乗務員D子(当時四二歳)に対し、角錐を示しながら、「尊師のためだ。東京に戻れ。おとなしくしていれば危害は加えない。乗客を騒がせるな。機長にこのことを知らせろ。」などと脅迫し、D子を通じて、コックピット内にいた機長E(当時五五歳)、副機長F(当時四六歳)及び航空機関士G(当時三四歳)の三名に対し、脅迫されたことを伝達させてEらも脅迫した。引き続き、D子を通じてFを呼び出し、Gに対してコックピットの中にある武器になりそうな工具類を二階客室まで運ぶよう命令した後、A子を利用して、G及び二階に上がってきた客室乗務員H子(当時二六歳)に対し、ガムテープでその目と口を塞いだり両手を後ろ手に縛る暴力を振るった。さらに、二階調理室付近において、D子及び縛っている状態から解放したGに対し、順次プラスチック爆弾に偽装したゴム粘土を示しながら、「これ何だか分かるか。これはプラスチック爆弾でビルを破壊するくらいの威力がある。俺には仲間がいて、他にもプラスチック爆弾がある。スイッチは遠隔操作が可能で、函館空港の周辺にも仲間がおりそこでも操作ができる。」などと脅迫し、Gを通じてコックピット内のE及びFに対してもそのことを伝達させて脅迫した。これらの脅迫により、Eらはもし要求に応じなければ、被告人はサリンを拡散させたりプラスチック爆弾を爆発させるなど乗客や乗務員の生命身体に危害を加えかねないと恐れ、抵抗できない状態となった。そして、被告人は、Gから東京に引き返すには燃料が不足すると告げられると、今度は「函館に着陸後、給油して東京に戻れ。滑走路の方に止めて給油しろ。」などと要求した。その結果、被告人の意図を無視することのできなかったEら運航乗務員は、平成七年六月二一日午後零時四二分ころ、函館市高松町五一一番地の函館空港に着陸後、午後零時五二分ころ、通常の運航では全く必要のない函館空港七番スポット後方の誘導路上に、本件航空機を駐機させ、Eの完全な運航支配権を奪ったまま本件航空機を運航することを余儀なくさせて、本来であれば、折り返し函館空港から東京国際空港に向けて運航を予定していた本件航空機の通常運航を不能にするとともに、乗客乗員を本件航空機から降りることのできない状態にした。その後、午後一時ころ、一階客室において、客室乗務員I子(当時二五歳)らをして、J(当時五九歳)ら乗客三〇〇余名に対し、ガムテープやビニールひもを用いてその目を塞いだり手首を縛るなどの暴力を振るった。さらに、午後八時二〇分ころ、一階客室において、無断で席を離れないよう命令したにもかかわらず、男性の乗客がトイレに入ったのを見て腹を立て、大声を上げながらトイレのドアを蹴っていた際、その隣のトイレから出てきた乗客K子(当時二五歳)に対し、右手に角錐を持ったままその背後から両手で左肩付近を押す暴力を振るったため、角錐の先端部分がK子の肩に当たり、K子に約二週間の治療を必要とする程度の左肩甲部刺創の傷害を負わせた。そして、被告人は、結局、警察官の突入によって被告人が制圧された平成七年六月二二日午前三時四二分ころまでの間、本件航空機の運航を支配した。
(証拠)《略》
(争点に対する判断)
括弧内の算用数字は検察官の請求番号を、漢数字は公判調書中の被告人供述調書あるいは証人尋問調書(速記録を含む。)の頁数を示す。
第一 事実認定の補足説明
一 検察官調書の証拠能力及び証明力について
1 弁護人は、公判において、検察官調書のうち乙20及び21号証は、供述日時と読み聞かせ日時が全く異なっており、しかも被告人は連日朝から深夜までの取調べのため極度に疲労していたのに、膨大な量である乙20及び21号証を短時間で一挙に読み聞かせられたために誤りの有無について正確に確認できなかった上、被告人は、乙21号証の読み聞かせの途中で居眠りをしており、読み書かせが不十分であるなどとして、この二通の検察官調書には任意性がないと主張する。
2 供述録取書は、原供述を聞き取った者が、その内容を書面で報告するという意味において、二重の伝聞性をもつ証拠である。その上、捜査官による供述調書は、単に供述者が自発的に述べたことをそのまま書き取るものではなく、取調べの結果を事後的に整理し、編集要約して記載するものであるから、原供述が意識的無意識的にゆがめられて記載される危険性がある。
したがって、証拠能力を具備するには、客観的に供述されなかった事項が記載されたり供述者の供述内容と矛盾するような内容が記載されたりしていないこと、調書の記載内容の正確性を確認した上で供述者が署名又は押印することが最低限の要件である。そうすると、調書の読み聞かせの持つ意味は非常に大きく、供述した日と読み聞かせの日が異なるというだけで、直ちに供述調書の証拠能力が否定されるわけではないが、供述した日から余りに隔たった日に読み聞かせを行ったり、数日間にわたる取調べの結果をまとめて調書化し、読み聞かせを行ったような場合には、供述者がその調書について、供述者の供述を正確に要約したものかどうかを確認することが著しく困難になる場合があるから、仮に供述者の署名又は押印があったとしても、供述者がその調書について供述者の供述を正確に要約したものかどうかを確認することが著しく困難と認められる場合には、証拠能力を否定すべきである。
3 検察官L(以下「L検事」という。)の公判供述及び捜査報告書(甲596)によれば、乙20及び21の作成経過は、おおむね以下のとおりである。
(一) 乙20及び21は、平成七年六月三〇日、七月二日、七月八日から一〇日の五日間の取調べの結果に基づき作成した。六月三〇日と七月二日の取調べ結果についてはメモを取っていた。七月八日から一〇日の取調べの際には、事情聴取と並行して、被告人の面前で検察事務官に口述してパソコン入力を行っており、乙20及び21のうち、被告人の面前で口述入力しなかった部分は全体の二割弱と思う。また、被告人には、あらかじめ口述中に違うところがあれば申し出るようにと言ってあり、実際に、被告人から、言い回しや表現などについて異議が出たことが五、六回あったが、内容について違うと言われた記憶はない。乙20及び21のどの部分をいつ事情聴取したかは特定できない。犯行状況を一通の調書にしたという以外に、調書を細分化しなかった理由は特にない。
(二) 乙20の読み聞かせは平成七年七月一〇日の午後三時四〇分から午後五時まで、乙21の読み聞かせは同じ日の午後八時四〇分から午後一一時まで、いずれもL検事が行い、乙21は、四、五回に区切り、ここまでは間違いないかと確認しながら行った。被告人は終始目を閉じて、細かくうなずきながら聞いていた。
乙20の読み聞かせ終了後、被告人が首を吊ろうとしたと述べるけやきの木の存在について、L検事から質問をし、その答えと被告人の方から申し出のあったハイジャック成功の可能性、被告人が申し訳ないと思う人の追加と合わせて三項目の補充録取をした。そして、被告人は納得して乙20に署名した。
L検事は、乙21の読み聞かせ中に被告人が居眠りをしているかどうかに気付いていない。また、被告人の方から居眠りをしたという申し出はなかった。乙21の読み聞かせの途中で、電話番号を読み違えた直後と、K子に対する乱暴についての見せしめという部分を読んでいるときに被告人から訂正の申し出があった。被告人は見せしめについて頑強に訂正を求めたので、L検事は訂正の記載をした。
4 乙20及び21にはL検事の供述どおりの訂正記載があり、その公判供述で信用性を否定すべき部分は特に見当たらない。そうすると、被告人は、読み聞かせ終了時点で、訂正を要する部分については訂正をさせ、調書の内容の正確性について確認した上で、署名押印したものと認められるから、乙20及び21は証拠能力において欠けるところはない。
もっとも、乙20及び21は、五日間、延べ十数時間にわたる取調べの結果を編集要約して記載したもので、乙20は三三丁、乙21に至っては一一四丁にも及ぶ膨大なものである上、その読み聞かせは、同じ日の午後から夜間にかけて、合計三時間四〇分にわたり一挙に行われるなど、本件における事案解明の困難さや取調べ日数の制約を考慮に入れても、通常の供述調書作成のあり方からはかけ離れているといわざるを得ないし、被告人の供述確認作業は可能ではあったが困難な面があったことも否定できない。
したがって、乙20及び21の信用性については慎重に考えざるを得ず、被告人の公判供述と内容が異なる部分については、公判供述が他の関係証拠と対比した上でその整合性や供述自体の自然さにおいて特に疑問を生じる点がない限りは、検察官調書に公判供述と矛盾する記載があっても、それだけによって公判供述の信用性を弾劾することは困難であり、特段の事情のない限り、公判供述の方がより信用できるものと考える。
二 犯行の決意時期について
検察官は、冒頭陳述において、犯行直前の上京である平成七年六月一九日より以前の段階で、被告人が本件犯行を決意したと主張する。(なお、論告における犯行決意時期についての主張は明確ではないが、「平成七年六月一九日に新潟から上京するに際して自ら決行することを漠然と空想的に思い描くに至り」「六月二〇日から二一日にかけては、都内のビジネスホテルに宿泊し、実験を通じて犯行の成功に自信を得た上で本件犯行を敢行した」との記載がある。)
これに対し、被告人は公判において、平成七年六月二〇日に自宅の物置で角錐を見たときに被告人自身がハイジャックできるかもしれないと思ったのであり、それ以前はオウム真理教の信者がハイジャックをするかもしれないと考えたにすぎない、また、その日から翌二一日にかけて東京都内のホテルに宿泊しているときに、本件犯行を決意したと供述する(第一一回四九から九〇頁等)。被告人の公判供述は他の証拠と矛盾するところはなく、ハイジャックの空想から始まり、ためらいながら本件犯行の決意に至る過程に不自然な点はない。さらに、上京以前に既に犯行を決意していたとすれば、犯行前日に子供のための絵の具や紙飛行機など本件犯行に関係のない物を買ったりしないという被告人の公判供述は合理的である(第八回六〇から六一頁)。
以上により、犯行の決意時期については、被告人の公判供述により認定するのが相当である。
三 乗客K子に対する傷害について
1 弁護人は、被告人が乗客K子(以下「被害者」という。)に対して暴行を加え、その結果傷害を負わせたことは間違いないが、暴行の態様は、右手に角錐を持ったまま両手で被害者の左肩付近を一回押したにとどまり、角錐で被害者を突き刺すという傷害の故意はなかった、しかも暴行は航空機の運航支配を目的にしたものではないと主張する。
2 被害者は、負傷時の状況に関して、おおむね次のとおり述べる(甲38)。「私がトイレから出ると、向かって右側に男の人が立っており、私に対して何か大きな声で言っているのだということが分かった。直観的にその男の人が今回のハイジャック犯人の一人であると思ったので、急いでごめんなさいと言って、その男の人に背中を向けて自分の席に戻ろうとした。そのときに、左肩甲骨のあたりに一回何か固い物でたたかれたような衝撃を感じた。このときは刺されたという感覚はなかった。自分の席に戻ると父が肩のあたりを押さえてくれた。」
また、被害者の父である証人Jの公判供述はおおむね以下のとおりである。「被告人は、右手で千枚通し的な先の鋭利なものを、逆手つまり小指側にとがったほうがあるようにして持ち、ひじを曲げて顔の高さあたりまで振り上げ、先のとがったほうをトイレから出てきた娘に向けて、右腕を体ごと娘の背中に突き出して刺した。刺した瞬間はちょうど娘の体の陰になって見えなかったが、被告人が右手を前に伸ばしたはずみで娘が座席に倒れ込んだところ、左肩から血が盛り上がってきたので、刺されたと分かった。被告人は両手で娘を押したのではない。」(一二から一八、二七、三五頁)
3 検察官は、Jの公判供述から公訴事実記載の「左肩部を一回突き刺し」た行為の証明は十分であると主張する。
J証人は被告人の暴力行為を間近で見ており、その供述も具体的である。しかし、J証人は被害者が刺された瞬間は見ていない。また、その証言には「逆手に持って振り下ろして刺した。」(一二頁)という部分もあるが、このような暴力の態様と客観的な負傷状況とがよく合っているとはいえない。すなわち、角錐の金属部分の長さは約一〇・六センチメートルあり(甲499)、逆手ち持って振り下ろして刺せば相当深い傷が生じると考えられるが、被害者の傷の深さは肩甲骨部まで達しているとはいうものの(甲375)、被害者が当時着ていたジャケットやブラウスの厚みを考慮に入れても、現実に生じた傷は、J証人の公判供述どおりの暴力が振るわれたとすると少し浅すぎる。さらに、J証人は、暴力直前の状況について、被告人と被害者がことばのやり取りをした場面を記憶していない(八〇から八二頁)など、その公判供述と被害者の供述とは必ずしも一致していない。
加えて、J証人は被害者の父であり、被害感情が証言に与える影響も否定できないことを考慮すると、J証人の公判供述をそのまま信用することは困難である。
4 他方、被害者への暴力の態様に関する被告人の公判供述は以下のとおりである。
「男の人が入ったトイレのドアを蹴っていると、隣のトイレから被害者が出てきて驚いた。被害者に勝手なことをするなと言ったかもしれないが、記憶には残っていない。そして、被害者が自分に背中を向けたところ、その左肩付近を両手で一回、前に向かって突き飛ばしたが、そのとき角錐を持っていたので刺さってしまった。」(第九回四一から四九頁)
被告人の供述が捜査段階からほぼ一貫していることは、L検事の証言からも明らかである(三〇から三二、九七から一〇二頁)。また、被告人の公判供述は、被害者の供述、特に「左肩甲骨のあたりに一回何か固い物でたたかれたような衝撃を感じた。このときは刺されたという感覚はなかった。」という部分とは矛盾しない。しかも、被告人には、この点に関して、殊更うそをついて被害者に対する傷害の故意だけを否定しなければならない動機もうかがわれない。よって、被告人の供述の信用性は高い。
5 以上によれば、暴力の態様は、角錐で被害者を突き刺すというものではなく、右手に角錐を持ったまま、被告人が、両手で被害者の左肩付近を一回押したというものであったと認めるのが相当であり、この点についての弁護人の主張には理由がある。
しかし、被害者に対する暴力は航空機の運航支配を目的にしたものではないという弁護人の主張は採用できない。
暴力を振るうに至る経緯について、被告人は公判でおおむね次のように供述する。「客室乗務員のB子に命令して『席を立って動くな。』という機内放送をさせた直後、男の人がトイレに入るのを見た。放送の効果がなく、B子もそれを黙認したと思った。一人だということに気付かれると簡単に捕まってしまうという不安がいつもあり、ちょっとやっておかないと自分が危ないと思い、トイレに走って行き、乗客に騒ぎがあることを知らしめて乗客の緊張感を高めるという意図で、ドアを足で蹴ったりした。そこに被害者が出てきたのでびっくりして、とにかくどかそうと被害者を押した。見せしめだとかを考える余裕はなかった。」(第九回四〇から四九頁、第一一回七頁)
以上のような被告人の公判供述を前提にすると、被害者に対する暴力は、乗客の緊張感を高めること、犯人が一人だということに気付かれないようにすること、逮捕されないようにすることを意図した行為の一部をなすものと認められる。そして、乗客の緊張感を高めることなどは、結局それによって運航支配を継続することにほかならない。したがって、被告人にとって、被害者がトイレから出てきたことは思いも寄らない事態であり、とっさに押しただけで明確に運航支配目的を意識する余裕がなかったとしても、これをもって被告人に運航支配の目的がなかったとはいえない。
第二 弁護人の法的主張に対する判断
一 K子に対する傷害は別罪を構成するという主張について
弁護人は、K子に対する暴行は航空機の運航支配を目的としたものではないからその手段とはなり得ず、航空機の強取等の処罰に関する法律一条には含まれず別罪を構成すると主張する。しかし、先に第一の二3で述べたとおり、被告人の暴力に運航支配の目的がなかったとはいえないから、弁護人の主張はその前提を欠いている。
さらに、航空機の強取等の処罰に関する法律が同法一条の罪により傷害の結果を生じさせた場合について規定を設けていないのは、一条の法定刑が無期又は七年以上の懲役という重い刑であるから、刑法二四〇条前段に相当する規定を置く必要がないと考えられたためである。そして、刑法二四〇条前段の解釈に照らしても、航空機の強取等の処罰に関する法律一条により包括して評価される傷害には、運航支配のために用いた暴力から直接に生じた傷害の結果だけでなく、運航支配の継続中における行為から生じた傷害の結果も含まれると解すべきである。
以上によれば、この点の弁護人の主張は採用できない。
二 本件は未遂罪であるという主張について
1 弁護人は、航空機の強取等の処罰に関する法律一条一項(以下「運航支配罪」という。)の「ほしいままにその運航を支配した」といえるためには、被告人の思うとおりの運航を機長にさせることが必要であるが、被告人の思うとおりの運航とは東京に引き返すことであったから、函館空港七番スポットから移動することがなかった本件では被告人の思うとおりの運航は開始されていないので、本件は運航支配罪の既遂ではなく一条二項の未遂罪に該当すると主張する。
検察官は、航空機の正常な運航を妨げて被告人の目的実現のための運航の自由を奪ったことが認められれば運航支配罪は既遂に達するが、本件では、被告人が「函館空港に着陸後、滑走路に停止して給油し、東京に引き返す」ことを要求し、これに対し機長らが被告人の要求に従わざるを得ないと考え、被告人の許可を受けて函館空港七番スポット後方の誘導路上に航空機を駐機した時点で、通常の運航が不能になり被告人が機長の運航支配権を奪取したことが認められるから、この時点で運航支配罪が既遂に達したと主張する。
2 運航支配罪の「ほしいままにその運航を支配した」とは、航空機が航行中、その機長の反抗を抑圧して航空機の運航に関する権限を奪い、被告人の思うとおりの運航を機長にさせることである。そして、被告人の思うとおりの運航を機長にさせることの典型的な事例は、航空機の目的地ではない被告人の要求する場所に向けて運航させることである。しかしながら、運航支配罪の文言上は、必ずしも場所的な移動を不可欠な要件とするものではなく、航空機の目的地において、通常の運航上は全く必要がなく、被告人の要求する場所に向けて運航させるために必要な給油場所として特定の場所に駐機させることも、被告人にとって消極的な意向ではあっても、機長としては、被告人の意向を無視することができず、本来機長の持っている航空機に対する完全な運航支配権を奪ったという意味で、被告人の思うとおりの運航に当たると解するのが相当である。
なお、航空機の強取等の処罰に関する法律は、四条において「偽計又は威力を用いて」航空機の「正常な運航を阻害した」場合の刑罰を規定しており、「正常な運航を阻害した」とは、運航支配罪における運航支配の程度には至らないが、正常な運航が現実に害されたことを意味し、具体的には、目的地への航空機の到着を故意に遅らせたり、航空機の予定された高度や速度を故意に変更させること等がこれに該当する。そして、運航支配と運航阻害との区別は、暴行脅迫等か偽計威力かという犯行手段の相違を考慮すると、機長が反抗を抑圧されたか否かによって判断すべきものである。
3 関係証拠によれば、被告人が「函館空港に着陸後、滑走路に停止して給油し、東京に引き返す」ことを要求したこと、機長は、被告人の脅迫により、その反抗を抑圧された結果、本来予定されていたとおりに函館空港に本件航空機を着陸させ地上走行させてエンジンを停止させたが、乗降口を開いて乗客を降ろすことはできなかったこと、機長は、当時物理的に選択可能な対策を考えた結果、予定どおりに乗客を降ろすことを断念し、函館空港に本件航空機を着陸させて滑走路に一旦停止した後、被告人の許可を受けて函館空港七番スポット後方の誘導路上に駐機したこと、本来であれば本件航空機は着陸後まもなく所定のスポットに駐機して乗客を降ろし、再び乗客を乗せて東京国際空港へ向けて運航する予定であったが、これらが一切できなかったことが認められる(甲7、14から18)。
そうすると、本件航空機が通常の運航では全く必要のない函館空港七番スポット後方の誘導路上に駐機した時点で、被告人は、機長の反抗を抑圧して機長の持つ完全な運航支配権を奪い、被告人の思うとおりの運航をさせたといえるのであり、この時点で運航支配罪は既遂に達したものと評価するのが相当である。
もっとも、被告人は、当初飛行機を函館空港に着陸させることなく、直ちに東京国際空港に戻らせることを予定していたが、航空機関士に、燃料をどのくらい積んでいるか尋ねたところ、危険を回避するため早く地上に降りた方がいいと考えた航空機関士が、東京に戻るだけの燃料はなく、函館空港に降りるしかないと答えたため、函館で燃料を補給してから東京へ戻らせるしかないと考えて、機長にそのように命令したことが認められる。したがって、被告人の意思決定の過程に、乗務員の働きかけによる錯誤があったことは否定できないが、そのような過程を経たにせよ、表明された被告人の意思については、機長は拒絶することが不可能な状態に置かれていたのであるから、被告人が本件航空機の運航支配権を奪い、被告人の思うとおりの運航をさせたことは明らかであり、意思決定の過程における瑕疵は犯罪の成否に影響を及ぼすものではない。
第三 責任能力
一 弁護人は、本件犯行当時被告人は心神耗弱状態にあったと主張するので、責任能力の有無について検討する。
二 多田鑑定について
医師多田直人が作成した「航空機の強取等の処罰に関する法律違反被疑事件被疑者A精神鑑定書(簡易鑑定)」及び多田医師の証人尋問調書(以下、これらを単に「多田鑑定」という。)によれば、「被疑者は犯行前日においては双極性感情障害(躁鬱病)の躁状態にあったと判断され、さらに簡易鑑定の問診中においてもなお軽躁状態にあり、そのことからも犯行時において双極性感情障害(躁鬱病)の躁状態ないし軽躁状態にあった可能性が強く、従って、犯行時において被疑者は是非善悪を弁識し、その弁識に従って行為することのできる能力が著しく減退した状態にあった可能性があるものと判断される。」としている。
しかし、多田鑑定は、平成七年七月三日に依頼を受け、七月一一日に被告人の問診及び心理検査を行い、その日のうちに担当検察官に鑑定結果の概要が報告され、七月一八日に鑑定書が作成されたというものであり(鑑定書二から三頁)、捜査段階での簡易鑑定として起訴以前に鑑定結果の報告が要求されるという時間的な制約から、責任能力の検討には限界があるものと認められる。また、多田鑑定は、被告人の公判供述を鑑定資料とすることはできず、捜査段階における供述調書を主な資料としているが、犯行の決意時期について被告人の検察官調書と当裁判所の認定が異なることを考えるとこのような鑑定資料の制約も無視できない。そして、多田医師自身、鑑定主文において「是非さらに時間をかけた慎重な精神鑑定を行う必要があるものと判断される。」としている。したがって、多田鑑定をそのまま採用することはできず、より慎重な判断が必要となることは明らかである。
三 福島鑑定について
1 鑑定人福島章作成の「航空機の強取等の処罰に関する法律違反被告事件被告人A精神状態鑑定書」及び証人福島章の公判供述(以下、これらを単に「福島鑑定」という。)によれば、「被告人の現在及び本件犯行時の精神状態は、ヒステリー性格(顕示性精神病質、演技性人格障害)である。ただし、これは性格の異常にすぎず、被告人には精神分裂病、躁鬱病のような精神病は存在しない。犯行時における被告人の是非善悪を弁識する能力と、その弁識に従って行為することの出来る能力には、ほとんど障害がなかった。」としている。
2 福島鑑定では、心理テストを含めて多田鑑定で躁うつ病の根拠とされた点をつぶさに検討し、その結果、被告人が抑うつ状態になるときは必ず環境的な要因があるため、反応性の抑うつであって内因性の抑うつではないこと、被告人の自殺念慮はその行動パターンから見て、躁うつ病患者の自殺念慮のようにいつ実行されるかも知れないものとは認められないこと、躁病エピソードといえるには気分が異常かつ持続的に高揚するなどの期間が少なくとも一週間持続することが必要であるが、犯行前日のホテルでの予行演習や犯行時のように、興奮や高揚が十数時間だけ持続したにすぎない場合には躁病エピソードとはいえないことなど、合理的な根拠を示しながら結論を導いており、被告人に躁うつ病等の精神病は存在しないという結論は相当である。
弁護人は、福島鑑定が被告人の自殺念慮を単なる観念の遊びと断じているのは失礼であり、被告人の自殺念慮はいつ実行されるかも知れないものであったと主張する。しかし、福島鑑定の趣旨は、自殺の意思が真剣なものかどうかというより、躁うつ病患者の自殺パターンと被告人の行動パターンが異なることを指摘したものと解すべきであり、躁うつ病を否定する根拠として相当である。
また、弁護人は、福島鑑定の躁病エピソードはアメリカの診断基準(DSM)であるが、日本の伝統的体系では短期間でも躁うつ状態の判断根拠にしているとも主張するが、鑑定人は伝統的体系によっても結論は異ならないことを明言しており(公判供述二五頁)、弁護人の主張を前提としても、被告人が躁うつ病であることは否定される。
四 当裁判所の判断
以上を踏まえて、被告人の本件犯行当時における責任能力を検討する。
福島鑑定で明らかにされたように、被告人は本件犯行時において躁うつ病を含む精神病にはかかっていない。
次に、被告人の記憶の程度をみると、本件犯行前から犯行時に至るまでの供述は具体的であり、犯行前のホテルでの予行演習についてなど行動の一部始終まで覚えていないという部分はあるにせよ、記憶が不自然に欠落している部分は見当たらず、被告人が新たに知覚した内容を記憶に取り入れ保持する力に障害はなかったと認められる。
そして、行動の合理性をみると、まず被告人はオウム真理教信者を装ってハイジャックを行うという目的のもとに犯行に必要な道具を買いそろえ、予行演習まで行っている。その後犯行に着手すると、単独犯であることが発覚しないように、仲間がいて爆弾の操作ができると脅迫したり、管制塔との交渉を直接行わずに客室乗務員を通じて行ったり、食事の差し入れや乗客の一部解放を拒絶するなどしている。さらには、東京に引き返すという要求が容易に受け入れられないと判断すると、外国人乗客から殺傷すると客室乗務員に伝えてそれを実行したかのように演技している。このように、被告人は終始ハイジャック犯として目的達成に向けて極めて合理的な行動を取っているといえる。
最後に、犯行の動機をみると、「麻原彰晃を航空機まで連れて来させて地下鉄サリン事件などの実行を指示したことを告白させよう、それができなければ麻原を殺害してから自殺し、名誉の死を遂げるとともに生命保険金を子供らに受け取らせよう」という犯行の動機は、一見して理解が容易であるとはいい難い。しかし、その当時被告人は経済面を始めあらゆる面で困難な状況に置かれていたこと、マスコミが麻原彰晃をめぐる報道一色になっていたことなどの具体的な事情を考慮すると、犯行の動機はそれなりに了解は可能である。
以上によれば、被告人が本件犯行当時において、行為の是非善悪を判断し、その判断に従って行動する能力が著しく低下していたことをうかがわせる事情はないから、心神耗弱状態にはなかったと認められる。
五 弁護人の主張について
1 弁護人は、本件犯行当時被告人が心神耗弱状態にあったことの根拠として以下のように主張し、多田鑑定、福島鑑定のいずれとも異なる見解に立っている。
すなわち、被告人は昭和六二年三月ころから心身症に罹患し、更に平成四年ころからは仮面うつ病もしくは軽うつ症状を併発し、この病状は全体的に悪化傾向をたどり、改善すべき外的、内的機会が与えられないまま本件犯行の実行着手時まで継続していた。また、平成六年秋以降自殺念慮を有するようになり、その感情は強弱の差はあったものの一貫して被告人の内面に宿っていた。加えて、阪神大震災、オウム真理教徒による地下鉄サリン事件、国松警察庁長官狙撃事件等の事件で社会不安が高まる中、麻原の奪還を記載するハイジャック記事が無意識のうちに被告人の頭の中にウイルスのごとく住み着き、一定の潜伏期間を経て、犯行前日たる平成七年六月二〇日から翌朝にかけて自宅あるいはホテルの特殊密室状態の中、自殺念慮を栄養として育ったハイジャックを被告人が自ら遂行する使命感を抱き、ついに自分を制御することが極めて困難な心理状態のまま本件犯行の実行の着手に至ったというものである。
2 しかし、被告人が躁うつ病にかかっていないと判断されることは福島鑑定のとおりであり、また、けん怠感や食欲不振など仮面うつ病又は軽うつ症状の兆候とされる身体的症状があったと被告人は供述しており、仮にそれが仮面うつ病又は軽うつ症状の表れであったとしても、先に述べた被告人の記憶の程度や犯行時の行動の合理性等を考えると、自分を制御することが極めて困難な心理状態にはなかったと認められる。
よって、弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
罰条 航空機の強取等の処罰に関する法律一条一項
刑種の選択 有期懲役刑選択
未決勾留日数の算入 刑法二一条
訴訟費用の不負担 刑事訴訟法一八一条一項ただし書
(量刑の理由)
一 本件は、被告人が東京発函館行きの全日空機をハイジャックした事案である。
二 ハイジャックは、航行中の航空機という一種の密室の中で乗客乗員を人質にして行われるもので、これに抵抗し犯人を制圧することが非常に難しいため、犯人は比較的容易にその目的を達することができる犯行手段である。また、航行中の航空機内で暴行脅迫を行うことにより、乗員の恐怖や疲労が加わって航空機の安全な運行は著しく脅かされる。そして、墜落その他の事故の恐怖や場合によっては遠隔地に連れ去られるという不安により、乗員乗客に高度の精神的苦痛を与える犯行でもある。さらに、財産上の損害や航空業務に及ぼす障害も著しく、現代社会の重要な交通手段である航空輸送の秩序と安全に重大な脅威と侵害を与えるものである。
三 また、本件は、オウム真理教の組織的犯行とされる地下鉄サリン事件の発生などにより、一般市民がいつ犯罪に巻き込まれるか分からないという不安を抱いていた状況の下でなされている。そのため、本件は国民の耳目を集めるとともに、外務省を通じて関係各国からも問い合わせがあったもので、社会に与えた影響が極めて大きい事案でもある。
四 犯行の動機は、会社で冷遇されたこと、健康上の不安、妻と離婚することができず、内妻との二重生活により家庭的・経済的問題を抱えたことなどにより、保険金目当ての自殺を思い立つ一方、オウム真理教や教祖である麻原彰晃についての報道を見て麻原に対する憤りを感じていたところ、オウム真理教の信者が麻原を釈放させる目的でハイジャックを行ったかのように装い、麻原を連れて来させて罪を認めさせ、それができなければ麻原を殺して自殺しようというものである。被告人は、どうせ自殺するのであればかっこよく死にたかったともいうが、乗客乗員に対する苦痛や社会に与える影響を全く顧みることなく本件に及んだもので、甚だ自分勝手で思慮に欠けており、犯行の動機に同情の余地はない。
五 犯行態様をみると、オウム真理教の信者がハイジャックにより麻原を奪還するかもしれないという記事が週刊誌に掲載される中にあって、脅迫の手段としてプラスチック爆弾だけでなくサリンに見せかけた道具を使用していること、多数の者が犯行に関与しているかのように偽装し、管制塔や機長との交渉も直接行わずに専ら客室乗務員を通じて行ったことは、いずれも巧妙である。また、函館空港に着陸してから乗客乗員が解放されるまでに約一五時間を要しており、航空機の運航支配は長時間に及んでいる。そして、この間、乗客乗員は食事を取ることができず、トイレに行くことも制限された状態に置かれていたが、その中には高齢者や乳幼児、心臓疾患のある者もいたにもかかわらず、被告人は、食料の差し入れや乗客の一部解放などを一切拒絶しており、あまりにも非情である。このように犯行態様は悪質である。
六 その結果、合計三六四名という多数の乗客乗員が精神的肉体的苦痛を被ったことは明らかであり、とりわけ、被告人から脅迫文言や命令を直接聞かされ、機長や管制塔との連絡役を担わされた客室乗務員の緊張と疲労は計り知れない。しかも、本件により航空会社等が被った経済的損害は、五〇〇〇万円を超えている。
七 以上によれば、被告人の刑事責任は相当重い。
八 しかしながら、被告人が使用した道具の中で殺傷能力が認められるのは角錐のみで、銃器や爆発物を用いた暴行脅迫によりハイジャックを行った場合と比較して、乗客乗員の生命身体に対する客観的な危険性はそれほど高くはなかったこと、ハイジャックの場合には人の生命・身体に対して客観的な危険性の高い凶器等を購入準備することは通常であり、本件の犯行計画にはそれ以上のち密さや周到さがあるとはいえないこと、乗客の中には旅行日程を変更した者がいるとはいえ、航空機の着陸地が目的地から変更されたわけではないことなどを考慮すると、本件は、ハイジャック事犯の中で特に悪質な事案とまではいえない。
加えて、被告人には本件を真剣に反省している態度が認められること、前科前歴が全くないこと、公判でもぜん息の症状を訴えるなど健康状態に不安を抱えていることなど被告人について酌むべき事情もある。
九 以上のような諸事情を総合考慮して刑を定めた。
(検察官 千葉雄一郎、岡本哲人
私選弁護人 米塚茂樹(主任)、松本剛
各出席)
(求刑 懲役一五年)
平成九年三月二八日
函館地方裁判所刑事部
(裁判長裁判官 荒川英明 裁判官 後藤真知子 裁判官 森島 聡)