函館地方裁判所 昭和37年(わ)122号 判決 1965年12月16日
主文
被告人沢田孝二を懲役四月に
被告人福田郁夫を懲役三月に
被告人金幹雄を懲役二月に
被告人成田孝を懲役二月に
それぞれ処する。
右被告人らに対しいずれもこの裁判確定の日から一年間それぞれその刑の執行を猶予する。
被告人成田孝に対する公訴事実中艦船不退去の点は無罪。
被告人大川清隆および被告人伊藤寿雄はいずれも無罪。
訴訟費用中、証人佐藤祐司(昭和三九年九月四日支給分)、同木口謙治(同年三月一九日及び同年五月一四日各支給分)、同永谷茂、同福本泰守(同年六月一六、一七日各支給分)、同桜田良太郎(同)、同米田三夫(昭和四〇年四月一六日支給分)、同畠山孝一(同年五月三一日支給分)、同丸山忠(同年五月三一日、同年六月一日、及び同年九月一三日各支給分)、同金子守一(同年五月三一日及び同年六月一日各支給分)、同小田新一(同年五月三一日支給分)、同羽生辰一郎(同年六月一日支給分)、同堀口治寛、同萩上元春に各支給した分は被告人沢田孝二、同福田郁夫、同金幹雄の、証人佐藤祐司(昭和三八年六月一〇日、一一日各支給分)、同永田繁、同中沢祐司、同〓見兵太、同藤森庄次郎、同小田新一(昭和三九年一二月九日支給分)、同山田耻目、同石川俊彦、同高田秀明、同佐々木勝伴に各支給した分は、被告人沢田孝二、同成田孝の各連帯負担とし、証人岩淵繁、同丸崎喜一(昭和三八年一〇月一日及び同年一一月八日各支給分)、同岩淵誠、同佐藤一郎、同佐藤善樹、同近藤秀雄(昭和三九年一二月九日及び昭和四〇年一月七日各支給分)、同青木正、同米田三夫(同年一月八日支給分)は被告人沢田孝二の負担とする。
理由
(有罪部分に関する事実)
第一、第八青函丸関係―艦船侵入
(一) 本件に至る経緯
日本国有鉄道青函船舶鉄道管理局(以下青函局と略称する)は、青函連絡船における船舶運行の近代化合理化の一環として昭和三〇年に第一次五ヵ年計画を樹立し、この計画に従い青函連絡船の燃料方式の機械化、自動化を推進することとし、まず渡島丸について手焚きから自動給炭装置(ストーカー)に切替えたのに始まり、昭和三五年頃までに貨、客船につきそれぞれオイルバーナーないしはジーゼル船への切替えを順次実施して来ていたが、右機械化による乗員の減員ひいては作業内容の改善が要求されるに至つているとし、これを理由に右合理化の第二次五ヵ年計画の冒頭年にあたる昭和三五年の一二月一八日、日本国有鉄道労働組合青函地方本部(以下青函地本と略称する)等の労働組合に対し、機関係、船客係等の基準要員を改正し、青函連絡船全体として合計一三〇名ほどの人員を減じこれを陸上の船員区に配置替えする旨の第一回提案をするに至つた。これに対し青函地本は、すでに右提案がなされる以前から各船舶はその機械化に伴いその都度定員を削減してきたのであつて当局の今回の定員削減はむしろ将来に計画されている新造船を基準として定員の削減を企図するものであるから、現時点においては合理的な根拠はなく、その実質は単なる人べらしによる労働強化以外のなにものでもないとの結論に到達し、青函局に対し、定員削減の明確な根拠を呈示しこれについて説明することおよび基準要員の改正は労働条件の変更を伴うものであつて青函地本との協議により決すべき事項であるから、右地本との間に妥結するまでは一方的にこれを実施することのないように強く主張し、その後両者の間で四、五回の交渉が持たれたが、なおその具体的な内容に触れる討議はなされないで経過していた。
次いで、青函局は、青函地本の質問等に基づき各連絡船の作業の実態、運航保安に及ぼず影響等を再検討した結果、昭和三六年一二月一五日前示提案の修正第二次案として連絡船全体で合計一一一名を減員する案を最終的に提案し、その際基準要員の改正は、当局の管理運営に属する事項であつて、地本との間で決定すべき事項でなく、単に事前協議協定に基づく話合いに過ぎないものであるから地本との間に協議がととのわなくても翌三七年一月中旬頃までに実施する旨を明らかにし、各船内において船長自らこれを周知徹底させようとして乗組員に対する訓示がなされるような状況となつたので、青函地本としても、右提案の内容について解明を求めストライキに訴えることなく当局との交渉を継続するが、船舶については陸上と異り勤務に特殊性があり、その特殊性から来る勤務上の諸問題、例えば連絡船乗組員の勤務時間の始期、終期を明確にし、休息時間、休暇等の基礎となる勤務時間が確定され、また新造船による合理化の全ぼうが明らかにされたうえで、一一一名の定員削減問題が妥当なものであるか否かを協議するとの基本的立場を明らかにして交渉に臨んだ。かくして、昭和三七年一月一〇日以降は連日のように双方の間で定員削減問題をめぐつて交渉が持たれたのであるが、その前提事項について議論は依然平行線を辿り、定員削減につき実質的討議の機会がないままになつていた。そして、青函地本は右のように交渉を進める一方、前記第二次案が期限付で提起され、当局がこれを一方的に実施する決意にあることを重視し、執行委員会において、右提案の一方的実施を緊急に阻止すべきであるとの結論に達し、その具体策として各船舶分会に対しては船長との交渉を通じ乗組員の意向を当局に反映させるよう働きかけ、さらに組合員の団結をかためるためにビラ貼り活動を積極的に推進することを決定し、同三六年一二月頃からこれらを実施していたが、同三七年一月六日各船舶分会の代表者会議を開いて抗議行動をもりあげることを確認し青函地本自体としても同月一四、一五の両日にわたり各船舶においてビラ貼り等の行動をすることを決定した。これに対し青函局側もかかる行動への対抗手段として、同三六年一二月二一日頃、総務部長から各船長あての通達により「組合活動によるビラは所定の場所以外に貼つてはならない、船長」なる掲示をするよう指示し、同月二三日にはその旨の掲示を各船内の普通船員通路に貼り出し、さらに同三七年一月頃までに各船の舷門等に「船長の許可なく本船乗組員以外の乗船を禁ずる」との木札を立てるなどの措置を講じていた。
(二) 罪となるべき事実
右昭和三七年一月当時、被告人沢田孝二は国労青函地方本部執行委員のほか同教宣部の業務を担当していた者、被告人福田は同地方本部の執行委員をしていた者、被告人金は同本部青年部長をしていたものであるが、同年一月一五日午前九時三〇分頃、前記地本執行委員会の決定に基づき、同地方本部の所属組合員約六、七〇名と共に函館市内の青函地方本部前に集結し、被告人福田を総指揮者として全員をビラ貼り班、現認排除班各三班ずつ計六班に編成したうえ、ビラおよび糊を入れた缶をそれぞれ携行してバス二台に分乗し、同市港町日本国有鉄道青函局函館桟橋(通称有川桟橋)に向け出発した。他方同青函局勤務の船長永谷茂は、右一五日が勤務日であり、第八青函丸(日本国有鉄道所有青函連絡船)に乗船勤務するため、青函局前を午前一〇時三五分発の専用バスで右有川桟橋に向つたのであるが、組合員が当日船舶にビラ貼りにやつて来るとの情報を得ていたので作業等の混乱を予想し、当局の管理職員五名に応援を求めてこれを同行して右有川桟橋の第三岸壁に赴き、同日午前一一時一五分頃右岸壁に接岸中の第八青函丸に乗船し、船長室で事務引継ぎを終えた後、船内の上級職員を集合させ、組合のビラ貼り行動に対抗してこれを阻止するべく要員の配置を決め、永谷船長は自ら舷門において、また木口一等航海士は船尾貨車甲板でそれぞれ指揮をとり、福本一等航海士は船橋においてマイクによる放送を担当する等の手筈を決めそれぞれその配置についた。その頃、前記のようにバス二台に分乗した労組員が第三岸壁の附近にある船員区分室前の広場に着き、二集団に分れて第八青函丸の方に接近し始めたので、右福本一等航海士はマイクを舷門に向け放送を開始し、午前一一時二九分頃から約一分間隔で数回にわたり「船長の許可なく乗船を禁ず、船長」と呼びかけ、これとともに永谷船長は船橋を降り、舷門で立入を阻止しようとして同所において待機の姿勢をとつた。被告人沢田、同福田、同金はここにおいてほか六、七〇名の同行労組員との間で、右第八青函丸に入り込んで船内各所にビラ貼りをし或いは船内オルグを行つて組合側の意思を結集させようとの意思を相互に共通にしたうえ、同日午前一一時三〇分頃右福本一航の乗船禁止の放送を無視し、まず被告人金ほか三〇名ほどの組合員が前記木口一等航海士が手を振つて制止したのもかまわず船尾附近の岸壁から被告人金の笛を合図に貨車積かえ作業中の第八青函丸貨車甲板に次々に飛び乗り、また、被告人沢田、同福田を先頭にした三、四〇名の組合員は永谷船長の入るなという制止も聞かず、舷門タラツプを通つて同船内に押し入り、もつて右船長管理にかかる右船内に故なく侵入したものである。
第二、長万部駅関係―建造物侵入、公務執行妨害
(一) 本件に至る経緯
日本国有鉄道労働組合(以下国労と略称する)は、日本国有鉄道(以下国鉄と略称する)の職員を組合員とする労働組合で、昭和二一年に結成され昭和三七年頃には国鉄内における全労働組合員の四分の三以下をその傘下に収めていたものであるが、同三七年二月七日、国鉄当局(以下当局と略称する)に対し昭和三六年度(昭和三七年三月末日まで)の年度末手当の支給に関し、国鉄の収益状態を勘案のうえ「基準内賃金の〇・五カ月分プラス三、〇〇〇円」を要求し、書面でこれを申し入れたところ、当局から同月二二日頃交渉により決するとの回答を受け、爾来数回にわたり団体交渉(双方での担当者間交渉を含む)が行われた結果、当局は同年三月二三日頃「基準内賃金の〇・四カ月分を支給する、細かい配分の方については団体交渉をする」旨、文書で提案をした。しかし国労においてはこれを受諾しなかつたため妥結に至らなかつたが、同月二六日頃になつて、当局が国労のほか国鉄動力車労働組合(以下動労と略称する)、国鉄職能別労働組合連合、国鉄地方労働組合総連合の国鉄内各労働組合に対し最終案として「基準内賃金〇・四カ月分プラス一、〇〇〇円とする」旨提案したところ、翌二七日に国労を除く右動労ほか二組合が右提案を受諾する旨回答したので、右国労以外の三組合に対する年度末手当の団体交渉は順次妥結するに至つた。
ところで国労は団体交渉を継続する一方、同年三月一三日には、同年三月二八日以降四月上旬にかけて実力行使することを決定し、各地方本部に対し「三月三一日各地方本部は運転関係職場一、二カ所を選定し、一時間を目標として戦術的効果を高める」旨の中央本部スト指令第二三号を発し、団体交渉に臨んでいたところ、同月二六日には前記動労ほか二組合の妥結への動きを察知したので同夜急遽中央執行委員会を開催し、国鉄当局が多数組合である国労をさしおいて第二組合その他少数組合と先に団交を妥結することは、国労の既得権の侵害であるとして当局に対し厳重に抗議したところ、同夜国鉄当局は国労優位の慣行を確認し、国労との間に二七日午前の団体交渉に委ねるとの申合せが成立した。ところが同二七日早朝になつて右動労ほか二組合が当局との交渉を妥結したところから、国労はこれを当局の国労に対する重大な背信行為として憤慨するとともに、多数組合員を擁する国労をさしおいて他労組と妥結することは、前夜の約束を破棄し従来の慣行を無視するものであり、これがひいては国労の組織の弱体化を企図するものであるとして、当局に対し前記三組合との妥結を棚上げするよう申し入れたが、これに対し当局はその主張のような約束をした事実はなく労使の慣行にも違反するものでないとして右申入れを拒否し、前記当局側最終案の受諾と、受諾されない場合における一方的支給を主張し、かくて団体交渉は全く進展をみない状態にたち至つた。そこで国労としては当局に対し反省を促すとともに慣行の尊重、団結権擁護のため、中央執行委員会は各地方本部委員長にあて指令第二四号をもつて「各地方本部は、三月三〇日二二時以降、同月三一日八時までの間に運輸運転関係職場を指定し、勤務時間内約二時間の時限ストを行う」旨のいわゆる三、三一闘争指令を発し、これと並行してさらに国会での政治工作をも進めていた。
国労青函地方本部(以下青函地本または地本と称する)はすでに同三月中旬頃執行委員会を闘争委員会に切替えていたものであるが、同月二八日、右指令第二四号文書を受領したので、直ちに闘争委員会および戦術委員会を開き、右指令に示された時限ストの必要性を確認するとともにその実施について協議し、青函地本としては長万部駅を指定職場とし、右時限スト中の職場大会の開催通知とともに約三〇〇名の動員指令を発して闘争体制を固め、闘争本部を長万部に移して地本の執行委員を集結し、同月二九日には同所において闘争委員会を開いたうえで「三月三一日の時限ストの時間帯は三〇日の午後一〇時から翌三一日の午前八時までとする。具体的な問題については戦術会議に一任する」旨の方針を決定し、同三〇日には労組員の動員者約三〇〇名を長万部駅近くのよしの旅館に集結して待機させたほか、午後一〇時から右旅館において開催の戦術会議では最悪の事態に立至つた場合には時限抗議ストの突入時間を同三一日午前〇時から五時までとする、この中で職場大会を開催し全員の参加を求める等の方針を決定した。
これに対し、青函局は闘争の拠点が長万部駅とされたことを察知し、三月二九日付の「駅員諸君に告ぐ、長万部駅長」と題した職員の良識ある行動を期待する旨の文書を各職場長に発して、右三、三一闘争に対する警告を発し、各職場長にこれを徹底するよう措置を講ぜしめ、組合員による信号所占拠、およびそれによる列車停止の事態を予想しこれに備えるべく、同月二九日午後から青函局局長以下関係者が集つて対策について協議し、国鉄の正常な運転業務を確保すべく、長万部駅構内への立入禁止、信号所確保のための警備員動員およびその配置等について決定し、同月三〇日から三一日にかけ勤務する職員に対し業務命令書を交付したほか右決定に基づいて長万部駅構内に立入禁止立札を立て、三月三〇日には長万部駅長室に対策本部を設置し、同日午前四時すぎ頃から同駅近くのあずま旅館に対策本部長である運輸部長以下当局の非組合員約三〇〇名が集合して、対策本部長は対策について具体的に指示し助役の中から長万部駅構内所在第一信号扱所、第二信号扱所(以下一信、二信と略称する)に各二名、同第四テコ扱所(以下四テコと略称する)に一名をそれぞれ配置し、長万部駅長〓見兵太は、同人らに勤務員の監督と勤務員が職場を離れた場合の代務の任務を命じ、任務を令ぜられた助役らは同日午後八時頃からそれぞれ任務につき、そのほか当局側非組合員約九〇名が右一信に、約八〇名が二信に、約二〇名が四テコにそれぞれ警備のため配置され、鉄道公安職員も、一信と二信にそれぞれ一〇名が配置され待機していた。
(二)、罪となるべき事実
(イ)、前記第二信号扱所は山越郡長万部町字長万部の国鉄長万部駅構内北部に位置し、主として同駅の下り方面(札幌方面)列車の信号機を取扱う所であり、同所には前記当局側の指示により同駅の岩渕繁助役が配置され、同助役は長万部駅長〓見兵太の命により昭和三七年三月三〇日午後八時一〇分頃から、同扱所の当夜の勤務員を監督するとともに、該勤務員らが職場を離れた場合における代務の任に就くべく同信号所二階で待機し、また同所への階段昇り口周辺には、当局側警備員および公安職員約七、八〇名が警備についていたが、同月三一日午前〇時三〇分頃、前記よしの旅館附近道路に国労側労組員が集結し始めたところ、これを知つた当局は、急遽公安職員約一〇名および第四テコ扱所に配備した警備員二〇名を二信の警備のため移動させ、従前の警備員と合流のうえ約一〇〇名でスクラムを組み右階段昇り口を中心として鍵形にその警備体制を固めた。他方右よしの旅館を出発した地本の小田新一副委員長指揮の労組員約二五〇名は、同日午前一時頃同駅機関区裏側から転車台の前で整列した後、駅構内を四列縦隊で二信に向つて行動を開始し、二信入口から北側約四〇米の地点で停止して当局側警備員と対峙した。そして小田副委員長ほか二名が進み出て、当局側の永田繁運転課長らに対し、組合の権利行動であるから当局は警備を解き退去するよう申し入れたが、右永田課長が正常な業務の運営を阻害するものであるから応じられないとしてこれを拒否したことから話し合いは決裂し、小田副委員長の指揮のもと、国労の隊列は二手に分れ、二信入口の山側および線路側の双方から当局警備員を狭撃し、ここで双方間に激しい押し合い揉み合いが展開された。その結果、双方に或程度の負傷者を出したすえ同日午前一時五分すぎ頃には、右二信周辺は組合側において占拠するところとなつたが、その頃、被告人沢田孝二は、執行委員会の決定に従い、右二信に入つて当時二信に勤務する労組員に職場大会への参加を呼びかけるとともに同所で待機中の監督職制の者に対しては説得によりその協力方を強く要請する目的で、前記のように他の組合員らと共に当局側の警備を排除したうえ、二信入口の階段をかけあがり、前記長万部駅長〓見兵太管理にかかる右第二信号扱所二階屋内に故なく侵入し、同所に勤務中の数名の組合員に対してよしの旅館で開かれる職場大会への参加を呼びかけ、その頃相ついで同所に入つて来た執行委員の青木正、同米田三夫との間で、同所に待機していた前記岩渕助役を多少の実力によつてでも同所から排除しようとの意思を共通にしたうえ、同所の奥にある長椅子に腰かけていた右助役に対しそれぞれ同所から退去するよう説得をこころみたが、同助役からこれを拒否されるや、右青木、米田において同人の肩および腕にそれぞれ手をかけて引つぱり、後ろから押すなどして同所入口階段上の踊場まで連行し、同所でさらに同助役の肩を押す等の暴行を加え、もつて同助役の前記公務の執行を妨害し、
(ロ)、第一信号扱所は、長万部駅構内南西部に位置し、主として同駅の上り方面(函館方面)列車の信号機を取扱う所であり、同所には高田秀明および佐々木勝伴両助役が配置され、同年三月三〇日午後八時頃から前記第二信号扱所の岩渕助役と同一の任務について待機し、同扱所の階段昇り口および同所南に位置する継電器室周辺には当局側警備員および公安職員約九〇名が警備についていたが、前記のように第二信号扱所が組合側の手に帰したのち、同日午前一時二〇分頃には当局側がその要員を糾合して一信の従前からの警備員らとの合体させ、第一信号扱所を保持すべく公安職員が一信階段に、警備員がその昇り口および一信と継電器室間の隘路に警備の陣形を敷き守りを固めていた。他方国労としては二信で警備員排除の目的を達したので、その頃小田副委員長の指揮のもと労組員約二〇〇名を糾合し、四列縦隊で第一信号扱所に向い一信から約一五米離れた西側線路上で右副委員長を先頭にして四列縦隊のまま停止し、そこで二隊に分かれて整列し行動の姿勢をととのえ、ほかに国労青年部の一団もこれに加わり、当局側警備員と対峙した。このとき双方から二信におけるような揉み合いがあれが怪我人が出るので話し合いで事態を収拾する方法はないかということになり、国労側米田三夫委員と、当局側中村定雄工事課長らとの間で、当局は公定職員を階段から降ろし、組合は狭撃をやめる、当局側は押されれば下る、組合側は線路側からやんわりと押す、との妥協が成立し、公安職員が二信階段からおりて継電器室を廻わり線路側に出ようとしたところで、組合側は、青年部を先頭についで小田の率いる一隊が、漸次一信と継電器室間の当局側警備線を押してほどなく階段附近まで押し進み、こうして一信階段昇り口附近は組合側の占拠するところとなつたので、この状況を一信と第一鉄道寮間の石炭がらが高く積まれている所から見ていた被告人成田孝は、同信号所に勤務する労組員に職場大会への参加を呼びかけるとともに同所で待機中の職制の者らに対し説得の方法によりその協力方を要請する目的で、右階段をかけあがり、ついで、前記組合側隊列の先頭に立つていた被告人沢田孝二も続いて同目的で右階段をかけあがり、前記長万部駅長〓見兵太管理にかかる第一信号扱所屋内にそれぞれ故なく侵入し
たものである。
(証拠の標目)省略
(法令の適用)
被告人沢田孝二、同福田郁夫、同金幹雄の判示第一の(二)の所為は刑法第六〇条、第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人沢田孝二の判示第二の(二)の(イ)の所為中建造物侵入の点は刑法第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、公務執行妨害の点は刑法第六〇条、第九五条第一項に、被告人沢田孝二、同成田孝の判示第二の(二)の(ロ)の所為は各刑法第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号にそれぞれ該当するが、右第二の(二)の(イ)の建造物侵入と公務執行妨害との間には手段結果の関係があるので刑法第五四条第一項後段、第一〇条により重い公務執行妨害罪の懲役刑で処断することにし、被告人沢田孝二の以上の各罪は同法第四五条前段の併合罪であるから、同被告人については同法第四七条本文、第一〇条により最も重い右公務執行妨害罪の懲役刑につき法定の加重をした刑期範囲内でその余の被告人についてはいずれも所定刑中懲役刑を選択しその所定刑期範囲内で、被告人沢田孝二を懲役四月に、被告人福田郁夫を懲役三月に、被告人金幹雄、同成田孝を各懲役二月にそれぞれ処し、情状により同法第二五条第一項を適用して各被告人に対しいずれもこの裁判の確定した日から一年間右各刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文、又は同条項と同法第一八二条により、主文掲記のとおり被告人らに負担させることとする。
(弁護人の法律上の主張に対する判断)
一、弁護人は、被告人沢田らの第八青函丸への立入は、いずれもビラ貼り、オルグ、職場大会への参加呼かけのため、右船舶の舷門ないし職員が間々通行することのある貨車甲板から入つたもので、ビラ貼りの個所を貨車甲板内壁等に限定し、しかも出航準備(スタンバイ)に入る前に引揚げるなどの配慮をしていたから同船の業務に影響もなく、従つて右立入はその目的、方法においても社会観念上正当な行為であるというべきであると主張する。確かに被告人らがその主張のような配慮のもとに行動したことは証拠により認められ、また一般にビラ貼り、オルグ、乗員の大会参加呼びかけそのものは業務に支障を招来しない限度で、かつ、それが社会的に相当なものである限り労働組合の意思表示ないしは組織活動として容認せられ、これを違法視することは許されないけれども、本件における被告人らの所為は、判示認定のとおり労組員約六、七〇名の多数をもつて同船船長らが制止するのを無視して船内に侵入し、第二三回公判調書中証人桜田良太郎、同福本泰守の各供述部分によれば、労組員において積替え作業中の貨車甲板等に約一、〇〇〇枚のビラを貼つた事実が認められるのであつて、以上によれば本件侵入は碇泊中の船舶を対象としたビラ貼りを主眼とするものであつたと窺われ、侵入場所が国鉄連絡船であつて、人命、船体、船内各機器等の安全保守のための特別の配慮を要する特別の船舶であることをも考慮すれば、かかる目的、態様による被告人らの艦船侵入の所為はこれを社会観念上許容されるものとすることはできない。
二、次に、弁護人は、第二信号扱所および第一信号扱所屋内への立入はいずれも被告人沢田、同成田が右各信号扱所に勤務する労組員に対し、抗議時限ストに際して行われる職場大会に参加を求めるためのオルグ活動であつて、事実上も右組合員に対し説得によつて参加を求め、同時に組合員を監視する地位にある職制に対し平和的に協力を要請したにすぎず、他方執行部の責任者が入るようにとの配慮までしているのであるから、右被告人らの各立入はその目的手段方法においても社会的に相当な行為であると主張する。しかしながら被告人らの所為は、判示認定のとおり、国労地方本部の決定に基づき、団体交渉再開などの組合の主張を貫徹するためピケ隊を組織し、各信号扱所周辺の当局側警備員を排除したうえ、被告人らにおいて当時各信号所に勤務する労組員全員に職場大会の参加を呼びかけるとともに、その障害となる職制に退去を執拗に説得しようとの目的を有していたもので、以上によれば被告人らは右職制をも信号所から退去させることを予定し、ひいては信号機操作その他列車運行の支障を認容していたと見うるから右のような目的、態様による建造物侵入の所為はもはや社会観念上正当性の限界を逸脱するものと判断せざるを得ない。
三、以上の次第であつて、公労法第一七条がその代償措置の実効性との関係で、憲法に違反する疑があり本件時限ストが適法なものとの見解に立つとしても、なお右各侵入の所為はいずれも結局違法行為としての評価を免れず、結局弁護人の右主張はすべてこれを採用することができない。
(無罪理由)
第一、被告人成田孝に対する艦船不退去について、
右に関する公訴事実の要旨は、被告人成田孝は昭和三七年一月二八日午後八時三〇分頃、日本国有鉄道青函船舶鉄道管理局函館桟橋第一岸壁より出航直前の右国有鉄道所有にかかる青函連絡船第七青函丸内において、同船船長遠藤次郎吉から数回に亘り直ちに下船するよう強く要求されたのに、右要求を無視して同船内に踏み止まり、同日午後九時五三分頃まで同船より退去しなかつたものである、というにある。
公判調書中証人佐藤祐司(第二六回)、同米田三夫(第三五回)、同小田新一(第三六回)、同遠藤次郎吉(第二三、第二四回)、同奈良敏郎(第二五回)、同津野実(第二五回)、同高桑正身(第三七回)、同古山政雄(第三八回)、同金幹雄(第三八、第三九回)の各供述部分、第三九回公判調書中被告人成田孝の供述部分、検察官作成の実況見分調書および当裁判所の検証調書(昭和三九年一月二九日、同年八月一七日各実施)を総合すると次の事実が認められる。
国労青函地方本部は、前記(有罪部分に関する事実)第一、第八青函丸関係―艦船侵入(一)本件に至る経緯に記載のとおり、昭和三六年一二月頃から船舶に対するビラ貼り活動を続ける一方、当局との間で一一一名の定員削減問題をめぐり交渉を重ねていたのであるが、昭和三七年一月二二日頃になつて、国労青函地本が右の問題は労働条件の変更であり団体交渉により決すべき事項であると主張したのに対し、当局は基準要員の改正は当局の管理運営事項に属するから一方的に実施できるものであるが、国労青函地本との協定により事前協議事項となつているので単にこれについて国労青函地本に呈示、説明すれば足り、同地本の同意を得るを要しないとの立場を堅持したことから交渉は行詰り、当局は同月二三日には、事前協議に基づく組合に対する説明は終つたとして、定員削減の第二次案を組合に通告し、同月二四日からは右定員削減案による配置替え対象者に対する事前通知の手続を進め、これについては従前の慣行とは異なり該当者を船長室に呼びつけたり、その他機関長らの職制が、家庭訪問などして右通知の受諾を説得するに至つた。これに対し、国労青函地本としては、右事前通知をとりまとめ一括返上するとの方針を決定していたのであるが、前記のように事前通知が隠密裡に行われていて、この通知を受けた者の氏名等の正確な事実がつかめない状況にあつたため、第七青函丸を含む各連絡船に対するオルグをすすめ事前通知の実態を把握し、各船舶支部組合員に対し地本の前記の方針を周知徹底させ、事前通知の対象者に対しては動揺することなく地本の団結の力に信頼して右事前通知を返上するように指導することが緊急の問題となつていた。そこで、国労青函地方本部は同月二四日公共企業体等労働委員会札幌地方調停委員会に斡旋申請をして団体交渉再開を求める一方、組合役員のオルグを各船舶へ派遣して、これが処理に当ることを決定し、被告人成田は右決定にもとづき昭和三七年一月二八日午後八時三〇分頃、ほどなく出航予定の第七青函丸に、航海中その非直者を対象としてオルグをする目的で乗り込み、同船船長の遠藤次郎吉に対し、当面の問題につき非直者に対しオルグに来た旨挨拶したのち甲板部船員居室において出港をまつて事前通知問題に対する地方本部の態度とその対策等について非直の組合員らとの間で話合いを進めようとしていた。もつとも国労青函地本の第七青函丸分会としては右成田のオルグを要請はしていなかつたが、青函地本執行委員である被告人成田の来船を知り、同人から定員削減問題につき事情説明を受けることにしたところ、これに対し同船の遠藤船長は、かねて青函局海務部長から組合役員を乗船させたまま出航してはならない、と厳命されていたので、右命令を固守し成田において下船しない限り船を出航させるわけには行かないと終始強硬に主張し、さらに青函局海務部津野運航課長や同海務部佐々木監督も来船し、船長と共に同被告人に対し下船方を要求し、他方青函地本金青年部長も来船し、交渉の結果、当局側も組合側も同時に下船する旨の了解がつき、被告人成田は同日午後九時五〇分頃下船したものであるところ、同船は遅延のため青森における貨車の継送が困難になつたとの理由により運休させられることとなり、当夜沖出し(函館港内に停泊)され、青森に向け出港することなく終つたものである。
そして、以上の事実に徴すると、被告人成田の第七青函丸への乗船は、青函連絡船の基準要員の改正という青函地本組合員の勤務条件に重大な影響を及ぼす問題につき当局との間に切迫した事情が生じた時期において、地本の決定にもとづき同連絡船分会の組合員を対象として、事前通知の実態を調査しかつ組合員に地本の方針を徹底し、もつて組合の統一的行動を確保しようとしたものであつて、その目的において正当であり、また被告人は単身、かつ船長に対し組合役員の身分を明らかにし乗船の目的をつげて、公然と平和的に乗船したものであつて、その手段方法においても不都合の点はない。当局は、乗船オルグは航海中は船舶の安全上許すことはできない、というのであるが、特段の事由がない限り、青函地本の役員が単独で乗船オルグをすることが船舶の安全を害するおそれがあるものとは認められず、本件被告人成田の乗船の場合に、前記の目的、手段方法その他諸般の事情を考慮するとき、特にこれを禁止しなければならないような特段の事情があつたものとは認められない。のみならず停泊中のみに乗船オルグを認めるものとすれば、停泊時間は一般に短時間であり、その間には貨客の積降し、勤務員の交替、物品の受取り等の諸作業があつて、このような時間帯におけるオルグ活動のみでは組合はその法で認められた権利を十分に行使するをえないものと認められる。してみれば、遠藤船長が被告人成田に退船を要求したことは不当であつて、被告人成田がこれを拒否して退船しなかつたからといつて直ちに艦船不退去罪を構成するとすることはできない。従つて本件は犯罪の証明がないことに帰するので、被告人成田孝に対しては刑事訴訟法第三三六条により無罪を言渡すべきものである。
第二 被告人沢田孝二、同成田孝に対する公務執行妨害について
公訴事実の要旨は、被告人沢田、同成田はほか数名と共謀のうえ、昭和三七年三月三一日山越郡長万部町字長万部所在長万部駅構内第一信号扱所において、同駅々長〓見兵太の命令により勤務員を監督しかつ右勤務員が職場を離脱した際その職務を執行するため待機中の山崎駅助役高田秀明に対し退去方を要求しこれを拒否されるや、同人の腕を引張り背後から押す等の暴行を加えて所外に連れ出し、もつて同人の公務の執行を妨害したものであるというのである。よつて検討する。
被告人沢田、同成田が長万部駅構内第一信号扱所内に侵入するに至つた経緯は判示有罪部分第二の(二)の(ロ)で認定のとおりであるが、第三三回公判調書中被告人沢田、同成田の各供述部分、公判調書中証人高田秀明(第一二回)、同佐々木勝伴(第一二、第一四回)、同小田新一(第二七回)、同奈良岡兵治(第三〇、第三一回)の各供述部分、当裁判所の検証調書(昭和三七年一一月二七日、同三九年七月一七日各実施)、司法警察員中垣内美清ほか一名作成の実況見分調書(第一信号扱所関係)を総合するとさらに次の事実が認められる。
高田秀明、佐々木勝伴両助役は、当局の指示により長万部駅構内第一信号扱所で待機していたところ、昭和三七年三月三一日午前一時一〇分頃、同所勤務員が第二信号扱所は組合の占拠するところとなつたと電話をうけ復唱するのを傍らで聴き、その後第一信号扱所二階の継電器室側窓辺で、行きつ戻りつして周囲の状況をみていた。そのころまず被告人成田が同所に入り、右高田助役に対し「出てくれ」と云つて勤務員の職場大会参加への協力方を要請するため説得を始め、次いで沢田が入つて来て勤務員に右大会への参加を呼びかけ、右佐々木助役に対し「協力して貰えんか」と云い説得にかかつた。しかし、佐々木助役は「わかつた」と云つて右要請に応ずる姿勢を示したのに反し、高田助役は「私がおりる必要はない。君たち出なさい」と答えただけで沈黙を守り、成田の話しかけを避けて同扱所中央から入口近くのストーブ附近を行き来して歩くばかりであつたところ、その頃、右一信と継電器室間で後記第三で認定するような当局と組合とのぶつかり合いによる怒号が聞えたので、被告人沢田、同成田は直ちに右継電器室の窓側に近寄つて当局側に対しその暴挙をなじり、事態が平静に帰するのを待つて、再び、同所中央附近にいる両助役の所に帰つて、成田が高田助役に、沢田が佐々木助役にそれぞれ説得を続けた。その頃、右佐々木助役はこのままいても仕様がないと思い「わかつた」と云つて中央のてこ附近から一人で出口の方へ歩き出し、高田助役もその三、四歩あとを更衣箱附近から出口の方へ歩き出すようだつたので、成田は、高田助役に寄り添い、同助役の左腕に自己の腕を軽く触れるようにしてその歩行を助けて進んだが、同助役は発言することはもちろん被告人成田の手を払う等の行動もなく、右佐々木助役に続いて踊り場に出たところ、同所で僅かに立ち止まりうしろをふり返つた。そこで成田は、同助役の背中に軽く手を触れてこれを押すようにしたところ、ほどなく同助役は自ら一信階段をおりて行つた。以上認定の事実によれば、右高田助役自身は当時一〇九列車の時間帯であつたから電話をかけに行こうとしたところ、被告人成田に腕をつかまれ、ふんばつたが右の入口の方へ強くまげられた旨述べているけれども(第一二回公判調書中証人高田秀明の供述部分)、前記認定のように第二信号扱所が組合の占拠するところとなり列車運行が停止した状況下ではむしろ佐々木助役の行動に促され、自らも大勢に同調するもやむなしの心理状態にあつたと認めるのが相当であり、また、成田の右所為(沢田は高田助役に対し全く手を触れていない)についてみても、その寄り添つて進んだ距離は二、三米に過ぎず、時間も極く僅かで、その程度においても同助役が第一信号扱所から退出するのを促すため加えられた軽微なものとみられ、無理にひつぱり或いは押し出そうというようないわゆる有形力の行使がなされたとは認められないので、これをもつて公務執行妨害罪における暴行を加えたと云うことはできない。
従つて、右の事実については犯罪の証明がないことに帰するから、被告人沢田同成田に対し、刑事訴訟法第三三六条により無罪を言渡すべきであるが、右は前記判示第二の(二)の(ロ)建造物侵入と牽連犯の関係に立ち一罪の一部とみられるからこれについて特に主文で無罪の言渡をしない。
第三、被告人大川清隆に対する公務執行妨害について
公訴事実の要旨は、被告人は昭和三七年三月三一日、山越郡長万部町字長万部国鉄長万部構内第一信号扱所附近において、同所警備勤務中の函館鉄道公安室所属鉄道公安主任加藤久男に対し背後からその首を締めて暴行を如え、もつて同人の公務の執行を妨害したものであるというにある。よつて検討する。
第三五回公判調書中被告人大川清隆の供述部分、同人の検察官に対する供述調書ならびに司法警察員に対する昭和三七年五月四日付(「前回に引続いて」)で始まるもの)、同月五日付(二通)各供述調書、公判調書中証人田上弥八(第一三回)、同大内義信(第一三、第一九回)、同加藤久男(第一五、第一九回)同長沼浩一(第一五、第一九回)、同小田新一(第二七、第二八回)、同米田三夫(第二九、第三〇回)、同笠島初男(第三一、第三二回)、同伊藤行雄(第三一、三二回)、同生森幸雄(第三五回)、被告人沢田孝二(第三二回)の各供述部分、押収してあるキヤビネ版写真集(昭和三九年押第八号の符号五の番号一、二のもの)、現場写真記録(イ)、(ロ)の番号各九ないし一三のもの、公判調書中証人平野一雄(第一八回、第二六回)、同横山孝一(第一八、第三八回)、当裁判所の検証調書(昭和三七年一一月二七日、同三九年七月一七日各実施)、司法警察員中垣内美清ほか一名作成の実況見分調書(第一信号扱所関係)を総合すると次の事実が認められる。
被告人大川清隆は昭和三六年一一月から国労青函地方本部連絡船渡島丸分会の副分会長をしていたのであるが、昭和三七年三月三一日の国鉄長万部駅における斗争に際しては、右渡島丸分会の労組員数名とともにこれに参加し、同駅の第二信号扱所が労組員において支配する状態となつた後同日午前一時三〇分頃、小田新一副委員長の指揮下、第一信号扱所の西側、線路側でスクラムを組んだ四列縦隊の隊列で先頭から四番目に位置し待機していたところ、その頃当局と地本の代表間で成立した前示第二の(二)の(ロ)で認定したとおりの妥協に基づき、組合側は右一信と第一鉄道寮側からの挟撃をやめ、右小田副委員長の合図で組合青年部に続いて一信と同所南側の継電器室間(約二・三五米)に位置する当局側警備員を漸次押して行きその先頭が接触を開始して右警備員を退去させた。そして約一、二分経過後の同日午前一時四〇分すぎ頃には右青年部の先頭が右の隘路を通過し、その頃公安職員は一信階段から降りて継電器室の南をとおつて線路側に移動していたところ、そのうちの三、四名が右労組員の隊列の横の方から、突然つつこめと掛声をかけて右隊列を分断するようにクサビ形にこれを突込んだのであるが、その際、被告人大川は労組員の隊列全体では前から一三、四列目、四列縦隊では最右翼に位置して、前記渡島丸分会の組合員生森幸雄と固くスクラムを組み、前列との間隔を密にし先行組合員に続いて継電器室の一信壁側の角にさしかかり、そのうしろからはなお数十名の労組員が同一方向にむけ押しにかゝつていたこと、前記継電器室を廻つて来た公安職員の先頭にあつた加藤久男主任は労組員の隊列の大川被告人とその前列の者との間にその右側から割りこんだこと、これにひき続いて公安職員が同様に大川の前後あたりに割り込んで激突したため、労組員の体勢がスクラムを組んだまゝ一信壁側に崩れるとともに、右隘路に入つた公安職員らの体勢も崩れ双方入り乱れて身動きすらできない状態となり体、足はもちろん腕等ももつれ接触し、後方からのわつしよいの掛声や喚声が渦巻くような状態に陥つたこと、加藤公安主任は、被告人大川の左手首をとつて列外に出そうとしたが同被告人が後ずさりする恰好で出てこないばかりか、自らも列外に出られなかつたところ他の公安職員がこの状況を認めて接近し大川を押したリアノラックの帽子をひつぱつたりし、その頃被告人大川と生森のスクラムが解け、遂に大川は右継電器室横に連行され写真を撮影されるに至つたことが認められる。
以上の事実を前提として考えると、本件において前掲した各公判調書記載部分によれば、証人加藤久男は「大川の左腕で首をしめ上げられたので、首しめた、首しめたと五、六回叫んで、同人の腕をつかんだまま写真をとるまで放さなかつた」旨供述し、同大内義信は「加藤が首をしめ上げられるようにしてのけぞつているのを一瞬見た、しかし首しめられた、との声は聞いていない」旨供述し、同長沼浩一も「加藤が首をしめられているのを見かけたし、首しめたとの声も二、三回聞いた」旨供述しているのであるが、これらを直ちに措信してよいかどうかは甚だ疑問である。一般に前認定のような多数人の入り乱れた混乱状態にあつては各人の事物認識に誤りなきを期し難く、とくに、右加藤証言のうち、首しめたと数回叫んだとの点は当時の極く短時間における揉み合い中に発せられたものとしては余りにも悠長であつて不自然であると思われるほか、証人平野一雄撮影の写真(前掲キヤビネ版写真集の一)にも右加藤が大川の腕をつかんでいることを認めることができないなど、同証言には事実の錯誤ないし誇張がないでもないことが窺われ、また証人長沼浩一を除くほか附近にいた被告人大川に対する公訴事実に関する全証人(当局側たると組合側たるとを問わず)がいずれも右加藤の首をしめたという声を聞いていない点を合わせ考えれば、加藤が右声を発したとの点は、これをにわかに認め難く、また長沼証言は、右加藤の声を聞いたとの点また大川が加藤に暴行を加えた事実につきその態様、位置など首尾一貫しないものがある点など、これも的確なものと評価し難く、また大内証言は、同人の自認する如く、大川暴行の目撃は一瞬のことに過ぎない、というのであるから、これまた誤りなきを期し難く、これをもつてしては、果して大川が加藤の首に手をかけたものかどうか、それを肯定するとしても、果して大川の故意によるものか過失によるものか容易に断じ難いものがあると思われるのである。そらにその現場において組合員の違法行為に関係する写真撮影の任務を有していた公安職員平野一雄証人及び同横山孝一証人らの証言によれば、「加藤らの揉み合つているところを直ちに写真にとつた。大川が加藤の後から密着しておおいかぶさるような状態になつていたのは見たが、大川が加藤の首をしめたのは見ていない」旨の供述があり、同証人らのその際撮影した全写真(前掲現場写真記録(イ)(ロ)の番号各九ないし一三、前掲キヤビネ版写真集番号二、および押収してある密着写真集(昭和三九年押第八号の符号四)四頁のSないし2まで)を検討してみても、ついに大川暴行の事実を認めることができないこと、被告人大川が、他の本件被告人らが当初より黙否権を行使していたのに対し、警察における取調以来一貫して暴行の事実を否認する旨の供述をしていたことなどの諸点も合せ考えると、結局大川が加藤公安主任の首を後からしめて暴行を加えたとの点については、これを証拠上確認することができず、本公訴事実については犯罪の証明がないことに帰着する。
よつて、被告人大川に対しては、刑訴訟法第三三六条により無罪を言渡すべきものである。
第四 伊藤寿雄に対する公務執行妨害について
公訴事実の要旨は、被告人はほか数名と共謀のうえ昭和三七年三月三一日、山越郡長万部町字長万部所在の長万部駅構内第四てこ扱所において同駅々長の命令により勤務員を監督しかつ右勤務員が職場を離脱した際その職務を執行するため待機中の同駅助役小形金作に対し退去方を要求しこれを拒否されるや、同人の右腕を掴み引張る等の暴行を加え、もつて同人の公務の執行を妨害したものであるというにある。よつて検討する。
第三四回公判調書中被告人伊藤寿雄の供述部分、公判調書中証人小形金作(第一六回)、同長井行雄(第一六回)、同畠山孝一(第三一、第三二回)、同羽生辰一郎(第三一、第三二回)の各供述部分、当裁判所の検証調書(昭和三七年一一月二七日、同三九年七月一七日各実施)、司法警察員中垣内美清ほか一名作成の実況見分調書(第四てこ扱所関係)によれば、次の事実が認められる。
第四てこ扱所は国鉄長万部駅構内に位置し貨車の仕別けをする信号機を扱う所であるが、昭和三七年三月三〇日には同所に小形金作助役が配置され、同助役は午後一〇時頃から同所において、当夜の第四てこ扱所勤務員らに対する監督と同勤務員らが職場を離脱した場合に代勤の任につくべく待機していた。ところで判示第二の(ニ)の(ロ)で認定のとおり第二信号扱所についで第一信号扱所における組合当局側の攻防が同月三一日午前二時前には終結したのであるが、その後、当局側の警備員および公安職員は長万部駅本屋にひきあげ、他方国労労組員は、同駅附近のよしの旅館に集結し同日午前二時すぎ頃から職場大会を開催する運びとなつたが、その際第四てこ扱所勤務の労組員が出席しないで残つているとの連絡をうけたので、船舶支部執行委員長の畠山孝一は被告人伊藤ら六、七名の労組員とともに午前二時五分過ぎ頃、右第四てこ扱所に赴き、右畠山において同所で勤務の長井行雄らに対し、右職場大会へ参加するよう呼びかけた。しかしいずれも事後における処分をおそれてこの呼びかけに応じようとしなかつたので、今後は被告人伊藤がこれを要請するとともに同人に右小形助役と職場を同じくし、一〇年来の知合いであるところから同助役に対しても同人が協力を求めてみるということになり、当夜は第四てこ扱所として操作すべき入替え機関車がなかつたこともあつて、まず同所勤務の労組員らを対象としてさらに大会参加を呼びかけたが、同組合員らは依然としてこれに応じようとしなかつたので、これは小形助役が同扱所入口附近の長椅子に腰かけ待機しているため出にくいからであると判断し、同一五分頃から長椅子に腰かけている同助役の右側に進み同助役に対し数分間にわたり当夜の一、二信が既に組合の手中に落ちた状況を説明し、組合に協力して第四てこ屋外へ出てくれるようにと静かに話しかけ同助役の右腕に自らの左腕を差しのべて組もうとしたが同助役が腕を固くしめていたため組めなかつたので、次いでかがみ込んで傍にあつた同助役の靴を同人の前に揃えようとしたところ、同助役はいきなり右肘で被告人伊藤を振り払つたので、同被告人は同所近くの石炭箱に尻もちをつくような恰好になつた。そこで右被告人はこの仕打に腹を立て同助役に対し「なぜこんなことをするんだ」と抗議するに至つたところ、同助役はしばらく沈黙の後「俺は出る」と云つて立ちあがり、これと前後して労組員の羽生辰一郎が同助役の横うしろから両手でその両肩に軽く手をかけて促し、同助役は右羽生から椅子にかけてあつた懐中時計をとつて貰つて同二時二〇分頃同所から外に出た。
そして、右認定事実によれば、右小形助役は右第四てこを出た動機としてお互に怪我でもすればと考えたというけれども(第一六回公判調書中証人小形金作の供述部分)、かかる四てこの情況下では自らだけが大勢に抗してその場に留つてみたところでもはや何の意味もないものと観念し、また、伊藤へのやや行き過ぎた動作に対する反省と、それに対して示された抗議に気勢をそがれて自発的に出る気になつたのであつて、被告人伊藤らの右助役と腕を組もうとしたなどの所為の如きは、前認定のとおり極めて軽微なものであり、同助役の同所を退出しようとの決意を促すにつき殆んど影響力を与えていないものと認められ、これを公務執行妨害罪にいう暴行を加えたものとすることはできない。
従つて、右事実についても犯罪の証明がないことに帰着するから、被告人伊藤寿雄に対し刑事訴訟法第三三六条により無罪を言渡すべきものである。
よつて主文のとおり判決する。