函館地方裁判所 昭和49年(ワ)241号 1977年10月28日
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別紙(一)当事者目録記載のとおり
主文
一、被告は原告らに対しそれぞれ別紙(二)請求債権目録(略)第一欄記載の各金員およびこれらに対する同目録第二欄記載の各日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 主文と同旨。
2 仮執行宣言。
二、請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求はいずれもこれを棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二、当事者の主張
一、請求原因
1 原告らはいずれも被告の従業員で函館造船所に勤務していた者であるが、番号1ないし10の者は昭和四七年九月三〇日に、番号11ないし16の者は昭和四八年三月三一日に、番号17ないし24の者は同年九月三〇日に、番号25ないし37の者は昭和四九年三月三一日に、番号38ないし45の者は同年九月三〇日に、番号46ないし56の者は昭和五〇年三月三一日にそれぞれ定年退職した。
2 被告は、被告の就業規則の一部を構成する退職手当規程第一〇条により退職に際して原告らに支払うべき失職手当金の一部すなわち請求の趣旨記載の各金員を支払っていない。
(一)、すなわち右規程によれば、定年退職に際して支払われる退職手当は退職金と失職手当であるところ、
(1) 退職金は退職者の退職時の基本給、家族給の月額合計額(以下、算定基礎額という。)に別に定める退職金支給率を乗じて算出する(第四条)。
(2) 失職手当は算定基礎額の三倍(三か月分)とする(第一〇条)。
と定められている。しかるに、被告は右算定基礎額のうちの基本給から加給なるものを除外して算出した失職手当金を支給したのみでその余の支払をしない。
(二)、しかして、原告らについて右算定基礎額をもとにして算出した失職手当金額と右基礎額の基本給から加給を控除した額をもとにして算出した失職手当金額との差額は請求の趣旨記載の額である。
3 よって原告らは被告に対し、失職手当金の未払分として前記各金額とそれらに対する弁済期である各退職日の翌日である別紙(二)第二欄記載の各日から各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、請求原因に対する認否
1 請求原因1および2の(一)(二)の事実は認める。
2 同2の冒頭の被告に原告ら主張の各金員の支払義務があるとの主張は否認する。
3 同3は争う。
三、抗弁
1 被告と原告らが加入していた全造船機械函館ドック労働組合連合会(以下単に組合という)間の昭和四六年春闘交渉は長期化し難航したが、六月中旬に至りようやく話し合いもすすみ、六月一六、七日の被告社長出席の下での被告と右組合間の団体交渉の結果、基本線において合意に達することができたので、六月一八日午後一時三〇分からの団体交渉において被告は最終回答をしたところ、組合も六月二一日午後一時からの臨時大会開催の態度を表明した。
2 六月二一日午後一時からの会社回答諾否の臨時大会を前にして組合の申入れにより同日午前一〇時から細部交渉が開催されたが、この団体交渉の主要議題は、
(一)、春闘争議中における賃金カットについて
(二)、基本給および加給の取扱についてであった。
3 右交渉において被告は組合に対して次のとおり回答した。
(一)、従来、基本給を基準にして取扱ってきたもので退職手当規程以外のものについては「基本給」と「加給」を合算したものを基準とする。
(二)、退職金(失職手当を含む)については「基本給」のみを基準とし、「加給」は基礎額に入れない。
4 これに対し組合から次のような主張がなされた。
被告回答によれば、賃金体系が
(現行) 基準賃金{基本給
家族給
勤務地手当
から、
(被告回答)基準賃金{基本給
加給
家族給
勤務地手当
に修正されることになる。これでは現行の賃金体系が変更されることになり新たな提案と受けとらざるを得ず組合として同意できない。よって次のように修正してもらいたい。
(組合主張)基準賃金{基本給{本給
加給
家族給
勤務地手当
5 被告は最終的に右組合主張を認めた結果、当事者間に次の合意が成立した。
(一)、基本給は本給と加給から構成される。
(二)、加給は退職金(失職手当を含む)算定基礎額に算入しない。
(三)、同年度の基本給増加額(賃上げと定期昇給分を合わせたもの)の七〇パーセントを本給に組み入れ、三〇パーセントを加給とし、次年度以降は増加額の五〇パーセントずつをそれぞれ本給・加給に加える。
6 右の次第で、被告は原告らに対し、基礎額の基本給から加給を控除した残額すなわち本給をもとに算定した失職手当金を支払ずみであるのでもはや原告らに支払うべき失職手当金はない。
四、抗弁に対する認否および反駁
1 抗弁のうち、3の(一)(二)、および5の(二)の各事実は否認する。その余の事実は認める。
2 被告から組合に対し、失職手当金算定の基礎額改訂についてはなんらの提案はなかったし、したがって失職手当金については合意は成立していない。失職手当金の性質は解雇手当であり、退職金とはその性質を異にするから、退職金の一部(加算給)でもなければ、従たる権利でもない。したがって退職金についての合意の成立は失職手当金に当然に及ばない。
第三、証拠(略)
理由
一、請求原因1および2の(一)(二)の各事実は当事者間に争いがない。
二、被告は、組合と被告間において昭和四六年六月二一日に失職手当金算定基礎額に加給を算入しない旨の合意が成立した旨主張し、原告らはこれを争うので、以下この点について判断する。
1 (証拠略)によれば、次の事実が認められる。
(一)、昭和四六年当時被告の従業員に対する退職金の水準は造船業界の中でも高く、例えば、当時の賃金水準で試算すると、勤続三〇年、四五才で退職した場合約五一四万円であるのに対し同業他社のそれは約二〇〇万円ないし三〇〇万円であって二〇〇万円以上高くなっていた。これは賃金のうち退職金算定基礎額が他社と比較して相対的に高く、毎年の昇給額(賃上げによる昇給分と定期昇給分の合計額)をそっくり右基礎額に組み入れていたことによるもので、被告の負担は次第に重くなり製造コストを圧迫するおそれが生じた。そこで被告はこの負担を軽減するため毎年の昇給額のうち退職金にはねかえる部分を少くしようと組合側に働きかけるようになり昭和四六年一月一二日の経営協議会において組合側にこれを申し入れた。
(二)、その後、昭和四六年三月に始まったいわゆる春闘で、組合は一万五、〇〇〇円の昇給その他を要求したのに対し、被告は右要求を受入れるのと引換え条件として昇給額を定期昇給分と賃上げ分とに分け、後者を退職金算定基礎額に加えないこととし、その方法として従来の基本給の外に新らしく加給という給与区分を設けて賃上げ分を全部これに組入れ、退職金算定は基本給によって行ない、加給を右基礎額から除外することを提案したが、組合は加給という新らしい給与区分を設けることは従来の給与体系の変更であり、ひいては後に職務職能給などの差別賃金への導入への足がかりになるおそれがあるとして反対し、長期間の交渉及び闘争のすえ、昭和四六年六月二一日の団体交渉でようやく両者の妥協が成立し、退職金に関する部分につき次のような合意が成立した。
(1)、基本給の外に新しく加給を設けるのではなく、基本給は本給と加給から構成される。
(2)、加給は退職金算定基礎額に算入しない。
(3)、同年度の基本給増加額(賃上げ分と定期昇給分の合算額)の七〇パーセントを本給に組入れ、三〇パーセントを加給とし、次年度以降は増加額の五〇パーセントずつをそれぞれ本給・加給に加える。
(三)、そして、右当日の合意事項は同日付の覚書にまとめられ、これに、被告代表者代理専務取締役函館造船所長誉田義道および組合委員長下山実が署名捺印した。そして右覚書第一条二項において「加給は退職金算定基礎額には算入しないものとする」旨明記されたが、失職手当金については全くふれられておらず、右用語は一字も使用されていない。
以上の事実が認められる。
しかるところ、証人江縁廣および同山田功は、「被告は右団体交渉の席上、失職手当金の算定についても退職金と同一の取扱いをする旨を組合に申し入れ、組合は右事実を充分了解していたから、右覚書第一条二項は失職手当金についての合意でもある」旨供述し、証人山田功の証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証の団交記録および乙第九号証の基本給を本給と加給に分ける要領およびその取扱いについてと題する文書によれば、右供述に沿う記載事実が認められる。しかしながら右乙第八号証の団交記録なるものは、横書きのノートブックにその表題として団交記録NO1(46・4~46・10)山田功と記されたものであるところ、同証言によれば、前記団体交渉に出席した被告函館造船所労務係長の山田功が私的にメモしたものに過ぎず、組合側の確認を得ていないことが認められる。しかも成立に争いのない甲第八号証に証人山田功の証言によれば、前記団体交渉における合意事項は、被告側においてその文案を作成し、覚書(案)なる文書にまとめ、これに右山田係長はじめ江縁労務課長(当時人事第二課長)、工藤部長の各決裁印を押捺したうえ、これを昭和四六年八月一八日に組合に送達したところ、組合は右記載事項を了承し同年一二月ころその旨を被告に通告したので、被告は同年一二月二七日に右案に基づいて前記覚書を作成してこれを組合に送達し、組合は翌四七年一月中旬ころ右覚書に委員長名を押捺して返送してきたものであること、そして右案は覚書と全く同文であって失職手当金の文字は全く使用されていないことが認められる。もっとも前記乙第九号証は昭和四六年七月一二日付被告人事第二課(現在労務課)作成にかかる前記山田係長、江縁課長、宮田常務および誉田所長の決裁印のある文言であり、これによれば、加給は退職金および失職手当の算定基礎に入れない旨明瞭に記載されているところ、証人山田功は右文書を同年七月中旬ころ組合副委員長の久保健三に直接手交したが、被告の正式の文書でないので送達簿に受領印をもらっていない旨供述し、右受領を否定する久保証言と対立する。なるほど右文書はもともと被告が各事業所に送付するために作成されたもので、組合宛に作成されたものではないが、これが組合に送達される限り、前記団体交渉の合意の骨子となるべき重要な事項が細部に亘って記載されており、しかも各決裁印も押捺されている文書であるから、これが正式の文書でないということはできない。そしてなによりも問題とされるのは右文書の交付後一か月後に組合に送達された前記覚書案との関係である。しかるところ、成立に争いのない乙第六号証に証人江縁廣の証言によれば、被告は昭和四六年三月二九日にハコブネ号外なる社内新聞を発行し、同紙上において退職金算定基礎の変更についてと題する記事を組み、その中で退職金算定の基礎項目には加給を含めないことを提案しているところ、右退職金には失職手当金を含めない趣旨であることが認められる。右によれば、被告はすでに同年三月の時点から退職金なる用語中に失職手当金を含めない趣旨で使用していたものであるから、被告において前記覚書案を起案する際にたまたま失職手当なる用語を過って脱漏したものと認めることは困難である。
以上の認定の外、失職手当金の算定方法の変更の提案を否定する証人久保健三の証言に照らすと、前記各供述および各記載はにわかに措信し難いのであって、結局、前記六月二一日の団体交渉の席上において被告から組合に対し前記提案がなされ、組合において明示又は黙示にこれを承諾していたものと認めることは困難である。
さらに、(証拠略)によれば、被告は昭和四七年七月一八日組合に対し右失職手当の改正を盛りこんだ社則(退職手当規程を含む)改正案を送達したところ、組合側は前記覚書の趣旨と異なるとして前記久保が山田係長に対しその訂正方を申し入れ、労働基準監督署長宛の同意書の提出を拒否したこと、その後、同年九月三〇日に至り本件原告ら前記覚書の適用を受ける定年退職者が出てきた際、被告は失職手当金についても加給をその算定基礎額から控除して支給したので、原告らはこの問題については組合として別途被告と交渉するとの方針に従って一応被告支払の金員を受領したこと、ところが、右失職手当金未払問題については翌四八年九月二〇日の団体交渉までその議題として取り上げられなかったが、昭和四八年春闘を中心として両者間により深刻な対立があったため約一年間右問題が保留されていたためであることが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定事実によれば、組合は本件訴訟に至るまで失職手当に関する被告の取扱いに対し終始一貫して異議を留めていたものと認められるから、前記退職金の受領等をもってこれを黙示に承認していたものと認めることはできない。
2 1でみた如く、当事者間には前記覚書第一条二項の「退職金」についてのみ合意が成立したものというべきところ、被告は右は本来の退職金と失職手当金の両方を意味する旨主張し、原告らは本来の退職金のみを意味する旨主張するので、以下右「退職金」の客観的意味について検討することとする。
(一)、成立に争いのない甲第二号証(社則の表題で、社則の外賃金規程など諸規程を登載した文書)によれば、被告社則八七条において「社員の退職手当は別に定める」と規定されており、これを受けて退職手当規程がおかれ、同規程一条は「社員に対する退職金の支給は本規程の定めるところによる。」と規定され、三条ほかに定年退職などの際に一定の支給率で算定される退職金(以下便宜上三条退職金という)について定めている外、九条ほかに失職手当として数か月分が加算して支払われることが定められていること、したがって一条の退職金は、懲戒解雇者には退職金を支給しないとの六条、退職金の支払については別に定めるとの一四条と共に右失職手当金を含んで使われていること(しかし規程の表題は退職手当となっているから、不統一である)、三条退職金、失職手当金とも算定基礎額は退職金の基本給(前記覚書によって改定される以前のものを指す。以下同じ)、家族給の合算額である点は共通であるが、三条退職金は概ね在職年数に比例する支給率を乗じて算定されるのに対し、失職手当金は定数を乗じて算定されること、これを退職理由によって大別すると、<1>定年(三条一項、二項一号)<2>自己都合(五条)、<3>会社都合(三条一項、二項五号)となるが、それぞれの支給内容は<1>の場合は、三条退職金と失職手当として三か月分、<2>の場合は減額した三条退職金のみ、<3>の場合は三条退職金と失職手当として四か月分であることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。
右認定事実によって明らかな如く「退職金」なる用語は退職手当規程上では二義に使用されているから、前記覚書第一条二項の「退職金」は、右失職手当を含んだ退職金の意味に解する余地がある。しかしながら、他方、前記覚書の第七条によれば、「社員の退職金の取り扱いを次のとおり改訂し、昭和四六年四月一日から施行する。退職金は退職者の退職時本給、家族給の月額合算額に退職金支給率を乗じて算出するものとする。ただし昭和四六年四月一日から昭和四七年三月三一日までに満五五才に到達する者に限り、退職金の算定は満五五才到達時の基本給、家族給の月額合算額に退職金支給率を乗じて算出するものとする」旨の条項があることが認められ、右は明らかに三条退職金のみについて規定しており、しかもこれが第一条二項の具体的な措置規定と解されるから、右覚書自体の文理解釈として一応第一条二項の退職金は失職手当を含まないと解するのが自然である。
(二)、そこで、進んで失職手当金の性質について考えてみるに、証人江縁廣は、右手当は単なる退職金(いわゆる三条退職金)の加算措置に過ぎないか、又は全くの従たる権利にすぎない旨供述する。たしかに、前記規程によれば、三条退職金も失職手当金も共に退職手当規程中に定められており、しかもいずれも同一の算定基礎額であること、失職手当金のみを支給される者はいないこと、さらに「失職手当として加算支給する」との文言よりすれば、右の如き解釈の余地が全くない訳ではない。又、前記認定の如く、定年又は定年延長後の退職の場合も失職手当金が支払われるから、これをもって純然たる解雇手当とみることも困難である。しかしながら、前記規程によれば、定年後引続き雇用を延長される者に対する退職金は定年到達時の基本給・家族給の月額合算額を基礎として算出されるのに対し、失職手当金は退職時の基本給・家族給の月額合算額の三か月分が支給されることが認められる外、失職手当金は自己都合による場合は全く支給されないこと、支給額は定額であって会社都合による場合と定年の場合に一か月であるが差が設けられていること、などを総合すると、特に勤続年数が短い場合、右手当金が自己の都合によらない退職の場合の当面の生活保障的性質を有することは否定できない。もっとも、前記規程および江縁証言によれば、被告会社の従業員の平均勤続年数は一五、六年であること、失職手当金が退職金より多い場合(退職金が四か月分以下の場合)は勤続年数七年未満で退職した場合であることが認められ、右事実によれば、実際問題として支給されるべき失職手当金が三条退職金に比し低額であり、したがって生活保障的色彩がやゝ薄れることは否定できないが、その性質論としては、これをもって生活保障的性質を有することを否定し、あるいは三条退職金の全くの従たる権利ということもできない。これに対し、三条退職金は勤続年数比例的算定のため、賃金の後払いとしての性質を有する外、功労報償的性質を有するものであって、失職手当金との間にその性質上の差異を認めざるを得ないのである。よって、前記供述はにわかに採用し難く、他にこれを裏付けるに足る証拠はない。
(三)、さらに、失職手当金の従来の取扱いについてみると、証人江縁廣の証言によれば、昭和四二年ころ、定年延長者の退職に伴う失職手当の算定基礎額の基準時について労使間で交渉がなされ合意が成立した以外に過去に失職手当金が特別問題とされたことはないことが認められるが、右合意の結果、失職手当金については賃上げ分がその算定基礎に組入れられることになり、以後右限度で三条退職金の算定基礎額と差異を生ずるに至ったことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。
(四)、以上の諸点を総合考察すると、前記覚書第一条二項の「退職金」をもって当然に失職手当金を含むものと認めることは証拠上困難であり、又このように解すべき合理性も見出し難い。よって被告主張の合意の成立は未だ証拠上認め難いといわざるを得ない。
三、してみれば、原告らの本訴請求はいずれも理由があるので正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。なお、仮執行宣言の申立についてはこれを付するのは相当でないので右申立を却下する。
(裁判長裁判官 久末洋三 裁判官 佐藤道雄 裁判官 渡邉了造)
別紙(一) 当事者目録
昭和四九年(ワ)第二四一号事件
原告 岩田盛(ほか四四名)
昭和五〇年(ワ)第一八六号事件
原告 三好喜一(ほか一〇名)
右五六名訴訟代理人弁護士 大巻忠一
両事件
被告 函館ドック株式会社
右代表者代表取締役 合田秀雄
右訴訟代理人弁護士 佐藤憲一