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函館地方裁判所 昭和60年(ヨ)90号 判決 1988年2月29日

債権者

島田敏文

右訴訟代理人弁護士

前田健三

債務者

相互交通株式会社

右代表者代表取締役

川上登貴松

右訴訟代理人弁護士

難波隆一

主文

一  債務者は、債権者に対し、金四二四万三二八九円及び昭和六〇年一二月から本案判決言渡しに至るまで、毎月末日限り一か月金一九万九一二五円の割合による金員を仮に支払え。

二  債権者のその余の申請を却下する。

三  申請費用は債務者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  債権者が、債務者に対し、雇用契約上の地位を有することを仮に定める。

2  債務者は、債権者に対し、金四九七万八一二五円及び昭和六〇年一二月から本案判決言渡しに至るまで、毎月末日限り一か月金一九万九一二五円の割合による金員を仮に支払え。

3  申請費用は債務者の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

1  債権者の申請を却下する。

2  申請費用は債権者の負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被保全権利

(一) 債務者は、一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー事業)等を営む会社であり、債権者は、事業用自動車(タクシー)の運転手として、債務者に雇用された者である。

(二) 債務者は、債権者に対し、昭和五八年四月二三日休職を命じたとして、同日以降給与を支給せず、昭和五九年八月七日解雇を命じたとして、同日以降債権者が雇用契約上の地位を有することを争っている。

(三) 債権者の昭和五七年の年間所得は金二三八万九五〇〇円であり、一か月当たり金一九万九一二五円となる。

2  保全の必要性

(一) 債権者は、債務者から受ける給与を唯一の収入として妻子を扶養してきた者であり、債務者からの給与の支払を絶たれれば、債権者とその家族の生活は困難になる。

(二) 債権者は、本人や妻の僅かなアルバイト収入と、債権者の所属する自交総連相互交通労働組合の援助に頼って生活を支えてきたが、現在はそれも限界に達している。

(三) 債務者は、債権者に対して休職を命じた昭和五八年四月以降解雇を命じた昭和五九年八月まで、債権者にかかる社会保険の保険料の支払を怠っていたため、債権者は不当解雇を争う労働者にとって最低限の保障である雇用保険の仮給付さえ受けられなかった。

(四) 以上の諸事情から、現在債権者の家計は破綻に瀕しており、本案判決を待つことができない。

よって、債権者は、債務者に対し、雇用契約上の地位を有することを仮に定めること、並びに債権者の給与額について前記年間所得の一か月当たり金一九万九一二五円を基準として、昭和五八年一一月から本件仮処分申請に至る昭和六〇年一一月までの間の未払給与合計金四九七万八一二五円及び昭和六〇年一二月から本案判決言渡しに至るまで毎月末日限り一か月金一九万九一二五円の割合による給与を仮に支払うことを求める。

二  申請の理由に対する認否

申請の理由1(一)は認める。(二)のうち、債務者が債権者に休職を命じた日は否認し、その余の事実は認める。債務者が債権者に休職を命じたのは昭和五八年五月二四日である。(三)は認める。

同2(一)は認める、(二)は不知。(三)のうち、債権者が雇用保険の仮給付を受けられなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。債務者は債権者にかかる社会保険の保険料を継続して支払っていたものである。(四)は争う。

三  抗弁

1  債務者に対する解雇について

(一) 債務者は、債権者に対し、昭和五九年八月七日、債権者を解雇(以下、「本件解雇処分」という。)する旨告知したから、債権者との雇用関係は同日をもって終了した。

(二) 債権者は、昭和五八年四月二一日午後七時四一分ころ、債務者所有の営業用普通乗用自動車(以下、「本件自動車」という。)を営業運転中、函館市末広町一九番六号先路上において、本件自動車の進行方向右側から道路を横断してきた末松貞二郎(以下、「亡末松」という。)に本件自動車を衝突させ、これにより同人は同日午後一一時五五分ころ死亡した(以下、「本件事故」という。)。

債権者は、本件事故につき、昭和五九年七月九日函館簡易裁判所において業務上過失致死罪により罰金一二万円の略式命令を受け、右命令は同月二三日確定した。

(三) 債務者のなした本件解雇処分は、就業規則一九条三号所定の解雇事由の存在を理由とするものである。

すなわち、右就業規則一九条は「従業員が次の各号の一に該当するときは解雇する。」とし、三号で「事故を重ね、又は重大な過失による自責事故を起こして会社に損害を与えたとき」としているところ、債権者が惹起した本件事故は、次のとおり、右三号にいう「重大な過失による自責事故を起こして会社に損害を与えたとき」との解雇事由に該当する。

(1) 亡末松は、事故当時八〇歳の老人であり、しかも地面をなめる程に腰が曲がっていたのであるから、亡末松の道路への急な飛び出しは考えられない。他方、衝突後の亡末松の転倒地点からすると、衝突時には、亡末松は既に本件車両の進路半ばまで達していたものと考えられる。

したがって、本件事故は、債権者の前方不注視により亡末松の発見が遅れたことによるものといわざるを得ない。

(2) 運転者は、自車の進路上に横断中の人間を発見した時は、先ず急制動の措置をとることが要求されるはずである。しかるに、事故現場にはブレーキ痕が全く存在しないのみならず、本件自動車は衝突地点から三〇・三メートルも進行して停車している。

本件事故において債権者が急制動の措置をとっていれば、亡末松の死亡という結果は回避し得たと考えられる。

(3) 債権者は、第一種運転免許に較べその取得により厳しい要件が課される第二種運転免許を取得した者であり、また、いわゆる職業運転手(プロドライバー)として、全道路交通体系における模範たることが期待されている。

したがって、債権者に対しては、一般の運転者に較べ重い注意義務が課されているものと考えるべきである。

(4) 債務者は、民間企業であるが、単に営利目的のみのために存在するのではなく、認可された輸送機関としての社会的使命をも担っている。死亡事故の根絶は、会社、運転手及び社会の共通の利益であり、死亡事故を起こした場合は、厳重な処分をもって臨むことが要請される。

したがって、就業規則一九条三号にいう「重大な過失」とは、単に注意義務違反の重大性のみをいうのではなく、被害者の死亡という結果の重大性をも考慮して判断すべきものである。

(5) なお、債務者は、本件事故により、被害者の遺族に対する慰藉料を支出したり、監督官庁である札幌陸運局長より延べ一〇〇台に上る営業車の使用停止処分を受ける等の損害を被っている。

2  特別休職処分及び給与の不支給について

(一) 債務者は、本件事故後の債権者の精神的動揺が著しく、乗車勤務に耐える状態ではなかったため、本件事故の日の翌々日である昭和五八年四月二三日、債権者に対し、同月二四日から当分の間の自宅待機を命じ、併せてその間の給与は労使慣行により支給しない旨、口頭で告知した。

(二) 就業規則一二条三号によると、「会社が特に休職とすることを必要と認めたとき」は、債務者は従業員に対し、休職(特別休職)を命ずることができる。特別休職の休職期間は限定されておらず「会社が必要と認めた期間」(同規則一三条一項三号)である。また、休職期間中の給与については支給しないのが原則である(同規則一六条本文)が、特別休職については「その都度決定する」(同条但し書)と定められている。

そこで、債務者は、昭和五八年五月二四日、債権者に対し、本件事故に対する司法機関の処分が出るまでの間特別休職を命ずるとともに、右休職期間中の給与は支給しない旨、口頭で告知した。

四  抗弁に対する認否等

1  抗弁1(一)のうち、債務者主張の日にその主張のとおり本件解雇処分が債権者に対してなされた事実は認めるが、その余は否認する。(二)は認める。(三)のうち、就業規則に債務者主張の規定が存在する事実、債務者のなした本件解雇処分が、本件事故について同規則一九条三号所定の「重大な過失による自責事故を起こして会社に損害を与えたとき」との解雇事由に該当することを理由とするものである事実は認めるが、右解雇事由に該当する旨の債務者の主張は争う。

債権者は、事故直前に乗客を乗せて進行中、反対車線を進行してきた対向車と擦れ違った直後に、自車進行方向右側から道路を横断してきた亡末松を発見し急停車したが間に合わず、自車前部を同人に衝突させたものであるところ、現場付近の道路は、進行方向左側にしか街路灯がなく、夜間暗くて危険なため、右側にも街路灯を設置するよう付近住民から陳情が出されているような状態であった。しかも、事故時には本来点灯していなければならない事故現場直前の四〇ワットの街路灯と八〇ワットのハイウェイ式街路灯が点灯していなかった。この状態では、仮に対向車がなくとも道路右側の亡末松を発見するのはほとんど不可能であった。

更に、本件自動車が対向車と擦れ違った位置、本件自動車の速度、衝突位置などから見て、亡末松が対向車の通過直後に、その反対車線、すなわち本件自動車の進行車線、の状況に何ら留意せずに横断を開始したことも明らかである。また、亡末松は、僅か数十メートル先に横断歩道があるのに、あえて事故現場を横断した。

これらの事情を考え併せると、債権者が制限速度を一〇キロメートル上回る時速五〇キロメートルで走行していた事実を考慮に入れても、債権者の過失は重大なものとはいえず、したがって、債務者の主張する解雇事由は存しない。

なお、前記就業規則の規定における「重大な過失」は、注意義務違反の重大性を指すものといわなければならず、そうでなければ当該条項は合理性を欠く無効のものである。

2  抗弁2(一)のうち、債権者に対する給与の不支給の事実は認める(なお、債権者に対する給与は、昭和五八年四月二三日から支給されず現在に至っているものである。)が、その余は否認する。(二)のうち、就業規則に債務者主張の規定が存在する事実及び給与の不支給の事実は認めるが、その余は否認する。

債務者は、債権者に対し、昭和五八年四月二三日に休職を命じたものである。

五  再抗弁

1  解雇権の濫用

債務者における運転手の労働実態は、過酷なノルマの強要によって、一分でも早く一人でも多くの客を乗せることに汲々とせざるを得ない立場に労働者を追い込んできた。本件事故が避けられなかった原因が仮にスピードの出し過ぎにあるとすれば、その責任をひとり労働者にのみ負わせることができないのは明らかである。

利益優先・労働強化・安全軽視の営業方針を何ら反省することなく、事故の起きるたびに責任をすべて労働者に転嫁し、その首を切ることで社会的非難をかわそうとする態度をとり続ける限り、今後も事故は絶えないであろう。本件解雇処分はまさにこのような意図の下になされたものであり、著しく合理性と公平さを欠く処分であって、解雇権の濫用といわざるを得ない。

2  特別休職処分の一部無効

債務者が債権者に対してなした休職処分は就業規則一二条三号の特別休職処分に当たるものであるところ、その期間は「会社が必要と認めた期間」とされている。しかし、特別休職期間中の給与の支給についてこれを支給するかしないかは債務者が「その都度決定する」とされていること、本件の場合現実に支給されなかったこと、給与の不支給は労働者にとって死活の問題であること等を考え併せると、「会社が必要と認めた期間」といっても、会社の全き自由裁量に委ねられているのではなく、休職の事情に応じた合理的な期間の範囲内に制限されると見るべきである。

本件の場合、債権者に対する北海道函館方面公安委員会の免許停止処分が一八〇日であったことを考えると、その合理的な期間は事故から六か月余を経た昭和五八年一〇月末日を超えないものというべきである。したがって、少なくとも同年一一月以降の特別休職処分は合理性を欠いた無効な処分である。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁1及び2の主張はいずれも争う。

第三証拠(略)

理由

一  (一)債務者が一般乗用自動車運送事業(タクシー事業)等を営む会社であり、債権者が事業用自動車(タクシー)の運転手として債務者に雇用された者であること、(二)債務者は、債権者に対し、昭和五九年八月七日本件解雇処分をなしたこと、(三)債権者は、昭和五八年四月二一日午後七時四一分ころ、債務者所有の本件自動車を営業運転中、函館市末広町一九番六号先路上において本件自動車の進行方向右側から道路を横断してきた亡末松に本件自動車を衝突させ、これにより同人は同日午後一一時五五分ころ死亡したこと、(四)債権者は本件事故につき、昭和五九年七月九日函館簡易裁判所において業務上過失致死罪により罰金一二万円の略式命令を受け、右命令は同月二三日確定したこと、(五)債務者の就業規則一九条は「従業員が次の各号の一に該当するときは解雇する。」とし、三号で「事故を重ね、又は重大な過失による自責事故を起こして会社に損害を与えたとき」としているところ、本件解雇処分は、本件事故について右三号所定の「重大な過失による自責事故を起こして会社に損害を与えたとき」との解雇事由に該当することを理由としてされたものであること、以上の事実は当事者間に争いがない。

2 そこで、本件解雇処分の効力について判断する。

(一)  まず、債務者は、就業規則一九条三号所定の解雇事由における「重大な過失」とは、単に注意義務違反の重大性のみをいうのではなく、結果の重大性をも考慮して判断すべきものである旨主張する(抗弁1(三)(4))。

ところで、就業規則は、その内容が法令又は労働協約に反しない限り、使用者及び労働者の双方を拘束する規範的意義を有するものであるから、その条項の解釈に当たっては、特段の事情がない限り、社会的、法的に一般的に認められる用語法に従うべきものである。しかして、重大な過失とは注意義務を著しく欠くこととするのが、社会的にも法的にも定着した用語法であると考えられるところ、本件においてこれと別異に解釈すべき特段の事情を認めることができない。

したがって、前記就業規則一九条三号にかかる「重大な過失」とは、注意義務を著しく欠くことをいうものと解するべきである。

(二)  前記1(三)の当事者間に争いのない事実、(証拠略)を総合すれば、以下の事実が一応認められる。

(1)  本件事故現場は、歩車道の区別があり、車道の幅員が約九・一メートルでアスファルト舗装の上下各一車線の道路(通称元町バス通り。以下、「本件道路」という。)上である。本件道路は、事故現場付近では、ほぼ平坦な直線状で見通しがよく、最高速度が毎時四〇キロメートルに制限されていた。本件事故における衝突地点から入舟町方向(本件自動車の進行方向と逆方向)に約四〇メートル進んだ位置と、宝来町方向(同進行方向)に約六六メートル進んだ位置に、それぞれ横断歩道が設置されていた。なお、本件事故当時、路面は乾燥しており、事故現場付近の同道路上に駐車中の自動車等の運転者の視界を妨げるものが存在した形跡はない。

(2)  本件道路の左側(本件自動車の進行方向を基準とする。以下、同じ。)歩道上には、前記二つの横断歩道の位置付近に各一本の電柱が、右各電柱相互の約一〇六メートルの間に概ね等間隔で二本の電柱が、それぞれ立っており、入舟町方向の横断歩道の位置付近にある電柱には一五〇ワットのハイウェイ式街路灯が、他の三本の電柱にはいずれも四〇ワットの街路灯が、それぞれ照明設備として付設されていた。しかし、本件道路の反対側(右側)歩道上にはこのような照明設備はなく、また、本件事故当時、入舟町方向の横断歩道の位置付近の電柱に付設された前記ハイウェイ式街路灯と当該電柱から宝来町方向に一本目に当たる電柱に付設されていた街路灯(後者は、衝突地点から入舟町方向約七・四メートルの位置にあり、衝突地点から直近の街路灯である。)は、いずれも点灯していなかった。したがって、宝来町方向の二本の電柱に付設された各街路灯が点灯していたものの、これらは事故現場からやや離れており、本件道路の両側に存在する店舗は既にほとんど閉店していて、右店舗や民家の門灯等が疎らに点灯していたほか、事故現場のほぼ右側に所在する高橋病院の玄関横(衝突地点から入舟町方向に約一〇メートルの位置)に設置された案内用あんどん灯が点灯していたにすぎなく、事故現場付近の本件道路一帯は、相当に暗い状態であった。

(3)  債権者は、昭和五八年四月二一日当日、本件自動車を営業運転し、事故直前の午後七時三八分ころ、函館市弥生町所在の市立函館病院前から乗客二名を乗車させて同市谷地頭町を目的地として指示されて同所を発車し、本件道路を入舟町方面から宝来町方面に向けて進行した。途中一度信号待ちの停車をした後、毎時約五〇キロメートルの速度で前照燈を減光措置(いわゆる近目)の状態にして走行し、前記入舟町方向の横断歩道を過ぎた地点付近(信号待ちの停車をした地点から約二〇〇メートルくらい進行した地点付近)で反対車線を進行してくる普通乗用自動車と思われる対向車と擦れ違った。当時、本件道路上の車両の往来はあったものの、それも閑散としており、歩行者の姿は既にほとんど目立たなくなっていたことから、債権者は、自車の進路前方の注視は行っていたものの、横断歩道外横断をする歩行者はないものと気を許し、左右の歩道付近の歩行者の存在の有無等には注意を払わないで進行した。

ところが、対向車と擦れ違った直後、債権者は、自車の右前方約一〇メートルくらいの位置に、腰が約九〇度位に曲がった老人すなわち亡末松(当時八〇歳)が、路面に目を落としてちょこちょこ小走りに移動する状態で、反対車線側から自車進路内に向かって本件道路の車道上を横断してくるのを発見し、危険を感じてとっさにハンドルを左に切ったが間に合わず、同日午後七時四一分ころ亡末松に自車前部を衝突させ、衝突地点から宝来町方向に約二八メートル離れた自車進路前方の車道と左側歩道との境界付近の地点に、同人をはね飛ばして転倒するに至らせた。債権者は、亡末松を発見した際、前記のとおりハンドルを左に切る操作をしたが、急制動の措置をとるいとまがなくて右措置をとるに至らず、そのまま宝来町方向に約三〇メートル余進行してから停車した。したがって、路面に本件自動車のブレーキ痕は付かなかった。なお、同自動車の損傷状況としては、前部右側のボンネットに少し凹んだ箇所があり、その他に破損箇所は認められなかった。

(4)  亡末松は、事故当時、前記高橋病院に入院していた妻の付添いのために同病院に赴き、その後本件道路を隔てて同病院の反対側に所在する自宅に帰るべく、事故直前、同病院前付近の歩道から本件道路の車道横断を開始して本件事故に遭遇したものであるところ、同人の事故時の服装は、茶色のジャンパーに黒色のズボンというもので、全体として暗色系統で目立ち難いものであった。

(5)  本件事故後の同月二六日、債権者を立ち合わせた上、事故時とほぼ同時刻ころの時間帯に実施された函館西警察署捜査官の実況見分の結果によれば、前記高橋病院前歩道上に人物を立たせて実験したところ、債権者は、先ず、<1>入舟町方向に四一メートル余離れた本件道路上の地点(前記入舟町方向の横断歩道付近)に立ってこれを見ると、当該人物を黒っぽく認めることができた。次に、債権者は、<2>当該人物から同方向に三二メートル余離れた同道路上の地点に宝来町方向に向けて停車させた自動車の運転席からこれを見ると、黒っぽくではあるが当該人物が立っているのを認めることができた。更に、<3>当該人物から約二六メートル余宝来町方向の位置の本件道路上に入舟町方向に向けて前照燈を減光状態にした状態で点灯させた自動車を停車させて前同様の実験をしたが、債権者は、やはり黒っぽくではあるが、前記<2>の自動車の運転席から当該人物が立っているのを認めることができた。

もっとも、前記ハイウェイ式街路灯と、これが付設されていた電柱から宝来町方向に一本目に当たる電柱に付設されていた前記街路灯の、これらいずれも事故時に点灯していなかった二個の街路灯のうち、後者の街路灯は、右実況見分当時は点灯しており、この点で事故時とやや条件が変化していたが、その他の照明状態については事故時と変化がなかった。

以上の事実が一応認められ、(証拠略)のうち右認定に反する部分はいずれも措信できず、他に右認定を左右する証拠はない。なお、成立に争いのない(証拠略)によれば、同日の本件事故発生前ころ、本件道路の衝突地点よりも約四〇メートル宝来町方向に進んだ地点で、同道路右側沿いの店舗の経営者である阿部孝史が、同道路車道を右側から左側へ、やや宝来町の方に向いた斜め横断の形でゆっくり歩行横断し、これを渡り切る二、三歩手前の位置にいた時、入舟町方向で大きな衝突音がしたのを聞いたので、その音から直ぐに人がはねられたと感じて同方向に急いで行き、その結果、停車した本件自動車の前に知り合いの亡末松が倒れているのを目撃し、本件事故の発生を知ったことが一応認められる。しかして、同人の供述記載として、本件道路を横断するに際して、左右を見て車が来ていないことを確かめて横断した旨(<証拠略>)、車道を横断するに当たり、最初に十字街(宝来町)方向を見たが、その時は車が来ていなかったと記憶しており、十字街方向からの車を遣り過ごした記憶もない旨(<証拠略>)の部分があり、そうすると前記認定にかかる本件事故直前における本件自動車に対する対向車の存在事実と右各供述記載部分との齟齬の有無が問題になり得るが、右阿部の記憶の正確性については更に慎重な吟味を要するものである上、仮に同人の記憶が正確なものであったとしても、阿部の横断開始時刻及び歩行速度並びに前記対向車の速度及び進行経路その他の組み合わせ如何で種々の場合が考えられ、阿部が横断を開始した時には既に前記対向車が右横断開始地点を通過した後であって、そのため同車の通過が同人の記憶に残らなかった可能性も十分首肯し得るものといえる。なお、対向車の速度については、(証拠略)中に、対向車の速度は市内で走行する際の速さであったと見ていたから、本件自動車と同程度の毎時五〇キロメートルで走っていたと思うとの債権者の供述記載が存在するが、右部分は憶測に基づいたかなり曖昧な供述内容と窺われるのであって、右供述記載から対向車の速度が疏明されたものとは到底いえない。以上のとおりで、前記認定にかかる本件事故直前における対向車の存在事実と前記阿部の各供述記載部分とは、齟齬矛盾しているものとはいえない。

(三)  そこで、前記認定の事実の下で、本件事故について、就業規則一九条三号所定の解雇事由における「重大な過失」が、債権者に存するか否かを検討すると、債権者は、自車の進路前方の注視は行っていたものの、横断歩道外横断をする歩行者はないものと気を許し、左右の歩道上の歩行者の存在の有無等には注意を払わないで進行したというものであるところ、他方、本件事故後、事故時とほぼ同時刻ころの時間帯に実施された実況見分の結果(前記(二)(5)<2>、<3>)によれば、高橋病院前歩道上に人物を立たせて実験したところ、債権者は、入舟町方向に三二メートル余離れた本件道路上の地点に宝来町方向に向けて停車させた自動車の運転席から、黒っぽくではあるが当該人物が立っているのを認めることができたのであるから、この事実を斟酌すると、本件事故時においても、もしも債権者が、本件道路の右側歩道付近の歩行者の存在の有無等に注意して進行していれば、本件道路の車道横断の開始時の亡末松の存在を、同人から入舟町方向に約三〇メートル余の距離に接近した際に、高橋病院前付近の歩道付近に認めることができた蓋然性が極めて高く、そのように一応推認して妨げないものというべきである。そうすると、本件自動車の当時の速度(毎時約五〇キロメートル)及び同自動車と亡末松との距離関係等から見て、債権者は自車の急制動の措置を採ることにより同人との衝突を避け得たものと考えられ、以上によれば、本件事故の発生について、右側歩道付近の歩行者の存在の有無等に注意を払わないで進行した点において、債権者には、前記就業規則一九条三号における「過失」があったものと一応認めるのが相当である。

進んで、右過失の程度について検討すれば、前記認定の事実関係の下で、(1)本件事故時は夜間であり、事故現場付近の本件道路一帯は、事故時、街路灯等の点灯の状況から見て、相当に暗い状態であったこと、(2)亡末松の事故時の服装は、茶色のジャンパーに黒色のズボンというものであり、全体として暗色系統で目立ち難いものであったといえること、(3)事故時、本件道路上の車両の往来はあったものの、それも閑散としており、歩行者の姿はすでにほとんど目立たなくなっていたこと、(4)亡末松の道路横断の態様は、車道の横断歩道外横断の方法によるものであり、かつ、債権者から見て、反対車線側の歩道からの、対向車が通過した直後における横断であること、以上の事情を斟酌すると、債権者の過失は軽度のものにとどまり、前記就業規則一九条三号にいう、注意義務を著しく欠く意味での「重大な」過失があったものということはできない。この点、債務者の主張する如く(抗弁1(三)(3))、債権者が職業運転手(プロドライバー)として一般の運転者に較べ重い注意義務が課されているとの見解に立脚しても、なお、以上の事情の下では、未だ右「重大な」過失があったとはいえない。

他方、債務者は、債権者の前方不注視により亡末松の発見が遅れた旨主張し(抗弁1(三)(1))、右主張の趣旨は債権者が自車の進路前方の注意をも欠いていたというものであると考えられるところ、前記認定のとおり、そのような意味での前方不注視の事実はこれを認めることができない(なお、亡末松の事故時の道路横断の状態は、路面に目を落として小走りに移動するものであったこと前記認定のとおりである。また、同人の衝突後の転倒地点は、衝突地点から宝来町方向に約二八メートル離れた債権者進路前方の車道と左側歩道との境界付近の地点である一方、本件自動車の事故後の損傷状況によれば、前部右側のボンネットに少し凹んだ箇所があり、他に破損箇所が認められなかったというのであるから、亡末松との衝突箇所はボンネットの前記箇所であることが一応推認されるところ、これら転倒地点や本件自動車の衝突箇所からは、何ら、債務者主張の意味における前方不注視を結論づけることにはならない。)。

更に、債務者は、本件事故において債権者が急制動の措置をとっていれば亡末松の死亡という結果を回避し得た旨主張する(抗弁1(三)(2))が、債権者は亡末松を発見した際、ハンドルを左転把したものの、急制動の措置をとるに至らなかったことは前記認定のとおりであるところ、仮に債権者が亡末松を発見して急制動の措置をとったとしても、その時点における本件自動車と亡末松との距離及び本件自動車の事故時の速度の相互関係から考えれば、衝突は回避し得なかったものというほかなく、この点は、ハンドルの左転把と併せて急制動の措置をとった場合でも同様と考えられる。

以上によれば、本件事故の発生について、債権者には、就業規則一九条三号所定の解雇事由である「重大な過失による自責事故を起こして会社に損害を与えたとき」における「重大な過失」があったとはいえないから、その余の点を検討するまでもなく、債権者は、就業規則の右解雇事由には該当しないこととなる。したがって、当該解雇事由を理由とする本件解雇処分は無効に帰し、債権者は、債務者に対して雇用契約上の地位を有するものというべきである。

二  そこで、債権者の給与請求権について検討する。

1  成立に争いのない(証拠略)を総合すれば、本件事故後の昭和五八年四月二三日、亡末松の葬儀に共に参列した帰途、債権者が債務者常務取締役水谷修一に対し、今はとても運転する気にはなっていないので有給休暇の申請をしておいた旨述べて有給休暇を得たいとの意向を示したのに対し、右水谷がこれを受け容れることなく、とりあえず会社の車に乗せるわけにはいかないので暫くの間自宅で待機をしているようにと述べ、債務者において債権者を自宅待機に付する旨口頭で伝達告知をし、右自宅待機処分により、債権者は同月二四日から乗務勤務をせず自宅待機に入ったこと、自宅待機については就業規則上何らの規定も置かれておらず、その他債務者の雇用関係上、これについての明示の根拠規定は特に存在しないものであること、以上の事実が一応認められ、債権者本人尋問の結果中前記認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右する証拠はない。しかして、債権者の右自宅待機処分の期間については、右のとおり暫くの間とされたのみで終期の限定はなされずに開始したものであるところ、引き続き後記2(一)認定のとおり同年五月二四日に債権者に対して特別休職に付する旨の処分がなされた事実からすれば、その期間は、前同日に当然終了したものと見ることができる。

以上の認定の下で右自宅待機処分について考えると、就業規則等に定めがないとはいえ、使用者としては、雇用契約に基づく労働指揮権の一内容として労働者に対してこのような自宅待機を命ずることができるものと解され、この場合、自宅待機は、就業場所を自宅とする業務命令に基づく労働の給付の一態様と見るのが相当である。

右のとおり、昭和五八年四月二四日から同年五月二四日までの間、債権者は自宅待機の状態にあったものであるが、当該期間は、本件申請における給与仮払申請の対象期間外であるので、この間の給与請求権の存否等については判断の限りではない。

2(一)  債務者の就業規則上、「会社が特に休職とすることを必要と認めたとき」、債務者は従業員に対して休職(特別休職)を命ずることができるものとされ(一二条三号)、右特別休職の期間は「会社が必要と認めた期間」であり(一三条一項三号)、右期間中の給与は「その都度決定する」とされていること(一六条但し書)、以上の事実は当事者間に争いがない。

しかして、(人証拠)及び弁論の全趣旨を総合すると、昭和五八年五月二四日、債務者は、債権者に対し、本件事故についての司法機関の処分が出るまでの間を休職期間とするものとして、それ以上に具体的な期限を定めないで、就業規則一二条三号に基づいて債権者を特別休職処分(以下、「本件特別休職処分」という。)に付する旨口頭で告知し、その際、同時に、本件特別休職の期間中の給与は支給しないとの処分(以下、「本件不支給処分」という。)を告知したことが一応認められ、債権者本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右する証拠はない。

(二)  そこで、先ず、債務者の右特別休職制度について検討すると、前記(一)前段の当事者間に争いのない事実及び前掲(証拠略)によれば、就業規則一二条は、「従業員が次の各号の一に該当するときは休職を命ずることができる。」とした上、一号で「業務外の傷病により欠勤が引き続き三ケ月を超えたとき(私傷病休職)」と、二号で「業務上の傷病により欠勤が引き続き三ケ月を超えたとき(業務傷病休職)」と、それぞれ定め、三号として「その他会社が特に休職とすることを必要と認めたとき(特別休職)」と定めていることが一応認められ、三号の規定は、これを一、二号のそれと対比すれば、使用者である債務者は、私傷病休職及び業務傷病休職に該当しない場合についても、休職事由を限定されることなく、特に必要と認めたときは従業員に休職を命じることができるとの趣旨内容になっている。しかし、特別休職期間中の給与については「その都度決定する」とされていることは前記のとおりで、その文言からして給与額に変動(減額)を生ずることがあり得ることが就業規則で予定されている(但し、後記3参照)上、休職期間中の勤続年数の取扱いについても「その都度決定する」(同規則一五条三号)とされ、このように特別休職に付された場合は、その期間が勤続年数の取扱いにも影響し得ることが予定されている等の事情を勘案すれば、特別休職処分は従業員に対する不利益処分としての性格を帯びているものである。そうすると、これに付するかどうかは債務者の全くの自由裁量であるということはできず、右裁量は合理的でなければならない制約を被っているのであって、合理性を欠く裁量権の行使があれば、債務者の特別休職処分は無効となるものというべきである。

(三)  (証拠略)を総合すれば、以下の事実が一応認められる。

(1) 本件事故後の債務者側の事情聴取に対し、事故直後から、債権者は、「対向車と擦れ違った直後に亡末松が右前方に出てきたのを発見した、しかし、ブレーキをかけても間に合わない距離だった。」等と説明していた。これに対し、債務者の代表取締役社長八重樫正博は、当時、前記水谷及び業務部長島田督四郎その他の会社幹部らと協議した結果、右説明に懐疑的な態度をとり、乏しい情報の下ではあったが、<1>亡末松が事故当時八〇歳の腰が曲がった老人であるから歩行速度は通常の成人より大分遅いはずで、このことを考えれば、債権者が対向車と擦れ違った直後に亡末松を発見したことはあり得ないことである、<2>したがって、衝突前ブレーキをかけなかったことも併せて考えれば、債権者は、亡末松を発見するのが遅れたというよりも、むしろ、同人を発見し得る条件があったのに、前方注視を欠いたことが事故原因となったものである、<3>そうすると、本件事故は、債権者の重大な過失(就業規則一九条三号)によって発生したことになるから、債権者に対し、右就業規則に照らして解雇を含む厳正な処分をしなければならない、との見解をとった。

(2) しかし、右八重樫社長らは、債務者の債権者に対する右処分を司法機関による処分が出てから行うものとし、かつ、交通関係の事業者たる債務者としては、後者の処分が未了のまま、死亡事故を起こしたタクシー運転手を営業車に乗務させることによって利用者らに対して不安を与えることを避けたいとし、利用者らの信頼に配慮する経営者としての判断から、暫定的に債権者を乗務勤務から外すこととし、このため前記のように、債権者をとりあえず自宅待機に付した。

(3) その後、昭和五八年五月に入ってから、債権者が加盟する自交総連相互交通労働組合が、債務者側との団体交渉において本件事故を採り上げ、債権者が無過失である等と主張するようになったことから、前記八重樫社長らは、司法機関等による債権者に対する処分の結論が長引くことを予想し、債権者に対し、暫定的な自宅待機処分を止め、就業規則に従った特別休職処分に切り換えることにより、債権者を営業車の乗務勤務から外すことを継続するものとし、前記のとおり、同月二四日、司法機関の処分が出るまでの間として本件特別休職処分を発令するに至った。

以上の事実が一応認められ、右認定を左右する証拠はない。

右事実関係に照らして本件特別休職処分の効力を考えると、債務者のなした本件特別休職処分は、死亡事故を起こしたタクシー運転手を司法機関の処分未了の間に営業車に乗務させることによる利用者の不安を避け、もって利用者の信頼に配慮することを目的としたものと一応認められるのであり、一般乗用自動車運送事業等を営む債務者の営業内容に鑑みると、このような目的に基づき、経営者の判断として、司法機関の処分が出るまでの間と期間を定めてなされた本件特別休職処分に対して、これに付した裁量を合理的ではないとまではいえず、したがって、本件特別休職処分は無効には当たらないというべきである。

なお、本件特別休職処分の期限が司法機関の処分が出るまでとされていたことは前記認定のとおりであるが、その趣旨を考えると、前記(1)ないし(3)の経緯に鑑み、債務者としては司法機関の処分が出れば、引き続きこれに対応して就業規則により処分することを予定していたことが明らかであるから、正確には、司法機関の処分が出た後で債務者が処分をするのに要する相当な期間の経過するまで又は右期間内に処分をした時まで、との意味と解するのが相当である。そして、債権者が本件事故につき昭和五九年七月九日函館簡易裁判所において業務上過失致死罪により罰金一二万円の略式命令を受けて右命令が同月二三日確定し、その後二週間余しか経過しない同年八月七日に本件解雇処分がなされたことは前記のとおりであり、これによれば、司法機関の処分が出た後で債務者が処分をするのに要する相当な期間内に本件解雇処分がなされたものということができるから、本件特別休職処分は本件解雇処分の日(昭和五九年八月七日)の経過で期間が満了したものというべきである。この点、(証拠略)によれば、就業規則一七条二項が特別休職の所定期間が満了したときは復職を命ずる旨規定し、これによれば、期間満了に加えて別に復職命令がなければ復職しない趣旨となっていることが一応認められるものの、前記のとおり、本件特別休職処分を期間満了に至らせた本件解雇処分が無効であることに鑑みれば、本件の場合、復職命令を要せず、右期間満了をもって本件特別休職処分の効力が消滅したものと解するのが相当である。

他方、債権者は、本件特別休職処分について、休職の事情に応じた合理的な期間の範囲内に制限されるものとし、債権者に対する北海道函館方面公安委員会の免許停止処分が一八〇日であったことを考えると、その合理的な期間は事故から六か月余を経た昭和五八年一〇月末日を超えないものというべきであり、したがって、少なくとも同年一一月以降の本件特別休職処分は合理性を欠いた無効な処分であると主張するところ、弁論の全趣旨によれば、債権者は、本件事故により、昭和五九年九月二八日同公安委員会から免許停止一八〇日の処分を受け、短縮講習の受講によりこれが一〇〇日間に短縮され、その結果、昭和六〇年一月五日をもって免許停止期間が経過したことが一応認められる。

しかしながら、交通違反者等に対する免許停止の制度は道路交通法一〇三条二項に基づくものであるところ、右制度は、被処分者に対し、六か月を超えない範囲内で一定期間自動車運転を禁止し、その期間中に被処分者本人が反省したり講習の受講等をすることを通じて被処分者の道路交通にかかる危険性が改善されることを期待し、期間が満了した後は自動的に禁止を解除するものとし、その意味で一定期間における道路交通からの被処分者の排除と矯正とを同時に目的としたものであると考えられ、したがって、免許停止の期間の長短は、被処分者の道路交通にかかる危険性の評価に基づいて決められる筋合いのものといえる。そうすると、債権者に対する右免許停止処分は、本件特別休職処分が前記認定の目的により行われたのと対比して、全く異なる制度目的のもとにその期間を設定されたものにほかならないから、前記処分にかかる停止期間の長短それ自体を、本件特別休職処分の期間を論ずるに当たって斟酌することは相当ではないというべきである。翻って、本件特別休職処分は、前記認定のとおり、死亡事故を起こしたタクシー運転手を司法機関の処分未了の間に営業車に乗務させることによる利用者の不安を避け、もって利用者の信頼に配慮することを目的としたものである以上、前記のとおり、債権者に対する略式命令の確定が事故から約一年三月余の経過の後の昭和五九年七月二三日であり、経過期間がやや長かったとはいうものの、右目的の下でこの期間中同処分を維持する合理性が失われたことを窺うに足りる事情の疏明は特段存しないから、同処分の効力が途中で失われたと見ることはできない。

3(一)  前記認定のとおり、債務者は、本件特別休職処分と同時に、債権者に対して本件不支給処分をなしたものであるところ、本件特別休職処分が前記の次第で有効であるとしても、このこととは別に、本件不支給処分の効力を検討する必要がある。

すなわち、債務者が従業員を特別休職処分に付した場合、仮に右休職期間中の賃金の決定について雇用関係上特段の定めを置いていないとすれば、民法五三六条二項が労働基準法二六条と競合して適用されるものと解されるが、本件の場合、就業規則一六条が同期間中の給与に関して、「特別休職の場合はその都度決定する」との規定を置いていることは前記のとおりであり、右規定は、特別休職期間中の従業員の給与について、債務者が、個々に、その支給不支給の別及び支給額を決定するものとしたもので、結局、同規定は、特別休職期間中の給与について、任意規定である民法五三六条二項の規律に委ねず、右適用を排除する趣旨を含むものと解せざるを得ない。しかし、他方、同規定に基づく債務者の給与に関する処分は、強行規定である労働基準法二六条に違反してはならないところ、特別休職が同条にいう「休業」に当たることはいうまでもないから、債務者が従業員を特別休職処分に付した事由が同条所定の「使用者の責に帰すべき事由」に該当する場合は、債務者は、右休職期間中当該従業員に対し、その平均賃金の六割以上の休業手当の支払義務を負担し、したがって、仮に債務者が、その場合において、当該従業員に対しこれを下回る額の給与を支給する処分(不支給処分を含む。)をしたとしても、右処分は、右下回る限りにおいて強行規定違反により無効となり、債務者は、同条所定の額に相当する給与(休業手当)の支払義務を負担するものというべきである。

(二)  そこで、本件特別休職処分が労働基準法二六条所定の「使用者の責に帰すべき事由」によるものであるか否かを検討すべきこととなるが、休業手当の制度が労働者の生活保障という観点から設けられたものであることに鑑みると、右事由の存否を判断するに当たっては、いかなる事由による休業の場合に労働者の生活保障のために同条所定の限度で使用者に負担を要求するのが社会的に正当とされるかという考量を必要とするというべきである。

この見地に立って、本件特別休職処分にかかる事情を検討するに、(1)前記認定のとおり、債務者は、本件事故が死亡事故であることから、経営者の判断として、かような死亡事故を起こしたタクシー運転手を司法機関の処分未了の間に営業車に乗務させることによる利用者の不安を避け、もって利用者の信頼に配慮することを目的として、乗務勤務から排除するために同処分をなしたものであること、(2)もっとも、債務者の八重樫社長らは、事故当初、債権者に重大な過失(就業規則一九条三号)があるとの見解をとったことから、債権者をまず自宅待機に付し、次いで本件特別休職処分に付したことは前記認定のとおりであるが、かかる八重樫社長らの見解は、本件事故について乏しい情報しかない状態で、しかも債権者による事故の説明にもかかわらずこれに懐疑的な態度の下でとられたものであり、したがって推測を出るものではなかったと見られること、(3)本件事故の態様は前記認定のとおりで、債権者には右側歩道付近の歩行者の存在の有無等に注意を払わないで進行した点において就業規則一九条三号における過失があったが、右過失の程度については、事故現場の街灯の照明状況、亡末松の服装、本件道路の交通状況及び亡末松の横断態様(車道の横断歩道外の横断で、かつ、債権者の反対車線側歩道からの、対向車が通過した直後の横断であること)の各事情を斟酌すると軽度の過失であり、前記就業規則一九条三号における重大な過失とはいえず、このように客観的な事実関係に即して本件事故の態様を見る限りでは、たとい債務者が事故後の本件特別休職処分の期間に債権者を乗務勤務させたとしても、必ずしも対外的に非難されるべきものには当たらなかったと考えられること、(4)成立に争いのない(証拠略)及び債権者本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、債権者に対する業務上過失致死被疑事件については、捜査当局の取調べは当初から身柄拘束を行うことなく在宅のまま実施され、昭和五九年六月二八日函館区検察庁により函館簡易裁判所に右罪名で起訴がなされるとともに略式命令の請求がなされ、これにより、前記のとおり同裁判所が同年七月九日略式命令で罰金一二万円に処したものであることが認められるところ、このように、債権者に対する刑事処分が、略式命令による罰金一二万円という、死亡事故としては著しく軽い内容となったのは、本件事故が前記のような事故態様であったためであると考えられること、(5)前記のとおり債権者は、本件事故後、当初から身柄拘束を受けることなく在宅で取調べを受けており、本件特別休職処分の期間中、現実の労務提供自体、これをしようとすれば終始可能な状態にあったこと、以上の諸事情を彼此勘案すれば、労働基準法二六条の解釈適用としては、本件特別休職処分による休業について、これを「使用者の責に帰すべき事由」に当たるものとして、同条所定の平均賃金の六割の限度で、使用者たる債務者にその負担を求めるのが相当である。

そうとすれば、本件不支給処分は、労働基準法二六条に違反し、債権者に対して本件特別休職処分の期間中、平均賃金の六割を債務者が支給しなければならない限度において無効となるというべきである。

4  次に、債権者の給与請求権の数額を検討するが、債権者は、本件申請において、昭和五八年一一月以降に限り給与の仮の支払を求めているのであるから、その範囲内で判断する。

(一)  昭和五八年一一月一日から昭和五九年八月七日まで

前記のとおり、本件特別休職処分は、昭和五八年五月二四日になされて昭和五九年八月七日に期間が満了しており、この間、債権者は、前記3(二)の次第で、労働基準法二六条により平均賃金の六割相当額の請求権を有することとなる。

しかるに、債権者の昭和五七年の年間所得額は金二三八万九五〇〇円であることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、その月平均額金一九万九一二五円が同法一二条所定の平均賃金を上回ることはないと一応認められるので、右月平均額を基準としてその六割相当額の金一一万九四七五円により計算すると、昭和五八年一一月一日から昭和五九年八月七日までの間の右請求権の合計額は、金一一〇万二二五三円(昭和五九年八月一日から七日までは日割計算による。)となる。

(二)  昭和五九年八月八日から昭和六〇年一一月三〇日まで

前記のとおり、昭和五九年八月七日になされた本件解雇処分が無効であるから、その翌日である八日以降、債権者は全額の給与請求権を有するものというべきであり、この間の給与額の算定については、債権者主張のとおり、債権者の昭和五七年の前記年間所得額の月平均額金一九万九一二五円を基準として妨げないものというべきであるから、これを基準として計算すると、この間の未払給与請求権の合計額は金三一四万一〇三六円(昭和五九年八月八日から同月三一日までは日割計算による。)となる。

(三)  昭和六〇年一二月一日以降

この間の給与請求権について、月額金一九万九一二五円を基準とすべきことは、(二)と同様である。

なお、(証拠略)によれば、就業規則五〇条等の規定により、債務者の給与は一か月分を単位として各月二七日を支払期日として支払うべきことを原則としていることが一応認められ、右認定を左右する証拠はない。したがって、昭和六〇年一二月一日以降の給与についても、一か月毎に各月二七日に給与請求権が発生するものということができる。

三  進んで、保全の必要性について検討する。

債権者が債務者から受ける給与を唯一の収入として妻子を扶養してきた者であり、債務者からの給与の支払を絶たれれば債権者とその家族の生活が困難になるものであること及び昭和五八年四月二三日以降債権者が債務者から給与の支給を受けていないことは当事者間に争いがなく、債権者本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、債権者は、妻と未成年の子一人の家族を有し、債務者から給与の支給を受けなくなってから古道具屋のアルバイトに従事して僅かな収入を得ているものの、これと以前から妻が従事していたアルバイト収入とを併せても生活資金が不足し、親戚や債権者が所属する前記組合からの借入金が相当額に上っていることが一応認められる。以上によれば、昭和六〇年一二月一日以降本案判決言渡しに至るまでの給与請求権(二4(三))に加え、金四二四万三二八九円(二4(一)及び(二)の合計額)の過去の給与等請求権についても保全の必要性を肯定するを相当とする。しかしながら、このほか、債権者は、雇用契約上の地位を有することを仮に定めることを求めるところ、前記金員仮払の仮処分に加えて、なおかつ、かかる任意の履行に期待する仮処分をも求める必要性については疏明がないから、これを却下すべきである。

四  よって、債権者の申請は主文一項の限度で理由があるから保証を立てさせないでこれを認容し(なお、昭和六〇年一二月以降の月額金一九万九一二五円の給与請求権は一か月毎に各月二七日に発生するから(二4(三))、債権者は、右期間の請求権について昭和六〇年一二月以降本案判決言渡しに至るまで各月二七日限りの仮の支払を申請し得べきところ、各月末日を支払時期としてその仮の支払を申請しているので、右申請によって画された限度で認容すべきこととなる。)、その余は失当であるからこれを却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条但し書を適用の上、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福岡右武 裁判官 石原直樹 裁判官 井上秀雄)

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