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函館地方裁判所 昭和62年(わ)206号 判決 1992年3月13日

主文

被告人は無罪。

理由

第一部  序論

第一  本件の公訴事実の要旨

本件各起訴状記載の公訴事実(訴因変更後のもの)の要旨は、

「被告人は、

第一  A(以下「A」という。)、B(以下「B」という。)、C(以下「C」という。)、D(以下「D」という。)と共謀のうえ、被告人が代表取締役をしているKW商事株式会社(以下「KW商事」という。)が明治生命保険相互会社(以下「明治生命」という。)との間で埼玉県所沢市に居住するE1(当時四六歳)(以下「E1」という。)を被保険者、KW商事を保険金受取人として締結していた生命保険契約の保険金を騙取するなどの目的で、同人を殺害しようと企て、AにおいてE1を土地売買取引に藉口して北海道へ誘い出し、B、Cの両名においてE1を魚釣りに行く旨欺いたうえ、昭和六一年四月一二日午前一時ころ、北海道上磯郡上磯町字谷好五五番地先海岸から、E1をF1が操船する漁船(総トン数1.4トン)に乗船させ、同日午前二時二〇分ころ、同所の南方約1.5キロメートルの沖合海上に至り、同船上において両手で右E1の体を突いて同人を海中に転落させ、Cにおいて海中から船縁をつかんで救いを求めたE1の手を引きはがすなどし、更に、海中に飛び込んだBにおいてE1の背後からその着衣を引っ張って同船から引き離したうえ、その着衣をつかんだ手でE1を海中に押し込んで水没させ、よって、そのころ、同所付近海中において、E1を溺水により窒息死させて殺害した(昭和六二年(わ)第一七八号事件)

第二  A、Dと共謀のうえ、右生命保険契約(死亡時の保険金額を一五〇〇万円とする養老保険契約、死亡時の保険金額を三億八五〇〇万円とする災害割増特約付の個人定期保険契約)を締結していたことを奇貨として、E1の右死亡が不慮の災害によるものであるように装って明治生命から右保険金を騙取しようと企て、昭和六一年七月一六日ころ、東京都千代田区<番地略>所在の明治生命において、同社契約サービス部保険金部長早川貞夫らに対し、真実は被告人等において、前記のとおりE1を溺水により窒息死させて殺害したのに、同人が災害事故により死亡したもののように装い、情を知らない同社武蔵関営業所係員F33(以下「F33」という。)を介して、E1が漁船に乗船して釣行中、横波を受けて傾いた同船から海中に転落して行方不明となり、その後E1の死体が発見された旨虚偽の事実を記載した「受傷事情書(一般事故用)」及び「保険金請求書」等をその他関係書類とともに提出して右保険金の支払方を請求し、右早川等をしてE1が不慮の災害事故により死亡したものと誤信させ、よって、同年八月二日、同社契約サービス部保険金課送金係員をして、株式会社三菱銀行本店から東京都東久留米市<番地略>所在の西武信用金庫東久留米支店のKW商事名義の当座預金口座に右各保険金等合計四億〇〇六五万八一八〇円を振替入金させてこれを騙取した(昭和六二年(わ)第二〇六号事件)

ものである。」

というものである。

第二  争点及び判断の結論

検察官は、E1殺害以前に、被告人とA、D、B、Cとの間で保険金騙取を目的とするE1殺害の共謀が成立すると主張し、一方、弁護人は右共謀が成立しない旨主張し、被告人も公判廷において、弁護人の主張に副う供述をしている。

E1が公訴事実第一記載の日時、場所、方法で、A、D、B、Cによって殺害された(B、Cが殺害を実行し、A及びDについては共謀共同正犯が成立する。)こと並びに公訴事実第二記載の日時、場所、方法で、同記載の金額の保険金等が被告人に支払われたことは間違いない。右殺害当時、被告人は東京都東久留米市の自宅にいたと思われ、E1殺害の実行行為には関与していない。被告人につき、E1に対する殺人罪及び右保険金を騙取した詐欺罪が成立するかどうかは、E1を殺害したA、D、B、Cとの間における保険金騙取を目的としたE1殺害に関する事前共謀の成否ことに被告人と直接接触していたA、Dとの共謀の成否にかかってくる。A及びDは、被告人と共謀のうえE1を殺害した旨供述し、一方被告人は公判においてこれを否定している。

当裁判所は、被告人との間でE1殺害の事前共謀があったとするA、Dら共犯者の供述、検察官が共謀成立の徴憑であると主張する証拠物、共謀の成立を認めていた被告人の捜査段階、起訴後の取り調べにおける自白調書、被告人の公判供述等の関係証拠を詳細に検討していった結果、被告人とA、Dらとの間における共謀は、証拠上認定できないとの結論に達した。したがって、以下、E1殺害の共謀の成否の点を中心に、主要な争点について当裁判所の判断を示していくこととする。

第三  検察官及び弁護人の主張

一  事実関係についての検察官及び弁護人の主張

1 検察官の主張

検察官は、被告人とAらとの間で、本件殺人事件については共謀共同正犯が、詐欺事件についても共同正犯が成立することは明らかであると主張している。個々の争点における検察官の主張の詳細は、判断を示す際にもふれるが、本件のおおまかな事実関係についての主張は以下のとおりである。

(一) 被告人の経営するKW商事は、昭和五七年ころから本件殺人事件の被害者E1が経営する有限会社E1屋商事(以下「E1屋商事」という。)に融資するようになり、昭和ファクター株式会社(以下「昭和ファクター」という。)等の金融業者から融資を受けてそれより高い利率でE1屋商事に融資し、その差益を利得していたが、融資額が増えてきたことから、債権を担保する目的で、E1をKW商事の役員であると偽り、昭和五八年七月に前記公訴事実の要旨記載の生命保険契約を締結した。その後も融資額は増え続けたが、債権総額が合計約一一億円となった昭和六〇年四月E1屋商事が倒産した。被告人は、KW商事の昭和ファクター等に対する多額の負債を解消するため、E1に対して、債務の弁済やKW商事のために抵当権を設定している土地の売却等の協力を求めたが、難色を示されたうえ、かえって土地所有者からは、承諾を得ないままE1が抵当権を勝手に設定したとして抵当権設定登記の抹消を求められ、E1もこれに同調するかのような態度をとった。加えて、被告人は、採石事業に多額の手形を振り出して投資をしたものの、全く収益が上がらないなどの経営上の失敗が重なってますます資金繰りに窮し、次第にE1に死んでもらって前記生命保険金を取得したいと考え始め、昭和六一年に入り、毎月多額の手形の決済に追われるようになり、E1を殺害して前記生命保険金を取得することを真剣に考えるようになった。

(二) 二月末から三月初めころ、被告人はKW商事に出入りしていた暴力団F2組組長代行補佐であるDに対し、KW商事の窮状を訴え、E1に三億円の生命保険がかけてあり、殺害してくれれば一億円出す旨、E1殺害依頼を打診した。Dは、右依頼を、やはりKW商事に出入りしていた暴力団組長Aに伝えたところ、Aはこれに強い関心を示し、Dを通じて被告人にE1殺害を引き受ける旨伝え、三月一八日ころ、KW商事において、AらにF7(以下「F7」という。)を退去させるように依頼していた東京都東久留米市金山町の不動産をAが株式会社KWハウジング(以下「KWハウジング」という。)に売却する契約を締結した後、Dも同席する場で、被告人とAがE1殺害を確認した。

(三) 被告人は、E1殺害を遂行するためにはE1と面識のなかったA、DをE1に近づける必要があると考え、かねてE1に貸し付けていたKW商事振り出しの額面一〇〇〇万円の手形を割り引いた有限会社SN(以下「SN」という。)の社長J1(以下「J1」という。)から、被告人において右一〇〇〇万円の返済ができない場合には右手形を取り立てに回すと言われたため、右機会を利用し、被告人においてAに一〇〇〇万円を渡し、金融業者に仕立てたAからE1に一〇〇〇万円を融資する形にしてAをE1に近づけようと考えた。被告人は、三月二二日ころAに対し、金は被告人の方で作るから金融業者ということにしてAにおいてE1に一〇〇〇万円融資し回収してほしい、これはE1への顔つなぎである旨話し、Aもこれを了解した。同月二二日、被告人、AらがE1方へ行き、被告人がE1に対し、Aを金融業者である旨紹介し、AがE1に一〇〇〇万円を貸し付けた。

(四) 三月二五、六日ころ、KW商事において、被告人、A、Dが集まり、E1を殺害すれば被告人が一億円の報酬を支払うが、報酬は保険金が出てから支払う、それまでの間はKW商事の手形を振り出すのでそれを割り引くなどして現金化してよいが、手形の決済は割り引きに出した者が行い、後に保険金が出てから支払う報酬と清算する等の合意が成立した。そのころAは、Aと同系列の暴力団組長BにE1殺害を実行させるため、保険金が下りれば報酬がもらえるとして殺害を誘い、Bも承諾した。

(五) 四月五日、Aは、被告人から依頼されていたE1への三〇〇万円の追加融資をE1方において実行する際、E1を北海道で殺害するため、札幌市の狸小路の土地売買に関してもうけ話があるとして現地を見に行こうと誘い、E1も了承した。翌六日、E1からAに対して、四月八日の午後三時過ぎであれば北海道に行ける旨連絡が入った。Aは、四月八日にE1とともに北海道へ赴き、機会を狙って殺害することに決め、その旨Bに伝えた。

(六) 四月六日、Aは、被告人に対して北海道行きの経費等として、現金五〇〇万円、手形一〇〇〇万円を出してくれるよう依頼し、被告人もこれを了承した。

四月七日、AとDがKW商事へ行き、被告人に対して、翌八日にE1を北海道へ連れていき、機会をみて交通事故を仮装して殺害すること等を説明して被告人から北海道行きの経費等として現金五〇〇万円、KW商事振出の手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を受け取った。その際、被告人は、普段からよく利用していた高島易断所本部編纂の昭和六一年神宮寳暦を取り出してE1の運勢を調べ、E1の要注意・警戒日が四月一一日であったため、Aに対し、E1を殺害する日は同日が最適である旨伝えた。

(七) 四月七日、Aは北海道に出発し、E1も同日法律問題等で日頃頼りにしているE2(以下「E2」という。)、宅地建物取引主任者の資格を有するE3(以下「E3」という。)を伴って、遅れた便で出発した。

同日夜、札幌市のクラブ「エンペラー」において、Aは、E2とE3を同伴したE1と会った。Aは、E2やE3と面識がなかったので、ホテルに戻ってから被告人に電話をかけて、E2らの特徴を説明してどんな素性の人物なのか説明を求めたところ、E2については説明を受けた。

(八) 四月一〇日、Aは、E1殺害の経費が不足してきたため、被告人に殺害経費の追加送金を依頼することにし、函館市の湯の川観光ホテルから被告人に電話をかけて、E1の件で経費が足りなくなったので三〇〇万円位を住友銀行築地支店のAの口座に振り込むよう依頼し、被告人もこれを承諾した。被告人は、翌一一日KW商事の事務員に指示して右口座にDの名義で三〇〇万円を振込送金させた。

(九) 四月一〇日夜、Bは、夜釣りにかこつけてE1を海中に突き落として殺害すべく配下の暴力団員F3(以下「F3」という。)に準備させ、Aに対しても同夜実行する旨伝えていたが、F3が逃走して殺害に着手できなかった。そこで、Aは翌一一日午前九時ころ、被告人に電話をかけてE1殺害ができなかったことを伝えたが、被告人は、一一日が易で占ったE1殺害の最適日であるので極力実行してほしい旨述べた。

(一〇) 四月一二日、B、Cが、公訴事実第一記載のとおり、E1殺害を実行した。

(一一) 四月一六日ころ、東京都新宿区の京王プラザホテルにおいて、Aは、被告人に対してE1殺害を報告するとともに、死体が発見されないのでその捜索費用を出してほしい旨依頼し、被告人もこれを了承した。その際、両名が今後運命共同体として行動していくことを確認し合った。

(一二) Bから約束の殺害報酬支払いを要求されたAは、Bを直接被告人に引き合わせて直接交渉させることにし、五月末ないし六月初旬ころ、神奈川県厚木市内の東名飯店において、BをE1殺害の実行者として被告人に紹介した。Bは、被告人に対して殺害報酬の支払いを要求したが、被告人は、長崎の方に金をつぎ込んでいて金がない、保険が下りたらすぐ払える旨弁明し、Aらとも相談のうえ、KW商事振り出しの手形を貸すことにしてBも納得した。

(一三) 被告人は、七月一七日にE1の死体が発見されたことを知り、前記公訴事実第二の経過で八月二日保険金の支払いを受けた。被告人は、八月四、五日ころ、Aから保険金を請求された際、被告人としては保険金をKW商事の資金繰りにあてたかったため、Aに対し、急いで保険金を請求すると災害死亡がつかなくなって二億円しか下りないなどと嘘を言ったところ、Aは、二億円しか出ないなら報酬は八〇〇〇万円でいいと申し出た。その後、Aが被告人から融通を受けていた手形を返済しなかったため、被告人は、支払期日の到来する約一三通(額面合計約一億円)の手形についてもAが決済しないのではないかと不安を抱き、手形を回収してAの申し出にかかる八〇〇〇万円に減額されたE1殺害の報酬を支払って清算したほうが得であると考えた。八月八日、被告人はAに対して、殺害報酬として八〇〇〇万円支払うので貸し付けていた手形を回収するように要求し、Aも承諾した。八月一三日、被告人は、東名飯店においてAと会い、現金八〇〇〇万円を支払ってAから手形一三通(額面合計約一億円)を回収し、ここにE1殺害報酬の支払いの清算が終了した。

2 弁護人の主張

弁護人は、被告人とA、Dらとの間には、本件殺人事件の事前共謀が成立しないし、被告人が公訴事実第二の保険金を受け取ったことは間違いないけれども、被告人に殺人罪が成立しない以上、詐欺罪も成立しないと主張する。検察官主張の事実関係についての弁護人の反論の詳細は、判断を示す際にもふれるが、概略次のとおりである。

(一) 被告人がE1屋商事に融資をしていたことは事実であるが、昭和六一年の本件当時、被告人としては、株式会社SE(以下「SE」という。)に対して、五億五〇〇〇万円で土地を売り渡す契約が成立し、売買代金が入金になる見通しであったから、KW商事の経営を楽観しており、E1の生命保険金の取得を考えなければならないような状況にはなかった。

(二) 被告人がDに対してE1殺害依頼の打診をしたことはないし、三月一八日ころ、被告人がAにE1殺害を依頼したり、Aがこれを承諾したことはない。

(三) 被告人がE1に貸していた手形を回収するため、三月二二日にAを介してE1に一〇〇〇万円を貸し付けたことは事実であるが、その理由は、E1は、被告人が貸してもばかにして返済しないであろうが、やくざ者のAが貸せば、E1も恐れて返済すると考えたからである。E1殺害を目的として、AやDに顔合わせをするためのものではなかった。

(四) 三月二五、六日ころ、KW商事において、被告人、A、Dの三人が、E1殺害を話し合ったり、その際、AがE1を殺害すれば、被告人が保険金騙取後一億円の報酬を支払う、保険金が入るまでは、KW商事振出の手形を渡すので、割引などに使用したものが決済する、その清算を報酬支払時にするなどと約束したことはない。

(五) 四月五日ころ、AがE1に対し、札幌市内の土地の売買取引の話をもちかけてE1を北海道に誘い、E1も承諾した。

(六) 四月七日にAとDがKW商事に来たことはないし、同日、被告人がAらにE1の殺害費用等として現金五〇〇万円及び手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を渡したことはない。したがって、同日、被告人が、Aらの前で、E1の運勢の悪い日を占ったり、四月一一日がE1の運勢の悪い日なので、同日殺害を実行してほしいと言ったこともない。

当時、AとKWハウジングの間で神奈川県平塚市の土地売買契約が成立していたところ、四月五日、Aから被告人に対して、この平塚市の土地代金として現金五〇〇万円をくれという連絡があり、同日KW商事で被告人がAに対してKWハウジングが支払う分を立て替えて現金五〇〇万円を渡した際、更に右土地代金を引当に手形を一〇〇〇万円貸してほしいと頼まれて手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を渡したことがあるにすぎない。

(七) 四月八日、A、E1が北海道に出発した。札幌市のクラブで、AはE1らと会っているが、同日夜、Aが被告人に電話をかけたことはない。

(八) 四月一〇日ころ、Aが被告人に電話をかけて、E1殺害費用が不足しているので、三〇〇万円をAの銀行口座に振り込んでほしいなどと話したことはない。被告人はそのころ、Dから三〇〇万円を貸してほしいと依頼されて三〇〇万円を貸すことにし、A名義の銀行口座に振込送金したにすぎない。

(九) 四月一一日午前中、Aが被告人に対して、E1殺害の失敗の電話をかけたことはない。

(一〇) 四月一二日、BとCがE1殺害を実行した。

(一一) 四月一六日ころ、被告人はAと京王プラザホテルで会ったが、AからE1殺害の報告を受けたり、両名が今後運命共同体として行動していくことを確認し合ったことはない。被告人は、Aから、E1の死亡によりE1に貸していた一〇〇〇万円が取れなくなったので、金を貸してほしいと頼まれたにすぎない。

(一二) 五月末か六月初旬ころ、被告人は、東名飯店でAからBを紹介されたことがあるが、その際、E1を殺害した人物と言われたり、BからE1殺害の報酬を支払ってほしいと要求されたことはない。

(一三) 八月一三日東名飯店において、被告人はAに対して現金八〇〇〇万円を支払ったが、それは、同月八日、Aの尽力により被告人が六億円以上を出資していた有限会社NK石材(以下「NK石材」という。)から債権回収のため額面合計三億円分の手形を振り出させることができたことについてのAに対する報酬六〇〇〇万円と、七月二一日にAに手形を渡してJ2(以下「J2」という。)から二〇〇〇万円借りた分の返済金二〇〇〇万円である。

(一四) AがE1を殺害したことの真相は次のとおりである。

かねて稲川会系暴力団F2組がやくざアレルギーの少ない被告人から不動産をめぐるトラブルの解決等の名目で多額の金銭を収奪していたところ、更に継続的に被告人から収奪するために、F2組の組長代行をしていたF4(以下「F4」という。)の兄弟分であるF5(以下「F5」という。)を使ってNK石材への出資と称して投資名目で巨額の金銭を収奪していた。F2組は、Aが前刑を終えて出所後、同組を頼ってきたので面倒をみていたが、Aが不動産関係を得意とするやくざ者であったことから、昭和六一年一月ころ、被告人から金銭を収奪するためにAを不動産上のトラブルを解決する人物として被告人に差し向けた。当時F2組の組長は服役中であり、同組の組長代行補佐兼金庫番として組織の維持をはかるため多額の金銭を集めることが必要であったDは、F4にも相談のうえ、更に被告人から金銭を搾り取ろうとしていた。F2組は、KW商事がE1に多額の生命保険をかけていることを知り、AをそそのかしてE1を殺害することにした。F2組にしてみれば、被告人の調子にのりやすく、大雑把な金銭感覚を十分知っていたので、被告人から事前の依頼を受けていなくても、AがE1殺害を実行すれば、事後にAが何とでも口実をもうけて被告人から金を搾り取ることができるので、その上前をはねることができるのである。そのような目的で、F4、Dが、二月下旬から三月初旬にかけて、Aに対してさかんにE1殺害をそそのかした。

Aとしては、F2組の縄張り内でやくざ嫁業をすることを認めてもらってもおり、また、KW商事の不動産上のトラブルの解決に尽力もしていてこれを引き受けた。更に、Aは、被告人と接触しているうちに、被告人が相当な資産家であり、金離れがよいことを知り、一旦被告人と抜き差しならない関係になれば、その後に適当な口実を作って被告人からいくらでも金を搾り取れると考えた。即ち、F2組から被告人を横取りすることにしたのである。Aは、その後も被告人との関係を深めていくなかで、三月二二日、被告人の依頼でE1に一〇〇〇万円貸した際、E1が被告人以上に資産を有しており、かつ、より御しやすい人物であるとみてとり、E1の資産を丸ごと略取することに大きな魅力を覚えた。冷酷無比のAは、以来、借金地獄に陥って健全な判断能力を失っていた資産家のE1に的を絞り、不動産を丸ごと略取する計画を立て実行に移したものである。その結果、Bを犯行に巻き込み、E1に対しては三月二二日の貸金一〇〇〇万円の金利を厳しく督促して心理的な揺さぶりをかけ、四月五日にはE1方に出向いて三〇〇万円を貸し付けて籠絡し、E1の不動産を押さえるのに十分なだけの印鑑証明書、白紙委任状、借用書等を取得した。そして、E1を北海道に連れ出し殺害したのである。

その後AがE1の資産の略取を断念したのは、殺害後にE1方に乗り込んだところ、すでにE1の専属的な事件屋であるE2やE1をくいものにしていた暴力団組長F35がAの介入を防ぐ目的で共同戦線を敷いて、E1方をバラ線で囲ったうえ配下の暴力団員に警備させていたために、その目的を果たせなかったにすぎない。

二  A、D供述の信用性についての検察官及び弁護人の主張

本件においては、共犯者とされるA、Dの供述の信用性が被告人の犯罪の成否に大きく影響するところ、各供述の経緯並びに供述の信用性についての検察官及び弁護人の主張は次のとおりである。

1 A供述

(一) 供述の経緯等

Aは、昭和六二年六月一〇日に別件の現住建造物等放火罪で逮捕、同月一二日に勾留された後東京地方裁判所に起訴され(同年一〇月二三日本件に併合して審判する旨決定された。)、その後、同年七月六日、現住建造物等放火予備罪〔昭和六一年三月二六日、東京都東久留米市<番地略>所在のF7方(以下F7方の土地建物を「金山町の物件」という。)に放火するための準備をしたという嫌疑。〕、同未遂罪及び火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反(同月二七日、火炎びんを使用して金山町の物件に放火しようとして未遂に終わった嫌疑。)により逮捕、翌々日に勾留された後、現住建造物等放火予備罪、脅迫罪として同裁判所に追起訴された(右と同様の審判併合決定がなされた。)。更にその身柄拘束中の昭和六二年七月二八日、本件殺人罪により逮捕された。Aは、本件殺人罪による逮捕勾留の当初は、犯行を否認していたが、同年八月七日ころ、被告人からの指示で本件を実行したと自白を始め、その後供述内容に変遷は認められるものの、捜査段階並びにA自身及び本件での公判を通じ、被告人からの依頼でE1殺害を実行した旨の供述で一貫している。被告人とA、B、Cは、当初共同審理を受けたが、第二回公判において被告人のみが分離された。

(二) 供述の信用性についての検察官及び弁護人の主張

(1) 検察官の主張

Aは、捜査段階において、当初、被告人らとの共謀をはじめ本件殺人及び詐欺事犯への関与を一切否認していたが、その後Aの依頼によりE1殺害を実行したB及びCが本件犯行をすべて自白したことを知り、もはや否認し通せるものではなく、否認すればかえって自己に不利になると考え、被告人及びBらとの本件共謀を認めたうえ、当時未検挙であったDが本件に関与していた旨その全貌を自白するに至り、以後右供述を変更することなく、公判廷においても終始一貫して捜査段階における自白を維持しているのであり、自白に至る経緯は極めて自然である。

また右自白の内容も、被告人が保険金騙取目的でE1殺害を望んでいることをDを通じて知り、これに強い関心を示し、E1を殺害してその報酬を得ようと考え、Dを介して被告人から殺害報酬の支払意思の確認を取り、更に三月二六日ころ、被告人方において、D同席の下で被告人と会って協議し、その結果E1殺害の報酬として一億円を被告人において支払うこと等を取り決め、次いで、Bに対し、E1殺害が決定した旨伝えて殺害実行を依頼し、更に、四月七日、KW商事の事務室において、被告人、Dと共にE1殺害の最終的な謀議を行い、その際、被告人からE1殺害経費等として現金五〇〇万円及び手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を受領したというものであって、Aは、E1殺害の謀議が成立するに至った経緯を自然かつ合理的に述べている。

加えて、右供述中には後に詳論するように、四月七日被告人らとの間でE1殺害の最終的な謀議がなされた際、被告人が「おはらいしてある手形ですから。」などと極めて特徴的な言葉を述べてE1殺害の経費等としての手形を交付した状況に関する供述、あるいは、その後被告人が高島暦によりE1殺害実行日を決定した際、占いを信じていないAが「易で人が殺せるなら(殺害依頼などせずに)占いで殺せばいいのにと思った。」などと真に体験した者でなければできない供述があり、また、それらの供述は、D証言及び被告人の自白ともほぼ一致しているなど、信用性は極めて高い。

なるほど、A供述中には、犯行動機について、かつてAが世話になったF2組のスポンサーが被告人であったため、被告人の依頼を受諾することがひいてはF2組に対する義理返しになると考えたとか、被告人の人格にほれ込んだことが主であり、金銭的利欲は二次的であったとか、自ら積極的に保険金を騙取する目的はなかったし、生命保険の内容も知らなかったなどとややあいまいな部分がある。しかし、これらはいずれもAが自己の刑事責任の軽減を図り、またAの指示によりE1殺害を実行したBの刑事責任の軽減を図る目的でなされたものと認められ、いずれも合理的な説明がなし得るのであって、E1殺害の共謀成立に関する供述の信用性を損なうものではない。

そもそも、当時、Aは、被告人の依頼を受けてKW商事と第三者との間の民事紛争に介入し、暴力的手段を用いて被告人のために働き、被告人から多額の報酬を得ていたもので、本件も被告人の依頼による金もうけ仕事であると割り切り、これを引き受けたもので、Aが本件犯行に関与したのは、E1を殺害することにより被告人から受ける報酬等の金銭的利得目的以外の何ものでもない。だからこそ、Aは本件殺害依頼を引き受けるに際し、被告人に対し、執拗に報酬額及び支払意思の確認を迫ったものであり、被告人からの殺害依頼なくしてE1を殺害する理由は全くない。被告人との共謀を主張するA供述には、自己の刑事責任の軽減を図る目的で無実の被告人を共犯者に引き込んだものとみる余地は皆無である。

(2) 弁護人の主張

Aは、本件の主導的責任を被告人に転嫁することによってしか極刑を免れ得ない厳しい立場にあるものであって、そのような者の供述が、特に警戒すべきものであることは、学説、判例によって夙に指摘されているところである。

A及び共犯者のBは、犯行時から検察官に対する供述当時に至るまで、いずれも現役の暴力団組長として犯罪常習者集団の長であったものであり、警察、検察庁の犯罪捜査に対しても文字通り百戦錬磨の猛者ともいうべき犯罪歴の持主であった。Aは、逮捕当初こそ徹底的に否認を貫くことによって、刑事責任を全面的に免れようと試みたが、それがどうしても不可能と知るや、共犯者のBと意を通じ合い、一転して、犯行を認めつつその主導的責任を被告人に転嫁して、自分達の刑事責任の軽減を図る戦術に出るようになったものである。AとBの供述は、全て真実の告白ではなく、専ら、何をどのように供述し何を黙っていることが、自分達にとって最も有利に作用するかということのみを功利的に計算して作出した架空の事実なのであり、本件殺人罪における共犯の態様が、実行共同正犯ではなく共謀共同正犯とされていることに鑑みれば、右両名の供述に信用性を認めることは、真実発見のうえで極めて危険なことであると言わねばならない。

Aについては、とりわけ、同人の性格異常ともいえる特異な人格に注目しなければならない。Aは、類まれなる冷血のニヒリストであり、嘘を述べたり罪を犯したりすることに何らの抵抗も感じないどころか、むしろ、嘘をついて他人を籠絡し、その人命や財産を奪ったりすることにこそ無上の喜びを見い出すような特殊なタイプの人間である。Aは、本法廷においてさえ、その特異な人間性を遺憾なく発揮し、極刑を科されるかも知れないという限界状況の下でもいささかも怯むことなく、場面に応じ、泣いて見せ、笑って見せ、驚いて見せ、怒って見せ、そして遂には、被告人を諭して見せさえしながら、演技豊かに証言を行ったのであるが、その様はまるで、全編空想的な絵空事をまことしやかに語り歩く流しの講釈師の風体であった。Aの証言は、全て口から出まかせの法螺話の類であり、同じ事実に関しても供述、証言の日や所によって猫の目のように変化し、一定に止まるところがないのである。このような特異極りない人間性の持主の供述や証言が、果たしてどれ程の真実を含み得るかは、推して知るべしである。

(三) 供述の傾向

Aは、捜査段階における否認から自白に転じた理由を、公判廷では、共犯者のBやAの妻、更には弁護人からも、やったことはきちっと認め責任を取らなければならないと説得されたためと供述しているが、弾劾証拠として弁護人から請求され、採用取調べ済みのAの警察官調書〔八月七日付警察官調書(<書証番号略>)〕では、このまましゃべらないでいると兄弟分のBが一人で責任を負わされる心配がある、自分としてはそんなことはさせられないし、妻からもBの子供のことを考えてやってほしいと言われており、自分の責任は負うとしても、B一人に責任を負わせる気持は全くないので、正直に話をしたいと思っている、被告人がAとの約束を実行しておらず、義理立てする必要もないので洗いざらい話してしまう気持になった旨供述しており、この点についての公判供述の信用性は減殺されている。右の警察官調書の記載からは、Aが被告人に対して悪感情を有していることが窺える。

またAは、今回の事件をF2組(ことにF4、D)から依頼され、F2組に対する義理から引き受けたと供述しており、各場面場面でF2組を代表する形でDなり、F4なりが関与していると供述する傾向にある。

Aの捜査段階の供述調書は、刑事訴訟法三二一条一項二号書面として採用されている検察官調書が八月一三日付(<書証番号略>)、同月一四日付(<書証番号略>)、九月八日付(<書証番号略>)、同月一〇日付(<書証番号略>)及び同月二二日付(<書証番号略>)の五通、立証趣旨を供述記載と限定して採用されている検察官調書が八月三一日付(<書証番号略>)及び九月一二日付(<書証番号略>)の二通、弁護人からの請求で刑事訴訟法三二八条の弾劾証拠として採用されている検察官調書が八月八日付(<書証番号略>)の一通、警察官調書が七月二八日付(<書証番号略>)、八月四日付(<書証番号略>)、同月七日付(<書証番号略>)、同月八日付(<書証番号略>)及び同月九日付(<書証番号略>)の五通がある。その余の供述調書の内容が明らかではないためAの捜査段階での供述の経過、供述内容の全貌は明確ではない。

2 D供述

(一) 供述の経緯等

Dは、本件でA、B、C、被告人が逮捕、勾留され、起訴されて公判が継続している間も逃亡を続けた後、平成元年一月二〇日に本件殺人罪で逮捕され、同年二月一一日起訴された。Dの逮捕当初の供述は証拠上明確ではないが、D自身は同年二月に入ってから本件について供述を始めた旨証人尋問のなかで供述している。Dは捜査段階で、被告人からE1殺害を依頼され、これをAに取り次いで本件犯行が行われた旨自白し、公判においても事実関係についてはこれを認めたものの、共謀共同正犯にはあたらず、幇助にすぎないと争った。Dは、自分の公判が継続中の平成元年一〇月二四日の四二回公判から平成二年三月八日の四六回公判までの本件公判において証言した。右証言の時点では、A、Bら本件の共犯者とされた者の証言は終了しており、被告人質問も一部終了している状況であった。Dについては、平成二年二月二〇日に判決が宣告された(判決は、弁護人の幇助の主張を排斥して、本件各公訴事実と概ね同内容の犯罪事実につき、共謀共同正犯を認定し、懲役一四年に処した。)。

(二) 供述の信用性についての検察官及び弁護人の主張

(1) 検察官の主張

Dは、本件共謀の成立状況に関し、二月末か三月初めころ、被告人から一億円の報酬でE1殺害を引き受けてくれる人はいないかと持ちかけられ、これをAに伝えたところ、Aは強い関心を示し、Aから被告人に報酬支払意思があるかどうかの確認を取るように言われたため、再度被告人と会って報酬支払意思があることを確認し、これをAに伝えたこと、次いで、三月中旬ころ、KW商事事務所で、被告人、Aが、D同席の下にE1殺害の謀議をなし、被告人、A間で直接E1殺害及び報酬支払いの確認が行われたこと、さらに、四月七日、KW商事事務所で被告人、A、DによりE1殺害の最終的な謀議がなされ、その際、被告人が高島暦によりE1殺害実行日を占い、また殺害費用等として被告人がAに現金及び手形を交付したことなどを供述している。右共謀成立過程に関する証言中には、特段不合理、不自然な部分は認められず、また、共謀成立の基本的な枠組みにおいて被告人の自白並びにAの自白、公判供述とも一致するのであり、十分信用性が認められる。

確かに、D証言中には、共謀成立過程の重要な場面にDはいずれも顔を出していながら、何ら積極的な発言はしていない旨述べている点、Aが主導的にE1殺害の謀議を進めていったもので、Dは単に被告人とAとの間の連絡をするための使い走りに過ぎない旨述べている点など必ずしも了解し難い部分も散見されるのであるが、これとても、Dが自己の刑事責任の軽減を図り、また、所属するF2組に対し捜査の手が及ぶことを免れる目的でかような証言をなしたことは容易に推測できるところであり、共謀成立経緯に関するD証言の信用性自体を損なうものではない。

Dが本件に関与するに至った動機は、A同様殺害報酬等の金銭的利得目的にあったことは明らかであり、Dにしても、被告人からの殺害依頼なくして本件に関与することなど到底あり得ないこともまた明白である。

(2) 弁護人の主張

Dは、あわれにも事件前から公判終了に至るまで、終始、F2組組長代行補佐の立場から離れることができなかった。Dは、比較的経験の浅いやくざ者であるにもかかわらず、本件犯行前にはF2組の金庫番という大役を荷わされ、月々四〇〇万円から五〇〇万円に上る組の経費をほとんど自分一人で賄わなければならなかったのである。しかし、Dには、その能力も器量もなく、同人自身もそのことを自覚していたので、組長代行であるF4の指示の下、専ら金のためなら何でもやる冷酷無比な男、すなわちAに非合法的な金もうけのネタを提供して、同人にあぶく銭を稼がせ、その上まえを博打の賭金などの名目ではねて組の経費に充てていたのである。

Dは、F5の運転手としてKW商事に出入りしていた際、偶々E1の生命保険のことを小耳にはさんだことがあった。Dは、F4組長代行に相談のうえ、二月ころ、そのことをAに話したところ、もうけ話なら何んでもくらいつくAは、すぐこれに色気を見せた。Dは、同月下旬ころ、KW商事に行ったついでに機会を見て被告人にそれとなくさぐりを入れてみたが、被告人は、保険金目当てにE1を殺害するなどという大それたことは全く念頭になかったので、これに取りあわなかった。Dの被告人に対する探りは、事の性質上、極めて婉曲的な形でなされ、他方、被告人も、ほとんど無意識に対応しているので、その時のやりとりさえ全く記憶に残らなかったのである。Dは、これで被告人に全くその気が無いことを知った筈であるが、たとえ被告人の意思に反していようが、AにE1殺害を実行させてしまえば半ば自動的にKW商事に保険金が下りることになり、ひいては、F2組の不動産部門といわれるNK石材が、KW商事から交付を受けて他に割引使用中の約束手形総額一億四七〇〇万円の不渡りが回避されると考えたことと、Aのような人間なら、先ずE1を殺害してしまってから、その後になんとでも口実をもうけて被告人から大金をせびり取ることが十分に可能であるし、その場合F2組は、何ら手を汚さずしてその上まえだけをはねることもできると考えたことから、Aに対し、あたかも被告人が積極的にそれを望んでいるかの如き嘘の答を伝えてAを煽ったのである。

他方、明日の一〇〇〇万円よりは今日の一〇〇万円を取るというような現金至上主義的な金銭感覚の持主であるAは、果して、取れるかどうかも、金額がいくらかも定かでなく、しかも、どう頑張っても自分が直接受け取れるものでもない保険金の話など全くあてにするに足りないもので、そのために自分が殺人を犯すなどという気はおきなかったが、莫大な資産を有する被告人と抜き差しならない関係を作ることにより、被告人から金銭を絞り取ることに大きな魅力を覚えるようになった。そこでAは、積極的に被告人との関係を深める方法を探っていたのであるが、三月二二日にE1と会ってからは、被告人以上の資産を有しているE1の資産を略取することにより大きな魅力を覚えるようになったのである。Dは、少くとも現在ではAのこの密かで重大な企てに気付いているが、それでは被告人に主導者としての責任を転嫁できなくなってしまうため、あえて真実を無視し続けているのである。

F2組長とAの間には、Dが逃亡中に、Aが同組長に現金九〇〇〇万円余りを支払ったことにより、いわゆるやくざ間の「落し前」がつけられ、本件犯行に関するF2組とA間の陰謀は永遠に闇に葬られたのである。その後Dは、おそらくF2組の手引によるものであろうが、Aの判決直前に自首同然の姿で逮捕され、予定どおりF2組の意向に従った自白および証言を行った。Dは、あくまでF2組の下級幹部として、同組の組織防衛のため、自分の体を賭けて事件の本筋を隠し通さなければならなかった。Dが被告人とE1殺害の共謀をした旨の証言は、あくまでもF2組の利害が深く関わる本件の本筋を隠蔽しつつ、差し障りのない範囲ではA証言とも筋を合わせながら、主導者としての責任を被告人一人に押しつけることにより、自分の罪責をできる限り軽減する意図から出た苦し紛れのフィクションに過ぎないのである。

更にDは、もともと性格的に他人に全ての責任や罪をなすりつける傾向が非常に強い人間であることに大きな注意を払わなければならない。例えば、Dは本法廷において次のようなあからさまな責任転嫁を行っている。第一に、Dは、自分に逮捕状が出たのを知ってからしばらくしてG弁護士(以下「G弁護士」という。)に自首したい旨の電話連絡をしたところ、同弁護士から当分は出ないでくれと言われたとか、逮捕前の平成元年一月一六日に同弁護士に電話したところ、Aの判決が出て二週間経つまで逃げていてくれと言われたので自首するのが遅れた旨再三にわたり証言していることである(四四回公判)。第二に、Dは、自分の殺人等被告事件の弁護人の弁護活動について、国選弁護の先生だったから、もう少しカバーしてほしいところもカバーしてもらえなかった、初めから赤字だと言われたので何も頼めなかった、いなかったら裁判ができないんだという形式だけのものだったなどと証言していることである(四六回公判)。第三に、Dを取り調べたH1検察官自身の尋問に対して、H1検事さんにオーバーに言えと言われたけどそれはやっていません、だから自分は一五年うたれたのかなと思った、それは、ジェスチャーをもっと大きく、はっきり甲のほうに転嫁しろという意味合いだった、H1検事さんから、そうなればお前が軽くなって甲が重くなるんだ、Bが一四年なんだから、お前はもうちょっと軽くなるよ、BとCの間だから心配するなと言われた旨の証言をしていることである(四六回公判)。右の如く、Dという人間は、自分の刑を軽くするためなら、たとえ相手が自分の世話になった弁護士であろうが、公益の代表者である検察官であろうが、その名誉や体面をどのように踏みにじっても一切構わないという徹底した利己主義者なのである。Dがこのような人間であれば、自分の刑事責任を軽くするためなら、法廷でたとえどのような大きな嘘をついても被告人に責任転嫁を図るであろう。いや、むしろそうしない方がおかしいのである。

したがって、被告人に責任を転嫁するが如きDの証言は、本質的に全く信用するに値しないものなのである。

(三) 供述の傾向

Dは、逮捕される直前の平成元年一月一六日に、所属するF2組関係者と親しいG弁護士と連絡を取り、同弁護士からAの判決が出て二週間経ってから出頭するように言われたなどと供述し、同弁護士からAの裁判の進行について情報を入手していたことを窺わせる供述をしている。またF2組組員のF21(以下「F21」という。)から「一日も早く出てくれ。何をいわれているか分からないから。Dさんはもう死んだことになっているから全部罪を被せている。」という趣旨の手紙をもらったとも供述し(四四回公判)、自分が出頭しない間にAらにDが中心になって本件犯行を計画したと固められてしまったとして、そのことに強い不満を持っていることを窺わせる供述もしている。そのため四六回公判においてはD自身に対する求刑が懲役一五年であったことに強い不満を表明している。

三  被告人の自白についての検察官及び弁護人の主張

1 供述の経過

被告人は、昭和六二年七月二六日に本件殺人罪の嫌疑により、東京都東久留米市内の自宅で逮捕され、その日のうちに函館市内に押送されて、司法警察員から弁解を録取〔本件の被疑事実を否認した(<書証番号略>の弁解録取書)。〕された後、翌二七日から、H4巡査部長(以下「H4巡査部長」という。)、H5巡査部長(以下「H5巡査部長」という。)、H6警部補(以下「H6警部補」という。)、H7警部(以下「H7警部」という。)及びH8警視(以下「H8警視」という。)並びに検察官H2及び同H1らの各取調べを受けたところ、同年八月七日までに作成された警察官調書(<書証番号略>)及び検察官調書(<書証番号略>の一通)においては、自己の営業の状況や負債の内容、E1との関係や取引の経緯、本件の共犯者とされたAらとの関係などの概略については供述するものの、本件への関与については否認していた。その後被告人は、同月八日以降、Aらが実行したE1殺害への関与を認める趣旨の供述をするに至った〔<書証番号略>の検察官調書一一通と<書証番号略>の警察官調書三三通(<書証番号略>の九月一二日付警察官調書は、被告人が取調室から一覧表を持ち出した件についての詐欺罪の調書であるから、除いている。)。もっとも、八月八日付及び翌九日付の供述調書は、被告人が、AらにE1殺害の実行を明確な形で依頼したとまで述べたものではなく、不利益事実の承認にはあたるものの、殺人罪の共謀共同正犯の刑事責任を認める厳密な意味での自白にあたるか否かは微妙な供述ともいえる。〕。その間、被告人は、昭和六二年八月一六日に本件殺人罪により起訴されたが、その後も同罪及び本件詐欺罪により取調べを受け自白を続けていたが、同年九月一八日、一九日のH2検察官の取調べにおいて、再び否認に転じている〔同月一九日付の検察官調書(<書証番号略>)は、被告人の署名があるのみで、弁護士から取調べに応じるなと言われたことを理由として被告人は指印を拒否したものであるが、弁護人において、この供述調書の任意性を争うことなく証拠とすることに同意している。〕。そして、同年九月二八日本件詐欺罪により追起訴された。

2 検察官及び弁護人の主張

(一) 検察官の主張

Aら共犯者の供述をもとに捜査官が勝手に被告人の自白調書を作成した旨の主張が事実であれば、被告人の自白調書はすべてAら共犯者の供述を前提とした作文調書ということになり、同人らの供述と同一でなければならないはずであるが、被告人の自白調書を子細に検討すると、重要な部分でAら共犯者の供述とくい違っているだけでなく、例えば、高島暦によりE1殺害の実行日を占った状況については、被告人が自供する以前にはAらはいまだ全く供述しておらず、かつ、被告人のみが知り得た具体的事実を積極的に供述しており、また、三月上旬ころ「レディース」でAと飲酒した際同人からE1殺害の打診を受けたか否かについては、記憶にない旨、記憶にあることと記憶にない事柄やあいまいな点を、明確に区別して供述していることが認められるのであって、これらのことからすれば、被告人の自白調書が捜査官の誘導や強制によって一方的に作成されたものでないことは明らかである。

このように被告人の自白は、自白に至る経緯も供述内容も自然で、かつ真実体験した者でなければ語り得ない内容を含んでおり、任意性はもちろん、信用性も十分に認められる。

(二) 弁護人の主張

被告人は、E1に対する殺人罪の嫌疑で逮捕された直後から、捜査官に侮辱的、威迫的言辞を浴びせられたうえ、その後の長期間にわたる取調べ中威嚇的尋問や暴行を加えられ、更に偽計や利益誘導を受けるなどし、代用監獄における身柄拘束の影響で心理的、肉体的に劣弱な状態におかれたため、時日の経過とともに抵抗力を失い、捜査官の誘導に迎合する虚偽の自白をなしたものである。また、本件殺人罪で起訴された後に作成された供述調書については、被告人は、改めて詐欺罪で逮捕勾留されることもないまま、起訴後の勾留を利用して約一か月間にわたって代用監獄に留め置かれ、朝から深夜に至るまで、起訴前と同様に本件の取調べを受けていたため、客観的事実と矛盾する虚偽の自白をなしたものであって、いずれにしても被告人の各自白調書は任意性及び信用性を欠くものである。

第四  判断の手順についての概略

本件の事実関係は多岐にわたり、関係者の供述も種々の点で錯綜しているので、まず初めに被告人の捜査段階及び起訴後の自白調書(不利益事実の承認を含む。)を原則として除外した証拠関係のもとにおいて、A、Dの供述の信用性を判断する前提として、検察官と弁護人が争わず、かつ証拠上も明らかな事実並びに検察官と弁護人の主張が対立しているものの、関係証拠から明らかに認められる事実を確定する。次に、検察官の主張は、A、Dの供述が信用できることを論拠の大きな柱にしているので、A、Dの各供述の信用性について検討する。その後、被告人の捜査段階、起訴後の自白調書の任意性、信用性について検討を加えていくことにする。

第二部  原則として被告人の自白調書(不利益事実の承認を含む。)を除いた証拠関係の検討

第一  証拠上確実に認定できる事実

一  A及びDの各供述の信用性を判断する前提として認定できる事実

A及びDの各供述の信用性を判断する前提として、以下の事実を認めることができる(以下の事実は、一部を除き、被告人も公判廷において概ねこれを認め、かつ証拠上も確実に認定できる。また被告人及び弁護人が争う右一部の事実についても、二で説明するとおり証拠上優に認定できるものである。)。

1 被告人の経歴

被告人は、東京都東久留米市内の中学校を卒業後、農業手伝い、左官業などを経た後、昭和四六年一二月に同市金山町で不動産業や金融業等を営むKW商事を設立して代表取締役に就任し、同社を経営していた(事務所の所在地は、<番地略>。)。

2 被告人とE1の関係、E1に対する貸付状況、E1の生命保険加入と保険料の支払状況、E1屋商事の倒産

被告人は、E1(昭和一五年二月二六日生)の自宅が埼玉県所沢市下安松と被告人方に近く、また家庭状況等も被告人と似通っていたことから、以前から同業者としてE1の顔を知っていた。また、被告人は、昭和五七年ころ、住吉連合土志田一家F9興業組長F9らの主宰する一休会のゴルフでE1を紹介された。

その後一、二か月経ったころ、E1は被告人に一〇〇〇万円の借入方を申し入れた。被告人は、E1がライオンズクラブに入会しており、真面目そうで寿司屋を経営し、悪い噂もないので、担保も取らず借用書だけで貸すことにし、同人の経営するE1屋商事に対し、利息月三分、一か月分先取りで貸し付けた。その後もしばしばE1から借入申込があり、昭和五七年ころには一か月に五〇〇〇万円位を貸し付けては返済を受ける状態となり、貸付額は月毎に増える状況であったが、そのころ被告人は、E1からの返済に不安を抱いていなかった。しかしながら、昭和五八年初めころ貸付総額が一億円位になり、E1の返済能力に不安が出てきたため、被告人はE1に担保提供を求め、E1の妻の実家の土地の権利証を預かり、被告人の信用で東邦信用金庫田無支店から五、六〇〇万円を借りてE1に貸し渡した。また、E1の親族であるE4(以下「E4」という。)やE5(以下「E5」という。)の土地も担保に取ってKW商事が金融機関から融資を受け、その借受金を高利でE1に貸し付けた。

さらに、KW商事は、E1をKW商事の役員であると称して、昭和五八年七月一五日、明治生命(本社所在地は東京都千代田区<番地略>)との間で、E1を被保険者とし、KW商事を保険契約者兼保険金受取人として、普通死亡時の死亡保険金二億八五〇〇万円、災害割増特約として災害死亡時の災害死亡保険金一億円とする生命保険契約(個人定期保険)及び死亡保険金を一五〇〇万円とする生命保険契約(養老保険)の二つの保険契約を締結し、右保険料はE1屋商事から得た貸付利息の中から支払いに当てていた。

KW商事のE1屋商事に対する融資額は、昭和五九年には一二億円余りになっていた。ところがE1屋商事は、その支払いを懈怠し続けたあげくに、昭和六〇年四月に二度目の不渡手形を出して倒産した。KW商事は、E1屋商事から、元金の返済はもとより、利息の支払いも受けられない状態となったものの、被告人は、前記保険契約が債権担保の目的であったことから、その後も保険料を支払い続けた。被告人は、昭和五九年一一月分以降は保険料の支払いが一か月遅れになったが、昭和六一年三月二八日に同年二月分と三月分の保険料を一括して支払い、その後は保険金が支払われるまで遅滞することなく保険料を支払った。

3 南千住のF7の土地等についての紛争

被告人は、昭和五八年一二月ころ、神奈川県大和市に事務所を有する稲川会堀井一家飯田五代目F2組と親交のあったF10(F2組組長F2の元舎弟。以下「F10」という。)から株式会社大久保建設営業部長J16を介してF7に対する融資話を持ちかけられ、同月一六日ころ、KW商事が金融機関から融資を受けたうえ、F7に対して三億一五〇〇万円を貸し付けた。その際、東京都荒川区南千住所在の土地及び建物(以下「南千住の物件」という。)を担保物件として取得したが、その後被告人は、KW商事がF7からこれを買い受けたとして、昭和五九年一月八日ころ、右建物を取り壊した。F7は、右物件を売り渡したものではなく担保として提供したにすぎないとして、右建物取り壊しに関し、F10の勧めで同年二月初めころ、F10が手配したF2組の組長代行F4の配下組員F12(以下「F12」という。)と共に被告人と交渉したが、その経過の中でかえってF12は被告人に味方し、F7の納得のいく成果は得られなかった。そこでF7は、F10に費用を負担してもらい、同年五月、KW商事を相手に右建物を取り壊されたことを理由とする損害賠償請求及び所有権移転登記抹消登記請求の訴えを東京地方裁判所に提起した。

被告人は、F12及び同人の仕事を引き継いだ元稲川会系暴力団員であるF5(かつて、F4と兄弟分の関係にあった。)に対して、右訴訟の解決方を依頼したが、交渉はうまく進まなかった。

4 被告人とDの関係

Dは、昭和五八年一〇月ころF4の舎弟となり、昭和六〇年ころから、F2組組長代行補佐として同組の運営資金の調達や管理を中心となって行う、いわゆる組の金庫番として活動するようになっていた。そのかたわら、Dは、F2組に入った当初から、不動産取引等の仕事を覚えるべく、同組の不動産関係の仕事を担当していたF12に運転手として付き従い、昭和五九年ころからは、F5に運転手を兼ねて同行し、同人の行う不動産関係の仕事を手伝っていた。Dは、昭和五九年初めころ被告人とも面識を持ち、その後、同年ころから、被告人が融資先との紛争の処理等をF5らF2組関係者に依頼するなど、次第に同組との関係を深め、同組のスポンサーともいうべき立場になってゆく過程で、D自身も、F2組と被告人との間の連絡役を務めるなどして、被告人との親交を深めていった。

5 被告人のNK石材に対する投資

被告人は、昭和六〇年二月ころ、F5から長崎県内にあるNK石材が採石販売業を行い、採石後の平坦地を転売する計画があり、かなりの利益が見込まれるのでKW商事からその事業資金を融資し、投資してもらいたいという申し出を受け、同年三月ころからKW商事振出の約束手形をF5に渡すなどしてNK石材に投資するようになった。

6 KW商事の経営悪化

(一) 前記のとおり、昭和六〇年四月にE1屋商事が倒産したものの、E5等から不動産を担保に取っていたため、被告人は、E1屋商事からの元金等の回収についてはそれ程強い不安はなかった。しかしながら、同社の倒産により、KW商事にはE1屋商事からの月額一〇〇〇万円を超える利息が入ってこなくなったため、KW商事自らの負担でSF等の借入先への元利金の返済を行わなければならなくなり、被告人は、そのための資金の調達を余儀なくされるようになった。ところが当時、KW商事は、E1屋商事以外の融資先との関係でも担保等として取得した不動産に関して種々の紛争を抱えてその解決が長引いており、また転売して債務の返済等にあてるべき不動産の処分も思うに任せず、他の融資先からの債権の回収も順調には進まなかったため、被告人は、資金繰りに窮するようになり、昭和六〇年六月ころからSFへの利息の支払いを遅滞するようになった。そのころ、被告人は、SFに対して一九億円余の債務を負っており、三か月ごとの利息も四七〇〇万円余になっていた。

更に、被告人は、担保として預かっていたE5の不動産を売却したいというE1からの依頼で、E1が借入金の返済に当てるものと考え、右不動産の権利証をE1に渡していたところ、昭和六〇年八月ころ、右不動産のKW商事への所有権移転登記が錯誤を理由に取り消された。加えて、昭和六〇年九月には、E5の代理人が、SFに対してE5の所有地の抵当権設定が同人の承諾なくされたものである旨通知してきた。同年一一月になって右事実が判明したが、E1は、これについても被告人に満足のいく説明をせず、E5に同調するような態度を取ったため、被告人は、E1を告訴することも考えた。

(二) KW商事は、前記SFからの借入金のほか、青梅信用金庫東久留米支店、西武信用金庫東久留米支店、田無農業協同組合、埼玉銀行東久留米支店等の金融機関に対しても多額の債務を負っており、その額は、昭和六一年一月には合計約二〇億円余に上るなど、各金融機関への利息の支払いだけでも、毎月多額の資金が必要な状態になっていた。しかしながら、KW商事は青梅信用金庫東久留米支店等へ多額の預金を有していたものの、これらの預金は大半が融資を受けた際に担保となっており、また所有していた不動産も多数あるものの、いずれもSF等に抵当権が設定されていたことから、右不動産をもって新たな融資を受け、資金繰りをしていくことも事実上不可能であった。このような次第で、KW商事は、SF等の金融機関から、利息等の支払いのためのいわゆる書替えのための融資こそ受けられるものの、新規事業のための融資を受けられない状態になった。このため被告人は、親族や知人から借入れを重ねて資金繰りに努め、これらの借入金も、合計約二億円に上った。

昭和六〇年暮ころには、被告人は、被告人の父親名義の不動産や手持ちの不動産の一部を処分するなどして資金繰りに努めたものの、更にKW商事の資金繰りは圧迫され、SF等への利息の支払いも遅滞し、更には昭和六一年一月と二月には東村山税務署からKW商事所有の不動産を差し押さえられた。

(三) 更にKW商事は、昭和六〇年六月ころまでの間にNK石材へ合計七〇〇〇万円余の手形を振り出していたにもかかわらず、同社からの利益回収がないままであり、右手形の決済にも苦慮していた。被告人はNK石材の事業へ投資したものの、利益の回収が一向に図られない状況であったことから、昭和六〇年一二月ころ、F5に対して、出資金の返済を強く求めた。しかし、F5は被告人に対して、この時点で出資を中止された場合採石事業は継続できず、NK石材が倒産することとなり、それまでの出資金の返済すら不可能となってしまうので、更に追加出資をしてもらいたい旨申し出た。被告人は、昭和六〇年一二月下旬、顧問のG弁護士と共に長崎に赴き、F5らと話し合った結果、昭和六一年一月からは、確実にNK石材からKW商事へ利益の配当がなされると見込んだため、KW商事が合計一億四四〇〇万円の手形を振り出して追加出資し、NK石材は昭和六一年一月から七月末まで毎月利益を送金〔合計約二億五〇〇〇万円。協定書(<書証番号略>)には、送金合計額が二億八〇二五万円と記載されているが、各月の送金予定額を合計して考えると、二億四八九五万円の誤記と思われる。〕する旨の協定を締結した。被告人は、右協定に基づき、昭和六〇年一二月下旬ころ、F5に対して、支払期日が昭和六一年一月二五日から同年七月二五日までの約束手形合計四八通〔額面合計一億四四〇〇万円。協定書(<書証番号略>)には、一億四七〇〇万円と記載されているが、これには昭和六〇年一二月末に被告人が越年資金として送金した三〇〇万円が含まれており、同月下旬に渡した手形の額面合計は、四八通の合計一億四四〇〇万円である。〕を渡した。ところが、昭和六一年一月になっても、NK石材からは協定内容に従った入金がなされず、被告人は、NK石材の事業に関し、利益を得ることができない状況になったにもかかわらず、既に交付していたKW商事振出の多額の手形を毎月決済していかなければならない状況となった。

(四) しかしながら、SF等の金融機関から新規の借入れもできない状態が続いていたことから、KW商事の経営状態は一向に改善せず、益々資金繰りに窮するようになっていた。当時の状況としては、資金繰りに苦しんでいたKW商事の経営状態が好転することを期待できる事情は格別認められず、SF等への元利金返済の目途がつかなかったばかりか、NK石材への投資として振り出していた約束手形を、昭和六一年二月以降には毎月一〇〇〇万円以上決済しなければならない状況にあった。

このような中、被告人はE1に対して担保物件による清算方を求めたが、E1は、一向にKW商事に対する債務の返済に協力しようとしなかった。そのため昭和六一年一月には被告人やSFは競売の手続を進めようとしたが、E1はこれに不満を示し、E5の土地にプレハブ住宅を建築するなどして、競売を妨害する態度を取った。また三月一一日ころ、E1は、E5所有の不動産の被担保債権について、減額するようにSFと直接交渉し、その際にも、E5所有地についての抵当権設定が同人の承諾なくされたものである旨の同人の主張に同調する態度を示した。

7 被告人がE1に対する憤懣の情を知人に吐露していたこと

以上の次第でKW商事の経営状態は悪化の一途をたどり、被告人は、資金繰りに奔走する毎日を送るようになっていた。ところが、被告人がこのような窮地に陥っていたにもかかわらず、前記のとおりE1は、一向にKW商事に対する債務の返済に協力しようとしなかったばかりか、担保としてKW商事に提供したはずの不動産の所有者らが、KW商事らを相手として訴訟を提起するなどして、これを取り戻そうとする動きを見せたのに同調する言動にさえ及んだ。被告人は、KW商事の資金繰り悪化の原因を作っておきながら、かえって被告人に敵対する態度を取っているとして、E1に対する憤懣やるかたなく、このように自分が苦しむのはE1のせいであると考えて、F13(以下「F13」という。)やDら周囲の者に、E1には生命保険をかけている、死んでしまえばいいなどと、しばしばE1に対する憤懣の念を漏らすようになった。昭和六〇年一〇月か一二月ころには、KW商事に来たF5及びDに対し、被告人が、KW商事がE1を被保険者とする多額の生命保険に加入していることから、同人が死んでくれれば助かるなどと話した際、F5が報酬一億円でE1殺しを引き受けてやると話したこともあったが、被告人はこれを断った。

8 被告人とAの関係

A(本件後の昭和六二年三月婚姻によりF14からAに改姓した。)は、的屋全日本源清田連合初代萩原一家井上分家F14組組長であるが、昭和六〇年九月に服役を終え、かねてよりF2組組長らとも親交があったことから、間もなくF2組事務所に足繁く出入りするようになり、「SO」という名称で金融業にも手を出していた。Aは、F2組がKW商事から依頼されていた債務者との紛争処理等の仕事にも協力するようになり、Dは、Aの運転手を兼ねて同人と行動を共にする機会も多くなっていた。

Aは、昭和六一年一月末ころ、F2組の組長代行であるF4から、南千住の物件をめぐるKW商事とF7との間の民事訴訟の解決方を依頼された。Aは、かねてF10と交友関係があったことから、F7に資金援助をしていたF10と掛け合って援助をやめさせようとしたり、相手方の弁護士に対して辞任を働きかけたりするなど、種々策を弄してKW商事のために活動した。Dは、二月上旬ころ、このようにKW商事のため活動していたAを、仕事ができて役に立つ人物として被告人に紹介した。その後も、Aは、南千住の物件をめぐる問題の解決のために働いていた。

9 被告人がAに依頼し、被告人の金員をAが貸す形式をとってE1に一〇〇〇万円を貸し付けたこと

被告人は、三月一五日ころ、知人のF15所有のマンションを担保に一億円の融資を受けたいので融資先を探して欲しい旨、Dに依頼した。DはAに相談し、Aは、有限会社GE商事(以下「GE商事」という。)社長のJ5(以下「J5」という。)の紹介で、東京都豊島区池袋にある株式会社T商(以下「T商」という。)を融資先として紹介した。T商が右マンションを検分した結果、同月二二日に七〇〇〇万円を融資することに決まった。他方で被告人は、昭和六〇年六月ころ、一〇〇〇万円の手形をE1に貸し、同人はこれをSNで割り引いていたが、E1はこれを返済せず、それまで数回書替えを続けていた。ところが昭和六一年三月になって担保のため裏書をしていた前記E5が裏書を拒絶したため、SNの社長J1はこれ以上手形を書き替えることは無理と判断し、同月一八日ころ右一〇〇〇万円の手形を銀行の取立てに回すと被告人に連絡してきた。このため、被告人は、T商からの七〇〇〇万円の融資金の一部を右手形の決済資金に当てようと考えた。その際被告人は、AをE1に融資してくれる横浜の金融業者であるとしてAからE1に一〇〇〇万円を貸し付けさせ、その金をE1からAに返済させることを通じて被告人に返済させようと考え、同月二〇日ころ、Aにその旨依頼し、同人もこれを承諾した。被告人は、同月二二日、T商から七〇〇〇万円の融資を受け、一部をAが金山町の物件を担保にしてT商から借り入れていた一五〇〇万円の債務の返済に当てた。そして残金のなかから現金一〇〇〇万円をAに渡し、A及びDと共に、埼玉県所沢市大字下安松所在のE1方に赴き、被告人において、E1に融資してくれる横浜の金融業者であるなどとAを紹介したうえ、その場でAがE1に右一〇〇〇万円を貸し付けて、右手形を回収した。

10 AがE1殺害を実行した経過

(一) Aが、BにE1殺害の協力を依頼したこと

Aは、札幌市内に本拠を置く前記井上分家傘下のB組組長であるBとかねてより親交があり、当時も、同人をしばしば上京させては仕事を手伝わせていた。Aは、三月二三日にBと大阪へ行き、宿泊先のホテルでE1殺害を手伝ってくれるよう依頼し、Bはこれを承諾した。

Aは、四月一〇日に網走刑務所を出所する配下の組員F16(以下「F16」という。)の出迎え等のために、近々北海道に赴く予定であったことから、口実を設けてこれにE1を同道し、機会をみて殺害しようと企て、E1を北海道に連れ出すべく、札幌市中央区内の通称狸小路の土地売買に関し、E1屋商事を税金対策上のダミー会社に使わせてくれれば、E1に多額の手数料を支払う旨申し向け、一度現地を見るためAらと一緒に北海道に赴くよう誘った。その後も四月五日、AはDを伴ってE1方へ行き、先にE1から依頼されていた新たな融資金三〇〇万円を手渡した際にもE1を北海道に誘った。翌六日、Aは、E1から、同月八日の午後からであれば北海道に行けるという返答を得た。そこでAは、同月八日にE1を同道して北海道に赴き、機会を狙って殺害することを決意した。

(二) Aが被告人から振り出してもらった手形を割引に出して、北海道行きの費用を工面したこと

Aは、四月上旬に(この日が五日か七日かについては争いがあるので、後に詳論する。)Dを伴いKW商事事務所に赴いて被告人と会い、被告人から、KW商事振出の六月六日満期の額面三〇〇万円二通(手形番号HA82774、同82775)及び額面四〇〇万円一通(同82773)の額面合計一〇〇〇万円の約束手形三通と現金五〇〇万円を受け取った(受け取った趣旨についても争いがあるので、後に詳論する。)。Aは、四月八日、右の手形のうち額面三〇〇万円の二通について、HA82774の手形をGE商事で(割引金のうち一〇〇万円のみ現金で受け取り、残金一五〇万円については同日、J5からAの住友銀行築地支店の口座に振り込まれている。)、同82775の手形を株式会社AE(以下「AE」という。)八重洲支店でそれぞれ割引し、これらの現金を持参して同日午後、AとBは、F2組組員のF21と共に、羽田空港を出発して、空路札幌市内に赴いた。Aは、羽田空港で、BにE1殺害の経費として右の金員の中から現金二〇〇万円を渡した。他方Aは、四月五日にE1に三〇〇万円を融資した際、金利分として額面六〇万円の株式会社WT石材(以下「WT石材」という。)振出の小切手を受け取っていたところ、四月五日にJ5にWT石材振出の六〇万円の小切手の取立てを依頼し、J5はこれを四月七日の午前中に取立てに回し、五〇万円を同月一〇日にAの住友銀行築地支店の口座に振り込んだ。

(三) 四月一一日、被告人が、A名義の銀行口座に三〇〇万円を送金したこと

四月一一日ころ、被告人は、KWハウジング代表取締役F17(以下「F17」という。)に五〇〇万円を送金してほしい旨依頼し、同人は同月一一日、青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の口座に五〇〇万円を振込送金した。被告人は、右五〇〇万円のうちから三〇〇万円を、同日、Aの住友銀行築地支店の口座に振込人名義をDとして振り込んだ。右振込みについて、KW商事の銀行勘定帳の四月一一日の分には摘要「立替金SO」として三〇〇万円の出金が記載されている。

(四) E1殺害の実行

四月八日、AとBは、F2組組員のF21と共に札幌市内に赴き、同日夜、遅れて到着したE1と同市内で落ち合った。その後、前記公訴事実第一のとおり、B及びB組組員Cは、同月一二日午前二時二〇分ころ、北海道上磯郡上磯町字谷好五五番地F1方裏の通称谷好前浜海岸南東方向約1.4キロメートルの沖合付近海上で、F1が操船する小型漁船第二とし丸の船首三角デッキ上から、BがE1を突き飛ばして海中に転落させ、そのころ同所付近海中において、E1を溺水により窒息死させて殺害した。

11 四月一六日ころ、被告人とAが京王プラザホテルで会ったこと

Aは、四月一五日函館を出発し、同月一六日ころ、東京都新宿区<番地略>所在の京王プラザホテルにおいて被告人と会った。その際の話の結果、被告人は、翌日ころ、株式会社J3設計事務所(以下「J3設計事務所」という。)から額面三五〇万円の手形二通を借り、これをAに渡した。

12 生命保険金の請求状況

被告人は、四月下旬ころ、明治生命の保険外交員であるF33にE1の死体が発見されない状態で保険金を取得できないのかどうか問い合わせをし、F33から死体が発見されなければ保険金が支払われない旨の回答を得た。また被告人は、そのころ、顧問であるG弁護士に対し、E1の死体が発見されていないが、早く保険金を取得する方法がないかという問い合わせをし、同弁護士から、早期に保険金を入手するには、警察の証明に基づく認定死亡の方法しかないであろうと言われたことから、同弁護士に函館の警察へ赴き、認定死亡の方法が可能であるか否か調査をするように依頼した。被告人は、同年五月上旬、同弁護士から、調査の結果認定死亡となるのは困難である旨の回答を得た。

その後、七月一日、E1の死体が北海道上磯郡上磯町の海岸において発見されたため、被告人は、同月一四日、明治生命に対して保険金の支払方を請求し、同年八月二日、西武信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に保険金等合計四億〇〇六五万八一八〇円が振替入金された。

13 KW商事がAに手形を振り出した状況等

被告人は、四月中旬ころから八月上旬ころまでの間、少なくともKW商事振出の手形約四〇通(額面合計約二億円)及びJ3設計事務所振出の手形二通(額面合計七〇〇万円)を、Aに渡した。これらの手形のうち一部を約束手形帳控にAのことを山本という偽名を記載して振り出している。他の手形は受取人欄を白地で振り出しており、振り出した理由は、手形振出による貸付けが多いが、被告人の資金繰りのため、被告人がAに割引あるいは割引の仲介を依頼したものもある。

また四月二二日に、KWハウジングのF17が、被告人に依頼されて二〇〇万円を住友銀行築地支店のAの口座に振込送金した。そのほか、同月三〇日から八月上旬までの間、佐藤幸光、保坂一郎等の偽名で合計三一五〇万円が、被告人から住友銀行築地支店のAの口座に振込送金されている。

これらの手形貸付や現金の送金に際し、Aから担保や借用証は取られていない。

他方Aは、六月五日から八月一三日までの間に、F14名義、被告人名義等で青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に合計四〇〇〇万円を振込送金した。また六月二四日と七月九日に各一〇〇万円を、Aは被告人に渡した。その他七月二一日に東名飯店の駐車場において、被告人がKW商事振出の手形三通(額面合計三〇〇〇万円)をAに渡し、AがこれをJ2に渡して割り引き、その割引金の一部二〇〇〇万円を被告人がAより受け取った。

14 五月下旬か六月上旬ころ、被告人が、東名飯店でBと会ったこと

被告人は、五月下旬か六月上旬ころ、神奈川県厚木市内にある東名飯店でAと会った。被告人はその際、東名飯店にF17を連れて行った。東名飯店で、A、被告人らの話が終了した後、被告人は、別テーブルにいた札幌から上京していたBをAから紹介された。

15 八月八日、京王プラザホテルにおいて、被告人がAやNK石材関係者と会い、NK石材に対するそれまでの約六億円の投資を回収する問題の解決策として、NK石材振出の額面合計三億円分の手形を受け取ったこと

Aは、被告人のNK石材に対する投資の回収問題についても被告人から解決を依頼されていたが、八月八日、NK石材社長のF18、F19らを京王プラザホテルに連れて行き、被告人を同ホテルに呼びだしたうえで、それまでの約六億円に上る投資の回収問題の解決策について交渉した。その結果、NK石材が被告人に額面合計三億円の手形を振り出して清算することで決着し、被告人は、一〇月末以降を支払期日とする額面三〇〇〇万円八通、六〇〇〇万円一通の額面合計三億円分のNK石材振出の手形を受け取った。その際被告人は、書込みがなされる前の符号14と同内容のメモを持参してAに渡した。

16 八月一三日、被告人がAに現金八〇〇〇万円を渡し、手形を回収したこと

八月八日(京王プラザホテルにおいて、被告人がAをまじえてNK石材と交渉した際)か同月一一日かについては争いがあるが、被告人はAに対し、現金八〇〇〇万円を渡すのでAに渡していた手形を回収するように依頼した。その後八月一三日、西武信用金庫東久留米支店から下ろした現金八〇〇〇万円を持参し、Aと待合せをしていた東名飯店に行った。

同日、被告人とAは東名飯店で会い、被告人がAに現金八〇〇〇万円を渡し、Aは、被告人から振り出されていた額面合計一億〇三五〇万円の手形一五通を、事前にあるいは当日、F19やJ2らから回収して被告人に返却したほか、被告人がNK石材に対して振り出していた手形七通(額面合計一六〇〇万円)を回収して被告人に渡した。その際被告人は、Aに、額面二〇〇〇万円一通(手形番号HA86997)、一〇〇〇万円二通(手形番号HA86998、同86999)の手形を渡した。この手形のうち額面二〇〇〇万円一通(手形番号HA86997)は、当日AからJ2に渡され、第一裏書人をJ4として、支払期日の翌日である一〇月三一日に、KW商事の青梅信用金庫東久留米支店の当座預金口座から決済された。また額面一〇〇〇万円の手形二通のうち手形番号HA86998の手形は、第一裏書人をNK石材として、手形番号HA86999の手形は第一裏書人をJ5として、それぞれ満期の一〇月三〇日に、KW商事の同支店の当座預金口座から決済された。他方一〇月三〇日に、AからKW商事の同支店の当座預金口座に三〇〇〇万円が振り込まれた。

17 その後の被告人のAに対する手形の振出状況等

その後も昭和六一年暮ころまで、被告人からAに対し、約四、五〇通(額面合計三億円余)の手形が振り出されたが、被告人は、手形の決済を思うように行わないAを避けるようになり、昭和六二年に入ってからはAに対して手形を振り出さなくなった。同年五月中旬、G弁護士の仲介で、被告人とAは東京のセンチュリーハイアットホテルで会い、G弁護士が立ち会って念書を作成した。右念書に従ってほどなく、被告人がAに対して、SOが計画中の箱根宮城野のペンションへの出資を振出原因として手形五通(額面合計三五〇〇万円)を振り出した。

18 被告人が金銭出納帳の記載を改竄させたこと

昭和六二年三月ころから、新聞等で本件が保険金目的の殺人事件ではないかという疑惑をかけられ、特に昭和六一年三月二二日にE1に対して、貸主をAに偽装して一〇〇〇万円を貸し付けたことについて、被告人がAらと共謀のうえE1を殺害したことの徴憑ではないかという疑惑を持たれた。このため被告人は、そのころ、妻の甲2に指示をしてKW商事の金銭出納帳の三月二二日の欄の右貸付けに関する記載をTS商事に対する立替金に改竄させた。

二  右一連の事実の中で、検察官と弁護人の主張が対立する点についての判断

1 E1殺害当時におけるKW商事の経営状況

昭和六一年二月から四月ころにかけてのKW商事の経営状況につき、検察官は、経営の失敗が重なって極度に苦しい状況に陥っており、被告人がE1を殺害して取得する生命保険金で資金繰りをすることを真剣に考える状況にあったと主張する。

以下、個々の取引先との関係をめぐる状況について、取引先ごとの弁護人の主張を個別にみながら判断する。

(一) 南千住の物件及びこれをめぐるKW商事とSE間の売買契約

(1) 弁護人の主張

被告人は、二月中旬ころ、Aから、南千住の物件をめぐるF7の訴訟取下げについては、F7側と順調に話し合いが進んでおり、近々円満に金銭解決が計れる見通しである旨太鼓判を押された。そこで被告人は、三月一〇日、かねてから売買の話が進んでいたSEとの間で、契約時手付金三〇〇〇万円、三月二〇日中間金二〇〇〇万円、四月三〇日中間金一億円、手続完了時残金四億円の支払約定にて売買代金五億五〇〇〇万円で南千住の物件の売買契約を締結した。被告人は、右契約に基づきSEから、三月一〇日に手付金三〇〇〇万円、三月二〇日に中間金二〇〇〇万円の支払いを受け、そのうちから、Aに対し、二〇〇〇万円と一八五〇万円を右訴訟取下げの費用として交付した外、更に同月二二日、池袋のT商において一五〇〇万円を代払いしたのである。被告人は、右の如く、Aに総額五三五〇万円に上る大金を支払ったことにより、同人からF20弁護士が責任をもって四月上旬までに裁判所に右訴訟の取下手続を完了することになっていると確約されていたので、SEから四月三〇日に中間金一億円及び手続完了時に残金四億円の支払いを受けることについては、何らの心配も持っていなかった。したがって被告人は、三月上旬から四月末日にかけて、資金繰りについて相当楽観的な見通しを持っていた。

(2) 判断

三月一〇日、KW商事とSEとの間で南千住の物件につき、代金五億五〇〇〇万円で売買契約が締結され、SEから、同日手付金三〇〇〇万円、三月二〇日に中間金二〇〇〇万円がKW商事に支払われたことは証拠上明らかである。

ところでSE代表取締役のJ6は右売買の経過について、「昭和六一年二月ころ右売買の話が被告人から持ち込まれたが、持主のF7と担保か売買かでもめているということであり、成約しなかった。その後被告人が、F7が訴訟の取下げをする見通しがついたという話を持ってきたので、F7の登記等の取下げを確実に実行させることを条件に、契約に応じることにした。契約では、売買価格を五億五〇〇〇万円とし、契約時に手付金三〇〇〇万円、中間金として昭和六一年三月二〇日に二〇〇〇万円(F7の所有権移転登記抹消予告登記の取下手続完了時)、同年四月三〇日に一億円(F8の仮処分抹消手続完了時)、手続完了時に四億円支払うという特約をつけた。同年三月一〇日の契約時に三〇〇〇万円、その後F7の件は間違いなく取下げさせると被告人が言うので同月二〇日に二〇〇〇万円を支払ったが、同月末ころには被告人からF7が立ち退きに応じてくれないと言われた。話が進まないので四月三〇日の一億円は支払わなかった。被告人に催促したが、KW商事とは他に赤羽の物件を売却する話が継続していた時でもあり、その関係でKW商事に支払う金で済むと思い裁判にはしなかった。同年一〇月ころから違約金として一億円を請求し、昭和六二年三月二日に二〇〇〇万円を支払ってもらった。」と供述している〔J6の警察官調書(<書証番号略>)〕。

これによると、三月二〇日に中間金二〇〇〇万円を入金してもらった際にも、F7の立ち退きを早急に行うという条件付で入金がなされたことが認められる。当時の情勢としてF7がたやすく立ち退きに応じることは考えがたく、そのことは被告人自身十分に認識していたものと認められる。したがって、SEとの間の売買契約は、F7が立ち退かないことから、そのころには暗礁に乗り上げ、その結果四月以降の売買代金の入金を楽観できる状況にはなかったものと認められる。右事情は、被告人自身も十分に認識していたものと認められるので、弁護人の主張は採用できない。

(二) NK石材関係

(1) 弁護人の主張

被告人としては、SEから四月三〇日の中間金一億円と残金四億円の合計五億円が入金になれば、それだけでも当座の資金繰りには困らない状況であったから、Dに強く言って、昭和六〇年一二月にKW商事とNK石材との間で締結した協定に基づくNK石材側の義務をできるだけ守らせればそれで足りた。被告人は、Dに対して、もしNK石材側が右協定を守らなければ、手形を不渡りにするなどと強硬な申入れをしたが、これは督促を効果的にするための言葉のあやに過ぎず、実際にはSEとの間の売買契約成立により、被告人の資金繰りはにわかに楽観的な見通しになっていた。

(2) 判断

SEからの入金の見通しを楽観できる状況になったことは右認定のとおりである。しかも被告人は、NK石材の利益が全く上がらなかったことから、昭和六〇年一二月に、一旦はF5からの追加融資の申入れを断り、逆にNK石材から出資金を引き上げることをF5に申し入れていること、その後、NK石材の現場を見て追加融資を決定したものの、翌昭和六一年一月になっても協定に従った入金がなされず、かえって、同年一月、二月、三月と、被告人が自己の資金で昭和六〇年一二月にNK石材に振り出した手形を順次決済していったことは、前記認定のとおりである。その間F5は、全くKW商事に顔を出さず、KW商事に送金をしてこない理由についても説明をせず、Dを通じてF5に交渉しても、F5が被告人から逃げる態度を取っていたことは、Dや被告人の各公判供述を総合しても明らかである。被告人が、NK石材に対して、思い入れのようなある種の期待を有していたであろうことは十分に認められるが、右のような状況下で、昭和六一年三月ころに至っては、被告人が、NK石材からの利益が確実に上がるものと見込んでいたとは考えにくい。

捜査報告書(<書証番号略>)、約束手形帳控(<押収番号略>)によると、被告人はNK石材に対し、六月一六日に三四通、額面合計一億〇二〇〇万円の手形を振り出していることが認められ、このうち一四通額面合計四六〇〇万円が青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座から決済され、一九通額面合計五一〇〇万円は被告人に回収されている(なお、手形番号HA86091のみは、振出後の状況が判然としない。)。更に、被告人は、七月三〇日にもNK石材に対して手形一一通(HA86977ないし同86987。額面合計二九〇〇万円)を振り出しており、このうち二通(額面合計八〇〇万円)が同支店の当座預金口座から決済され、残り九通は回収している〔捜査報告書(<書証番号略>)、<押収番号略>の約束手形帳控〕。これによると、右各手形を振り出した当時、被告人はNK石材の経営に悲観的ではなかったのではないかとも考えられる。

しかしながら、六月及び七月に右手形が振り出された当時はすでにE1が死亡し、遠からず生命保険金約四億円が入ってくることが確実に見込めた状況下にあり、新規に営業用資金を借り入れられる見込みのなかった三月ころとは、資金繰りの状況が明らかに異なる。六月、七月ころの状況のみをもとに、三月ころに被告人がNK石材からの利益が確実に上がるものと見込んでいたとは認めがたい。

(三) E1関係

(1) 弁護人の主張

被告人は、SFから借入れして、E1に転貸していた貸金については、E4、E5らの所有にかかる担保力十分な土地に抵当権が設定されていたので、これが早晩全額回収になることについて特段の不安は何もなかった。

(2) 判断

関係証拠を総合すると、SFから借入れしてE1に転貸していた貸金については、E4、E5らの所有地に抵当権が設定されており、被告人も、E1に対する債権の回収については、最終的には右各不動産で清算できると考えていたものと認められる。しかしながら、E1に対する貸金の問題で重要なのは、E1からの元金の返済の問題以上に、E1屋商事の倒産により利息が入ってこなくなったため、被告人(KW商事)自身が、SF等に資金を工面して利息を支払わなければならなくなり、その結果KW商事の経営が圧迫されたことにある。E1が、E4らの不動産による清算を拒み、種々の妨害工作に出ていたことは証拠上明確で、簡単に右不動産による清算が進まないであろうことは容易に推認でき、その間被告人が右利息を払い続けなければならないため、資金繰りが圧迫されてきたものと認められる。しかもE1の背信的な行為で、右担保の実行に不安も出、その関係でSF等から右不動産による清算をしない限りは、新規の融資に応じないという対応を取られた。そのため、右利息の支払いのためやNK石材に振り出した手形の決済資金の工面に被告人が困窮していたことは、十分に認めることができる。

したがって、E1からの資金の回収については、最終的には右各不動産で清算できると考えていたから、被告人の資金繰りは楽観的な見通しになっていたという弁護人の主張は、採用できない。

(四) まとめ

これらに加え、東村山税務署から一月と二月にはKW商事所有の不動産を差し押さえられたこと等をも考慮すると、当時のKW商事の資金繰りがかなり苦しい状況にあったことは明らかであり、被告人がKW商事の資金繰りを楽観視していたという弁護人の主張は、採用できない。

2 被告人のE1に対する心情の吐露

(一) F13に対する吐露

KW商事と取引のあったF13は、捜査段階で、「昭和六〇年一二月中旬ころ、KW商事の社長室でKW商事に提供した土地の件について被告人と話し合った際、被告人が、『E1屋商事には大分金を貸したが返してくれないので自分も苦しい。こうなったらE1に死んでもらって保険金でも取るしかないな。交通事故に見せかけて殺してもばれるだろうな。』と言った。ふと思いついたような口調で、『まさかあ。』と言うと、被告人もそれに対してあれこれ言うことなく苦笑いをしていた。」と供述しており〔検察官調書の10、11、13項(<書証番号略>)〕、また所在尋問調書でも、若干の変遷は認められるものの、被告人が冗談に交通事故でも起こして殺害でもすれば保険金も下りるじゃないかと言っていた旨供述している。

この点について、被告人は、公判では否認しているものの〔E1を怨んでいたことは同意された被告人の供述調書でも認めている(八月二日付警察官調書<書証番号略>等)。〕、右認定のとおりのKW商事の経営状況、E1の不義理な態度に鑑みれば、被告人がE1に対する怨みを強めていたものと認められる。そして右のような被告人の心情等を考慮すると、被告人が、F13にE1に対する憤懣やるかたない心情を話し、保険金が入れば楽になる旨話したというF13の供述に格別不自然不合理な点はなく信用できるのに対し、これを否定する被告人の公判供述は信用できない。

(二) F5らとのE1殺害の話

(1) F5、D供述の要旨

F5は、

「被告人からE1に保険をかけていると二、三回聞いた。昭和六〇年初めころから保険金額は三億円と聞いている。保険料は月一〇万円で、支払いが大変で滞っていると聞いている。

NK石材への追加融資を依頼した際、被告人の焦げ付きを自分(F5)が回収してそれで追加融資をするという話が出、E1の債権回収を自分にやらせてほしいという話が出たときに、一連の話として保険金の話が出たと思う。話の中で、保険金を取れるようにしたらよいという話から入った。E1を始末すればいいじゃないかという話に入った。保険金が入るからと言ったかどうかはっきりしないが、話の筋としてそうなる。

同年一〇月ころにもDと三人でKW商事の社長室で保険金の話をしている。時期は警察にE1が入院した時期を聞いて分かった。追加融資のことで行き、相当手間取ったが出してもらった。F5が『E1を片付けてやろうか。』と言った。殺すということ。NK石材に追加融資をしてほしい気持から言った。機嫌取るために言ったので本気ではない。同じ日ではないと思うが、その前に被告人が『ばちでも当たって事故でE1が死んでくれたら。』という趣旨を言っていた。その日ではないと思うが、カナダから殺し屋を連れてくるという話をした。そのためにはE1の写真や住所が必要になるという話はした。被告人は、『そういうことはF5君に頼まなくても他にやる奴はいくらでもいる。』と言った。真剣に話しているのではない。冗談で言っているような感じだった。『今E1に何かあれば一番疑われるからそんな危険なことはできない。』とも言っていた。F5が報酬は一億円位でいいよという話をした。Dは元々無口な男だから、このときも相槌を打つ程度だった。」と供述しており〔六回公判、七月二二日付検察官調書(不同意部分を除く。<書証番号略>)。〕、Dも概ね同様に供述している(四二回公判)。

(2) 評価

F5、Dの右各供述は、詳細で、かつ供述も一貫しており、両者の供述も概ね一致している。またF5らに対して、E1に生命保険をかけていることを話していること、昭和六〇年一〇月もしくは一二月ころに、F5がDとKW商事に来た際、E1の保険金の話から、F5が、E1がいなくなれば保険金が三億円入るんだろうという趣旨のことを話したことは、被告人自身公判廷でも認めているところであり(四八回公判)、またF5に対し、E1のやり方に愚痴を言い、E1に生命保険をかけていることや、E1がいなくなればいいと言ったことは、弁護人が同意している供述調書でも認めているところである〔八月七日付警察官調書(<書証番号略>)〕。またF13に対しても、E1に生命保険をかけていること、E1が死んで保険金が入ってくれば助かるという言動を取っていることは前記のとおりである。したがって、これらを考え合わせると、F5やDの供述に格別の不自然さはない。

被告人の公判供述も、「NK石材に対する五〇〇〇万円の追加融資を断った際に、F5が、E1がいなくなったらいいんだろう、KW商事に三億円入るんだろう、と言った。縁起でもない、五〇〇〇万円ほしくてそんなこと言うなとF5を怒った。うちの方でやる人間がいるなどとは言っていない。これ以外にE1殺しとか報酬とかの話はない。すぐ疑われてしまうから言わない。F5はE1に保険をかけていることは前から知っていた。どんな機会に話したかは分からないが何回か話に出ている。」という趣旨の、F5からE1殺害の話が出たこと自体は認めている(四八回公判)。F5からそのような話が出ること自体、被告人の方から、E1がいなくなって生命保険金が入れば助かるというような趣旨の話が出たことを推認させるものである。したがって、E5やDの供述の信用性に疑問を生じさせるには至らない。

第二  E1殺害の事前共謀に関するA及びD供述の信用性

序 はじめに

1 本件においては、被告人、Aらとの間で、生命保険金騙取を目的として、E1を殺害する共謀があったというA、Dの供述と、これを否定する被告人の公判供述とが大きく対立している。A及びDは、四月八日にAがE1を殺害目的で北海道に連れ出す直前(これが四月五日か七日かについては、後述する。)まで被告人と接触していた。

共犯者の供述の信用性については、自己の責任を他に転嫁したり軽減したりするおそれ、あるいは真犯人を隠すために他の者を犯人に仕立て上げるおそれなどのいわゆる「巻き込みの危険」があり、その評価を慎重にすべきことはいうまでもない。ことに、Aは、的屋全日本源清田連合萩原一家井上分家F14組組長であり、Dは稲川会堀井一家飯田五代目F2組の組長代行補佐である。両名が別系統の暴力団組織に所属しており、組織に対する思惑をそれぞれに有していると思われる。更にAは、E1殺害の具体的計画を立案してBに殺害を実行させたほか、E1を北海道に誘い出し、E1殺害後被告人から多額の現金、手形を受け取っており、厳しい刑事責任を負わされることを避けがたく、被告人がE1殺害を依頼したとして被告人を主犯にすれば相対的にA自身の刑事責任を軽減しうる立場にある。Dも、北海道には出向いてないが、被告人の殺害依頼を前提にすれば、自分の刑事責任を軽減しうる立場にある。また、両名の供述には、後述のとおり、明らかに虚偽供述をしている点、虚偽であると断定はできないが信用できない点がいくつも見受けられ、実際に自己の刑事責任を軽減しようという意図も強く窺われる。また、Aの供述には、親しいBにAがE1殺害の実行をさせたという経緯等から、共犯者のB(Aと同系列の前記萩原一家井上分家B組組長)の刑事責任を軽減しようという意図も強く窺われ、AとBの供述には、互いに迎合し合っている点もある。したがって、A、Dの供述には、右巻き込みの危険がいわば現実化しているのであって、被告人について、A、Dとの間に、保険金を騙取する目的でE1を殺害するという共謀が成立するかどうかを判断するにあたっては、関係証拠の評価がより慎重でなければならない。

2  被告人がE1を生命保険に加入させたこと自体は、加入の時期や経緯からみても、E1殺害の共謀があったことの徴憑となるような問題を生じさせない。

本件の一連の事実の中で、三月二二日、被告人がそれまでE1と面識のなかったAに依頼して、一〇〇〇万円をAに渡してE1に融資をさせていること、四月五日か七日、被告人がAに現金五〇〇万円と手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を渡し、このうちの手形二通をAが割引に出してE1殺害の経費として使用していること、その後、E1殺害直前の同月一一日に被告人がAの銀行口座に三〇〇万円を送金し、この金の中からAが函館で引き出していること、E1殺害後、被告人がAに多数の手形を振り出していること、八月二日に生命保険金が入金になってほどない同月一三日、被告人が、入手した右生命保険金の中からAに八〇〇〇万円を渡して手形を回収していること等の事実が認められる。

検察官は、これらの事実が、被告人にAらとの間でE1殺害の共謀が成立することの明らかな徴憑であると主張する。確かに、これらの事実を検察官主張のように評価できれば、E1を殺害する目的のために、あるいは事前の殺害合意に基づいてE1を殺害してもらったために被告人が積極的に動いたということになり、右共謀の成立を推認させる徴憑となってくるであろう。そこで以下、個々の問題点ごとに、証拠上どのような事実が認定でき、その評価はどのようなことになるのかという点に注意しながら、D及びAの供述の信用性を検討していくことにする。

一 二月下旬か三月上旬ころ、Dが被告人からE1殺害の依頼を受けたという供述

1  D供述の要旨(四二回ないし四四回公判)

昭和六一年二月末から三月初めころ、二月二〇日過ぎ(DがT商から一五〇〇万円を借りた日)から三月一〇日ころ(A、Dが被告人から二五〇〇万円を受領した日)の中間くらいと思うが、F5の用事(NK石材の件)でKW商事を訪ねた時のこと、社長室で被告人と二人きりの時に、被告人からE1殺害の話をされた。

E1に二〇億円貸している、それが焦げ付いて全然返してもらえない、裁判ざたになった、E4やE5、E1が寝返ってしまった、めちゃくちゃになり利子も入らない、弱っちゃった、にっちもさっちも行かなくなった、利子もSFとかNA農協とかあちこち借りているが、そっちのほうの利息も払えない状態@ならないか、いけなくなればいい、E1にかけている保険金も滞ってしまっている、とも言っていた。いなくなってほしいというような言い方をしていたから、かなり緊迫していると理解した。生命保険をかけてあるということは以前から知っていた。昭和六〇年中は一〇億という金額だったので、あれからまた一〇億位貸したのかなと思った。被告人は是非とも頼むという感じだった。「保険金はすぐばれるからやめた方がいい。」と何回も言うと、どうしてもと言うので、「地元の不良にやってもらったらどうですか。」と言うと、被告人は、「地元じゃすぐばれるからまずいんだ。」という言い方をした。当時春ころから、F21も債権の取立てでKW商事に出入りしていた。殺害報酬の話は、その後には完全に出てきているが、そのときは出ていない。一億円という話はあったかも分からない。一億円の話については、昭和六〇年の秋口にDとF5が被告人と話した際、F5の口から出ていた。昭和六一年二月末から三月初めの話の際、誰かやってくれれば一億円出すという話をしていた。

自分はまだやくざになって一年半で、そういう知り合いも何もなかったから困ってしまった。その際、NK石材でも全然利益を上げてくれないし、うちのほうでも、もう手形もないんだし、やり繰りも全然つかないんだというような話を出された。F12は、懲役に行く前に被告人からお金を借りていたが、F5、Dも名前だけ書けという話だが、F12が借りた四〇〇〇万円の保証人になったこともある。いろんなことを持ち出され、ずいぶん社長には迷惑かけているから、何とかならないかなと自分でも考えたときがあり、どうしても断りきれなくなって、知り合いがいたら聞いておいてあげるというようなことを言ったと思う。三〇分くらいの話だったが、被告人の話には気迫が伝わってきた。冗談で言ってるんじゃないなと思った。笑い声はなかった。

なぜ被告人がF5やAに話をしないで、自分に話をしたのか、思い当たるものはないが、被告人と親しくしていたのは、その時はF2組の関係者では自分が一番だったからと思う。

2  D供述の信用性

(一) 供述内容と当時の被告人を取り巻く状況との関係

(1) 昭和六〇年ころからKW商事の経営状態が悪化したにもかかわらず、E1がKW商事に対する債務の返済に協力しようとしなかったばかりか、KW商事の資金繰り悪化の原因を作っておきながら、かえって被告人に敵対する態度を取っているとして、E1に対する憤懣やるかたなく、被告人が、F13やDら周囲の者に、E1には生命保険をかけている、死んでしまえばいいなどと、しばしばE1に対する憤懣の念をもらすようになっていたこと、昭和六〇年一〇月か一二月ころ、KW商事に来たF5及びDに対し、被告人が、KW商事がE1を被保険者とする多額の生命保険に加入していることから、同人が死んでくれれば助かるなどと話した際、F5が報酬一億円でE1殺しを引き受けてやると話したこともあったこと、その後もKW商事の資金繰りは改善する兆しはなく、かえって、昭和六〇年一二月下旬ころ、F5に対して、支払期日が昭和六一年一月二五日から同年七月二五日までの約束手形合計四八通(額面合計一億四四〇〇万円)を交付したものの、翌六一年一月になっても、NK石材からは、協定内容に従った利益の送金がなされず、被告人は、NK石材の事業に関し、利益を得ることができない状況になったにもかかわらず、すでに交付していた右KW商事振出の手形を毎月決済していかなければならない状況となったことは前記認定のとおりである。

(2) このように、被告人は、昭和六〇年暮れころまでには、E1が死んで保険金が入ってくれればいいなどと、E1に対して強い悪感情を有していた。その後もNK石材に振り出した昭和六一年一月二五日満期の手形の決済に苦しみ、同年二月二五日には更にNK石材に振り出した手形を決済しなければならない状態にあり、KW商事の経営状況が悪化していたことも証拠上認められる。これに加え、昭和六〇年一二月三〇日、被告人としては年内に満期の到来する手形は全て決済を終了したと考えていたのに、E1屋商事に振り出した額面四〇〇万円の手形が決済に回り、年末で急遽決済資金を都合することが困難であったため、被告人の実母が年末資金として用意していた現金でようやく決済することができたことが認められる〔E1らの意図はともかくとして、E1もしくはE2が右手形の満期を書き替えた事実は、証人E2の証言(五回公判)から認められる。〕。これについて、被告人は、E1がE2と組んで手形を偽造もしくは変造してKW商事を倒産させようと企んだと考え、その旨身内の者にも話してE1に対する怒りを増大させていたことが認められる〔甲3の警察官調書(<書証番号略>)等〕。したがって、昭和六一年二月二五日の手形の決済を控えていた、あるいはその決済を終了させた同年二月下旬ころから三月上旬にかけての時期は、被告人のE1に対する悪感情が一層強まっていたものと思われる。Dは、被告人からE1殺害を依頼されたのはNK石材の件でKW商事を訪れた際のことであると供述している。右のような状況下でNK石材の件についてDと話すうちに、E1に対する憤懣やるかたない心情をまたも吐露し、Dに対し、E1が死んで保険金が入ってくれればいいと怒りをあらわにすること自体は、不自然なことではない。

(3) Dが一人でKW商事に来ているときにだけこのような話をした点についても、F5は昭和六一年に入ってからはKW商事に出入りせず、被告人を避けるようになっていたから、被告人がF5を信用できなくなっていたことは明らかである。他方Aもまだ被告人と関係を持ち出して僅かで、腹を割って話せるような信頼関係はできあがっていなかったと認められる。したがって、D一人のときにだけこのような話をしたというD供述もそれ自体は不自然なことではない。

(二) Dが被告人からE1殺害の依頼を引き受けたという動機

Dは被告人からのE1殺害依頼を受諾した理由について、「NK石材やF12のこととかいろいろなことを持ち出され、随分被告人には迷惑をかけているからなんとかならないかと思ったことがあり、どうしても断れなくなって知り合いがいたら聞いておいてやると言った。」と供述している(四二回公判)。Dの右供述は、当時の被告人の経営事情を知り、かつF12やF5らF2組関係者が被告人に迷惑をかけたと感じ、D自身もF5がKW商事から多額の金員を借り入れた際の保証人になっていた〔捜査報告書(<書証番号略>)〕こともあるから、供述内容自体からは、Dの心情として不自然とまではいえない。

(三)  まとめ

ところで、Dの供述によれば、被告人がDに対しE1殺害を依頼するとも受け止められるようなことを言った際の被告人の様子は、冗談とは思えないほど真剣であったというのである。しかしながら、前年の一〇月か一二月ころには、被告人は一旦はF5のE1殺害を引き受けるという話を断っているのである。昭和六〇年一〇月か一二月から昭和六一年二月か三月までに、前記のとおり被告人のE1に対する心情を変化させる事情があったにせよ、いわゆる堅気の被告人が、僅か数か月の間に、自らE1殺害による保険金騙取を考え出したとするのは、いかにも唐突な感が否めない。したがって、被告人がE1殺害を依頼したとまで認められるか、疑問が残る。かえってDは、その後、DがAとKW商事に行き、本当にE1を殺害すれば報酬を出すのかと被告人に意思確認をした際、当初被告人はこれを断っていたが、Aが強引にやらせてくれと何度も言っているうちに、Aの執拗な説得に折れて、被告人もE1殺害をAに依頼する旨話したというのであって、DがAと被告人に殺害の意思確認に行った際、当初被告人はこれを断る姿勢を見せた趣旨の、被告人が殺害依頼をしたことと矛盾するようにも理解できる供述もしている(四二回公判)。これらの点を総合すると、当時の状況としては、被告人がDに対して、経営の逼迫やE1に対する悪感情などから、E1が死んで生命保険金を入手できれば助かる旨それなりの迫真性をもって話したことがあったにとどまり、その際に被告人がE1殺害をDに依頼したとまでは認めがたい。

二 DがAにE1殺害の話をもちかけてAがこれを引き受け、その後、被告人、A、Dの間でE1殺害の合意が成立したという供述

1  A供述の要旨

(一) AがDからE1殺害をもちかけられたという供述

(1) 八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)

二月二一日ころ(T商で一五〇〇万円借りたころ)、Dと一緒の自動車の中で、Dから、「KWがある人に保険金三億円をかけているんだ。そいつを殺してやれば一億円位もらえるんだ。ひとつこの話に乗らないかい。半分ずつにしようよ。」と聞く。Aとしては、被告人が本当にそのような話をしているのか、半信半疑だった。その後Dから何度か同じ話を聞き、保険のかかった人がE1と知った。Dによると、E1がKW商事の手形を借りていながら返さず、被告人が大変な迷惑を被っているという話だった。

三月一〇日にDとKW商事に赴き、南千住の件の弁護士おろしの費用やF10への残債務の支払いの金として被告人から二五〇〇万円を受領した。約束通りの金を出してくれたので、被告人を信用できる男だと思った。それで、E1を殺せば、被告人が本当に一億円出すのではないかと思うようになった。

(2) 一六回公判

初めてE1の件を聞いたのは三月初旬か中旬ころ。自動車の中でDから被告人からの話として聞いた。被告人が騙されてひどい目にあっている。スポンサーが困っているからやるしかない。片をつけなければならないという話だった。もっと簡単な話はもっと前から出ていたかもしれない。二月中旬ころかははっきりしない。当時は、殺しではなく債権回収かと思う。いなくなれば報酬は出るというような、笑い話のようなものなので聞き流す感じだった。報酬は一億円ということだった。当時は保険金のことは出ていなかったように思うが、出ていたかもしれない。前からあるこういう話ということで、保険金の話も出ていたかもしれない。

保険金は三億円かけていると聞いた。やれば報酬一億円は折半とのこと。当時は殺害の相手は聞いてない。その時は、弁護士おろしやF10の方をやらねば、仕方ない、一つ一つやっていかなきゃだめだということで話は終わっている。初めて聞いたときは三〇パーセントは本当、七〇パーセントはどうだかという感じをもっていた。

このような話は五日おきとか一〇日おきに何回もDから出た。そのうち、殺す相手は所沢で不動産をやっているE1という名前も出た。

三月一〇日ころ(被告人から二五〇〇万円もらった後くらいのころ)、SI興業でのF4やDとの話の中で、E1は被告人が被告人や兄弟らの土地を担保に銀行から金を借りて融資したのに、金利さえ納めなくなっている、おかしな人間で、被告人が相当困っていると聞いた。

(二) クラブ「○○」で、Aが被告人に対してE1殺害を打診したという供述

(1) 八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)

三月初めころの妻が神奈川県座間市でスナック「PI」を開店した一、二日後、被告人が「PI」に来店したのでDも呼び三人で飲んだ。二、三〇分後、三〇〇から四〇〇メートル離れたクラブ「○○」に移って三人で飲んだ。そこにF4も来た。そこで、「DさんからE1さんがいなくなったら、というような話を聞いているんだが、E1さんが本当にいなくなったらいいのか。」と聞くと、被告人は「いなくなったら大変助かる。」と答えたが、この席でこのような話はあまりしてほしくないような顔をした。E1を殺す件については、すでにDやF4に頼んで金を渡してあるような感じだった。

(2) 一六回、二二回公判

三月初めころ(三月一〇日から間もないころとも言う。)「PI」に被告人が来た際には、聞こうと思ったがE1の話は出なかった。三〇分くらいして、DがF4に電話して徒歩で数百メートルのところにある「○○」へDと共に行き、三〇分くらい後にF4も来て、E1のことを話題にした。「Dさんから、E1さんの件で大変困っているという話を聞いたんですけれども本当に困っているんですか。」と聞くと、被告人は「大変迷惑を被っている。」と言った。「もしいなくしたらという話なんですけども。」と言うと、被告人は、「こういう飲む場所ですから。いやDさんに話しているみたいな話に間違いないですよ。」とあまりよい顔をしなかった。

(三) AがDに、E1殺害の話を被告人とまとめてくるように話したという供述

(1) 八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)

三月二〇日前後ころ、Dに「甲社長がE1さんがいなくなれば大変助かるなどと言ってE1さんをいなくしたいような事を言っていたが、うわついた話じゃ困るんだ。俺もやる腹を固めたからE1さんをやれば本当に一億円くれるのか。支払方法はどうなのかということをちゃんと甲社長と話して決めてくれ。」と話した。

三月二五、六日ころ、西鶴間のロイヤルホストでF4、Dと会った。その際Dから、「E1の件は決めてきたよ。やってくれたら間違いなく一億円出してくれるようにKWと話を決めてきた。但し、現金は一〇〇〇万か二〇〇〇万位しか出ないよ。保険金が下りるまで五〇〇〇万から六〇〇〇万位は手形で切ってくれる。あとは保険金が下りた時に現金をくれることになっている。」と聞いた。KW商事から一億円の報酬が出たら、それをF4、D達と半分にすることは最初から決まっていたことなので、この時は、改めて言葉で半分ずつにするというようなことは言わなかった。

(2) 一六回公判

三月二五日(大阪から帰った翌日)、ロイヤルホストでF21が食べ終わったころ、F4とDが来た。二、三日後にF7を立ち退かせるために同人方に放火するというF21から聞いた話をF4らにした。その際Dから、一億円の報酬は被告人の方で納得していると聞いた。Aが、「どう納得しているんだ。連れ出すんだったら金がいる。一〇〇〇万円でも二〇〇〇万円でもくれるのか。」と聞くと、Dはそこまでの話は分からない、と言うので、「きちんと決めておいてくれ。うわついた話は嫌だ。」と言った。その際、報酬については「今、現金ではすぐ出ない。手形で五〇〇〇万円や六〇〇〇万円は切ってくれる。」という漠然とした話なので、「そういう話じゃ困る。本当に甲さんが望んでいるんだったら、もっとちゃんとした話をするだろう。」とF4に言った。F4も「もっときちんとした話をしてこい。支度金も必要だし、本来なら現金でもらって即金が当たり前。」とDに指示した。

(四) 被告人、A、Dの間で、E1殺害の合意が成立したという供述

(1) 八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)

三月二五、六日ころ、西鶴間のロイヤルホストでF4、Dと会い、Dから話が決まったと聞いた日に、Dと一緒にKW商事へ行った。午後三時か四時ころ到着し社長室へ入った。

Dが被告人に、「F14(A)さんがやってくれるということに決まりましたよ。」と話したところ、被告人はAに「お願いしますよ。」と言った。。Aは、「俺のところでやるから。俺がやらなくても俺の若い衆にやらせるから。E1さんをやったら本当に一億円出してくれることに間違いないだろうね。」と念押しした。被告人は、「間違いありません。Dさんにも言ってあるとおりですから。」と言った。

(2) 九月八日付検察官調書(<書証番号略>)

E1殺しの一億円の報酬については、保険金がKW商事に入った時にもらえることになっていた。これは、三月二五、六日ころ、DがAにE1の件を決めてきたと言ってきた際に、Dから「保険金が下りるまでは金は出ない。それまでは手形を切ってくれることになっている。」と聞いていた。そのあとでDと一緒にKW商事へ行き被告人と会った際も、被告人から「保険金が下りるまでは手形を貸すからそれで勘弁してほしい。」と言われた。保険金が出ない限り、資金繰りが苦しい被告人から一億円など出ないと思っていた。Aとしても、保険金が下りるまでの間、被告人が手形を貸してくれることになり、手形を割って金にし、保険金が下りた時には手形は被告人に返して、報酬一億円を現金でもらうということになった。

(3) 一六回、一七回、一九回、二一回、二二回公判

三月二七、八日ころ、SI興業でDから、殺人の話が煮詰まってきた、話を決めてきたと聞いた。Aも自分で被告人から確認を取りたかったから、連れていくようDに頼み、その一、二日後(二一回公判では翌日と供述)、被告人のところに確認に言ったと思う。明確に記憶あるのが三月二八、九日ころの昼ころ。

Aが「Dから聞いているが、本当にE1をいなくしたら金の方はきちっと一億くれるか。」と聞くと、被告人は「Dにも話してあるとおり、間違いないですよ。」と言った。Dも「間違いなく社長と話をきちっとしていますから。」と言った。被告人は、「今、現金では出せない。手形しか出せない。」とも言った。Dは、保険金が出たらくれるという話をしていたので、後に保険金が下りたら清算するものと思った。被告人からはそういうことは一切出ていない。現金でくれる額も聞いていない。被告人は、「今苦しくて出せない。NK石材が金を入れてくれれば現金もあるが、そうじゃない。来月もどうなるか不安だから現金は出せない。」と話していた。

2  D供述の要旨

(一) Aに被告人からの殺害依頼を話したという供述(四二回、四五回公判)

被告人からE1殺害の依頼を受けた次の日(四五回公判では「二、三日してから」と供述している。)、KW商事からの帰りの自動車の中でこれをAに伝えた。「KW商事がずいぶん苦しんでいる。にっちもさっちも行かなくなって、ずいぶん泣きごとを言われた。E1に二〇億円貸してあるが、全然戻ってこない。その人に三億円の保険がかかっている。誰かやってくれる人がいないかと探しているような状態だ。」という趣旨の話をした。E1を殺してくれる人がいないかという意味。報酬は大体一億円出すような話をした。

Aは、しばらく考えて、うんやってやるよ、というような話をした。まずいことをしゃべっちゃったなと思った。保険ならすぐばれちゃうよと、そこで言ったが、何とかやってやるというような、先走りみたいな感じでAが興奮して、いや俺がやるよというような感じであった。Aの返答はかなり積極的で強引だった。Aは、それをやらしてくれと最初に言った。誰にも迷惑かけないから、Dにも被告人にも迷惑かけないからということだった。誰にも迷惑かけないと、しきりに言っていた。

(二) Dが一人で被告人のところへE1殺害の意向を確認に行き、結果をAに報告したという供述

(1) 四二回公判

AにE1の話をした日から二、三日後、お茶を飲みにいく自動車の中で、Aから「あの話どうなったんだ。やくざ者としてちゃんと話すんであれば子供の使いじゃないんだから、ちゃんと決めるところは決めてこい。」と言われた。自分達の方でやるんだから、誰にも迷惑かけないという言い方だった。「俺がやるんだから報酬の件もちゃんと決めてきてくれ。」と言われた。その次の日くらいに、KW商事に一人で行って被告人に「こないだの話なんだけれども、F14(A)がやると言っている。誰にも迷惑かけない、自分にも社長にも迷惑かけない、だからF14がやりたいと言ってますけれども社長どうしますか、報酬出してくれますか。」と聞いた。「F14がやるんだけど、ちゃんとやったら出してくれるのかと、F14が確認している。」ということを伝えた。被告人は最初は、「大丈夫ですか。」と渋っていた。Aだから渋っていたと思う。分からないので、この後はAと話してくださいと返事した。

被告人から、渋々だが、出すということを取りつけた。やってくれれば一億出すと明確に答えた。支払方法については、現金はないと言っていた。それはAと話してくれと、Dから言った。この時、Aがなぜ行かなかったかは分からない。

その日に木の里かどこかで落ちあって、Aに、被告人が承諾した、出すと言ってた、と伝えた。Aは、じゃやる、というような意思を示した。

(2) 四五回公判

被告人のところに確認に行ったのは、二月の終わりころ。二月二五、六日過ぎに、南千住の物件の訴訟取下げの件でAと一緒にKW商事に行った時には被告人に対してE1殺しの話を切り出さなかった。

その後、DはAに言われたように、KW商事の事務所に一人で確認に赴いた。午前中一〇時半から一一時過ぎに被告人と二人で話をした。「本当にやったら出してくれるのか。」と聞くと、「やったらちゃんと出す。今現金がないから、その間手形で使っていてくれ。全部終わった後、保険金が下りたら清算する。」と被告人は答えた。報酬は一億円で保険金が下りるまで、KW商事の手形を一億円分出すという話だった。保険金額が三億ということは、F5からカナダの殺し屋の話が出た時のほか、この確認の時にも出た。

AにはE1殺しの報酬について、被告人から言われたように説明した。今現金がないから手形を使っていてくれ、保険金が下りたらそれで清算すると話した。Aから、本当にやるのかどうか、聞いてきてくれと言われ、一人で了解取りつけに行った時に、被告人がそういうことを言っていた。了解を取りに行ったのは二月終わりか三月初め。

前回木の里でAに話したと言っているが、自動車の中で話したよう。

(三) 被告人、A、Dの間で、E1殺害の合意が成立したという供述

(1) 四二回公判

Dが一人で被告人からE1殺害の意思確認を取り、その日にAに報告すると、Aが、直接自分で行くということで、次の日、二人でKW商事社長室に行って、Aが被告人と会って話した。

Aが「Dさんから聞いたんだけど、あの話やらしてくださいよ。」と言ったところ、被告人は「とんでもないです。だめです。」と、一生懸命断っていた。いよいよ本物になっちゃったかな、という感じだったと思う。Aが、強引にやらしてくれ、やらしてくれと何回も言っているうちに、被告人が、「じゃやってもらいましょう。ばれても自分の名前は絶対に出さないでくれ。」と言った。

三月一〇日に二五〇〇万円をAとDが被告人から受領した、その一週間後くらいの日と思う。当初の被告人の依頼があった時から、大体一〇日から二週間くらいで決まったような気がする。

DとAが被告人と直接話をした際に、報酬については一億出すことに決まった。報酬は、現金がないから手形で出す、その手形は使った本人が全部処理をするということで、保険金が下りたら清算という形を取ろう、という被告人の話だった。E1を殺す方法、場所についての話は出ていない。

被告人から、三月一〇日ころに二五〇〇万円の金(弁護士おろしの金)が出たからAは被告人を信用したと思う。その前に、Aは被告人のところにはずいぶん資産があるなという言い方をしていた。被告人の財産を調べていたような話をしている。三月二二日にT商から七〇〇〇万円借用した日より前に、殺害報酬を決める話をしている。

KW商事からの帰りに(E1殺害を決めた日)、Aが、「Dさんに三〇〇〇、自分が三〇〇〇、Bが三〇〇〇、あとの一〇〇〇はこの費用。」と話していた。当時、Bとも面識はあった。

(2) 四五回公判

Aが「Dさんから聞いたんだけれども、あの話やらしてくださいよ。」と切り出したのは、最初に連れていった三月の初めころの日。それに対して、被告人は最初は、「とんでもないです。」と、一生懸命断っていた。Aを連れて殺しの話を固めに行ったのは一回だけではなく、南千住の仕事の合間にそういう話も出ている。最終的に固まったのが三月一四、五日ころ。Aが強引にやらしてくれと何回も言っているうちに、被告人は、じゃやってもらいましょうということで、もしばれても自分の名前は絶対に出さないでくれと、言った。

「今、現金がないから手形でもって出すからと、その手形については使った本人が全部処理をするということで、個人個人でその手形を使ったものに対しては自分達で全部処理するということですね。それで保険金が下りたら清算という形を取ろう、というような話でした。」と供述しているのは、三月の中旬、一四、五日ころのこと。もっとも、時期はよく記憶してない。三月初旬かもしれない。最終的には三月の中旬。

三月一四、五日ころにAと被告人が確認し合っていたことを横でDは聞いていた。

Aは、E1をやったら本当に一億出してくれるのか、報酬の支払方法はどうなんだ、本当に出すのか、その手形どうするか、そういう話を一生懸命していた。被告人は、ちゃんと出すと答えていた。

最終的確認の日は午前中に行った。そのころ、Aは被告人とある程度気心が知れていた。

3  A供述とD供述の比較検討

(一) はじめに

A供述とD供述は、Dが被告人からのE1殺害依頼の話をAに話した際のAの態度、被告人を含めた三者間でE1殺害の合意が成立した時期等についてくい違いがある一方、両者の供述が合致している部分もかなりある。以下、まず両者の供述のくい違いを検討する。

(二) E1殺害の件につき、DがAに初めて話した際の状況等

(1) Dは、「二月二〇日過ぎから三月一〇日ころの中間ころに、被告人からE1殺害の話を聞き、その二、三日あるいは翌日ころAにそのことを話した。E1を殺害したら一億円の報酬をもらえる話があると伝えたにすぎない。その際Aが先走ったように興奮し、自分が引き受けると言った。」と証言している(四二回公判等)。

これに対してAは、「二月二一日ころ〔八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)〕あるいは三月初旬か中旬ころかもっと前、DからE1殺害の話があるので、この話に乗らないかと聞いた。最初は聞き流していたが、何度もDの口からその話を聞いた。その後Dにきっちりと話を決めてくるように話した。」と供述している(一六回公判)。

(2) Dの右証言によれば、Aは三月一〇日以前にDに本件を引き受ける旨話したことになる。しかしながらDは、他方で、Aは三月一〇日に被告人から二五〇〇万円を受け取ったのでE1殺害を引き受ける気になったと思うとも証言している。AがE1殺害を引き受ける気になった動機が右のとおりであれば、三月一〇日以後でないと不合理である。したがって、Dの証言は、Dの話を聞いたAがこれを引き受ける旨の返事をした時期については動揺している。

(3) またAは、前記のように検察官調書や証言の中で、Dから何回も話を聞いた、そのうち二五〇〇万円を受け取ったことで被告人が一億円を出すと思い、Dに話をまとめてくるように言った旨供述しているが、その際「あの話どうなっている。やることを決めたから本当に一億円を出すか確認してこい。」とDを叱って、確認に行かせた旨供述している。Aの八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)によれば、「○○」で被告人に対してE1殺害の意向を打診してE1を殺せば本当に報酬がもらえる感触をもったので殺害を実行する腹を固め、三月二〇日前後にDに被告人とちゃんと話を決めてくるように話したという。しかし、これによるとAは、Dから話を聞いて一方的にE1殺害を決め、それをDに伝えないまま、突然E1殺害の件についてきちんと話を決めてくるように話したということになるが、これはいかにも不自然であろう。

(三) Aが被告人と酒を飲んだ際、E1殺害を打診したという供述

(1) Aは捜査〔八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)〕、公判(一六回公判)を通じ、一貫して、Aの妻がスナック「PI」を開店した一、二日後の三月初めころ、「PI」に被告人が来店し、その後クラブ「○○」でDやF4が同席した席で、Dから聞いたとしてE1殺害の話を打診した旨供述しているが、Dは、そのような事実は知らない旨供述している(四二回公判)。

(2) Dから、被告人がE1殺害を望んでいる旨聞いたAが、被告人の意思を自ら確かめようとしたという供述は、それ自体としては格別不自然でも不合理でもない。また関係証拠に照らしても、その当時、被告人、A、Dが集まって、「PI」や「○○」で飲酒していることも認められる。

しかしながらAは、「○○」でDらと飲酒した際にそのような話をしたと供述するのであるが、同一テーブルにDがいる席での話であり、しかも極めて特異な内容の話であるから、Dがこれを聞いていないということは、Aが被告人に打診した事実が存在しないのではないかという疑いを生じさせる。Aが直接被告人にE1殺害を打診したという事実は、DにすればD自身の役割が低下することになり、自己の刑事責任を軽減させる事実となるであろうから、Dがこれを体験していれば、当然供述しているものと考えられる(被告人も、自白調書において記憶にない旨供述している。)。したがって、Aの右供述は信用しがたい。

(四) 三月二二日に、被告人の依頼によりAがE1に対して一〇〇〇万円を貸し付けたことが、E1殺害目的のもとに、E1と面識のないAらをE1に引き合わせたものであったという供述

(1) 関連する事実として証拠上確実に認定できる事実

三月一五日ころ、被告人は、知人のF15所有のマンションを担保に一億円の融資先を探してくれるようにDに依頼していたが、Dの相談を受けたAがGE商事社長のJ5に頼んだ結果、J5の紹介でT商から七〇〇〇万円の融資を受けることになり、同月二二日に融資が実行されることになった。

他方、被告人は、昭和六〇年六月ころ、E1に一〇〇〇万円の手形を振り出して貸し付け、E1はこれをSNに割り引いてもらったが、E1はこれを返済せず、その後数回書替えを続けていた。ところが、昭和六一年三月になって、担保のために裏書をしてくれていたE5が裏書を拒絶したためSN社長のJ1はこれ以上手形を書き替えることは無理と判断し、同月一八日ころ右一〇〇〇万円の手形を決済に回す旨被告人に連絡してきた。このため、被告人はT商からの七〇〇〇万円の融資金の一部を右手形の決済資金に当てようと考えた。その際被告人は、AをE1に融資してくれる横浜の金融業者であると紹介してAからE1に一〇〇〇万円貸し付け、その金をE1から被告人に返済させようと考え、同月二〇日ころ、Aにその旨依頼し、Aも承諾した。被告人は、J1、E1ら関係者に対して、E1に金を貸してくれる人をみつけたので連れていくと連絡し、二二日にE1方で会う手筈を整えた。

被告人は、同月二二日T商から七〇〇〇万円の融資を受けた(借主は、F15、連帯保証人が被告人の形を取った。)。このうち一五〇〇万円を、金山町の物件を担保にしてT商から借り入れていたAの借入金返済の立替払いに当てた。そして残金の中から一〇〇〇万円をAに渡し、A及びDと埼玉県所沢市のE1方に赴き、被告人がE1にAを横浜の金融業者であるなどと紹介し、その場でAがE1に右一〇〇〇万円を貸し付けて、被告人は一〇〇〇万円の手形を回収した。この貸付けにおいて、関係書類に印章を押す際、E1が実印ではない印章を押捺したが、印鑑証明書と異なっていることをAに見破られ、改めて実印を押した。

(2) 供述内容

① A供述の要旨

(a) 八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)

三月二二日ころT商で融資を受けた後、KW商事に行った。AとしてはT商の紹介料をもらえるものと思って行ったが、被告人は紹介料をくれず、被告人から「F14(A)さんの方でE1さんに一〇〇〇万円を貸すということにして、その一〇〇〇万円をF14さんの方で回収するという形にしてほしい。」と頼まれた。被告人がそんなおかしなことをするのは、すでにDを介してE1殺しを引き受けることを伝えていたから、被告人が一芝居うって、AとE1を会わせるのだと思った。このことはDも十分承知している様子だった。

(b) 一六回公判

被告人がT商から金を借りた日、T商を出てからKW商事に被告人に呼ばれ、Dと共に行った。そこで被告人から、E1に一〇〇〇万円の手形を貸していてジャンプを続けている、やくざみたいなところに回っているから、銀行に回るのはまずいから、Aが貸したことにして回収してくれ、と依頼された。Dは黙ったままだった。裏書がまじな金融とか変な金融の裏書で貸した、銀行に回ると自分が銀行から借りる時にまずいので、被告人が直接銀行に金を入れて決済するのはまずいということだった。被告人が貸すとまた貸しっぱなしになるからAから貸してほしいと言っていた。Dは横にいて黙って知らんふりをしていた。Dは話の内容を納得しているようだった。

よく理解できなかったが、Dからの前からの話もあり、顔つなぎかとも思い、これを了解した。当時E1とは面識なかった。三月二〇日にDが被告人のところに行っていたときに被告人がそういう話をしたと、あとでDがちらっと言っていた。後からやはりそうかということで、顔つなぎと分かった。

(c) 一九回公判

三月二〇日にT商からの融資が決まり、二二日午前一一時ころにT商に集合し、一〇分ないし一五分で手続は終了した。帰りに東久留米で下りて、KW商事に寄り、そこで、E1の手形回収を依頼され、E1方へ行ってまたKW商事に戻った。E1方で受け取った金利の三〇万円は帰りに被告人に渡したはず。

E1に自分が貸すのなら、もっとしっかりした神奈川県の書類を持っていく。E1が実印を偽ったので、もしAが真実貸すなら、E1には貸していない。但し、被告人から回収を依頼されているから、実印については文句を言った。

貸す前に被告人から回収を依頼されている。銀行から落すとE1から取りづらいということもあるだろうし、はっきりとした意味はよく分からなかったが、E1から取りづらいと言われ頼まれた。期限は四月五日か一〇日だった。E1から回収するつもりはあった。

② D供述の要旨(四二回、四五回公判)

T商に行った日は、池袋駅の東口で午前一〇時ころ待ち合わせた。T商を出てまっすぐE1方へ行っており、E1方へ行く前にはKW商事に寄っていない。その前日にKW商事社長室で、E1に対して金を貸すということも決まった。その際、被告人がAに対して、横浜の金融業者になって一〇〇〇万円を貸してやってくれと言っていた。顔見せの趣旨だった。金は被告人が作るということだったが、T商から借りた金かどうかは分からない。Aも了解した。AもDもE1の顔をまだ知らなかった。

E1方に一〇〇〇万円を貸しに行くことは、事前にKW商事社長室で話していた。三月一八日にF15のマンションの下見に出かけている日までにはE1のところへ行く話も決まっていた。その際融資を受けられるのかどうかがはっきりしていたかは記憶していない。その際、被告人の振り出した手形もあるし、それも引き上げなくちゃならないという話もしていた。その日に不意に言われたというAの供述はおかしい。

Dは、その時がE1やJ1と初対面だった。E1に貸した帰りにKW商事に立ち寄っているのか思い出せない。Aは、E1に一〇〇〇万円貸して金利として三〇万円受け取りこれを被告人に渡したと供述しているが、知らない。E1の印鑑証明書を使って、E1が借用証書に最初押した実印でない印鑑を照らし合わせている。そういうE1宅での出来事を、KW商事に立ち寄って、改めてE1の印鑑証明書を見たり、とんでもないことをやる野郎だとか話したこともあったようにも思うが、記憶は確かではない。

(3) 信用性の判断(A、D供述のくい違いの評価)

① くい違いの状況等

Aの右捜査段階、公判供述は、三月二二日のE1に対する一〇〇〇万円の貸付時には、被告人、A、D間でE1殺害の合意が成立していなかったことを前提に、貸付けの話も貸付当日に出たし、殺害を目的とした顔合わせであったことは貸付当時推測はついたが、それが顔合わせであることは後で分かったという。一方、D証言は、三月二二日までに三者間でE1殺害の合意が成立していたことを前提にして、右貸付けも事前に三者がKW商事において、E1殺害を目的としたA、Dへの顔合わせの趣旨であることを合意していたというのである。

A供述とD証言を比較してみると、右の顕著なくい違いがあるので、その検討が必要である。

② A、Dの供述に対するそれぞれの疑問

Aの捜査段階、公判供述とD証言との間におけるE1殺害の共謀成立時期についてのくい違いは、記憶違いによる単なる時期のずれとして軽視できるものではない。即ち、A供述もD証言も、三月二二日の被告人に代わってAがE1へ一〇〇〇万円を貸し付けたという印象的な出来事を基準に、Aはそれより後の三月下旬に、Dはそれより前の三月中旬にE1殺害の合意ができていたというのであるから、E1への一〇〇〇万円の貸付けといういわば明確な基準を前提に供述しているのである。したがって、このくい違いのもつ意味は軽視できない。このような合理的に説明をつけがたいくい違いが生じること自体、A、D供述の信用性を損ない、三月二二日のE1に対する貸付けが顔合わせであることに大きな疑問を抱かせるものである。

D証言が三月中旬にE1殺害の共謀が成立していたという点であるが、これは、Aの八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)、A証言(一六回公判等)やB証言(一二回公判等)によれば、三月二三日にAとBが大阪へ行った際に、AがBに対して、初めてE1を殺害することになったら手伝ってほしいというE1殺害を決めていないことを前提に話をしたというのであるから、右D証言は虚偽であり信用できない。

次にA証言であるが、被告人(四九回公判等)やD(四二回公判等)の公判供述や特にJ1の検察官調書(<書証番号略>)、証人J1の証言(五八回公判)によれば、三月二〇日ころには、被告人がJ1に対して、E1に一〇〇〇万円を融資してくれる人物が決まった旨連絡していることが認められるので、そのころには被告人がAに対してE1への一〇〇〇万円の融資を依頼していたものと認められるのに、Aがあえて、三月二二日のその日になって決まったと言い、しかもその日の行動として、証拠上、池袋のT商を出てから所沢市にあるE1方へ直行したことが明らかであるのに、T商を出てからKW商事へ行き、そこでE1への貸付けの話が出たので了承し、E1方へ行った、所沢駅でタクシー待ちの間、Aが財布(一万六〇〇〇円)と鞄(二万九〇〇〇円)を買ったなどと金額の点まで細部にわたってまことしやかに供述〔鞄自体を購入したことは間違いないが、D証言(四二回公判)は、Aの指示でDが買いに行ったという。〕しているのは、顔合わせであることを何とかして印象づけるためにあえて虚偽の供述をしたものと思われる。

更に、Aは、前記八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)において、三月二二日、T商での融資があった後、KW商事に寄ったという供述に関して、T商の紹介料を被告人がくれるものと思ったからついて行ったが、被告人はくれなかった、という。Aは、公判でも同様の証言をし(二〇回公判)、四月七日に被告人から受け取った現金五〇〇万円のうち、二〇〇万円がT商の紹介料としてもらったものであるという。しかし、金銭出納帳(<押収番号略>)の三月二二日の欄には、科目「紹介料」、摘要「借入紹介料GE商事(株)」として、一四〇万円と一三〇万円の出金が記載されているところ、一四〇万円はGE商事に渡すべき紹介料としてJ5に渡されていることが明らかであり〔J5の一〇月八日付検察官調書(<書証番号略>)〕、この件についてもう一か所の紹介料ということになればAと考えざるを得ないから、右一三〇万円の紹介料は、Aに渡された紹介料であり、この分までGE商事に渡したものと誤記されたものと認められる。したがって、この点についてのAの右検察官調書と公判供述も虚偽であり信用できない。

③ A供述の矛盾

Aは、「三月一八日に、F17と金山町の物件の売買契約を済ませた後、F17が帰ってからF7の立ち退き関係の話をし、その際に被告人から、E1の件もやってもらえるかいというふうな話が出て、やると返事した。その程度で、余り話は出ていない。」と供述している(一六回公判)。Aの右公判供述は、供述自体が漠然として曖昧であるうえ、その趣旨は必ずしも明確ではなく、E1殺害依頼の供述とまでは認めがたいようにも思われるところであるが〔立証趣旨を供述記載と限定されたAの九月一二日付検察官調書(<書証番号略>)にも同趣旨の記載がある。〕、これをE1殺害の確認の供述とみても、この三月一八日の件についてのAの公判供述を前提に、AがDを通じて被告人の殺害依頼を了承する旨伝えたという公判供述、捜査段階の供述との関係を個別に検討すると、それぞれ以下のような矛盾がある。

まず、Aの公判供述であるが、AがDにE1殺害依頼を了承した旨伝えたというのは、三月二五日ころロイヤルホストにおいてDに殺害報酬の件等について被告人との話をきちんとつけるように指示した(一六回公判)ことを指しているものと思われる。したがって、それより前、即ち、AがDにE1殺害依頼を承諾する返事をする前の三月一八日の時点で、被告人がすでにDからAが承諾した旨の返事をもらったことを前提とした話をすることは理解しがたい〔右Aの九月一二日付検察官調書(<書証番号略>)の記載も、明らかに、三月一八日の時点において、被告人の方ではDからAが承諾したことを聞いていたことが前提になっている。〕。そこには、軽視しがたい矛盾がある。

また、Aの捜査段階の供述であるが、Aは、「すでにDを通じてE1殺しを引き受けることを伝えていたから、三月二二日のE1に対する一〇〇〇万円の貸付けをE1に引き合わせるための芝居と思った。」旨供述しており〔八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)〕、被告人から三月二二日に一〇〇〇万円をE1に貸すように依頼された時点では、すでにDを通じてE1殺害の依頼を承諾した旨返事をしていたことを前提に供述している。しかし、ここでいうAの承諾は、三月二〇日ころのDに殺害報酬の一億円等をきちんと決めてくるように指示したことを指しているものと理解されるところ〔Aの八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)〕、AがDにE1殺害依頼を承諾する返事をする前の三月一八日の時点で、被告人がすでにDからAが承諾した旨の返事をもらったことを前提に話をすることは、理解しがたいことであり、やはり矛盾がある。

したがって、これらの点もA供述の信用性を損なわせる事情である。

更に、A供述のとおりであれば、被告人とAの間でE1殺害の合意が成立していない状況下で、AにE1殺害を依頼できるのではないかというそれなりの見通しのもとに、被告人がAをE1に引き合わせたことになるが、そもそも実際に殺害を実行する人物や殺害方法も分からないのに、AをE1に引き合わせる必要があったのか疑問であるし、E1殺害を引き受けてくれるかどうかがAに直接確認できていないまま、E1殺害を前提とするような顔合わせをすること自体が不自然であろう。

(4) 被告人の公判供述の検討

① 被告人の公判供述(四九回公判等)は、E1に対する一〇〇〇万円の貸付を確実に回収するためにAに依頼した、その際、E1に対するその他の債権は、不動産を担保に取っているので回収の心配はなかったというものである。確かに、当時E1屋商事は倒産していたので、一〇〇〇万円を貸しても確実に債権を回収できる見通しがなかったのであるから、一〇〇〇万円を確実に回収するためであれば、Aに貸付けさせるという回りくどいやり方ではなく、端的にAに取立てを依頼すればよいようにも思われる。しかし、被告人は、かつて、昭和六〇年七月ころ、暴力団住吉連合米市一家五代目会長のF6に実際は資金を被告人が出すのに、F6がE1に貸す形を取ってE1からの債権を回収しようとしたことがあるのであり、そのような経験を有する被告人が、Aを使って、同様に債権の回収をしようとしたことは、不自然とまではいえない。F6に依頼した際には、債権の回収に失敗しているが、Aの場合は、被告人が重大な関心を寄せていた南千住の物件の解決のためにAが動いてくれており、被告人もAに対して三月一〇日に二五〇〇万円、同月二〇日に一八五〇万円を支払っているのである。そのようなこともあって、F6に依頼した際には債権回収に失敗した被告人が、今度は一〇〇〇万円の回収のためにAに貸付けさせる形式を取っても、おかしくない。

② 被告人は、AがE1に貸した一〇〇〇万円の返済期日が四月五日であることを知っていた(四九回公判では、返済期日を知らなかったというが、貸付けの場に同席していたのであるし、後述のように、返済期日である四月五日に、AらがE1方へ行く前に、KW商事に寄ったのではないかと思われるから、知っていたものと思われる。)のに、その後四月五日ころにAに対して債権回収を催促した形跡がないが、それはAに回収を任せていたからではないかと思われる。また、被告人はその後もAに債権回収を催促していないが、E1は四月八日に北海道に出発しているのであるから、その後の催促がないことは考慮する必要性に乏しい。

③ 被告人が、三月二二日の一〇〇〇万円の支出について、後日金銭出納帳(<押収番号略>)を改竄したことは証拠上明白である。帳簿には多数のA関係の記載があるのに、この一〇〇〇万円のみを改竄していることは、不自然さを否めないようにも思われる。しかし、被告人の公判供述(五二回公判)によれば、昭和六二年になって、マスコミが本件について保険金騙取目的の殺人事件の疑惑があるとする報道を行い、その中でも、被告人が犯行に加担しているのではないかという疑惑の徴憑の一つとされたのがこの一〇〇〇万円の貸付けであったというのであるから、この点のみを改竄したというのである。現に、後に検討する被告人が四月七日にAに対して、E1殺害費用等として渡したとされる現金、手形のうち、現金(五〇〇万円)については、殺害費用であれば、犯行への加担を端的に示すものであるのに、証拠を隠滅する目的での金銭出納帳の改竄はなされていないのであるから、被告人の右公判供述はそれなりに納得できる。

(5) まとめ

以上のとおりであって、三月二二日の貸付けはAをE1に引き合わせるための偽装貸付であったというAの捜査段階及び公判供述、Dの公判供述は信用できない。

(五) 被告人、A、Dの間でE1殺害の合意が成立した時期についての供述

被告人、A、Dの三者でE1殺害の合意が成立した時期について、Dは、遅くとも三月一四、五日ころには、KW商事において、被告人、A、DがE1殺害の話を固めていたと供述しているのに対し、Aは、捜査段階では三月二五、六日ころ、公判では同月二八、九日ころであると供述している。このくい違いは、E1殺害の謀議がなされたとして、AとDがそれぞれ供述する時期の間に、三月二二日の偽装貸付けという印象深い出来事があり、AもDもそれを基準にして供述している面があるので、単なる記憶違いに基づく多少の時期のずれとして軽視するわけにはいかず、むしろ合意の成立した時期については、AとDの供述の間に顕著なくい違いがあるというべきである。

右(四)の(3)で検討したとおり、Aの供述には、三月二二日の件に関し、虚偽の供述をしていることが明らかな点があり、D供述も、合意成立の時期について、三月中旬には成立していたという点に虚偽がある。確かに、E1殺害の合意が成立した経緯についての両者の供述を検討してみると、Dは、「Aに被告人からのE1殺害依頼の話をした日から二、三日後に、Aから、自分達でやるから報酬の件もちゃんと決めてきてくれと言われた。その次の日くらいにKW商事へ一人で行き、被告人に、Aがやると言っているがどうするか、報酬を出してくれるか確認したところ、被告人から、やってくれれば一億出すという了解を取りつけた。これをその日にAに伝えたところ、Aが被告人と直接話をすると言うので、翌日あるいは二、三日後、Aと二人でKW商事へ行き、Aが、被告人と直接話をしてE1殺害の合意と、報酬が一億円で、保険金が下りるまで被告人が手形を振り出し、手形を使った者が決済するという合意が成立した。」と供述しているのに対し(四二回、四五回公判)、Aは、「E1殺害をやる腹を固めたから、やれば本当に一億くれるのか、支払方法はどうなのか、被告人とちゃんと話を決めてくるようにDに話した。二、三日後Dが一人でKW商事へ行って話を決めてきたというので、その日か一、二日後に、Dと二人でKW商事へ行き、被告人と話してE1殺害を合意した。殺害報酬が一億円で、保険金が下りるまで被告人が手形を振り出し、手形を使った者が決済するということになった。」と供述しており〔八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)、一六回、一七回、二一回公判〕、AがDに催促した日と合意が成立した日の関係や特定以外は、殺害の意思確認までの経過、ことにAがDに催促し、Dが被告人に確認に行き、ほどなくAとDが被告人に確認に行ったこと、殺害報酬が一億円で、保険金が下りるまで被告人が手形を振り出し、手形を使った者がこれを決済するという合意の内容等についての供述は概ね一致している。しかし、DのいうE1殺害の合意が成立したという日とAがいうそれとの間に、三月二二日に被告人がAに一〇〇〇万円を渡して貸主をAであるとして偽装した貸付けが行われており、この印象深い出来事との前後関係でもAとD供述は大きなくい違いを示しており、それ以外の部分においてもAとDの供述にそれぞれ虚偽が含まれていることも前述したとおりである。被告人、A、Dの三者によるE1殺害の話し合いが複数回行われ、AとDはそれぞれ自己の最も記憶に残っている場面を供述しているにすぎないという検察官の主張は採用できない。

(六) E1殺害の合意が成立した際の状況

E1殺害の合意が成立した時期の点は別として、合意が成立した際の状況について、Dは、「DがAとKW商事へE1殺害の意思確認に行った際、当初被告人はこれを断っていたが、Aが強引にやらせてくれと何度も言っているうちに、Aの執拗な説得に折れて、被告人もE1殺害をAに依頼する旨話した。」と供述している(四二回公判)。また「最初にAが被告人に、あの話やらせて下さいと言った際、被告人は、一生懸命断っていた。被告人は、そのときも、その後も、Aが強引にやらせてくれと何回も言っているうちに、じゃやってもらいましょうということになった。」と、三者でE1殺害の合意ができるまで、Aと複数回KW商事を訪れ、Aが被告人を何度も説得している趣旨の供述をしている(四五回公判)。

Aは、捜査、公判(一六回ないし二二回公判)を通じて一貫して、Dと二人でKW商事に行き、被告人も含めてE1殺害の話をした、一度だけの話し合いで殺害が決まった、またその際D供述のような被告人がAの申し出を断った事実が認められない内容の供述をしている。

また、「被告人は当初Aの申入れを必死に断っていた。」というD供述は、臨場感もある反面、Aが被告人の承諾を取りに行った際に被告人がこれを必死に断っていたというのであれば、それに近い時期で、かつAと二人で行った時よりも前に行っている、Dが一人で意思確認に行った際に、被告人が同様の態度を取っていないのはいかにも不自然である。

したがって、合意成立時の状況についてもAとDの供述はかなりくい違っていると言わざるを得ない。

4  その他の点についてのA、D供述の検討

(一) A供述

(1) E1殺害の合意成立の日についての供述の変遷

① Aは、捜査段階においては、三月二〇日ころDに話を決めてくるよう催促し、三月二五、六日ころに、A、D、被告人間でE1殺害の合意が成立したと供述していたにもかかわらず〔八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)、九月八日付検察官調書(<書証番号略>)。〕、公判廷では三月二五、六日ころDに催促し、三月二八、九日ころ殺害合意が成立した旨供述を変更している(一六回ないし二二回公判)。そして、捜査段階で右のとおり供述した理由を、「当時は記憶に基づいて供述していたが、F21とF23〔F23(以下「F23」という。)〕がF7の家に火炎びんを投げた日を三月二四日と思っていて、その二日後くらいと記憶していたので二六日と供述したと思う。火炎びんを投げた日が三月二七日で、殺害合意の成立した日は火炎びんを投げた二日後くらいなので二九日と思う。」旨供述している(一七回公判等)。

② しかしながら、Aの八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)によれば、三月二五、六日ころKW商事で被告人と会い、E1殺害の報酬等について確認した後、その日これに引き続いてF7の立ち退きについての話になり、「被告人から『うちがからんでいるように見られると非常に困るので、そこんところは、よく考えてやってくださいよ。』と私(A)に言ってきました、それで私は『大丈夫ですよ。神奈川県から来てやるんだから分かりゃしませんよ。』と言ってやりました、するとDは、横から口を出し、『もう、現地案内を私(D)がしているんですよ。うちからも一人出すんですから心配ないですよ。』と被告人に言いました。」という趣旨の供述がなされている。これによると、Aは、E1殺害の合意をしたときに、これに引き続いてF7の立ち退きに関し、被告人に嫌疑がかけられては困ること、即ち火炎びん投てきがいまだ行われていないことを示す話し合いをしている旨供述しているのであるから、Aが被告人とあってE1殺害について合意をした際にはF23らによる火炎びんの投てきがいまだ実行されていないことを、A自身十分に認識して右供述をした内容になっている。したがって、火炎びんが投てきされた後にKW商事に赴いて被告人とE1殺害の合意をしたというAの証言は、右検察官調書とくい違いをみせている。

③ Aがこのように供述を変遷させているのは、BがAと共同審理を受けた公判において保険金の騙取につき否認し、E1殺害時には、E1に生命保険がかけられていることを知らなかったと主張していたため、Bに本件の協力を依頼した三月下旬ころの際には保険金の話がBとの間で出ていなかったように印象づけるためとも考えられるので、それなりに供述の変遷の理由が説明できるようにも思われる。しかしながら、後述するように、AとBの証言は、それ以外の点でも、お互いの供述を明らかに意識して互いに迎合したために捜査段階と異なる供述をしているのではないかと考えられる点が見受けられる(四月一一日の朝に、AがE1殺害の失敗を電話で報告したという点等)。したがって、三月二八、九日ころに被告人、A、Dの間でE1殺害の合意が成立したというAの公判供述にはもとより信用性がないが、Aの捜査段階の供述についても、そもそも、A供述は、捜査段階から虚偽が多いのであるから、一概に検察官調書は信用性があるとも言いがたく、他の問題点の証拠評価と総合して評価すべきものと思われる。

(2) 供述の一貫性等

Aの捜査段階の供述と公判供述(一六回ないし二二回公判)では、Dから初めてE1殺害の話を聞いた時期、その際のDの態度、発言内容、三者で殺害合意ができた日については相違が認められる。一方、その余の点については、KW商事からの帰りの自動車内で、Dから被告人からの話として、KW商事が三億円の保険金をかけている人間がいて、その人物を殺害すれば報酬として一億円出すと被告人が言っていることを初めて聞いたこと、その後何度かそのような話を聞いたこと、三月一〇日に被告人から南千住の物件に関する裁判取下料として二五〇〇万円を受け取り、E1を殺害したら被告人が本当に一億円を出すと思ったこと、その後Dに被告人が本当にE1を殺害したら一億円を出すのか確認に行かせたこと、Dが一人で被告人に会ってE1を殺害したら一億円を出すことを確認してきたこと、そのため翌日ころDと二人でKW商事を訪れ、被告人とE1殺害について合意したこと、合意内容については、報酬として被告人が一億円払うこと、保険金が出るまで現金では払えず手形を渡すこと、手形は使った方で決済し、保険金が下りた段階で清算することを決めたことなど、概ね供述は一貫している。また保険金が下りるまで手形を振り出し、使用した方で手形を決済し、保険金が下りた段階で清算するという合意については、その後被告人がAに手形を振り出し、その中の一部の手形をAの負担で決済したと思われ、保険金が下りた後にその中から被告人が現金八〇〇〇万円を渡して手形を回収したという外形的な状況にもある程度合致している。

しかしながら、Aの供述中には、前述したように、三月二二日のE1への貸付けが顔合わせであったかどうかという点についての虚偽供述あるいは信用しがたい部分、後述のように、検察官が最終的な共謀の成立であると主張する四月七日の謀議に直結する四月五日の件についての虚偽供述、四月七日の被告人から受け取ったという現金五〇〇万円の趣旨についての虚偽供述、四月一一日に被告人に電話をかけてE1殺害失敗の報告をしたという虚偽供述など、検察官が最終共謀であると主張する四月七日の出来事及びその直前、直後の状況について虚偽や信用しがたい部分があまりに多い。したがって、三月二五、六日ころにE1殺害の合意が成立したかどうかの問題も、四月七日にE1殺害の最終共謀が認定できるかどうかに大きく左右されるので、その点についての関係証拠との総合的な評価が必要であろう。

(3) AがE1殺害の依頼を引き受けたという動機

Aは、DからのE1殺害依頼の件を聞いて引き受けたという理由につき、F2組が被告人からE1殺害を元請していたところ、世話になったF2組への恩義や、F2組のスポンサーとして同組のために尽くしている被告人に惚れ込んだことが原因で、報酬のことなどはほとんど頭になかったなどと証言している(一六回公判等)。しかし、AがF14組組長、またSOの経営者として、それなりに出費がかさむのに、安定した収入がなく、暴力団の威力を背景にしながら、金もうけ話があれば、何でも飛びつくような状況であったことは、本件の一連の経過の中における、例えば、E1が北海道に行く際にかけていた旅行保険の件を被告人に話さずその保険金を受け取ろうとしたこと、四月五日にE1から受け取ったWT石材振出の額面一〇〇〇万円の手形の件を被告人に話さず、同社社長のJ7(以下「J7」という。)から手形金の支払いを受けようとしたこと、南千住の物件をめぐる問題が解決もしていないのに、被告人から合計四三五〇万円も支払いを受け、金山町の物件を取得していることにも端的に表れている。更に、SOで仕事をした証人J8も、Aがいかに悪辣な金もうけ仕事をしていたかを証言している(一二回公判)。したがって、A証言のいう右動機は、F2組との関係は判然としない部分もあるものの、被告人に惚れたからとか、殺害による金の取得はほとんど頭になかったなどという証言は虚偽であり、到底信用できない。

本件を引き受けた直接の契機について、Aは、捜査〔八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)〕、公判(一六回公判)を通じ、一貫して「三月一〇日に被告人から二五〇〇万円を受け取った時に被告人を信用した。E1を殺害したら本当に一億円くれると思った。」と供述している。また九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)では、「KW商事に取り入って後後まで面倒を見てもらいたいと考えていた。そのためKW商事が倒産しては何もならないので、その後(殺害報酬支払後)もいろいろKW商事のために動いてやった。被告人から頼まれて、手形割引の仲介や手形を回収したり、不渡りが出ないようにしてやったりした。」と供述しており、八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)及び一六回公判では、Bにも同様の話をした旨供述している。またDは、「Aが、三月一〇日に被告人から二五〇〇万円を受け取ったことで、被告人を信用したものと思う。」旨、Aの供述に副う供述をしている(四二回公判)。

Aが三月一〇日に、南千住の物件に関して被告人から裁判取下料として二五〇〇万円を受け取ったことは、証拠上間違いない。また押収されている約束手形帳控や<押収番号略>のメモ等によれば、四月中旬以降、KW商事振出の手形をAが割引に回し、その割引金を被告人が利用したものもみられるなど、Aが被告人のために助力した事実も認められる。AがE1殺害を引き受けたという理由についての右のような供述は、これら客観的な事実に合致し、かつ具体的であり、当時のAの心情としてもそれなりに了解できるものがある。

しかしながら、前述のように、A供述に明らかに虚偽と思われる点や矛盾したり、信用しがたい点もかなり見受けられるところである。確かに、検察官主張のように、Aにとって、E1殺害が金もうけ仕事であれば、通常、被告人の殺害報酬の支払意思を確認しないまま、殺人という重大犯罪を実行することは考えがたいといえよう。しかし、本件においては、E1殺害前に、被告人が、暴力団に対する抵抗ももたずにむしろ暴力団に多額の金を支払ってでも暴力団の威力を仕事上のトラブルの解決のために利用するなど、日頃からAら暴力団員と親密なつきあいをしてきたことや、金払いがよく、大雑把な金銭感覚の持主という被告人の性格、行動傾向をA自身が十分知っていた。しかも、南千住の物件をめぐる問題の解決のためにAが動いたものの、結局問題の解決をみないまま、Aは、合計四三五〇万円もの金員や金山町の物件を取得している。また、AはE1殺害後には、被告人から巨額の資金を引き出してかなりの利益を受けている。Aは、被告人から、KW商事振出の手形を、E1殺害後、八月上旬までに少なくとも約四〇通(額面合計約二億円)、その後昭和六一年暮までに更に約四、五〇通(額面合計三億円余)を受け取っており、現金も合計すると被告人からAに渡された合計額は六億円余に上っている。その中には、被告人のためにAが手形割引の仲介をしてやったものなども含まれているし、Aが被告人に金員を貸したと理解できるものもあるため、Aの取得した実質的な利益は右合計額をかなり下回っているが、それでもAが被告人から受けた利益は、長期間にわたって多額である。これをみると、Aが狙ったのは、E1殺害による一回のみの報酬を得ることではなく、長期間にわたって被告人から利益をむさぼることにあったものともみる余地が出てこよう。Aの判決謄本(<書証番号略>)からも明らかなとおり、暴力団組長であるAは、配下の者を使って、F7を金山町の物件から立ち退かせるために、放火予備、脅迫罪を犯し、本件後にも、別の売買物件の居住者を立ち退かせるために住居に放火して全焼させるという現住建造物等放火罪を犯しており、何をしでかすか分からない、目的のためには手段を選ばないという面を強く有している。このような事情から言えることは、被告人にE1殺害の意向を隠したまま、あるいはE1殺害について被告人の意向を十分確認しないままに、AがE1を殺害すれば、それが生命保険金で苦境を打開できるという被告人の経済的な利益に合致することから被告人に恩義を売ることもでき、それによって被告人と抜き差しならない間柄となって関係を一層緊密なものとし、殺害の事前謀議が存しなかったのに、事後に被告人に真相を知らせるなどして、将来的に長期間にわたって被告人から多額の利益を引き出そうと考えたとしても不自然ではない、ということである。

したがって、A供述のいうE1殺害の動機も、関係証拠から認定できる他の事実をも総合したうえで評価すべき事柄である。

(二) D供述

(1) D供述は、被告人からのE1殺害の話をAに話した時期、DがAに言われて一人で被告人のところに殺害意思の確認に行った時期、三者で殺害合意が成立した時期等の供述について、若干の不明確さや変遷が認められるものの、その余については、被告人からの話をKW商事からの帰りにAに話したところ、Aがこれを引き受ける旨話したこと、その後Aの催促で一人でKW商事を訪れ、被告人に対してAがE1殺害を引き受ける旨話し、被告人から同意を得たこと、これをAに話し、翌日ころAと二人でKW商事に行き、被告人と三者でE1殺害の合意が成立したこと、その際殺害報酬は一億円であり、保険金が下りるまで現金は支払えないので被告人が手形を振り出し、それをAらが決済し、保険金が下りた段階で清算する旨決まったことなど、具体的かつ詳細である。

(2) 前記のとおりの不明確さや変遷についても、Dの証人尋問が、事件後三年以上経過した時点で行われたことを考慮に入れないわけにはいかず、右の程度の供述の動揺は、時間の経過からくる記憶の不鮮明さに基づくものとして説明がつくようにも思われないでもない。しかしながら、D供述には、三月二二日のE1への貸付けと共謀の成否についての前後関係などがA供述とかなりのくい違いを生じて、それを合理的に説明しがたい点もあり、また後述の検察官が最終共謀であると主張する四月七日に密接につながる同月五日にE1方を出てKW商事に寄ったのかどうかなどの信用しがたい部分や、不自然な供述が随所にみられる。それらの供述には、単に、各自の役割の程度や日時の前後にすぎないとか、各人が自己の刑事責任を軽減するために、ことさらに虚偽の供述をしているとしてそれなりに説明がつくのではないかとか、時間の経過からくる記憶の不鮮明さに基づくものではないかとして軽視することができない点も多い。

5  まとめ

以上のとおり、A、D供述は、被告人、A、Dの間でE1殺害の合意が成立した時期等に大きな相違があり、また各供述に虚偽や信用しがたい点もかなり含まれている。したがって、Dが被告人からE1殺害の依頼を受け、これをAに話して同人がこれを引き受け、被告人ら三者間にE1殺害の合意が成立したという点で、信用性が十分に担保されているかどうかは、四月七日に被告人がA、DにE1殺害の費用を渡して三者間でE1殺害の最終共謀が成立したといえるかどうかに大きく影響されるので、これらの問題点における検討の結果をも総合して結論を出すことにする。

三 Bとの共謀に関する供述

1  Aは、捜査段階においては、「三月二三日ころにBと大阪に行き、宿泊先のホテルでDからの話として、KW商事がE1に保険金を三億位かけていて、E1を消してやれば一億位になる、E1を消してやってKW商事がよくなれば後後まで面倒をみてもらえるかもしれない、等と話してE1殺害への協力を依頼し、Bはこれを承諾した。その後三月二五、六日ころに、被告人とE1殺害の合意ができたのでBをE1殺害の実行にあたらせるべく、同日か翌日ころに、大和グランドホテルでBと会い、再度E1殺害を実行するので協力してくれるよう依頼し、同人はこれを承諾した。」旨供述したが〔八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)〕、公判では、大阪と大和グランドホテルでBにE1殺害を手伝ってくれるよう依頼したが、その際には保険金の話はしていないと供述している(一六回、一七回、二二回公判)。

2  Bも、捜査段階では、大阪での話こそしていないものの、Aの捜査段階の供述に概ね副う供述をしていたが〔Bの検察官調書(<書証番号略>)〕、公判では、当時も審理が続いていた自己の裁判で、保険金騙取については無罪である旨主張していたせいか、E1殺害を手伝うよう依頼を受けたが、保険金の話は聞いていない旨供述している(一二回、一三回公判)。

3  しかしながら、Bの配下の組員であるF23は、Bが三月二七日に、F23と共に札幌に帰る自動車内で、Aからの話としてF23にE1殺害の話をしたが、その中で、E1には生命保険がかけてあって、Bにも三〇〇〇万円の報酬が出ることまで話している旨供述している〔六月二七日付検察官調書(<書証番号略>)。したがって、Bは当時すでにE1殺害が生命保険金にからむものであることを知っていたのではないかと思われる。Bがかかる事情を知りうるのは、Aからの話以外ありえない。但し、生命保険金のからみでE1を殺害するという話は、被告人との共謀がなくても、十分ありうることであるから、この事実のみで、Aと被告人の間にE1殺害の共謀が成立したと言えないことは明らかであり、他の問題点についての関係証拠から認められる事実の検討が不可欠である。

四 四月七日に被告人からAらに対して殺害費用が支払われ、E1殺害の最終共謀が成立したという供述

1  検察官及び弁護人の主張並びにこの問題のもつ意味

(一) 検察官の主張

Aは、四月一〇日に網走刑務所を出所する配下の組員F16の出迎え等のため北海道に赴く予定であったことから、口実をもうけてこれにE1を同行させ、機会をみて殺害しようと考えた。四月五日ころ、AはDと共にE1方へ行き、先に被告人から依頼されていたE1に対する追加融資金三〇〇万円を渡した際、札幌市の狸小路の土地売買に関し、E1屋商事を税金対策上のダミー会社に使わせてくれれば多額の手数料を支払う旨申し向け、一度現地を見に行こうと誘ったところ、E1も了承した。その後A及びDは、KW商事に赴き、被告人に対し、E1を狸小路の土地売買にかこつけて北海道に連れていくことに成功したこと、日時についてはE1からの連絡待ちであること等を報告した。四月六日ころ、E1から八日午後三時過ぎであれば北海道へ行ける旨の連絡がAに入った。Aは、四月八日に北海道へ出発することにして、機会を狙ってE1を殺害することを決定し、その旨大和グランドホテルに止宿していたBに伝えるとともに、被告人に対し、北海道行きの経費等として現金五〇〇万円及び手形一〇〇〇万円を出してくれるように依頼し、被告人もこれを了承した。

四月七日夕方ころ、A及びDがKW商事を訪れて被告人と会い、Aが、八日にE1を連れて北海道へ行き、機会をみて交通事故を仮装してE1を殺害する旨E1殺害の日程などを説明し、被告人が、先にAらから依頼されていた北海道行きの経費等として、現金五〇〇万円及びKW商事振出の手形三通(額面合計一〇〇〇万円)をAらに交付し、被告人、A、Dの三名によりE1殺害の最終的な謀議がなされた。その際、被告人は、普段からよく利用していた高島易断所本部編纂の昭和六一年神宮寳暦を取り出してE1の運勢等を調べ、E1の要注意日が四月一一日であったため、Aに対し、E1を殺害する日は四月一一日が最適である旨伝えた。

(二) 弁護人の主張

E1殺害の意思を固めていたAは、E1からの追加融資の依頼を機会にE1殺害を実行に移そうと思い、当時金に余裕がなかったため、被告人から五〇〇万円を借りてE1に貸し付けようと考えた。Aは、四月五日に五〇〇万円の借入方を被告人に申し入れ、同日、これを受けた被告人が西武信用金庫東久留米支店から四〇〇万円を下ろし、手持ちの一〇〇万円を加えた五〇〇万円をAに貸した。その際Aから更に平塚土地の代金で手形を一〇〇〇万円貸してほしいと言われ、被告人はAに手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を渡した。Aは、同日、E1に三〇〇万円を貸した後、KW商事に寄り、被告人にWT石材振出の額面六〇万円の小切手を一通渡したというが、虚偽であり、Aは、E1に三〇〇万円を貸した後、KW商事に寄っていない。したがって、被告人がAに現金五〇〇万円と手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を渡したのは四月七日ではなく四月五日であり、また渡した趣旨も、E1殺害の費用ではなく、AとKWハウジングの間で成立していた平塚市内の土地売買契約等の代金の立替払いもしくはそれを引当とする貸付けとして渡したものであり、AやDの四月七日にE1殺害の費用等として現金五〇〇万円及び手形一〇〇〇万円を受け取ったという供述は、虚偽であり信用できない。

(三) この問題のもつ意味

Aは、配下の組員F16が四月一〇日に網走刑務所から出所するのを出迎えるため、これに間に合うように北海道へ行くことが決まっていたところ、その際E1を北海道に同行させたうえで、北海道で殺害することに決めていた。E1がAに騙されて北海道に行くことが決まったのが、四月六日(日曜日)であることは関係証拠上間違いない。したがって、右現金と手形がE1の北海道行きが決まった四月六日より後の同月七日(月曜日)に被告人からA、Dに渡されたのであれば、検察官主張のように殺害費用等の可能性が前面に出てくることになり、更に現金及び手形を渡した趣旨を解明していくべきことになる。弁護人主張のように、四月五日(土曜日)に渡されたのであれば、渡された時点ではE1の北海道行きが決まっていないのであるから、殺害費用ではありえず、現金と手形を渡した時期及び趣旨がA、Dの各供述と異なってきて、被告人との間でE1殺害の共謀があったとするAの捜査段階及び公判供述並びにDの公判供述の核心部分の証明力を大きく減殺し、ひいては、共謀の成否に直接影響してくる。

この点については、A、D、被告人という関係者の供述の他にも、検察官主張に副う証拠と弁護人主張に副うのではないかと思われる証拠が存在しているので、まず関係者の供述を概観し、個別の問題を検討したうえで、総合的に判断していくことにする。

2  A供述とD供述の要旨

(一) Aの供述の要旨

(1) 四月八日にE1を北海道に連れていくことになった経過

① 八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)

四月二日か三日ころ、Dから「E1さんがまた金を借りたいと言っているので一〇〇〇万円の手形を割ってやってほしいとKWが言っていた。」と聞いた。E1に電話をして四月五日に三〇〇万円を貸すことになった。そのことをDに話すと、札幌の狸小路の話をすればE1を北海道に連れていける旨言われた。F16が四月一〇日に出所するので、出迎えに行く予定もあり、丁度いいと思った。四月五日に、D、BとE1方へ行き、三〇〇万円を貸した。三〇〇万円の授受が終了した後、E1に札幌の狸小路の話をしたところ、E1は札幌行きを承知した。日時は後に連絡するということになり、四月一〇日に若い者が出所するので北海道に行くから、その前後にしてくれるように言った。

② 一七回ないし二二回公判

四月三日か四日ころ、Dから、E1が一〇〇〇万円融資してくれと言っているという話があると聞いた。四月四日にE1に電話し、五日にE1方で貸し付けることになった。すぐDに、四月五日にE1方へ一緒に行ってくれと話した。この時、Dが、札幌の狸小路の仕事の件でE1を北海道に連れていったらと提案し、賛成した。

四月五日の昼過ぎにE1方へDと行き、三〇〇万円を貸し付け、担保としてWT石材の額面一〇〇〇万円の手形一通と金利としてWT石材の額面六〇万円の小切手を受け取った。その際、E1に狸小路の件を話したところ、E1が乗ってきた。四月一〇日にF16が網走刑務所を出所するので、その前後に行けるなら支度してくれるように話した。その帰りに、KW商事に寄って、被告人に右六〇万円の小切手を渡し、E1に狸小路の件の話をしているので、日にちは未定だが、北海道に連れていくことになると思う旨報告した。

(2) 四月六日にE1殺害費用の支払いを被告人に依頼した状況

① 八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)

四月六日ころ、E1から四月八日の午後三時過ぎなら行けるという連絡が入った。北海道行き(E1殺害)の経費として、被告人に一〇〇〇万円位要求し、かつ、E1に貸した三〇〇万円の立替分も返してもらおうと思い、Dに、「北海道行きの経費一〇〇〇万円位とE1さんに貸した三〇〇万円の立替分を出してくれるようにKWに言ってくれ。」と頼んだ。

② 一七回ないし二二回公判

四月六日午前一一時ころ、E1からメゾン大場に、四月八日午後三時過ぎから一週間なら良いと電話があり、北海道行きを四月八日に決定した。すぐSI興業に赴き、F4、Dに話した。経費として一〇〇〇万円から二〇〇〇万円必要と考え、Dに北海道行きの経費を被告人に出してもらうように言った。それとT商の紹介料とE1に出した三〇〇万円ももらいたいからその交渉も頼んだ。Dは夕方ころ帰ってきて、明日七日の夕方(時間を指定されたかは忘れた。)一〇〇〇万円、現金では五〇〇万円出ると話した。三月二二日のT商の紹介料二〇〇万円ももらえることになった。すぐにJ5の自宅に電話で連絡し、明後日手形を一〇〇〇万円ばかり割ってもらいたい旨手形の割引を依頼したところ、J5は、三〇〇万、三〇〇万という形なら何とかしよう。もう一か所を紹介するという話になった。折り返しDに頼んで被告人に連絡してもらい、手形の割り振りを三〇〇万円、三〇〇万円、四〇〇万円の三通にしてくれと頼んだ。振出人や支払期日はJ5は言わないので、支払期日は言わなかったと思う。

その日、手形の割り振りも含めそのまま決まったとDから聞き、翌日Dと二人でKW商事に行くことにした。その後、F21に簡単に話し、夕方に、大和グランドホテルでBに狸小路の件を含め詳しく話した。

(3) 四月七日に殺害費用等を受け取った状況

① 八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)

四月七日の夕方、DとKW商事に行き、Dを通じて催促すると、被告人は現金と手形三通入りの袋をDに渡した。帰りの自動車の中で、Dから現金を受け取ると、五〇〇万円あった。三〇〇万円は四月五日にE1に追加して貸した分の立替分、二〇〇万円は三月二二日のT商の七〇〇〇万円の紹介料というDの話なので、紹介料ならDにもやらねばと思い一〇〇万円をDにやった。手形は、三〇〇万円が二枚と四〇〇万円が一枚あり、そのうち三〇〇万円の二枚はAが取得し、四〇〇万円一枚はDが取得した。

② 一七回ないし二二回公判

四月七日(時間ははっきりしておらず、一七回公判では昼過ぎとか午後三時か四時ころになるかもしれないと供述している。二二回公判ではSI興業から東久留米のKW商事までは三時間ほどかかり、KW商事に着いたのは午後五時か六時前後だと思う。シャッターは下りていなかったと供述している。)、DとKW商事に行き、社長室で、被告人と会って経費をDに催促させると、被告人は「分かっている。用意してある。」と言って、神棚から手形や金を持って来て渡した。北海道行きの日程は、既にDから伝わっていて、被告人も知っていた。現金は銀行の袋入りで中の金額は見てない。四月五日に貸した三〇〇万円かと思った。手形はKW商事の袋に入っており、神棚にのっていたのをおはらいしてあると言って渡してくれた。四月六日にF4らと話したときに四〇〇万円、三〇〇万円、三〇〇万円と切ってもらうように話をしていたから、そのとおりか確認した。満期は二か月だった。

約一時間後、KW商事を出た。金等の入った袋はDが持った。自動車の中で金を確認したら五〇〇万円あったのでDに趣旨を確認した。Dが、三月二二日のT商の紹介料二〇〇万円と四月五日にE1に貸した三〇〇万円である旨話すので、紹介料の半分の一〇〇万円をDにやった。手形のうち四〇〇万円の手形についてはDを通じてF4に渡した。

(4) 被告人が易で殺害の実行日を占った状況(一七回公判)

手形を受け取った際、被告人が、神棚にあった高島易断の易の本を見て、DとE1、AとE1、被告人とD、被告人とAの相性を一緒に見た。AとDはうなずくだけだった。この時の話で、E1の一番運の悪い日が四月一一日に当たるから、実行するならできれば一一日が一番良いと被告人が話したが、Aは、あまり信用しなかった。

〔なおこの点については、非供述証拠として採用されているAの八月三一日付検察官調書(<書証番号略>)中に同様の記載が認められる。〕

(5) 四月七日、大和グランドホテルでAがBと会った状況

① 八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)

四月七日に被告人から現金、手形合計一五〇〇万円受け取った後、その足で、Bの泊まっている大和グランドホテルへ行き、喫茶店でBに会った。Bに三〇〇万円の手形二枚を見せて、「E1の件で二枚もらってきたよ。これ明日割るから。割った中から経費を渡すから。」と話した。

② 一七回ないし二二回公判

四月七日に被告人から現金、手形合計一五〇〇万円受け取った後、SI興業に寄ってから、Dの自動車で大和グランドホテルに行き、Bに殺害費用を受け取ったことを知らせた。ラウンジで会って、決めてきた、手形をもらってきた、三〇〇万円二枚はこっちでもらってきて割れる話になっていると話した。Bには手形を割ったら費用を二〇〇万円渡すと約束し、三〇〇万円二通の手形を見せた。大和グランドホテルからGE商事のJ5の自宅に念押しで電話をし、三〇〇万円の手形を二通もっていくことを話し、翌八日午後一時に築地のGE商事に行くことにした。GE商事は電話だけで全部ずっと割ってくれており、予め手形の現物を持っていかなくてもいいい。一通は他で割るという話は七日の夜に出た。

(6) 四月八日の手形割引状況等の行動

① 八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)

四月八日の朝、手形を割り引くため、三〇〇万円の手形を持って築地のGE商事へ行った。B、F21は外で待っていた。J5は、三〇〇万円の手形一枚を割ってくれたが、割引金二五〇万円のうち現金一〇〇万円だけくれて、残りは後で振り込むことになった。もう一枚の三〇〇万円の手形は、J5の紹介でAEに行き、割り引いてもらった。金利二七万円を取られ、J5に紹介料一五万円を支払ったので、手取りは二五八万円だった。

② 一七回ないし二二回公判

四月八日GE商事とAEで割引金を受け取って出発した。GE商事からは一〇〇万円もらい、残金一五〇万円は当日振り込まれた。GE商事に行ったのは午後零時三〇分ころと思う。午後一時までに来てくれと言われていた。AEへはGE商事の番頭のJ9が同行し、GE商事に対しては手数料五パーセントの一五万円を渡した。AEの割引条件は、J5が枠を使わせてくれたものと思う。

(二) D供述の要旨

(1) AがE1を北海道に連れていくことになった経過(四二回公判)

四月五日、Aが、ちょっと行ってくれと言うので、F21を連れて一緒にE1方へ行った。自動車の中で三〇〇万貸すというような話をした。それまでは分からなかった。E1が金を貸してほしいと言っているということをAに伝えたことはない。被告人へ連絡があることはありうるが、被告人が関与していたかどうかは知らない。E1方で、AがE1に三〇〇万円貸し、一〇〇〇万円の借用証書をもらったのを見ている。AがE1から、手形や小切手を受け取ったかは分からない。

その後、札幌の狸小路の地図を出して、北海道の話をしていた。Dは地上げの話は初耳だった。E1はすごく乗り気で、北海道行きについては後で連絡するという話になった。E1方からの帰りにKW商事に寄り、E1に三〇〇万円を貸したことや狸小路の件でE1を北海道に連れていくことになり、E1からの連絡を持っていることを、Aが被告人に報告した。

(2) 四月六日に殺害費用の支払いを被告人に依頼したことの有無、四月七日に殺害費用を受け取った状況(四三回ないし四六回公判)

四月七日、AがKW商事に行ってくれというので、Dが運転して行った。KW商事に行くことは、当日Aから聞いた。手形で一〇〇〇万をE1殺しの費用として用意するように、E1に貸した三〇〇万円も返してくれるようになどと連絡するよう、Aから指示されたことはない。北海道へ行く費用をもらうという話は聞いていない。KW商事からの帰りの自動車の中で、KW商事に行った用件が分かった。

KW商事に着くと、事務所に被告人が一人でいた。Aは、KW商事に行き、近いうちに北海道へ行くから、その費用とか何とかと言った。現金と手形は事前にテーブルの上に用意されていた。現金は六センチメートル位の厚みがある封筒に、手形も封筒に入っていた。自分はお茶汲みとか、灰皿を掃除していたので現金等の受け渡しは見ていない。Aが受領した。

北海道にE1を誘い出して交通事故に見せかけて殺すという話は出た。Aが「明日、E1と北海道に行く。土地を見せる。チャンスがあればやってくる。」と言っていた。被告人は誰と行くかは聞かなかった。

KW商事で現金五〇〇万円と手形一〇〇〇万円が用意されていたというが、Dは、KW商事では現金、手形そのものを見てない。帰りの自動車の中で知った。手形の現物は帰りの自動車の中と大和グランドホテルで見た。額面は見えなかったが、Aが三、三、四、合計で一〇〇〇万円と言っていた。現金の現物は見ていない。帰りの自動車の中で五〇〇万円についてはE1を北海道に連れていく費用と聞いた。手形については仕事の絡みか何かという話。手形も北海道行きの費用だという趣旨もあった。仕事の費用と北海道行きの費用が特別の意味を持っていたかは分からない。仕事とは北海道の地上げの話。被告人が関係していたかどうかは知らない。五〇〇万円のうち三〇〇万円が四月五日にE1に貸した三〇〇万円の返済で、残りの二〇〇万円が三月二二日にAとDがT商へ融資を仲介した謝礼等というAの説明はなかった。現金一〇〇万円及び四〇〇万円の手形をAからもらった事実はない。Aは、やりたいが費用だからと言っていた。

(3) 殺害費用を受け取った際、被告人が易で殺害の実行日を占った状況

① 四三回公判

四月七日、KW商事社長室で現金と手形授受の後、被告人が高島易断の暦で占いをやった。暦をテーブルの上で見ている時、手形や現金というのはすでにテーブルの上になかった。相性を調べる際、基準は生年月日だった。被告人とDの相性は、すごくいいと言っていた。Aと被告人との相性もいいと言っていた。E1の生年月日はロッカーからファイル(貸借対照表等)を出して調べた。E1との相性は、興味がないからあまり聞かなかったが、普通だったかははっきり覚えていない。被告人は、E1の運勢につき、この日がいいとか何とか話していた。真っ黒とか言ったが、占いの本に○や△なんか付いていたのはよく見てない。

北海道に行って、E1と一緒に行動する運を確かめたんじゃないかと思う。E1を殺す日を占ったと思う。Aは、向こうへ行ってチャンスがあればやってくるという話をしていた。但し、Aは、その場でも、最後に暦で人が殺せるのか、と言った。

被告人は信心深い。社長室には御岳山の御神木で作ったテーブルもある。よく社長室にお灯明を上げてもいる。おかしな人間が来ると灯明が揺れると言っていた。実際に取引日の設定も暦で決めている。

占いの話が終わるとすぐ帰った。

② 四六回公判

被告人がしたのは高島易断の占い。占いをしたのはこれが最初で最後。DとE1の相性は占わなかった。AとE1は分からない。四月八日が良い日なのかを占ったかは分からない。Dと被告人、Aと被告人、E1と被告人などを占っていた。AとE1は分からない。

(4) 大和グランドホテルでBと会った状況(四三回公判)

四月七日午後九時過ぎころ、KW商事から大和グランドホテルに行ってBと喫茶店兼ロビーで会った。Aは、一〇ないし一五メートル位離れたフロントの脇で電話をかけていた。手形を割り引いてもらうというような話だった。AのJ5(GE商事社長)と喋っている声も聞こえた。BとAは四月八日に北海道へ行く話をしていた。その際、E1も同行するとのこと。AがBに手形を見せているのを確認している。手形は三〇〇万円、三〇〇万円、四〇〇万円と三枚あったが満期は確認していない。

(三) まとめ

A供述とD供述を比較すると、後に検討するとおり矛盾する点も認められるものの、その供述するところは、四月五日にAがE1に三〇〇万円を貸し、その際にAがE1を北海道に誘ったこと、その後四月八日にAがE1と北海道へ行くことになり、そこでE1殺害を実行することが決まったこと、そのため四月七日にAとDがKW商事へ行き、E1殺害の費用等として現金五〇〇万円と手形三通(三〇〇万円二通、四〇〇万円一通の額面合計一〇〇〇万円)を被告人から受け取ったことに要約される。

A供述とD供述の信用性を判断するには、まず右の供述内容が客観的な証拠と整合しているかどうかについて検討する必要があるが、被告人が公判において、A、Dの右供述内容と相容れない供述をしており、弁護人も被告人の公判供述を前提に、A、Dの供述を弾劾している。したがって、被告人の公判供述の信用性についても並行して検討することにする。

3  被告人の公判供述の要旨

被告人の公判における弁解は、必ずしも明確ではないものの、概ね、「四月五日、Aから、平塚市四之宮の土地の残代金の内金五〇〇万円を現金で今日ほしいからKW商事へ行くと電話があった。五日は土曜日なので西武信用金庫東久留米支店からとりあえず現金四〇〇万円だけ下ろし、金庫の中にあった金から一〇〇万円を足してAに渡すことにした。昼ころAがKW商事に来たので現金五〇〇万円を渡したところ、更にAが名目は平塚の土地の代金として手形で一〇〇〇万円ほど貸してくれと言ってきた。KWハウジングがAから買っていたので、代金の支払いということでKWハウジングが支払うべきものを立て替えて代金として渡せばよいと考え、KW商事振出の手形三通(額面四〇〇万円一通と三〇〇万円二通。支払期日六月六日。)を渡した。その話の中で、Aが、南千住の物件が終わったが、F10に返済すべき同物件の仮処分の供託金(四〇〇万円)を下ろせないから、四〇〇万円立て替えてくれと言うので、右の一〇〇〇万円の手形のうちから使えばいいと言った。現金五〇〇万円は平塚の土地の売買代金の立替払いで、一〇〇〇万円の手形は貸したことになる。ただ、右四〇〇万円の手形については、手形がF10に行くのなら供託金はいずれKW商事に入ってくるから、KW商事が決済すべきことになる。平塚の土地の話から、供託金の話も出てきて、手形の趣旨がはっきりしなくなった。」

と供述しているものと認められる(四九回、五一回、五二回公判等)。

また、被告人は公判ほど明確ではないものの、捜査段階でも、

「三月上旬ころ、J10所有の土地(平塚の土地)をAが幸和ハウジングに売却した。以前、四月初旬、Aに五〇〇万円を二回合計一〇〇〇万円貸したと供述したのはこの取引で、Aに一〇〇〇万円やりKWハウジングの立替金というつもりでいたが、F17もAに一〇〇〇万円渡しているらしく、被告人とF17の話がうまく通っていなかったので、Aに対する貸付金とも言えるし、KWハウジングに立て替えて支払ったとも言え、曖昧になっている。F17から頼まれたわけではないが、Aから貸してくれと言われたとき、AとF17との取引を知っていたので、Aが返さなかったらKWハウジングの手付金の立替えということにしてもよいと思ってAに渡した。五〇〇万円二口は、四月五日ころと六日ころに、事務員F24が小切手を銀行(青梅信用金庫東久留米支店)で換金し事務所でAに渡している。」

と、平塚の土地代金としてAに金銭を渡している旨の供述をしている〔被告人の八月四日付警察官調書(<書証番号略>)〕。

4  四月五日、AがE1に三〇〇万円貸し付けたこと

(一) 四月五日、AがE1に三〇〇万円を貸し付けたかどうか

Aは、E1の作成した四月五日付の一〇〇〇万円の貸付けに関する領収証や念書等関係書類を所持していた〔F25の警察官調書(<書証番号略>)〕。E1が、現実に金を借りず、三月二二日の一〇〇〇万円の借入れの期限(支払期日は四月五日)を延長しただけなら、四月五日付の領収証まで出さないと考えられること、E2も、四月八日ころE1から北海道に行く件に関連して、E1がAからWT石材の手形を担保に三〇〇万円を借りた旨聞いたと供述しており(七月二〇日付検察官調書(<書証番号略>)〕、右供述に格別の不自然さは認められないこと、AもDも、四月五日に三〇〇万円貸したことで供述が一致していること等から、四月五日に、AがE1に三〇〇万円貸し付けた事実は間違いないものと思われる。

(二) 三〇〇万円の追加融資は、E1が被告人に依頼しDを介してAに話がきたのか、E1がAに直接依頼したのか

Aは、右追加融資の依頼について、捜査公判を通じ一貫して、E1が被告人に依頼し、Dを介してAに話がきた旨供述している〔八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)、一七回公判〕。

検察官は、金に余裕のないAが被告人の依頼もないのに自己資金でE1に三〇〇万円を貸し付けることは考えられないから、被告人からの依頼でE1に貸し付けたものと考えるのが相当であると主張する。

しかしながら、被告人やDの公判供述は、この点を否認しているのみならず、A自身も、二〇回公判で、弁護人の「E1さんは、四月五日の前に、四月五日期限の一〇〇〇万円は返せないと言ってきたんですか。」という問に対し、「三日ころに言ってきました。それで月中に返せるから、悪いけれども、追加融資を頼めないかという話でした。」と答えている。ここでは、E1が三月二二日に借りた一〇〇〇万円の返済の猶予を申し入れた際に、E1から追加融資を依頼された旨供述しているのであって、E1が、被告人を介してではなく、直接Aに追加融資を依頼してきた趣旨とも受け取れる供述をしている。E1は、三月二二日にAの名刺(SOの電話番号が記載されている。)を入手しており(Aの六六回公判供述)、直接連絡を取ることができたし、当時のE1と被告人の関係から見て、たとえAへの仲介であるにしても、新たにE1が被告人に対し、三〇〇万円も融資を申し入れることは通常は考え難い。更に、E1が四月五日にAから三〇〇万円の融資を受けた際に、担保としてAに渡したWT石材振出の額面一〇〇〇万円の手形は、同日WT石材社長のJ7から借りたものであるところ、J7の七月二二日付検察官調書(<書証番号略>)によれば、E1が四月五日にJ7からこの手形及び小切手(三通)を借りる際「今度北海道へ行く。すごいもうけ話がある。それが入ったら今まで借りた金は全部返せる。ついては北海道へ行くのにいろいろな支払いと準備金が必要なので小切手と手形を貸してくれ。」という趣旨のことを話していることが認められる。即ち、E1が、四月五日にAと会う前に、北海道行きを誘われているのである。誘うのはAしか考えられない(したがって、A証言は、Dからの提案を受けて、四月五日にE1と会った際に、初めて北海道行きを誘ったように言うが、虚偽である。)また、J1の九月二六日付検察官調書(<書証番号略>)によると、三月三〇日か三一日ころE1がJ1に電話をした際、三月二二日のE1に対する一〇〇〇万円の貸付けに関し、そのころAから月が変わるという理由で五〇万円の金利の支払を請求された旨話していることが認められる。したがって、三月末から四月初めにかけて、AとE1間で連絡が取られていたことが認められる。

したがって、これらの事実から考えると、四月五日の三〇〇万円の融資の申入れはE1からAに直接あったと認めるのが相当であり、この点についてのAの供述は信用できない。

(三) Aが四月五日にE1方へ行って三〇〇万円を貸し付けた後、その帰りにKW商事に寄ったがどうか

(1) 検察官及び弁護人の主張

検察官は、金に余裕のないAが、被告人の依頼がないにもかかわらず自己資金でE1に三〇〇万円を貸し付けることは考えられないから、Aは被告人の依頼を受けてE1に三〇〇万円を貸し付けたものであり、したがって、貸付後被告人にその旨報告に行くのは自然でAの供述は信用できると主張する。

これに対し弁護人は、四月五日にE1に三〇〇万円を貸した後、KW商事に寄り、被告人にWT石材振出の額面六〇万円の小切手一通を渡したというAの供述は虚偽であり、Aは、E1に三〇〇万円を貸した後、KW商事に寄っていない、同日、金に余裕のないAが、まずKW商事に寄って被告人から五〇〇万円を受け取ってその中から三〇〇万円をE1に貸し付けたものであり、Aの四月七日にE1殺害の費用として現金五〇〇万円と手形一〇〇〇万円を受け取ったという供述も、虚偽であると主張する。

(2) A、D供述並びに被告人の弁解(公判供述)

Aは、公判で「四月五日は、まず直接E1方へ行き、E1に貸し付けた後、KW商事に寄った。その際E1に三〇〇万円を貸し付けたこととE1を北海道に誘っていることの概略は説明した。E1に貸し付けた三〇〇万円を被告人から支払ってもらおうと思ったが、KW商事にその分の金がなかったので支払ってもらえなかった。E1から担保として受け取ったWT石材振出の額面一〇〇〇万円の手形一通と利息として受け取ったWT石材振出の額面六〇万円の小切手一通を被告人に渡したが、手形は取立てもまかせると言って被告人から渡された。」と供述している(一七回、二〇回公判等)。またDも公判で、KW商事には寄らずに直接E1方へ行き、E1に貸し付けた後、KW商事に寄って、Aが被告人に対して、E1に三〇〇万円貸し付けたことや、E1を北海道に連れていくことになり、E1からの返事を待っていることなどを報告したと供述している(四二回、四五回公判等)。

他方被告人は前記のとおり、公判において、Aから平塚の土地代金の内金五〇〇万円を支払ってほしいと連絡を受け、四月五日の午前中に西武信用金庫東久留米支店から金を下ろし、昼ころAに貸した(即ち、時間的にみて、AらがE1方へ行く前ということになる。)、その際更に頼まれて手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を貸したと供述している。

(3) 判断

① A、D供述に対する評価

A証言は、記憶が薄れているとはいいながらも、E1への三〇〇万円の貸付後、KW商事に寄ったのは、この三〇〇万円の返済を被告人から受けるためであったようにも言い、被告人に三〇〇万円の請求をしたが、そのときにKW商事に金員がなかったのでもらえなかったという(二〇回公判)。しかし、捜査報告書(<書証番号略>)、捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)によれば、四月五日午前一一時五二分に四〇〇万円が西武信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座から引き出されており、〔右回答書添付の四月五日振出の額面四〇〇万円の小切手(写し)に引き出し時刻が記載されている。〕、AらがKW商事に寄ったという時間にはすでにKW商事に右四〇〇万円を含む約五七五万円が保管してあったから、この点のA証言は虚偽であると言わざるを得ない。

次に、Aが四月五日にE1から受け取ったWT石材振出の額面六〇万円の小切手であるが、Aが同日E1に三〇〇万円を貸した際、担保としてWT石材振出の額面一〇〇〇万円の手形一通と利息としてWT石材振出の額面六〇万円の小切手一通を受け取ったことは証拠上優に認められる。そして右六〇万円の小切手は、四月七日にGE商事から取立てに回されていることが証拠上認められ、当時被告人から直接GE商事に小切手の取立てが依頼されることは考えられず、右取立てを依頼したのはAと認められる。したがって、E1から受け取った小切手を被告人に渡したという点についてのAの捜査段階〔八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)〕、公判供述も、虚偽である。

またAは、四月一六日ころ、京王プラザホテルでJ7と右一〇〇〇万円の手形の取立ての交渉をした際、京王プラザホテルには被告人も呼んでいたにもかかわらず、被告人にJ7を呼んでいることを話した形跡窺えず、むしろJ7と被告人を会わせないようにしてE1から右一〇〇〇万円の手形を受け取っていることを被告人に隠していたものと思われる。したがって、Aの証言中、担保としてWT石材振出の額面一〇〇〇万円の手形一通を被告人に渡したが、取立てを依頼されたので、そのまま持ち帰ったという点も虚偽である。

更に、四月五日は、三月二二日にAがE1に貸し付けた一〇〇〇万円の支払期日となっていたのであるから、その四月五日にE1方へ行く前に、AがKW商事に寄ることは自然である。

以上の次第で、E1に貸し付けた後、KW商事に寄ったというAの証言中には、重要部分において虚偽の部分が含まれている(被告人も捜査段階の自白調書では四月五日にAがKW商事に来たことについては全く供述していない。)ことを考えると、E1に貸し付けた後、KW商事に寄ったというA及びDの各証言は、その信用性に重大な疑問が生じる。

検察官は、Aが金に余裕がないにもかかわらずE1に貸し付けたのは被告人に依頼されたためであるから、貸し付けた後に報告に言ったというAの供述は信用できると主張するが、そうであれば、E1方を出てKW商事に寄った際に、Aが被告人から三〇〇万円返済を受けるのが通常であろう。弁護人が主張するように、E1方へ貸付けに行く前に被告人から貸付資金を工面してからE1方に向かうと考えるのが自然であり、検察官の右主張は採用できない。

② 弁護人の主張、被告人の公判供述に対する評価

四月五日、AがE1に貸し付ける金を捻出するために事前にKW商事に寄ったという弁護人の主張は、翌日が定休日である日曜日を控えているのに、被告人が、土曜日である四月五日の正午近くに四〇〇万円もの金を引き出しており、このような引き出し方自体に、何らかの使用目的の存在が窺われること、四月五日か七日かは別としても、後述のとおり、この四月五日に引き出された四〇〇万円にKW商事に保管してあった金員の中から一〇〇万円を加えて五〇〇万円としたものが、Aに渡されていること、当時のAの経済状況等から考えると、それなりに合理性がある。また四月五日に一〇〇〇万円の貸付けを求められたという点も、関係証拠を総合すると、当時Aの配下の組員であるF16が網走刑務所に服役しており、四月一〇日に同刑務所を出所する予定であったこと、Aは、その出所祝い等のために、E1が北海道に同行するか否かにかかわらず、遅くとも四月九日には網走に行く必要があったこと、そのためAは、北海道行きの費用を工面する必要があったことが認められ、当時経済的に余裕のなかったAが、平塚の土地の代金で、北海道行きの費用を工面しようと考えても何ら不自然ではない。四月五日に、Aが平塚の土地代金の内金五〇〇万円を要求した際に、北海道行きの費用として平塚の土地の残代金を担保に一〇〇〇万円の手形を貸してくれと言ってきたとしても、右のようなAの事情を考えると、不自然とはいい難い。前述(右4の(二))のとおり、Aは、四月五日にE1に三〇〇万円融資する以前に既にE1に北海道行きを誘っており、E1から前向きの感触を得ていたと思われ、E1殺害に向けても、資金の準備をしておく必要があったものと思われる。

確かに、Aは四月三日にKWハウジング名義で(実際に振り込んだのは被告人であったが)五〇〇万円の送金を受け、そのうちから三五〇万円を引き出しているので、Aが自己の資金で三〇〇万円をE1に貸し付ける資力自体は有していたように思われるし、被告人の公判供述は、Aが四月五日の昼ころKW商事に来て、貸付関係に使用している書類をもらっていったというものであるが(四九回公判)、四月五日にAとE1との間で作成した書類には、右KW商事からAがもっていったという書類が使用されておらず、右の点の被告人の公判供述は信用できない。しかし、右に述べたように、四月五日にAが先にKW商事に来たという弁護人の主張及びこれに副う被告人の公判供述は合理性を有しているように思われる。

但し、弁護人の主張が採用できるかどうかは、金銭出納帳等、他の関係証拠の検討も不可欠であるので、後に更に検討することにする。

5  KW商事の金銭出納帳の記載の検討

KW商事の金銭出納帳(<押収番号略>)の四月七日の欄に、科目「立替金」、摘要「現金引き出し(SO)」、支払金額「5,000,000」の記載があることは、間違いない。したがって、この金銭出納帳の記載からは、四月七日に被告人がAに現金五〇〇万円を渡したように読めるので、問題点を検討する。

(一) 金銭出納帳の記載状況

当時、KW商事で経理を担当し、金銭出納帳、銀行勘定帳に記帳していたのは被告人の妻甲2(以下「甲2」という。)とF24(以下「F24」という。)の二人である。甲2(五五回公判)、F24(五四回公判)の公判供述、右金銭出納帳によれば、昭和六一年二月二六日にそれまでKW商事で経理を担当していた事務員のJ15が病気で入院したことにより、以後経理の経験のない甲2と事務員のF24が金銭出納帳や銀行勘定帳の記載をするようになった、甲2もF24も経理に不慣れなため、当初ボールペンで一行置きに書き始めたが、後で領収証等が出てきても書き直せるように各日の間に一行以上空けておいた、慣れないので後で正確に書き直せるように三月二〇日ころから鉛筆書きに変えた、同年一一月ころ、それまで金銭出納帳の摘要欄に「F14」と記載してきたのが実は「SO」であると分かったので、甲2が金銭出納帳の摘要欄の「F14」の記載を「SO」と書き直した、ことが認められる。

(二) Aに渡された現金五〇〇万円の工面

捜査報告書(<書証番号略>)によると、西武信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座から四月五日に四〇〇万円、同月七日に五〇〇万円が引き出されていることは間違いなく、金銭出納帳(<押収番号略>)には、それぞれの日に、各金額を口座から引き出して収入扱いした旨の記載があるが、四月五日の記載には、右四〇〇万円の収入に見合う出金の記載はない。四月七日の記載であるが、同日分は、前半部分〔10頁(以下、金銭出納帳の頁数は、印刷されているアラビア数字で示す。)〕をF24が、後半部分(11頁)を甲2が記載している。四月七日に同支店から引き出した五〇〇万円に見合う出金としては、その収入扱いした記載の次の行に科目「貸付金」、摘要「F15」、支払金額「5,000,000」(F24による記載)、二行空欄(10頁終了)、次頁(11頁。甲2による記載)の一行目に科目「担保借供料」、摘要「J13」、支払金額「500,000」、二行目に科目「立替金」、摘要「現金引き出し(SO)」、支払金額「5,000,000」の記載がある。四月七日の記載のうち、同支店から五〇〇万円引き出した記載の次行にF15への五〇〇万円の貸付けが記載され、西武信用金庫関係の銀行勘定帳(<押収番号略>)にも四月七日に五〇〇万円を引き出した旨の記載があるうえ、七日に五〇〇万円を小切手により引き出した時の小切手帳控(<押収番号略>の小切手番号AB15035)には金額「5,000,000」、渡先欄に「F15立替金」と記載されていることから、四月七日に西武信用金庫東久留米支店から引き出された五〇〇万円がそのままF15に貸し付けられたものであることは動かしがたいものと認められる。したがって、同日の欄に記載されている前記「立替金 現金引き出し(SO)5,000,000」の記載は、四月五日か七日かはともかくとしても、このAに渡された五〇〇万円のうち四〇〇万円は四月五日に同支店から引き出された四〇〇万円であることも間違いなく〔四月五日に四〇〇万円を引き出す際に使用されたKW商事の小切手帳控(<押収番号略>の番号AB15034)の渡先欄には、単に「現金引き出し」と記載されている。〕、残り一〇〇万円はKW商事に保管されていた現金とみるべきである〔被告人の自白調書は、後述(第三部の第二の六の1)のとおり、一貫して、四月七日に引き出した五〇〇万円をAに渡したとされている。被告人の取調官が、右金銭出納帳の記載を精査せず、また、右小切手帳控も全く検討していなかったため、金銭出納帳の記載から、四月七日に引き出された五〇〇万円を被告人がAに渡したと誤解していたことは明らかである。〕。

(三) 定休日との関係

KW商事は、土曜日も平日同様の営業をしているものの、日曜日(四月六日)は定休日であるから、甲2の公判供述(五五回公判)や前記金銭出納帳の土曜日の記載からみても、当時土曜日に、格別の使用目的もないのにわざわざ金融機関から大金を引き出してKW商事事務所に置いておくことはしていなかったものと認められる。金銭出納帳、現金出納帳、銀行勘定帳によって甲2らが金銭出納帳を記帳しだした二月二六日以降半年分ほどの期間をみてみると、平日は、一〇〇〇万円を越す金員が保管されていることもあるが、三月二二日のT商との取引のように、土曜日に大きな金額の取引が行われた場合は別として、定休日を翌日に控えた土曜日に数百万円以上の金員が金融機関から引き出され、そのまま月曜日まで保管されていた日はほとんど見当たらない。銀行勘定帳(<押収番号略>)によると、三月二九日(土曜日)に西武信用金庫東久留米支店から五〇〇万円が引き出されているが、これはその日にNK石材に振り込まれている。金銭出納帳(<押収番号略>)には、七月一九日(土曜日)に二一〇万円が青梅信用金庫東久留米支店から引き出された旨記載があるが、小切手帳控(<押収番号略>のHE72901)によれば、この日に同支店から五〇〇万円が引き出されており、この控には「T商振込140」、「立替金振込150」、「九州現金210」と記載されているので、予め使用目的があって引き出されており、右金銭出納帳の記載は、右「九州現金210」を意味するものと理解できるし、金銭出納帳の次行に振込手数料として一六〇〇円が支払われた旨の記載があるので、右二一〇万円も同日振り込まれたものと思われる。捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)によれば、同日A1名義でAの住友銀行築地支店の口座に一五〇万円が振り込まれている(これが右「立替金振込150」を意味しているものと思われる。)ので、右引き出された五〇〇万円のうち一五〇万円についてもその日のうちに使用されている。土曜日にかなりの金額が金融機関から引き出され、そのまま保管されているのは、七月二六日くらいであり、同日は四〇〇万円の定期預金が中途解約され、同月二八日(月曜日)に返済された一八〇〇万円の一部として使用されているが、これは、金銭出納帳(<押収番号略>)によれば、同月二五日のうちにKW商事の保管金にマイナスが生じているから、そのためと思われる。また、四月五日には三回しか金員が支払われておらず、最高額は接待費(昼食代)の二〇九〇円であり、同日西武信用金庫東久留米支店から引き出された四〇〇万円を除いても、同日の営業終了時点における保管金が約一七五万円あったことが認められるから格別の使用目的もなかったのであれば、わざわざ土曜日のそれも昼近くになってから〔捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)によれば、四月五日に西武信用金庫東久留米支店から四〇〇万円が引き出されたのは、午前一一時五二分である。〕四〇〇万円を引き出す必要性もなかったものと言わざるを得ない。日常使用している青梅信用金庫東久留米支店、西武信用金庫東久留米支店までの所要時間は被告人の公判供述によれば自動車で約一〇分と近い(七〇回公判)のであるから、金員が必要になった際に引き出すことに格別の支障もない。したがって、翌日(四月六日)に定休日を控えている四月五日の時点で、しかも使途も決まっていないのに、わざわざ四〇〇万円を金融機関から引き出すというのは不合理であるから、そこに何らかの現金引き出しの目的があったものと思われる。四月五日に引き出された四〇〇万円の全額が、現実にAに渡されているということは、同日の現金引き出しの時点までにAのために予め引き出しておくべき事情が生じていたことを推認させるものである。このことは、Aが四月五日にE1方へ行く前にKW商事に寄ったのではないかと思われることとも符合する。したがって、Aのために予め引き出しておくべき事情が五日の時点で生じ、その事情の趣旨でAに渡されたということになれば、E1の北海道行きが決まったのが四月六日であるという動かしがたい事実から見て、右五〇〇万円がE1の殺害費用であるということと矛盾することになる。

(四) 四月七日の欄の理解

また、AやDのいう四月七日にKW商事に寄った時間の点であるが、Aの八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)によると、同日の夕方であり、KW商事に甲2やF24がいた形跡はないが、A証言によると、昼過ぎとか、午後三時か四時ころ、あるいは午後五時か六時ころと言ったりはっきりしない。D証言によると、夕方であり、当時被告人しかいなかったという(後述のとおり、被告人の自白調書は、甲2やF24が帰ったあとの午後七時ころという。)。Aの捜査段階の供述とD証言の趣旨からは夕方で甲2らは帰宅した後ということになろう。

午後五時ころまで勤務するF24や、午後六時ころまで勤務する甲2も帰宅した後ということになれば、四月七日の現金受け渡しを金銭出納帳に記載するのは八日以降になる。前記のとおり、Aに渡された五〇〇万円に関する記載は甲2がしている。甲2は金銭出納帳の性質上、毎日仕事が一段落ついてからその日のうちに金銭関係を記帳していたというものであり、記帳の仕方として不自然さはない。四月七日の甲2の記載した部分は、同日の前半部分のF24の記載に続いている。この日、F24が何時ころまで事務所にいたかであるが〔右甲2証言は、金銭出納帳の四月七日の欄に交通費(電車、バス代)として一五〇〇円支出した記載がある(甲2の記載)のは、その日にF24に交通費を渡したうえ、用事で出かけてもらったものという。〕、同日西武信用金庫東久留米支店から五〇〇万円を引き出してF15に貸し付けた件を金銭出納帳に記載したのはF24であり、捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)に添付されている同支店に持ち込まれたKW商事振出の小切手の写しによると、右五〇〇万円が引き出されたのは午前一一時二〇分であること、同日青梅信用金庫東久留米支店の当座預金口座から六〇万円を引き出しGR(町田)に貸し付けた件を金銭出納帳に記載したのもF24であるが、捜査報告書(<書証番号略>)に添付されている同支店に持ち込まれたKW商事振出の小切手の写しによると、右六〇万円が引き出された時間は午後一時三二分であることが認められる。したがって、F24は、少なくとも午後二時ころまではKW商事にいたものと認められよう。

金銭出納帳の四月七日の欄のうち、甲2が記載したなかに科目「交通費」、摘要「電車、バス代」、支払金額「1,500」があり、前記のとおり、甲2証言は、その日に交通費(電車、バス代)として一五〇〇円支出しているのは、F24に用事で出かけてもらったものという。誰が使用した交通費であるのか記載自体からは明確ではないが、金銭出納帳に記載された小口の交通費の大半はF24が使用しており、三月三一日に「交通費 F24バス、電車代 1,500」、五月二日にも「交通費 F24 1,500」という交通費を支出した記載があるところからみて、同金額の交通費であるから、四月七日の交通費もF24が使った交通費のように思われる。したがって、F24は勤務時間の途中から外へ仕事の関係で出たことになる。

四月七日分の金銭出納帳の記載のうち、F24が記載した前半部分に続く後半部分の甲2の記載(11頁)であるが、「担保借供料」・「J13」・「500,000」、「立替金」・「現金引き出し(SO)」・「5,000,000」、「立替金」・「F9分(J13)」・「240,000」、「接待費」・「高砂」・「1,950」、「交通費」・「電車、バス代」・「1,500」(以上は、科目、摘要、支払金額の順に記載。)と記載されている。これらのうち、「立替金」・「現金引き出し(SO)」・「5,000,000」以外の記載が四月七日に生じたものであることには格別の疑問はなく、また、「接待費」・「高砂」・「1,950」は昼食代と認められるから、これらは四月七日の甲2の勤務時間中に生じたものがその日のうちに記載されたものと認めても不自然ではなく、そのなかに「立替金」・「現金引き出し(SO)」・「5,000,000」も記載されているのであるから、この記載自体も四月七日の甲2の勤務中に記載されたものとみることに不合理性はない。

四月七日のAやDがKW商事に来たという時刻が甲2の帰宅後であったのであれば、七日の出来事としてその日に甲2が金銭出納帳に記載することはありえない。更に、西武信用金庫関係の銀行勘定帳(<押収番号略>)によると、この勘定帳に、四月五日にKW商事の小切手(番号AB15034)を切って四〇〇万円を西武信用金庫東久留米支店から引き出した旨の記帳をしたのは甲2であるから、右四〇〇万円の引き出しについての記憶の新鮮な甲2が、被告人から金員の支払先を聞いた際に、支払先のみを確認して四月五日の出金を勘違いして七日の出金として記載したものとも考えられる。

(五) 四月五日のAらの行動との関係

また、前述のとおり、四月五日にAやDがE1方に行く前にKW商事に立ち寄ってE1に融資する三〇〇万円を調達した可能性が高い。当日の四〇〇万円の現金引き出しもそれに合致している。被告人の後半供述によれば、四月五日にAとDがKW商事に来たのは昼ころというのであり、金銭の支払先については被告人しか知らないであろうから、それを甲2がその日には聞かなかったのではないかとも思われる。

(六) 四月七日の欄の五〇〇万円の出金の記載の問題

金銭出納帳(<押収番号略>)の四月三日の欄には、科目「立替金」、摘要「現金引き出しSO」、支払金額「5,000,000」と記載され、この記載は四月七日の欄の科目「立替金」、摘要「現金引き出し(SO)」、支払金額「5,000,000」と同様の記載の仕方である。もとより、金銭出納帳には、SOに関して、三月二〇日(但し、5頁の記載)の科目「裁判取下料」、摘要「南千住(SO)」、支払金額「18,500,000」のように、支出金額の用途が明確に記載されているものもある。

四月三日の右記載についての被告人の公判供述は、当時、売主A、買主KWハウジング間で神奈川県平塚市<番地略>の土地(宅地三七九平方メートル)、建物(軽量鉄骨二階建)(以下、土地建物をまとめて「平塚土地」という。)について売買契約が成立しており、KWハウジングがAに支払うべき平塚土地代金の一部を立て替えて、大和銀行浜田山支店から同日住友銀行築地支店のAの口座に振り込んだものを記載したものであり、四月七日の記載も同様に立替金であるという(四九回、五一回公判等)。

そこで、被告人のいう立替金はKWハウジングが支払うべきものを立て替えたというのであるから、それならば、摘要欄にはKWハウジングと記載するのが一貫しており、金員の支払先を書くというのは不自然なことになるが、被告人の公判供述は、それが間違えて記載されたものであるという。

金銭出納帳のなかで、四月三日の科目「立替金」、摘要「現金引き出しSO」、支払金額「5,000,000」の記載が平塚土地代金の立替払いであれば、四月七日の前記記載もそれと同様のものであるから、四月三日の記載と同様に理解すべきことになろう〔なお、被告人が捜査段階において、自白開始後に作成したメモ(<押収番号略>)にも、四月三日の右五〇〇万円については、「平塚のJ10の土地代支払う(KWハウジング立替)。J10とハウジング裁判中」という記載がある。〕。

(1) 平塚土地の売買契約の成立

そこで、まずAとKWハウジング間で平塚土地の売買契約が成立していたかどうかをみていく。

① この点についての弁護人の主張は、被告人がAに現金五〇〇万円と手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を渡したのは四月七日ではなく四月五日であり、また渡した趣旨も、E1殺害の費用ではなく、平塚土地代金もしくはこれを引当とする貸付けとして渡したものである旨主張し、被告人も公判において右主張に副うような供述をしているのは前記のとおりである(但し、四〇〇万円の手形について、弁護人は、AがこれをF10に割引に出したものと主張しており、被告人の公判供述は、被告人がAから、南千住の物件の仮処分の供託金が下りないので、立て替えてくれと依頼された、即ち、割引ではなく、F10に返還されるべき供託金に相当するものとしてF10に渡す手形である旨言われてAに渡したものであるという趣旨の供述をしているので、この点については、弁護人の主張と被告人の公判供述は必ずしも合致していない。)。

これに対して検察官は、「KWハウジングのF17は平塚土地の売買について、被告人から依頼を受け単に名義を貸したに過ぎないもので立替払いの約束などなく、被告人から立替払いをした旨の報告など受けていない旨述べているのみならず〔八月一九日付検察官調書(<書証番号略>)〕、当時資金繰りに窮していた被告人が、資金的にも余裕があり被告人に対し融資までしていたKWハウジングのために立替払いをしてやらなければならない特段の事情も認められないことなどから被告人の右弁解は到底措信できない。」と主張し、平塚土地の売買契約そのものの成立に疑問を呈している。

② 三月下旬か四月上旬ころ、Aが権利証等を所持し、登記名義はJ10になっている平塚土地について、Aと被告人の間の話の中で、KWハウジングに売却する話が出たこと、右契約は買主をKWハウジングにするものの、最終的な売買代金の負担者は別として、少なくともAに対して直接売買代金を支払うのはKW商事であること(この点については被告人が五一回公判で明確に供述している。)、F17は、八月一九日付検察官調書(<書証番号略>)のなかで、平塚土地につき、F17に対してKWハウジングの名前を買主として使わせてほしい旨の依頼があった旨供述していること、F17証言(五三回公判)によると、四月二日にF17らが平塚土地を見に行っているが、当時売買契約書は作成されておらず、その後、昭和六一年九月一〇日に、Aへの売主とされたJ10がKWハウジングを被告として平塚土地につき、所有権確認及びAからKWハウジングへの所有権移転登記の抹消登記手続訴訟を提起したので(昭和六二年一〇月に訴訟取下げにより終了)、KWハウジングの主張を裏付ける証拠として裁判所に提出するために売買代金を二〇〇〇万円とする昭和六一年四月三日付の売主をA、買主をKWハウジングとする売買契約書(<書証番号略>)を作成したものてあること、被告人は公判廷で、当時平塚土地には、四〇〇〇万円ちょっとの抵当権が付いていて、売買代金は抵当権が付いたままで二〇〇〇万円である旨供述し(四九回公判)、同契約書にも売買代金は二〇〇〇万円とする記載があるが、登記簿謄本(<書証番号略>)によると、平塚土地には昭和六一年四月当時、債権額二五〇〇万円の一番抵当権、極度額二七〇〇万円の二番根抵当権、極度額七〇〇万円の三番根抵当権(以上、いずれも債務者はJ10)が設定されているところ、買主KWハウジングのF17は、これらの残債務の額の調査もしていないし、これらの担保を売主と買主のどちらかが負担するかについてもその証言は動揺していて判然としないこと、その後、KWハウジングから、四月五日か七日に支払われた現金手形の合計一五〇〇万円につき立替金の返済もなされていないこと等の事情が認められる。

他方、F17はKW商事に約一〇年間勤務した後独立してKWハウジングを設立したが、設立時には被告人も出資して取締役となり、以後KW商事とKWハウジングは仕事の上でも緊密なつながりがあったこと、平塚土地が昭和六一年四月四日付で、四月三日の売買原因としてJ10からKWハウジングに所有権移転登記がなされており、しかもその登記費用はKWハウジングが負担したこと、当時AとKWハウジング間で金山町の物件について売買契約が成立したほかに、平塚土地の売買も問題になっていたこと自体は間違いないこと、四月三日に大和銀行浜田山支店のKW商事の口座から一〇〇〇万円が引き出されており、同支店から五〇〇万円が振込人としてKWハウジングの名前で住友銀行築地支店のAの口座に振り込まれているが〔捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>))、F17の八月一九日付検察官調書(<書証番号略>)によると、KWハウジングは大和銀行浜田山支店に口座を開いておらず、同社の経理関係の帳簿にも、同日のAへの五〇〇万円の送金の記載がなく、KW商事の金銭出納帳には四月三日に前記のような記載があるうえ、四月三日にKW商事の同支店の口座から一〇〇〇万円が引き出されて五〇〇万円が振込送金されているので、四月三日に大和銀行浜田山支店のKW商事の口座から引き出された五〇〇万円がKWハウジングの名前でAの前記口座に振込送金されたものと認められること、F17証言によれば、この振込金受取書はKWハウジングにあったものであり、F17がKW商事に行った時に受け取ったというのであるから、KW商事が立替払いしたことを理解させるために被告人がF17に渡したものと思われること、当時、AとKWハウジング間の取引は、金山町の物件と平塚土地の件しかなく、後述(⑤)のとおり、当時売買代金二七〇〇万円の金山町の物件については二六〇〇万円がAに支払われていたので、金額的に見ても、四月三日の五〇〇万円は平塚土地代金の一部がAに支払われたものと考えるのが合理的であること、等が認められる。

これらの点を考え合わせると、KWハウジングが名義上も実質的にも買主となり、ただAに対して直接金銭支払いの責任を負担するのはKW商事であったか、あるいは、KWハウジングは名義上購入したに過ぎないもので、実質的にはKW商事が買主となっていたか、いずれかであることは間違いないものと解するのが相当である。いずれにしても、Aを売主として、KW商事がAに対して金銭の支払義務を負担する平塚土地の売買契約が成立していたこと自体は間違いないものと認められる。

③ 右売買契約は、名義上はKWハウジングが買主となっているものの、被告人からKWハウジングの名前で購入してくれと言われて購入したものである旨、F17は捜査段階で供述していること〔八月一九日付検察官調書(<書証番号略>)〕、また<押収番号略>の約束手形帳控のHA82771には、受取人欄に「(株)KWハウジング 平塚土地建物」、振出日欄に昭和六一年四月一九、二〇日を意味する「61.4.19、20(『19』と『20』が重ね書きされている。)」、備考欄に「4/21 決まり、1500万円」と記載され、これらが消去された痕跡が残っている。また額面は一〇〇〇万円の記載がボールペンでなされ、手形本券の手形番号が切りとって貼り付けられていることが認められる。右手形に前後するHA82770の手形は四月二〇日に振り出され、HA82772の手形は同月二一日に振り出されていることや約束手形帳控の記載から考えて、HA82771の手形は四月一九日か二〇日ころ振り出された(作成された)ものと認めるのが相当である。この約束手形帳控の記載によると売買契約の代金は、四月二一日ころまでは確定しておらず、同日ころ平塚土地の売買価格か残代金が一五〇〇万円に決まったものではないかと考えられる。

このように代金すら明確に決まっていない状態で、これを売買契約と考えられるのか疑問も残らないではない。しかしながら被告人らの意思を合理的に推測するに、被告人らは平塚土地を一旦KWハウジング名義に変更したうえで転売し、その転売利益をAに取得させるあるいは分配するなどの意思でいたものではないかとも考えられる。したがって被告人が平塚土地の売買代金を引当に貸付けもしくは立替えとして手形を貸したというのも、表現はともかくとしてそれなりに合理性が認められる。このように理解して初めて、四月三日に、買主とされているKWハウジングのF17の十分な了解を取ることなく、被告人がAに五〇〇万円を平塚土地代金として振り込んだこと、右五〇〇万円の振込みについての金銭出納帳の記載が、KWハウジングの立替えではなくSOへの立替えとなっていること(実質は平塚土地の売買代金の支払い、あるいは、右代金を引当にした貸付けもしくは立替金の一部であると考えられる。)等を合理的に解することができると考えられる。

したがって、四月五日、Aが平塚土地代金で貸してくれと申し入れたのに対し、買っているから代金として渡したという被告人の公判供述は、代金が明確に定まっていたという供述部分は信用できないが、その余の部分については信用できると思われる。

④ また、被告人はKWハウジングがAから購入した金山町の物件の代金につき、三月二二日にT商から七〇〇〇万円を借りた際、AがT商から借り入れていた一五〇〇万円を、金山町の物件の代金の中間金としてKWハウジングに代わって立替払いしている(その後、これについては、KW商事がKWハウジングから、四月一〇日に一〇〇〇万円、翌一一日に五〇〇万円の返済を受けている。)。したがって、被告人がF17に黙ってAに立替払いすること自体に不自然さはない。

⑤ 次に、金山町の物件と平塚土地のうち、いずれの土地取引に関係するのかという点であるが、早い時点で(三月一八日)契約が成立した金山町の物件の売買代金は二七〇〇万円であるところ、これについては、契約時に一〇〇万円が支払われた後、前記のように、被告人が三月二二日にT商から七〇〇〇万円を借りた際、AがT商から借り入れていた一五〇〇万円につき、金山町の物件の代金の中間金をKWハウジングに代わって立替払いしており(その後、これについては、KW商事がKWハウジングから四月一〇日に一〇〇〇万円、翌一一日に五〇〇万円の返済を受けている。)、その後四月一日にKWハウジングからAに一〇〇〇万円が支払われている(以上合計二六〇〇万円)のであるから、金山町の物件については、四月三日の時点では残代金は一〇〇万円しかない。したがって、四月三日にKW商事が立替払いした五〇〇万円を金山町の物件の売買代金とみることは不合理であるから、平塚土地代金ではないかと思われる。

したがって、遅くとも四月三日までには、売買代金まで決まっていたかどうかは別として、AとKWハウジングあるいはKW商事の間で平塚土地の売買契約自体は成立していたものと認められる。

(2) 四月三日の欄の五〇〇万円の出金の記載との関係

被告人が四月三日に平塚土地代金を立替払いとしており、このことが、金銭出納帳(<押収番号略>)の四月三日の欄には、科目「立替金」、摘要「現金引き出しSO」、支払金額「5、000、000」と記載されている。したがって、金銭出納帳の記載としては、KW商事以外の第三者が支払うべきものをKW商事が立て替えて支払ったという文字通りの立替払いの意味で科目欄に「立替金」と記載し、摘要欄に立替えを受けた会社、個人名を記載した例もあれば(例えば、三月二二日の科目「立替金」、摘要「KWハウジング」、支払金額「15、000、000」、四月二三日の科目「立替金」、摘要「甲4(税金支払分)」、支払金額「600、000」等)、四月三日の右五〇〇万円の件のように土地売買の立替金について科目「立替金」とし、摘要欄には「現金引き出しSO」と支払先が記載されているものもあることに注意が必要である。四月三日の右五〇〇万円の件はF24が(まずF24が記載しているが、摘要欄については、「現金引き出しF14」という趣旨の記載を、その後前記のとおり、F14がSOと分かったということで、甲2が「現金引き出しSO」と書き直した。)。四月七日分のAへ渡したとされる五〇〇万円は甲2が記載しているが、その金員の支払先の記載は被告人の教示によるものと思われる。

また、四月四日には、平塚土地につき、J10からKWハウジングへの所有権移転登記が行われているので〔登記簿謄本(<書証番号略>)〕、その翌日にKW商事に来たAに対して、平塚土地の売買代金が立替払いされたり、売買代金を引当に貸付けがなされたりすること自体にも不自然さはない。

したがって、四月七日欄の科目「立替金」、摘要「現金引き出し(SO)」、支払金額「5、000、000」という記載は、被告人の弁解のように平塚土地代金をKWハウジングに代わってAに立替払いしたのであれば、摘要欄にKWハウジングの名前が出なければおかしいという見方が出てくる余地があるが、KWハウジングがAから購入した平塚土地の代金を四月三日に立替払いした件についても(四月三日に支払われた五〇〇万円が、E1殺害に関係がないことは、証拠上、明らかである。)、金銭出納帳に科目「立替金」、摘要「現金引き出しSO」と記載されているのであるから、四月七日の記載についても、同月三日の記載と同様、被告人の公判供述のようにAとKWハウジング間の土地売買代金の立替払いであると理解しても、不合理性はない。

(3) 五〇〇万円の内訳についてのA供述の虚偽

Aの捜査段階〔八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)、公判(一七回等)供述によると、四月七日に被告人から受け取った五〇〇万円の内訳は、二〇〇万円が三月二二日にAの紹介によりKW商事がT商から七〇〇〇万円借りた際のAに対する紹介料であり、残りの三〇〇万円が四月五日にE1に貸した三〇〇万円について被告人から返済を受けたものである、という。

一方被告人は、公判(七〇回)において、T商からの紹介料については三月二二日に一三〇万円を支払ったというところ、金銭出納帳(<押収番号略>)の同日の欄には、GE商事に対する紹介料として、一四〇万円と一三〇万円が支払われた旨の記載があるが、GE商事に対して一四〇万円の紹介料のみが支払われたことは、J5の一〇月八日付検察官調書(<書証番号略>)によって明らかである。T商からの七〇〇〇万円の借入れの件でもう一か所の紹介料の支払先となればA以外にないから、Aに一三〇万円の紹介料が支払われたものと認められる(金銭出納帳に、GE商事に対する紹介料として、一四〇万円のほかに一三〇万円支払われたように記載されているのは、支払先についての誤記ということになる。)。

次に、三〇〇万円であるが、A証言は、四月五日にまずE1方へ行き、三〇〇万円を貸し付けた後、KW商事に寄ってその代払いした三〇〇万円を被告人からもらおうとしたが、当時KW商事にはそれに見合う金員がおいてなかった、E1からは同日金利として六〇万円の小切手を受け取ったが、それはその日にKW商事に寄った際に被告人に渡した、同日E1から受け取ったWT石材振出の額面一〇〇〇万円の手形も一旦は被告人に渡したが、被告人から任せるとして返された、という。

しかし、捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)によれば、四月五日に前記四〇〇万円が西武信用金庫東久留米支店のKW商事の口座から引き出されたのは、午前一一時五二分であり、AらがKW商事に寄ったという時間にはすでにKW商事に右四〇〇万円を含む約五七五万円が保管してあったことが認められるので、四月五日にKW商事に三〇〇万円はなかったというA証言は客観的事実と矛盾しているので虚偽である。このように、A証言が四月七日に三〇〇万円を受け取ることになった経緯として説明する四月五日の件が虚偽であるうえ、四月七日に受け取った五〇〇万円の内訳としての二〇〇万円の説明が虚偽であるから、残りの三〇〇万円についての供述も虚偽であると言わざるを得ない。

したがって、Aが、四月七日に被告人から受け取ったとして説明する五〇〇万円の内訳についての捜査段階及び公判供述は、虚偽である。

(4) まとめ

Aに渡された現金五〇〇万円のうち四〇〇万円が四月五日にKW商事の西武信用金庫東久留米支店の当座預金口座から引き出されており、それがAに渡されたことは間違いない。更に、KW商事の金銭出納帳には、Aに対する右四〇〇万円を含む五〇〇万円の出金が四月七日の欄に記載されているが、それを分析した結果は以上のとおりであり、金銭出納帳の理解としても、四月五日にAに現金五〇〇万円が渡されたのではないかという見方も成り立ちうると思われる。

6  押収されているメモ(<押収番号略>)の検討

(一) メモの記載内容

被告人が昭和六一年に数回にわたって作成し、Aに渡した手形や金銭の明細を同人に説明、あるいは確認させるために渡したメモがAの妻から任意提出されている。右メモのうち<押収番号略>には金銭についての記載が認められるが、その記載はいずれも四月七日に五〇〇万円を渡した記載になっていることが認められる。

(1) メモの正確性について、弁護人の主張の検討

右メモの記載内容のうち、現金が渡されたり、振り込まれたりした日、手形が振り出された日、支払期日、額面等被告人が被告人側の事情として記載した部分について、金銭出納帳(<押収番号略>)、押収されているKW商事の約束手形帳控の記載、青梅信用金庫東久留米支店の当座預金口座の記録等と比較対照しながら正確性を検討する。

弁護人は右メモの記載には、実際の金銭の動きと数多くのくい違いがあると主張するので、弁護人が指摘する点からみていく。

① 三月二二日の欄には、同日E1に貸し付けた一〇〇〇万円の分しか記載されておらず、被告人がT商に支払った一五〇〇万円がもれているという点

右一五〇〇万円は、金銭出納帳の記載を見て、また実態もAに対する貸付等の金銭の支払いではなく、金山町の物件をAがKWハウジングに売った際に、被告人がその売買代金を引当にKWハウジングのために立て替えて支払ったものである。確かに、同様の性質の金員については、四月三日の五〇〇万円(前述した平塚土地代金の立替払い)が記載されているので、三月二二日の一五〇〇万円も右メモに記載されるべき性質のもののようにも思われるが、この一五〇〇万円については、これらのメモが作成された時期(六月から八月)以前の、四月一〇日に一〇〇〇万円、同月一一日に五〇〇万円をKWハウジングから返済を受けており、記載する必要性が乏しいので、必ずしも記載もれとまでは言いがたい。

② 四月三日の五〇〇万円は、KWハウジングの名義の「振込」が正しいのに、「現金」と記載されているという点

右記載は、「振込」が正しいので、メモは明らかに誤りである。

③ 「4月7日、500万、現金」は、「4月5日、500万、現金」の誤記であるという点及び「4月11日、300万、振込」は、正しくはDに対する資金であり、本来、記載されるべきものではないという点

本件の共謀の成否に深く関係するが、いずれも弁護人の主張であり、後にそれらの争点のところで検討する。

④ 六月四日にA1名義で六〇〇万円の振込送金をしているが、その記載がもれているという点及び「6月6日、1000万、当座」と記載されているが、実際には同日付で四〇〇万円の手形一通が決済されているだけであるという点

六月四日にA1名義でなされた六〇〇万円の振込送金は、後に検討するように、本件で問題になっている四月五日もしくは七日に振り出された手形三通(額面合計一〇〇〇万円。支払期日はいずれも六月六日。)のうち三〇〇万円の手形二通を回収するためにAに振り込まれたものと認めるのが相当である(このうち三〇〇万円が三〇〇万円の手形一通の回収に使われ、残りの三〇〇万円は六月五日にAから青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に振込送金されて戻された。)。この三通の手形の決済状況であるが、最終的には、三〇〇万円一通が被告人の負担でAによりGE商事のJ5社長から回収され、残りの手形二通(額面合計七〇〇万円)が青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座から決済されている。したがって、最終的に、被告人とAのどちらの負担で決済することになっていたのかは別として、六月六日の時点においては、手形三通(額面合計一〇〇〇万円)は、いずれも被告人の負担で決済又は回収したことになる。メモの記載は、六月四日の送金と同月六日の決済をまとめて一つに記載したものと思われ、一〇〇〇万円全部を被告人が決済した趣旨で記載されていることは正しいが、そのうち当座預金口座から決済されたのは手形二通(額面合計七〇〇万円)のみであるから、手形三通(額面合計一〇〇〇万円)全部が当座預金口座から決済されたように記載されている点において、正確ではない。

⑤ 六月一六日の三五〇万円につき、「J3に振込」は、事実に基づかない記載であるという点

被告人がAに貸したJ3設計事務所振出の額面三五〇万円の手形二通のうち一通が、J2から取立てに回されたため、それを被告人がJ3設計事務所の口座に振り込んで決済したことは証拠上明らかであり〔当座勘定計算書(<書証番号略>)〕、また銀行勘定帳(<押収番号略>)の六月一六日欄には「J3設計振込(SO)の記載が認められ、メモの右振込みがその振込みを表すことは明らかでありメモの記載が誤っているとは認められない。

⑥ 六月一七日の五八〇万円は、A1名義の同日付九三〇万円の振込みの誤りであるという点及び同日の三五〇万円の振込みは、架空の記載であるという点

六月一七日にA1名義で住友銀行築地支店のAの口座に九三〇万円の振込みがなされていることは、証拠上明らかである〔捜査関係事項照会回答書<書証番号略>〕。これは、メモに記載されている六月一七日の五八〇万円及び同日の三五〇万円の合計額と認められるので、誤りとは認められない。

⑦ 六月一九日の一五〇万円当座が二口連記されているが、被告人が決済したのは一通のみであるから、一通分は余分な記載であるという点

捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)、捜査報告書(<書証番号略)>及び約束手形帳控(<押収番号略>)によれば、被告人がAに振り出したと思われる六月一九日満期の額面一五〇万円の手形二通(手形番号HA82785、同82786)が被告人の青梅信用金庫東久留米支店の当座預金口座から同日決済されていることが認められ、メモの記載が誤っているとは認められない。

⑧ 右各メモ以外の被告人からAに渡されていたメモについての誤記

<押収番号略>及び被告人作成のメモに基づいて作成された<押収番号略>の各メモには、支払期日八月一三日の額面二四〇〇万円の手形の手形番号がHA86572、支払期日同日の額面四〇〇万円の手形の手形番号がHA86571と記載されているが、<押収番号略>の約束手形帳控をみてみると、支払期日八月一三日の額面二四〇〇万円の手形の手形番号がHA86571、支払期日同日の額面四〇〇万円の手形の手形番号がHA86572であることが分かる(各約束手形帳控には、手形本体の手形番号が切りとられて貼りつけてあるが、裏から透かしてみると、約束手形帳控に記載された手形の額面及び支払期日が読める。)。したがって、<押収番号略>(二枚目)の各メモには、右二通の手形の手形番号が誤記されている(以下、支払期日八月一三日の額面二四〇〇万円の手形の手形番号をHA86571、支払期日同日の額面四〇〇万円の手形の手形番号をHA86572として扱う。)。

また、<押収番号略>のメモには、支払期日が一〇月三〇日である額面二〇〇〇万円の手形(手形番号86997)について「依頼返却」と記載されているが、この手形は、同月三一日に青梅信用金庫東久留米支店の当座預金口座から決済されている〔捜査報告書(<書証番号略>)〕。したがって、この記載も誤りと思われる。

⑨ メモに記載する基準

右<押収番号略>のメモは、例えば、三月一〇日や二〇日の南千住の物件をめぐる裁判取下げの経費や、四月三日の五〇〇万円(平塚土地代金の支払い)のように、Aからの返済が問題となる可能性が少ないか、あるいは問題とならないものや、三月二二日の一〇〇〇万円(E1への偽装貸付けの分)のように、格別Aと被告人の間の実質的な取引がないものまで記載されている。記載の基準は明らかではないが、金員や手形の趣旨を問題にせず、被告人からAに渡った金員と手形を記載しているようにも思われる。

前述のとおり、右メモの記載のなかには、正確ではないものが含まれていることは間違いない。

(2) メモと金銭出納帳等との関係

<押収番号略>のメモの記載を見るに、左側の欄には、三月一〇日の二五〇〇万円の記載など金銭出納帳にも記載があるものも認められるが、四月二二日の二〇〇万円、五月三〇日の五五〇万円、六月一七日の五八〇万円、同日の三五〇万円など、金銭出納帳に記載がなく、金銭出納帳を参照するのみでは判明しない出金も記載されている。また<押収番号略>のメモの七月八日の七〇〇万円の記載は、七月八日支払期日の手形三通(額面合計七〇〇万円)をAに渡している趣旨記載であると認められ、これに対応する約束手形帳控は<押収番号略>のHA82788ないしHA82790と認められるが、この約束手形帳控の受取人欄は白地になっており、約束手形帳控の記載だけからではAに振り出されたことが分からない内容になっている。同様に七月一八日の三五〇万円の約束手形帳控は<押収番号略>のHA86082、八月五日の一〇〇〇万円の約束手形帳控は<押収番号略>のHA82796ないしHA82798の、八月三〇日の五〇〇万円の約束手形帳控は<押収番号略>のHA86079ないしHA86081であると、それぞれ認められるが、いずれも受取人欄は白地で、約束手形帳控の記載だけからではAに振り出されたことが分からない内容となっている。更に右側の欄の記載も、六行目のAD01452、八行目のHA86551から一九行目のHA86560まで及び二五行目のHA86561(但し、HA86561の受取人欄には「山本」が二本の線で消されて、「F2」と記載されている。)の手形については、約束手形帳控(<押収番号略>)には受取人欄に「山本」と記載され、当時山本をAの偽名として手形を振り出していたことも認められるので、これらの手形については約束手形帳控のみでAに振り出されたことも確認できる。しかしそ余の手形については、約束手形帳控(<押収番号略>)は、いずれも受取人欄は白地で、約束手形帳控の記載だけからではAに振り出されたことが分からない内容となっている。また右側のKW借入欄の六月二四日に現金一〇〇万円を借入れした旨も金銭出納帳には記載がなく、金銭出納帳や銀行勘定帳を参照するのみでは判明しない出金である。<押収番号略>の八枚目のHA88652等の約束手形帳控(<押収番号略>)の受取人欄も白地である。

これらの記載内容を見ると、右メモの記載は、金銭出納帳等を見て転記したにすぎないとは認めがたい内容になっている。

(3) メモの作成経過

被告人は公判(六九回)において、メモの作成経過について、「Aに金銭や手形を渡した際に控えとしてメモのようなものを作成しており、それを元に清書してメモの原本を作成して、そのコピーをAに渡した。その後更に手形等が渡されているので、その清書したメモの原本にメモ書きし、しばらくして更にそれを清書してメモの原本を作成し、そのコピーをAに渡す、という経過をたどって、押収されているメモを作成し、Aに渡した。」という趣旨の供述をしている。また、G弁護士(二五回公判供述)など被告人の性格をよく知る関係者の供述や押収されている手形や小切手帳控の記載等を総合すると、被告人は几帳面にメモを取る性格であったと認められる。

したがって、右メモの各記載は、金銭出納帳等を参照するほかに、手形や金銭が渡された後、以前に清書して作成されたメモに書き留められた記載を清書するために転記して記載する等の方法によって作成されたものと解するのが相当である。前記の四月七日に現金五〇〇万円を渡した旨の記載も、金銭出納帳を見る以外に、右のような書き留めたメモのようなものから転記された可能性もある。但し、前述のような誤りもあることから、手形や金銭を渡した後どれくらいの後に記載されたかは判然としない。したがって、右押収された各メモの記載内容は、Aが割り引いた先やAの使用目的等、もっぱらA側の事情を記載した部分を除いては、一応の正確性を担保しているものと認められるにすぎない。

(二) 評価

右メモのうち<押収番号略>には金銭についての記載が認められるが、その記載はいずれも四月七日に五〇〇万円を渡した記載になっており、四月五日に渡した記載になっていない。被告人が、右メモを作成した際やその後の経過の中で、本件公判で供述するまで、五〇〇万円をAに渡した日が四月五日ではなく七日になっていることについて、これが間違ったものであると考えた形跡も窺えない。また<押収番号略>のように、<押収番号略>のメモを受け取ったAが、被告人の記載した分について、その内容が異なるとして訂正や加筆したように思われる内容のメモも見受けられる。ところが、右<押収番号略>の各メモを渡された当時Aが、五〇〇万円の現金を受け取った日が四月七日ではなく五日であるとして訂正を加えた形跡はない。

しかし、被告人とA間において、金銭や手形の授受についての多少の日にちのずれは、重要なものではなかったと思われるので、被告人自身関心もないだろうし、Aも同様であったものと思われる。したがって、メモの記載自体は、やはり、一応の正確性を担保しているにすぎず、前述した四月五日の預金引出状況、メモの記載の誤り等から考えると、五〇〇万円が四月七日に渡されたという趣旨に理解できる部分のメモの記載の正確性については、問題が残ると言わざるを得ない。

本件の捜査は、押収されている証拠物の原本を精査、分析していない点に問題があるが、このメモについても、その正確性を担保するために、メモに記載されている事柄を証拠物の原本にあたってチェックし、被告人にもその作成状況について説明を求める等の捜査はほとんどなされていないものである。

7  約束手形帳控の検討

(一) 問題の所在

被告人が、四月五日か七日にAに渡したとされる手形三通には、その控(約束手形帳控)があり、それが操作段階でKW商事から押収されている。この約束手形帳控には、被告人が記載したと思われる鉛筆書きの消去痕があるところ、これを判読すると、受取人欄には、この手形を平塚土地のからみで振り出したという被告人の公判供述を裏付ける意味に理解できる「平塚土地」などと読める記載の消去痕がある。他方、振り出日欄には、この手形が四月七日に振り出されたという検察官の主張を裏付けるようにも受け取れる四月七日の記載の消去痕がある。これらの消去痕の存在自体は肉眼でも容易に分かるし、記載内容についても一部は肉眼による判読が可能である。しかるに、捜査段階では、約束手形帳控の原本に基づいた捜査がなされていない。起訴後に検察官が鑑定を依頼してその結果が証拠として提出され〔検査回答書(<書証番号略>)〕、消去痕の内容が判明したという経過である。

消去痕の内容の一部ずつが、検察官と弁護人の主張にそれぞれ副う内容になっており、その解釈いかんが本件犯罪の成否に大きな影響を及ぼしかねないので、以下これを検討していく。

(二) 約束手形帳控の記載内容

Aが四月七日に被告人から受け取ったと供述している約束手形はHA82773ないしHA82775の三通であるが、その約束手形帳控は<押収番号略>の中に認められる。その該当部分には、支払期日欄にそれぞれ昭和六一年六月六日を示す「61.6.6」、金額欄にHA82773には「4、000、000」、HA82774とHA82775には「3、000、000」と、それぞれボールペンで記載されている(HA82774には、手形本券が回収された後に手形番号の部分が切りとられて貼り付けられているため金額欄が読めないが、金額欄を裏から透かしてみると、「3、000、000」の記載が読み取れる。)。また各約束手形帳控には鉛筆で記載し、それを消した痕跡が認められるが、検査回答書(<書証番号略>)によれば、その記載内容は、HA82773は、受取人欄に「平塚土地 F10工業 1000万円(株)KWハウジング 1000万円①」、振出日欄に昭和六一年四月七日を示す「4/7」の記載が、HA82774は、受取人欄に「平塚土地 建物AE (株)KWハウジング ②」、振出日欄に昭和六一年四月七日を示す「4.7」及び「4/7」と、HA82775は、受取人欄に「平塚土地 立替金(株)KWハウジング ③」、振出日欄に昭和六一年四月七日を示す「4.7」と「4/7」と、それぞれ記載していたと認められる(HA82775の「立替金」の記載は明確ではないが、関係証拠を総合すると、「立替金」と記載されていたと認められる。)。なお、検査回答書(<書証番号略>)にはHA82773の約束手形帳控の受取人欄の消去痕のうち、「平塚土地」の右隣の消去痕を「10000万円」と判読した旨の記載があるが、右消去痕自体や同検査回答書の添付写真(8、9)、約束手形帳控の前頁(HA82772)を記載する際の筆圧の影響等を検討すれば、右消去痕は「1000万円」と判読できるので、「1000万円」と理解して検討を進める。

右約束手形帳控の鉛筆書き部分の消去痕につき、記載と消去の時期、目的については、採用されて取調べ済みの関係証拠を見る限り、捜査段階において捜査官がこれに着目して捜査をしたり、被告人に質問した形跡が見受けられず、またこれについて最も熟知しているはずの被告人自身が公判でこれについての質問を受けながら、「覚えていない、分らない。」と供述するにとどまり十分な供述をしていないので、現時点でこれを検討しても明確には解明できないと言わざるを得ない。また右約束手形帳控以外にも約束手形帳控が多数押収されており、それらにも鉛筆書きの消去痕があるが、被告人がいかなる場合に鉛筆で記載し、それを消去しているかについても、同様に現時点でこれを検討しても、明確には解明できないと言わざるを得ない。

したがって、右約束手形帳控の消去痕は、関係証拠とも照らし合わせながら常識的に考えていかざるを得ない。

(三) 消去痕の検討

約束手形帳控の消去痕の内容からいかなる事実が推認できるかを検討する。

(1) まずHA82773の受取人欄の「F10工業」、HA82774の受取人欄の「AE」及びHA82775の受取人欄の「立替金」の各記載と、各受取人欄の「平塚土地」の記載は重ねて記載されていることが認められ、両記載は、一旦「K10工業」、「AE」、「立替金」の記載か「平塚土地」等の記載かのいずれかの記載がなされ、その後その記載が消去された後に、更にその上にもう一方の記載がなされたものと認めるのが相当である(なお、手形の流通先として、F10工業、AEが記載されているのに、HA82774の割引先であるGE商事の記載がなく、「立替金」と記載されている。これは、GE商事で割り引かれた手形のみが支払期日前に回収されたため、流通先を記載せずに「立替金」と記載したものと思われる。)。また約束手形帳控の各手形の受取人欄の「(株)KWハウジング」の記載は、それぞれ右上になされているので、それが記載された際には「平塚土地」等と記載されている中央部に何らかの記載がされていたことを推認させるが、当時記載されていた文言としては「F10工業」等の流通先の記載か「平塚土地」の記載しかない。そして「F10工業」等の記載が手形の流通先の記載と理解できるのに対し、「(株)KWハウジング」及び「平塚土地」等の記載が振出原因に関する記載であることを考えると、「(株)KWハウジング」等と「平塚土地」等が同時に記載されたものと認めるのが相当である。

なお、HA82773は、TO商事(代表取締役はF10)で裏書されているのに約束手形帳控(<押収番号略>)には「F10工業」(「F11興業」の誤記である。)と記載された消去痕があるが、F11興業は芝本の弟であるF11が社長で、F10も役員をしており、F11興業とTO商事は同じ事務所に入っているのであるから、両社が一体的な関係にあると思われる。したがって、HA82773の手形の裏書人であるTO商事と約束手形帳控の「F11工業」の消去痕は、同じ裏書人を意味しているものと理解される。

(2) ところでHA82773の受取人欄の「F10工業」及びHA82774の受取人欄の「AE」の記載は、手形の流通先の記載であるから、手形がAに振出された後、支払期日である六月六日より前かそのころに記載され、その後に消去されたものであろうと推測できる(実際にAEに割引に回った手形はHA82775の手形であるのにHA82774の約束手形帳控に「AE」と記載されているが、右記載の誤りは被告人が手形の流通先を知った際にHA82774と同82775を互いにとり違えて誤記したものと容易に認められるから、記載の検討の結論には影響を与えない。)。受取人欄の「平塚土地」あるいは「平塚土地 建物」の記載と「(株)KWハウジング」等の記載が、右のとおり手形の振出原因に関する記載と考えられることに鑑みると、これらの記載は、振り出したころに記載されたものと認めるのが相当である(なお振出日欄の「4.7」及び「4/7」の記載については、後に改めて検討する。)。

したがって、まず各手形を振り出したころに、「平塚土地」等と「(株)KWハウジング」、「①」、「②」、「③」が同時に鉛筆で記載され、その後これらの記載を消去した後、「F10工業」等が記載されたものと推認することができる。

(3) さらに右の約束手形帳控を見ると、一綴りの最終部分に本件三通の手形が振り出された以外は、第一枚目から振出日が日付順に並んでいることが認められる。これによると、被告人は、まず昭和六〇年一二月二四日から昭和六一年三月三一日までの間にHA82751からHA82768までの手形を振り出し、途中を飛ばして四月五日か七日に最後の三枚の手形用紙を用いてHA82773からHA82775の本件各手形を作成し、その後四月一四日から同月二一日までの間に右HA82769ないしHA82772の手形を振り出したことも認められる。

(4) 被告人の弁解が、右約束手形帳控の消去痕から推測できる事実と矛盾しないかについて検討する。

四月五日にAから手形を振り出してくれと依頼されたため、その日に手形を渡したという被告人の公判供述が信用できるとすると、消去された振出日の記載は昭和六一年四月五日を意味する「4.5」及び「4/5」になっていなければならないはずである。ところが消去された振出日の記載はいずれも四月七日を意味する「4.7」及び「4/7」になっており、被告人の供述と矛盾する記載になっている。

弁護人は、右記載は、被告人が後日、右手形の受取人であるAから右手形の割引先(F11興業、AE、GE商事)と割引日を電話などで連絡を受け、その旨記載したことを示していると主張する。

しかしながら、AEとGE商事で手形が実際に割り引かれた日は四月八日であるから、連絡を受けた割引日を記載したという主張は前提を欠くと言わざるを得ない。また弁護人は、AがJ5に手形を渡した日は四月五日であると主張するのであるから、この点でも連絡を受けた割引日を記載したという主張は前提を欠くと言わざるを得ない。

のみならず前記のとおり、HA82774及びHA82775の各手形の約束手形帳控の振出日欄には、「4/7」の記載の消去痕のみならず、「4.7」の記載の消去痕も見受けられ、その他振出原因と見受けられる記載等の痕跡も認められることを考え合わせると、「4.7」か「4/7」のいずれか一方の記載は、振出日ころに記載され〔但し、「4.7」の消去痕については、振出日ころに一旦記載されたと考えられるにしても、三通の手形のうち、一番上に綴られているHA82773には記載された痕跡がなく、その次に順に綴られているHA82774及びHA82775にのみ「4.7」が記載された痕跡があることから、振出日より後の四月七日にGE商事のJ5あるいはAE八重洲支店の係員から手形振出を確認する電話がかかってきたことによって、A以外の第三者に手形が割引に出されることが確実になった日を意味する可能性があることは、後述(9の(四)の(2))のとおりである。〕、他方の記載は、最初の記載が一旦消去された後、「F10工業」等の流通先の記載と同時期に記載されたように思われる(後述のように、「4.7」の方が先に記載された可能性が高いように思われる。)。

しかし、現金五〇〇万円については、四月五日に引き出されて、それが同日Aに渡されたようにも解釈できることは前述したとおりである。そして、現金と右手形三通が同時にAに渡されたという点では、被告人、A、Dの供述が一致している。手形の右四月七日を意味する振出日が記載された状況については全く捜査されていないので約束手形帳控の痕跡や関係証拠から推測するしかないが、手形を振り出した後に、前述のメモや金銭出納帳を根拠に記載したものとも考えられないではない。そうであれば、金銭出納帳やメモが四月五日の出金を七日と誤記している可能性が否定できず、約束手形帳控にも誤記された可能性が出てこよう。

約束手形帳控に鉛筆書きがなされていること自体、正確性が必ずしも十分ではないことを示唆しているようにも思われる。

更に、HA82774の手形は四月八日GE商事で、HA82775の手形は同日AE八重洲支店で割り引かれている。HA82775の手形については、後述のとおり、四月七日の昼ころまでにJ5あるいはAを通じてAE八重洲支店に予め割引の申込みがなされ、直ちに同支店から本店の稟議に付され、同日午後本店の決裁が下りている。したがって、予め、J5あるいは同支店の係員から手形振出を確認するための電話連絡がKW商事になされたことも十分考えられ、その日(四月七日)を約束手形帳控に記載した可能性等も出てこよう。このことは、約束手形帳控に振出日の記載のないものも多く、HA82773からHA82775までの三通の約束手形帳控のうち、一番上にあるHA82773の振出日欄にのみ「4.7」の消去痕がなく(HA82773の手形がF10に回ったのは四月七日よりも後である。)、HA82774及びHA82775にのみ振出日欄に「4.7」が一旦記載された消去痕があることや、J5自身が検察官に対して、「F14が持ってきた手形を見て」と言いながらも、「KW商事に電話をかけて甲に割り引いてよいかどうか確認をとっています。私の電話での質問に対して、甲は『心配ありません。御迷惑をかけませんから。』と言っていました。」と供述しており〔J5の一〇月八日付検察官調書(<書証番号略>)〕、割引を依頼されて予め振出人に振出の有無を確認することに格別の不自然さはないことからも、窺われる。そうであれば、右「4.7」は、Aに手形を渡した日としてではなく、振出の有無を確認する電話がかかってきた日、即ち、振出を確認する電話がかかってきたことにより、被告人自身も手形が確定的に割引に出されることを認識するであろうから、割引に出されることを被告人が確定的に認識した日を意味するもの等として記載されたものと理解でき、その鉛筆書きが一旦消去された後、同様のことを意味するものとしてあるいは、被告人自身が右記載をAに手形を渡した日であると誤解して、HA82773ないしHA82775の約束手形帳控の振出日欄に「4/7」を記載したのではないかと思われる。したがって、約束手形帳控の右「4.7」及び「4/7」がAに手形を渡した日を意味するものとして理解することには疑問が残る。

(四) 手形番号HA82771の約束手形帳控の消去痕との関係

(1) KW商事から押収されている約束手形帳控には、HA82773からHA82775までの三通に平塚土地に関して振り出されたように読める消去痕があるほかに、HA82771にも似たような消去痕があるので、被告人の弁解(公判供述)を検討するうえではこれらを総合した分析と評価が必要である。

なお、被告人は公判において、Aが、四月五日に平塚土地の代金として現金五〇〇万円を受け取りに来て、その際に急に平塚土地等の代金で手形を一〇〇〇万円ほど貸してくれと言われ、代金を立替払いするつもりでいたら、F10の供託金の話が出てきたので貸付けという形になったと供述するのであるが、その意味するところは、平塚土地の売買代金を引当にAに対し手形貸しをしたと言っているものと理解できる。すなわち被告人は、右手形のうち、四〇〇万円の手形については、南千住の物件の仮処分の供託金として、F10に返還されるべきものの代わりにF10に渡されるべきものと理解し、そうなれば、供託金はいずれ被告人に返還されることになるから、右四〇〇万円の手形については、被告人が決済すべきものと言うが、供託金の四〇〇万円も、最終的にはAが責任をもって被告人に返還することを意味するものと思われる。そうであれば、この四〇〇万円もAが返済することになり、やはり一〇〇〇万円全部につきAが責任をもつことを意味すると思われる。したがって、Aが、平塚土地の売買代金を引当に貸してほしいと申し入れてきたのに対し、一旦これを容認した後、たとえF10の供託金の話が出てきたにしても、被告人がAの平塚土地の売買代金を引当に貸してほしいという申入れを無視して、何らの理由もなく無担保で一〇〇〇万円もの手形を貸すとは考え難く、結局は平塚土地の売買代金を引当にAに対し手形貸しをしたと供述しているものと理解できる。この点についての被告人の供述は必ずしも明確ではないが、供述の趣旨を総合して考慮すると、右の趣旨に解される。

(2) HA82771の約束手形帳控によると、金額欄及び支払期日欄の上に、約束手形本体の手形番号の部分が切り取られて貼り付けられており、これを裏から透かしてみると、ボールペンのようなもので、金額欄に「10、000、000」、支払期日欄に昭和六一年六月一九日を意味する「61.6.19」と記載されていることが分かる。更に、この約束手形帳控には、受取人欄に「平塚土地建物 (株)KWハウジング」、振出日欄に「昭和61年4月19日(昭和、月、日は印刷されており、『19』の上か下に、更に『20』)」、と読める鉛筆書きがなされたうえ消された跡がある〔検査回答書(<書証番号略>)〕。したがって、四月一九日か二〇日に被告人が平塚土地に関するものとして額面一〇〇〇万円のHA82771の手形を振り出し、支払期日前に回収したことが認められ(被告人は、手形本体の手形番号を切り取って約束手形帳控に貼り付けるのは、支払期日前に手形を回収した場合と手形を振り出す際に手形の作成自体に失敗した場合との両方があるという。HA82771の約束手形帳控の記載内容及びその前後付近の手形番号の約束手形帳控に同内容の記載がないことからみて、HA82771の手形の約束手形帳控に手形本券の手形番号の部分が切り取られて貼り付けられていることが、手形を振り出す際に、手形自体の作成に失敗したためでないことは明らかである。)、昭和六一年四月に平塚土地に関して被告人が手形を振り出すとなれば、受取人はA以外に考えがたい。

(3) しかしながら、HA82771の手形の約束手形帳控によると、備考欄に「4/21 決まり、1500万円」という鉛筆書きがなされてそれが消された跡がある。約束手形帳控の備考欄に、明らかに手形振出日ころあるいはそれより後に書かれたものと理解できる記載は、前記HA82773ないし82775を始めとしてKW商事から押収されている約束手形帳控の多数の箇所に存在する。備考欄に「4/21 決まり、1500万円」という鉛筆書きがなされてそれが消去された跡は、その記載の日付や内容、記載の場所からみても、明らかに、被告人が、手形を振り出した四月一九日か二〇日ではなく、振出日より後の四月二一日に決まった内容を同日あるいはそれ以降に鉛筆書きで記載し、その後、時期と理由は不明であるが消したものと認められる。前述(5の(六)の(1))のとおり、右「4/21 決まり、1500万円」は、その記載内容並びに昭和六一年四月上旬の平塚土地の売買契約締結時に売買代金が決まっていたというF17証言が売買代金が決まっていたかどうかの点ではかなり不自然であって、信用しがたいことをも考え合わせると、四月二一日に平塚土地の売買代金が決まり、その代金全額か、その時点における未払いの残代金を意味するものとして一五〇〇万円を理解すべきもののように思われる。したがって、四月一九日か二〇日に、平塚土地の売買代金が未定のうちにHA82771の手形が振り出されたことになる。

このように、平塚土地の売買代金が未定のうちに、売買代金として被告人からAに対して四月五日か七日に現金と手形の合計一五〇〇万円が、更に、同月一九日か二〇日に一〇〇〇万円の手形が振り出されること自体は、平塚土地(約一一五坪)の価値が坪五〇万円ないし六〇万円はするというF17証言から考えると、当時の平塚土地に設定された担保関係の残債務が必ずしも明確ではないことを考慮しても、不自然さはないと思われる。

(4) 四月三日に被告人からAに振込送金された五〇〇万円が平塚土地代金の一部と認められることは前述のとおりであるが、四月二一日に決まったと思われる一五〇〇万円が売買代金であれば、同月三日の五〇〇万円に五日か七日の一五〇〇万円を合計すると公判で被告人が売買価格という二〇〇〇万円になる。不動産に詳しい者同士の売買で価格の見通しが大きく狂うとも考えにくいようにも思われ、なぜ一〇〇〇万円の手形を代金決定のわずか一、二日前の四月一九日か二〇日ころ振り出したのか問題になろう。しかし、それまでの南千住の物件をめぐる被告人とAの関係やもともと平塚土地は問題を抱えた物件であったこと(その後、実際にJ10とKWハウジング間で民事訴訟になっている。)を考えると、四月一九日か二〇日ころ一〇〇〇万円の手形を振り出す際に、支払額が売買価格を超過することになれば、右手形を回収するという含みをもたせて手形が振り出され、売買代金が一五〇〇万円に決まったのち、とりあえずHA82771の手形が回収された、という見方も出てこよう(但し、それでも五〇〇万円の超過分の回収の問題は残るが、それも、その後の被告人とAで生じた多数の手形関係等からみて、この五〇〇万円の貸付金の回収の問題が解決されていないことは、それほど不自然ではないと思われる。)。

「4/21 決まり、1500万円」を、四月三日に支払った平塚土地代金の内金五〇〇万円を除いた残代金が四月二一日に一五〇〇万円に決まり、四月五日か七日の現金手形の合計一五〇〇万円がそれに見合うから一〇〇〇万円の手形が回収されたという見方も出てこよう。

また、「4/21 決まり、1500万円」を、HA82771の手形を振り出す時点、あるいは四月二一日の時点における未払いの残代金であるとすれば、その後に残代金が支払われた形跡はないが、支払期日(六月一九日)前である五月下旬か六月上旬に被告人、A、F17らが東名飯店に集まったのは平塚土地を更地にする問題等が解決されていなかったためと認められるから、その問題が解消されず、売買の目的が達成できないため、とりあえずHA82771が回収されたように思われる。

以上のように、「4/21、決まり、1500万円」については、多様な解釈を残すと言わざるを得ず、四月五日か七日に被告人からAに渡された現金と手形合計一五〇〇万円を平塚土地代金とみることに、不合理性を強めるものではない。

(5) 更に、HA82773の約束手形帳控の受取人欄には手形の流通先を意味する「F11工業」、HA82774のそれには「AE」と、HA82775のそれには、単に「立替金」と鉛筆書きされたうえ消された跡があるところ、この三通の手形の約束手形帳控の受取人欄の前記鉛筆書部分「平塚土地(株)KWハウジング」及び「①」、「②」、「③」は、右「F11工業」、「AE」、「立替金」が記載された際に消されたものと思われる。

更に、HA82775の「立替金」の記載であるが、被告人は、立替金と貸付金を必ずしも厳密に区別して使い分けていなかったものと認められるので、Aに対する貸付けであるという被告人の公判供述とも矛盾しない。

(6) もとより、HA82771の手形に関しては、振出日と思われる四月一九日か二〇日と前記「1500万円」の決定がなされたと思われる四月二一日とが接近していること並びに約束手形帳控の記載内容から考えて、次のような見方も出てこよう。即ち、まず、HA82771の約束手形帳控の記載内容(「4/21 決まり、1500万円」)から考えて、この手形が平塚土地代金の一部として振り出されたものであることは動かしがたいことであるとしたうえで、この手形の振出の時点(四月一九日か二〇日)で売買代金か残代金が一五〇〇万円に一応決まっていて四月二一日にはそれがそのまま確定されたものであるにすぎず、それが売買代金であれば、四月三日に平塚土地代金の一部として五〇〇万円が支払われており、残りの一〇〇〇万円がHA82771の手形によって二重払いされるはずはないので、金額からみても、四月七日に被告人がAに渡した現金五〇〇万円と三通の手形は平塚土地に関するものではなくなる、したがって四月七日に被告人がAに渡した三通の手形の約束手形帳控の「平塚土地」等の記載はその文字の本来の意味を有するものではない、右「1500万円」の記載が残代金であるとすれば、HA82771の手形が振り出された後に残った五〇〇万円が支払われた形跡がないのは、前記のように更地にする問題が解消されなかったためであり、だからこそ右手形も支払期日前に回収された、したがって、被告人の公判供述は、四月五日には売買代金が決まっていたという点でも信用しがたいし、右「4/21 決まり、1500万円」を平塚土地の売買代金とみても残代金とみても同月五日にしろ七日にしろ、平塚土地代金を引当として現金五〇〇万円と手形三通(額面合計一〇〇〇万円)をAに渡したということが信用できない、という見方である(この考え方は、被告人もAもF17も不動産の取引に慣れていて、売買代金の見通しが狂うということは考えがたいから、わずか、一、二日の内に売買代金が一〇〇〇万円もずれるということは、ありえないという見方である。)。

しかしながら、右HA82771の手形の「4/21 決まり、1500万円」が少なくとも振出日の翌日以降に記載されたものであり、手形振出の時点で売買代金あるいは残代金が確定していなかったことは間違いないものと思われ、振出日と売買代金の決まった日が接近していることから、右手形の振出の時点で売買代金が一応決まっていたという前提をとって、それから遡って四月七日の現金、手形の問題を判断するという考え方には疑問が残ると言わざるを得ない(たとえば、金山町の物件は、二月二五日には三五〇〇万円で売買代金がまとまったのに、三月一八日の契約締結時には、代金が二七〇〇万円に一気に八〇〇万円も減額されている。また、平塚土地は、もともと被告人等の間で更地にする問題があったし、その後J10とKWハウジングとの間で民事訴訟が提起されていることからも、かなり問題を含む物件であったものと思われ、それがどのように売買代金に反映するかもはっきりしておらず、担保の負担の問題の処理もあり、売買代金が流動的になる要素を多分に含む物件であった。)。また、売買代金が未定の状態で四月五日か七日にも、同月一九日か二〇日にも売買代金を引当としてあるいは売買代金として現金、手形が渡されること自体が不自然でないことは前述のとおりであるし、HA82771並びにHA82773ないしHA82775の約束手形帳控の消去痕は似たような内容であるのに、前者は平塚土地代金が決まったものを意味すると断定したうえで、後者の真偽を評価していくという考え方にも疑問が残る。

(7) これらの約束手形帳控の記載については、捜査段階で全く捜査がなされず、公判においても、最も事情をよく知っているはずの被告人が説明をしないので、記載内容自体を証拠上認められる当時の状況から推測する以外になく、そうなれば多様な解釈の余地が出てこざるを得ないのであって、それを被告人の公判供述の信用性を否定するほどの制限的な解釈しか許されないとみるだけの根拠には乏しいと言わざるを得ない(右「4/21 決まり、1500万円」も、売買代金か残代金というのみでなく、KWハウジングから転売後にKW商事、KWハウジングあるいはA間での利益の分配に関するもの等と理解する余地も出てこようし、これに被告人らがどのように係わっているかも判然としない。)。

また、被告人とAらとの間に四月七日の現金及び手形授受の時点でE1殺害の共謀が成立していたのであれば、被告人が手形三通(額面合計一〇〇〇万円)の約束手形帳控に殺害費用などと書くはずはなく、それを伏して別の名目で出すと思われるところ、右の被告人の公判供述の信用性を否定する見方に立って、被告人がHA82773ないしHA82775の手形の約束手形帳控に「平塚土地」等と記載した意図を推し量ると、真実は殺害費用であるのに、それを秘して「平塚土地」等と別の名目を書いたにすぎないものとみるべきであるということになろう。しかしながら、前記のとおり、四月七日に振り出されたとされる三通の手形も、同月一九日か二〇日に振り出されたHA82771の手形も、平塚土地代金が未定のもとに売買代金を引当として、あるいは売買代金の一部として支払われたものではないかとみることができ、そのことをそれなりの合理性をもって説明することが可能である。また、HA82773の約束手形帳控の受取人欄には、手形の流通先を意味する「F11工業」、HA82774のそれには「AE」と、HA82775のそれには、「立替金」と鉛筆書きされたうえ消された跡があるが、Aから四月六日にE1を殺害するための費用の捻出を依頼され、一旦殺害費用の名目を特定の用途ないしは費目としての「平塚土地」と決めた者が、あえてその後自分に有利な右記載を消し、流通先を書いたり疑惑を招きかねないような費目である「立替金」と書いたりするであろうか。もとより、手形の約束手形帳控に「平塚土地」等と記載することについては、KW商事の経理の内部的な問題であるから、Aの承諾は不要であり、被告人の一方的な意向で足りるものではあるが、Aと被告人の間で、四月七日に、真実は殺害費用であるのに、手形については名目を平塚土地代金で出しておくというような話がなされた形跡や被告人が殺害費用であることを秘して約束手形帳控に右記載をなしたという証拠は、本件の証拠上全く存しない。「平塚土地」等の記載が犯罪につながるものではなく、経済取引に関するものであったからこそ、「平塚土地」等の記載を消したうえ、流通先や「立替金」の記載をしたのではなかろうか。また、KW商事の金銭出納帳の四月七日の記載(科目「立替金」、摘要「現金引き出し(SO)」、支払金額「5、000、000」)が改竄されていないことも同様に評価する余地がある。

(8) 四月五日の時点で既に平塚土地の売買価格が二〇〇〇万円に決まっており、同日、Aに対して、現金五〇〇万円は平塚土地代金の一部として、手形三通(額面合計一〇〇〇万円)は、平塚土地代金を引当に渡したという被告人の公判供述は、売買代金の決定時期やそれに関して同日の時点で残代金が一五〇〇万円であったという点では信用性に乏しいものの、検察官から約束手形帳控に関する検査回答書(<書証番号略>)が証拠請求される前から平塚土地代金に関するものであるという点では一貫しており、手形の右「平塚土地」等の消去痕とも合致している。平塚土地に関するものとして現金と手形を渡したという被告人の公判供述は、それを四月五日に渡したという公判供述と一体となっており、前者の公判供述が排斥できないとなると、後者の四月五日にAに渡したという公判供述も容易に排斥できないと思われる。

また、AやDの供述のように、現金及び手形が同月七日に渡されたものであるとすると、右「平塚土地」等と「4.7」は、同時期ころ記載されたものとみるべきことになり、右「平塚土地」等の消去痕は、特段の事情のないかぎりその記載された文字通りの意味に理解すべきものである。となれば、文字通り理解すれば、右手形の振出原因を平塚土地の売買代金に関するものと考えるべきところ、前述のとおり(5の(六))金銭出納帳の四月七日の記載も平塚土地代金と理解して矛盾がないこと等、平塚土地代金に関する手形と理解すべき事情もあり、他方、E1殺害費用等であるというA、D証言に疑問も多いことを考えると、右「平塚土地」等の記載内容自体から常識的に理解される内容と別の意味に理解すべき特段の事情があるとは言いがたい。したがって、E1の北海道行きが確実に決まった後に被告人に殺害費用を出すように依頼したうえ、現金と手形を受け取ったというAの捜査段階、公判供述、D証言は、その前提となる殺害費用であるという点に大きな問題を抱えており、となれば、それが四月七日に渡されたという点の大きな疑問ともなってくる。また、右手形が四月七日にAに渡されたとしても、AがE1の殺害費用として使うことを秘し、「平塚土地」等の消去痕から常識的に理解できる平塚土地代金あるいはそれを引当とする貸金として現金と手形の合計一五〇〇万円を被告人から引き出した可能性が否定できないと思われる。即ち、四月六日のAがいう被告人への連絡は、E1殺害費用を捻出するために、その真実の使途を秘して平塚土地代金として被告人から受け取る手形、現金を転用する考えでいたものと推認できる余地を残すと言わざるを得ない。殺害費用等として被告人が出したというAの捜査段階及び公判供述、Dの公判供述は、その核心的な部分において重大な疑問がある。

8  額面四〇〇万円の手形(HA82773)の裏書

(一) 関係証拠を総合すると、二月ころから、被告人の依頼を受けたAが、南千住の物件の訴訟についてF10から関係書類を買取り、訴訟を取下げさせる話を進めており、関係書類を被告人のところに持ってきたことが証拠上認定できる。そして、四月上旬ころまでには、AらがF7名義の昭和六〇年四月五日付念書〔確認事項として「昭和五九年(ヨ)第三二一号不動産仮処分申請事件に対しての供託金四百萬円也は、TO商事(代)F10より借用したものであるので昭和六一年四月八日付にてF27弁護士に昭和五九年(ヨ)第三二一八号不動産仮処分申請事件と昭和五九年(ワ)第五一七二号土地所有権確認等請求事件を辞任して頂くと同時に本事件も取下げますのでF27弁護士から仮処分申請事件に対して供託した金四百萬円也をF10に返済して下さい。」という記載がある(<書証番号略>の捜査報告書)。〕及び弁護士F27代理F10名義の昭和六一年四月一日付念書〔「原告F7とKW商事(株)との事件番号昭和五九年(ワ)第五壱七弐号、昭和五九年(ヨ)第参弐壱八号の原告弁護士F27は、F27大南法律事務所にて、立合人F10を立合いの上、F14との話合にて、昭和六一年四月八日までに東京地方裁判所民事部に辞任届を提出いたします。今後、本件に関してKW商事(株)に不利益な行為は一切致しません。」という記載がある(<書証番号略>の捜査報告書)。〕を作成し、Aが被告人に渡した。

前者のF7名義の念書の作成時期であるが、A証言(一六回公判)、D証言(四二回公判)、被告人の公判供述(四九回公判、六九回公判)、J3の九月二一日付警察官調書(<書証番号略>)によれば、F7の署名、押印のみがあるこの念書に、本文の確約事項がタイプで打たれたのが三月一八日であり(被告人がAにタイプを打てるところを紹介している。)、被告人の公判供述(四九回公判)によれば、タイプで打たれた後、Aが持って帰ったという。この念書の作成日付が、昭和六一年ではなく、なぜ昭和六〇年四月五日となっているのかは、不明である。

後者の念書を被告人に渡した時期について、Aは、四月八日の一週間か一〇日くらい前にF27弁護士の事務所へ行って戻ったその日にF10が作成し、翌日ころ被告人に渡したという(二〇回公判)。F10は、この念書に押してある自分の経営するTO商事の印章は、本物であるが、F10個人の印章は、自分が使用しているものではなく、本文の内容は知らず、作成時期とされている四月一日ころ、Aと会った記憶はない、念書の内容は、公判で初めて見た旨証言する(二七回公判)。更に、F27弁護士は、南千住の物件の訴訟に関し、四月初めに辞任したが、その一週間か一〇日くらい前、正体不明の人物が二名来て、右のF7作成名義及び弁護士F27代理F10作成名義の念書二通を見せられたと証言する(五九回公判)。被告人は、四月五日にAが、南千住の件が終わったとして、右弁護士F27代理F10作成名義の念書を持ってきたという(四九回公判)。したがって、供述は必ずしも合致していないが、弁護士F27代理F10作成名義の念書については、作成日付の四月一日ころか、それに比較的近いころ、Aから被告人に渡されたものと思われる。被告人が公判で供述するように、四月五日にAがKW商事に持ってきたとしても、不自然ではない。そうであれば、四月五日にAからF7の裁判取下げの話が出て、被告人の供述するF10の供託金の話が出ても格別不自然ではないし〔F10は、昭和六〇年一二月にF4が四〇〇〇万円をF10に渡したことでF4との間で決着がついており、右供託金はF10が受け取る筋合いの金ではないと供述している(右F10証言)。しかしながら、決着がついていないからこそ、昭和六一年一月になってAが解決のため働くようになったものである。Aは、F10に返却しなければならない話になっていると明確に供述しており、決着がつけば本来渡さなくてもいい金銭でも、交渉の経過でF10が受け取る話になっても格別不自然ではない。〕、前記四〇〇万円の手形が現実にF10経営のTO商事に持ち込まれたことも説明がつくであろう〔なお、前述(7の(三)の(1))のとおり、HA82773の約束手形帳控(<押収番号略>)には、裏書人を意味すると思われる「F11工業」(「F11興業」の誤記である。)の記載があるが、手形の裏書人であるTO商事の記載と約束手形帳控の「F11工業」の消去痕は、同じ裏書人を意味するものと理解してよい。〕。

(二) Aは、右手形がF10ところに裏書されている理由について、「四〇〇万円の手形は、四月七日にKW商事から帰る自動車内でDに渡した。北海道に行っているときか、北海道から帰ってからだったかはっきりしないが、Dから手形を割り引けないという連絡があったのでF10に頼んで割り引けるようにし、Dが割引に行ったものである。」旨証言する(一七回公判、二〇回公判)。しかしながら、DはAから四〇〇万円の手形を受け取った事実を否定している。Aが、四月七日に受け取ったとする現金五〇〇万円についていう内訳が虚偽であることは前途(5の(六)の(3))のとおりであり、したがって、現金五〇〇万円のうち一〇〇万円をDに渡したというのも虚偽である。このこと自体、四〇〇万円の手形をDに渡したことが虚偽であることに傾く事情であろう。AからDやF2組に流れた金銭、手形を記載した<書証番号略>の六枚目のメモにも、この四〇〇万円の手形の記載がないから、AからDに渡されていないことを示している。この手形の第一裏書人であるTO商事のF10も、KW商事の振り出した手形は、A、F4、F21が持ち込んできたことはあるが、Dが持ち込んだことはないと証言している。(二七回公判)。<押収番号略>の約束手形帳控、捜査照会回答書(<書証番号略>)、捜査報告書(<書証番号略>)によれば、四月二八日ころ振り出された額面一五〇万円の手形三通(HA82783、同82785、同82786)がF4により株式会社ソーケン等で割り引かれたものと思われる。この手形の約束手形帳控の振出日欄には、いずれも鉛筆書きで昭和六一年四月二八日を意味する「61.4.28」の消去痕があるので、四月下旬ころには、F4は、手形の割引先を有していたものと思われ、その後も、Dは、被告人から直接あるいはAを介して多数のKW商事振出の手形を受け取っており、その手形をD自身やF4が割引に出していることが認められる〔捜査照会回答書(<書証番号略>)、捜査報告書(<書証番号略>)、捜査報告書(<書証番号略>)〕。したがって、Dに四〇〇万円の手形を渡したが、Dがこの手形を割り引けないと言ってきたので、割引先としてF11を紹介したというA供述は虚偽である。

したがって、現実に四〇〇万円の手形がTO商事(代表取締役F10)に持ち込まれているので、前記のとおりの事実を見る限り、被告人の公判供述も、一概に不合理として排斥できない。

(三) 被告人の公判供述は、四月五日に、予めAから電話で平塚土地代金を五〇〇万円払ってくれと言われ、KW商事において、更にAから平塚土地代金を引当に、手形で一〇〇〇万円貸してくれという話が出て、途中からF10の供託金を立て替えてくれという話が出て、途中からF10の供託金を立て替えてくれという話が出たという点では一貫している(四月五日の件について被告人質問がなされた最初である四九回公判から供述している。)。その内容を詳細に説明していった結果、手形一〇〇〇万円全額が平塚土地代金と供述したり、平塚土地代金を引当にした貸付けと供述したり、F10に行く四〇〇万円の手形はKW商事が決済すべきものとか供述し、供述内容に推移がみられる。しかし、これは、立替えと貸付けの違いについて、混同がみられる被告人が、Aに現金と手形を渡したその内容、経緯をより詳細に供述しようとしていることによるものではないかと思われる。変遷というよりも、結局、Aに対して、平塚土地代金の関係で、あるいはこれを引当にしてAに渡したものであるという点では一貫している(四〇〇万円の手形については、手形がF10に行けば、供託金は被告人に戻されるべきものであるが、これについても、Aが責任をもつということであろうから、結局は平塚土地代金が引当になるということになる。)のであるから、四〇〇万円の手形について出てきた話で、その他の現金や手形までその性格を変えてしまうというように不自然に思われないでもない点も、公判供述の内容の推移として不合理とまではいえない。

また右供託金は、もともとF7がKW商事を相手にして提起した不動産仮処分の供託金であるところ、前記F7作成名義の念書があるものの、内容は仮処分申請を取り下げたときに戻ってくる供託金をF10に返済する旨のあくまで私人間での合意文書にすぎないものと思われ、この念書によって直ちに仮処分を取り下げさせることができるというものでもないから、Aが、供託金が下ろせないのでそれまで手形を貸してほしいと被告人に話したということにも不自然さはない。現に、南千住の物件の訴訟は、その後も取り下げられていないし、KW商事宛のF27弁護士が辞任する旨の昭和六一年四月一日付F10作成名義の念書も、F27弁護士の印章も押されていない単に同弁護士の代理としてのF10の署名押印があるにすぎない(同弁護士の委任状もない。)〔捜査報告書(<書証番号略>)〕。F27弁護士は、四月に辞任しているが、それは、F7が他の弁護士をつけたからにすぎないようである(F27弁護士の公判供述)。更に、弁護人が主張するように、Aが、四〇〇万円の供託金が下りれば返済できるから貸してほしいと話したというのも、結局は、平塚土地代金が引当になるからという意味を込めて言っているものと理解できるので、何とかして被告人から金員を引き出すためにAがこのようなことを話すことも不自然ではない。

(四) 結局右四〇〇万円の手形が、F10に渡された理由については、Aの証言が信用できない〔Dに渡したというAの八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)も信用できない。〕反面、被告人の公判供述は、それなりの合理性を有している。

9  額面三〇〇万円二通の手形の割引状況

(一) 関連する証拠

(1) 証拠上確実に認定できる事実

被告人がAに渡した額面三〇〇万円の手形二通のうち、HA82774の手形がGE商事で、HA82775の手形がAE八重洲支店で、それぞれ四月八日に割り引かれていること、AEの手形割引実行の決裁は四月七日の午後二時二分に、AE本店からAE八重洲支店にファックスで通知されていること、四月五日にAがE1から受け取ったWT石材振出の額面六〇万円の小切手を同月七日の午前一〇時二六分にGE商事が取立てに回していること、四月五日が土曜日で、当時AEは土曜日も日曜日(六日)も定休日であったこと、Aは、昭和六一年二月二五日、GE商事のJ5の紹介で、AE八重洲支店にKW商事の手形の割引を初めて依頼したこと、その際は、稟議段階で抵当権を設定するように指示があり、Aが断ったため、実行されなかったこと、その後三月三一日にKW商事振出の額面三〇〇万円、五月二五日支払期日の手形について割引依頼があり、同日午前一一時四三分にファックスにより本店に稟議に回された結果、事故発生の際には抵当を付けるという条件付き許可という留保扱いで割引を実行することになり、同日午後六時三八分、AE本店審査課からAE八重洲支店にファックスでその旨通知されたこと、その後右割引が実行されないでいるうちに、四月七日の午前中にJ5あるいはAから手形の額面は三〇〇万円のままで、期日を六月六日に変更してほしい旨の申入れがあり、三月三一日付申請書の申込日を四月七日、支払期日を六月六日と訂正して再度八重洲支店から本店へ稟議に回されたこと、同日中に、三月三一日付申込書と同様の条件付きで決裁が下り、右決裁は四月七日午後二時二分にAE本店からファックスで八重洲支店に通知されたこと、同支店係員のJ14(以下「J14」という。)は直ちにJ5(もしくはA)に連絡してAの印鑑証明証を用意させ、翌八日割引を実行したことは、客観的に明らかであり、またJ14の警察官調書(<書証番号略>)、公判供述、貸出許可申請書写し(<書証番号略>)などの関係証拠により認定できる。

(2) J5の供述(証人J5に対する所在尋問調書。以下、「J5証言」という。)

GE商事社長のJ5は、

「自分は、Aが現物の手形を持っていないのに割り引いたことはない。現物を確認してからでないと割り引かない。振出人が確認できるまでは手形は預っておく。KW商事の場合は大体調べていたから被告人が本当に振り出したかどうかを調べるだけ。振出人に対する確認は必ずやっている。一、二枚は確認取っていないものもあるが、必ず取っていた。現物を見てから、振出人に確認をとる。手形番号も言う。

四月八日割り引いた手形も事前に受け取っているはず。割引を実行するのに手形の現物を見ないで決めない。特にAEは大手でそのはず。四月八日に融資が実行されているからそれより以前に手形を受け取っているはず。四月七日には手形を受け取っていないのではないかと思う。

GE商事の営業時間は午前九時半ころから午後五時半ころまでで、自分も九時半ころには店に出ている。日曜日は休み。本件のころは土曜日も平日と同じ様にやっていた。符号44を見ると、四月五日の午後にGE商事がAから受け取った小切手を、四月七日の午前一〇時二六分に銀行に取立てのため持ち込んでいるようだが、Aから自分が受け取っていると思う。Aが朝の九時半に小切手を持ち込むようなことは、特別約束でもしない限りない。四月七日は月曜日なので土曜日に持ち込んだのではないかと思う。手形は無理な話もあるので自宅に来ることもあるが、小切手は大概事務所で片付けていた。Aが手形を持ち込んだのは土曜日のような気がする。北海道に行くとか、急に金がいるということで忙しそうにしていた。三〇〇万円の手形と六〇万円の小切手は一緒に持ち込んでいると思う。」

と供述している。

(3) J14の供述(六八回公判)

当時AE八重洲支店の社員で割引を担当したJ14は、

「手形割引を行うかどうかを稟議に回す際には、自分は、通常の形態として必ず事前に手形のファックスを送ってもらい、それで手形番号等を確認し、そのファックスを添付して本店に必要書類をファックスで送り、稟議を受けている。特に支払期日は重要なので、稟議に回す際には必ずファックスを送付させて確認している。」

と供述している。

(二) J5証言の信用性

(1) 手形割引を実行するかどうかの判断として、通常重要なのは、持ち込み人の経済的な信用力、それに関連して持ち込まれた手形が適法に振り出されて持ち込み人に回ったかなどであろうと思われる。それらを判断するために、事前に手形を受け取り、現実に手形を見て確認しているというJ5証言は、供述自体決して不自然でも不合理でもない。

しかしながら、割引の可否を決めるために一般的には慎重な判断が必要としても、J5自身も供述するように、三月二二日に被告人がT商から七〇〇〇万円を借りる際に、J5はKW商事の信用調査を既に済ませている。KW商事が要録に載っており、担保付とはいえT商が七〇〇〇万円を貸しているという実績を、J5は既に確認している。二月にはその旨告げて、Aが持参したKW商事の手形の割引をAEに紹介しているし、本件手形割引の後、多数のAが持ち込んだKW商事の手形を、担保を取らずに比較的簡便に割り引いていることからも、J5がKW商事の手形について信頼をおいていたことは、容易に推認できる。またAは、それまでにもJ5と手形割引等で取引があり、J5はA自身をよく知っていたと認められるので(Aの六六回公判供述)、本件手形に関して、事前に手形の現物で確認するというJ5証言は、結局KW商事が振出をしたか否かの確認にすぎない。J5も「KWさんの場合は大体調べて知っていましたから、あらすじのことは知ってるから、あとは社長が本当に振り出したものか、そのへんのところを確認したいわけですよね、我々は。」と供述し、これを認めている。更にJ5は、振出の確認は電話一本かけるだけであるから、急いでやれば一、二日もあればたくさんである、とも供述している。したがって、右の確認は割引の当日に電話ででも簡単に済ませられることであり、たまたまその際に確認が取れなければ割引を実行しないだけであり、事前に必ず手形を持参させてからでなければ割引を実行しないとまで、J5は供述していない。しかも被告人がT商から借入れしたのがAの紹介によるものであることから、被告人とAの間に取引があり、被告人とAの間にある種の信頼関係ができていることも、J5は認識していたと考えられるし、これまでのAとの取引関係から考えて、本件手形の割引に際し、わざわざ事前に信用等を調査する必要性は乏しい。

(2) 更にJ5は一〇月八日付検察官調書(<書証番号略>)では、「手形は四月八日ころ割り引いたと思うが、四月七日の晩に自宅でAから受け取っているかもしれない。Aは何度か自宅に手形を持ってきたことがあるので混乱している。」と、割引当日に手形を受け取っていることを前提としたような供述もしている。J5は、最終的には四月八日に割引をしているから事前の四月七日より前、おそらく四月五日よりも前に本件手形を預っているはずと証言しているが、検察官も主張するように、その理由としてJ5は、AEの審査には三日ないし四日かかるから事前に手形を受け取っていなければおかしいことをあげている。しかしながら、貸出許可申請書の写し(<書証番号略>)によれば、三月三一日の際も、また四月七日の際も、割引申請されたKW商事の手形が即日割引許可決定されていることが認められ、AEの審査に三、四日要するとのJ5の右供述はその前提を欠いており、かかる誤った認識を前提にした四月八日に割引をしているから事前の四月七日より前、おそらく四月五日よりも前に本件手形を預っているはずというJ5証言はそのままの理由付けでは信用できない。

(3) 確かに、Aは、WT石材振出の六〇万円の小切手を、四月五日にE1から受け取って所持していたのであるから、J5証言等に鑑みると、四月五日中に右小切手がAからJ5に渡っていたものと思われる。しかしながら、J5自身、結局三〇〇万円の手形と六〇万円の小切手は同じ日に預ったものではないと思うとも供述しているのである。仮に四月五日中に右小切手がAからJ5に渡っていたとしても、その事実のみによっては、弁護人が主張するように、必然的にWT石材振出の六〇万円の小切手とJ5が四月八日に割り引いた三〇〇万円の手形が同時に渡されたとまでは認めがたい。

(三) J14の公判供述の信用性

(1) J14は、本件の場合、既に本店に送付され、決裁されていた三月三一日付の申請書があるので、再度申請書を書き直すことはせず、J5かAから本件手形の写しをファックスで送ってもらい、それを本店審査課にJ14がファックスで送り、J14と審査課の担当者が電話で連絡を取り、審査課の方で申請書の日付を訂正して決裁している旨供述している。確かに、AEの貸出許可申請書の写し(<書証番号略>)には、上部の手形の期限欄の「5/25」の記載を消去して「6/6」に訂正した跡が認められる。ところが、他方で、右申請書中央部の手形についての記載の支払期日は「61.5.25」の記載のままで訂正されていない。J14は、この点を本店審査課係員の訂正もれであると供述するのであるが、J14が供述するように、支払期日が極めて重要なものであるのなら、手形の写しを送付されている以上、申請書中央部に記載のある支払期日の訂正を忘れるなどということは通常考えがたい。右の記載から見ると、右の訂正の経過はJ14が供述するように審査課の担当者が手形の写しを見て訂正し忘れたと解するよりも、審査課の担当者は現物を見ておらず、電話でJ14から期日変更の連絡を受けたために訂正し忘れたと考える方が合理的である。

(2) J14は、手形振出の有無を振出人に対して確認しないと供述している。他方で支払期日は利息の関係で重要であると供述しているのである。しかしながら、手形の割引においては、振出の有無や振出人の信用度の方が余程重要であると考えられる。現にJ5は、手形の現物を要求するのは支払期日の確認が重要なのではなく、偽造されることもあるので振出の有無の確認が重要だからであると供述しており、J5の供述の方が合理的で自然である。しかもAEは利息を天引きして割り引くのであるから、利息の関係があるから必ずファックス等で確認しなければならないほど支払期日が極めて重要であるというJ14の供述は信用性に乏しい。またJ14は、何千万単位の金額の大きい手形については振出人に確認をとるが、二〇〇万円から三〇〇万円程度の額の手形ではほとんど振出人に対して確認をとらないとも供述しており、その供述自体は取り立てて奇異とまでは認められないが、それならばなおのこと、右の額面程度の手形なら現物で支払期日を確認する必要があるのか強い疑問が残る。更にJ14は、自分はファックス等で支払期日を必ず確認しているが、他の者は知らない、AEの方針として行われているというものでもない、と供述しており、現物もしくはファックス等による支払期日の確認が、J14が供述するほど重要とは考えられない。

(3) 加えて本件ではKW商事振出の額面等が同じ手形の割引について既に稟議に回され、条件付きながら割引を実行することが既に決まっていたのであり、その割引が実行される前に、支払期日のみを六月六日に変更して割引依頼がなされたものであって、同じ会社の振り出した、額面も同額でかつ支払期日がわずか一〇日ほどしか違わない手形の割引を決裁するために、わざわざ新たに手形の現物を見てからでなければ決裁しないとは、通常考えがたいところである。割引を稟議する際には、主として借受人の資力、振出先の信用力の調査に主眼が置かれると思われるが、それらを把握すれば、その信用力が極端に変動しない範囲内での支払期日の変更は、割引をするかどうかの決裁にはさして影響を与えないものと思われる。振出の有無、偽造等はともかく、支払期日については、現実に割引をする際に手形を見て確認すれば十分であると考えられる。

(4) またJ14の証人尋問が決定したのは平成三年八月二〇日で(六六回公判。当初は職権により採用決定をし、東京地裁で所在尋問の予定であったが、同月二六日に取り消し、六八回公判で尋問する決定を行った。)、J14のもとには同月二九日に召喚状が送達されている。ところで公判において検察官は、「検察官が平成三年八月下旬に、事前に電話で連絡を行った際にファックスで送付を受けたかを聞いた際には、そのような事実はない旨答えたのではないか。」という趣旨の尋問をしている。検察官がJ14証人に対して事前に連絡を行ったであろうこと、その際には右事項はJ14証人についての最も重要な争点であるから、当然確認をしているであろうことは、経験則上優にこれを推認できる。ところが右の検察官の尋問に対して、J14は、わずか一か月程度前の、しかも証人喚問される内容に係わる特徴的なことについて、「覚えていない。」旨極めてあいまいな供述をしているにすぎない。J14の証人尋問が同年九月二〇日に行われたこと、J14は検察官から連絡を受けた当時、すでに証人尋問されることを前提に検察官から質問を受けていることに鑑みると、J14が検察官から聞かれた右事項について全く忘れてしまうとは到底考えがたい。

したがって、J14は本件公判において供述する以前の段階では、検察官に対し、ファックスで確認することはないという供述内容であったかどうかはともかくとして、少なくとも「必ずファックスで確認しているから本件でも確認している。」という右公判供述とは明らかに異なった内容の供述をしていたと推認することができる。他方J14は、ファックスで確認することは、特別理由があって思い出したというものではなく、以前からそうしているので話したにすぎない旨供述し、また検察官からの連絡の後、弁護人からJ5の公判調書の写しが送ってこられ、それを見てから公判に来たとも供述している。かかるJ14の公判で供述するまでの経過、公判でのあいまいな供述態度は、J14の公判供述の信用性を著しく損なうものであり、公判での供述が真実記憶に基づいてなされたものか強い疑問が残る。

右のような供述内容自体及び供述経過の不自然さに加え、J14は、検察官等からの通常の取引や、一般的な取引についての質問に対しても、本件の場合は申請書を書き替えただけで特殊な場合であるからなどと先走った返答をするなど、本件について十分な記憶があると示威するかのごとき供述態度を示していることも考え合わせると、J14の供述は、ことさら虚偽の供述をしているとまで認められるかどうかはともかくとして、少なくとも記憶に基づいて供述したのではなく、J5証言の影響を強く受け、はっきりしない記憶を明確な記憶として供述している疑いが強い。

以上の次第で、四月七日の午前中に本件手形のファックスが送られてきてこれを確認しているというJ14の公判供述は、信用しがたい。

(四) AEの貸出許可申請書(<書証番号略>)に、手形の支払期日が六月六日と記載されていること

(1) AEにおける決裁

このようにJ5証言及びJ14の公判供述の信用性に疑問があり、四月七日の午前中に本件手形のファックスがAE八重洲支店に送られていると解することまではできないとしても、貸出許可申請書(<書証番号略>)に、変更された手形の支払期日として六月六日が記載され、この支払期日が実際に割り引かれた手形の支払期日と合致していることは明らかである。したがって、四月七日の午前中のうち、AE八重洲支店に支払期日の変更申請がなされたということは、少なくともAは四月七日の午前中までに右手形の支払期日を正確に知っていたということになろう。これは、Aがそのころすでに右手形を取得していたのではないか、だからこそJ5を介したか否かは別としてAEに手形の正確な支払期日の連絡ができたのではないか、という疑問を生じさせる。

ところで被告人は公判で、この手形の支払期日について、期日を二か月で手形を出してほしいとAから言われたと供述している。

手形の支払期日についてのAの八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)、A証言は、四月六日にE1から北海道に行く旨の連絡を受けて、Dに対して、北海道行きの経費と四月五日にE1に貸した三〇〇万円及び三月二二日に被告人がT商から七〇〇〇万円借りた際の紹介料を払ってくれるようにという交渉を依頼してKW商事に行ってもらい、現金五〇〇万円と手形一〇〇〇万円を出すという連絡を受けた、すぐにAがJ5に電話して手形の割引を依頼すると、三〇〇万円一通をGE商事が割り引く等という返事があり、再度Dに連絡を依頼して手形の額面を三〇〇万円二通、四〇〇万円一通にしてくれるように頼んだ、J5はサイト(振出日から支払期日までの期間)や振出人のことは何も言わなかった、A自身支払期日については二か月くらいという感じしかもっていなかった、というものである。

この点についてのD証言は、四月六日に北海道行きの経費の件で被告人との交渉をAから依頼されたことはなく、したがって同日KW商事には行っていないし、被告人と連絡を取ってもいないというものである。

更に、四月六日(日曜日)は、KW商事の定休日であり、金銭出納帳を見てもこの日に格別の営業が行われた形跡はない。したがって、AあるいはDがKW商事に出かけたり、KW商事に電話するとかの方法により被告人と連絡を取ることはできないと思われる。

Aの右検察官調書やA証言によれば、J5に対する支払期日の連絡は出てこない。Aは、そもそもやくざであるJ5が支払期日のことなど言うはずはないとまで言うのである(六六回公判)。Aによれば、J5は韓国系の暴力団に所属するやくざであり、手形の金額しか問題にせず、支払期日のことなど言わないとまで言うのである。

四月七日昼ころまでにAE八重洲支店に割引依頼をしていた手形の支払期日を六月六日に変更してほしい旨の申請がなされたことは間違いない。一面、J5はAが言うように手形の具体的な支払期日の件など言わないようにも思えるし、手形である以上支払期日の問題は割引料を決めるうえで重要であるから話題になるべき問題ではあろうが、少なくともAとJ5間ではいわば暴力団員同士の間での商取引とはいえ、せいぜい二か月とかのある程度の大雑把なものしか問題にならないのでないかと思われる(後述のとおり、被告人の自白調書によると、四月六日に殺害費用の連絡を受けた際、Aからの電話連絡は支払期日は二か月くらいというものであったという。)。ただ、J5と、金融機関のAEの間になれば支払期日のことが当然問題になろうし、四月七日の昼ころまでには、AE八重洲支店に正確な支払期日の連絡がなされているから、そのためには、少なくともAのところには四月七日の昼ころまでに手形が行っていたのではないかという可能性は否定できない。四月七日の昼ころまでには少なくともAの手元に手形が渡っていたからこそ、AE八重洲支店に手形の支払期日についての正確な連絡ができたのではないか、と思われるということである。となれば、やはり四月五日にAに手形が渡っていたのではないかという可能性が否定できない。

結局、Aが、四月五日にE1から金利として受け取った額面六〇万円のWT石材振出の小切手は、同月七日午前一〇時二六分に取立てに回されているので、四月五日のうちにJ5へ渡されていると思われるところ、これと同時に検察官がE1殺害費用と主張する額面三〇〇万円の手形もJ5に渡された可能性が残ることになる。

Dが介在したかどうかはともかくとして、二か月くらいということで、Aが支払期日を六月六日であると予測してJ5あるいはAEに右支払期日を連絡し、それが実際の支払期日と合致したというのは、あまりに偶然というべきである。

もとより、捜査官は、本件の捜査当時、被告人とA間における現金や手形授受の日について、四月五日の可能性を全く考慮せず、同日西武信用金庫東久留米支店から引き出された四〇〇万円がAに渡された五〇〇万円の一部になっていることに気付かないまま、同月七日に引き出された五〇〇万円(同日F15に貸し付けられたもの。)がAに渡された五〇〇万円であると考えたようであり、殺害費用の授受が四月七日であることを当然と考え、これに疑いをもった形跡がない。したがって、四月七日である場合の支払期日の連絡の可能性についても問題意義をもっていなかったから、Aに対しても、支払期日の点を深く考えずに取り調べているものと思われる。しかし、捜査段階でAも支払期日が決まった経緯を想起しないまま経過し、そのことが証言内容にも影響している可能性があるにしても、一面でA証言が言う、やくざであるJ5が、手形を割り引く際には額面は問題にするが、支払期日は問題にしないというのもそれなりに説得力があり、軽視できない事情である。

(2) J5あるいはJ14による連絡の可能性

他方、J14は振出人に対して手形振出の確認の連絡をすることを否定するが、AEが手形割引を依頼された際には、稟議に回す以前に、割引依頼を受けた手形が真実振り出されたものであるかどうか振出人に電話等で確認を取り、その後稟議に回すのではないかとも考えられる(これはAEが金融機関であることを考えると、ありうるところである。)。そうするとJ14は、割引を依頼された手形が変更されたため、稟議に回す前の四月七日の午前中に直接被告人に本件各手形の振出の有無を確認したのではないかとも考えられる。また、HA82774の手形を割り引いたGE商事のJ5も、検察官に対して、「F14が持ってきた手形を見て」とは言いながらも、「KW商事に電話をかけ甲に割り引いてよいかどうか確認を取っています。私の電話での質問に対して甲は、『心配ありません。御迷惑かけませんから。』と言っていました。」と供述し〔J5の一〇月八日付検察官調書(<書証番号略>)〕、また、J5証言の中でも振出人に対する確認の重要性を供述している。Aから割引依頼を受けたJ5が、HA82774の手形あるいはHA82774及びHA82775の二通の手形の振出を確認する電話を被告人にかけたのではないかとも思われる。約束手形帳控(<押収番号略>)をみてみると、検察官が四月七日に渡されたと主張する三通の手形のうち、一番上に綴られているHA82773には「4.7」の消去痕がなく、HA82774及び同82775にのみ「4.7」の消去痕があることも同様の評価に傾く事情であり、J5あるいはJ14から被告人に対して、手形振出を確認する電話がかかってきて、手形が割引に出されることが確実になった日として「4.7」が一旦記載されたのではないかとも思われる(そうなれば、「4.7」は手形の振出日を意味しないし、「4.7」が消去された後に記載されたようにも思われる「4/7」の消去痕も振出日を意味しないことになろう。)。

そうすると、四月七日にJ5あるいはJ14がKW商事にいる被告人に電話をかけて振出の確認をした際、前日の四月六日にAから手形振出の依頼を受け、四月七日中には振り出すことが確定していたので(被告人の自白やAの供述に符合するところである。)、被告人がJ5あるいはJ14の電話に応答した際、満期日が六月六日であると連絡しているものとも考えられる。したがって、貸出許可申請書に満期日が六月六日と正確に記載されているとしても、それ自体では四月七日の午前中には少なくともAのところに右手形が渡っていたのではないかという前提を取れないことになる。

しかしながら、四月七日午前中に被告人がJ5あるいはJ14から振出の有無の確認を受けたとしても、現金と手形が四月五日に渡された可能性が否定できない以上、すでに四月五日にAに振り出していた手形の満期日を六月六日と連絡した可能性が残ると言わざるを得ない。この点についても捜査段階で、被告人からAに手形が渡されたとされている四月七日夕方より以前である同日午前中に作成された貸出金許可申請書に満期日が六月六日と正確に記載されていたことに着目して取調べなり裏付捜査なりが行われた形跡が認められず、多様な解釈の余地を残さざるを得ない結果になっている。

結局このことで、殺害費用とされる三通の手形が四月五日に被告人からAに渡されたのではないかという疑いは払拭しきれない。

10  時間的な可能性の問題

弁護人は、「Aは、四月七日昼すぎにDの車で大和グランドホテルを出て、KW商事に午後五時ころ着いた旨供述しているが(一七回、二〇回公判)、Aは、J5からAEの貸出許可が下りた旨の連絡を受けてから、横浜市旭区役所に印鑑証明二通を取りに行き、更にその後、Bと二人で翌日の札幌までの航空券や札幌グランドホテルの手配、E1への連絡等をしたのである。AE本社から八重洲支店への貸出許可通知が午後二時二分であったことからすれば、Aの右証言は時間的に不合理であり、到底信用することができない。」と主張する。

しかしながらAは、印鑑証明書は自ら取りに行っていることが認められるが(Aの六六回公判供述)、北海道行きの手配はBに依頼し行わせている。また後記のとおり被告人は捜査段階において、Aらが来た時間は午後七時ころと供述しており、いずれにしても時間的に不合理であるという弁護人の主張は前提を欠き、採用できない。

11  手形の決済状況

(一) 決済資金の負担者

金銭出納帳(<押収番号略>)、銀行勘定帳(<押収番号略>)等を総合すると、六月四日にKW商事(被告人)からAに六〇〇万円が送金されており(科目は立替金)、翌五日にAからKW商事に三〇〇万円が振り込まれていること、AはJ5に割引に出していた額面三〇〇万円の手形(HA82774)をJ5から回収して被告人に返却していること、六月六日に青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座から本件手形のうちHA82773及び同82775(額面合計七〇〇万円)が決済されていることが認められる。また、<押収番号略>等のメモには、被告人が六月六日、合計一〇〇〇万円の手形を当座預金口座で決済した旨の記載がある。

A証言(一八回公判)によると、殺害費用として受け取った手形三通の決済において、六〇〇万円は被告人に依頼されて六月五日にAが金を用立てたものであるとし、KW商事発行の六月五日付A宛の三〇〇万円の領収証(<押収番号略>)、同日Aが住友銀行築地支店からKW商事の青梅信用金庫東久留米支店の口座に三〇〇万円を送金した振込金受領書(<押収番号略>)がそれであると言う。しかし、被告人とA間において、E1殺害後、殺害報酬が支払われたとされる昭和六一年八月までの間に金銭や手形の多数回に上るやりとりがなされているけれども、A宛に領収証が出されているのは右<押収番号略>と六月二日付の一〇〇万円(<押収番号略>)だけである〔その後の金銭のやりとりについては、一二月一日に領収証と理解される書面が被告人によって作成されたものもある(<押収番号略>)。〕。しかも右二通の領収証は、いずれもKW商事で使用される印刷されたものではなく、市販の領収証にKW商事の記名押印をしたものにすぎず、被告人の公判供述(六九回公判)によると、Aに依頼されて領収証を貸すことになったので、右の二回通常使用している連続番号の打ってある印刷されたKW商事の領収証を使用せずに市販の領収証に記入して貸してやったというものである。銀行勘定帳(<押収番号略>)の記載によると、青梅信用金庫関係の六月四日の欄に「立替金(SO)」として六〇〇万円の引き出しが記載され、翌五日の欄に「立替金戻り(SO)」として三〇〇万円の預け入れが記載されているので、六月四日に被告人がAに六〇〇万円を渡し、翌五日に三〇〇万円を戻してきたものと認められ、この三〇〇万円を戻してきたことが、同日、Aが被告人に三〇〇万円を振り込んできたことを意味するものと思われる。六月六日に被告人が七〇〇万円で手形を決済した点については、同日欄に「立替金手形(SO)」の七〇〇万円が引き出し金額として記載されている。これらの事実からは、被告人が、Aに渡した右三通の手形のうち、GE商事とAEに割引に回っていた各三〇〇万円の手形を回収するためにAに六〇〇万円を渡したが、Aは右六〇〇万円のうち三〇〇万円を使用してJ5から手形を取り戻し、AEで割り引いた手形についてはすでに取立てに回っており回収できなかったため、使用しなかった三〇〇万円を翌五日に被告人に返却し、六月六日、被告人は、右AEで割り引かれた手形とF10に回った四〇〇万円の手形(額面合計七〇〇万円)を青梅信用金庫東久留米支店の当座預金口座から決済したという経過が認定できる。少なくとも右<押収番号略>の領収証をAの負担による出金があったものと理解することはできない。

したがって、Aが自分の負担で六〇〇万円を用立てたという右A証言は虚偽であると言わざるを得ない。Aが殺害費用として受け取ったという三通の手形も、最終的に誰の負担で決済することになっていたのかは別として、直接的には被告人の負担で決済されたものとみるべきである。

(二) 銀行勘定帳の記載

六月四日に被告人がAに六〇〇万円を送金した点については、銀行勘定帳(<押収番号略>)の青梅信用金庫関係の同日欄に「立替金(SO)」として六〇〇万円の引き出しが記載され、六月五日にAが被告人に三〇〇万円を振り込んできた点については、同日欄に「立替金戻り(SO)」として三〇〇万円の預け入れが記載され、六月六日に被告人が七〇〇万円で手形を決済した点については、同日欄に「立替金手形(SO)」の七〇〇万円が引き出し金額として記載されている。これらの記載から考えると、右手形の決済資金を被告人が捻出したのは、本来Aが負担して決済すべきなのに、Aに依頼されて立て替えたか貸し付けたものにすぎないとも考えられ、そうであれば、被告人の公判供述に副うようにも思われる。しかしながら金銭出納帳や銀行勘定帳のA関係の出金の記載は、金銭出納帳の三月二〇日の裁判取下料以外、出金については全て立替金になっている。三月二二日にAからE1に対して一〇〇〇万円を貸し付ける形を取った金員や四月三日の五〇〇万円の現金の振込みなど、これが実態はAに対する立替金でないことは明らかであるにもかかわらず、立替金と記載している例も見受けられる。また被告人の公判供述を総合すると、被告人は貸付けと立替えを混同して理解し使用しているようにも受け取れる。これらを考え合わせると右の「立替金」の記載が、実体上も立替金あるいは貸付金であるかは、記載自体のみからでは判明しがたい。

したがって、右各手形の決済は、本来被告人が決済すべきものを、被告人の負担で決済したにすぎないものか、本来はAが全額決済しなければならないものであったが、Aの資金不足等の事情で被告人が資金を貸付けあるいは立て替えて決済したものか、必ずしも明確ではない。

(三) Aの供述

殺害費用とされた手形の決済について、Aは、一八回公判では、手形三通(額面合計一〇〇〇万円)のうち、六〇〇万円についてはAが六〇〇万円を被告人に送金することによって決済したと供述し、一九回公判では弁護人からの質問に対し、

問 (四月七日の手形合計一〇〇〇万円について)貰うという約束で貰ったの、それとも結果的に貰っちゃったことになったんですか。

答 結果的には私落としていますから、その時は保険が出るまでの繋ぎということで貸してくれたというか、甲さんのほうでお金が出来れば自分のほうで落としてくれるという段階だったのか、その話をつけて来たのは私じゃないもんですから、行ったらもう用意してあって、という形でしたから。

と供述していたが、二回目の証人喚問を受けた六六回公判では「殺害費用なので当然被告人が決済すると思っていた。」という趣旨を供述し、供述内容が変遷している。右供述のうち、六〇〇万円の決済をAが負担したという供述や、合計一〇〇〇万円の手形全部をAが負担して決済したというような供述が信用できないことは、前述のとおりである。

いずれにしても、Aは、捜査、公判を通じ、被告人と殺害費用の決済について話し合った旨の供述はしていない(被告人の自白調書にも、殺害費用としての手形をいずれが決済するかについて、被告人とAとの間で話し合いがなされ、合意が形成されたかどうかについての供述はない。)。

本件の三通の手形が、殺害費用であるとした場合、殺害後にE1の死体がすぐには発見されなかったことはAらにとって予想外の出来事であろう。死体がすぐ発見されれば、E1殺害から手形の支払期日である六月六日まで約二か月間あるので、その間には保険金も支払われるであろうと考えていたとみれば、殺害前に殺害費用としての手形の決済の問題が話し合われなくても、清算時に解決されればよく、格別の不自然さはないともいえよう。しかし、本件においては、少なくともAの予想に反してE1の死体が七月一日まで発見されず、死体発見前に手形の支払期日が到来した。したがって、右A証言のように、殺害費用であるのに、Aが合計一〇〇〇万円もの手形の決済費用を負担するというのは不合理であろう。被告人との何らかの話し合いがなされてしかるべきである。しかるに、Aの捜査段階からの供述によっても、そのような話し合いがなされた形跡はない。このように、殺害費用として振り出した手形の決済を誰の負担で行うのかについての話し合いがなされていないことは、右手形が殺害費用であるという供述に疑問を生じさせるものである。

(四) 六月六日に振り出された手形との関係

殺害費用とされる三通の手形の支払期日である六月六日に、同額の手形三通〔額面四〇〇万円一通(HA82796)、三〇〇万円二通(HA82797、HA82798)。支払期日は、いずれも八月五日。以上は<押収番号略>。〕を、被告人がAに振り出しているが〔HA82797及び同82798は支払期日前に回収されており、八月五日にAが三〇〇万円をKW商事に送金している(<押収番号略>)。〕、殺害費用とされる手形との関係の有無は、明確ではない。

12  被告人の弁解(公判供述)の経過

被告人は、五二回公判において、Aに現金と手形を渡したのが四月五日であったことを思い出したのは平成二年になってからであると供述するが、いつの時点で現金や手形の授受が四月五日であると認識するようになったかは明確でない。更に、記憶が喚起された理由についても、特に書証等参考になる資料があり、それを見て思い出したというのではなく、ただ考えるとそれしかないと供述しているのであって、唐突な感じは否めないところである。

しかしながら、もともと、捜査段階では、殺害費用とされる現金と手形を渡したのが四月五日か七日かということを取調官が問題にしていなかったものであるし、また、右現金と手形が殺害費用でなければ、被告人にとって、その授受の日が四月五日か七日かということは格別印象深いことでもないであろうし、被告人が裁判記録を精査するなかで、弁護人からの示唆も受けて、はっきりしない当時のことを明確には思い出せないまま供述していてもおかしくない。被告人の弁解の不自然さを過大視することはできないであろう。

13  A、D供述の矛盾点、信用性の検討

A供述とD供述を比較すると、矛盾する点も認められる一方、四月五日にAがE1に三〇〇万円を貸し、その際にAがE1を北海道に誘ったこと〔この点につき、同日E1と会う前からAがE1を北海道に誘っていたものと認められるから、同日初めて誘ったというA供述の信用性がないことは前述(4の(二))のとおりである。〕、四月七日にAとDがKW商事に行って、被告人から殺害費用を受け取ったこと、その際現金五〇〇万円と三〇〇万円二通、四〇〇万円一通の三通合計一〇〇〇万円の手形を被告人が渡したこと等、殺害費用受け渡しに関する大筋では、両者の供述が一致している部分もかなりある。

そこで、検察官が主張するE1殺害費用の支払いに関する部分について、A供述とD供述の矛盾点をみていきながら信用性を検討する。

なお、AもDも四月七日の殺害費用授受の際、被告人が易で殺害の実行日を占ったと供述しているが、この点は、捜査段階において、被告人が最初に供述し、その後被告人のこの点についての自白を前提にして、Aに質問した結果、Aも似たような供述をしたという経過になるので、後に被告人の自白の信用性のところで検討する。

(一) 被告人に対して、AとDのどちらがE1殺害費用の支払いを依頼したか

四月六日にE1の北海道行きが決まっているが、殺害費用の工面について、Aは捜査段階から、同日Dに被告人に依頼するように指示したところ、Dが被告人から承諾をもらってきた旨供述している。一方、Dは、「四月七日にAがKW商事に行ってくれというので、自分が運転して行った。KW商事へ四月七日に行くことは、当日Aから聞いた。前日には何も聞いておらず、手形で一〇〇〇万円をE1殺しの費用として用意するように、E1に貸した三〇〇万円も返してくれるようになどと依頼するよう指示されたことはない。北海道へ行く費用をもらったことは、四月七日のKW商事からの帰りの自動車内で分かった。」と供述している。

Aは、今回の事件をF2組から依頼され、F2組に対する義理から引き受けたと供述しており、各場面場面でF2組を代表する形でDなり、F4なりが関与していると供述する傾向にあることは、すでに述べたとおりである。ところでDは、四月五日ころ、Aから、北海道に一緒に行ってE1殺害を手伝うように依頼されたがこれを断った、Aは、これを「きたない。」と吐露したと供述している。Dは、四月五日の時点で、E1殺害の実行行為に加わることを拒否しているのであるから、少なくとも、四月六日にAが、Dに対して、被告人に殺害費用を出してくれるように依頼することを指示したというAの供述は信用性に乏しいであろう。

右に述べたくい違いも、Aが、E1殺害をF2組からの下請仕事であるとし、自分が本件の首謀者ではないとして、刑事責任の軽減を図ろうとしたものとも考えられ、それなりに説明が可能なようにみえないでもない。しかし、後述の自白調書のところでも検討するが、四月六日(日曜日)はKW商事の定休日であり、被告人の自白調書によると、四月六日にAからKW商事に対して殺害費用の支払いを依頼する電話がかかってきたとされている。定休日の関係で四月六日に被告人へ連絡することはできなかったのではないかという疑問が解消できないと考えざるを得ない。当時被告人が自宅にいたのかどうかについても、全く捜査はなされていない。したがって、四月六日にAから被告人に殺害費用の支払いにつき連絡がなされたかどうかの点につき、Dを通じて依頼したというAの捜査段階からの供述に信用性がないけれども、A本人が被告人に連絡を取ったとも直ちには言えない。

(二) 殺害費用受け取りの役割

四月七日KW商事において、被告人からE1殺害費用を受け取る際、Aは捜査段階から、直接被告人から現金と手形を受け取ったのはDであると供述しているのに対し、D(四三回公判)はAが受け取ったと供述している。

右のとおり、AがDに依頼して被告人に連絡を取ったという供述が信用できないところであり、Dが受け取ったという供述は、Dが被告人に連絡した供述が前提になるものと考えられるから、この点についてもA供述は信用できない。一方、D供述も、Aと被告人の間でE1殺害の共謀が成立するまでの間のことについては、かなり詳細に供述しながら、肝心の殺害費用受け渡しの状況になると、当日KW商事からの帰りの自動車内で初めて被告人からE1殺害費用を受け取ったということが分かったとか、KW商事でお茶を入れたり灰皿を掃除したりして授受自体は見ていないとか、かなり不自然な供述をしており、実際に体験したことを証言しているのか疑問を生じる。

(三) 被告人から受け取った現金と手形の趣旨

Aは、捜査段階から一貫して、「殺害費用は手形の一〇〇〇万円のみで、現金五〇〇万円のうち二〇〇万円は三月二二日のT商の紹介料、三〇〇万円は四月五日にE1に立て替えて貸し付けた三〇〇万円の返済である。」と供述しているのに対し、Dは、「帰りの自動車内で五〇〇万円についてはE1を北海道に連れていく費用と聞いた。手形については仕事の絡みか何かという話だった。仕事とは北海道の地上げの話である。これに被告人が関係していたかは知らない。五〇〇万円のうち三〇〇万円が四月五日にE1に貸した三〇〇万円の返済で、残りの二〇〇万円が三月二二日にAとDがT商へ融資を仲介した謝礼等というAの説明はなかった。」と供述している(四三回公判等)。

まず、Aの供述からみていくと、前述(5の(六)の(3))のとおり、金銭出納帳の三月二二日の記載及び被告人の公判供述(七〇回公判)によれば、同日被告人はT商の紹介料一三〇万円をAに渡したものと認められるから、四月七日に受け取ったという現金五〇〇万円のうち二〇〇万円について、T商の紹介料であるというAの供述は虚偽である。また、残りの現金三〇〇万円についての説明、即ち、四月五日にE1方からの帰りにKW商事に寄り、E1に貸し付けた三〇〇万円の追加融資分を被告人から返済してもらおうと考えたが、当日KW商事にそれに見合う現金がなかったのでもらえなかったというA供述が虚偽であることも前述(4の(三)の(3)の①)のとおりである。E1に対する追加融資三〇〇万円の話がAに直接持ち込まれたと考えられるし、Aが四月五日にE1から受け取ったWT石材振出の一〇〇〇万円の手形の件を被告人に隠していたものと思われ、これらについてのAの供述も虚偽である(4の(二)、4の(三)の(3)の①)。これらのA供述は、単なる記憶違いとは考えがたいものであり、意識的に虚偽の供述をしているものと認められる。これらの虚偽の部分は、Aが四月五日にE1方に行った後、KW商事に寄ってE1の北海道行きの報告をしたとして、四月七日のE1殺害費用の支払いの前提となる重要な点であり、また四月七日の殺害費用を含む現金、手形合計一五〇〇万円の内訳の問題は、E1殺害の共謀の成否に深く関係してくる極めて重要な問題である。後述のとおり、四月一一日のE1殺害の失敗の報告の電話が虚偽であることなども考えると、A供述は、E1殺害の直前における殺害共謀の徴憑となりかねない重要な事実について、虚偽である部分があまり多く見られ、他の部分の供述に信用性を付与するには、特段の事情が必要となろう。また、Aは一〇〇〇万円が殺害費用であったと供述し、Dは殺害費用が五〇〇万円であったとか一五〇〇万円であったとか供述し(後述のとおり、被告人の自白は一五〇〇万円が殺害費用であったという。)、重要部分において供述がくい違っていること自体、同じ事実を体験した者の供述として極めて不自然であると言わざるを得ず、被告人がAらに渡した現金や手形の殺害費用性について強い疑問を生じさせるものである。

次にD供述であるが、D供述は、五〇〇万円が殺害費用だと述べているのか、一五〇〇万円が殺害費用だと述べているのか、必ずしもはっきりしないが、そもそも、三月中旬にKW商事において、被告人、A、Dの三者でE1殺害の共謀が成立し、その帰りにAから、一億円の報酬の分配につき、「Dさんに三〇〇〇、自分(A)が三〇〇〇、Bが三〇〇〇、あとの一〇〇〇はこの費用だ。」という趣旨の話があったというのである(四二回公判)。したがって、このD供述によれば、E1殺害後に支払われるべき一億円の報酬の中に殺害費用が含まれていることをAも了承していたということになるのである。それにもかかわらず、四月七日に殺害費用が支払われることになったということについて何の説明もない。供述自体の中に矛盾がある。また、Dが、共謀成立までの状況については、詳細に供述しているのに、肝心の殺害費用の授受の点になると、かなりあいまいな供述になり、四月七日のKW商事からの帰りの自動車内で北海道行きの費用を取りに行ったことが分かったと供述していることも、不自然さを否めないところである。更に、Dが、殺害費用の授受につきかなりあいまいな供述をしている反面、高島暦による占いの件になると詳細に供述をしており、この点もD供述にかえって不自然さを感じさせる。

(四) 殺害費用等の分配状況

Aは、T商の紹介料二〇〇万円のうちの一〇〇万円及び額面四〇〇万円の手形をDに渡したと捜査段階、公判において供述しているのに対し、Dは、いずれも受け取っていないと供述している。

四〇〇万円の手形をDに渡したというAの捜査段階、公判供述が信用できないのは前記(8の(二))のとおりである(AがDに渡した現金、手形の明細を記載している<押収番号略>の六枚目のメモにも記載はない。)。何故に、Aは四〇〇万円の手形について、右の虚偽供述をするのであろうか。確かに、殺害費用として受け取った手形の一部をDに渡したことにすることで、E1殺害が、F2組から下請けしたものであって、A自身としては本件の首謀者ではないとして、刑事責任の軽減を図ろうとしたものと考えられるという見方も出てこよう。即ち、Aは、一〇〇〇万円が殺害費用として高額ではないかと問われて、E1殺害報酬の手付けのような意味合いもあり、だからこそF4やDから半分くれと言われて、Aの方がE1を北海道に連れていく旅費等を全部出すので四分六分にしてほしいと話して、Aが手形の六〇〇万円分を取り、Dに四〇〇万円の手形を渡したとまで言うからである(二二回公判)。しかしながら、一方で、四〇〇万円の手形についての被告人の公判供述が、一概に排斥できないことから考えると、Aは、殺害費用ではないものを殺害費用であるとするために、四〇〇万円の手形についても虚偽供述をしているのではないかという疑問を払拭できない。

また二〇〇万円がT商の紹介料という供述が虚偽である以上、それを前提とする一〇〇万円をDに渡したというAの捜査段階、公判供述も虚偽と考えざるを得ない。

(五) その他の点

四月五日にE1に三〇〇万円を貸すことになった経緯、いずれが札幌市の狸小路の地上げの話でE1を北海道に誘い出すことを考えついたかなどの点でも、Aは、被告人からのE1への貸付依頼の話をDが持ってきて、E1を北海道に誘うこともDが提案したと言うが、DはAがやったことと言い、両者の供述はくい違っている。少なくとも、前述のとおり、Aは、四月五日以前から、E1に対して、北海道行きを誘っていたことが認められるので、同日初めてE1を北海道に誘ったという供述が虚偽であることも前述したとおりである。

(六) まとめ

以上のとおり、A供述とD供述を比較すると、かなりの相違点があり、それらのうち、ある程度は、AとDがそれぞれの思惑により、自分の刑事責任を少しでも軽減することを企図して虚偽をまじえながら供述しているのではないかという説明ができるにしても、E1殺害の共謀の最終段階ともいうべき殺害費用の授受につき、金額や費用支払いにいたる経緯、費用の分配、授受の状況等、あまりにもくい違いを生じており、また、これまで指摘したとおりの多くの虚偽を含んでおり、全てを、自分の刑事責任を軽減するため、あるいは所属する組織への思惑があるとして合理的に説明することは困難であろう。A(捜査段階及び公判)及びD(公判)供述のうち、四月七日の最終共謀成立の核心部分についての信用性には大きな疑問が残り、E1殺害の共謀成立自体の信用性に疑問を入れざるを得ない。

14  B供述との比較検討

Bは、四月七日夜にAが大和グランドホテルに来て、翌日E1を北海道に連れていくと話した点では、捜査、公判を通じ一貫して供述しているが、捜査段階では、その際にDが同行したとか、Aから本件の三通の手形を見せられたとか供述していなかったのに、公判段階では大和グランドホテルにDが同行し、Aから本件の三通の手形を見せられた旨供述している。このくい違いにつき、Bは、捜査当時は暴力団に加入しており、Dの名を出したくなかったからと供述しているが、それならDが来たことを隠すだけでよく、手形を見ていることまで隠す必要はないのであるから、Bの説明は不合理である。四月七日にAが手形を見せたという点などは、共同審理を受けていたAに迎合したのではないかと思われる。

他方AがそれまでE1殺害についてBと話したのは、もっぱらどうやってE1を殺害するかについてであり、保険金の話や被告人、Dとのやり取り等について、細部は話していないにもかかわらず、四月七日に殺害費用として受け取った手形を見せたというのも唐突であろう。

したがって、四月七日に被告人から受け取った手形をBに見せたというA、Dの供述の信用性には疑いを入れざるを得ない。Bの証言の信用性を評価するうえで注意しなければならないのは、右に述べた以外にも、後述の、四月一一日の朝、Aが被告人に電話をかけた際、E1殺害を失敗した旨報告したという供述等の点にも表れているが、Aの供述に迎合する点が目立つということであり、そこには明示にしろ黙示にしろ、共同審理を受けていたAとBとの意思の連絡なり相互の迎合を前提にしないと理解しがたいものがあるということである。AやBがなぜそこまでして虚偽の供述をするのかという点については、同じ系列の暴力団組織に所属するAとBの互いの刑事責任を軽減する目的によるとしか考えられない。しかし、ここで考えなければならないのは、前述及び後述のように、Aの供述には捜査段階の供述自体にも虚偽が多いということである。したがって、Aの公判供述が捜査段階の供述とくい違い、くい違う理由が共同審理を受けていたBの供述に対する迎合という点に理由があるとしても、そのこと故に直ちにAの捜査段階の供述に信用性を認めることはできない。他の関係証拠との整合性等を詳細に検討せざるを得ないものである。

15  まとめ

以上1から14にわたって、検察官主張にかかる、四月七日に被告人がA、Dに対して、E1殺害費用等として現金五〇〇万円、手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を渡して、E1殺害の最終共謀が成立したという点を検討してきたが、それを総合評価した結果は、次のとおりである。

(一)  まず、西武信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座から四月五日(土曜日)に四〇〇万円が引き出されていること、これにKW商事にあった保管金の中から一〇〇万円を加えた合計五〇〇万円がAに渡されたこと、同月五日にAがE1方へ行く前にKW商事に寄った可能性が高いこと、金銭出納帳には、右五〇〇万円が四月七日に支払われた旨記載されているが、五日の支払いを勘違いして記載された可能性が否定できないこと、被告人がAに渡した現金、手形を記載して数度にわたってAに渡したメモにも、右五〇〇万円が七日に渡された旨の記載があるが、正確性に問題が残ること、殺害費用とされる三通の手形の約束手形帳控には、振出日欄に四月七日を意味する消去痕があるが、受取人欄には、被告人の弁解を裏付ける消去痕があるうえ、右手形の振出日欄の四月七日を意味する消去痕も、日付自体の正確性が必ずしも担保されていないし、手形がAに渡された日ではなく、J5あるいはJ14から手形振出を確認する電話がかかってきて割引に出されることが確実になった日を意味するようにも思われること、右手形の決済状況は、平塚土地代金あるいはそれを引当とした貸金、貸手形であるという被告人の弁解と矛盾しないこと、手形割引のために支払期日の連絡が遅くとも四月七日の午前中にはAあるいはJ5からAEへいかなければならないようにも思われるが、支払期日についてのAの捜査段階からの供述によると、四月六日に手形の支払期日が確定されていないから、七日の午前中までには、少なくともAからJ5に手形が渡されていたことを前提にしないと理解しがたいという疑問も残ること等からみて、現金と手形がAに渡されたのは四月五日である可能性が否定できない。

また、金銭出納帳、被告人がAに渡していたメモ、約束手形帳控の振出日欄の消去痕等の正確性に問題がなく、現金と手形が四月七日に渡されたものであるとしても、約束手形帳控の受取人欄の「平塚土地」等の消去痕から考えて、現金、手形の授受の趣旨は、E1殺害費用ではなく、平塚土地代金あるいはそれを引当とした貸金、貸手形である可能性が否定できない。

(二)  A供述は、四月五日にAとDがE1方に行き、AがE1に三〇〇万円を融資したこと、その際E1を殺害するために札幌市の狸小路の地上げの話にかこつけて同人に北海道行きを誘ったこと、翌六日にE1から北海道に同行する旨返答があったため、北海道にE1を誘い出して殺害することを決定したこと、そのため被告人にE1殺害の費用支払いを依頼したこと、四月七日にKW商事へ行って現金五〇〇万円と六月六日満期の三〇〇万円二通、四〇〇万円一通の合計一〇〇〇万円の手形を受け取ったこと、その際被告人が易で実行日を占い、犯行を実行する日はE1の運勢の悪い四月一一日がよいと被告人が言ったこと等、供述内容には、臨場感、一貫性もないではなく、そのうち一部は客観的に認められる関係証拠とも符合している。しかしながら、A供述は、四月五日にE1に三〇〇万円貸し付けることになった経過については、同日E1に会う前から北海道行きを誘っていたのに当日初めて誘ったように供述している点や被告人からの依頼がなかったと思われるのに、被告人からの依頼をDを通じて聞いて追加融資をするようになったと供述している点、同日E1方からの帰りにKW商事に寄っていないのに、E1方からの帰りにKW商事に寄り、北海道行きの件を被告人に報告し、E1に追加融資した三〇〇万円をもらおうと思ったが、KW商事にはそれだけの金がなかった、E1から受け取ったWT石材振出の六〇万円の小切手を被告人に渡したと供述している点、E1殺害費用請求をDに頼んでDにさせたという事実がないのにDにさせたと供述している点、現金五〇〇万円の内訳につき、三月二二日のT商の紹介料を同日もらったのに、四月七日にもらったと言い、E1に対する三〇〇万円の追加融資に相当する金員を被告人から支払ってもらっていないのに、四月七日被告人から受け取ったと供述している点、四月七日被告人から受け取った現金と手形の中から現金一〇〇万円と四〇〇万円の手形をDに渡していないのに渡したと供述している点、本件手形のうち四〇〇万円の手形をF10に渡したのは、A自身の目的のために渡していると思われるのに、Dに割引の仲介を依頼されたからにすぎないと供述している点、手形を受け取った後、大和グランドホテルに行って、上京していたBと会った際、手形を見せていないと思われるのに、見せたと供述している点等のいくつもの点で、虚偽が含まれていて信用しがたい。Aの言う殺害費用受け渡しの経緯についての供述だけでも、これだけの虚偽が含まれており、単なる記憶違いということではとうてい説明がつかず、意識的に虚偽供述をしているものとみられる。Aが、虚偽の供述をしていることは、E1殺害がF2組からの請負仕事であることを印象づけたり、現金は殺害費用ではなく一〇〇〇万円の手形のみが殺害費用であると強調することにより、殺害費用性を強く印象づけ、A自身が本件の首謀者でないとして、自己の刑事責任を軽減しようと考えてのものではないかという理由も考えられる。しかし、これだけ虚偽あるいは虚偽と断定できないまでも、信用性が認めがたい供述が多いと、それ以外の被告人とのE1殺害の共謀があったという供述を区別してそれに信用性を認めるには、特段の事情が必要となるが、前述したようにAが殺害費用だという手形の解釈としては、むしろ殺害費用ではなく、平塚土地の取引に関係した手形であった可能性が否定できないのであって、Aの右信用できない部分を除いて、被告人から殺害費用を受け取ったという点に信用性を与えるに足りる特段の事情はないと言わざるを得ないものである。

(三)  D供述も同様に、供述内容には自然さ、臨場感、一貫性が窺えないでもなく、また客観的に認められる関係証拠と符合する点も多い。しかし、Dは、逮捕時点のずれから、A供述、被告人の弁解内容等、Aや被告人の供述の概要を承知したうえで供述していることが窺えるので、その供述の評価には慎重でなければならず、前述の三月二二日の顔合わせの件についての供述の信用性が乏しいこと、四月五日にE1方に追加融資のために行った帰りにKW商事に寄ったとは認めがたいのに、KW商事に寄ってAが被告人に対して、E1に三〇〇万円追加融資をし、E1を北海道に連れていくことになったとか話したと供述していること、四月七日の現金、手形の授受の状況についての供述が不自然であり、殺害費用であることが帰りの自動車内で分かったとか不自然な供述をしていること等からすると、A供述同様、四月七日に被告人から殺害費用を受け取ったという点について信用性を認めるに足る特段の事情に乏しい。

(四)  検察官主張のとおり、四月七日に被告人がA、Dに対してE1殺害費用を渡したとすれば、そのことが被告人とAらとの間におけるE1殺害の共謀を決定的に推認させる事実となってくるのであるが、そのことについての疑問は以上述べたとおりである。四月七日に殺害費用が渡されたという検察官の主張は、一億円の殺害報酬を獲得するのがAの犯行の動機であり、三月二五、六日ころ、被告人、A、Dの間でE1殺害が合意されたという前提の上に立っている。しかし、四月七日の殺害費用の授受に関して疑問が残るということになれば、その前提となる、A、D供述のいう殺害の動機、三月二五、六日ころKW商事でE1殺害の合意が成立したという点にも疑問を生じさせることにならざるを得ない。

五 四月八日からE1殺害までの状況

1  北海道から毎日被告人とDに経過を報告したという供述

Aは、北海道から毎日被告人とF2組に電話で経過を報告したと証言している(二〇回公判)。しかしながら、この点について、被告人が公判で否認しているのは当然としても(被告人の自白調書にさえそのような事実は出てこない。)、Dもこれを否定している(四六回公判)のみならず、BやF21も毎日連絡を取っていたとまでは供述しておらず、Aの毎日被告人らに連絡していたという証言は、これを裏付ける証拠がなく、信用しがたい。

2  四月八日夜、Aが札幌から被告人に電話をかけて、E1に同行してきた二名のことを問い合わせたという供述

(一) 検察官及び弁護人の主張

検察官の主張は、論告の中でふれられていないので不明であるが、冒頭陳述によると、AがE1に同行してきたE2及びE3と面識がなかったので、四月八日夜札幌のホテルから被告人に電話をかけて、右二名の人相、風体を話してどのような素性の者であるか聞いたところ、年配の人物が弁護士崩れのE2という男で、KW商事振出の手形を変造したことがあるから要注意人物である旨の情報を得た、というものである。

弁護士の主張は、Aが被告人にそのような電話をしたことはなく、Aは、以前被告人からE2のことを聞いていたし、四月八日夜から九日朝までの間にAがE1からE2のことを聞いたというものである。

(二) 証拠上確実に認定できる事実

関係証拠によれば、Aは、四月八日、E1と一緒に飛行機で北海道入りする予定であったが、E1が飛行機の出発時刻に遅れたため、先に、B、F21(F2組組員)の両名と共に羽田空港を発ち、同日夕方、札幌市内の札幌グランドホテルに到着したこと、他方E1は、知人の株式会社P運輸代表取締役であるE2及びE1の債権者でもある有限会社KS商事社員のE3(F26一家にも所属。)の両名を連れ、一時間ほど遅れて羽田空港を発ち、同日夜同ホテルに到着したこと、A、B、F21の三名は、札幌市内のキャバレー「××」で飲酒していたところ、E1がE2及びE3を伴って同所へ来たこと、E1らはAと別の席を取って飲酒し、E1はAの席に来て、簡単な話をしたが、Aは、挨拶は翌日にということにしてE2らとは話を交わさずにホテルに帰ったこと、同夜E1はE3と同室に宿泊したこと、が認められる。

(三) Aの供述、E2証言等

Aは、「E1が初対面の二人を連れてきたので話をせずに、先に札幌グランドホテルに戻り、被告人に電話をかけた。その際E1が北海道へやってきたことを伝えるとともに、E1が、一人は真っ白な髪、銀縁の眼鏡、背は自分より一〇センチほど低い、五〇歳過ぎの男、他の一人は若い二四、五歳のあんちゃんを連れてきたが心当たりがないかと聞いた。被告人は、年配の人物は弁護士崩れのE2という男であり、KW商事振出の手形を変造するなどしたこともあり、要注意人物である、他の方は心当たりがない、と話した。」と四月八日の夜に被告人に電話をかけ、E2らについての情報を得たと供述している〔九月八日付検察官調書(<書証番号略>)、一七回公判〕〔但し、E2証言(五回公判)によれば、E2が四月八日に北海道に行った際に使用していた眼鏡は、銀縁ではなく、べっ甲である。〕。

また、E2は、四月九日の朝、Aが「俺はE2さん、みんな知っているんだよ、あんたのことは。」と言って、E2とE1によるKW商事振出の手形の変造の件を知っていると匂わせた、Aは、E2が右変造手形につきKW商事に対して提起した手形訴訟の件で手形を売れよとか言ってきた、したがって、被告人やE1らしか知らないことをAが知っていたのは、四月八日夜から九日朝にかけて、Aが被告人に電話してこれらの情報を集めたに違いない、旨証言する(五回公判)。

E2証言、甲3の八月二五日付警察官調書(<書証番号略>)によれば、E1が、昭和六〇年の一一月末から一二月初めにかけて、KW商事振出の手形の支払期日が一一月三〇日になっているのを、E2の目の前で一二月三〇日に変造し、E2がその手形を同年一二月末に取立てに回したところ、被告人は手形金を預託して支払わず、その後E2がKW商事に対して手形訴訟を起こし勝訴したが、KW商事が異議を出して通常訴訟に移行したことは間違いない。このような手形の変造に関する一連の事情まで知っているのは、E2以外には、E1か被告人くらいしか考えられない。

また、札幌グランドホテル支配人J11の警察官調書(<書証番号略>)によれば、四月八日、Aがホテルの自室からどこかへ一回電話を入れ、その料金が七〇〇円であったことが認められる。

(四) Aの供述、E2証言の検討

Aは、四月八日夜被告人に電話をしてE2の件を問い合わせて教えてもらった旨証言するが、他方で、第一回目の証人喚問においては、四月九日朝にE2証言のような話は出てこないし、むしろ、E1殺害後の四月一二日の夜、函館市内の宿泊先のホテルで、その日警察でE2が、E1が海に落ちて行方不明になった件につき、事故ではなく謀殺された旨話していることを知ったため、そのことでE2に文句を言った際に、手形の変造の件等も話したと言い(一七回公判)、第二回目の証人喚問においても、四月九日朝E2に手形変造の話はしていない旨、また、札幌で会うまでE2の人相は知らなかったが、手形の変造に関係したことは、北海道行き以前に被告人から聞いていたと言う(六六回公判)。E2証言も、四月一二日深夜、E1の海中への転落を直後からAらによる殺人であると疑っているE2とAとの間で一、二時間大声で喧嘩し合ったと言い、その際手形の件についても少しふれたと言う。

したがって、E2証言によれば、四月九日朝と一二日夜、Aの供述によれば、同月一二日夜にAが手形変造の話をしたということになる。しかし、手形の変造といういわばE2への非難につながることを初対面の席からAが話に持ち出すのは不自然な感じが否めず、一二日深夜の喧嘩の際に変造の件をAが持ち出したとみるのが、いかにも迫真性、臨場感があり、自然であろう。いかにAといえ、E1殺害を前にして、手形変造のようなE1の同行者に殺害後疑惑をもたれかねないような話をE1がすぐそばにいる時にするとは考えにくく、四月一二日夜に話したものと思われる。また、Aが四月九日朝E2に手形の変造の件等を話したことを隠すべき理由は見出しがたいし、E2も、一二日の夜に手形の件がAとの間で話に出たこと自体は認めている。むしろ、E2が、かねて、E1から頼りにされていたし、E1殺害後はE1の遺族の依頼でE1屋商事の支配人になり、債務の整理に当たっている関係があること、北海道におけるE1やAらの不可解な行動を間近に見ていて、E1殺害の直後からAらによるE1殺害を強く疑っていたこと等を考えると、Aに対してかなりの偏見を有していたのではないかと思われ、E2証言は、四月一二日深夜におけるAの話を九日朝の話に置き替えて話しているのではないかという疑問を差し挟まざるを得ない。E2証言の信用性には疑問がある。

そしてAに同行していたF21も、四月八日夜のAの様子について「ホテルに帰るまでAとE2のことについて話した内容ははっきり覚えていないが、Aは何者だろうという感じで気にしていた。」(一〇回公判)、「帰りのタクシーの中でAに聞いたら、知らないと言っていた。」(一一回公判)と供述しているが、F21はさらに翌朝のAとE2らの挨拶の場に同席したはずなのに、Aの様子について、「翌日の朝、AはE2らのことが多少分かったような感じを受けた。」(一〇回公判)、「翌朝はある程度E2の素性が分かって職業とかを聞いている風だった。最初は先生と紹介されたが、先生などという商売ではないようなことを言っていた。」(一一回公判)と供述しているにすぎず、E2証言とかなりニュアンスが異なる証言をしている。

四月九日朝にAが手形変造の件をE2に話していないとすると、Aは一二日の殺害までE1を連れ回しているから、その間にE1からE2の件を聞き出したり、以前被告人から聞いていたE2についての話から、E1に同行して来たのがそのE2であると特定できるようになったものではないかと思われる(なお、四月八日夜にAが被告人にE2のことで電話をかけて問い合わせたような形跡は、被告人の自白調書にも全く出てこない。)。すでに倒産しているE1が、三月二二日に一〇〇〇万円の融資を受けた件や、四月五日にも三〇〇万円追加融資を受けた件、狸小路のもうけ話等でAを信用していたと思われ、Aにすれば、E1からE2について情報を聞き出すことも困難とは思えない。四月八日に電話で問い合わせたという前記A供述には疑問が残る。

もっとも、AがE2のことを被告人に問い合わせること自体は、被告人についてE1殺害の共謀が成立していたことを前提としなくてもありうることであるから、仮に四月八日夜のAから被告人に対する右電話が認定できるとしても、そのことを共謀認定に傾く事情として過大視することはできない。

(五) 被告人の弁解(公判供述)の検討

被告人は、この点につき公判廷において、三月二二日、E1に一〇〇〇万円貸した後、Aらと共にKW商事に寄り、その際の話の中でE1の背後にE2という人物がいる、手形を変造した人物だから気をつけろと話した、と供述する(四九回公判)。AもDも、三月二二日にE1に一〇〇〇万円貸した後に寄ったKW商事の事務所で、E1が印鑑を騙そうとした件について話したことや、その際のやりとりについて詳細に供述しているにもかかわらず、E2の件を話したことは全く供述していなかったが、そもそもその点について質問自体を受けていなかったし、Aも第二回目の証人喚問された際に、以前被告人からE2の件を聞いていたと供述しており、Aが聞いたとすれば、三月二二日のE1に対する偽装貸付の時である可能性が高いので、一概に被告人の右公判供述を排斥することはできない。

3  四月一一日の三〇〇万円の追加送金

(一) 検察官及び弁護人の主張

検察官の主張は、四月一〇日夜、Aは函館市内の湯の川観光ホテルから被告人に電話をかけ、E1殺害費用の件で経費が足りなくなったので三〇〇万円位住友銀行築地支店のA名義の口座に振り込むよう依頼したところ、被告人も承諾し、翌一一日、被告人がF17に依頼して五〇〇万円を青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に振り込んでもらい、その中から三〇〇万円を右A名義の口座に振込送金した、というものである。

弁護人の主張は、Aは、四月八日から一〇日にかけて、毎日DにE1殺害計画の進行状況を報告していたが、手持資金が不足してきたのて、Dに対し、適当な口座を使って被告人から三〇〇万円ばかり借りてほしい旨依頼した、Dは、一〇日夕方ころ、被告人に電話をかけて、手形を落す資金に困っているので三〇〇万円貸してほしいと頼んだところ、被告人は、南千住の物件の問題やT商からの融資の件でAを紹介してもらった義理があるので承諾した、ただ、DとAの人間関係やDからの電話の内容からして、AもDも共同であると思っていたので、Dに対する貸付けにすべきか、Aに対する貸付けか漠然としたままであり、Dからの依頼なのでDの名前で送金したが、振込先はAの口座なので、帳簿上の処理はAに対する貸付けのような処理になった、というものである。

(二) 証拠上確実に認定できる事実

四月一〇日の時点におけるKW商事の主力金融機関である青梅信用金庫東久留米支店の預金残高は約四万五〇〇〇円〔捜査報告書(<書証番号略>)〕、西武信用金庫東久留米支店のそれは一五四円であり〔捜査報告書(<書証番号略>)〕、同日被告人の依頼によりKハウジングのF17が青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に五〇〇万円を送金し、同日被告人がF24に指示して、右金員の中から三〇〇万円をDの名義でA名義の住友銀行築地支店の口座に送金したことは間違いない。

KW商事の銀行勘定帳(<押収番号略>)の青梅信用金庫関係の四月一一日の欄には摘要「立替金SO」として三〇〇万円を引き出した旨記載されており、これによると右三〇〇万円が、Dではなく、Aに対して送金する意図のもとに引き出されたものではないかと、一応理解できる。また、F17は、四月一一日にKW商事に五〇〇万円を振り込んだ経過について、「四月一一日ころ、被告人から電話で、金が足りないので五〇〇万円金を入れてほしい旨頼まれ、青梅信用金庫のKW商事の口座に五〇〇万円を振込送金した。KWハウジングの出納簿には、当初支払先としてKW商事と記載したが、その後、被告人からこの五〇〇万円については金山町の物件の代金の一部としてAに払った旨の連絡を受けたため、出納簿の記載をF14(A)に訂正した。」という趣旨の供述をしている〔八月一九日付検察官調書(<書証番号略>)〕。したがって、被告人はF17に頼んで資金を調達し、A名義の銀行口座に送金したものと認められる。

(三) 判断

(1) 検察官の主張及びこれに副うAの供述に対する疑問

① 約束手形帳控の「平塚土地」等の消去痕との関係

前述のとおり、検察官がE1殺害費用等と主張する現金五〇〇万円と手形三通が被告人からAに対して渡されたのは、四月五日である可能性が否定できず、また四月七日に渡されたとしても手形三通の約束手形帳控に「平塚土地」等の消去痕があり、被告人が現金や手形を渡した趣旨が、E1殺害費用ではなく、被告人の公判供述(四九回公判等)のように平塚土地代金を引当にした貸金等の可能性がある。そうであれば、それらの授受の際には、AがE1殺害の意図を被告人に隠していた、あるいは少なくともAがE1殺害についての被告人の意向を確認していなかったことになろうし、Aの前述した偽装供述をも加味すると、殺害費用の追加送金とされる三〇〇万円についても、Aが直接被告人に電話で依頼したとしても、殺害費用の追加であるという趣旨を隠したうえで、あるいは少なくとも殺害費用の追加であることの趣旨が被告人に伝わらないまま、D名義での送金を依頼した可能性も否定できないように思われる。

② <押収番号略>(七枚目)の「D1」の記載

<押収番号略>の七枚目の被告人作成にかかる被告人がAに渡した金銭の一覧表(メモ)によると、四月一一日に三〇〇万円を被告人が振込送金した記載のところに、Aが記載したと思われる「D1」という文字がある。この記載は、何らかのことを意味しているのであろうから、この「D1」の意味を検討する。

同じ一覧表の五月二三日の五五〇万円の振込みのところにも「D1」と記載されている。更に<押収番号略>のメモ(七月一二日付)には、五月三〇日の五五〇万円の振込送金のところにもAが、Dを意味する「D1」の記載をしており、この記載について、Aは、この金員をDが使ったという意味であると言う(一八回公判)。また、<押収番号略>の二枚目のF29(昭和六一年五月ころAと知り合い、SOの仕事を手伝うようになり、一一月ころから役員になる。同年一二月にAから杯をもらっている。)作成にかかる被告人からAに流れた金銭、手形の一覧表によると〔被告人がAに渡していた手形の一覧表(メモ)に基づいて、右F29が作成したもの〕、六月一九日振出の額面一五〇万円、六月二三日振出の額面三〇〇万円、同一〇〇万円、七月八日振出の額面二〇〇万円の手形の合計四か所に「D1」の記載があり、これについて、AはいずれもDに渡した手形であると言う(二一回公判)。

(a) <押収番号略>の「D1」、<押収番号略>の「D1」の記載の意味の検討

ア <押収番号略>の検討

まず、<押収番号略>の五月三〇日に被告人がAに振込送金している五五〇万円のところに記載のある「D1」の意味であるが、<押収番号略>の六枚目の「D氏分」と記載のある一覧表の三月三一日の欄を見ると「(現金)550手形割引(内300万円をD氏)」の記載がある。三月三一日、被告人がAに対して、額面五五〇万円の手形を振り出しているところ(手形番号HA82768。振出日は三月三一日、支払期日は五月三〇日。該当する約束手形帳控は<押収番号略>。約束手形帳控に手形本券の手形番号が切りとられて貼り付けてあるが、裏から透かして見ると、金額と支払期日が判読できる。)、右「D氏分」と記載のある一覧表の右記載内容自体やA証言から考えると、この手形の割引金のうち三〇〇万円をDに渡したため、<押収番号略>の五月三〇日の欄に「D1」と記載したものと思われ、金員をDが使ったというA証言に不自然さはない。

イ <押収番号略>の二枚目の検討

<押収番号略>の二枚目の一覧表の各「D1」であるが、まず、六月一九日振出の額面一五〇万円の手形については、右六枚目の「D氏分」と記載のある一覧表の六月一九日の欄に「150万100万 手形」と記載があるので、この一五〇万円の手形がDに渡ったことを意味すると思われる。七月八日振出の額面二〇〇万円の手形についても、右「D氏分」と記載のある一覧表の七月八日の欄に「200万 手形」と記載があるので、この手形がDに渡ったことを意味するものと思われる。六月二三日振出の額面三〇〇万円の手形(HA86372)及び一〇〇万円の手形(HA86375)については、この二通の手形(<押収番号略>)の支払期日が一〇月二〇日であるところ、右「D氏分」と記載のある一覧表の一〇月二〇日の欄に「300万 6月26日振出し分」と記載がある〔六月二六日に振り出された手形(<押収番号略>のHA86551ないし同86561)の中には、一〇月二〇日満期の手形がないので、右「6月26日振出し分」は、六月二三日の誤記と思われる。〕ので、少なくとも、三〇〇万円の手形については、Dに渡っていることを意味するものと思われる。この表には、一〇月二〇日の欄の右記載の後、一行おいて、更に「250万」の記載もある。

以上述べた限度では、Dに渡したというA証言に不自然さはない。

ウ <押収番号略>の七枚目の検討

<押収番号略>の七枚目の一覧表のうち、五月二三日に被告人が振込送金した五五〇万円の欄に記載のある「D1」の意味については、右「D氏分」と記載のある一覧表にも手掛かりとなる記載がなく、どのような意味かは判然としない。

(b) 評価

ア <押収番号略>の七枚目の一覧表のうち、問題の四月一一日の三〇〇万円の振込送金のところに記載のある「D1」の意味であるが、この点については捜査段階で問題意識をもって捜査がなされた形跡がないし、右「D氏分」と記載のある一覧表にも手掛かりとなる記載がなく、これのみではどのような意味かは判然としない。しかし、右(②の(a)のア)に説明したとおり、<押収番号略>の五月三〇日に被告人がAに振込送金している五五〇万円のところに記載のある「D1」の意味がA証言のように割引金の一部をDが使ったという意味に理解でき、また<押収番号略>の二枚目の一覧表に記載の「D1」も概ねDに渡った手形を意味するものと理解できるから、この三〇〇万円も同様にDが使ったという意味に理解してよさそうにも思えるが、これについては、Dが使った分を記載したものと理解できる右「D氏分」と記載のある一覧表に該当する記載がない。

また、四月一一日に振り込まれた三〇〇万円の使用状況をみてみると、捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)によれば、四月一一日に被告人から三〇〇万円が送金されたことによって、住友銀行築地支店のAの口座の残高が三一三万七四三四円となり、Aが函館にいた間の四月一四日から一五日のうち合計三〇〇万円が九回にわたって引き出されている(更に、この九回の引き出しのうち、八回については、住友銀行以外の金融機関の自動現金支払機を使用してCDカードで引き出したことによると思われる各一〇〇円の手数料がかかっている。)。この捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)によれば、四月一四日に引き出された一〇〇万円もCDカードで引き出した旨の記載があるが、この引き出しには手数料一〇〇円の記載がないので、CDカードではなく、Aが配下の者たちに預けていた通帳によって住友銀行の本支店で引き出されたものとも思える。

イ 少なくとも、右一〇〇万円を除いた二〇〇万円が函館で引き出されているので、これをDが使った可能性は考えがたい。したがって、Dが使った可能性があるとすれば、右通帳で引き出された可能性もある一〇〇万円であるが、これも、もしDが使用していれば、右「D氏分」と記載のある一覧表に記載されるのではないかと思われるし、Dが使ったという証拠はどこにもない。

四月一一日の三〇〇万円の送金は、D名義でなされているところ、A証言によれば、D名義による送金であることを知ったのは逮捕後、取調官から聞いたことによるというものであるから(一七回公判)、D名義による送金を意味するものともいいにくいし、実際はAのためであるけれども、Aの名義で送金されたにすぎないのであれば、あえてメモにまで「D1」と記載する必要はないであろう。そうなれば、事情は判然としないが、被告人の公判供述のようにAが、Dに依頼して被告人から借金をさせて三〇〇万円を送金させたことを意味するという可能性もあながち否定できないように思われる。即ち、被告人の公判供述のように、Dからの借金の申込みによってAの口座に三〇〇万円を振り込んだという可能性である。

仮に、右一〇〇万円をDが使ったものといえるとしても、これはAが北海道にいる間に引き出されており、A証言(二一回公判)のように、Dに現金や手形を渡すのは、配当の意味合いもあるとして、右「D1」の記載も配当を意味するとすれば、この三〇〇万円を被告人から送金させるに当たってのDの尽力ということになろうから、それはDを介して送金させた、ひいては被告人の公判供述(四九回公判等)のように、Dからの借金の申込みによって被告人がAの口座に振り込んだのではないかという解釈につながる。

③ Aの供述自体についての疑問

Aは、捜査段階から、E1殺害について、F2組が元請けであり、自分は同組から下請けしたものにすぎず、四月七日の殺害費用にしてもDを通じて頼んだと供述しているのに、この三〇〇万円の追加送金依頼は、A自ら行ったと証言する(一七回公判等)。このような三〇〇万円の送金についてのAの証言は、たとえば、E1殺害の最終共謀成立(殺害費用の授受)までのAと被告人の間の連絡をDが行い、四月六日のE1殺害費用を依頼する連絡等もDを通じて行ったというように、Dの役割をかなり強調しているそれまでの経緯についての捜査段階からの供述に比して、殺害の追加費用については自ら連絡したというのであるから、それなりに迫真性、臨場感もある反面、かえって供述全体からみると不自然さも与えるものである。

④ 被告人による三〇〇万円の工面

四月一一日にF17が被告人に五〇〇万円を送金し、後日、被告人がF17に対してこの五〇〇万円をAに対する金山町の物件の購入代金の支払いに当てたと連絡している。この点であるが、被告人は、三月二二日、T商でAに対して、本来KWハウジングが支払うべき金山町の物件の売買代金の立替払いとして一五〇〇万円を支払う形でAのT商に対する債務を支払っている。被告人としては、KWハウジングに対して、このとき立て替えた一五〇〇万円を請求できるわけであり、KWハウジングから四月一〇日に一〇〇〇万円の返済を受けており、残り五〇〇万円の返済を受けるべき関係にあった。したがって、この五〇〇万円をKWハウジングから支払ってもらい、後日被告人がF17に対して、金山町の物件の購入代金の支払いに当てたと連絡すること自体には不自然さはない。更に被告人は、四月三日にも平塚土地代金として五〇〇万円をKWハウジングの名義でAに送金していた。

このような事情や、それまでの南千住の物件の問題等をめぐる被告人とA、Dの関係を考えると、被告人としては、Aから三〇〇万円の送金の依頼があれば、E1殺害費用でなくても依頼に応じるだけの理由があるものと思われる。また、格別借金して送金したともいいがたく、無理して送金したというのも当たらない。

⑤ 偽名使用の問題

被告人が、A名義の住友銀行築地支店の口座に送金した状況をみると、最初の送金は四月三日にKWハウジング名義でなされている(四月一日のKWハウジング名義の七〇〇万円の送金は、実際に送金したのもKWハウジングである。)ところ、これは、平塚土地代金の支払いであるから、KWハウジング名義でなされていてもおかしくない。以後、問題の四月一一日の三〇〇万円の送金を含め、何回も被告人が送金しているのに送金者の名義人としてKW商事の名前はほとんど使われず、四月一一日の送金以外は、大部分がA1とかの偽名であり、被告人はこれをやくざ者であるAの口座にKW商事の名前を出したくなかったからであると五一回公判で説明している。そうであれば、四月一一日のD名義の送金も偽名を用いたとみるのも一つの見方であろう。しかしながら、偽名を使用した趣旨は、その後ほとんど偽名で送金していることや、右③、④で説明した点から考えると、この送金についても、殺害費用であるから偽名を用いたというものではなく、殺害費用という認識はなかったが、暴力団組長であるAの口座にKW商事の名前を出したくなかったからD名義で送金したのではないかという可能性が否定できないようにも思われる〔被告人が、自白から否認に転じた九月一九日付検察官調書(<書証番号略>)において、「Aから一一日ころに金を貸してくれと電話があった。」と供述しているのも、このような意味に理解できるものと思われる。〕。

(2) 被告人の弁解(公判供述)

確かに、被告人は、四九回公判において、「四月一〇日の夕方だと思うが、Dから貸してくれないかと電話があり、三〇〇万円都合をつけた。DがAの口座を教え、自分名義でそれに送ってくれないかと言ったので、事務員のF24に言って、D名義で送金させた。Dに貸したことになる。」と供述し、その後も一貫してその旨供述しているが、捜査段階でDから振込みの依頼があったことを供述していないにもかかわらず、四九回公判になってDからの依頼で振り込んだと供述を変更したことについて、「捜査段階では頭に浮かばなかった。Dがどうのこうのということは出なかった。警察官に話したかどうかはっきりしない。聞かれた段階では自分が振込みを指示したものであることも分からなかった。」(五二回公判)と弁解するにとどまっている(この点については、取調べ済みの被告人の自白調書を見る限り、この点についてふれたものがないから、捜査段階においては、取調官に前記<押収番号略>の七枚目の四月一一日の三〇〇万円についての「D1」の記載についての問題意識自体が乏しかったようである。)。

Dは、Aが北海道にいる間にAから連絡がきたことはない旨証言するが(四六回公判)、これはともかくとして、KW商事の銀行勘定帳の四月一一日の欄には「立替金SO」としてAのために三〇〇万円が引き出されたことを意味する記載がなされていることは前記のとおりであり、右のとおり、一方で被告人は、この三〇〇万円はDに貸したことになると公判で供述しているのであるから、銀行勘定帳の記載はDに貸したという右公判供述と合わない。このように記載された理由について被告人は、「A経由で出ているから書いたと思う。甲2やF24への指示もはっきりしない。」と供述するが(五二回公判)、A経由で出ているとしても、なぜそれでDに対する立替金(貸付)と記載せずにAに対する立替金と記載したのか、判然としない。また銀行勘定帳の右記載は、被告人の意向を受けて記載されていると思われるにもかかわらず、右のような記載について、あいまいな供述をするのみで、合理的な説明をしない。

しかしながら、被告人の公判供述に不合理な点もあることは否めないにしても、検察官の主張する殺害の追加費用ということについても大きな疑問が存することも前述したとおりである。

(四) まとめ

以上のとおりであって、四月一一日の三〇〇万円の送金についても、十分な裏付捜査はなされておらず、被告人の公判供述に不合理性も残るものの、A証言のとおりに、被告人がE1殺害の追加費用であることを認識してAに送金したものと評価してよいかどうかには疑問が残ると言わざるを得ない。

4  四月一一日に殺害失敗の電話をかけたという供述

(一) 検察官及び弁護人の主張

検察官の主張は、Bが四月一〇日夜、夜釣りにかこつけてE1を海から突き落として殺害する計画であったが、実行者として予定していた配下のF3に逃走されて殺害できなかった、そこで、Aは、翌一一日午前九時ころ被告人に電話をかけてそのことを伝えた、すると被告人は、一一日が易で占ったE1殺害の最適日であるので、極力実行してほしい旨述べた、というものである。

一方、弁護人の主張は、四月一一日午前中にAから被告人に右のような電話がかかってきたことはない、というものである。

(二) A及びBの証言

(1) A証言の検討

Aの公判供述は、四月一一日、函館市の湯の川観光ホテルで午前七時ころ起きると、Bが部屋に来て、F3に逃げられて昨晩はE1殺害を実行できなかった旨報告を受けた、BはF3を捜すと言って出て言った、午前九時ころ被告人に電話をかけて殺害できなかったことを話すと、被告人は、四月一一日が一番運命の日であるから極力やってくれという趣旨のことを言った、電話の最中にBが部屋に入って来て、電話をそばで聞いていた、電話を終えて七ないし一〇分くらい後にF4から電話があり、今日殺害するという被告人との約束もあるので、今日やってくれと言われ、途中でDに代わった、電話の後F16とF21が部屋に来た、正午ころから、B、F21、F16がAの部屋でビールを飲み始め、その後Bは出て行った、というものである(一七回、二〇回公判)。

この点についてのAの八月三一日付検察官調書(<書証番号略>)(立証趣旨は、供述経緯である。)には、四月一一日午前九時ころ、被告人の自宅に電話をすると、被告人から「今日は日がいいから明日の日の出までにやってほしい。」と言われ、Aが「結婚式じゃねえんだぞ。」などと話しているところにBが部屋に入って来て、F3が逃げてしまって殺害できなかった旨の報告を受けたので、被告人にも「ゴムボートを揃えたんだけれども若い衆がいなくなったので今日はだめかもしれない。」と話し、被告人との電話の終了後五ないし一〇分後、F4から電話があって、F4から「KWの社長が今日は日がいいと言ってるぞ。急いで今日はやってくれよ。」と言われた、という記載がある。この検察官調書には、この日に被告人に電話をかけた理由の記載がない。

Aは、証言とこの検察官調書とのくい違いについて(Bが部屋に来た回数、F3の逃亡によるE1殺害の失敗の報告を受けた時刻等)は、証言の方が正しく、取調べの際はBからの報告と被告人への電話を同時と思って勘違いしたという。

しかし、供述内容で異なるのは、Bが部屋に来た回数、BからF3逃亡の報告を受けた時刻のみにとどまらない。即ち、右検察官調書には、前記のとおり、E1殺害を実行できなかったことを知らされる前に被告人に電話をかけて話している途中で部屋に入って来たBからF3の逃亡により殺害できなかった旨の報告を受けたので被告人にもその旨話したという趣旨の記載がある。一方、A証言の方は、午前七時ころ、Bから殺害失敗の報告を受けたことをふまえて、午前九時ころ被告人に電話をかけたというのであり、E1殺害の失敗を報告するために電話をかけたものということになると思われる。したがって、E1殺害を実行できなかったことについて報告を受けた時期と電話をかけた時期の前後関係(電話をかけた趣旨、経緯)も右検察官調書の記載と証言とでくい違うことになる。Bが部屋に来た回数や報告を受けた時間のみにとどまらず、右報告と電話の前後関係(電話をかけた趣旨、経緯)まで取調べの際には勘違いをしたというのは奇妙であり、A証言の信用性を減殺するものである。

また、殺害方法等の具体的なことを何も聞かされていない被告人が、高島暦でE1の運勢が悪い日として出たという理由で、四月一一日の当日の朝にも、今日殺害してほしいとまで話すこと自体、不自然である。

以上のとおりであり、A証言は不自然・不合理であって虚偽と言わざるを得ず、信用性はない。

(2) B証言の検討

B証言(一二回公判等)の内容は、四月一一日午前七時ころ、Aの部屋へ行きF3の逃亡によりE1を殺害できなかった旨の報告をした、一旦Aの部屋を出て札幌にいるCに函館に来るようにという電話をかけたりした後、再度Aの部屋に入るとAが被告人と電話で話している最中であった、被告人は、今日中にE1を殺害してくれと言っているようだった、電話終了後、一〇分くらいしてF4からAに電話があり、F4も今日中にE1を殺害してほしいと言っているようだった、というものである。

Bは、検察官調書で二回目にAの部屋に行った件とその際の出来事を供述していない点について、やくざ社会では代紋違いの者の名前を出すのはタブーであり、右の点について供述すれば、F4の件にもふれざるを得ないから、F4の名前を隠すために供述しなかった、という(一二回公判)。

しかしながら、まず、検察官調書とのくい違いの点であるが、F4の名前を隠したいのであれば、F4から電話があったことのみを隠せば足りるのであって、二回目のAの部屋へ行ったこと自体を隠す必要性はないし、AはむしろF4に責任をできるだけかぶせることによって自分の刑事責任を軽減しようという姿勢が顕著である。Aと同じ系列の組織に所属するBにF4の名前を隠したいという意向があったものとも思われないから、Bの右説明は不合理である。また、Bの右供述内容の変遷は、Aの供述内容の変遷と同じであり、そのこと自体、AとBが意思を通じ合って、あるいは互いに迎合して捜査段階の供述内容を意識的に変更していることを強く窺わせる事情である。B証言も虚偽と言わざるを得ず、信用性はない。

(三) まとめ

以上のとおりであって、四月一一日にBがAに対してF3の逃亡を報告したことは間違いないであろうが、更に、そのことをその日の午前中にAが被告人に電話で伝えたというA証言、B証言はいずれも虚偽であり、右事実を認定することはできない。

六 E1殺害後の状況

1  E1殺害後の四月一五、六日ころ、京王プラザホテルにおいて、被告人とAが会った際の状況についての供述

(一) 証拠上明らかな事実

四月一六日ころ、Aが、京王プラザホテルで被告人と会ったことは証拠上明らかである。

(二) 検察官及び弁護人の主張

検察官は、四月一六日ころ、新宿の京王プラザホテルにおいて、Aが被告人に対し、E1殺害を報告するとともに、E1の遺体が発見されないのでその捜索費を出してほしい旨依頼して被告人もこれを了承し、その際、Aが被告人に対して、「お前もこれからは一心同体だからな。分かっているな。」と言い、Aと被告人が今後運命共同体として行動していくことを確認し合った、と主張する。

これに対し、弁護人は、Aから連絡を受けて被告人が京王プラザホテルでAと会った際に、AからE1の事故で警察から事情聴取を受けたが、A自身は舟に乗っていなかったので詳しいことは分からないということで終わった旨聞かされたのみで、殺害報告を受けたものではない、その際、AがこれでE1に貸していた一〇〇〇万円が取れなくなって資金繰りに七〇〇万円ばかり足りなくなった、手形でいいから貸してほしいと頼むので、被告人も承諾した、Aが、「お前もこれからは一心同体だからな。分かっているな。」と言ったことはないし、Aと被告人が今後運命共同体として行動していくことを確認し合ったこともない、翌一七日、被告人は、友人の経営するJ3設計事務所から借りた三五〇万円の手形二通をAの使いの者に渡した、と主張する。

(三) A供述の要旨

(1) 九月二二日付検察官調書(<書証番号略>)

四月一六日ころ、京王プラザホテルで被告人と会った。部屋を取っていたので二人で部屋に行った。

部屋に入ってから、被告人に「E1を海に落したところは誰にも見られていないから安心していいとBから聞いているので社長心配することないですよ。」と言った。被告人は、「ああそうですか。安心しました。今うちは、苦しいところですが、今年を乗り切れば来年は会社もよくなる。そうなればF14(A)さんの方にも援助しますから。うちの会社が潰れないように力になってくださいよ。こういうことをやった以上、F14さんとは一心同体ですから。」と言った。Aが「一心同体とは一蓮托生のことかい。」と聞くと、被告人は、「ちょっと違う。一心同体というのは伸びるのも、滅びるのも一緒だということですよ。」と言った。

被告人が、E1の死体がすぐに揚がらないのはどうしてだろうか、と聞くので、「函館の海上保安部で聞いたんだが、おなかの中にガスがたまらないと死体が揚がらないそうですよ。一週間くらいで一回揚がるが、もう一遍沈んでしまうと二、三か月は揚がらないそうですよ。」と答えた。

E1の捜索の経費が足りないことを被告人に話し、「昨日電話でも話したとおり費用として三〇〇万円出してくれ。」と言ったところ、被告人は、用意してきた一五〇万円の手形二枚を渡してくれた。

(2) 公判供述(一七回公判)

四月一四日に函館から被告人に電話をかけて、E1の遺体捜索費用もかさむので二〇〇万円から三〇〇万円出してほしい旨話し、一五日に帰るから一六日に新宿の京王プラザホテルで会う約束をした。四月一六日、同ホテルで被告人と会った。Aは、先にJ7とも会っていたが、被告人がJ7に会うのを嫌がり、Aが部屋を取って話した。F21はJ7と暫く話させておいて、途中から部屋に入ってきた。殺人はおおっぴらに話すことではないので、今捜索しているよ程度の話をした。

被告人からKW商事振出の一五〇万円の手形二通をもらった。KW商事の封筒に入っていた。後にこの手形を取りに誰かを行かせた記憶がないから、この時もらったと思う。これは、四月一四日に捜索費用などで依頼済みのものだった。手形を出すという話だったので、もらったのは一六日だと思う。

E1の遺体捜索の件は、ホテルの部屋でも出ており、捜索しているかと言うので、ちゃんとやっていると話している。他に、お互いにこれから助け合って行きましょうというような程度の話。記憶ははっきりしていないが、刑事から、「一蓮托生」という話はAから出たか被告人から出たかと、強く聞かれたが、自分は言ってないから、被告人から出たのかと思うと話した。出た言葉は「一心同体」かもしれない。

被告人が「E1の死体が揚がる時期はいつころか。」と聞くので、「海上保安庁で、早く揚がるのなら、腹にガスが溜れば一、二週間で揚がってくるし、また沈んでも遅くとも一か月ぐらいで揚がってくると聞いた。」旨話した。

(四) A供述の信用性

(1) E1の遺体捜索費として、額面一五〇万円の手形二通を受け取ったという点

① Aの供述の検討

当時E1の死体が発見されておらず、速やかに保険金を入手できないことは、殺害の共謀が成立しているにしても、成立していないにしても、Aにとって重大な関心事であったであろう。したがって、京王プラザホテルでAが被告人に会った際、遺体の捜索費を工面してほしいと頼んだというA供述は、当時のAの心理状況を考えると合理性があるようにもみえる〔被告人が否認に転じた後の九月一九日付検察官調書(<書証番号略>)中にも、被告人は、Aから捜索費として手形でもよいから金を貸してくれと言われ、その後手形を渡した旨供述している。〕。

しかしながら、四月一六日に京王プラザホテルで一五〇万円の手形二通を遺体捜索費として受け取ったというAの供述には以下のような大きな疑問が生じる。

<押収番号略>等のメモを見ると、六月一九日に被告人が額面一五〇万円の二通の手形をKW商事の青梅信用金庫東久留米支店の当座預金口座でAのために決済した趣旨の記載が認められる。また被告人が作成した金銭一覧表(<書証番号略>)によると、振出日は分からないが、六月一九日満期のHA82783、HA82785及びHA82786の三通の手形(額面はいずれも一五〇万円)を振り出し、HA82783については六月一九日にAが同支店の右当座預金口座に振り込んで決済し、HA82785及びHA82786については被告人がAのために立て替えて決済した旨の記載もある。Aと被告人の交際状況から考えて、右各手形が三月中旬以前に振り出されたことは考えがたい。したがって、Aが、三月下旬ころから五月下旬ころまでにかけて被告人から額面一五〇万円の手形を少なくとも三通受け取っていることが認められる。ところで、約束手形帳控(<押収番号略>)によると、このころ被告人がAに振り出した可能性のある額面一五〇万円の手形は、六月一九日満期のHA82783ないしHA82786の四通が認められる。このうちHA82784を除く三通の約束手形帳控には、受取人欄に「F4」と記載されている。また右四通の手形を含む六月一九日満期のHA82781ないしHA82786の六通、額面合計一〇〇〇万円の約束手形帳控には、振出日として四月二八日が鉛筆で記載されて消去された跡が認められ、また約束手形帳控の右端に手形番号順に①から⑥までの鉛筆書きの消去痕(但し、②のみは消されていない。)が認められる。右四月二八日を意味する振出日の記帳が消去された理由は、明らかではないが、少なくとも、四月二八日以前にはこれらの手形が振り出されていないことは間違いないと思われるし、一旦四月二八日に振り出された旨の約束手形帳控の記載は、四月二八日ころ、右六通の手形を一連のものとして振り出し、その後何らかの事情で約束手形帳控の鉛筆書きが消去されたことを推認させるのである。

一方Aは、遺体捜索費として受け取ったと供述する手形の割引状況について、一七回公判では、「一枚をJ5のところで割り引きし、他の一枚はJ2かF10のところで割り引いた。割引金のうち一〇〇万円ないし一五〇万円をDに渡し、五〇万円をBに渡した。」と供述し、また二一回公判では、「一通はDにやったと思う。」と供述しており、いずれにしてもE1の遺体捜索費用に当てたとまでは供述していない。

これらの証拠を総合すれば、Aは、四月下旬ころ被告人から額面一五〇万円の手形を何通か受け取っていることは認められるにしても、同月一五、六日ころに京王プラザホテルで被告人からE1の遺体捜索費としてKW商事振出の額面一五〇万円の手形二通を受け取ったものであるとは認めがたく、この点ではAの右検察官調書、公判供述は、虚偽であり信用できない。

② 被告人の公判供述

(a) 四九回公判

Aから相談したいことがあるから来てくれと言われ、四月一六日に京王プラザホテルでA、F21と会った。E1のことと思った。WT石材J7には会っていない。フロントでAに会うと、部屋を取ってあると言われて部屋に入った。F21は部屋に入っていない。F21とは初対面。

AからE1の事故の話をされ、貸してあった一〇〇〇万が取れなくなり予定が狂ったと言っていた。予定した金が取れないので金を都合してくれないかということだった。いくらか聞くと、七〇〇万あればなんとかなると言っていた。自分で落すと言うので、何とかしてやると言って帰った。三月二二日の一〇〇〇万円を返してもらえればその中から配当するという頭でいた。

(b) 五〇回公判

四月一七日ころにAに三五〇万円の手形を二通貸している。京王プラザホテルで七〇〇万貸してくれと言われたから。帰りにKW商事の手形ではすぐには割れないからと言われので、一六日にJ3設計事務所で手形を借りてきて渡した。満期は六月一六日。それまでJ3設計に手形を貸したことはあるが、借りたことはなかった。これにKW商事の裏判を押してAの若い衆か誰かに渡した。

(c) 被告人の公判供述の信用性

被告人は、公判において、Aが、E1の死亡により三月二二日にE1に貸した一〇〇〇万円を回収できなくなり、予定が狂ったと話した、そのため当座の資金として七〇〇万円あればやっていけると言っていたため、翌日ころJ3設計事務所振出の三五〇万円の手形二通(額面合計七〇〇万円)を渡したと供述しているが(四九回公判等)、証拠上認められるJ3設計事務所の手形の振出状況〔J14の警察官調書(<書証番号略>)添付のAEの五月二日付貸出許可申請書の記載、回答書(<書証番号略>。右手形二通のうち一通の写しが添付されており、振出日は、四月一六日となっている。この手形の写しによると、振出日の「昭和61年4月16日」と支払期日の「昭和61年6月16日」は、同一筆跡のように思われ、支払期日は、振出時に記入されていたであろうから、振出日の記載も、振出の際に記入されたものと思われる。また、この手形は、第一裏書人がKW商事、第二裏書人がJ2になっており、J2への手形の流通にはAが介在したと思われるから、この手形が被告人からAへ渡されたことも間違いないものと認められる。)、当座勘定計算書(<書証番号略>)〕は、被告人の公判供述に符合しており、四月一七日ころ、被告人がAにJ3設計事務所振出の三五〇万円の手形二通(額面合計七〇〇万円)の手形を渡したという点では、被告人の公判供述は信用できる。

したがって、被告人の公判供述のいう額面合計七〇〇万円とA供述がE1の遺体捜索費という額面合計三〇〇万円とは手形の合計額面がかなりかけ離れている。更に、前述のとおり、Aは、被告人から受け取った手形を遺体捜索費用としては使用していないと思われること、京王プラザホテルで、J7と被告人が顔を合わせなかったのは、Aの供述するような、被告人の意向というよりも、被告人はJ7がホテルに来ていること自体を知らず、Aが被告人とJ7を会わせたくないという意向を有していたために、そのことを被告人にも告げないまま、被告人をホテルの別室に連れていったものと思われること(Aは、E1から受け取っていたWT石材振出の一〇〇〇万円の手形の件を被告人に隠していたからであろう。)、Aは、四月三日にE1から受け取ったWT石材振出の一〇〇〇万円の手形を支払期日である同月一四日に函館市内の北海道拓殖銀行湯川支店に取立てに出したが、資金不足で回収しており、同月一六日に京王プラザホテルでJ7から右手形金一〇〇〇万円を支払ってもらおうとしたが、断られているので、その金額に近い額を被告人から借りようとしたことは理解できること、三月二二日にAを通じてE1に融資をさせた一〇〇〇万円は元々被告人が拠出した金であるから、E1が死亡して回収できなくなって被告人が困ることはあっても、Aには何ら不都合を生じないはずであるが、AがE1から三月二二日に融資した一〇〇〇万円の返済を受ければ、その金を被告人から一時借りるつもりでいたことは十分に考えられるので、E1の件を被告人から七〇〇万円借りる口実にしたとしてもおかしくないこと等から考えると、被告人が公判で述べるAがE1が死亡して予定が狂ったので七〇〇万円貸してほしいと言ったというのは、それなりに合理性を有している。

したがって、A供述の内容は、四月一六日に京王プラザホテルで被告人と会ったことにより借りた手形について、その日に同ホテルで受け取ったかどうかは別としても、その金額においても、趣旨においても信用できず、その結果、京王プラザホテルでE1殺害を報告したという点についても信用できない。これに反し、被告人の公判供述が信用できることは以上のとおりである。

Aが、このような供述をした理由は、一つには多数の手形が振り出されていることから正確な記憶が薄れ、誤った供述をしていることが考えられないでもないが、E1殺害直後の、しかも殺害後最初の手形の受け渡しの話であるから、記憶間違いとは考えにくい。むしろ、被告人がE1の遺体捜索費を出したとすることにより、被告人を主犯とし、自らの刑事責任を軽くしようという意図によるものであろうと思われる。

なお、被告人の公判供述では、被告人はAに特段の用件がなく、単にAが被告人から手形による借入れを依頼したいがために呼び出されてわざわざ京王プラザホテルに行ったにすぎないことになる。しかしながら、これは、Aにしてみれば、自分のおかげでいずれ被告人に巨額の保険金が入ることになるということから、Aが被告人を呼び出したと考えれば、さほど不自然ではない。また、Aがわざわざ部屋を借りて話したという点も、J7に会わせたくなかったためと思われる(そもそも、A供述のような会話内容であっても、J7の件がなければ、わざわざ部屋を借りるほどのことはなかったであろう。)。

被告人は、公判において、Aから京王プラザホテルに来てほしいと言われ、E1のことだと思ったと供述している(四九回公判)。三月二二日にAに一〇〇〇万円を融資させており、その取立てをAに任せていたというのであるから、E1の死亡後、ほどなくのAからの呼びだしを、E1の件であると思うのは、それなりに理解できることである。

(2) 一心同体という話が出たという点

被告人は公判では、一心同体という言葉が出たこと自体を否認している(四九回公判等)。前記のとおりAは、捜査段階では、被告人の方から一心同体という言葉が出たと言い、公判では被告人から出たかもしれないと言う。一心同体という表現が出たとすれば被告人よりも、E1を殺害したAにとってこそ、被告人に裏切るなという意味を込めて価値が出てくる言葉であろうと思われる。したがって、被告人の方から右の表現が出たというA供述は不自然である。しかし、Aの方から右の表現が出たとしても、前述のように、Aから被告人に対して、E1の遺体捜索費を出してくれるように依頼があって被告人が三〇〇万円を手形で出したとか、AがE1殺害の報告をしたということが信用できない以上、一心同体という言葉が出たこと自体も信用しがたいと言わざるを得ないであろう。

仮に、Aが被告人に対して、E1を殺害した以上一心同体だぞ、という趣旨のすごむ発言をしたとしても、そのこと自体は、直ちには被告人とのE1殺害の共謀に結びつくものではない。即ち、E1殺害後、Aは被告人から、KW商事振出の多額の手形を取得するようになった。E1殺害の共謀が成立しなくても、AによるE1殺害が、被告人に生命保険金を取得させ、KW商事の経営上苦境に立っていた被告人を救うことになることや、もともと暴力団に対して抵抗感をもたなかった被告人との結びつきを一層強めることについては、Aも十分理解していたと思われる。また、Aとしても、犯行の発覚と逮捕勾留、ひいては極刑さえ予想されるという危険を背負った以上、A自身がいわば被告人の難局を打開するために尽力したことを被告人に理解させ、E1の海中への転落がAによる犯行であることを暗示することによって、今後Aにもそれなりの経済的な利益を供与してほしいという意向を示したかったであろう。また、E1の死亡原因が他殺ということになれば、巨額の生命保険金を取得するKW商事の経営者である被告人が疑われることは必至であるから、被告人が今後、Aの意向に従わなければ、あるいは要求を拒否すれば、Aとしても捜査機関に対して、被告人も共犯であるという趣旨のことを言い出しかねないという強い決意を被告人に示しておく必要があったということが、容易に理解されるからである。

したがって、被告人との間でE1殺害の共謀が成立せずに右の趣旨のAの発言があったとしても、その後の本件における事態の推移を理解できるのであるから、Aの右発言を事前の殺害共謀に結びつけることはできない。

2  五月下旬か六月上旬ころ、東名飯店において、AがBを被告人に会わせ、Bが被告人に対して殺害報酬の支払いを要求したという供述

(一) 検察官及び弁護人の主張

検察官の主張は、E1殺害について、Bから約束のE1殺害報酬を請求されたAは、Bを被告人に引き合わせて直接交渉させることとし、五月末か六月初旬ころ、神奈川県厚木市内の東名飯店において、被告人に対し、E1を殺害した人物としてBを紹介した、Bは被告人に殺害報酬の支払いを要求したところ、被告人は、長崎の方に金をつぎ込んでいて金がない、保険が下りたらすぐ払えるなどと弁明し、その後Aらと相談のうえ、手形を貸すことにしてBも納得した、というものである。

弁護人の主張は、被告人が五月末か六月初旬ころ、東名飯店に出かけたのは、AからF17に対して、金山町の物件の明渡しの件と平塚土地の建物収去の件について直接説明させるためであった、被告人はF17を同行し、AはF28を(以下「F28」という。)を同行した、話が終わった時、Aが離れたテーブルに一人で座っていたBを単にうちのBですと言って被告人に紹介したにすぎない、というものである。

(二) 証拠上確実に認定できる事実

被告人、A、Bは、五月下旬か六月初めころ、神奈川県厚木市<番地略>所在の東名飯店で会った。被告人は、東名飯店には、KWハウジングのF17を連れていった。Aと被告人の話が終了した後、被告人は、別のテーブルにいた札幌から上京してきたBをAから紹介された。

(三) 関係者の供述要旨

(1) A供述の要旨

① 一七回公判

五月ころ、Bが、「五〇万や一〇〇万の金をちょぼちょぼもらってもしようがない、まとまった金をくれ。」、と言うので、「被告人から手形をもらってやっている。ごまかしてない。被告人と会わせるから直接聞いてくれ。」と話し、東名飯店でBを被告人に会わせることにした。東名飯店にはA、F4、D、B、被告人、F17が来た。F4とDは、平塚土地とNK石材の件で話があったから来た。

円卓からすこし離れた席に被告人を呼び、被告人に、「Bがまとまった金をくれと言っている。保険金が下りないと金がもらえない、手形でやりくりしていることをはっきり言ってくれ。今函館でやった人間、兄弟分のBが来ている。」と言って、被告人をBと会わせた。被告人には、函館でE1をやったBと紹介した。被告人を紹介し、被告人がBに、「保険の関係で金が出ない。今F2組の関係、九州の方に金を突っ込んでいて金がうまく回っていない、迷惑をかけるが仕方がない。」と話したところで、Aは席を立った。その後、Bと被告人が直接一〇分程度話している。内容は分からないがBは納得したようだった。

② 二〇回公判

F4らから被告人と会うと言われ、AもBが来ているから話したいことがあるという経緯で、別の仕事で北海道から呼んでいたBを、東名飯店に連れていって被告人に会わせた。

(2) B供述の要旨

Bは、捜査公判を通じ一貫して、「E1を殺した後、なかなかAが約束した金をくれないので、五月に入ってからAに催促した。Aは保険金が下りないから待ってくれと言うので、保険金は自分に関係ないと言った。そのうちAが、直接被告人に言ってくれと言うので、神奈川に行って東名飯店で被告人に会った。Aと被告人が不動産の話をし、その話が一段落してAと被告人が別のテーブルに移動して二人で話を始めた。五、六分から一〇分くらいしてAに呼ばれて移った。そこでAが、『今回の仕事をやってもらった札幌のB。』と被告人に紹介し、『こっちがKW商事の甲さんだ。』と被告人を紹介された。Aと二人で被告人に催促すると、被告人は『今は無理。保険が下りたらすぐに払えるので、もう少し待ってくれ。』と言った。Aが被告人に、手形でもいいと言うと、被告人は『何とかするからもうちょっと待っててくれ。そういうことも考えとくから。』と言った。それでBは『分かった。』と言った。話が終わって、席に戻った。」と供述している〔八月一六日付検察官調書(<書証番号略>)、一二回公判〕。更に、この日の話し合いの結果について、手形を切る話の具体化は知らない(一二回公判)と供述している。

(3) 被告人の公判供述の要旨(五〇回公判)

Bと初めて会ったのは五月末か六月初め、東名飯店である。六月初めの方だと思う。その際に話したのはF7方(金山町の物件)の明渡しの件。約束が違うというのでF17を連れていって話をした。AはF25弁護士を翌日紹介するからという話をした。あとは平塚土地の件。支払いが済んでいる、建物を整理してくれと言うと、Aは取り壊すと言っていた。話を持ちかけたのは被告人の方から。F7の件がらちがあかないので説明してくれと連絡した。

AとF28というのが一緒に来た。Bは一緒ではない。平塚土地の話が終わった時に、AがBをうちの人間だと紹介した。それだけで終わり。挨拶だけだった。

(四) 供述の評価

当時AとF17との間に平塚土地や金山町の物件の明渡しの問題が残っていたことは証拠上明らかであり、被告人がわざわざF17を連れていっていること、AがBを被告人に紹介するに先だって、被告人との間で不動産の話をしていることも認められ、東名飯店でAと被告人が会った理由の中に、平塚土地や金山町の物件の明渡しの問題の解決策を話し合うことがあったことは否定しがたい〔この点で「F17自身にはAと用件はなく、被告人とAとの間で何か用事があった様子だった。」というF17の八月一九日付検察官調書(<書証番号略>)は信用できない。〕。

Aは、右東名飯店での会合には、平塚土地の件やNK石材の件もあったのでF4とDも来た旨証言しているものの、A証言(一九回公判等)のとおり平塚土地についてはF4との共有であれば、それまでF4が平塚土地の件で出てきたことはないことと矛盾するように思われ、NK石材の件がその日に話し合われた状況も見当たらない。また、F4はこの時東名飯店に行っていない旨証言し(五七回公判)、Dはこの件について供述していない。この時にF17が出席していることから、被告人の公判供述のように、金山町の物件の明渡しの件と平塚土地を更地にする件で会合がもたれたものと思われ、Bを被告人に会わせることが主目的であったとは思われない。更に、Aに対しては、被告人がかなりの手形を振り出していたのであるから、Aとしても、その割引金を取得している以上、わざわざBに直接報酬を要求させる必要性には乏しいであろう。

A供述とB供述の細かな点のくい違いは別としても、A証言によっても、Bを北海道から呼んだのは別に仕事があったからであるともいうものであるが(二〇回公判)、B証言(一二回公判)によれば、四月末からAに対して再三に渡って殺害報酬の催促をしたのに支払ってくれず、被告人に直接会って聞いてくれないかと言われので北海道から神奈川に出向いて被告人に会ったというものであって、そこには軽視しがたい矛盾もある。

また、当時Bは何回も上京しているのであるから、直ちにBの上京の目的が被告人に直接請求することにあったとも言いがたい。そもそも、Aも捜査段階では、三月二五、六日ころ大和グランドホテルにおいて、「保険金が下りたら報酬がもらえる。保険金が下りるまで手形を切ってくれる。」旨Bに話したので、Bも報酬は保険金が下りた時にもらえることを承知しているはずである旨供述しており〔九月八日付検察官調書(<書証番号略>)〕、そうであれば、保険金が支払われた後にしか報酬が支払われないことを知っていたBが、Aさえ保険金の請求をしていない時点で、直接被告人に対して報酬の支払いを請求することは不自然であろう。

更に奇妙なのは、A証言も被告人が報酬を催促するBの話を納得したように言い、B証言もわざわざ北海道から被告人に殺害報酬の催促のために神奈川県に出てきて被告人と会い、なんとかするとしてBの依頼を了承した回答を得たような供述になっいるのに、B証言によっても、手形を切る話の具体化は知らないと言い、A証言によってもこの会合の後、被告人がBへ渡ることを意識して振り出した手形が供述されていないことである。この東名飯店での会合の後にBに渡されることを意識して被告人が振り出した手形の裏付けは全く無く、Aに対してはかなりの手形を渡していたのに、奇異であると言わざるを得ない〔被告人の自白調書は、Bに一億円分の手形を切った旨の明らかに客観的事実とくい違う供述をしていたが、(<書証番号略>の八月八日付警察官調書、<書証番号略>の同月九日付検察官調書)、最終的には、八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)において、東名飯店でBと会った(五月初めころ)翌日、Aに七月八日満期の三〇〇万円と二〇〇万円の手形を渡したと供述し、更に八月二八日付警察官調書(<書証番号略>)において、この二通の手形を渡したのは四月二八日であるように供述している。しかし、四月二八日振出ということであれば、被告人がBと会ったのが五月下旬か六月初めころであるから、時期的にみて、Bの依頼との関係はありえない。自白調書の問題については、第三部で詳述するが、この点についての自白調書は客観的事実とくい違っており、信用性がないことは明らかである。〕。

したがって、AがBに殺害報酬を請求させたというA、Bの各供述はいずれも信用しがたく、Bを紹介されたにすぎないという被告人の公判供述の方が信用できる。

3  八月一三日、被告人がAに対して、E1殺害の報酬として現金八〇〇〇万円を支払ったという供述

(一) 検察官及び弁護人の主張

(1) 検察官の主張

八月二日、明治生命から西武信用金庫東久留米支店のKW商事の口座に、約四億円の保険金が送金された。そのころ、Aが被告人に対して、何度かまだ保険金が下りないのか尋ねていたところ、被告人としては保険金をKW商事の資金繰りに充てたかったため、八月四、五日ころ、Aに対し「急いで請求すると災害死亡が付かなくなり二億円しか下りない。」などと嘘を言い、Aが「二億円しか出ないのなら報酬は八〇〇〇万円でいい。」と言っていた。その後、被告人がAに融通していた手形をAが決済しなかったため、以後支払期日の到来する手形約一三通(額面合計約一億円)についても決済されないのではないかという不安を抱き、Aの申し出た八〇〇〇万円を支払って手形を回収し、E1殺害の報酬支払いの清算をした方が得であると考えた。そこで、八月八日、Aに対して報酬として八〇〇〇万円支払うので貸し付けている手形を回収するよう要求し、Aも承諾した。八月一三日、東名飯店において、被告人がAに八〇〇〇万円支払い、Aは被告人から借用していた手形一三通(額面合計約一億円)を返済し、E1殺害の報酬支払いの清算が終了した。

(2) 弁護人の主張

被告人はかねてAに対し、NK石材に対する六億四二五〇円の焦げ付き債権の回収を依頼していたが、八月八日夕方長崎にいるAから午後八時ころ新宿の京王プラザホテルに来るようにという電話連絡を受けて行くと、A、F4、NK石材のF18らがいて、朝方まで話し合った結果、被告人が三億円でNK石材に対する権利一切をNK石材に売り渡す旨の売渡承諾書をかわし、NK石材から額面合計三億円分の手形の交付を受けた。被告人は八月一一日Aに電話をかけて、KW商事が金融を得るためにAに預けた手形の回収資金とNK石材の権利を三億円で売却してくれた謝礼を合わせて八〇〇〇万円(七月二一日に被告人がJ2から借りた分の返済二〇〇〇万円、NK石材の費用として渡した手形の回収資金、NK石材との和解成立に対する報酬の趣旨等の合計)出すので、KW商事が金融を得るためにAに預けた手形とAに貸した手形の双方をできるだけ多く回収してほしい旨、連絡した。八月一三日の午前中にAから、個人的に手形をジャンプするのに手形を貸してほしいと言われ、二〇〇〇万円の手形一通、一〇〇〇万円の手形二通を現金八〇〇〇万円とともに持参して東名飯店でAに渡した。被告人がAに手形の回収を依頼した趣旨は、手形である以上、満期に回ってくることが確実なので、その前により少ない金額でより多額の手形を回収したいと考えたからである。

(二) A供述の要旨

(1) 殺害報酬の支払いを催促した状況

① 九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)

E1殺しの報酬を早く現金でほしかったため、七月下旬ころ新羅で被告人と会った際、保険金がまだ下りていないかを聞いたところ、被告人は、まだ保険会社の方で色々調べている最中だと言っていた。さらに八月初旬ころにも、新羅か電話で被告人に催促したが、「まだ下りない。あまり急ぐと足元を見られて一億五〇〇〇万円から二億円位しかもらえなくなってしまうんだ。」と言っていた。保険金の額が減っても早くもらえた方がいいので「二億円しか出ないのなら、それでいいから早くしてくれ。二億円しか出ないなら俺の方は八〇〇〇万円でいいから。それで終わりにするから早くしてくれ。」と言った。

② 一八回公判

七月にE1の死体が揚がった後の七月末から八月初めに新羅で被告人に会った。その際被告人が、「せっついてそういう話をどんどん進めると二億円か一億五〇〇〇万円位しかもらえない。あわてないように。足元をみられる。」と言っていた。保険金が下りないかという確認は一、二度新羅か電話でしている。それで「早くしてくれ。もし二億円なら七、八〇〇〇万円でいいよ。」と言った(二一回公判では、F4とDにも承諾をとったと供述している。)。

(2) 八月一三日、被告人がAに対して、現金八〇〇〇万円を渡すことになった経緯

① 九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)

八月八日ころ、被告人から保険金が二億円下りたと電話があった。その日に、新宿の京王プラザホテルで被告人と会った。その際Aが、被告人からAやDに渡した手形の一覧表を渡され、「八〇〇〇万円渡すから、九月末までの支払期日の手形を回収してほしい。三井銀行の方の口座には金が入ってないから、(手形番号が)ADの分は全部回収してほしい。」と言われた。「これを回収するには一億二、三〇〇〇万円いるよ。」と言うと、「足りない分は新しく手形を切るから。」と言っていた。そこで手形の割引先のJ5(GE商事)、J2(KO総業)、F11と話して回収できるようにした。

② 一八回公判

八月八日ころ、被告人から保険金が二億円下りたからと連絡があった。

八月八日被告人と京王プラザホテルで会った。八月六日、七日と被告人の頼みで長崎のNK石材に行っており、八日に帰るときにF19、F18らを東京へ連れてきて京王プラザホテルに行って、被告人がNK石材に投資した金の回収の件で話し合った。NK石材の件だけで話した。

その際手形の一覧表を被告人からもらい、九月三〇日までの手形の回収をやってくれ、被告人も金をそろえるからと言われた。二億円が下りたという話が出たか出ないかの記憶は確かでない。最初は、三井か三菱(ひばりヶ丘支店のAD番号)は取引があまりなく、引き揚げてくれと言われた。手形の回収に少なくとも一億円や一億二〇〇〇万円は必要だった。それでE1殺しでAに支払う金も入れて現金で一億四〇〇〇万円位用意する、NK石材の土地買収資金としての残金が八〇〇万円か九〇〇万円あり、それで一〇〇〇万円の手形を一枚、NK石材の運営資金として一〇〇〇万円の手形一枚、あと二〇〇〇万円の手形一枚を用意すると被告人が言った。手形を混ぜて合計一億八〇〇〇万円持って来るという話だった。

そのなかにE1殺害の報酬も含んでいるが、手形が前に出ているので、その手形も回収してもらえれば、手形の金は手元に入っている。したがって、被告人が持ってくる現金のうち、E1殺害の報酬分は四〇〇〇万円程度と思っている。八月一三日に報酬として一応七、八〇〇〇万円位の金は用意しようじゃないかという話だった。

八月八日に被告人と京王プラザホテルで会った際に、八月一三日に東名飯店で会うことが決まり、一覧表を渡されて、手形の回収を依頼された。手形回収には一億一〇〇〇万円位必要だった。殺害報酬としては、Aが割引に出した手形を被告人が落したりいろんなことがあったから、手形一〇〇〇万円を二枚か二〇〇〇万円を一枚という感じだった。

八月八日の時点では、Aの方がすでに持っていった現金や手形もあるから、被告人がAに対して支払う分があと四、五〇〇〇万円残っているという話だった。東名飯店には、現金一億四〇〇〇万円とあとの不足分は手形を持ってくるという被告人の話だった。

③ 二一回公判

八月八日、京王プラザホテルにA、F4、F28、甲府のF39、NK石材のF18、F19らが集まった。Aが九州から連れてきたから、被告人も呼んだ。この前後に、被告人に二億円が下りたと聞いた。八月九日午前二時ころに覚書を作成し、双方が一通ずつ持つことにした。被告人は、六億四〇〇〇万円出しているところを三億円で我慢する。その代わり命の三億円だからきちっと払ってくれと言っていた。

その日に、被告人から九月三〇日までの手形の回収をしてくれと頼まれた。覚書の前と思う。三井か三菱のひばりヶ丘支店のは間違いなくやってほしいと言われた。チェックしてこれだけは絶対やってほしいと言われた。八月八日の時点で、八月一三日に金を持っていくと言われた。殺しの報酬とNK石材の件もからめて出すような話だった。

手形の回収に必要な金は一億二、三〇〇〇万円だった。殺しの報酬を混ぜて一億四〇〇〇万円持っていくと言われた。被告人は、一三日には、NK石材に渡す維持費や給料分の一〇〇〇万円も持っていく、NK石材が三億円の手形を被告人宛に切った見返りにNK石材の土地の購入資金の残金と維持費等に二〇〇〇万円の手形を出すことが八月八日に決まっており、一緒に持参するということだった。

(3) 八月一三日、被告人がAに対して、現金八〇〇〇万円を渡した状況並びに渡した趣旨

① 九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)

八月一三日ころ、東名飯店、A、被告人、J2、F11の四人が会った。J2に六〇〇〇万円(金利を含む。)とジャンプのための手形を渡して手形を回収した。一覧表(<押収番号略>)の左欄の×印のうちの一〇枚がこの時回収済みのものである。F11からも二枚回収した。九月三〇日の二〇〇〇万円には×印が付いていないが、被告人に返したのは間違いない。この一二枚以外の手形で、×印が付いているのは、事前にJ5やJ2から回収して東名飯店に持っていき、被告人に戻したものである。

E1殺しの報酬として被告人から受け取った八〇〇〇万円のうちAの手元に残ったのは三〇〇万円位だった。しかし、Aとしては、それ以前にKW商事に切ってもらった手形の割引金などを取得しているので、E1の件での報酬支払いのけりがついた八月一三日ころの時点においては、被告人からAがもらった実質的な金額は四〇〇〇万円から五〇〇〇万円位。F4、Dの方に被告人から流れた実質的な金額は、八五〇〇万円位。したがって、被告人は実際には一億三〇〇〇万円前後をE1殺しの報酬として自分達に出したということになる。E1殺しの報酬については、八月一三日で全て終わりということになった。

② 一八回公判

八月一三日、東名飯店で、被告人と手形回収の件で会った。初めにAとF21が着き、次に被告人が来た。その一〇分後、F11が手形を持って来て、金を払い手形を回収した。二枚を、一二〇〇万円と五〇〇万円で回収した。F11には、被告人の目の前で金をAが渡した。既にAが回収していた手形も持参し、被告人に渡した。被告人は、約束どおりの金は持ってこず、現金を八〇〇〇万円と手形しか持ってこなかった。保険金ではなく、弟か誰かの土地を担保に銀行から借りた金とのこと。手形は、一〇〇〇万円二枚で、J2などの手形をジャンプするためと九州の方に払うためのもの。本来は現金でということだった。

その五分か一〇分後、J2が来た。手形一〇枚前後を、現金六〇〇〇万円と不足分は二〇〇〇万円の手形でジャンプしたので合計八〇〇〇万円位の手形を回収した。ジャンプ分の金利は三四〇万円から三六〇万円位だった。手形は被告人がJ2に直接渡した。回収した手形は、被告人が皆持っていった。

八月一三日に東名飯店で受領した八〇〇〇万円はAの手元には残らず、反対に吐き出している。八月一三日までにAが被告人から受け取った実質的な利得額は、手形を被告人が落としてくれたものもあるから、実際はよく分からない。E1殺し以外にも被告人のために動いているから、E1殺害の報酬としては不明。四、五〇〇〇万円あったかも不明。

八月一三日には、現金を一億四〇〇〇万円持ってくるという話だった。東名飯店で受領した現金八〇〇〇万円の趣旨は、E1殺害の報酬になる。八月八日の被告人との話では、手形回収とAにやる分が四、五〇〇〇万円残っているから、その分も持っていくという趣旨。手形を回収して被告人に返したら、八〇〇〇万円がF2組とAとの報酬になると考えていた。E1殺害の件の報酬は、金はそろわなかったが、被告人が後で面倒を見るからということで、八月一三日が一応の区切り。八月一三日以降はE1殺害の件で報酬を請求していない。

③ 二〇回公判

八月一三日の八〇〇〇万円は、殺しの報酬か何かはっきりしない。

八月八日の時点では、報酬として持ってきてくれる額が現金で一億四〇〇〇万円ということだったが、被告人は、保険金ではない、苦しくて、弟の土地を担保に入れ持ってきた金だという。これで勘弁してくれ、あと払うものは会社が良くなった時にちゃんと面倒をみるからという趣旨。

④ 二一回公判

八月一三日に被告人が八〇〇〇万円しか持ってこなかったので、急遽J2に現金で払うという約束を、現金と手形を混ぜてジャンプに変更してほしいと頼んだ。被告人が苦しいというので、仕方がない。Aが立て替えてきたものは棚上げにして、F11、J2に払うということにして、後でちゃんとやってくれということにした。

もともと、予定では被告人が一億四〇〇〇万円持参してくれば、手形を落とすのに一億一〇〇〇万円いくかいかないかで、差額が現金で残り、それがE1殺しの報酬となる予定であった。殺しの報酬としては八〇〇〇万円は受け取っていないと自分の法廷でも主張している。八〇〇〇万円のうちどれが報酬かと言われると、どれだと言えなくなる。五月二五日以降、被告人には手形を仕事で貸してくれとは言ったが、報酬の請求はしていない。手形で出たやつは全部殺しの報酬でもらったもの。これを被告人が落としてくれれば、スムーズに報酬だったが、NK石材の関係でF2が落とせず、先の手形も被告人が金がなくて落とせなくなった。そのためAらが駆けずり回って、被告人から金ももらって落としていったもの。

⑤ 二二回公判

八月八日の京王プラザホテルでは、被告人が現金一億四〇〇〇万円を八月一三日までに持参するという話だった。現金八〇〇〇万円と足りない分は手形とは言っていない。この日、NK石材につき見返りに一〇〇〇万円の手形を二通切った。

八月一三日で殺しの報酬のけりがついたかどうかは、分からない。H9検察官が、一応そこがE1殺しの報酬の止まりだと言ったので、そうだろうと思う。但し、八月一三日以降も被告人から手形が出ているが、それは被告人に毎月それだけの費用が必要で、Aの方で割引に奔走していたから。八月一三日に、その時点で出ていた手形の全てが回収できたわけでもなく、ある程度は残っていた。

(三) 被告人の公判供述の要旨

(1) 五〇回公判

八月八日夕方、NK石材の件の処分を依頼していたAが長崎空港から電話をかけてきた。これから東京へ帰るから、京王プラザホテルに午後八時までに来てくれ、NK石材の人をみんな連れてくるから、契約できる準備をしてくるようにということだった。それで京王プラザホテルへ行き、A、NK石材のF18、F19らと会った。この時にはNK石材の問題だけを話した。F18、F19らは、KW商事に返済すべき額を三億円にまけてくれれば、今後もNK石材をやっていくからと言っていた。交渉の結果、NK石材が被告人に三億円分の手形を振り出すことになり、その場でF18が九枚の手形を書き、被告人が受け取って持って帰った。一〇、一一、一二月、昭和六二年一、二、三、四、五月末日付で各三〇〇〇万円、同年六月末日付で六〇〇〇万円の合計三億円。その日に京王プラザホテルに一覧表を持っていって、Aに、八月八日が支払期日の五〇〇万円の手形については連絡がとれなかったので立て替えて決済しておいたと言った。八〇〇〇万円払うから回収してくれとは話していない。この日は、翌九日の午前二時か三時ころまで、NK石材の件を話し合った。八日には、ついでに京王プラザホテルにメモ(<押収番号略>のメモの記載のうち書込みがなされていないものと同一内容)を持っていき、Aに渡した。渡した理由は、同日が支払期日であった額面五〇〇万円の手形をAが落とさず、被告人が立て替えて決済したため、Aに立て替えたことを話すためであった。

八月一一日に電話でAに、「KW商事で金借りたときに預けた手形を回収したい。それとAに貸してある手形もついでに回収してほしい。NK石材を三億円で売ってくれた報酬として八〇〇〇万円やるから、預けてある手形を回収してくれ。」と言った。その日のうちにAから電話があり、八月一三日までに回収できる手形の番号を言うから控えてくれと言われて控えた。その後一三日にAが手形を持ってきたのでチェックしてAに渡した。回収を頼んだ手形はAに貸した手形だけではなくNK石材に渡していた手形も入っている。一一日に電話で連絡したとき右のメモに両方をチェックした。

八〇〇〇万円はKW商事が借りている金と三億円で決めた手数料を入れると妥当と思った。三億円の二〇パーセントで六〇〇〇万円、Aから借りていた二〇〇〇万円の合計八〇〇〇万円、Aの回収すべき手形の総額は一億円を越えている。Aに対しては、以前NK石材に投資した六億円以上を回収する問題の解決を依頼しており、Aは、回収したら半分よこせと言っていた。

八月一三日にNK石材に振り出させた三億円分の手形のうち、最初の支払期日は一〇月三一日になるから、二〇パーセントで勘弁してくれと言った。

八月一三日に八〇〇〇万円の現金の外に二〇〇〇万円一通と一〇〇〇万円二通の手形を持っていった。これは、同日Aから電話がかかってきて、個人的にジャンプするのに手形を貸してくれと言われたから持っていった。八月一一日には、NK石材の手形の回収もAに依頼していたが、Aから電話で回収できると聞いたのは七枚、額面合計一六〇〇万円位。一三日にAは七枚持ってきた。

(2) 五一回公判

八月一一日にメモしたやり方は、Aからの電話が二回あり、一度目の電話で止まるということで恐らく×印をつけた。二度目の電話で回収できると聞いたものにをつけたと思う。

<押収番号略>のコピーされたメモにボールペンで記入している×、は、八月一三日に、Aが一一日に回収できると言っていた手形以外にも手形を回収してきたので、その場で確認してその分を記入したもの。

(四) 客観的事実から推認される事実

(1) 証拠上確実に認定できる事実

前述(第一の一の13)のとおり、被告人は、四月中旬ころから八月上旬ころまでの間、少なくともKW商事振出の手形約四〇通(額面合計約二億円)及びJ3設計事務所振出の手形二通(額面合計七〇〇万円)を、Aに渡した。

被告人は、八月に入ってAに現金八〇〇〇万円を渡すことを決め、同月一一日に小切手を振り出し、西武信用金庫東久留米支店の当座預金口座から現金八〇〇〇万円を下ろそうとしたが、現金がないということで同月一三日に現金が下りることになった。被告人は、八月一三日午前中に、事務員のF24もしくは妻の甲2に現金を取りにいかせ、同支店から下ろした現金八〇〇〇万円を持参して、間もなくAと待合せをしていた東名飯店に行き、Aに現金八〇〇〇万円を渡した。Aは、被告人から振り出されていた額面合計一億〇三五〇万円の手形一五通〔<押収番号略>のメモのうち、左端にコピーあるいは手書きで「×」の記載のある一四通(八月一二日が支払期日である額面三五〇万円の手形(HA86564)にも「×」がコピーされているが、支払期日に決済されているので除く。)並びに九月三〇日が支払期日である額面二〇〇〇万円の手形(AD01455)の合計一五通である。〕を事前に、あるいは当日J2らから回収して被告人に返却した。更に、被告人がNK石材に振り出していた手形七通(額面合計一六〇〇万円)(<押収番号略>の「×」の記載があるもの。)を事前に回収し、被告人に渡した。

Aは、八月八日に東名飯店で被告人からメモを渡されたが(<押収番号略>のメモの記載のうち、書込みがなされていないものと同一内容のものである。なお、前述(四の6の(一)の(1)の⑧)のとおり、<押収番号略>のメモには、八月一三日満期の額面二四〇〇万円の手形の手形番号がHA86572、同日満期の額面四〇〇万円の手形の手形番号がHA86571と記載されているが、前者の手形番号はHA86571、後者の手形番号はHA86572の誤記である。)、このメモに記載されている全部の手形の回収に必要な金額は、一億六六〇〇万円である(メモを渡した時点ですでに決済されていた八月五日満期の四〇〇万円、八月八日満期の五〇〇万円の二通の手形は、右金額に含まない。)。

(2) 八月八日、被告人が京王プラザホテルに出かけた経緯

Aの捜査段階の供述〔九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)〕は、八月八日ころ被告人から、保険金が二億円下りたという電話を受けてその日に京王プラザホテルで被告人と会い、右メモを渡されて手形の回収を依頼されたという。Aの公判供述は、被告人の依頼を受けて八月六日、七日とNK石材の件で長崎に行き、帰るときにNK石材の人達を連れてそのまま京王プラザホテルで被告人と会ったという(一八回公判等)。被告人の公判供述も、八月八日夕方、NK石材の件で長崎に行っていたAが、長崎空港から電話をかけてきて、F18、F19らを連れてこれから東京に戻るので、契約の準備をして午後八時に京王プラザホテルに来るようにというので、同ホテルに出かけたというものである(五〇回公判)。

八月八日にNK石材のF18、F19らを京王プラザホテルに連れてきたのはAであるから、Aや被告人の右公判供述のとおり、この日Aは長崎からF18、F19を連れてきたものと思われる。したがって、八月八日の夕方にAが、長崎空港から電話をかけてきて、京王プラザホテルに来るように言ったというA及び被告人の公判供述は信用できる。八月八日には、Aが長崎から東京に飛行機で来て京王プラザホテルへ直行したものと認められるので、被告人が同日Aに電話をかけて保険金が二億円下りたという連絡をしてきた旨のAの右検察官調書は信用できない。

(3) 被告人がAに対して、手形の回収を依頼した時期

Aは、捜査段階から、八月八日、京王プラザホテルで被告人から手形の回収を依頼されたという供述をしている。これに対し被告人は、公判において、八月八日にNK石材の手形を受け取ったことで手形の回収を考え、八月一一日に、AにNK石材関係の報酬等として八〇〇〇万円をやるから手形を回収してくれと依頼したという供述をしている(五〇回公判)。

被告人が、八月八日に京王プラザホテルにおいて、それまでにAに渡していた手形の一覧表(<押収番号略>のメモの記載のうち、書込みがなされていないものと同一内容である。)をAに渡していることは間違いない。被告人は、六月から一一月にかけて、Aに渡していた手形や現金等について<押収番号略>等のメモを渡している。その中には、<押収番号略>以外にも、決済が終わった手形とこれから支払期日が到来する手形が記載されているものがあるから(<押収番号略>の二ないし四枚目のメモ(手形の一覧表)も、被告人がAに渡していたメモに基づいて作成されている。〕、被告人の公判供述のように、八月八日にも、今後支払期日がくる手形を確認させるために渡したと考えても不自然ではない。また、前述のとおり、被告人がAに回収を依頼した結果、Aからの連絡により八月一一日の時点で回収されるものとして納得していたのは、少なくと<押収番号略>のメモに記載された手形の全部ではなく、右メモには同時点における被告人が回収できると考えた手形以外の分まで記載されていることも、被告人の公判供述を裏付ける方向に傾く事情であろう。また、<押収番号略>のメモには、被告人がAから借り入れた金額も記載されていることも、同様に考えてよい事情である。右メモは被告人が作成したせいか、Aの九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)やA証言は、八月八日に被告人から手形の回収を依頼されたとはいうものの、その後のメモへの×とかの記入の経緯については明確ではなく、この点が意識して捜査された形跡もない。被告人の公判供述は、右メモに×やが記載された経緯が具体的であり、記載状況にも符号している。八月八日のAをまじえての話し合いの中心となる問題が、Aの依頼されていたNK石材に対する被告人の投下資本の回収の件であったことも、間違いない。

したがって、確かに、<押収番号略>のメモに記載されている手形の支払期日は、いずれも被告人がE1の生命保険金の送金を受けた以後のものであるし、すでに被告人が立て替えて決済した手形についての記載はわずか二枚分であり、大部分の手形は、Aに渡されていてこれから決済されていく手形の一覧表になっており、右メモが数日後には、その後の手形回収の際のやり取りの基本になっているけれども、被告人が当初から、右メモを手形回収のための資料として利用する意思で八月八日にAに渡したという趣旨に理解できる前記Aの供述には、前述の理由から疑問を入れざるを得ない。

(4) 被告人がAに対して、手形の回収を依頼した範囲

Aは、捜査段階においては、八月八日京王プラザホテルで被告人と会った時に、九月末までの支払期日の手形及び三井銀行ひばりヶ丘支店のKW商事の当座預金口座から決済される手形番号ADの手形の回収を依頼されたと供述し〔九月一〇日付検察官に対する供述調書(<書証番号略>)〕、公判(一八回公判等)でも、右九月末を同月三〇日と供述する点以外は同様の供述をしている〔なお、右検察官調書は、<押収番号略>のメモに記載された手形のうち、八月一二日が支払期日である額面三五〇万円の手形も同月一三日に回収されたとなっているが、捜査報告書(<書証番号略>)によると、この手形は、支払期日に決済されているので、この点についての右検察官調書は客観的事実とくい違っている。〕。

一方、被告人の公判供述は、八月八日にNK石材の件でAらをまじえてNK石材と交渉した際にAに<押収番号略>と同一内容のメモ(但し、コピー、ボールペン書きを含めて、×、等の記載のないもの)を渡した、同日NK石材から合計三億円分の手形を受け取ったことでAに渡していた手形を回収しようと考え、同月一一日にAに電話でNK石材関係の報酬等として八〇〇〇万円やるから、手形を回収してくれるように依頼した、同日Aから電話が二回あり、一回目の電話で手形が止まるといわれたものに×をつけ、二回目の電話で回収できるといわれたものにと記入した(<押収番号略>のうち、コピー部分のもの)、更に、八月一三日に、一一日の電話で連絡を受けた手形のほかにもAが手形を持ってきたので、それについては、更にその場で手書きで×、(<押収番号略>のうちボールペン書きのもの)を記入した、というものである(五〇回、五一回公判)。

<押収番号略>のメモには、回収すべき手形について×やが記載されている。このメモは、原本をコピーしたものにさらにボールペンで書き加えられたものである。これによると、支払期日が八月三〇日までの分の手形のうちかなりの部分については、×とがコピーされている。更に、<押収番号略>のメモについては、九月五日が支払期日の三通の手形の記載の左端に、コピーされている同メモに「×」がボールペンで書き加えられており、支払期日が九月二九日以降の手形一〇通については、×もも記載されていない。<押収番号略>のメモについては、八月三〇日の支払期日の次の支払期日の分(一〇月二五日)以降の一五通について、×、が記入されていない。これらの×とが記入された経緯については、A供述は明確ではなく、被告人の公判供述は合理的であり、メモの状況にも合致しており、格別疑問も生じない。したがって、八月八日から九日にかけてのNK石材の件での話し合いの際に、手形の回収まで依頼したのかどうかは別として、右被告人の公判供述の経緯でメモに×、が記載されたものと認められる。

右メモと被告人の右公判供述によれば、被告人がAに、手形の回収をいつ依頼したかは別として、Aから回収できる旨連絡を受けた手形の範囲は、右<押収番号略>のメモに記載された手形のうち、「×」あるいは「×」がコピーされている支払期日が八月三〇日までのもの及び<押収番号略>に記載のある九月三〇日が支払期日である三井銀行関係のAD01455の手形(このうち、最後の支払期日のものがA供述のいう九月三〇日である。三井銀行関係の手形番号ADの分が、回収の対象になっていることは、間違いなく、実際にも回収されている。)であったと思われる。但し、八月一三日に、Aは右の手形以外の九月五日が支払期日の三通の手形も回収してきて被告人に渡し、被告人が八月一三日に持参した現金八〇〇〇万円と手形四〇〇〇万円分の合計一億二〇〇〇万円に概ね見合う合計一億一九五〇万円分の手形を回収しているが、後述((6))のように、被告人がAに対して八月一三日に振り出した合計四〇〇〇万円分の手形のうち、少なくとも三〇〇〇万円については、Aの負担で決済することになっていたものと認められるから、被告人としては、できるだけ多くの手形の回収を希望したのであろう。

いずれにしても、被告人が八月一一日に右メモに×、を記入する時点においては、少なくとも支払期日が八月三〇日までの手形(NK石材に振り出していた手形を含む。)及び三井銀行関係の手形番号がADのもの(以上、額面合計一億〇九五〇万円)が回収されるということで被告人も納得していたことは間違いないものと思われる。

(5) 被告人が、八月一三日に持参することを予定していた現金の額

Aは、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)では、被告人が殺害報酬を現金で八〇〇〇万円持っていき、不足分を手形で四〇〇〇万円持っていくという話だったと供述しているのに対し、公判(一八回公判等)では、八月八日の時点では殺害報酬八〇〇〇万円を含めて現金で持ってくる額が一億四〇〇〇万円、手形が四〇〇〇万円ということだったが、被告人が現金を八〇〇〇万円しか持ってこなかったと供述している。他方被告人は、公判において、現金八〇〇〇万円を持っていくことになっていたが、八月一三日の当日の朝、Aから電話があって、個人的にジャンプするのに手形を貸してほしいと頼まれたので、更に手形四〇〇〇万円分も持っていった、と供述している(五〇回公判)。

Aが八月一三日に回収した手形の額面合計額は、NK石材に振り出していた手形一六〇〇万円分と合わせて一億一九五〇万円である。これは被告人が当日持参した現金八〇〇〇万円と手形四〇〇〇万円の合計額にほぼ相当する額で、Aは、元々NK石材関係の手形を含めても、被告人が八月一三日に持参してくる額に相応する額の手形しか回収に動いていなかったのではないかと思われる。

また、Aの公判供述のように、当初は現金一億四〇〇〇万円と書替用の手形二〇〇〇万円(NK石材の維持費等として二〇〇〇万円の手形を振り出すことになっていたと供述しているので、持参した四〇〇〇万円の手形からこの二〇〇〇万円の手形は除外して検討する。)という話だったとすると、被告人は合計一億六〇〇〇万円持参して手形を回収する予定でいたということになる。ところが、当日被告人が持参したのは現金八〇〇〇万円と手形二〇〇〇万円であるから、合計は一億円にしかならない。八月一三日までの間に、回収できる手形についての連絡をAが被告人にしていることは優に認められるにもかかわらず、それほど大きな変更について、被告人が事前に何ら連絡をしないまま、当日突然現金を八〇〇〇万円に減額して持ってきたというのは、いかにも不自然である。

したがって、八月八日の時点では、現金で持ってくる額が一億四〇〇〇万円、手形が四〇〇〇万円ということだったが被告人が現金を八〇〇〇万円しか持ってこなかったというAの公判供述は、虚偽であり信用できない。当初は現金で八〇〇〇万円の手形を回収するという話だったが、六〇〇〇万円しか用意できておらず、二〇〇〇万円はジャンプということになったというJ2の証言(二二回公判)もあるが、現金で八〇〇〇万円の手形を回収するという話は、結局はAとJ2との間の話であるので、AとJ2との間の話が変更されたからというだけで、右認定を覆すことにはならない。

右のとおり、Aが回収した手形の総額が被告人が持参してきた現金と手形の総額に概ね合致していることからも、被告人が持参する予定の現金は、実際に被告人が持参してきた八〇〇〇万円であったものと認められる。

(6) 八月一三日、被告人が手形三通(額面合計四〇〇〇万円)を新たに振り出した理由

① Aは、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)では、手形の回収に不足する分の手形を振り出すと被告人が言った(即ち、回収に必要な現金が足りないので、手形回収資金の代わりとして手形を振り出すというのであるから、その手形の決済は被告人の負担で行うことを意味するものと理解できる。)と供述しているのに対し、一八回公判では、四〇〇〇万円のうち一〇〇〇万円二通合計二〇〇〇万円の手形については、八月八日にNK石材の関係の清算の話をした際、購入した土地の支払いにいるから一〇〇〇万円、NK石材の運転資金として一〇〇〇万円の、合計二〇〇〇万円分の手形を被告人が振り出すことが決まっており、その手形を八月一三日に持参するという話になっていたと供述している(即ち、このNK石材関係の合計二〇〇〇万円分の手形は、被告人が決済し、残りの二〇〇〇万円分の手形は、手形の回収に現金が不足するので現金の代わりに被告人が用意するということになるから、これについても被告人が決済することを意味し、四〇〇〇万円分の手形全部を被告人の負担で決済することを意味するものと理解できる。)。一方被告人は、公判で(五〇回公判)、Aが個人的にジャンプするために四〇〇〇万円の手形を切ってくれと言ってきたので振り出したと供述している(Aが個人的に使うのであるから、Aの負担で決済することを意味するものと理解できる。)。

② 八月一三日に被告人がAに新たに振り出した右三通の手形は、HA86997ないしHA86999の手形(約束手形帳控は<押収番号略>。)である。

捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)によれば、額面二〇〇〇万円のHA86997は受取人白地、J4が第一裏書人〔Aは、右J4をJ2のスポンサーと供述しており(一八回公判)、J2の証言(二二回公判)を合わせて考えても、この手形がJ2に割り引いてもらった手形の書替えのために使用されたことは明らかであり、右手形はJ2からJ4に渡されたものと推認できる。〕、額面一〇〇〇万円のHA86998は、NK石材が受取人兼第一裏書人、額面一〇〇〇万円のHA86999はJ5が受取人兼第一裏書人になっていることが認められる。

③ 右三通の手形の決済状況をみるに、捜査報告書(<書証番号略>)によると、一〇月三〇日、KW商事の青梅信用金庫東久留米支店の当座預金口座にKW商事名義で三〇〇〇万円の入金があり、同日HA86998とHA86999の二通の手形が決済され翌三一日にHA86997が決済されていることが認められる(したがって、<押収番号略>のメモには、HA86997の欄に、「依頼返却」と記載されているが、間違いと思われる。)。

銀行勘定帳(<押収番号略>)の一〇月三〇日の欄には、「振込みJ5(SO)」として三〇〇〇万円の入金と、「手形J5(SO)」として一〇〇〇万円二口の出金が記載されている。また<押収番号略>は、右三〇〇〇万円の振込金受取書であり、Aの妻が任意提出している。

約束手形帳控(<押収番号略>)を見ると、額面二〇〇〇万円のHA86997の手形と額面一〇〇〇万円のHA86998の手形の各備考欄には「振込有り」の記載がある。

<押収番号略>のメモでは、額面一〇〇〇万円のHA86999の手形につき「手形の件で」と記載されている。

SOに勤務していたF29が作成した<押収番号略>の三枚目のメモには、右各手形について、額面二〇〇〇万円のHA86997と額面一〇〇〇万円のHA86998の手形は「差し替え」と、額面一〇〇〇万円のHA86999の手形は「仕事の融資保証」と記載されている。右メモは<押収番号略>の四枚目のメモと一連のものになっており、四枚目の最後の手形の振出日と理解される記載が一〇月一七日であるから、これらのメモはそのころまでに作成されたものと認められる。そしてHA86997などの手形の満期が一〇月三〇であるから、右の「差し替え」の記載は、八月一三日以前に振り出されていた手形に差し替えて振り出されたことを、「仕事の融資保証」の記載は、Aの仕事の融資あるいは保証として振り出されたことを意味すると考えられる。

以上によれば、一〇月三〇日にAから青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に三〇〇〇万円が振り込まれ、右各手形のうちHA86997及びHA86998が、Aからの右三〇〇〇万円の振込みで決済されたものと認められる。したがって、右二通の手形はAの負担で決済されていることになるから、HA86997とHA86998の手形は、Aが個人的に手形を書き替えるために、被告人が振り出したものと認めるのが相当である。またHA86999の手形が、同支店のKW商事の当座預金口座から決済されたことが認められるが、右のような被告人からAに渡されたメモや約束手形帳控の記載を見ると、被告人とAの間では、右手形については被告人が決済したものと認識されていると思われるが、本来Aが負担すべきものを資金が用意できなくて被告人が決済したのか、もともと被告人が負担して決済すべきものであったのかは判然としない。

Aは、一〇月三〇日に青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に前記三〇〇〇万円を送金した際の振込金受取書(<押収番号略>)について、一〇月三〇日の半月位前に、被告人から手形を二、三〇通渡されて(額面合計五〇〇〇万円から六〇〇〇万円分)手形割引を依頼されたので、J5、F11、J2らに割り引いてもらい、割り引けた金額を被告人に送金したときのものであり、割り引けなかった手形は被告人に返したと証言するが(一八回公判)、右の述べた点から考えて、Aの右証言は虚偽である。

④ 他方<押収番号略>のメモにHA86999の手形は「手形の件で」と記載されていること、<押収番号略>の三枚目のメモにHA86999の手形はAの仕事の融資あるいは保証として振り出されたことを意味する「仕事の融資保証」と記載されており、Aは右記載について、はっきりしないがNK石材関係の経費か何かでもらったものだと思うと供述している(二一回公判)ことも考慮すると、HA86999の手形は、他の二通と異なり、手形を書き替えるために振り出されたものであるとは考え難い。

⑤ 前記のとおりAは、四〇〇〇万円のうち一〇〇〇万円二通合計二〇〇〇万円の手形については、八月八日にNK石材関係の清算の話をした際、購入した土地の支払いにいる〔<押収番号略>によると、被告人は、七月三〇日にNK石材に対して手形一一通(HA86977ないし同86987)を振り出しているが(HA86979ないし同86987は、約束手形帳控を裏から透かせば判読できる。)、そのうち、額面五〇〇万円の手形(HA86977)の備考欄には「土地代金、登記代」の、額面三〇〇万円の手形(HA86978)の備考欄には「土地代金」の記載がある。登記簿謄本(<押収番号略>)によると、八月四日に、NK石材からKW商事に対して、山林一筆が、七月三一日の売買を原因として所有権移転登記されている。〕から一〇〇〇万円、NK石材の運転資金として一〇〇〇万円の二通の手形を被告人が振り出すことが決っており、その手形を八月一三日に持参するという話になっていたと証言しているが(一八回公判)、このような趣旨で振り出された手形であれば、額面一〇〇〇万円の二通の手形は、NK石材に裏書され、かつ被告人が決済しなければならない手形ということになる。

しかしながらそのうちHA86998の手形は受取人兼第一裏書人がNK石材となっているが、HA86999の手形は受取人兼第一裏書人がJ5となっていることも前記のとおりである。また右二通の手形のうち、HA86999の手形だけが、最終的な負担者は別としても、直接的には、被告人が決済したことも前記のとおりである。

約束手形帳控の記載は、Aがどの手形の決済にあてるかを明確に伝えないまま、三〇〇〇万円だけ決済すると連絡してきたため記載された可能性もありうるであろうから、HA86999ではなく、HA86998の手形の方が本来被告人が決済すべき手形であったと考えられないでもない。しかしながら<押収番号略>の三枚目のメモにはHA86998の手形は、八月一三日以前に振り出されていた手形に差し替えて振り出されたことを意味する記載がなされていることから考えると、Aが供述するような土地代金等新たな目的で振り出されたものとは考えがたい。右一〇〇〇万円の手形がNK石材に裏書されている理由は明確ではないが、<押収番号略>の三枚目のメモにはHA86998の手形について、八月一三日以前に振り出されていた手形に差し替えて振り出されたことを意味する記載がなされていることから考えて、AにNK石材関係の合計一六〇〇万円の手形を回収してもらうために渡されたのではないかとも考えられる。

したがって、いずれにしてもAの右証言は信用できない。

⑥ また<押収番号略>のメモに記載された手形の中には、備考欄の記載からも明らかなように、HA86571(額面二四〇〇万円。<押収番号略>。)の手形など、被告人が割引金を利用した手形も含まれているので、この点も検討しておく。被告人が割引金を使用する目的で振り出された手形であれば被告人が決済すべきことになるが、前記のとおり、HA86997及びHA86998の手形は振出のころではなく支払期日の時点におけるAの振込みで決済していることが認められるので、被告人が割引金を利用した手形の書替えのために振り出されたものとは認めがたい。

したがって、被告人が八月一三日に振り出した四〇〇〇万円の手形のうち、少なくともHA86997とHA86998の二通額面合計三〇〇〇万円については、Aが個人的に手形を書き替えるために振り出されたものと認められるから、被告人が五〇回公判で、Aが個人的にジャンプするために四〇〇〇万円の手形を切ってくれと言ってきたので振り出したと供述しているのは、右のとおりの証拠に照らすと、少なくとも三〇〇〇万円分の手形を振り出した理由については、信用性が認められる。

更に、八月一三日以前に被告人がAに振り出していた手形は、これがE1殺害に関係するものであろうがなかろうが、いずれにしても、振り出した被告人の方から、回収のために手形を新たに振り出すことは不合理である。

したがって、前述したAの、手形を回収するため資金が足りないので被告人が書替用の手形を用意すると言ったという捜査段階の供述あるいは被告人が新たに振り出した手形四〇〇〇万円分全部が被告人の負担により決済されることになっていたという趣旨に理解できる捜査、公判段階の供述は、虚偽であり信用できない。

(五) A供述の信用性

(1) 現金八〇〇〇万円の趣旨、殺害報酬の額についての供述の変遷

① Aの供述をみると、八月一三日に渡された現金の趣旨について、検察官調書中では、被告人から殺害の報酬であると明確に言われたという供述は見受けられないが、八月八日ころの電話で保険金が二億円しか下りないのなら報酬は八〇〇〇万円でいいと被告人に言ったという供述を受けているので、供述の趣旨は、八月一三日に受け取った現金八〇〇〇万円がE1殺害の報酬であることを肯定しているものと認められる。

他方、Aの公判供述をみてみると、一八回公判においても、八〇〇〇万円はE1殺害の報酬ということになるという趣旨の供述をしている。しかし、弁護人の反対尋問におけるAの供述を子細に検討しみると、二〇回公判において、

問 「その(八月一三日の)八千万について、それは殺しの報酬じゃないかと、盛んに聞かれましたよね。」

答 「私としてははっきり言って、その件で不足で持ってきたんだし、私の裁判のほうでも八千万の用途ですね、甲さんが直にお金借りたやつがほとんどでしたもんですから、それを報酬だと言われても私も腑に落ちないんですけれども、一応話では十三日のところで、これで勘弁してくれと、あとは払うものはうちの会社がよくなった時にちゃんと面倒見るからというような趣旨だったと思います。」

問 「その八千万というのは殺しの報酬なものなのだか、九州のほうの報酬だか、わからないというようなことを言ったことないですか。」

答 「言いました。調書の中にあるんじゃないですか。」

問 「あると思うんですよ。私も聞いた話ですから。検事さんはないと言うんですがね。」

答 「私は言っていると思いますよ。」

問 「NK石材の報酬というのは貰ったのかどうか。」

答 「だから、どっちのお金ということは私自体わかりません。」

と供述している。

更に、二一回公判でも、弁護人の反対尋問に対して

問 「その時に(八月八日に)あなたの殺しの報酬も出すと、甲が言ったんですか。」

答 「殺しも報酬も絡んでですね。九州のほうの件もありましたから、折半という約束がありましたから、そういうのも絡んで、じゃ出そうじゃないかというような話でした。」

問 「結局八月十三日には現金八千万しか持ってこなかったということになったら、あなたの取り分はないでしょう。」

答 「殺しの報酬として私は貰っていないと自分の裁判でも言っています。」

と供述している。

また被告人がAに渡すという額についても、検察官調書では、現金八〇〇〇万円を渡すと言われたと供述しているが、一八回公判ではこの点明確には供述しておらず「現金を一億四〇〇〇万円位用意し、外に手形を四〇〇〇万円用意するという話」と供述し、「殺害報酬は、被告人がAの受け取った手形を落していたので一〇〇〇万円の手形を二枚か二〇〇〇万円の手形を一枚という感じ」と供述しているが、「当初は殺害報酬は現金で八〇〇〇万円ということ」とも供述している。他方で「八月八日のときには、被告人が殺害報酬としてAにやる分が四、五〇〇〇万円残っているから、その分を持っていくと言っていた。」という趣旨の供述もしている。

したがって、Aの供述は、質問者に迎合する点もあるものの、八月一三日に被告人が持参することになっていた金額についても、またその中で殺害報酬が全部なのか一部なのか、という点についても、錯綜動揺し、変遷している。

② Aは、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)において、「E1さんの件での報酬支払いがけりがついた八月一三日ころの時点においては、甲から私がもらった実質的な金額は四、五〇〇〇万円位でした。……E1さん殺しの報酬については、八月一三日で全て終わりということになった訳です。」と供述していることについて、公判では「嘘をついたとか何とかでなくて、私の方としてみればはっきりお金はいくらだということは分からんと。ということは、甲さんの方から五月の末から九州の方の仕事にも携わって回収してくれということで回収したものもありましたし、そういうのを折半だという話もありましたから、ですから私の方としてみれば、はっきり言って、その時点で金をもらったという記憶というより、よく分からないのです。」、「(検察官との話の中で)そうしなければ合わないし、そうなってなければ八月一三日で関係が終わりだという話になれば、そうなったらおかしくはないかと、だったらそうでしょう、こういうふうなことで調書を取った記憶があります。」と供述しているが、検察官に話したことは間違いないとも供述している(一八回公判)。

また検察官調書で、八〇〇〇万円をE1殺害の報酬として受け取ってそれでE1の件は一応片がついたような供述になっていることについても、「後でその面倒を見てくれるということで片がついたということです。」と供述し(一八回公判)、更に、「今は知ってのとおり九州の方にお金を出してしまっていて、手形を落してくれるという約束が落してくれないと、そういう関係で今は苦しいんだと、それが通り過ぎた時に面倒を見るからということでした。(したがって八月一三日以降は、被告人にE1殺害の件での報酬を)請求していないです。」(一八回公判)、「甲さんがよくなった時に払ってくれると、また私が仕事するのに十二分に応援もするということで、後でしてあげるということで、けりがついたということです。」、「甲さんが潰れてしまえば一銭ももらえない、甲さんがよくなればそれ以上に三倍も五倍もよくしてくれるかもしれないということです。」と供述している(二一回公判)。

以上のように、Aの供述は、被告人が当初E1殺害の報酬として現金を持参する話であったという点では供述が一貫しているように思えるが、八〇〇〇万円の趣旨がE1殺害の報酬と供述してみたり、殺害の報酬ではないような供述をしてみたり、変遷している。また、当初の被告人との電話の内容とかみあっていない。

Aの供述から受ける強い印象は、被告人が、当初現金で一億四〇〇〇万円持ってくるという話だったにもかかわらず、八〇〇〇万円しか持ってこなかったために、自分が回収資金を持ち出す結果になり、A自身が利得を上げていないという点を強調していることである。即ち、自己の利得が少ない、あるいはなかったことをなんとか強調したいという意識が強く窺える。

(2) Aの公判供述、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)の客観的な事実とのくい違い、不合理・不自然さ

① 当初、被告人が持参することを予定していた現金の額

A証言(一八回ないし二二回公判)は、被告人が、当初現金で一億四〇〇〇万円持ってくるという話だったにもかかわらず、八〇〇〇万円しか持ってこなかったために、自分が回収資金を持ち出す結果になり、A自身が利得を上げていないと供述しているものと認められる。

しかしながら、前述のとおり、当日被告人が持参する予定になっていた現金は八〇〇〇万円であるから、被告人が一億四〇〇〇万円を持参することになっていたというAの前提自体が信用できないのである。したがって、この点のA証言は虚偽であると言わざるを得ない。ここでも、殺害報酬として受け取った金額をできるだけ少なくし、何とかして自分の刑事責任を軽くしようというAの姿勢が際立っている。

② 被告人が持参した手形

A証言(一八回公判等)は、八月一三日に、被告人が手形を四〇〇〇万円分持参した理由について、二〇〇〇万円分は、手形を回収する費用(被告人の負担で決済する趣旨にとれる。)、二〇〇〇万円分はNK石材関係の出資であるという。NK石材関係の出費だとすれば、被告人の負担で決済されるべきことは明らかであるし、手形を回収する費用については、「J2なんかのジャンプする手形とか、それから九州の方に払う手形です。それも本当は現金という話だったんですけれども、手形になりまして、一〇〇〇万二枚とか。」とまで供述しているのであるから(一八回公判)、この手形を回収する費用として被告人が持参したという手形についても、被告人の負担で決済されるべきであるという趣旨の供述であることは明らかであろう。したがって、A供述によれば、手形は、いずれも被告人の負担で決済されるべきものということになるのである。

しかし、前述のとおり、額面一〇〇〇万円の手形をNK石材が裏書しているので、この一〇〇〇万円の手形のみについては、NK石材関係の手形であるにしても、三〇〇〇万円分については、Aの負担で決済していることが明らかであるから、少なくとも、三〇〇〇万円分の手形を被告人が持参した趣旨については、A証言は虚偽であり、信用できない。

③ 清算としての不自然さ

(a) 相殺等がなされていないこと

ア Aの被告人に対する資金提供の状況

a 振込送金の状況

捜査報告書(<書証番号略>)、振込金受取書(<押収番号略>)、メモ(<押収番号略>、約束手形帳控(<押収番号略>)、金銭一覧表(<書証番号略>)によれば、以下の事実が認められる。

六月五日から八月一三日までの間にAからKW商事の青梅信用金庫東久留米支店の当座預金口座に、六月五日に三〇〇万円(F14名義)、六月一九日に一五〇万円(同)、六月二五日に四〇〇万円(同)と一一〇〇万円(GE商事名義。<押収番号略>のメモ右側の欄を見ると、一〇〇〇万円と一〇〇万円に分けられて記載されているが、分けてある理由は判然としない。)、七月八日に四〇〇万円(KW商事名義)、七月一八日に三五〇万円(被告人名義)、七月二五日に一〇〇〇万円(KW商事名義)、八月五日に三〇〇万円(被告人名義)の合計四〇〇〇万円が振り込まれている。

そこで、各送金を検討する。

ⅰ 六月五日の三〇〇万円の振込み(F14名義)は、前に述べた(四の11)ように、被告人が四月五日か七日に振り出した手形のうち、三〇〇万円の手形二通を回収しようとしてAに六〇〇万円送金したが、一通しか回収できなかったので、残った三〇〇万円を被告人に戻したものである。したがって、Aが実質的に負担して工面した金員といえない。

ⅱ 六月一九日の一五〇万円の振込み(F14名義)は六月一九日満期の額面一五〇万円の手形(HA82783。<押収番号略>。)の、七月八日の四〇〇万円の振込み(KW商事名義)は七月八日満期の額面三〇〇万円及び額面二〇〇万円の手形(HA82788、HA82790。<押収番号略>)の一部、七月一八日の三五〇万円の振込み(被告人名義)は七月一八日満期の額面三五〇万円の手形(HA86082。<押収番号略>。)の、八月五日の三〇〇万円の振込み(被告人名義)は八月五日満期の額面四〇〇万円の手形(HA82796。<押収番号略>。<押収番号略>のメモの支払期日八月五日、支払金額四〇〇万円、HA82796の手形の内訳欄には「300万手形(青梅に振込)」の記載があり、は振込手続をした月日を意味しているものと思われる。)の、それぞれAが被告人から借入れていた手形の決済資金あるいはその一部の振込みと認められる(被告人がAに対して振り出した手形の支払期日のころにAから被告人に送金されている。)。したがって、これらの送金は、いずれもAの方が実質的に負担して持出しになっているとはいえない。

ⅲ 六月二五日の四〇〇万円(F14名義)と一一〇〇万円(GE商事名義)の送金であるが、捜査報告書(<書証番号略>)、約束手形帳控(<押収番号略>)、<押収番号略>のメモ、振込金受取書(<押収番号略>)、被告人作成の金銭一覧表(<書証番号略>)によれば、六月二五日及びそれに接近した六月二三日に被告人がAに手形を振り出しているので、この点を検討する。

あ 六月二三日における被告人からAに対する手形の振出及びその決済状況をみてみると、六月二三日に額面一〇〇〇万円の手形(支払期日八月二〇日。HA86370。<押収番号略>。)、額面三〇〇万円の手形(支払期日一〇月二〇日。HA86372。<押収番号略>。)額面三〇〇万円の手形(支払期日一〇月二〇日。HA86374。<押収番号略>。)、額面一〇〇万円の手形(支払期日一〇月二〇日。HA86375。<押収番号略>。)の四通が振り出され、このうち額面一〇〇〇万円の手形(支払期日八月二〇日。HA86370。<押収番号略>。)については、支払期日の八月二〇日に被告人名義で一六四〇万円が送金され(<押収番号略>により、Aが送金したものと認められる。)、この金員の中から一〇〇〇万円が決済にあてられており、額面三〇〇万円の手形(支払期日一〇月二〇日。HA86372。<押収番号略>。)、額面三〇〇万円の手形(支払期日一〇月二〇日。HA86374。<押収番号略>。)、額面一〇〇万円の手形(支払期日一〇月二〇日。HA86375。<押収番号略>。)については、支払期日である一〇月二〇日にA名義で五〇〇万円、GE商事名義で二〇〇万円が送金されて決済されている。公判開始後に被告人が作成した金銭一覧表(<書証番号略>)には、六月二五日に送金されたA名義の四〇〇万円、GE商事名義の一一〇〇万円について、いずれも「6月25日のNK石材振出手形を決済する為にAから借入をする」と記載されている(被告人がNK石材に渡していた手形のうち、六月二五日満期の手形を決済するためにAから金を借りたという意味に理解される。)。

更に六月二五日における被告人からAに対する手形の振出及び決済の状況をみてみると、額面五〇〇万円の手形(支払期日八月二八日。AD01452。<押収番号略>。)の手形が振り出され、支払期日前にAが回収して八月一三日にAが被告人に渡している。

い 右合計五通の手形については、<押収番号略>のメモには手形の振出原因に関する記載はないが、<押収番号略>のメモには、六月二五日に振り出した額面五〇〇万円の手形(支払期日八月二八日。AD01452。<押収番号略>。)に関して、Aが、海老名の土地関係と理解できる記載をしている。

う しかしながら、右の合計五通の手形の振出と決済状況は右のとおりであるが、六月二五日におけるAによるGE商事名義の一一〇〇万円の送金については、被告人がAに手形を渡した日と送金の日が接近しており、被告人がAに手形の割引を依頼し、その割引金あるいはその一部をAが送金し、その後、各支払期日における決済の時点で被告人がAから資金提供を受けて決済したようにも思われ、そうであれば、六月二五日送金された右一一〇〇万円は、Aが実質的に負担した金員とはいえない。

少なくとも、A名義による四〇〇万円の送金については、額面五〇〇万円の手形(支払期日八月二八日。AD01452。<押収番号略>。)を渡された日に送金しているので、被告人がAに手形の割引を依頼し、Aがこれを割引に出して割引金を被告人に送金したものと思われ、この四〇〇万円は、Aが実質的に負担したものとはいいがたい。

したがって、六月二五日の送金について、Aは実質的に負担していないか、せいぜい一一〇〇万円負担したにすぎないものである。

ⅳ 七月二五日に一〇〇〇万円がKW商事名義で送金されている。公判開始後に被告人が作成した金銭一覧表(<書証番号略>)には、七月二五日に送金されたKW商事名義の一〇〇〇万円について、「7月25日にNK石材支払手形を決済する為にAから借入をする」と記載されている(被告人がNK石材に渡していた手形のうち、七月二五日満期の手形を決済するためにAから金を借りたという意味に理解される。)。七月二五日に接近した日における手形の振出状況をみてみると、七月二四日に額面一〇〇〇万円の手形(AD01457。<押収番号略>。)、額面一〇〇〇万円の手形(AD01459。<押収番号略>。)、額面一二〇〇万円の手形(AD01461。<押収番号略>。)が振り出されており、この三通はいずれもAが回収して八月一三日に被告人に渡しているが、<押収番号略>のメモには、額面一〇〇〇万円の手形(AD01457。<押収番号略>。)につき、被告人が「個人使用する」と記載されており、<押収番号略>の二枚目のメモ(被告人がAに渡したメモに基づきA側が作成している。)には末行の額面一〇〇〇万円の手形(AD01459)につき「KW現金を使う」と記載されている。加えて、一〇〇〇万円の送金の日が手形をAに渡した日と同じなので、額面一〇〇〇万円の手形一通(AD01457あるいはAD01459)については、被告人がAに手形の割引を依頼し、Aがその割引金を送金したものと思われる。なお、<押収番号略>のメモ、A証言(一八回公判)によれば、被告人がAに渡した<押収番号略>のメモについて、その後Aが右の「個人使用する」という記載をボールペンで二本線を引いて抹消し、その右横に「北海道土地」と記載している。右抹消と「北海道土地」の記載の意味は判然としないが、被告人による「個人使用する」という記載、被告人がAに渡したメモに基づきA側が作成している<押収番号略>の二枚目のメモの末行の右「KW現金を使う」という記載、更に送金の日が手形をAに渡した日と同じである点から考えて、この額面一〇〇〇万円の手形(AD01457あるいはAD01459)については、被告人がAに手形の割引を依頼し、Aがその割引金を送金したことは間違いないものと思われる。したがって、この一〇〇〇万円の送金は、Aが実質的に負担したものとはいえない。

b 振込送金以外の資金提供

また他に六月二四日に一〇〇万円、七月九日に一〇〇万円、七月二一日に二〇〇〇万円と現金一〇〇万円の合計二三〇〇万円がAから被告人に渡されているが、このうち少なくとも七月二一日の二〇〇〇万円は被告人が手形(HA86571ないしHA86573。<押収番号略>。)を振り出して、AがこれをJ2に割り引いてもらい、その割引金の一部を被告人に渡したものと認められるので、Aが実質的に負担した金員とはいえない。残りの合計三〇〇万円の使途目的及び作出経過については、必ずしも明確ではないが、これはAが自ら作出したものと考えざるを得ず、この三〇〇万円は、Aが実質的に負担して送金したものと思われるので、一応Aから被告人に持ち出されていると認められる。

c 合計

以上のa、bによれば、Aが被告人に送金あるいは渡した金員のうちAの方が実質的に負担した結果、Aの方が被告人に持出しになっているのは、六月二五日のGE商事名義の一一〇〇万円を入れれば合計一四〇〇万円、入れなければ三〇〇万円となる。

イ 被告人のAに対する資金提供の状況

a 振込送金の状況

捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)等によれば、四月中旬以降八月一三日までの間に、被告人からAの口座に合計二七五〇万円(四月二二日に被告人がF17に依頼してF17の名義で二〇〇万円、四月三〇日にF30名義で三七〇万円、五月二三日にF31名義で五五〇万円、同月三〇日にA1名義で五五〇万円、六月一七日にA1名義で九三〇万円、七月一九日にA1名義で一五〇万円。)が振り込まれていることが認められるが、これは被告人が実質的に負担して送金したものである(被告人がAに振り出した手形の回収資金等に使用されたようである。)。なお、六月四日に被告人がA1名義で送金した六〇〇万円は、殺害費用かどうかが争われている手形の決済に関係しているので除いている。

b 手形の決済状況

八月一三日までに、Aが被告人から借りて使用した手形で被告人が決済したものは、証拠上明白なものだけをみると少なくとも合計一三五〇万円はあるものと認められる。即ち、四月中旬に渡したJ3設計事務所振出の額面三五〇万円の手形二通のうちの、少なくとも被告人がJ3設計事務所の口座に振り込んで決済したもの、六月一九日満期の額面一五〇万円の手形二通(HA82785、同82786。<押収番号略>。)、一〇〇万円〔HA82788、同82790(いずれも支払期日は七月八日。<押収番号略>。)。HA82788の約束手形帳控(<押収番号略>)には、この二通の手形の額面合計五〇〇万円のうち、四〇〇万円の振込み送金を受けた旨の記載があるので、残りの一〇〇万円が被告人の負担によって決済されている(<押収番号略>のメモの七月八日の「100万、当座」の記載もそのことを意味している。)。〕、八月五日満期の額面四〇〇万円の手形(HA82796。<押収番号略>。)のうちの一〇〇万円(前述のとおり、残りの三〇〇万円の決済については、<押収番号略>のメモ、<押収番号略>の振込金受取書によれば、八月五日にAが青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に送金しているので、Aが負担したことになる。したがって、被告人は、四〇〇万円のうち一〇〇万円を負担して決済したことになる。)、八月八日満期の五〇〇万円の手形(HA86562。<押収番号略>。)の合計一三五〇万円である。

c 合計

以上によれば、八月一三日の時点で、被告人の方ではAに、前記イのaの二七五〇万円と前記イのbの一三五〇万円の少なくとも合計四一〇〇万円程度をAに持出しになっているものと考えられる。

ウ 評価

したがって、Aの方が持出しになっている前記(アのc)一四〇万円あるいは三〇〇万円と被告人の方が持出しになっている前記四一〇〇万円を比較すると、被告人の方がAに対し、少なくとも、右の差額である二七〇〇万円あるいは三八〇〇万円程度を実質的に負担し持出していることになる。

ところで、A証言(一六回ないし二二回、六六回公判)によっても、八月一三日に被告人が持参した八〇〇〇万円を受け取るまでの間に、被告人とA間で、被告人が八月一三日までにAに持出しになっていたと認められる右の金額が話し合われた形跡はない。被告人がAに対して振り出していた手形のうち、被告人の資金捻出のために割引に尽力したものでない手形については、E1殺害の報酬だというのであるから、被告人が持出しになっている右金額についての清算が行われていないというのは奇妙である。なぜならば、Aの捜査段階、公判供述、D証言によれば、E1殺害前に、被告人との間で、保険金が下りるまでは、被告人が手形を振り出し、その手形はAが決済し、残額を報酬支払いの時点で清算して支払うという合意が成立していたという(二の1、2)ものだからである。この点につき、Aの捜査段階、公判(一六回ないし二二回、六六回公判)供述には、合理的な説明が全くない。

八月一三日に支払われた金額あるいはその一部にE1殺害の報酬が入っているのであれば、被告人の方が実質的に持出しになっている金額を相殺し、八〇〇〇万円との差額をAに渡して手形を回収させるか、あるいはこの差額を今後満期の到来する手形の決済に回すのが通常と考えられる。被告人がAに渡す方法としては、現金である必要はないからである。しかし、そのような方法は取られていないし、Aの捜査段階からの供述によっても、話題にさえなった形跡がない。この点は極めて不自然である。

したがって、このことは、そもそもE1殺害前に、AやDが言うような、E1の生命保険金が下りるまでは、被告人が手形を振り出し、その手形は割引に出して使用した者が決済し、残額を報酬支払いの時点で清算して支払うという合意が成立していなかったのではないか、即ち殺害の事前共謀がなかったのではないかと疑わせる事情である。

(b) 回収の対象となった手形の範囲

また、前述のとおり、八月一三日にAが回収した手形は、当時被告人が振り出していた手形の全部ではない。前述((四)の(4))のとおり、八月一一日の時点では、<押収番号略>に記載の手形のうち、「×」あるいは「×」がコピーされている支払期日が八月三〇日までの手形が回収される(但し、そのほかに九月三〇日が支払期日であるAD01455の額面二〇〇〇万円の手形も回収されることになっていた。)ということで被告人も納得していたものと認められる。ただ、前述((四)の(4))したとおり、実際には、八月一三日に、<押収番号略>にボールペンで「×」が記載されている支払期日が九月五日の手形三通(HA86551ないしHA86553)も回収されていることなどから考えて、被告人としては、Aに対して、より多くの手形の回収を希望していたものと思われる。被告人が振り出した手形の中に、被告人が自分で使用する資金を捻出するために振り出したものも混じってはいるが、八月一三日でE1殺害の報酬の支払いが終了するのであれば、それまでに殺害報酬として振り出した手形のうち、支払期日が到来していない手形については、全部が回収の対象にならないとおかしいことになる。したがって、回収の対象となった手形の関係からも、報酬性、清算性は認めがたい。この点も、Aの供述するような事前の共謀がなかったのではないかという方向に考えざるを得ない事情である。

(c) 八月一三日に被告人が新たに手形を振り出したこと

前述のとおり、Aは、八月一三日に被告人が新たに振り出した手形三通(額面合計四〇〇〇万円)のうち、二〇〇〇万円については、手形の回収資金であると証言する(一八回公判)。しかし、八月一三日の現金八〇〇〇万円が殺害報酬の支払いであれば、手形の回収のために新たに手形を振り出すというのは、清算とは相容れないものであろう。

④ 八月一三日にAが取得した実質的な利益

A証言(一八回ないし二二回公判)によれば、E1殺害の報酬額が八〇〇〇万円になった経緯につき、七月末から八月初めにかけて被告人に対して殺害報酬支払いの催促をしたところ、せっついて保険金支払いの話を進めると二億か一億五〇〇〇万円しかもらえない、と被告人が言うので、Aの方はもし二億円なら七、八〇〇〇万円でいいよ、と答えた、その後八月一三日に被告人から現金八〇〇〇万円を受け取ったというのである。

しかし、右A証言あるいはAの九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)によっても、八月一三日における被告人とAの手形、現金の授受の結果、Aの手元にはほとんど金員が残っていないのであって、少なくとも手形を回収して被告人に渡したAにとっては、手形を回収したことが格別利益になっていない。A証言は、被告人に対して、E1殺害の報酬を催促した結果、報酬が八〇〇〇万円に減額になった旨、いかにもまことしやかに言うけれども、現実には八月一三日の行動の結果、Aにはほとんど利益を生じていないのである。それにもかかわらず、それまで被告人から多額の手形を取得しているAが、殺害報酬額を一億円から八〇〇〇万円に二〇〇〇万円も減額してまでその支払いを催促し、自分にはほとんど得にもならないことをするというのは理解しがたい。このことは、八月一三日に殺害報酬が支払われたということの疑問にとどまらず、殺害報酬が八〇〇〇万円に減額されたという経緯についても疑問を入れざるを得なくなる事情である。

検察官主張のとおり、Aの捜査段階、公判供述について、八月一三日に被告人が殺害報酬として八〇〇〇万円を支払ったものと理解することになれば、そのことによってAの手元には実質的な利得が残らないのであるから、被告人がともかく現金八〇〇〇万円をAに渡すという外形的な行為をとること自体を殺害報酬の支払いと考えざるを得ないであろう。しかし、そのような考え方は、Aにとってみれば、被告人に殺害報酬を請求した結果、報酬額を二〇〇〇万円も減額することになったと供述していること、清算というのに被告人が新たに手形を合計四〇〇〇万円分渡し、当日回収された手形がAに渡されていた手形の全部ではないことなどと相容れないものであろう。いかに保険金殺人による約四億円の保険金の取得並びに殺害報酬の支払いという特異な状況を前提としても、八〇〇〇万円を渡すという外形的行為をとること自体を殺害報酬の支払いと評価することは、経済感覚とかけ離れすぎていて理解しがたい。Aの捜査段階、公判(一六回ないし二二回、六六回公判)供述をみても、この点についての合理的な説明はない(被告人の自白調書も同様である。)。

⑤ Aが捜査段階で殺害報酬を受け取っていないと供述していない問題

なお、被告人の弁解(五〇回公判等の公判供述)は、八〇〇〇万円のうち六〇〇〇万円が、Aの尽力によってNK石材から三億円分の手形を取得した報酬の支払い、二〇〇〇万円は、Aを通じてのJ2からの借金の返済というものである。

被告人の右弁解のように、八月一三日にAが被告人から受け取った八〇〇〇万円が殺害報酬でないのであれば、Aにとっても自分の刑事責任を軽減することにつながるのであるから、Aが捜査段階から供述してよさそうにも思える。しかし、Aの供述は、捜査段階から、一方でE1殺害を被告人より引き受けたF2組からの下請仕事であるとするとともに、被告人の主犯性を強調することによって自分の刑事責任を軽減しようとする傾向が顕著にみられる(例えば、四月五日のE1を北海道に連れていくことになった旨の報告をしたという虚偽、北海道に着いてからも、毎日被告人に電話をかけたという虚偽、四月一一日朝に、被告人に電話をかけてE1殺害失敗を報告したという虚偽等。)。したがって、Aにとっては、殺害報酬を被告人が支払ったということにすれば、一面自分の刑事責任を重くもするが、反面被告人の主犯性を一層強調することもできる。殺害報酬を受け取ったことにしても、Aから殺害の元請と主張するF4、DらのF2組に流れたとか、Bらへの分配とかで報酬を少なくすれば、その方が最終的にはAにとって有利であるとA自身が考えてもおかしくない。更に、殺害報酬が支払われたとされる八月一三日以後も、昭和六一年末までに被告人からAに合計三億円以上の現金、手形が渡されており、その中でAが実質的に取得した利益は右金額をかなり下回るが、Aが相当の利益を得ていたことは間違いなく、八月一三日に殺害報酬を受け取ったことにすれば、右昭和六一年末までにAが得た利益とE1殺害の関係を希薄にすることにもつながろう。また、Aが、一連の経過の中で、被告人等から受け取った現金等を少なく供述しようとする姿勢も顕著である〔例えば、三月二二日に被告人がT商から融資を受けた際の紹介料をもらっているのにその日はもらっていないという{八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)、一七回公判}虚偽、四月五日にE1から受け取った六〇万円の小切手を被告人に渡していないのに渡したという(一七回公判)虚偽、金山町の物件の代金は、二六〇〇万円受領したのに、一〇〇万円しか受け取っていないという(二二回公判)虚偽、四月三日に送金を受けた五〇〇万円についても、平塚土地代金であるのに手形の回収資金であるという(一八回公判)虚偽等。〕。Aが捜査段階において、殺害報酬を受け取っていないと供述していないことを重視することはできない。

(3) まとめ

以上のとおり、Aの捜査段階及び公判供述は、変遷しているうえ、E1殺害報酬の支払い及び清算と評価するにしては、虚偽や不自然・不合理な点が多い。したがって、この点についても、右A供述にはいくつもの疑問が残り、信用性は認めがたい。

(六) 被告人の弁解(公判供述)の検討

(1) 被告人が、八月八日に京王プラザホテルへ出かけた経緯、手形の回収を依頼した時期、回収を考えていた手形の範囲、八月一三日に持参することを予定していた現金の額、同日新たに手形三通(額面合計四〇〇〇万円)を振り出した理由

これらの問題は、前述((四)の(2)ないし(6))のとおりである。

(2) 八月一三日、Aに支払った八〇〇〇万円の内訳の弁解

被告人は、公判(五〇回公判等)において、Aに渡した現金八〇〇〇万円の内訳について、六〇〇〇万円は八月八日にNK石材に振り出させた三億円分の手形の報酬(三億円の二割が報酬)、二〇〇〇万円はAからの借入金の返済である旨供述している。そこで、まず、六〇〇〇万円がNK石材に振り出させた合計三億円分の手形の報酬であるという供述から検討する。

① かねて、被告人がAに対して、NK石材に投資した六億円以上にのぼる資金の回収の問題の解決を依頼していたところ、Aが解決に努力し、八月八日には、わざわざ長崎からNK石材関係者を東京に連れて来て被告人との交渉の場を設定し、深夜までの長時間にわたる話し合いの結果、NK石材が被告人に三億円分の手形を振り出している。これがAの尽力の結果であることは間違いない。また、被告人とAの間で、NK石材に対する被告人の投下資本をAが回収すれば、Aの取り分はその半分という話ができていた〔A(二二回公判等)、被告人(五〇回公判等)の供述〕。確かに、被告人がNK石材に対して六億円以上にのぼる投資をしてきたのに、昭和六〇年一二月の協定にも反してNK石材側は利益らしい利益を上げず、協定にしたがった金員を被告人に送ってこなかった。八月八日の話し合いの場で、そのようなNK石材の、しかも最初の支払期日が一〇月末日とされている手形を受け取っただけで、手形ならともかく現金で六〇〇〇万円を渡すことが不自然さをともなっていることは、否めないようにも思える。しかしながら、被告人のNK石材に対する熱の入れ方が尋常なものでなかったことは、利益があがっていなかったのにもかかわらず、昭和六〇年一二月に、NK石材に対して合計一億四四〇〇万円もの手形を振り出し、順次決済をしていったことからも明らかである。また、昭和六一年には、六月一六日にもNK石材に手形を三四通(額面合計一億〇二〇万円)も振り出し(手形番号はHA86085ないし同86099、同86351ないし同86369。約束手形帳控は<押収番号略>。)、そのうち、手形一四通(支払期日は、一〇月二五日、一一月二五日、一二月二五日に分かれている。)については、順次決済している(HA86085ないし同86090、HA86092ないし同86099。)。更に、七月三〇日にもNK石材に手形一一通を振り出し(額面合計二九〇〇万円。HA86977ないし同86987。<押収番号略>。)、そのうち二通については支払期日(八月三〇日)に決済している(残りの九通は回収している。)。被告人が八月一三日にAに渡した合計四〇〇〇万円の手形のうち、一〇〇〇万円の手形もNK石材が裏書していることからNK石材に渡ったものと認められる。

更に、被告人は、八月二八日に長崎に出張しているので(<押収番号略>の現金出納帳)これはNK石材の関係と思われるし、八月八日に京王プラザホテルでNK石材から受け取った手形のうち、最初の支払期日(一〇月末)の手形が不渡りになったのに、一〇月三一日にNK石材に対して合計四〇〇〇万円もの手形(HA88660、同88661)を振り出しているのである(<押収番号略>の約束手形帳控)。更に、八月一三日には、それまでNK石材に振り出していた手形のうち、七通を回収しているが、その残りの手形については、右に述べたとおり支払期日が一二月二五日の分まで順次決済しているのである。

八月八日の交渉は、翌九日の午前三時ころまで続き、その結果ようやく三億円分の手形をNK石材が振り出すということで決着をみたのであって、六億円以上の投資をしていたのに、半分以下の三億円の手形を受け取ることで被告人が納得したということは、かなりの期待をもっていたことを示している。Aもこの時に被告人が「命の三億円だからきちっと払ってくれ。」と言ったというのである(二一回公判)。被告人がNK石材の展望を楽観していなかったこと自体は間違いないであろうが、手形を受け取っている以上、被告人もこの手形が決済されるものと考えていたであろうことは十分窺える。

Aは、NK石材に三億円の手形を振り出させたことの報酬をもらうのはその手形が決済されてからであるという趣旨の供述をしているが(二二回公判)、Aの供述によっても、右報酬の支払いの話が具体的に出てこないのはかえって不自然である。Aとの取引も多かった証人F10も、Aの人柄について、「仮に私と仕事をしますと、ここに一億もうかるとします。それがあと三か月先、二か月先でもいいですが、それで今ここに三〇〇〇万円あるんだと、どうすると言ったら、その一億円を放棄してその三〇〇〇万円をとる男です。」と証言し(二七回公判)、Aの現金至上主義、あるいは現実至上主義とでもいうべき面の強さを表現しているものである。このことは、例えば、Aが被告人から南千住の物件をめぐる問題の解決を依頼され、問題自体も解決をみていないのに、一部の金員をF10に渡したにしても、三月一〇日に二五〇〇万円、同月二〇日に一八五〇万円を受け取っていることにも表れている。NK石材から三億円分の手形を取得して、Aの取り分が一億五〇〇〇万円にもなるところを、手形も決済されていない時点でもあるという事情などもあって、六〇〇〇万円に減額した報酬を支払ったというのはそれなりに納得できるものがある。

これについては、六〇〇〇万円が八月八日のNK石材の件の報酬であれば、Aにとっても刑を軽くする方向に傾くであろうから、Aには、捜査段階から自分の刑事責任を軽くしようという意図が強く出ているのに、なぜそのことを供述しないのか、という疑問もないわけではないが、この点も不自然とまでいえないことは、前述((五)の(2)の⑤)のとおりである。

確かに、八月一三日に被告人からAに渡された現金八〇〇〇万円のうち六〇〇〇万円をNK石材の件の報酬とみた場合でも、同日の被告人とAの間における現金と手形のやりとりの結果、手形の流通先から手形を回収したAには実質的な利得が残っていない。したがって、現金八〇〇〇万円を殺害報酬とみた場合と同様に、金額は異なるが、六〇〇〇万円を渡すという外形的な行為自体をNK石材の件での報酬と評価せざるを得なくなるのではないかという問題は残るようにも思われる。しかしながら、現金八〇〇〇万円の受け渡しを殺害報酬の支払いとみた場合の不合理性は前述のとおりであり、かなりの不自然さがある。また、昭和六一年春から同年八月一三日までに被告人とAの間でやりとりされた現金と手形の評価に関しては、十分解明できない点もあるので、一義的に解釈しがたい余地が残っている。被告人が手形の回収を希望しており、それまでに被告人がAに渡していた手形のうちの多くのものがAの利益のために使用されていた(たとえば、海老名の土地等に関して被告人がAに渡した手形も、Aの使用目的のためであった。)こと等もあって、Aも最終的にはNK石材の件の報酬等として支払うという被告人の話に納得したとみることにもそれなりの合理性がある。

NK石材から手形が振り出された時期は、八月一三日に接近してもおり、八〇〇〇万円の支払いについて、報酬性を伴うとすれば、殺害報酬とみるよりもNK石材の件の報酬とみるほうが、より自然で合理性があると思われる。本件における証拠関係を考えた場合、NK石材の件での報酬性を排斥し殺害報酬と認定しうるだけの根拠には乏しいと言わざるを得ない。

以上のとおりであって、六〇〇〇万円については、AがNK石材に合計三億円分の手形を振り出させてくれたことに対する報酬であるという趣旨に理解できる被告人の公判供述は、排斥しがたいように思われる。

② 次に、八月一三日にAに渡した八〇〇〇万円のうち、二〇〇〇万円がAに対する借金の返済であるという点であるが、関係証拠に照らすと、七月二一日に被告人がHA86571ないしHA86573の額面合計三〇〇〇万円の手形(いずれも、振出日は七月二一日、支払期日は八月一三日である。)(約束手形帳控は<押収番号略>)を東名飯店の駐車場に持参してこれをAに渡し、Aが、その場でJ2に右手形を割り引いてもらい、その割引金二〇〇〇万円をAを介して受け取ったことが認められる。したがって、右の事情を被告人がAからの借金というのは、Aが行った割引の仲介と思われる。しかしながら、振出日(七月二一日)から支払期日(八月一三日)までの期間が一か月間もないのに、J2の割引手数料が一〇〇〇万円にもなるというのは、いかに高利貸といえども理解しがたい〔A自身、八月一三日にJ2からどの位回収したのかという質問に対して、「六〇〇〇万位だと思います。それと、あと足りない分は手形で二〇〇〇万のジャンプをやりましたから、丁度J2の方は八〇〇〇万だと思います。現金が六〇〇〇万と、二〇〇〇万のジャンプの手形の金利が確か三四〇万だか三六〇万だか払った記憶があります。」と供述している(一八回公判)〕。むしろ、<押収番号略>の二枚目のメモには、この三通の手形のうち、額面二四〇〇万円の手形〔前述(四の6の(一)の(1)の⑧)のとおり、手形番号は、HA86571が同86572と誤記されている。〕にのみ「現金にてKWが使用」と記載されているところからみると、事情は詳らかではないが、J2に対しては、手形三枚が渡されているけれども、KW商事への割引として使われたのは額面二四〇〇万円の手形(HA86571)のみであり、残りの手形二通はAの用途に使用されたのではないかと思われる。右三通の手形全部について被告人がAに対して回収を希望していたことは間違いないから〔そのうち、四月一一日にAから回収できるという連絡が入っていたのは、<押収番号略>のメモに「×」の記載のある額面二四〇〇万円の手形(HA86571)及び額面二〇〇万円の手形(HA86573)であり、実際に八月一三日に回収されたのもこの二通の手形である〕、額面二四〇〇万円の手形を除いた手形二通〔HA86572(額面四〇〇万円)、HA86573(額面二〇〇万円)〕がAの用途に使われたという事情から、被告人がAに二〇〇〇万円を渡すのみで、不足分をAが足すなどしてJ2から手形二通(額面二四〇〇万円のHA86571、額面二〇〇万円のHA86573。)が回収できたのではないかと思われる。被告人がいうAからの借金というのは、実質は、AがJ2から割引をしてもらう仲介を行ったというものであるから、Aに渡した二〇〇〇万円でJ2から割引してもらった手形を回収しているから、結局借金を返済したということになる。したがって、この点についての被告人の弁解も一概に排斥できない。

③ 被告人は、逮捕当初の否認の際〔八月六日付警察官調書(<書証番号略>〕や二九回公判において、NK石材を売却した報酬と供述したり、NK石材の手形を渡してくれた報酬と供述したり、若干の変遷は認められるものの、その報酬の額は八〇〇〇万円であると供述しており、被告人がAから借りていた二〇〇〇万円を含むとは供述していなかった。また逮捕前に作成した右警察官調書に添付されているメモでも、八〇〇〇万円は全額がNK石材関係の報酬であり、Aから借り入れた二〇〇〇万円が含まれているとは記載されていない。ところが五〇回公判になって二〇〇〇万円がAからの借入金の返済で、報酬は六〇〇〇万円と供述を変更し、かつ六〇〇〇万円を算出した根拠を具体的に供述している。しかし、二九回公判においては自白調書の任意性についての質問がなされており、右の八〇〇〇万円の件について詳細な質問がなされているわけではない。被告人とAの間では、多額の金銭、多数の手形のやりとりがなされており、一部について正確に供述できなかったとしても、あながち無理もないのではないかとも思われ、被告人の供述の変遷を重視することはためらわれる。

(七) 検察官の主張自体の検討

E1殺害の報酬八〇〇〇万円が支払われたという検察官の主張のなかで、まず不自然なのは、Aが八月一三日に手形一三通(額面約一億円)を被告人に返還したと主張している点である。関係証拠を精査しても、当日Aが被告人に返還したのは、被告人がNK石材に振り出していた手形七通(額面合計一六〇〇万円)を除くと、Aに振り出していた手形一五通(額面合計一億〇三五〇万円)である。

この点を別にしても、A供述の不自然さとして述べたことが、そのまま検察官の主張についてもあてはまる。検察官は、被告人とA間の手形、金銭のやりとりの分析と評価を抜きにして、したがって、八月一三日までに被告人の方がAに対してかなり持出しになっていることを考慮せず、一方で、E1殺害前に成立したという保険金が出るまでは手形を振り出し、保険金が出て殺害報酬を支払う際に清算するという合意があったことを前提として、同日被告人からAに渡された八〇〇〇万円を殺害報酬だと主張するのであるが、そのことの不自然さは既述のとおりである。

更に、検察官の主張の不自然さは、被告人が、八月一三日に新たに振り出した合計四〇〇〇万円の手形の件が全く考慮されていないことである。被告人は、この日に手形三通(額面合計四〇〇〇万円)を振り出しており、このうち三〇〇〇万円分の手形が、Aの個人的な事情のために、被告人からAに貸し与えられ、それをもAが手形回収の資金に使用している。右三〇〇〇万円分については、Aの負担で決済するという前提で、被告人が新たに手形を振り出して手形を回収するということは、殺害報酬支払いの清算というものと相容れないものであろう。検察官の主張は、このことの分析と評価がなされていない。また、被告人がNK石材に振り出していた手形のうち、七通(額面合計一六〇〇万円)が回収されたことも考慮されていない。

(八) まとめ

NK石材関係の手形を除外すると、八月一三日における被告人の手形回収のやり方は、Aへの貸手形もかなり含まれていたというのに、Aの期限の利益も考慮していないことになり、これが不自然さをもつことは否めない。しかし、これをE1殺害報酬の支払いであるとみた場合に強い不自然さが残ることも前述したとおりである。

被告人としては、E1の生命保険金が入って、従前よりは資金的に余裕もできたであろうから、この時期にある程度の手形を回収し、手形が取立てに回されて決済した場合よりも少ない金額で手形を回収しようと考えてもおかしくない。Aに対しては、それまでにかなりの利益を与えており、NK石材に合計三億円の手形を振り出させた関係で六〇〇〇万円の報酬を与え、更に手形二通(額面合計三〇〇〇万円分)も貸すというのであるから、Aとしても、それまでにも被告人から借りた手形で割引金を取得しており、J2からの手形回収については被告人が二〇〇〇万円返済することもあって、文句も言わなかったのではないかと思われる。

確かに、被告人は、E1殺害後にAに対して、多数の手形を振り出すようになっており、そのことがE1殺害についての被告人との事前共謀を推認させかねない事情であると評価する余地も出てこよう。しかし、事前の殺害共謀があったという見方についての不自然さもこれまで述べたとおりであるから、右Aへの手形の振出の不自然さも、せいぜい、事後的に被告人がAによるE1殺害を知り、殺害がAとの親交を深めていた被告人の経済的な利益とも合致したために、ますます結びつきを強め、かなりの経済的な利益をも与えるようになったのではないか、と思われるというにとどまるものであろう。このことは、AのE1殺害による経済的な利益獲得の狙いが、事前の殺害合意に基づく特定金額の報酬を得ることにあったのではなく、合意なしでも、あるいは被告人の意向を十分確認しないままに、E1殺害により被告人に多額の保険金を取得させることで被告人との結びつきを強め、長期間にわたって多額の利益を獲得することにあったのではないかという方向に傾く事情であろう。八月一三日以降も、昭和六一年末までに、被告人がAに合計三億円余の手形(合計四、五〇通)、現金を渡しており、Aがその中から実質的に得た利益はそれよりかなり下回っているが、相当の利益を得たこと自体は間違いなく、このような利益の流れも、右に述べたAの狙いを示唆しているように思われる。

七  A供述、D供述の信用性についてのまとめ

1 当初被告人と共同審理を受け、途中から被告人のみが分離されたためB、Cと共同審理を受けたAの捜査段階、公判供述には、以上述べたとおり、明らかに虚偽供述をしていると認められる点、虚偽だと断定できないにしても信用しがたい点、不自然・不合理な点が多く、しかもそれらが被告人との間におけるE1殺害の共謀の形成、殺害費用の支払い、殺害報酬の支払いとされる点等、殺害共謀を推認させるべき中核的な部分について存在する(Aの第二回目の証人喚問時における六六回公判での供述も、被告人との間でE1殺害の共謀があったということを骨格としている点で、一六回ないし二二回公判における供述同様、中核的部分は信用できない。)。Aは、E1殺害の実行を指揮した中心的人物であり、E1殺害後、被告人から巨額の現金、手形を取得している。A自身が主犯ということになれば、極めて重い刑を科されかねない立場にあり、被告人から殺害の依頼があり、被告人が殺害費用や殺害報酬も出したということにすれば、E1殺害のなかでA自身の占める地位を相対的に低くすることができ、そうすることが自分の刑事責任を軽減することになることを、A自身十分理解していた。したがって、Aが、虚偽供述をする動機は十分あるし、何としても自分の刑事責任を軽くしたいという意識を強く持っていたことも明白であり、この意識は捜査段階から一貫している。公判供述においても、このことがますます目立ち、ないことをあると言い、あることをないと言ったり実際以上に誇張して話したり、共同審理を受けていたBとも意を通じたうえでのことかとも疑われるほど、迎合する供述に変遷している点もある。

このような供述が、本件の争点のささいな部分についてであればともかく、殺害共謀の成否に関する重要な部分にいくつもみられるのであって、A供述の信用性を評価するにあたっては、極めて慎重でなければならない。A供述を信用できる部分と信用できない部分とに峻別し、被告人との間におけるE1殺害の共謀自体について信用性を認めるには特段の事情ともいえるほどのかなりの裏付けが必要である。しかるに、たとえば、共謀の成否にかかわる重要な柱となるE1殺害費用とされる現金と手形の授受については証拠物を十分精査分析しなかった捜査官の誤解もあって、全く不十分な捜査しかなされていない(検察官が共謀成立の場所と主張するKW商事の実況見分あるいは検証さえ、捜査段階で行われていない。)。

本件においては、E1殺害の一週間くらい前に被告人からAに渡された手形のうちの一部の手形の割引金がE1殺害の費用に使用され、殺害直前の四月一一日には、三〇〇万円が被告人によってA名義の銀行口座に振り込まれ、E1殺害後間もなく京王プラザホテルにおいて被告人とAが会って翌日ころ手形が渡され、被告人がE1の生命保険金を取得した後、ほどなくAに現金八〇〇〇万円が支払われたなどの事実がある。したがって、一見、本件の外形的な一連の事実の流れは、確かに、被告人とA、Dの間でE1殺害の共謀があったようにもみえる。しかしながら、注意を要するのは、例示すると、殺害費用等とされる現金の一部(四〇〇万円)がKW商事の定休日(日曜日)の前日である四月五日(土曜日)に金融機関から引き出されているので同日中に右金員の使途が生じたことが窺えること、殺害費用とされる手形には、「平塚土地」等の消去痕があって、これ自体をみると被告人が手形を振り出したころに不動産取引にからんでその記載がなされたと考えざるを得ないし、Aを売主とし、KW商事が売買代金の支払義務を負担する平塚土地の売買契約の存在自体も、証拠上間違いないこと、四月一一日に送金された三〇〇万円については、被告人に殺害費用の追加送金という認識があったかどうかの点について問題が残るうえに、Aが被告人から受け取っていたメモに「D1」と記載されていること、四月一六日ころAがE1の遺体捜索費用として被告人から受け取ったという手形については、A証言のいう手形が証拠と合致しないこと、殺害報酬とされる八〇〇〇万円の受け渡しについては、これに伴う客観的な事実関係を解明していくと殺害報酬の支払いと評価するには不自然・不合理さが強いことなどである。これらの点は、右E1殺害の共謀があったという評価を加えることに疑問の余地を生じさせるものである。

このように、本件の証拠関係を詳細に検討してみると、Aの供述と矛盾する証拠(約束手形帳控の消去痕、右メモにおける「D1」の記載等)や客観的な事実〔預金の引き出し状況(殺害費用の一部とされる現金五〇〇万円のうちの四〇〇万円)、現金、手形の流れ、手形の決済状況等〕がある。特に殺害費用とされる約束手形帳控は、本件の中心的な争点に深く関係してくるものであって、その評価如何が本件の結論に大きな影響を及ぼすことになるものであるし、その余の右証拠及び右客観的な事実も本件の各争点の判断にかなりの影響を及ぼすものである。被告人との間でE1殺害の共謀があったというAの供述により、各争点の帰趨にも影響してくるこれらの証拠、客観的な事実等を合理的に説明できれば、その他の点でAの供述中に自分の刑事責任を軽減しようという意図に基づく虚偽や不自然・不合理な供述等があっても、虚偽供述の理由が合理的に説明できることになるであろうから、被告人との間でE1殺害の共謀があったという供述の骨格部分は信用できるであろう。ところが、これらのAの供述と矛盾する証拠、客観的な事実が捜査段階ではほとんど問題意識がないままに検討もされていない。したがって、一方で、A供述の信用性を支える証拠も多いものの、他方で、右供述と矛盾する証拠、客観的な事実も多く、この矛盾が解消されていないためA供述の信用性は、このこと自体によりかなり減殺されている。加えて、A供述と矛盾する証拠や客観的事実が被告人の公判における弁解といくつもの点で合致しているのである。このような状況のもとでは、被告人との間でE1殺害の共謀があったことを前提とするA供述に虚偽、不自然・不合理な点等があれば、その中核的な部分の信用性を評価するにあたっても、極めて慎重にならざるを得ないであろう。

Aの捜査段階、公判供述について、E1殺害の件で被告人との間で共謀を認定したうえで、Aが虚偽供述をしている理由は、自分の刑事責任を軽減するためであるというにしては、殺害費用の支払い、殺害報酬の支払い等の本件の重要な争点について多くの疑問が残り、合理的に説明できない。これらの疑問を証拠上解消できない以上、殺害共謀の認定は困難である。E1殺害の共謀があったというAの捜査段階、公判(一六回ないし二二回、六六回公判)供述の信用性については、重大な疑問を入れざるを得ない。

2 また、D供述(四二回ないし四六回公判)についても、三月二二日のE1への一〇〇〇万円の貸付けが同人と面識を有しないAへの顔合わせであったのかどうかをめぐるいくつかの問題、四月五日にE1方へ行った帰りにKW商事に寄って北海道行きを報告したという点、E1殺害費用という手形と約束手形帳控の消去痕との矛盾等の点で虚偽あるいは信用しがたい点がいくつもあり、被告人との間でE1殺害の共謀があったという供述の信用性については、疑問を入れざるを得ないものである。

第三  総括

原則として、被告人の自白調書を除いた関係証拠を検討した結果は以上のとおりである。被告人がAに渡した手形の一部が現実にE1殺害のために必要な経費に使用され、殺害直前の八月一一日に、被告人がAの銀行口座に三〇〇万円を送金し、E1の生命保険金が出てほどないころ、被告人がAに八〇〇〇万円を支払っているほか、E1の死亡後に被告人がAに対して手形を多数振り出すようになった点等の、被告人とAらとの間に、E1殺害の共謀があったのではないかと推認させかねない外形的な事実がある。しかしながら、A、Dが四月七日にE1殺害の費用として受け取ったという現金、手形のうち、現金については、そのうち四〇〇万円が、E1の北海道行きが決まっていない時点、即ち、KW商事の定休日(四月六日)の前日である四月五日(土曜日)に金融機関から引き出されていることが明らかであり、その日のE1方へ行く前にAらがKW商事に行った可能性が高く、約束手形帳控には被告人の弁解に副う「平塚土地」等の消去痕が存在しており、殺害費用であるということに疑問が残ること、殺害報酬の支払いがあったとされる点についてはAの虚偽供述に加え、不合理・不自然な点が多いこと等、総じて、個々の問題点には、それぞれ相応の疑問が残ると言わざるを得ず、少なくとも自白なしでも被告人についてAらとの間でE1殺害の共謀共同正犯が成立するという評価には至らない。

第三部  被告人の自白調書の検討

第一  任意性

当裁判所は、弁護人が任意性を争う被告人の自白調書(<書証番号略>)について、四一回公判において、任意性を認めて採用しこれを取り調べた。任意性を肯定する理由は、平成元年一〇月一七日付決定書のとおりである。弁護人が弁護において右自白調書に任意性がないと主張する理由は、右決定の際に弁護人が提出した意見書とほとんど同一の内容であり、任意性の判断としては、右決定書の判断と重複するので、再論しない。

但し、右決定においては、被告人の自白調書の信用性について慎重な判断を要する旨判示したところ(同決定書の第三)、右決定後における証拠調べの結果をも総合すると、後述のように被告人の自白調書には、客観的な事実と合致しない虚偽供述、不自然・不合理な内容の供述等が多いことが明らかとなった。このことは、右任意性の判断にまでは影響しないものと考えるが、信用性の有無の評価に際しては、より慎重に判断せざるを得ないものである。

第二  信用性

一  検察官及び弁護人の主張

被告人の自白の信用性に関する検察官及び弁護人の主張については、任意性と合わせて前述(第一部の第三の三の2)したが、信用性に関する主張について、更にここでもふれることとする。

1 検察官の主張

被告人は、昭和六二年七月二六日に逮捕され、以後取調べを受けたが、当初否認し警察官に敵対的な態度を取っていた。しかし、間もなくKW商事の営業状況や負債の内容、E1及びAとの関係について供述するに至った。更にH8警視やH2検察官から説得され、矛盾点を追及されるうちに反省悔悟の念から同年八月八日になって涙を流しながらE1殺害への関与を認める供述を始め、以後、否認に転じた九月一九日までの間、Aらとの共謀状況を具体的詳細に供述していったものであって、自白に至る経緯は極めて自然である。

犯行の動機も、経営上の失敗が重なってKW商事の資金繰りに窮し、被告人から多額の融資を受けていたE1に背信的な行動をとられて憎しみも抱くようになり、このままではNK石材に振り出した多額の手形の決済ができなくなって倒産の危機に瀕したため、KW商事の立直し資金を獲得すべくE1を殺害して生命保険金を騙取しようとしたというものである。E1の落ち度を強調しすぎるきらいはあるものの、犯行の動機として十分了解しうるし、被告人の窮状は客観的にも裏付けられていて十分に信用できる。Aらとの共謀状況も、Aの主導性を過度に強調している点は認められるものの、被告人、D、A間でE1殺害に関する謀議が順次行われ、四月七日に最終的に謀議が成立した経緯が自然に述べられているし、A、Dらの供述ともほぼ合致している。

加えて、自白の中には、四月七日にE1殺害費用等をAらに渡す際、被告人が高島暦でE1殺害日を占った点等、真実体験した者でなければ述べ得ないような体験供述も存在するから、自白調書の信用性は高い。

2 弁護人の主張

E1が殺害された当時、被告人はKW商事の経営に楽観的な見通しをもち、被告人にE1を殺害して生命保険金を騙取しないといけないような状況はなかったから、自白調書の中で述べられている犯行の動機は虚偽である。また、共謀成立に至る経緯として述べられている点も虚偽に満ちている。A、Dが四月七日にKW商事に来ていないことは明らかであるから、最終共謀もありえない。被告人との共謀があったというA、Dの供述は到底信用できない。自白調書の中で、被告人が四月七日に高島暦でE1殺害日を占ったとされている点であるが、三月二二日にE1方へ行った帰りにA、DがKW商事に寄った際、被告人が座興的に高島暦を使ってE1とA及びDの相性をみた時の情景を勘違いして供述したにすぎない。被告人が信心深くて普段から高島暦を用いて占っていたことは、周囲の人間なら誰でも知っていたし、この高島暦はどこでも市販されていて誰でも入手できる。被告人を取り調べたH6警部補が、高島暦を使ってE1の運勢を占ったのではないかと想像をたくましくして、まず高島暦の見方について被告人に質問し、被告人の反応をみながら誘導し、当時徹底的に迎合的な態度になっていた被告人も、同警部補から示唆されるまま、三月二二日の状況に置き換えながら虚偽の自白をしたのである。

したがって、自白調書には全く信用性がない。

二  検討の進め方

検察官及び弁護人の主張をふまえて、はじめに被告人の供述経過と自白内容を概観し、次に各争点についての自白調書の信用性を検討していくことにする。

三  被告人の供述経過と供述内容の概観

1 供述経過の概観

被告人は、昭和六二年七月二六日、E1殺害の嫌疑により、東京都東久留米市内の自宅で通常逮捕され、その日のうちに函館市内に押送されて、司法警察員から弁解を録取〔疑義事実を否認した(<書証番号略>の弁解録取書)。〕された後、翌二七日から、H4巡査部長、H5巡査部長、H6警部補、H7警部、H8警視並びに検察官H2及び同H1らの各取調べを受けたところ、八月七日までに作成された警察官調書(<書証番号略>の一二通)及び検察官調書(<書証番号略>の一通)においては、KW商事の営業状況や負債の内容、E1との関係や取引の経緯、本件の共犯者とされたAらとの関係などの概略については供述するものの、本件への関与については否認していた(なお、この間に作成された供述調書のうち警察官調書は、いずれも弁護人が証拠とすることに同意した。)。その後、被告人は、同月八日以降、Aらが実行したE1殺害への関与を認める趣旨の供述をするに至った〔<書証番号略>の検察官調書一一通と<書証番号略>の警察官調書三三通{なお、九月一二日付警察官調書(<書証番号略>)は、被告人が取調室から、被告人作成の一覧表を房内に持ち出したという詐欺罪についての調書なので、除いている。}。もっとも、八月八日付及び翌九日付の供述調書は、被告人が、Aらに本件の実行を明確な形で依頼したとまで述べたものではなく、不利益事実の承認にはあたるものの、本件の共謀共同正犯の刑事責任を認める厳密な意味での自白にあたるか否かは微妙な供述とも言える。〕。以後、Aらとの共謀の成立状況等について供述内容が具体的詳細になっていった。被告人は、昭和六二年八月一六日、A、B、Cと共にE1殺害の罪で起訴されたが、その後も取調べが続いていたところ、九月二、三日ころ、被告人が、取調官の隙をみて取調室から、被告人作成にかかる被告人からAへ流れた現金、手形の一覧表三枚(<押収番号略>)を留置場の房内に持ち込み、弁護人との接見時にそのことを話し、九月一二日、弁護人から裁判所に対して証拠保全の申立てがなされ、同日、裁判所が、函館中央警察署において、右一覧表三枚を差し押さえた。被告人は、九月一八日、一九日のH2検察官の取調べにおいて、再び否認に転じている〔同月一九日付の検察官調書(<書証番号略>)は、被告人の署名があるのみで、弁護人から取調べに応じるなと言われたことを理由として被告人は指印を拒否したものであるが、弁護人は、この供述調書に同意している。〕。その後、昭和六二年九月二八日、被告人は、Aと共に、E1の生命保険金を騙取したという本件詐欺罪により、追起訴された。

捜査段階における被告人の弁護人選任状況であるが、逮捕直後の昭和六二年七月二七日に、被告人がかねて逮捕を予想して弁護を依頼し弁護料も支払っていた田口邦雄、小林孝一、楯香津美の三名の弁護士が弁護人に選任(選任したのは被告人の妻)され、更に、同年八月二八日には、寺嶋芳一郎弁護士が追加選任(選任したのは被告人)されているが、同年九月五日には、新たに被告人が現弁護人である菅原憲夫弁護士を選任(昭和六三年三月一七日辞任、同年四月一三日被告人が再選任)するとともに、田口、小林、楯の三名の弁護人を解任し、次いで昭和六二年一〇月一六日には寺嶋弁護人も解任している(それ以降の弁護人選任状況については省略する。)。

2 供述経過及び取調状況から窺えること

(一) 被告人の供述内容が、取調中に否認、自白、更に否認と変遷していること自体、自白内容の評価には慎重さを要求させる。また、被告人の取調べに際しては、取調官による冷静さを欠いた不穏当な言動があったほか、否認を続けていた被告人にE1の腐乱死体の拡大写真を見せて反省を迫るという、否認を続ける被疑者に対する取調方法としては、必要性に乏しいばかりか相当とも言いがたい方法も取られている。被告人が否認を続けていた中で、掲載の経緯は詳らかではないが、昭和六二年八月一日付全国紙(一紙)の朝刊に被告人がAに誘われてE1殺害を計画した旨の自白を開始したという内容の記事が掲載されるや、取調官がこれを被告人に見せており、被告人が否認をしていた状況下で、右新聞記事を利用して被告人の抵抗力を弛緩させかねない方法も取られている。更に、H8警視が被告人を取り調べる際には、必要性が全くないのに、Aの供述調書の写しを取調べ用の机に置いて被告人の目に付く状態にしており、本件がもともと多数の者の共謀にかかる事案であったことから、H8警視が、Aらの供述やその者らとの刑の軽重についてふれながら、このまま否認を続けるとAの主張どおりに事件が組み立てられて被告人が主犯となり、刑事責任について不利な扱いを受けることになりかねないことを示唆するなどして、自白を迫った疑いがある。もちろん、取調べに際して、取調官が、被疑者の刑事責任について、自己の見解を述べ、被疑者に自分の刑事責任を考えさせて説得すること自体は、その見解が著しく客観性に乏しいものであるとか、被疑者が心理的強制を受け、虚偽の自白を誘発するような偽計や利益誘導を伴うものでない限り、違法ではないであろう。しかし、本件においては、後に詳論するように、被告人の自白調書の中には、本件の核心部分を含んで、客観的な事実とくい違う点が多く存在していることに注目しなければならない。もとより、取調官自体が、押収されている多数の証拠物を精査分析していなかったため、正確な質問や被告人の供述内容の十分な検討ができず、不正確な供述が録取された面を否定できないにしても、また、取調べ当時、事件から約一年四か月経過していたことを考慮しても、被告人の自白としては、客観的な事実とくい違う点、合理的な理由が述べられておらず不自然に変遷している点、供述内容自体が殺害を共謀した者のそれとして不自然・不合理な点が多い。取調べ当時、被告人が真摯に本件を反省悔悟しながら自白したにしては納得しがたい点が目立っている。

(二) 加えて、被告人は昭和六二年八月一六日に殺人罪で起訴された後も取調べを受けていたが、取調べも最終段階になっていた時に、被告人が、取調室から取調官の隙を狙って、被告人作成にかかる、被告人からAに流れた現金、手形の一覧表を房内に持ち出すという取調官に対する反感、不信感、憎悪あるいは怨恨をあらわにする行動があった。このことは、被告人の自白を、反省悔悟の念に基づくものとして理解させることを難しくするし、被告人から自白を獲得するために取調官が被告人の反発や怨みを買うような取調べを行っていたのではないかということを窺わせる事情であり、ひいては、虚偽の自白を招きかねない取調方法も取られたのではないかということも窺えないではなく、自白の信用性の評価に際しては、より慎重にならざるを得ないものである。もとより検察官主張のとおり、被告人の自白内容は、取調官がAの供述内容に合わせたというにしては、Aの自白調書とくい違っている部分もあり、被告人が公判で供述するような取調状況であったことを前提にしては考えがたい面もある。しかしながら、取調方法に問題があったこと自体は間違いない。したがって、被告人の自白調書の信用性を判断するにあたっては、これらの事情をふまえた慎重なものが必要であり、取調方法の供述内容に及ぼす影響の有無・程度も注意深くみていかなければならない。

四  三月二五、六日ころ、被告人、A、Dの間でE1殺害の合意が成立するまでの経緯に関する自白調書の信用性

検察官は、三月二五、六日ころ、KW商事において、被告人、A、Dの間で、E1を殺害する旨の共謀が成立し、その際、被告人がE1殺害の報酬として一億円を支払う、殺害報酬は生命保険金が支払われた後に支払う、それまでは被告人が手形を振り出すので、その手形は割引に出して使用した者が決済する等の合意が成立した旨主張する。そこで、まずこの点についての供述内容を概観したうえで、自白調書の信用性を検討する。

1 供述の経過

(一) 否認段階の供述

(1) 逮捕後、自白するまでの供述

被告人は、逮捕時の弁解録取の際には、警察官に対しても検察官に対しても、E1殺害を否認し〔七月二六日付警察官に対する弁解録取書(<書証番号略>)、同月二七日付検察官に対する弁解録取書(<書証番号略>)〕、右検察官に対する弁解録取書の中では、A、Dらに対してE1に生命保険金をかけていたことも話したことはないと弁解していた。その後も七月二七日付警察官調書(<書証番号略>)で「本件とは無関係である。Aに殺人を指示、命令したり、Aから殺してやると相談を受けたこともない。保険金についてAと話したことはない。Aに貸付金はあるが他に金は渡してない。」という趣旨を供述していたが、七月三一日付警察官調書(<書証番号略>)で「いずれ真相について話す。AにE1を殺せと命じていないことは断言できるが、関係なくAがやった殺人とも言い切れない。もう少し気持の整理が付いてから話す。」という趣旨の本件への関与に含みを持たせ、E1殺害の共謀を暗示するかのような供述を始めた。その後八月四日付警察官調書(<書証番号略>)で「自分は潔白と思っているが、AやBに被告人から依頼されたと供述されると否定する証拠に乏しい。Aに担保、借用書もなく貸している等、殺人の報酬と疑われていることも分かっている。」という趣旨を供述した後の昭和六二年八月八日、本件への関与を認める供述を始め、以後、九月一〇日付警察官調書、検察官調書まで自白を続けている。

(2) 自白から否認に転じた時点の供述

自白後、否認に転じた九月一九日付検察官調書(<書証番号略>)中の、共謀を否定する供述の要旨は、

「AやDから改まってE1についての話があったという覚えはない。確かに、四月一一日までの間に、Dも同席していた際、Aに対し、KW商事がE1に金を貸していること、一二億円の債権が未回収のまま残っていること、E1は倒産してしまって債権回収ができないこと、E1につきKW商事が受取人の保険をかけていることなどを話した。保険金は三億円と話したと思う。改まった席で話した記憶はなく、二月にAを知った後、四月七日ころまでの間に三、四回飲み屋で一緒に飲んだ際であったと思う。」というものである。

(二) 自白の経過と要旨

(1) 八月八日付警察官調書(<書証番号略>)

昭和六〇年暮ころ、Dが会社(KW商事)に出入りしており、話の中でE1に対するやり方等を話題にした時、「E1には生命保険をかけている。あんな奴殺してやりたいくらいだ。」等と被告人の気持を話した。しかしDにE1を殺してくれとは頼んでいないし、Dの方から具体的に殺しを引き受けるという話もなかった。Dにしてみれば、私が面倒をみてきたのに恩を仇で返すようなやり方を話しながら言った言葉なので、今にもE1を殺す意思があるように受け取ったのではないかと思えるくらい、感情をむき出しにして話した。Dには、E1に生命保険をかけていること、E1が死ねば三億円入ることを話している。

三月二二日にT商から七〇〇〇万円を借り、そのうちから一〇〇〇万円をAに渡し、AがE1に一〇〇〇万円を融資して、当時E1に貸し付けていた手形を回収した。その日から数日過ぎた三月二五、六日ころ、AとDが会社に来て金を貸してくれと言ってきた時だと思うが、「社長、俺がE1を殺したらいくら出す、一億円位くれるか。」と話すので、余り深く考えず、「一億円位なら出すよ。」等と話していたし、AとDとも何か話していたが、よく覚えていない。このころは、E1があくどいやり方をしていたころなので、E1が憎くてたまらず、心底殺してやりたい気持になっていた時であり、E1の悪口やそのやり方をAに話したが、その話の中で出たものと思う。AやDとの話の中で、私の態度も言葉も相手に真剣に受け取られるような雰囲気で話したと思う。AのE1を殺したら一億円くれるかという話を信用していなかったが、心の中ではE1に死んでもらいたいと思っており、そのようになってくれないかなと思っていたが、頼んだのではない。

AとE1を殺すとか報酬をいくらやるとか等の具体的な話はしていない。また自分の方からDにE1を殺してくれと頼んでいない。

Aの腹の中が読めなかったが、本当にE1を殺そうと考えて報酬として一億円出すかどうかの確認をしたのかもしれないが、深い考えもなく一億円やると言ってしまった。

(2) 八月八日付検察官調書(<書証番号略>)

Aから、E1を殺せば一億円出すかと誘いをかけられ、十分考えず、安易に一億円やると話したことから、本当にAがE1を殺害した。

Aを知る前、DにF22に対して話したように、E1に対しては多額の金を貸していたのに全然回収できないことや、保険がかけてあり、KW商事が受取人になっているとかを話した。苦しくなった原因がE1であったばかりか、E1が全く誠意を見せず、それどころか被告人を悪者にしていいかげんなことを主張するのを聞いていたので、腹立ちの余りDに対してE1という男が実にひどい男であることを話したり、あんな奴は殺してやりたいくらいだと話したことがあった。それをAが伝え聞いたようで、三月下旬ころ、Dと一緒にKW商事に来てE1を殺したら一億円くれるかと言い、十分考えず安易に一億円位なら出すと言った。

(3) 八月九日付検察官調書(<書証番号略>)

AがE1を殺してやるという話を持ち込んできたのは三月二五、六日ころのことだった。Dと一緒にKW商事に来た。AはDから話を聞いていたと思う。Aが「社長、俺がE1を殺したらいくら出す。一億円くれるか。」と言ってきた。ぽっと言われて深く考えず、安易に「一億円位なら出すよ。」と答えた。Dが「本当に一億円出すのか。」と言うので「ああ。」と答えた。

AやDが、被告人にこのような話をする前に、被告人が本当にE1に死んでほしいと思っているのかを確かめるようなことはなかった。被告人としては、なかばまさかという気持を抱いたのは本当で、AがE1を殺すことが簡単なことのような言い方をするので、そんな感じを抱いた。反面E1に対する憎しみや保険金が入るという気持があったことも事実で、Aが本当にE1を殺してくれるのであればそうなってほしいという気持があったのも事実である。この日は、具体的にどうするというような話はなかった。AやDは被告人がどういう気持でいるかを確かめ、被告人が受けるかどうか反応を見にきたという感じだった。

(4) 八月九日付警察官調書(<書証番号略>)

積極的にE1を殺してくれとAに頼んだわけではない。その時期にDやAに苦しい立場を話し、その中で保険をかけていることやE1を殺したい等と話した。

自分でE1を殺そうとか、人に頼んで殺さなければ気がおさまらないという切羽詰まった状態ではなかったが、たまたま仕事の関係でAと知り合い、AがE1殺しを積極的に持ちかけてきたことで、報酬として一億円出すかというAの話に同意したことから殺人事件になってしまった。

三月二五、六日ころに、E1を殺したら一億円やるとAに言ったことは事実だが、その時の気持としては、本当にE1を殺してほしい等と心にはっきり決まっていなかったので、話のやりとりの中で言ってしまった。Aとすれば、私の意思を確認しに来たと思うので、本気でE1殺しを引き受けたものと思う。

(5) 八月一〇日付警察官調書(<書証番号略>)

以前からE1に対する気持をAに話していた。突然Aが被告人の意思を確認するというのも不自然だと言われよく考えてみた。決定的な意思確認が三月二五、六日ころの一回であることは間違いない。Aとは別の取引の関係で何回か会っており、その際、特に改まった話ではなく、取引上のことからE1に苦しめられていることや生命保険をかけていることを話している。このような話をしたのは、記憶では、三月二五、六日以前の三月一八日ころか二二日ころと思う。E1に一〇〇〇万円貸して手形を回収した日が二二日だから特定できる。

Aが自分と会う時はDが必ず一緒だったので、Dも話を聞いている。Dには、昭和六〇年暮ころから、何回となくE1を殺したいくらい憎んでいるとか、保険に入っている等を話しているので、Dの方からAに、私がE1を殺したいくらい憎んでいることが伝わっていると思うが、Aから直接言葉としてE1を殺してやるとか報酬として一億円出すとかなどということが出たのは三月二五、六日ころの一回きりだった。

三月二五、六日にAらに報酬として一億円位やると返事したのは、どうしても本心からE1を殺してほしいという意味ではなく、本当にAが殺してくれればいいなという程度にしか思っていなかった。

一方的にAから言われたためE1殺しを承諾したとは言えず、私自身も自分の意思でE1を殺して保険金を取るという気持があったからAに承諾したことには変わりない。

(6) 八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)

南千住の物件で損をしたこと、NK石材に投資して利益が上がらなかったこと、E1に貸し付けていた十数億円の回収ができないこと等、昭和六〇年暮ころからDに泣き言を話した。金に行き詰まり、被告人に一番金銭的な打撃を与えたE1の貸付けについて考えれば考えるほど、心の中にE1が死ねば四億円の保険金が入る等と思うようになり、Dに対し、E1の奴死ねばいい、殺してやりたい、E1には生命保険をかけている等と話した。その話は昭和六一年になってからも、Dが事務所に顔を出すごとに話していた。被告人の口から殺し屋を探してくれと頼んだことはないが、Dとのやりとりの中でどう表現すればいいか分からないが、Dが自分に任せておけという話になった。Dがはっきり言葉として殺し屋を見つける等と言ったことはなかったが、E1のやり方や、生命保険の話の中で、本当に金に苦しんでいたことから、E1を殺して保険金をほしいと思っていたこともあって、DとのやりとりからDが殺し屋を見つけてくるといういきさつになった。

三月二五、六日ころの昼ころ、Dから「F14(A)と一緒に行って話したいことがあるから。」と電話があり、夜に来てくれと言った。午後七時ころAとDがKW商事に来て、最初に、Aが「社長、本当にE1をやっていいのか。」、Aが「E1をやったら本当に一億円出すんだな。」と真剣に鋭い目付きで話しかけてきた。会った当初からAは顔つきからやくざ者で相当度胸のある男だと思っていたし、薄気味悪い感じが見受けられるので、念を押すように言われ、「一億円位なら出します。」と返事してE1殺しを承諾した。

(7) 八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)

三月一八日ころ(三月二二日に七〇〇〇万円の借入れでT商に行っているのでこの日から逆算してそのころと思う。)の昼ころ、F32の持っていた土地付き建物(金山町の物件)がいつのまにかAの名義になっていて、これをKWハウジングが買うという話になり、契約のためKW商事にA、D、F17が来た。契約が終わった後F17が先に帰り、A、Dと雑談をしていた時、「E1の件でJ1に行っている一〇〇〇万円の手形がジャンプしないので困っている。」という話をした。AがE1のことをいろいろと聞くので、いかに迷惑を被っているかを話し、その中で、Aに「E1を殺したいくらいだ。E1には貸付金が相当あり、保険をかけているんだ。」と話した。被告人がE1に四億円の保険をかけており、貸借関係で相当迷惑をかけられ、殺したいと言っていることを、AはすでにDから聞いて知っていたのではないかと思うが、Aは、「ひどい野郎だな。その件俺に任せとけ。」と言った。J1の一〇〇〇万円のこともあったが、E1殺しを任せろと言っているのだと分かった。AはE1殺しを自分がやると言っていたわけである。Aは、「絶対ばれないように始末してやるから安心しろ。」とも言っていた。この時は、報酬の話はまだ出ていない。

(8) 八月一五日付検察官調書(<書証番号略>)

三月二五、六日ころ、KW商事事務所にAとDが来た際、E1殺害の相談があった。AがE1を殺してやるから一億円の報酬をよこせというので、E1に対する憎しみの気持もあったうえ、E1にかけている保険金ほしさに承知した。その後間もなく北海道でAらがE1を殺害した。

(9) 八月一五日付検察官調書(<書証番号略>)

一月ころDに愚痴をこぼしたという以前にした供述は間違いで、一月ころ、DはKW商事に寄りつかなかったように思う。二月初旬ころにDが顔を出すようになった。NK石材に関して出した手形の決済が苦しいとか、F7から購入した南千住の物件が係争中で裁判が長引き困っている等と話したこともあった。

KW商事の社長室で、E1に死んでもらいたいとDに話したことはあるが、はっきりとした言葉で「殺してほしい。」と言ったことはなかった。Dが、はっきりした言葉で殺し屋を探してやるとかE1を始末してやると言ったものではないが、「そんなに困っているのなら、俺に任せておけ。」という言い方をした。被告人の理解は、南千住の物件をうまく処理できるようにするという漠然とした感じで、漠然と保険金が入るような算段を考えてやるといったものにすぎなかった。

三月一八日、KWハウジングとAとの売買契約が済み、F17が帰った後、A、Dと話をした際、Aが初めてE1を殺してやってもいいような話を向けてきた。当時J1(SN)にE1が持ち込んだKW商事振出の手形(一〇〇〇万円)をE1が決済できず、ジャンプを繰り返しており、J1は「もうジャンプしない、手形を銀行に回す。」と言ってきた。その事情をAに説明したところ、Aが「E1には随分迷惑を被っているようだね。」と聞いてきたので「E1には随分たくさん金を貸し付けたんだが、返してよこさないんだ。E1には保険をかけているのでE1が死んでくれればありがたい。」と話した。AはDから事情を聞き込んでいた様子で、すぐに「E1はひどい奴だな。E1を始末してしまえばいいんだね。」と言った。E1の保険金がほしいという被告人の気持を察してE1を殺してやってもよいという意味と思った。

(10) 八月一五日付警察官調書(<書証番号略>)

三月一八日ころ、F32の土地付き建物(金山町の物件)の売買契約の件でAとDがKW商事に来た時、初めてAの口からE1殺しの話が出た。このことは先日刑事に話したとおり間違いない。

三月二六日ころ、AがDを伴い、E1殺しに対する被告人の意思の確認と殺しの報酬一億円の確認に来ている。Aに対しては直接報酬は一億円と言っていないが、DやF5に対しては、E1を殺した場合の報酬の相場は一億円位と話し合っていたから、Aもこれを聞いて知っていたために三月二六日ころに確認に来た時に「E1をやったら本当に一億円出すんだな。」と念を押して聞いたものと思う。

(11) 八月一五日付警察官調書(<書証番号略>)

三月一八日ころDとAが来た時のE1殺しの話から、二二日にT商から金を借りた時のAの工作等、急にE1殺しの話が具体化した。

三月二六日にAとDが来て、Aが「E1さんを殺したら本当に一億円出すのか。」と意思確認をしてきた。言葉に出して積極的にお願いした記憶はないが、承諾した意思を示し、Aに「一億円位なら出します。」と言った。

どのような方法で殺すか等具体的なことは分からなかったが、AやDの話から、近いうちにE1が殺されることは間違いないと思ったので、保険契約の方を完全にしておかなければならないと思った。保険料の支払いが滞っていたために保険金が下りなければ大変だと思い、F33に立て替えてもらっていた保険料を問題のないようにしようと思った。二日後の三月二八日にF33が来た時に苦しい状況だったが二月分と三月分の保険料四四万五、六〇〇円を一度に支払った。

(12) 八月二〇日付警察官調書(<書証番号略>)

DがAに、被告人がE1を殺したがっていることをいつ、どこで話したかは分からない。三月一八日ころ、KW商事の社長室でA、D、KWハウジングのF17が集まってF32の土地(金山町の物件)等の売買の商談をした際、E1が資金の返済をせず迷惑を受けていることや保険をかけている旨話した時、Aが「その件俺に任せておけ。」と言ってE1殺しを持ちかけてきて、更に絶対分からないように始末してやるなどと言っていたので、この時すでにAは、被告人が一億円の報酬でE1を殺したがっているということも聞いていたものと考える。一億円の報酬がA一人にいくのか、その他の者に流れるかは全く分からなかった。

三月二六日ころの午後五時ころ、Dから「話があるのでF14(A)さんと二人で行くから。」と電話があったので、何の用事か分からないが、午後七時ころに来てくれと言った。社長室で待っていると、車が止まる音がし、確かめるため事務室の方に歩いて行ったところ、すでに二人は二階に上がってきており、廊下側から社長室に入ってきていた。事務室への出入口で二人を迎え、簡単な挨拶をすると、Aはまっすぐ応接椅子に行ったが、Dは立っていた被告人のところに来て、「社長、本当にE1をやっていいのか。」と言った。被告人もいきなり言われ少し驚いたというのが本当である。被告人は、「うん。」と答えた。そのように返事するとDは応接椅子のところに行き座った。今度はAが真剣な顔で「E1をやったら本当に一億円出すんだな。」と言った。この時のAの鋭い視線を見て、この男なら本当にE1殺しをやると思った。被告人はAに対し、「一億円位なら出します。」と答え、更に「保険金が下りたら間違いなく支払います。」と保険金の中から報酬を払うと約束した。E1殺しの話をした後、被告人が二人にお茶を出したが、その後は特別の話はなく五分程で、AはDの運転するベンツで帰った。帰り際、Aが「社長、それじゃ間違いないな。」と言って、念を押していた。

(13) 九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)

被告人がAらに頼んでE1を殺してもらい、四億円の保険金を明治生命から騙取したことは間違いない。

当初否認し、一旦自白後も自分の責任がなるべく軽くなるようにと、A、Dに殺してやるから一億円よこせと話を持ちかけられ、事態をよく飲み込まないまま承知してしまっただけであったかのような説明をしてきた。しかしその後の取調べで、E1殺害は、殺害自体が目的ではなく、保険金を取りKW商事の資金繰りを助けるのが目的であることが明確になってきた。Aらの申し出を事態がよく飲み込めないまま承諾したのではなかったことは十分自覚している。

資金繰りに苦しんでいたKW商事を潰してはならないという気持から、保険金を取る目的でE1殺害の意味を十分分かったうえでAらによるE1殺害の申し出を承諾し、E1殺害を依頼して実際にやってもらい、保険金を騙し取った。

(14) 九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)

Aに頼んでE1を殺してもらい保険金を受け取った。

三月二五、六日ころ、KW商事事務所でE1殺害の相談の際、Aが「E1を殺したら一億円本当に出すのか。」と聞くので、被告人は「一億円位なら出すよ。」、「金は出すけれども保険金が出てからだよ。」と話した。Aが「じゃあそれまで手形を貸してくれ。」と言うので、被告人は、「いいよ。貸すんだから、間違いなくそっちの方で手形を落してくれ。」と言った。Aは「分かった。」と言った。

2 自白の信用性の検討(その1―Dに対するE1殺害依頼の有無)

(一) 自白の概要

被告人は、八月八日付の警察官調書(<書証番号略>)及び検察官調書(<書証番号略>)で、それまでの否認供述を覆し、本件に関係している供述を始めている。しかしながら八月八日付警察官調書(<書証番号略>)においても、被告人は、Dに対して、E1に保険金をかけていることや、殺してやりたいくらいだと話した旨の供述はしているものの、E1殺害を依頼したり、DからE1殺害を引き受ける旨の話はなかったと供述しており、三月二五、六日ころにいきなりAが来てE1を殺害したら一億円出すかと聞いてきた旨の不自然な供述をしていた。その後も八月一〇日付警察官調書(<書証番号略>)において、「突然F14(A)が私の意思を確認するということは不自然なのでよく思い出してみますと、以前からF14に対してE1さんに対する私の気持を話しておりますので申し上げます。」と一部供述を変更しているものの、そこでも「私がF14(A)と別の取引の関係で何回か会っており、その際私のE1に対する気持を話の中でしているわけですが、その話の内容は別に改まった話ではなく取引上のことから私がE1さんに苦しめられている状況やE1さんに債権担保として生命保険をかけていることなどを話しているのです。」と供述しているにすぎず、DにE1殺害を依頼したとか、DからE1殺害を引き受ける旨の話があったという供述はしていない。

ところが、その後、八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)では、「本日刑事さんから、君の話している内容で納得いかない点がある、君が事件のかかわりを少なくするために真実を話していないのではないかと説明され、なんとか刑が軽くすまないかと考えながらお話ししてきたことを深く反省し、今日は何ら刑の事については考えず、心からE1さんに謝りたい気持でこのE1さんを殺して保険金を取ることになった経緯について正直に申し上げますので聞いて下さい。」との書き出しに続いて、被告人は、初めて「私の口からE1さんを殺す、いわゆる殺し屋を探してくれと頼んだことはないのですが、Dとの話のやりとりの中で、言葉としてはどう表現していいのか分かりませんが、要するに、Dが自分に任せておけという形になったのです。Dがはっきり言葉として殺し屋を見つける等とのことはなかったのですが、E1さんのやり方や生命保険金の話の中で私も本当に当時金策に苦しんでいたことから、E1さんを殺して生命保険金をほしいと思っていたこともあって、そのDとの話のやりとりからしてDが殺し屋を見つけてくるといういきさつになったのであります。」と、DがE1殺害を引き受けると話した旨供述している。しかしながら右調書でも、被告人からDに依頼したとは供述しておらず、その後の調書でも「私の方からDにはっきりとした言葉で『E1を殺してほしい。』と言ったことはなかった覚えです。……(Dは)はっきり言葉で殺し屋を探してやるとか、Dの方でE1を始末して殺してやるとかいったものではないのですが、Dが、そんなに困っているなら俺に任せておけという言い方をしたのでした。」と供述するなど〔八月一五日付検察官調書(<書証番号略>)〕、被告人は、捜査段階においてもDに明確にE1殺害を依頼した旨の供述をしていない。

これに対し、Dは、前記のとおり(第二部の第二の一の1)、二月下旬から三月上旬ころ、被告人からE1殺害の依頼を受けた旨供述している。

(二) 検討

被告人が、昭和六〇年一二月ころには、周辺の者にもE1が死んで生命保険金が入ってくれればいいと話すなど、E1に対して強い悪感情を有していたこと、昭和六一年二月下旬ころから三月上旬にかけての時期は、被告人のE1に対する悪感情は、一層強まっていたこと、そしてNK石材の件についてDと話すうちに、E1に対する憤懣やるかたない心情をまたも吐露し、怒りもあらわにしてE1が死んで保険金が入ってくれればいいと話すこと自体は、不自然なことではなく、そのような感情が高揚した中で、被告人が経済的な苦境を打開するために、E1が死んでくれれば生命保険金が入るのにと、本音とも受け取れる言動があり、Dからみれば、被告人なりに生命保険金を真剣にほしがっているとも受け取れる言動があったとしても、不自然ではないことは、前記認定のとおりである(第二部の第二の一の2)。そのことを、金もうけの手づるがあれば何でも飛びつき、当時Dとよく行動を共にしていたAに対して、Dが話したであろうと思われる。

被告人の自白調書は、DやAが積極的に働きかけてきたのでこれを依頼する気になったという趣旨で一貫しており、自白調書自体から、かなりの防衛的な態度を取っていたことも窺われる。E1殺害の共謀の有無についての自白調書が信用できるかどうかは、他の点の検討が必要であるが、少なくとも、右に述べたような生命保険金をほしがる被告人の言動があったということは、自白調書以外の証拠によっても裏付けられており、その限度では、自白に問題はない。

3 三月二二日のE1に対する一〇〇〇万円の貸付けが顔合わせであったという自白の検討

(一) この問題がもつ意味

三月二二日に被告人がAと意思を通じたうえで、Aを横浜の金融業者というふれこみにして、被告人が用意した一〇〇〇万円をE1に融資させたことは間違いない。この点につき、被告人の自白調書によると、最終的には、被告人が、E1殺害を目的としてAに依頼し、E1と面識のなかったAをE1に引き合わせるために仕組んだものであるとされている。この点の信用性が認められれば、三月二五、六日ころに、A、DがKW商事に来た際に、三者間でE1殺害の共謀が成立し、殺害報酬の支払い等の具体的な点も合意されたという検察官の主張を強く裏付けることになる。そこで、三月二五、六日ころにE1殺害の共謀が成立したという自白の信用性を判断する前に、この顔合わせの問題を検討する。

(二) 捜査段階の供述経緯と供述要旨

被告人は、逮捕当初は、三月二二日にE1に一〇〇〇万円を貸したこと自体を否認し、右一〇〇〇万円はTS商事のF34に貸したもので、AがE1に貸した一〇〇〇万円は、A自身がどこかから借りてきて貸し付けたものと供述し、その後外形的な事実については認めたが、その目的については否認を続けていた。被告人は、昭和六二年八月八日に本件に関与している旨の供述を始めたが、自白の当初も三月二二日の貸付けについては供述を変えず、昭和六二年八月一二日になって、顔合わせのために行ったものであることを認めるに至った。しかし、本件につき否認に転じた九月一九日付検察官調書(<書証番号略>)においては、外形的な事実しか供述していない。

供述経緯と供述要旨は次のとおりである。

(1) 七月三一日付警察官調書(<書証番号略>)

E1に振り出した手形を回収するためAからE1に金を貸す形を取ることになっていたのでAに一〇〇〇万円を渡し、三月二二日、E1屋商事の事務所で、E1、J1、被告人、A、D、E5がそろい、AがE1に一〇〇〇万円を貸してJ1に渡ったKW商事振出の手形を回収し、手形は被告人が返却を受けた。

(2) 八月一日付検察官調書(<書証番号略>)

三月一五日ころSNのJ1からKW商事振出の手形(一〇〇〇万円、E1に貸したもの)を銀行に回すと言われて困っていた。何とかしなければと思い、Aに事情を話し肩代りしてほしいと頼んだ。AがE1に一〇〇〇万円を融資して、E1からJ1に一〇〇〇万円支払わせ、J1から手形を取り戻すことを頼み、Aは了解した。その日に、そのこととは別にAに対し、マンションを担保物件に一億円位融資してくれるところを見つけてほしいと頼んだところ、承諾してくれた。三月二二日に、Aが探してくれてKW商事へ七〇〇〇万円を融資してくれることになったT商へ集まり、融資を受けた。その中からAに一〇〇〇万円を渡し、E1方でAがE1にこれを融資した。この一〇〇〇万円につき、先に、一〇〇〇万円はAがどこかから借りたものと供述したのは嘘である。七〇〇〇万円の行先について、小切手三〇〇〇万円は西武信用金庫の口座に入れ、残った一〇〇〇万円の現金はそのころF34に貸したと供述したが、嘘だった。警察の調べで虚偽と判明し、一〇〇〇万円の行先を問いただされた。そこで真実のとおり、Aに渡し、A自身が工面してきたようにしてE1に渡したと供述した。Aに、E1に渡す一〇〇〇万円を貸したことは事実である。芝居が発覚すると、これがAと被告人がマスコミで騒がれていた保険金殺人の犯人として疑いをもたれている一つの事情と思い、昭和六二年六月中旬ころ、F34に三月二二日に借りたことにしてくれと頼んだ。しかしF34が真実を供述したので自分も供述することになった。芝居の理由は、Aを紹介してE1に結び付け、Aが金を持っている男であり、E1にはいいスポンサーとなる男と思わせるためである。Aがやくざ者であることはE1には知らせていない。当時E1は二〇億円をはるかに超す負債で不渡りを出しており、E1に一〇〇〇万円を貸してやってまともに回収できるとは全く思っていなかった。

(3) 八月三日付警察官調書(<書証番号略>)

一〇〇〇万円をAからE1に貸す形を取ることは、三月二〇日、南千住の物件の件で被告人がAに裁判取下げの報酬として一八五〇万円を払った時に話した。昭和六二年六月一二日過ぎの新聞で報道され疑われるのが嫌で、同年六月一四、五日ころ、F34に電話して喫茶店で会い、貸してある金が大分あるが、新聞に出ている一〇〇〇万円もあるから返してよと、暗に三月二二日の一〇〇〇万円はF34に貸しているということにしてくれと言った。そのころ、現金出納帳の摘要欄にAかSOと鉛筆書きしていた一〇〇〇万円の記帳を抹消し、妻に「TS商事」と書き直させた。

〔以上のとおり、自白を開始する八月八日以前は、Aに依頼した日や、改竄の経過について供述するが、一貫して、E1がJ1(SN)に割り引いてもらった一〇〇〇万円の手形の回収のため被告人が用意して、Aが融資したものであり、顔合わせではないという趣旨を供述している。〕

(4) 八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)

これまで刑事や検事の追及で一番抵抗してきたのは三月二二日にAがE1に一〇〇〇万円を貸し付けるようになったいきさつについてであった。これまでは、単に私がE1に一〇〇〇万円を貸し付け、問題になっていたSNのJ1のところで割り引いた一〇〇〇万円の手形を回収したのでは、更にE1に対する貸金が増えるばかりで回収不能なため、暴力団であったら回収できると思い、Aに一〇〇〇万円渡し、E1に貸し付けただけで、今回の殺人事件とは関係ないと話してきた。今回DがAを私に紹介したいきさつを説明し、E1殺しを説明する過程で、本当のことを言わねばならなくなった。

J1から金を払わねば手形を銀行に回すと言われていた。このころAとも何回かE1にかけている保険金のことやE1の私に対するやり方等を話しており、一〇〇〇万円の手形が銀行に回ると大変なことになるからとAに頼んだ。Aは引き受けるので一〇〇〇万円用意しろと言うので、当時は現金を作るあてがなく、Aに金を借りられる所の紹介を頼んだ。実際にAからE1に金を渡したのは三月二二日で、T商が担保物件を見にきたのは三月一八日ころだから、Aに頼んだのは三月一五日ころと思う。はっきりしないが、三月二二日の少し前あたりにAを連れてE1方に行ったような気もする。

何回も弁解しているように思われるが、事前にAとE1を殺すことを相談したことはなく、この一〇〇〇万円でE1殺しのきっかけとしてE1に近づけたというものではない。A、Dの間ですでに計画が進んでおり、本気でE1を殺すことになっていたと思うが、ただAに任せた状態でことが進んでいった。

警察に逮捕され帳簿類を押収されると必ず追及されるので昭和六二年六月一二日か一三日ころ帳簿を改竄した。帳簿ではAに貸した直後に三月二二日の欄に「F14(SO)・E1一〇〇〇万円出金」と記載していたのを、妻に指示して「TS商事一〇〇〇万円出金」と書き直させた。妻には詳しい内容は話していないが、納得いかない様子で、「そんなことしておかしいんでないの。」と言うので、「いいから俺の言うとおりに書け。」と言って書かせた。

(5) 八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)

三月一八日ころ(金山町の物件がA名義になり、AとKWハウジング間で売買契約があった日)、J1に行っている一〇〇〇万円の手形がジャンプしないので困っているという話をした際、AがE1のことをいろいろと聞くので、いかに迷惑を被っているかを話し、その中で、Aから「その件俺に任せとけ。」と言われ、E1殺しを任せろと言っているのだと分かった。Aは更に「絶対ばれないように始末してやるから安心しろ。」と言っていた。

AにF15の物件で金を貸すところがないかと相談していたところ、三月二一日昼ころ「T商で融資が決定しているから、明日一一時までに来てくれ。池袋北口で待っているから。」と電話があった。翌二二日被告人とF15が池袋駅でA、Dに合流してT商に行き、先に来ていたGE商事のJ5をまじえて七〇〇〇万円借りた。T商を出て池袋駅に向う途中、Aが「俺もE1に行くぞ。E1を紹介しろ。」と言った。殺す相手を見ておく必要があると考えたものと思う。

所沢でF15と別れ、E1方へ行くためにA、Dの三人でタクシーを待っている時に、Aが、「一〇〇〇万円俺によこせ。この金は俺の金にしておくから、あんたは黙っていろ。」と自分からE1に貸す形を取ると言っており、「俺が金を出してE1を信用させる。」と言っていた。

その後タクターを待っている時に、AがDに指示して駅前のデパートから黒っぽい皮の鞄を買ってこさせた。これは、Aが、一〇〇〇万円を自分が持ってきたことを信用させるためだと言っていた。

(6) 八月一五日付検察官調書(<書証番号略>)

三月一八日、KWハウジングとAとの売買契約が済み、F17が帰った後、Aに、「E1に貸したうちの手形が回った先のJ1の方からもうジャンプしない、一〇〇〇万円の手形を銀行に回すと言ってるんで困ってるんだ。」、「E1には随分たくさん金を貸し付けたんだが、返してよこさないんだ。E1には保険をかけているので死んでくれればありがたい。」と話した。Aは、「E1を始末してしまえばいいんだね。」と、Aの方でE1を殺してやってもよいという言い方だった。同日、被告人は、Aに、マンションを担保にJ1の手形決済等の資金を借りる先を探してほしいと頼んだ。被告人からE1やJ1に連絡し、E1に金を貸してくれる人がみつかったので三月二二日にE1方に集まってジャンプできない手形を回収したいという話を伝えているはずである。したがって、Aがスポンサーになりすますという話し合いは三月一八日か遅くとも二〇日ころまでの間にはあったとも思える。しかし、被告人の記憶では、三月二二日T商からの帰りに、Aが「E1のところへ連れていって紹介しろ。」と言った。F15と所沢駅で別れた後、Aが「一〇〇〇万円俺によこせ。この金は俺の金にしてE1に貸しE1を信用させる。」と言った。その後、E1方へ行って、AがE1に一〇〇〇万円を融資した。

芝居を言いだしたのはAに間違いない。被告人はAのやろうとしていることが分かったので素直に指示にしたがってAをE1に紹介しただけだった。

(7) 八月一六日付検察官調書(<書証番号略>)

三月二二日のE1に一〇〇〇万円を貸した件につき、自分の責任の事を考えたりして悩み、事実と違うことを話した。自分がそのことに関し、一番最初に事情を聞かれていた際に、警察官や検事からいろいろ聞かれたことであったため、本件につきものすごく重い意味をもつのかなと思い、事実と違うことを話した。

被告人の金をAに託し、その金をA自身の金であるかのようにしてE1に会い、AがE1にスポンサーだと思わせることをしようと考えたのは被告人でした。被告人がAにそういうふうにしてE1に近づいてくれるように頼んだのでした。もっとも、その前三月一八日ころにKW商事でAがE1を始末してやろうかとの誘いかけがあったのは間違いない。そこで、被告人がどのようにAをE1に近づけるかを考えてAに頼んだのでした。

(8) 八月二一日付警察官調書(<書証番号略>)

八月一二日付警察官調書四項で、三月二二日の一〇〇〇万円について、Aが「一〇〇〇万円俺によこせ。俺がE1に一〇〇〇万円貸す形を取る。」と供述しているが、事実はAが言ったのではなく、被告人がAに「この金は私からではなく、F14(A)さんの方から出したことにしてください。」と言った。三月一八日ころ、Aから「E1を始末してやる、殺してやる。」と誘いかけがあり、どのようにしてAとE1を近づけようかと考え、以前KEN商事のF35に頼んでE1を手なづけるためにやったようなことをしてはどうだろうかと思い、Aに頼んだ。E1殺しに自分が積極的に中心的に実行してきたと思われるのが恐ろしく、少しでも殺人事件とのかかわり合いを少なくするために嘘を話していた。

(9) 九月一九日付検察官調書(<書証番号略>)(自白から否認に転じた際の調書)

三月二〇日ころ、T商から七〇〇〇万円借りられることになった。そのころ、J1らに、E1に一〇〇〇万円を貸してくれる者をみつけたのでKW商事振出の手形を回収したいからE1方に来てくれと伝えた。三月二〇日か二二日ころ、Aに、その金でE1に貸してやってくれと頼んだ。三月二二日、被告人、A、D、F15が、T商に行って七〇〇〇万円をF15名義で借りた。その後、A、DはE1方に行った。T商から借りた七〇〇〇万円のうち一〇〇〇万円を被告人からAに渡し、Aが所沢駅前で買った鞄に入れてE1方へ行きE1に渡した。

(三) 信用性の判断

この点についての、A、D供述、被告人の公判供述の内容及びその信用性についての判断は、前述(第二部の第二の二の3の(四))のとおりである。そこで示した判断は、概ね、三月二二日のAによるE1への一〇〇〇万円の貸付けがE1と面識のないAへの顔合わせであったという被告人の自白調書に対する批判ともなるが、更に自白調書に特有の問題について判断を示す。

(1) 供述の変遷

被告人は、当初は三月二二日の一〇〇〇万円の貸付けについて顔合わせではないと供述をしていたが、八月一二日付警察官調書(取調官はH8警視、補助者はH6警部補。<書証番号略>)で初めて三月二二日の貸付けにつき、J1から一〇〇〇万円の手形を回収する件が、AをE1に近づけた決定的なことになる旨供述したものの、事前にAとE1殺しを相談していたということではないので、これでE1殺しのきっかけとしてE1に近づけたというものではないと供述していたが、同日付の別の警察官調書(取調官はH6警部補。<書証番号略>)で、E1殺しの前段階として、右貸付けがAの主導によるE1をAに引きつける計画を実行したものであった旨供述を変更している。しかし、E1殺害の共謀につながる重要な事項についての供述内容の変更なのに、何の説明もない。更に、同調書(<書証番号略>)では、三月一八日ころ、Aから、E1殺しを任せろ、という趣旨のことを言われたと言い、更にばれないように始末するから安心しろと言われたと言う。この点は顔合わせの前提となる事項であり、同日付の別の警察官調書(<書証番号略>)と供述内容が変わっているのに、変えた理由については、説明がない。

三月一八日のKW商事における話について、Aは、被告人がE1の件もやってもらえるのかという趣旨のことを聞くので承諾する旨の返事をしたと供述している(一六回公判)。被告人の自白調書にしろ、右A証言にしろ、三月一八日に被告人とA間で、E1を殺害するというAの意向が示されたという点では共通しており、A証言が信用できないことも前述(第二部の第二の二の3の(四)の(3)の③)のとおりである。

右八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)における供述内容の変更について考えるに、被告人は、八月八日付警察官調書(<書証番号略>)から、三月二五、六日ころ、突然AとDがKW商事に来て、Aが「E1を殺したら一億円位くれるか。」と言われ、「一億円位なら出すよ。」と答えたという供述を開始しているところ、その後八月一〇日付警察官調書(<書証番号略>)において、「突然F14(A)が私の意思を確認するということは不自然なのでよく思い出してみますと」という供述に続き、「(AとE1殺害の意思確認をした三月二五、六日ころより前の、同月一八日か二二日ころ)Aにも、Dに話したと同じように、E1に対する気持を話していた。」旨供述を変更した。右変更後の供述は、それ自体は不自然とは言えないが、その後八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)において、三月一八日にAからE1殺害を引き受ける話があったという供述をした経過は、供述内容の変遷について合理的な説明がなされておらず、いかにも唐突かつ不自然である。このような不自然な変遷は、取調官が三月二二日の一〇〇〇万円の貸付けが顔合わせであるなら、それより以前にAからの働きかけがなければ顔合わせにならないと考え、三月一八日に関する件を理詰めで追及し、被告人がその影響を受けて供述したことによって生じた疑いがある。したがって、これらの点についての自白調書の信用性には、まず疑問を生じる。

(2) A、D供述との比較検討

次に、三月二二日の一〇〇〇万円の貸付けが顔合わせであったとか、E1殺害の共謀成立との前後関係等について、A、D供述と被告人の捜査段階の供述を比較検討する。

まず、D証言は、右E1への貸付け以前に殺害の共謀が成立し、右貸付けも被告人、A、Dが予め顔合わせの趣旨を合意したうえで行ったものであるという(四二回公判等)。Aは、三月二二日にT商を出て、KW商事に寄った際に、被告人から貸付けを依頼されたものであり、三月二五、六日ころ〔八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)〕とか、二八、九日ころ(一七回等の公判供述)、E1殺害の共謀が成立したという。

これに対して、E1への偽装貸付けをAにいつ依頼したかについての被告人の捜査段階の供述は、まず、否認段階では、南千住の物件の件でAに一八五〇万円を支払った三月二〇日〔八月三日付警察官調書(<書証番号略>)〕と供述していたが、自白に転じてからは、三月一五日ころ〔八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)〕、三月二二日の当日〔八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)〕、三月一八日か遅くとも二〇日ころまでの間、しかし記憶ではAから三月二二日の当日言われた〔八月一五日付検察官調書(<書証番号略>)〕、三月一八日ころAからE1殺害の誘いかけがあり、被告人がどのようにしてAをE1に近づけるかを考えてAに頼んだ〔八月一六日付検察官調書(<書証番号略>)、八月二一日付警察官調書(<書証番号略>)〕(この二通の調書共、Aに依頼した時期、状況について説明がない。)、再度否認に転じてからは、三月二〇日か二二日ころ〔九月一九日付検察官調書(<書証番号略>)〕、と供述している。

いずれにしても、自白は、当初、貸付けがAの発案であったと言っていたのを、最終的には、被告人の方からAに偽装貸付けを依頼した旨供述を変遷させているが、その変遷させた調書〔八月一六日付検察官調書(<書証番号略>)、八月二一日付警察官調書(<書証番号略>)〕でも、Aに依頼した時期、場所、依頼した状況の説明がなく、三月一八日にAからE1殺害の誘いかけがあったので、被告人が考えた結果、偽装貸付けを依頼したとなっているにすぎない。このような具体性のない供述調書は不自然で信用性に乏しいと言わざるを得ない。

被告人の右最終的な自白〔八月一六日付検察官調書(<書証番号略>)、八月二一日付警察官調書(<書証番号略>)〕が、三月二二日に初めてAに偽装貸付けを依頼したものとすれば、J1の九月二六日付検察官調書(<書証番号略>)の、三月二〇日ころに、被告人からE1に金を貸してくれる人をみつけたという連絡があったという供述と矛盾し、やはり右自白は信用できない。

仮に、最終的な自白の趣旨を、三月一八日から二二日までの間に、被告人がAに偽装貸付けを依頼したというものと解しても、その前提としての、三月一八日にAからE1殺害を引き受けてもいいという趣旨に理解できる言動があったという自白の変遷自体が、何の説明もなされていないのであるから、取調官の理詰めの追及の結果、被告人もその影響を受けて供述したことを疑わせるので、信用性が乏しいことは前述したとおりである。また、このような趣旨に自白を理解すれば、三月二二日の貸付けに関して、被告人、A、Dの三者が、貸付けの決定時期、Aが事前に合意していたのか、殺害共謀との前後関係等について、三様の供述をしていることになる。偽装貸付けのような印象深い出来事について、三者三様の供述になること自体、顔合わせであったという検察官の主張を強く疑わせるものである。

そもそも、E1殺害の日時や方法、誰が実行するのか等が決まっていない段階で、AをE1に引き合わせる必要があったのかどうかも疑問であることは、前述したとおりである。

(3) まとめ

以上のとおりであり、三月二二日のE1への一〇〇〇万円の貸付けが、E1殺害を企図したうえでの、同人と面識のないAをE1に引き合わせるための顔合わせであったという自白は、信用できない。

4 自白の信用性の検討(その2)

(一) 被告人は、本件への関与を認める供述を初めて以来、その後の自白調書において、一貫して、三月二五、六日ころ(三月下旬とも供述しているが)、AとDがKW商事にE1殺害の意思確認に来て被告人も殺害を承諾し、殺害の合意が成立した旨供述している。被告人の右供述は、Aの捜査段階の供述と合致している。

被告人は、当初、三月二五、六日ころ、初めてAから殺害の打診もしくは引受けがあったと供述していたが、その後八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)で三月一八日にAがE1を殺害してやると話してきたため、AがE1殺害を引き受けたと思った、三月二五、六日ころにAらとE1殺害の意思確認をして殺害の合意が成立した旨供述を変更している。

三月二二日の、Aによる一〇〇〇万円の貸付けについての自白を含む捜査段階の供述が変遷し、顔合わせであったという自白に信用性がないことは前述のとおりである。右顔合わせは、三月二五、六日ころにE1殺害の合意が成立したことの前提ともなる重要な事実であるが、この点について信用性がないということになれば、右意思確認即ち殺害合意の成立にも影響を及ぼさざるを得ないであろう。

(二) 被告人の自白は、当初から三月二五、六日ころの殺害の意思確認の際の状況について、Dから話があるので行くと連絡があり、DとAがKW商事に来て、AがE1を殺害したら一億円出すかと聞いてきたので、これを承諾したという内容で一貫している。

しかし、被告人は、八月八日付警察官調書(<書証番号略>)で、それまでの否認供述を覆し、本件に関係している供述を始めたが、その供述内容は「AとDが会社に来て、AがE1を殺したら一億円位くれるかと話すので、余り深く考えず、一億円位なら出すよと話した。AのE1を殺したら一億円くれるかという話を信用していなかったが、心の中ではE1に死んでもらいたいと思っており、そのようになってくれないかなと思っていたが、頼んだのではない。」という趣旨の、E1殺害を希望しており、Aの話に一億円出すという返事をしたというものの、内心は、殺害の共謀まで成立したことを認めた内容のものではない。その後も、しばらくは、「Aが『社長、俺がE1を殺したらいくら出す。一億円位くれるか。』と言ってきた。ぽっと言われて深く考えず、安易に『一億円位なら出すよ。』と答えた。Dが『本当に一億円出すのか。』と言うので『ああ。』と答えた。その日は、被告人が本当にE1に死んでほしいと思っているのか確かめるようなことはなかった。被告人としては、なかばまさかという気持を抱いたのは本当です。AかE1を殺すことが簡単なことのような言い方をするので、そんな感じを抱いた。反面E1に対する憎しみや保険金が入るという気持があったことも事実で、Aが本当にE1を殺してくれるのであればそうなってほしいという気持があったのも事実でした。具体的な話はなかった。AやDは被告人がどういう気持でいるかを確かめ、被告人が受けるかどうか反応を見にきたという感じでした。」〔八月九日付検察官調書(<書証番号略>)〕等という供述を続けていた。

右供述を見る限りでは、初期の段階の自白は、E1殺害の共謀が成立したといえるか微妙な供述になっていると言わざるを得ない。

ところが右供述をしている例えば八月九日付検察官調書(<書証番号略>)等で、Aから依頼され、四月七日にE1殺害費用として、現金五〇〇万円と手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を渡した旨の供述をしている。殺害費用を渡すなどは、明らかに殺害共謀の成立を前提にした積極的な行為であり、前記のような「Aの申し出によく考えずに承諾した」などといういわば消極的な内容とは、かけ離れた内容の供述である。このように、自白の初期の段階では同一の調書の中に、異質な内容のようにも思える供述を含んでおり、不自然さが否めない。

(三) また、被告人は、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)において、「当初否認し、一旦自白後も自分の責任がなるべく軽くなるようにと、A、Dに殺してやるから一億円よこせと話を持ちかけられ、事態をよく飲み込まないまま承知してしまった旨説明してきた。しかしその後の取調べで、E1殺害は、殺害自体が目的ではなく、保険金を取りKW商事の資金繰りを助けるのが目的であることが明確になってきた。Aらの申し出を事態がよく飲み込めないまま承諾したのではなかったことは十分自覚している。」旨供述し、更に同日付検察官調書(<書証番号略>)で、Aに頼んでE1を殺してもらい保険金を受け取ったと、E1殺害の共謀を明確に認める供述をしているが、そのほかに、それまで供述していなかった、三月二五、六日のE1殺害合意の際、保険金が下りるまでは被告人が手形を振り出すということが合意されたと供述するに至った。即ち、九月二日付警察官調書(<書証番号略>)では、保険金が下りるまでは報酬を支払う義務がないのだが、Aに要求されて手形や現金を渡したとまで供述していたのに、右九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)では、それまでの供述内容を大きく変更し、殺害後、保険金が下りるまで手形を振り出すと供述した。しかるに、本件における殺害報酬の支払いに直結する重要事項なのに、供述内容を変更する理由が説明されておらず、極めて唐突で強い不自然さを感じさせるものである。

またDは、殺害合意が成立したその場で殺害の報酬は一億円、保険金が出るまで現金が出せないので手形を振り出すという話が出たと供述している(四二回公判等)のに対し、Aは、Dと被告人の間で保険金が出るまでは被告人が手形を振り出すという話ができており、被告人とAの間で直接的には詳しい話をしていないと供述している〔八月一三日付検察官調書(<書証番号略>)〕。したがって、被告人の自白は、Aの捜査段階の供述と違いがある。

ともあれ、三月二五、六日ころにおける殺害共謀の成否は、最終的に殺害の謀議が行われたとされる四月七日の殺害費用の受け渡しについての自白の信用性に強く影響されるので、そこで最終的に判断することにして、ここでは問題点を指摘しておくにとどめる。

五  三月二八日、E1の生命保険料を、遅滞分を含め二か月分支払ったこと

1 自白の要旨

(一) 八月一五日付警察官調書(<書証番号略>)

保険料は、一か月合計二二万二、八〇〇円だが、昭和六一年になって支払いができない苦しい時期があった。それで一月末ころ、支払いができないのでF33に契約解除の意思を伝えたが、F33が続けてほしいと一月分の保険料を立て替えてくれたので、保険を続けた。

三月一八日ころDとAが来た時のE1殺しの話から、三月二二日のT商から金を借りた時のAの工作等、急にE1殺しの話が具体化し、三月二六日にAが来てE1殺害の意思確認をしてきて、承諾した意思を示し、報酬を一億円位なら出す旨話した。E1殺害方法の具体的なことは分からなかったが、AやDの話から、近いうちにE1が殺されることは間違いないと思ったので、保険契約の方を完全にしておかなければならないと思った。保険料の支払いが滞っていたために保険金が下りなければ大変だと思い、F33に立て替えてもらった保険料を問題のないようにしようと思った。それで、二日後の三月二八日にF33が来た時に、苦しい状況だったが二月分と三月分の保険料四四万五、六〇〇円を支払った。

(二) 八月二〇日付警察官調書(<書証番号略>)

保険料は昭和六〇年末までは毎月支払っていたが、昭和六一年一月分については金銭的に非常に苦しい状態で、F33に契約解除について相談した。F33が継続してほしいと言うので、一月分の保険料をF33に立て替えてもらい、一か月分の保険料が未納の形になった。三月末には未納分も含め二か月分を支払ったが、Aが出てきてE1殺しの話が具体化し、E1が死んだ時点で一か月未納になっていることが原因で保険金が下りないことになれば大変と思い、完全なものにしておこうと考え一度に支払いをした。

(三) 八月二八日付警察官調書(<書証番号略>)

以前の調書で、滞納分をF33に立て替えてもらったと話していたが、これは間違いで、昭和六一年一月ころから一か月分を支払わず、その後一か月遅れで支払いを続けていたものである。金銭出納帳に、三月二八日に二月分と三月分の保険料を一度に支払っていることが分かり、それで、多分一か月滞納していて、その分はKW商事によく出入りしていたF33が立て替えてくれていたものと思ったので、そのように話していたものである。昭和六〇年暮ころ、F33に対し、金銭的に困っていた状態だったので、保険契約を解除したいという話をした。F33から続けてほしいと言われていたから、F33が一か月分を立て替えてくれていたものと思い、それを三月に一度に支払ったものと考えていた。

滞納分を三月に全部払ったのは、三月二六日にA、Dが来て、E1殺しに対する被告人の意思を確認したので、後で滞納の件で、契約の有効性に因縁でもついたら困ると思い、苦しい中から一度に支払いをした。

(四) 九月三日付警察官調書(<書証番号略>)

前に、E1の生命保険料の滞納は、昭和六一年一月ころからと話していたが、いろいろ考えてみたら、昭和五九年末ころあるいは昭和六〇年に入ってからかも知れないが、明治生命の本社からKW商事宛に、保険料が一か月滞納になっているから納めてほしいという内容の葉書が来ていたのを思い出した。一か月滞納となっても契約は有効だと書かれていたと覚えている。多分この時から一か月遅れで支払いしていたものと思う。なぜ滞納したか、その理由ははっきり言えないが、たまたま契約解除の話が出て、一か月分納めなかったが、その後F33らに言われ、また支払いしたというところではないかと考える。

2 客観的な事実

E1屋商事が倒産したものの、本件保険契約が債権担保の目的であったことから、その後もKW商事は保険料を支払い続けていたこと、昭和五九年一一月分以降は保険料の支払いが一か月分遅滞していたが、昭和六一年三月二八日に同年二月分と三月分の保険料を一括して支払い、その後は保険金が支払われるまで遅滞することなく保険料が支払われたことは、前記のとおり証拠上明らかである。

一年以上の期間保険料の支払いが一か月分遅れていたにもかかわらず、この時期に遅滞を解消したことについては、不自然さが残るように思われないでもない。また、弁護人は、「明治生命に対する二月分の保険料の支払いが一か月遅れたのは、偶々、二月中旬ころに、ベテランのJ15事務員が辞めたため、事務手続のミスが生じたからにすぎない。」と主張するが、遅滞は二月分からではないから、弁護人の主張は前提を欠く。

3 自白に対する疑問

(一) 他の生命保険契約の保険金支払状況との関係

KW商事は、当時E1のみでなく、債務者であるF36〔被告人の八月四日付警察官調書(<書証番号略>)、被告人の四九回公判供述〕についても、明治生命との間で、同人を被保険者とする生命保険契約を締結しており(昭和六〇年一月契約)、こちらの生命保険料は口座振替の方法により、当初から昭和六一年三月分の保険料までは、保険料の応答月の前月下旬に前払いで支払われていたところ、四月分については一か月遅れて五月分と一緒に四月二二日に振替払いされ、以後は口座振替の方法が取られていた一一月分まで従前同様に、前月下旬に遅滞なく前払いがなされている〔捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)、<押収番号略>のスクラップブック〕。

更に、F33の八月二二日付検察官調書(<書証番号略>)、捜査関係事項照会回答書(<書証番号略>)、<押収番号略>のスクラップブック等によると、KW商事は、かねて、被告人を被保険者とする二件の生命保険契約(うち、証券番号九七―三六一五三四は、昭和五九年三月に契約。)も締結していたところ、一件(証券番号二七―三六一五三四)については、四月一〇日に滞納していた一月から三月分の保険料をまとめて四月分と一緒に支払い(合計一五万五、四〇〇円)、もう一件(証券番号九七―三六一五三四)についても四月二四日に滞納していた一月から三月分の保険料をまとめて四月分と一緒に支払っている(合計五七万八、六〇〇円)。

したがって、KW商事は、確かに三月二八日、それまで遅滞していたE1の生命保険料を二か月分まとめて支払い遅滞を解消しているが、右のように、E1の生命保険金の取得に全く関係のないF36及び被告人の合計三件分の生命保険契約の保険料について、三月二八日から一か月以内という近い時期に滞納分をそれぞれ支払っているのであるから、E1関係の生命保険料の遅滞の解消についてのみ、E1殺害へ向けての特段の意味付けを与えることはためらわれる。

(二) 遅滞解消の理由

更に、E1関係の生命保険料は、二月までF33(明治生命の武蔵関営業所に所属。)が集金していたが、三月から集金人が東久留米営業所の係員に交替した。したがって、新しい集金人が滞納分に気付いて請求し、KW商事の方も丁度二月下旬に経理を担当してきたJ15が病気になり、甲2やF24が経理を担当するようになったことなども重なって、滞納分をも支払ったのではないかとも思われるところである。

(三) まとめ

以上のとおりであり、E1関係の生命保険料の滞納が三月二八日に解消された点については、せいぜい、外形的な事実が被告人の自白と矛盾しないという点に意味があるにすぎず、E1殺害の事前共謀につながる事実とまで評価することはできず、E1殺害の共謀が成立していたことを前提とする自白の信用性には疑問が残る。

六  四月七日の最終共謀成立と殺害費用の支払い

1 自白の経過と要旨

(一) 八月九日付警察官調書(<書証番号略>)

これまでAがE1を北海道に連れ出す直前に、自分の口座等から現金が下ろされていたり、手形が振り出されていることについて、意味が分からないままにAに渡していたと答えていたが、事実は、AがE1殺しを引き受けた後、「費用を出せ。」と言われて出したものである。

最初は四月六日昼ころ、Aから会社に電話があり、「明日行くから、とりあえずE1さん殺しの費用として現金で一五〇〇万円位用意せ。」と言ってきた。そのころは現金もあまりなかったので「現金は五〇〇万円位しか用意できない。」と言ったら、「二か月くらいの手形でいいから、手形で一〇〇〇万円と現金で五〇〇万円用意すれ。」と言われた。

翌七日午後七時ころ、AとDが、確かDの運転する車で会社に来た。なぜ七時に来たかというと、午後七時ころまで会社が仕事をしており、事務員に変に思われたくなかったからである。会社に被告人一人で残り、AとDが来て二人をすぐ社長室に入れ、西武信用金庫東久留米支店から下ろしてきた五〇〇万円を銀行からもらってきた袋に入れたままソファーの前のテーブルの上に置いてAに渡した。更に、六月六日支払期日の四〇〇万円一本、三〇〇万円二本の計一〇〇〇万円の約束手形を一緒に渡した。

渡す前にE1殺しについてA、Dと話したが、殺す方法など具体的な話は聞いていない。殺人事件と分かれば、一億円の報酬をやる約束をしており、自分まで捕まるので、どのようなやり方で殺すか心配だった。Aは、殺しの方法までは言わなかったが、「事故に遭ったようにするので殺人事件にはならない方法を取るので心配するな。」などと話し、事故として終わるような方法を考えていると思ったから、費用を渡した。

昨日死体捜索に金を都合しろと言われて一〇〇〇万円の手形を渡したと言ったが、思い違いで、死体捜索のために渡した手形は、六月一九日決済期日の一五〇万円の手形二通の三〇〇万円であったと思うので訂正する。昨日話した一〇〇〇万円の手形は、四月七日に現金五〇〇万円と一緒に渡したものである。

(二) 八月九日付検察官調書(<書証番号略>)

四月六日の昼ころ、AからKW商事に電話があり、「明日行くから、E1を殺す費用として一五〇〇万円用意しろ。現金で用意してくれ。」という意味のことを言った。当時は急に現金と言われても用意できかねたので、「現金は五〇〇万円位しか用意できない。」と答えた。Aは、「二か月くらいの手形でいいから手形で一〇〇〇万円になるようにしてくれ。現金で五〇〇万円用意してくれ。」と言った。承知すると、Aは明日取りに行くからと言った。昼間Aが出入りしたことを事務員に知られたくないので、夜七時ころ来てくれと頼んだ。

おそらく翌七日の午後七時ころ、一人でKW商事に残っているとDとAが来て社長室で会った。警察に捕まることになるのではないかと思い、本当に進めていいのかという気持もあり、Aに、本当に大丈夫なのか聞いた。Aは、「E1には事故に遭ったようにして死んでもらう。殺人事件にはならない方法を取るから心配するな。」と言っていた。支払期日六月六日の四〇〇万円一通、三〇〇万円二通の約束手形と西武信用金庫東久留米支店から下ろしてきた現金五〇〇万円を入れた封筒をテーブルの上に置き、Aに差し出した。Aはそれを受け取り、AとDは帰った。殺人の具体的な話は出なかった。

(三) 八月一六日付警察官調書(<書証番号略>)

Aから「北海道に行く費用として一五〇〇万円出してくれ。」と言われ、四月七日に社長室で現金五〇〇万円、約束手形(額面四〇〇万円一枚、三〇〇万円二枚)を渡した。Aが北海道に行く費用と言っていたことで、AがE1を北海道に連れていき、そこで殺すものと思ったが、北海道のどこでどのように殺すかは分からなかった。一五〇〇万円を渡した時、Dも一緒だった。合計一八〇〇万円(四月七日の現金と手形合計一五〇〇万円及び同月一一日にAに送金した三〇〇万円)は殺しの費用であり、Aにくれてやったという性質の金であり、Aに対する貸金ではない。

(四) 八月二〇日付警察官調書(<書証番号略>)

殺害費用一五〇〇万円を渡した日は四月七日であるが、前日(六日)の昼ころ、Aから「明日行くから、とりあえずE1さん殺しの費用として現金で一五〇〇万円用意してくれ。」と電話があった。どのようにしてE1を殺すかは知らなかった。現金で大金の用意はなかったから、現金がない旨話したところ、Aが「現金がいくらあるんだ。」と言うので、「五〇〇万円位なら何とかなる。」と言った。Aが「それじゃ現金は五〇〇万円でいい。あとは一〇〇〇万円手形でくれ。手形も二か月サイトで切ってくれ。それも三本に分け、四〇〇万円一本、三〇〇万円二本にしてくれ、明日取りに行くから。」と言った。これを承諾し、「来る時間は、皆が帰った後の午後七時過ぎにしてください。」と言った。事務員達に変に疑われるようになったら困ると考え、皆が帰った後の時間を指定したわけである。

被告人は、翌七日の午前中に五〇〇万円の小切手を作成し、西武信用金庫東久留米支店に持参して、五〇〇万円を出し、更に支払場所が青梅信用金庫東久留米支店の支払期日六月六日の四〇〇万円一枚、三〇〇万円二枚の約束手形三枚を切った。

一番帰りの遅い甲建設の者が帰った午後七時ころ、AとDが来て社長室の応接椅子に腰掛け、Aが「金用意してある。」と聞いたので、「現金五〇〇と手形三枚切って用意してあります。」と言い、まず、社長室の金庫から用意していた手形三枚を出し、Aの前のテーブルに置き、次に事務室に行き、そこの金庫内から現金五〇〇万円を持ってきてテーブルの上に置いた。五〇〇万円は縦二五、横一七、厚さ三センチくらいの、下部に西武信用金庫のマークと名前が印刷されている黄色の封筒に入れたままで、手形はKW商事のマークや名前入りの中封筒に入れていた。被告人が手形を封筒から出して「確認してください。」と言ったところ、Aは「分かった。」と一言言った。被告人はすぐに台所に立ち、コーヒーの用意をしていたが、その間DとAが何を話していたかは知らない。コーヒーを持っていったところ、テーブル上に置いてあった現金、手形はそのままだった。

Aは「E1に死んでもらうのは事故に遭ったようにするから。殺人事件にはならない方法を取るから心配しなくてもいい。」と、Dが「絶対大丈夫だから安心してくれ。」と言った。AらがE1を北海道に連れていくということを話したかもしれないが、記憶がない。最後にAが現金入りの封筒を手に取り、中をのぞくようにして一〇〇万円の束が五個あることを確認し、手形三枚の金額とか支払期日を確認したうえ封筒に戻した。

(五) 八月二七日付警察官調書(<書証番号略>)

四月七日にAとDがKW商事に来て、現金五〇〇万円と手形一〇〇〇万円を渡した後、Aが、帰る間際だったと思うが、「社長、それでE1をいつやったらいいんだ。」と聞いてきた。それならE1の運勢上でE1の最も悪い日を選んだ方がいいと考えた。社長室の神棚の前に置いてあった高島易断の暦を思い出し、これでE1の運勢を調べようと思い、椅子に座ったままで、後方に体を向け、神棚の前の飾り棚の上に置いてあった高島易断の暦を手に取り、E1の四月の運勢を調べた。生年月日が必要なので、社長室の金庫に保管してあったE1の借用書に添付されていた印鑑証明を見て生年月日を調べた。

E1は昭和一五年生まれで六白だから、六白の四月のところを見た。一一日に黒く塗りつぶした三角印が付いており、下に悪い日で運勢上注意すべきだと書いてあったが、内容は覚えていない。Aに「E1さんの運勢の悪い日は一一日ですね。」と言った。それ以外にも一三日と一五日あたりを口に出した記憶があるが、これは黒の三角印が無くても記載されている内容があまりよい日ではないようで、一一日に続けて話していると思う。Aは、「そうか。」と言っていた。Dも同様にうなずいていた。

(六) 八月二九日付検察官調書(<書証番号略>)

四月七日、AとDがKW商事事務所に、前の日に電話で要求していたE1殺しの費用を取りに来た。現金と手形をテーブルの上に置いて見せて、三人分のインスタントコーヒーを入れに台所へ行った。その間AとDは何か話をしていた。

その後、コーヒーをテーブルの上にのせて三人でコーヒーを飲み始めたころ、Aが「いつやったらいいんだ。」と聞いてきた。以前から取引の日や取引相手との相性を見たりするための暦を使用していた。毎年、御嶽山から、御嶽神社暦をもらっていた。神棚の下の棚に御嶽神社暦のほか神社寳暦を置いていた。神宮寳暦は、神棚の下の棚の戌と大黒の置物の中間に置いてあり、被告人が手を伸ばせば届くところにあった。単にE1を殺す日を調べてみる気持ばかりではなく、AやDと被告人の相性を調べてみたいという気持があった。

E1の生年月日を調べる前に、AとDの生年月日を聞き、この二人と被告人との相性を調べた。このことは警察官に事情を話した際思い出すことができず、本日思い出した。被告人とA、Dの相性は悪くなかったと記憶している。E1の生年月日は金庫から出した借用書に付いている印鑑登録証明書から調べた。Dと被告人、Aと被告人と調べ、最後にE1との相性やE1の四月の運勢を調べた。Dと被告人、Aと被告人の相性が悪くないことはAとDにも知らせた。A、Dは見方を知らずのぞき込んでいた。被告人とE1はよくないなと二人に話した。

それからE1の四月の運勢を見て、DとAに「E1は一一日がよくないな。」と話した。その外にも二日くらい別の日(一三日と一五日という日を出したような記憶)をAらに知らせた。E1を殺す方角についての話はなかったと覚えている。Aは「そうか分かった。安心しろ。俺達に任しとけ。」と言い、Dは「心配しないでくれ。」と言った。一応四月一一日という日を出したが、この日に必ず殺すとの決定があったわけではない。どの程度AとDが真剣に聞いていたかは分からない。

(七) 九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)

四月七日にE1殺害の費用を取りに来た際、AがE1をいつやったらいいのか聞いてきた。資金繰りを考えて保険金が入ってくるのは早いほどよいと思っていたが警察官に調べられたら何もならないので、高島易断の暦を神棚から取って見たら、四月一一日がよくなかった。被告人がAに「E1は一一日がよくないなあ。」と言った。E1が運勢の悪い日に運悪く事故に遭って死んだと他の人に思ってもらえるような日を伝えた。AとDは、被告人が保険金を取ることを考えて、E1が事故に遭って死んだと思われるような日に殺してほしいという意図で言ったことは分かったのではないかと思う。

2 客観的事実とのくい違い

(一) Aから電話で殺害費用を依頼されたという供述が、KW商事の通常の勤務形態と矛盾すること

(1) 定休日との関係等

被告人は、自白調書では、一貫して四月六日昼ころ、AがKW商事に電話をしてきてE1殺害の費用を要求したと供述している。

ところが四月六日はKW商事の定休日である日曜日で、KW商事が四月六日に営業していなかったことは証拠上明白である。また、金銭出納帳(<押収番号略>)のうえでも、当日営業した形跡がない。被告人の自白調書中には、被告人が日曜日にあえて出勤していた理由についての供述は認められない。のみならず、電話のかかってきた日は通常に勤務していたので電話がかかってきたことが格別不自然ではないことを前提にするかのような供述内容になっている。これらを併せ考えると、四月六日にAがKW商事に電話をしてきてE1殺害費用を要求したという自白は、四月六日が日曜日で、当時KW商事が日曜日に営業していなかったという客観的な事実と矛盾している。

一方、Aから被告人に対して殺害費用を出してほしい旨の電話があったという自白は、Dを通じて殺害費用を要求したというAの捜査段階の供述〔八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)とくい違っており、被告人のこの点についての自白は、Aの捜査段階の供述に合わせたものとは認めにくい。当時Aから被告人への電話は、E1殺害は別としても、南千住の物件の裁判取下げの件、金山町の物件や平塚土地の売買などの件もあったから、四月六日のみならず、他にも複数回あったと考えても不自然ではない。したがって、電話がKW商事にかかってきたか自宅にかかってきたかの記憶に誤りがあっても、被告人の自白が、電話があったとされる四月六日から約一年四か月を経た後になされたものであり、被告人の記憶が薄れ、誤解していることによる可能性も否定できないとも言えなくはない。また、被告人の取調べにあたった検察官も警察官も、KW商事の定休日や四月六日が日曜日であったことを意識して供述を録取した様子は全く窺えないので、被告人のこのような誤解に気付かないまま不合理な供述内容を録取したのではないかとも思われなくもない。

しかし、ここで重要なのは、前述したとおり、四月七日のわずか二日前である四月五日にも、E1方へ行く前にAがKW商事を訪れた可能性が高く、しかも四月五日に、最終的に(四月五日か七日に)Aに渡された現金五〇〇万円のうちの四〇〇万円が金融機関から引き出されており、この引き出しが、四月五日にAからKW商事にかかってきた事前の電話連絡を受けたことによるものではないかとも思われることである。被告人が四月五日の来訪を七日に置き換えたうえで供述した可能性が否定できないように思われる。

(2) 被告人の自白とAの捜査段階の供述とのくい違い

被告人の自白とAの捜査段階における供述とのくい違いであるが、右に述べた点のみではなく、殺害費用の額の点(Aは手形の一〇〇〇万円のみが殺害費用であると言い、被告人は現金と手形の合計一五〇〇万円が殺害費用であると自白している。)等でも、両者の供述はくい違っている。本件のような共犯者の供述の信用性が極めて大きな問題となる事案において、また、H8警視が何の必要性もないのに、Aの供述調書の写しをわざわざ取調室に持って入り、被告人の目に付く場所に置いた程であるから、取調官がAの供述内容を把握せずに被告人の取調べを進めたものとは考えがたい。しかしながら、Aの捜査段階における供述内容は、防衛的な姿勢が強く、自分の刑事責任を軽減したいという意図が強く窺えるものであって、当時、真相は判然としなかったにしても、Aの自白の中にかなりの虚偽が含まれていることは取調官としても容易に理解できたものと思われる。むしろ、取調べ済みのAの供述調書から窺えることは、Aの取調官が、Aの供述の中にかなりの虚偽が含まれているものと考えながらも、容易に自分の主張を曲げず、あるいは、場面によっては取調官にいともたやすく迎合するAに対して、真摯な反省悔悟の念をもたせることができず、全面的には真相を供述させることができないままに取調べを終えたと思われることである。そのような状況の中で、被告人に対する取調べも並行して進められていったのであるから、被告人の取調官としても、Aの供述を真実であるという前提をとることがためらわれたであろうことも容易に推認できる。それゆえに、取調官が、Aの供述内容とは事件の大筋あるいは大枠が合致すればよいというような考えでいくつかの選択肢を想定しながら被告人の取調べを進めていったのではないかとも思われ、取調官がAの自白と異なる内容の誘導的質問を行い、被告人もその影響を受けて供述した可能性も否定できない。

(二) 四月七日に五〇〇万円を準備したという自白の内容が、小切手帳控や金銭出納帳等から推認される事実と矛盾すること

被告人は、現金五〇〇万円を準備した経過について、八月九日付検察官調書(<書証番号略>)では、西武信用金庫東久留米支店から下ろしてきた現金五〇〇万円を渡した、更に八月二〇日付警察官調書(<書証番号略>)では、四月七日午前中に五〇〇万円の小切手を作成し、同支店に持参して五〇〇万円を引き出し、Aに渡した旨詳細に供述し、その後右供述を変更していない。

しかしながら西武信用金庫関係の小切手帳控(<押収番号略>)を見ると、四月七日には小切手は一通しか振り出されておらず、該当する小切手帳控(小切手番号AB15035)には、「昭和61年4月7日、5,000,000円、F15立替金」と記載されており、この五〇〇万円はF15に現金を貸し付けるために西武信用金庫東久留米支店から引き出したものであると認められる。また、金銭出納帳(<押収番号略>)の四月七日の欄には、「現金引き出し、西武信用当座」として五〇〇万円の収入の記載と、それに引き続いて次の行に「貸付金、F15」として五〇〇万円の支払いの記載が認められ、これも、四月七日にF15に現金五〇〇万円を貸し付けるために同支店から現金五〇〇万円を引き出して、同日、F15に現金五〇〇万円を貸し付けたことを意味するものと認められる。小切手帳控や金銭出納帳等を見ても、他に被告人が四月七日に現金五〇〇万円を同支店から引き出した事実はない。

前述のとおり、四月五日に四〇〇万円が同支店から引き出されていたことは明らかであるから〔金銭出納帳(<押収番号略>)、小切手帳控(<押収番号略>、AB15034)。〕、四月五日か七日かは別としても、Aに渡された五〇〇万円は、四月五日に引き出された四〇〇万円に、当時KW商事に保管してあった金員(右金銭出納帳によれば、四月五日の営業終了の時点では約一七五万円が保管されていたものと認められる。)のうち一〇〇万円を加えたものである。したがって、五〇〇万円を準備した経過についての被告人の自白は、右のとおり小切手帳控や金銭出納帳の記載等から推認される客観的事実と矛盾している。

もちろん、右小切手帳控について、取調官は、これを精査していた形跡が窺えず、むしろ、金銭出納帳の記載を誤解していたのではないかと思われるし、被告人が四月五日に現金四〇〇万円を引き出した際にも、西武信用金庫の袋に入れて保管していたとも考えられるので、取調官のミスが重なって、取調官が、不確かな記憶しかなかった被告人から誤った供述を引き出し、客観的な事実に反していることに気付かず、そのまま不合理な供述内容を録取してしまったもので、四月七日に受け取った現金五〇〇万円が殺害費用の一部であるという点は動かないという見方も出てこよう。しかし、右のKW商事の定休日の関係でも説明したが、四月五日の現金四〇〇万円の引き出し状況自体をみると、翌日が定休日であるから格別の支出予定がなければ大金を引き出す必要がなく、むしろ、四〇〇万円も土曜日に引き出していることは、予め何らかの支出予定があったことを窺わせ、最終的にもその金員がAに渡されていることからすると、四月五日にAに渡すために引き出され、Aに渡されたのではないかと思わせるものであり、取調官のミスと被告人の記憶違いが重なったものとして簡単に片付けられるものではない。金銭出納帳に四月七日に五〇〇万円が出金された記載があることや、被告人がAに渡していたメモにも同日Aに五〇〇万円が渡されたと理解できる記載があるために、取調官が、被告人に対して誘導的質問を発し、被告人もその影響を受けて供述した可能性が否定しがたい。

(三) 手形の支払期日の問題

四月六日にAから電話で要求されたという手形の支払期日につき、被告人の自白によると、四月六日に、「二か月くらいの手形でいいから手形で一〇〇〇万円と現金で五〇〇万円用意すれ。」〔八月九日付警察官調書(<書証番号略>)〕、「二か月くらいの手形でいいから手形で一〇〇〇万円になるようにしてくれ。」〔八月九日付検察官調書(<書証番号略>)〕、「手形も二か月サイトで切ってくれ。それも三本に分け、四〇〇万一本、三〇〇万二本にしてくれ。」〔八月二〇日付警察官調書(<書証番号略>)〕、と言われたというものである。

ところが、前述(第二部の第二の四の9の(四))のとおり、被告人がAに手形を渡したとされる時刻より前である四月七日の午前中には、AあるいはJ5を通じて、AE八重洲支店に手形の支払期日が六月六日であるという正確な連絡がなされているようにも思われる。右自白には、手形の支払期日に関して、Aから一方的に二か月くらいとか、二か月サイトと言われたことが述べてあるにすぎず、六月六日を支払期日とする両者の合意まではなされていない。したがって、AEへの連絡は、支払期日を二か月くらいと話しておけば、被告人が六月六日にしてくれるであろうという予測のもとに、AがJ5に連絡したことに基づくことになるが、偶然過ぎるであろう。むしろ、四月七日の午前中までのうちに被告人からAに手形が渡されていたことを前提にしないと理解しにくい。この点でも自白調書の内容は不自然である〔但し、前述のように(第二部の第二の四の9の(四)の(2))、手形の支払期日の点については、四月七日の午前中に、GE商事のJ5あるいはAE八重洲支店のJ14から手形振出の確認を取るための電話がかかってきて、その際に手形の支払期日が連絡された可能性はある。〕。

(四) 手形を四月七日に作成したという供述

被告人は、八月二〇日付警察官調書(<書証番号略>)で、Aに殺害費用として渡した手形は、四月七日の午前中に作成したと供述しているが(その後は、手形の作成日について供述していない。)、四月七日に作成したのであれば、弁護人が主張するようにその満期は六月七日か八日になっている方が自然であるように思われる。

(五) 約束手形帳控の消去痕の説明がないこと

自白において殺害費用とされた手形三通の約束手形帳控には、殺害費用であることと矛盾する内容と思われる「平塚土地」等の消去痕がある。約束手形帳控に「平塚土地」等と記載されることと殺害費用であることとが、観念的には両立する可能性がありうるとしても、少なくとも、Aの捜査段階及び公判供述、Dの公判供述並びに被告人の自白の内容からは、両立しうるような具体的状況は全く窺えない。したがって、殺害費用とされる手形の約束手形帳控に殺害費用と矛盾する記載がなされたのに、それについての合理的な説明が全くないままに、この手形が、殺害費用とされている。極めて不自然である。

3 Aらが北海道に行くことについて、被告人の認識の不自然さ

(一) 自白調書の内容

(1) 八月九日付警察官調書(<書証番号略>)

四月七日の話の中で、A、DからE1殺害の具体的な方法は聞いておらず、AがいつE1を北海道に連れていったのか分からなかったが、四月一一日のAからの追加送金の依頼があった際に、E1と一緒に北海道にいると聞いた。

(2) 八月九日付検察官調書(<書証番号略>)

四月一一日にAから追加送金を依頼された際に、AからE1と一緒に北海道にいることを聞いた。

(この調書においては、四月七日の現金、手形の授受の際には、北海道行きの話が出てこない。)

(3) 八月一六日付警察官調書(<書証番号略>)

四月七日にAから「北海道に行く費用として一五〇〇万円出してくれ。」と言われ、Aが北海道に行く費用と言っていたことで、A達がE1を北海道に連れていき、そこで殺すものと思ったが、北海道のどこでどのようにして殺すのか、その詳しい事までは分からなかった。

(4) 八月二〇日付警察官調書(<書証番号略>)

四月七日、AにE1殺害費用としての現金と手形を渡す際、A達が、E1を北海道に連れていくということを話したのかもしれないが、そこまで記憶がない。

(AがE1をいつ連れ出すのかという点については、どの自白調書もふれていない。)

(二) 評価

このような供述経過をみると、被告人は、最終的には、四月七日に殺害費用を渡す際に、AらがいつどこへE1を連れていき、どのような方法で殺すのかを知らないまま、合計一五〇〇万円もの現金、手形を渡したことになるが、殺害費用の大まかな内訳も全く聞いておらず、いわばAの要求を一方的に飲まされたことになる。更に、殺害報酬については、三月二五、六日の段階で、保険金が出るまでは被告人がAに手形を振り出し、割引金を使ったものが決済するという合意があったというのに、殺害費用とされる手形については、決済を誰がするかという話も全く出ていない。これらの点は、不自然であろう。

更に、自白調書は、Aがどのような方法でE1を北海道におびき出すのかということについても全くふれていない。具体的にAがE1に怪しまれないようにして連れ出す方法である。狸小路の件の話は、全くふれられていないのである。もとより、殺害費用が支払われるとすれば、被告人の重大な関心事は、E1の死亡後に生命保険金を騙取できるかどうか、その後も本件が捜査機関に発覚せずに自己の保身がはかれるのかどうかということではあろう。しかしながら、いかにA、Dから、E1には事故に遭ったように死んでもらう、殺人事件にはならない方法をとるから心配するなと言われたにしろ、不自然さは否めない。

4 供述の変遷

(一) 概要

被告人は、昭和六二年七月二六日に逮捕されて以来、本件犯行を否認していたが、同年八月八日になって自白とまで言えるかは疑問も残るものの、少なくとも不利益事実の承認にあたる本件に関与している旨の供述を行ったが、その翌日の八月九日には、検察官調書や警察官調書の中で、四月七日にAに、E1殺害の費用として現金五〇〇万円及び手形三通(支払期日が六月六日の四〇〇万円一通、三〇〇万円二通)を渡した旨の供述をしている〔八月九日付警察官調書(<書証番号略>)、同日付検察官調書(<書証番号略>)。自白を始めた翌日という早期の段階で殺害費用をAに渡したことを供述し、その後細部に変更が認められるものの、殺害費用として現金五〇〇万円と手形三通(合計一〇〇〇万円)を渡したことで供述は一貫している。

(二) 評価

被告人は、否認から自白に転じた理由について、「H8警視がAの調書を持ってきて、Aがこう言っているから間違いない、と言われた。違うと言ったが頭から怒鳴られた。被告人が昭和六一年一一月ころ作った一覧表と四〇〇万円、三〇〇万円のKW商事振出の手形のコピーを見せられた。Aの自白調書を突きつけられ、サインを見せられ、頭ごなしに言われた。このころ毎日違う調書を見せられている。中身は見せられていない。」(三〇回公判)と供述している。また殺害費用をAに渡したと供述したことについても、被告人は詰まるところ、警察官調書については、H8警視が、取調室にAの調書を持ってきて、Aがこのとおり言っているから間違いないんだ、おまえに証拠はあるのか、Aが供述していると言って勝手に作成した、また検察官調書についても、H8警視に、検察官に逆らうなと釘を刺されていたので、真実を言わないまま作成されたものにすぎない、とそれぞれ供述している(二九回、三〇回公判等)。

被告人の自白は、殺害費用が現金と手形の全部なのか、手形三通のみなのか等という点を除いて、大枠ではAの供述と一致している。また、H8警視自身、別事件のAの調書を取調室に持ち込んでいたことは認めているし、昭和六二年八月四日にのみ、Aと被告人の間柄を話題にしながら被告人に話を聞くために、Aの銃砲刀剣類所持等取締法違反事件の身上調書を取調室に持ち込んで、被告人から話を聞いたと証言する(三三回、三四回公判)。しかし、この時点までに、被告人は、E1殺害については否認していたものの、Aとの関係については知り合ってからのことをかなり供述しているのであって、Aの身上調書を取調室に持ち込む格別の必要性はなかったと言わざるを得ない。更に、自白に至るまでに、H6警部補がE1の腐乱死体の拡大写真を被告人に見せて反省を迫るなどの問題のある取調べがなされており、被告人が否認を続けている状況の下で、同年八月一日付全国紙(一紙)の朝刊に、「Aに誘われ計画」、「保険金殺人」、「『甲』が供述始める」という見出しのもとに、「(昭和六二年七月)三一日までに、……(主犯の暴力団組長A)に誘われて犯行を計画したことをほのめかす供述を始めた。……甲は以前からAに債権の取り立てなどを頼んでいたが、昨年三月ごろ、E1屋商事の債権にからみ、AがE1さんに掛けられた四億円の保険金を知り、甲に対し債権のかわりに保険金を受け取ることを持ちかけた。甲はAにそそのかされて犯行を計画したと供述している……」という記事(<書証番号略>)が掲載されると、取調官がこれを被告人に見せている。H8警視は、右記事を見せた理由につき、当時被告人の否認する理由が、保険金殺人を犯した旨自白したとして新聞に出ると、債権者がわっと来るということであったから、新聞に出ても債権者が来ていないから心配いらないということで、タイトルのみ見せたと証言する(三三回公判)。しかし、H8警視の言う理由が到底納得できるものでないことは明らかであるし、被告人が否認している状況下で、自白を開始した旨の新聞記事が掲載されそれを見せられることは、H8警視の主観的意図は別としても、客観的にみると、被告人の親族、債権者らに対する思惑もあって、ことに、会社を経営する立場にある被告人にとっては、債権者の協力を得ることを事実上困難にさせ、会社経営に極めて大きな支障を生じることを予測させる事柄であり、捜査官に対する抵抗力を弛緩させる方向に強く作用する事情であろうと思われ、被告人を自白に追い込む強力な手段になりうる。また、事案自体から、被告人も有罪となれば、極刑さえ予想されることは容易に予測できたと思われるところ、H8警視は、両手で輪を作る仕種をして、事件へのかかわりの量を話したと証言する(三四回公判)。一方で、Aの供述調書を目の前にしているのであるから、このまま否認を続ければ、Aの主張(自白)どおりに事件が構成されて、被告人が主犯となり、刑事責任について不利な扱いを受けることになる旨示唆するなどして自白を迫る取調べが行われたのではないかとも思われるところである。

以上のような取調方法は、虚偽の自白を誘発させうる事情である。

確かに、Aから殺害費用を要求された点について、被告人は一貫して、A自身から電話で殺害費用を出すようにという依頼の連絡があったと自白している。これについて被告人は、「Aから殺害費用を用意してくれと電話があったという供述は、警察官から言われ、そうですねということになった。」旨公判(三二回)で供述しているが、Aは、捜査段階〔八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)〕において、Dに被告人に要求するように頼んで連絡してもらったと供述しており、くい違いを見せている。また被告人は、その際現金は五〇〇万円しか作れない旨Aに話したと自白しているのに、公判では、警察官がAから聞いて知っていると言っていたと供述している(三二回公判)ところ、Aは、捜査段階で、現金五〇〇万円を受け取ることになった経過についても被告人の自白と異なる内容を供述していたのであるから、この点でも被告人の公判供述は直ちには信用しがたいと思われないでもない。更にAは、四月七日に殺害費用を受け取った点については供述しているものの、金額については被告人の供述する現金五〇〇万円と手形一〇〇〇万円ではなく手形一〇〇〇万円だけが殺害費用であると捜査段階で供述している(この点はAの右検察官調書からも明らかである。)。

しかし、前述のとおり、被告人が、八月九日付警察官調書(<書証番号略>)、同日付検察官調書(<書証番号略>)で述べている、四月六日昼ころ、AからKW商事に電話がかかってきたとか、西武信用金庫東久留米支店から五〇〇万円下ろしたものをAに渡したとかの、客観的事実に反する内容を被告人が供述していたことも事実である。これらの虚偽供述は、被告人の記憶が明確ではなかったにしても、捜査官の誘導的な質問の影響を受けて供述したものとみる方が素直であろう。これらの自白調書は、四月七日にAに渡したとされる現金、手形がE1殺害費用であるという点を認めているが、三月二五、六日に、E1殺害の件でAがKW商事に来た後、突然四月六日にAからの電話でE1殺害費用を合計一五〇〇万円も要求されて格別被告人が異議を言わず、翌七日にも、E1を何処へ連れていくとか、いつ殺害するとかの具体的な話もないのに、殺害費用を渡すという不自然な内容にもなっている。被告人の自白の信用性を評価するうえで、虚偽の自白を誘発させうる事情が存在し、現実に客観的事実と合致しない内容の供述が多いことは、軽視できない点である。

5 A、D供述とのくい違い

(一) 殺害費用

(1) 殺害費用の額

被告人は、自白調書の中で、一貫して四月七日にAに渡した現金と手形の合計一五〇〇万円全額が殺害費用であると供述しているのに対し、Aは、捜査段階、公判を通じて合計一〇〇〇万円のみがE1殺害費用であると供述しており、D(四三回公判等)は、五〇〇万円が殺害費用であると供述したり、一五〇〇万円は北海道行きの費用であるとか、一五〇〇万円の中に狸小路の件の費用も入っているとか供述している。

このように、三者三様の供述をしていること自体、果たして殺害費用の授受という同一事実を体験したのかどうか疑問を差しはさむべき事情であり、ひいては、四月七日に被告人がAに渡した現金、手形の合計一五〇〇万円が殺害費用であるという被告人の自白の信用性を大きく減殺するものである。

(2) 殺害費用とされる手形の決済

また、手形三通が殺害費用であれば、それを誰の負担で決済するのかということが当然問題にされるべきところ、自白調書はそれに全くふれていないのも不自然だし、支払期日までにE1の死体が発見されず、保険金が下りていなかったのであるから、なおさらである。Aは、第一回目の証人喚問の際は、手形はもらったものと供述したり、自分が決済することになっていたとか、結果として自分が落としたとか供述している(一九回、二一回公判)が、第二回目の証人喚問の際は、殺害費用であるから被告人が決済すべきであったという(六六回公判)。E1の死亡後、手形の支払期日の時点までには死体が発見されなかったのであるから、誰が決済するのかが問題になってしかるべきであろう。前述(第二部の第二の四の11)のとおり、銀行勘定帳(<押収番号略>)などによると、この三通の手形のうち、三〇〇万円の手形一通は被告人が資金を出してAがJ5から回収しており、残りの三〇〇万円の手形一通及び四〇〇万円の手形は青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座から決済されており、したがって、直接的には、三通の手形が全部被告人の負担で決済されている。しかし、銀行勘定帳(<押収番号略>)によると、この手形の決済は「立替金」扱いになっており、この「立替金」の趣旨が、本来の立替金、貸付けあるいはそれ以外のものなのかはっきりしないので、最終的に被告人とAのどちらが負担することになっていたのかは不明である。しかし、被告人は実際は貸付金なのに帳簿には「立替金」と記載させていたこともあったのであるから、銀行勘定帳の右記載と平塚土地代金あるいはそれを引当にした貸付け等という被告人の公判供述(四九回公判等)とは矛盾しない。

(二) Aから電話で殺害費用を出すように依頼されたという自白

被告人が、Aから直接電話で連絡があったと自白しているのに対し、Aは、捜査段階〔八月一四日付検察官調書(<書証番号略>)から、Dを通じて殺害費用の支払いを依頼したと供述している。Dは、四月六日に、Aから頼まれて被告人に殺害費用を依頼したことはないという(四五回公判)。

前記のとおりのA供述の傾向に鑑みると、実際はA自身で被告人に対して殺害費用を依頼したのに、Aが、自己の刑事責任を軽減するために、Dに殺害費用の要求の役割を押し付けて供述しているという見方も出てこよう。しかし、この点は、被告人の自白が、Aからの電話が定休日である四月六日(日曜日)にKW商事にかかってきたという想定しがたい内容になっており、しかも、手形の支払期日も二か月くらいという連絡があったにすぎないことになっていて、四月七日の午前中にはJ5あるいはAからAE八重洲支店に正確な支払期日の連絡がなされていたのではないか、したがって、少なくとも四月五日の時点でAの手に手形が渡っていたのではないかとも思われることと矛盾する内容になっている。少なくとも、AE八重洲支店に対する支払期日の連絡の問題については、A証言(一七回ないし二二回、六六回公判)によっても、被告人の自白によっても無理なことになってしまう〔但し、前述のように(第二部の第二の四の9の(四)の(2))、四月七日にJ5あるいはJ14からKW商事にいた被告人に、手形振出を確認する電話があった可能性はある。〕。

(三) 殺害費用の依頼についてのAからの連絡の回数

Aは、「北海道行きを決めたためDに対して、被告人に殺害費用を出してくれるよう頼んでくれと依頼し、Dが被告人に会ったが現金は五〇〇万円だけしか出ず、手形を一〇〇〇万円振り出すという話だったので、J5に手形の割引を依頼したところ、三〇〇万円程度の手形なら割引可能と言われたので、折り返し被告人に手形を三〇〇万円二通、四〇〇万円一通にしてくれるようDに連絡に行かせた。」と供述している(二〇回公判等)。したがって、Aの供述を前提にすれば、被告人に対して殺害費用を依頼する際、Aから直接あったにしろ、Dを通じてあったにしろ、被告人に対する連絡が二回あったことになる。しかるに、被告人の自白調書は、一貫してAからの電話連絡は一回であったことになっている。Aが、初めから手形で殺害費用を受け取る意思でいたのならともかく(殺害費用であれば、Aとしても現金でもらいたいのが当然であろう。)、手形で受け取ることが被告人との交渉の中で初めて出てきたのであれば、被告人の自白の不自然さは否めない。

6 信用性の判断

四月七日、E1殺害費用として、被告人がAに現金五〇〇万円、手形三通(額面合計一〇〇〇万円)を渡したという内容の自白を検討した結果は、以上のとおりである。自白内容には、客観的事実とのくい違い、約束手形帳控の消去痕との矛盾、供述内容の不自然・不合理さ、A及びD供述との不自然なくい違い等があり、信用性は乏しい。最終的には、後述の高島暦による占いの件についての自白の信用性の検討が必要であるが、E1殺害の最終共謀ともいうべき四月七日の殺害費用の授受について、自白の信用性が否定されれば、その前提となる三月二五、六日にE1殺害の共謀が成立したという自白についても信用性がないと言わざるを得ないことになる。

七  四月一一日、Aの依頼により、被告人が、E1殺害の追加費用として、三〇〇万円をAの銀行口座に振込送金したという自白

1 自白の経過と要旨

(一) 八月九日付警察官調書(<書証番号略>)

いつAがE1を北海道に連れていったかは分からなかったが、四月一一日にAから会社に電話があり、「今、北海道に来ている。E1も一緒だ。お金が足りなくなったので住友銀行大和支店の俺の口座に三〇〇万円程振り込んでくれ。KW商事の名前を使うとやばいのでDの名前で振り込め。」と言われた。当日、被告人が青梅信用金庫東久留米支店に行き、自己宛小切手で三〇〇万円を引き出し、振り込んだ。

(二) 八月九日付検察官調書(<書証番号略>)

四月七日に殺害費用を渡した後の同月一一日、Aから「今北海道に来ている。E1も一緒だ。資金に使うから住友銀行築地支店の俺の口座に三〇〇万円振り込んでくれ。KW商事の名前を使うとやばいのでDの名前を使って振り込んでくれ。」と電話があった。承知したが、多分自分でKW商事振出の三〇〇万円の小切手を持って青梅信用金庫東久留米支店に行き、Aから指示されたとおりAの口座にD名義で送金した。

(三) 八月一六日付警察官調書(<書証番号略>)(取調官はH6警部補)

四月一一日昼ころAより電話があり、「金が足りないから三〇〇万円、俺の銀行口座に振り込んでくれ。Dの名前で振り込んでくれ。KW商事ではまずいからな。」と言っていた。金が足りないとはE1殺しの費用とか準備金という意味。KW商事の名前にしなかったのは後で殺人事件ではないかと疑われた場合の言い逃れをするために考えたことで、Aの言っている意味は分かった。午後三時前、事務員のF24に命じて住友銀行大和支店のAの口座に三〇〇万円振り込んだ。この電話の時、Aは、北海道にいることは言わなかったし、この時点でAがE1をどこで殺すのか分からなかった。

四月七日にはAから「北海道に行く費用として一五〇〇万円出してくれ。」と言われているので、北海道で殺すものと思っていた。

(四) 八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)(取調官はH6警部補)

四月一一日にD名義でAに三〇〇万円振り込んだのは、AからD名義で振り込むように言われたからと供述してきたが、Aから特にそうするよう言われたわけではなく、自分の考えでやったものと思う。この点につき訂正する。Aが間もなくE1を殺すと思っていたし、そんな時にKW商事や被告人名義で振込みをすれば、被告人が警察に調べられた時言い訳ができなくなると思ったからそうした。

昨日の取調べの際、一部間違って話していたことがあるので訂正する。四月一一日にAから送金依頼の電話がかかってきた際、Aが北海道にいるようなことは言っていなかったと供述していたが、間違いで、「今北海道にいる。E1も一緒だ。」と言っていたので、AがE1を北海道に連れ出していることは分かっており、そのような状況で金が足りないと言ってきているので、当然E1殺しの費用の追加要求であることはすぐに分かった。AがE1を北海道で殺す気であることはすぐに分かった。昨日は逮捕されて間もなくのころに助かりたいと思って言っていた嘘がそのまま出た。

(五) 八月二〇日付警察官調書(<書証番号略>)

四月一一日、Aから費用が足りないから振り込むようにという電話があった時、AがE1を北海道に連れ出していることがはっきり分かった。当然Dも北海道に行っていると思っていた。

2 供述の変遷

(一) 電話でAが北海道にいることを話したかどうか、送金当時、被告人は、Aらが北海道にいることを認識していたかどうかという点

(1) 電話がかかってきた時のAの発言内容

Aが送金依頼の電話を被告人にかけた際、北海道にいることを話したかどうかについては、自白当初は、北海道にいると言って電話がかかってきたと供述していたが〔八月九日付警察官調書(取調官はH8警視。<書証番号略>)及び検察官調書(<書証番号略>)〕、八月一六日付警察官調書(取調官はH6警部補。<書証番号略>)で、北海道にいることは言わなかったと供述を変更し、更に八月一八日付警察官調書(取調官はH6警部補。<書証番号略>)で、「昨日は逮捕されて間もなくのころに助かりたいと思って言っていた嘘がそのまま出てしまった」と説明して再び北海道にいると言って電話がかかってきたと供述を変更している。

右八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)中の「昨日は逮捕されて間もなくのころに助かりたいと思って言っていた嘘がそのまま出てしまった」という説明はいかにも不自然で、八月一六日付警察官調書(<書証番号略>)を録取したH6警部補が、録取後に以前の調書には北海道にいると言って電話がかかってきた旨の記載があることに気付いたか、あるいは上司から指摘され、再度供述を録取したものと思われる。八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)の九項には、この点について「昨日の取調べの際一部間違って話していたことがありますから訂正したします。」という記載があり、これに続いて四月一一日の送金をD名義にしたのが被告人の発案であったことと、この送金依頼の電話の際に、Aが「今、北海道にいる。E1も一緒だ。」と話したことの二点を訂正している。しかし、「昨日の取調べの際一部間違って話していた。」というが、「昨日(文字どおりに理解すれば、八月一七日を意味する。)の取調べの際」(八月一七日付警察官調書は二通あり、うち一通がH6警部補により取調べと録取がなされているが、この二通とも、四月一一日の送金のことにはふれていない。)というのは、供述内容や取調官から考えてもH6警部補が取調べて作成した八月一六日付警察官調書(<書証番号略>)を指していることは明らかである。それにもかかわらず、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)の中に、一昨日のことを指していることが明らかなのに、「昨日」と記載があるのは、当時、被告人が取調官に迎合的な姿勢になっていたことを窺わせるものである〔後述(一一の1)のとおり、八月一二日付警察官調書(<書証番号略>)も同様に評価できる。〕。四月一一日の送金依頼の電話の際、Aが北海道にいるとか、北海道にE1を連れ出しているとか言ったかどうかについての変遷は不自然であり、その点につき自白調書には、疑問を差しはさまざるを得ない。

(2) 四月七日における北海道行きについての認識の有無との関係等

そもそも、前述(六の3)のとおり、自白調書によっても、最終的には、四月七日に被告人が現金と手形をAに渡す際、Aが北海道に行くという話をしたかどうか記憶がないとなっていることも考慮せざるを得ない。四月七日の話として、E1をいつどのようにして連れ出すとか、殺害の方法等の具体的な話は出ていないというのである。更に、四月一一日の送金の際にも、北海道にいる話が出ていないとなると、殺害の具体性が極めて乏しいにもかかわらず、四月七日に現金、手形合計一五〇〇万円も渡しているうえ、四月一一日に殺害の追加費用として三〇〇万円も要求されて文句も言わずに送金することは不自然だと言わざるを得ない。したがって、Aがどこにいて、どこでE1を殺すのか等さえ認識がない状況での三〇〇万円の送金に、E1殺害費用という認識があったということには疑問が生じる。

また、被告人は、四月一一日にKWハウジングから送金してもらった五〇〇万円を、その後金山町の物件の代金に当てる旨F17に連絡しているのであるが、殺害費用の追加送金ではなくても、南千住の物件、金山町の物件をめぐる被告人とAらとの関係等もあって、被告人が、Aの送金依頼を断らないことにさほどの不自然さはない。そうであれば、送金の際、被告人が、Aに対して送金するという認識を有していたとしても、四月一一日の送金が、殺害費用の追加になるという自白にもやはり疑問が生じる。

このことは、前述(第二部の第二の四)のように、四月七日とされる現金、手形の授受に、四月五日の可能性が残り、更に、四月七日であっても、AがE1殺害の意図を隠して被告人から受け取った可能性が残ることを考慮すれば、なおさらであろう。

更に、前述(第二部の第二の五の3の(三)の(1)の②)のとおり、<押収番号略>の六枚目の「D氏分」に四月一一日の送金の記載がなく、七枚目のメモの同日の三〇〇万円の記載の箇所に「D1」と記載されていることは、送金にDの介在を窺わせ、被告人の公判(四九回公判等)でのDに貸したという弁解に副うようにも理解できることと関係してくるのであって、送金に際し、Dが介在して被告人に依頼したのがDであるという可能性が否定できなければ、自白の信用性は乏しくなる。

(二) D名義を使って振込みをしたのがAの発案か被告人の発案かについての変遷

被告人は、八月九日付の警察官調書(<書証番号略>)及び検察官調書(<書証番号略>)、八月一六日付の警察官調書(<書証番号略>)では、AからDの名義を使って振り込むように指示されたと供述していたが、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)で、「F14(A)が間もなくE1さんを殺すと思っていましたし、そんな時にKW商事や私の個人名で振込することは、後日E1さん殺しの事件が警察に知れ、私が取り調べを受けるようにでもなれば言い訳ができなくなると考え、そうした訳です。」と説明して、Aから言われたものではなく、被告人自身の発案でしたものである旨供述し、それなりの理由を述べたうえで、供述を変更している。

しかし、殺害費用とされる現金五〇〇万円と手形一〇〇〇万円の合計一五〇〇万円を被告人がAに渡したのが、四月七日ではなく五日の可能性があることや、また、四月七日に渡されたものであっても、殺害費用ではなく、平塚土地代金等であった可能性も残ることも前述のとおりである。したがって、そのように、Aが、殺害費用であることを被告人に隠して殺害費用を調達したのであれば、四月一一日の追加送金についてもその趣旨を隠し、また、被告人に真相を述べないまま、被告人を安心させる手立てとして、D名義で送金するように話したとしてもおかしくはない。

また、前述(第二部の第二の五の3の(三)の(1)の⑤)のように、D名義を被告人が考え出したとしても、以後被告人は、やくざ者であるAの銀行口座にKW商事の名前を出したくないとして、偽名で送金しているのであるから、四月一一日の送金についても、被告人が偽名(D名義)を使っても、必ずしも不自然ではない。

更に、この送金に、Dが介在している可能性が否定できないことも、前述(第二部の第二の五の3の(三)の(1)の②)のとおりである。

したがって、以上の点から考えると、この点について、D名義による送金が、変更前の自白のようにAの発案であっても、また変更後の自白のように被告人の発案であっても、それなりにE1殺害と関係がないものとして説明が可能であるから、一概に変遷後の自白が合理的であるとも考えにくい。

(三) 振込口座についての変遷

被告人が三〇〇万円を振り込んだAの銀行口座について、八月九日付の警察官調書(<書証番号略>)では、住友銀行大和支店と供述しているが、同日付の検察官調書(<書証番号略>)では、住友銀行築地支店と供述し、八月一六日付の警察官調書(<書証番号略>)では、住友銀行大和支店と供述している。また実際にAの口座に振り込んだのが誰かについて、八月九日付の警察官調書(<書証番号略>)及び検察官調書(<書証番号略>)では、被告人自身が振り込んだと供述しているが、八月一六日付警察官調書(<書証番号略>)では、事務員のF24に振り込ませたと供述を変更している。

関係証拠を総合すると、振り込まれたAの口座は住友銀行築地支店であり、またF24が振り込んだものと認められる。

3 A供述との対比

送金依頼の電話がかかってきた日について、Aは四月一〇日の夕方に連絡したと供述している(一七回公判等)のに対し、被告人は、四月一一日に電話があったと自白している点で、くい違っている。

4 信用性の判断

自白調書が、銀行勘定帳(<押収番号略>)等の記載とそれなりの整合性をもっていること自体は間違いない。

しかし、前述(第二部の第二の四)のように、四月七日に殺害費用として渡したとされる現金と手形が、四月五日に渡された可能性が否定できず、更に、四月七日に渡されたとしても、殺害費用ではなく平塚土地代金あるいはそれを引当とした貸付けとして渡された可能性が残り、そうであれば、Aが三〇〇万円の送金依頼をした際にも、殺害費用であることを伝えず、あるいは隠していた可能性も否定できない。

被告人は、昭和六二年八月八日から自白を開始し、その翌日の八月九日付警察官調書(<書証番号略>)ですでに、四月七日に殺害費用を渡したことに引続き、四月一一日に追加費用を要求され、これを振り込んだと供述しているし、この三〇〇万円の振込みについて、資金的にそれ程余裕がなかったと思われるのに、F17から送金してもらってあわただしく振込みをしていることも窺えないではない。しかし、供述が不自然に変遷しており、Aが北海道にいることの認識もなかったのではないかとも思われるし、殺害費用性の認識自体に疑問がある。更に、前述(第二部の第二の五の3の(三)の(1)の②)のとおり、Dに頼まれて貸した可能性も残ると言わざるを得ない。したがって、殺害費用として三〇〇万円を追加送金したという自白は、疑問が残り信用性に乏しい。

八  四月一五、六日ころ、京王プラザホテルにおいて、被告人がAと会った際の状況

1 自白の経過と要旨

(一) 八月八日付警察官調書(<書証番号略>)

四月終わりころ、Aから電話で京王プラザホテルに呼び出され、一人で行った。AとF21が来ており、Aから「E1を北海道に誘い出し舟から海に落して殺した。警察で調べられたが警察には事故と言ってやっと調べが終わった。」と、初めてE1を殺したと聞かされた。詳しい話は聞いていないが、死体がまだ見つからないと言っていた。死体を捜さねばならないので金を都合つけるように言われ、現金がなかったので手形でやることにし、二、三日後に、六月六日支払期日の四〇〇万円一本、三〇〇万円二本、合計一〇〇〇万円の手形を東名飯店に持っていき、Aに渡した。

(二) 八月九日付警察官調書(<書証番号略>)

E1殺害後Aと初めて会ったのは、四月終わりころと昨日言ったが、よく考えてみると思い違いで、四月一五、六日ころだった。その際、Aから「E1さんの死体を捜すのにお金を都合せい。」と言われて一〇〇〇万円の手形を渡したと言ったが、それも記憶違いで、六月一九日決済期日の一五〇万円の手形二通の合計三〇〇万円だった。昨日話した一〇〇〇万円の手形は、E1を殺すための諸費用として四月七日に現金五〇〇万円と一緒に渡したものである。

京王プラザホテルでの話は、昨日のとおりである。Aが「E1を北海道に誘い出し、事故に見せかけて殺してきた。舟から海に落して殺したんだ。警察で今まで調べられたが事故で落ちたと言ってやっと調べが終わった。お前もこれからは俺と一心同体だからな。分かっているな。」と言った。一心同体と言った時の目付きや言葉は本当に凄味があり、今でも頭の中から離れない。

(三) 八月九日付検察官調書(<書証番号略>)

四月一五日か一六日ころ、Aから電話で京王プラザホテルに呼び出された。一人で行くと、Aと後で名前が分かったF21がおり、Aがあらかじめ予約していた部屋に行った。Aが「E1を北海道へ誘い出して事故に見せかけて殺してきた。舟から落して殺したんだ。警察で今まで調べられたが事故で落ちたと言ってやっと調べが終わった。」、「お前もこれからは俺と一心同体だからな。分かっているな。」と言った。その時のAの目付きや顔付きは真から恐ろしさを抱かせるもので血の気が下がるものだった。

(四) 八月一六日付警察官調書(<書証番号略>)

E1殺しの直後にAから電話があった記憶はない。最初に電話があったのは四月一五、六日ころと思う。昼ころAから会社に「至急話したいことがあるから来てくれ。」という電話があり、京王プラザホテルに行ったところ、AがF21(当時は名前不知)と来て、予約してあった部屋に三人で入った後、AがF21に部屋から出るように言い、F21が部屋を出た後、「E1をやってきたぞ。俺が海に突き落してやったが、死体が揚がらないんだ。」と言った。この時Aは自分で突き落してきたと言っていたが、実際に実行したのが誰で、どのようにしてやったか詳細は知らなかった。「死体が揚がらないので、これを捜すから。捜す費用を出してくれ。三〇〇万円位現金ないか。」と言ってきた。E1の方に金がないからこっちで出さねばならないと、もっともらしい話をしていた。当時死体が揚がらなければ保険金も簡単に出ないということは知らなかった。現金がない旨言うと、手形でいいと言うので、承諾し、翌日あたりに手形を渡すということになり、二、三〇分で話が終わった。

話が終わる時に、Aは、それまでの話し方とがらりと様子を変え、目付きも鋭く、低い押し殺したような声で、「社長、俺とお前はもう一心同体だからな。分かっているな。」と凄むように言った。Aの態度はこれまでの被告人に対する態度と違い、見下し、威圧する態度だった。悪い奴にE1殺しをやってもらったなと思い、後悔の念を持った。

(五) 八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)

死体を捜す費用は四月一八日ころ、KW商事の社長室でAがよこした若い衆に渡した。来たのが誰か覚えていないが、F21でなかったことは確かである。額面一五〇万円の手形二枚を渡した。振出日は入れず、支払期日を二か月サイトで切った。前の調べの時、二、三日後に東名飯店に持参してAに渡したと言ったと思うが、これは間違いでKW商事の社長室で渡したのが本当だから訂正する。

(六) 八月二八日付警察官調書(<書証番号略>)

E1殺しの後、Aに初めて会っているのは四月一五、六日ころ、京王プラザホテルである。AからE1をやってきたと報告を受け、死体捜索費として、二、三日後にKW商事に来たAの若い者に一五〇万円の手形三枚を渡している。前に、一五〇万円の手形を二枚と話しているが、警察で押収した手形の耳を調べると六月一九日決済の一五〇万円の手形が三枚あることが分かり、この点について考えてみたが、Aから要求されたのが三〇〇万円だったが、現金がないということで手形でもいいということから少し額を増やされ、三枚手形を切ってやったような気がする。二枚が捜索費で一枚は単に貸せと言われたのかもしれないが、捜索費として三枚渡したのと同じと思う。一枚は六月一九日の支払期日にF4がKW商事の口座に入金して決済し、他の二枚はKW商事の方で決済している。

京王プラザホテルで死体が揚がらなければ保険が下りないのではないかとか、保険の話はしていない。E1が死んで間もなくであり、被告人もそこまで考えていなかった。

(七) 九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)

四月一六日、新宿の京王プラザホテルの客室でAからE1殺害の報告を受けた。Aが、これからは被告人と一心同体だということを言った後、「E1の死体が揚がらないんだ。死体を捜さなければならない。捜索費用として三〇〇万円出してくれ。」と言った。Aの言った意味は、AもE1の死体が揚がらないと死んだことがはっきりしないので、保険金が早く下りないだろうと知っていて、そういうことを言ったものと理解した。金がないというと、「手形でいい。」と言うので、額面合計四五〇万円位の手形を渡すことになった。二、三日後にAの使いの男がKW商事へ来たので、KW商事振出の一五〇万円の手形三通を渡した。

(八) 九月一九日付検察官調書(<書証番号略>)(自白後、否認に転じた時の調書)

四月一六日、Aに呼び出されて京王プラザホテルへ行き、ホテルの部屋で話した。Aは、E1が舟から落ちて行方不明になったとか、俺とお前は一心同体なんだ、分かってるな、とかE1の方では捜索費がないと言っているので費用を貸してくれとか言っていた。被告人が、現金がないと言うと、手形でいいから貸してくれと言うので承知した。その後、Aから電話で手形の金額と支払期日を伝えてきた。その後、恐らくF37がAの使いとしてKW商事に手形を取りに来た。取りに来たのは、Dだったかもしれない。

2 供述の変遷、自白と客観的事実とのくい違い、被告人の公判供述との関係

(一) 変遷の概要

E1の遺体捜索費として振り出した手形について、八月八日付警察官調書(<書証番号略>)では六月六日満期の三通合計一〇〇〇万円と供述していたが、八月九日付警察官調書(<書証番号略>)で、六月一九日満期の一五〇万円二通合計三〇〇万円、八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)で、振出日は入れず、満期は二か月サイトの額面一五〇万円二通と供述し、八月二八日付警察官調書(<書証番号略>)では、一五〇万円三通合計四五〇万円と供述し、その経過についても詳細に供述している。八月三一日付警察官調書(<書証番号略>)添付の被告人作成にかかる一覧表には、一五〇万円三通合計四五〇万円と記載している。

(二) 評価

被告人は、八月八日付警察官調書(<書証番号略>)では、三月二五、六日ころ、AからのE1殺害の申し入れを承諾するような返事をしたが、依頼したのではない旨供述し、殺害費用の支払いについては供述していなかったのであり、殺害費用と捜索費用は、E1の死亡(行方不明)という一つの明確な基準があるので、殺害費用なのか捜索費用なのかは、それほど勘違いはしにくいであろう。しかし、仮に、殺害費用として渡した三通合計一〇〇〇万円の手形を、その趣旨を秘して一旦は捜索費として渡したと供述しても、被告人は、殺害費用を渡したことを認めた八月九日付警察官調書(<書証番号略>)で右三通(面額合計一〇〇〇万円)の手形は四月七日に殺害費用として渡したものであると変更しているので、それ自体は不合理な変更とまでは認めがたい。

しかし、E1の遺体捜索費として額面一五〇万円の手形二通あるいは三通を振り出したとする自白の不合理性は、遺体捜索費として額面一五〇万円の手形二通を受け取ったというA供述の信用性を検討した際に述べたとおりであり、四月一五日、六日ころAと京王プラザホテルにおいて会い、E1から一〇〇〇万円取れなくなったので七〇〇万円位貸してほしいと依頼され、翌日ころ、Aの若い者にJ3設計事務所振出の額面三五〇万円の手形二通を渡したという被告人の公判供述の方が信用性がある(第二部の第二の六の1の(四)の(1))。したがって、右自白は信用できない。そして、これについての信用性が欠けることが、ひいては、E1殺害の報告を受け、Aから遺体捜索費の要求があったとか、Aが被告人に対して「一心同体」だという趣旨のことを言ったとかいう自白の信用性に影響を及ぼすことも前述のとおりである。

更に、被告人が自白から否認に転じた九月一九日付検察官調書(<書証番号略>)においても、Aが「俺とお前は一心同体なんだ、分かってるな。」と言った、となっているが、Aがこのような発言をしたとしても、それが、E1殺害の共謀を前提としなくても理解できることも前述(第二部の第二の六の1の(四)の(2))のとおりである。

九  五月下旬か六月上旬ころ、東名飯店において、被告人がAからBを紹介され、殺害報酬の支払いを要求されたという自白

1 自白の経過と要旨

(一) 八月八日付警察官調書(<書証番号略>)

五月末から六月初めころにかけて、Aから東名飯店に来いと電話連絡があった。たまたま別の用事でAに会う約束をしていたKWハウジングのF17と二人で行った。

東名飯店には、AとBが来ていた。最初、F17とAと被告人の三人でF17の用事を済ませたが、その後Aに呼ばれ、別席にいたサングラスの男を、「これがBです。これが北海道の件で金に困っているのでなんとかしてくれ。」とE1殺しの報酬を出すように言われた。当時、被告人もE1の生命保険金が下りず、現金もなかったので手形で払うと言って了解を取った。翌日、Aに一方的に手形の期日と金額を指定され、約一億円の手形を作成し、その翌日被告人が東名飯店に行きAに渡した。記憶違いがあれば、Aが会社に来たのかもしれない。

(二) 八月九日付検察官調書(<書証番号略>)

五月末か六月初めころ、Aの連絡でF17と一緒に東名飯店へ行った。

先にAとKWハウジングとの間の取引に関する用件を済ませた後、Aが被告人を別のテーブルに呼び、サングラスの男をBだと言って紹介した。Aは、Bについて、北海道の件で関係した者なのだが金に困っているので何とかしてくれ、と言った。被告人は、現金はとても用意できないので、そのことを言うと、Aは手形を先によこしておけと言うので、手形でE1殺しの報酬を払うと約束させられた。

翌日ころ、Aから渡すべき手形の期日、金額を電話で指示され、その翌日ころ額面合計約一億円のKW商事振出の手形の束をAに渡した。

(三) 八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)

その後Aに会ったのは五月初めころで、前日夕方に、Aから、「話したいことがあるから、明日都合つけてくれ。」と電話があった。場所はAが指定した東名飯店である。

翌日平塚土地の件でAに用件のあったF17と共に東名飯店に行った。被告人のベンツにF17を乗せて行った。被告人とF17が食事を済ませたころにAが入って来た。Aは先にF17と土地の件で商談をした後、被告人に「ちょっと来てくれ。」と言うので別の席に行くと、サングラスをかけた男を、「この人が北海道のBです。」と紹介し、「Bが今金に困っているからなんとかしてくれないか。」と言った。北海道の人と紹介された時、以前F33から新聞を見せられ、E1が落ちた時に一緒に舟に乗っていたのがBと知っていたので、この人が実際にE1を殺した人だとすぐ分かった。当時は被告人も金に困っていたから現金はないというと、Aは「手形でいい。金額等は後で連絡するから頼む。」と言い、被告人も承諾した。

翌日朝方と思うが、Aから手形について三〇〇万円一枚、二〇〇万円一枚の計五〇〇万円を持ってくるように言われ、午後七時ころ東名飯店に持っていき、A本人に渡した。この手形の支払期日は七月八日で、この時Aと一緒に来ていたのはSOの社長のF37と思う。その後、軽くビールを飲み、それからPIへ行って飲んだ。

(四) 八月二八日付警察官調書(<書証番号略>)

保険金の請求に動き出した四月末ころ、Aから東名飯店に呼び出され、Bに対する貸金という名目で五〇〇万円の要求を受け、翌日東名飯店で三〇〇万円と二〇〇万円の手形をAに渡している。この二枚の手形について調べたところ、支払期日が七月八日となっており、被告人が記入しているが、振出日はいつもは記入していないが四月二八日となっているので、Bに会ったのはそのころではないかと思う。

2 供述の変遷、客観的事実とのくい違い等

(一) まず、東名飯店で被告人がBと会った時期について、五月末か六月初めと供述していたのが〔八月八日付警察官調書(<書証番号略>)、八月九日付検察官調書(<書証番号略>)〕、五月初めころに変わり〔八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)〕、更に、四月二八日ころと変わっている〔八月二八日付警察官調書(<書証番号略>)〕。被告人がBと会った時期は、B証言(一二回公判)等から考えて五月末か六月初めと思われるところ、供述の変遷が客観的事実と合致しない方向に変遷している。

(二) 更に、Bと会ったことによって振り出した手形について、Bと会った翌日に合計一億円分の手形を振り出しAに渡した〔八月八日付警察官調書(<書証番号略>)、八月九日付検察官調書(<書証番号略>)〕、額面三〇〇万円と二〇〇万円の手形を振り出した〔八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)、八月二八日付警察官調書(<書証番号略>)〕と変遷している。八月八日付警察官調書(<書証番号略>)及び八月九日付検察官調書(<書証番号略>)中の、「翌日ころ、Aから渡すべき手形の期日、金額を電話で指示され、その翌日ころ額面合計約一億円のKW商事振出の手形をAに渡した。」という供述に相応する手形は、証拠上全く認められず、右供述部分は到底信用できない。被告人の自白の内容を概観してみると、この時期は、まだ、E1殺害報酬について、保険金が下りるまでの間は手形を振り出すということが自白されておらず〔この点が自白されるのは、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)においてである。〕、右二通の調書〔八月八日付警察官調書(<書証番号略>)及び八月九日付検察官調書(<書証番号略>)〕は、被告人の記憶違いとして説明できるものではなく、被告人の自白が、真摯な反省とか悔悟に基づくものではないことを示している。

八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)及び八月二八日付警察官調書(<書証番号略>)中で供述されている支払期日が七月八日の三〇〇万円と二〇〇万円の手形はHA82787ないしHA82790の手形のうちの二通であり、それがAに振り出されていることは、証拠上これを認めることができる〔約束手形帳控(<押収番号略>)〕。しかしながら、右約束手形帳控には①ないし④の消去痕があり、右二通の手形を含むHA82787ないしHA82790の手形(額面合計一〇〇〇万円)は、一連のものとして振り出されているものと認められるのみならず、右約束手形帳控の振出日欄の記載あるいは消去痕から、振り出された日が四月二八日ころと考えられる。したがって、Bと会った時期(証拠上、五月下旬か六月初めと思われる。)の点から考えても、右二通合計五〇〇万円の手形をBらと会った翌日ころ振り出したという八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)は信用できない。また八月二八日付警察官調書(<書証番号略>)では、Bらと会った日が訂正されているものの、右手形がBに殺害報酬を要求されたことによって振り出されたという前提のもとに、Bと会った日を約束手形帳控の振出日の記載(<押収番号略>のHA82790)に無理に合わせた供述の変更と考えられ、かえって不自然さを増している。

前述(第二部の第二の六の2の(四))のとおり、B証言(一二回公判)は、この用件のためにわざわざ上京したとまで言い、被告人の自白調書もBと会って、Bのために手形を振り出すことを了承した旨供述しているのに、B(一二回公判)、A(一七回公判等)証言によっても、この東名飯店での話の後にBに渡されることを意識して振り出された手形を証拠上認定できず、このこと自体奇妙であろう。前述のとおり(第二部の第二の六の2の(四))、A、B証言が信用できないのと同様、自白も信用できないと言わざるを得ない。

確かに、五月下旬から六月初旬にかけて、被告人が、東名飯店でAからBを紹介されたことは証拠上明らかである。被告人の公判供述によっても、Aは、被告人らと別のテーブルにいたBを紹介したというのである(五〇回公判)。何らかの理由があって、Aが被告人にBを紹介したのであろうが、この時期、Aは被告人との結びつきをますます強めており、そのなかで、Aと密接な関係にあるBを、今後よろしくという程度の趣旨で、Aと極めて親しい間柄の人物として紹介したにすぎないのではないかと思われる。

一〇  E1殺害の報酬支払い

1 否認供述の要旨

(一) 八月六日付警察官調書(<書証番号略>)

押収された資料のうち、Aが別件の放火罪により逮捕された後に被告人がAとの現金、手形のやりとりを説明するために作成した一覧表には、八月一三日の現金八〇〇〇万円について、「8/8 長崎手形入金」、と記載している。これを未回収で貸付けのまま返済されていないと質問を受け、そのとおりと話してきたが、刑事の方から単に貸付けかと再確認された。この八〇〇〇万円は、NK石材への約六億円の投資の回収をAに依頼していたところ、AがNK石材から三億円分の手形を振り出させ渡してくれたのでその報酬として八月一三日にくれてやったもので貸借ではない。この八〇〇〇万円をE1の生命保険金から出したのは間違いない。保険金受領の八月二日と接近していたため疑われたので、逮捕の一〇日前の昭和六二年七月一六日に小林弁護士に弁護を依頼した。

(二) 九月一九日付検察官調書(<書証番号略>)(自白後、否認に転じた時の調書)

四月一六日からKW商事が保険金を入手した八月二日まで、A、D、Bから早く保険金が下りないかとか、保険金を取って自分達によこせと言ってきたことはない。そもそも、Aらが保険金のことで被告人に何か言ってきたことはない。また、Aから被告人に、「E1を殺してやったんだ」という意味の話は全然なかった。

(この調書は、八〇〇〇万円の趣旨については供述していない。)

2 自白の経過と要旨

(一) 八月八日付警察官調書(<書証番号略>)

八月二日に保険金が入った。その後八月一一日ころだと思うが、Aが「保険金入っただろう、早く金よこせ。」と言ってきたので、八月一三日に現金で八〇〇〇万円やるから先に渡した約一億円の手形を戻してくれと言って現金八〇〇〇万円をやることにした。

八月一三日に、妻か女子事務員のF24かのどちらかに、保険金が入金されている西武信用金庫東久留米支店に行かせて、現金八〇〇〇万円を会社に持ってこさせ、事務所にあった五〇センチ四方くらいの麻製の布袋に入れ、Aと待ち合わせをしていた東名飯店に持っていって、「これがE1さんを殺した最後の報酬ですから。」と言ってAに渡したが、Aからは別に何も言われなかった。

金の受け渡しを終了後、KO総業のJ2が来て、Aから受け取っていた手形をAに渡し、Aは六〇〇〇万円をJ2に渡していた。被告人はAから手形を受け取って帰った。

Aに約束したわけではないが、AがE1を殺したら一億円くれるかと言ったことに返事をしたことからAがE1を殺してしまい、その結果、Aに言われるままにE1殺しの報酬として保険金の一部である八〇〇〇万円をやった。

(二) 八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)

六月に入ってから、Aは被告人に対し、「いずれ保険金が出るんだから、その前に俺に手形をよこしておけ。」と言い、報酬の先付けとして手形を切れと要求していた。被告人としては、七月初めころ以後に振り出した手形については、報酬の先付金という考えでいた。それで、七月二一日ころ、被告人が手形の決済その他で金がないということをAに話したところ、Aから、自分のところに金があるから来い、額面三〇〇〇万円の手形を持ってこい、と言われ、指示どおり、二四〇〇万円の手形一枚、四〇〇万円の手形一枚、二〇〇万円の手形一枚を持って東名飯店に行った。Aに手形三枚を渡し、KO総業のJ2が現金二〇〇〇万円を持ってきて、これをAの手から被告人が受け取った。被告人の感じでは、AがJ2から金を借りて、これをこれまでの貸金の返済ということで、被告人に返してくれたものと思ったが、後で分かったが、実際はAが被告人から持っていった手形をJ2で割って被告人によこしただけのことであり、結局被告人がKO総業から二〇〇〇万円を借りたことになっていた。この時の三〇〇〇万円の手形をはじめ、後にAに渡し、八月一三日に八〇〇〇万円の現金を渡してKO総業から回収した一五枚の手形は、全てE1殺害報酬の先付けという考えで渡していたものである。

七月末ころ、Aから「保険まだ下りないのか。」と電話があり、「そんなに急いで請求したら災害死亡がつかなくなり二億しか下りないんです。」と言った。Aは「保険が下りたら八〇〇〇万よこせ。二億しか下りないならそれでいいから。」と言っていた。八月二日に保険金が下りたので、Aに電話で「今まで行っている手形全部持ってきてくれ。一三日に清算するから。」と言った。保険金が四億円下りたことは内緒にして、E1殺害の報酬として八〇〇〇万円だけ渡してやろうと考えた。

(三) 八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)

八月二日にE1の生命保険金が入金になり、二、三日過ぎてAから会社に電話があり、保険金を要求された。被告人が「まだです。そんなに急いで請求したら災害死亡がつかなくなり、二億円しか下りなくなりますよ。」等と嘘を言った。Aは、「保険が下りたら、俺に八〇〇〇万よこせ。二億しか下りないなら、俺はそれでいいから。」と言った。被告人としては、六月から七月にかけ、Aに対して保険金が下りるまでの先付けという意味で一五枚の手形で一億〇七〇〇万円の金が行っていたし、それに単なる貸付けという名目で更に一億円ほどの現金や手形が行っていたから、この合計二億円なにがしかの金でE1殺しの報酬は十分相殺できるわけで、それだけでも一億円のおつりがくるくらいであると考えていた。しかも、これらの手形や現金が間違いなく回収できるという保証もなかったから、できれば、Aが持っていっている現金や手形のうち一億円分を報酬として相殺してくれた方がよかったが、結局はそんな都合のよいことにはならず、保険金の中から更に八〇〇〇万円を報酬として出さなければならなくなった。

六月ころ被告人がAに渡していた四〇〇万円の手形が支払期日の八月五日に交換で回ってきて口座から引き落され、八月八日の五〇〇万円の手形も回ってくる状態であった。これを知って、Aが被告人から受け取った手形を自分で始末せずに全部回してよこす気かと思い、そんなことをされたら会社がパンクすると思ったから、八月八日午後三時すぎころSOに電話を入れ、Aに「保険金二億円下りたから、一三日に八〇〇〇万円持っていくから、手形を回さないで全部持ってきてくれ。」と頼んだ。一三日と指定したのは、Aに七月二一日に東名飯店で渡した合計三〇〇〇万円の三枚の手形の決済日が八月一三日だったから、殺しの報酬の先付けとして渡していたこの手形を全部回収したいと思ったから。Aは「分かった。八〇〇〇万円は全部現金だぞ。」と言った。Aは、手形を回収しておくと言い、落ち合い場所を東名飯店に決めた。

八月一一日に八〇〇〇万円の自己宛小切手を作成してF24に西武信用金庫東久留米支店に行かせたが、現金がないということで八月一三日に用意するということになり、一三日朝一〇時ころF24が現金を受け取ってきた。これを土産物を入れる薄茶色の麻製の手提袋に入れ、Aから交換させられていたアウディに乗って一人で出かけた。昼ころ東名飯店に着き、一〇分程でAが誰か分からない若い者にベンツを運転させて来た。

Aは、「今、手形を持ってくるから。」と話していたが、一〇分程してJ2が来た。J2が鞄の中からと思うが、何枚かの手形を出し、Aの前に置いた。Aには現金八〇〇〇万円入りの手提袋をそのまま渡した。あまり目立たないようにテーブルを楯にして渡したが、Aはテーブルの下で中身を確認したうえ、一〇〇〇万円の束二個を取り出し、残りの六〇〇〇万円の入った袋を袋ごとJ2に渡した。被告人もAから手形を受け取り、この時持っていったAに渡した手形の一覧表と突き合わせて調べ、回収した手形のところに×をつけたが、結局回収できたのは合計一億〇七〇〇万円の一五枚の手形だけなので、Aに、「手形はこれだけですか。」と不満の態度を示したところ、Aは「手形は一億あるんだ。八〇〇〇万円では多いくらいだべ。」と言った。これ以上言えなかったのはE1殺しを依頼した弱みがあり、Aを怒らせたら大変だという思いがあったから。一時間くらいで帰った。

(四) 九月二日付警察官調書(<書証番号略>)

Aから最初に殺害報酬の要求があったのは七月二〇日ころと思う。前の取調べにおいて、この日にちは、被告人がすでに四億円の保険金を手にした後の八月四、五日ころで、Aから電話があった時が最初の時のように話しているが、これは二度目の時であり、その前の七月二〇日ころにも電話で言ってきていたと記憶している。それは、被告人が先日警察に提出した現金や手形をAに渡した状況を記載した一覧表にもあるように、Aに渡った手形等の実態から判断しても、だいたいの日にちが分かる。七月二〇日ころの電話で、Aは「保険まだ下りないのか。」と聞いてきたが、被告人は保険金請求手続を終えていたことは話さず、「まだです。」と答えた。Aは、「それなら、先付けで手形を切ってくれ。」と言った。Aが、保険金が下りたら一億円の報酬をもらえるのだから、その分を先に手形でよこしておけと言っていたが、これまでと同様に、この要求を断ることもできず、報酬の先付けという形で手形を切ってやった。先に提出した一覧表にあるとおり、七月二一日に渡している額面二四〇〇万円、四〇〇万円、二〇〇万円の手形が報酬の先付けの意味で渡した手形の最初である。この手形は、翌日、F21かF37のどちらかにKW商事において渡している。その後、七月二三日に二〇〇〇万円の手形一枚、二四日に手形五枚(合計三七〇〇万円)を渡し、殺しの報酬の先付けとして合計八七〇〇万円の手形を渡している。

その後、生命保険金が入金された八月二日から二、三日過ぎたころ、Aから再度保険金が下りたのかという電話がかかってきた。この時の状況は前に話したとおりで、被告人が「そんなに急いで請求すれば災害がつかなくなり、二億円しか保険が下りない。」と言うと、Aが「二億円でもいいから早く請求しろ。保険が二億しか下りないなら殺しの報酬は八〇〇〇万円でいい。」と言って、報酬が八〇〇〇万円になった。すでに、Aはこの時点で何億という現金や手形を被告人から持っていき、割り引いて使ったりしていたので、本来ならこの八〇〇〇万円も出す必要はない金であった。

結局、六月六日に渡していた四〇〇万円の手形と七月九日に渡していた五〇〇万円の手形が八月五日、八月八日と交換に回って被告人が決済することになり、このままでは会社が倒産すると考え、八月八日時点でAに保険金が下りて八〇〇〇万円払うから、先付け等で持っていった手形を返してくれるように伝え、八月一三日に東名飯店で一億〇七〇〇万円の手形を戻してもらっているのは前に話したとおりである。

八〇〇〇万円の報酬を払うと電話をした八月八日の夕方、Aから連絡を受け、午後八時ころ、京王プラザホテルでNK石材のF18らと会った。F18、F19、F4、F28、YA石材の社長らとAを間に入れて翌日午前三時ころまで話し、この時点で被告人からNK石材に流れていた六億四二五〇万円の返済を三億円とする話になり、一〇月から毎月三〇〇〇万円の手形を決済し、最終分は六〇〇〇万円として、合計三億円の手形を受け取った。しかし、この手形についても支払期日にF5から、銀行から戻してくれ、そうでなければ今後返済できない等と言われ、依頼返却の措置をとり、結局一銭にもならなかった。初めから、AとNK石材が組んでやったことと思っている。

(五) 九月三日付警察官調書(<書証番号略>)

八月一三日の東名飯店での件で思い出したことがある。Aへの手形の一覧表にあるように、八月一三日にAに、二〇〇〇万円一通(HA86997)、一〇〇〇万円二通(HA86998、HA86999)の手形を渡している。これまでなぜこの時八〇〇〇万円の件と同じ日にこのような手形をAに渡す必要があったのかいろいろ考えたが、どうしても思い出せないでいた。それが昨日になりやっと思い出した。

この手形三通を新たにAに渡したのは、Aに渡っていた三井銀行ひばりケ丘支店の口座から決済される手形五枚〔六月二五日振出の五〇〇万円(AD01452)、七月二三日振出の二〇〇〇万円(AD01455)、七月二四日振出の一二〇〇万円(AD01461)、一〇〇〇万円(AD01457)、一〇〇〇万円(AD01459)〕の総額五七〇〇万円分を回収するためであった。同支店の当座預金口座に金がなく、本来手形など振り出すことはできない状態だったが、Aから「貸せ。」とか、「報酬の先付け」等と言われて手形の要求があった時に、たまたま会社に青梅信用金庫東久留米支店の手形用紙がなかったので、三井銀行の用紙を使って手形を切っていた。この手形をAらに渡す時、被告人は、「今、三井銀行使っていないからこの手形は銀行に回さないでほしい。」と言っており、Aも「使わない。預かるだけだ。」等と言って持っていったものである。

このうちの支払期日の最も早いのが八月一五日にくる(七月二四日に渡した三枚の手形)ので、八月八日ころ八〇〇〇万円の報酬のことでAに電話した際、三井の手形を持ってくるよう話をしたところ、Aは「もう入れてある。」と、手形を割って使っているように言った。これを回収するために新たに四〇〇〇万円の手形を切ってくれ、四〇〇〇万円の決済は自分でする、とAが言うので、八月一三日に持っていった。この新たに切った合計四〇〇〇万円の手形は、Aが自分で決済すると言っていたが、結果的に期日に交換に回ってきてKW商事で決済しているので、八月一三日には、Aに、報酬の八〇〇〇万円のほかに、四〇〇〇万円の手形も取られていることになる。したがって、この手形の四〇〇〇万円も、E1殺しの報酬としてAに渡したようなものである。

(六) 九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)

七月一四日ころ、保険金を請求した。七月二〇日ころ、Aから「保険金はまだ下りないのか。」と電話があった。請求手続をしていることを隠して「まだです。」と答えた。八月二日に保険金が西武信用金庫に振り込まれ、八月四日か五日ころAから電話があり、「保険金まだ下りないのか。」と聞かれたが、保険金が入金されたことを言わなかった。なぜ言わなかったかというと、それまでにAの求めに応じて、E1を殺してもらった報酬の一部として、何回かに分けて合計二〇〇〇万円か三〇〇〇万円位の金を渡していたし、KW商事の資金繰りを考えるとできるだけ遅らせたかった。そこで「急いで請求したら災害死亡がつかなくなって二億円しか下りない。」と嘘を言うと、Aは「二億円でいいから早く下ろしてしまえ。二億しか下りないなら俺の方は八〇〇〇万円でいいからよこせ。」と言った。被告人は、これに対しはっきり返事しなかった。しかし八月八日ころまでに支払期日のくるAに貸した手形をAが落せず被告人で決済せざるを得なくなり、決済した。それで、これではかなわないと思った。当時Aに、合計約一億円を越える約数十通の手形を貸してやっており、八月八日以降に支払期日のくるものが十数枚あった。これらの手形は、本来の約束からするとAの方で決済して落すべきであるが、その約束が守られない様子になってきた。そこで八月八日午後三時過ぎにAに電話し、「保険金は二億円下りた。八〇〇〇万円持っていくのでこれまでに貸した手形を持ってきてくれ。」と言った。Aは「分かった。手形を回収する。しかし全部回収するのに八〇〇〇万円では足らないんで、新しく四〇〇〇万円分の手形を切ってくれ。それは俺が決済するから。」と言ってきた。そこで「それじゃ八〇〇〇万円と四〇〇〇万円分の手形を持っていくのでこれで清算して終わりにしてもらうから。」とAに言った。要するに、Aの方に渡すE1殺しの報酬は八〇〇〇万円を現金で渡すことによってそれが最終の残金の支払いということになり、それで終わりにしようということでお互いに納得し合った。その際被告人からAに、支払場所が三井銀行ひばりケ丘支店となっている手形(KW商事振出)は必ず回収するよう伝えた。三井銀行の口座には金を入れておらず落せないので、強く頼んだ。

八月八日は、Aが被告人に京王プラザホテルに来るように言ったのでそこへ行った日でもある。六月ころ、被告人がAにNK石材への投資が大赤字になってしまっているので、何とかしてくれないかと頼んでいた。するとAがNK石材の件で話をつけるから来いと言うので被告人が八月八日に京王プラザホテルへ行くことになった。京王プラザホテルでF18(NK石材社長)、F19、F4、Aと会い、話し合いの結果、三億円返してもらうことになった。

八月一三日に東名飯店へアウディで行き、Aと会った。被告人は現金八〇〇〇万円と手形四〇〇〇万円分を麻製薄茶色手提げ袋に入れて持参した。現金は一三日午前中に妻かF24が西武信用金庫から受領してきた。Aは袋の中から現金二〇〇〇万円を受け取り、残りをJ2に渡し、J2がAに手形を十数枚渡し、被告人がAからその手形を受け取った。Aから回収できた手形は、一五枚で額面合計約一億円ちょっとだった。被告人はAに「これだけですか。」と不満を言ったがどうにもならなかった。

3 供述の変遷

AからE1殺害の報酬請求があった時期について、八月八日付警察官調書(<書証番号略>)では、八月一一日ころ、八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)では七月末ころ、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)では八月四、五日ころ、九月二日付警察官調書(<書証番号略>)及び九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)では七月二〇日ころと言う。

被告人が、E1の死亡後に、Aに渡していた手形のうち、殺害報酬としての先付けの性質をもつ手形がいつからの分であるかという点については、八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)では、七月初めころ以後に振り出した分、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)では、六月から七月にかけて振り出した一五枚の手形で合計一億〇七〇〇万円、九月二日付警察官調書(<書証番号略>)では、七月二一日に渡した額面二四〇〇万円、四〇〇万円、二〇〇万円の手形からの分で八七〇〇万円の手形、と供述を変遷させていた。しかし、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)においては、三月二五、六日ころ、被告人、A、Dの間でE1殺害の合意が成立した際、保険金が下りるまでは、被告人がAに手形を振り出し、Aがそれを割引に出して使用し、Aの責任で決済するという合意も成立したとされているが、供述を変更した理由については、何の説明もなされていない。そして、この調書の中で、八月上旬までに、Aの求めに応じてE1殺害の報酬の一部として、何回かに分けて合計二〇〇〇万円から三〇〇〇万円位の金を渡していたし、被告人が、Aに対して、額面合計約一億円を越える数十通の手形を貸してやっており、八月八日以降に支払期日のくるものが十数枚あったと供述している。

以上のとおり、八月八日までに、AにE1殺害の報酬の一部が支払われていたのかどうか、支払われていたのは現金か手形か、どの程度支払われていたのか等、殺害報酬についても、自白にかなりの変遷があるが、変遷の理由は説明がなされていない。特に、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)において、保険金が下りるまでは被告人がAに手形を貸し、Aの責任で決済するという重要な供述の変更がなされたのに、変更の理由については、説明がない。このような合理的理由のない供述の動揺、変遷は、不自然であり、信用性を減殺させるものである。

4 客観的事実とのくい違い

(一) 七月二一日に被告人がAに渡した手形三通(額面合計三〇〇〇万円)

七月二一日に被告人がAに渡した手形三通(額面合計三〇〇〇万円)について、八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)は、被告人としては、AがJ2から金を借りて、それまでの被告人に対する債務の返済をしてくれたものと思っていたところ、後で分かったが、実際はAが被告人から持っていった手形をJ2で割ってよこしただけで、結局被告人がKO総業から二〇〇〇万円借りたことになっていた、被告人としては、この手形は殺害報酬の先付けという考えで渡していたと言い、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)及び九月二日付警察官調書(<書証番号略>)では、この時の手形は殺害報酬の先付けとして渡したものと言い、更にこの九月二日付警察官調書(<書証番号略>)では、この三通の手形は、七月二〇日ころにAからE1の生命保険金が下りたのか電話があり、下りてないと答えると先付けで手形を切ってくれるように言われ、殺害報酬の先付けとして、翌日KW商事において、F21かF37に渡したとまで言うのである。

しかし、被告人が八月までにAに渡していた手形の中には、被告人が資金繰りのためAに割引を依頼したものが含まれていたことは明らかであり、この七月二一日にAに渡した手形のうち、少なくとも額面二四〇〇万円の手形もそのような手形であった。この手形三通〔額面二四〇〇万円一通、額面四〇〇万円一通、額面二〇〇万円一通(HA86571ないしHA86573。<押収番号略>)〕をAに渡した客観的な状況はJ2証言(二二回公判)、被告人の公判供述(五〇回、五一回公判)、<押収番号略>等のメモ〔このメモによると、七月二一日にAに手形三通が渡され、Aから現金二〇〇〇万円を受け取った(右側の欄の「7/21現金2000万」の記載)ことが分かる。〕から考えて、七月二一日東名飯店において、被告人がAにこの手形三通を渡し、AがこれをJ2に渡し、AがJ2から金員を受け取って、被告人に二〇〇〇万円を渡したというものである。実態は、被告人がAに割引の仲介を依頼して二〇〇〇万円を借りたものである〔但し、Aから被告人に渡された二〇〇〇万円が、右三通の手形全部の割引金とみてよいかどうかは疑問があり、額面二四〇〇万円の手形のみの割引金だったのではないかと思われることは、前述(第二部の第二の六の3の(六)の(2)の②)のとおりである。〕。したがって、これをE1殺害の報酬の先付けと理解することは到底できず、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)及び九月二日付警察官調書(<書証番号略>)は客観的事実とくい違っており信用できない。しかも、右供述調書を見ると、取調べの日を重ねるにしたがって、客観的事実とのくい違いが大きくなっており、九月二日付警察官調書(<書証番号略>)においては、その供述内容から考えて、とても被告人が反省悔悟の念から供述したものとは思えない。殺人罪による起訴後の昭和六二年九月二日の時点においても、被告人の虚偽供述をする状況が続いていたことは、自白調書全体の信用性を評価するうえで軽視できない。

(二) 殺害報酬の先付けとして渡したというその他の手形

八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)及び八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)は、八月一三日にAに八〇〇〇万円を渡して回収した手形一五通(右(一)で検討した三通の手形を含む。)は全てE1殺害報酬の先付けとして渡したといい、九月二日付警察官調書(<書証番号略>)は、七月二一日に渡した手形三通(額面合計三〇〇〇万円)のほか、同月二三日に渡した額面二〇〇〇万円の手形、同月二四日に渡した手形五通(額面合計三七〇〇万円)〔但し、<押収番号略>のメモ、被告人作成の一覧表(<書証番号略>)によると、七月二四日に振り出したのは、額面一二〇〇万円(AD01461)、同一〇〇〇万円二通(AD01457、同01459。)の合計三二〇〇万円とされている。<押収番号略>によれば、七月二四日に振り出された形跡が窺えるのは、AD01457(額面一〇〇〇万円。振出日欄に鉛筆書きで「昭和61年7月24日」の記載がある。)、AD01458(額面二〇〇〇万円。振出日欄の記載はない。)、AD01459(額面一〇〇〇万円。振出日欄に鉛筆書きで「昭和61年7月24日」の記載がある。)、AD01460(額面一〇〇〇万円。振出日欄に鉛筆書きで同様の記載がある。)、AD01461(額面一二〇〇万円。振出日欄にボールペン書きで同様の記載がある。)の五通(額面合計六二〇〇万円)である(右の各額面は裏から透かしてみると判読できる。)。〕が殺害報酬の先付けという。

ところで、当時Aが、神奈川県海老名市の土地に関して、被告人に投資を勧誘し、被告人がこれに投資していたことは間違いない〔A証言(六六回公判等)、被告人の公判供述(五一回、六五回公判等)〕。<押収番号略>のメモによれば、八月一三日にAから回収した手形一五通(被告人がNK石材に振り出していた手形を除く。)のうち、七通の手形について、内訳欄に「海老名土地代金として」、「海老名及び富岡支払」という記載があり、これらは被告人がAの関与していた海老名の土地に関する被告人の投資と理解できる(但し、手形をAに貸すにすぎないのか、決済まで被告人の負担で行うのか必ずしも明確ではない。)ので、少なくともこれらについては、殺害報酬の先付けとして手形が振り出されたものとは考えがたい〔但し、<押収番号略>のメモによると、そのうち四通の手形{支払期日八月三〇日の額面三〇〇万円、二〇〇万円、一〇〇万円(二通)の四通の手形(HA86989ないし同86992)}については、被告人が記載した右「海老名及び富岡支払」の上に、更にAがボールペンで「北海道土地」と記載しているが、Aの記載した意味は判然としない。〕。また、右七通の手形の中には、九月二日付警察官調書(<書証番号略>)のいう七月二三日に渡した額面二〇〇〇万円の手形(AD01455。<押収番号略>。)、同月二四日に渡したという手形のうちの一通(額面一二〇〇万円。AD01461。<押収番号略>。)も含まれている。したがって、この点についても右三通の警察官調書は客観的事実と異なっており、信用性がない。

(三) 被告人が手形を回収した動機

八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)は、被告人が六月ころAに渡していた四〇〇万円の手形が支払期日である八月五日に交換に回ってきてKW商事の口座から引き落され、同月八日が支払期日の五〇〇万円の手形も回ってくる状態であり、Aが被告人から受け取っていた手形を自分で始末せずに、全部回してよこす気かと思い、そんなことをされたら会社がパンクする、殺しの報酬の先付けとして渡していた手形を全部回収したいと思って手形を回収することにした、といい、九月二日付警察官調書(<書証番号略>)は、六月六日にAに渡した四〇〇万円の手形と七月九日に渡していた五〇〇万円の手形が、八月五日、八日と交換に回って被告人が決済することになり、このままでは会社が倒産すると考えて手形を回収することにした、といい、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)は、八月八日ころまでに支払期日のくるAに貸した手形をAが落せず、被告人が決済せざるを得なくなって決済したが、当時Aに合計一億円を越える数十通の手形を貸しており、八月八日以降に支払期日のくるものが十数通あった、これらの手形は約束からするとAの方で決済すべきであるが、その約束が守られない様子になってきたので、回収することにした、という。

しかし、まず八月五日満期の額面四〇〇万円の手形を被告人が決済したという点であるが、この手形(HA82796。<押収番号略>)については、八月四日に決済資金の一部として三〇〇万円がAから被告人名義で青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に振込送金されているので〔捜査報告書(<書証番号略>)、<押収番号略>(右手形についての内訳欄の記載)、<押収番号略>(同)、<押収番号略>。〕、額面四〇〇万円のうち三〇〇万円についてはAの負担で決済されたことが明らかである。したがって、右自白調書は、四〇〇万円全額を被告人の負担で決済したことになっている点で客観的事実とくい違っている。また、<押収番号略>のメモによれば、八月上旬の時点で、被告人からAに渡されていた手形のうち「海老名保証金として」、「海老名土地代金として」、「海老名土地支払のため」、「海老名及び富岡支払」と記載された手形が一〇通(額面合計五四五〇万円)あり、これらは、被告人がAに投資したものである。但し、投資の意味が手形を貸すにすぎず、あくまでAの負担によって決済すべきものであった可能性もある。しかし、そのほかの手形の中でも、八月一三日が支払期日である額面二四〇〇万円の手形(HA86571。前述のとおり、<押収番号略>は、HA86572となっているが、HA86571の誤記である。)及び八月一五日が支払期日である額面一〇〇〇万円の手形(AD01457)については、被告人がAに割引依頼をして割引金を取得しているので、被告人の負担で決済すべきものであるから、この点については自白調書は客観的事実とくい違っている。したがって、右三通の自白調書は、手形回収の動機についても、八月八日以降に支払期日がくる手形すべてをAが決済すべきものという前提をとっている点についても、客観的事実と異なる部分を含んでおり、正確性にかなり問題がある。

(四) 八月八日、被告人とAが京王プラザホテルで会うことになった経緯

この点については、前述(第二部の第二の六の3の(四)の(2))のとおりであり、自白調書は同月八日の午後三時ころSOにいるAに電話をかけたというが、当時Aは長崎にいたのであり、長崎にいたAから、今からNK石材関係者を連れて東京に戻るから京王プラザホテルに来てほしいという電話がかかってきたものと認められる。右自白調書は、客観的事実とくい違っており、この点でも信用できない。

(五) 八月一三日に被告人が回収を考えていた手形の範囲

自白調書によれば、被告人がAに対して、「今まで行っている手形全部持ってきてくれ。」と言った〔八月一七日付警察官調書(<書証番号略>)〕、「一三日に八〇〇〇万円持っていくから手形を回さないで全部持ってきてくれ。」と頼んだ〔八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)〕と供述しているし、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)も八月八日の被告人とAの電話でのやりとりは、それまで被告人がAに渡している手形全部を回収する意向であったように理解できる。

しかしながら、前述のとおり(第二部の第六の3の(四)の(4))、被告人の公判供述(五〇回、五一回公判等)や<押収番号略>のメモによると、八月一一日に被告人が<押収番号略>のメモに×やを記入する時点においては、被告人がより多くの手形の回収を希望したであろうが、Aに渡していた手形の中で、被告人が回収するということで納得していたのは、支払期日が八月三〇日までの手形及び三井銀行関係の手形番号がADのもの〔以上、NK石材以外の関係の手形が一二通(額面合計九三五〇万円)、NK石材関係が七通(額面合計一六〇〇万円)〕である。したがって、これらの手形を回収するということで被告人が納得しており、被告人がより多くの手形回収を希望していたため、実際には、八月一三日にAが九月五日が支払期日の手形三通も回収してきたものと思われる。

右三通の自白調書のうち、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)及び九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)は、八月一三日の手形回収の時点まで手形全部の回収を被告人が考えていたようになっている点で、信用性がない。そもそも、右調書には、被告人が全部の手形の回収を考えていたのであれば、なぜ全部の回収ができなかったのかについて、合理的な説明がなされていない。また手形全部の回収を被告人が考えていたのであれば、現実にはその考え通りにならなかったのであるから、それに対する被告人の対応が供述されてしかるべきであるが、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)中には、「結局回収できたのは一億〇七〇〇万円の一五枚の手形だけなので、Aにこれだけかと不満の態度を示したところ、手形は一億円分あるから八〇〇〇万円では多いくらいだと言われ、本件のこともありあきらめた。」旨の供述が認められるにすぎない。

なお、八月一三日に回収した手形の通数及び金額であるが、同日Aから回収した手形は、前述(第二部の第二の六の3の(四)の(1))のとおり、NK石材関係を除くと一五通(額面合計一億〇三五〇万円)である。この点につき、自白調書の中には、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)、九月二日付警察官調書(<書証番号略>)のように、一五通(額面合計一億〇七〇〇万円)というものがあるが、額面合計額は間違いである(取調官が、支払期日に決済されている八月一二日満期の三五〇万円の手形の額面を計算に入れたのではないかとも思われる。)。

(六) 八月一三日、被告人がAに対して、新たに合計四〇〇〇万円分の手形を振り出したこと

この点について自白調書は、Aに渡していた手形のうち三井銀行ひばりヶ丘支店の口座から決済されることになる手形(額面合計五七〇〇万円)を回収するためであり、Aは新たに振り出す四〇〇〇万円分の手形について自分で決済すると言っていたが、支払期日に交換に回ってきたので被告人が決済したから、この四〇〇〇万円分の手形も殺害の報酬としてAに渡したようなものであるという〔九月三日付警察官調書(<書証番号略>)〕。しかし、被告人が、八月一三日にAに対して、新たに合計四〇〇〇万円の手形を振り出した理由が、少なくとも三〇〇〇万円分の手形については、Aが個人的に手形をジャンプすると言うので、Aに貸したものであり、四〇〇〇万円のうち三〇〇〇万円については、支払期日である一〇月三〇日にAがKW商事へ送金しているので、Aの負担で決済されたことは前述(第二部の第二の六の3の(四)の(6))のとおりであり、この点の自白も客観的事実とくい違っており、信用できない。

更に、右自白調書は、Aに対して、三井銀行ひばりヶ丘支店の口座から決済されることになる手形(額面合計五七〇〇万円)を振り出した理由につき、Aから「貸せ。」とか「報酬の先付け」等と言われて手形を要求された時に、青梅信用金庫東久留米支店の手形用紙がなかったので三井銀行の手形用紙を使って手形を振り出したという。しかし、<押収番号略>のメモによれば、三井銀行の手形用紙を使ってAに振り出した手形五通(額面合計五七〇〇万円)のうち、七月二三日振出、支払期日九月三〇日の額面二〇〇〇万円の手形(AD01455)及び七月二四日振出、支払期日八月一五日の額面一二〇〇万円の手形(AD01461)は、「海老名土地代金として」と記載されているから、被告人がAの関与していた海老名の土地に関して投資したものと認められる(更に、右のAD01455の手形については、<押収番号略>には「利益金先渡し、保証として」と、<押収番号略>の二枚目には「KW現金を使う」とも記載されている。)。また、<押収番号略>のメモには、七月二四日振出、支払期日八月一五日の額面一〇〇〇万円の手形(AD01457)の内訳欄には、「個人使用する」と、<押収番号略>の二枚目のメモ(被告人がAに渡していたメモに基づき、A側が作成したもの。)の末行の七月二四日振出、支払期日八月一五日の額面一〇〇〇万円の手形(AD01459)の備考欄には「KW現金を使う」とそれぞれ記載されており、振出日の翌日である七月二五日に、KW商事の名義でAの取引銀行である住友銀行築地支店から一〇〇〇万円が青梅信用金庫東久留米支店のKW商事の当座預金口座に振込送金されているので(<押収番号略>の振込金受取書)、AD01457かAD01459のうちのどちらかの手形は、被告人がAに割引依頼をして、Aが割引金を送金したものと認められるから、被告人のために使用された手形であることが明らかである。

右(二)で述べたとおり、<押収番号略>のメモに記載された「海老名土地代金として」の記載は、手形を貸すにすぎず、決済はAの負担で行うのか、手形の決済まで被告人の負担で行うものかどうか必ずしも明確ではないが、いずれにしても、八月一五日満期の一〇〇〇万円の手形一通(AD01457かAD01459のうちのいずれか一通。)は、被告人のために使用されたことが明らかであるから、少なくともこの限度では、右手形の振出原因について述べた右九月三日付警察官調書(<書証番号略>)は客観的事実とくい違っており、信用性がない。

被告人が殺人罪で起訴された後の、昭和六二年九月三日の時点においても、被告人の虚偽供述をする状況が続いていたことは、自白調書全体の信用性を評価するうえで、軽視しがたい事情である。

(七) 八〇〇〇万円が殺害報酬であるという点

八月一三日に被告人が支払った八〇〇〇万円の内訳につき、六〇〇〇万円がNK石材に手形三億円を振り出させたことのAに対する報酬、あとの二〇〇〇万円がAからの借金の返済という被告人の公判供述(五〇回公判等)が必ずしも排斥できないことも前述(第二部の第二の六の3の(六))のとおりである。したがって右八〇〇〇万円がE1殺害の報酬であるという自白には疑問があり、信用性が認めがたい。

5 殺害報酬支払いによる精算の不自然さ

自白調書にいう精算方法には、被告人が実質的にAに持出しになっている金額と相殺すること等が考慮されていないことの不自然さも前述(第二部の第二の六の3の(五)の(2)の③の(a)のとおりである。

また、殺害報酬の支払方法についての最後の自白調書〔九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)〕のような合意内容であれば、当然Aに渡されていた手形全部が回収の対象にならないと不合理である。しかるに、殺害報酬とされる八〇〇〇万円が支払われたのに、全部の手形が回収されたわけではなく、そのことについて合理的な説明もないのは精算方法として極めて不自然であろう。

この点につき、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)は、八月二日にE1の生命保険金が入金になり、二、三日過ぎてから、Aから電話で保険金を要求された際のこととして、「被告人は、六月から七月にかけ、Aに対し、保険が下りるまでの先付けという意味で一五枚の手形で一億〇七〇〇万円の手形が行っていたし、それに単なる貸付けという各目で更に一億円程の現金や手形が行っていましたから、この合計二億なにがしかの金でE1殺しの報酬は十分精算できるわけで、それでもおつりがくるくらいであると考えました。しかも、これらの手形や現金が間違いなく回収できるという保証もありませんでしたから、できれば、Aが持っている現金や手形のうち一億円分を報酬として相殺してくれた方がよかったわけですが、結局はそんな都合のよいことにはならず、保険金の中から更に八〇〇〇万円を報酬として出さなければならなくなったわけです。」という趣旨のことを述べ、その理由として、Aに渡していた手形のうち八月五日と八日が支払期日の手形が交換に回ってきて、それ以外の手形も交換に回ってくれば、会社がパンクすると考えたことをあげている。

しかし、その時点でAに振り出されている手形の中には被告人がAに割引依頼をしたものなどの、当初から被告人の負担で決済することが予定されていたものも含まれているが、それを考慮に入れても、それ以外の手形について、現実にAに対して相殺の申し入れさえした形跡がないのは極めて不自然である。

6 殺害報酬支払いまでのAの要求の不自然さ

自白調書によれば、Aが被告人に殺害報酬の支払いを要求した結果、保険金が二億円しか出ないと嘘をつき、Aも殺害報酬を八〇〇〇万円に減額することで納得したというのである。しかし、八月一三日におけるやりとりの結果、Aにほとんど利益は残らなかった。Aにとって格別得るところがなかったのに、一億円から八〇〇〇万円に減額してまで殺害報酬を要求したというのが不自然であることも前述(第二部の第二の六の3の(五)の(2)の④)のとおりである。

7 信用性の判断

確かに、右八〇〇〇万円の支出について、現金出納帳(<押収番号略>)の八月八日の欄には、この出金自体が記載されておらず、被告人にとって不都合な出来事であるから記載しなかったものとみられかねない。また銀行勘定帳(<押収番号略>)の西武信用金庫関係の八月一一日の欄には「現金引き出(手形相殺)」とのみ記載があるにすぎない。被告人の自白は、保険金が下りるまでにAから催促された状況Aから殺害報酬は八〇〇〇万円に減額していいと言われた経過、八月一三日に殺害報酬を渡すことにした動機、殺害報酬を渡した状況等、具体的であり、Aの供述と一致している部分も多い。また、この時期に手形の回収をAに依頼し、Aがこれに容易に応じた点にも、経済活動の一環というにしては不自然さが残ることは否めない。しかし、以上述べたとおり、殺害報酬の支払いについても、自白調書には客観的な事実と異なる点や不自然・不合理な点が多いのでいくつもの疑問が残り、八月一三日にE1殺害の報酬として八〇〇〇万円を支払い、これで精算したという自白調書には信用性が乏しいと言わざるを得ない。

一一  その他の自白調書の問題点

1 八月一二付警察官調書(<書証番号略>)

この調書は、一枚目の裏に「昨日弁護士さんとも面会しており、私自身の心の整理はついていますので、聞かれることについては、本当のことを話します。」という記載があるが、被告人はこの調書のとられた前日には弁護人と面会しておらず、面会したのは前前日の八月一〇日であることが明らかである〔捜査報告書(<書証番号略>)〕。このような供述調書が作成されたことは、当時被告人が取調官に対して迎合的姿勢を示していたことを窺わせるものであろう。同様の問題は、前述(七の2の(一))した四月一一日の三〇〇万円の送金の際に、Aらが北海道にいることを被告人が認識していたかどうかの点で、八月一八日付警察官調書(<書証番号略>)にもみられるところである。

2 八月二四日付警察官調書(<書証番号略>)及び九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)

この二通の自白調書によると、七月末、F5から、NK石材の経営が軌道に乗ってきて、UN産業という会社が石を買い取り運送計画もできている、採石をしている山の一部未買収のところがあるので追加して出資してほしいという話があり、利益が上がると信じ込み、NK石材のF38という従業員が持ってきた有限会社UN産業振出の一〇〇〇万円の約束手形二枚を受け取った代わりにKW商事の手形一七枚(額面合計五九〇〇万円)を渡した、旨被告人が自白したことになっている。右自白調書の末尾には、被告人作成にかかるNK石材関係の手形の一覧表が添付されているが、この一覧表は被告人が決済した手形を記載しているものにすぎない。約束手形帳控によれば、右供述内容に合致するような、七月末に振り出された合計五九〇〇万円の手形は存在せず、かえって、<押収番号略>の約束手形帳控によれば、手形一一通(額面合計二九〇〇万円。HA86977ないし同86987。<押収番号略>。)が七月三〇日にNK石材に振り出されているにすぎない〔<押収番号略>の約束手形帳控によれば、六月一六日に手形三四通(額面合計一億〇二〇〇万円)がNK石材に振り出されている。〕。したがって、手形五九〇〇万円分を七月末に振り出したという点において、右二通の供述調書は客観的事実とくい違っており、信用できない。

取調官は、調書添付の一覧表の内容に気付いて被告人に質問したものと考えられる。しかし、取調官が、調書に添付されている一覧表に依存し、約束手形帳控に逐一あたっていないため、客観的に認められる振出状況に合致しない内容の供述になっている。四月七日に殺害費用として渡したとされる手形のところでもふれたが、本件の捜査においては、このように、取調官が証拠物の原本を精査しないまま、取調べを行い、正確な発問及び供述内容の正確性についての検討が行われていない点が多い。

一二  秘密の暴露の問題

1 検察官及び弁護人の主張

被告人の四月七日における殺害費用受け渡しの状況について、自白調書は、その際に被告人が易で犯行日を占ったという供述を含んでいることは前記のとおりである。

この供述について、検察官は、高島暦によりE1殺害の実行日を占ったことについては、Aがいまだ供述していなかったところであり〔Aが最初に供述したのは、八月三一日付検察官調書(<書証番号略>)である。〕、しかも、右高島暦により占った状況については捜査官が押し付けたり誘導したりして供述させ、あるいは被告人が推測して述べたりできる性質のものではなく、体験した者でなければ語りえないような実感のこもった供述をしているのであって、十分に信用できると主張する。

他方弁護人は、被告人が信心深く、普段から高島暦を用いて占っていたことは、周囲の人間なら誰でも知っていた、また高島暦は、どこでも市販されており、誰でも手に入れることができ、且つ誰でも簡単に使うことができるもので、何ら特別なものではない、H6警部補は、この暦で、被告人が、E1の運勢を占っていたのではないかと想像し、まずこの暦の見方についての質問を被告人に発し、次いで被告人の反応を見ながら次第に自己の想定する筋書に誘導した、被告人は、そのころ、すでに徹底的に迎合的態度になってしまっていたから、H6から示唆されるままに、むしろできるだけ気に入られるように、実際にあった別の日(三月二二日)の状況に置き換えながら、もっともらしい供述に努めた結果、右の自白が形成されたとして、被告人の自白が信用できない旨主張する。

2 自白の経過

(一) 捜査段階におけるAの自白との先後関係

この点についてのAの捜査段階の供述としては、供述証拠として採用されている検察官調書中には供述は認められないが、非供述証拠として採用されている八月三一日付検察官調書(<書証番号略>)で「只今検事さんからその日KW商事で被告人が高島易断の本を見ていなかったかと聞かれましたが、確かにそういうことがありましたので、その時の事をお話しします。」という供述記載と、それに続いてその際の状況を述べた供述記載がある。また、Aの供述調書はすべて弁護人に開示されているけれども、四月七日における占いに関する供述が右検察官調書より前になされているという反証は、格別弁護人からなされていない。したがって、右Aの八月三一日付検察官調書の記載を見る限り、Aは、昭和六二年八月三一日に初めて易で占ったことを供述したものと認められる。もっともAの九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)には、四月一一日に函館から被告人に電話をした際、一一日が運命の日ですから、よろしくお願いしますと被告人が言ったという供述も認められるが、これも右八月三一日付検察官調書より作成日付が一〇日も遅いので、Aが、易で犯行日を占ったという供述を初めてした調書が八月三一日付検察官調書であると認めるには、支障とならない。

(二) 被告人の自白の経過

被告人がこのような供述をした経過について、取調べをしたH6警部補は、公判において、「朝、調べに入ると、被告人が一つ思い出したことがあると言ってきた。Aからいつやったらいいと聞かれ、易を調べ、生年月日を調べて、四月一一日に△がついており悪い記載があった。一日ずれたのでおかしくなったと言っていた。一年前の暦なので、現物を入手してからと思い、調書はすぐには作成しなかった。」と供述し(三五回公判)、またH8警視も、「警察官調書を作成する三、四日前に、被告人が雑談で『E1殺しが一日ずれたために警察に捕まった。日を高島易断で俺が決めたと言った。』とH6警部補から聞いた。重要だから調書を取るように指示した。H6は大分てこずったようだが、被告人は、自分の口から出た事実だからということで調書の作成に応じ、これで俺が一番悪者になった。助からんな、とがっくりしていたと報告を受けている。一、二日後、被告人に会ったら、何も隠していることがなくなってしまった、自分が一番悪くなってしまったと言った。」旨供述している(三三回公判)。

またH6警部補の公判供述(三五回公判)、任意提出書(<書証番号略>)及び領置調書(<書証番号略>)によれば、捜査官が昭和六一年の高島易断の本を入手したのは、前記警察官調書が作成された昭和六二年八月二七日であり、被告人から易で占ったという話を聞いてから、昭和六一年の高島易断の本の収集を図ったものであろうと認められる。確かに弁護人主張のとおり、高島易断の本は市販されており、容易に入手しうるものではあるが、本件で問題となった高島易断の本は、警察官調書及び検察官調書が作成された年である昭和六二年のものではなく、昭和六一年のものであるから、警察官調書及び検察官調書が作成された当時は市販されておらず、捜査官がその内容を容易に知りえたとは考えがたい。

被告人は、右自白調書が作成された経緯について、H6警部補が高島易断の本を持ってきて、易の見方はどうかと聞くので教えた、H6警部補からE1のを見ろと言われた、E1の生年月日は記憶していない、見せられたのは八月二七日付警察官調書(<書証番号略>)に添付されている暦だったという(三一回公判)。

右の被告人の公判供述によると、H6警部補は、警察官調書を作成した当日に、突然被告人に易の本を見せて、警察官調書を録取したことになる。しかしながら、前記のとおりの捜査官が高島易断の暦本を入手した年月日が、警察官調書を作成した当日であることに鑑みると、「H6警部補が高島易断の本を持ってきて、易の見方はどうかと聞いた。」という被告人の供述はいかにも唐突で、信用できない。

3 自白の内容

易でE1の運勢の悪い日を占ったという自白中には、占いの方法等詳細な内容が含まれており、しかもその供述内容は添付の易の本の内容に符合しており、捜査官が誘導して作成できる内容とは認めがたい面がある。

4 約束手形帳控の消去痕との関係

前述のとおり、自白調書の中で四月七日に殺害費用として渡したとされる手形三通(額面合計一〇〇〇万円)の約束手形帳控(HA82773ないし同82775。<押収番号略>。)には、鉛筆書きで一旦「平塚土地」等と記載され、その後消去された跡がある。これは、手形の授受の際、手形の趣旨、振出原因を意味するものとして、手形を振り出したころ記載されたと理解するのが常識的である。したがって、右消去痕自体から考えると、被告人からAに右手形が渡された趣旨は、平塚土地代金あるいはそれを引当とする貸付金と理解される。約束手形帳控に「平塚土地」等と記載されることと殺害費用として手形を渡すことが、観念的には両立する可能性がありうるとしても、被告人の自白調書の内容からは、両立しうるような具体的状況は、全く窺えない。したがって、右手形の授受の際に、被告人がE1殺害の実行日を占うというのは、右消去痕と矛盾すると言わざるを得ない。

5 秘密性、疑似体験供述の問題

(一) 第二回目の証人喚問におけるA証言と被告人の公判供述との関係

Aは、第一回目の証人喚問された際には、四月七日に殺害費用を受け取った時に、被告人が高島暦の本で、被告人、A、D、E1の相性をみた後E1の運勢の一番悪い日を占い、四月一一日が悪い日であるから事件を起こすなら一一日と話した旨の証言をしていた(一七回公判)。

しかし、第二回目の証人喚問の際には、時期は定かでないが、被告人から一八〇〇万円か一八五〇万円をもらった時じゃなかったかと思うが、その際に、被告人が高島暦の本で、被告人、A、D、E1の相性をみた後、E1の運勢の一番悪い日を占い、四月一一日か一二日が悪い日であった旨証言する。(但し、最終的には、検察官調書での供述が正しいという。)(平成三年八月二〇日における六六回公判)。

Aが被告人から一八五〇万円を受け取ったのは、三月二〇日であるが、J1の九月二六日付検察官調書(<書証番号略>)によると、三月二〇日ころ、被告人からE1に融資をしてくれる人が見つかった旨連絡があったというのであるから、そのころまでには被告人がAと会い、E1への偽装貸付を依頼したものと思われる。したがって、そのころ、右六六回公判におけるA証言のような出来事があったとしても不自然ではないように思われる。

また、Aの捜査段階における供述調書をみてみると、四月八日夜、E2、E3について被告人に電話で問い合わせた件、四月一一日朝、被告人への電話の際E1殺害失敗をBから聞いて被告人にも話した件等を供述しており、また、保険金が出るまでは被告人がAに手形を振り出すこともAの方が先に供述している。Aの供述は、捜査段階から、事実を曲げてでも自己に有利に持っていこうという姿勢が顕著であり、そのようなAが、話題にさえしていなかったのはこの高島暦による占いの件である。Aの供述の傾向からみて、Aがこれを四月七日に体験していれば、A自身が占いを信用していなかったとしても、E1の殺害日は、同日殺害費用を受け取る際に一旦は被告人が決めたものである等と自白することによって、Aにとっては、被告人の関与の度合いを一層強め、被告人の刑事責任を重くすることになり、A自身の首謀性ひいては刑事責任を軽減する方向に傾くであろうことが容易に推測できようから、Aも隠す必要はなく、躊躇なく供述すべき内容であろう。四月七日の殺害費用の授受の際、被告人が占いで殺害の実行日を決めたとすれば、かなり特異な出来事であり、Aの記憶にも強い印象として残るであろうから、捜査段階においてAが先に供述しなかったのは、むしろ、そのような事実がなかったからではないかと思われる。この点も、六六回公判におけるA証言を軽視しがたくする事情である。

もちろん、右A証言(六六回公判)は、第一回目の証人喚問(昭和六三年七月から九月)の時から、かなり時間が経過しており、その信用性の評価は慎重でなければならないが、そもそもA証言の中にいかに虚偽の供述が多いかは前述したとおりであって、高島暦による占いの点についても、第一回目の証人喚問の際には、A自身の公判も進行中であって、打算を働かせ記憶に基づかない供述をしていたのが、A自身の判決も言い渡されて確定し、服役中の身となった第二回目の証人喚問の際には、記憶に基づき真実体験した供述が出てきたとも言えなくもない。このことは、後述のように、被告人の自白の中で、高島暦による占いの件を他の問題についての自白内容(特に、客観的事実とくい違う供述、不自然・不合理な供述)と比較すると、高島暦の占いに関する供述が極めて異質な印象を与えることにも関係している。そのことは、被告人の弁解(四九回、五二回等の公判供述)のように、三月二〇日ではなく、同月二二日のE1に一〇〇〇万円を貸し付けたその日のE1方へ行った後に、KW商事で占いの件があったのではないかとも考えられることにつながってくる。したがって、被告人が自白しているような内容の出来事が、四月七日ではなく、三月二〇日、あるいは三月二二日にあったのではないか、それを取調べ当時、迎合的な姿勢になっていた被告人が四月七日の出来事として自白したのではないかという可能性は否定しがたい。

(二) 被告人の日常生活との関係

確かに占いに関する自白内容については、裏付けがなされている。しかし、被告人は、日頃から高島暦を仕事にも使用しているし、日常生活の中でもかなり頻繁に使用していたことが窺われる。防衛的な姿勢を強めている被告人は、公判(七〇回公判)で否定するが、E1の死亡は、被告人にとって四億円もの保険金を入手できるかどうかにかかわるのであるから、E1の行方不明、死体の発見等を通じて、あるいはE1のことが話題になった際等の折に、被告人が事件当時のE1の運勢を占い、日常生活の中でE1の運勢の悪い日を調べて自白調書に記載のあるような知識を取得していた可能性も排除できないと思われる。

(三) まとめ

以上のような点を考えると、占いの件についての自白が秘密の暴露にあたるものとは言いがたい。

6 自白調書の内容との整合性等

八月二九日付検察官調書(<書証番号略>)によれば、四月七日にKW商事において、被告人がE1殺害費用として現金、手形合計一五〇〇万円を渡した際に、Aが被告人に対して「いつやったらいいんだ。」とE1を殺す日についていつにしたらいいか聞いてきたという。しかし、Aは占いなど信用していなかったのであるから、そのようなAが、被告人に殺害の実行日を聞いてきたというのも奇妙な話である。しかも、前述(六の3)のとおり、AがE1を北海道に連れていくという被告人の認識の有無についての自白調書を見ると、かなり動揺しており、最終的には、「F14(A)達が、E1さんを北海道に連れていくという話を私に話していたのかもしれませんが、そこまで私は記憶がないのです。」と供述しており〔八月二〇日付警察官調書(<書証番号略>)〕、しかもAがいつ連れ出すかについてはどの自白調書もふれていない。したがって、いつどこへE1を連れ出し、いつまでE1と行動を共にすることになっているのかさえ分からないのに、E1殺害の実行日を占うというのは不自然である。また、A、Bらが、E1殺害を最初に予定したのが四月一〇日夜であり、実際にE1を海上に誘い出して殺害したのは四月一一日夜から一二日にかけてであるが、このような日程になったのは、Aの個人的な都合にすぎない。

被告人の自白調書中に客観的事実と合わない供述が多いことは、前述したとおりであり、不自然・不合理あるいは曖昧な供述も多く、犯人の反省、悔悟の念に出た自白とは思えない供述が多すぎる。その中で極めて異質な内容になっているのが、高島暦による占いの件である。一方において、客観的事実とくい違う内容の供述を数多くしているばかりか、不自然・不合理な内容、不自然に変遷する内容の供述をし、しかも、それまでの供述経緯、供述内容等から考えて真摯な反省、悔悟の念があったとも言いがたいような供述しかしていなかった者が、他方において、主観的にも自分の刑事責任をかなり重くする方向に働く秘密を語るということは、それ自体不自然さを否めないであろう。高島暦による占いの件は、他の自白内容から受ける印象からは浮き上がった内容になっており、自白全体との関係でみると等質性がない。この点も占いに関する自白の信用性に疑問を差しはさむべき事情である。

また、被告人の自白調書には、取調官の理詰めの追及や誘導的質問の影響を受けた可能性が否定しがたい客観的事実と異なるあるいは不自然・不合理な内容等の供述が存在することは前述のとおりである。被告人の自白調書をみてみると、客観的事実とくい違う内容の供述が、殺人罪による起訴後も自白の最終時点〔九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)〕まで続いている。したがって、占いの件が自白された供述調書の信用性を評価するうえで、殺人罪による起訴(昭和六二年八月一六日)後は、取調時間も短縮されるなど、起訴前と比較すると取調状況が緩やかになっていたことを重視することはできない。高島暦による占いの件も、三月二〇日あるいは二二日の出来事を四月七日の出来事として供述すれば、それにより、極刑さえ予想される自分の刑事責任を軽減できると考えて、被告人が供述した可能性を否定できない。

7 被告人の弁解(公判供述)

被告人は、三月二二日にAと共にE1らの運勢を易で占ったことがあると捜査官に話したところ、その日を四月七日にされ、易で犯行日を占った内容の調書を作成されてしまった旨弁解する(四九回公判)。

被告人は、捜査段階でAらと易で占ったのが三月二二日であるという供述をしておらず、自白調書の任意性について質問を受けた三一回、三二回公判でも、右弁解をしていないが、同公判期日には易で犯行日を占ったという供述調書が作成されている経過について質問されているにすぎず、占いの真相がどのような状況であったのかを質問されたのは、四九回公判になってからであるから、四九回公判になってからの右弁解が格別唐突とも言いがたい。

8 評価

昭和六二年八月八日に被告人が自白を開始した後、本件殺人、詐欺事件に関して作成された自白調書のうち、検察官から証拠請求され取り調べたのは合計四四通にも上る(<書証番号略>の検察官調書一一通及び<書証番号略>の警察官調書三三通。<書証番号略>の九月一二日付警察官調書は除いている。)。しかし、その中で秘密の暴露として検討するに値するものはこの高島暦による占いくらいである。このこと自体も、自白の信用性の乏しさを示唆している。更に、占いについて、三月二〇日あるいは同月二二日の出来事ではないかと考える余地があること、秘密の暴露にあたるとも言いがたいこと、他の問題についての自白内容は不自然・不合理で信用性に乏しいものが多く、占いの件の自白内容が他の問題についての自白内容と調和しないこと、被告人が取調室から取調官の隙を狙って一覧表を房内に持ち出すなどしているので、被告人が真摯な反省、悔悟の状態にあったとも認めがたいし、取調方法自体が被告人から怨み、反感等をかうようなものではなかったかと思われること、また、被告人の迎合的な姿勢も窺えること、捜査段階の供述が、否認、自白、否認と動揺しており、自白の評価については慎重さが要求されること、等から考えると、占いに関する自白の信用性にも疑問が残ると言わざるを得ないものである。

したがって、四月七日、A、Dに殺害費用を渡したという自白は信用性が認めがたく、その前提となる三月二五、六日ころ、被告人、A、Dの間でE1殺害の共謀が成立したという自白についても信用性は認めがたい。

一三  被告人の自白調書における客観的事実とくい違う部分あるいは信用性が乏しい部分についてのまとめ

以上、被告人の自白調書の内容を検討してきたが、まとめると、三月一八日、KW商事において、AがE1殺害を引き受けると言ってきたこと、三月二二日の偽装貸付けが、E1と面識のないAらをE1に引き合わせるための顔合わせであったという自白は、信用性がない。その結果、右顔合わせを前提とする、三月二五、六日ころ、被告人、A、Dの間で、E1殺害の合意が成立したという点にも疑問が残るし、右合意の際、E1殺害後保険金が下りるまでの間、被告人がAに手形を振り出す合意もできたという点についても、八〇〇〇万円の支払いに伴う一連の経過の不自然さからみると、疑問が残る。四月七日に殺害費用を渡したという自白については、四月六日(日曜日)にAからKW商事に殺害費用を請求する旨の電話がかかってきて、翌七日に西武信用金庫東久留米支店からおろした現金五〇〇万円をAに渡したという供述内容が客観的事実とくい違っているし、現金と手形を渡したのは四月五日である可能性が残り、また、四月七日であっても、渡した趣旨は、平塚土地代金あるいはそれを引当とした貸付けであった可能性が残るから、自白の信用性は乏しい。四月一一日の追加送金についても、被告人に殺害費用の追加送金であるという認識があったのかどうか疑問が残り、右送金にDが介在した可能性も否定できないから、この点の自白も信用性に疑問が残る。四月一五、六日ころ、京王プラザホテルにおいて、被告人がAに会っているが、E1の遺体捜索費として額面一五〇万円の手形を二、三通渡したという自白は客観的事実とくい違っており、信用性が乏しい。五月下旬か六月初旬ころ、東名飯店において、被告人がAからBを紹介されたことは間違いないが、その際、BからE1の殺害報酬の支払いを要求されたため手形を振り出したという自白は、客観的事実とくい違っており、信用性がない。八月一三日の殺害報酬とされる八〇〇〇万円の支払いについては、同時に回収された手形のうち、七月二一日にAに渡した合計三〇〇〇万円の手形等がE1殺害報酬の先付けであったという点、殺害報酬支払いのため八月八日に被告人の方からAに電話をかけたという点、八月一三日の時点まで回収を考えていた手形がAに渡していた全部の手形のように供述している点、八月一三日に被告人が合計四〇〇〇万円の手形を新たに振り出した理由及びその前提として供述する右合計四〇〇〇万円の手形を新たに振り出すことによって回収される手形を振り出した理由について供述する点は、客観的事実とくい違っており、殺害報酬とされる八〇〇〇万円については、八月八日にAの尽力で合計三億円の手形をNK石材に振り出させたことに対する報酬等である可能性が否定できず、自白の信用性には疑問が残る。

一四  弁護人との接見状況

被告人の捜査段階における弁護人との接見状況であるが、被告人は、昭和六二年七月二六日に逮捕され、同年八月一六日に殺人罪により起訴され、同年九月二八日に詐欺罪により追起訴された。取調べ済みの自白調書によると、最後の調書は昭和六二年九月一〇日付である〔同日付警察官調書(<書証番号略>)、検察官調書(<書証番号略>)〕。昭和六二年九月一二日に、弁護人からの申立てにより函館中央警察署において、被告人が取調室から持ち出していた一覧表が差し押さえられた。

最後の自白調書が作成された昭和六二年九月一〇日までの弁護人との接見状況をみると、捜査報告書(<書証番号略>)によれば、同年七月二九日、同年八月四日、一〇日、一四日、二七日、二八日、同年九月二日、五日、八日、一〇日にそれぞれ弁護人と接見していることが認められる。そのうち、昭和六二年八月二七日の寺嶋弁護士、同年九月五日の菅原弁護士との接見は、いずれも被告人による弁護人選任届の提出を主目的とするものであったものと思われる。

したがって、被告人は、逮捕後、自白を開始するまでに二回、自白開始後、最後の自白調書の作成終了までの間に八回弁護人と接見していることになる。しかし、被告人のその間における弁護人の選任状況をみると、昭和六二年七月二七日に妻が選任した田口、小林、楯弁護士(八月二八日に被告人が寺嶋弁護士を選任するまでは右三名の弁護人のみが選任されていた。)を、同年九月五日に被告人が解任している。被告人は、弁護人との接見の際には、破産宣告の問題とか家族のこととかで接見は終わり、格別取調状況についての話はしていないという(二八回ないし三二回等の公判供述)。妻である甲2の公判供述(三九回公判)によると、被告人が逮捕された後、手形の決済を非常に心配していたことや、弁護人が接見の際、被告人に対して破産宣告を提案し被告人がこれを断ったことも窺われる(ただ、右証言によると、甲2は、被告人が同年八月一〇日に自白した旨、同日接見した小林弁護士からの電話で報告を受けたという。)。KW商事を経営する被告人にとって、手形の決済ひいては会社の倒産を気にかけていたということは理解できるし、一方で、H8警視がAの供述調書を取調室に持って入ったり、被告人が取調室から作成した一覧表を持ち出したりしたなどという事情がある以上、被告人が弁護人に対して、取調状況についての苦情を話していないということを、自白の信用性を評価するうえで重視することはできないと思われる。

一五  虚偽の自白をする動機の存在

被告人に対する警察官の取調方法に問題があったことについては、前述(三)したとおりである。捜査も終盤にさしかかった昭和六二年九月初めころ、被告人が取調室から、Aに流れた現金、手形を記載した一覧表を持ち出しており、このことは、警察官の取調べに対して、被告人が反感、不信感、増悪、怨恨を強く抱いていたことを端的に示しており、ひいては、警察官の取調方法に強引な点もあったであろうことを示している。

加えて、これまで認定してきたことから言えることは、被告人の自白調書の中に客観的事実とくい違う供述が多く、供述内容自体に犯人のそれとして不自然・不合理な点が目立ち、供述内容の変更にも合理的な理由のないものが多く、不自然な変遷が多い、ということである。これらの生じた原因は、取調官による理詰めの追及、誘導的な質問、被告人の迎合的な姿勢の影響以外に、取調官が証拠物の原本を精査分析していなかったために、正確な発問や供述内容の正確性の検討ができなかったことによる影響を否定できないにしても、右に述べた問題のある取調方法に影響された面もあったものと思われる。即ち、取調べ警察官の被告人に対する不穏当な言動があったこと、否認を続けていた最中にE1の腐乱死体の拡大写真を被告人に見せて反省ひいては自白を迫ったこと、自白もしていないのに、昭和六二年八月一日付全国紙(一紙)の朝刊に被告人が自白を開始した旨の記事が掲載されるやこれを被告人に示し、取調官の主観は別としても、客観的には、被告人の抵抗力を弛緩させるようなことが行われたこと、必要性もないのにAの供述調書の写しを取調室に持ち込んでAらの供述どおりに事件が組み立てられ、被告人が否認を続けることになれば、被告人が最も重い刑事責任を負わされることになるとして、犯人の中で一番重い刑ということになれば死刑を予想させて自白を迫ったのではないかと思われること等が、一部は取調官の証言からも認められるし、その余は、右に述べた事情から推認されるものである。

したがって、被告人が虚偽の自白をする動機としては、理解できるものがあると言わざるを得ない。

一六  検察官調書について

被告人は、警察官の取調方法については、非常な不満、反感、憎悪等を持っているが、検察官の取調べに対しては、公判でもそれほどの不満を述べていない。しかしながら、検察官調書にも客観的事実とくい違う点が多いことはこれまでみてきたとおりであるし、警察官調書と検察官調書を比較してみると、検察官調書の内容は、基本的には警察官調書の域を出ておらず、また、検察官調書で初めて供述されている事項〔例えば、E1殺害後、生命保険金が下りるまでは、被告人がAに手形を渡すということは、九月一〇日付検察官調書(<書証番号略>)で初めて供述されている。〕については、供述内容を変更する理由が説明されておらず、不自然な変遷と言わざるを得ないから、検察官調書にのみ信用性を認めるべき理由は存しない。

一七  自白調書の信用性についてのまとめ

以上述べたとおり、本件の各争点についての自白の信用性には疑問があると言わざるを得ないものである。また、これを別の面から言えば、取調官の取調方法自体にも問題があったし、被告人が虚偽供述をする動機としても理解できるものがあった。また、自白調書が多数存在するのに、秘密の暴露として検討するに値するものは、高島暦による占いくらいであり、これが秘密の暴露にあたると言えるのかについても疑問が残る。

もとより、被告人は、当時経済的に苦境に陥っており、本件の一連の経緯につき、自白の内容が客観的な証拠と合致している点も多いことは確かであるが、E1殺害の共謀につながり、検察官がその徴憑となる事実として主張する点については、信用性に疑問が多すぎる。被告人がAと保険金騙取の目的でE1殺害を共謀したという自白調書の、核心的な部分については、その信用性に疑問が残ると言わざるを得ない。

第三  本件捜査の経緯

一  はじめに

本件は、約四億円にも上る生命保険金の騙取を目的とした殺人及びその後右保険金を騙取したという詐欺の事案であり、被告人はその中心的な人物と目されていたものである。したがって、有罪となれば、極刑をも予測させる重大事件であり、かつ殺害目的の共謀の成否のみが問題であり、公判になればこの点が争われることが容易に予測されたうえ、共犯者の供述の信用性が被告人の犯罪の成否を大きく左右するため、供述に依拠するだけでなく、それを裏付ける客観的な証拠の収集分析に努め、捜査は慎重のうえにも慎重を期して行われる必要があった。しかも被告人、A、Bとも、逮捕当初は否認していたのであるから、この点がさらに重要にならざるを得なかった事件である。したがって捜査官としては、客観的事実を確定するため、関係証拠を子細に検討し、証拠を収集分析して、事案の解明に努めるべきであった。それにもかかわらず、本件では自白を獲得することに力点を置きすぎてしまい、客観的な事実の解明、裏付捜査を十分に行っていないという印象を強く受ける。確かに、殺害の実行行為自体は函館市に近い海上でなされているが、関係者がほとんど東京あるいはその周辺に居住しており、その居住地も共謀があったとされる場所も捜査官のいた函館市からみれば遠隔地であったため、それによる捜査上の不便さも多々あったであろうということは、容易に推測される。しかしながら、本件事案の重大性に鑑みると、右不便さを考慮しても、慎重な捜査がなされるべきであった。関係証拠を評価するうえで、本件捜査の経緯が及ぼした影響について、ここにまとめて再論し、具体例を指摘しておく。なお、被告人の自白調書の信用性を評価するうえで、被告人に対する取調方法の及ぼした影響については、第二で述べたとおりであるので、ここではふれない。

二  約束手形帳控の問題等

まず最初に指摘しておかなければならないのは、捜査官が、押収された約束手形帳控の原本に直接当たり、その検討を行った形跡が認められないことである。本件の一連の経過の中で、被告人がAに対して多数の手形を渡しており、それが殺害費用、死体捜索費用、殺害報酬の先付けであるかどうか等、殺害目的の共謀の成否に深く関係してくる重要な問題になっている。したがって、被告人がAに手形を渡した趣旨、即ち、手形の振出原因がどのようなものであったのかという点が極めて重大な意味をもってくるにもかかわらず、捜査官が約束手形帳控の原本を精査していない。殊に、E1殺害費用として振り出したとされている手形の約束手形帳控を見ると、その受取人欄、振出日欄等に、一旦何らかの文字が鉛筆で記載され、その後その記載が消去された痕跡が認めれる。右の痕跡については、一部は肉眼での判別が不能であるが、一部については肉眼でも判別が可能なものである。肉眼で判別が可能な部分のみを見ても、被告人の逮捕当初の弁解に一部副う内容の記載が認められる。また肉眼で判別不能な部分を判別するために、検察官が右約束手形帳控を鑑定に付したのは、本件公判も終盤にさしかかった平成二年六月である。その後、平成二年九月一一日の五六回公判で検察官から鑑定結果(<書証番号略>の検査回答書)が証拠として請求され、取り調べられた。

KW商事に対する捜索差押の状況をみてみると、まず、昭和六二年七月六日に警視庁杉並警察署がAに対する現住建造物等放火予備、同未遂等の罪による嫌疑で捜索差押許可状を執行して約束手形帳控等を押収し〔捜索差押調書(<書証番号略>)〕、同月二六日、函館中央警察署が被告人に対する本件殺人罪の嫌疑で捜索差押許可状を執行して金銭出納帳(<押収番号略>)等を押収した〔捜索差押調書(<書証番号略>)〕。本件捜査の際、約束手形帳控の原本が精査できなかったのは、本件捜査を担当していなかった警視庁杉並警察署が先に押収していたという経緯の影響もあったものとは思われるが、右の手形は、殺害費用として振り出されたとされている手形であり、殺害費用受け渡しは本件で最も重要と考えられる間接事実であるから、当然約束手形帳控の原本を十分に調査し、またこれに関連する証拠を十分に収集分析し、他の関係証拠との整合性も十分に精査したうえ、必要があれば、被告人自身から説明を受けておくことが、真実発見のためには不可欠であったことは前記指摘のとおりである。ところが、右のとおり約束手形帳控の記載自体についての検討がなされておらず、その結果これについて被告人から供述を録取した形跡も認められない(殺害費用以外の問題点については、被告人が約束手形帳控を見ながら供述したと思われる自白調書も一部存在するが、少なくとも、取調官が約束手形帳控の原本を精査した形跡は見い出しがたい。)。したがって、最も重要な証拠となるべき殺害費用として受け渡したとされる手形の振出原因についても、客観的な証拠の解明が不十分で、多義的な解釈の余地を残している。

また、手形を振り出した趣旨を解明するためには、決済の状況を正確に把握しなければならないのに、その点の問題意識をもたないままそれを解明していない。そのため、被告人の振り出した手形の中には、Aに割引の仲介を依頼したにすぎないもの等があることや、手形の決済が実質的に誰の負担においてなされたのかが理解されていない。

その結果、金銭や手形のやり取りについて、取調官が事実を正確に把握していなかったり、本件の特質である手形でのやり取りについて、十分な問題意識を持たないまま供述を録取し、被告人やAの供述内容を客観的証拠と十分照合せず、客観的事実と矛盾する多数の供述調書を作成している。更に被告人の自白開始後も、より詳細な自白を獲得することに追われてしまい、自白内容が客観的な事実と符合しているかどうかについての検討が極めて不十分であったと言わざるを得ない。このような結果を生じたのは、結局、本件殺人罪による被告人の逮捕前における証拠の収集と分析並びに逮捕後における証拠の分析がいずれも不十分であったことに原因があったものと思われる。

三  金銭出納帳、小切手帳控の検討の不十分さ

金銭出納帳には、その記載が消去されていたり、訂正されている部分が多数見受けられる。捜査官が右の消去あるいは訂正されている部分について検討を加えた形跡が窺えるのは、三月二二日のE1に対する一〇〇〇万円の貸付けについての金銭出納帳の記載だけである。しかも右記載については明らかに本件に関する偽装という前提で捜査を進めている。しかしながら、右金銭出納帳の記載以外にも多数の訂正部分が見受けられる。捜査官としては、虚心に各証拠の検討を進め、他の訂正部分等の記載と比較したうえで、検討を進める必要があった。更に、本件で最も重要と考えられる最終共謀の成否の問題に直結する殺害費用受け渡し当日とされる四月七日部分の金銭出納帳の記載は、同一日の記載でありながら筆跡が異なっており、F24と甲2の二人によって記載がなされているなどの特徴がある。殺害費用受け渡しは本件で最も重要と考えられる間接事実であり、これに関する証拠はくまなく検討し、他の関係証拠との整合性も十分に精査したうえ、必要であれば、被告人自身から説明を受けておくことが、真実発見のためには不可欠であった。また、帳簿の記載を担当していたF24や甲2から帳簿の記載の仕方や四月七日の出金についての説明を詳細に受けて、この点を取り調べておくべきであった。ところが、右のとおり関係証拠の検討がなされていないのみならず、これについて被告人からも供述を録取した形跡が認められない。また、小切手帳控を精査すれば、四月七日に引き出された五〇〇万円がAに渡されたものではないことがすぐ分かるのに、その精査がなされていない。このようなことから、殺害費用かどうかが問題となるAに渡された現金五〇〇万円の内訳が、四〇〇万円については四月五日に西武信用金庫東久留米支店から引き出されたものであり、残りの一〇〇万円はKW商事に保管してあった現金であったということが理解されず、四月七日にF15に貸し付けられた五〇〇万円がAに渡された五〇〇万円であると、取調官が誤解したまま、取調べを行っている。したがって、最も重要な殺害費用を受け渡しの問題を捜査段階で検討する際、金銭出納帳の記載を誤解したために、現金五〇〇万円及びこれと同時に渡されたという手形三通(額面合計一〇〇〇万円)が殺害費用にあたるかどうかという重要な争点について、多義的な解釈の余地を残す結果となっている。

四  被告人がAに渡したメモ及びA側の作成したメモの作成状況、記載内容の正確性についての捜査の不十分さ

被告人は、昭和六一年に、何回にも渡って、Aに渡した現金、手形の一覧表を作成し、Aに渡していた。このメモ(一覧表)が、A側から押収され、その中の一部のメモ(<押収番号略>等)には、検察官が殺害費用と主張する現金と手形が四月七日に渡された旨記載されているが、子細に検討すると、このメモやその他のメモにも記載漏れや記載自体の間違いがある。しかるに、被告人がどのような基準で、またどのような方法でこれらのメモに記載しているのかが捜査されていないため、その正確性の担保が十分ではない。

また、<押収番号略>等のメモには、手形の振出原因即ち被告人がAに手形を渡した趣旨等に関係してくる被告人やAによる記載があるのに、その点の十分な捜査がなされていないため記載内容の解明が不十分なまま捜査が終了している。したがって、E1殺害後、殺害報酬が支払われたとされる八月一三日までの間に、被告人がAに渡した手形の趣旨、振出原因の多様さが理解されていない。

一方、A側も<押収番号略>(二枚目ないし四枚目、六枚目)等のメモを作成したり、<押収番号略>等のように被告人から受け取ったメモに更に記載するなどしている。その中には、<押収番号略>(七枚目)のように、四月一一日の追加送金にDが関係したようにも受け取れる「D1」という記載もあるのに、この点について問題意識をもって捜査された形跡が窺えない。

五  Aが殺害費用として受け取ったと供述している手形の割引状況に関するファックスの記載の検討の不十分さ

Aが、殺害費用として受け取ったと供述している手形の割引状況について、右割引を行ったAE八重洲支店の担当者J14の警察官調書が作成され、それには貸出金許可申請書の写しが添付されている。右写しは、録取当時勤務地が変わっていたJ14が割引を行った同支店からファックスで取り寄せ、これを捜査官がコピー機を使用して写しを作成し、調書に添付したものである。ところが意図的か否かはともかくとして、右写しを作成する際、全体をそのままコピーするのではなく、一部を除いてコピーしたため、決裁時間についての記載が全く写っていない。また右割引の関係資料は、殺害費用とされる手形の処分状況を立証する直接かつ重要な証拠であるから、当然これを押収しておく必要が認められるが、これを行っていないため、公判において重要争点として争われた段階では原本自体がすでに廃棄され、証拠化して公判に顕出することが不可能になってしまっている。

さらに右貸出金許可申請書の写しの記載を見れば、手形の支払期日につき、Aの供述と符号しないのではないかという疑いを生じさせかねない記載が認められるにもかかわらず、これについてA自身に確認を取り、その供述を録取した形跡も認められない。

六  KW商事の定休日

被告人がAから殺害費用を依頼されたという四月六日は日曜日であり、KW商事の定休日であった。それにもかかわらず、Aは、捜査段階において、四月六日に、Dを通じて二回にわたり被告人に対して殺害費用を依頼したと供述し、被告人は、同日、Dからの殺害費用を要求する電話がKW商事にかかってきたと自白している。取調官が、当時の曜日に気を配って、定休日の問題を意識して捜査した形跡はない。

七  被告人の弁解の裏付捜査の不十分さ

被告人は、捜査段階で否認している際も、全く供述しなかったり、単に事実を否認しているのではなく、関連事項を供述したり、積極的な事実を供述して事実を争っていることが認められる。例えば、被告人が公判段階で主張している、殺害費用として渡したとされる現金五〇〇万円や手形が平塚土地等の売買代金であるという主張は、捜査段階でも行っている〔八月四日付警察官調書(<書証番号略>)等〕。また殺害報酬とされる八〇〇〇万円の点についてもNK石材の件の報酬であるという供述も、捜査段階でも行っいる〔八月六日付警察官調書(<書証番号略>)等〕。ところが捜査官が、被告人の右弁解に耳を傾け、裏付捜査を行ったり客観的証拠との関連を検討した形跡が見受けられない。

八  供述の突き合わせ

Aらは、捜査段階においても虚偽としか考えられないような供述を行っている部分が多数見受けられる。また関係者の供述と明らかにくい違う供述をしている部分も認められる。しかしながら、明らかに関係証拠とくい違う供述については、その点について供述者に質問し、その供述の経過を証拠化しておく必要もまた認められるところである。また共犯者相互の供述がくい違う部分についても、供述を整合させるために不任意の供述を強いることは論外としても、くい違う点について供述者に質問し、その供述の経過を証拠化しておく必要が認められることもまた明らかである。それにもかかわらず、これらについて検討した部分があまりにも少なすぎる。その結果、重要な問題点についての供述のくい違いも多く、くい違いの生じた原因が解消されていないので不自然・不合理さを生じている。

第四部  総合判断

被告人とAらとの間にE1殺害の共謀が成立するかどうかという点について、原則として被告人の自白調書を除いた証拠関係、次に被告人の自白調書の任意性・信用性を検討した結果は、これまで述べたとおりである。即ち、被告人がAらに渡した手形の一部の割引金がE1殺害の費用に使用され、E1殺害の前日にAの口座に被告人が三〇〇万円送金し、殺害後ほどなく被告人がAに多数の手形を渡すようになり、生命保険金を受領後ほどなく被告人がAに八〇〇〇万円を渡している。これらの外形的な事実は、被告人とAらとの間にE1殺害の共謀があったのではないかと疑わせる事実である。しかしそれらの事実を詳細に検討すると、それぞれに別の評価を入れる余地があり、殊に、検察官が殺害費用として渡されたと主張する手形の約束手形帳控に残されていた「平塚土地」等の記載の消去痕は、被告人が不動産取引に関連して手形を渡したのではないかという方向に働くものであり、容易にその証拠価値を否定しがたいものがあり、その他の問題点についてもそれぞれに疑問が残る。結局、被告人の自白調書を除いた証拠関係のみによっては、被告人とAらとの間に、E1殺害の共謀が成立するのではないかという疑いを生ぜしめる事実は存するけれども、有罪の心証を得るには至らない。被告人の自白調書には、任意性は認められるが、信用性は乏しいと言わざるを得ないものである。したがって、それらの検討結果を総合しても、被告人とAらとの間にE1殺害についての共謀が成立するということには合理的な疑いが生じると言わざるを得ない。

以上のとおりであるから、被告人に殺人罪は成立しない。殺人罪が成立しないとなれば、被告人が明治生命に対してE1の生命保険金の支払方を請求したことを、詐欺罪における欺罔行為とは評価できないから、生命保険金を取得したことについて詐欺罪も成立しない。結局、本件各公訴事実については、いずれも犯罪の証明がないことに帰するから、被告人に対し、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡しをすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官林秀文 裁判官横山巌 裁判官堺充廣は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官林秀文)

(別紙) 略語例、証拠の引用例等

一 判決理由の本文中では、左記のとおりの略語等を用いる。

1 (検) 証拠等関係カードにおける検察官請求番号を示す。

2 (弁) 同弁護人請求番号を示す。

3 (符号) 押収物である昭和六二年押第五八号の符号を示す。

4 日付は特に年を記載しない限り、本文中のものは昭和六一年を、供述調書の特定に関するものについては昭和六二年を示す。

5 「手形」とは約束手形を示す。

6 引用する証拠書類については、便宜上、原本と謄本を区別しない。

7 証拠として引用した証人及び被告人の各供述について、当公判廷における供述(六二回公判以後)を証拠として引用したものと公判期日における当該公判調書中の供述部分(六一回公判以前)、尋問調書を証拠として引用した関係は次のとおりである。本文中では、証人及び被告人の供述について、当公判廷における供述と公判期日における当該公判調書中の供述部分、尋問調書を区別せず、便宜上単に「公判供述」、「証言」、「供述」と略称する。なお、「供述」は、当該証人、被告人の捜査段階の供述と公判供述を合わせたものを意味する場合もある。

(一) 当該公判調書中の供述部分を意味するもの

証人E2 第五回公判

同 F5 第六回公判

同 F29 第八回公判

同 F21 第九回ないし一一回公判

同 J8 第一二回公判

同 B 第一二回ないし一四回公判

同 A 第一六回ないし二二回公判(第一回目の証人喚問)

同 J2 第二二回公判

同 G(G弁護士) 第二五回公判

同F10 第二七回公判

同H8 第三三、三四回公判

同H6 第三五、三六回公判

同甲2 第三九回公判(第一回目の証人採用に基づく尋問)

第五五回公判(第二回目の証人採用に基づく尋問)

同 D 第四二回ないし四六回公判

同 F17 第五三回公判

同 F24 第五四回公判

同 F4 第五七回公判

同 J1 第五八回公判

同 F27(F27弁護士) 第五九回公判

被告人 第二八回ないし三二回、三九回、四〇回、四八回ないし五二回公判

(二) 当公判廷における供述を意味するもの

証人A 第六六回公判(第二回目の証人喚問)

同 J14 第六八回公判

被告人 第六四回ないし六六回、六九回、七〇回公判

(三) 尋問調書を意味するもの証人F13

同 J5

二 本文中で引用した被告人(KW商事)振出にかかる手形、小切手の本券のうち、次の手形、小切手(いずれも写し)の証拠書類中の所在は、以下のとおりである(振出後、支払期日前に回収された手形を除く。)。

1 殺害費用性が問題となる手形

HA82773(検19。二七分冊六四〇八、六四〇九丁)

HA82775(同六四〇六、六四〇七丁)

2 殺害費用性が問題となる現金を引き出すために使用された小切手及びその前後に使用された小切手

(一) 昭和六一年四月五日に使用された小切手

AB15034(検1298。五二分冊一三〇五一、一三〇五二丁)

(二) 同月七日に使用された小切手

AB15035(検1298。五二分冊一三〇四九、一三〇五〇丁)

HE30144(本文一二八丁表左四行目から三行目に出てくる小切手。検19。二七分冊六三五八、六三五九丁)

3 昭和六一年四月一六日ころ、京王プラザホテルにおいて、被告人がAと会ったことにより、E1の遺体捜索費として振り出したかどうかが問題となった手形

HA82783(検19。二七分冊六四一四、六四一五丁)

HA82785(検19。二八分冊六四一八、六四一九丁)

HA82786(同六四一六、六四一七丁)

4 昭和六一年五月下旬か六月初旬、東名飯店において、被告人がAからBを紹介されたことによって振り出したかどうかが問題となった手形

HA82788(検19。二七分冊六〇七五、六〇七六丁)

HA82790(同六〇七三、六〇七四丁)

5 殺害費用性が問題となる手形の支払期日である昭和六一年六月六日に振り出された手形

HA82796(検19。二七分冊六二一九、六二二〇丁)

6 昭和六一年六月一六日に被告人がNK石材に振り出した手形

HA86085(検19。二七分冊六一三七、六一三八丁)

HA86086(同六一四五、六一四六丁)

HA86087(同六一三九、六一四〇丁)

HA86088(同六一四一、六一四二丁)

HA86089(同六一四三、六一四四丁)

HA86090(同六一八一、六一八二丁)

HA86092(同六一九一、六一九二丁)

HA86093(同六一八九、六一九〇丁)

HA86094(同六一七九、六一八〇丁)

HA86095(同六一九三、六一九四丁)

HA86096(検19。二八分冊六五〇四、六五〇五丁)

HA86097(同六五〇二、六五〇三丁)

HA86098(同六五〇四、六五〇五丁)

HA86099(同六五〇二、六五〇三丁)

7 昭和六一年七月三〇日に被告人がNK石材に振り出した手形

HA86977(検19。二七分冊六一一一、六一一二丁)

HA86978(同六一〇七、六一〇八丁)

8 昭和六一年八月一三日に被告人がAに振り出した手形

HA86997(検19。二七分冊六一五七、六一五八丁)

HA86998(同六一五三、六一五四丁)

HA86999(同六一五一、六一五二丁)

《参考・決定書》

主文

別紙記載の被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書を、いずれも証拠として採用する。

理由

第一 検察官は、別紙記載の被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書(以下、「本件各供述調書」と総称する。)につき刑事訴訟法三二二条一項の書面として証拠調べの請求をなし、これに対し弁護人は、要約すると、(1)被告人は、本件E1(以下、「E1」という。)に対する殺人罪(以下、「本件」という。)の嫌疑で逮捕された直後から、捜査官に侮辱的、威迫的言辞を浴びせられたうえ、その後の長時間にわたる取調べ中、威嚇的尋問や暴行を加えられ、さらに偽計や利益誘導を受けるなどし、代用監獄における身柄拘束の影響で心理的、肉体的に劣弱な状態におかれたため、時日の経過とともに抵抗力を失い、捜査官の誘導に迎合する供述をなしたものであって、本件各供述調書は任意性に欠けるものであり、(2)また、本件で起訴された後に作成された供述調書については、被告人は、改めて詐欺罪で逮捕、勾留されることもないまま、右起訴後の勾留を利用して約一か月間にわたり、代用監獄に留め置かれ、朝から深夜に至るまで、起訴前と同様に本件の取調べを受けていたが、かかる取調べは刑事訴訟法一九八条に基づく任意捜査とはいえず、違法であるから、このような状況下で録取された供述調書は証拠能力を欠くものであり、したがって、いずれにしても本件各供述調書の取調べ請求は全て却下されるべきであると主張する。

第二 そこで、一件記録に検察官から提示にかかる本件各供述調書の記載をも併せ、本件各供述調書の証拠能力について、以下のとおり判断する(なお、以下の説明において、日付は特に記載のない限り昭和六二年を指し、検察官に対する供述調書は「検面調書」、司法警察員に対する供述調書は「員面調書」、証拠等関係カードの検察官請求証拠番号は単に「請求番号」とそれぞれ略称する。)。

一 被告人の捜査官に対する供述の経過の概略

被告人は、七月二六日に本件の嫌疑で、東京都東久留米市内の自宅で逮捕状を執行され、その日の内に函館市内に押送されて、司法警察員から弁解を録取(本件の被疑事実を否認した内容、請求番号一〇六四の弁解録取書)された後、翌二七日から、司法警察員H4巡査部長(以下、「H4という。)、同H5巡査部長(以下、「H5という。)、同H6警部補(以下、「H6という。)、同H7警部(以下、「H7という。)及び同H8警視(以下、「H8という。)並びに検察官H2及び同H1らの各取調べを受けたところ、八月七日までに作成された員面調書(請求番号一〇六五ないし一〇七六の一二通)及び検面調書(請求番号六八六の一通)においては、自己の営業の状況や負債の内容、E1との関係や取引の経緯、本件の共犯者とされたA(以下、「A」という。)らとの関係などの概略については供述するものの、本件への関与については否認していた(なお、これらの供述調書のうち員面調書は、いずれも弁護人が証拠とすることに同意し、既に取調べ済みである。)。ところが、被告人は、同月八日以降、Aらが実行したE1殺害への関与を認める趣旨の供述をするに至った(請求番号六八七ないし六九七の検面調書一一通と請求番号一〇七七ないし一一一〇の員面調書三四通。もっとも、同日付及び翌九日付の供述調書は、被告人が、Aらに本件の実行を明確な形で依頼したとまで述べたものではなく、不利益事実の承認にはあたるものの、本件の共謀共同正犯の刑責を認める厳密な意味での自白にあたるか否かは微妙な供述といえる。)しかし、その後、被告人は、九月一八日、一九日のH2検察官の取調べにおいて、再び否認に転じている(同月一九日付の検面調書(請求番号一一二九)は、被告人の署名があるのみで、弁護人から取調べに応じるなと言われたことを理由として被告人は指印を拒否したものであるが、弁護人において、この供述調書の任意性を争うことなく証拠とすることに同意し、既に取調べ済である。)。ちなみに、捜査段階における被告人の弁護人選任状況であるが、逮捕直後の七月二七日に、被告人がかねて依頼し弁護料も支払っていた田口邦雄外二名の弁護士が弁護人に選任(選任したのは被告人の妻)され、更に、八月二八日には、寺嶋芳一郎弁護士が追加選任(被告人選任)されているが、九月五日には、新たに被告人が現弁護人である菅原憲夫弁護士を選任するとともに、田口外二名の弁護人を解任し、次いで一〇月一六日には寺嶋弁護人も解任している(それ以降の弁護人選任状況については省略。)

そこで、以上の事実を前提に、取調べの状況等について、以下に順次検討を加えることとする。

二 H5、H6及びH4による取調べについて

1 被告人は、第三九回公判における供述及び第二八回ないし第三二回公判調書中の各供述部分において(以下、被告人及び証人の当公判廷おける供述と公判調書中の供述部分とを区別せず、便宜上単に、「公判供述」と略称する。)、H5、H6及びH4による各取調べについて、大要次のとおり述べる。すなわち、H5は、被告人を逮捕した直後、被告人を自宅から函館市に押送してくる飛行機の中で、「北海道へ着くまでに腹を決めておけよ。」と述べ、飛行機が函館上空に到着したときには、「お前はもう社長ではない。ただの犯罪人だ。ここは東京じゃないんだ。観念しろよ。」と述べ、また、七月二八日ころの取調べの際、何度も机を叩くなどしながら、「お前がE1さんをやったんだろう。吐け。この野郎。」とか、「お前聞いているのか。このけだもの。馬鹿者め。てめえは赤い血が流れていねえのか。真っ黒い血か。てめえは人間じゃねえのか。やっぱりけだものだったか。」などと何度も罵ったほか、同月三〇日夕方からの取調べの際には、被告人が平素身に付けていたお守り(ネックレス型のもの。<押収番号略>)を、「てめえが吐けば身に付けていていい。」などと言いながら、机に何回も叩き付けたりし、袋から中身を取り出して被告人に見せはしたものの、信心深い被告が身に付けさせてくれるよう頼んでも、これを無視して結局最後までそれに触らせてはくれなかった。H6は、取調べの際、吐けと何度も怒鳴り、机を何度も叩いたほか、机を被告人の方に押しつけるなどし、そのため机が被告人の膝にまともに当った。一緒に取調べにあたったH4も、こっちを向けと、被告人の肩を押したり耳を引っ張り、被告人が向かないときは怒鳴って突っつき、革靴の底で椅子の腰のところの金具を蹴飛ばすなどした。H6とH4外一名の捜査官は八月五日に、E1の腐乱死体と思われるカラー写真(サービス版の二倍くらいの大きさのもの)三種類を、三人で一枚ずつ手に持ち、三方から被告人に見えるように差し出して、「お前がこのE1さんを殺したんだ。わびをしろ。」などと怒鳴りながら、写真を顔にくっつけ、そのためH6らの手が当ったこともあり、また、その際、机を三〇センチメートルほど押し付けて被告人を動けなくして、被告人が、苦しいから止めてくれと言うと、吐けば止めてやると答えるなどし、このようなことがその後二日間くらいにわたって続いた。以上のとおり供述している(もっとも、被告人の公判供述によると、これらの言動があったとされるのは、被告人が自供を始めた八月八日より前のことで、それ以後は、H5やH6らの取調べにつき、違法、不当と目すべき具体的な行為の指摘はない。)。

2 これに対し、H6は、その公判供述(第三六回、第三七回公判)において、被告人に対する逮捕状を執行して被告人を自宅から函館市内に押送する機中で、被告人に対し、「北海道に着くまでに腹を決めておけ。」と言い、飛行機が函館上空に到着した際には、「ここは東京じゃない。おまえはもう社長でもなんでもない。」と言ったこと、翌七月二七日から被告人を取調べた際、否認を続ける被告人に対し、机を叩いたり大声で怒鳴ったこともあり、「けだもの。」とか、「お前は黒い血しか流れていないのか。」などという言葉を使ったことも認めており、また、H6もその公判供述(第三五回、第三六回公判)において、H4とともに被告人を取調べた際、否認を続け取調べに応じないで横を向いたりする被告人の態度に立腹し、机を少なくとも六、七回は叩いたことがあったことや、八月四日ころ、被告人に対し、反省、悔悟を迫るため少なくとも一回E1の死体写真を見せた(但し、被告人の顔の前に突き付けてはいないと述べている。)ことを認めている。

3 確かに、H5らの右一連の言動については、それが同人らの認める限度のものであったとしても、被疑者の態度がどのようなものであれ、取調べにあたる捜査官の態度として、冷静さを欠いた極めて不穏当なものであり、またE1の死体写真を見せたことも、それが被疑者に反省、悔悟を迫る意図に出たものであったとしても、否認を続ける被疑者に対する取調べ方法としては、その必要性に乏しいばかりか、相当とはいい難いものである。

しかしながら、H5らのこれらの言動が被告人の心理に与えた影響についてみると、被告人自身、公判供述(たとえば第三〇回公判)において、H5の取調べで自白するつもりになったことはないとか、H6とH4の取調べで自白しようと思ったことは一切なく、八月八日に自供調書を取られたことについても、H6とH4の取調べは全く影響しておらず、E1の死体写真を見せられたことと自白したことは別であるなどと明確に述べていること等に照らすと、H5やH6らの右各言動は、被告人の反発を買いこそすれ、総じて被告人に不任意の供述を強いるほどの態様のものではなく、かつ、現実にもそれにより被告人が不任意の供述を強いられたわけでもなかったというべきである。なお、H5が、お守りを示しながら被告人に自白を迫ったとの点についても、被告人は、信心深い自分にとって極めて重大な事実であるとして供述しながら、当初の公判供述(第二八回ないし第三二回公判)においてはこの事実に全く触れておらず、第三九回公判において初めて供述するに至ったものであって、果たして真実被告人の供述するような出来事があったかどうか疑問であるが、その点はさておくとして、被告人自身、公判供述でお守りの件と自白したこととは別である旨明確に述べているのであるから、仮にそのような出来事があったとしても、被告人に不任意の供述を強いるほどの態様のものではなく、かつ、実際にもそれにより被告人が不任意の供述を強いられたわけでもなかったというべきである。なお、七月三一日から八月四日までと九月一二日に被告人を取調べて供述調書を作成したH7についても、格別違法、不当と目すべき行為は窺えない。

三 H8による取調べについて

1 H8による取調べについての被告人の公判供述の要旨は、次のとおりである。すなわち、被告人は、本件に関係する帳簿の書き替えを被告人の妻に行わせていたことが判明したことから、八月一日にH8から、妻を逮捕する、逮捕されたくなかったらはっきり吐けなどと言われ(更に、翌二日の取調べの際にも同様に言われた。)、その晩の検察官の取調べの前には、H8から、妻を逮捕されたくなかったら検察官の言うことにはいはいと答えておけなどと言われたため、検察官に対して事実をはっきり供述することができなかった。そして、同月七日の晩、H6の取調べが終った後、H8は、Aの供述調書を取調室に持ってきて、「Aが吐いた、被告人に頼まれたと吐いた。どうする。自白しなくてもトップだ。最高刑だ。最高刑とは死刑だぞ。Aに罪を被らされて悔しくないか。協力しろ。協力すればAがトップになる。」などと言いながら、両手を広げて輪を作り、更に、紙に共犯者とされたA、B、Cの名を書き、大きさの違う丸を書いたうえ、「お前は吐かなくてもトップだ。」とそれより大きな丸を書き、「協力すればBのところになる。絶対助かる。協力しろ。」とも言った。また、H8は、同月八日の朝、いわゆる夕張保険金殺人事件の記録のようなものを見せながら、「夕張で保険金殺人事件があって、夫婦とも死刑になった。甲も同じだ。お前の母さん(被告人の妻である甲2)が帳簿の偽造を一緒に手伝っている。お前たちも同じく夫婦で同じようになるんだ。お前の女房を助けたかったら一切任せろ。」などと言った。被告人は、逮捕されて以後、連日の長時間に及ぶ取調べのため、睡眠も十分に取れず、食欲もなく、食事も満足に取れない状態になり、また持病の血行障害の薬を十分に服用できず、意識がもうろうとして体調も悪かったため、精も根も尽き果てて、自分が死刑にならないことと、妻が逮捕されないことのみを考え、命を保証すると約束したH8に全て任せることにし、作成された供述調書の内容をよく確認しないまま、結果的に虚偽の自白をしてしまった。以上のとおり供述している。

2 これに対し、H8は、その公判供述(第三三回、第三四回公判)において、被告人の妻の逮捕を示唆したこと等に関しては、七月三一日に帳簿書き替えの件で被告人を取調べた際、必要があれば当然妻を取調べるとは言ったが、逮捕するとまでは言っていない、と述べており、また、被告人に対し、死刑に処せられることを示唆し、そうならないために供述調書の内容をH8に一任するよう説得したとの点に関しては、八月五日ころから、被告人の取調べにあたった際、被告人が供述をしなくても、Aら共犯者が供述をすれば、それに従って裁判は行われるとか、黙っていると被告人に不利になってしまうと話したことはあるが、本件は共犯事件だからそれぞれ関わり方が異なっているので、自分の関わっている事実を話すように説得しただけで、その際、手振りで丸を示したことはあったかもしれないが、それを紙にまで書いた記憶はない、結局刑は裁判所が決めることだと話しており、被告人に夕張保険金殺人事件の話をしたり資料を示したりして死刑になるなどと言ったことはないし、もとよりトップにならないようにしてやるから任せておけなどと言ったこともなく、そもそもトップという言葉自体も使っていないように思う、また、自分は取調室に資料は一切持ち込まない主義であり、八月四日の被告人の取調べの際にAの別件(けん銃不法所持事件)の身上関係の供述調書を持って入ったことはあるが、同人ら共犯者の本件に関する供述調書を持って入ったことはない、と述べている。

3 しかして、被告人は、H8から、妻を逮捕すると言われたことや、夕張保険金殺人事件のことを聞かされたこと、あるいはこのままでは被告人がトップになり、死刑になるから、H8に任せておけなどと言われたことについては、それが不任意の供述を強要された重要な理由の一つであるとしている以上、再度否認に転じた後、当然そのことを検察官に訴えてしかるべきであるにもかかわらず、自供を余儀なくされた理由や否認に転じた理由等を具体的に述べた前記九月十九日付検面調書(この供述調書が、弁護人において任意性を争わず証拠とすることに同意していることについては既述のとおりである。)では、これらについて明確には触れておらず(トップという特徴的な言葉についても触れてはいない。)、協力すればBのところまで刑責を下げることを示唆する言動に及んだとの点についても、右検面調書では、手で大きな丸や小さな丸を作り、E1殺しにも大きな関わりと小さな関わりがある、小さな関わりを言え、でないとお前が主犯ということになるぞ、と迫られた旨述べるにとどまっている。もっとも、H8は、取調室に資料は一切持ち込まない主義であるといいながら、八月四日の被告人の取調べの際、その必要性があったとも思えないAの別件の身上関係の供述調書を持ち込んだり、「『甲』が供述始める」との見出しの八月一日付読売新聞の記事を被告人に見せたりしていて、その意図が奈辺にあるかやや理解し難い行動もあったことや、本件がもともと多数の者の共謀にかかる事案であることなどから考えて、H8が、被告人の取調べの際に、他の者の供述調書まで見せたかどうかはともかく、共犯とされた者らの供述やその者らとの刑の軽重等について触れながら、このまま否認を続けると被告人が主犯となり、刑事責任につき不利な扱いを受けることになる旨示唆するなどして自白を迫った疑いも捨て切れない(但し、刑事責任について捜査官が自己の見解を述べ、被疑者に自己の刑責を考えさせて説得すること自体は、その見解が著しく客観性に乏しいものであるとか、被疑者が心理的強制を受け虚偽の自白を誘発するような偽計や利益誘導を伴うものでない限り、違法な取調べというにはあたらない。)。

そこで、供述調書作成経過につき、H8がAら共犯とされた者の供述をもとに勝手に供述内容を作出し、これに被告人が無抵抗に迎合して供述調書が作成されたという趣旨の被告人の公判供述に鑑み、検察官から掲示された本件各供述調書の記載を検討すると、被告人の供述中には、Aら共犯とされた者の供述と食い違う部分も随所にみられるほか、捜査官が一方的に作出するはずもない事柄について述べた内容も含まれること、記憶にない事柄や不明な点はその旨記載されていること、供述の変遷についても、裏付けを取れば容易に事実に反することが判明するため捜査官が当初から勝手に作出するはずもない内容について、一旦供述した後に、その記憶違いを訂正したものもあるなど、捜査官の誘導や強制に一方的に迎合したものばかりではないことが容易に看取しうるうえ、八月八日付員面調書中には、Aが絶対殺人事件を認めないと思うし、今なお警察に抵抗しながら犯行を否認していると思う、などという記載すらもある。加えて、被告人が取調べの際に記載していったと認められるメモ(<押収番号略>)の記載自体も、取調べの際に強制等を受けたとの被告人の公判供述とは相容れ難いものである。そのほか、H8から、妻を逮捕されたくなかったら検察官の取調べにはいはいと答えておけと言われたとされる八月一日の検察官の取調べにおいても、被告人は結局否認しており、その後も、同月七日までは否認し続けていて、同月一日以降もおよそ捜査官のいいなりにはなってはいない。しかも、被告人は、同月四日には弁護人と接見しているが、その際弁護人に、妻が逮捕される可能性について尋ねた形跡はなく、同月一〇日に弁護人と接見した際にも、弁護人に対して、自白調書を取られた旨告げてはいるが、その動機や経緯などに関し、特段取調べ方法の違法等を訴えた形跡もない。

してみれば、以上を総合すると、H8の取調べにあたっての追及の仕方等については、被告人の述べるとおりの事実がなかったか、あるいは、仮にそれに類するような事実があったとしても、被告人に不任意の供述を強いるほどの態様のものではなかったというべきである。

なお、被告人は、前記のとおり、逮捕されて以来、連日長時間の取調べを受け、体調が悪く食欲もなく、それが不任意の供述につながったなどとも述べているところ、弁護人が証拠とすることに同意し、既に取調べ済みの司法巡査作成の「上磯沖の不動産業者被害保険金目的殺人事件捜査報告」と題する書面(留置人動静簿の謄本添付のもの。以下、単に「留置人動静簿」という。)によれば、確かに、逮捕後本件で起訴された八月一六日までの間、被告人は、取調べのため、連日、おおむね午前八時から九時ころには函館中央警察署の留置場を出て(もっとも、同月一日には午後一時近くに出ている。)、午後一〇時ころから一一時ころにようやく同留置場に帰ってくるという状態が続いていて、帰ってくるのが午前零時前後になることも二度(七月三〇日と三一日の各取調べ)あったことが認められ、これによれば、被告人が、一般の事件に比べて、相当長時間にわたる取調べを受けたことが窺え、このような取調べが果たして相当であったか否かにつき疑問が生じないわけではない。もっとも、本件事案の性質や複雑さ等に照らせば、被告人の具体的な身体状況等を全く捨象して、右のような取調時間の点のみから、直ちに本件取調べが合理的に許容される範囲を著しく逸脱した違法なものであったと断定するのは相当ではないところ、留置人動静簿によりこの点を子細にみてみると、被告人は、朝食と昼食(いわゆる官弁)については、逮捕の翌朝から二日間朝食を四分の一程度残してはいるものの、その後はおおむねほとんど残さず食べており、夕食については、七月二九日以降はいわゆる自弁を購入するようになって、これを全部食べており(したがって官弁は一部しか食べなかったり全部残したりしている。)、この状況は自供を始めた八月八日以降も変わっていないこと、睡眠の状態にもさほど異常な点はなく、朝も自発的に起床して房内の清掃を済ませており、看守や取調官に対しても特段体調の異状を訴えたこともないこと、更に、被告人は、持病の血行障害に備えて平素から服用していた血管拡張剤の差し入れを受け、これを勾留当初から定期的に服用していたことなどが認められるほか、取調べにあたった捜査官も被告人の健康状態には十分に留意していたことも窺え、これらの諸事情からすると、前記取調時間から窺える肉体的、精神的疲労を考慮に入れても、被告人については、その疲労等の程度は、供述の任意性に疑義を生じさせるほどのものではなかったというべきである。

四 検察官による取調べについて

検察官による取調べに関しては、格別脅迫、強制等の違法な行為があったことを窺わせるような状況はなく、また、被告人の公判供述においても、そのような具体的事実の指摘はなされておらず、かつ、被告人が、検察官に迎合しなければならないほどH8らから心理的強制を受けていたわけでもないことは前記のとおりであるから、被告人の検察官に対する供述調書の任意性もこれを肯認することができる。

五 起訴後の取調べについて

被告人は、八月一六日に本件で起訴された後も、引き続き代用監獄に留置されたままで詐欺被疑事件につき取調べを受け、多数の供述調書が作成されているところ、右の取調べは、起訴後の勾留を利用しての本件の取調べでもあったと認められる。

ところで、本件についてみると、起訴された翌日の八月一七日以降、検察官請求にかかる本件各供述調書のうち最も日付の遅いものは九月一二日付の員面調書であるところ、その日までの被告人に対する取調べの状況については、留置人動静簿によれば、被告人は、おおむね午前九時前後ころに取調べのために留置場を出て、帰ってくる時刻は、午後五時ころから遅くて午後八時過ぎころであるが、八月二七日には午後九時五〇分ころ、九月一〇日には午後九時一〇分ころ(但し、その間に取調べの中断がある。)になっていることが認められる。もっとも、起訴前と比較し、総じて取調べの終了時刻もかなり早くなるなど、一日の取調べ時間は短くはなっているほか、全く取調べを受けていない日も三日あるなど、取調べ状況は比較的緩和されていることが認められるものの、これが果たして刑事訴訟法上許容される取調べといえるかやや疑問がないではない。しかしながら、提示された本件各供述調書の記載を見ると、本件についての起訴後の取調べの内容は、いわゆる高島易断に関する説明以外は、全く新たな事項にわたるものはほとんどなく、供述の不明確な点や裏付け捜査との食い違いを確認するなど、専ら補充的な事項についての取調べであることが窺えるうえ、被告人に対し、捜査官らが脅迫や強制等を加えた形跡はないばかりか、かえって被告人は自ら積極的に供述するなどしていた節さえも窺えること、更には、弁護人(私選)との接見についても、その回数や時間等が十分なものであったか問題がないではないが、少なくとも捜査官においてことさら弁護人と被告人との接見を妨げたという事情も窺えない以上、被告人が防御を尽くすための機会は一応確保されていたといえること、右取調べが第一回公判期日前のものであること、その他本件事案の性質等を総合考慮すると、右起訴後の取調べが、許容される合理的な範囲を越えた違法なものとまではいえない。なお、起訴後も被告人と弁護人以外の者との接見は禁止されていたが、これは、本件についてその必要が認められて決定されたものであるから、このことは、右の結論を左右するものではない。

第三 以上によれば、本件が、事案の性質等に鑑み、共犯とされた者相互の供述の信用性等につき慎重な検討を要する事案であり、したがって、被告人の供述の信用性についても、慎重な判断を要するといえるが、検察官請求の本件各供述調書の任意性については、これを肯認することができ、他に証拠能力を否定すべき事由もないので、刑事訴訟法三二二条一項によりこれらを採用することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官岡田雄一 裁判官堺充廣 裁判官井上秀雄)

(別紙)

一 被告人の検察官に対する昭和六二年八月一日付、同月八日付(二通)、同月九日付、同月一〇日付、同月一五日付(三通)、同月一六日付、同月二九日付及び同年九月一〇日付(二通)各供述調書(請求番号六八六番ないし六九七番)

二 被告人の司法警察員に対する同年八月八日付、同月九日付(二通)、同月一〇日付、同月一一日付、同月一二日付(三通)、同月一三日付、同月一四日付(二通)、同月一五日付(二通)、同月一六日付、同月一七日付(二通)、同月一八日付、同月二〇日付(二通)、同月二一日付、同月二四日付、同月二六日付、同月二七日付、同月二八日付、同月三一日付(二通)、同年九月二日付、同月三日付、同月四日付、同月七日付、同月八日付、同月九日付、同月一〇日付及び同月一二日付供述調書(請求番号一〇七七番ないし一一一〇番)

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