前橋地方裁判所 昭和33年(そ)1号 判決 1959年6月10日
請求人 北堀良一
決 定
(請求人氏名略)
右の者より刑事補償請求がなされたので、当裁判所は検察官および請求人の意見を聴いたうえ、次のとおり決定する。
主文
本件請求はこれを棄却する。
理由
請求人は強姦未遂事件被疑者として、昭和二十九年七月二十七日逮捕されて境警察署に留置され同月三十一日勾留され同年八月十七日付起訴状によつて、
「被告人は、
第一、昭和二十八年三月二十二日午前八時頃、新田郡世良田村大字世良田千八百二十四番地先の道路を自転車に乗つて通行中のA(当二十歳)に、自己の自転車を追突させて、同女を同所附近の溝に転倒させ、同女を仰向けに押し倒し、これに馬乗りになり、強いて同女を姦淫しようとしたが、折柄同所附近に通行人があつた為め、その目的を遂げず、
第二、同年四月二十八日頃の午前七時三十分頃、同村大字三ツ木腰戸百五番地の早川堤防附近の畑において、同所で作業中のB(当二十六歳)を俯伏せに押し倒し、馬乗りになつて強いて同女を姦淫しようとしたが、同女に抵抗されてその目的を遂げず、
第三、同年十二月八日午後九時頃、新田郡綿打村大字下田中二十六番地の二地先の道路を自転車に乗つて通行中のC(当二十年)に自己の自転車を追突させ、更に同女の右肩の辺りを突き飛ばして転倒させ同女を同所附近の畑に仰向けに押倒して馬乗りになり、同女の口に土を詰め込み、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女に抵抗されてその目的を遂げなかつ
たものである。」
として前橋地方裁判所に起訴せられ、公判に係属中、同年十二月二十二日に保釈せられたものであり右被告事件は前橋地方裁判所昭和二十九年(わ)第一八一号強姦未遂被告事件として同裁判所において審理せられ、昭和三十年六月二十七日右の公訴事実中、第一事実については被害者Aの告訴が不適法であるとの理由で公訴棄却となり、同第二および同第三の両事実についてはいずれも被告人を無罪とする旨の裁判がなされ、右の判決は控訴の申立なく確定した。そして、請求人は右事件において、逮捕から保釈されるまで前後百四十九日間勾留され、精神的肉体的に多大の損害を蒙つた。よつて右勾留日数一日金四百円の割合による合計金五万九千六百円の補償を求めるため、本件請求に及ぶ、
というのである。
よつて、一件記録を調査するに、先ず請求人は、昭和二十九年七月二十七日前記公訴事実中の第一事実すなわち、Aに対する強姦未遂被疑事実により太田簡易裁判所裁判官の発布した逮捕状の執行を受け、同月三十一日前橋地方裁判所太田支部裁判官の発布した勾留状の執行を受けて勾留され、同年八月十七日前橋地方検察庁検察官より前橋地方裁判所に対し前記の如く起訴せられ、同年十二月二十八日保釈許可決定により釈放され、更に昭和三十年六月二十七日前記公訴事実中、第一事実については、被害者Aより適法な告訴がなされなかつたものとして公訴棄却となり、右の公訴事実中、第二および第三の各公訴事実についてはいずれも被告人が犯人であることを認めるに足る確証が十分でなく、結局犯罪の証明がないからとの理由によつて無罪の裁判の言渡がなされ、該判決は控訴の提起なく当時確定したものであることが明らかである。
よつて、本件補償の請求について以下順次検討する。
第一、右の公訴棄却のなされた点について見るに刑事補償法第二十五条によれば、公訴棄却の裁判を受けた者は、もし公訴棄却の裁判をなすべき事由がなかつたならば無罪の裁判を受けるべきものと認められる充分な理由があるときに限り、抑留拘禁による補償を受けることができると規定されているので、前記Aに対する強姦未遂の公訴事実について、若し適法な告訴がなされていたものとすれば、果して無罪の裁判を受けるべきものと認められる充分な理由が存するか否かにつき審按するに、一件記録中の第二回公判調書中の証人Aの証言記載部分、同証人に対する昭和二十九年十二月二日附証人尋問調書、同日附裁判所の検証調書等の各記載内容を綜合すれば、犯人の何人かの点を除きAが公訴事実記載のような被害を受けたことは明瞭である。そして、その犯人が何人なるかについてみるに、前記公判調書中のAの証言記載部分、前記検証調書、第九回公判調書中の被告人(請求人、以下同じ)の供述記載部分、第七回公判調書中の証人新井絹代、同加藤さく子の各供述記載部分等本件公判記録によつて明らかなように被告人所有の国防色上衣、同色ズボンが押収されている事実を綜合すれば、犯人は国防色の上衣、ズボンを着用していたものであると考えられる。しかして右被告事件の公判において採用せられた各証拠を仔細に検討すれば当時被告人は同色の上衣、ズボンを着ていたこと。被告人の背丈容ぼうが右被害者Aの供述と一致すること。犯行場所が被告人の当時稼働していた工事場への通路に近いこと。被告人は昭和二十八年八月頃と同年十二月頃の二回に亘り、右事件と類似の所行に及んでいることをそれぞれ認めることができ、右認定事実によると、被告人を右事件の犯人として嫌疑をかけるに足りる充分な理由が存在したばかりでなく、被告人の司法警察員に対する昭和二十九年七月二十八日附(二通)、ならびに検察官に対する同年八月五日附、各供述調書によれば、被告人は右事実を自白しているのであつて、しかも右各供述調書は、その体裁および記載内容ならびに被告人の取調を担当した各警察官の証言によれば、自白の任意性を疑わしめるに足りる状況は毫も存在しない。それ故前掲各証拠と被告人の右自白とが相俟つて被告人が右事件の犯人であることの嫌疑は極めて濃厚であると言はざるを得ない。
尤も、昭和二十九年十二月二日附Aに対する証人尋問調書、同日附検証調書、第六回公判調書中の証人須藤秀哉、同須藤政明の各供述記載部分を綜合すれば、犯人の乗つていた自転車は被告人の当時の常用自転車および使用しうべき兄の自転車と同一性がないように思われるけれども、前記Aの証人尋問調書によれば同人が犯人の自転車を目撃したのは犯行後極めて短かい時間に過ぎなかつた事実を認めうるのであるから、犯行当時と様子が変えられている前記自転車をみせたところ、犯人の自転車は前記被告人の使用しうべき自転車と相違していると思う旨の供述に対しては、遽かにこれを措信しえないものがある。
要するに、被告人を犯人なりと断定するには合理的な疑いをさしはさむ余地が存するかもしれないが、被告人の犯行として右嫌疑はきわめて濃厚であるといえるから、右公訴事実につき適法な告訴があつたならば、果して被告人は無罪と断定し得るに足りるか否か、この点、極めて微妙なものがあるのではなかろうか。
この点につき、一件記録に徴すれば、公訴棄却の理由は被害者が犯人を知つた日から六箇月を経過した後に告訴がなされているから該告訴は不適法だというにあるが、右公判裁判所は唯単に右の告訴の提起期間の点のみならず更に本件事案の内容についても実体的審理を遂げ詳細に事案を検討し、その判決理由においてもその点を比較考量した上で断案を下していること。被告人は裁判所において終始右公訴棄却となつた事実を否認し、検察官提出の多くの書証を認めず、ために多数の証人を尋問したり現場検証をもなしていることなど、本件公判の審理の経過、および事案の軽重等を考え合せるのに、前記無罪となつた事実を除いて右公訴棄却の事実だけについても、被告人を、さきのような期間逮捕し勾留する必要が充分存在したことを認めることができる。以上の如き観点よりすれば本件公判審理においては、その審理に必要且つ相当と思料される勾留日数を要したにすぎず、これを以つて不当に長い期間被告人を勾留したものとは考えられない。
第二、次に前記公訴事実中、第二および第三の各事実について考量するに、本件記録によれば、被告人が当初境警察署に逮捕せられ且爾後勾留せられた際の被疑事実は前記第一事実に対するものにすぎず、右、各被害者Bならびに同Cについての強姦未遂の事実については、逮捕、勾留等の処置はなされていない、それ故、本件逮捕、勾留はこれらの事実についての嫌疑に基くものとは思料し難いものと考える。
しかのみならず、前記第一において論述した如く右被告事件についての公判審理の経過に徴すれば本件勾留等は前記Aのみに対する強姦未遂被告事件に対する勾留として、必らずしも不当に長い期間のものと解することも出来ない。
以上の次第であるから、請求人に対しては、全部の補償をしないのが相当である。よつて請求人の本件請求はすべて理由がないからこれを棄却すべく、主文のとおり決定する。
(裁判官 細井淳三 藤本孝夫 丸山喜左衛門)