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前橋地方裁判所 昭和45年(ワ)351号 判決 1973年10月01日

原告

手島信吉

被告

平井商店

ほか二名

主文

一  被告らは原告に対し各自金五八五万四、四〇七円及びこれに対する昭和四五年一二月二九日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担としその余を被告らの連帯負担とする。

四  この判決は右一項に限り仮りに執行することができる。

事実

(甲)  申立

(原告)

被告らは原告に対し、各自金一、八四一万三、三一二円及びこれに対する昭和四五年一二月二九日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決、並びに仮執行の宣言。

(被告ら)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

(乙)  主張

(原告の請求原因)

第一

一  昭和四二年四月四日午後二時三〇分ごろ、原告は群馬県前橋市千代田町一丁目九番七号先交通整理の行なわれていない交差点道路上(以下本件交差点という)を自動二輪車(前橋市一六、三五七号。以下本件甲車という)に乗つて北方より南方へ向け進行中、同所を東方より西方に向け進行した被告平井敦子運転の自家用貨物自動車(群4な五、九〇七号。以下本件乙車という)と衝突し、因つて原告は路上に転倒し右大腿部打撲症等の他、後記第二項二(一)(二)記載のとおりの後遺症を受けた(以下本件事故という)。

二(一)  右は被告平井敦子の過失によるものである。即ち、同被告は右交差点を東方より西方に向け時速約三〇粁で直進しようとしたのであるが、かかる場合自動車運転者としては前方に注視するは勿論、特に左右に通じる道路からの交通の安全を確認し、事故の発生を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるのに、前方のみに気を奪われ、右方からの交通の確認を怠つた過失により、折から本件交差点に進入してきた原告運転の本件甲車を約三・三米右前方にはじめて発見し、急制動の余祐もなく本件乙車前部に衝突させたものである。

よつて、被告平井敦子は民法第七〇九条に基き、本件事故によつて受けた原告の損害を賠償する責任がある。

(二)  被告株式会社平井商店(以下被告会社という)は本件乙車の所有者であつて、これを自己の為運行の用に供するものである。

よつて、被告会社は自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)第三条に基き、本件事故によつて受けた原告の損害を賠償する責任がある。

(三)  被告平井東一は被告会社の代表取締役であり、被告平井敦子は同会社の従業員である。そして本件事故は被告平井敦子が被告会社の業務執行中に生じたものであつて被告平井東一はこれにつき指揮監督をしていたものである。

よつて、被告平井東一は民法第七一五条第二項に基き、本件事故によつて受けた原告の損害を賠償する責任がある。

第二  本件事故による原告の治療経緯、後遺症、並びに損害はつぎのとおりである。

一(一) 原告はつぎのとおり通算八二六日間の入院加療を受けた。

(1) 昭和四二年四月二七日から同年八月二八日まで群馬中央総合病院。

(2) 昭和四三年一月一六日から同年三月二四日まで得津整形外科医院。

(3) 昭和四四年一二月八日から昭和四五年三月七日まで富士見台病院。

(4) 同年六月二二日から同年九月二二日まで榛名荘病院。

(5) 同年九月二八日から昭和四七年二月二九日まで美原病院。

(二) 原告はつぎのとおり通算五六〇日間の通院加療を受けた。

(1) 昭和四二年四月四日から同年同月二七日まで関口整形外科医院。

(2) 昭和四三年三月二五日から昭和四四年九月八日まで得津整形外科医院。

二 原告には本件事故による後遺症として頸椎骨軟骨症及び内頸動脈閉塞症がある。

(一) 原告は本件事故に遭遇する前は全く身体的支障や異常症状はなく、元気に勤務(原告は本件事故当時前橋市消防本部消防士長であつた)に励んでいたこと、本件事故により頸椎損傷の傷害が発生したことから、右頸椎骨軟骨症と本件事故との相当因果関係の存在は明らかである。

(二) 内頸動脈閉塞症がいわゆる外傷に基因するかどうかについては医学的客観性に乏しいとされており、外傷との因果関係を明確に否定もできず、肯定もできないところである。ただまれではあるが受傷後相当の期間を経て発現する例もあるとされている。本件については昭和四三年三月の得津整形外科医院における左上肢運動障害発生時を動脈閉塞発症時としてこれを前提にしている。その後同年一一月一八日には右中大脳動脈閉塞が発見され、更に昭和四五年八月三一日には右内頸動脈閉塞にまで発展している。従つて、昭和四三年三月脳波異常を発見する以前に脳血管撮影検査、脳圧検査、超音波検査等をしておれば、すでにその時点で動脈閉塞の病態が発見できたか知れず、同日以前に原告が動脈閉塞症状になつていたことを否定するものではない。

現に原告は昭和四二年四月群馬中央総合病院入院時より頭痛を訴え症状がむしろ悪化していつたこと、傷病休暇の制限の都合上止むなく同病院を退院した同年八月二八日から昭和四三年一月一六日得津整形外科医院に入院するまでの間、その勤務状況は一週間のうち一日以上は休暇をとり、出勤中においても半日も仕事をすると頭痛と首痛を訴え、その度に二時間以上休憩を余儀なくされ、そのため仕事量は半分以下に落ち、計算並びに重要書類に関する仕事を一切できず、同僚に負担をかけ、又防火活動その他対外的活動は一切できなかつた状態であつたから、すでに本件事故直後から昭和四三年三月までの間にいわゆる外傷による脳動脈閉塞症の自覚症状は存在していたものと推定できるのである。

のみならず、原告は本件事故に遭遇するまでは極めて健康的で動脈閉塞症を起す徴候は全く見られなかつたことから、該症状が本件事故によつて惹起された蓋然性ははるかに高いものである。

(三) 以上のとおり、被告平井敦子の加害行為が右(一)(二)の後遺症をもたらした重大な要因であつたといえるのである。

(1) 即ち、まず同被告の運行と本件後遺症との間の因果関係について、原告即ち被害者側で主張立証すべきものは条件的因果関係で足り、相当因果関係の不存在は被告即ち加害者側で主張立証すべきである。けだし、相当因果関係の立証は必らずしも容易ではなく、これを被害者側に負担させることは無過失の主張立証を加害者側に負担させる自賠法の精神に背馳するからである。すると、本件については右(一)(二)のとおり原告の条件的因果関係の主張立証は充分に尽されているものである。

(2) 仮りにそうでないとしても、相当因果関係は自然的因果関係の存在を前提とする。而して相当因果関係は右自然的因果関係のなかで加害行為の責任主体に責任を決定するについて必要な範囲における因果関係を意味する。行為と結果との因果関係の鎖を自然科学的に立証するのは現代においても通常不可能である。そして現代の科学ですら解明できないことを理由に過去の科学的成果を排斥すればすべて無責任論に帰着する。だから、因果関係は従来の科学的成果を基礎とした科学的究明に基き、加害行為が行なわれ、それによつて被害を蒙つたという客観的事実の確定がなされたときは、相当因果関係は充足すると考えて然るべきである。

本件ではさきに右(一)(二)でふれたとおり、原告が本件事故を受けてから脳動脈閉塞症が発見されるまでの原告の病状経過が明らかにされているので原告の因果関係の主張は充分に尽されている。

勿論、加害行為と被害症状との関係では高度の自然科学上、即ち医学上の知識を必要とするが、余りにも厳しく医学的な解明を求めることは不法行為制度の根幹を為している衡平の見地から妥当ではない。状況証拠の積重ねにより関係諸科学との関連においてとくに矛盾がなく説明できれば法的因果関係即ち相当因果関係の証明があつたと解すべきである。

(3) 仮りにそうでないとしても、本件のような脳動脈閉塞症は医学的には本件事故との因果関係が否定も肯定もできないとされている。しかし、右(二)でみるとおり原告は本件事故に遭遇するまではそのような徴候は全く見られない極めて健康な身体であつたから右後遺症は本件事故による蓋然性が極めて高いものである。してみると、直接の因果関係の立証が困難であることの一事を以てこれを否定することは相当でない。

本件では加害行為と傷害結果との因果関係について肯定の証拠と否定の証拠がともに存在する。とすれば、相当因果関係の存在を一〇〇パーセント肯定するか否定するかの二者択一の途を採るべきでなく、七〇パーセント以上の相当因果関係にある損害額を認容すべきである。けだし、このような場合右の範囲を一〇〇パーセント擬制して全てを認容すると、却つて不当に被害者を有利にし、反面全てを棄却すると不当に加害者を有利にし損害賠償制度の理念である損害の公平な分担の精神に背馳するからである。

又、原告の右(一)(二)の後遺症は本件事故がその一因となつていると考えられるけれども、他の諸々の要因と本件事故がたまたま複雑にからみ合つて惹起されたものであることを考えてみても、右のように七〇パーセント以上の範囲で相当因果関係の存在を肯定すべきである。

(4) なお、後遺症自賠責任保険請求手続中における診断では原告の後遺症は第一級とされている。

三(一) 原告は前記一(一)(2)及び(二)(2)の治療費のうち共済組合負担分を控除し原告は金九、四四〇円を支払つた。

(二)(1) 昭和四二年五月一九日から昭和四三年九月一日までの間の原告の休業日数は八か月と一日であつて、この間の給料及び諸手当支給分は金一五八万三、一一八円であり金一一万三、一〇〇円を減額された。

(2) その後も原告の症状は思わしくなく、昭和四五年三月九日前橋市消防長より同日から昭和四六年三月八日まで休職を命ぜられ、その間の給与は一〇〇分の八〇を支給されることとなつた。

昭和四二年度の給料金五二万五、九〇〇円、扶養手当金一万五、二〇〇円、期末手当金一七万九、〇一〇円、特勤手当金四、八〇〇円、勤勉手当金二万一、二〇〇円、超勤手当金四万八、〇〇〇円、合計金七九万四、一一〇円であり、これを基準とすると休職期間中の損害金は金一五万八、八二二円となる。

(3) 従つて、休業補償費は右(1)(2)の合計金二七万一、九二二円である。

(三) 前記二(三)(4)記載のとおり原告の後遺症は第一級に該当する。従つて原告は稼働能力を一〇〇パーセント喪失したので昭和四二年度の収入を基準にすると年間金七九万四、一一〇円の得べかりし利益を失つた。原告は昭和四六年三月九日現在満四二才(昭和三年八月一二日生)であり就労可能年数は二一年である。その間のホフマン係数は一四・一であるから、結局原告の得べかりし利益の喪失は合計金一、一一九万六、九五〇円となる。

(四)(1) 前記一(一)記載の入院治療中の慰藉料は一か月当り金一五万円が相当であるから計金四一二万五、〇〇〇円となる。

(2) 又、前記一(二)記載の通院治療中の慰藉料は一か月当り金七万五、〇〇〇円が相当であるから、少くとも計金一三一万円となる。

(3) 又、後遺症による慰藉料は金三〇〇万円が相当である。

四 以上前記三(一)ないし(四)の総計は金一、九九一万三、三一二円となるところ、原告が受領している自動車損害賠償責任保険(以下自賠責保険という)後遺症障害補償費金一五〇万円を控除すると金一、八四一万三、三一二円となる。

第三  よつて、原告は被告らに対し各自金一、八四一万三、三一二円及びこれに対する昭和四五年一二月二九日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金内金の支払を求める。

(請求原因に対する被告らの答弁)

一  請求原因第一項一のうち、原告主張の日時場所で甲車と乙車が原告主張のそれぞれの方向より走行し、両車が接触したことを認め、その余を否認する。殊に右両車が衝突したことは否認する。同項二(一)(三)を否認する。(二)のうち、被告会社が乙車の所有者であつて自己の為に運行の用に供する者であることを認める。その余同第二項一(一)のうち(2)を認め、その余は不知。同項一(二)は全て不知。同項二(一)ないし(三)を全て争う。原告の受けた傷害は昭和四二年四月二七日をもつて治癒し、後遺症も何ら存在しない。同項三(一)(二)は不知。同項三(三)(四)を否認する。同項四のうち自賠責保険金として金一五〇万円が原告に支払われたことを認め、その余を否認する。同第三項を争う。

二(一)  頸椎骨軟骨症は頸椎の既成の骨組織から石灰塩類が脱出して頸椎が本来の硬さを失い、ひいては変形を来すもので、右の症状は骨組織に徐々に生じた生理的変化である。従つて該症状は交通事故等何らの誘因もなく発症する例が多いとされる。又、そもそも相当因果関係の有無については相当性の判断に先行していわゆる原因と結果との間に条件関係がなければならないが、原告の該症状が本件事故後に生じたかどうか不明であるから右の条件関係は存在しない。まして本件事故から結果発生の蓋然性が高いなどとは到底いえないし、いわゆる疫学的因果関係も存在しない。

(二)  又動脈閉塞症は臨床例からみても外傷を原因とするものは比較的まれで、その例は数パーセントとされ、大部分は脳腫瘍、脳動脈硬化症、その他の血行障害、梅毒等を原因として発症する。又、外傷に起因するとしても受傷後数時間ないし数日間に発症することが多く、その特色は早期発症にある。

本件では明白に原告の内頸動脈閉塞症が発生したと認められる時期は本件事故後一年八ケ月も経過した時点であり、仮りに左上肢運動障害発生時をとらえてみても、同時期は本件事故後一一ケ月も経過した時点である。

よつて、右の因果関係有無の証明度については少くとも五〇パーセントを超えるものがなければならないが、右のような事例では本件事故と因果関係があるとは到底いいえない。

(三)  そもそも確率的心証論はつぎのように理解されるものである。

まず、民事交通訴訟における主要事実の認定証明度は他の一般の民事訴訟事件と異なるところはないとし、つぎに裁判官の心証を量的に測定しうるとの前提に立つて、民事交通訴訟の場合損害が金額の算定という可分的契機を含む点を利用し、心証度(確率)を損害額に投影させようとするものである。

従つて、裁判官の心証を量的に測定できるとの前提に立つから右の心証を分量的表現(数値)に置き換えることになる。

例えば、疎明の証明度をG点とし、証明の証明度をB点とすれば、G点はB点より上にあることはないが、又五〇パーセントより下に落ちることもないであろう。従つて又B点が五〇パーセントの点であることはありえない。いま仮りにG点を六〇パーセントとすればB点はそれ以上明証点にまでの間にあればよいことになる。証拠による認定を云々しうるためには少くとも疎明点を超えていなければならない。又B点を八〇パーセントとすると八〇パーセントから五〇パーセントまでの間は真偽不明ということになる。

本件にあらわれた証拠では右のG点六〇パーセントにも達しないこと明らかである。

更に裁判官の主観(心証度)によつて損害の割合を定めることは抽象的には証拠に拘束されるとはいえ、裁判の自己抑制を排除する危険性が多分にあり、これを裁判を受ける立場からみれば裁判官の心証にのみゆだねるから客観的事実としての類型化が不可能であり、交通事故の大量発生による他のケースとの比較で公平の原則を担保する措置が図りえず、さらにはこのような分割責任を肯定する実定法上の根拠もない。

(被告らの抗弁)

第一

一  本件事故現場は車道幅員約一二米アスフアルト舗装道路及び歩車道の区別がある立川町方面より前橋公園に通ずる道路(以下甲道路という)と、甲道路に直角に交る幅員約四米歩車道の区別のない道路(以下乙道路という)との十字路交差点(本件交差点である)である。信号機はない。

甲道路は立川町方面に向つて約四〇米の地点で国道一七号線を直角に交差し(以下手前交差点という)、同交差点には信号機がある。

二  乙車は甲道路左側センターライン寄りを立川町方面より前橋公園に向け手前交差点の信号機が青を表示したのに従い、時速約三五粁で本件交差点へ走行した。

甲車は乙道路を乙車にとつて右方より本件交差点へ進入した。

而して甲車は本件交差点の中央寄りやや乙車にとつて左寄りの地点で乙車右ヘツドライト上部附近に接触したものである。

三  本件交差点においては甲道路は乙道路に比較して明らかに広く、従つて甲道路上を走行する乙車に優先権があり、且つ乙車は甲車にとつて左方車にあたるからこの意味でも乙車に優先権があるというべきである。

従つて、原告は本件交差点に進入するに当つては直ちに停止することができるような速度で甲車を走行する注意義務があるところ、これを怠り、漫然同一速度で走行し、本件交差点で乙車に接触させた過失がある。

よつて、損害額の算定については右の過失を当然斟酌すべきである。

第二  被告らは原告に対し、つぎのとおり金三万五、五五〇円を支払済である。

(1) 治療費 金一万五、八五〇円

(2) コルセツト代 金九、七〇〇円

(3) 示談金の一部 金一万円。

(抗弁に対する原告の答弁)

抗弁第一項一ないし三を否認する。原告は本件交差点を北から南へ向け進行して来て一時停止し左右の安全を確認したところ、車両の通行がないことが確認されたので徐行して進み、本件交差点の中央部附近まで進むと被告平井敦子運転の乙車が進行してくるのがみえたので危いと思い停止していたところ衝突されてしまつたのであつて、原告には何ら過失はない。同第二項(2)を認める。その余を否認する。

(丙) 証拠〔略〕

理由

第一

一  原告主張日時場所において甲車と乙車とが原告主張のそれぞれの方向から走行してきたことは当事者間に争がなく、又、〔証拠略〕によると、被告平井敦子(旧姓川口)は乙車を運転して甲道路左側センター寄りを時速約三五粁の速度で進行し本件交差点にさしかかつたところ、乙道路より同交差点に進入した来た原告運転の甲車と同交差点中央部辺で接触し、そのはずみで原告をして路上に転倒させ、因つて原告に右大腿部打撲症、右下腿部打撲擦過傷、左大腿部打撲症、左下腿部打撲擦過傷、頸椎捻挫の傷害が生じたことが認められ、これに反する証拠はない。

二(一)  そして証拠略によると、右事故は本件交差点が交通整理の行なわれていない左右の見通しがきかない十字路であるから、自動車運転者としては前方を注視するは勿論特に左右に通ずる道路からの交通の安全を確認し事故の発生を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるのに、被告平井敦子は前方のみに気を奪われ、右方からの交通の確認を怠つた過失により、折から本件交差点に進入してきた甲車を約三・四米右前方にはじめて発見したが急制動の余裕もなく、同交差点中央部において乙車前部に接触させたものであることが認められ、これに反する証拠はない。

すると同被告は民法第七〇九条に基き、本件事故によつて受けた原告の損害を賠償する責任があるといわなければならない。

(二)  被告会社が乙車の所有者であつてこれを自己の為に運行の用に供する者であることは当事者間に争がない。

すると、同被告は自賠法第三条に基き、本件事故によつて受けた原告の損害を賠償する責任があるといわなければならない。

(三)  〔証拠略〕によると、被告平井東一は被告会社の代表取締役であり、被告平井敦子の実兄であつて、且つ右会社は被告平井敦子の生家であるところ、同被告は右会社製品の配達と集金事務に従事する従業員であり、出勤時等には子供の送迎用にも乙車を使用するのを常とし右会社もこれを容認していたものであること、本件事故は同被告が右会社より自宅へ子供を迎えに行く途中惹起されたものであることが認められるところ、以上の事から右事故は被告平井敦子の業務執行中に生じたもので、且つ被告平井東一の指揮監督に服していたものといえる。

すると、被告平井東一は民法第七一五条第二項に基き、本件事故によつて受けた原告の損害を賠償する責任があるといわなければならない。

三  つぎに被告らは過失相殺を主張する。

(一)  まず、〔証拠略〕によると、甲道路は車道幅員約九米のアスフアルト舗装道路及び歩車道の区別がある立川町方面より前橋公園に通ずる道路であること、乙道路は甲道路に直角に交る幅員約五・八米の歩車道の区別のない道路であつて、右甲乙道路が交差する本件交差点には本件事故当時信号機が設置されていなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。

(二)  右第一項一並びに三(一)記載のとおり明らかに甲道路が乙道路より広く、且つ甲車より見て乙車は左方の道路から同時に本件交差点に入ろうとしているのであるから、当然乙車が優先して進行し、甲車はこの進行を妨げてはならないというべきであるのに(昭和四二年法律第一二六号道路交通法第三五条第三項、第三六条第三項参照)、原告はこれを怠り、乙車に対向する車両の進行にのみとらわれ漫然と本件交差点中央部附近まで進行し、因つて本件事故に遭遇したものであることが認められ、原告にも過失があることが明らかである。原告は本件交差点手前で一旦停車し左右の安全を確認したが、進行車両がないので同交差点中央部附近にまできたところ、東方より甲道路上を進行する車両が約四米先に認められたので同所で停止していたと供述するが、被告平井敦子本人尋問の結果に照らしにわかに措信し難いところである。

よつて、損害額の算定については右原告の過失を五割程度斟酌するを相当と考える。

第二  ところで、原告はなお本件事故によつて頸椎骨軟骨症及び内頸動脈閉塞症の後遺症が残つたと主張する。

一  おもうに、法的価値判断は価値評価の作用であり、価値評価はまず事実の確定を前提とする。事実の確定を抜きにする限り価値の評価は空虚なものである。

そこで、因果関係の問題はまず原因なかりせば結果もありえないという事実の問題であり、唯、人間の思惟作用は現象界の事象を簡純化しともすれば一の原因が一の結果を生ずるという図式化した弊害をともないやすいが、事実はそう簡単なものでなく、複数の原因が併存し競合し複数の結果をもたらしこれがからみ合う複雑なものであることを注意しなければならない。しかも、自然科学上の法則性は右因果の関係をば必然的なものとみるが、複雑な人間の身体的精神的現象、文化現象等は右因果の関係は或る程度の確率的ないし蓋然的法則性を以て満足しなくてはならないのである。けだし、経験科学では認識された法則性の客観性を担保するものは検証可能性であるといえるが、自然科学については右検証を可能にする経験素材は比較的豊富であるが、人間若しくはその文化現象を対象とする科学ではそれに限度があるからである(蓋然的法則性にはその法則性が真実に合致するかどうかの確信の度合に違いがある場合もあり、結果発生の可能性が自然科学上のそれが一〇〇パーセント出て来るのと異り、何パーセント導かれるかについて差異がある場合もある)。もとより、右はその典型に科学の体系にとり入れられた法則性を主眼として考察したが、我々の日常茶飯生ずる出来事についても無意識的に多かれ少かれ右の方法がとり入れられているのである(もつとも、そこには価値の問題と事実認識の問題とが混淆し、事実選択についての好み、偏見、関心の持ち方など多少割引いて考えなければならない要素があるとしても)。経験法則とはそのようなものである。被告の主張する確率的心証論はまさに右のように事実認定の問題であつて認定事実を法的価値判断の立場からどのように評価するかという価値判断の問題ではない。そして、右経験法則を用いる場合には通常いくつかの経験法則の複雑な交錯の結果結論(事実の真実性)が見出せるのであつて、経験法則の並列複合によつて事実認定を醇化しうるのである。今心証の証明度を六割とすれば右経験法則の複合によつて右の程度に達すれば事実は認定されるものであつて、右に達しない心証では真偽不明の状態となりこれを超える場合と質的に異なるのであるから、右の証明度を以つていわゆる閾値ということもできる。そこで右の閾値を超えたときに証拠の優越というのであつて、これは交通事件のみならず、他の一般民事々件にも妥当するものである。ただ右のようにしてえた心証度を損害額の算定につき金銭の可分的契機を含むが故に投影させようとする点については疑問がある。けだし、因果の関係は結果発生の蓋然性に差はあるとはいえ、あるかないかの認識の問題であり(蓋然性の程度とは、或る事実があるかないかの確からしさに程度の差があるという意味である)、一旦確定した事実をどの程度に評価するかという価値評価の問題と異るからである。もつとも、右のように事実には複数の結果が競合することもありうる複雑な現象形態であれば、例えば証明の対象となつている甲なる事象とその対象となつていない乙なる事象とが事実として認められ、それが競合して一の結果をもたらす場合、右乙を以て証明の対象となつていないからといつてこれを無視し、甲なる事象のみが結果をもたらした原因であると看ることはできないであろう。そのような場合は甲事象と乙事象をともに前提としつつ損害額の算定につき割合的寄与率が考えられて然るべきであり、価値判断の作用がそこに含まれているとみるべきである。

従つて、事故との因果関係が肯定も否定もできないときは損害額を割合的に算定すべしという原告の主張は価値判断の前提となるべき事実殊に証明の対象となつている事実の認定という点を無視しており妥当ではなく、又条件的因果関係のみ被害者側で立証すれば足り、相当因果関係の不存在は相手方に立証すべきであるという原告の主張も妥当ではなく、相当性の判断は事故と結果をどの範囲で認容することが妥当であるかという一の価値判断であるといわなければならない。

二(一)  ところで、原本の存在及び〔証拠略〕を総合すると、原告の治療経緯並びにその診断はつぎのとおりであることが認められる。

(1) 昭和四二年四月四日から同年四月二八日まで関口整形外科医院において、右大腿部打撲傷、右下腿部打撲擦過傷、左大腿部打撲傷、頸椎捻挫のため通院治療を受けていること。

(2) 同年同月二七日から同年八月二八日まで群馬中央総合病院において、頭部頸部左腰部臀部打撲後遺症の診断のもとに入院八一日、通院一四日の治療を受けていること。

右症状は退院時、(イ)頸部及び項部痛が持続しており、(ロ)複視(左側眼筋及び動眼神経麻痺)、(ハ)左上肢に神経麻痺があり、知覚触覚異常があつたとされていること。

(3) 昭和四三年一月一六日から昭和四四年四月三〇日まで得津整形外科医院において頸椎損傷の診断のもとに入院六二日、通院七三日の治療を受けていること。

右症状は右上肢の腱反射亢進、ホフマン反射(+)、手関節は掌屈し背屈不能、知覚鈍麻あり、肩関節は前後挙著しく制限される。左下肢腱反射亢進、痙性反射があり、足関節の背屈も制限されるとされていること。

(4) 同年一二月九日から昭和四五年三月七日まで足利富士見台病院において(イ)頭部外傷後遺症、左顔面神経麻痺、尺骨神経麻痺、(ロ)心因反応の診断のもとに入院加療を受けていること。

右(ロ)については全治退院したが、右(イ)については退院後約六ケ月間社会復帰のための機能訓練が必要であるとされていること。

(5) 同年六月二二日から同年九月二二日まで榛名荘病院において頸椎損傷、右内頸動脈閉塞症、頭部外傷後遺症の診断のもとに入院加療を受けていること。

右症状については意識状態正常、腫孔正常、視力正常、握力正常、胸腹部異常なし。左半身不全麻痺、特に左上肢に強い、肩拳上肘屈伸はかなりよいがスムースではない。前腕より末稍は動作不能、左半身の感覚はわずかに低下している。

(6) 昭和四六年四月一二日から昭和四七年二月二九日まで美原病院において脳血栓の診断のもとに入院加療を受けていること。

右診断によると、昭和四三年一月一五日発病、左半身不全麻痺、独立歩行可能(跛行)、左顔面知覚鈍麻、左顔面神経麻痺、左半身不全麻痺、一直線歩行拙劣、入院加療中なるも症状は殆んど固定状態にあるとされていること。

(7) 昭和四二年七月二五日から昭和四三年四月四日まで群馬大学医学部附属病院において検診の結果、頸椎骨軟骨症と診断されていること。

(8) 原告は昭和四三年一月ごろから頭痛を、同年三月一七日ごろより左上肢の運動障害を訴えたので同年四月八日群馬大学医学部附属病院において検討の結果脳波検査では右半球の機能異常が認められ、同年一一月一八日再度の検診の結果中大脳動脈閉塞症が発見され、更に昭和四五年八月一三日左半身麻痺が増強したため検診の結果動脈閉塞は心臓側へ更に進展し右内頸動脈閉塞症と診断されていること。

(9) 昭和四七年五月二日前橋赤十字病院において検診の結果、自動運動は左肩関節前拳一〇〇度、後拳四〇度。外転一一五度。左肘関節伸展一七〇度、屈曲六五度。左手関節伸展屈曲、左足関節背屈ともにゆつくり時間をかけて僅かにできる。左足関節底屈一〇度から二〇度。他動運動は全て最大限度可能と診断されていること。

(二)  そこで、以上の診断を前提に検討するに、中大脳動脈閉塞症は「脳・神経外傷第三巻第三号七頁ないし三五頁」によると、その発生原因には外傷のほか腫瘍、血管障害、梅毒、その他の炎症性疾患があり、外傷(外傷の種類は頭部打撃、頸部挫傷等がある)の原因のものの頻度はさほど多いものではないが、受傷機転は軽度な外傷が比較的多いこと、受傷と症状発現には間隔をおいて二週間以内に発症する例が多いが、まれには長期間経過後に発症する例があり、その症状の特徴は片麻痺、皮質性知覚障害、同名半盲、失語症、中枢性顔面神経麻痺、視神経萎縮と視力低下をみることもあるとされているところ、群馬大学附属病院、美原病院では右発症は昭和四三年一月ごろとされている(右(一)(6)(8)参照)が、原告は既に右(一)(2)にみるとおり群馬中央総合病院において複視(左側眼筋及び動眼神経麻痺)及び左上肢に神経麻痺があり、知覚触覚異常があるところから、原告の場合少くとも昭和四二年八月ごろに発症しているともみられ、又原告も本件事故以前は健全な身体であつて、右外傷以外の発生原因(腫瘍、血管障害、梅毒、その他の炎症性疾患は)考えられず、且つ右(一)(1)から(2)への診療機関の切りかえ時には右(1)の病状がなお持続(治癒したのではなく)していたが、右切りかえは原告の意思によるものであることが〔証拠略〕の結果認められるのであつて、これらを綜合すると原告のいわゆる右内頸動脈閉塞症は本件事故がその一因をなしていると看るのが相当である。唯、右(一)(4)(9)で明らかなように心因反応がみられ、その受療態度にもいい加減なところがあり、ノイローゼ、自殺未遂を企てたこともあつて(このことは〔証拠略〕によつても認められる)、これが必要以上に原告の症状を重くし長びかせる一因にもなつていると考えられるので、結局以上を綜合して考えると、原告の右内頸動脈閉塞症に本件事故が寄与した割合はこれを七〇パーセントとみるのが相当である。

なお、頸椎骨軟骨症が本件事故による後遺症であるかどうかは、結局これを認めるに足りる証拠がなかつた。

第三  本件事故によつて受けた原告の損害額はつぎのとおりとなる。

一  〔証拠略〕によると、原告は前記第二項二(一)(3)の治療費金九、四四〇円を支払つたことが認められるところ、前記第一項三記載の原告の過失の程度を斟酌し金四、七二〇円の限度でこれを認めるのを相当とする。

なお、右治療の段階では原告の後遺症は未だ問題を生じていないので、前記第二項二(二)記載の事情は考慮しない。

二(一)  〔証拠略〕によると、原告は昭和四二年五月一九日から昭和四三年九月一日までの八ケ月一日間欠勤したため(勤務先は前橋市消防本部)、その間の給料及び諸手当を金一五八万三、一一八円支給されたにとどまり金一一万三、一〇〇円を減額されていることが認められるけれども、なお前記第二項二(二)記載の事情を昭和四三年度分に考慮すると金一〇万七、四〇〇円となるところ、更に前記第一項三記載の原告の過失の程度を斟酌し、結局金五万三、七〇〇円の限度でこれを認めるのを相当とする。

(二)  更に、〔証拠略〕によると、昭和四五年三月九日より昭和四六年三月八日まで休職を命ぜられ、給料諸手当の一〇〇分の八〇を支給されることになり、現に給料金八五万一、〇二五円と諸手当金二一万八、二四〇円合計金一〇六万九、二六五円の支給を受くべきところ、給料金六八万〇、八二〇円と諸手当金一三万二、九九九円合計金八一万三、八一九円の支給を受けたにとどまり、差引金二五万五、四四六円の支給を受けなかつたことになるが、なお、前記第二項二(二)記載の事情並びに前記第一項三記載の原告の過失の程度を斟酌すると金八万九、四〇六円の限度でこれを認めるのを相当とする。

三  つぎに、〔証拠略〕によると、原告の後遺症が自動車損害賠償法施行令第二条による等級第一級と認定されていることが認められるけれども、前記第二項二(二)で考察したように本件事故が右内頸動脈閉塞症に寄与した割合を考慮に入れると、原告の昭和四六年三月九日以降の稼働能力は七〇パーセント喪失したとみるべく、右前記第三項二(二)記載のとおり原告は昭和四五年度には合計金一〇六万九、二六五円の収入を得べきところ、右同日現在原告は満四二歳(昭和三年八月一二日生。これは〔証拠略〕によつて認める)であり、向後少くとも一八年間消防職員として勤務出来た筈であり、その間のホフマン係数は一二・六〇三であるから、結局原告の右期間における逸失利益は計金八〇八万五、五六八円となるが、前記第一項三記載の原告の過失の程度を斟酌すると金四七一万六、五八一円の限度でこれを認めるのを相当とする。

そして、原告が自賠責保険金一五〇万円を受領済であることは当事者間に争がないところ、これは後遺症障害補償費としてであることが〔証拠略〕によつて認められるのでこれを控除すると、右逸失利益は結局金三二一万六、五八一円となる。

四  又、原告は前記第二項二(一)ないし(6)記載のとおり入院及び通院加療を受けているところ、その間の慰藉料は前記第二項二(二)記載の事情並びに前記第一項三記載の原告の過失の程度を斟酌すると金一五〇万円を以て相当とし、後遺症(右内頸動脈閉塞症)のそれについては右の事情並びに右過失の程度を考慮して金一〇〇万円を相当とする。

従つて、原告の慰藉料の額は合計金二五〇万円の限度でこれを認める。

第四  〔証拠略〕によれば、被告らが昭和四三年一〇月一二日見舞金として金一万円を原告宛支払つたことが認められるので、これを前記第三項四より控除すると、結局原告の被告ら各自に対して請求しうる損害賠償の額は金五八五万四、四〇七円及びこれに対し原告の請求する昭和四五年一二月二九日から支払済に至るまで民事法所定年五分の割合による遅延損害金内金ということになる。

なお、被告らがコルセツト代金九、七〇〇円を支払つたことは当事者間に争がないところであるが、もともと原告が右代金を請求していない(原告は治療費としては前記第三項一の分しか請求せず、これにコルセツト費用が含まれていることを認めるに足りる証拠はない)ので、これを控除する対象がない。又、右の外被告らが治療費金一万五、八五〇円を支払つたことを認めるに足りる証拠はない。

第五  以上のとおりであるから、原告の本訴請求は前記第四項記載の金額の限度において理由があるからこれを認容することとし、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九三条第一項但書第九二条本文第八九条を適用してこれを四分しその一を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とし、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して原告勝訴部分にこれを付するのを相当とする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 宗哲朗)

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