前橋地方裁判所 昭和62年(わ)142号 判決 1987年11月04日
主文
被告人は無罪。
理由
一本件公訴事実は、「被告人は、昭和六二年三月一九日午前二時ころ、群馬県北群馬郡<以下省略>所在の飲食店『C』において、山野太郎(当時四八年)から首を絞められるなどしたことに立腹し、同人の両肩を持つてその後頭部等を数回畳に打ちつけ、さらに、同人が着用していたジャンパー及びズボンのベルトを握つて同人を持ち上げ畳の上に数回落とすなどの暴行を加え、よつて、同人にくも膜下出血、第五頸椎脱臼骨折等の傷害を負わせ、同月二六日午前六時五五分ころ、同県<住所省略>所在のH病院において、同人をしてくも膜下出血に基づく心停止により死亡するに至らしめたものである。」というのであり、これに対して、弁護人は、被告人の暴行行為と被害者の死亡との間には因果関係がない、あるいは、被告人の本件行為は、被害者の被告人らに対する急迫不正の侵害に対して、その身体等を防衛するためやむことを得ざるに出た行為であるから、正当防衛または過剰防衛行為に該当する旨主張している。
二そこで、検討すると、<証拠>を総合すると、次の諸事実が認められ、これを動かすに足りる証拠はない。
1 被告人は、群馬県<住所略>所在の株式会社K旅館の車両係をしていたもので、身長一六七センチメートル、体重約六〇キログラムの体形であるが、昭和六二年三月一八日午後一〇時ころから、同僚とともに勤務先近くの飲食店「A」で飲酒したが、その後友人の甲(以下、「甲」という。)を呼び出して、更に同町内の飲食店「B」で翌日午前一時四五分ころまで飲酒したうえ、空腹を覚えたため、右甲とともに本件犯行現場である飲食店「C」こと乙(以下、「乙」という。)方店舗へ向かった。
2 山野太郎(昭和一三年四月一日生。以下、「山野」という。)は、前記K旅館の営繕課長をしていたもので、身長一六〇センチメートル、体重約五〇キログラム位の体形であるが、かねてより同旅館の経営態勢、殊にS専務取締役、X宴会課長、Y車両課長(以下、「Y」という。)らに対して強い不満を抱いていたところ、昭和六二年三月一八日午後九時三〇分ころから、同じ社員寮に居住する同旅館の第一営業課長であるZとともに同人方で飲酒するうち、右Sらに対する不満の念が募り、翌日午前零時すぎに右Z方を辞去した後も帰宅せず、午前一時四五分ころ、前記「C」店内へ入つた。
3 山野は、従来から酒癖が悪く、前記「C」店内においても、乙に対して、「お前はあいつの女か。」などと言つたりして、悪態をつきながら飲酒していたところ、同日午前二時ころ、被告人と甲が店内に入つてきて、甲が山野の右隣の席に座ろうとしたところ、山野が、「これが川上の女か。」などと発言したため、被告人が山野の右隣の席に座り、甲はその奥の席に座るに至つた。そして、山野は、被告人が右隣の席に座るや被告人がYの部下でもあつたため、被告人に対し、「お前、男のプライドがあるか。」「てめえはYに調子をくれている。」などと申し向けてきたので、被告人においては、以前から山野とYが不仲であると承知していたこともあり、山野が酩酊してYの部下の自分にからんできているに違いないと考え、「俺は社長にも専務にも調子をくれる男じゃねえ。俺にもプライドがある。」と即座に返答したところ、山野がいきなりその場から立ち上がり、被告人のネクタイの結び目付近を右手でつかんだうえ、被告人の首を強く絞めつけてくる挙に出たので、被告人は、「何をするんだ。」と言いつつ、同人の左腕をつかんで離そうとしたが、果たさなかつたため、同人の両肩を両手で押したところ、同人が手を離して、床に尻餅をついて倒れ、壁で肩を打つに至つた。しかし、山野は、直ちに立ち上がつて、「おめえにプライドがあるか。」「けつが青いくせに何を言つているんだ。てめえなんか俺の子供ぐれえだ。」「てめえみてえな若造に負けはしねえ。喧嘩の仕方を教えてやる。」などと罵倒したうえ、両手で被告人の首を絞めてきたため、甲と乙が被告人と山野の間に入つて制止しようとしたのに対して、山野が今度は甲に対して、「おめえが川上の女か。」と言いながら、甲の首を両手で絞めてきたので、被告人は、「やめろよ。いい加減にしろ。」「女には関係がない。」と言いつつ、山野の背後からその両腕をつかんで、その腕を離そうとしたが、山野において、なおも甲の首を力一杯絞め続け、甲の首から手を離そうとはしなかつたが、そのうち被告人の方を振り向き、「何だ。てめえは。小僧のくせに。」などと怒号して、再度被告人の首を両手で絞めてきたため、これを離そうとする被告人ともみ合うような状態になつた。その後、山野は、被告人のネクタイを引っ張るようにして同店奥の座敷に向かい、右座敷に上がりこむや、両手で被告人の首に締められていたネクタイを引つ張つたまま、仰向けに倒れ込んだため、被告人において同人の上に上体を曲げて覆いかぶさるような姿勢で畳に両膝をついたが、同人は、なおもネクタイを引つ張つて首を絞め続けながら、下から被告人を蹴り上げたため、被告人の上体がその場にあつた鏡に当たつたが、同人は、仰向けのままなおも両手で被告人の首を絞め続ける一方、被告人も同人の上になつてその肩を両手でつかんでいた。そうするうち、被告人は、山野の両肩を両手でつかんだまま、畳から約五〇センチメートル位持ち上げて上下に揺さぶり、その後頭部や背中を五回位畳に打ちつけたところ、同人がようやく両手を離してうつ伏せの状態になつたが、被告人は、引き続き、右手で同人の着用していたジャンパーを持ち、左手で同人のべルトをつかんで、五回位自分の腰の辺りまで持ち上げては畳の上に落とすことを繰り返して、「山野、いい加減にしろ。」と申し向けたところ、同人が「分かつたよ。」と言つておとなしくなつたため、ようやくその場が収まつた。
4 ところが、その二、三分後、山野から、「腰が痛い。救急車を呼んでくれ。」との申し出があつたが、被告人らは単なる酒酔いのためと考えて暫くは放置していたが、同人がいつまでも立ち上がろうとはせず、同様の申し出を繰り返すので、同日午前三時三〇分ころ、被告人が山野方に赴いてその旨の通報をしたが、同人の妻のキクからは、「いつも迎えに行つたことはないからいいよ。」「そのままでいいよ。一人で帰つてこられるから。」などという返答があつたので、再び「C」に戻つたものの、同人の様子がおかしいため、被告人は、同日午前四時ころ、再度山野方に赴き、キクを伴つて「C」へ戻り、乙の通報で救急車を呼び、E病院を経て、公訴事実記載のH病院に山野が収容された。
5 山野は、入院時は意識は正常であつたものの、第五頸椎以下の領域には知覚脱失と運動麻痺が認められたうえ、第五頸椎の椎体の骨折と前方への脱臼があつたため、その整復手術を受けて、加療を続けていたが、公訴事実記載の日時、場所において、死亡するに至つた。また、被告人も山野の前記一連の暴行により全治まで約一週間を要する前頸部筋圧迫挫傷の傷害を受けたほか、甲も頸部に被告人と同様の傷害を受けた。
6 山野の死体の解剖の結果は、その傷害としては、頭部の正中に上下に長さ約五・七センチメートル、幅約〇・五七センチメートルのやや陳旧性の表皮剥脱一個、大脳及び小脳上面の全域にくも膜下出血、左前頸部に拇指頭大の表皮剥脱一個、左上胸部に長さ〇・七ないし四センチメートルの線状表皮剥脱四個、左手背に小指頭大及び鶏卵大の皮下出血各一個が認められ、各表皮剥脱や皮下出血等は生前に鈍体の作用で生じたと認められ、5記載の第五頸椎椎体の骨折等があつたことから、頸部に過度の屈曲または伸展が加えられたことが考えられ、このことは頭部に打撲が加えられた結果とも思われ、後頭部の表皮剥脱はその証跡とも考えられるうえ、頭部の打撲や頭部の過度の届伸は脳に衝撃を加えたことが推定され、他に死因と関係あると思われる損傷等はないから、死因としては右入院前の外傷性の後発出血であるくも膜下出血と考えられるというのである。
三以上の諸事実を総合すると、被告人の山野に対する有形力の行使である本件暴行行為が同人の本件死亡の原因となつたことは明白というべきであつて、同人の死因と被告人の本件暴行行為とは因果関係がないとする弁護人の所論は到底採用できないというべきである。
そこで、続いて、被告人の本件暴行行為が正当防衛に該当するかどうかについて検討を加えることとするが、検察官のこの点の主張は概ね次のようである。
被告人の本件暴行行為は、前記座敷において、山野の両肩を両手でつかんだまま畳から約五〇センチメートルの高さまで同人の頭部を持ち上げて上下に五回位揺すつて、その後頭部や背中を畳に打ちつけたり、同人が着用していたズボンのベルトを持つて数回揺すつたりした暴行(これを「第一暴行」と称している。)と、同人の着用していたジャンパーとズボンのベルトをつかんで畳から約二〇センチメートルないし五〇センチメートル持ち上げては下に落とすことを繰り返した暴行(これを「第二暴行」と称している。)とに分けられるところ、第一暴行の時点までは、急迫不正の侵害、被告人の防衛意思の存在は肯定できるとはいえ、第一暴行の程度、態様は、山野が行つた暴行の程度、態様と比較すると、余りに強力かつ執拗に過ぎ、正当防衛の程度を超えていると思われるから、過剰防衛にとどまると考えられるし、仮にそうではないとしても、第一暴行後に、山野は被告人の首から手を離してうつ伏せに倒れており、その後は侵害行為は存在しなくなつたにもかかわらず、被告人は、第一暴行と接着した時間に同一場所で引き続き同人に対して第二暴行を加えているのであつて、第一暴行の段階では正当な防衛行為といえるとしても、終局段階に至つては、防衛の程度において、正当防衛としての相当性を欠くに至つているから、被告人の行つた一連の暴行は、法律上これを一体として評価し、全体として過剰防衛に該当するというべきであるというのである。
そこで、更に進んで検討を加えるに、前記認定事実によれば、被告人らが山野に対する挑発行動をとつていたというような事情もないのに、山野において、理不尽にも、被告人あるいは甲に対して、前記のようにその頸部に傷害を伴うような、強力かつ執拗な暴行を加え続けたため、被告人がこれを制止しようとして、何度も口頭の警告を加えたり、山野の手を払いのけようとしたが、山野がこれを無視してなおも執拗に攻撃を加え続ける態度を維持していたので、被告人としても同人に対して前記のような有形力を行使するのやむなきに至つたという経緯が窺われるのであつて、このような場合、山野によりもたらされた急迫不正の侵害に対して、被告人及び甲の身体等を防衛するためには、山野に対して有形力を行使してそのような侵害行為を阻止するほかはないというべきであり、そのような行為に出なければ、それまでの経緯に照らすと、山野がなおも攻撃を加え続けることは容易に想定できるところであり、被告人において、そのように予想される山野の不正な攻撃を甘受していなければならない理由があるはずがなく、そのような不正な侵害に対して、これを防止するべく、有形力を行使することは当然に許容されるものというべきである。また、被告人は、捜査段階において、「(座敷に行く前ころは)山野があまり首を締めるので相当頭に来ていた。(座敷で頭を数回畳に打ちつけたあと)山野は首からを手を離したが、私もカッとなつて頭に来ていたので、山野を痛めつけるつもりで、検察官主張の第二暴行を加えた」旨(被告人の司法警察員に対する昭和六二年三月三〇日付供述調書)、「(座敷へ行く前ころは)相当頭に来ていた。(座敷では)首を絞められて息ができず、何とか手を離してもらいたい気持ちと、山野のしつこさに立腹し、この野郎という気持ちから、山野の両肩をつかんで思いつきり揺さぶつたり、後頭部や背中を畳に打ちつけてやつた。その後、山野は手を離してうつ伏せになつたが、山野を痛めつけてやろうと思つて、右手に山野のジャンパーを持ち、左手でベルトを持つて五回位腰付近まで持ち上げて畳に落とした」旨(被告人の検察官に対する昭和六二年四月一〇日付供述調書)、「(山野のベルトを持ち上げたころは)この時には相当頭にきていて夢中だつた」旨(被告人の検察官に対する同月一四日付供述調書)各供述しているほか、当公判廷においても、「(検察官のいう第二暴行については)そのときは無我夢中で、山野のしつこさにカッとなつていた。」旨供述しているが、本件当時の状況に照らすと、検察官のいう第二暴行の段階では、それまでの専ら防衛の意思で有形力を行使していたのとは異なり、被告人が山野の執拗な攻撃に憤激して、攻撃の意思も強く持つて有形力を行使したことが認められるが、被告人の捜査・公判段階における供述を総合すると、その際にもなお防衛の意思も併有していたことは明らかであるうえ、これは前記の関係各証拠によつても裏付けられており、後述するように、検察官のいう第二暴行の段階での有形力の行使がそれ以前の有形力の行使と質的にも方法的にもほぼ同一のものであること等の諸事情を勘案すると、検察官のいう第二暴行の段階の被告人の有形力の行使が専ら攻撃の意思を持つてなされたなどということはできないと思われる。
また、検察官は、第一暴行の段階後は、山野は被告人の首から手を離してうつ伏せに倒れており、その後は侵害行為は存在しなくなつたなどと主張して、被告人の本件有形力の行使は正当防衛としての相当性がない旨力説する。なるほど、前記認定事実によれば、結果的には、検察官のいう第一暴行以後は、山野において、被告人らに対して暴行等を加えることはなかつたのであるから、事後的、客観的に見れば第二暴行は不必要な有形力の行使ともいえるようにも思われないわけでない。しかしながら、山野の行つた暴行行為は執拗かつ強力なものであり、しかもその攻撃箇所は首という身体の枢要部を狙つたものであり(そのことは被告人及び甲が受けた傷害の状況からも裏付けられている。)、被告人において、山野の不当な攻撃を制止すべく、口頭により、あるいは実力を行使して制止行為を重ねたものの、山野がそのような攻撃を断念するような様子は全く窺われず、現に座敷から向かう以前にも、被告人が山野を突き放して壁に衝突させたりもしたが、山野はかえつて攻撃の態度を強めたことがあり、そのような当時の状況に照らすと、被告人が検察官のいう第二暴行を加えていない場合には、山野が再び被告人や甲に対する攻撃を継続することは当然に予想できるところであり、本件のような不正な侵害行為に直面していた被告人が、なおその後も山野からの不正な侵害行為が継続すると判断したことが、明らかに不当とまではいえないと思われる。また、検察官のいう第一暴行と第二暴行との間には明らかな時間的・場所的な懸隔が存在するわけではなく、外部から観察した場合にも、実際的には連続していると評価することができると思われ、また、検察官のいう第二暴行の前後の被告人の有形力行使の態様には先に認定したとおり、若干の変化があるとはいえ、第二暴行の段階ではそれまでとは違つて凶器を使用して攻撃を加えたというようなことはなく、有形力行使の態様等が質的にも格別変化がないこと等を考慮すると、検察官が主張するような第二暴行の前後で、有形力行使の態様がそれまでのものとは明確な区別ができるということを前提にする考え方は本件に即したものとは思われないうえ、前記認定の事実関係を前提する限りは、被告人が行つた有形力の行使が山野の侵害行為と対比して明らかに均衡を失しているとは到底思われない。更に、被告人が行つた有形力の行使は、検察官のいう第一暴行にも存するのであつて、山野が受けた傷害の大部分、殊に死因に直結したと思われる外傷性くも膜下出血は、検察官のいう第二暴行により生じたのか、あるいはそれ以前の有形力の行使により生じたのか、直ちには確定できないといわざるを得ないうえ、前記死体解剖の結果とも対比すると、第五頸椎椎体の骨折については検察官のいう第二暴行に生じて死因に結びついたものとの疑いも強いが、それがそれ以前の有形力の行使によつて生じたとの合理的な疑いもなお払拭できず、その余の山野の受けた傷害も検察官のいう第二暴行によつて生じたものかどうか明確には確定できないというのが実情であり、一方後頭部の表皮剥脱は検察官のいう第二暴行の際に生じる可能性は乏しいところ、それが鑑定書がいうように死因との結びつきを窺わせるものであるとすると、むしろ第二暴行以前の有形力の行使が直接的には死因となつた疑いが濃厚であるともいうべきであり、そうであるとすると、検察官の所論を前提としても、本件事案に即して考えると、検察官が主張するような法律上の一体評価を加えて傷害致死の全部について刑事責任を負わせるということは、被告人が負うべき刑事責任を不当に拡大することであるとしか思われない。
以上の事実を総合すれば、被告人が本件有形力の行使に及んだのは山野からの不正な侵害行為から被告人及び甲の身体等を防衛する趣旨に出たものと評価すべきであり、本件では正当防衛の相当性も肯定できるのであつて、正当防衛としての要件に欠けるところはないというべきである。
なお、検察官は、最高裁昭和三四年二月五日第一小法廷判決(刑集一三巻一号一頁)及び大阪高裁昭和五八年一〇月二一日判決(判例時報一一一三号一四二頁)に照らしても、本件の場合には正当防衛の成立が否定されるというが、前者は、住居内にはさみを所持して侵入した者からはさみを突き付けられたのに対して、その場にあつたなたで相手の側頭部に一撃を加えたところ、相手はその場に横転してもはや攻撃態勢が崩れ去つているのに、更に不当にもなたで相手の頭部に一方的に攻撃を加え続けたという案件であり、また、後者は、交通の妨害をされたと立腹した相手が鉄棒を持ち出して、被告人二名を殴打したため、被告人らが相手から右鉄棒を奪い取つたうえ、立ち向かつて来た相手の頭部を殴打するなどしたところ、相手がその場に転倒し、謝罪もしているのに、更に相手の頭部を殴打するなどの攻撃を加えたという案件であり、いずれの場合も、相手の攻撃態勢がなくなつたり、被告人の相手に対する攻撃が質的にも量的にも格段に強化されているというものであつて、本件とは同列には論じがたいというべきである。
四よつて、被告人の本件行為は、刑法三六条一項に該当して、正当防衛として罪とならないから、刑事訴訟法三三六条前段により、被告人に対し無罪を言い渡すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小林宣雄 裁判官大渕敏和 裁判官深見敏正)