前橋地方裁判所高崎支部 平成8年(ワ)207号 判決 2001年10月11日
甲事件及び乙事件原告(以下、単に「原告」という。)
A野太郎
同訴訟代理人弁護士
石田吉夫
同
池末登志博
同
嶋田久夫
同
蒲田豊彦
同
岩城穣
同
出田健一
同
柿沼祐三郎
同
富岡規雄
同
赤石あゆ子
同
笹山尚人
甲事件被告(以下、単に「被告」という。)
群馬県
同代表者知事
小寺弘之
同指定代理人
吉野勉
他7名
乙事件被告(以下、単に「被告」という。)
萩原仲司
被告両名訴訟代理人弁護士
春田政義
同
岡安秀
同
三橋彰
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求(甲事件及び乙事件)
被告らは、原告に対し、各自一一〇万円及びこれに対する、被告群馬県については平成八年三月一九日から、被告萩原仲司については同年六月一四日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二要件事実
一 請求原因
(1) 当事者
原告は、平成七年度には、群馬県立B山高等学校(以下「本件高校」という。)に教諭として勤務していた者である。
被告群馬県は、本件高校を設置管理しており、被告萩原仲司は、平成七年度の本件高校の校長であった(以下「被告校長」という。)。
(2) 本件処分に至る経緯
本件高校の生徒会は、平成八年三月ころに生徒会誌「かぶら10号」(以下「本誌」という。)の発行を計画し、その編集のため、各クラスの書記合計三〇名及び生徒会担当役員(書記及び前年度書記)からなる編集委員会(以下「委員会」という。)を設け、平成七年一一月ころから、その編集作業を始めた。
本誌の構成のうち特別寄稿は、従前から、海外旅行をしてきた教職員が、各国の実情を紹介するという内容であった。平成七年度の生徒会顧問であった藤崎教諭は、特別寄稿として、同年一二月ころ、その年海外旅行をした原告に対し、紀行文の執筆を依頼した。
原告は、これを承諾し、「マレーシア・シンガポールの旅」と題する別紙紀行文(以下「本件寄稿」という。)を執筆し、その原稿を、平成八年一月ころ、藤崎教諭に渡した。
(3) 本件処分の実施
被告校長は、平成八年二月八日、原告に対し、本件寄稿を本誌に掲載することを拒否する旨通知した。(以下「本件処分」という。)。
(4) 本件処分の違法性
ア 被告校長の権限の欠如
被告校長は、本件寄稿の本誌への掲載を拒否する権限を有しなかった。
イ 検閲の禁止あるいは事前抑制原則的禁止への抵触
本誌の発行の主体は生徒会であり、その編集の主体は委員会である。
したがって、被告校長が事前に原稿に目を通しその掲載を禁じた本件処分は、検閲(憲法二一条二項前段)に該当する。また、同処分は、表現の自由(同条一項)の事前抑制に該当し、それが許容される例外的場合にもあたらない。
よって、本件処分は、憲法の前記条項に違反し、違法である。
ウ 教育の自由の侵害
本件処分は、教育を受ける権利を保障する憲法二六条及び教育行政の教育基本法一〇条が禁止する教育内容への介入であるとともに、原告の教授の自由(憲法二三条)を侵害し、違法である。
エ 市民的及び政治的権利に関する国際規約(いわゆる国際人権規約)一九条違反
(ア) 同規約は、いわゆる自動執行性を有するから、当然に日本国内においても効力を有する。
ところで、同規約一九条は、三項において、表現の自由に対する制約が許容される条件として、①法律によって定められた方法であること、②他の者の権利または信用の尊重、あるいは、国の安全、公の秩序または公衆の健康もしくは道徳の保護の、いずれかの目的に適合する場合であること、③②の目的のために必要な制限であることの、すべての条件を満たす場合であることと定めている。
(イ) 原告が、本件雑誌に本件寄稿を掲載することは、同規約一九条の保障の対象である。
被告校長は、本誌の編集に何らの権限を有さず、仮に、何らかの権限を有するとしても、制限の必要性(③)を欠くから、いずれにせよ、同条三項の要件を満たさず、制約が許容される例外的場合にあたらない。
したがって、本件処分は、同規約に違反し、違法である。
オ 被告校長の権限濫用
(ア) 違法性の考え方
仮に、校長が、生徒会活動に関しても、教職員を指導し教育活動を行う責任と権限を有し、生徒会誌の内容について、掲載、不掲載を決定する最終的な権限を有するとしても、その決定は、社会通念に照らし著しく妥当性を欠く場合には、裁量権の逸脱として違法となる。
(イ) 本件寄稿の内容的妥当性
本件寄稿は、証拠に裏付けられており、内容は妥当である。
(ウ) 手続的妥当性
生徒会誌の発行が、特別教育活動の一環だとすれば、そこにおいては、生徒の自発的活動に期待しこれを助長するような、適切な指導が要請され、そのためには、委員会での論議が、不可欠である。この意味で、校長は、顧問教諭に指導助言し、委員会において議論させることが必要である。また、原稿の不掲載が、教師の表現の自由や教育の自由を制約する以上、校長は、原稿を印刷に回す期限から逆算し、合理的な期間を設定して、当該教師と意見交換し、内容に不都合があるのならば、その箇所や理由を具体的に摘示し、かつ、いかに訂正すべきかを具体的に摘示して熟慮させることが、必要である。
被告校長は、本件処分を通告するに際し、その理由やいかに訂正すべきかを具体的に示すこともなく、また、議論のための期間もなかったのであるから、本件処分は著しく妥当性を欠く。
(5) 原告の損害
原告は、本件処分により、精神的損害を被った。これによる慰謝料は、一〇〇万円を下らない。原告の前記損害と相当因果関係のある弁護士費用は、一〇万円である。
(6) よって、原告は、被告群馬県に対して、国家賠償法一条一項に基づき、被告校長個人に対しては、民法七〇九条に基づき、各自損害金一一〇万円及びこれに対する、被告群馬県については平成八年三月一九日、被告萩原仲司については平成八年六月一四日(それぞれ訴状送達の日の翌日)から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 抗弁
(1) 抗弁1(本件処分の内容的正当性―請求原因(4)オ(イ)に対し)
ア 被告校長が、本件処分を決定した理由は、以下のとおりである。
(ア) 本件寄稿中①の囲み部分について
「三菱は放射性廃棄物の有毒性を承知していた。」
「知らないはずはなかった。」
「公害規制が厳しくなった日本からマレーシアに工場を移したのは、そのためだったに違いない。」
「そして、最高裁で勝利したにもかかわらず、操業停止をしたのは、廃棄物の危険性を認識していたからだ。」
「しかも、廃棄物の安全な処理などする気は始めからなかった。」
「廃棄物を垂れ流しても、マレーシアではすむと考えていたからではないのか。」
「マレーシアでは、科学技術の知識はなく、住民も公害に対して文句を言わない国であるという蔑視や思い上がりの思想が、日本の大資本の側にあったのではないか。」
これらは、断定的な、あるいは、文章の流れからして断定的と理解させるような記述となっているが、本件寄稿にあげられた事実から、このように断定しうるかは疑問であり、一面的な見解であるおそれがあると判断した。
また、本件寄稿を読む者の中に、名指しされた三菱関係者がいた場合、同人らがどう感じるかを危惧した。
(イ) 同②の囲み部分について
「数年前、三省堂の英語の教科書に、マレーシアでの日本軍の残虐行為が題材として取り上げられた。」
「日本兵が、赤ちゃんを銃剣で突き刺して殺すというショッキングな内容であった。」
「今では、その題材は教科書から削除されているが、当時はマスコミでも取り上げられ、物議をかもしたので、記憶に残っている人も多いだろう。」
「歴史の教科書ではなく、英語の教科書で日本軍の加害が取り上げられたのは、教科書検定制度の盲点であったからかもしれない。」
「歴史の教科書では、検定のために載せられなかった加害の内容が英語の教科書に載ってしまった。」
「文部省もあわてたに違いない。」
「いずれにしても、政府や文部省が過去の戦争犯罪を封印していることは、あきらかだ。」
この点、本件高校の教頭片貝勝(以下「片貝教頭」という。)及び被告校長は、英語の教科書に、そのような題材が取り上げられたことがあったのかどうかを知らず、その真偽を確認しようとしたが、原告は、何ら資料等を示して、説明することをしなかった。
「文部省もあわてたに違いない。」「いずれにしても、政府や文部省が過去の戦争犯罪を封印していることは、あきらかだ。」は、正確性を欠き、一面的な見解であるおそれがあると判断した。
(ウ) 同③の囲み部分について
「時の天皇を頂点とする軍国主義政権が犯した戦争犯罪が、そのままにされ、アジアの人々に対して明確な謝罪や有効な補償がなされていないのは、一日本人として、実に恥ずかしいかぎりだ。」
これは、政治的立場により意見の違いが大きい問題であり、本件寄稿を読む保護者等が、本件高校における教育の、政治的中立性に疑問を持つことを危惧した。
(エ) 同④の囲み部分について
「『脱亜入欧』の掛け声のもとで、近代化を図ってきた日本は、現在でも、拝米主義、拝欧主義とアジア蔑視の思想を持ち合わせているのではないだろうか。」
「沖縄の基地問題、米や自動車の交渉に見られるように、結局アメリカの言いなりになる一方、従軍慰安婦問題に見られるように、日本政府の賠償責任を曖昧にしたまま、日本経済の空洞化といわれるようなアジアへの経済進出にしのぎを削っている。」
拝米主義、拝欧主義、アジア蔑視の思想があるとする根拠は不明であり、また、これと、「脱亜入欧」の掛け声のもとで近代化を図ってきたこととの関連も明らかでない。
沖縄の基地問題等についての記述もあるが、それは、高度に政治的な問題であり、日米安全保障条約締結の経緯から詳細に検討しなければ、軽々に評価できないはずであるが、その根拠は不明でみる。
上記記載についても、本件寄稿を読む保護者等が、本件高校における教育の、政治的中立性に疑問を持つことを危惧した。
イ 生徒会誌の特殊性
本誌は、本件高校の生徒会誌として同校の生徒に読まれることを予定しているところ、一般に、高校生は、成人に比較して、その記載内容を評価する能力において劣っているため、その内容が正確かつ公正であること等の教育的配慮が必要であるが、前記アに見た本件寄稿の問題点からすると、内容の正確性と公正さに疑問があり、前記教育的配慮から、本件寄稿は、本誌に掲載するには不相当である。
(2) 抗弁2(本件処分の手続的妥当性―請求原因(4)オ(ウ)に対し)
片貝教頭は、平成八年二月三日、藤崎教諭から本件寄稿の原稿を受け取って検討した後、同月五日、原告に対し、抗弁1アとほぼ同趣旨である問題部分の正確性を質問した。また、翌六日、同教頭は、原告に対し、問題部分の記述の改善を求めたが、原告は、これを拒否して原文どおりの掲載に固執した。
被告校長は、原稿を印刷に回す期限まで時間的余裕がない状況で、五日から六日にかけての原告の、片貝教頭及び自らに対する言動から、原告が、原文どおりの掲載に固執していると考え、生徒会誌に掲載することは不適当と判断した。
第三当裁判所の判断
一 前提である事実について
請求原因(1)ないし(3)の各事実については、当事者に争いがない。
二 本件処分の違法性について
(1) 被告校長の権限について
公立高等学校における生徒会活動は、教育過程の一環としての特別教育活動であり(学校教育法四三条、同施行規則五七条、同条の二、高等学校学習指導要領)、校長は、校務をつかさどる権限を有するとされている(学校教育法五一条、二八条三項)のであるから、校長は、生徒会活動を指導監督する権限を有する。
本件高校における本誌の編集発行は、生徒会活動の一部であるから、被告校長は、これを指導監督する権限を有することになり、その権限には、教育上相当でない寄稿の掲載を拒否する権限をも含まれるというべきである。
よって、請求原因(4)アの主張を採用することはできない。
(2) 検閲の禁止あるいは事前抑制原則的禁止への抵触について
検閲または表現の自由の事前抑制が問題となるのは、国または公共団体が、それ以外のする編集活動に介入する場合であるところ、本件処分は、この場合に該当しないから、検閲または表現の自由の事前抑制が問題となる余地はない。
よって、請求原因(4)イの主張は採用することができない。
(3) 教育の自由について
憲法二三条及び二六条が、高等学校の教諭に保障する教育(教授)の自由は、自己の担当する授業で具体的授業内容及び方法について選択することを中核とし、生徒会誌に本件寄稿を掲載することは、それに教育的価値が認められるとしても、上記教育の自由に含まれるとは解し得ない。
また、国家が、教育内容に介入する権限を有しないと解すべき実定法上の根拠はない。教育基本法一〇条は、教育が不当な支配に服することを否定しているにすぎない。
よって、請求原因(4)ウの主張は、採用することができない。
(4) 権限の濫用について
ア 請求原因(4)オ(ア)の考え方は相当である。
イ 内容的妥当性(抗弁1)について
本件寄稿を熟読精査し、社会通念に基づいて深慮すれば、①ないし④の各囲み部分に対する被告校長のした判断は、一応もっともなことということができる。特に、①の囲み部分については、特定の企業を名指しして非難しており、名誉毀損にもあたりかねない内容であると評すべきである。まして、本件寄稿の掲載が争われている場は、生徒会誌であり、その特殊性に関し、抗弁1イの考え方は、社会通念上相当というべきである。
以上の事情を総合考慮すれば、本件寄稿は、生徒会誌に掲載するものとしては、生徒に対する教育的配慮からして相当でなく、これと同旨の理由による本件処分が、内容的にみて著しく妥当性を欠くということはできない。
ウ 手続的妥当性(抗弁2)について
(ア) 請求原因(4)オ(ウ)前段の手続は、教育の現場である程度配慮されるべき、一方の要請であるというにやぶさかではない。しかし、他方で、《証拠省略》によれば、抗弁2の事実、及び、本誌は、平成八年二月二五日から二七日ころまでに完成され、同年三月一日の卒業式までには生徒に配布される予定であったことを認めることができる。
原告は、被告校長らとの話合いの結果によっては、本件寄稿を訂正するつもりがあったなど、上記認定に反する供述をするが、証人片貝勝の証言、及び、原告自身が、平成八年五月九日の口頭弁論期日において、校長との話合いの経緯で、本件寄稿内容について、(原告としては)「書き換えるつもりはないが、仮に三菱化成を日本の大企業としたらOKなのか。」などと質問した旨意見陳述したことからしても、本件当時、原告が、本件寄稿の原文どおりの掲載に相当程度固執していたことが窺われるのであり、原告の上記供述の信用性は低いといわざるを得ない。
(イ) 原告は、本件寄稿の内容についての正当性をいうために、既に約五年五か月の間に一九回の口頭弁論期日を重ねる中で、精力的な主張を続けるとともに、相当量の書証を提出したうえ、証人三名、当事者本人二名の各尋問を終了し、さらに、少なくとも六名、主尋問合計約一二時間の証人尋問を必要と考えていることは、当裁判所に顕著である。このような多大の努力の末にようやく正当性が判明するかもしれない内容を有する本件寄稿には、抗弁1アのような多数の本質的な問題点があり、また、抗弁2及び上記認定のとおりの時間的制約が存在し、かつ、原告が本件寄稿の原文どおりの掲載に相当程度固執していたことからしても、予定どおり本誌を出版することができる期間内に、内容上の問題点の解消に至ることはないと考えるのが自然であり、原告に対し、告知と聴聞の手続を必ずしも十分に与えずにした本件処分が、手続的にみて著しく妥当性を欠くとまで評価することはできない。
エ よって、被告校長の権限濫用の主張(請求原因(4)オ)は、採用することができない。
(5) 国際人権規約について
国際人権規約が、仮に当然に日本国内において効力を有するとしても、前記のとおり、被告校長は教育に相当でない本件寄稿の掲載を拒否する権限を有し、かつ、本件処分に教育上の必要が認められる以上、同処分が同規約に違反するということはできない。
(6) まとめ
以上によれば、本件処分を違法と評価することはできない。
三 結論
本件処分を違法と評価することができない以上、その余の点について判断するまでもなく、本件各請求は理由がないから、これらを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井上薫 裁判官 渡邉英敬 園部直子)
<以下省略>