前橋地方裁判所高崎支部 昭和43年(ワ)83号 判決 1970年1月21日
原告 兼松肥糧株式会社
右代表者代表取締役 古立廣
右訴訟代理人弁護士 長谷川勉
同 音喜多賢次
被告 氏家久子
右訴訟代理人弁護士 佐藤思良
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
(当事者の申立)
一、原告
「別紙目録記載の土地につき訴外氏家正夫と被告との間に為された昭和四二年七月一七日付藤岡市農業委員会の許可に係る賃貸借を取消す。
被告は右目録記載の土地を右訴外人に明渡せ。
訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求める。
二、被告
主文と同旨の判決を求める。
≪以下事実省略≫
理由
一、≪証拠省略≫を総合すると原告主張の一、(一)乃至(四)の事実をすべて認めることができるが、氏家一重が昭和四〇年一二月一八日死亡して氏家正夫が相続したことは争いがないので、原告は麻生商店に対して代位弁済した計金一、一七四、九二四円と、多野信用金庫に代位弁済した計金二五〇万円との合計金三、六七四、九二四円の求償金債権を正夫に対して有するものといえる。
二、よって被告の債務免除の抗弁について検討する。
≪証拠省略≫を総合すれば、氏家正夫は昭和三六年春頃から昭和三八年一月二〇日迄原告との間に養鶏用飼料の取引を為したが、その間数百万円を超える買掛代金債務が滞り、自らの手で養鶏事業の経営を続ける事が困難となったので、当時父一重の所有であった土地、建物を原告に賃貸し、更に自己所有の養鶏用の施設一切を原告に売渡してその経営を委ね、自分はその従業員として雇われるようになったことが認められる。
被告は、その際正夫と原告との間に、数年間正夫が右養鶏場に勤務すれば、右飼料代金債務その他正夫が原告に対して負担する一切の債務が免除されるとの契約が為されたと主張し、≪証拠省略≫には同旨のものがあるけれども、他方、≪証拠省略≫を総合すれば、正夫は月給を貰って右養鶏場に勤務するだけで、その収益は専ら原告に帰属し、しかも原告の直営にしたからとて格別顕著な増収が見込まれる訳でなく、又免除に関する契約書も作成されなかったことが認められるのであって、結局如何なる計算上の根拠により、肥料代金のほか求償金をも併せて一千万円を超える多額の債務が数年を出ないで消滅に帰するのか、その合理的理由を見出し難いのであり、畢竟本件口頭弁論に顕われた全証拠によるも、債務免除の事実を確認するに足りないというべきであって、被告の抗弁は採用することができない。
三、その後氏家一重所有の抵当不動産(本件土地を含む)が氏家正夫に相続された後、原告が右肥料代金等の債権に基き正夫に対し競売を申立て、昭和四二年五月一七日右不動産につき競売開始決定が為され同月二三日その登記が為されたが、同年七月一七日右のうち二一筆の農地についての正夫と被告との間の期間を五年とする賃貸借につき藤岡市農業委員会の許可が為されたこと、その後原告主張の経緯により、右農地は被告が之を競落したが、本件土地につき競落不許可となったことは争いがない。
四、原告が正夫に対しその主張の如き求償金債権を有することは前説示の通りであり、正夫の所有する本件土地が右債権の引当となっていて、同人が他に格別の資産を有しないことは前掲各証拠により之を認めることができる。
五、よって正夫と被告との間に為された本件土地についての右賃貸借が詐害行為となるか否かについて判断を進める。
≪証拠省略≫を総合すれば、被告は氏家正夫の妻であって、本件農地が正夫の父氏家一重の所有であった昭和三九年以来引続き農業経営を主宰し、本件土地について耕作の事業を行っていたものと認められるが、右証拠によれば、正夫は被告の世帯員であるから、正夫が本件土地につき有する所有権は耕作の事業を行う被告が有するものとみなされるのであって、本件土地は被告の自作地ということになる(農地法第二条第二項、第五項、第六項)。
ところで農地法においては、農業経営が世帯単位で行われるという実体に即して法的規整が為される結果、同一世帯に属する者の間においては、何人が農地の所有権を有し、何人がその使用収益権を有するかということは格別問題とならないのであるが、しかもなおその実質において、農地につき所有権を有する者と之につき使用収益の権原を有する者とが別個に存在する場合のあることを否定することはできない。すなわち世帯員である夫の所有する農地について耕作の事業を行う妻は、農地法上は自作農である(農地法第二条第四項、第五項、第六項)けれども、実質上(或は民法上)は妻が夫の所有農地につき使用収益権(耕作権)を有するものというを妨げないであろう。かような場合、競売等により農地が強制的に売却される時は、右の実質上の使用収益権(耕作権)が形式上も尊重され、確認されるべき意義を有することとなる。
之を本件について考えてみるに、正夫の所有する本件土地については、世帯を同じくする妻である被告が農地法上所有権者とみなされるにも拘らず実質上は使用収益権を有する場合であるから、正夫が被告に対し賃借権を設定するということは、実質上存在する使用収益権を形式的にも耕作権として確認する意味をもつものと云える。
尤も本件賃借権設定以前における被告の実質上の使用収益権は、前掲各証拠によれば、使用貸借上の権利であると推認されるので、之を賃借権に高めることは、権利の対抗力において差異を生じ、競売の場合につき債権者に不利益を生じる惧れなしとしないとも考えられる。しかし乍ら農地法第三条第二項第一号によれば、賃借権であれ使用借権であれ、売買の対象となる農地につき耕作権を有する者及びその世帯員だけが買受適格者とされるものと解されるので、右のような危惧は実際上は無意味であると思われる。
このように、農地の競売の場合においても、農地法の規定により買受適格者が限定されているので、原告主張の如く自由な競争による競買人の競買申出が行われない事態を生じることを否定し得ないけれども、之も農地法の趣旨を貫く上において止むを得ない結果という外はないのである。
さて被告は本件土地につき本来実質上の耕作権を有する者であり競売の場合においてその買受適格者たるべきものというを妨げないのであるから、本件においては、この実質上の耕作権を法律上明かにする趣旨において賃借権の設定が為されたものと解し得るのであって、之を以て詐害行為とするのは当らないといわねばならない。
なお原告は、正夫が本件土地について自作していたとの前提に立って、同居の妻である被告に之を賃貸することにより、被告に本件土地を競落させ、よって自己の責任財産を妻の名において温存させることを企図したものと主張するけれども、本件土地につき耕作の事業を行う者が正夫でなく被告であって、被告が右土地の買受適格者たるべきものであること以上説示の通りであるから、原告の右主張は採用に価しない。
六、以上の次第であって、本件土地につき昭和四二年七月一七日藤岡市農業委員会の許可を得た氏家正夫と被告との間の賃貸借が詐害行為であるとしてその取消を求める原告の請求は失当として之を棄却すべきであり、主文の通り判決する。
(裁判官 小西高秀)
<以下省略>