千葉地方裁判所 平成元年(わ)783号 判決 1989年11月02日
主文
被告人は無罪。
理由
一 本件公訴事実は別紙のとおりであるが、以下に検討するように、改竄を加えたテレホンカードの電磁的記録部分は「有価証券」に該当しないから、本件公訴事実は罪とならず、被告人は無罪である。
二 刑法第一八章の有価証券偽造の罪は、元来有価証券は権利義務に関する文書の一種であるが、財産権を化体した流通証券としての性質を持つため、経済上重要な役割を持つことから、文書偽造の罪の特別罪として規定されたものである。したがって、「有価証券」は文書であることが前提とされている。
ところで、コンピュータ犯罪に対処するため、刑法等の一部を改正する法律(昭和六二年法律第五二号)によって、第一編総則に刑法七条の二が新設され、電磁的記録の定義規定が置かれた。それによれば、「本法ニ於テ電磁的記録ト称スルハ電子的方式、磁気的方式其他人ノ知覚ヲ以テ認識スルコト能ハザル方式ニ依リ作ラルル記録ニシテ電子計算機ニ依ル情報処理ノ用ニ供セラルルモノヲ謂フ」というのである。このような規定が新設された趣旨は、ひとつには文書の多くが電子計算機用電磁的記録物上に置き換えられつつある現状にかんがみ、これらの記録の改竄、毀棄等につき、従前の刑法により的確な対応が可能な従来の事務処理形態のもとにおける不正行為と同様の行為でありながら、従前の諸規定ではこれを的確に処罰することが困難なため、従前の文書の偽変造罪、毀棄罪等と同様の処罰規定を設ける必要があると考えたからである。すなわち、従来の文書概念では可視性や可読性がその要件とされていたり、作成名義が観念されていたのに対し、電磁的記録については人の五感の作用では記録の存在及び状態を認識することができないものであり、またその作成過程についても入力したデータがプログラムによってほかのデータなどとともに処理、加工されて作り出されるなど複数の者の意思や行為がかかわることが多く、作成名義も観念することが困難な状態にあるので、新たに電磁的記録についての定義規定を置いたものである。こうして、従来の文書概念と電磁的記録とを截然と区別することとなり、従来の文書偽造・同行使に見合う電磁的記録の不正作出・同供用という構成要件を新設した。そうだとすれば、テレホンカードの電磁的記録部分は文書ではなく、有価証券にもあたらないことになる。
なお、最決昭和五八年一一月二四日(刑集三七巻九号一五三八頁)は、道路運送車両法に規定する電子情報処理組織による自動車登録ファイルは、刑法一五七条一項にいう「権利、義務ニ関スル公正証書ノ原本」にあたるとしたが、この判例が電磁的記録一般に文書性を認めたものかどうかは争いがあるうえ(端的に、電磁的記録一般の文書性を認めたものとする見解、電磁的記録一般の文書性は否定したうえで、公正証書原本それ自体は文書であることを要しないとして、かかる電磁的記録が公正証書原本たり得ることを明言したのが道路運送車両法六条等の規定であると解したものとする見解、自動車登録ファイルの歴史的沿革を重視し、実質的に従前の公正証書原本と同様の社会的機能を有するものについてのみ文書性の要件を緩和し、又は道路運送車両法六条等が非文書を文書あるいは刑法上文書たる公正証書原本とみなす趣旨の規定であると解したものとする見解の対立があった。)、昭和六二年の法改正により電磁的公正証書原本不実記録・同供用罪が新設されたことによって、自動車登録ファイルが「権利、義務ニ関スル公正証書ノ原本」ではなく、「権利、義務ニ関スル公正証書ノ原本タル可キ電磁的記録」に該当することは明らかであるから、最早判例としての意味を失ったと解される。そもそも、このような規定が新設された趣旨は、文書と電磁的記録を截然と区別する現行法体系のもとにあっては、電磁的記録に文書性を肯定することはできないからである。
さらに、テレホンカードは電磁的記録部分以外に「NTT」の作成名義で「『50』度数使用できます」等の記載がカード上に記載されており、これと電磁的記録部分は一体となった有価証券であるといった議論についても検討しておく。これについて、偽造された本来の文書であるキャッシュカード上の記載と一体となったものとして磁気ストライプ部分の記録についても文書性を認めたと解される、大阪地判昭和五七年九月九日(判例時報一〇六七号一五九頁)の事案について、衆議院法務委員会で次のような審議がされている。「○坂上委員 被告人は、K相互銀行オンラインセンターのオペレーターであるが、昭和五十六年五月十日ごろから同年十月十二日ごろまでの間、同銀行オンラインセンター等で、自己名義のキャッシュカード及び窃取に係るキャッシュカード原板の磁気ストライプ部分に、職務上知り得た他人の預金口座の口座番号、暗証番号等を印磁し、カード表面に預金口座の口座番号、暗証番号等を刻字して、同銀行の記名のあるキャッシュカード十六通を偽造し、そのころ、これをCD機に差し入れて行使し、現金合計約二千万円を引き出して窃取したという事案であります。(中略)今度この法律が通りますと、これはどのような条文に該当することになるのでございましょうか。あるいは該当しないでございましょうか。○米澤説明員 この一連の事実の中で、磁気ストライプ部分に他人の口座番号を印磁したという箇所、これは今度でき上がります構成要件の中では電磁的記録不正作出罪に当たろうかと思うわけであります。それと、そのほかの有印私文書偽造に当たります、CDカード上の預金名義人の氏名等を勝手に刻字したという、現行法でも処罰される部分、これとの法律関係は包括一罪だろうと思うわけでございます、一枚のCDカードにそれぞれ部分がございますので。その上でそれを使いますものですから、今度つくります不正作出電磁的記録の供用罪というのも、同時にまた、使ったときに成立するということになります。その結果として現金をとったわけでございますから、一連の行為は電磁的記録不正作出、有印私文書偽造あるいは同行使、それから窃盗ということで、牽連犯関係に入ろうかと思います。」(第百八回国会衆議院法務委員会議録第四号昭和六十二年五月二十二日五頁)この審議においては、可視的部分であるカード上の記載すなわち文書と不可視的部分である電磁的記録部分とを明確に区別したうえで、それぞれの構成要件該当性を検討した後、罪数処理を行っており、前掲判例の文書と一体化した電磁的記録という立論を立法段階で否定していることは明らかである。この審議での答弁は、文書と電磁的記録とを截然と区別した現行法の体系に沿った立論であって首肯できるものである。したがって、電磁的記録部分をカード上の記載と一体となった文書(有価証券)であるといった議論に与するわけにもいかない。
三 次に、行使概念についても検討しておくこととする。従来の文書偽造罪(有価証券偽造罪も含む。)では「行使」という概念が用いられていたが、電磁的記録についてはそれに代わるものとして「供用」という概念を用いている。これは文書偽造罪の行使概念が、文書自体に可視性や可読性があるために、対人的な使用を前提とした概念であるのに対し、電磁的記録の場合はその定義自体から、「人ノ知覚ヲ以テ認識スルコト能ハザル方式ニ依リ作ラルル記録」であるために、「電子計算機ニ依ル情報処理ノ用ニ供」すること、すなわち対物的な使用を前提としているから、従来の行使概念に変容を与えるのを避けるため、それと区別する意味で供用という概念を用いたものである。そしてテレホンカードの電磁的記録部分は、そのカードの本質部分であり、可視性も可読性もないため、電子計算機を内蔵した電話機に使用することを目的とするものである。そうであれば、このような使用を「行使」に該当すると解することもできない。
四 テレホンカードの電磁的記録部分の使用可能度数を権限なく改竄する行為が、私電磁的記録不正作出罪に該当し、またこの改竄されたテレホンカードをカード式電話機に使用する行為が不正作出私電磁的記録供用罪に該当することは明らかである。しかしながら、不正作出と供用との間の不正作出私電磁記録をその情を明かして占有を移転する行為は現行法のもとでは不可罰であって、これは偽造私文書をその情を明かして占有を移転する行為が不可罰であるのと同様である。テレホンカードのような電磁的記録部分を含んだプリペイドカードが流通性を有するという特質にかんがみ、電磁的記録部分に改竄を加えられたプリペイドカードを流通させる行為を可罰的な行為とするためには、文書と電磁的記録とを截然と区別した現行法のもとでは新たな立法を必要とする。
結局本件公訴事実は罪とならないから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 林 敏彦)