千葉地方裁判所 平成元年(ワ)1326号 判決 1994年3月30日
原告
乙川春男
右訴訟代理人弁護士
廣瀬理夫
同
色川清
同
福武公子
被告
千葉県
右代表者知事
沼田武
右訴訟代理人弁護士
石川泰三
同
岡田暢雄
同
今西一男
同
三宅幹子
同
滝田裕
右指定代理人
志津登美男
外八名
被告
国
右代表者法務大臣
三ケ月章
右指定代理人
山岸誠
外二名
主文
一 被告千葉県は、原告に対し、金五万円及びこれに対する平成元年一月一一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告千葉県に対するその余の請求及び被告国に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用中、原告と被告千葉県との間に生じた分はこれを一〇分し、その九を原告の、その余を被告千葉県の負担とし、原告と被告国の間に生じた分は全部原告の負担とする。
四 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
五 但し、被告千葉県において金三万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告らは、各自、原告に対し、一〇〇万円及びこれに対する平成元年一月一一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告ら
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱の宣言。
第二 当事者の主張
一 原告の請求原因
1 本件捜索差押許可状の請求・発付と捜索差押え
(一)(1) 千葉県千葉中央警察署司法警察員であるB警部は、昭和六四年一月七日被疑者不詳の強盗殺人未遂・有線電気通信法違反・器物毀棄・窃盗被疑事件(以下「本件被疑事件」という。)につき、千葉地方裁判所裁判官に対し、捜索すべき場所を松戸市<番地略>所在の当時の原告の居宅及び同敷地内・付属建物とし、差し押さえるべき物を別紙記載のとおりとする捜索差押許可状一通の発付を請求した(以下「本件令状請求」という。)。
(2) 千葉地方裁判所小久保孝雄裁判官(以下「本件令状裁判官」という。)は、同日、本件令状請求に基づき、右請求と同趣旨の捜索差押許可状一通(以下「本件令状」という。)を発付した。
(二) 千葉県警察本部警備部司法警察員A警部補外三名の司法警察職員は、平成元年一月一一日、本件令状に基づいて原告宅を捜索し、原告所有のビラ一枚(以下「本件ビラ」という。)を差し押さえた。
2 本件令状請求の違法性
(一) 刑事訴訟法上、被疑者以外の第三者の住居その他の場所については、押収すべき物の存在を認めるに足りる状況のある場合に限り捜索をすることができ(刑事訴訟法二二二条一項、一〇二条二項)、捜索令状の請求には、押収すべき物の存在を認めるに足りる状況があることを認めるべき資料を提供しなければならない(刑事訴訟規則一五六条三項)。
(二) ところで、被告千葉県は、本件被疑事件は昭和六三年九月二一日に千葉市内で発生した当時の千葉県収用委員会会長小川彰弁護士襲撃事件であり、右事件は革命的共産主義者同盟全国委員会(以下「中核派」という。)に属する者の犯行であるところ、原告は中核派と密接な関係を持つ者であって原告宅に押収すべき物が存在する高度の蓋然性があったと主張している。しかし、後に反論するように、原告は中核派とは一切無関係であって、原告宅に本件被疑事件に関する証拠が存在する蓋然性はなかった。そして、このことは、捜査機関においても十分承知していたし、少なくとも容易に知ることができた。ところが、捜査機関は、具体的事実に基づく裏付けを欠いたまま、原告と中核派構成員との密接な関係を抽象的に断定し、それに基づいて陳述書、報告書を作成したうえ本件令状請求に及んだものであるから、右令状請求は違法である。
3 本件捜索差押えの違法性
(一) 捜索の違法性
(1) A警部補外三名の司法警察職員は、平成元年一月一一日午前七時少し前、当時の原告宅に来て、本件令状を執行したが、原告が警察手帳を呈示するよう要求したのに対し、妻や小学生及び中学生の子供の前で「邪魔するならこのまま踏み込むぞ。」、「お前のところは何度も警察が来ているだろう。」等と述べて原告及びその家族を威圧した。
(2) A警部補だけは、二〇分位経過後に警察手帳を呈示したが、他の三名は呈示しなかった。
(3) 原告は、住所氏名を問われたのにこれを拒絶したところ、A警部補らは、小学生の原告の娘に対して、「お父さんの住所と氏名を言え。」と詰め寄ったため、娘は泣き出した。
(4) A警部補らは、捜索の対象とすべきではない子供部屋や子供の持ち物についても捜索した。
(5) 以上のような捜索の仕方は違法である。
(二) 差押えの違法性
本件ビラは、「一一・六成田空港包囲行動へ」と題し、主催者名に「三里塚芝山連合空港反対同盟(代表熱田一)」と記載されたビラである。しかし、これは、駅頭などで公然と不特定多数の市民に配付されたものであり、市民がこのビラを持ち合わせることは何ら不自然ではない。また、代表者を熱田一とする団体が中核派と無関係であることは、一般市民においても十分了解されている事柄である。さらに、本件ビラの記載内容は、本件被疑事件の動機、目的、背景、関係者などの解明に資するものではなく、本件被疑事件と関連性を有するものではない。したがって、本件ビラは、どのような意味でも本件令状に記載された差し押さえるべき物に該当しないし、差押えの必要性は全くなかったから、本件捜索差押えは、この点でも違法である。
4 被告千葉県の責任
(一) B警部は、本件令状請求の理由がないことを知っていた。仮にそうでないとしても、右警部は、適切に証拠を評価し、関連性のない第三者宅を捜索して第三者所有物の差押えをすることなどのないように慎重に判断する義務を怠り、不確実な資料に基づいて本件令状請求をしたのであるから、重大な過失がある。
(二) A警部補らは、本件捜索差押えに理由がなく、違法なものであることを知りながら、あるいは重大な過失によってこれを看過し、前記のようにそれ自体違法な態様で、本件令状に基づき本件捜索差押えを行った。
(三) 右(一)及び(二)の各行為は、いずれも被告千葉県の公権力の行使に当たる公務員が職務を行うについて行ったものであるから、被告千葉県は、原告が被った後記損害を賠償する義務がある。
5 被告国の責任
(一) 本件令状裁判官は、原告宅に押収すべき物の存在を認めるに足りる状況があったとはいえなかったのに、不十分な疎明資料を十分吟味することなく、故意もしくは重過失により、本件令状を発付した。
(二) 本件令状発付は、被告国の公権力の行使に当たる公務員である右裁判官が、その職務を行うについてしたものであるから、被告国は、原告が被った後記損害を賠償する義務がある。
6 損害
原告は、本件捜索差押えによって、住居の平穏を害され、プライバシーを侵害されたほか、その所有物を約七か月にわたって取り上げられたうえ、それまで培ってきた人権擁護諸活動での友人関係を破壊され、近隣の住民から本件被疑事件と関連があるのではないかと疑われ、さらには偏執的隣人の執拗な嫌がらせを受けたことにより、本件捜索差押え後、転居を余儀なくされたのであり、これらにより多大な精神的苦痛を被った。右精神的損害を慰謝するには、少なくとも一〇〇万円を要する。
7 よって、原告は、被告ら各自に対し、国家賠償法一条一項に基づき、右一〇〇万円及びこれに対する本件捜索差押えの日である平成元年一月一一日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うよう請求する。
二 請求原因に対する被告らの答弁
(被告千葉県)
1 請求原因1のうち、本件ビラの所有関係は不知、その余は認める。
2 同2のうち法規の定めは認めるが、その余の事実と主張は争う。
3 同3(一)のうち、原告主張の者が同主張のころ本件令状を執行したこと及びA警部補が原告に警察手帳を示したことは認めるが、その余は争う。同(二)のうち、本件ビラに原告主張のような記載があることは認め、その余は争う。
4(一) 同4(一)は否認する。
(二) 同(二)は否認する。
(三) 同(三)のうち、本件令状請求及び本件令状の執行が被告千葉県の公権力の行使に当たる公務員により行われたことは認めるが、その余は争う。
5 同6のうち、本件ビラを約七か月間留置したことは認め、その余の事実は不知。
(被告国)
1 請求原因1(一)は認め、同(二)は不知。
2(一) 同5(一)は否認する。
(二) 同(二)のうち、本件令状裁判官が被告国の公権力の行使に当たる公務員であること、同裁判官の行為が職務の執行としてなされたことは認め、その余は争う。
3 同6は不知。
三 被告らの主張
(被告千葉県)
1 本件令状請求に至る経緯
(一) 本件被疑事件の発生
昭和六三年九月二一日午後七時ころ、千葉市<番地略>付近路上において、千葉市内の法律事務所から徒歩で帰宅途中の当時の千葉県収用委員会会長小川彰弁護士が、あらかじめ付近の電話線を切断し、自宅付近で待ち伏せていた数名の者に、鉄パイプ、棍棒、ピッケル様の物で顔面、両腕等を殴打され、瀕死の重傷を負わされたうえ、所持していた鞄を強取されるという強盗殺人未遂、有線電気通信法違反事件が発生し、同月二二日には、襲撃に使用された盗難車両が建設資材置場で焼燬されるという事件が発生した。
(二) 犯行セクトの断定
本件被疑事件を認知した千葉県警察による捜査の結果、右事件は、以前から新東京国際空港(成田)の開港、維持、拡張等に反対し、三里塚芝山連合空港反対同盟を支援して数多くのゲリラ事件等を繰り返し、その関係で千葉県収用委員会の実力粉砕をとなえ収用委員宅に対するゲリラ事件の敢行や辞任を求める脅迫等を繰り返していた中核派構成員によるものではないかとの容疑が深まった。そして、中核派は、本件被疑事件について、「軍報速報」と称して、昭和六三年一〇月三日付機関紙「前進」で犯行声明を出したことから、本件被疑事件は中核派によって敢行されたことが明らかになった。
(三) 本件被疑事件の捜査
(1) 捜査方針
本件被疑事件は、収用委員会の会長たる弁護士が犯行の目標にされた重大事件であること、中核派により用意周到に準備され敢行された組織的、計画的かつ集団的な犯行であって、証拠資料の収集及び犯人検挙が極めて困難であると予想されたこと等から、千葉県警察は、捜査本部を設置し、中核派に対して捜査を進めた。
(2) 中核派に対する捜査結果
① 中核派の組織実態
ア 中核派は、昭和四四、五年の第二次安保闘争や昭和四六年の沖縄闘争で何千人もの大量検挙者を出し、また、これと並行して革マル派との党派抗争が殺し合いまで発展したことから、革命軍を編成し地下に潜った。
イ 右革命軍は、テロ・ゲリラや内ゲバを任務とするものとみられ、この部隊はテロ・ゲリラを直接実行する部隊、攻撃対象の調査を行う部隊、爆弾等武器の開発製造に当たる部隊、連絡・輸送・防衛を任務とする部隊等に役目が別れており、組織を防衛するため徹底して正体を隠し、市民社会の中に潜んで活動している。
ウ これら革命軍のメンバーの活動資金や生活費は、支持者からのカンパ及び組織内の上納金によるものであり、また、アジトを借りたり、会議場所を借りたり、車を購入したりする時には他人の名前を使って身元を偽ったりしている。また、アジトを移動する場合には、他の場所に荷物を一時預けるなど徹底した地下活動を行っており、その場合にシンパ、知人、同僚等の家に荷物を隠匿することも行っている。
エ 中核派が襲撃事件を敢行する場合には、まず人、物を隠匿・隠秘するためのアジトを設定し、その際、他人名義を借用し、そして、事前、事後の謀議資料や武器、強奪品等を知人、同僚等に預け隠匿するという形をとる。
② 中核派の空港反対闘争への取組経緯等
ア 中核派は、昭和四二年以降現在まで成田闘争に取り組み、成田空港の廃港を主張し、集団武装闘争やテロ・ゲリラ闘争を積極的に展開している。
イ また、反対同盟の北原派と熱田派は、ともに二期工事実力阻止等を掲げて活動していたが、昭和六一年九月一四日、北原派と熱田派の集会が開催され、北原派及びこれを支援する中核派は、蜂起を宣言し、一方の熱田派は「農地を奪う政府・公団のやり方は絶対に許せない。必ず勝利を勝ち取ろう。」と決意表明をしていた。
ウ 中核派は、空港反対闘争等を強力に進めるため、千葉県反戦青年委員会の事務局を同派の主導のもとに三里塚闘争会館に置き、活発な反対闘争を行っていた。
③ 中核派と指紋押捺拒否闘争
中核派は、昭和六〇年の外国人登録の大量切替時期に当たり、指紋押捺制度の緩和を含む法改正の運動が高揚したことなどを背景にして、昭和六三年五月二七日付け「前進」において「指紋押捺弾圧を許すな」という見出しを掲げ、この問題に対する記事を初めて掲載して以来、指紋押捺拒否闘争にも積極的に取り組んでいた。
(3) 甲一郎に対する捜査
① 甲一郎と中核派の密接な関連性
以上のような本件被疑事件の捜査の過程で、本件被疑事件に関係あると判断される者が多数浮かび上がったが、甲一郎は、そのような者の一人であった。すなわち、(ⅰ)昭和六〇年一月二七日、甲一郎が代表を務める「指紋押捺拒否千葉予定者会議」(以下「千葉予定者会議」という。)の結成集会が、船橋中央公民館で開催されたが、同結成集会には、甲一郎と共に、中核派活動家の甲川二郎、甲山三郎を含む中核派活動家が参加していた。右甲山三郎は、習志野市役所に勤務する中核派の活動家であり、また、同市役所に勤務する中核派活動家で組織されている習志野市労働問題研究会(以下「習志野市労研」という。)のリーダー的存在であり、同人が参加した集会においては、本件被疑事件の犯行をアピールしていた。さらに、右結成集会では、中核派構成員の保釈にあたり制限住居として自宅を提供していた神奈川大学梶村秀樹教授が、支援の挨拶をしている。(ⅱ)昭和六〇年四月二〇日、松戸勤労会館で行われた指紋押捺問題東葛連絡会の結成集会には、甲一郎と共に、甲川二郎を含む中核派活動家が参加していた。(ⅲ)甲山三郎と同様に中核派活動家で習志野市役所に勤務し、習志野市労研に所属している甲野四郎及び甲沢五郎の両名は、昭和六〇年一〇月二〇日、成田において公務執行妨害により現行犯逮捕され、そのため習志野市から停職六か月の懲戒処分を受けたが、甲一郎は、習志野市労研の昭和六一年一月三一日付けの守る会ニュース創刊号に右両名に対する措置に抗議する内容の記事を投稿した。そして、右創刊号には、中核派活動家の宅間一久及び反対同盟事務局長の北原絋治もまたそれぞれ記事を投稿しており、習志野市労研が中核派による組織であることが明らかである。(ⅳ)甲一郎は、昭和六〇年六月二七日、外国人登録証を紛失したとして習志野市役所に再交付申請をしたが、その際指紋押捺を拒否したため、市側は法務省通達に従い新登録証を交付しなかった。この市側の措置に対し、甲一郎は、甲川二郎、甲山三郎を含む中核派活動家らと共に抗議活動を行っていた。(ⅴ)昭和六二年から六三年にかけ、甲山三郎ほか数名の中核派活動家が、数度にわたり、甲一郎宅に出入りしていたが、中核派活動家が同人宅に入る際に所持していた書類様の物が、帰るときには別の物に代わっているなど同人宅において物の授受が行われている高度の蓋然性があった。(ⅵ)船橋市二宮には中核派活動家拠点があり、千葉県警察が、昭和六二年に発生したゲリラ事件の容疑で右活動拠点を捜索した際、同所からゲリラの調査活動資料が発見押収されているが、甲一郎は、昭和六三年九月以降、数回にわたり右の中核派活動拠点に出入りしている。(ⅶ)甲一郎は、昭和六三年三月九日、船橋市中央公民館で行われた李政美コンサートを原告と共催したが、同コンサートには、甲川二郎、甲山三郎を含む中核派活動家が参加して支援していた。(ⅷ)甲一郎は、甲川二郎の自宅にも出入りしている。(ⅸ)甲一郎は、本件被疑事件発生前後、甲山三郎が現に居住する部屋を事務所として借り受け、津田沼ワープロという商号で版下製作等の営業をしていた。
以上のとおり、甲一郎は千葉県内で活発に活動中の中核派活動家と極めて密接な交流のあることが判明したのである。
② 甲一郎に対する捜索差押
そこで、千葉県警察は、甲一郎宅には本件被疑事件に関連する証拠物等が存在する蓋然性が高く、捜索の必要性があると判断し、昭和六三年一〇月一四日、本件被疑事件を被疑事実とする捜索差押許可状を得て、甲一郎の捜索を実施したが、その結果、同人宅南側四畳半の部屋の北側壁に掛けられてあった布製状差しに洗濯バサミで挟んであった紙片一枚(以下「本件名簿」という。)を押収した。そして、本件名簿には、本件被疑事件の被害者である小川弁護士ほか七名の弁護士の氏名、事務所所在地、事務所電話番号、自宅所在地、自宅電話番号が一覧表形式で印刷され、その余白部分に筆記用具で数名の人の氏名や電話番号が不規則に記入されていた。
③ 甲一郎宅から押収した紙片の分析
本件名簿に記入されていた氏名等について捜査した結果、次の事実が明らかになった。すなわち(ⅰ)左上余白に書かれた「<電話番号略>」は、甲山三郎が現に居住する部屋に設置された甲一郎経営にかかる津田沼ワープロの電話番号である。(ⅱ)左下余白に書かれた「梶村 <電話番号略>」は前記梶村秀樹教授宅の電話番号である。(ⅲ)左下余白に書かれた「甲川 <電話番号略>」は、甲川二郎宅の電話番号である。(ⅳ)右下余白に書かれた「乙川(松戸)自<電話番号略>」は、原告の自宅の電話番号である。
2 原告宅に対する捜索差押えの正当性
(一) 以上の経緯により、原告に対する捜査が及び、その結果、次のような事実が判明した。
(1) 松戸反戦青年委員会を通じての原告と中核派の関係
原告は、大学在学中に学生運動を行っており、昭和四四年に、習志野自衛隊基地撤去闘争集会に参加していた。また、原告は、昭和四七年に松戸市役所に就職したが、その際、千葉県反戦の傘下であり、昭和四三年一月ころ結成され、中核派が中心となって活動していた組織である松戸反戦青年委員会に所属していた。
(2) 指紋押捺拒否運動を通じての原告と中核派の関係
① 前記1(三)(3)①(ⅱ)の指紋押捺問題東葛連絡会は原告が事務局長をしている。
② 同(ⅳ)の抗議活動には原告も参加し活発に行動した。
③ 同(ⅶ)の昭和六三年三月の李政美コンサートは、原告が甲一郎と共催した。
④ 原告は、昭和六三年四月、新松戸市民センターで開催された鄭正模出版パーティーの会場借り上げを指紋押捺問題東葛連絡会代表の名で申請し、同パーティーに参加した。同パーティーには中核派構成員が参加していた。
⑤ 以上のように、原告は、指紋押捺拒否運動を行うに際して甲一郎及び中核派活動家と密接な関係を保ちながら中核派の支援を受けて活動していた。
(二) 原告は、右のとおり中核派と密接な関係にある。そして、このことと前記1(三)(2)①の中核派の組織実態に照し、千葉県警察は、原告が本件被疑事件に密接な関係を有し、原告の自宅に右事件について押収すべきものが存在する高度の蓋然性があると認めたものである。そして、この判断に違法な点はない。
3 捜索差押手続の適法性
A警部補外三名は、平成元年一月一一日午前七時少し前に原告宅に到着したが、玄関において、原告の妻に警察手帳を示したうえ、原告を呼んでもらい、原告にも警察手帳を示した後、捜索する旨告げて本件令状を手渡した。また、その際、A警部補らは、原告宅に子供がいることや近隣居住者との関係を考慮し、子供が学校に行ってから捜索したい旨を申し入れたが、原告はこれに応じず、到着してから約二〇分経過しても捜索できない状況にあった。そのため、このままではいつまでたっても捜索の目的が達成できないと判断したA警部補は、原告に立会いを依頼した上で、午前七時二〇分、室内に入って捜索を開始し、一階東側六畳間のテーブルの上にあったダンボール箱内から、本件ビラを発見しこれを差し押さえた。そして、本件捜索差押えは、同九時三三分に終了したのであるが、この間、A警部補らは、何ら違法な言動をしていない。また、本件ビラは、本件令状記載の差し押さえるべき物のうち二(五)の「犯行計画、犯行声明、地図、略図等の文書類」に該当する。そして、本件被疑事件は、空港二期工事阻止、収用委員会阻止を目的としたテロ・ゲリラ事件であるところ、本件ビラは二期工事阻止及び強制収用不許を訴えるものであるから、本件被疑事件の背景事情を分析するため押収する必要性があった。以上のように、本件捜索差押えの実施についても違法な点はない。
(被告国)
裁判官がした争訟の裁判については、仮にこれに瑕疵が存在したとしても、当該裁判官が違法または不当な目的をもって裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情がない以上、被告国は国家賠償法上の責任を負わないと解するべきである。そして、このことは、捜索差押許可状発付の裁判についても同様である。本件の場合には、右のような特別の事情があることについて何ら主張立証がなされていないのであるから、原告の被告国に対する請求はこの点で失当である。
四 被告らの主張に対する原告の答弁
(被告千葉県関係)
1 被告千葉県の主張1のうち、甲一郎が千葉予定者会議の代表であり指紋押捺拒否闘争をしていたこと、同人が昭和六三年三月李政美コンサートを開催したことは認めるが、その余は不知。
2 同2のうち、原告が昭和四七年ころ松戸反戦青年委員会に参加していたこと、原告が指紋押捺問題東葛連絡会の事務局代表をしていたこと、原告が甲一郎の指紋押捺拒否行動に参加したこと、原告が鄭正模の出版記念パーティの会場借主名義人になったことは認めるが、その余は否認する。
(一) 原告は、昭和四七年に松戸市役所に就職後、松戸市職員組合の役員を務めるほか、その上部団体である全日本自治団体労働組合千葉県本部の執行委員も担当する一方、松戸反戦に参加し既成の労働組合運動を越えた新たな労働運動を目指して、春闘時の討論集会を開催したり、映画会や講演会などを企画実行したりしていた。しかし、昭和四七年当時における松戸反戦は、事務局や事務所もなく、五、六人の人数が集まる程度のものであり、特に一定の上部団体の傘下にはなく、また、他の反戦青年委員会とも関係がなく、さらに中核派的主張を提起する者は存在せず、かつ中核派主催の集会に参加するなどの活動をする者はいなかった。
(二) 昭和六〇年四月当時、在日朝鮮・韓国人の外国人登録証の大量切換時期を控え、指紋押捺制度が大きな社会問題となっていたが、全日本自治団体労働組合は、外国人登録法改正と指紋押捺拒否運動の支援を決議していたことから、原告の所属する松戸市職員組合もこれを受け、近隣市職員組合や教職員組合、市民団体、押捺拒否予定者らと交流してこの問題の改善に取り組むために、指紋押捺問題東葛連絡会を発足させた。原告は、松戸市職員組合の役員として、この連絡会結成に準備段階から参画し、連絡会の事務局代表として中心的役割を果たした。そして、原告は、昭和六〇年七月から九月にかけて、三回、習志野市役所において、甲一郎が行った指紋押捺拒否行動に参加し、市当局に対する抗議行動に参加し、その際、指紋押捺問題に対する市当局の対応への怒りから、ハンドマイクを手に集会で挨拶をするなど激しい抗議行動の先頭に立ったこともあった。しかし、連絡会は、千葉予定者会議、千葉県在日朝鮮人の人権を守る会、指紋押捺制度の廃止を求める市川の会、千葉指紋拒否者相談センターなどの各団体と連絡を取り合い、共にあるいは単独で学習会を開いたり、地方自治体の首長に対する告発不実施の要請を行うなどの行動を行ったりしたのであり、いずれも中核派とは直接関係がない。
(三) 原告は、昭和六三年三月、李政美コンサートが開催されるについて、千葉予定者会議の代表の甲一郎と連絡を取り合い、チケットの販売に協力したりしたが、このコンサートは広く一般にも呼びかけ、当日は二〇〇人ないし三〇〇人の参加があったもので、この中に中核派構成員がいたかどうかは不明であり、右コンサートは、中核派が中心となって実施したものではない。
(四) 原告は、在日朝鮮人である鄭正模関係の出版記念パーティーの会場を借りる際の借主にもなったが、右パーティーは、鄭氏と親しい知人五名が発起人となり、日頃よく知っている親しい人に往復葉書で呼びかけ、参加を募ったもので、参加者の中にも中核派と思われる人はいなかった。
(五) 原告は、千葉予定者会議の代表の甲一郎とは、各集会等の行事を予定したときに、連絡を取り合い、情報を交換し合い、習志野市役所における抗議行動などの行事の場において顔を合わせるというような間柄であった。しかし、二人の関係は右運動を通じて接触があったに過ぎず、個人的な交際は全くなく、単に指紋押捺問題の当事者と支援者という関係であり、指紋押捺拒否予定者団体とその支援団体のリーダー同士という関係に過ぎない。
(六) 甲川某については、原告はその名前と顔は認識していたが、単に甲一郎と親しい間柄であることを認識していた程度であって、指紋押捺運動関係の集会等で顔を合わせればお互いに挨拶をする程度の関係に過ぎない。
(七) 以上のように、原告は、指紋押捺問題東葛連絡会の中心として、昭和六〇年から現在まで、主として東葛地方における外国人登録法改正、指紋押捺拒否運動に関与し、その限りにおいて在日朝鮮・韓国人、支援の市民運動家、同調組合の活動家などと交流し、共に運動を担って来たが、中核派とは一切無関係であるから、原告宅に被疑事実に関する証拠物が存在する蓋然性はなかった。
3 同3は争う。請求原因で主張したとおりである。
(被告国関係)
被告国の主張は争う。裁判官の行為についてだけ右主張のように特別に扱うべき理由はない。
第三 証拠関係<省略>
理由
第一被告千葉県に対する請求について
一請求原因1のうち、本件ビラが原告の所有であったことは原告本人尋問の結果により認めることができ、そのほかの点は当事者間に争いがない。
二そこで、請求原因2について判断すべきところ、本件捜索が被疑者以外の第三者の住居に対するものとしてなされたことは双方の主張に照して明らかであるから、これが適法であるためには、原告宅に押収すべき物の存在を認めるに足りる状況があり、犯罪の捜査をするについて捜索する必要があったという刑訴法上の要件(刑訴法二一八条一項、二二二条一項、一〇二条二項)を満たす必要がある。そして、右の適法要件があったことは、その性質上、捜査機関側が主張立証責任を負担するものと解するのが相当であるが、この場合、後に結果的に押収すべき物が存在しなかったことが判明したとしても、そのことだけでは捜索が違法になるものと解するべきではなく、捜査機関が捜索の時までに収集した証拠資料及び通常捜査機関に要求される捜査をしておれば収集し得た証拠資料を総合勘案し合理的な判断過程により右のように捜索の必要性があり、押収すべき物が存在すると認めるに足りる状況があった場合には、捜索は違法性を欠くことになるものと解するべきである。
三そこで、この点を検討するに、<書証番号略>、証人安木義昭、同A、同Bの各証言及び原告本人尋問の結果によると、次の事実を認めることができる。
1 昭和六三年九月二一日午後七時ころ、千葉市<番地略>付近路上において、当時の千葉県収用委員会会長であった小川彰弁護士が数名の者に襲撃されて瀕死の重傷を負い鞄を奪われる被害に遭い、さらに、同月二二日、右襲撃に使用された盗難車両が建設資材置場で焼燬されるという本件被疑事件が発生した(強盗殺人末遂、有線電気通信法違反、器物毀棄、窃盗被疑事件)。
2 本件被疑事件は、その犯行の手口、遺留品、本件被疑事件発生前の極左過激派集団である中核派の動向などに照して中核派構成員による犯行であると疑われたところ、中核派は、昭和六三年一〇月三日付機関紙「前進」等でその犯行声明を出したため、これが中核派により成田空港二期工事阻止を目的として組織的、計画的に敢行された犯行であることがほぼ疑いのないものとなった。
3 そこで、千葉県警察は、本件被疑事件が極めて重大な事件であったところから、千葉中央警察署に捜査本部を設置し、B警部が捜査主任官となって、主として中核派構成員及び中核派関係者を対象として大規模な捜査を展開したが、捜査本部は、本件被疑事件発生前からの一般的観察活動その他から、中核派活動家及びこれと密接な関係のある者として、甲川二郎及び甲山三郎らのほか、甲一郎らがいることを把握していた。甲川及び甲山は、中核派が組織を挙げて取り組んでいた成田空港反対運動の各種集会に積極的に参加していた者であり、特に甲川はこの関係での逮捕歴もあって、ともに中核派の公然活動家であると考えられていた。また、甲一郎は、成田空港関係の中核派の行動に参加していたことはなく、そのほかの捜査からも中核派構成員とまで考えられる状況にはなかったが、いわゆる指紋押捺拒否運動を通じて、甲川及び甲山と接触があり、その態様に照して、中核派構成員と個人的に相当密接な関連を有するものと把握されていた。
4 すなわち、甲一郎は韓国籍を有する在日韓国人であり、昭和六〇年初頭までに全国的に高揚していたいわゆる指紋押捺拒否運動ないし外国人登録法改正運動に共鳴し、千葉県内でこれを積極的に展開する指導者の一人であって、千葉県内に居住する外国人で外国人登録に際し指紋押捺を拒否しようとしている者を構成員とする指紋押捺拒否千葉予定者会議を組織し、その代表者となっていたが、主として右の運動活動上、中核派構成員と接触していた者である。例えば、①千葉予定者会議の結成集会は昭和六〇年一月二七日に船橋中央公民館で開催されたが、右結成集会には、前記甲川及び甲山が参加したほか、かつて刑事事件で身柄を拘束されていた中核派構成員の保釈に当たり、制限住居として自宅を提供していた神奈川大学梶村秀樹教授も出席し、挨拶をした。②甲一郎は、昭和六〇年六月二七日、外国人登録証を紛失したとして習志野市役所に再交付申請をした際、指紋押捺を拒否したため、市側が新登録証を交付しなかった措置に対し、相当激しい抗議活動を行ったが、この抗議活動にも、甲川、甲山両名が参加していた。③昭和六三年三月九日、千葉予定者会議等が主催する李政美コンサートという音楽会が開催されたが、右コンサートには少なくとも甲川が出席していた。④なお、甲一郎は、甲山所有の建物で、津田沼ワープロサービスという商号で版下製作等の営業をしていたし、昭和六二・三年ころには甲山が数度にわたり甲一郎宅に出入りしており、甲山が甲一郎宅に入る際に所持していた書類等の物が帰るときには別の物に代わっていることがあるなど同人宅において物の授受が行われている可能性があった。⑤また、甲一郎は、甲川二郎の自宅に出入りしていたほか、千葉県警察が中核派の活動拠点と判断している場所に数回出入りしていた。⑥そして、甲一郎は、習志野市役所に勤務し中核派活動家と目される者が公務執行妨害により現行犯逮捕され、そのため習志野市から停職六か月の懲戒処分を受けた際、習志野市労研の昭和六一年一月三一日付の守る会ニュース創刊号に、右処分に抗議し「習志野市にいじめられたどうしです」との表題のもとに「共にたたかいます」との記事を投稿しているが、右創刊号には、中核派活動家の宅間一久、三里塚芝山連合空港反対同盟北原派事務局長の北原鉱治も記事を投稿している。
5 中核派は、昭和六〇年五月二七日付けの機関紙前進で「指紋押捺弾圧を許すな」という見出しを掲げ、戦う朝鮮人民、在日朝鮮人民と連帯して日帝の入管体制を粉砕しなければならないなどと主張する記事を掲載して以来、組織として指紋押捺拒否闘争にも取り組みこれを支援する立場を表明していたものである。そして、前記のように甲一郎の主宰する千葉予定者会議等の運動に甲川及び甲山らが参加するようになっていたが、前記のように、捜査本部は甲一郎が中核派の組織に関係するものとまで認定していたのではなく、主として指紋押捺拒否運動を通じて個人的に密接な関係を有するものと認定していた。
6 以上の経緯から、捜査本部は、甲川宅及び甲山宅のほか、甲一郎宅にも本件被疑事件に関係する証拠物が存在する可能性が高いと判断し、これらの場所の捜索を実施した。そして、甲一郎宅については、昭和六三年一〇月一四日に捜索が実施されたが、その際、本件被疑事件の被害者である小川彰弁護士ほか七名の弁護士の氏名、各事務所所在地、同電話番号、自宅所在地、同電話番号が一覧表形式でワープロで印刷され、その上下の余白部分に手書きで数名の人の氏名や電話番号等が不規則に記入されている紙片一枚(本件名簿。<書証番号略>はその一部の写)が発見され、押収された。そして、捜査の結果、本件名簿の左上余白に書かれた「<電話番号略>」は甲一郎が津田沼ワープロサービスを経営している甲山方の電話番号であること、左下余白に書かれた「梶村 <電話番号略>」は前記梶村教授宅の電話番号であること、左下余白に書かれた「甲川<電話番号略>」は甲川宅の電話番号であること、そして、右下余白に書かれた「乙川(松戸)自<電話番号略>」は原告の電話番号であること等が判明した(そのほかにも書き込みがなされていたが、被告千葉県は、現に本件被疑事件の捜査中であり支障があることを理由にその内容を明らかにしていない。)。
7 本件名簿に原告宅の電話番号が記載されていたことから、原告が初めて捜査本部の捜査対象に挙がり、捜査の結果、次の事実が判明した。
(一) 原告は、大学在学中に学生運動に参加し、昭和四四年ころには、習志野自衛隊基地撤去闘争集会に参加したほか、そのほかの集会にも参加している。
(二) 原告は、昭和四七年三月に大学を卒業し、松戸市役所に勤務するようになったが、間もなく松戸反戦青年委員会という組織に参加し、その活動に加わっていた。
(三) 原告は、昭和六〇年四月二〇日に結成された指紋押捺問題東葛連絡会という組織の事務局代表をしていたが、右連絡会の結成集会には甲川も出席した。
(四) 前記のように、昭和六〇年夏の習志野市役所における甲一郎関係の抗議活動には甲川、甲山らも参加していたが、原告も右抗議活動に積極的に参加していた。
(五) 前記のように昭和六三年三月の李政美コンサートには中核派構成員も出席していたが、東葛連絡会はその主催者団体の一つであった。
8 以上の捜査結果から、捜査本部のB警部は、原告は中核派活動家(甲川、甲山)ないしこれらと密接な関係のある人物(甲一郎)と密接な関係のある人物であり、中核派構成員の敢行した犯行の場合には、知人、友人等に証拠物を預けたりこれらの者の住居にアジトを置いたりする例もあることから、原告も本件被疑事件に何らかの関連を有する可能性があり、従って原告宅に右事件の証拠物がある可能性が高いと判断した。そして、B警部は、特に本件名簿を重視し、一般には入手しにくい名簿であり小川弁護士の氏名等は襲撃対象として記載されていると考えたため、このような本件名簿に原告の電話番号がメモ書きされていることが前記のように判断した最も大きな理由の一つであった。そこで、B警部は、昭和六四年一月七日、千葉地方裁判所裁判官に対し、本件被疑事件の実況見分調書、参考人の供述調書、捜査報告書等を疎明資料として、本件令状の発付を請求し、同日、その発付を得たうえ、平成元年一月一一日、A警部補ほか三名が原告宅を捜索した。
9 右捜索では本件ビラが差し押さえられたが、本件ビラは、後記認定のように本件被疑事件の証拠資料としての価値がないことが判明したので、後記認定のように押収が解かれ、原告に還付された。
四右のように認定することができる(右認定のように本件令状が発付され執行されたこと、本件ビラが差し押さえられたこと、甲一郎が千葉予定者会議の代表であり、指紋押捺拒否闘争をしていたこと、同人が昭和六三年三月李政美コンサートを開催したこと、原告が昭和四七年ころ松戸反戦青年委員会に参加していたこと、原告が東葛連絡会の事務局代表をしていたこと、原告が甲一郎の指紋押捺拒否行動に参加したことは当事者間に争いがない。)。そして、捜査本部が右三8のように判断した前提となる事実関係(すなわち三7の事実及びこれと関連する同1ないし6の関連事実)は、本件の証拠関係に照してもほとんど誤りのないところであると認めることができるから、問題は、これらの事実関係から右三8のように原告が本件被疑事件の証拠物を自宅に保管する立場にあり得るほど中核派と関係を有していると判断したことの合理性の有無にある。そこで、この点を検討する。
1 まず、三7(一)の学生運動の関係が右8の判断の合理性を裏付けるに足りるものと認めるべき資料はない。
2 同(二)の松戸反戦の関係については、B警部自身も昭和四九年にはいわゆる三派の内部対立で自然消滅したと証言しており、原告本人尋問の結果によっても遅くとも昭和五三年ころには自然消滅した組織であると認めることができるところ、本件被疑事件はこれから一〇年も経過してから発生したものである。しかし、<書証番号略>及び証人Bの証言によれば、反戦青年委員会は、その発足当初は全国的な組織であり、中核派の思想を持つ者も参加するようになったこと、捜査本部は松戸反戦は中核派が中心となって組織されていたものと認識していたこと、全国の反戦青年委員会はその後一定の期間を経て変容したが、中核派を含む過激派集団がこもごも反戦青年委員会を名乗って行動するようになったこと、千葉県内においては、少なくとも昭和六一年当時でも中核派が千葉県反戦青年委員会を名乗り、その連絡先を成田市内の三里塚闘争会館に置き、過激なゲリラ活動等を敢行してビラ等で千葉県反戦青年委員会名で犯行を公然と表明していたことを認定することができるから、右の経緯と次の3以下の原告と中核派活動家ないしこれと密接な関係を有するものとの共同行動に鑑みると、捜査本部が原告の松戸反戦参加歴を本件捜索の要件と関連付けて検討し、中核派との関係を積極に認める方向の状況の一つとして評価したことには、捜査機関の判断として合理性がないとはいえない。
3 同(三)の事実は、原告と中核派活動家ないしこれと密接な関係を有する者を直接関連付ける事実である。もっとも、前掲<書証番号略>及び原告本人尋問の結果によれば、東葛連絡会の結成集会は、原告が中心となって呼び掛け、千葉予定者会議、崔哲教さんを支援する松戸市民の会、千葉県高教組松戸支部、柏職員組合、自治労流山職員組合、自治労松戸市職員組合が参加して開かれたものであり、中核派と組織的な関係を持つものであるとか、中核派的な政治的思想を持つ者の集まりであるとか評価することのできないものであり、甲一郎は千葉予定者会議の代表として、また甲川は千葉予定者会議に前記のように関係していたため右集会に参加したのであるに過ぎないこと、そして、東葛連絡会の結成集会は、成田闘争とはどのような意味でも関係のないものであることを認定することができる。しかし、問題は原告と中核派活動家ないしこれと密接な関係を有する者との接触の有無程度自体にあるのであり、原告が東葛連絡会の代表であり集会の呼び掛け人の立場にあったことを考えると、次の4以下の情況と合せて、原告が単なる集会参加者以上に積極的に中核派活動家ないしこれと密接な関係を有する者と接触している情況的資料の一つと判断したとしても、これが捜査機関の判断として著しく不合理であったとはいえない。
4 (四)についても、原告本人尋問の結果によれば、この抗議運動は原告が東葛連絡会の事務局代表として東葛連絡会の前記参加団体に連絡して多数の参加者を集め、原告自身は松戸市職員組合の腕章をして参加していたものであって、参加者の中に甲川及び甲山がいたのは前記のような千葉予定者会議ないし甲一郎との関係で参加したのであると認めることができるが、原告と中核派活動家ないしこれと密接な関係を有する者との接触の有無程度という観点から見ると、本件捜索の要件を積極に判断する情況の一つと評価し得ないではない。
5 (五)についても(三)とおおむね同様にいうことができる。すなわち、前掲<書証番号略>、右証言及び原告本人尋問の結果によれば、李政美コンサートは千葉指紋拒否者相談センターが代表格名義で開催されたものであるが、東葛連絡会も千葉県在日朝鮮人の人権を守る会、指紋押捺制度の廃止を求める市川の会、千葉予定者会議とともに共催団体の一つとなっていたものであること、右相談センターは廣瀬理夫弁護士などが中心となって昭和六一年六月に結成され指紋押捺拒否者に対し主として法律的な面で援助を与えることなどを目的とする組織であるが、本件被疑事件の被害者である小川弁護士を始め千葉県内の多くの弁護士が協力を表明していたものであること、また、右の千葉県在日朝鮮人の人権を守る会は昭和五八年九月にその名称のとおりの活動をすることを目的として主として千葉県内の弁護士を会員として結成されたものであり、その代表は前記小川弁護士がつとめ、廣瀬弁護士が事務局を担当していたこと、そして、右の人権を守る会は中核派ないしその活動家とは何の関係もないこと、そのほかの前記共催団体も、千葉予定者会議のほかは、同様に中核派ないしその活動家と関係がないこと、そして、コンサートに中核派活動家が参加したのは前記(三)と同じ理由であるに過ぎないこと、もとより、コンサート自体成田闘争とはいかなる関係もなかったことを認定することができるが、前記のとおり原告と中核派活動家ないしこれと密接な関係を有するものとの接触の有無程度という観点から見ると、(五)の事実も(三)と同様に評価し得ないではないと認めることができる。
6 ところで、B警部は、前記のように、甲一郎方から押収された本件名簿の記載を重視し、これが、原告が本件被疑事件と何らかの関係があると判断した一番のポイントとなったものであると供述し、これに小川弁護士の名が出ているのは襲撃対象として出ているものと考えたと供述している。しかし、本件名簿には小川弁護士のほか多数の弁護士の氏名、事務所等が印刷してあるのであり、それ自体では襲撃対象を記載した名簿であることまでをうかがわせるものではないし、証人廣瀬理夫の証言によれば、右名簿は廣瀬弁護士が前記相談センターに協力する旨表明していた弁護士を記載して千葉予定者会議の代表者たる甲一郎に送付していた名簿であることを認めることができるから、捜査機関が本件名簿について十分な捜査をしておれば、甲一郎が指紋押捺拒否運動の関係名簿に同運動の協力者たる甲川、甲山及び原告に対する連絡方法(自宅の電話番号)を記載しておいたものであってそれ自体には本件被疑事件との関係で格別不審な点はないことが判明し得たであろう。しかし、本件被疑事件は計画的集団的な重大事件であり、その捜査には迅速性及び密行性が特に必要な事案であったことを考えると、B警部の前記判断もあながち不当であったとまできめつけにくい面があるし、少なくとも、前記のように、本件捜索の要件との関連で原告と中核派活動家ないしこれと密接な関係を有する者との接触の有無程度という点から見ると、本件名簿の記載もまたこれを積極に評価する資料の一つとなし得るものである。
五以上によれば、原告は、指紋押捺問題に関する運動の関係で図らずも中核派活動家及びこれと相当密接な接触をしていた者と知り合い、これらの者と共同して右運動に取り組んでいたのであり、原告が右の者を中核派関係者であると承知していた証拠はないのであるが、その立場上、結果として中核派関係者と単なる知り合い以上の密接な接触を有するのではないかと疑われてもやむをえない情況となっていたのであり、このことと、原告の従前の松戸反戦参加歴及び本件被疑事件が中核派が組織的計画的に敢行した極めて重大な事件であり、中核派のこのような犯行の場合における前記三8のような傾向並びに右のような事案においては捜査に迅速性及び密行性が格段に要求されること等を総合すると、B警部の判断には前記のように一部肯認し難い部分があるとしても、結論として、原告宅に本件被疑事件の証拠物が存在する蓋然性があり捜索する必要があると判断したことは、本件被疑事件の捜査に当たる捜査機関の判断として必要最低限の合理性を欠くとまではいえないと認めるのが相当である。
六請求原因3について判断する。
1 原告は、まず、本件捜索の仕方に違法な点があったと主張している。しかし、そのうち(1)の原告及びその家族を不当に威圧したとの点は、これに沿う原告本人の供述は証人Aの証言に照すとただちに採用し難く、そのほかに右事実を認定するに足りる証拠はない。(2)の警察手帳の呈示関係の主張については、A警部補以外の者が右手帳を呈示しなかったとしても、それだけで捜索の方法が違法になるものではなく、そのほかにこの点で違法があったことを認めるに足りる証拠はない。(3)の点は、原告の子に右主張のような言動がなされたことを確認するに足りる証拠はない。(4)についても、捜索の対象が許される範囲を越えていたと認めるに足りる証拠はない。したがって、(5)の主張は、採用することができない。
2 次に、原告は、本件ビラは本件令状に記載された差押物件に該当せず、差押えの必要もなかったから、これを差し押さえたのは違法であると主張しているので、検討する。
<書証番号略>と弁論の全趣旨によれば、本件ビラは、「11.6成田空港包囲行動へ」という題で、二期工事関連土地の強制収用を許さない、強制収用は違法である、収用委員会の再開を許さない、等のテーマの記事が記載されており、反対同盟熱田派が作成したものであることが一見して明らかなものであること、熱田派は日常そのような主張を繰り返しており、千葉市内ではありふれた文書で特段入手困難とか秘密性が推測されるものではないことを認めることができる。そして、被告千葉県は、本件ビラは、本件令状に差し押さえるべき物として記載されているうち「犯行計画、犯行声明、地図、略図等の文書類」の文書類に該当すると主張している。しかし、本件ビラを精読しても、右に例示された犯行計画、犯行声明、地図あるいは略図的な性質を有する記載は全くないのであって、右の文書類に該当すると認めるのは無理である。かえって、本件令状には差し押さえるべき物その一として「――中核派――の主義主張又は方針に関する機関紙(誌)、ビラ類の文書及びその原稿、原版」と記載されているのであり、本件ビラは、右記載の「ビラ類」に該当するところ、本件ビラが右令状記載の中核派の主義主張に関するものという条件を具えないことは明らかである。のみならず、本件ビラは前記のとおり熱田派の作成したものであることが明らかであるが、熱田派は中核派と運動方針を異にし中核派の本件被疑事件のような犯行に幾分なりとも加担する立場にないことは公知の事実であるから、既に中核派の犯行であることが極めて高度に推測されていた本件被疑事件については、たとえ背景事情の解明のためとしても、関連性のないものであって、押収の必要性のないことが一見して明かというべきものである。以上によれば、本件ビラを差し押さえたことは違法であり、これについてA警部補らには少なくとも過失があったと認めることができる。
3 証人B警部及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、A警部補らに対し、本件ビラは関連性がないと述べて差押えに抗議したが容れられなかったこと、原告は、平成元年四月千葉地方裁判所松戸支部に準抗告を申し立てたが、その判断が出る前の平成元年七月、捜査機関側は本件ビラに証拠価値等がないと判断しこれを原告に還付したこと、その間の約七か月間原告は本件ビラを取り戻すことができなかったため、捜索自体を不当と考えていたこととあいまって、精神的苦痛を被ったことを認めることができる(約七か月間本件ビラが留置されていたことは当事者間に争いがない。)。そうすると、被告千葉県は、国家賠償法一条一項に基づき、原告に対し右精神的苦痛に対する慰謝料を支払う義務があるというべきところ、諸般の事情によると、右慰謝料の額は五万円と認めるのが相当である。
第二被告国に対する請求について
裁判官がした争訟の裁判について、上訴等の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項にいう違法な行為があったとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法または不当な目的を持って裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることが必要である(最高裁昭和五七年三月一二日第二小法廷判決、民集三六巻三号三二九頁)。そして、右の法理は、典型的な争訟事件に関する職務行為に限られるのではなく、本件のような捜索差押許可状の発付の裁判についても妥当すると解するのが相当である。ところで、本件の場合に右のような特別の事情があったことを認めるに足りる証拠はない。したがって、原告の被告国に対する請求は、この点で理由がないが、本件の場合には、前記第一に判示したところによれば、本件令状の発付に瑕疵はないから、いずれにしても、原告の被告国に対する請求は、理由がない。
第三結論
以上によれば、原告の請求は、被告千葉県に対し五万円及びこれに対する前記差押えの日である平成元年一月一一日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、その余は理由がなく、被告国に対する請求はすべて理由がない。よって、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、仮執行及びその免脱の各宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官加藤英継 裁判官吉田徹 裁判官片岡武)
別紙
差押えるべきもの
一 新東京国際空港の二期工事に反対する革命的共産主義者同盟全国委員会(略称革共同前進派=中核派)の主義主張又は方針に関する機関紙(誌)、ビラ類の文書及びその原稿、原版
二 千葉県収用委員会会長襲撃、電話線切断、普通乗用自動車の窃盗及び毀棄に関係あると思料される
(一) 規約、綱領、議案書、会議録、闘争宣言、闘争日誌
(二) ノート、手帳、メモ、領収書、伝票類
(三) 金銭出納簿、名簿、名刺、住所録、電話帳、日誌(記)
(四) 写真、ネガ、フィルム、カセットテープ、ビデオテープ及びフロッピーディスク
(五) 犯行計画、犯行声明、地図、略図等の文書類
(六) 通信連絡文書、葉書、封書等の郵便物
(七) 鉄パイプ、棍棒、ピッケル様のものなどの凶器類及びその被覆物類
(八) カッターなど電線切断用の刃物類
(九) フルフェイス型ヘルメット、工事用ヘルメット、紙製ヘルメット、防塵マスク及び血痕付着の手袋、タオル(含む手拭)ポロシャツなどの被服類と履物
(一〇)手提カバン(こげ茶色革製、縦約35センチメートル、横約44センチメートル)
(一一) 財布(黒色革製二つ折り)
(一二)キャッシュカード、クレジットカード等のカード類、鍵、訟廷日誌、手紙、預金通帳、封筒