千葉地方裁判所 平成元年(ワ)743号 判決 1991年7月26日
原告 君塚富男
右訴訟代理人弁護士 高原誠
被告 有限会社キング
右代表者代表取締役 倉内章彦
右訴訟代理人弁護士 吉沢敬夫
主文
被告は原告に対し、金四五〇五万三八四六円及び内金一九八万三七一五円に対する昭和六二年七月二一日から、内金四三〇〇万円に対する平成元年一月一三日から、内金七万〇一三一円に対する平成元年一月一九日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 この判決は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
主文同旨
第二事案の概要
本件は、訴外有限会社倉内の借受金債務について委託を受けて物上保証、連帯保証をした後、合計四五〇五万三八四六円を代位弁済した原告が、被告会社は、実質に有限会社倉内と同一の会社であり、有限会社倉内の責任を免れるための法人であるとして、法人格否認の法理、会社制度の濫用を理由に求償金債権の請求をした事案である。
第三争いのない事実及び関係証拠により認められる事実
(求償金関係)
一 株式会社第一相互銀行関係(争いがない。)
1 第一相互銀行は、昭和五九年一二月二六日中小企業金融公庫の取扱店として有限会社倉内に対し、八〇〇万円を貸し付けた。
2 第一相互銀行は、昭和六〇年一月一一日環境衛生金融公庫の取扱店として有限会社倉内に対し、二〇〇〇万円を貸し付けた。
3 第一相互銀行は、昭和六〇年五月二〇日有限会社倉内に対し、金員を貸し付け、極限額を八〇〇万円として原告所有の土地建物に根抵当権を設定した。
4 原告は、右1ないし3記載の日に第一相互銀行との間で有限会社倉内の右各借入金債務について連帯保証する旨約した。
二 株式会社ゼネラル関係
1 株式会社ゼネラルは、昭和六〇年五月ころ有限会社倉内に対し、金員を貸し付け、極度額を一五〇〇万円として原告所有の土地建物に根抵当権を設定した。
2 原告は、右1記載の日にゼネラルとの間で主債務者である有限会社倉内と連帯して債務を負担する旨約した。
三 有限会社倉内の倒産(争いがない。)
有限会社倉内は、昭和六〇年九月二日一七一万五七九〇円、昭和六〇年九月三日三三〇万円の不渡処分を受け、昭和六〇年九月六日銀行取引停止処分を受け事実上倒産した。
四 代位弁済
1 原告は連帯保証人として、平成元年一月一二日第一相互銀行に対し、有限会社倉内の前記各借入金の元利金の一部として、四三〇〇万円を弁済した。
2 原告は連帯保証人として、平成元年一月一八日第一相互銀行に対し、有限会社倉内の前記各借入金の元利金の一部として七万〇一三一円を弁済した。
3 原告は連帯債務者として、昭和六二年七月二〇日ゼネラルに対し、有限会社倉内の前記借入金の元利金として、一九八万三七一五円を弁済した。
五 被告会社と有限会社倉内の関係について(争いがない。)
1 被告会社は、昭和五一年八月一九日設立された有限会社であるが、その設立当時の取締役は、倉内守彦(以下「守彦」という。)、倉内恵子(以下「恵子」という。)、の二名であり、代表取締役は、恵子であった。
有限会社倉内は、昭和五三年五月一九日設立された有限会社であるが、その設立当時の取締役は、守彦、恵子の二名であり、代表取締役は、守彦であった。有限会社倉内の監査役倉内勇は、昭和六〇年九月七日被告会社の監査役にも就任している。
守彦と恵子は夫婦であり、倉内章彦(以下「章彦」という。)はその子であり、倉内勇は、守彦の弟である。
有限会社倉内が倒産した昭和六〇年九月六日には、守彦・恵子は、いずれの会社の取締役でもあった。
2 被告会社と有限会社倉内は、その事業目的を衣類のクリーニングに関する業務とその付帯業務とし、実際上の営業も衣類のクリーニングを主としている。
第四争点及び双方の主張
一 争点
被告会社は、実質的に有限会社倉内と同一の会社であり、有限会社倉内の責任を免れるための法人であるとして、法人格否認の法理、会社制度の濫用を理由に合計四五〇五万三八四六円の求償金債権を被告に請求できるか。
二 原告の主張
1 前記第二の五の争いがない被告会社と有限会社倉内の関係についての記載事実のように有限会社倉内と被告会社は、いくつかの共通性を有するが、更に、その営業形態も歩合制の販売員を置いたクリーニング業という特殊な形態の営業を行っており、その営業形態を同一にしており、顧客の大半が同一である。
2 被告会社は、守彦のもと所有していた借地権付き建物(千葉市《番地省略》所在家屋番号《省略》 作業所木軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺平家建 二三五・四五平方メートル、以下「三角町の建物」という。)及びこの建物内にある機械をそのまま引継ぎ、右を主たる作業所としてそのまま使用し、かつその従業員の大半をそのまま使用している。
3 有限会社倉内が第一回目の手形不渡処分を受けた日である昭和六〇年九月二日、第一相互銀行鬼越支店次長素木由平及び係員橘次郎が有限会社倉内(守彦の自宅)を訪問した際、有限会社倉内の取締役の恵子は、右銀行員に対し「有限会社倉内を再建すべく、工場については所有権移転をすませている。今後は、有限会社倉内をキングの名に替え、長男章彦を社長とし、営業を従来通りさせる。」と説明している。
更に、前後して有限会社倉内代表取締役守彦は、「有限会社倉内倒産後は、被告会社が営業の一切を引き継ぐので大丈夫である。」と表明している。
章彦は、有限会社倉内の経営に実質的に関与しており、父である守彦に代って有限会社倉内の資金内容、弁済方法、他の債権者との対応の方法、今後の方向等について積極的に説明し、また銀行預金の解約をし、かつ章彦名義の預金から第一相互銀行に対し有限会社倉内の債務の一部を弁済した。
4 以上の事実によれば、被告会社と有限会社倉内は、一応別個の法人形態は備えているが、双方の間には、取締役等が同一であること、特殊な同一の営業形態を取っていること、三角町の建物を引き継ぎ、その従業員の多数を使用していること、銀行に対し前記3のように説明し、行動し、かつ一般的にも表明していることなどの点から、種々の点で同一性があり、その実質は同一の法人といわねばならず、本件は有限会社倉内が第一相互銀行・ゼネラルらに負担する債務の支払を免れる目的で有限会社倉内の実体のすべてを被告会社へ移転したものであり、このような法人格の利用は会社制度の濫用であるといわねばならない。
二 被告の主張
1 有限会社倉内は、昭和六〇年九月順調に業績を伸しつつあった矢先、関連会社の倒産により取引銀行に預金等を一方的に凍結されたため、僅かな金額の手形の決済ができず倒産のやむなきに至った。右倒産によって有限会社倉内の資産は担保権を行使されたり、持ち去られるなどし無資力に帰し、代表者の個人資産についても同様担保権を行使されるなどして同様無資力となった。
章彦は、クリーニング業の修業を兼ねて有限会社倉内の従業員として働いていたのであるが、突然の倒産により職を失い、自らの家族の生活もままならない状態になった。そこで、章彦は、生活を立て直すため、それまでに得た仕事のノウハウを生かし、自らクリーニング業の会社を起こすことにした。新たな会社の開設にあたり章彦は休眠中であった被告会社の存在を知り、設立費用も節約できるのでこれを利用することとした。被告会社は登記面では昭和五一年八月に設立されているが、その後章彦が再開するまで全くの休眠状態で活動していなかったもので、その実質は全くの新会社である。
2 有限会社倉内は、東京都内の多数のクリーニング店舗での営業を主体としていたのであるが、被告会社は営業員により直接顧客を対象とする営業形態を取り、その営業地域は千葉県内を主とするなど営業形態も著しく異なっている。
3 有限会社倉内の従業員は、昭和六〇年九月の倒産後全員有限会社倉内から離職している。被告会社の従業員は、新規に採用した者であり公共職業安定所を通じて採用した者がほとんどである。
4 有限会社倉内の機械類のほとんどは、倒産時にその所有権を主張するリース会社や売主が引き上げてしまった。被告会社は中古の機械類などを分割払いで購入して準備を進めた。
5 以上のとおり、被告会社は有限会社倉内とは実質上も全く異なる法人である。
第五争点に対する判断
前記争いのない事実によれば、被告会社と有限会社倉内は、いずれも守彦と恵子が設立した会社であること、被告会社の現在の代表取締役章彦は守彦と恵子の子供であること、被告会社と有限会社倉内は、いずれも衣類のクリーニング業であることなどの関連性・共通性があるが、被告は、「被告有限会社キングは、登記面では昭和五一年八月に設立されているが、その後章彦が再開するまで全くの休眠状態で活動していなかったもので、その実質は全くの新会社である。」旨主張するので、有限会社倉内と被告会社の実質的な同一性の点を中心に争点について判断する。
一 被告会社と有限会社倉内との関係・営業形態等について
守彦、恵子は、「被告有限会社キングは、登記面上では昭和五一年八月に設立されているが、その後章彦が再開(恵子・守彦の辞任年月日及び代表者代表取締役の就任年月日は昭和六〇年九月七日、登記年月日は同月二六日)するまで全くの休眠状態で活動していなかった」と証言し、これに反する証拠はないので、右証言のとおり認定するほかない。
次いで、被告は、「有限会社倉内は、東京都内の多数のクリーニング店舗による営業を主体としていたのに対し、被告会社は営業員により直接顧客を対象とする営業形態を取り、その営業地域は千葉県内を主とするなど営業形態も著しく異なっている。」と主張し、守彦、恵子の各証言、被告代表者の供述中には、右主張に沿う部分がある。確かに有限会社倉内が東京都内に店舗を有して営業していたのに対し、被告会社が三角町の建物を除き同じ店舗を引き継いだとは認められないし、少なくとも被告会社は有限会社倉内倒産後、章彦が対外的な代表者として活動を始めた会社と認められ、有限会社倉内の会社倒産という事態を契機に親から子供への世代交代がなされたとみることもできるから営業形態等に変化が生じたとしても不自然ではない。
しかし、証拠(甲一九、二九(通帳)、三一(望月武男の陳述書)、原告)によれば、有限会社倉内も店舗による営業のほか外交員による戸別訪問という営業形態をも併用していたものと認められるのであり、被告会社が事実上倒産したからといって有限会社倉内当時の顧客を被告会社が全く放棄したものとは考えられず、被告会社が有限会社倉内の顧客を引き継いだものと推認するのが自然である。また、有限会社倉内は、総合クリーニングセンターキング又はキングの通称で営業していたと認められ、有限会社倉内倒産後、被告会社も顧客に対し同様の通称で取引していたと認められるのであって、このことは単に呼称の点のみだけではなく実質的な営業の継続性があったことを推認させるものである。
更に、被告は、章彦が有限会社倉内の単なる従業員として修業していただけであると主張するが、有限会社倉内のような規模(従業員七、八名、パートタイム従業員一〇名程度、守彦の証言)の同族会社においては、一般にその子供は経営者側の人間として行動するのが自然であり、現に章彦は三角町の建物で有限会社倉内の工場長と呼ばれて仕事をしていたものと認められるのであり(甲九・売上高等の事業所別内訳書欄)、章彦は、有限会社倉内のクリーニング業のノウハウや資材の仕入先等の無形の営業方法等の多くを被告会社に引き継いだとみることができる。
なお、乙一六号証(章彦作成の報告書)、恵子の証言によると、前記認定の証拠の一である陳述書(甲三一)の作成者望月は、被告会社でトラブルを起こした人物であることが窺われるが、その事実により直ちに前記甲二九、三一号証の内容の信用性を否定すべきことにはならず、陳述書の内容は原告の供述とも対応し、具体的で信用できるというべきである。また、甲二九号証は、その形態・内容により業務上事務的に顧客との取引内容を記載し有限会社倉内から被告会社に引き継がれた通帳と認められる。
被告会社の営業形態等に関する守彦、恵子の各証言及び乙九の一・二は、有限会社倉内倒産後は被告会社の経営内容に関与していないと言いながら、被告会社の内情を踏まえて詳細に反論しており、ことさらに被告会社に都合の悪い事実を隠蔽しようとする態度であり信用しえない。乙一六号証の記載内容も採用しえない。
二 従業員について
《証拠省略》を総合すると、被告会社は有限会社倉内の従業員をパートタイムも含めて一〇名程度をそのまま採用していたと認められる。右認定に反する恵子の証言(乙九の一・二)、被告代表者の供述部分も、被告会社が有限会社倉内の倒産前後ほとんど間を置かずに営業が開始されていることから、すべての従業員を新たに採用したとするのはむしろ不自然であり、前同様の理由で信用しえない。
三 建物・機械類等について
守彦は、有限会社倉内のクリーニング作業工場として使用されていた三角町の建物について昭和六〇年九月二日の第一回目の不渡処分の当日に青木桂之介に対し譲渡担保を原因として所有権を移転しているが、実際には、右建物は有限会社倉内の倒産後、引き続き被告会社の本店兼作業工場として使用されており、一般債権者からの追及を免れるための所有権移転登記にすぎないとの疑いが強い。
被告は、「有限会社倉内の機械類のほとんどは、倒産時にその所有権を主張するリース会社や売主が引上げてしまった」と主張し、守彦、恵子の各証言、被告代表者の供述中には、右主張に沿う部分がある。
しかし、有限会社倉内が昭和六〇年四月の段階で日本信販株式会社との間で約一四〇万円の電話機のリース契約を結び、少なくとも右リース物件については被告会社が引き続いて使用していたことが認められ、有限会社倉内と株式会社オリエントコーポレーションとの間での機械のリース物件についても、被告会社が引き続いて使用していたものと認められるのであり、右主張に沿う守彦、恵子の各証言、被告代表者の供述は採用しえず、被告会社は有限会社倉内の三角町の建物、造作、什器・備品等の多くを引き続いて使用していたものと認められる。
四 守彦・恵子の被告会社に対する関与の程度について
有限会社倉内の代表者であった守彦は、有限会社倉内の倒産後は、章彦からその責任を問われ被告会社の経営には関与していない旨証言し、恵子も被告会社の帳簿の記帳の手伝い程度で被告会社の経営には関与していない旨証言する。
しかし、原告は、「有限会社倉内の代表者であった守彦とは子供のPTA、近所付き合いで親しくなり、守彦夫婦と家族ぐるみで交際してきた関係で、原告とその妻は、有限会社倉内の社内旅行にも招待されて同行してきたが、倒産後、守彦は、被告会社が営業を継続しているので、原告が保証した分については原告に迷惑を掛けないと表明し、昭和六二年六月ころまでは、従前と同様に守彦夫婦と交際し、被告会社の主催する旅行会等に原告の妻が参加したりしていたが、守彦は、そのような場で、被告会社の主宰者として振舞い、また守彦夫婦の生活状態も従前と変らず羽振りが良かった。」旨供述し、望月の陳述書にも同趣旨の部分があること、守彦(有限会社倉内の倒産時五〇歳)と恵子(同四二歳)は、有限会社倉内が倒産したといってもまだ十分活躍できる年齢であること、被告会社の内情にも詳しいこと、章彦と親子として日常的に交際していること、生活状態も倒産後特段に落込んだと認められないこと、有限会社倉内が第一回目の手形不渡処分を受けた日である昭和六〇年九月二日第一相互銀行鬼越支店次長素木由平及び係員橘次郎が有限会社倉内(守彦宅)を訪問した際、その場に居合わせた守彦と懇意にしていた桂商事(代表者青木桂之介)の者が右素木らに対し「有限会社倉内を再建すべく、工場については所有権移転をすませている。今後は、有限会社倉内をキングの名に替え、長男章彦を社長とし、営業を従来通りさせる。」と説明しており、右説明に守彦、恵子の意向が反映しているものと推認できること等を総合すると、守彦と恵子が実質的に被告会社の経営に全く関与していない旨の前記証言は信用しえない。
五 結論
以上の事実によれば、被告会社と有限会社倉内は、形式的には別個の法人形態を備えているが、同じ衣類のクリーニング業であること、設立時の取締役等が同一であり、その後肉親である章彦が代表取締役に就任していること、営業形態にも一部連続性があること、三角町の建物・機械等の一部を引き継いでいること、その従業員の一部に共通性があること、銀行や原告に対し、事業の継続性があるかのように説明していることなどの点から、その会社内容は実質的な同一性が認められ、被告会社は、手形不渡処分を受けた有限会社倉内が、債権者の追及を免れつつ、その事業を継続するために既に別途の目的で設立していた被告会社の法人格を利用し、有限会社倉内の実体を被告会社へ移転したものというべきである。
そうすると、このような法人格の利用は会社制度の濫用であるというべきであり、被告会社が原告に対し、有限会社倉内と別個の法人であると主張し、本件求償金の請求を拒むことは、信義則上許されないといわなければならない。
よって、原告の本件請求は理由がある。
(裁判官 高橋隆一)