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千葉地方裁判所 平成10年(ワ)2035号 判決 2000年6月30日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 金子健一郎

被告 乙川太郎

右訴訟代理人弁護士 渥美雅子

右訴訟復代理人弁護士 佐藤恒史

被告 千葉県

右代表者市長 松井旭

右訴訟代理人弁護士 日暮覚

右指定代理人 冨山學人 外四名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告乙川太郎は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成一〇年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告千葉市は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する平成一〇年一〇月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  事案の要旨

本件は、原告が、ア被告乙川に対し、同被告が、昭和五八年一二月一四日に、同被告経営の乙川クリニックにおいて、原告を診察することなく、原告の叔母丙山春子の話を聞いただけで、原告を精神分裂病妄想型と診断し、水薬を処方したことが、医師法二〇条に違反する行為であり、原告の人格権を侵害したとして、民法七〇九条に基づく損害賠償(慰謝料)請求を、また、被告千葉市に対し、イ千葉市保健所の嘱託医である被告乙川が、平成三年四月二五日に、原告の夫甲野太郎の相談を受けただけで、原告を診察することなく精神分裂病妄想型と診断し、同日付けの相談の記録(甲五の「精神衛生日誌」である。以下「精神衛生日誌」という)に原告が精神分裂病妄想型である旨と治療を要する旨を記載したこと、ウ千葉市保健所長が右の記載を削除するなどの措置を講じずに放置したこと、エ千葉市保健所の精神保健相談員Aが平成三年四月二二日、同年七月三日の二回にわたって千葉中央警察署防犯課警察官Bから原告が異常な行動をする精神障害者である旨の通報を受けながらこれを精神保健法(現在は「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」となっている。以下引用する条文は、すべて平成三年当時の「精神保健法」のそれである)二四条の通報として扱わなかったことを理由として、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償(慰謝料)請求を、それぞれ行った事案である。

二  争いのない事実

いずれも、原告と被告千葉市との間において争いがない事実である。

1  被告甲野は、平成三年四月二五日当時、精神保健法一八条所定の精神保健指定医(以下「指定医」という)であり、また、千葉市保健所の嘱託医「地方公務員法三条三項三号にいう特別職の地方公務員)であった。

2  被告乙川は、1の嘱託医の資格において、平成三年四月二五日に、同保健所で、原告を診察することなく、原告の夫甲野太郎の相談を受けただけで、原告を精神分裂病妄想型と診断し、同日付けの精神衛生日誌に原告が精神分裂病妄想型である旨と治療を要する旨を記載した。

3  原告は、平成三年七月二九日から同年九月二〇日まで精神科の病院である医療法人丁谷病院に入院した(以下「本件入院」という)。

三  争点

前記一「事案の要旨」のアないしエの点が争点である。以下、それぞれの点についての原告の主張と被告らの主張を項目ごとに分けて記載する。

1  「原案の要旨」のアの点について

(原告の主張)

被告乙川は、昭和五八年一二月一四日に、同被告経営の乙川クリニック(千葉市稲毛区所在)において、原告を診察することなく、原告の叔母丙山春子の話を聞いただけで、原告を精神分裂病妄想型と診断し、水薬を処方した。

右の診察なき診断と告知なき投薬は、医師法二〇条に違反する行為であるのみならず、原告の家族、親族らに原告を精神病者として処遇させる結果を招いた。

また、後に、やはり指定医であり、千葉市保健所の嘱託医である丁谷二郎医師は、被告乙川の前記診断に基づき、精神保健法三三条一項(医療保護入院についての規定)により原告を入院(本件入院)させたが、右入院はその要件を欠く違法なものであった。被告乙川の前記の一連の行為と右の違法な入院措置の間には法的な因果関係があるものである。

以上のとおり、被告乙川の行為は、原告の人格権を侵害したものである。

(被告乙川の主張)

原告の主張事実は否認する。

なお、たとえ被告乙川が原告主張のような行為を行ったとしても、診察なき診断自体は医師法二〇条の禁止する行為ではないし、告知なき投薬についても、精神科の医療においては、病識がなく治療を受けたがらない患者の症状を緩和し、また、自発的に医師の治療を受けさせるためのやむをえない手段として、多くの医師が、家族等の訴えを十分に聞き、副作用等の説明もした上で行っていることであり(被告乙川の場合も同様である)、違法性を欠く。

また、原告は、水薬を処方されたとしてもこれを服用しなかったのであり、原告の身体に何ら被害は発生していない。

さらに、被告乙川の前記の行為と本件入院との間には何らの因果関係もない。

2  「事案の要旨」のイ、ウの点について

(原告の主張)

千葉市保健所の嘱託医である被告乙川(なお、千葉市に対する請求の関係では被告乙川は違法行為を行った公務員として特定されているにすぎず、その行為について原告が同被告に対し国家賠償請求を求めているわけではない)は、平成三年四月二五日に、原告を診察することなく、甲野太郎の相談を受けただけで、原告を精神分裂病妄想型と診断し、同日付けの精神衛生日誌に原告が精神分裂病妄想型である旨と治療を要する旨を断定的に記載し、また、後に、丁谷医師は、右記載に基づき、精神保健法三三条一項により原告を入院(本件入院)させたが、右入院はその要件を欠く違法なものであった。被告乙川の前記の行為と右の違法な入院措置の間には法的な因果関係があるものである。

また、千葉市保健所長は、精神衛生日誌の内容を検討し確認する義務があるから、右事務を適正に行い、被告乙川の行った前記のような記載を削除するなどの措置を行うべきであったのにこれを怠り、前記のような違法な結果を発生せしめたものである。

(被告千葉市の主張)

原告の主張にかかる被告乙川の行為は、精神保健法四二条所定の「精神保健に関する相談」の一環として行われたものであり、右相談においては担当医師に患者本人との面接義務はないし、右相談の際の担当医師の診断も、医師法における診断とはその性格を異にし、また、相談の結果の記載も、たとえ担当医師が行った場合でも医師法における診療録(医師法二四条)とはその性格を異にする。したがって、前記被告乙川の行為に何らの違法はない。

また、丁谷医師は独自の診断の結果として本件入院措置を採ったものであり、被告乙川の行為と本件入院の間に因果関係はない。

さらに、本件入院措置にも何ら違法な点はない。

以上のとおりであるから、千葉市保健所長の不作為義務違反についての原告の主張も理由がない。

3  「事案の要旨」のエの点について

(原告の主張)

千葉市保健所の精神保健相談員であるAは、平成三年四月二二日、同年七月三日の二回にわたって千葉中央警察署防犯課警察官Bから原告が異常かつ危険な行動をする精神障害者であって精神保健法二四条にいう自傷他害のおそれがある旨の通報を受けながら、これを同条の通報として扱わず、その結果、原告が同法二七条一項所定の、都道府県知事が指定した指定医の診察を受け、正常であるとの診断を受ける機会を奪い、やはり、前記2と同様の違法な結果を発生せしめた。

(被告千葉市の主張)

Aは、Bから、患者に自傷他害のおそれがあることを要件とする精神保健法二四条の通報を受けていない。

また、たとえ原告が同法二七条一項所定の診察を受けていたとしても、原告が正常であると診断された可能性はない。

さらに、本件入院措置にも何ら違法な点はない。

第三争点についての判断

一  争点1について

1  証拠(甲五、七、八、乙ロ一、証人A、原告本人、被告乙川本人)によれば、被告乙川は、昭和四一年に千葉大学を卒業し、千葉大学精神科等で臨床経験を積んだ精神科医で、昭和五八年の時点においても十分な精神科治療の経験を持っていたこと、同被告は、昭和五八年一二月一四日ころ、同被告経営の乙川クリニック(千葉市稲毛区所在)において、原告の叔母丙山春子の訴えを聞き、原告が精神分裂病妄想型であると診断し、その要請に基づき水薬を処方することを考えたが、原告の叔母である丙山の訴えだけでこれを行うことは不適当であると考えたことから、さらに、同女に指示して原告の夫甲野太郎を呼んだ上で、同人に水薬を渡した事実が認められる。

2  証拠(乙ロ一、被告乙川)によれば、被告乙川は、右の事実関係自体は記憶していないが、昭和五八年当時においても、患者の家族等の訴えを十分に聞いた上、患者に病識がないなどの理由で、患者が来院して治療を受けるとともに医師の指示に素直に従うことが期待できず、かつ、家族等が困った状況に置かれている場合に限り、信用のおける家族(保護者)に副作用等について十分に説明するとともに、病状がよくなったら必ず患者を連れてくるように指示した上で、告知なき投薬(非告知投薬)を行っていたと述べており、右供述は信用することができるので、原告の場合にも、同被告は、右のような要件の充足を前提として原告に水薬を処方したものと認めることができる。

なお、原告は、その本人尋問の結果において、夫から通院を勧められるなどのことがあれば喜んでこれに応じたと述べているが、右供述は、もしも原告が診察を受ければ精神的に正常であることが判明したはずであるとの認識を前提としてのものと認められるのであって、この供述によって、原告が、昭和五八年当時において、治療目的の通院に素直に応じたと認めることは困難である。

3  また、原告の状態について見ると、証拠(甲五ないし七、九、乙イ四、五、七の1、2、八の1、2、九ないし一二)によれば、原告は、昭和五二年ころから自宅に盗聴器や隠しカメラが取り付けられ、自分の行動が監視されていると確信し、また、昭和五六年ころには、自分を監視しているのはいわゆるグリコ・森永事件の犯人達と同一のグループで夫もその一味であると考え、再三にわたって千葉中央警察署等の警察官に盗聴器や隠しカメラを取り除いてくれるよう要請するようになり、右のような原告の行動は本件入院まで一貫して継続していたことを認めることができる。

そして、前掲各証拠の記載に、右のような原告の懸念に相応の根拠があることを証するに足りる客観的な証拠が本件において何ら提出されていないことを併せて考えると、原告は、遅くとも昭和五六年以降本件入院までの間、顕著な被害妄想を伴う精神分裂病に罹患していたものと認めることができる。

4  また、原告が被告乙川に処方された水薬を服用したことを認めるに足りる的確な証拠はなく、かえって、証拠(甲八、乙イ一二、一九、原告本人)によれば、甲野太郎は結局原告に右水薬を服用させることができなかったことが認められる。

5  以上を前提として、被告乙川の前記の診断及び投薬について判断する。

(一) まず、医師法二〇条は医師がみずから診察をしないで治療をし、あるいは診断書や処方箋を交付することを禁止しているのであって、患者の家族が病識のない患者を受診させることができないために、やむなく家族だけで精神科医を訪れて助言を求めることの多い精神病医療の実体に鑑みるならば、精神科医が、患者の家族等の相談に乗ってその訴えを聞き、その内容から判断した予想される病名を相談者らに対して告知することまでをも禁止しているものではないと解されるから、被告乙川の前記の診断(原告の叔母や夫に対する予想される病名の告知)については、同法に違反する行為とはいえない。

もっとも、医師法二〇条の立法趣旨に鑑みると精神科の領域においても患者本人を診察しないで行う診断はできる限り避けることが望ましいこと、また、後記のとおり精神病の治療についてもできる限りいわゆるインフォームド・コンセントが貫かれるべきであることを考えるならば、被告乙川の右のような診断(病名の告知)が誤ったものであり、かつ、これを断定的に述べた結果として原告が何らかの具体的な不利益を被ったとの事実が立証される場合には、これが原告に対する不法行為を構成する余地がないとはいえないのであろう。しかし、本件においては、右のような事実は何ら立証されておらず、かえって、前記3のとおり、被告乙川の診断は正しいものであったことが認められるのである。

そうすると、被告乙川の右のような診断が違法であったと見ることはできない。

(二) 次に、被告乙川が、原告を診察せずに前記のような診断を行い、かつ、これに基づき、原告に告知することなく水薬を処方したこと(診察なき治療及び非告知投薬)について判断する。

これは、形式的にみれば、医師法二〇条に違反する行為(診察なき治療)であり、かつ、インフォームド・コンセントの原則に違反する行為(患者に対して治療の内容について説明しその同意を得るべき医師の義務に違反する行為)であるように見える。

しかし、証拠(乙ロ一ないし五、七、被告乙川)によると、ア非告知投薬は日本における精神病の治療においては非常に広い範囲で行われており(平成七年度の全国調査の結果でも、精神科医の四分の三が、やむをえない場合にはこれを行う旨述べている)、また、その中には本件のように患者本人を診察しないで行われるケースも相当含まれていること、イことに、病識のない精神病患者が治療を拒んでいる場合には、患者を通院させることができるようになるまでの間の一時的な措置として、患者に気付かれることなく服用させることの可能な水薬が処方される例がままあること、ウ右のような場合にも、その処方は、家族等の訴えを十分に聞き、かつ、保護者的立場にあって信用のおける家族に副作用等について十分説明した上で慎重に行われていること、エ病識のない精神病患者に適切な治療を受けさせるための法的、制度的なシステムが十分に整っていない日本の現状においては、このような患者を抱えた家族には民間の精神科医以外に頼る場所がなく、このような患者に対して診察や告知をしないで行う投薬を一切拒否することは患者とその家族にとって酷な結果を招くこと(残された手段は強制的な入院治療しかないが、これは事実上困難な場合が多く、また、医師と患者の関係を破壊するのでその後の治療に悪影響を及ぼす場合が多いこと)を認めることができる。

もっとも、一方では、証拠(甲一四ないし一七、乙ロ七、八)によると、ア近年、ことに国連社会経済理事会の人権委員会作業班による「精神病を有する人の保護及びメンタル・ヘルス・サービス改革のための諸原則」に関する草案が平成二年に発表され、翌年に同委員会において採択されて以来、精神科の治療においてもインフォームド・コンセントの原則を貫くべきであるとの考え方が国際的に強まっていること、イ日本においても、厚生省の委嘱による研究班が平成八年に発表した中間意見において、非告知投薬はインフォームド・コンセントの原則からは問題があり、患者本人のアンケート結果では医師や家族の場合に比べると肯定的な回答がかなり少ないことからしても、できるだけ避けるべきであるとの考え方が示されていること、ウ向精神薬は、副作用を含め強力な薬物であり、医学的管理が難しい状況での投薬は危険であることもまた認めることができる。

以上によると、非告知投薬、ことに患者本人の診察を経ないそれは、できる限り避けることが望ましいといえるが、病識のない精神病患者に適切な治療を受けさせるための法的、強制度なシステムが十分に整っていない日本の現状を前提とする限りは、ア病識のない精神病患者が治療を拒んでいる場合に、イ患者を通院させることができるようになるまでの間の一時的な措置として、ウ相当の臨床経験のある精神科医が家族等の訴えを十分に聞いて慎重に判断し、エ保護者的立場にあって信用のおける家族に副作用等について十分説明した上で行われる場合に限っては、特段の事情のない限り、医師法二〇条の禁止する行為の範囲には含まれず、不法行為上の違法性を欠くものと解することが相当であると思われる。

もっとも、医師の指示に従って行われた非告知投薬の結果患者に重大な障害(たとえば薬物の副作用による後遺症等)が発生したり、非告知投薬の結果患者に何らかの問題行動等が発生し家族が当該医師の助けを求めたのに医師が適切な措置を執ることを怠ったような場合については、前記特段の事情があると判断される余地がありうると思われるので、非告知投薬、ことに患者本人の診察を経ないそれについては、精神科医は、十分に慎重であるべきといえよう。

(三) これを本件についてみると、前記1、2に認定したとおり、被告乙川が原告に対して行った診察なき非告知投薬は(二)の要件を満たしたものであるといえるから、不法行為上の違法性を欠くものと評価することができる。

なお、付言すれば、前記4に認定したとおり、原告は被告乙川に処方された水薬を服用しなかったものであるから、これによる身体被害が原告に発生する余地も全くなかったものである。

また、被告乙川の前記のような一連の行為が後記の丁谷医師による本件入院措置に何らかの影響を与えたことを認めるに足りる的確な証拠もない。

二  争点2について

1  被告乙川が、千葉市保健所の嘱託医として、平成三年四月二五日に、同保健所で、原告を診察することなく、甲野太郎の相談を受けただけで、原告を精神分裂病妄想型と診断し、同日付けの精神衛生日誌に原告が精神分裂病妄想型である旨と治療を要する旨を記載したことについては、原告と被告千葉市の間に争いがない。

2  しかし、証拠(乙イ三、一七、一八、証人C)によれば、被告乙川の右の行為は、精神保健法四二条所定の「精神保健に関する相談」の一環として行われたものであること、右相談の担当職員は医師の資格のある者に限られないこと、嘱託医等の医師が担当職員となる場合であっても、右相談の際の担当医師の診断の性格は医師法における診断とはその性格を異にし、診断に当たって患者本人と面接する義務はないこと、相談の結果の記載も、たとえ医師が行う場合であっても医師法における診療録(医師法二四条)の記載とはその性格を異にすることが認められる。

したがって、被告乙川の前記の行為は、いかなる意味でも医師法に違反するものではない。

また、被告乙川の行った前記の記載に誤りのなかったことについては、前記一3に認定したとおりである。

そうすると、被告乙川の前記の行為をもって国家賠償法一条一項にいう違法な行為であると評価することはできない。

3  さらに、被告乙川の行った前記の記載と丁谷医師の行った本件入院の措置に法的な因果関係があること(被告乙川の右記載がなかったならば丁谷医師は本件入院の措置を執らなかったであろうこと)については、これに沿う甲八、九号証の記載は、これに反する証拠(乙イ四、五、七の1、2、八の1、2、九ないし一二)に照らし採用することができない。

かえって、後者の証拠によれば、丁谷医師は平成三年七月二九日に二時間近くにわたって原告を問診し、その状態を観察し、その夫や親族にも質問した上で、独自の判断の結果として本件入院の措置を執ったものであり、被告乙川の行った前記の記載は右丁谷医師の総合的判断の際に一つの付随的な資料として参考にされたにすぎないこと、本件入院の措置に何ら違法な点はなかったこと、右入院中に原告が千葉県知事に対して行った退院請求も引き続き現在の入院形態での入院が必要と認められるとの理由で退けられていることが認められるのである。

4  以上によれば、千葉市保健所長に、原告の主張するように精神衛生日誌の内容を検討、確認し不適切な記載があればこれを削除すべき義務があるか否かにかかわらず(たとえ一般論としてはこれを肯定することができる場合がありうるとしても)、本件において同所長に右の不作為義務違反があったと解することもできない。

三  争点3について

1  証拠(甲五、七、乙イ一八、一九、証人C、同A)によれば、千葉市保健所の精神保健相談の担当職員であるAは、平成三年四月二二日、同年七月三日の二回にわたって千葉中央警察署防犯課の警察官であるBから電話で連絡を受け、その結果を精神衛生日誌に記載した事実が認められる。

2  しかし、右連絡の内容が、原告が異常かつ危険な行動をする精神障害者であり、精神保健法二四条にいう自傷他害のおそれがある者である旨のものであったとの点については、これに沿う甲八、九号証の記載、原告本人尋問の結果は、1に掲げた証拠に照らし採用することができない。

かえって、1に掲げた証拠によれば、右電話連絡は、平成三年四月二二日のものが、原告が前記のような被害妄想で千葉中央警察署に何度か相談に来ており、近所との関係が悪くなりつつあるようなので夫を呼んで話を聞く予定である、自分としては原告を精神科に受診させたいとの意向を持っているとの内容であり、同年七月三日のものが、原告に精神科受診を勧めた、原告はその後国立千葉病院で精神が正常である旨の診断書の発行を要求して断られ、保健所に行くように言われた旨を報告に来たが、保健所に来所等している事実はあるかとの内容であって、いずれも、原告が自殺、自傷や刑罰法規に触れる犯罪を行うおそれがあるといった精神保健法二四条にいう自傷他害のおそれを窺わせる内容ではなかったことが認められる。

また、証拠(乙イ一、二、一六)及び1に掲げた証拠によれば、精神保健法二四条の通報は様式行為ではないが、実務上は、その重要性に鑑み、所定の用紙を用いての書面による通報と書面による通報受書の作成がそれぞれ行われており、たとえ電話等による口頭の通報があった場合であっても併せて右のような書面が作成される慣例であること、しかし、前記の二回の連絡についてはそのような書面は作成されていないことが認められる。

3  以上によれば、Aが、Bから、精神保健法二四条の通報の要件を満たす通報ないし連絡を受けたことを前提とする原告の主張は理由がない。

なお付言すれば、前記一3及び二3に認定した事実に鑑みるならば、たとえ原告が同法二七条一項所定の診察を受けていたとしても本件入院を免れえた可能性は乏しかったのではないかと考えられる。また、本件入院の措置に何ら違法な点がなかったことは、前記二3に認定したとおりである。

第四結論

以上によれば、原告の請求はいずれも理由がない。

(裁判官 瀬木比呂志)

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