大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所 平成10年(行ウ)69号 判決 2000年10月25日

原告 鈴木利恵子

被告 千葉労働基準監督署長

代理人 松下貴彦 牧野広司 上武光夫 酒井修 ほか4名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が、原告に対し、平成五年三月二九日付けでなした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を支給しないとの処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告に対し、原告の夫の死亡に関し、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金の支給を請求したところ、被告が、右死亡は業務に起因するものではないとして、これを支給しないとの決定をしたため、原告が、右死亡は連続夜勤などによる疲労の蓄積とストレスによるものであり、業務上の事由に起因する疾病の結果として生じたものであるなどと主張して、右不支給決定の取消しを求めた事案である。

一  前提となる事実

1  原告の夫である鈴木勝利(昭和一九年四月二日生、以下「勝利」という。)は、昭和五八年四月二〇日から、新帝国警備保障株式会社(以下「本件会社」という。なお、勝利の勤務は千葉支社である。)で交通誘導警備の夜勤業務に従事していた。勝利は、昭和六二年六月二七日及び二八日の両日に国家公安委員会指定全国警備協会主催の千葉県第三回交通誘導警備二級の講習及び試験を受け、同日午後八時ころ帰宅したが、翌二九日午前三時ころ、急性心不全により自宅で死亡した。勝利の死亡時の年齢は満四三歳であった。

2  原告は、勝利の死亡は、連続した夜勤による疲労の蓄積と交通誘導警備二級試験の受験による緊張、疲労によるもので、業務上の死亡に該当するとして、被告に対し、平成三年七月四日付けで、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償年金の請求をした。

3  被告は、平成五年三月二九日、原告の前記2の請求につき、勝利の死亡は労働基準法施行規則の別表第一の二(以下「労働基準法施行規則別表」という。)九号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」には該当しないとして、遺族補償年金を支給しないとの決定をした(<証拠略>、以下「本件処分」という。)。

4  原告は、本件処分を不服として、平成五年五月一〇日、千葉労働者災害補償保険審査官に対し審査請求を行ったが、平成八年一月一七日、右審査請求を棄却するとの決定がなされた。

5  原告は、平成八年三月ころ、労働保険審査会に対し再審査請求を行ったが、平成一〇年六月八日、右再審査請求を棄却するとの裁決がなされた。

二  争点及びこれに関する当事者の主張

本件の争点は、勝利の死亡が業務上の事由によるものか、すなわち勝利の死因が業務に起因することの明らかな疾病に基づくものといえるか否かであり、この点に関する当事者の主張は以下のとおりである。

(原告の主張)

1 業務起因性の判断基準について

(一) 業務起因性について

労働基準法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する労働者について、右業務に内在ないし随伴する危険性が発現し、労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災者の損害を填補するとともに、被災者及びその遺族の生活を保障しようとするものである。

そして、労働基準法及び労災保険法は、労災補償の要件として、「業務上負傷し、又は疾病にかかった」(労働基準法七五条一項)とか、「業務上の事由による」(労災保険法一条)と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないのであるから、被災者の死傷病が業務に起因する(業務起因性)といえるためには、当該業務により通常死傷病等の結果発生の危険性が認められること、すなわち、業務と死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつこれをもって足りる。

ここで、業務と死傷病との間に相当因果関係があるというためには、まず当該業務が業務に内在ないし随伴する危険性の発現と認められる内容を有すること、すなわち、当該業務が過重負荷と認められる態様のものであることが必要である。しかし、脳・心臓疾患の原因としては、加齢や日常生活等も考えられ、業務そのものを唯一の原因として発症する場合はまれであり、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められることが多いから、右相当因果関係が認められるためには、必ずしも業務の遂行が疾病発症の唯一の原因であることを要するものではなく、当該被災者が有していた既存の疾病(基礎疾病)が条件又は原因となっている場合でも、業務の遂行が右基礎疾病を自然的経過を超えて増悪させた結果、より重篤な疾病を発症させて死亡の時期を早める等、業務の遂行がその基礎疾病と共働原因となって死の結果を招いたものと認められる場合、あるいは、当該業務が加齢や日常生活等、その他の原因に比べて相対的に有力な原因と認められる場合には、相当因果関係が肯定されると解すべきである。

そして、高血圧症等の基礎疾患を有する労働者の過重負荷の有無の判断に当たっては、当該業務に従事することが一般的に許容される程度の疾患等を有する労働者であり、これまで格別の支障もなく業務に従事してきているという事情が認められる場合は、当該労働者を基準にして、社会通念に従い、業務が労働者にとって自然的経過を超えて基礎疾患を増悪させる危険を生じさせるに足りる程度の過重負荷と認められるか否かにより判断すべきである。そして、このような過重負荷の存在と、これが原因となって基礎疾患等を増悪させるに至ったことが認められれば、原則として業務と結果(発症)との間に因果関係の存することが推認され、特段の反証のない限り、右過重負荷と結果(発症)との間に相当因果関係を肯定することができると解すべきである。

(二) 認定基準について

被告は、いわゆる脳心疾患の業務起因性を後記被告主張の認定基準により判断しているが、右認定基準やその運用基準は、以下に述べるとおり不当である。

(1) 認定基準は、「業務による明らかな過重負荷」の存在を業務起因性が認められるための要件としているが、認定基準はあくまで下部行政機関に対する運用のための通達であって、行政の適正、迅速処理のための判定基準を示したものにすぎないから、相当因果関係の存否に関する司法的な判断を直接拘束するものではない。

(2) 認定基準の運用基準は、過重負荷について、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる血管病変等をその自然経過を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷であるとしているが、労災保険法の適用に当たり、被災者の死亡の原因となった疾病を明らかにする目的は、疾病の医学的解明にあるのではなく、疾病と業務との因果関係を労災保険法上の見地から明らかにすることにあるのであるから、被災者の生前の健康状態、死亡に至る状況等から医学経験上通常起こり得ると認められる疾病を蓋然的に推測して特定すれば足りるというべきである。そして、疾病の業務起因性の有無についての法的判断には、事柄の性質上、疾病の発生の機序に関する医学的知見の助力を必要とするが、この判断は、疾病の原因に関する医学上の判定そのものとは異なり、ある疾病が業務によって発生したと認定し得るかどうかの司法的判断であるから、疾病の発生した原因の解明が困難な場合においては、被災者の既存疾病の有無、健康状態、従事した業務の性質、それが心身に及ぼす影響の程度、健康管理の状況、事故発生前後の被災者の勤務状況等諸般の事情を総合勘案して、疾病と業務との因果関係について判断するほかない。

(3) 認定基準の運用基準において、業務過重性判断の基準とする「同僚等」について当該被災者の年齢、具体的健康状態等を捨象し、基礎疾病や健康状態に問題のない労働者を想定することは、多くの労働者がそれぞれ高血圧、その他健康状態の問題を抱えながら日常の業務に従事しており、しかも高齢化に伴いこうした問題を抱える者の比率も高くなるといった社会的な現実を考慮すると、業務過重性の判断基準を社会通念に反して高度に設定するものといわざるを得ない。

2 勝利の従事した業務の過重性について

(一) 交通誘導警備業務について

勝利は、昭和五八年四月二〇日から昭和六二年六月二九日に死亡するまでの四年二か月にわたり、本件会社で夜勤専門の交通誘導警備業務に携わっていた。交通誘導警備業務とは、警備員が道路工事現場、建築現場、駐車場、事業所等において、道路工事等によって一般交通に及ぼす各般の支障を軽減するとともに、一般車両や歩行者の通行の安全を図り、交通の渋滞や事故の発生を未然に防止することを目的として、人や車両の誘導を行う業務をいう。また、建築現場や駐車場等における交通誘導警備においては、人、車両等の出入管理や盗難、火災等の予防警戒等の施設警備的な業務をも併せて行っている場合が多くある。

(二) 本件会社での勝利の業務内容

本件会社での夜勤の態様は、月曜日から土曜日まで週に六日勤務し、週に一日が休みである。勤務時間は午後八時から翌朝の五時までの深夜勤務で、時には残業もあり、また、勝利は、通常三、四人のグループで行う警備現場でのまとめ役であったことから、初めて採用になり仕事のやり方が分からないメンバーに作業方法などを指導するため、早めに出勤することもあった。通常の場合、勝利の勤務形態は午後八時に勤務を開始し、四時間労働の後に一時間休憩し、その後更に四時間労働をするというもので、一週間の実働時間は四八時間、拘束時間は五四時間であった。勝利は、午後八時からの業務に従事するために、毎日午後六時半から七時ころに家を出て、翌朝の五時まで働いて午前六時半か七時ころに自宅に戻り、帰宅すると毎日必ず本件会社に電話で報告し、昼間に睡眠をとり、夕方起きるという昼夜転倒生活を余儀なくされていた。このような深夜勤務はオール夜勤と呼ばれるもので、昼間の勤務は全くなく、人間にとって異常な労働である。

また、交通誘導警備の仕事は、夜間は視界が狭まり必要以上に神経を使うため、精神疲労は非常に大きく、その質及び量は昼間の場合とは全く異なるし、仕事に慣れない人と組んだため車の流れを混乱させてしまったり、暴走族に遭遇したり、積荷を落としたトラックの荷物を拾い集めなければならなかったりするなど、様々な危険にさらされる業務である。また、真冬の勤務の場合、深夜から明け方までの気温は五度以下という日も多く、風が吹けば体感温度は更に下がり、防寒具や防寒靴を着用しても寒さを防げず、使い捨てのカイロを常用しなければならないなど、勝利の従事した業務は極めて過酷なもので、いわゆる3K(きつい、危険、汚い)とされる仕事であった。

勝利は、月曜日から土曜日までずっと勤務し、日曜日の朝帰宅して月曜日の午後八時からまた勤務するという状態を、休暇もほとんど取ることなく、本件会社で勤務した四年二か月間にわたり続けていたのであり、このような過重な勤務は、勝利にストレスと疲労を蓄積させるものであった。

(三) 死亡直前の業務の状況について

勝利には、死亡直前の昭和六二年六月中、夜勤業務に加え、警備関係の研修や、交通誘導警備二級試験及びそのための講習の受講とが重なるという過重負荷が存在した。

すなわち、勝利は、昭和六二年六月一二日午前九時三〇分から八時間、千葉県警備業協会警備員研修所において講習を受け、同月二〇日には池袋に午前九時四五分に集合、池袋都民防災教育センターで体験学習を受けており、これらはそれぞれ終日を費やす講習であったし、同月二七日、二八日の両日には千葉県運転免許センターで行われた交通誘導警備二級の講習と試験を受けたが、これは午前八時一〇分受付、午後五時四〇分終了という長時間にわたるものであった。

勝利は、右の一連の講習及び試験の準備のため、昭和六二年六月一一日は、午前一時に仕事を終えた後、始発電車で帰宅し、同日の夜勤を休んで翌一二日の講習の準備をし、同月一二日は、前記の講習を受講した後、休む間もなく、午後八時には東京都墨田区の現場の仕事をしていたし、同月一八日は午後八時から翌一九日午前五時三〇分まで勤務し、同日の夜勤は休んで翌日の池袋での講習の準備をしていた。また、同月二四日は、午後八時から翌二五日午前五時三〇分まで勤務し、同日と翌二六日は交通誘導警備二級試験の準備に時間を費やした。このように、勝利が同年六月に日曜日以外で勤務していないのは、天候が悪かったため工事が中止になった日と、講習の日と、その準備に要する日だけであった。

そして、交通誘導警備二級試験は業務上の命令によるものであり、これと講習を含めたその準備は、まさに会社の業務それ自体もしくはそれに密接に関連するものであって、業務起因性の判断に当たっては業務と評価すべきものであるところ、オール夜勤の合間を縫ってのこのような講習の受講や受験は、日常業務を相当超える精神的、肉体的ストレスと疲労を蓄積させる過重なものであった。

3 オール夜勤の身体に与える影響について

勝利の従事した昼夜転倒の深夜勤務は疲労が蓄積しやすく、種々の健康障害や既存の疾病の悪化をもたらすこと、また、深夜業は人間の生活、身体にとって異常で悪影響を及ぼすものであり、長期に深夜勤務を続けることがその労働者の疲労を蓄積させ、心身をむしばみ、健康に障害をもたらすものであることは明らかである。すなわち、深夜勤務は、昼間勤務に比較して、生体の機能が最も低下する時間帯の勤務であるため、人間の生体リズム、生活リズムからみて、身体にとって異常であり、人体が深夜業に慣れることは生理学的にあり得ず、かえって、人間が昼夜転倒の、しかも昼間勤務と同じ条件の労働を深夜に長期に続けることは、ストレス反応や睡眠不足を招き、疲労を蓄積させ、人体に対しては副腎皮質の機能亢進によって、抵抗反応を生理的に余儀なくさせ、その抵抗というストレス作業が繰り返される結果、その労働者に高血圧、動脈硬化その他のストレス病を発生させ、心臓血管系の障害を引き起こしたり、胃などの消化器障害といった健康障害をもたらすのである。

4 勝利の健康状態等

勝利は、昭和五八年三月まで勤務していた有限会社桜井プレス工業所の健康診断で高血圧と診断され、家では塩分を控えた食事を心がけていた。なお、本件会社の職場の健康管理は、勝利が臨時社員であったため労働安全衛生法上の健康診断も全くなされず、血圧測定なども実施されたことがなかった。

また、勝利は、昭和六〇年ころから、夜勤明けの日曜日の朝、原告がスーパーに買い物に行くのについてくることができなくなり、昭和六二年になってからは、日曜日の朝に床から起き上がることができず、毎週欠かさず見ていたテレビの囲碁の番組も見なくなり、同年五、六月ころにはテレビを全く見なくなった。勝利はまた、小さな物音にも目を覚ます神経質なところがあったが、夕方の出勤前に何度も起こされなければ起き上がらなくなるようになり、同年六月はこれが特にひどかった。

勝利は、以前は穏やかな性格であったが、過酷な仕事に従事している中で性格も次第に変化し、イライラと怒りっぽくなり、また、同年五月末から六月にかけては、不眠を訴え、食欲もかなり低下していた。

5 結論

以上のとおり、勝利が高血圧症の基礎疾病を有していたとしても、昭和五八年ころはさほど重篤なものとはいえず、本件発症に近接した期間の勤務状況からすれば、勝利の死亡は高血圧症の自然経過的な増悪によるものではなく、むしろ夜勤専門の警備業務と一連の研修や試験が重なるという過重負荷が加わったために生じたというべきである。

したがって、勝利の死亡と業務との間には相当因果関係があり、業務起因性は十分に認められるというべきであるから、被告の本件処分は違法であり、取り消されるべきである。

(被告の主張)

1 脳・心臓疾患における業務起因性の考え方について

(一) 労働基準法上の業務上疾病の範囲

およそ労働者に生ずる疾病については、多数の原因又は条件が競合する場合が普通であり、このような広義の条件の一つとして労働あるいは業務が介在することを完全に否定し得るものはむしろ極めてまれであると考えられるが、単にこのような条件関係が認められることをもって、直ちに業務と疾病との間に因果関係があるものとすべきではなく、業務と疾病との間にいわゆる相当因果関係がある場合に初めて業務上の疾病として扱われるべきである(最高裁昭和五一年一一月一二日第二小法廷判決・判例時報八三七号三四頁参照)。けだし、労働基準法上の災害補償責任は、過失の有無を問わず、自己の支配領域内に発生原因を有する事業主に対し、損害の填補義務を課すものであり、罰則をもってその履行を強制していること(労働基準法一一九条一号)、右填補義務の履行を保険制度を通じて確保する労災保険法においても、保険給付の原資は事業主の負担する保険料とされていること等からすると、業務と疾病との間に、単なる条件関係の存在が肯定されるだけでは足りず、災害補償責任を肯定することを相当とする関係(相当因果関係)の存在を要するものというべきだからである。労働基準法施行規則別表九号が「業務に起因することの明らかな疾病」と規定しているのも、業務と疾病との間に右相当因果関係の存在を必要とする趣旨を明らかにしたものと解される。

そして、右相当因果関係における「相当性」とは、他の競合する各種の因子を総合的に判断し、業務自体又はその遂行が疾病に対し、相対的に有力な原因となっていることを指すものと解すべきであり、端的にいえば、業務起因性を肯定するためには、当該疾病等が当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係が存在することが必要である。また、通常の場合、右相当因果関係は業務と疾病罹患(病因)との間及び右病因と発症(結果)との間の双方に認められることを要することは労働基準法施行規則別表の構造上明らかである。

(二) 被災者の基礎疾患と相当因果関係の判断

ところで、被災者に何らかの血管病変等があり、業務中に急激な血圧変動や血管収縮によってかかる血管病変等が自然経過を超えて急激かつ著しく増悪し、疾病が発症して死亡等重篤な結果に至る場合がある。このような場合に、前記の因果関係を欠くものとして救済を否定することは、労働基準法及び労災保険法の趣旨にもとるものであり、前記のとおり、労働基準法施行規則別表九号が包括疾病として業務との相当因果関係を肯定される疾病を補償対象とする旨規定していることからみても相当でない。

しかしながら、右因果関係の判断に当たっては、業務が疾病の形成(罹患)に当たって直接の要因とはなっていないことから、もっぱら業務と発症との間の因果関係が判断されることとなり、その判断の中心は、当該業務がなければ当該基礎疾患が急激に増悪しなかったものである、との条件関係の存在を前提として、まさにその発症に当たって当該業務が相対的に有力な原因となっているかどうかの点にある。

脳・心臓疾患は、職業性疾病とは異なり、基礎となる動脈硬化等による血管病変等が、一般生活上の要因、加齢等生体の受ける通常の諸種の要因(自然経過)によって増悪して発症に至るもの(私病増悪型疾病)がほとんどであり、業務自体がこの血管病変等の形成に当たって直接の要因とはならないし、また脳・心臓疾患の発症と医学的因果関係を肯定されている特定の業務も認められていない。

したがって、脳・心臓疾患の業務起因性の判断においては、労働基準法施行規則別表九号に該当するか否かを個別に判断することになる。

そして、脳・心臓疾患が「業務に起因」して発症したとされるためには、当該脳・心臓疾患が、業務により明らかにその自然経過を超えて発症したことが医学的に認められることが必要であり、業務負荷が自然経過を超えて血管病変等を急激に著しく増悪させ、当該脳・心臓疾患が発症したものであるという因果関係が認められなければならないのである。

(三) 認定基準について

個々の事案において、脳・心臓疾患の判断を下すことは極めて困難であるため、労働省労働基準局長は、補償給付の運用に当たり、全国斉一でかつ妥当な決定が確保されるよう、右の因果関係の認定につき、いわゆる認定基準を策定して、行政通達の形で明示し、さらにその後の医学的知見を踏まえ、新たな通達を策定した。すなわち、昭和六二年一〇月二六日付け労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下「昭和六二年通達」という。)及び平成七年二月一日付け労働基準局長通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(以下「平成七年通達」という。)であるが、右各通達によれば、脳血管疾患又は虚血性心疾患等が労働基準法施行規則別表九号に該当するといえるためには、(1)業務による明らかな過重負荷((イ)発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したこと、又は(ロ)日常業務に比較して特に過重な業務に就労したこと)を発症前に受けたことが認められること、(2)過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであること、の双方を満たす必要があるとの認定基準が示されている(以下、単に「認定基準」という。)。

そして、認定基準が「日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと」を必要としている理由は、前記(一)で述べたところと同様である。すなわち、業務と発症との間に相当因果関係があるというためには、当該業務が疾病の発生に対して、相対的に有力な原因たり得ることが必要であり、そのためには、傷病等の発生が業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められることが必要であり、かつ、そのような疾病を引き起こすためには、医学的にも妥当とされるだけの日常業務に比較して特に過重な業務の存在が不可欠といえるからである。

(四) 運用基準について

認定基準の運用基準について、昭和六二年通達においては、認定基準(1)の「過重負荷」とは、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の発症の基礎となる病態(血管病変等)をその自然経過(加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過)を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいうとし、認定基準(1)(ロ)の「日常業務に比較して、特に過重な業務」とは、通常の所定の業務内容等に比較して特に過重な精神的、身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいう、と解説されている。

そして、このような業務による過重負荷と発症との時間的関連については、<1>発症に最も密接な関連を有する業務は、発症直前から前日までの間の業務であるので、この間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否かをまず第一に判断する、<2>発症直前から前日までの間の業務が特に過重であると認められない場合であっても、発症前一週間以内に過重な業務が継続している場合には、急激で著しい増悪に関連があると考えられるので、この間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否かを判断する、<3>発症前一週間より前の業務については、急激で著しい増悪に関連したとは判断し難く、発症前一週間以内における業務の過重性の評価に当たって、その付加的要因として考慮するにとどめる、<4>過重性の評価に当たっては、業務量のみならず、業務内容、作業環境等を総合して判断する、との判断基準が示されていた。

これに対し、平成七年通達においては、前記認定基準(1)(ロ)の「特に過重な業務」とは、日常業務に比較して特に過重な精神的、身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいい、右の客観的とは、当該労働者のみならず、同僚労働者又は同種労働者(以下「同僚等」という。)にとっても、特に過重な精神的、身体的負荷と判断されることをいうものであり、この場合の同僚等とは、当該労働者と同程度の年齢、経験等を有し、日常業務を支障なく遂行できる健康状態にある者をいう、とするとともに、業務による過重負荷と発症との時間的関連についての具体的な判断基準については、<1>発症に最も密接な関連を有する業務は、発症直前から前日までの間の業務であるので、まず第一にこの間の業務が特に過重であるか否かを判断すること、<2>発症直前から前日までの間の業務が特に過重であると認められない場合であっても、発症前一週間以内に過重な業務が継続している場合には、血管病変等の急激で著しい増悪に関連があると考えられるので、この間の業務が特に過重であるか否かを判断すること、<3>発症前一週間より前の業務については、この業務だけで血管病変等の急激で著しい増悪に関連したとは判断し難いが、発症前一週間以内の業務が日常業務を相当程度超える場合には、発症前一週間より前の業務を含めて総合的に判断すること、<4>なお、業務の過重性の評価に当たっては、業務量、作業内容、作業環境等を総合して判断すること、と改められた。

3 勝利の死因について

勝利の死亡原因については、死体検案書では、直接の死因は急性心不全とされているが、その原因は不詳とされており、明らかでない。これについて、勝利の検死を行った医師は、一般に、外傷もなく、特に他に考えられる疾患がないときは心不全としており、その心不全を来す疾患としては高血圧性心疾患、虚血性心疾患、重症不整脈等が考えられるが、勝利については、外見からは特定の疾患名を判断することはできないとされている。また、原告によると、勝利は、本件会社に入社する昭和五八年以前に、有限会社桜井プレス工業所の定期健康診断で数年にわたり高血圧の指摘を受けており、日常生活で食事等に注意をしていたとのことであり、この高血圧がどの程度のものであったか、その後、死亡時まで血圧の状態はどのようであったかは不詳であるが、勝利の死亡原因が高血圧と関係のある疾病であった可能性は考えられることから、その死亡原因については、特定の疾病名は明らかでないものの、医師の所見、死亡前の健康状態、死亡時の状況から判断すると、外傷性のものでないことは明らかであり、高血圧と関係のある心臓疾患の可能性が高く、それ以外の死因は考えられないものである。

このような疾患の場合、一般に加齢や日常生活等における諸種の要因(危険因子)によって血管等に病変が生じ、自然経過の中で増悪し発症に至るもので、通常、業務が直接に要因となるものではないから、その発症が業務上の事由によるものとされるためには、明らかに自然経過を超えて病変を増悪させたと認めるに足る業務上の過重負荷が存在しなければならない。そして、業務が過重であったか否かは、業務の内容、業務従事状況等を総合勘案して判断すべきであるところ、次に述べるとおり、本件発症前に、勝利が日常業務に比して特に過重な業務に就労した事実はなく、勝利の死亡が業務に起因したものでないことは明らかである。

4 勝利の業務内容等について

(一) 勝利は、昭和五八年四月二〇日から本件会社に警備職(警備員)の準社員(臨時社員)として勤務していたが、入社当初から死亡時まで夜勤専門で交通誘導警備の業務に従事していた。警備員の勤務割は、準社員である警備員の場合、毎週水曜日に本人の希望する翌週分の勤務予定表を本件会社に提出し、各自の翌週一週間(勤務日数六日)の勤務予定が決められており、この時に夜勤、昼勤の選択も本人の意思で決めることができたが、勝利は一貫して自分の意思で夜勤を選択していた。

勝利の通常の勤務は、午後八時から翌日午前五時(休憩は原則として午前零時から午前一時までの一時間)で、出勤は本件会社に寄らずに派遣先の現場に直行して業務につき、退勤も現場から直接帰宅するものであった。

本件会社は週休制であり、原則として日曜日及び祝祭日が公休日となっていた。本件会社には警備員が多数待機しており、休暇は急な場合でも比較的自由に取ることができた。

勝利の派遣先については、入社直後は成田空港や都内各所と勤務場所が頻繁に変わっていたが、昭和六〇年ころから同一派遣先への勤務が長くなり、昭和六二年一月以降は、同年五月一一日から同年六月一日までの間の株木建設株式会社下貝塚作業所への派遣を除き、東京都墨田区に所在する株式会社大本組東京電力横川作業所に継続して派遣されており、派遣先及び勤務態様は安定していた。派遣先への通勤は、午後六時三〇分ころ自宅を出て、JR、京成電鉄等を利用して新松戸―金町―高砂―押上の経路で出勤し、帰宅は大体翌朝午前六時三〇分から七時の間であった。派遣先での警備業務は、三人ないし六人くらいのグループで行っており、勝利ともう一人の警備員は常時派遣されていたが、他の者は日によって入れ替わることがあった。勝利は、部下のまとめ役の立場にあった。

勝利の現場での警備業務は、新しくこの業務につく人でも本件会社で講習を受けた後につくので困難な業務ではなく、昼勤、夜勤を比較すると、夜勤のほうが交通量が少ないため楽であり、ただ、夜勤の場合、居眠り運転や酔っぱらい運転の車に注意する必要がある程度である。

(二) このように、勝利の業務は夜間の交通誘導警備業務であり、作業の形態、難易度、責任の軽重等いずれの観点からしても、精神的、肉体的負担の少ないものである。

なお、原告は、勝利は四年二か月にわたる連続オール夜勤により多大な疲労が蓄積しており、これが勝利の死亡の大きな原因となった旨主張する。確かに、一般論として夜間労働が人体に各種の影響を生じやすいことは指摘されているが、夜勤による影響については医学的知見が確立しておらず、夜勤という勤務形態であるとか連続オール夜勤であるからといって直ちに業務が過重であるとは判断できない。長期間夜勤を継続することも、法律上、違法な勤務形態とはされておらず、夜勤自体は日常業務である上、疲労の蓄積が脳・心臓疾患の直接的な原因になっているという医学的な解明もなされていない。認定基準においても、業務による明らかな過重負荷として認められるものは「日常業務に比較して、特に過重な業務に就労した」場合であり、勝利の夜勤は日常業務であり、これに該当しない。仮に、夜勤という勤務形態をもって過重な業務であり、発症と業務との間に相当因果関係があるとするならば、警備業務をはじめ夜間業務に従事する労働者に発症した高血圧性による心臓疾患はすべて業務に起因するということになってしまい不合理である。

5 勝利が受講した交通誘導警備二級の講習及び試験について

本件会社では、交通誘導警備二級講習の受講については、労働者から希望や申出があるほかは、本件会社に長く勤務しそうな労働者に声をかけ、勧奨し、当該労働者にその意思がある場合に右講習を受講させているが、右講習を自らの意思で受講しないとしても、業務上不利な取扱いを受けることはない。本件においても、勝利は、本件会社の者から声をかけられ、自らの意思で受講したのである。また、本件会社は、右講習の受講料を負担しているが、受講日について出勤扱いにはせず、賃金は支払っていない。

したがって、本件の交通誘導警備二級講習の受講については、本件会社は、その受講を勧奨・援助はしていたものの、業務命令によって受講させているとまではいえず、右講習の受講を業務とみることはできない。

また、右講習の具体的内容については、教材として使用される交通誘導員警備の教本(二級)により大体推測されるところであり、講習終了後に試験(考査)があるが、受講者の八〇ないし九〇パーセント程度が合格する程度のものであって、普通の人であれば合格するはずであり、本件会社独自の事前の講習会以外の勉強は必要ない程度のものであるし、仮にこれに合格しなかったとしても、賃金上昇の利益を受けられないというだけのものであり、これに合格したいとの強い意欲を持ち、集中的に努力をしたとしても、原告が主張するほどの大きな精神的、身体的負担を伴うものであったとは到底認められない。さらに、消火・煙体験学習の受講についても、一定額の日当が支払われており、業務とみるのが相当であるが、精神的、身体的負担を伴うものではない。

6 勝利の死亡に至るまでの経過

(一) 死亡前日について

勝利は、昭和六二年六月二八日、午後八時ころ帰宅し、夕食(酒を少々)をとり、午後一〇時三〇分ころから入浴し、その後就寝している。

(二) 死亡日の一〇日以内における勝利の勤務状況、業務内容等は次のとおりである。

(1) 六月一九日(金曜日)

休暇

(2) 六月二〇日(土曜日)

消火、煙、体験学習(午前九時四五分から二時間)

(3) 六月二一日(日曜日)

公休日

(4) 六月二二日(月曜日)

東電横川作業所交通誘導警備従事(出勤午後八時、退勤午前五時三〇分、実労働時間八時間三〇分、時間外三〇分)

(5) 六月二三日(火曜日)

東電横川作業所交通誘導警備従事(出勤午後八時、退勤午前五時、実労働時間八時間)

(6) 六月二四日(水曜日)

東電横川作業所交通誘導警備従事(出勤午後八時、退勤午前五時三〇分、実労働時間八時間三〇分、時間外三〇分)

(7) 六月二五日(木曜日)

休暇

(8) 六月二六日(金曜日)

休暇

(9) 六月二七日(土曜日)

特別講習受講一日目(受付時刻午前八時一〇分、終了午後五時四〇分)

(10) 六月二八日(日曜日)

特別講習受講二日目(受付時刻午前八時一〇分、終了午後五時四〇分)

(三) このように、勝利は、通常夜勤による警備業務を三日間行っており、その間の残業時間は合計一時間であった。その他に、通常業務とは異なるものとして、六月二七日及び二八日に千葉県免許センターで交通誘導警備二級講習及び試験を受けているが、これが過重といえないことは前記5で述べたとおりである。

(四) 死亡日の一〇日以前から一か月前までの勝利の勤務内容、業務内容については、六月一二日に本件会社主催の講習会を受講しているほかは、通常の夜勤による警備業務を繰り返して行っており、この一か月間の残業時間は二時間三〇分で、公休は四日あり、休暇を七日取得しており、この期間に過重な業務に従事したものとは認められない。

7 よって、被告の行った本件処分は適法である。

第三当裁判所の判断

一  業務起因性の判断基準について

1  労働基準法及び労災保険法による労災補償制度の趣旨は、労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する者について、右業務に内在ないし随伴する危険性が発現して労働災害が生じた場合に、使用者の過失の有無にかかわらず、被災者の損害を填補するとともに、被災者及びその遺族の生活を保障しようとすることにあるものと解される。

ところで、労働基準法は、使用者が療養の費用を負担する業務上の疾病の範囲を命令で定めるとし(同法七五条二項)、労働基準法施行規則三五条は、労働基準法七五条二項の規定による業務上の疾病は、労働基準法施行規則別表に掲げる疾病とするとし、労働基準法施行規則別表は、一号ないし七号において業務態様と疾病を具体的に摘示するほか、九号において「その他業務に起因することの明らかな疾病」も業務上の疾病に該当することを定め、労災保険法七条一項一号は、同法に基づく保険給付の要件として、労働者の死亡が業務上のものであることを要する旨を規定する。

そして、労働基準法及び労災保険法が労災補償の要件として、「業務上負傷し、又は疾病にかかった」(労働基準法七五条一項)とか、「業務上の事由により」(労災保険法一条)と規定するほか、何ら特別の要件を規定していないことからすると、被災者の死傷病が業務に起因するといえるためには、業務に死傷病等の結果が発生する危険性が認められること、すなわち業務と死傷病との間に相当因果関係の認められることが必要であり、かつこれをもって足りるものと解するのが相当である。

2  右1のような相当因果関係が認められるためには、まず業務に死傷病を招来する危険性が内在ないし随伴しており、当該業務がかかる危険性を発現させると認めるに足りる内容を有することが必要であるところ、勝利の死因となった急性心不全の原因として考えられる高血圧性心疾患、虚血性心疾患、重症不整脈等(<証拠略>)の心血管疾患の発症については、もともと被災者に高血圧等の素因又は基礎疾患等に基づく血管病変等が存在し、それが何らかの原因によって破綻して発症に至るのが通常であるし、右血管病変等は、医学上、先天的な奇形等を除けば、加齢や日常生活等がその主要な原因であると考えられており、右血管病変等の直接の原因となったり、あるいは、右血管病変等の破綻をもたらして右心血管疾患を発症させる危険を本来的に内在する業務も認められておらず、むしろ複数の原因が競合して発症したと認められる場合が多いこと(<証拠略>)に鑑みれば、業務と心血管疾患の発症との間に相当因果関係を肯定するためには、単に業務がその心血管疾患等の発症の原因の一つとなったことが認められるというだけでは足りず、当該業務が、心血管疾患を、その自然の経過を超えて増悪させ、発症の危険を生じさせる程度の過重な精神的、身体的負荷となっていたと認められることが必要であるというべきである。

3  もっとも、右2のように当該業務が過重な精神的、身体的負荷として、心血管疾患を自然の経過を超えて増悪させる態様は、その業務内容や作業環境等に応じて千差万別であり、過重負荷が時間的・場所的に明確な形で特定されうる場合もあれば、そうでない場合もあると考えられるし、その過重負荷が基礎疾患を増悪させる程度や時期等にも種々の相違があると考えられるのであるから、業務の過重性及びその基礎疾患に及ぼす影響を評価するに当たり、発症直前あるいはそれに近接した時期の業務の過重性のみを一律に重視することは相当ではないと考えられる。

二  そこで、以下、前記一の観点に立って、勝利の死亡の業務起因性について検討するに、前記第二の一の前提となる事実に加えて、証拠<略>によれば、以下の事実が認められる。

1  本件会社の業務内容等について

(一) 交通誘導警備の業務内容は、道路を通行する車両に片側交互通行等の誘導を行うものであり、現場によってはビル等の建設現場の付近で交通の誘導等を行うほか、建築中の建物内に納入する物品の振り分け、搬入搬出、車両の振り分け等も行うものであった。

(二) 本件会社の勤務割は、準社員(正社員ではなく、いわゆるアルバイトとして警備員の業務を行う者)の場合、毎週水曜日に本人の希望する翌週分の勤務予定表を本件会社に提出することで各自の翌週一週間の勤務予定が決められ、この時に夜勤、昼勤の選択も本人の意思で決めることができ、かつ、その選択を変更することもできたが、本件会社全体の仕事の割合としては昼間の業務が多かったため、夜勤から昼勤への変更は容易だった反面、夜勤については必ずしも希望してもできないこともあった。なお、本件会社は週休制であり、原則として日曜日及び祝祭日が公休日となっていたため、一週間の連続勤務日数は最大で六日間であった。

(三) 勤務時間は、昼勤の場合は原則として午前八時から午後五時まで、夜勤の場合は原則として午後八時から午前五時までの九時間であり、うち一時間は休憩時間(夜勤の場合は原則として午前零時から午前一時まで)であった(以下、右各時間帯の勤務を「通常勤務」という。)。警備員の勤務時間管理は、毎日の警備報告書に本人が勤務時間を記入し、派遣先の現場でサインを受け、これを毎週水曜日に本件会社に提出することによって行われていた。また、警備員は、仕事の開始と終了を必ず本件会社に電話連絡するよう指示されていた。

(四) 本件会社においては、準社員の給料は日給週給制になっており、稼働日数に応じた給料が支給されていたが、その一日当たりの賃金については、昭和六二年当時、昼勤と夜勤とで一〇〇〇円くらいの差があり、夜勤の方が高かった。

2  勝利の勤務状況について

(一) 勝利は、昭和五八年四月から、千葉市中央区に所在する本件会社の千葉支社に準社員として勤務するようになり、入社当初から死亡時まで、警備員として交通誘導警備の業務に従事していた。勝利は、本件会社に入社当初は昼勤を選択することもあったが、その後ほとんどは自らの意思で夜勤を選択し続け、原則として通常勤務(午後八時から翌午前五時まで)の警備業務に従事していた。出勤は本件会社に寄らずに派遣先の現場に直行し、退勤も現場から直接帰宅していた。

(二) 勝利の派遣先は、入社直後は新東京国際空港や都内各所など勤務場所が頻繁に変わっていたが、昭和六〇年ころから同一派遣先への勤務が長くなり、昭和六二年一月以降は、一時期株木建設株式会社下貝塚作業所へ派遣されたのを除き、東京都墨田区に所在する株式会社大本組東京電力横川作業所に継続して派遣されていた。なお、右横川作業所への通勤は、午後六時三〇分ころ自宅を出て、JR、京成電鉄等を利用して新松戸―金町―高砂―押上の経路で出勤し、帰宅は午前六時三〇分から七時の間であった。

(三) 勝利は、本件会社から派遣された警備員の中では隊長格(現場の警備員のまとめ役)であって、隊員(警備員)の配置や交替等について監督、指示するほか、工事等の現場の責任者と打合せをしてその指示を受ける立場にあった。

3  勝利の死亡前一か月間の勤務状況について

昭和六二年五月二九日から同年六月二九日までの一か月間の勝利の勤務状況は、同年五月二九日及び同年六月一日(いずれも通常勤務)は株木建設株式会社下貝塚作業所に派遣され、同月二日(午後八時から翌午前三時三〇分)、四日(午後七時三〇分から翌午前五時三〇分)、五日(通常勤務)、六日(通常勤務)、八日(通常勤務)、九日(雨天のため中止となり、業務を行っていない。)、一〇日(午後八時から翌午前一時)、一二日(午後八時から翌午前一時三〇分)、一三日(午後八時から翌午前三時)、一六日(午後八時から翌午前三時三〇分)、一七日(通常勤務)、一八日(午後八時から翌午前五時三〇分)、二二日(午後八時から翌午前五時三〇分)、二三日(通常勤務)、二四日(午後八時から翌午前五時三〇分)はいずれも株式会社大本組東京電力横川作業所に派遣され、警備業務を行った。その具体的状況は別紙<略>のとおりである。右期間における勝利の勤務状況は、就業日数の合計が一七日(うち一日は雨のため勤務なし)、残業時間の合計が二時間三〇分、休日又は勤務を選択しなかったため警備業務を行わなかった日数の合計が一一日であり、ほかに、後記4の講習等を受講した日が四日(うち一日は就業日の昼間に受講)あった。

4  交通誘導警備二級試験について

(一) 交通誘導警備二級試験は、警備業法に基づき、警備員又は警備員になろうとする者について、警備業務の実施の適正を図るため、その知識及び能力を検定するため都道府県公安委員会の行う試験であり、交通誘導警備等の四種別について一級と二級に区分して行われる。右試験は、原則として、都道府県公安委員会が行う学科試験及び実技試験により行われるが、国家公安委員会が指定した一定の講習を受講し、講習終了後に行われる実技及び学科の考査に合格して右の講習を修了した者は、都道府県公安委員会が行う学科試験及び実技試験の免除を受けることができることになっている。

(二) 昭和六二年六月二七日と二八日の二日間にわたり、千葉市の千葉県運転免許センターにおいて、千葉県第三回交通誘導警備二級講習が行われ、第一日目の午前(午前八時三〇分から午後零時四五分まで)は警備業の基本的事項、関係法令(警備業法、道路交通法など)、車両の誘導に関する学科の講習が行われ、午後(午後一時二五分から五時四〇分まで)は車両の誘導に関する実技講習と事故発生時の応急措置に関する学科と実技の講習が行われ、また、第二日目の午前は応急措置と車両の誘導に関する実技訓練が行われ、午後は実技考査と学科考査が行われた。なお、右学科考査は、自動車の運転免許試験の学科試験に比べてかなり易しいものであり、合格率は八〇パーセントないし九〇パーセントであった。

(三) 本件会社では、昭和六二年当時、交通誘導警備二級試験への対策を目的として勉強会を行っていたところ、本件会社の社員、準社員のうちの希望者等については本件会社が勧奨するなどして右勉強会に参加させており、受験者はその後に交通誘導警備二級の講習及び試験を受けていた。もっとも、右のような勧めを受けても、これに応ずるか否かは本人の自由であり、右社員らの中には、これを断る者もいた。右講習に必要な費用(当時一人当たり二万五〇〇〇円)は本件会社が負担した。右試験に合格すると、準社員は昭和六二年当時で一日六〇〇円ほど日給が増額されたが、不合格者に対し本件会社が何らかの不利益を課すことはなかった。

(四) 勝利は、昭和六二年六月一二日の午前九時三〇分から八時間ほど、交通誘導警備二級の試験に備え本件会社が主催した勉強会に参加し、同月二七日及び二八日の両日は、それぞれ午前八時一〇分から午後五時四〇分まで、交通誘導警備二級の講習及び試験を受けた。なお、勝利は、同月二〇日にも池袋都民防災教育センターにおいて行われた消火・煙体験学習(約二時間)に参加しているが、右研修は、交通誘導警備二級の試験とは直接の関係がない。

5  勝利の健康状態等について

勝利は、有限会社桜井プレス工業所に勤務していたころ、健康診断で血圧がやや高いことを何度か指摘されたことがあったが、通院や投薬等の指示を受けたことはなく、日常の食生活で減塩等に努めるなどはしていたが、それについて医師の精密検査を受けたことはなかった。また、本件会社に勤務し始めた後も何度か健康診断を受ける機会があったが、その際、更に精密な検査を要するような異常は認められず、死亡に至るまでの間、日常生活に支障が出るような病気に罹患したことはなかった。もっとも、勝利は、死亡前の一か月くらいの間、疲れていた様子で、夕方起き上がることができない日があったり、家庭内でイライラしたり、家族に不眠を訴えることがあった。

6  勝利の死亡状況等について

勝利は、昭和六二年六月二八日午後八時ころ、交通誘導警備二級の講習及び試験を受けて帰宅し、就寝したが、翌二九日午前七時ころ、既に死亡した状態で発見された。死体検案書では、勝利の死亡推定時刻は同月二九日午前三時ころであり、直接の死因は急性心不全であって、その原因及び発病から死亡までの期間については不詳ないし不明とされた。勝利の検死に当たった医師は、勝利の死因を急性心不全とした根拠について、外傷もなく、特に他に考えられる疾患のない場合には一般に心不全としており、心不全を来す疾患には<1>高血圧性心疾患、<2>虚血性心疾患、<3>僧帽弁・大動脈弁疾患による左心不全、<4>突発性心筋症、<5>頻脈あるいは徐脈など重症不整脈、<6>左房粘液腫、<7>収縮性心膜炎などが考えられるが、疾患の特定は外見だけでは判断できない、との意見を述べている。

三  勝利の死亡の業務起因性の有無について

1  勝利の死亡の原因について

前記二6の事実によれば、勝利の直接の死因は急性心不全と認められるが、その原因については不明であるところ、勝利には死亡前に外傷を受けた形跡がなく、また、何らかの事故に遭遇した事実も認められないことなどからすれば、勝利の死亡は、心臓ないし血管に存した基礎疾患に基づく何らかの病変を原因とする心停止によるものと認めるほかない。

そして、右事実に加え、前記二5の勝利の健康状態を総合して考えれば、勝利は、生前、高血圧症という基礎疾患を有していたことが推認され、その死亡は右基礎疾患の増悪に伴う心疾患による可能性が高いと考えられる。

2  勝利の業務と死亡との相当因果関係について

(一) 原告は、勝利が四年二か月の間にわたって従事してきたオール夜勤という業務そのものに加え、交通誘導警備二級試験及びそのための講習等が高血圧症という勝利の基礎疾患を急激に増悪させる過重負荷となったと主張するので、この点について検討する。

(二) 証拠(<略>)によれば、深夜業の特質、影響についての研究結果として、夜勤を伴う交替制勤務は、交感神経系の活動が盛んな昼間に睡眠をとり、活動が衰える夜間に労働するという生体リズムに反する生活を余儀なくされることに社会生活上の種々の不都合が加わり、睡眠不足あるいは栄養摂取の不整等による病気への抵抗性の減弱が生じ、自律神経系や内分泌機能の平衡状態などが乱されて、身体不調を招く可能性が高いことや、深夜業従事者には疲労の蓄積、睡眠不足、健康管理の困難さを訴える者が多いことが指摘されており、また、医学的・専門的見地からみた深夜交替制労働の問題点と考慮すべき事項に関する深夜交替制労働専門家会議の報告においても、「深夜勤務時には自律神経系の機能が乱れることから、内臓諸器官に悪影響を及ぼすとの指摘があり、また、これらに加えて消化性潰瘍については食事の不規則等から、高血圧症についてはストレス等から、深夜交替制勤務との関係が問題にされているが、各種の調査結果をみると、深夜交替制勤務とこれら疾病との関係について因果関係がありとするもの、ないとするものの両方のデータがあり、明確な結論は得られていない。」とされていること、さらに、平成一〇年一一月二七日に労働省の行った深夜業の就業環境、健康管理等の在り方に関する研究会中間報告においても、深夜業の健康に対する影響を確認するため文献調査及び事例調査が実施されたが明確な結論を導くことができず、今後も調査が必要であるとされたことが認められる。

(三) 右(二)からすれば、夜勤がその従事者に対して何らかの健康への影響を及ぼす可能性があることは否定できないものの、その具体的な内容や程度については、未だ定説がないといってよい状況であり、また、右影響については体質その他の個人差があること、さらに、その影響も、事柄の性質上、長期間をかけて徐々に、しかも間接的な形で現われるにすぎないことが認められる。その上、長期間にわたる健康への影響を考える場合には、当然のことながら、人間にとって不可避的な加齢現象をも無視することはできないところであり、長期間にわたって夜勤に従事した者に基礎疾患の悪化が生じ、それによって循環器疾患などの健康障害が生じた場合に、それが夜勤そのものを原因として発症したとみるべきかどうかを一義的に確定することは難しく、この点は、当該夜勤の業務内容等を具体的に検討した上で個別に判断する必要があるというべきである。

なお、原告は、深夜勤務は、昼間勤務に比較して、生体の機能が最も低下する時間帯の勤務であるため、人間の生体リズム、生活リズムからみて、身体にとって異常であり、人体が深夜業に慣れることは生理学的にあり得ず、かえって、人間が昼夜転倒の、しかも昼間勤務と同じ条件の労働を深夜に長期に続けることは、ストレス反応や睡眠不足を招き、疲労を蓄積させ、人体に対しては副腎皮質の機能亢進によって、抵抗反応を生理的に余儀なくさせ、その抵抗というストレス作業が繰り返される結果、その労働者に高血圧、動脈硬化その他のストレス病を発生させ、心臓血管系の障害を引き起こしたり、胃などの消化器障害といった健康障害をもたらすと主張するけれども、深夜勤務を長期間続けることが一般的に労働者に高血圧等のストレス病を発生させ、ひいて、心臓血管系の障害を引き起こすことを認めるに足りる的確な証拠はない。

(四) これを本件についてみると、前記二に認定したところによれば、勝利が従事してきた本件会社における夜勤の期間は四年二か月に及ぶが、その業務内容は主として道路における車両の誘導であって、必ずしも肉体的な重労働とはいえないし、また、通常勤務の場合の一日当たりの実勤務時間は八時間で、その間、休憩時間が一時間とられているし、勝利のような準社員は昼勤を選択するか夜勤を選択するか、あるいは一週間あたり何日間勤務するかなど勤務状況に関する選択・決定が各個人の自由な意思に委ねられており、健康状態などに応じて適宜調節することが可能であったこと、ことに、本件会社が受注、遂行していた仕事は昼間の警備業務が多かったことからすれば、夜勤から昼勤に変わることは容易であったにもかかわらず、勝利は一貫して自らの意思で夜勤を選択し続けていたこと(なお、本件で夜勤の賃金が昼勤の場合よりも高かったことは前記二1(四)のとおりであるが、当時、夜勤による収入がなければ勝利方の生計が成り立たなかったなどの事情は窺われない。)、また、勝利と同様に、本件会社で夜勤の交通誘導警備の業務に長期間従事し続けている準社員も、自らの経験に基づき、夜勤は車のスピードも速く、酔っ払い運転などにも気を使うが、他面、昼勤は交通量が多く歩行者に気を付けるなどしなければならず、いずれの勤務がきついともいえない上、自分についてみれば夜勤によって生活のリズムが狂うとか、睡眠でもとれない疲労が残るということはほとんどないと述べていること(<証拠略>)、さらに、勝利の死亡前の一か月間の勤務状況をみても、前記二3のとおり、この間の勝利の就業日数は一七日間(ただし、一日は雨天のため勤務なし)、残業時間は合計で二時間三〇分であり、交通誘導警備二級の講習等の受講日を就業日に加えてもその実質的な勤務日数は一九日であるし、その拘束時間も決して長いとはいえない一方、休日及び休暇の日数は一一日である上、この間、勝利は就業日が連続三日間を超えないような形で休暇を取得しており、疲労が蓄積しないよう休息をとることは十分可能であったと認められることなどからすれば、勝利の従事してきた夜勤業務は、その発症前一か月くらいの状況からみても、あるいは、それ以前の長期の夜勤の継続状況を加味して考えても、その基礎疾患である高血圧症を自然的経過を超えて増悪させるほどの精神的な緊張や肉体的な疲労をもたらす過重なものであったとは認め難い。

(五) また、勝利が、死亡直前に受けた交通誘導警備二級の講習及び試験、あるいはこれに向けた本件会社主催の勉強会等についても、それを業務の一環とみるべきか否かはともかく、これを受けるか否かは各人の自由な選択に委ねられていたことは前記二4のとおりである。そして、その講習や勉強会の拘束時間はさほど長いものではないし、内容的にみても厳しい訓練を伴うとか、高度な知識の習得を迫られるというようなものではなく、その試験自体も、ある程度の知識、技能を有する者であれば、そのほとんどが合格するというものであり、大学に進学する程度の学力を有し、また、かなりの期間、交通誘導警備の実務経験を積んできた勝利にとって、それほどの重圧となるようなものであったとは考えにくい。

(六) このようにみてくると、連続夜勤によるいわゆる夜型の生活と昼間に行われる右各講習の受講等との折り合いを付けることが、ある程度、勝利に肉体的な負担を強いた可能性のあることや、比較的容易な試験であるとはいえ、業務に関連した右のような試験を受けるということ自体、精神的に一定の緊張やストレスをもたらすものである上、そのために一定の受験勉強を余儀なくされることによる精神的な負担などを考慮しても、これらの講習や試験が、それ自体ではもちろん、それ以前からの夜勤業務と相まっても、勝利の基礎疾患である高血圧症を自然的経過を超えて増悪させるほどの精神的緊張や肉体的疲労をもたらす過重なものであったとは認め難い。

(七) もっとも、死亡前の勝利の健康状態等については、前記二5のとおり、死亡前一か月くらいから、勝利が家族に不眠を訴えたり、イライラして家族に当たったりしたことがあったことは認められるものの、それのみではこれが日常生活において生起したストレスによるものなのか業務によるものなのか、あるいはそれ以外の何らかの要因によるものなのかは確定し難いし、その間も勝利は従前同様夜勤を続けており、その勤務体制の変更を申し出たり、病院に通院したりすることもなかったことなどからすれば、右のような状況のみから、勝利の従事してきた夜勤業務や交通誘導警備二級の講習等の受講が前記のような精神的緊張や肉体的疲労をもたらすほど過重なものであったと推認することはできない。

3  まとめ

このようにみてくると、勝利の死亡原因は心疾患であり、その発症をもたらしたのはその基礎疾患である高血圧症の増悪であると考えられるけれども、本件で勝利の従事してきた業務内容は、死亡直近の交通誘導警備二級の講習及び試験等を考慮に入れても、勝利に過重な精神的、身体的負荷をもたらすようなものであったとは認め難いのであるから、右業務と基礎疾患の増悪及び心疾患の発症との間に相当因果関係があるということはできない。

四  以上によれば、勝利の死亡に業務起因性があるとは認められないから、これを業務外と認定した被告の本件処分に違法はない。

第四結論

よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 及川憲夫 瀬木比呂志 澁谷勝海)

別紙<略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例