千葉地方裁判所 平成14年(わ)913号 判決 2002年11月27日
上記の者に対する殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件について,当裁判所は,検察官村岡正三出席の上審理し,次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役7年に処する。
未決勾留日数中130日をその刑に算入する。
押収してある繰り小刀1本(平成14年押第101号の1)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1 平成14年4月22日午前2時50分ころ,普通乗用自動車(以下「被告人車両」という。)を運転して千葉県船橋市a町b丁目c番d号先路上を通り掛かった際,対向進行して来た普通乗用自動車(以下「A車両」という。)を運転していたA(当時40歳)から同車運転席の窓越しに怒鳴られたことから,上記路上において,下車したA及びA車両に同乗していたBとけんかになり,その際,上記両名から,二人掛かりで,被告人車両に押し付けられて手けんで殴打されたり,路上に押し倒されて左胸部等を多数回足蹴にされるなどしたため,同人らに仕返しをする目的で被告人車両の運転席ドアポケットから繰り小刀(刃体の長さ13.7センチメートル)を取り出し,なおもBと共に被告人を被告人車両に押し付けるなどしてきたAに対し,憤激の余りとっさに殺意を抱き,上記繰り小刀で同人の左側胸部等を数回突き刺すなどし,よって,そのころ,同所において,同人を左側胸部刺創に基づく失血により死亡させて殺害し
第2 業務その他正当な理由による場合でないのに,上記日時・場所において,上記繰り小刀1本(平成14年押第101号の1)を携帯し
たものである。
(証拠の標目)
省略
(弁護人の主張に対する判断等)
判示第1の事実につき,弁護人は,被告人に殺意はなく,かつ,正当防衛又は過剰防衛が成立する旨主張し,被告人もこれに沿う供述をしているので,以下,補足して説明した上判断する。
1 殺意について
(1) 関係各証拠によると,本件犯行(判示第1の犯行をいう。以下同じ。)に使用された凶器は,刃体の長さ13.7センチメートルの極めて鋭利な繰り小刀であること,Aの主な傷害は,左側胸部やや後方の刺創と左側腹部の刺創であり,前者は,右やや上やや前方に向かい,左肺の下葉を貫通した後に大動脈を損傷するに至ったもので,創洞の長さは約12.8センチメートル前後に達しており,後者は,ほぼ右方に向かい,小腸の上部を貫通しているもので,創洞の長さは少なくとも約8.7センチメートル前後に達していること(なお,後者の刺創は,出血をほとんど伴っておらず,死亡に近い状態で加害されたものと思われる。)が認められる。
(2) 上記創傷はいずれも身体枢要部に位置するところ,その深さ及び本件繰り小刀の刃体の長さに照らすと,被告人が相当力を込めて刺したことは明らかであり,被告人においてAに対し致命傷を与えないように配慮した様子は全くうかがわれない。また,関係各証拠によると,被告人は,相当量飲酒後,判示の経緯でA及びBとけんかになり,両名から二人掛かりで路上に押し倒されたり,左胸部等を多数回足蹴にされるなどして加療約1か月半を要する肋骨骨折等の傷害を負った上,本件繰り小刀を持ち出して振り回した後にもなお,Aらに被告人車両に押し付けられるなどしたため,憤激の余り本件繰り小刀でAを刺したことが認められ,本件は激情に基づく犯行であるということができる。
(3) 以上のような凶器の性状,刺突部位,刺突方法,創傷の程度,犯行の経緯・動機等を総合すると,被告人が確定的殺意をもってAを刺したことは優に認定することができる。
(4) これに対し,被告人は,公判廷において,Aの左脇腹を2回刺したという認識はあるものの,殺意まではなかった旨弁解するが,本件繰り小刀で身体の枢要部を2回刺した認識があるにもかかわらず殺意がなかったというのは,当時相当飲酒し酩酊していたことを考慮しても極めて不自然であり,かかる弁解は信用できない。
2 正当防衛及び過剰防衛の成否について
(1) 本件犯行に至る経緯及び犯行状況に関する被告人の供述は捜査,公判を通じてほぼ一貫しており,その概要は,「対向進行してきたAがA車両を被告人車両の横に停止させて,被告人に向かって怒鳴り付けてきたことから,頭に来て怒鳴り返し,Aが車外に出て来たので,2対2であり,売られたけんかは買わねばならないなどとの気持ちから,自分も車外に出た。路上でAと胸倉をつかみ合った後,Aから被告人車両に押し付けられて顔面を手けんで数回殴打され,その直後にBも加わって二人掛かりで被告人車両に押し付けられ,路上に押し倒されて右後頭部を縁石か何かにぶつけた。その後,倒れたまま連続的に左胸付近を多数回足蹴にされるなどし,後日,このとき第5ないし第7肋骨を骨折したことを知った。このままではAらから殺されてしまうと思い,Aらのすきをついて被告人車両に戻り,同車運転席のドアポケットに入れていた繰り小刀を持ち出し,再び二人掛かりで押さえ込んできたAらに対し繰り小刀を示し,さらにこれを右手で振り回したが,Aらがこれにひるまず被告人を被告人車両に押し付けてきたため,密着した状態でAの左脇腹等を2回繰り小刀で突き刺した」というものである。
(2) 以上の被告人供述については,被告人が繰り小刀を被告人車両から取り出した際及びその前後の状況がやや不自然な感があり,被告人は当初から繰り小刀を持って被告人車両から出たのではないかとの疑問もあるが,上記被告人供述を前提としても,被告人は当初からAらとけんかをするために下車したのであり,本件は一連のけんか闘争の継続中に行われた犯行ということができる。被告人がAらから一方的に攻撃されることになったのは,被告人において当初予期していた同乗者の加勢を受けることができず,1対2のけんかになったために劣勢に陥ったからであるにすぎず,Aの側が二人で攻撃を加えるであろうことは被告人において当初から予期していた上,Aらによる攻撃は素手によるものであったから,Aらによる攻撃が被告人の予期の程度を超える過大なものであって,けんかの様相が被告人の予期したものとは異なる性質のものであったとはいえない。したがって,判示第1の行為については,侵害の急迫性の要件を欠き,正当防衛はもとより過剰防衛も成立しないというべきである。
なお,弁護人は,判示第2の事実につき,被告人は釣りに使用するために本件繰り小刀を携帯していたものである旨主張するが,本件当日同繰り小刀を釣りのために使用する必要がなかったことは被告人の供述からも明白である上,本件繰り小刀は刃体の長さ13.7センチメートルの極めて鋭利なものであり,被告人は,これを被告人車両のドアポケットに柄の部分を上にして立て掛けて携帯し,本件当日実際に同繰り小刀をけんか闘争に使用していることに照らせば,被告人が本件繰り小刀を護身目的で携帯していたことも明らかである。
(法令の適用)
省略
(量刑の理由)
本件は,被告人が,被害者(当時40歳の男性)を繰り小刀で刺殺し(判示第1),その際,同繰り小刀1本を不法に携帯した(判示第2),という事案である。
判示第1の犯行は,車両のすれ違いの際のトラブルに端を発したけんかの過程における犯行であり,被害者から怒鳴り付けられたことなどから,売られたけんかは買わねばならないなどという安易な考えで積極的にけんかに応じた上,自己の形勢が不利になるや,繰り小刀を取り出して被害者を刺殺するに至ったものであって,かかる法秩序を無視し,人命を軽視した安易な動機に酌量の余地は乏しい。被告人は,刃体の長さ13.7センチメートルの極めて鋭利な繰り小刀を振り回して被害者の顔面・頭部等に切創等を負わせた上,同繰り小刀で身体の枢要部である左側胸部等を相当な力をもって2回にわたって突き刺したのであって,その犯行態様は凶悪である。
被害者の一命を奪ったその結果が極めて重大であることはいうまでもない上,遺族らの悲しみは深く,その処罰感情は厳しい。それにもかかわらず,被告人は,遺族らに対する慰謝の措置は一切講じていない上,自己の責任を回避しようとする供述を繰り返し,真摯な反省の情は認められない。
また,判示第2の犯行は,護身目的で自動車内にすぐ取り出せる状態で極めて鋭利な繰り小刀を携帯した悪質なものであり,この点についても,被告人は不合理な弁解を重ねるばかりで,反省の情は全く認められない。
これらの諸点に照らすと,被告人の刑責は重大である。
そうすると,判示第1の犯行は偶発的なものであること,被害者は暴力団関係者であるところ,けんかを誘発した上,劣勢の被告人に対し一方的に激しい暴行を加えて傷害を負わせた被害者らにも大きな落ち度があること,被告人は,道路交通法違反の罪による懲役前科3犯(うち2回服役)及び罰金前科1犯,毒物及び劇物取締法違反の罪による罰金前科2犯の合計6犯の前科を有するものの,粗暴犯の前科はないことなど,被告人のため酌むべき事情を十分考慮しても,被告人に対し主文掲記の刑を科すのはやむを得ない。
よって,主文のとおり判決する。
(求刑 懲役9年,繰り小刀没収)
(裁判長裁判官 金谷暁 裁判官 土屋靖之 裁判官 齊藤貴一)