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千葉地方裁判所 平成21年(わ)1898号 判決 2010年8月06日

主文

被告人を懲役23年に処する。

未決勾留日数中210日をその刑に算入する。

押収してあるボウイナイフ1本(平成22年押第27号の2。革製鞘に入っているもの),牛刀1丁(同押号の1),手錠1個(同押号の3)及び鍵様のもの1個(同押号の4)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,

第1正当な理由がないのに,平成21年7月4日午後7時10分ころ,千葉市a区bf番g棟o号A方に,ベランダから侵入し,そのころ,同人方において,B(当時22歳)に対し,その頸部に持っていたボウイナイフ(刃体の長さ約18センチメートル。平成22年押第27号の2)を突き付け,「おとなしく付いてこい」と言い,同人を同所付近路上に駐車中の自動車まで連行し,強いて同車の助手席に乗せ,直ちに同車を発進させた上,そのころから同月5日午前零時ころまでの間,山梨県南都留郡c町de番地先路上まで同車を走行させるなどして,同人を同車内等から脱出することを不能又は著しく困難にし,もって同人を不法に逮捕監禁し,

第2業務その他正当な理由による場合でないのに,第1記載の日時・場所において,第1記載のボウイナイフ1本を携帯し,

第3同月18日午前9時20分ころ,同市a区bf番g棟h号前階段付近において,上記A(当時61歳)に対し,殺意をもって,持っていた牛刀(刃体の長さ約19.1センチメートル。平成22年押第27号の1)で同人の頸部等を数回切り付けるなどし,よって,そのころ,同所において,同人を頸部血管損傷による出血性ショックにより死亡させて殺害し,

第4業務その他正当な理由による場合でないのに,第3記載の日時・場所において,第3記載の牛刀1丁を携帯し,

第5正当な理由がないのに,第1記載のA方に,不正に入手した鍵で玄関の扉を解錠して侵入し,そのころ,同人方において,上記Bに対し,「お母さんを殺してやったぞ」と言い,その肩を腕で挟んで立たせ,その肩を腕で抱きかかえるなどして同人を同市a区i町j番地k所在の駐車場に駐車中の自動車まで連行し,強いて同車の助手席に乗せ,直ちに同車を発進させた上,栃木県佐野市lm番地n先路上まで同人の手首に手錠(平成22年押第27号の3)を掛けるなどして同車を走行させ,引き続き,同月19日午前8時ころまでの間,同車を同所に駐車し,又は同所付近を走行させるなどして,同人を同車内等から脱出することを不能又は著しく困難にし,もって同人を不法に逮捕監禁した

ものである。

(証拠の標目)

省略

(事実認定の補足説明)

1  本件の争点

本件の争点は,逮捕監禁の有無及びその故意の有無(罪となるべき事実第1及び第5)及び殺意の有無(罪となるべき事実第3)である。

2  明らかに認められる事実

(1)  B(以下「次女」という。)は,平成21年1月ころ(以下,平成21年については,月日のみで特定する。)被告人と知り合い,3月ころから同棲を開始した。

(2)  次女は,5月末ころ,被告人から暴力を振るわれたことがあり,6月14日,同棲中のアパートから千葉市a区bf番g棟o号(以下「実家」又は「次女の実家」ともいう。)に戻った。しかし,その後も被告人との頻繁なメールのやりとりは続き,7月1日には,被告人に対し,「土曜日(同月4日のこと)には会えるかも」という内容のメールを送信した。

(3)  次女は,同月4日午前中,被告人に対し,メールで会えなくなったことを伝え,その後,被告人と次女との間では,多数回メールのやりとりがなされた。次女は,同日午後になって,被告人に対し,母親とファミリーレストランに行くという内容のメールを送ったが,被告人は,このメールの内容が虚偽であり,次女が実家にいることを知るに至った。

(4)  被告人は,同日午後7時10分ころ,ボウイナイフを所持して実家のあるu階までベランダ伝いに登り,実家ベランダからその室内に侵入した。その後,被告人は,次女と共に実家から出て,近くに駐車中の自動車に乗り込み,山梨県南都留郡c町de番地先路上まで移動し,7月5日午前零時ころ到着した。

(5)  その後,被告人は,前記ボウイナイフを持ち,次女と自分の手首を手錠で繋いで,樹海の中に歩いて入ったが,間もなく自動車に戻った。

(6)  被告人と次女は,その後,山梨県内等を観光するなどした後,いったん次女の実家に立ち戻って次女の着替えを取り,その後愛知県の被告人の姉宅に赴くなどして行動をともにしていたが,同月10日,次女は,採用面接のために赴いたコンビニエンスストアの店長に対し,同月4日以降被告人に連れ回されている旨訴え,被告人は,店長からの通報により駆けつけた警察官に任意同行された。そして,被告人は,今後次女と接触しない旨の上申書を警察に提出して姉宅に戻り,次女は被告人の処罰を求めない旨の上申書を警察に提出して千葉に戻った。

(7)  同月11日以降,次女及びその家族は,被告人をおそれ,身の危険を感じ,警察に相談をし,次女を次女の兄(以下「長男」という)の家に移すなどの対策を講じていたが,同月14日,被告人が警察官を装ってA(以下「母親」という。)に電話を架けて次女が長男宅にいることを聞き出し,次女の所在が被告人の知るところとなったために,そのころ次女を実家に戻すこととした。

他方,被告人は,同月11日早朝には,次女の実家周辺に赴き,同月18日までの間,警察官を装って実家や長男の職場に電話を架けたり,次女の住民票の写しを入手し,母親の行動を観察するなどしていた。

(8)  同月18日午前9時20分ころ,実家と同じ建物である千葉市a区bf番g棟h号前階段付近において,牛刀を所持していた被告人と母親が出会い,同牛刀により母親の右頸部等が切れ,母親は,頸部血管損傷により死亡した。

(9)  被告人は,そのころ,母親の所持していた実家の鍵を用いて玄関から実家に侵入し,その後,次女とともに,千葉市a区i町j番地k所在の駐車場まで移動し,牛刀を投棄した後,同所に駐車中の自動車に次女とともに乗り込み,栃木県佐野市lm番地n先路上まで同車を走行させた。次女は,実家から出る際,裸足,短い半ズボン,タンクトップという服装だった。

(10)  被告人は,同月19日午前4時ないし午前5時ころ,次女とともに自動車に乗って栃木県下都賀郡p町qr番地sw所在のガソリンスタンドに移動して給油し,その際,たばこを購入した。そして,被告人は,給油後,栃木県佐野市lm番地n先路上まで自動車で戻り,同日午前8時ころ,同所に自動車を放置し,次女とともに徒歩でショッピングモールに移動した。その途中,被告人は,手錠を川に投棄した。その後,被告人と次女は,タクシー,バス,航空機を乗り継ぎ,沖縄まで移動し,同月23日まで,沖縄に滞在し行動をともにしたが,同日,被告人は警察官により身柄を確保され,次女は保護された。

3  次女の供述要旨

(1)  7月4日

次女は,被告人から暴力を受けたことなどを理由に被告人との関係を解消しようとして6月14日実家に戻ってきていたところ,7月4日に,次女の実家に侵入した被告人は,仰向けに転倒した次女を跨ぐように覆い被さり,左手に持ったボウイナイフの刃先を次女の右首筋に近づけて突き付け,「おとなしく付いてこい」などと言った。そして,次女は,被告人に肩を抱えられて外に出て,その体勢で近くに駐車中の自動車の前まで移動した。次女が,自動車で高速道路を移動中に,被告人に,トイレに行きたいと伝えたところ,被告人は,最初,大きなサービスエリアに停まったが,「女の子を連れ出したら,トイレで助けを呼ばれて警察に捕まったという事件があった」などと言って,次女を自動車から降ろさなかった。その後,被告人は,自動販売機とトイレしかない小さなパーキングエリアに停まり,次女は,そこで自動車から降ろされトイレに行ったが,その際,被告人は,女子トイレの前でたばこを吸っていた。次女は,実家で被告人にボウイナイフを突き付けられるなどした時から山梨県南都留郡c町de番地先路上に移動した時まで,恐怖や不安を感じていた。

(2)  7月5日午前零時過ぎから同月10日まで

被告人は,ボウイナイフを持ち,次女と被告人の手首を手錠で繋いで,樹海の中に歩いて入った。そして,次女に対して「何で心から好きだって言ってくれないんだ」と言い,さらに右手にボウイナイフを持って次女の心臓に突き付け「心臓を刺せば一瞬で死ねるよ」と言い,「首を刺せば1発で死ねるよ」と言って次女の左首筋に刃先を向けて近付けた。次女は,恐怖と死にたくないという思いから被告人を何とかなだめようと思い,警察には通報しない,被告人とずっと一緒にいるという話をした。その後,次女は,逃げようとして捕まれば殺されるとの思いから,確実に被告人から離れて助けを求められる機会をうかがい,同月10日,初めから助けを求める目的でコンビニエンスストアの面接を受け,そこで店長に助けを求めた。

(3)  7月18日

次女が,実家の茶の間でテレビを見ていると,玄関の鍵が開く音がした。すると,男性の声で「おい」という声がしたので,次女が玄関先の方を見ると,被告人が立っていて,次女の方に近づいてきた。そして,被告人は,次女の目の前に来て,「お母さんを殺してやったぞ」と言った。被告人は,右腕で次女の肩を強い力で挟んで立ち上がらせ,外に連れ出した。玄関を出た後,次女は,被告人に肩を抱かれたまま階段を降り,途中,倒れている母親の側を通ったが,母親の血で足を滑らせ尻餅をついた。階段を降りた後,被告人は,腕を次女の首にかけて,走って駐車場の自動車まで移動した。

被告人は,自動車を発進させると,高速道路に乗り込む前に,次女の右手と自動車のシフトレバーを手錠で繋いだ。そして,栃木県佐野市lm番地n先路上まで自動車で移動する途中,被告人は,次女に対し,ガソリンの入ったペットボトルを渡し,長男の家の周りや長男の自動車の車種の話をするなどした。被告人は,栃木県佐野市lm番地n先路上に自動車を停めた後,手錠を外したが,飲み物を買いに行くために被告人が自動車を離れたときは,再び次女に手錠をした。次女は,被告人が実家に侵入した時点から,7月19日午前8時ころに自動車から離れるまで,自分や兄姉の生命に危険が及ぶと感じていたので,ガソリンスタンドで被告人がたばこを買いに自動車から離れた際も含め,怖くて逃げることができなかった。

(4)  7月19日午前8時ころから同月23日まで

被告人と一緒にt空港まで移動する途中,被告人は,次女の住民票の写しを次女に見せるなどした。次女は,毎日悲しくて全然楽しくなかったが,暗い態度だと被告人が怒り殴られるのではないかとの恐怖から,表面上は楽しく振る舞っていた。また,長男や長女に対して危害が加えられてしまうという思いから,助けを求めたり,逃げようとはしなかった。

4  被告人の供述要旨

(1)  7月4日

次女の実家にベランダから侵入後,転倒した次女に近寄り,「お母さんとご飯食べに行ったんじゃなかったの」と聞くと,次女が「ごめんなさい」と謝った。このとき,被告人は,左手にボウイナイフを持っていたが,ボウイナイフの刃先は上を向いていた。次女の謝罪を聞いたので,被告人は,次女を助け起こし,ボウイナイフをさやにしまった。被告人は,次女と仲直りができたと思った。そして,被告人は,外でゆっくり話そうと思い,次女に「外で話そう」と言った。被告人と次女は,一緒に玄関から出て,手を繋いで階段を降り,次女は,助手席に乗った。自動車で移動中,被告人が次女に「トイレ大丈夫」と聞いたところ,次女が「行きたい」と言ったので,一度サービスエリアに寄った。サービスエリアで次女を降ろさなかったことはないが,次女に「前にも同じような事件があった」とは言った。

(2)  7月18日

階段に座って次女が出てくるのを待っていると,母親が階段を下から上がって来た。被告人は,母親に対し,2度,次女に会わせて欲しいと頼んだが,母親は次女はいない旨の返答を繰り返した。そこで,被告人は,母親を牛刀で脅そうと考え,牛刀を取り出して左手に持ち,再度,次女に会わせて欲しいと言ったが,母親は牛刀をしまうように被告人に言った。これに対し,被告人が次女に会わせてくれればしまうと言ったところ,母親が牛刀につかみかかってきた。被告人と母親はもみ合いになり,被告人は母親に牛刀を奪われた。すると,母親が,被告人に「あなたこれで終わりよ」と言ったので,被告人は,ムッとし,牛刀を母親から取り上げようと母親の手につかみかかった。その後,被告人と母親はもみ合いになり,母親の首から被告人に血しぶきが飛んできて,母親と被告人は,v階踊り場に落ちた。このとき,被告人は,左手で牛刀を持っていた。被告人は,倒れた母親の近くに行き,母親の首を手で押さえたが,母親は被告人の手を払いのけて「助けて」と言い,足でh号室の玄関ドアを蹴った。その後,被告人は,散らかっている母親の荷物を片付けていたが,手提げかばんから鍵を見つけ,部屋に次女がいると思い,気が付くと次女の実家に入っていた。

(3)  同日次女の実家侵入後

被告人は,次女の実家に入った後で,「おい」,「行くよ」と次女に声をかけたが,「お母さんを殺してやったぞ」とは言っていない。また,被告人と次女は,手を繋いで次女の実家から外に出て階段を降り,階段を降りてからは,左足が痛かったので次女の肩を借りて駐車場に駐車中の自動車まで移動した。自動車に乗った後,被告人は,次女の右手に手錠を掛けたが,もう片方はシフトレバーの側に置いただけで,シフトレバーとは繋いでいない。

5  次女及び被告人の供述の信用性について

次女の供述内容は,明らかに認められる事実とよく整合しており,特に不合理な点は認められない。また,7月18日に,被告人と次女が次女の実家から駐車場まで移動した様子については,その様子を目撃した証人C及び証人Dの各供述とも整合している(証人Cの供述は被告人と次女を最初に見た位置について,証人Dの供述は被告人と次女の体勢について,若干変遷しているが,その供述の信用性に影響を与えるものではない。)。次女の供述の内容は,自然で迫真性がある。また,次女は,自動車には自分で乗ったこと,被告人との性行為に抵抗しなかったことなど,自己に不利な事実についても供述し,記憶にない事実についてはその旨供述しており,その供述態度は真摯である。7月5日から同月10日までの次女の行動や同月19日から同月23日までの次女の行動には,にわかに了解し難い点もあるが,次女がその当時置かれていた状況や精神状態からすれば,理解しうるものであり,次女の供述の信用性には影響を与えない。よって,上記次女の供述は,十分信用できる。

他方,被告人の前記4(1)(3)の供述は,上記次女の供述と異なっているが,その内容は,明らかに認められる事実や上記のとおり信用できる証人C及び証人Dの各供述と整合せず,その内容も不自然で,到底信用できない。

6  逮捕監禁の有無及び逮捕監禁の故意の有無についての判断

明らかに認められる事実及び上記のとおり信用できる次女の供述によれば,罪となるべき事実第1記載のとおり逮捕監禁の事実が認められる。これに加え,被告人が7月4日にベランダから次女の実家に侵入した理由について,「次女とけんかしていたので玄関から行っても会ってくれないと思っていた」と供述していることも考慮すれば,被告人に罪となるべき事実第1の逮捕監禁の故意も認められる。

また,同じく明らかに認められる事実と上記次女の供述,さらには同月4日の逮捕監禁の存在も考慮すれば,罪となるべき事実第5の逮捕監禁については,被告人が次女に牛刀を示した事実は認められないものの,被告人が次女の実家に不法に侵入した上で「お母さんを殺してやったぞ」と言い,次女の肩を腕で挟んで立たせるなどした時点で,次女の自由な行動が不能になったといえる。そして,次女が,母親が重篤な傷害を負った状態を目の当たりにしたこと,被告人が次女に手錠を掛けたことなどからすれば,罪となるべき事実第5記載のとおり同月19日午前8時過ぎまで逮捕監禁が継続したと認められる。そして,被告人が次女に手錠を掛けていることなどからすれば,被告人に逮捕監禁の故意も認められる。

7  殺意の有無についての判断

母親の創傷の部位程度等は別表のとおりであり,致命傷である右頸部の創傷が牛刀(刃体の長さ19.1センチメートル・鋼質性)によって形成されたものであることからすれば,被告人が意図的に母親を攻撃したことによりこれらの創傷が生じたと認められれば,被告人には確定的殺意が認められる。これに対し,弁護人は,母親と被告人が牛刀を取り合ってもみ合う中で,牛刀が母親の頸部に当たって創傷が形成された可能性を主張し,被告人もそれに沿う供述をする。そこで,母親の右頸部の創傷が,意図的な攻撃行為により形成されたか否かについて,検討する。

(1)  右頸部及び右頬の創傷の位置,大きさ,形,数及び程度,牛刀の形状並びにこれらの創傷の発生原因に関する証人E及び証人Fの各供述からすれば,母親の右頸部及び右頬の創傷は,ほぼ平行した創傷であり,被告人が,牛刀の刃先を母親に向け,刃を下にした状態で,母親の右頸部付近を切り付けるなどの意図的な攻撃行為を連続して行ったことによって生じた可能性が高く,他方,創傷の部位が人の生命にとって重要な部位であり,その部位に右頸部のほぼ同一場所に3個と右頬の1個の合計4個の創傷があることからすれば,何らかの意図無くしてこれらの創傷が発生した可能性は低い。

(2)  母親の左手の小指の切創,右手の甲の切創及び右手の薬指の切創の各部位及び程度並びにこれらの創傷に関する証人E及び証人Fの各供述からすれば,これらの創傷は,母親が,刃物による攻撃を受けてそれを防ぐために形成されたいわゆる防御創である可能性が高く,また,母親の左上腕の前面の切創は,母親が,左上肢の肩関節を上方へ屈曲させ外旋・外転させた姿勢のときに形成された可能性が高く,以上の創傷が,被告人と母親が牛刀を取り合ってもみ合いになっている状況で生じた可能性は低い。

(3)  被告人の行動を見ると,証人Gの供述によれば,母親が大量に出血して倒れていたにもかかわらず,被告人は,玄関を開けてh号室前踊り場を見た同証人に対し,何ら母親の救助を要請していないと認められ(同証人の供述はその供述内容及び供述態度から十分信用できる。),その後,被告人は,前記認定のとおり,母親の持っていた次女の実家の鍵を用いて次女の実家に侵入し,次女に対して「お母さんを殺してやったぞ」といい,次女の肩を抱いて倒れている母親の側を通った際も母親を救助しようとせず,その後,自動車で栃木県内まで次女と移動したと認められる。

被告人は,前記4(2)のほか,救急車を呼んでくれるよう頼んだので母親は助かると思っていたなどと供述するが,母親の創傷の部位・程度等と整合せず,被告人が証人Gに対し,救急車を呼んで欲しいと頼んだ事実は認められない上,大量に出血し瀕死の状態の母親の側で救護もせずに荷物を片付けていたという供述内容は,あまりに不自然・不合理であり,母親の右頸部に切創の生じた状況に関する供述が合理的な理由もなく変遷していることからすれば,到底信用できない。

以上の7(1)及び(2)の各事実は,母親の右頸部の切創が被告人の牛刀による意図的な攻撃により形成されたものであることを強く推認させるものであり,7(3)の事実は,牛刀によって母親が負傷し大量に出血して倒れることが被告人にとって想定外の事態ではないことを推認させる。また,母親と被告人が牛刀を取り合ってもみ合う中で牛刀が母親の頸部に当たって創傷が形成された可能性があるという弁護人の主張は,上記7(1)ないし(3)の各事実のほか,(4)被告人の身体にはほとんど傷がなかった(甲41)という事実と整合しない。

そこで,以上の事実を総合して検討すると,被告人は,母親に対して牛刀で意図的に攻撃を加えたと認められ,確定的な殺意をもって母親の右頸部等を牛刀で数回切り付けるなどしたと認められる。

なお,弁護人は,ア被告人自身も複数の傷を負っていることからも母親と被告人との間に何らかの格闘があったことは明らかである旨主張するが,被告人に存在する傷の部位・程度(甲41)は母親と被告人との間に何らかの格闘があったことを推測させるものとはいえない。また,弁護人は,イ被告人には母親を殺害する動機がないと主張するが,このころ,被告人が次女と会うために行動しており,他方,母親が,被告人が次女に接近することを防ぐために行動していたことからすれば,被告人と母親が会ったときに,次女を巡って何らかのやりとりがなされ,それにより被告人に殺意が生じた可能性は十分認められる。被告人が母親を殺害した動機は,後述のとおり明らかとはいえないが,だからといって本件が動機がない犯行とはいえない。よって,上記ア及びイの弁護人の主張は採用できない。

8  まとめ

以上の理由により,罪となるべき事実第1の逮捕監禁,同第3の殺人,同第5の逮捕監禁の各事実を認定した。

(法令の適用)

被告人の判示第1及び第5の各所為のうち各住居侵入の点はいずれも刑法130条前段に,各逮捕監禁の点はいずれも同法220条に,判示第2及び第4の各所為はいずれも銃砲刀剣類所持等取締法31条の18第3号,22条に,判示第3の所為は刑法199条にそれぞれ該当するが,判示第1及び第5の各住居侵入と各逮捕監禁との間にはそれぞれ手段結果の関係があるので,いずれも同法54条1項後段,10条により,判示第1の住居侵入と逮捕監禁,判示第5の住居侵入と逮捕監禁をそれぞれ1罪としてそれぞれ重い逮捕監禁の刑で処断することとし(住居侵入と逮捕との間には牽連関係が認められるので,その包括一罪である逮捕監禁との間で牽連犯とした。),各所定刑中判示第2及び第4の各罪についてはいずれも懲役刑を,判示第3の罪については有期懲役刑をそれぞれ選択し,以上は同法45条前段の併合罪であるから同法47条本文,10条により最も重い判示第3の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役23年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中210日をその刑に算入することとし,押収してあるボウイナイフ1本(平成22年押第27号の2)は判示第1の犯行の用に供した物,同牛刀1丁(同押号の1)は判示第3の犯行の用に供した物,同手錠1個(同押号の3)及び鍵様のもの1個(同押号の4)は判示第5の犯行の用に供した物で,いずれも被告人以外の者に属しないから,それぞれ同法19条1項2号,2項本文を適用してこれらを没収し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

1  事案の概要

本件は,被告人が,ボウイナイフを所持して次女の実家に侵入し,同人を連れ出して自動車に乗せる等して約5時間にわたり逮捕監禁し(以下「7月4日の事件」ともいう。),その約2週間後に,所持していた牛刀で同人の母親を殺害し,次女の実家に侵入して同人を連れ出して自動車に乗せるなどして,その後約23時間にわたり逮捕監禁した(以下「7月18日の事件」ともいう。)という殺人1件,住居侵入・逮捕監禁2件,銃砲刀剣類所持等取締法違反2件からなる事案である。

2  量刑事情の検討

(1)  7月4日の事件について

ア 動機

被告人は,当日次女と会う約束をしていたのに,これが一方的に反故にされ,さらに次女からのメールが虚偽であったことに憤慨して,ベランダから次女の実家に侵入し,ボウイナイフで次女を脅して連れ出し,逮捕監禁したものであり,動機は,自己中心的で身勝手というべきである。ただし,次女の本心はともかく,この時までに次女が被告人に別れを告げたことはなく,次女としても被告人との連絡を継続し,この日に会う約束をしていたことからすれば,7月4日の事件は,交際女性から交際を拒絶された後で,未練断ち難く執着した事案とまでは評価できない。

イ 態様・結果

被告人は,ボウイナイフを携帯し,ベランダ伝いにu階まで登り,ベランダから実家に侵入し,ボウイナイフを次女の首筋に突き付けるなどして,実家から連れ出し,深夜,山梨県内の樹海まで連行したものであり,犯行態様は,大胆かつ粗暴で,危険性が大きく,悪質である。このような態様で実家に侵入され,逮捕監禁されたことにより,次女は,大きな精神的・肉体的苦痛を受けたといえる。

(2)  7月18日の事件について

ア 動機・経緯・計画性について

検察官は,被告人が,7月18日の殺人事件(以下「本件殺人」ともいう。)に及んだ動機について,次女を奪い去り自分の意のままにしようとして,そのために手段を選ばず母親を殺害したと主張し,さらに同日の逮捕監禁事件について,あらかじめ次女の所在を探った上,牛刀を準備して次女の実家前に赴いた,計画的な犯行である旨主張する。

確かに,7月4日の事件,それから同月10日までの被告人の行動,同月11日から同月18日までの被告人の行動からすれば,被告人は次女に対する強い執着心を持ち,次女を連れ去ろうとして,様々な方法で次女の居場所を捜していたのであり,それが本件殺人及び7月18日の逮捕監禁の根底にあることに疑いはない。7月4日の事件,同月10日の警察への通報等により,次女の被告人との交際を拒絶する意思は明らかであるのに,次女に対する執着から短期間に連続して犯行を繰り返した被告人の責任は重い。

しかしながら,被告人が本件殺人の時点で次女の居場所を明確に知っていたとは証拠上認められないこと,本件殺人当時,被告人が自動車を本件殺人の現場から数百メートル離れた場所に駐車していたこと,本件殺人に引き続く7月18日の逮捕監禁の期間及びその後の同月23日までの逃走中の被告人の行動があらかじめ計画されたものとはいいがたいこと,被告人が栃木県内で「次女を連れ去りたいだけだったのに,何でこんなことになるんだろう」などと次女につぶやいていたことなどの事情を考慮すれば,被告人が,場合によっては次女又はその家族を脅すために用いることもあるという考えから牛刀等を所持して次女の実家周辺に赴き(被告人は,牛刀を意識して持っていったわけではないと供述するが,不自然・不合理であって信用できない。),次女の居場所を探る中で母親と遭遇し,その場における被告人と母親との間の何らかのやりとりが契機となって,被告人が突発的に殺意を抱き衝動的に母親を殺害した上,その際,次女の実家の鍵を見つけたことから,これを用いて次女の実家に侵入し,同所に次女がいたことから逮捕監禁行為に及んだという可能性は否定できず,量刑に当たってはそれを前提とすることが相当である。被告人が,次女を奪うという目的で母親を殺害したという検察官の主張は,採用できない。

また,7月18日の逮捕監禁については,被告人は,警察官になりすまして実家や長男の職場に電話し,不正に住民票の写しを入手するなどの狡猾な手段を用いて執拗に次女の居場所を探しており,次女を逮捕監禁するために周到に準備をしていたが,上記説示のとおり,被告人が事前の計画に基づいて7月18日に逮捕監禁に及んだとまでは認められない。

イ 態様・結果

被告人は,確定的な殺意に基づき,必死に助けを求める母親の首付近を狙って牛刀で何度も切り付けるなどの攻撃に及んだものであり,本件殺人の態様は,執拗かつ危険なものであって,極めて悪質である。これにより,かけがえのない母親の命が奪われるという取り返しが付かない重大な結果が生じている。これらは,被告人の刑の重さを決めるに当たって,最も重視される事情である。

また,被告人は,母親を殺害後,母親の血が身体にかなり付いた状態で次女の実家に侵入し,次女に「お母さんを殺してやったぞ」と言いながら抱えるようにして次女を連れ出し,大量に出血して瀕死の状態の母親の側を通りながら,そのまま連行して次女に母親を救護する機会を与えず,その後手錠を掛けるなどして自動車内からの脱出を不能ないし著しく困難にしたものであり,7月18日の逮捕監禁の犯行態様も,極めて悪質である。次女はこれによって肉体的苦痛を受けているが,それ以上にこのような状況に曝された次女が被った精神的苦痛は計り知れない。

(3)  その他の事情

ア 被告人は,7月4日の事件の後,同月10日まで次女を連れ回し,同月18日に母親を切り付けた後は何ら母親を救護する措置をとらずに逃走し,同月18日の逮捕監禁の後は同月23日まで次女を連れ回しており,各犯行後の情状も悪い。

イ 7月4日の事件及び7月18日の各事件の態様が上記のとおり悪質であり,その結果も上記のとおり重大であることからすれば,逮捕監禁の被害に遭い,母親を殺害された次女並びに母親を殺害され,妹を逮捕監禁された長男及び長女が,被告人に対し,極めて厳しい刑を求めるのは当然である。また,被告人は,当公判廷において,一応反省と謝罪の弁を述べているが,その一方で不合理な弁解を繰り返し,本件起訴後に次女を告訴しようとしたことなどからすれば,被告人が真摯に事件に向き合い,反省を深めているとは認められない。これに加え,本件各犯行の根底をなしている次女に対する強い執着,本件各犯行及び前科からうかがえる被告人の凶器に対する親和性や女性に暴力を振るう性向からすれば,再犯のおそれも否定できず,次女及びその家族が被告人の社会復帰に際して有する危惧感はもっともなものとして理解し得るところである。これらの事情は,被告人の刑を決めるに当たり,考慮する必要がある。しかしながら,被告人の刑の重さは,被告人の犯罪行為に相応しい刑事責任を明らかにするものでなければならないことからすれば,これらの事情を考慮する程度には自ずと限度があり,被告人の犯罪行為に相応しい刑事責任の枠を超えて,再犯防止のために被告人を重い刑に処すことは相当ではない。

ウ 多数の者が居住する団地内で母親が殺害され,次女が連れ去られ,被告人が5日間にわたり逃走した本件が,社会,特に,付近住民に与えた不安や恐怖も軽視できない。

エ 被告人に罰金前科以外の前科がないこと,被告人の姉が被告人の更生に助力する旨述べていることなどは被告人に有利な事情として考慮する。

3  総合考慮

そこで以上の量刑事情を総合し,被害者1名の殺人事件に関する過去の量刑傾向も参考にして,上記2(1)(2)の事情に,(3)の事情も加味して被告人の刑の重さについて検討すると,上記のような諸事情,特に,母親の頸部等を牛刀で切り付け同人を死亡させたという態様の悪質性・結果の重大性,次女に対する執着から刃物等を用いて短期間に連続して犯行を犯し,次女及びその家族に強い恐怖と不安を与えたことなどからすれば,被告人の刑事責任は相当に重いというべきである。

他方,本件殺人は,母親との遭遇後に何らかの理由で突発的に殺意が生じた衝動的な犯行であって,計画性や次女を逮捕監禁するために母親を殺害したという動機は認められないこと,被告人に罰金前科しかないことなどの事情もあることからすれば,被告人に対して,無期懲役に処するのは重すぎるというべきであり,主文の刑が相当だと判断した。

(求刑 無期懲役 ボウイナイフ,牛刀,手錠及び鍵様のもの没収)

(裁判長裁判官 彦坂孝孔 裁判官 角谷比呂美 裁判官 土倉健太)

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