千葉地方裁判所 平成5年(わ)150号 判決 1994年8月08日
主文
被告人を死刑に処する。
押収してある折りたたみ式ナイフ一丁(平成五年押第五二号の2)を没収する。
理由
(被告人の身上、経歴等)
被告人は、昭和四八年一月三〇日、父丁沢三郎、母朝子の長男として千葉市内で出生した。当時、一家は千葉県市川市に居住し、三郎は、朝子の実父甲野一郎が経営する鰻の加工、販売等を業とする株式会社甲野一郎商店で働いていた。被告人は、昭和五二年に幼稚園に入園、昭和五四年四月に転居先である千葉県松戸市内の小学校に入学し、昭和五五年九月、さらに家族の転居に伴い東京都江東区内の小学校に転校した。そのころの被告人は、水泳教室に通ったり、英会話やピアノを習うなど平穏な生活を続けていたが、父三郎が仕事上の失敗から甲野一郎商店に多額の損失を被らせ、また、個人的にもギャンブルや女性問題等で借財をかさね暴力団員等による厳しい取立てにあったことから、母親に連れられ、五歳下の弟次郎とともに、夜逃げ同然に家を出て、祖父甲野一郎方にしばらく身を寄せた後、東京都葛飾区立石のアパートに移り住み、昭和五八年一月から葛飾区内の小学校に通うようになった。朝子は、同年三月に三郎と調停離婚して復氏し、母親が被告人らの親権者となり、以後被告人は、会計事務所に勤める母親に女手一つで育てられるようになった。
被告人は、このような生活環境の劣化や転校が多かったことなどから、小学生のころにはいじめを受けることもあったが、昭和六〇年四月に葛飾区立立石中学校に入学した時分には身体も大きくなり、やられればやり返すようになって、大抵の場合に自己の腕力が通用することを知った。少年野球チームで活躍していた被告人は、高校進学に際し、いわゆる野球の名門校を志望し、祖父の経済的援助を得て、昭和六三年四月、東京都中野区の堀越高校に入学した。しかし、硬式野球部の練習場が遠方で通いきれなかったため、軟式野球部に入らざるを得なかったことや、学級のレベルが低く感じられたことなどから、次第に高校生活に対する意欲を失い、不良仲間と盛り場を徘徊したりして登校しないことが多くなり、このころから、刃物を常時携帯したり、酒や煙草を常用するようになって、ついには他校生に乱暴して停学処分を受けたのを契機に、平成元年五月に同校を退学した。
高校中退後の被告人は、ビデオのレンタル店や運送会社等でアルバイトをした後、同年一一月ころから、千葉県市川市にある甲野一郎商店で鰻の加工、販売等の仕事の手伝いをするようになったが、その前後ころからいわゆる家庭内暴力が目立つようになり、気に入らないとしばしば母親や弟に殴る蹴るの暴行を加えたため、母親は被告人を連れて警視庁の少年相談室に相談に赴くなどした。たまたまそのころ甲野一郎商店の現金がなくなるという事件が続き、被告人が祖父から盗みの疑いをかけられ、これに立腹した被告人が、平成二年一月一七日午後一〇時ころ、祖父方に赴き、就寝中の同人の顔面等を足蹴りするなどして、同人に対し水晶体脱臼、硝子体出血の傷害を負わせる事件を引き起した。同年九月、被告人は、母親から八〇万円出して貰って購入したオートバイに乗っていて肋骨八本を骨折するという交通事故を起こし、その治療が長引くうち怠け癖がついて、甲野一郎商店も休みがちになり、その間の平成三年二月、合宿講習で運転免許を取得し、同年三月に母親の援助で四三三万円余りのクラウンロイヤルサルーンをローンで購入して乗り回すようになった。被告人は、その時分には身長、体重とも平均を遥かに凌駕するまでに成長し、高校生のころに始まった喫煙や飲酒が生活習慣となっていて、煙草は一日にラーク五箱程度を常用し、酒はウイスキーを特に好み、ボトル二分の一本程度を適量としていた。同年六月には母親から契約金五八万円余りのほか毎月一〇万円強の部屋代を出して貰って肩書住居地のアパートに移り、被告人はそこで一人暮らしを始めるようになった。
被告人は、すでに中学生のころから女性経験があり、アパートに移ってから次々に三人の女性と同棲生活を試みたが、いずれも短期間で相手に去られ長続きしなかった。その一方で、甲野一郎商店で働いていたころ、年上の同僚に市川市のフィリピン・パブに連れて行かれたのがきっかけで、「ビラタンピハピーナ」「黒い館」「クリーン・ウェーブ」「ゴールデンスカイ」「ニュートリノ」などといったフィリピン・パブに足繁く通うようになり、平成三年七月ころ、「クリーン・ウェーブ」でホステスとして働いていたフィリピン国籍のクレオフェパントゥア・リリベス(一九七〇年一〇月二九日生)と知り合い、同女を追ってフィリピンまで赴き、平成三年一〇月三一日に同女と正式に婚姻し、日本に連れ帰って前記アパートで二人で暮らすようになった。しかし、同女は、姉の病気を心配して平成四年一月二二日ころにフィリピンに帰国し二度と日本に戻らなかったため、被告人は、再び住居地で一人暮らしをするようになり、しかも、このころには、甲野一郎商店も無断欠勤して辞めてしまっていて、無職の身であった。(罪となるべき事実―その一)
被告人は、
第一 平成三年一〇月一九日午後四時五〇分ころ、前記普通乗用自動車を運転して東京都江戸川区上篠崎<番地略>所在の株式会社甲野一郎商店上篠崎店付近道路を走行中、先行していた鈴木四郎(当時三四歳)運転車両の速度が遅いなどとして立腹し、赤信号に従って同車両が同所付近に停止すると、同車の運転席側に駆け寄り、「とろとろ走りやがって、じゃまじゃないか。」などと怒号しながら開いていた窓から手を差し入れてエンジンキーを回してエンジンを停止させ、降車してきた同人に対し、いきなりその顔面を手拳で数回殴打した上、その胸ぐらを掴んで同人を前記店舗内に連れ込み、同所においてさらにその顔面を手拳で殴打し、同店厨房内に置かれていた長さ約一一二センチメートルの鰻焼台用鉄筋で背中と左肘を各一回殴打する等の暴行を加え、よって、同人に対し、全治約三週間を要する頭部、胸部打撲、左肘頭部打撲及び挫創の傷害を負わせ
第二 一 平成四年二月一一日午前四時三〇分ころ、前記普通乗用自動車を運転して同都中野区新井<番地略>先路上を走行中、アルバイト先から帰宅途中の丙山花子(当時二四歳)が一人で左側歩道上を歩いているのを認めるや、行きずりの同女を殴打暴行して自己の鬱屈した気分を晴らそうという衝動にかられ、道を尋ねる振りをして同女に近付くと、いきなりその顔面を手拳で思い切り数回殴打する暴行を加え、よって、同女に対し、加療約三か月半を要する鼻骨骨折、顔擦過創の傷害を負わせ
二 座り込んだ同女の顔を見たところ、同女が意外に若かったところから、強いて同女を姦淫しようと企て、その髪の毛を鷲掴みにして引っ立て、「車に乗れ。」と申し向けて抱きかかえるようにして無理やり前記車両後部座席に押し込み、病院に連れて行くなどと行って同車を走行させ、同女を千葉県船橋市本中山<番地略>在の「△△」二〇三号室の被告人方に連れ込み、同日午前六時三〇分ころ、同所において、前記の暴行を受けて負傷し反抗を抑圧された同女に対し、さらに衣服をはぎ取るなどの暴行を加え、全裸にした上、同女を強いて姦淫し
第三 同月一二日午前二時前ころ、同県市川市幸町<番地略>付近路上を前記普通乗用自動車で走行中、コンビニエンスストアーでシャープペンシルの替え芯を購入して自宅へ戻る途中の乙川春子(当時一五歳)運転の足踏式自転車の後輪に被告人運転車両の左前部を衝突させ、同女が自転車もろとも路上に転倒して右膝を負傷したことから、轢き逃げと言われないために同女を被告人運転車両に乗せて同県浦安市内の病院に連れて行き、治療後、同女を自宅に送るため同県船橋市方面に向けて走行中、俄に劣情を催し、強いて同女を姦淫しようと企て、同日午前二時三〇分すぎころ、同県市川市塩浜<番地略>先路上に車を停止させ、同車内において、同女に刃体の長さ約6.7センチメートルの折りたたみ式ナイフ(平成五年押第五二号の2)を示しながら、「黙って俺の言うことを聞け。」などと申し向けて脅迫し、右ナイフで同女の左手や左頬を切るなどの暴行を加えてその反抗を抑圧し、同女を前記被告人方に連れ込み、午前三時ころから同六時ころまでの間、二回にわたり、同女を強いて姦淫し、その際、前記暴行により、同女に体し、加療約二週間を要する顔面挫創、左手挫創の傷害を負わせ
第四 一 同月二五日午前五時ころ、前記普通乗用自動車を運転して同県市川市河原六番一八号先路上を進行中、後続していた佐藤五郎(当時二二歳)運転の普通乗用自動車の走行方法が気に入らないとして立腹し、同所において、同車の直前で急停止してその進行を阻み、自らは降車して運転席にいる佐藤に近づき、「煽ってんじゃねえよ。」などと申し向けてその運転方法に難癖をつけ、開いていた運転席側の窓から手を差し入れて同車のエンジンキーを抜き取った上、自車に戻り、これを取り戻そうとして追いすがってきた同人に体し、自車の後部トランク内から取り出した全長約一一二センチメートルの鰻焼台用鉄筋でその左側頭部を一回殴打し、両腕で頭を抱え蹲った同人の左半身をさらに多数回にわたって殴打する暴行を加え、よって同人に対し、安静加療約一〇日間を要する頭部挫創の傷害を負わせ
二 右暴行で畏怖した佐藤から金員を喝取しようと企て、被告人において、佐藤の車両の運転席に乗り込み、同人を助手席に乗車させて、同月二五日午前五時すぎころから同日午前六時ころまでの間、前記第四の一記載の場所から同県市川市塩浜二丁目三一番地先路上を経て、再び前記第四の一記載の場所までこれを走行させ、右走行中の同車内において、同人に対し、暴力団員を装い、「おめえ、どうするんだよ。」「俺らの相場じゃ、こういう場合は七、八万なんだよ。」「金曜日までに用意しておけよ。」「免許証を出せよ。」「免許証はそんときに返すからな。」などと申し向けて金員及び免許証の交付を要求し、これに応じなければ、さらに身体に危害を加えるべき勢威を示して脅迫し、これに畏怖した同人から、その場で、同人名義の自動車運転免許証一通の交付を受けて、これを喝取し
第五 一 同月二七日午前零時三〇分ころ、前記普通乗用自動車を運転して埼玉県岩槻市東町一丁目七番二六号先路上を進行中、田中六郎(当時二一歳)運転の普通乗用自動車に追い越されたことから立腹し、同車が同所付近で赤信号のために停止した際、その前方に自車を停止させて右田中運転車両の進行を阻み、降車してきた同人に対し、「ヤクザ者をなめんじゃあねえ。」などと申し向けながら、ズボンのポケットから前記折りたたみ式ナイフ(平成五年押第五二号の2)を取り出し、「これで刺してもいいんだぜ。」と言って同人の左大腿部を突き刺し、さらにその後、田中を同人が運転してきた車両の助手席に乗車させ、被告人がこれを運転して同所から同市大字加倉一九四三番地先路上まで移動する間の同車内において、田中の左右大腿部、右肩部、腕部、背部等を前記ナイフで二十数箇所にわたり突き刺したり、切り付けるなどし、よって、同人に対し、全治約六週間を要する全身刺創及び切創、右第三、四指伸筋腱断裂等の傷害を負わせ
二 同日午前一時二〇分ころ、田中が被告人の隙を見て前記車内から逃げだすや、同市東町一丁目七番二四号先路上に同車を移動させ、住所、氏名を確認して後日田中から金員を喝取する目的で、同車両内から同人の管理にかかる同人名義の運転免許証一通及び同人の父田中七郎名義の自動車検査証を窃取し
たものである。
(□□スカイハイツC棟八〇六号乙川冬夫方における犯行に至るまでの経緯)
前記第三の強姦致傷の被害者乙川春子は、千葉県市川市幸<番地略>所在の□□スカイハイツC棟八〇六号室に居住し、父母、妹、父の母の五名で暮らしていた。父は乙川冬夫(昭和二四年八月一〇日生、以下「冬夫」という。)、母は乙川秋子(昭和三〇年六月一九日生、以下「秋子」という。)といい、右両名は、昭和六二年三月に結婚し、同八月に雑誌の出版、編集等を業務内容とする株式会社○○を設立し、秋子がその代表取締役、冬夫は取締役となり、冬夫はもっぱらフリーカメラマンとしてレストランや温泉地等の写真を撮影する仕事をし、秋子はフリーライターとして料理雑誌のコラム欄を担当するなどの仕事をしていた。
乙川ハナ(明治四一年七月四日生、以下「ハナ」という。)は冬夫の実母で、高齢のため、散歩に出るときのほかは玄関北側の自室で過すことが多かった。
乙川春子(昭和五一年三月一九日生、以下「春子」という。)は、秋子と前夫との間に生まれ、秋子が冬夫と再婚した際に同人と養子縁組をして乙川姓に変わり、本件当時は同県船橋市内にある県立高校の一年生であった。
乙川夏子(昭和六二年三月一七日生、以下「夏子」という。)は、秋子と冬夫との間に出生し、本件当時は、同県市川市内の保育園に通園中であった。
被告人は、前記のとおり、フィリピン国籍のリリベスと平成三年一〇月に結婚し肩書住居地のアパートで一緒に暮らしていたが、同年一二月ころから、足繁く同県市川市内にあるパブ「ゴールデンスカイ」に通うようになり、そこで、フィリピン国籍の「レイシャー」というホステスと知り合った。
被告人は、妻が本国に帰って間もない平成四年二月六日ころ、レイシャーを同店関係者に無断で連れ出し、被告人方に宿泊させるなどしていたところ、同月八日ころ、レイシャーが泣きながら店に戻ったことから、被告人が連れ出したことが判明し、店側が依頼した外国人ホステスの斡旋業者中島俊信らが同月一一日夜、被告人方を訪れた。その際、被告人が前記普通乗用自動車で逃走を図ったため、右業者らは被告人を降車させようとして被告人が運転していた車両の後部窓ガラス等を損壊したが、被告人はそのまま逃走した。
翌一二日午前二時三〇分ころ、被告人は、右車両を運転中、たまたま出会った乙川春子に対して、前記第三の強姦致傷の犯行に及んだが、その際、同女のバッグ内から現金等を窃取するとともに、同女の生徒手帳を見てその住所、氏名、保護者名等を知るに至った。
その日の夜、被告人は、レイシャーを無断で連れ出した件で住吉会系の暴力団組長月山福一に東京都内の全日空ホテルまで呼び出され、同所において、同人及びその配下の星田和義から、被告人の行為は誘拐罪にあたり、レイシャーが在留期限をまたずに帰国するようなことになれば店の損害は約二〇〇万円になるなどと遠回しに金員の支払いを要求された。これに対して、被告人は、女を連れ出した件についてはそれなりのことをするつもりであると答えて、その場を辞去した。
しかし、被告人は、右月山に支払う金員をいまさら母親や祖父に出して貰うわけにいかず、そうかといって他に金策するあてもないところから、強盗でもするか、パチンコ屋に押し入ろうかなどとあれこれ思案した挙げ句に、前記第三の強姦致傷事件の際に住所、氏名等を知った乙川春子宅に侵入し、金品を窃取しようと考え、家族の在宅状況を探る目的で時間を変えて同女宅に電話をかけてみたり、同月下旬及び同年三月一日の二回にわたって、春子らの居住する□□スカイハイツC棟に赴き、同マンション内のエレベーターを使って八階まで上り、八〇六号室が乙川宅であること及び同マンション一階のエレベーターホールには防犯カメラが設置されていることを確かめるなどした。
同年三月五日に至り、被告人は、乙川宅に侵入して現金や預金通帳等を窃取する決意を最終的に固め、同日午後四時ころ、前記普通乗用自動車を運転して同マンションに赴き、近くの公園の脇に車を停めて下車し、防犯カメラを避けて外階段を徒歩で二階まで上り、同所からはエレベーターで八階に上がり、八〇六号室の玄関口のドアを試しに開けてみたところ、意外にも鍵がかかってなかったところから、同日午後四時三〇分ころ、右玄関口から八〇六号室に入っていった。
(罪となるべき事実―その二)
被告人は、
第六 平成四年三月五日午後四時三〇分ころ、前記□□スカイハイツC棟八〇六号室に入ると、玄関を入ってすぐの北側洋間からテレビの音が聞こえたため、中を覗き、同室内でハナが寝ているのを確認し、その後、玄関の突きあたりにある居間に入って現金や預金通帳等を物色し始めたが、目的とする物がなかなか見つからなかったところから、この際手っ取り早くハナを脅迫して同女から現金等を強取するにしくはないと決意し、右洋間に行って寝ていた同女の脚の辺りを蹴りつけ、同女に対して危害を加える気勢を示しながら「通帳を出せ。どこにあるんだ。」などと申し向けて脅迫し、寝込んでいたところを突然に起こされた上、高齢のため抵抗することもままならない同女の反抗を抑圧し、同女をして同室出入口付近にある棚に置かれた財布内から現金約八万円を取り出させてこれを強取し、さらに、室外に逃れようとした同女の後襟首を鷲掴みにして、「通帳はどこだ。」などとかさねて申し向け、同女の身体に危害を加える気勢を示して脅迫し、同女に通帳を探させている間に小用のためトイレに入ったところ、その隙に同女が居間に出て来て受話器を取り上げ、電話をかけようとしたことから、咄嗟に体当たりをして同女をその場に仰向け突き倒し、覗き込むようにして同女に対し「何をするつもりだったんだ。」などと言うと、同女が被告人の顔面に唾を吐きかけてきたために激昂し、殺意をもって、同所において、仰向けに倒れていた同女の腹部付近に馬乗りとなり、同所に置かれていた電気の延長コードを手に取って同女の頸部に一周させて前頸部で交差させ、その両端を両手で持って絞め付け、一度力を緩めると同女が起き上がる気配を示したので再度力を込めて数分間絞め続け、よって、そのころ、同所において、同女を絞頸による窒息死させて殺害した上、同女が死亡したのを確認すると、同女の頸部に巻かれていた電気コードを抜き取り、同女の肢体を引きずって北側洋間に敷かれていた布団に寝かせた後、一度乙川宅から外出して付近の自動販売機で煙草とジュースを買って再び八〇六号室に戻り、さらに室内を物色して北側洋間内の出入口付近にある棚に置かれていたバッグ内にあった同女の財布の中から現金約一〇万円を強取し
第七 引き続き前記八〇六号室の居間内で金員を物色していたところ、同日午後七時すぎころ、秋子及び春子の両名が帰宅したため、予め台所流し台の下から冷蔵庫の上に移しておいた数本の包丁のうち、刃体の長さ約22.5センチメートルの柳刃包丁一本(平成五年押第五二号の1)を手に持って台所のカウンター付き食器棚の陰に隠れ、右両名が居間に入るや、金品を強取する目的で、両名に対し右包丁を突きつけ、「静かにしろ。」「あんまり騒ぐと殺すぞ。」「ポケットの物、全部出せ。」などと申し向けて脅迫し、両名の反抗を抑圧し、所持金品を全て出させた上、両名に対し、「伏せになれ。」と言って同所床に並んでうつ伏せになるように命じ、その要求どおり両名が床にうつ伏せになるや、母親の秋子は頭がきれそうな感じなので策を練って警察に突き出すような行動に出るのではないかと危惧し、同女の動きを封ずる意図の下に、その背部を数多く刺突すれば同女が死に至るべきことを認識、予見しながら、敢えてうつ伏せになっている同女の左腰部付近から、右包丁を逆手に持ってその背部をたて続けに五回突き刺し、よって、そのころ、右八〇六号室内において、同女を背部刺創により、失血死させて殺害し
第八 秋子の言から、冬夫の帰宅が午後一一時ころになることを知るや、同人から金品を強取するためその帰宅を待つこととし、その間に、春子を強姦して気を紛らわせようと考え、同日午後九時二〇分ころ、前記居間において、秋子が刺されたのを見て極度に畏怖し抗拒不能の状態に陥っていた春子に対し、前記柳刃包丁(平成五年押第五二号の1)を突きつけ、「服を脱げ。」などと申し向けて脅迫し、逡巡する同女のワイシャツの襟を引っ張ってボタンを引きちぎるなどの暴行を加えて、その反抗を抑圧し、同女を全裸にさせると、寝室のベッド上に寝かせ、自己も衣服を脱いで全裸となって同女に覆いかぶさり、強いて同女を姦淫し
第九 春子に対する姦淫行為を継続中の同日午後九時四〇分ころ、予期したより早く冬夫が帰宅したため、慌てて春子の身体から離れて台所に行き、衣服を身につけると、カウンター付き食器棚のカウンター上に置いてあった前記柳刃包丁(平成五年押第五二号の1)を手にして、同食器棚の陰に隠れ、前記居間に入ってきた冬夫が、寝室のベッドで横になっている春子を見て、「春子、寝てんのか。」と声をかけている間に、金品を強取する目的で、冬夫に対し、いきなりその背後から、前記柳刃包丁で同人の左肩を一回突き刺して、その反抗を抑圧し、負傷して座ったまま動けない状態の同人に対し、「俺はこういう者だ。」と言って所持していた暴力団員の名刺を見せ、「ある記事が載って組が迷惑している。取材しただろう。」などと架空の事実を申し向けて因縁をつけた上、「通帳や現金や何でもいいから三〇〇万円位出せ。」などと申し向け、冬夫の指示で春子が乙川宅内から探し集めてきた現金約一六万円、ハナ名義の郵便貯金総合通帳一冊(額面二五七万六〇五五円)及び総合口座通帳一冊(額面一〇三万一七三七円)を強取した上、さらに、冬夫から、株式会社○○の事務所に行けば別の預金通帳及び印鑑がある旨を聞き出すと、それをも強取しようと考え、春子をして同会社従業員の大橋修道に対してこれから通帳を取りに行く旨伝えさせ、翌六日午前零時三〇分ころ、居間で動けないで横になったままの冬夫を残し、春子を伴い、八〇六号室を出て、マンション一階まで行ったところで、冬夫が警察に通報等するのを防止するため同人を殺害することを決意し、春子を右マンション一階に残して八〇六号室に戻り、前記柳刃包丁を持って冬夫に近づくや、殺意をもって、右柳刃包丁でその背部を一回強く突き刺し、よって、そのころ、同所において、同人を背部刺創により失血死させて殺害し、右殺害後、反抗を抑圧された状態の春子を自車に同乗させて同女の道案内で株式会社○○の事務所がある同県市川市行徳駅前<番地略>所在の××第一ビル前に赴き、同日午前零時四〇分ころ、同女に対し、「人がいるんじゃあヤバイから、俺待ってるから、行って来い。」と命じて同女を一人で同ビル二〇四号室にある右会社事務所に行かせ、同女が同社従業員で同所で寝泊まりしている大橋修道に「ヤクザが来ていて、お父さんの記事が悪いとお金を取りに来ている。」と告げて事務所内から株式会社○○、冬夫、秋子らの名義になっている預金通帳七冊(額面合計六三万五六二〇円)及び印鑑七個を持って被告人の待つ自動車まで戻ってくるや、同女から、右通帳及び印鑑を受け取ってこれをも強取し
第一〇 右犯行後、春子を伴って同市塩浜三丁目のホテル「ラセーヌ」に赴き、同ホテル五〇一号室で一夜を過した後、同月六日午前六時三〇分ころ、再び春子を伴って前記普通乗用自動車で前記八〇六号室に戻り、同所でしばらく時を過しているうちに、寝室で寝ていた夏子が目を覚ましたところから、同児が父母らの死を知って泣き叫んだりすれば、近隣の住人に前夜来の犯行が察知されるおそれがあると考え、その発覚を免れる目的で同児を殺害することを決意し、同日午前六時四五分ころ、前記カウンター付き食器棚のカウンター上に置いてあった前記柳刃包丁(平成五年押第五二号の1)を右手に持ち、寝室に入り、被告人に背を向けて布団上に上半身を起こして座っていた同児に近付き、その背後から、左手で同児の頸の辺りを押さえ付けながら、殺意をもって、その背部を右包丁で一回突き刺し、そのころ、同所において、同児を背部刺創により失血死させて殺害し
第一一 同日午前六時五〇分ころ、右寝室において、春子から「どうして妹まで刺したの。何でこんなことするの。」などと責められるや、これに立腹し、同女に対し、所携の前記柳刃包丁(平成五年押第五二号の1)でその左上腕部及び背部を切り付け、よって同女に対し、加療約二週間を要する左上腕、背部切創の傷害を負わせ
たものである。
(証拠の標目)<省略>
(当事者の主張に対する判断)
一 判示第六(乙川ハナに対する強盗殺人)の事実について
弁護人らは、被告人には、ハナに対する確定的な殺意があったわけではなく、被告人が、電話をかけようとしたハナを突き倒して同女の顔を覗き込むと、逆に同女から顔面に唾を吐きかけられ、異常な程の潔癖症である被告人にとってこれは極めて衝撃的な事態であったため、被告人は冷静さを失い、激怒してとっさに同女の首を絞めるという行動に出てしまったものであって、このとき、ハナの命が失われるか否かについて考える余裕は全くなく、せいぜい同女が死ぬかもしれないという未必的殺意があったものに過ぎないと主張し、被告人もこの主張に沿うような供述をしているので、この点検討する。
関係各証拠によれば、ハナの死因は絞頸による窒息死であり、肢体の頸部には、首の回りを一周する索溝が形成され、舌骨が左大角の中央部、右大角の基部において骨折し、右大角付着部においては、広く出血を伴い、さらに甲状軟骨の左上角も骨折し、広く周辺に出血を伴っていることが明らかであるところ、ハナの頸を絞めたときの状況について、被告人は、捜査、公判を通じ、ハナに唾を吐きかけられたことに激昂し、仰向けに倒れた同女の腹部付近に馬乗りとなり、目についた電気コードを同女の頸部に一周させて、前頸部で交差させて力一杯締め付け、一度その力を緩めたところ、同女が起き上がるような気配を示したため、再度同女の抵抗がなくなるまでその頸部を力の限り締め続け、同女がぐったりしたのを見届けてその身体から離れ、脈を調べてその死亡を確認したうえ、同女を布団に運んで寝かせた旨を一貫して供述していることに加え、当公判廷においても、弁護人の「顔面につばを吐きかけられたのでハナさんを殺してしまおうと思いましたか。」という問いに対し、「かなり自分としても、かっとなって逆上して、自分の中にそういう気持ちがあったと思います。」と答え、検察官の「乙川ハナさんの首を絞めたときは、殺してしまおうとは思わなかったんですか。」という問いに対しても、「そういう気持ちはあったと思います。」「抵抗がなくなるまでやったんです。」と答えて、ハナに対する殺意の存在を認める趣旨の供述をしていることが認められ、以上のような絞頸の動機、程度、態様並びに右絞頸時の被告人の認識内容等を総合すれば、被告人には、ハナに対する確定的殺意があったことを優に認めることができるというべきである。
二 判示第七(乙川秋子に対する強盗殺人)の事実について
弁護人らは、被告人が秋子を柳刃包丁で刺したのは同女の動きを封ずるのが目的であって、そのとき殺意があったわけではないから、強盗殺人罪でなく強盗致死罪が成立するにすぎないと主張し、被告人も、秋子を突き刺したのは同女が他に通報等するのを防ぐのが目的であって、その際、同女を殺そうというまでの気持ちはなく、また突き刺すことによって同女が死ぬかもしれないとも思っていなかった旨、弁護人らの主張に沿うような供述をしているので、この点検討する。
関係各証拠によれば、本件犯行に使われた柳刃包丁は刃体の長さが約22.5センチメートルで先端は鋭く尖り十分な殺傷能力を有するものであること、被告人は、春子と秋子を床に並べてうつ伏せにさせると、秋子の左腰部付近に中腰になり、右包丁を逆手に持って同女の背部をたて続けに五回突き刺していること、これらの五個の刺創のうち、左肩胛部外側の刺創は、肩胛骨及び第五肋骨を損傷して左肺上葉実質内に達し、創洞の長さは約8.9センチメートル、左肩胛部内側の刺創は、肩胛骨及び第四・第五肋骨を刺切して左肺上葉を貫通し左肺上葉前面に刺出し、創洞の長さは約10.5センチメートル、左肩胛下部の刺創は第九肋骨及び第九肋間筋を損傷して左肺下葉を貫通し、横隔膜を損傷して後腹膜下の軟部組織に終わる創洞の長さ約11.3センチメートルに及ぶものであり、その余の二個の刺創はいずれも肩胛間部に存在し、ともに身体の中心部に向かい、創洞の長さがそれぞれ約4.6センチメートルないし約4.8センチメートルに達していること、解剖時の所見によれば、左胸腔内には凝血を含む血液約一二〇〇CCが入り、被告人に刺されるや秋子は呻き声をあげ、苦しそうに身をよじって仰向けに転じ、足で床を蹴りながら一メートルくらいずり動き、やがて失禁するに至ったこと、被告人はこのような状況を目のあたりにしながらなんらの救命措置を講じていないばかりか同女が身をよじりながら被告人の脱いだジャンパーに接近しかけるときその脇腹を足で蹴って遠ざけていること、失神状態の同女を南側洋間に運び入れた後は春子及び夏子とともに食事をしたり、春子を強姦したりするなど、およそ秋子の存在を意識せずそれが既に居ないものという前提で行動していたことなどが認められ、このような刺突の程度、態様及びその結果並びに被告人のその後の行動内容に加えて、被告人自身、捜査段階において「死亡するに至るかもしれないことを認識しながら激情の赴くまにあえてこれを意に介せず、突き刺したということになるのではないかと思います。」と殺意を認める供述をし、当公判廷においても、秋子を刺突後、南側洋間に運び入れた後の気持ちについて、「秋子さんが部屋から自力で出てくることはもうないという気持ちのほうが強かったかもしれません。」と述べ、同女の死を認識、予見していたと受け取れる内容の供述をしていること、かてて加えて、女性であり、しかも、被告人に命じられるまま所持品を全部差出し床にうつ伏せになって抵抗の気配すら示さない秋子に対して、前記のようにその胸部をたて続けに五回も深々と突き刺しているのは、単に同女の動きを封じるための行為にしては過剰に過ぎることなどに徴すると、被告人において、当時同女の死を意欲していたとまでは認められないにしても、被告人が突き刺すことによって同女が死に至るべきことを認識、予見しながら、これを認容して、敢えて本件刺突行為に及んだものと認めざるを得ないから、結局、被告人において、秋子に対する殺意を有していたというべきである。
なお、弁護人らは、被告人の右刺突行為は金品を強奪するための手段としてなされたものでないとも主張するが、被告人は、前記のとおり、ハナを殺害した後、なおも室内の物色を続ける一方、さらに家人から金員を強取するためその帰宅を待ち受け、帰宅した秋子及び春子が居間に入って来るや、退路を断つようにして立ち塞がり、前記柳刃包丁を同女らに突きつけ、「ポケットの物、全部出せ。」などど申し向けてポケットの在中物を全て出させ、同女らを居間の床にうつ伏せにさせた上、秋子を前記柳刃包丁で刺突し、春子にも手伝わせて秋子の身体を南側洋間に運び込んだ後、さらに室内を物色していることが認められ、このような諸事情に徴するならば、被告人が、秋子及び春子に対し前記柳刃包丁を突きつけ、さらに、秋子を刺突するという行為に出た目的は、単に犯行を通報等されるのを防止するというにとどまるものでなく、進んで金品を強取するためでもあったと認められる。
以上の次第であって、被告人は、金品強取の目的のもとに、殺意をもって秋子を刺突して死亡させたものであることが明らかであるから、被告人の秋子に対する本件行為は、強盗殺人罪に該当するというべきである。
三 判示第九(乙川冬夫に対する強盗殺人)の事実について
弁護人らは、被告人が、株式会社○○にある預金通帳等を取りに春子を伴って乙川宅を出た直後、再び戻って、冬夫の背中を前記柳刃包丁で突き刺した行為について、被告人には殺意がなく、したがって、強盗殺人罪ではなく、強盗致死罪が成立するにとどまると主張し、被告人も柳刃包丁で突き刺したとき冬夫が死ぬかもしれないということまで考えなかった旨、弁護人らの主張に沿うような供述をしているので、この点について検討する。
関係各証拠によれば、本件犯行に使われた柳刃包丁は、前述したとおり、十分な殺傷能力を有するものであること、被告人は、冬夫が帰宅した直後、いきなりその背後から同人の左肩胛下部を一回突き刺し、これによる同人の受傷状況は、左第七肋骨及び第七肋間筋を損傷して胸腔内に入り、左肺下葉を貫通し左肺上葉を損傷した上、さらに左第五肋骨及び第五肋間を刺切して左脇窩部に刺出する創洞の長さ約15.8センチメートルの刺創を形成し、これのみでも十分致命傷になり得るものと認められるところ、その後被告人は、預金通帳等を取りに株式会社○○に赴くため春子を伴って乙川宅を出て一階まで降りた後、ひとりで引き返し、前記柳刃包丁で冬夫の右背部をさらに一回突き刺しているのであり、この二回目の刺突行為によって形成された肩胛間部右側の刺創は、創洞の長さ約12.7センチメートルで第六肋骨並びに第六肋間筋を損傷して胸腔内に入り、右肺の下葉を貫通した上右肺上葉を損傷し、さらに心嚢及び大動脈後面をも刺切するというもので、第一回目の刺創よりさらに重篤な損傷を身体の最枢要部分に生じさせていること、春子の捜査段階における供述によれば、春子が株式会社○○に行くため乙川宅を出るとき、冬夫は床上に横たわり、起き上がろうとしても起き上がれない状態であって、苦しそうな様子でいたというのであり、右供述は、冬夫の死体を解剖した鑑定人木内政寛が二回目に被告人から刺突される時点では、冬夫は殆ど運動能力はなく、瀕死の状態であって、立ち上がることはおろか、会話することもできない状態であったと推定される旨供述していることからも十分に信用できるものと認められ、このような瀕死の状態の冬夫に対してあえて前記のような刺突行為に及んでいること、被告人は第二回目の刺突行為をした後、乙川宅を出て、春子とともに株式会社○○の事務所に行き春子が預金通帳等を持ってくると、ホテル「ラセーヌ」に赴いて同女を姦淫し、約四時間近くそこで眠り込み、その間、株式会社○○の事務所にいた大橋修道が警察に通報していないか電話で春子に様子を探らせながらも、冬夫についてはそのような心配をした様子が全くなかったこと、これに加え被告人自身、捜査段階において、「死亡するに至るかもしれないことを認識しながら激情の赴くままにあえてこれを意に介せず突き刺したということになるのではないかと思います。」と殺意を認める内容の供述をしていることなどの諸事実を総合するならば、被告人において、株式会社○○にある預金通帳等を取りに春子を伴って乙川宅を出た直後、取って返して乙川宅に戻り、既に預金通帳等の所在場所を聞き出して無用の存在となった冬夫に対し、後顧の憂いを断つために、いわゆる「とどめ」をさす意図で、確定的殺意をもって冬夫の背中を前記柳刃包丁で突き刺したものと認めざるを得ないというべきである。
なお、被告人は株式会社○○に行くため、乙川宅を出てマンションの一階まで行ったところで自動車の鍵を乙川宅に忘れてきたことに気付き戻ったところ、冬夫が居間で立ち上がって歩いていたので、警察への通報を防止するため、冬夫の背部を刺突した旨弁解するが、春子の供述するところによれば、同女が株式会社○○に出掛けようとする直前の冬夫の位置とホテル「ラセーヌ」から戻ってきたときの同人の死体の位置は変化がなかったというのであり、既に述べたような冬夫の状態に照らしても、冬夫が立ち上がっていたとの被告人の右弁解は信用しがたいというべきである。
四 判示第一〇(乙川夏子に対する殺人)の事実について
検察官は、乙川夏子に対する犯行は強盗殺人罪に該当する旨を主張し、その理由として、被告人は乙川宅において、ハナ、秋子、冬夫を順次殺害して金品を強取し、その後株式会社○○に預金通帳等を取りに行くため一旦現場を離れたが、それは現場に再び戻ることを予定しての行動であり、現にそれ以前に発見収集し、ビニール製手提げ袋に入れておいた小銭類は現場に残したままであったのであるから、一時現場を立ち去ったことをもって強盗の現場を離脱したものとみることはできず、むしろ強盗の犯行を完遂するために現場に戻ったものにほかならないというべき上、被告人が夏子を殺害した動機は、同児が騒いで自己の一連の強盗殺人等の犯行が発覚するのを防止するところにあったことなどに徴すると、夏子の殺害は、強盗の機会になされたものであることが明らかであり、強盗殺人罪が成立すると解すべきものであるというのである。
一方、弁護人らは、夏子を柳刃包丁で刺した際、被告人は既に強盗の身分を有してはおらず、しかも夏子に声を出されて狼狽のあまり突き刺したものであり、同児が死ぬかもしれないという未必的殺意はあったが、確定的殺意までは有していなかったのであって、結局被告人には未必的な殺意に基づく単純殺人罪が成立するにすぎないと主張し、被告人も弁護人らの主張に沿うような供述をしている。
そこで、まず夏子に対する殺意について検討すると、関係各証拠によれば、本件犯行に使われた柳刃包丁は、前記のように十分な殺傷能力を有するものであること、被告人は、寝室で布団上に上半身を起こし被告人に背を向けて座っていた当時四歳の幼児の背後から、左手でその頸のあたりを押さえ、右手に握った前記柳刃包丁で背面から突き刺し、その強さは刃先が胸部に突き抜ける程であったこと、これによる同児の受傷状況は、右肩胛下部に刺入創を形成し、右第六肋間、第七肋骨上縁を損傷して、右肺の下葉、中葉、上葉を貫通し、さらに胸郭前面で右第三肋骨、第三肋間を損傷して右胸部の刺出口に至る貫通刺創を形成し、創洞の長さは約12.3センチメートルで、胸腔内には凝血を含む血液約二〇〇CCを貯留していたというもので、かかる重篤な傷害の結果に照らしてみても、被告人が力一杯夏子の背部を突き刺したことが認められること、被告人は、夏子を突き刺した後、春子に対し、「妹を楽にさせてやれば。首を絞めるとか色々な方法があるだろう。」などと申し向けていること、加えて、被告人は、夏子を刺突した動機について、公判廷においては、「静かにさせないと近所に声が漏れて人が来てはいけないと思った。」旨供述し、捜査段階においても「小さい子供は声が高いので父親や母親が死んだとわかれば騒ぐだろう。そうすれば、隣り近所の人にも子供の泣き声が聞こえてしまうと思った。」旨供述し、刺突したときの気持ちについて、当公判廷において、「刺したときには、もう死んでしまっても仕方がないとは思いました。」と述べていることなどに徴すると、被告人において、夏子の泣き声によって、自己の一連の強盗殺人等の犯行が外部に知られることになるのをおそれ、その発覚を免れる目的で、確定的殺意をもって夏子を殺害したものであることは明らかであるというべきである。
そこで、次に、夏子に対する殺人が強盗の機会に行われたものといえるか否かについて検討すると、関係各証拠によれば、被告人は、冬夫を殺害した後、同人宅を出て同所から約1.8キロメートル離れた株式会社○○に車で赴き、三月六日午前零時四〇分ころ、春子が同社から預金通帳七冊及び印鑑七個を持ってくると、同女から右預金通帳及び印鑑を奪ったのであるが、この時点での強取金品は現金合計約三四万円、預金通帳等合計九冊(預金残高合計四二四万三四一二円)に達していること、被告人は、その後はもはや金品を物色する行為に出ることなく、春子をホテル「ラセーヌ」に連行してそこで一夜を過ごし、乙川宅に戻ったのはその日の午前六時三〇分ころであって、その間に五時間近い時間が経過していること、乙川宅に立ち戻ってからも金品を物色するなどの行為をしていないことを認めることができる。検察官は、前夜収集してビニール製手提げ袋に入れておいた小銭類を取りに戻ったというが、被告人は乙川宅に戻った後その手提げ袋を持ち出そうとするような行動になんら出ていないばかりでなく、そそも右手提げ袋内の小銭類に対する所持は、被告人が室内を物色して小銭類を収集し、いつでも持ち去ることができるように右手提げ袋に入れた時点、すなわち被告人が株式会社○○に赴く以前に既に被告人に移転していると考えるべきである。してみると、被告人の強盗殺人行為は、遅くとも株式会社○○の事務所にあった預金通帳七冊及び印鑑七個を奪った時点で、右手提げ袋入り小銭類に関する強取の点をも含め、すべて終了したとみるべきである。したがって、被告人は、ハナ、秋子、冬夫に対する各強盗殺人の行為が終了した後、それとは別の機会に、一連の犯行の発覚を防止するという動機から、新たな犯意に基づいて夏子を殺害したものというほかない。このように、一旦強盗殺人の行為を終了した後、新たな決意に基づいて別の機会に他人を殺害したときは、右殺人の行為は、たとえ時間的に先の強盗殺人の行為に接近しその犯跡を隠ぺいする意図の下に行われた場合であっても、別個独立の殺人罪を構成し、これを先の強盗殺人の行為と共に包括的に観察して一個の強盗殺人罪とみることは許されないものと解するのが相当であるから(最高裁判所昭和二三年三月九日第三小法廷判決・刑集二巻三号一四〇頁参照)、被告人には、夏子に対する強盗殺人罪は成立せず、同児に対する関係では単純殺人罪が成立するにとどまるというべきである。
五 判示第二の一及び二(丙山花子に対する傷害及び強姦)の各事実について
検察官は、被告人が当初から丙山花子に対して強姦の犯意を抱いていたことを前提に、同女に対する一連の犯行は全体として強姦致傷の一罪に該当する旨を主張する。しかしながら、被告人は、捜査、公判を通じ、一貫して右丙山に殴打暴行を加えてその顔面に傷害を負わせた後、相手の顔を見て同女が意外に若いことに気付き、俄に欲情を催して同女を強いて姦淫する気になったものであると供述しており、この供述に反する証拠は他に見当たらない上、客観的情況も右弁解と必ずしも矛盾しているわけでないから、本件に関しては、判示のとおり、強姦の犯意を生ずる以前の段階における傷害罪及びその後行われた強姦罪の二罪が各別に成立すると解するほかないというべきである。
六 被告人の責任能力について
弁護人らは、被告人は、本件各犯行当時、爆発性・類てんかん病質などの生物学的に規定された特性などにより、是非を弁別することができてもそれに従って行動を抑制する能力が著しく減退していた状態、すなわち、心神耗弱の状態にあった旨を主張する。
そこで検討すると、関係各証拠によれば、本件に関して、これまでに四人の専門医による被告人の精神診断ないし精神鑑定がなされていることが明らかであるところ、少年の心身鑑別の際にその健康診査を担当した医師今津清は、被告人について、「精神分裂病の罹患は否定でき、薬物濫用による精神病又はそれに等価の状態は認められず、爆発性、情性欠如及び意志の持続性欠如を要素とする人格障害を認める。」という趣旨の診断を下し、捜査段階で簡易鑑定を担当した医師原淳は、被告人について、「意識清明で知能低下も認められず、感情の表出及び疎通性も比較的良好であるが、意志欠如、軽佻、抑鬱、情性稀薄、気分易変等を呈し、これが性格の異常に基づくものであれば、情性欠如型、意志欠如型、爆発性精神病質であって完全責任能力が認められるが、被告人は高校中退前後から性格変化を来していて、精神分裂病の欠陥状態、前駆状態、同疾患の辺縁型等の疑いもなくはなく、更により詳細な鑑定が必要である。」旨診断し、この原医師の診断を踏まえて行われた医師小田晋の精神鑑定においては、被告人は、「正常な知能を有する反社会性人格障害の診断基準にほぼ合致する爆発性―冷情性精神病質者であるが、犯行当時も現在も精神病またはそれに等価の状態に陥ってはいないし、器質的精神障害の存在も認められない。意識状態は終始清明であった。従って犯行当時事理を弁識し弁識に従って行為する能力を喪失していなかったし、著しく障害された状態にあったということはできない。」とされ、さらに、公訴提起後行われた医師福島章よる鑑定の結果によれば、「被告人の現在の精神状態は、爆発性精神病質者または類てんかん病質者である。知能は普通域にあり、精神病の徴候はない。」「本件各犯行時の被告人の精神状態は、現在と同じ爆発型精神病質者であって、その各犯行には類てんかん病質者の両極的な特徴である爆発性と非流動性という特徴が認められるが、自己の行為の是非善悪を弁識する能力には障害がなかった。ただし、その認識に従って自己の行為を制御する能力はかなり低下していた。しかし、その低下が著しい程度にまで達していたかどうかは司法的な判断の問題であろう。」とされている。もっとも、同鑑定人は、その考察の項において、「被告人の脳波の異常ないし境界所見、高尿酸血症、脳が過剰に男性化された可能性などを総合し、さらに本件犯行時には被告人が未成年で脳の発達も人格の形成もまだ成熟の途上にあったことなどを加重して考慮すると、被告人の本件犯行時の精神状態は、刑事責任能力論において心神耗弱であるとまで断言することは困難であるとしても、少なくとも同情すべき事情(情状)を形成していると考える。」と述べて、右の点に関する鑑定人の見解を明らかにしているのである。
結局、各専門医の診断は、被告人が爆発性(型)精神病質者及び冷情性精神病質者ないしは類てんかん病質者であるが、犯行当時事理を弁識し、その弁識に従って行為する能力を喪失していなかったし、その能力が著しく障害された状態にあったということもできないという点で共通の結論に達していると考えられのである。
もっとも、福島鑑定中には、被告人の爆発性や攻撃性は、「母方からの遺伝と思われる尿酸血中濃度が高いという被告人の遺伝学的・生物学的素質によって規定されている可能性が高い。」とか「被告人の胎児期に母親が流産を防止するために大量の黄体ホルモン(女性ホルモン)を使用していたことが、胎児に対しては男性化ホルモンとして作用したため、被告人の脳が過剰に男性化された特質をもつようになったことに由来すると考えるべきであろう。」とか「脳波学的にいえば、暴力行為と関連することがわかっている被告人の前頭部徐波は加齢と共に消失するから、中年期以降は被告人の攻撃性もより制御が容易になることが考えられる。」などといった記述があり、弁護人らはこれらの記述を手懸りにして、被告人が行為の理非善悪を認識する十分な能力を有しながらも、その生来的、器質的な特質から、かかる認識に従って自己の行為を制御する能力がかなり低下していたために本件各犯行が惹起された可能性があるとして、心神耗弱の主張をしているものと解される。
しかしながら、福島鑑定によっても、尿酸血中濃度の高いという体質が著しく強い攻撃性の原因となることが実証された例はないとされている上、そもそも被告人の尿酸血中濃度は小田鑑定のときには7.8ミリグラム毎デシリットル、福島鑑定のときには7.7ミリグラム毎デシリットルという検査結果を示していて、小田鑑定において正常値とされる3.5ないし7.8ミリグラム毎デシリットル、福島鑑定において正常値とされる3.8ミリグラム毎デシリットル、ないし7.5ミリグラム毎デシリットルという数値と比較してみても、正常値の範囲内かこれを僅かに超えるにとどまっていることが明らかであるから、被告人の尿酸血中濃度が特に高いとも、異常であるともいえないというべきである。かりに、尿酸血中濃度がその者の攻撃性に何らかの影響を及ぼすことがあるとしても、被告人の尿酸血中濃度が正常値の範囲内かそれを僅かに超える程度にとどまる以上、これによって誘発される被告人の攻撃性の程度も、通常人のそれと著しくかけ離れたものになることはないと考えるほかない。してみると、被告人の血中の尿酸の濃度がその責任能力に影響を来す程の強度の攻撃性を来す原因となっているとは到底言い難い。被告人の尿酸血中濃度が高いことを理由に心神耗弱をいう弁護人らの主張は根拠がないといわなければならない。
また、被告人がその胎児期に母親が流産防止の目的で注射等して摂取した黄体ホルモン(ヒドロキシプロゲステロン)の影響を被ったことは事実と認められるけれども、胎児期において大量の黄体ホルモンにさらされた場合、女児にあっては、性器や内分泌器官等に形成異常が認められることがあるが、遺伝上の男児の脳がそのためにより過剰に男性化されるなどということは未だ実証されておらず、むしろ、弁護人らが提出した文献、資料中には、ヒドロキシプロゲステロンを妊婦に投与した場合、生まれてきた男子が「男性らしい関心を示さない傾向がある。」との報告すら紹介されているばかりでなく、福島鑑定自体、この点に関して、「もともと男性である胎児が大量の男性化ホルモンに曝されても、単に量的に男性化ホルモンが増加したに過ぎないのであって性器の形成の異常は起こらないし、脳が過剰に男性化されるかの点についても心理的に多くの点で正常の男性と変わらず、攻撃性が有意に強いとはいえないという観察がある。」と指摘していることに注目すべきである。現に、筑波大学付属病院における特別検査の結果によれば、代表的な男性ホルモンであるテストステロンの被告人の血中の数値は3.6ナノグラム毎ミリリットルで、正常値の3.8ないし9.9ナノグラム毎ミリリットルよりむしろ低いことが明らかにされているのであって、これによれば、すくなくとも被告人が生理学的に「過剰に男性化」されていないことは明白であり、男性と女性とで脳の組織や機能が異なることを前提とするかのような「過剰に男性化された脳」などという概念が一般に承認されたものであるか否かはさて措いても、被告人の男性ホルモンの分泌程度からみる限りでは、被告人が「過剰に男性化された脳」を有しているとは俄に考え難いというべきである。してみると、被告人が胎児期に大量の黄体ホルモンにささられたため強い攻撃性を示すに至ったという弁護人らの主張も、またその根拠が薄弱であるといわざるを得ない。
さらに、脳波検査の結果についてみると、小田鑑定によれば、被告人の脳波は正常範囲内とされ、福島鑑定によっても、傾眠時の前頭部に徐波が認められるものの、少年時代に認められたてんかん性の異常はないとされていることからして、被告人の脳波に責任能力に影響を来す程の変調があるとは認められない。
ちなみに、被告人の性格、行動に関する記録によれば、被告人は、小学生のころまでは、むしろ礼儀正しく温和な子どもであると見られていて、爆発的、攻撃的な傾向とはおよそ対蹠的な存在であったことが認められ、体力、腕力が他人を凌駕するようになった中学生以降に暴力的傾向が次第に顕著になってくるのであるが、それでも、学校内で暴力を振るうとレッテルを貼られ損をするとの考えから行動を自制し、そのため「要領の良い不良」と評され、また、高校を中退して職に就いた後も、職場では暴力行為を敢えて起こさないようにするなど、ときところを考え、相手を選んで暴力行為に出る傾向があることが認められるのであって、被告人の攻撃性は、それなりに意思のコントロールに服しているもののように思われるのである。このような情況的事実に照らしてみても、被告人が、弁護人らの主張するように生来的、器質的欠陥から生まれながらにして善悪の弁識に従って行動を制御することが著しく困難な状態にあったものとは到底考え難いというべきである。
なお、弁護人らは、小田晋医師が警察発表による新聞記事をもとに本件について週刊誌に被告人を極刑に処すべき旨の意見を発表していたことを理由に、被告人に完全責任能力を認めた小田鑑定は予断偏見に基づくもので信用性を欠いていると主張するが、鑑定人に対しては、本来的に中立公正であることに加えて、外見的な公正らしさも望まれることはいうまでもないけれども、小田鑑定は、被告人に対する検査、面接の上、専門家としての見解を示したものとなっており、その内容に格別理論的な不整合はなく、予断偏見があってそのために内容が偏向しているとは認められないから、前記のような記事が週刊誌に掲載されたとの一事をもって直ちにその信用性が失われるというべきものではない。
以上の次第で、本件各犯行当時、被告人に是非を弁別する能力及び是非の弁別に従って行動を抑制する能力が著しく減退し、心神耗弱の状態にあったことを疑わせる事情は全くなく、被告人は、本件犯行当時完全責任能力を有していたと認められる。したがって、本件各犯行時に被告人が心神耗弱状態にあったとの弁護人らの主張は採用しない。
(法令の適用)
被告人の判示第一、第二の一、第四の一、第五の一、第一一の各所為はいずれも刑法二〇四条に、判示第二の二の所為は同法一七七条前段に、判示第三の所為は刑法一八一条(一七七条前段)に、判示第四の二の所為は同法二四九条一項に、判示第五の二の所為は同法二三五条に、判示第六、第七、第九の各所為はいずれも同法二四〇条後段に、判示第八の所為は同法二四一条前段に、判示第一〇の所為は同法一九九条にそれぞれ該当するところ、各所定刑中、判示第三、第八の各罪についてはいずれも有期懲役刑を、判示第一、第二の一、第四の一、第五の一、第一一の各罪についてはいずれも懲役刑を、判示第六の罪については無期懲役刑をそれぞれ選択し、判示第七、第九、第一〇の各罪については後記量刑の理由を考慮した上いずれも所定刑中死刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条一項本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第一〇の乙川夏子に対する殺人罪の刑で処断し没収以外の他の刑を科さないこととして被告人を死刑に処し、押収してある折りたたみ式ナイフ一丁(平成五年押第五二号の2)は判示第三、第五の一の各犯行の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法四六条一項ただし書、一九条一項二号、二項を適用してこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の理由)
一 本件は、判示のとおりの傷害、強姦、強姦致傷、強盗殺人、殺人、強盗強姦、恐喝、窃盗の事案であって、被告人が、平成三年一〇月から平成四年三月までのおよそ五か月間に、一四回もの悪質な犯罪を反復累行し、これによって直接被害を被った者の数は九名に達し、四歳の幼児や八三歳の老女を含む男女四名の生命が失われたほか、女子高生を含む若い二名の女性が無理やり貞操を奪われ、さらに、同女らを含めて五名の男女が加療約一〇日間ないし三か月半の重軽傷を負わされたというものである。
二 右各犯行について順次その犯情をみてみると、判示第一の鈴木四郎に対する傷害の犯行は、自動車を運転走行していた被告人が、先行する鈴木運転車両の走行速度が遅いと因縁をつけ、信号待ちで停止した同車に駆け寄り、全く無抵抗の被害者を運転席から引きずり出し、手拳や饅焼台用鉄筋などで多数回殴打したという全く一方的なものであり、判示第二の一、二の丙山花子に対する傷害、強姦の犯行は、、自動車を運転走行していた被告人が、仕事を終えて深夜一人で帰宅する被害者を認めると、自己の鬱屈した気分を晴らすというだけの目的で、道を尋ねる振りをしてこれに近づき、いきなりその顔面を正拳の要領で殴打して加療約三か月半を要する鼻骨骨折等の重傷を負わせた上、さらに同女を強姦する目的で、被告人運転車両に押し込み、病院に連れて行くように装って被告人方に連行し、同所で強いて同女を姦淫したという極めて一方的、暴力的、通り魔的な身勝手極まりないものであって、自己の欲望を満足させるためには手段を選ばない悪質な犯行であり、判示第四の一、二の佐藤五郎に対する傷害、恐喝の犯行は、判示第一の犯行とよく似ていて、被害者の自動車の運転方法が煽りに当たると難癖をつけ、進路を阻んで停止させた上、饅焼台用鉄筋で被害者の頭部や左半身を見境なしに滅多打ちし、さらに、後日被害者から金員を喝取する意図のもとに、その際に利用する目的で、暴力団員を装って被害者の運転免許証を取り上げたものであって、凶器を使用した悪質な犯行といわざるを得ず、判示第五の一、二の田中六郎に対する傷害、窃盗の犯行は、前同様、同人の自動車の運転方法が乱暴であると難癖をつけ、信号待ちの同車の前方に自車を停めてその進路を塞ぎ、相手車両に乗り込んで所携の折りたたみ式ナイフで座席に座っていた無抵抗の被害者の身体をところ構わず何十回も切り付け或いは突き刺し、被害者が全身血まみれになって命からがら逃げ出すまでそれを続けた上、後日被害者から金員を喝取する意図のもとに、その際に利用する目的で、同人の運転免許証等を持ち去ったというもので、他人の痛みなど全く顧慮しない誠に冷酷、凶暴かつ非人間的なものである。
三 次に、判示第三、第六ないし第一一の乙川一家に対する各犯行についてみると、
1 判示第三の乙川春子に対する強姦致傷の犯行は、当時高校一年生であった同女が深夜まで勉強した後、シャープペンシルの替え芯を買いに自転車で外出したとき、たまたま通りかかった被告人運転車両に追突され、膝に怪我をし、病院に連れて行かれて手当てを受け、その帰途被告人運転車両の中で折りたたみ式ナイフで頬を切りつけられ、手の指の間に刃先を差し込んでぐりぐりとこじられるなどの暴行、脅迫を加えられた末、被告人の住むアパートに連れ込まれ、二度にわたって強いて姦淫されたというもので、自己の欲望の赴くままに高校一年生の少女を傷つけた上弄び、未だに頬の傷痕が残る極めて凶悪な犯行というべきである。
そのとき被告人は、被害者である乙川春子の生徒手帳を見てその氏名、住所等を知ったことから、判示第六のとおり、窃盗目的で乙川宅へ入り込み、その後強盗に居直って、乙川宅内にいた春子の祖母ハナを電気コードで絞殺し、現金を強取した上、それでは足りないとして、柳刃包丁を持ち出して家族の帰宅を待ち構え、判示第七ないし第一一各記載のとおり、春子が母親の秋子と帰宅すると、先ず秋子を右包丁で刺し殺し、次いで父親の冬夫が帰宅すると、これをも右包丁で刺し殺して金品を強取し、翌朝、犯行の発覚を防止するという目的から、四歳になる春子の妹夏子をも刺し殺したほか、生き残った春子に対してもこれを強姦し、さらに傷害を負わせるなどしたのであるが、右各犯行の際の被告人の行動をみると、ハナを殺害した後、その死体を布団の中に引きずり入れて、同女が寝ているように見せ掛け、その後外出して自動販売機で煙草やジュースを買って乙川宅に戻り、一服してから平然と金員の物色を始め、同女の財布の中から現金約一〇万円を発見して強取し、間もなく帰宅してきた春子らに対して、「祖母は睡眠薬で眠っているだけだ。」などと申し向けて安心させ、秋子に対しては、娘の春子の眼前で、伏せている秋子の背中を柳刃包丁でたて続けに五回も突き刺し、同女が痛みと苦しみで呻き声をあげ、身をよじって仰向けになり、足で床を蹴りながら一メートルくらいずり動いて床に置いてあった被告人のジャンパーに近づくと、被告人は容赦なくその脇腹を足で蹴り付けて退かせ、母親が刺され恐怖におののく春子に秋子の足を持たせて絶命寸前の秋子の身体を居間から南側洋間に運び込み、保育園から帰宅する夏子の眼にふれないようにするとともに、自ら床の血痕や失禁の痕を拭い、かつ春子にもこれを拭わせ、夏子が帰宅すると春子に食事の用意をさせて夏子に食べさせ、春子や被告人も一緒に夕食を摂り、その後気分転換と称して春子を強姦し、右強姦行為の最中に帰宅した冬夫に対しては、背中を柳刃包丁で突き刺して動けなくし、苦痛のさ中にいる同人から預金通帳や印鑑のありかを聞き出すや、既に瀕死の状態でいる同人を柳刃包丁でさらに一突きして殺害し、恐怖におびえ、また前記のようにまだ生きていると思い込まされていた祖母の身にさらに危害を加えられることを案じて抗拒不能の状態にある春子を意のままに操り、株式会社○○に案内させ、会社に置いてあった預金通帳や印鑑を持ち出させ、帰途ホテル「ラセーヌ」に立ち寄ってそこで春子と一夜を過ごし、翌朝乙川宅に戻って、目覚めた夏子を柳刃包丁で刺した後、「痛い、痛い。」と苦しみもがく同児を前にして、春子に対し、「妹を楽にさせてやれば。首を絞めるとかいろいろな方法があるだろう。」などと申し向け、警察官が乙川宅に踏み込んできた際には、冷蔵庫の上に置いてあった文化包丁を取って、春子に持たせ、「俺を脅しているように持て。俺逃げるから。」などと言って、あたかも春子が犯人であるかのように仮装し、自らは逃亡を企てたりし、さらに、逮捕された当初、被告人は、警察の取調べに対し、乙川宅での本件各犯行を全面的に否認し、さらには春子とは親しい間柄にある旨述べていることが認められるのである。
以上によってみるならば、被告人は乙川宅において、いささかの躊躇も逡巡もなく前記のような凶悪な犯行を次々に敢行していく中にあって、極めて冷静に行動していること、また四人もの生命を奪ったことについての一片の悔恨の情も感じさせない平然とした態度をとっていたことが窺われるのであって、金品強取に向けて終始冷静かつ執拗に行動するとともに、被害者らが苦しみ、悶える様を目のあたりにしても一向に意に介さない冷酷非道この上ない所業は、とても人間のすることとは思われないというほかないのである。
2 次に、右各犯行の動機についてみると、被告人は、平成四年二月六日ころ、千葉県市川市内にあるスナックのフィリピン人ホステスを同店関係者に無断で連れ出し、被告人方に宿泊させたことで、同月一二日ころ、暴力団関係者から現金約二〇〇万円の支払いを要求され、この金員を工面するために強姦致傷事件の際に住所等を知った春子の住むマンションに侵入し、金員を窃取しようとしたのが発端であるが、そのような事態は、アルバイト先の甲野一郎商店を辞め、定職に就かず、無為徒食の放埒な生活を送る中で、前記のような身勝手な行動に走った被告人の自ら招いたものであっておよそ同情に値しないというべきである。
乙川宅におけるハナ殺害の動機は、同女に対して預金通帳を差し出すように要求したのに相手がこれに従わずかえって警察に通報しようとしたため、同女を突き飛ばしたところ同女から顔に唾を吐きかけられて憤激したというものであり、これによれば、ハナに対する殺害行為は予め計画されたものではなく、同女が被告人の顔に唾を吐きかけたことによって誘発された偶発的なものと認められるが、しかし、同女は被告人に突き飛ばされて右尺骨及び右脛骨を離開骨折するという重傷を負わされていることを思えば、ハナがせめてもの抵抗として被告人の顔面に唾を吐きかけたのも理解できなくはなく、このことをもって同女が危難を自ら招いたものとのみ評価することはできない。
被告人は、その後、乙川宅にあった柳刃包丁を手許に置いて家人の帰宅を待ち構え、帰宅した順に秋子、冬夫と次々に殺害したのであるが、秋子殺害の動機は、同女が策を用いて外部に通報したりするのではないかと警戒したもの、冬夫殺害の動機は、会社にある預金通帳を取りに行く間に同人が警察に通報等するのをおそれたものであって、これらの殺人は、被害者らの帰宅を待ち構え、既に入手していた刃物を使用し、かつ、前記のとおり明確な目的的行為として遂行されたと認められるところからすれば、もはや偶発的なものということはできず、秋子や冬夫は、何ら被告人に逆らわず、むしろ積極的に被告人の要求に応じようとする態度に出たのに、全く無抵抗の状態のまま背後から刃物で刺されて、平和と安らぎの場である筈の自宅内で、理不尽にもその生命を奪われてしまったのである。
夏子殺害の動機も同児が目を覚まして泣き叫ぶことで前夜来の犯行が露見することをおそれ、口封じのために行ったものであるが、同児は既に前夜被告人とともに食事をするなどして被告人と知り合っていたのであるから、翌朝被告人を見かけたからといっていきなり泣いたり騒いだりすることは予想されず、また、ハナ、秋子、冬夫の遺体は夏子の目に簡単にふれるような位置、状況になかったし、その場に春子もいたのであるから、夏子が泣き出したり騒いだりするのを防止する手だてはいくらでもあったと思われるのに、目を覚まし被告人に背を向けて上半身起き上がった夏子の背後からいきなり柳刃包丁でその胸を刺し貫いて死亡させ、無残にも幼い生命を双葉のうちに摘み取ってしまったのは、いかにも不憫で無意味な所業というほかなく、誠に言語道断である。
このように、右各犯行は短絡的、自己中心的で、およそ自分の意に沿わないような行動をとる者やその可能性のある者に対しては、卑劣にもその背後から呵責無く攻撃し、生命すらも躊躇なく奪うという酷薄なものであって、そこには人の生命や尊厳に対するいささかの畏敬の念をも見い出すことができない。
3 さらに、乙川一家に対する犯行の結果は、回復不可能なあまりにも重大かつ深刻なものであり、殺害されたハナ、秋子、冬夫、夏子の無念の思いは察するに余りあるといわなければならない。
本件犯行までの乙川一家は、秋子が前夫と離婚後女手一つで春子を育て上げ、フリーのカメラマンを始めたころ、同じフリーのカメラマンをしていた冬夫と知り合い、両名は、昭和六二年三月に結婚し、雑誌の出版、編集等を目的とする株式会社○○を設立し、秋子が代表取締役、冬夫が取締役となってともにその経営にあたる一方、家庭においては秋子の連れ子の春子と冬夫・秋子間にできた夏子を養育していたものであり、八三歳のハナは冬夫の実母として子や孫と同居して余生を過ごしており、春子の妹夏子は、市川市内の保育園に通園するいたいけな四歳の幼児であり、高校一年生の春子はクラスの副委員長をしたり、演劇部や美術部で活動をし、将来は美術関係の大学に進学を夢見るごく普通の女子高校生であって、慎ましくも平穏な暮らしを営む家庭であり、本来であれば、春子、夏子の成長を暖かく見守り、会社の経営を盛り立てて、平穏に生活できた筈であるにもかかわらず、一家五人のうち春子を除く四人までもが被告人の凶行によって恐怖、驚愕、無念のうちに非業の死を余儀なくされ、その間強取された金品も、現金は合計約三四万円、預金通帳等合計九冊の額面合計は約四二四万円余りと多額に上り、見ず知らずの男に自宅に侵入され、一方的に背後から刺突されて生命を奪われた幼児夏子やその母秋子の無念さ、当初の攻撃により致命傷を受けておりながら、再度の攻撃に身を晒されて非業の死を遂げた一家の主人である冬夫の苦痛、仰向けに倒れた体の上に馬乗りされ、電気コードで無惨にも頸を絞められて殺害された祖母ハナの無念、通り魔ともいうべき被告人の獣欲の犠牲に供されて凌辱され、さらには家族に対する一連の酸鼻を極めた凄惨な殺戮現場の中で、長時間にわたって、被告人の一挙一動に肝を潰し、神経を擦り減らし、泣訴哀願して幸いにも一命をとりとめた春子の身も凍るような恐怖と戦慄は、筆舌に尽くしがたく、その精神的衝撃は察するに余りあるものといわなければならない。現に春子は、犯行から一年五か月を経た期日外尋問の際にも「他の人が手に包丁を持ったまま振り向いたりすると、刺されるんじゃないかと思って恐怖を感じるし、夜は、ほとんど一人では出掛けなくなった。」などと述べてその一端を窺わせる供述をしている程であり、捜査、公判を通じて被告人に対し極刑を望む心情を吐露しているのであって、家族全員を奪われた春子の被害感情、処罰感情の峻烈さは十分に理解できるところである。また、平穏な家庭に入り込み、これを一夜にして破壊し尽くした本件犯行が社会に与えた衝撃は計り知れない程大きいものがあるというべきである。
四 本件各犯行に至るまでの被告人の生育歴、行動をみると、被告人は、小学校の高学年のころから中学生のころまでは、父親の遊興、事業の失敗で、暴力団から追いかけられるようになり、親子はその間、身をやつして転居し、小学校も三回にわたって転校を余儀なくされ、父母の離婚に伴う改姓などにより心ない仲間から「片親」と揶揄されていじめられ、爾来落ちつかない生活を送ったという劣悪な家庭環境におかれ、そのために不遇感を抱いて育ったと認められるものの、被告人と同様の環境に育った実弟が特段の問題行動を起こしていないことを考えると、かかかる環境的負因を被告人について特に重視することはできない。平成元年五月、他校生に乱暴し、金銭を要求するなどしたことを契機に高校を二年で中退した後の被告人は、家庭内暴力がひどくなり、転職を繰り返し、折角稼働するようになった祖父の店も、精勤したとはいえず、かえって、祖父に対しては、平成二年一月に祖父方に赴き、就寝中の同人の顔面等を足蹴りするなどして同人に水晶体脱臼、硝子体出血の重傷を負わせ、その視力のほとんどを失わせたばかりか、平成四年一月にも被告人からの危害をさけるため、店舗内で寝泊まりしていた祖父のもとに店の窓ガラスを割って侵入した上、就寝中の同人を起こして現金一一〇万円などを奪い取るなどしているのであって、その放埒な女性関係を含め、行状は甚だ芳しくない。
五 これに対し、被告人は、犯行時一九歳、現在でも二一歳の若年であり、その人格に改善更生の余地が全くないとまではいえないこと、現在では一応反省の態度を示し、殺害した被害者の冥福を祈っていることに加え、被告人の実母が、同女との接触を拒否している乙川春子を除く他の被害者に対する関係では、いずれも誠意ある謝罪をした上、所有するマンションを売却するなど可能な限りの方法で資金を作り、判示第一の傷害事件の被害者鈴木四郎に対しては金四五万円を支払って示談を遂げてその宥恕を得、判示第二の傷害及び強姦事件の被害者丙山花子に対しては金一五五万八四七五円を支払って同様に示談を成立させ、判示第四の傷害及び恐喝事件の被害者佐藤五郎に対しては、未だ示談成立に至らないものの、治療費、休業損、慰謝料の内金として金五〇万円を現金書留郵便で送付し、判示第五の傷害及び窃盗事件の被害者田中六郎に対しても、佐藤に対するのと同様に、損害金として合計金五〇万円を送付するなどして被害弁償に努め、乙川一家に対する関係でも、その菩提寺に墓参の上、供養のための喜捨をするなどして被害者の冥福を祈っていることが認められる。
六 ところで、本件各犯行の罪質、態様、犯行に至る経緯、被告人の性格等に照らして検察官は死刑を求刑するのに対し、弁護人らは、死刑が人の生命を奪う極刑であり、その適用に当たっては被告人のために酌みうる諸事情を充分考慮に入れるべきであるのは勿論のこと、被告人のような可塑性に富む若年者に対する極刑の適用は特に慎重であるべきであって、死刑廃止はいまや世界的な趨勢になっていることをみれば、犯行時少年であり、その人格に改善更生の余地が認められる被告人に対しては、少年の健全な育成を期し、少年の性格の矯正と環境調整を目的にかかげ、一八歳未満の者の犯した犯罪について死刑の適用を禁止している少年法や同様の規定を有する児童の権利条約の精神などに照らしても、死刑を科すべきではない旨を主張する。
確かに、国際的にみると、それぞれの国の歴史的、政治的、社会的、文化的その他の諸事情から、現在死刑制度を採用していない国が多くあり、我が国においても一部に根強い死刑反対論があることは弁護人らの指摘するとおりであるが、一方において、殺人行為をいかに反復累行しても当該殺人者の生命だけは法律上予め保証される結果となる死刑廃止に対して、多くの国民が素朴な疑問を抱いていることも、累次の世論調査の結果等が示しているところである。
いずれにしても、死刑が人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、まことにやむをえない場合における究極の刑罰であることに鑑みると、死刑制度を存置する現行法制のもとにおいても、その適用が慎重に行われなければならないことはいうまでもなく、実際にも、過去数十年の間、我が国において、死刑の適用が極めて抑制的になされてきたことは周知のとおりである。
しかしながら、人の生命が無二、至尊でかけがえのないものであるが故に、多数の者の生命を故なく奪ったことの責任を自己のかけがえのない生命で償うほかない場合も絶無でなく、この理は年長少年に関しても基本的に異なるものでない。さればこそ、少年についても、犯行の罪質、動機、態様、殊に殺害の手段方法の執拗性、残虐性、結果の重大性、殊に殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪質が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められる場合には、なお、死刑の選択も許されると解されているのである(最高裁判所昭和五八年七月八日第二小法廷判決・刑集三七巻六号六〇九頁、なお、同平成五年九月二一日第三小法廷判決・裁判集刑事二六二号四二一頁参照)。
そこで、以上のような見地にたって、被告人の情状を検討すると、既にみてきたように、本件強盗殺人等事件は、電気コードで頸部を絞め付け、或いはその家族の眼前で、柳刃包丁で刺突し殺害するなど犯行態様は残虐、冷酷であること、金目当てに、被告人とは何の関係もなく、何の落ち度もない四人もの尊い生命を理不尽にも奪うという誠に身勝手な動機に出たものであること、その結果も極めて重大かつ深刻であること、遺族の被害感情は峻烈で、被告人の極刑を望んでいること、一家四人を皆殺しにするという類稀なる凶悪事犯であり、社会的影響も甚大であること、被告人は、本件強盗殺人等事件以外にも、傷害、強姦、恐喝、窃盗など多数の犯行に及んでおり、被告人の凶暴性、反社会的性格は顕著であることなどに鑑みると、被告人の刑責は誠に重大というほかなく、被告人の年齢についても、犯行時少年であったとはいえ、本件強盗殺人事件を敢行したときは、一九歳の年長少年であって、身体的には十分発育を遂げ、知能も中位を保持し、既に婚姻をし、民法上は成年に達したものとみなされる立場にあった上、母親の援助を受けながらも職業に就いて自立し、ある程度の社会経験を積んでおり、酒、煙草を常用するなど生活習慣は成人と変わるところがないことを考慮すると、前述したような被告人のために酌みうる諸事情を十分考慮に入れ、併せて死刑の重大性にさらに思いを致してみても、被告人に対しては、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、偶発的犯行と認められるハナに対する強盗殺人罪については別として、秋子、冬夫に対する強盗殺人罪及び夏子に対する殺人罪に関し、極刑をもって臨まざるをえない。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官神作良二 裁判官井上豊 裁判官見目明夫)