千葉地方裁判所 平成5年(行ウ)14号 判決 1997年2月19日
千葉県習志野市東習志野六丁目九番三五号
原告
青木立治
右訴訟代理人弁護士
藤野善夫
同
守川幸男
同
小林幸也
同
羽賀宏明
千葉市花見川区武石町一丁目五二〇番地
被告
千葉西税務署長 小林孝雄
右指定代理人
竹村彰
同
田部井敏雄
同
吉原宏
同
浅野良一
同
北川侑司
同
神谷信茂
同
笹崎好一郎
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が平成三年二月二八日付けでした原告の昭和六二年分以降の所得税の青色申告の承認の取消処分を取り消す。
被告がいずれも平成三年二月二八日付けでした、原告の昭和六二年分の所得税の更正のうち課税総所得金額五四万七〇〇〇円、納付すべき税額五万七三〇〇円を超える部分、同昭和六三年分の所得税の更正のうち課税総所得金額一六六万八〇〇〇円、納付すべき税額一六万六八〇〇円を超える部分並びに同平成元年分の所得税の更正のうち課税総所得金額二二七万一〇〇〇円、納付すべき税額二二万七一〇〇円を超える部分及び同年分の所得税の過少申告加算税賦課決定(ただし、いずれも平成五年四月二八日付け審査裁決により一部取り消された後のもの)をいずれも取り消す。
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 原告は、肩書住所において板金溶接業を営み、所得税の確定申告費を青色の申告書により提出することにつき被告の承認を受けていた者(以下「青色申告者」という。)であり、昭和六二年~平成元年分(以下「本件各年分」という。)の所得税について、青色申告書により確定申告をしていた。
原告は昭和五一年から約一三年間被告による所得税の調査を受けていなかった。
2 確定申告及び処分等の経緯
(一) 原告は、被告に対し、昭和六二年~平成元年分の所得税について、いずれも法定申告期限内に青色申告書により、昭和六二年分は総所得金額一八九万九二五九円、納付すべき税額五万七三〇〇円、昭和六三年分は総所得金額二五四万四二八八円、納付すべき税額一三万九九〇〇円、平成元年分は総所得金額三二七万五八八〇円、納付すべき税額一九万八五〇〇円とする各確定申告をした。
(二) 被告は、平成三年二月二八日付けで原告に対し、所得税法一五〇条一項一号の規定に該当するとの理由で原告の昭和六二年分以降の所得税の青色申告の承認を取り消す旨の処分(以下「本件青色申告承認取消処分」という。)をするとともに、同日付けで、原告の昭和六二年分の所得税について、総所得金額五五二万〇八四六円、納付すべき税額六一万一三〇〇円とする更正(以下「本件更正<1>」という。)及び加算税額を四万四〇〇〇円とする過少申告加算税賦課決定(以下「本件決定<1>」という。)、同昭和六三年分の所得税について、総所得金額五八三万九三〇六円、納付すべき税額六三万八八〇〇円とする更正(以下「本件更正<2>」という。)及び加算税額を三万八〇〇〇円とする過少申告加算税賦課決定(以下「本件決定<2>」という。)、同平成元年分の所得税について、総所得金額六〇六万三五一七円、納付すべき税額六五万四六〇〇円とする更正(以下「本件更正<3>」という。)及び加算税額を三万三〇〇〇円とする過少申告加算税賦課決定(以下「本件決定<3>」という。)の各処分をした。
(三) 原告は、平成三年四月二五日被告に対し、右(二)の各処分について異議申立てをしたが、被告は同年七月九日付けで右異議申立てを棄却する旨の決定をした。原告は、同年八月二日国税不服審判所長に対し、右(二)の各処分について審査請求をした。
同所長は、平成五年四月二八日付けで、本件更正<1>のうち総所得金額二八九万八一〇二円、課税総所得額一五四万六〇〇〇円、納付すべき税額一六万二三〇〇円を超える部分及び本件決定<1>を取り消し、本件更正<2>のうち総所得金額三九一万二五七一円、課税総所得額二七六万八〇〇〇円、納付すべき税額二七万六八〇〇円を超える部分及び本件決定<2>を取り消し、本件更正<3>のうち総所得金額四六六万一四五一円、課税総所得額三三七万一〇〇〇円、納付すべき税額三七万四二〇〇円を超える部分及び本件決定<3>のうち加算税額五〇〇〇円を超える部分を取り消し、その余の請求を棄却する旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をした(以下、本件裁決により一部取り消された後の本件更正<1>~<3>を「本件各更正」といい、本件裁決により一部取り消された後の本件決定<3>を「本件決定」という。)
(四) 原告の本件各年分の総収入金額及び必要経費の額(ただし、青色専従者給与額を除く。)は次のとおりである。
<1> 昭和六二年
総収入金額 一〇五〇万八三五九円
必要経費の額 七〇一万〇二五七円
<2> 昭和六三年
総収入金額 一二五九万三一四五円
必要経費の額 八〇八万〇五七四円
<3> 平成元年
総収入金額 一四二七万七五六九円
必要経費の額 八八一万六一一八円
3 税務調査の経緯
(一) 被告の担当職員森脇浩(以下「森脇調査官」という。)は、平成二年(以下、同年については年の記載を省略する。)九月二一日午後二時ころ原告宅を訪れ、玄関のインターホンを通して原告に所得税の税務調査(以下単に「調査」ともいう。)に来た旨伝えた。その際、原告が同調査官に対し腰が痛くて休んでいるので後日にして欲しい旨頼んだところ、同調査官は調査日を同月二六日午前一〇時にする旨告げて帰った。
(二) その後、原告の妻である青木洋子(以下「洋子」という。)から森脇調査官に、月末は納期の関係で忙しいので調査日を一〇月に延期してほしい旨の電話があり、同調査官は調査期日を一〇月一一日午前一〇時とすることを了承した。
(三) 森脇調査官は、一〇月一一日午前一〇時ころ原告宅を訪れ、洋子に案内されて玄関脇の六畳の居間に入ったところ、原告及び洋子の外四名、合計六名の者がいた。
森脇調査官は、原告に身分証明書を提示し、原告夫妻以外の同席者が誰かを原告に尋ねたところ、同席者のうち一人が原田という名であることを述べた。同調査官は右原田らの退席を求めた。しかし、原告は原田らは自分の仲間であり、自分が呼んだのだから守秘義務に触れない、具体的な調査理由を言わなければ調査には応じないと言い、原田文夫(以下「原田」という。)は国会答弁でも立会人を認めているということを言った。
森脇調査官と原告らとのやりとりが二〇分くらい続いたころ、部屋のどこかで「カチャッ」というテープレコーダーの機械音がしたため、森脇調査官が原告に「録音しているのですか」と聞いた。これに対して、原告は、「何を言うか分からないから、記録に残すため録音している」と、これまでの応答内容を録音していたことを認める答えをしたため、同調査官は、調査に無用なあつれきを生じ守秘義務にも抵触しかねないことから、テープレコーダーの停止を強く申し入れた。洋子も「止めてあげたら」と原告にテープレコーダーの停止を促した(その後原告が右要請を聞き入れず録音機を最後まで作動させたか争いがある。)
その後も森脇調査官は、原告夫婦以外の者の退席を求め、調査に協力が得られなければ税務署が独自に調査を進める旨述べた。
森脇調査官は、結局、税務調査をせず午前一〇時五〇分ころ原告宅を退去した。
(四) 森脇調査官は翌一二日午前中原告宅に電話したところ、洋子が電話を受けた。同調査官は、洋子に、立会人のいないところで帳簿書類等の調査ができない限り青色申告の承認が取り消されることになるが、それでも良いかと伝えた(このほかの電話のやりとりは争いがある)。
(五) 被告は原告の取引先に対し取引内容の照会をした。
(六) 原告と原田は一一月二日千葉西税務署(以下単に「税務署」という。)を訪ね、森脇調査官と上司である工藤澄雅統括国税調査官(以下「工藤統括官」という。)が対応した。森脇調査官と工藤統括官は立会人がいては調査ができない旨述べた。
(七) 原告は、同月八日午前一〇時ころ森脇調査官に電話をし、同月一三日か一五日のいずれかの日に調査に臨場してほしい旨申し出た。これに対し同調査官は、「立会人がいる状況では前回と同様に調査は実施できないので、立会人のいないところで調査できるのであれば伺いましょう」と述べ、調査日時を原告が申し出た同月一五日午後一時とすることを了承した(このとき原告が立会人のいないところで調査に協力する旨回答したか否か争いがある。)。
(八) 森脇調査官は同月一五日午後原告宅を訪れ、洋子がこれに対応した(この日の訪問の状況について争いがある。)
(九) 原告は、平成三年二月一日ころ税務署に電話し、その後の調査について尋ねた。
(十) 原告と原田は、同月五日午後四時ころ税務署を訪れ、森脇調査官と工藤統括官に面会した。
(十一) 森脇調査官は、原告の取引先に対する調査結果に基づき、本件各年分の所得金額を推計により算出した。
(十二) 森脇調査官は、同月一六日原告に電話をし、調査の結果を説明する旨述べた。
(十三) 同月二一日(被告の主張)か二二日(原告の主張)の午後三時ころ、原告と洋子が税務署を訪れ、森脇調査官は調査に基づき推計した所得金額及び税額を原告に示した。原告は、算出根拠の説明を求め、午後六時ころまで帰らなかった。
二 被告の主張
1 本件青色申告承認取消処分の適法性
原告は、森脇調査官が第三者の立会いを認めないことを理由に、本件各年分の帳簿書類の提示を拒否し、同調査官の再三にわたる調査協力要請にもかかわらず、第三者の立会いを要求し続け、帳簿書類を一切提示しなかった。所得税法一四八条一項に定める帳簿書類の備付け等の義務には青色申告者が帳簿書類の備付け等を正しく行っているか否か調査により確認できる状況にしておくべき義務が含まれる。そして、税務調査官には、調査に当たり第三者の立会いを認めるか否か、社会通念上相当と認められる範囲内で合理的な選択の裁量が認められる。森脇調査官はその合理的裁量判断に基づいて第三者の立会いを認めなかったものであるから、それにもかかわらず原告が立会人の同席に固執したことは、いわれなく帳簿書類の提示を拒否したものというべきであり、右のような原告の行為は、所得税法一五〇条一項一号の取消事由に該当する。
なお、森脇調査官は、八千代市大和田二七〇番地三で建築板金工事請負業を営む市原茂(以下「市原」という。)の税務調査において、伊原孝男(以下「伊原」という。)が市原の記帳補助者であるという申立てを受け、その確認のために伊原の暫時の同席を認めたが、記帳補助者としての実体がないと判明した時点で伊原の同席の下での調査を中止した。本件においては、原田らが原告の記帳を手伝ったいたとの原告からの申立てもなく、市原に対する調査の状況とは全く異なる。
2 本件各更正及び本件決定の適法性
本件裁決により一部取り消された後の本件各年分の原告の総所得金額、課税総所得金額及び納付すべき税額等は、以下のとおりである。青色申告の承認の取消しに伴い、所得税法五七条三項一号イ(ただし、昭和六三年分以前については昭和六三年法律第一〇九号に基づく改正前の規定)に基づき昭和六二年及び同六三年分について六〇万円、平成元年分について八〇万円の白色事業専従者控除をして総所得金額を算出し、それぞれ確定申告と同額の所得控除額を差し引いて課税総所得金額が算出される。
(一) 昭和六二年
<1> 総収入金額 一〇五〇万八三五九円
<2> 必要経費額 七〇一万〇二五七円
<3> 減算金額 六〇万円
<4> 総所得金額(<1>-<2>-<3>) 二八九万八一〇二円
<5> 所得控除額 一三五万一四六〇円
<6> 課税総所得金額(<4>-<5>) 一五四万六〇〇〇円
<7> 納付すべき税額 一六万二三〇〇円
(二) 昭和六三年
<1> 総収入金額 一二五九万三一四五円
<2> 必要経費額 八〇八万〇五七四円
<3> 減算金額 六〇万円
<4> 総所得金額(<1>-<2>-<3>) 三九一万二五七一円
<5> 所得控除額 一一四万四四〇〇円
<6> 課税総所得金額(<4>-<5>) 二七六万八〇〇〇円
<7> 納付すべき税額 二七万六八〇〇円
(三) 平成元年
<1> 総収入金額 一四二七万七五六九円
<2> 必要経費額 八八一万六一一八円
<3> 減算金額 八〇万円
<4> 総所得金額(<1>-<2>-<3>) 四六六万一四五一円
<5> 所得控除額 一二九万〇〇二〇円
<6> 課税総所得金額(<4>-<5>に基づき算出) 三三七万一〇〇〇円
<7> 納付すべき税額 三七万四二〇〇円
<8> 過少申告加算税の基礎となる税額 五万円
<9> 過少申告加算税額 五〇〇〇円
三 原告の主張
原告は、所要の帳簿書類を備え付けて、これに事業所得の金額に係る取引を記録し、かつ、右帳簿書類を保存していたものであり、原告に帳簿書類を提示しないという非協力行為はなく、所得税法一五〇条一項一号に該当する事由は存在しない。
納税義務者の帳簿書類の提示拒否の事実の有無は、税務当局の行う調査の全過程を通じて、税務当局側が帳簿の備付状況等を確認するために粘り強い調査努力を行ったにもかかわらず、その確認を行うことができなかった場合に、帳簿書類の不提示があったと判断すべきである。森脇調査官は、一〇月一一日の調査において、当該調査に支障のない第三者の立会いに拘泥して帳簿等の調査をせずに立ち去り、一一月一五日の調査においては、原告宅に上がることもせず「人の気配がするから」といって、原告が玄関口まで帳簿書類を持ち出して調査を促しても一瞥もせず一方的に調査を放棄し、原告宅を立ち去った。このような森脇調査官の調査放棄は、帳簿書類を確認するための粘り強い調査努力を怠るものであり、原告に帳簿書類の不提示があったと認めることはできない。
また、税務調査に際して税務調査官に第三者の立会いを認めるか否かの裁量が認められるとしても、森脇調査官は、原告に対する調査の場合と市原に対する調査の場合とで第三者の立会いを認めるか否かにつき差別的な取扱いをしており、右の裁量につき社会通念上相当の範囲を逸脱した違法がある。
四 争点
1 原告に対する税務調査の経緯
2 本件青色申告承認取消処分の適法性
第三争点に対する判断
一 原告に対する税務調査の経緯
証拠(甲二、三、九の1~12、一〇、一一、一二の1・2、一三、一四、一五の1~3、一六、二〇の1~8、二一~二三、乙七~一一、証人森脇、同原田、同伊原、原告本人)及び前示第二の一の事実を総合すれば、本件各年分の税務調査の経緯について以下のとおり認めることができる。
1 九月二一日
森脇調査官は、工藤統括官の指示により、原告に事前の通知をせず、九月二一日午後二時ころ原告宅を訪れ、玄関のインターホンを通して原告に対し、同調査官の所属を名乗り、原告の昭和六二年から平成元年分までの所得税の調査に伺った旨を告げた。原告は「今日は腰が痛くて休んでいるので後日にしてほしい」と答えたが、森脇調査官は、事業概況や帳簿書類の作成・保存状況だけでも聞いておきたいと考え、「申告に関する書類はどなたが作成しているのですか」と尋ねたところ、原告は「自分である」と答えたので、さらに「帳簿書類は保存されていますか」と尋ねた。すると、少し興奮した口調で「今日は体の具合が悪くて休んでいるのに、こんな日にまで調査をするのか」という言葉が返ってきたので、同調査官は、事前に税務調査の連絡をしていなかったこともあり、これ以上調査することはできないと考えて、改めて同月二六日午前一〇時に再度調査に伺う旨を告げ、これに対し原告は何も言わなかったので、了承されたものと考えて帰った。
2 九月二一日から同月二六日ころまでの間
原告は、森脇調査官が帰った後原田に電話して、原告宅に税務署の職員が調査に来たことを述べ、九月二六日に再度来るという話だがその日は都合が悪い、どうすればいいか、と相談した。原田は、原告の都合のいい日を打ち合わせればいいと助言し、原告が所属する習志野民主商工会の班の人や知っている人に集まってもらって相談することにした。
原告は、昭和四六年に船橋民主商工会に入り、昭和四九年に習志野民主商工会の独立とともに同会へ移り、その後同会の理事、副会長を経て昭和五八年に会長となり、平成二年まで会長を務め、その後副会長をしている。原田は昭和五四年から同会の事務局長をしている。同人は簿記・会計に関する資格は持っていない。
3 九月二六日ころから一〇月一一日までの間
その後洋子から森脇調査官に、九月末は納期の関係で忙しいので調査日を一〇月に延期してほしい旨の電話があり、その後洋子を介して原告と森脇調査官との日程を打ち合わせ、次回調査の日時を一〇月一一日午前一〇時と決めた。
一〇月初めころ、原告の要請により、原告、原田、習志野民主商工会員の酒本及び高橋、習志野市議会議員の馬場外一名(いずれも税理士の資格を有せず、かつ、原告の帳簿書類の作成に直接関与した者でない。)が原告宅に集まり、税務調査に対する対策を協議し、帳簿書類を用意して調査は普通に受けること及び立会人がいることを問題にされた場合に備えてそれに関する資料を用意しておくことなどを相談した。
この集会において、原田は最近の税務調査では立会いを認めず、立会人がいると帳簿書類を見ないで帰ってしまうという話をしたが、原告自身も、それ以前から税務調査において公務員の守秘義務を理由に第三者の立会いを認めない事例があることを知っていた。しかし、原告は、立会いを認めないのは理由がないことだと考えていた。原告は当日集まった人達に一〇月一一日の調査に立ち会ってくれるように依頼した。
4 一〇月一一日
原告は、一〇月一一日、現金出納簿一冊と「自主申告の計算ノート」三年分を六畳の居間のテーブル(座卓)の上に置き、さらに、調査の内容を録音テープに記録するため、テープレコーダーをあらかじめ準備して森脇調査官の来宅を待った。
森脇調査官は、同日午前一〇時に原告宅に到着し、インターホンで税務調査に来たことを告げ、洋子が同調査官を玄関脇の六畳の居間に案内した。そこには、長方形の座卓の向こう側に原告、入り口から奥の側に原田、馬場、酒本、高橋(ただし、森脇調査官にはそれらがどういう人達であるか分からなかった。)が座っていた。森脇調査官は原告と体面して座り、洋子は同調査官の近くに座った。森脇調査官は、原告を確認すると、身分証明書と質問検査章を提示して、昭和六二年から平成元年分までの所得税の調査に伺った旨告げた後、原告に対し、同席者が誰であるか尋ねた。すると、一人が、自分は習志野民商の原田だと名乗り、他の三名については「言う必要はない」と言ってその氏名等を明らかにさせなかった。
森脇調査官は、原告に対し、調査に関係のない第三者の立会いは税務職員の守秘義務違反のおそれがあって認められないと述べて、原田らを退席させるように申し入れ、それに対し原告は以前の調査では立会いが認められたことを述べた。森脇調査官は、立会人がいると守秘義務に触れるので認められない旨を何度も繰り返した。そこで、原告は、あらかじめ用意していた要望書を読み上げ、原田らは自分の仲間で自分が呼んだのであるから守秘義務に触れることはない等と言った。原田は、以前は立会いを認めて調査が行われていたと言い、さらに、昭和六三年一〇月二七日の日本共産党国会議員団と東京国税局長との話合いで、まず調査をして守秘義務に関するようなことが出てきたらその時に退席してもらえばよいではないかという議員団の意見に同局長がそうだと答えたとして、立会いを認め調査をするよう求めた。
森脇調査官は、原田が習志野民商の原田と名乗ったことと原告が原田らを自分の仲間であると言ったことから、原告が習志野民主商工会の会員であると判断した。同調査官は、原告が帳簿書類は自分が作成している旨答えていたことや原田らについて記帳を手伝ってもらっているという申立てもなかったので、調査に入れば質問検査の内容が取引の相手に及び、第三者の立会いの下では公務員に課せられた守秘義務に抵触することになると考え、立会いは認められないので退席していただきたいと繰り返し言い、原告に対し、調査に関係のない人を退席させるよう説得を続けた。
このようなやりとりが二〇分くらい続いたころ、原告が作動させていたテープレコーダーの「カチャッ」という機械音がしたため、森脇調査官は、原告に録音していたことを確認の後、原告に対しテープレコーダーを切るように強く申し入れ、洋子も「止めてあげたら」と言った。しかし、原告は、何も言わず、同調査官にテープレコーダーの状態を確認させることもしなかった(この点、あらかじめ調査の内容を録音しようと準備していた者が、三〇分足らずで録音が終了するような状態にしておいたとは考えにくい。)。
森脇調査官は、テーブルの上に二、三冊のノートのようなものが置いてあることは認識していたが、それ以外の帳簿書類等が室内に用意されていたという認識はない。同調査官が座った脇に箱のようなものはなかった。原告は、「帳簿は目の前に出してあるのだから見たらどうだ」などと言うだけで、原田らを退席させようとはしなかったので、森脇調査官は、目にしたノートのようなものの分量から、昭和六二年~平成元年の三年分の帳簿書類としては少ないと判断したが、それらを手に取ったり、中を見ることはしなかった。
このような状態が続いたことから、森脇調査官は、このような状況では原告の帳簿書類について調査をすることができないと判断し、このままでは税務署独自の調査をせざるを得ない旨を原告に述べたが、原告は、反面調査など許さない、誰の承諾を得てやるんだなどと述べて反発した。
森脇調査官は、これ以上説得しても調査の進展は望めないと考え、午前一〇時五〇分ころ原告宅を辞退し、税務署に戻って、工藤統括官に原告宅における調査の状況を報告し、同統括官の指示に基づき、手元の資料から知り得る範囲で原告の取引先に対する調査依頼書を作成し、反面調査の準備をした。
5 一〇月一二日から一一月二日までの間
森脇調査官は、一〇月一二日午前九時三〇分ころ原告宅に電話をし、洋子がこの電話に出た。森脇調査官は、調査に伺ったが調査に応じてもらえないので独自の調査をすること、立会人のいないところで帳簿書類等の調査ができない限り、青色申告の承認が取り消されることになることを伝えたが、洋子は、帳簿書類は用意してあるのに見なかったのは森脇調査官であり、立会人がいないところでは調査に応じられない旨答え、前日の調査の際の原告の発言と同様の返事であった。
原告は、一〇月中旬過ぎころ、取引先から税務署の調査照会が来ていることを知らされた。また、原田は、同月末ころ習志野民主商工会の事務所で行われた打合会で、当時千葉建一般労働組合佐倉八千代支部書記長をしていた伊原から、自分が立ち会っている中で森脇調査官が税務調査を行ったという話を聞いた。
なお、市原に対する税務調査の状況は次のとおりである。
森脇調査官は、一〇月一七日午前九時五〇分ころ税務調査の目的で市原の自宅を訪問し、約二時間余り在宅した。同調査官は、調査に先立ち、市原の妻以外に伊原が同席していたので、調査に関係のない第三者の立会いは認められない旨を告げた。すると、市原は、平成元年に青色申告を始めたときから伊原には申告の手伝いをしてもらっていると述べ、同人の妻も同様のことを述べた。また、伊原も、市原の記帳の手伝いをしているから立会いを認めてほしいと言った。そこで、森脇調査官は、差し当たりそれ以上伊原の退席を要求せず、市原に平成元年分の事業の概況や帳簿書類の作成状況について説明を求めた。説明を聞くうち、同調査官は、伊原が市原に帳簿の記帳方法を指導している程度であることが分かってきたので、その段階で調査を中止し、市原に対し伊原の立会いの下ではこれ以上の調査はできないことを告げ、改めて市原との間で再度の調査日を同月三〇日と打ち合わせ、同人宅を辞去した。市原は、伊原に対し、同月三〇日の調査については立会いを断った。
6 一一月二日
原告と原田は、一一月二日午後三時過ぎころ、税務署を訪れ、まず、原告が森脇調査官に面会し、同調査官に、八千代の業者については立会人を認めて調査をしたのではないか、承諾なしに反面調査をするとはどういうことだ、などと問いただした。森脇調査官は調査は上司の指示で行っている旨答えたため、原告は、原田と一緒に工藤統括官に面会し、同統括官に、森脇調査官は原告の調査では立会人がいることを理由に用意した資料を見ないで帰ったのに、八千代の業者に立会人を認めて調査をしたこと、森脇調査官は上司の命令でやっていると言ったいると述べて抗議した。工藤統括官は、森脇調査官が立会人を認めて調査をしたという原告の申立てに対し、そのような事実は知らない旨答えた。さらに、原告が反面調査を行ったことを抗議したので、工藤統括官は、立会人がいない状況で調査担当者が必要とする範囲と時間、調査ができなければ調査に協力していることにならない旨繰り返し説明したが、原告は、立会人がいるところであれば帳簿はいつでも見せるというばかりであった。原告と原田は午後四時三〇分ころ税務署から帰った。
7 一一月八日
原告は、一一月八日午前一〇時三〇分ころ税務署に電話し、森脇調査官に同月一三日か一五日のいずれかの日に調査に来てほしいと申し入れた。森脇調査官が、立会人がいる状況では調査できない、立会人のいないところで帳簿調査ができるのであれば伺いましょうと言うと、原告は立会人がいないところで調査に協力すると答えたので、同調査官は同月一五日午後一時原告宅に調査に行くことを原告と打ち合わせた。
8 一一月一五日
一一月一五日午後一時一〇分ころ森脇調査官が原告宅に着き、インターホンで来訪を告げると、洋子が玄関の入口に出て来て、約三〇cmくらいドアを開けた状態で、今来客中であるから少し待ってほしい旨述べた。その時、玄関脇の六畳の居間には原告と原田がいた。原田の靴は右居間から庭に出るテラス(たたき)にあった。右テラスと玄関のドアの外の踏み石とはつながっており、原田の靴があった辺りから右玄関の入口の所までの距離は約二・五mくらいであった。森脇調査官が右玄関のドアが少し開いた状態で入口で待っていると、居間の方から、原告の声で、少しの時間外で待っていて下さい、調査が始まったら上がってきて下さいという話し声が聞こえてきた。同調査官が半歩くらい玄関の外に出て庭の方を見ると、原田が庭先に出ようとするところであった。同調査官は右の人物が原田であることを認識した。原田が居間から出るのを見た後、同調査官は洋子に案内されて居間に入った。
居間には長方形の座卓があり、森脇調査官は右座卓の入口に近い場所に座った。右座卓の上には何も置いてなく、同調査官の目に入る場所に帳簿書類と思われるものはなかった。居間の入口のドアは開いていた。調査のため森脇調査官が洋子の同席の下に原告と少し話をしたころ、原田が突然居間の入口ドアの所に入ってきた。そこで、同調査官は、原告に対し、電話での約束でも立会人は来ないと言ったではないですかと抗議し、原田を退席させた上で帳簿書類の調査を進めたいと申し入れたが、原告は、原田さんだけを立会人として呼んだだけで前回のように他の人は呼んでいない、帳簿を見て行けと同調査官を威圧するような態度で述べ、原田を退席させる姿勢を全く示さなかった。そのため、同調査官は、原告に対し、このような状況では調査できないから帰らせてもらう、この原因は原告にある旨述べ、さらに、今後はこのようなことになるので来訪しない旨及び原告に帳簿書類を提示する意思があるのなら一週間以内に税務署に持参するように告げ、原告宅を辞去した。
森脇調査官が原告宅を出ようとする際、原田は、玄関前の廊下で同調査官の肩に手を掛けて、何で帰るんだ、せっかく来たのに調査をしないとは何事だと言いながら同調査官が帰るのを妨げようとしたので、同調査官が公務執行妨害に当たる旨を述べると、原田は引き下がった。しかし、同調査官が道路に出た後も、原告と原田は無言のまま約一〇分間くらい同調査官の後をつけてきた。
(なお、原告は、同日の状況について、森脇調査官は原告宅に上がることもせず人の気配がするからと言って調査を放棄して帰ってしまった旨主張し、甲三並びに証人原田及び原告本人の供述中には右主張に沿う部分があるが、乙七及び証人森脇の供述と対比して信用できない。)
9 その後の経過
原告は、一二月七日原田と一緒に税務署を訪れ、森脇調査官の原告に対する調査を「差別的・不公平強迫的な調査」であるとし、「納得のいく回答」を求める旨の請願書(甲三)を提出した。
東京地方裁判所に係属していた原告春日博道、被告荒川税務署長間の訴訟において、同裁判所は平成三年一月三一日右原告の請求を認容する判決を言い渡した。
原告は、同年二月一日午後四時四五分ころ森脇調査官に電話をし、その後の調査はどうなっているのか、結果が出ても最後まで争うつもりであるなどと述べて、一方的に電話を切った。
さらに、原告は、同月五日午後四時ころ原田と一緒に税務署を訪れ、森脇調査官に対し、推計や同業者率といった調査により所得金額を算出しても俺は一切認めないなどと述べ、工藤統括官にも同様のことを述べて帰った。
森脇調査官は、原告の取引先に対する調査によって推計した結果について連絡するために、同月一六日午後二時ころ原告宅に電話をした。原告から土曜日のこんな時間に電話するとは何事だと言われたので、森脇調査官は、前日に二回ほど電話をしたが不在であったこと、今日は確定申告の初日で多忙を極めたためこのような時間になった旨を述べた上、原告が今回の調査に協力せず、帳簿書類を提示しなかったことは所得税法一五〇条一項一号に規定する青色申告の承認の取消事由に該当すること及び推計によって算定された所得金額と追加の納付税額を説明し、修正申告されるのであれば同月一八日から二二日までの間に税務署に来てほしい旨を伝えた。これに対し、原告は都合がいい日に行く旨答えた。
原告は、同月二一日午後三時ころ洋子と一緒に税務署を訪れ、工藤統括官と森脇調査官が玄関脇の休養室で対応した。
原告と森脇調査官との間で、青色申告が取り消されるとはどのような根拠に基づくのか、所得金額はどのように算出したのか、という原告の質問とこれに対する応答があり、森脇調査官は、原告に対し、昭和六二年~平成元年分の推計による所得金額及び税額を記載したメモを示した。原告は、これを書き写した後その算出根拠の説明を求めたが、森脇調査官は出せるものはこれだけであると答えるだけに終始した。原告は、算出の根拠を教えてくれるまで帰らない旨述べて帰ろうとしなかったが、工藤統括官の指示で総務課の職員が原告宅に帰宅を促し、午後六時ころ原告と洋子は帰った。
二 本件青色申告承認取消処分の適法性
1 所得税法に規定する青色申告の制度は、納税者が自ら所得金額及び税額を計算し自主的に申告して納税する申告納税制度の下において、適正課税を実現するために不可欠な帳簿の正確な記帳を推進する目的で設けられたものであって、同法一四三条所定の所得を生ずべき業務を行う居住者(以下「納税者」という。)で、適式に帳簿書類を備え付けてこれに取引を忠実に記載し、かつ、これを保存する者について、当該納税者の申請に基づき税務署長が承認するものとされ、その承認を受けた年分以後青色申告書を提出した納税者に対しては、推計課税を認めないなどの課税手続上の特典や事業専従者給与等の必要経費算入など所得金額・税額計算上の種々の特典を与えるものである。右のような青色申告の制度の目的及びこの制度に伴う税法上の種々の特典にかんがみれば、この制度は、青色申告の承認を受けた納税者による帳簿書類の備付け、記録又は保存が正しく行われていることを前提とするとともに、必要があればその点を税務当局において的確に調査・確認できるということが立法上当然の前提とされているものと解される。
したがって、税務署長は、青色申告の承認を受けている納税者が、当該納税者に対する所得税の調査において、正当な理由なく所得税法一四八条一項所定の帳簿書類を調査担当者に提示してする調査に応じないため、帳簿書類の備付け、記録又は保存が正しく行われていることを確認できない場合には、たとえ当時当該納税者の帳簿書類の備付け、記録又は保存が正しく行われていたとしても、同法一五〇条一項一号に定める青色申告承認の取消事由に該当するものとして、当該調査対象年分以降の青色申告の承認を取り消し得るものと解するのが相当である。
そして、税務職員が、納税者の帳簿書類について検査し、所得税の調査をするに当たり、その帳簿書類の作成に直接関与せず、また、記帳について関与した者であるという納税者からの申立てもない第三者について調査の立会いを認めるか否かは、社会通念に照らし相当と認められる限り、当該調査担当職員の合理的な裁量に委ねられているものというべきところ、税務調査の内容は当該納税者の取引の相手方の営業上の秘密事項に及ぶことが少なくないことにかんがみれば、前示一に認定の本体の税務調査(特に一〇月一一日及び一一月一五日の臨場調査)において、森脇調査官が第三者の立会いを認めず、その退席を求めたことは、右の合理的な裁量の範囲を逸脱したものとはいえない。
したがって、右税務調査の際、たとえ原告が昭和六二年~平成元年分の帳簿書類を森脇調査官に提示できるように準備していたとしても、同調査官から第三者を退席させた上で帳簿書類の調査を進めたいと説得されながら、原告がこれに応じないため、同調査官がその合理的な判断に基づいて原告の帳簿書類の調査を打ち切ったと認められる場合には、被告、納税者の帳簿書類を調査担当者に提示してする調査に原告が正当な理由なく応じないため、帳簿書類の備付け、記録又は保存が正しく行われていることを確認できず、所得税法一五〇条一項一号に定める青色申告承認の取消事由に該当するものとして、右規定に基づき、原告に対し青色申告の承認を取り消すことができるというべきである。
そこで、本件の税務調査について右の点を検討する。
2 一〇月一一日の調査について
前示一の2~4の事実によれば、原告は、森脇調査官の臨場調査に備え、原告夫婦以外の第三者の立会いを認めさせること及びこれを拒否された場合に備えて要望書を用意し、かつ、調査担当者の発言を録音するためテープレコーダーを用意するなど、税務調査への対応、特に第三者の立会いの下で調査することを認めさせることについて熱心であり、用意周到な対策を立てていたことが認められる。そして、当日原告夫婦の外原田ら四名の者が森脇調査官の臨場を待ち受けていたが、原田らは、いずれも税理士資格を有せず、また、原告の帳簿書類の作成に直接関与した者ではない。しかも、原田以外には、原告が自分の仲間であるというだけで氏名さえ明らかにしなかった。そうしてみると、右のような状況の下で森脇調査官が原田らの退席を要求し、原告にこれを受け入れる考えがないと判断して原告の帳簿書類の調査に入らなかったことについて、その判断は合理的かつ相当であったといえる。
原告は、森脇調査官は一〇月一七日市原に対する税務調査において第三者たる伊原の立会いを認めて税務調査をしているとし、原告について差別的な取り扱いをすることは裁量の範囲を逸脱するものである旨主張する。
しかし、市原に対する税務調査の状況は前示一の5の認定のとおりであり、原告に対する税務調査において原田らの立会いを認めなかったことが市原に対する税務調査に比べて差別的な取扱いであるということはできない。
3 一一月一五日の調査について
一〇月一一日の調査の後一一月一五日の調査が予定されるまでの経緯及び同日の調査の状況は前示一の5~8に認定のとおりである。
原告は、一一月二日に税務署に来たときは立会人がいるところであれば帳簿はいつでも見せるという態度であったが、同月八日に電話で森脇調査官に再度調査に来てほしいと申し入れたときは立会人がいないところで調査に協力すると言明した。しかし、原告は同月一五日の調査において森脇調査官に原田の立会いを認めさせようと考えていたものであって、原告には一貫して立会人抜きで税務調査に応じるつもりはなかったことが認められる(平成八年六月五日原告本人調書二二丁表~二六丁表)。このように、第三者の立会いを抜きにしては税務調査に応じないという原告の意思は強固であったことが認められるのであって、一一月一五日の調査において、森脇調査官が原告には原田を退席させた上で調査に協力する考えはないと判断して帳簿書類の提示を求めることなく原告宅を辞去したことについて、その判断は合理的かつ相当であったといえる。
4 以上のとおりであるから、所得税法一五〇条一項一号の規定に該当するとしてされた本件青色申告承認取消処分は適法である。
三 本件各更正及び本件決定の適法性
前示第二の一2(四)の事実及び弁論の全趣旨によれば、本件青色申告承認取消処分が適法である以上、本件各更正及び本件決定は適法である。
四 よって、原告の本訴請求はいずれも理由がない。
(裁判長裁判官 石川善則 裁判官 中村俊夫 裁判官 三上孝浩)