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千葉地方裁判所 平成6年(わ)121号 判決 1995年6月08日

裁判所書記官

高橋孝夫

本籍

千葉県木更津市祇園五三一番地

住居

右同

会社役員

長谷川忠治郎

昭和一一年三月一一日生

主文

被告人を懲役二年及び罰金一億八〇〇〇万円に処する。

未決勾留日数中九〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、千葉県木更津市祇園五三一番地(昭和六三年五月四日以前は同市清見台東一丁目二〇番一七号)に居住し、不動産売買を行っていたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、自己の不動産の取引及びその収支を明らかにする帳簿等を作成せず、自己が個人で行った不動産売買であったにもかかわらず、三和産業有限会社などの会社を介在させて同会社らの取引であるかのように装って、取引の事実を秘匿するとともに右不動産取引の売上金を他人名義の預金口座に入金するなどしてその所得を秘匿した上、

第一  昭和六三年分の実際総所得額が一億〇一一一万六九五一円、分離課税による短期譲渡所得額が一億五三二二万〇二五八円、分離課税による長期譲渡所得額が一〇二万二三〇〇円であった(別表1修正損益計算書参照)にもかかわらず、右所得税の納期限である平成元年三月一五日までに同市富士見二丁目七番一八号所在の木更津税務署長に対し、所得税の確定申告書を提出しないで右期限を徒過させ、もって、不正の行為により、同年分の所得税額一億五一五七万六四〇〇円(別表4脱税額計算書参照)を免れ、

第二  平成元年分の実際総所得額が四九六三万六一一六円であった(別表2修正損益計算書参照)にもかかわらず、右所得税の納期限である平成二年三月一五日までに、前記木更津税務署長に対し、所得税の確定申告書を提出しないで右期限を徒過させ、もって、不正の行為により、同年分の所得税額一九四五万三五〇〇円(別表5脱税額計算書参照)を免れ、

第三  平成二年分の実際総所得額が七九四万六一四七円、分離課税による土地等の雑所得額が一〇億六五八八万一一五三円であった(別表3修正損益計算書参照)にもかかわらず、右所得税の納期限である平成三年三月一五日までに、前記木更津税務署長に対し、所得税の確定申告書を提出しないで右期限を徒過させ、もって、不正の行為により、同年分の所得税額六億三七八七万二一〇〇円(別表6脱税額計算書参照)を免れたものである。

(証拠の標目)

括弧内の数字は検察官の請求番号を示す。

判示事実全部について

一  被告人の公判供述、検察官調書(甲58)

一  被告人の大蔵事務官に対する各質問てん末書(以下「大蔵事務官調書」という。乙1、6、9、10、12、18、21、24、29、30)

一  大蔵事務官作成の各調査書(甲5ないし41)、報告書(甲147)

一  佐々木信尊(甲62)、原田幸雄(甲141)、長谷川トシエ(甲169)の各検察官調書

一  登記官作成の各登記簿謄本(甲148、150ないし156、158、159、161ないし163)、履歴事項全部証明書(甲149)、閉鎖した役員欄の用紙謄本(甲157)、閉鎖した目的欄の用紙謄本(甲160)

判示第一、第二の事実について

一  長谷川千佳子(甲61)、石塚三郎(甲63)、渡邊義文(甲64)、白井繁(甲146)の各検察官調書

判示第一の事実について

一  被告人の各検察官調書(乙36、37)、各大蔵事務官調書(乙5、15、17、20、26)

一  清水昭典(甲42)、石毛春太郎(甲43)、原田幸雄(甲44、52)、三宅隼雄(甲49)、濱名寛一(甲50)、渡邊宗治(甲51)、加藤半三(甲60)、在原勇(甲66)、御園利夫(甲69)、長谷川トシエ(甲173、174)の各検察官調書

一  大蔵事務官作成の脱税額計算書(甲2)、各写真撮影報告書(甲48、59)

一  登記官作成の各登記簿謄本(甲45ないし47、53ないし58、70ないし73)

判示第二、第三の事実について

一  被告人の大蔵事務官調書(乙22)

一  中村好昭の検察官調書(甲88)

判示第二の事実について

一  被告人の各検察官調書(乙38ないし41)、各大蔵事務官調書(乙13、19、25)

一  赤池五男(甲74)、杉田實(甲75)、渡邊義文(甲76)、小林喜六(甲82、83)、加藤俊造(甲85)、新井こと朴永基(甲86)、長谷川トシエ(甲176)の各検察官調書

一  大蔵事務官作成の脱税額計算書(甲3)、写真撮影報告書(甲81)

一  登記官作成の各登記簿謄本(甲77ないし80、87)

判示第三の事実について

一  被告人の各検察官調書(乙43ないし47、49)、各大蔵事務官調書(乙1ないし4、6ないし、8、11、14、34)

一  証人伊原大二郎の公判供述

一  中嶋弘好(甲89)、佐々木昭夫(甲97)、佐々木明(甲98)、川口展弘(甲99)、山崎哲夫(甲100)、藤岡大造(甲104)、小川道郎(甲105)、渡邊義文(甲106)、松田實(甲107)、小林喜六(甲109)、渡辺賢(甲110)、在原修(甲111)、加藤半三(甲113)、長谷川照子(甲114)、山口喜代孝(甲119)、内山忠(甲120)、福田佳典(甲121)、斉藤早苗(甲122)、太田キヨエ(甲123)、平松健治(甲126)、花山藤太郎(甲127)、佐々木璋佳(甲130)、渡辺義文(甲132)、原田幸雄(甲134)、福原正彦(甲136)、鈴木榮(甲137)、根緒えみ(甲142)、近藤芳弘(甲145)、長谷川トシエ(甲170ないし172、175、180)の各検察官調書

一  伊原大二郎(甲91)、川名重嘉(甲125)、時田長司(甲128、129)の各大蔵事務官調書

一  大蔵事務官作成の脱税額計算書(甲4)、各写真撮影報告書(甲138)

一  登記官作成の各登記簿謄本(甲115、116、139、140)

一  押収してある売渡承諾書一通(甲182、平成六年押第一四一号の1)、不動産買入承諾書(土地)一通(甲183、同押号の2)、「長浦駅前物件について」と表題の報告書一通(甲184同押号の3)、稟議書一通(甲185、同押号の4)、抵当権設定金銭消貸借契約書一綴写(甲190、同押号の9)、覚書一綴(甲191、同押号の10)、伺い書一通写(甲192、同押号の11)、伺い書一通写(甲193、同押号の12)

(争点についての判断)

第一蔵波物件関係(平成二年分)

一  弁護人の主張

平成二年分の分離課税による土地等の雑所得の一部である、千葉県袖ヶ浦市蔵波字宿畑三番七の土地(地目雑種地、一四三五m2)及び同八番三の土地(地目公衆用道路、三十八m2、以下合わせて「蔵波物件」という。)の譲渡収入とされる緑営不動産株式会社(以下「緑営不動産」という。)に対する売買(以下「本件売買」という。)による代金一三億三六七四万円につき、弁護人は次のように主張し、被告人もこれに副う供述をしている。

1 本件売買の際、被告人は緑営不動産側の契約担当者である同社業務部長伊原大二郎との間で、蔵波物件の接道部分を広げるため、隣接地である在原諒所有の同市蔵波字宿畑一五番一の土地(地目宅地、約一一五m2、以下「在原土地」という。)を被告人側で買収し又は買収交渉をして緑営不動産に取得させることとし、それが不成功の場合は緑営不動産は右売買を解除することができる旨の口頭の特約(以下「本件特約」という。)をしている。したがって、本件売買は、解除条件付ないし買主に条件付解除権を留保した売買、あるいは仮売買であり、それによる所得は平成二年中には被告人に帰属しておらず、その納期限は平成三年三月一五日には到来していない。

2 仮に右各時期に所得が帰属し、納期限が到来していたとしても、本件特約が存在した結果、被告人はそれらの認識を欠いており、解除にならないことが確定してから申告する意図であった。したがって、右所得につき無申告ほ脱犯の故意はなかった。

二  本件売買経過の概略

判示第三事実に関する前掲各証拠によれば次のとおりである。

1 被告人は、平成元年三月に前記三番七の土地を三和産業有限会社(以下「三和産業」という。)名義で売買により取得し(同年六月、一部を公道に接する隣接地である前記八番三の土地と交換)、その後、同物件の買手を探していた。その情報が、木更津信用金庫職員渡辺賢、緑営不動産の親会社である東京湾観光株式会社(以下「東京湾観光」という。)の取締役部長中嶋弘好を経て、緑営不動産業務部長伊原大二郎に伝わり、緑営不動産は東京湾観光のホテル建設用地とするために、蔵波物件の取得を試みることになった。

2 平成二年二月五日、被告人、伊原、中嶋、渡辺及び伊原の部下の佐々木明らが初の会合を持ち、伊原は蔵波物件の購入を申し入れた。

3 同年二月七日、被告人、伊原らは再度交渉し、<1>売買代金は一三億三六七四万円(一坪三〇〇万円)とすること、<2>手付金一億円を同月九日に支払うこと、<3>被告人の要望により法人売買の方式を取ること等を確認した。伊原は緑営不動産代表者名義の「不動産買入承諾書」(甲183)を被告人に提示し、被告人は三和産業代表者長谷川忠治郎名義の「売渡承諾書」(甲182)を伊原に交付した。

4 同年二月九日、右手付金一億円が三和産業預金口座に振り込まれた。

5 同年二月一五日ころ、被告人、伊原らは取引方法について更に交渉し、法人売買の形式は取らず、国土利用計画法上の手続を回避するために、架空の訴訟を起こして裁判上の和解による代物弁済の形式を取ることにした。それとともに、売買契約であることを明らかにしておくために書面を作成することとし、目的物件、代金、支払方法等を記載した同月二一日付「覚書」(甲191)を取り交わした。

6 そのころ、緑営不動産は三和産業に対する架空の貸金請求訴訟を提起し、同年四月四日、被告人らは蔵波物件を代物弁済する旨の裁判上の和解を成立させた。

7 同年四月一〇日、被告人は、緑営不動産から残代金全額を受領して、登記手続に必要な書類を伊原らに交付し、緑営不動産は同日付で代物弁済を原因とする蔵波物件の所有権移転登記手続を了した。

8 緑営不動産側の購入資金は全て親会社である東京湾観光が提供しており、東京湾観光はこの資金を当初は緑営不動産に対する貸付金とし、その後建設仮勘定を経て土地勘定に振り替える経理処理をしている。また、緑営不動産は蔵波物件に対し、債務者を東京湾観光等にする根抵当権を、平成二年一〇月(極度額三億円)と平成四年三月(同一億円)に設定登記している。

被告人は、売買代金を自己及び三和産業名義の預金口座や自ら開設した仮名口座等に預金し、その後、平成二年中に千葉県鴨川市所在の不動産の購入代金の支払い等に充てている。

三  検討(一) 本件特約の効果

右認定のとおり、本件売買は純然たる売買であって、債権担保を目的とするような性質は全く有していない。そして、平成二年四月一〇日には代金全額の授受、所有権移転登記手続が行われているのであるから、被告人の本件売買による権利はこの時点までに確定し、実現もしている。したがって本件売買による所得が右時点で被告人に帰属し、その納期限が平成三年三月一五日であることは明らかである。

仮に、解除条件ないし緑営不動産への解除権留保としての本件特約が存在したとしても、それは、解除という事態が発生した後に、税額の更正手続によって対処すべき問題であって(国税通則法二三条二項、同法施行令六条一項二号、なお更正の期間制限につき同法七〇条、七一条一項二号同法施行令三〇条、二四条五項参照)、本件売買による所得の帰属時期、納期限には何ら影響するものではない。「仮売買」という主張の趣旨は明確でないが、本件特約を所有権移転時期を在原土地の買収終了時とする合意と捉えたとしても、既に被告人は代金全額を平成二年四月に受領し、同年中に自己の用途に利用しているのであるから、所得の帰属時期自体は同年四月と解すべきである。

このように、弁護人の主張は所得の帰属時期、納期限に関する限り失当であるが、本件特約の有無が被告人の故意ないし犯情に影響する余地はあるので、以下更に検討する(平成二年分の所得とされる金額のうち、君津市西坂田二丁目一四番一四号の宅地建物の譲渡による所得について無申告ほ脱犯が成立することに争いがないので、そこから直ちに全所得についてのほ脱犯の故意を肯定する考えもある。)。

四  検討(二) 本件特約の有無

1 被告人の供述及びこれを支持する証人伊原大二郎の証言

(1) 被告人の供述(公判供述、検察官調書(乙46)等)

<1> 二、三回目の交渉の際(乙46では平成二年二月九日手付金振込の少し前)、伊原から入口のない土地は買えないと言われた。自分が責任をもって地上げするから大丈夫であると答えたところ、どうやって責任を取るかと聞かれ、お金を返して白紙にすると答えた。伊原から一筆書いてくれるように言われたが、癇に障る言い方だったので取引してもらわなくてもよいと言った。すると、立ち合っていた渡辺賢が被告人は約束を守る男であり、自分も全面協力すると言ってくれた。伊原も納得し、書面にはせず口約束に止めることになり、その後取引が進展した。

(2) この口約束(本件特約)の中身は、

a 在原土地が買収できた時点で正式売買とし(それまでは仮売買)、できない場合は契約を白紙撤回して、代金全額と蔵波物件とをそれぞれ返還する。

b 買収の時期は早ければ二、三か月後であるが、東京湾横断道路の完成予定時期を念頭に二、三年後を目途とし、値段は一坪三五〇万程度を目安とする。

c 白紙撤回するか否かは緑営不動産側が決める。

というものである。

<3> 本件売買の後、被告人は在原土地の買収交渉に努力していたが、これができないうちに平成四年一二月二日、伊原から地上げの条件は解除する旨の電話があり、この時点で正式売買になったと理解している。

(2) 伊原大二郎の証言

<1> 平成二年二月七日の交渉の際、伊原は、在原土地を購入できないと蔵波物件を購入する価値がないので、責任をもって地上げしてくれるようにしつこく求めた。被告人は責任をもって上げると言い、渡辺賢も自分は在原と親戚なので責任をもって上げますと言った。そして、伊原が、もし上がらなかったらこの商売を白紙に戻してもいいんですかと強く言ったところ、被告人は当然ですと答えた。同月一五日の交渉のときも、この点を確認している。被告人に対して前記「覚書」に記載することを求めたと思うが、被告人が避けて欲しいと言うので、当時売手市場だったこともあって信用することにした。

<2> 本件売買の後、在原土地を買収できないでいるうちに、被告人のところに査察調査が入ったりしたため、平成四年一二月初めころ、上司の佐々木昭夫の指示で、右の口約束を打ち切ることを被告人に電話で伝えた。

2 被告人供述、伊原証言の検討

(1) 蔵波物件は、弁護人指摘のとおり接道部分が少なく、前記三番七の土地の幅数メートルの細長い通路部分が西側公道と接し、前記八番三の土地も数メートルの幅で北側公道と接しているだけである。そのため、ホテル建設用地取得を目的としていた緑営不動産側が、売買交渉前から在原土地を買収する必要があると考えていたことは明らかである(小林喜六の検察官調書(甲109)添付の公図写、「長浦駅前物件について」と表題の報告書(甲184)、前記「不動産買入承諾書」第7条等)。

(2) しかし、被告人らの右各供述には次のような疑問がある。

<1> 被告人らの述べる本件特約は、一三億円以上の巨額の取引の成否ないし解除を左右する重要な合意である。本件売買の過程では、前記「覚書」、「不動産買入承諾書」、「売渡承諾書」のほか、代物弁済を装うための各種書類が作成されている。にもかかわらず、本件特約については単なる口約束で済ませたというのはいかにも不自然である。書面化をしなかった経緯についての被告人と伊原の説明も説得的ではなく、また、必ずしも一致していない。

<2> 本件特約の内容は極めて曖昧で、経営不動産が本件売買を白紙撤回できる要件が定まっていたとは言い難い。

被告人は買収の期限、予定価格について供述しているが(前記1(1)<2>b)、どのような会話を経て決まったのか不明であるし、伊原は価格は定まっていなかったと証言している。また、被告人が供述する程度の簡単な取決めでは、後日、買収が不可能になったか否か、すなわち白紙撤回できるか否かについて争いが生じる恐れは十分にあり、強い態度で臨んだはずの伊原がそのような内容のまま納得したというのは不合理である。

白紙撤回になった場合の代金返還の範囲や方法、その保全策について定められた様子もない。

<3> 平成二年二月七日に被告人に示された緑営不動産代表者名義の「不動産買買入承諾書」は、伊原の証言によれば、事前に緑営不動産側が用意し当日持参したものである。そこでは第7条において、特約条項として在原土地及びその隣の高橋鶴吉所有の土地について、売主三和産業が両所有者に対して土地の売買の斡旋を積極的に促進して行うものとすると定めているに過ぎない。そうすると、同日の交渉前の時点では、緑営不動産側は在原土地について右条項以上のことを被告人に要求する意図はなかったと考えられる(佐々木明の検察官調書(甲98)によれば、佐々木は同日の交渉前に売買契約書案(添付資料三)を作成し、伊原の指示で右第7条と同趣旨の特約条項を挿入している。)。伊原が同日の交渉で白紙撤回まで要求したというのは、こうした流れと整合しない。

また、伊原としては、被告人に右「不動産買入承諾書」を示した以上、仮に本件特約を結んだのであれば、趣旨の異なる第7条をそのまま残しておくのは適当でない。しかし、右条項はその後書面上は何ら変更されていない。

<4> 伊原らが作成した緑営不動産の内部文書(左記abc等)には、「白紙撤回」を可能とする本件特約の存在を示すような記載は全く現われていない。在原土地の買収が重要な問題となっていたことが窺われるにとどまる。一部には反対趣旨にとれる記載もある。

被告人との間では書面にできなかったとしても、伊原が会社の内部文書においても本件特約に言及していないのは不自然である。

a「2月8日、長浦駅前土地購入の件についての打合せ事項」(佐々木明の検察官調書(甲98)添付、佐々木明又は伊原作成、なお、長浦駅前土地とは蔵波物件等をさすものとして用いられている。)

これは、平成二年二月七日の交渉の翌日ころ、交渉の概要報告として作成された書面である。前記二3認定の合意内容は記載されているほか、在原土地に関しては、被告人が、緑営不動産が取得できるよう交渉中であり三か月以内に大丈夫と返事をした旨記載されているにとどまる。

b「伺い書」(平成二年四月二七日付、伊原作成、甲192)

長浦駅前土地購入について、第一段階の購入手続きは終了したが、第二段階として道路入口附近の約三〇坪を買収し全体的な地形を整える交渉が残っており、それについては売主が責任を持って交渉することとなっている云々と記載されている。

c「伺い書」(平成三年二月二日付、伊原作成、甲193)

これは蔵波物件の売却価格を調査した結果の報告であるが、伊原はその中で、購入時の考え方につき、道路入口部分の死地(約一五坪)を買収して地形をよくし、評価を上げると説明し、現状については、同地の買収交渉は継続しているが日時を要す等と説明して、購入時よりも一坪一〇〇万円ほど低い価格を報告している。

<5> その後の在原土地の買収交渉に関する伊原の態度には疑問がある。

伊原証言によれば、「平成二年九月ころ初めて渡辺賢に在原土地の買収交渉について問い合わせたが、あっさりと駄目だと回答され、驚いて被告人に連絡した。問い合わせが決済終了から約五か月後になったのは、ついうっかりしていた。」とのことである。被告人に対する催促もこのときが初めてで、その後も所有者側から打診のあった平成三年一二月ころまで問い合わせていない(後記(3)<1>参照)。在原土地の買収が不可欠であり、それ故に本件特約を結んだという被告人や伊原の言い分と対比すると、伊原のこのような態度は、検察官指摘のとおり、余りに切迫感がないと思われる。

他方、弁護人は、被告人が決済後も在原土地の買収交渉を続けたことは本件特約の存在を裏付けると主張する。確かに、被告人の妻である証人長谷川トシエ、証人在原美和子、証人渡辺賢の買受人証言等によれば、決済後に被告人の側で買収交渉をしていたことは認められる。しかし、途中で在原諒が死亡したことを考慮しても、決して活発なものとはいえず、被告人自身はあまり赴かず妻トシエらに任せている。全面協力する、自分も責任をもつと言ったはずの渡辺賢も積極的に交渉していた訳ではない。右の程度の交渉であれば、在原土地の買収の斡旋を積極的に促進して行うものとするという「不動産買入承諾書」第7条の趣旨に副って交渉したに過ぎないと理解することも十分に可能である。

<6> 緑営不動産側の関係者、すなわち伊原とともに本件売買交渉に同席し、あるいは、上司として伊原から社内で報告を受けて関連する内部処理を行った者(佐々木明、中島弘好、佐々木昭夫、川口展弘、山崎哲夫)は、いずれも検察官調書において本件特約の存在を否定し、蔵波物件の取引は在原土地の買収問題とは別に終了した旨述べている。その内容は、前記社内文書その他の事実関係と符合し、特段不合理な点はない。

一方、本件売買を事実上仲介し、交渉に立ち合った元木更津信用金庫職員の証人渡辺賢は、「伊原が被告人に在原土地の地上げを強く求め、被告人が責任をもつと答え、自分も地上げをする旨言ったように思う。白紙撤回の約束はあっても当然と思う。」と証言している。しかし、その内容は曖昧で、白紙撤回についての具体的なやりとりは全く再現できていないし、同人は検察官調書(甲110)で本件特約の存在を明確に否定している。右証言の信用性は低い。

<7> 伊原は、前記証言をする一方で、蔵波物件の売買が正式な売買であること、代金決済とともに所有権が確定的に緑営不動産に移転したことを肯定し、少なくとも、被告人が述べる在原土地買収時に正式売買とするという認識とは異なる証言をしている。また、伊原は、国税局での初期の事情聴取では、前記「2月8日、長浦駅前土地購入の件について打合せ事項」を引用して供述していながら、本件特約については何も言及していない(平成三年五月二〇日付質問てん末書(甲91))。

(3) 更に、弁護人指摘の各点について検討しておく。

<1> 証人渡辺盛の証言、伊原証言によれば、「在原諒の相続人から在原土地の売却交渉を依頼された在原真也が平成三年一二月ころに緑営不動産と連絡をとった際、伊原は同人に、被告人との約束(渡辺盛が在原真也から聞いたところによれば「買戻しの契約」)があるから被告人と交渉するように答えた。その後、在原真也から更に依頼された渡辺盛が被告人と交渉した。」とのことである。弁護人は、伊原の右対応は本件特約の存在を裏付けていると主張する。

しかし、伊原証言によれば、「上司の佐々木昭夫に報告したところ、在原真也の提示額二億円は高すぎて話にならないが、被告人と口約束があったんだろう、被告人に(価格交渉を)一任したらどうかと指示され、右のような対応をした。佐々木には平成三年四月に口約束の件を伝えてあった。」とのことである。そうすると、このときの伊原の対応については、伊原自身が本件特約を意識して直ちに被告人に交渉を任せたというよりも、相手方の提示額が高すぎたために佐々木の提案で価格交渉について被告人の助力を得ようとしたに過ぎないと考えられる。したがって、必ずしも本件特約を前提としなければ理解できない事項ではない。

<2> 平成四年一二月二日ころ伊原が被告人に電話で本件特約の解消を告げたという点は、被告人、伊原が一致して述べるところである。平成五年三月には、被告人は本件特約とその解消の経過を確認した手紙(甲195)を伊原に送付し、伊原はその内容を了解した旨の返書(甲194)を送付している。

しかし、伊原証言において伊原に本件特約の解消を指示したとされる佐々木昭夫は、検察官調書(甲97)で本件売買と在原土地は無関係であると述べている。右各手紙は、被告人に対する査察調査が始まって相当たってからのものであるし、そのような微妙な局面であったにもかかわらず、伊原は上司に何の相談もせずに返事を出し、その後も報告していない。こうした点からすると、右被告人及び伊原の各供述及び手紙の信憑性は乏しい。

<3> 弁護人は、本件特約の存在及び所有権が確定的に移転していないことを表わす事項として、引渡がない点、伊原が被告人に根抵当権設定の了解を求めた点を指摘するが、その前提事実に疑問がある。

引渡については、確かに境界確認や実測は行われていないが、伊原証言によれば、遅くとも同人が関連会社に異動した平成三年二月以前に一、二度草刈りをして管理したとのことである。根抵当権については、被告人は一回目の設定(平成二年一〇月登記)の際に、事前に伊原から了解を求められたかのような供述をしているが、伊原は平成三年に入って売却価格を検討したときに(前記(2)<4>c参照)、登記簿を見て初めて設定を知ったと証言しており、被告人の右供述は信用できない。

むしろ、本件特約が解消されたという平成四年一二月のかなり前から、緑営不動産側が蔵波物件に抵当権を設定したり、売却を検討したりしていることは、同社関係者が所有権が確定的に移転したと認識していたことを示すものである。

3 まとめ

以上の各点を総合検討すると、本件特約の存在を肯定する前記被告人供述及び伊原証言は、内容的な不自然さ(2(2)<1><2>)、関係証拠によって認められる本件売買前後の伊原を含む緑営不動産側の態度や行動(2(2)<3><4><5>)、その他関係者の反対供述(2(2)<6>)等に照らし、いずれも信用することができない。

平成二年二月七日の交渉等の際、緑営不動産側が在原土地の買収を希望したことは明らかであるが、その際交わされた話は、本件売買の後も、被告人において緑営不動産が在原土地を取得できるよう所有者に働きかけるよう努めるというにとどまり、それ以上に、正式売買を右買収終了時とすることや買収不成功の場合に白紙撤回することなどは合意されていないと認められる。

よって、本件特約の成立は否定すべきである。

五  検討(三) 被告人の犯意

右のとおり本件特約は存在せず、また、被告人が本件特約が結ばれたと誤信するような経過もなかったと認められる。したがって、被告人は本件売買による所得が平成二年中に帰属し、納期限が平成三年三月一五日であることを認識していたものと認める。

そして、関係証拠によれば、<1>被告人が、以前から実体のない会社の名義を使って多数の不動産取引をし、蔵波物件についても実体のない三和物産名義を使って購入、売却したこと、<2>被告人が、右売却代金一三億円余を、いったん三和物産名義の預金口座に入金させ、短期間のうちに有限会社三井商会名義の口座や仮名・借名口座に分散、通過させた上、妻名義口座での預金、自己の借入金の返済、実体のない会社名義での不動産購入に充てたこと等が認められる。このように被告人が自己の収入の捕捉を困難にする行為をしていたことからすると、被告人は、前記納期限における不申告の際に、本件売買による所得について、ほ脱の意図をもっていたことは明らかである。利益が多額であったことなどから右所得については申告するつもりであったという被告人の供述は信用できない。

以上のとおり、被告人は右のような所得秘匿工作をした上で、ほ脱の意図をもって本件売買による所得を申告しなかったのであるから、これについて無申告ほ脱犯が成立することになる。

第二取得費関係(昭和六三年分、平成元年分)

一  弁護人の主張等

弁護人は、検察官計上分に加えて、以下の費用を取得費として控除するべきであると主張し、被告人も公判においてこれに副う供述をしている

(1ないし3は昭和六三年分、4は平成元年分)。

1 木更津市清見台東物件(もと三宅隼雄所有)

車庫、擁壁、門扉等の設置工事費 二〇七八万九一四八円

2 木更津市清見台東物件(もと渡邊宗治所有)

駐車場設置工事費 八六八万円八五五八円

3 木更津市畑沢物件(土地)

追加土地造成工事費 三〇三五万三四八八円

(検察官計上の造成工事の後、洪水による土砂の流出により、二回追加造成工事を行った。)

4 富津市西大和田物件(借地部分)

コンクリート鋪装工事費 九一九万二二一円

(検察官計上のコンクリート鋪装工事費一五〇〇万円はガソリンスタンド周辺のみの分であり、このほかに借地部分全面にわたる鋪装工事費がある。)

二  検討

1 木更津市清見台東物件(もと三宅隼雄所有)

被告人は、大蔵事務官調書(平成四年六月五日付、乙26)において、松本建材の松本正臣に車庫、門扉等の設置工事をしてもらい、三五〇〇万円から三六〇〇万円を払った旨供述していたが、国税当局は、関係者からの事情聴取の結果、松本正臣が被告人が上記物件を取得する前に倒産し所在不明となっていたものと認め、右主張を排斥している(大蔵事務官作成の調査書(甲20)、検察官も同じ見解)。

被告人は公判においても右工事費の支払を供述しているが、被告人が調査段階で提出した上申書(平成四年四月一〇日付、乙60)では、施工業者として松本建材のほか小川産業、佐々木建材の名が上がっており、他方、公判では、施工業者は松本建材の下請業者であると述べ、下請業者の名前、所在地、金額、支払経過等については説明できないなど、その供述は変転し曖昧である。被告人の公判供述では、擁壁の強度が足りないので車庫、門扉、擁壁等を作り直したものの、前のデザインが気に入っていたので、写真を撮っておいて同じ物にしたとのことであるが、この供述は、わざわざ同じデザインにした点、右供述が検察官が前所有者を証人申請する可能性がある旨予告した後になされた点(この点は当裁判所に顕著である。)からして、非常に不自然である。

もっとも、車庫及び門扉周辺の各タイル工事については、右大蔵事務官調書においても伊星タイルに施工させたとされ、この業者からの裏付けも得られており(右調査書)、少なくとも右工事を行った(あるいは加えた)ことは窺われる(検察官も計上)。しかし、公判供述は、タイル工事を含む工事全体を名前の分からない前記下請業者に施工させたかのような内容であって、右調査書と整合しておらず、従前の車庫、門扉等にタイル工事だけを加えたと解することも可能である。

以上によれば、被告人の各供述は信用することができず、弁護人主張の取得費は存在しなかったものと認められる。

なお、大蔵事務官作成の調査書(甲20)では本物件の取得費とされている「車庫代五九万三〇〇〇円」については、金額、取得時期等に照らし、木更津市清見台東物件(もと渡邊宗治所有)上のプレハブ車庫の費用である可能性が高いが(被告人の前記大蔵事務官調書では両物件の取得費が一括して述べられている。)、いずれであっても所得額、脱額に影響はない。

2 木更津市清見台東物件(もと渡邊宗治所有)

被告人は、前記上申書(平成四年四月一〇日付)では駐車場設置費用約九〇〇万円を主張しているが、その後作成された前記大蔵事務官調書では何ら供述されておらず、検察官調書(乙58)でも国税局で述べた以外に費用はない旨述べている。公判供述も施工業者や金額について曖昧であり、裏付けといえるものは存在しない。

被告人の公判供述は信用することができず、弁護人主張の取得費は存在しなかったものと認める。

3 木更津市畑沢物件(土地)

被告人は、大蔵事務官調書(平成四年五月一四日付、乙20)において、検察官計上の当初の造成工事費のほか、昭和五六年と五九年の二回の洪水による土砂流出に伴う追加造成工事を松本建材に行わせ、各三〇〇万円を支出した旨供述している(国税当局はこれを排斥している。)。しかし、公判での主張及び被告人作成の上申書(平成四年四月八日付、乙59)では、二回の追加造成工事の費用は合計約三〇〇〇万円とされ、右大蔵事務官調書との違いが余りにも大きい。洪水や大雨の存在を裏付ける資料もない。

被告人の各供述は信用することができず、弁護人主張の取得費は存在しなかったものと認める。

4 富津市西大和田物件(借地部分)

被告人は、大蔵事務官調書(乙25)で西大和田物件(借地部分)の造成費について供述している。そこでは、砂、砕石、砂利を敷いてコンクリート鋪装を行う工程を図示した上砂利の工程まで松村建材が、コンクリート鋪装は岩堀(建設工業)が行ったとされ、松村建材への現実の支払額は不明としつつも、借地部分全体の面積から必要な土量(ダンプ台数)を算出し単価を乗じて金額を推定し、岩堀に対する支払額は一〇〇〇万円から一五〇〇万円とされている。また、ガソリンタンクについては、契約書に基づき、以上とは別に埋設工事費一五〇〇万円を要したと述べている。

右供述の文面からすれば、岩堀のコンクリート鋪装工事が借地部分全面についての工事であることは明らかである。被告人がガソリンスタンド周辺の鋪装と全面の鋪装とを取り違えて供述したとはおよそ考えられず、被告人からの合理的な説明もない。

被告人の公判供述は信用することができず、弁護人主張の取得費は存在しなかったものと認める。

第三結論

以上のとおり、弁護人の各主張はいずれも採用することができず、本件各証拠により、本件公訴事実のとおりの無申告ほ脱犯の事実を認めたものである。

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも所得税法二三八条一項(罰金の寡額は刑法六条、一〇条により軽い行為時法である平成三年法律第三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条による。)に該当するところ、いずれも所定刑中懲役刑及び罰金刑を選択し、なお、情状により所得税法二三八条二項を適用して各罪についての罰金を免れた所得税の額に相当する金額以下とすることとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第三の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により各罪の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で、被告人を懲役二年及び罰金一億八〇〇〇万円に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中九〇日を右懲役刑に算入し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする(刑法については、平成七年法律第九一号附則二条一項本文により、同法による改正前の規定による。)。

(量刑の理由)

被告人は、昭和六三年から三か年にわたり、八件の不動産売買を中心に多額の所得があったにもかかわらず、全く所得税の申告を行わず、合計八億円余りもの所得税全額をほ脱したものであって、本件は非常に大型の脱税事犯である。ほ脱の主な手段は、自ら設立した実体のない会社をダミーとして介在させて、同会社の不動産取引であるかのように仮装し、更に、自ら開設した仮名・借名の預金口座にその売上を入金するなどしたというもので、被告人の所得秘匿工作は計画的かつ巧妙である。比較的小規模の取引ではあるが袖ヶ浦市野里の土地建物の売買における工作は特に悪質であり、不動産競売によって実質的には被告人が取得して第三者に転売したにもかかわらず、被告人は、競売手続の際に、同行していた知人に印鑑を忘れたなどと言って買受名義人になってもらって落札し、同人名義で転売した上、その後、同人に譲渡益が出ないようにするために、この契約書を破棄して新たに同人からダミー会社、ダミー会社から転買人への各売買契約書を作成している。犯行の動機は単に税金を払わずに投資や蓄財に充てたということであって全く酌量の余地はなく、このような考えから、ダミー会社も含めて全く税務申告をしなかったという犯行態度は大胆というほかにない。

以上によれば、被告人の刑事責任は重く、後記の有利な情状を考慮しても、懲役刑の執行を猶予することは相当でない。

一方、いまだ本税等の納付には至っていないものの、被告人は二〇筆以上の土地等を担保として提供しており、納付される見込みがあること、被告人には昭和五七年の罰金前科以降は前科がないこと、被告人が納税に対する考えに間違いがあったことを自覚して、本件を反省していることなど、酌むべき事情も認められるので、これらの事情を総合考慮した上、主文の刑を定めたものである。

(検察官奥村雅弘、弁護人井上五郎、田邨正義、横井弘明、本田陽一 出席)

(求刑 懲役三年六月及び罰金二億五〇〇〇万円)

(裁判官 半田靖史)

別紙1 修正損益計算書(総括表)

<省略>

別紙2 修正損益計算書(総括表)

<省略>

別紙3 修正損益計算書(総括表)

<省略>

別紙4

脱税額計算書

<省略>

税額の計算

<省略>

別紙5

脱税額計算書

<省略>

税額の計算

<省略>

別紙6

脱税額計算書

<省略>

税額の計算

<省略>

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