大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。
官報全文検索 KANPO.ORG
月額980円・今日から使える・メール通知機能・弁護士に必須
AD

千葉地方裁判所 昭和16年(ワ)8号 判決 1960年4月23日

原告 株式会社厚生社

被告 八幡熊次郎 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一原告の申立ならびに主張

原告訴訟代理人は、「原告に対し、被告等は別紙第一目録記載の土地につき、被告八幡里ゆうは別紙第二目録の土地につき、それぞれ昭和五年一二月一九日出資による所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、

一  別紙目録記載の各土地は、もと木更津市木更津字北片町一二四六番ノ五宅地四〇六坪(以下「本件土地」という。)として一筆の土地であり、被告等の先代亡八幡弥三郎の所有であつたが、昭和二八年八月八日別紙第一、第二目録記載四筆の土地に分筆登記され、昭和三〇年一二月二日弥三郎死亡により被告等が相続し、別紙第二目録記載の各土地については分割により被告八幡里ゆうが、昭和三一年七月一六日千葉地方法務局木更津支局受付第三〇七四号をもつて相続による所有権取得登記を受けたものである。

二  亡八幡弥三郎、被告八幡熊次郎、同八幡里ゆう(以上無限責任社員)、訴外渡辺文吉、同鳥海誠一(以上有限責任社員)の五名は、昭和五年一二月一九日、米穀薪炭木材の売買および回漕業を営むことを目的とする商号八幡合資会社なる合資会社の定款を作成し、弥三郎は本件土地を含む宅地五筆、建物二個、日本形帆船二隻(評価価格合計金一万一〇〇〇円)を現物出資の目的とし、同日会社設立登記を了し、無限責任社員たる弥三郎が業務執行社員に就任して営業を開始するとともに、右現物出資にかかる財産を会社に給付してその出資の履行を了した。すなわち同日本件土地を含む現物出資物件全部の所有権は同会社が取得したのである。

三  しかして昭和一二年四月二八日訴外栗原きみが無限責任社員、同栗原義重が有限責任社員として同会社に入社し、同日被告熊次郎、同里ゆう、訴外鳥海誠一が、同月三〇日弥三郎および訴外渡辺文吉が、それぞれ総社員の同意により退社し、栗原きみが業務執行社員に就任するとともに、定款を変更して新商号を合資会社松川と、営業の目的を動産および不動産の売買ならびに宿屋営業に改め、同年五月三日その旨の登記を完了したが、当時会社は弥三郎に対し同人の現物出資にかかる財産のうち本社土地を除く不動産および船舶ならびに会社所有の馬匹馬車全部を代金一万三五〇〇円で売り渡すとともに、右代金のうち金一万一〇〇〇円をもつて同人に対する持分払戻金に充当した。

四  合資会社松川は昭和一五年六月一七日厚生企業株式合資会社に吸収合併され、厚生企業株式合資会社は昭和一五年九月一五日商号を株式合資会社金星舎と変更し、更に昭和二〇年一二月一四日商号を株式合資会社東邦工機製作所と変更し、昭和二一年八月一日株式合資会社厚生社に吸収合併された。株式合資会社厚生社は昭和二六年六月二〇日組織変更して株式会社厚生社(原告会社)となつた。

五  以上の経過で八幡合資会社の権利義務を承継した原告会社は、本件土地の所有権にもとづき、亡八幡弥三郎の相続人である被告等に対し、本件土地(分筆により別紙目録記載の四筆の土地となる。)につき昭和五年一二月一九日出資による所有権移転登記手続を求めるため本訴に及ぶ。

と述べ、被告の主張に対し、

(一)  亡弥三郎の現物出資義務につき履行期の定めのなかつたことは認めるが、前述のとおり弥三郎は八幡合資会社の設立登記と同時に現物出資財産全部を会社に給付し、その出資の履行を了した。すなわち当時の商法には合資会社の設立登記の登記事項として現物出資につき履行をなしたる部分を記載すべきことが定められていなかつたので(旧商法第五一条参照)、設立登記においては出資の種類および価格が記載されたのみであつたが(甲第九号証、第二号証)、同会社の財産目録および貸借対照表には資産の部不動産として現物出資にかかる不動産の価格が計上され(甲第一二号証)、昭和九年度の元帳には未払込出資金〇として記帳されている。それ故弥三郎は退社に際して出資全額(本件土地を含めて全部履行した額)に相当する持分につき金銭で払戻を受けたのである(甲第八号証)。被告はさきに本件土地を八幡合資会に現物出資し、その後出資物件全部の所有権の返還を受けたと主張し、出資の履行ずみであることを認めながら、昭和三三年九月一三日午前一〇時の口頭弁論期日において出資の履行が未了である旨主張を変更したが、原告は右自白の撤回に異議がある。

(二)  弥三郎等が八幡合資会社を退社するに至つた経緯および本件土地の返還を受けたとして被告等の主張する事実関係は、すべてこれを否認する。右会社の所有不動産は弥三郎の現物出資にかかるもの以外にも相当多数存在し、これらの不動産所有権全部を弥三郎に移転するものでないことを明瞭にするため、乙第一号証には特に弥三郎に移転すべき不動産につき、各筆毎に土地建物の表示を明細に書き、後日誤解の生じないよう考慮が払われているのである。なお弥三郎に売り渡した物件の代金一万三五〇〇円のうち金一万一〇〇〇円は弥三郎に対する持分払戻金に充当し、残金二五〇〇円は訴外鳥海誠一に対する持分払戻金に充当したものである。

(三)  弥三郎は八幡合資会社を退社後の昭和一三年三月二九日栗原義重との間において会社の残余財産は一切栗原が取得し、弥三郎は取得しない旨の契約を締結しており(乙第一一号証)、又同年一〇月三一日弥三郎が同会社の滞納税金および督促手数料合計金五〇〇円八三銭(内訳昭和一一年分所得税金九七円六一銭、昭和九年分所得税附加税金六六円八九銭、同年分営業収益税附加税金六九円八六銭、昭和一〇年分所得税附加税金三五円八〇銭、同年分営業収益税金三円三三銭、同年分県税営業収益税附加税金四七円一二銭、同年分町税営業収益税附加税金四四円八八銭、昭和一一年分所得税附加税金三四円九四銭、同年分営業収益税割三円四銭、同年分県税営業収益税附加税金四三円、同年分町税営業収益税附加税金四〇円九五銭、昭和一三年分不動産取得税金一三円二〇銭、督促手数料二一銭)を立替納入するとともに、同年一二月一〇日端数を切り捨てた金五〇〇円を栗原の弥三郎に対する債務とし、償還させることとした(乙第五号証)。すなわち弥三郎は退社後八幡合資会社又は合資会社松川と何らの関係もないよう処置されたので、被告等が本件土地につき権利を主張し得る余地はない。

と述べた。

第二被告の申立ならびに主張

被告等訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁ならびに抗弁として、

一  原告主張の一の事実は認める。二の事実中亡八幡弥三郎が現物出資の履行を了し、本件土地を含む現物出資物件全部の所有権を会社が取得したとの点は否認し、その余の事実は認める。三の事実中会社が弥三郎に対し現物出資にかかる財産を売り渡し、代金のうち金をもつて同人に対する持分払戻金に充当したとの点は否認し、その余の事実は認める。四の事実は知らない。

一  亡八幡弥三郎は木更津市木更津一四五五番地に店舗をもち、米穀薪炭木材の売買ならびに回漕業を営んでいたものであるが、営業税等軽減の目的で昭和五年一二月一九日妻である被告里ゆう、長男である被告熊次郎(当時未成年者)と弥三郎とが無限責任社員となり、里ゆうの兄鳥海誠一と弥三郎の兄渡辺文吉とが有限責任社員となつて八幡合資会社を設立し、弥三郎の前記個人営業一切を新設の右会社に移して営業を開始した。しかして弥三郎は本件土地(出資評価額四〇六〇円)を含む宅地五筆、建物二個、日本形帆船二隻を現物出資の目的としたが、帆船二隻を会社に引き渡して使用させたほか、弥三郎は無限責任社員で、しかも代表社員として、右会社とは一身同体の観を呈するほど密接な関係に立ち、さしあたり同人が出資した財産全部の所有権を会社に移転しなくても、会社の運営には支障がなかつたので、会社としても出資給付義務の履行を求めず、かつ当初から履行期の定めはなかつたから、現物出資にかかる財産の所有権移転ならびにその登記義務の履行期は未到来のままに放任してあつた。

三  弥三郎は昭和一二年三月一〇日総社員の同意を得て会社形態から従前の個人営業に復帰するため会社を解散することとしたが、会社解散の手続に不慣れであるため、このことを訴外栗原義重に相談したところ、栗原のいうには、会社の解散の手続は複雑であり、かつ相当の日時と費用を要するから、むしろ八幡合資会社の社員を増加し、弥三郎が退社して同時に出資物件の所有権を弥三郎に返還することにすれば、簡単にその目的を達することができるとのことであつた。そこで弥三郎は栗原のいうことを信用し、同人に一切の処置をまかすこととした。かくて前記のとおり栗原および同人の妻きみが入社し、従前の社員五名が退社して、会社は存続することとなり、栗原は弥三郎の出資財産を同人に返還する趣旨で同年四月三〇日(弥三郎退社の日)右出資財産を弥三郎に代金一万三五〇〇円で売り渡す旨の書面(乙第一号証)を作成して弥三郎に交付したが、右は真実の売買ではない。しかも右書面には本件土地のみが故意に記載してなかつたが、当時弥三郎はこれに気付かず、栗原との話合いでは出資財産全部を返還するということであつたから、当然本件土地も記載されていると信じて、安心していたのである。又同日栗原は弥三郎が金一万一〇〇〇円の持分払戻金を受領した旨の書面(甲第八号証)を作成し、弥三郎の退社登記の関係上必要だといつて押印を求めたので、これに応じたが、これによつて持分払戻がおこなわれた訳ではなく、しかも元来弥三郎の出資物件全部で金一万一〇〇〇円と評価したものであるから、前記乙第一号証の書面には本件土地をも当然含めて記載されるべきであつたのである。

四  以上の次第で弥三郎は本件土地を含む出資財産たる不動産については出資の履行をしないまま(履行期も到来せず)、昭和一二年四月三〇日退社したので、出資義務はこれにより消滅したわけである。被告は昭和二五年一〇月一二日午前一〇時の本件準備手続期日において弥三郎が現物出資の履行を了したことを認める如き主張をしたが、右は真実に反し、かつ錯誤に出たものであるからこれを取り消す。

五  仮に弥三郎において本件土地につき出資義務を履行したものであるとしても、昭和一二年三月一〇日八幡合資会社解散の方針が決定されたときに、本件土地を含む弥三郎の現物出資物件全部は総社員の同意のもとに会社から弥三郎に返還されたものであり、仮にそうでないとしても同年四月三〇日弥三郎退社の日に有限会社松川代表者無限責任社員栗原きみから弥三郎に対し本件土地を含む弥三郎の現物出資物件全部が返還されたものである。又仮にそうでないとしても、昭和一三年一〇月中、有限会社松川代表者無限責任社員栗原ケイ(未成年につき法定代理人親権者栗原義重)から弥三郎に対し前記各物件が返還されたものである。以上いずれにしても、すでに本件土地は被告等の所有に帰しており、これにつき原告へ所有権移転登記手続をすべき義務はない。

と述べた。

第三立証

原告訴訟代理人は甲第一ないし第一三号証、第一四号証の一、二、第一五号証、第一六号証の一ないし三、第一七号証、第一八号証の一ないし三、第一九、第二〇号証第二一号証の一ないし四、第二二号証、第二三号証の一ないし一二、第二四ないし第二六号証、第二七号証の一ないし三および第二八号証を提出し、証人栗原義重の証言を援用し乙第六号証は知らない、その余の乙号各証の成立を認め、乙第三ないし第五号証を援用する、なお乙第八号証の二は被告八幡里ゆう、八幡熊次郎および訴外鳥海誠一が八幡合資会社を退社したときの登記費用、同号証の三および四は八幡弥三郎が会計係をしていた頃の訴外日本建物株式会社の解散および清算人選任登記費用をそれぞれ八幡弥三郎が立替支弁したときの証書で、同号証の一とは関係のないものである、と述べた。

被告訴訟代理人は乙第一ないし第七号証、第八号証の一ないし四、第九ないし第三七号証を提出し、証人鳥海誠一、一藁智の各証言および被告八幡里ゆう本人尋問の結果を援用し、甲第二二号証の成立は否認する、同号証の八幡弥三郎名下の印影も真正でない、甲第七ないし第一〇号証は原本の存在および成立とも認め、甲第九号証を援用する、その余の甲号各証はすべて成立を認める、と述べた。

理由

亡八幡弥三郎、被告八幡熊次郎、同八幡里ゆう(以上無限責任社員)、訴外渡辺文吉、同鳥海誠一(以上有限責任社員)の五名が、昭和五年一二月一九日、米殻薪炭木材の売買および回漕業を営むことを目的とする八幡合資会社の定款を作成し、弥三郎はその所有にかかる本件土地(木更津市木更津字北片町一二四六番ノ五宅地四〇六坪)を含む宅地五筆、建物二個、日本形帆船二隻(評価格合計金一万一〇〇〇円)を現物出資の目的とし、同日会社設立登記を了し、無限責任社員たる弥三郎か業務執行社員に就任して営業を開始したこと、弥三郎の出資義務については履行期の定めがなされていなかつたこと、昭和一二年四月二八日訴外栗原きみが無限責任社員、同栗原義重が有限責任社員として同会社に入社し、同日被告熊次郎、同里ゆう、訴外鳥海誠一が同月三〇日弥三郎および訴外渡辺文吉が、それぞれ総社員の同意により退社し、栗原きみが業務執行社員に就任するとともに、定款を変更して新商号を合資会社松川と、営業の目的を動産および不動産の売買ならびに宿屋営業に改め、同年五月三日右入退社登記ならびに定款変更の登記を完了したこと、本件土地が昭和二八年八月八日別紙第一、第二目録記載四筆の土地に分筆登記されたこと、昭和三〇年一二月二日弥三郎が死亡し、被告等が相続したこと、別紙第二目録記載の各土地については昭和三一年七月一六日被告里ゆうが相続による所有権取得登記を受けたことは、いずれも当事者間に争いがない。

しかして合資会社松川が昭和一五年六月一七日更生企業株式合資会社に吸収合併され、更生企業株式合資会社は同年九月一五日商号を株式合資会社金星社と、昭和二〇年一二月一四日商号を株式合資会社東邦工機製作所と、それぞれ変更し、昭和二一年八月一日株式会社合資会社更生社に吸収合併され、株式合資会社更生社は昭和二六年六月二〇日組織変更して原告会社となつたこと、は成立に争いのない甲第二ないし第六号証、同第二〇号証によつてこれを認めることができる。

原告は亡弥三郎が八幡合資会社に対する出資義務の履行を了し、退社にあたつてその持分につき金銭で払戻を受けたと主張し、被告等は右出資義務については履行期の到来しないまま、弥三郎がその退社により、社員たる地位を喪失するとともに、出資義務を免れたと主張するので、この点について考察する。前記当事者間に争いのない事実に、原本の存在ならびに成立について争いのない甲第七ないし第一〇号証、成立に争いのない甲第一一ないし第一三号証、第一四号証の一、二、第一五号証、第一七号証、第二三号証の一ないし一二、第二四ないし第二六号証、乙第一ないし第五号証、第七号証、第八号証の一、第九ないし第一一号証、第一三ないし第三五号証、第三七号証証人一藁智の証言により真正に成立したものと認め得る乙第六号証、証人栗原義重、鳥海誠一、一藁智の各証言および被告八幡里ゆう本人尋問の結果ならびに本件口頭弁論の全趣旨を綜合すると、

(一)  八幡弥三郎は木更津市内に店舗をもち、八幡屋という商号で米穀薪炭木材の売買ならびに回漕業を営んでいたが、昭和五年一二月当時、自己の営業を合資会社組織とすることを計画し、同月一九日妻である被告里ゆう、長男である被告熊次部(当時未成年者)と弥三郎とが無限責任社員となり、里ゆうの兄鳥海誠一と弥三郎の兄渡辺文吉とが有限責任社員となつて八幡合資会社の定款を作成し、各社員の出資義務としては、弥三郎は冒頭掲記の現物出資、被告里ゆう、同熊次郎は各金二〇〇〇円、訴外鳥海誠一、同渡辺文吉は各金二五〇〇円と定め、弥三郎が業務執行社員となつて、同日会社設立登記を了し、従前の弥三郎の個人営業をそのまま全部会社に移してこれを継続することとなつた。右の次第で、訴外鳥海、同渡辺は単に会社設立のため名義上のみ社員となつたもので、被告里ゆう、同熊次郎も弥三郎の家族であるため名義を連ねたに止まり、もとよりみずから金銭の出捐をすることもなく、従前の営業が弥三郎の手によりそのまま会社の形態でおこなわれたにすぎなかつた。

(二)  しかして弥三郎は昭和一二年三月頃、会社を解散して個人営業に復することを計画し、当時の総社員の同意を得て解散手続をしようとしたが、このことを訴外栗原義重に相談した結果、栗原の発意により解散手続にかえて前記のとおり栗原および栗原の妻きみが入社し、従前の五名の社員が退社することによつてその目的を達することとした。かくて右の手続は一切栗原が取りはからい、弥三郎は栗原の作成にかかる同年四月三〇日附退社申込書および同じく栗原の作成にかかる同日附持分払戻金一万一〇〇〇円の領収証にそれぞれ押印して栗原に交付し、同年五月三日退社の登記を経て、以後は個人として従前の営業を継続することとなつた。しかして同年四月三〇日附をもつて合資会社松川の業務執行社員栗原きみから弥三郎宛に弥三郎の現物出資にかかる財産中本件土地を除くその余の物件を列記し、これを弥三郎に代金一万三五〇〇円で売り渡す旨の書面を作成し、同年五月一二日木更津区裁判所で確定日附の記載を受けた。なお本件土地は弥三郎の退者前は八幡合資会社が、退社後は弥三郎が、それぞれの営業たる米穀、薪炭、木材の売買ならびに回漕業のためこれを占有使用しており、合資会社松川およびこれを承継した厚生企業株式合資会社(株式合資会社金星舎、株式合資会社東邦工機製作所)、株式合資会社更生社および原告会社がこれを占有したことはなかつた。

(三)  栗原は昭和一二年一一月一六日その娘栗原ケイ(昭和三年二月七日生で当時九才の未成年者)を無限責任社員として入社させ、みずからは同年一二月一〇日退社したが、なおケイの親権者として会社の業務執行にあたり、同年一二月一〇日合資会社松川の解散登記をし、その実父栗原福太郎および訴外庄司善一を清算人に選任し、昭和一三年四月一六日清算人一名増員によりみずからも清算人となり、同会社の清算の任に当ることとなつたが、なお八幡合資会社の滞納税金その他債権債務の整理や栗原に対する報酬支払をめぐつて弥三郎と栗原との間に未解決の問題が残つていたので、昭和一二年一二月三一日および昭和一三年三月二九日の二回にわたる両者間の契約によつてこれが紛争は一応解決され、合資会社松川清算の結果残余財産を生じても、弥三郎は栗原に対しその返還を請求しないことを約した。しかるに前記弥三郎の現物出資にかかる不動産以外に八幡合資会社名義に登記された建物が存在し、これが所有権の帰属をめぐつて弥三郎と栗原との間に再度紛争を生じ、昭和一三年六月栗原がこれを合資会社松川の所有名義に移したうえその一部につき栗原義重に売買による所有権移転登記を受け、これに抵当権を設定した等のことから、弥三郎は栗原を横領罪として木更津警察署長に告訴するに至つたが、同署員の斡旋により弥三郎と栗原が相互に出金して右抵当権を消滅させたうえ、同年一一月二日栗原および合資会社松川(当時の清算人栗原福太郎)は、これらの建物につき弥三郎に売買による所有権移転登記するとともに(一部は栗原の所有として残した。)、右売買代金をもつて、被告里ゆう、同熊次郎に対する各金二〇〇〇円、訴外鳥海誠一に対する金二五〇〇円の持分払戻金に充当することとし、同年一〇月三一日附各受領証を作成してその旨右三名の押印(ただし被告熊次郎は出征中のため弥三郎の代印)を得た。しかして栗原は同年一一月二日合資会社松川の清算結了の登記をし、弥三郎は栗原に対する前記告訴を取り下げたが、これよりさき同年一〇月二七日東京控訴院において控訴人厚生企業株式合資会社、被控訴人合資会社松川間の昭和一二年(ネ)第七九八号事件につき、合資会社松川の解散決議無効確認の判決があり、これによつて昭和一三年一二月四日合資会社松川の清算結了登記および清算人選任登記の各抹消登記がなされた。なお、その頃弥三郎は八幡合資会社の滞納税金五〇〇円余を納付したが、同年一二月一〇日端数を切り捨てた金五〇〇円を目的として弥三郎と栗原との間に準消費貸借契約が締結され、栗原は弥三郎に対し右金員を昭和一八年一二月二〇日から向う五カ年間に年八分の利息を附して返還することを約し、弥三郎は右税金の領収証書を栗原に交付した。

との各事実を認めることができ、証人栗原義重の証言中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてにわかに措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

しかして右認定の事実関係、とくに八幡合資会社の設立当初からの社員が八幡弥三郎およびその近親者のみであり、弥三郎以外の社員はみずから出資義務を履行することもなく、従前の営業がそのまま弥三郎の手によつて行われていたこと、昭和一二年四月頃弥三郎とその一族等の社員全員が退社して栗原義重および栗原きみが入社するとともに会社の商号を合資会社松川と、営業の目的を動産および不動産の売買ならびに宿屋営業に改め、従前の営業たる米穀薪炭木材の売買ならびに回漕業は弥三郎が従前のままの形態でこれを行うこととなつたこと、弥三郎等退社員に対する持分払戻金額がその出資金額ないし現物出資評価価格と正確に一致していること――旧商法(昭和一三年の改正前の商法)第五四条(現商法第六八条)により準用される民法第六八一条第一項によれば、持分の計算は(定款に別段の規定がない限り)退社の当時における会社財産の状況に従つてなすことを要するのであり、この場合の持分とは旧商法第七一条(現商法第八九条)でいう持分、すなわち会社の純財産額に対して社員の有する分け前を示す計算上の数額であるから、退社のとき会社の営業の状態によつてその持分は出資の価格を超え、もしくはそれ以下であるのが通常で、出資の価格と一致することは、むしろ稀有のことというべきである――、弥三郎退社後弥三郎と栗原との間において八幡合資会社(商号変更して合資会社松川となる。)の清算の結果残余財産を生じても、弥三郎は栗原にその返還を請求しないことを約するとともに、栗原は会社の債権債務の整理を自己の責任においてなすこととし、弥三郎が退社後に納付した会社の税金は栗原から弥三郎に償還するものとしたこと、八幡合資会社名義に登記された建物につき一部は栗原の所有とし、一部は弥三郎の所有とすることに両者間に協定されたこと等を併せ考えるときは、八幡合資会社に対する弥三郎の出資は形式上は特定の現物出資であるけれども、実質上は従来の営業全部(のれん、得意先関係、営業上の秘訣その他一切を含む。)の出資であり、その他の社員は会社の構成上名を連ねたにとどまり、弥三郎の退社と同時に弥三郎の営業を会社設立前の状況に戻すため会社は総社員の同意のもとに再びその営業を弥三郎に譲渡したものと認めるのが相当である。会社名義となつていた家屋の一部が会社に保留された事実によつても右認定を左右するに足りないし、前記のような持分払戻その他一連の手続も後記説示の事情と併せ考えると右の形式を整えるためになされたものと解すべきである。

合資会社の無限責任社員は会社債権者に対しては連帯無限の責任を負うから、会社財産を維持する必要は比較的すくない。しかして合資会社の無限責任社員が営業全部を会社に現物出資するについては、必ずしも営業のために使用すべき動産不動産全部の所有権を会社に移転する要はなく、賃貸借、使用貸借その他いかなる法律関係であつても、その使用について支障のない状態を作出すれば足りることはいうまでもない。出資義務の履行の時期および程度は定款の定めるところにより、定款に別段の定めのないときは、会社は通常の業務執行の方法をもつて自由に出資義務履行の時期および程度を定めることができるが、出資義務は会社の請求がない限り具体的な出資給付義務となることはない。人的会社においては前述の理由から会社債権者のためその担保額たる会社財産を確保する必要はないから物的会社におけるように資本充実の原則はとられていない。従つて人的会社の損益計算は、特定営業年度の初めと終りとにおける純財産額の比較によることなく、貸借貸照表において、資産の部には積極財産の総額をかかげ、負債の部には債務の総額のほかに社員の財産出資の総額(履行、未履行を問わず)をもかかげて両欄を対照し、前者の総計額が後者の総計額を超える額は利益として負債の部に、反対に前者が後者に達しない不足額は損失として資産の部にかかげ、もつて両欄の総計額の均衡を得しめればよいのである。旧商法第六七条は、合名会社(第一〇五条により合資会社に準用)は損失を填補した後でなければ利益の配当をなすことを得ないと規定していた(現行商法は合名会社における損益の分配は全く会社の自治に委ね、これについては何らの規定をも設けていない。)が、これとても前記の方法によつて利益が計上されていないかぎり利益配当をしてはならないというにあり、損失を填補するための出資の履行を義務づけるものということはできない。

原告は弥三郎が八幡合資会社設立の日たる昭和五年一二月一九日現物出資の目的たる本件土地を会社に給付し出資義務の履行を了したと主張するところ、成立に争いのない甲第一、二号証、同第一七号証によれば会社の財産目録および元帳には現物出資にかかる不動産(個々の不動産の表示がないから本件土地がこれに包含させるかどうかは明確ではないけれども)を資産の部に掲げてあることが認められるが、人的会社の損益計算の方法が前述のとおりである以上、これのみによつて弥三郎が本件土地につき現物出資義務の履行を了したと認めることはできず、証人栗原義重の証言中原告の右主張に添う部分は措信し難く、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。なお昭和一二年四月三〇日附をもつて合資会社松川の業務執行社員栗原きみから弥三郎宛に弥三郎の現物出資にかかる財産中本件土地を除くその余の物件を列記し、これを弥三郎に代金一万三五〇〇円で売り渡す旨の書面(乙第一号証)が作成されたことによるも、右書面は前述のとおり弥三郎の退社に伴う持分払戻の形式を整えるためのものであると考えられるから、その内容自体の信憑性は薄いし、右書面の内容自体も本件土地について、現物出資の履行があつたことを示すものといえない。却つて現物出資義務の履行としては目的たる権利の移転行為およびこれに伴う方式(本件においては所有権移転登記)の履践が必要であるのに、本件土地については弥三郎から会社へ所有権移転登記がなされないまま総社員の同意によつて弥三郎が退社し、会社から弥三郎に営業の再譲渡が行われたこと、その他前段掲記の各事実を総合して考察するときは、本件土地に関する弥三郎の現物出資義務はその退社前に期限の到来または履行の請求により具体的債務となつたことはないと認めるのが相当である。被告代理人は昭和二五年一〇月一二日午前一〇時の本件準備手続期日において弥三郎が本件土地につき現物出資の履行を了したことを認めるような主張をし、その後昭和三三年九月一三日午後一〇時の本件口頭弁論期日において、右主張は真実に反し、かつ錯誤に出たことを理由としてこれを取り消したが、右主張は前記説示に照らし錯誤に出たことが明らかであるから、その撤回は有効である。

合資会社の社員の出資義務は社員たる資格にともなつて、すなわち会社の設立または社員の入社によつて発生し、その履行または社員たる資格の消滅によつて消滅する。社員が退社する前に期限の到来または履行の請求により具体的債務となつた出資義務は退社によつて消滅しないが、その他の出資義務は退社により当然消滅する(大審院昭和一六年五月二一日判決、民集二〇巻六九九頁参照)。したがつて退社前に弥三郎の出資義務が履行されたこと、もしくはその出資義務が具体的債務となつたことの認められない本件においては、そのことを前提とする原告の本訴請求は理由のないことが明らかであるから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中恒朗)

第一目録

木更津市木更津字北片町一二四六番の一七

一、宅地  五二坪二合五勺

第二目録

木更津市木更津字北片町一二四六番の五

一、宅地  二五六坪四合

同所 一二四六番の二〇

一、宅地  四五坪六合

同所 一二四六番の二一

一、宅地  五一坪七合五勺

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例