大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所 昭和30年(ヨ)64号 判決 1955年12月15日

千葉市蘇我町二丁目九百十九番地

申請人

高畑豊吉

(外三名)

右四名代理人

上村進同

神道寛次

小沢茂

関原勇

柴田睦夫

青柳盛雄

石島泰

池田輝孝

上田誠吉

植木敬夫

岡林辰雄

大塚一男

金綱正己

後藤昌次郎

島田正雄

佐藤義彌

谷村直雄

松本善明

竹沢哲夫

被申請人

千葉県

右代表者千葉県知事

柴田等

右代理人

橋本武人

中西政樹

右復代理人

中島一郎

河村貞二

右当事者間の昭和三十年(ヨ)第六四号埋立工事禁止仮処分事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件仮処分申請はいづれもこれを却下する。

訴訟費用は申請人等の負担とする。

事実

第一、申請人等訴訟代理人等は、被申請人は千葉市蘇我町二丁目先公有海面中、別紙第二図面(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)で囲む区域において、申請人等の漁業のための立入を、実力で妨害したり、申請人等が設置した、漁業のための工作物を、実力で撤去したり、其の他海面の埋立、浚渫等、申請人等の漁業に対する一切の妨害行為をしてはならない。若し右申請が理由のないときは、被申請人は千葉市蘇我町二丁目先公有海面中、別紙図面(A)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(B)で囲む区域において、前記と同様申請人等の漁業に対する一切の妨害行為をしてはならない。訴訟費用は被申請人の負担とする。との判決を求める旨申立て、其の理由を次のとおり述べた。

(以下略)

理由

一、当事者適格について

先ず被申請人主張の当事者適格の抗弁について判断するに、本件仮処分において、申請人等の被保全権利として主張するところは、組合と被申請人間の本件漁業権放棄に関する協定が無効であつて、組合の漁業権は失なわれていない。仮にそうでないにしても、其の漁業権放棄の範囲は、協定書にある範囲と異つておるので、申請人等は右組合の組合員として本件海面において、全面的に或は其の一部について、各自漁業をなし得る権利(漁業行使権)を、尚保有するものとし、被申請人の本件海面における埋立工事、其の他の妨害行為の禁止を求めるものであつて、被申請人主張のように本件海面内の埋立工事の免許を不当としてこれが取消又は変更を求めるものではなく、又漁業権に対する補償額についての、知事の裁定に不服を申立てているものでもないから、特に行政事件訴訟特例法第二条に基く、訴の必要がなく、同法第十条の執行停止の問題を生ずる余地がない。従つて、被申請人主張の埋立免許が有効とすれば、被保全権利に対する抗弁の一つとして提出するは格別、本件仮処分に対する当事者適格の抗弁としては、その主張自体理由のないものと謂わなければならない。

二、被保全権利について

そこで次に、被保全権利について考察する。

先ず第一次の主張中、本件組合は、昭和二十四年十一月十八日水産業協同組合法により、千葉市蘇我町一丁目、二丁目を地区として設立され、別紙第一図面の範囲内の共同漁業権及び区画漁業権を有していたこと。申請人等は右組合の組合員であること、昭和二十九年十月八日、同組合の組合長理事細谷久と被申請人(県)との間に、県の埋立工事の承認、組合の漁業権に対する補償について申請人等主張の如き内容の仮協定を締結したこと、昭和二十九年十月二十日、臨時組合員総会が開催され、右仮協定等を承認することの議案につき特に反対者もなく決議され、即日右組合から被申請人に対して、仮協定を承認する旨の意思表示がなされたことは、いずれも当事者間に争のないところである。従つてそれにより一応右仮協定の内容の本協定が成立したものと認めなければならない。そこで右協定の内容となつている本件海面内の埋立工事は、被申請人(県)の事務として公共性がなく無効であるとの申請人等の主張について按ずるに、右協定は被申請人が訴外東京電力株式会社千葉火力発電所敷地造成のため本件海面における、埋立工事を実施する必要から行われたことは、被申請人の認めるところで、この点につき申請人等は右の埋立事務は地方公共団体の事務としての公共性がないと云うのであるが、電気事業は公共性のあることは、地方自治法第二条第三項第三号及び公益事業令(昭和二十五年政令第三百四十三号)第一条、第二条によつて明かであり、公有水面の埋立をなす事務は、公共事務に属することは、地方自治法第二条第三項第十二号に照して明瞭であつて、本件埋立は電源開発の見地から右電気事業者たる東京電力株式会社の火力発電所を千葉県内に誘致するためなされていることは当裁判所に顕著でこれが敷地造成の工事として、本件海面を埋立てる事務が、公益事務に属することは多言を要しないところであつて、此の点の申請人等の主張は理由がない。次に、右協定は要素の錯誤があるから無効であるとの申請人等の主張について判断するに、申請人等所属の組合は、水産業協同組合法により設定された法人であることは争なく、右組合の昭和二十九年十月二十日の臨時組合総会においては、本件仮協定を承認する旨の決議が全員一致でなされたこと、前述のとおりであつて、成立に争のない疎乙第三号証の記載によれば右組合総会においては、組合長細谷久より議案の説明があり埋立問題については、同日までに度々集合が行われその問題につき討議がつくされ、組合員一同は既によく了承しているはずだが一応の説明をする旨挨拶し、図面の説明がなされた先日配布した仮協定書により「イ」の地域は来年三月までに「ロ」の地域はそれ以後に、それぞれ東電敷地として出来上る旨の説明があつたことを認め得るが、申請人等主張の如き放棄すべき坪数については、何等説明がなされた記載がなく、却つて、証人渡辺愛、同高橋富司及び申請本人高畑豊吉等の各供述並びに同人等の供述により、その成立を認める疎甲第九号証の一乃至六によると、右総会においては、組合長細谷久から漁業権放棄の範囲は、川崎製鉄の埋立地岸壁の延長線で、其の坪数は十六万四千坪、これに対する補償金は一億七千万円であるとの説明があつたことが認められ、これをその成立に争のない疎乙第一、二号証に徴するときは、仮協定において、放棄すべき漁業権の範囲(補償面積)とされているのは共同漁業権と区画漁業権の双方で、その坪数は共同漁業権は二十五万二千五百八十三坪五七、区画漁業権は九万三千二百四十八坪六五で、右両漁場は地域的には完全に重復しており、即ち、区画漁業中に包含されているのであつて、実際の放棄坪数は全体で二十五万二千五百八十三坪五七となつていることが明らかである。して見ると右組合長の説明は、仮協定の補償区域の坪数の説明としては、全く不完全であり、事実に相違するものであつたと云わなければならない。然しながら証人渡辺愛の供述によつても其の後昭和三十年五月二十五日の組合における説明会に至るまで右協定につき異議を申出たものがなく、右説明会の席上でも、右証人と申請人高畑豊吉、同渡辺仙太郎の三名が、協定書の図面の坪数に誤りがある旨の意見を述べたに対し、組合長を始め、百名余の組合員等は、その意見を聞き入れないばかりか、却つて恥をかかされたり、脅かされたりした事実が認められ、尚証人高橋富司の供述並びに同証人の供述により成立を認める疎甲第八号の一、二によつてみても右説明会では、補償区域は二十五万二千五百八十三坪五六であると説明されていて、仮協定の内容と異ならなかつたことが認められるのであつて、以上認定事実と、成立に争のない、疎乙第七号証、同第十二号証の一二及び海苔の柵数の多いもの程補償金を多く貰つた旨の右証人高橋富司の供述を綜合すると前記仮協定承認の組合員総会においては、組合の漁業権放棄面積(補償面積)について誤解した者も相当数あつたようであるが、本件補償金額の決定に重大な関係をもつたものは、潰される海苔の柵数等であつて、組合員の大多数のものは、最終的には右総会における仮協定の内容承認に基く、本協定の成立を認容していたものと認めるの外なく、右認定に反する証人渡辺愛、同高橋富司並びに申請本人高畑豊吉の各供述部分は、その儘には信じ難く、同証人等の供述により成立を認める疎甲第九号証の一乃至六及びその他の疎明によるも右坪数の誤解がなかつたなれば前記仮協定を承認しなかつたであろうとの事実、即ち要素の錯誤を認むるには十分でない。仮に要素の錯誤が認められるとしても、被申請人主張の如く、意思表示者たる組合自体に、次に認むるような重大な過失があるので、自ら、これが無効を主張し得ない。此の点につき、申請人等は組合決議当時は被申請人や、組合長の説明を信じていたので、誤りがないと考え、仮協定書添付の図面等を確める必要を認めなかつたもので、申請人等には何等、重大な過失がなかつたと主張するが、仮協定書には別紙図面が添付されていたことについては当事者間に争がなく該図面(前出疎乙第一号証)によれば、漁業権放棄の範囲を明かにし得たはずであり、殊に本件協定の内容中、重大な部分に属する補償額の対照となつたと申請人等が主張する漁業権放棄面積の如きは、其の協定交渉に直接関係していた組合長及び交渉委員等において予め仮協定書添付の図面、其の他について十分研究を遂げ、その範囲を具体的に確定し置き、他の組合員等に対する説明にも、誤りを起させないよう、つとめなければならないこと取引の通念として当然である。(若しその点が重要でなかつたとすれば、本件協定の要素とはならない。)然るに、本件においては、組合長等はかかる行為に出でないで、軽々しく仮協定書添付の図面の坪数即ち補償区域の坪数を、誤り説明したものであり、組合員等もまた、不注意にも其の誤りに気ずかなかつた結果、組合の決議に錯誤を生ぜしめたとすれば、直接申請等組合員等に、被申請人主張の如き、重過失があつたか否かは別として組合長及び組合の交渉委員には、重大な過失があつたと認めざるを得ない。又少くとも組合員等にも過失のあつたことは上来認定の経過から明かであつて、右組合長等の重過失並びに組合員の過失は、ひいては組合としての重過失となるものと認められるので、その意思表示者たる組合自ら、その相手方たる被申請人に対しこれが無効を主張し得ないものと謂わなければならない。

して見れば、申請人等主張の、本件海面の漁業権は、右協定の成立により消滅したもので、最早や申請人等主張の第一次の仮処分請求における被保全権利は、存在しないものと云うべきである。

そこで、第二次の予備的主張について考えるに、此の点について、申請人等は組合と被申請人との間に漁業権放棄の範囲として協定が成立したのは、訴外川崎製鉄株式会社埋立地岸壁の延長線(別紙第二図面の(A)(B)線)と、同一線までであつて、組合の承認決議は、それ以外にはなかつたのであるから、本件協定が有効とすれば、右範囲に限らるべきであると主張するのであるが、本件協定について相手方たる被申請人側の欲しているのは、仮協定書の内容自体の承認であつて、右申請人等主張の如き内容のものでなかつたことは、弁論の全趣により明かであるから、仮に組合の決議した範囲が申請人等主張の如き範囲に限られていたとしても、契約成立の法理上かかる双方の意思の合致のない協定が有効に成立する理由がないのであつて、此の点の申請人等の主張は、それ自体理由がない。のみならず本件協定の漁業権放棄範囲は、仮協定の範囲と同一で、右仮協定の承認が有効になされたこと前段認定のとおりであるから、結局予備的主張はその理由がない。

して見れば、本件仮処分申請は、いずれも被保全権利がないことに帰するので仮処分の必要性につき、判断するまでもなく失当であるからこれを却下すべきものとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条、第九十三条を適用し主文のとおり判決する。

千葉地方裁判所民事部

裁判官 石川李

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例