千葉地方裁判所 昭和43年(ワ)399号 判決 1969年12月18日
原告
皆川良子
ほか一名
被告
日産プリンス島田販売株式会社
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一、申立て
一、原告ら
1 被告は原告皆川良子に対し金三〇一万円、原告皆川恒男に対し金三九二万円および右各金員に対する昭和四三年九月七日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言を求める。
二、被告
主文と同旨の判決を求める。
第二、主張
一、請求の原因
1 事故の発生
訴外皆川本丸(以下本丸という。)は次の交通事故(以下本件事故という。)によつて死亡した。
(一) 発生時 昭和四三年四月一〇日午後二時一五分ごろ
(二) 発生地 千葉県市川市市川三丁目二七番二〇号先通称松戸街道路上
(三) 加害車 普通乗用自動車(静岡五わ一四一五号)
運転者 訴外八戸武登志(以下八戸という。)
(四) 態様 道路を横断中の歩行者本丸と八戸運転の加害車が衝突し、本丸は事故の一五分後頭蓋内出血により死亡した。
2 責任原因
被告は自動車の販売および乗用自動車の貸渡業を営むものであつて、被告の保有する加害車を八戸に賃貸し、これを自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法三条により本件事故によつて生じた以下の損害を賠償する責任がある。
3 損害
(一) 本丸の喪失した得べかりし利益とその相続ならびに保険金の控除
本丸が本件事故による死亡によつて喪失した得べかりし利益は次のとおり六六三万円と算定される。
(本件事故時) 六一歳
(推定余命) 一四・一七年(厚生大臣官房統計調査部作成第一一回生命表)。本丸は生来健康に恵まれ、頑健であつた。
(稼働可能年数) 九年
(収益) 本丸は第百生命保険相互会社市川勤倹営業所に主事として勤務し、年額一〇九万二、〇〇〇円(月額九万一、〇〇〇円)の報酬を得ていた。
(控除すべき生活費) 年額一八万円(月額一万五、〇〇〇円、昭和四〇年全国勤労者世帯総理府統計局編「家計調査年報」による。)
(毎年の純利益) 九一万二、〇〇〇円
(年五分の中間利息控除) ホフマン複式(年別)計算による。
ただし、一万円未満を切り捨てた。
原告皆川良子(以下原告良子という。)は本丸の生存配偶者であり、原告皆川恒男(以下原告恒男という。)は本丸の子であるから、それぞれその相続分に応じて本丸の賠償請求権を相続した。その額は原告良子が二二一万円、原告恒男が四四二万円である。
ところで、自賠法に基づく保険から、原告良子は一〇〇万円、原告恒男は二〇〇万円の各保険金をそれぞれ受領する見込みであるので、右各相続額からこれをあらかじめ控除し、原告良子は一二一万円、原告恒男は二四二万円を請求する。
(二) 慰藉料
原告良子は最愛の夫を失い、原告恒男は慈夫を失つて、いずれもその悲しみは計り知れない。その精神的損害を慰藉するためには、その慰藉料を原告らに対しそれぞれ一五〇万円とするのが相当である。
(三) 弁護士費用
被告が賠償金を任意に支払わないので、原告らは弁護士山崎上天、同井出雄介の両名に委任して本訴を提起したが、その際原告良子は右弁護士らに着手金として三〇万円を支払うことを約した。これは本件事故によつて生じた損害である。
4 よつて、被告に対し原告良子は右3の(一)ないし(三)の合計三〇一万円、原告恒男は右3の(一)、(二)の合計三九二万円と右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和四三年九月七日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二、請求原因に対する答弁
1 請求原因1の(一)ないし(三)、(四)のうち本丸と加害車が衝突したことは認めるが、その余は争う。
2 同2のうち被告が自動車販売業と乗用自動車貸渡業を営んでいることおよび被告が加害車を八戸に賃貸したことは認めるが、その余は争う。
3 同3の(一)のうち本丸の稼働可能年数、喪失利益額は争う。その余は知らない。同(二)の慰藉料は争う。その余は知らない。同(三)のうち被告が原告ら主張の損害賠償請求に応じないことは認めるが、その余は知らない。
三、抗弁
1 加害車の運行支配喪失の抗弁
加害車は被告の所有であるが、被告は本件事故当時加害車を自己のために運行の用に供していた者ではなかつた。その理由は次のとおりである。
(一) 加害車は被告が一般顧客に対し一定の時間と料金を定めて貸すために所有していたものであり、被告は昭和四三年三月二五日八戸に加害車を貸時間三時間と定めて貸し渡した。被告と八戸との間には貸主借主の関係があるだけで、雇傭関係その他特別の関係はなく、加害車を八戸に引き渡した後においては被告は八戸の運転使用についてなんら支配力を及ぼすことができないのであつて、加害車を自己のために運行の用に供する者は八戸だけであるから、被告は右引き渡しにより加害車の運行供用者でなくなつた。
(二) 仮に右(一)の理由がないとしても、八戸は約束の時間を経過しても加害車を返還しなかつたばかりでなく、被告が同月二八日島田警察署に被害届を出すとともに、日産プリンス自動車販売店協会に依頼して八戸と加害車の捜索に着手したのにその所在をくらまし、同年四月五日川崎市木月住吉町二〇三五番地関東労災病院で入院患者訴外増山かなえに加害車を売り渡そうとなし、被告がこれを探知して加害車を取り戻そうとしたところ、いち早くこれを察知してその場から加害車を運転して逃走し、その五日後本件事故を発生させたものであるから、加害車は本件事故当時被告の支配を完全に離脱していたのであり、被告は本件事故当時加害車の運行支配および運行利益を失つていたのであるから、加害車の運行供用者でなかつたというべきである。
2 無過失の抗弁
仮に右1の抗弁が理由がないとしても、本件事故当時被告および八戸は加害車の運行に関し注意を怠らなかつたばかりでなく、加害車には構造上の欠陥または機能の障害がなかつたのであり、本件事故は被害者本丸の過失によつて発生したものである。すなわち、本件事故当時八戸は加害車を運転して南北に通ずる前記松戸街道(県道)を北進し、事故発生地の手前約一五〇メートルの地点にある京成電鉄の踏切を通過して時速約三七キロで事故発生地にさしかかつたのであるが、幅員約七メートルのアスファルト舗装道路の対向車線内には踏切の閉鎖によつて多数の自動車が停車して列をなしていたところ、本丸が突然停車中の大型貨物自動車の後方から飛び出して加害車の前面を右方から左方へ横断しようとしたので、八戸は前方約四メートルの地点に本丸を発見し、直ちに急制動の措置を講じたが間に合わず、本丸と衝突したのである。したがつて、八戸には停車中の対向自動車の間から突然加害車の直前に人が飛び出してくるような事態を予見することが不可能であつたのであつて、なんら過失がなく、本件事故は本丸の過失によつて発生したのである。
3 過失相殺の抗弁
仮に八戸になんらかの過失があつたとしても、本件事故は右2のような経過で発生したのであつて、本丸の過失は八戸の過失と対比して重大なものであるから、賠償額の算定にあたつて斟酌されるべきである。
四、抗弁に対する答弁
1 抗弁1の(一)のうち被告がその主張の日八戸に加害車を貸時間三時間と定めて貸し渡したことは認めるが、その余は争う。同(二)は知らない。被告は自動車貸渡業者として借受人から多額の料金を収受して自動車の運行利益を得ており、かつ、貸し渡す際自動車を点検整備し、借受人に使用許可、指導など細心の注意をなし、借受人も注意事項を遵守して運転しなければならないものであるから、被告は八戸の運転中も加害車に対する運行支配を保有していたものといえる。
2 同2のうち本件事故発生の経過については認めるが、その余は争う。事故発生地は両側に商店が立ち並んでいる商店街であり、加害車の対向車線内には多数の自動車が一時停止していて対向車線内の見通しは極めて困難であつたのであつて、かつ、その付近で東西に通ずる道路が前記松戸街道と交叉しているのであるから、一時停止の自動車の間から道路を横断しようとする歩行者のあることは当然予測されたにもかかわらず、八戸は横断歩行者に対する注意を怠り、横断する者はないものと軽信して進行したのであつて、八戸には本件事故の発生について過失がある。
3 同3は争う。
第三、証拠〔略〕
理由
一、事故の発生について
昭和四三年四月一〇日午後二時一五分ころ市川市市川三丁目二七番二〇号先通称松戸街道路上で八戸運転の加害車が道路横断中の歩行者本丸と衝突したことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると、本丸は右衝突によつて後頭部を強打し、同日午後二時三〇分ころ国立国府台病院において頭蓋内出血により死亡したことを認めることができる。
二、被告の責任について
被告が自動車の販売業と乗用自動車の貸渡業を営んでいること、被告が昭和四三年三月二五日八戸に被告所有の加害車を貸時間を三時間と定め、有料で貸し渡したことは当事者間に争いがない。
まず、被告は加害車を八戸に引き渡した後はその支配力を及ぼし得ないから加害車の運行供用者でなくなつたと主張する。そこで検討するに、〔証拠略〕を総合すると、(一)被告は加害車を含む貸渡用の乗用自動車二〇数台を所有しているが、これを顧客に貸し渡すについては会員制をとり、あらかじめ顧客に被告備えつけの定型化された約定書と貸渡約款を閲覧させ、顧客が運転免許の取得者であることとその身元を確認したうえ顧客と自動車貸渡契約を結び、顧客から入会申込書を提出させて顧客を「レンタカー島田」に入会させ、その会員にのみ自動車を貸し渡し、会員に対するその後の貸し渡しは入会時に徴した入会申込書を利用して行なうことになつていること、(二)借受人は自動車の使用にあたつて特に(1)出発後はどんな故障でも借受人が修理し、出発時と同じ状態にさせて返還する、(2)ガソリン代は借受人が負担し、予定時間には必らず帰る、(3)事故、故障、時間延長の時は必らず連絡して被告の承認を受ける、(4)会員以外の運転、定員外の乗車はしない、(5)走行予定区以外の地域には出ない、(6)営業行為はしない、などの条項を固く守ることを約束し、その貸渡料金は被告の定める料金表によるが、それは使用時間に応じて定まる基本料金に走行距離一キロあたり一八円の割合による料金を加算することになつていて、被告は借受人の自動車使用開始の時に借受人から概算による貸渡料金を収受し、自動車使用終了後にその精算をすること、(三)被告は昭和四三年二月一九日八戸との間に自動車貸渡契約を結んで、同人を「レンタカー島田」に入会させ、同人に対し同日午後四時から午後七時まで三時間(走行距離二八キロ、料金一、一〇四円)、次いで同年三月一三日午後六時から午後八時まで二時間(走行距離二九キロ、料金二、〇〇〇円)それぞれ自動車を貸し渡し、そして、同月二五日午後五時すぎころ同人から三時間の予定で貸してもらいたいとの申込みを受け、同人から貸渡料金の一部として一、〇〇〇円を受け取つたが、同人の前二回の走行距離の程度と料金収受の状況からみて、同人がまちがいなく予定時間後に自動車を返還したうえ貸渡料金の不足分を精算してくれるものと信用し、同日午後六時ころ三時間の約束で同人に加害車を貸し渡したこと、以上の事実を認めることができる。そこで、右の事実によると、被告は自動車貸渡業者としてその所有する自動車を借受人に貸し渡し、その自動車を走行させて、借受人から使用時間に応じた基本料金と走行距離に応じた料金を収受することによりその営利をはかることを目的としているのであるから、被告が所定の貸渡料金を収受することを約束して借受人に自動車を貸し渡すことは被告が自動車の運行それ自体によつてその利益を得ていることにほかならないといえる。そして、被告は自動車を貸し渡すについては会員制をとり、借受人が運転免許取得者であることなどを確認したうえ借受人を「レンタカー島田」に入会させ、自動車の運行使用について特に前記(1)ないし(6)のような指示制限を加えているのであつて、しかも、被告は貸時間を三時間と定めたうえ従前の二回にわたる自動車貸し渡しの経過に照らし八戸を十分に信頼してこれを貸し渡したのであるから、八戸においてその約定に反し加害車を領得するような行為に出るなど特別の事情がないかぎり、被告は八戸に加害車を引き渡した後においてもなお加害車に対する管理可能性を有するものとみるのが相当であつて、被告はその運行供用者にあたるということができ、被告主張のように加害車の引き渡し後は被告が八戸の運転使用を直接支配できないということだけで、被告が加害車の管理可能性を失つたものとみるのは相当でない。
次に、被告は八戸が加害車を運転して所在をくらまし、加害車を他に売り渡そうとするなどして被告の加害車に対する支配を奪つたから、本件事故当時加害車の運行供用者でなかつたと主張する。そこで検討するに、〔証拠略〕を総合すると、(一)八戸は昭和四二年一二月から静岡県島田市松葉町の土建業鶴木組に土工兼自動車運転手として就職し、昭和四三年三月二五日午後六時ころ被告から加害車を借り受け、手持ちの二万七、〇〇〇円を持ち出して静岡市、島田市などを乗り回した後、約束の三時間後に加害車を返還するつもりで同日午後八時ころ静岡県志太郡大井川町の有限会社杉本石油店で加害車にガソリンを給油したが、その際ふと東京に出て働き口を見つけようと思いつき、被告には連絡をしないで加害車を返還せず、翌二六日午後零時ころ右杉本石油店で三たび加害車に給油して東京へ向かい、翌二七日から同月三一日まで東京都内を乗り回した後仙台市へ向かい、翌四月一日午前中仙台市から被告あてに電報で「四月四日に自動車を返還する」旨連絡し、同日中に東京に戻つたが、その後二、三日東京都内を乗り回しているうち加害車を返還することを断念してしまつたこと、(二)そこで八戸は被告に無断で加害者を売り払おうと考え、四月五日午後七時ころ神奈川県川崎市木月住吉町の関東労災病院に赴いて、入院患者の訴外増山かなえに自動車検査証と運転免許証を示したうえ加害車を二五万円で買つてもらいたいと申し向けたが、同人が自動車をよく調べてから買うことにしたいというので、翌六日午前一一時三〇分ころ再び関東労災病院に同人を訪ねたところ、同人の相談相手になつていた訴外塩沢豊治が加害車を調べたうえ、「二五万円なら安いが、一応月賦が残つているかどうか島田プリンスに問い合わせてみる」と言い、その場から被告に電話をかけたので、事の次第が露見するのをおそれ、口実をもうけてその場から加害車を運転して逃げ出したこと、(三)八戸はその後東京都内、茨城県内などを乗り回した後四月九日夜千葉市稲毛町の海岸付近に駐車して車内で眠り、翌一〇日稲毛海岸で潮干狩りをした後同所から東京都内へ向かう途中本件事故を起こし、同日市川警察署で業務上過失傷害致死被疑事件の被疑者として取り調べを受けたが、翌一一日川崎市の国鉄川崎駅の東方にある第一京浜国道沿いの無料駐車場に加害車を乗り捨て、直ちに郷里に近い青森市へ向かつたこと、(四)被告は八戸が加害車を約束どおりに返還せず、使用時間を延長したいとの連絡もして来なかつたので、八戸に乗り逃げされたものと推察したが、三月二七日鶴木組でも八戸の行方を探し始めたのを知つてその確信を得、翌二八日島田警察署に加害車の盗難届を提出するとともに被告と同系列の自動車販売会社間の盗難行方不明車両の捜索機関である日産プリンス自動車販売店協会にも加害車の盗難届を提出して、加害車の発見に努力し、四月一日八戸から前記内容の電報を受信して加害車の返還を期待したものの、期待を裏切られ、四月六日前記塩沢から電話で前記内容の問い合わせを受けると、塩沢や前記増山に対しても八戸に加害車を乗り逃げされた事情を説明して加害車発見の協力方を依頼し、時機を失せず川崎市の日産プリンス京浜販売株式会社にその事情を説明して同様の協力方を依頼したが、加害車の発見にいたらないうちに本件事故が発生したこと、以上の事実を認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。そこで、右の事実によると、八戸は約束の三時間を経過したのを知りながら使用時間の延長について被告の承認を受けようともせず、無断で加害車の使用を継続し、勤務先の鶴木組からも無断で離職してその所在をくらまし、島田市から遠く離れた東京都内などを何日も乗り回していたのであつて、四月一日仙台市から被告にあてて同月四日に加害車を返還する旨電報で連絡してはいるものの、その後の経過に照らしてみるとそれは八戸の気まぐれな出来事で、これを同人の真意に出たものと推認することはできず、同人はまもなく加害車を返還する意思を放棄し、さらに、四月五日には訴外増山に加害車を二五万円で売り渡そうと話を持ちかけているのであつて、事の次第が露見するのをおそれて加害車を売り渡すにはいたらなかつたものの、遅くともこの時点では八戸の加害車を不法に領得しようとする意思が明らかに看取されるのであり、他方、被告は三月二八日以来警察関係および同系列の会社関係を通じて八戸と加害車の所在捜索に努力したのになんら手がかりをつかめないまま時日を経過したのであつて、これらの事情を総合すると、被告は遅くとも四月五日ころには加害車に対する管理可能性を失つたものとみるのが相当であつて、以来加害車の運行供用者でなくなつたといえる。
そうすると、被告は本件事故当時加害車を自己のために運行の用に供していた者にあたらないといえるから、被告には自賠法三条による損害賠償責任がない。
三、したがつて、原告の本訴請求はその余の点について判断を進めるまでもなく理由のないことが明らかであるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 加藤一隆)