千葉地方裁判所 昭和46年(人)1号 判決 1971年8月09日
請求者
大木年子
代理人
抜山映子
被拘束者
大木一男
国選代理人
小川彰
拘束者
大木月男
園田恒明
代理人
大塚喜一
主文
被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。
本件手続費用は拘束者の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、請求者
主文同旨の判決。
二、拘束者
請求者の本件請求を棄却する
被拘束者を拘束者に引渡す
手続費用は請求者の負担とする
との判決。
<以下事実略>
理由
一、拘束の有無について
1、被拘束者は、請求者と拘束者との間の長男として昭和四五年七月七日に生れたこと、同四六年一月二九日拘束者が被拘束者を自宅から鹿児島市の生家に連れ去つたことは、当事者間に争いがなく、その翌日拘束者は同人の父方の従兄弟にあたる小川良吉夫婦のもとに被拘束者を委託し監護養育して今日に至つていることは、拘束者本人尋問の結果によりこれを認めることができる。
2、右事実によれば、被拘束者は現在一年一カ月(当時六カ月)であつて意思能力のない幼児であることが明らかであるから、共同親権者の一人である拘束者が、請求者の手もとから被拘束者を連れ去り自らの委託した他人のもとにおいて監護する行為は、当然に幼児の身体の自由を制限する行為を伴うものであるから、その監護行為自体が人身保護法および同規則にいう拘束にあたると解すべきである。
二、拘束の違法およびその顕著性について
1、(一) 請求者と拘束者は、昭和三九年三月二九日見合結婚をし、同四四年二月二六日一旦協議離婚したが、同年一二月一三日再び婚姻し今日に至つていること、当事者間に被拘束者の他に長女花子(同四〇年六月六日生)がいること、夫婦関係はとかく円満を欠く状態であることは当事者間に争いがない。
(二) 右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、拘束者・請求者は結婚後東京で生活を始めたが、互いに性格的になじめず、夫婦間の性交渉も円滑を欠き、早くも夫婦関係に溝ができ、さらに金銭上の問題なども加わつて夫婦喧嘩もしばしば起り、夫婦関係は悪化するばかりで、この間長女花子が生れたものの、結婚五年目にいたり遂に協議離婚することとなつた。ところが、当時請求者は、被拘束者を妊娠していたこともあつて約一〇カ月で再びよりを戻して結婚をし共に生活を始めたが、夫婦間の衝突は以前にも増して激化し、遂には拘束者の方から家庭裁判所に離婚調停を申し立てるなどし、昭和四六年一月二九日には拘束者は請求者にことわりなく被拘束者を鹿児島市に連れ去り、小川方に養育を委ね、同年三月三一日には自宅をでて転居し、以後請求者と別居生活を続けていることが認められ、右認定に反する他の証拠はない。
(三) 右認定事実によれば、請求者と拘束者との夫婦関係は破綻に瀕している状態であることが明らかである。
2、ところで、夫婦関係が破綻に瀕している場合に、夫婦の一方が他方に対し人身保護法にもとづき共同親権に服する幼児の引渡を請求したときには、その請求の要件である拘束の違法性は、その拘束がいかなる手段、方法により開始されたかということよりも、幼児を夫婦のいずれに監護させるのが幼児のために幸福であるかを主眼として決すべきものと解すべきである。
(一) 本件のように生後一年一カ月の幼児にとつては、両親のもとで監護養育されることが最も好ましい生活であることは明らかである。しかるに、このような状態にある幼児を一方の親、とくに父親が母親の監護のとどかない場所に母親の意思に反して置くことは、たとえその場所で他人の手により充分な監護養育がなされたとしても、幼児の実母の愛情ある養育を受ける利益を無視し、幼児の心身に好ましい影響を与えるものでないことが明らかであり、幼児としては実母からの愛情を受くべきことを保護される法律上の利益を有しているものというべきである。のみならず、夫婦間において、妻は母親として幼児の監護養育の中心の担い手であり、幼児の最大の庇護者であるから、社会的規律上夫といえども父親だからといつて、相当の理由なくして右監護養育の担い手を勝手に変更することは許されないものというべきである。したがって、もし不幸にして両親が別居するなどの事情から、幼児を両親のいずれか一方の監護養育に委ねなければならぬとしたならば、一般的には、実母の手もとにおく方が幼児にとつて明白に不幸であるという特別の事情のない限り、実母のもとで監護養育することが自然であり、かつ幼児にとつて次善の方策といえるであろう。
(二) そこで、右特別事情の存否について判断する。
(1) <証拠>を総合すると、拘束者は現在船橋市に居住して東京都立○○○高等学校に教員として勤務しているため、被拘束者を鹿児島市の小川夫婦に委託し、月々一万五、〇〇〇円の養育料を送金しており、委託されている同夫婦は、四人の子供を育てた経験があり、被拘束者は同夫婦から養育され、順調に成育していること、請求者の連れ去る前の監護養育状態は、請求者が千葉県立×××高等学校に教員として勤務しているため、常に被拘束者に付き添つて養育することはできず、勤務時間中は保育所であるたかね台ベビーホームに被拘束者を預けていたが、それ以外の時間は被拘束者の育児にできる限り専念していたこと、このような状態下にあつても被拘束者は順調に成長していたことが認められ、右認定に反する拘束者本人の供述の一部は信用できず、右認定に反する他の証拠はない。
右認定事実よりすれば、被拘束者は拘束者の委託者によつて順調な成育をとげているが、請求者のもとにおいても順調な成長をしていたことが認められる。
(2)ところで、拘束者は、請求者が勤務時間中被拘束者を保育所に預けていた事実をもつて、直接請求者自らの手で養育してきたものではない旨主張するが、請求者が勤務時間中保育所に預けた処置は共稼という事態から生じたもので、請求者の監護養育能力の欠如からではない。また、長女花子が生後一年すぎの昭和四一年九月ごろから請求者の実家で監護養育され、請求者の手もとでなされていないことは当事者間に争いがないが、この事実をもつて拘束者は請求者に被拘束者の監護養育する能力がない旨をも主張する。しかし、<証拠>によれば、長女花子は未熟児で生れ、虚弱体質であつたため、常時付き添つていて注意をくばらなくてはならないところ、請求者は勤務する身であり、また入院等の処置をとれる程の資力もなかつたので、請求者の実家に預けたことが認められるのであり、この事態もまた共稼ということからでてきたもので、直接請求者の監護養育能力の欠如に結びつけられるべきものではない。また、拘束者は、請求者が育児に熱心ではなく、衛生観念に乏しく、被拘束者はそのため気管支を患い、おむつかぶれもある状態であつたと主張するが、連れ去る前に気管支炎に罹つていたことが<証拠>から推認されるが、その他の事実はこれを認めるに足る証拠はなく、右気管支炎があつたからといつて請求者の監護養育能力が欠如しているとは直ちにいうことはできない。また、共稼であるところから、常に付き添つていることのできる母親より監護養育が充分ではないということはできるが、これとても、請求者の監護養育の能力が一般的に要求される母親としてのそれを下回るものということもできない。
これらの事態は、共稼ということによるものではあるが、現今共稼夫婦が増加している社会事情下において、これはある意味では、子にとつて不幸であるといえるかもしれないが、ある程度やむをえないことでもあり、働く妻に対し、夫が母としての監護養育を最大限に要求することは難きを強いるものであり、かえつて、夫としては、父としての立場からも働く妻の母としての立場に理解を示しこれに対しできうる限りの援助を与えるべきである。ところが、拘束者については遺憾ながら右のような態度を認めることはできない。
さらに、拘束者は、請求者の性格が気分易変的であり、被拘束者を監護養育する能力に欠ける旨主張するが、<証拠>によれば、請求者に主張のような性格があることは否定できないが、これは夫婦関係が円滑にゆかず感情的になつていることに起因するものと認められ、また、前記認定のとおり被拘束者は請求者の手もとにいる間は順調な発育をとげていたものであるから、請求者に養育能力を欠くものとはいえない。
(3) 以上の点から考えると、請求者の手もとに被拘束者を引渡すことになれば、請求者の勤務時間中は保育所等で養育されることになり、現在の拘束者のもとにおける監護養育状態よりも悪くなる様に一見考えられるが、幼児の幸福という点から見るときは、この程度の差異では、他人の手により養育されるこよとり実母の手によつて養育されることの方がより優つていることは火を見るより明らかである。
したがつて、被拘束者が請求者のもとで生活することが拘束者の委託下での生活にくらべて被拘束者にとつて特に不幸であるというべき特段の事情は存しない。
(4) なお拘束者は、請求者が拘束後五カ月を経過した後に、本件救済請求を求めたのは緊急性を欠く旨主張する。なるほど人身保護法による救済は、一種の仮処分の性格を有しており、その要必要性、緊急性ともいうべきものが、人身保護規則四条にいう違法の顕著性の中に含まれているものと考えられるから、この点をも判断するところ、請求者は拘束者に被拘束者を連れ去られた後、昭和四六年六月一五日千葉家庭裁判所市川出張所に被拘束者の救済を求めるため調停を申し立てたが、同月二二日不調に終つたことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、請求者は拘束者に再三にたわつて被拘束者を返すように要求したことが認められるところであり、右事情からすれば、請求者が五カ月後に本件救済請求を申し立てたからといつて、緊急性を欠いたものとはいえず、したがつて、違法が顕著であることを否定することにもならない。
三、そうすると、被拘束者に対する本件拘束は違法であつて、それが顕著であるというべきであるから、本件救済請求は理由があり、よつてこれを認容し、手続費用につき人身保護法一七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する、
(渡辺桂二 鈴木禧八 安藤宗之)