千葉地方裁判所 昭和50年(ヨ)213号 判決 1981年5月25日
債権者 広瀬清
右訴訟代理人弁護士 高橋勲
同 米澤善夫
同 佐藤鋼造
同 関静夫
同 田村徹
同 後藤裕造
同 白井幸男
債務者 日立精機株式会社
右代表者代表取締役 清三郎
右訴訟代理人弁護士 橋本武人
同 岩井国立
同 田多井啓州
右訴訟復代理人弁護士 熊埜御堂みち子
主文
一 債権者の本件申請をいずれも却下する。
二 申請費用は債権者の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 申請の趣旨
1 債権者が債務者の我孫子工場に勤務する従業員である地位を仮に定める。
2 債務者は債権者に対し、昭和五〇年七月一六日以降本案判決の確定に至るまで毎月二五日限り金一〇〇、九七一円の割合による金員を支払え。
二 申請の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 申請の理由
1 当事者
(1) 債務者は精密工作機械の製造販売を業とする株式会社であり、肩書地に本社を置き、千葉県我孫子市、同県習志野市に工場を有している。
(2) 債権者は昭和四九年四月に債務者会社に入社し、三か月間の試用期間を経て正社員となり、研修生として我孫子工場内の技術研究所に勤務し、同年七月から同研究所電気部所属のまま翌志野工場電気課員として勤務し、技術部門を担当してきた。
2 ところが債務者は昭和五〇年六月一六日付をもって債権者を申請外セイキインターナショナル株式会社(東京都千代田区丸の内二―四―一所在、以下セイキインターという)に転属させたと主張して、債務者会社における債権者の就労を拒否し、同年七月一六日以降の賃金を支払わない。
なお本申請後に習志野工場が我孫子工場に統合され、これに伴い債権者も同工場勤務の従業員となった。
3 保全の必要性
債権者は労働者であり、賃金収入を絶たれた現在妻と二児を抱えて生活に困窮している。
4 よって本件申請に及んだ。
二 申請の理由に対する認否
1 申請の理由1項の事実は認める。
2 同2項の事実(但しなお書き部分を除く)は認める。
3 同3項は争う。債権者は現在電気製作所に勤務し、妻との共働きで相応の収入を得ており、生活困窮のおそれはない。
三 抗弁
1 本件転属命令の発令
債務者は債権者に対し、昭和五〇年六月一〇日習志野工場総務課長石井定文を通じて、同月一六日付をもって債権者をセイキインターに転属させる旨の業務命令(以下本件転属命令という)を発令した。
《以下事実省略》
理由
第一 申請の理由1項、2項(なお書き部分を除く)及び抗弁1項(本件転属命令の転属先及び申渡者の氏名を除く)の事実はいずれも当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば右転属先はセイキインター営業部ではなくセイキインターであると認めることができる。
第二 よって、本件転属命令の効力について判断する。
一 会社における転属制度
1 転属の意義及び根拠
転属が人事異動の一形態であり、労働協約覚書一〇条に「転属とは会社の命令に基づき会社を退職して関係会社へ転出する場合をいう。」と規定されていることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、会社の就業規則八条には「会社は業務上の必要により社員に異動を命ずることがある。社員は正当の理由のない限り、これを拒むことはできない。」と規定されていることを認めることができる。
2 転属制度の運用
債務者が昭和五〇年当時資本金四〇億円、従業員数二〇三〇名であったこと、セイキインターが精密工作機械の輸出を目的とする資本金一〇〇〇万円(昭和五〇年当時)の株式会社であり、資本金の二五パーセントを債務者が出資し、その余は個人株主の出資によっていることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、
(1) セイキインターは会社の輸出部門及び官公庁部門が分離独立し、昭和三五年四月一八日八光商事株式会社として設立されたもので、会社製造の各種工作機械その他関連機械器具の輸出入を目的とする関連会社である。昭和四六年八月に社名をセイキインターナショナル株式会社と改めて今日に至っているが、会社及びその関係者が出資し、役員も会社役員が一部兼務するなど会社との関係が深く、業務運営の面でも相互に密接な連絡がとられ、会社の意向を反映した運営がなされていた。
(2) セイキインターの従業員は昭和五〇年当時約五〇名であったが、若干名の女子従業員を除いてセイキインターが独自に採用することはなく、その大部分は会社からの転属者で占められ、一方会社は従業員の募集に際してその勤務場所の一つにセイキインターを定め(募集要項や入社案内にもその旨明記)、必要に応じてその社員をセイキインターに転属させてきた。
(3) セイキインターに転属した者は、会社を退職してセイキインターの社員となり、その指揮命令の下に労務を提供し、同社から賃金の支給を受けることになるが、現実には退職手続はされず、転属通知と本人の赴任という社内配転と同様の簡略な手続で処理され、組合もこれを了承し、永年異議なく運用されてきた。労働条件についても、会社の就業規則、労働協約その他の諸規定が準用され、勤務年数も相互に通算されるなど、会社従業員とほぼ同一に定められ、昭和五五年六月末日までの間に会社からセイキインターに転属した者一一三名、セイキインターから会社に復帰した者四五名を数え、順調に交流がなされてきた。
以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
二 本件転属命令の性質
そこで以上の事実関係を踏まえて本件転属命令に転属者である債権者の同意が必要であるか否かを判断する。
雇用契約は労務者が使用者の指揮命令下に労務を提供し、その対価として使用者が労務者に賃金を支払うことを本質とし、使用者と労務者との密接な関係を前提とするものであるから、現に在籍する会社との雇用契約を終了させて新たに他の会社であるセイキインターとの間に雇用契約を締結することを意味する本件転属の場合には転属者である債権者の同意を要すると解さざるを得ない。
債務者は会社とセイキインターが実質的に同一であって、両社間の転属については社内配転と同様の運用がなされてきたとして本件転属に債権者の同意が不要である旨主張するが、前認定から明らかなとおり、セイキインターは会社とは別個の法人であって、会社と密接な関係にあるものの、その従業員に対し独自の指揮命令権を有しているから、本件転属によって雇用契約上の使用者に変更をきたすことが明らかであるし、債務者のいうところの労働条件等の同一性も会社とセイキインターの法人格が異なる本件の場合には将来の保証に欠け、転属により労働者の権利義務に変動が生じないとする資料とはなり得ないから、債務者の主張を肯認することはできない。
三 同意の存在
1 《証拠省略》によれば、
(1) 会社発行の「入社案内」には勤務場所の一つとしてセイキインターが明記されているが、債権者は入社面接前に右「入社案内」を読んでいること
(2) 入社面接の際、債権者は身上調書を作成したが、その質問事項⑮「勤務場所 本社(神田・丸ビル・九州・大阪・名古屋・広島・仙台)我孫子工場・習志野工場・セイキインターナショナルKK(輸出部独立)のいずれにも勤務できるか」との質問に対し、質問欄の我孫子工場、習志野工場に丸印をつけた後これを訂正し、改めて解答欄の「可不可」の可に丸印をつけたこと
(3) その後右身上調書を参考に供して行われた面接で面接委員である人事部長高橋定雄の、入社後別会社であるセイキインターに転属することがありうる旨の説明に対して債権者は異議のない旨応答し、右身上調書の記載についても訂正した旨答えていること
以上の事実を認めることができる。
2 債権者は右面接の際にはセイキインターについての説明や転属云々の話はなく、当時は同社についての知識もなかったこと、かえって入社前の人事課員岩堀武や電気課長浦沢幸雄らの説明では、入社後は製造開発設計部門で働くことになるとのことで、債権者はその技術者として採用されたものと理解していた旨供述している。
しかしセイキインターへの転属は会社の人事体制に組み込まれて永年継続されてきた制度であって、従業員の募集において同社を勤務場所の一つに定め、採用面接の際の身上調書においてもその旨を明らかにしているなどの前示事情のもとでは、採用面接の際に前記身上調書の記載訂正を含めて勤務地について質問確認することはむしろ自然(債権者が勤務場所として我孫子工場又は習志野工場のみを固執するのであれば、会社としてその採用を見合せることも充分考えられる)であるし、職種の限定についても、一般に従業員の採用にあたり、その職種ないし勤務地を限定することは会社の人事権に制約をきたし、特にその必要性や合理性のない限りなされていない(前記募集要項や入社案内に職種等限定の記載のないことは勿論である)と考えられるところ、債権者の場合にそのような必要性ないし合理性を認めうる事情はなく、従来技術者をして営業の業務に従事させてきた会社が、債権者の場合に限り職種等の限定をしたとも考えられないから、債権者の右供述は採用できない。
3 以上の認定によれば、債権者は債務者会社に入社するに際して将来セイキインターに転属することにつき予め包括的な同意を会社に与えたものということができる。
債権者は転属に必要とされる転属者の同意は転属の際の個別具体的な同意に限られる旨主張するが、そのように限定しなければならない理由はなく、転属先の労働条件等から転属が著しく不利益であったり、同意の後の不利益な事情変更により当初の同意を根拠に転属を命ずることが不当と認められるなど特段の事情のない限り、入社の際の包括的同意を根拠に転属を命じうると解するのが相当である。
なお前記身上調書の勤務地に関する質問方法が違法である旨の債権者の主張が採用できないことは言うまでもないし、右質問に対する回答が将来の可能性を承認したにすぎない旨の主張も前示の転属制度の概要や右調査の時期、質問内容等に照らして採用できない。
4 してみると、債務者は入社時における債権者の包括的同意及び債務者会社就業規則第八条を根拠として、債権者に対してセイキインターに転属すべきことを命じうるものと解される。
四 再抗弁(差別的配転による無効)について
1 業務上の必要性と人選の経緯
《証拠省略》によれば、会社は昭和四九年以降折からの不況下、受注の落ち込みが甚だしく、経営が急速に悪化し、昭和五〇年九月期には八億円を超える経常損失を計上し、無配に転じた。このような経営状態を打開改善するために昭和四九年一〇月経営全般にわたって樹立実行された諸対策の一環として輸出強化方策があり、昭和五〇年初めセイキインターは同方策の基本方針として「今後の輸出戦略」(イ)会社製品の海外販売の拡大強化、(ロ)海外企業との技術提携、(ハ)海外工場(現地品の活用と現地法人の必要性)、(ニ)自他製品を組み合わせたシステムセールス指向等を決定した。右基本方針の具体化のため同年四月一五日セイキインターは会社に対し当面早急に必要な欧州セイキコーポレーション設立準備のための要員二名、輸出入業務要員一名の派遣を要請し、前者については「入社後一〇年以上の、できれば役職クラスのNC機械に精通した者一名及び独身のNC技術者で電気専門の大卒者一名」で、「海外駐在予定者であるから特に積極進取の精神に富み、身体強健で体の大きい者が望ましい」とされた。そこで右要請をうけて会社社長室長手島五郎、人事課長磯崎祐二、セイキインター輸出部次長杉元顕太郎が協議し、右設立準備要員の内一名は他の一名を補佐するものとして入社一年ないし二年程度の電気屋で一応NCの基礎を履習した者という枠を設け、会社の人事担当者が電気課長を通じて具体的人選に入ったが、当時会社には電気技術者が少いなどの事情から債権者を含む昭和四九年度研修生四名を選考の対象として加え、大卒・独身・二五才未満の条件で松本敬一、沢田正作及び債権者の三名を選出し、うち松本、沢田については債務者主張の障害事由からこれを除外し、債権者については積極的で物おじせず堂々と振舞う人物であり、家庭の事情にも支障がないことから同人をもって適任であると判断し、同人を選出したことを認めることができる。
2 人選が不合理であるとの主張について
(1) 債権者は欧州セイキコーポレーションの現地設立業務という重大な任務にあたる者の選考にNCの基礎をやった入社一、二年の者や未熟な研修生を含めたこと、具体的な選考の過程で「大学卒業」を条件としながら「語学力」を考慮していないことはいずれも不合理である旨主張して人選を非難するが、右人選は同時にセイキインターに転属する「入社一〇年以上で役職クラスのNC機械に精通している者」を補佐するものとして選考されたものであるから、若年者を選考対象とすることは当然であって、NCの基礎を履習した入社一、二年の者を選考の対象としたことに不合理な点はないし、研修生を含めるに至った事情も前記のとおりであって、これを不合理とするほどの事情も見受けられず、やむを得ない措置と考えられる。また「大学卒業」を選考条件とすることは合理的な選考方法として世間一般に行われており、本件転属の趣旨目的とも齟齬するものではなく、本件転属を拒否した債権者の後任として高等専門学校卒業者がセイキインターに転属したとしても、そのことから当初の「大学卒業」の条件設定が不合理であると結論しうるものでもない。そして語学力についても外国駐在員に語学力の必要なことは言うまでもないが、外国駐在後の学習によって補いうるものであって具体的選考にあたっての一資料とすれば足り、選考条件の一つに数えなければならない程のものではないから、債権者の前記非難はいずれも失当である。
(2) また、債権者は松本敬一、沢田正作、債権者の三名から債権者に決定された経緯についてもこれを非難するが、研修生とはいえ入社後一年を経過し、前記人選の目的上一年先輩の松本と比較してさほどの遜色があるとは考えられない債権者が、業務上の支障の生ずる松本や、語学力はあるが性格的に不向きと考えられた沢田を排して選出されたことは理由のないことではなく、右非難はあたらない。
3 思想信条による差別であるとの主張について
(1) 《証拠省略》を総合すれば、
(一) 会社に入社を希望する者は、採用面接の際身上調書用紙を交付され、支持政党、宗教、学外所属団体、デモ行進参加等の有無について回答を求められるが、更に面接委員から日本民主青年同盟(以下民青という)について質問を受けることもあり、採用が内定すると、共産主義的な活動を行わない旨の誓約書の差入を要求されていること
(二) 入社後の研修をみても、新入社員研修や集合研修等では会社人事課長磯崎祐二からマルクス主義は現代にあてはまらない理論である。労働者と会社は運命共同体である。会社を敵視する考え方の人間は会社を辞めてもらう等を趣旨とする発言がなされているし、昭和五一年一〇月二六日には日本共産党、民青に対立する立場からなされた産業人教育協会主催の研修会に出張扱いで社員を参加させていること
(三) のみならず会社総務課長石井定文らは社員の動向、特にその思想的傾向に関心を寄せ、寮生活、サークル活動、選挙活動等を中心に情報を収集し、時には社員の行動について父母に連絡したり、サークルに参加しないよう忠告するなどしてこれを牽制する行動に出たこと
以上の事実を認めることができ、右事実によれば、会社が日本共産党、民青ないしはその影響下にある人物、サークル等に警戒と危惧の念を抱いていたことは容易に推測できると言えよう(《証拠判断省略》)。
(2) しかしながら、右事情の下で過去に多くの差別配転がなされてきた旨の債権者の主張は次に述べるとおり疎明が充分でなく、これを認めることができない。
(一) まず差別配転の具体例として債権者の主張する畠山金二、竹内幸典、蓼沼秀夫の配転については右三名の各証言によればその不満とするところは結局のところ営業がそれまで従事してきた工場関係の仕事と異なり、その知識もなく不向きであるにもかかわらず事前の打診もないまま一方的に営業所への転勤を命じられたということに尽き、配転の支障となる事情も窺えず、そもそも配転を拒否しうる立場になかったものである。
債権者は右三名が民青又はサークルハイトロンの加入者で会社から嫌悪されていたとして右が差別配転である旨主張するが、学歴、年令、家庭事情等が同質とみられる者との具体的な比較もなされておらず、他にこれを根拠づける積極的な事情も見受けられない。
(二) また、債権者はサークルハイトロンの会員の営業所配転率が非会員に比べて高く、青年婦人部役員の営業所配転も多い旨主張し、《証拠省略》によれば、右書証の精度はともかく、債権者主張の傾向が窺えないではない。
しかし、これとて個々の差別配転の事例と相俟って始めてその意義を発揮するもので、右傾向の存在をもって直ちに個々の事例を差別配転となしうべきものではないし、資料自体としてみても、《証拠省略》ではそもそも同一条件の非役員との対比がなく、《証拠省略》においても配転者をサークル加入の有無で区別したのみで個々の事情が不明であるなど、それ自体としての疎明価値は低いと言わざるを得ない。
4 以上を総合するに、本件転属命令は業務上の必要性に基づく合理的な人選の結果としてなされたものといわざるを得ず、思想信条を理由とする差別配転である旨の債権者の再抗弁はこれを認めるに足りる疎明がなく採用できない。
五 結論
よって、その余の判断を俟っまでもなく債権者の本件申請には理由がないから、これをいずれも却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 朝山崇 裁判官橋本和夫、同宮岡章は転補のため、署名押印できない。裁判長裁判官 朝山崇)
<以下省略>