千葉地方裁判所 昭和51年(ワ)445号 判決 1979年9月17日
原告
平野勉
ほか二名
被告
市川市
ほか二名
主文
一 被告田島準之助、田島てつは各自原告平野勉に対し金三〇四四万四九四二円及びうち金二八九四万四九四二円につき昭和五一年九月一四日以降、うち金一六〇万円につき昭和五四年九月一八日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告田島準之助、田島てつは各自原告平野君子に対し金一〇五万円及びうち金一〇〇万円につき昭和五一年九月一四日以降、うち金五万円につき昭和五四年九月一八日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告平野勉、平野君子の被告田島準之助、田島てつに対するその余の請求及び被告市川市に対する請求をいずれも棄却する。
四 原告平野栄人の請求をいずれも棄却する。
五 訴訟費用は原告らと被告市川市との間に生じた分は原告らの負担とし、原告平野栄人と被告田島準之助、田島てつとの間に生じた分は原告平野栄人の負担とし、原告平野勉、平野君子と被告田島準之助、田島てつとの間に生じた分はこれを二分し、その一を右原告両名の負担とし、その余を右被告両名の負担とする。
六 この判決は原告平野勉、原告平野君子の勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者双方の求めた裁判
一 原告
(一) 被告らは各自原告平野勉に対し七八八二万三六〇五円、原告平野君子に対し四二〇万円、原告平野栄人に対し三二〇万円及び右各金員に対する昭和五一年九月一四日(被告市川市については同月一一日)以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。
(三) 第一項につき仮執行宣言
二 被告ら
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二請求原因
一 原告平野勉(以下原告勉という)は次の交通事故(以下本件事故という)により負傷した。
(一) 日時 昭和四九年一月二九日午後七時一五分頃
(二) 場所 市川市行徳駅前四丁目八三番地先市道交差点(以下本件交差点という)のほぼ中央(以下本件事故現場という)
(三) 事故車
被告側 被告田島準之助(以下被告準之助という)運転の普通乗用自動車(以下被告車という)
原告側 原告勉が同乗し浅沼正夫が運転する普通乗用自動車(以下原告車という)
(四) 態様 前記交差点において千鳥町方面から行徳駅方面に向つて直進中の原告車に、高浜町方面から浦安町方面に向つて直進中の被告車が衝突した。
(五) 受傷 頭部外傷(脳挫傷)、障害等級三級三号の後遺症がある。
二 責任原因
(一) 被告田島準之助
本件事故は、原告車進行道路が道路交通法三六条二項で定める優先道路であつたから、同被告が本件事故現場の交差点に進入するに際しては徐行すると同時に原告車の進行を妨害してはならないのに、また、右道路と交差する工事中の被告車進行道路を始めて車で進行していたのにかかわらず、不注意にも交差道路が優先道路であることに気付かず、相当な高速度で右交差点に進入した過失によつて生じたものであり、同被告は民法七〇九条により原告らの受けた損害を賠償すべき責任がある。
(二) 被告田島てつ
被告田島てつ(以下被告てつという)は、自己の経営する作業服店の仕事を夫である被告準之助に手伝わせていたものであり、特に商品の運搬については被告準之助をして行なわせていたところ、本件事故当日においても被告てつの指示で被告準之助が被告車を運転していたものであるから、被告てつは被告準之助をして被告車を自己のため運行の用に供していたものであり、自賠法三条により原告らの受けた損害を賠償すべき責任がある。
(三) 被告市川市
被告市川市は原、被告車進行両道路の管理者であるところ、道路の設置並びに管理に瑕疵があり、かかる瑕疵により被告準之助の右過失と相まつて本件事故を発生させたから、国家賠償法二条により原告らの受けた損害を賠償すべき責任がある。道路の設置並びに管理の瑕疵は次のとおりである。
(1) 原告車進行道路は当該道路を進行する者にとつては外形上から優先道路であることが明白に理解できたが、被告市川市は当該道路を優先道路と指定した旨を県公報なり、市公報なりに掲載する法的手続もしなければ、事実上のキヤンペーンも全く行なわず、道路利用者に周知するための措置を怠つた。
(2) 被告車進行道路は歩道の工事中であり、車両の通行を認めるべき状況でなかつたにもかかわらず、被告市川市は漫然車両の通行を認め、注意を促すような標示、標識を掲示するとか、進入、進出禁止ないし制限する柵を設置するとかの措置を怠つた。
(3) 被告車進行道路は原告車進行道路とかなりの段差があり、被告車進行道路を進行する車両からは原告車進行道路を認識することが困難で危険な状態であつた(特に夜間においては)にもかかわらず、被告市川市は「段差あり、注意」の標示、標識を掲げる措置を怠つた。
(4) 原告車進行道路は当該交差点内に中央線及び路側帯が設けられている事により優先道路となつているものであるが、本件事故当時においてはかような標示のみによる優先道路は他に殆ど存在しない状況であつたから、被告市川市は優先道路の管理者としてこれに交差する道路上に「この先優先道路」の標示、標識を設置してするか又は信号機を設置して優先道路に生ずべき危険を防止すべきであつたのに、その措置を怠つた。仮にこれらの設備を設置するのが県公安委員会の権限であるとしても、被告市川市としては優先道路の管理者として同委員会に対しこれら設備の設置を求める義務があつた。
(5) 原告車進行道路が優先道路であることを示す交差点内の中央線、路側帯は、当該道路と交差する道路を進行する車両に明確に認識できるものである必要があつたにもかかわらず、右中央線、路側帯標示はうすれて認識しにくい状態であつたが、被告市川市はこれをそのまま放置した。
(6) 原告車進行道路両側には排水路が設置されていたが、何らの危険防止措置がとられる事なく放置されており、原告車は被告車に衝突されて排水路に転落し、ために原告平野勉は車外に放り出されて強く頭部を打つて失神した。
(7) 仮に被告車進行道路、排水路に対し被告市川市が形式上の管理権を有していなかつたとしても、同被告はこれらに対し事実上の支配権を有し、また、組合に対し実質上監督権を有していたから、道路管理上の責任を免れることはできない。特に、排水路は市道である原告車進行道路と一体となつて隣接している以上被告市川市としては右道路を通行する車両、歩行者にとつて危険があれば、これを防止する義務を負うのである。
三 損害
(原告平野勉)
(一) 休業損害 一八〇万一八〇〇円
原告勉は、ワールド産業株式会社(以下訴外会社という)に勤務し、事故前三カ月平均一五万三〇〇〇円の給与を得ていたが、事故後は前記症状のため勤務できる状況ではなく現在とも欠勤し給与を受けてないが、後遺症診断書の症状固定期日たる昭和五〇年二月までの一三カ月分を休業損害として請求する。その間労災保険より一八万七二〇〇円の給付を受けたので右一三カ月分の給与相当分より右金額を控除した一八〇万一八〇〇円が同原告の蒙つた損害である。
(二) 逸失利益 七四〇四万三九六九円
原告勉の昭和五〇年三月以降の得べかりし利益の損失は次の金額を下回るものではない。
(1) 昭和五〇年三月から同五一年六月まで 三三九万五七五〇円
昭和五〇年三月時には本件事故がなければ昇給が見込まれていた所であるが、その額は月額一九万九七五〇円(公知の事実である略称賃金センサス昭和四九年第一巻第一表による男子労働者学歴計による平均収入額)を下回るものではなかつたので、その一七カ月分の金額
(2) 昭和五一年七月以降 七〇六四万八二一九円
年齢三六歳、年収三八三万五二〇〇円、労働能力喪失率一〇〇%、就労可能年数三一年として、年五分の割合によるホフマン式計算方法(係数一八・四二一)により中間利息を控除して算出した。
(三) 慰藉料 一三二五万二〇〇〇円
(1) 入通院中の分(昭和四九年一月二九日から同五〇年二月一九日まで入院四カ月、通院九カ月) 一二五万二〇〇〇円
(2) 後遺症慰藉料 一二〇〇万円
原告勉は、本件事故による傷害により、著しい意識障害、記憶喪失、性格変化、判断能力、思考能力の低下、身体的失調の状態にあり、日夜死に勝る苦痛状態下で廃人として将来を過ごさねばならず、これを慰藉するには少くとも右金員が相当である。
(四) 付添看護費 二四万円
(1) 入院一〇九日間原告勉の妻(原告平野君子)の付添看護につき一日二〇〇〇円の割合により算出した二一万八〇〇〇円
(2) 通院のうち昭和五〇年六月二三日から同五一年六月までの間(実日数二二日)の同費用につき前同様一日一〇〇〇円の割合により算出した二万二〇〇〇円
(五) 入通院雑費 一二万二四三六円
昭和四九年一月二九日から同年三月一〇日まで入院雑費三万八六一六円、転医・退院寝台自動車代一万八〇〇〇円、昭和四九年三月一一日から同年五月一六日までの入院雑費(一日五〇〇円の割合)三万三五〇〇円、退院時(二病院)の謝礼二万円、通院費前(四)項(2)の通院二二日分(一日五六〇円の割合)一万二三二〇円
(六) 治療費 三三万〇八五〇円
昭和五〇年六月二三日から同五一年五月三一日までの通院治療費
(七) 将来の治療費、通院費、付添看護費 二〇〇万一〇〇〇円
原告勉は将来とも治療を続ける必要があるが、今後とも前(四)項の(2)、(五)項、(六)項の通りの出費、損害を確実性をもつて負担しなければならないので、右項目の年間合計額三六万五一七〇円の約八〇%に該当する三〇万円の一〇年間分につき中間利息を控除した金額である。
(八) 以上損害合計は九一七九万二〇五五円となる。
(原告平野君子)
(一) 慰藉料 四〇〇万円
原告平野君子(以下原告君子という)は原告勉の妻であり、右両者間に長女恵(当時〇歳)が誕生しているが、原告勉が本件事故による傷害により原告君子との結婚、長女の誕生の記憶を全く喪失しているため、原告君子は妻としての愛情を受けられないのはもち論、日夜夫の看病で疲労しているうえに荒れ狂う夫からの暴力に耐えながら必死に生きようと努力はしているが、その労苦はとうてい筆舌に尽せるものではなく、将来に対する希望も失なわされた損害は甚大であり、そのための慰藉料は四〇〇万円を下回るものではない。
(原告平野栄人)
(一) 慰藉料 三〇〇万円
原告平野栄人(以下原告栄人という)は原告勉の実父で原告勉と同居していた者であるが、本件事故により最愛の息子が廃人にされた悲しみは、とうてい金銭で償い得べくもないが、その慰藉料として右金額を請求する。
(以上三名に係る弁護士費用)
原告ら訴訟代理人に対し、原告勉は三〇〇万円、原告君子、同栄人は各二〇万円弁護士費用を第一審判決言渡しまでに支払う旨約した。
四 原告勉は右損害のうち自賠責保険金より一五九六万八四五〇円を受領したので、これを同原告の損害額から控除する。
五 よつて被告ら各自に対し、原告勉は損害の補填されていない七八八二万三六〇五円、原告君子は四二〇万円、原告栄人は三二〇万円ならびに右各金員に対する訴状送達の日の翌日(被告準之助、てつにつき昭和五一年九月一四日、被告市川市につき同月一一日)から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三(被告田島準之助、田島てつ)請求原因の認否及び抗弁
一 請求原因一の事実のうち(一)ないし(四)は認め、(五)は不知。同二の(一)及び(二)の事実は否認する。作業服店を経営していたのは被告準之助で被告てつはその手伝いをしていたに過ぎない。同三の事実のうち原告勉が本件事故当時訴外会社に勤務していたこと、同原告が労災保険による休業補償給付として昭和四九年一月三〇日から同年五月一六日までの一〇四日分一八万七二〇〇円を受領したこと、原告らの身分関係が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は不知。同四の事実は認める。
二 仮に本件事故発生につき被告準之助に過失ありとするも、原告勉にも次に述べるように過失があつた。
(一) 本件事故現場は幅員をほぼ同じくする道路(一〇メートル)の交通整理の行なわれていない交差点である。
(二) 本件事故現場は原告車からみれば左右の交差道路の見通しのよくない交差点であつた。
(三) 本件事故当時は夜間で道路照明が十分でなく、道路面に若干の段差があつて交差点内の中心線を認識することが困難であつたから、両道路の優先関係は必ずしも明確ではなかつた。
(四) 原告車が交差点に進入する際には被告車もその至近地点にあり、先入車優先の原則を適用する余地はなかつた。
(五) 原告車の運転者浅沼が衝突地点の三三・二メートル手前で右方道路進行中の被告車の前照灯を認めたが、その際直ちに制動措置をとれば衝突回避が可能であつた。
(六) 浅沼は被告車の前照灯をみて「危い」というひらめきを感じた。
(七) 以上の諸事実によれば、本件事故現場付近の道路状況、照明状況等からみて、被告車が優先道路を認識することなく交差点内に進入する可能性が十分存したといい得るから、優先道路進行中の原告車の運転者浅沼も被告車の動静に注意し、不慮の場合に対応し得るよう注意を払つて運転すべきであつて信頼の原則に依拠して注意を怠ることは許されない。かかる観点に立てば、浅沼に安全運転義務違反の存することは明白であり、同人の使用者としてその安全運転を指示監督すべき地位にある原告勉にも同様の義務違反があるというべきである。
(八) 原告車には原告勉以外に五名の同乗者があつたが、いずれも本件事故による受傷は全治七日ないし一五日の軽傷にとどまつている。ひとり原告勉のみが重傷を負つたのは、同原告が助手席に乗車しながらドア・ロツクを施錠しなかつたため、衝突の衝撃により助手席側のドアが開き車外に放出されたことによる。同原告はドア・ロツクを施錠し万一の場合にも損害発生を最少限度に阻止すべき義務を怠つたものというべきである。
第四(被告市川市)請求原因の認否及び抗弁
一 請求原因一の事実のうち(一)ないし(四)は認め、(五)は不知。同二の(一)及び(二)の事実は不知。同(三)の冒頭の事実のうち被告市川市が原告車進行道路の管理者であることは認め、その余は否認する。同(1)の事実のうち原告車進行道路が当該道路を進行する者にとつては外見上優先道路であることが明白に理解できたことは認め、その余は否認する。同(2)の事実は不知。同(3)の事実のうち段差があり、注意の標示・標識がなかつたことは不知、その余は否認する。同(4)の事実のうち原告車進行道路が当該交差点内に中央線及び路側帯が設けられていることにより優先道路となつていることは認めるが、その余は否認する。同(5)の事実は否認する。同(6)の事実のうち原告車進行道路両側に排水路があつたこと、原告車が被告車に衝突されて排水路に転落したこと、原告勉が車外に放り出されたことは認め、その余は不知。同三の事実の原告勉の損害に関し、同(一)の事実のうち同原告が訴外会社に勤務していて事故前三ケ月平均一五万三、〇〇〇円の給与を得ていたこと、事故後同原告が勤務できる状態ではなく現在とも欠勤して給与を受けていないことは不知、その余の事実は否認する。同(二)ないし同(七)の事実は否認する。原告君子の損害に関し同原告が原告勉の妻で両名の長女が恵であることは認め、慰藉料額は争い、その余は不知。原告栄人の損害に関し同原告が原告勉の実父であることは認め、慰藉料額は争い、その余は不知、弁護士費用は争う。同四の事実は認める。
二 被告市川市には道路管理上の過失はない。
(一) 原告車進行道路は被告市川市の管理するところであり、同被告は道路管理者として道路法四五条による区画線である中央線及び路側帯を設け、昭和四一年四月一一日市道として告示した。原告らは右道路を優先道路として指定した旨を県公報又は市公報に掲載し道路利用者に注意を与える措置をとるべきである旨主張するが、かかる措置は道路上における交通の危険・障害の防止に関するものであるから、県公安委員会の権限に属すべきもので、被告市川市の行なうべき義務ではない。
(二) 被告市川市は本件事故当時被告車進行道路及び原告車進行道路側の排水路につき管理権を有していなかつた。すなわち、当時市川市南行徳第三土地区画整理組合(以下組合という)は昭和四〇年六月二九日右整理区域内に存する国有地たる道路及び水路を区画整理施行地区に編入することにつき千葉県知事の承認を得、また、同年五月一三日右整理区域内に存する被告市川市の所有地たる道路を区画整理施行地区に編入することにつき同市長の承認を得た。かくて、組合は区画整理施行区域内の国有道路及び水路、被告市川市有道路につき管理権を取得した。
組合は昭和四九年一一月二〇日国に対し原告車進行道路わきの排水路(市川市行徳駅前二丁目五六番地用悪水路二八五平方メートル)の換地処分をしたので、被告市川市は地方自治法二条二項、三項二号により国がその所有権を取得した前同日以来右排水路の管理権を取得した。しかし、組合が右排水路につき底打工事、ガードパイプ及び覆蓋工事を行なつていたため、組合は直ちに管理することができず、これら工事が完了した昭和五〇年一月三一日から右排水路を管理するに至つた。
また、被告市川市は、組合が区画整理事業を完了したため、昭和五〇年五月三日土地区画整理法一〇六条四項により被告車進行道路を含む被告市川市有の道路につき管理の引継ぎを受け、同年六月一一日市道路線認定、市道路区域決定、市道路供用開始に関する告示をした。
このように、被告市川市が被告車進行道路及び右排水路につき管理を開始したのはいずれも本件事故発生(昭和四九年一月二九日)以後なのである。
更に原告車進行道路の両側のうち排水路築造工事に必要な部分については、右工事期間である昭和四九年四月一六日から昭和五〇年一月三〇日までは組合の管理下にあつたのであるから、前同様被告市川市は本件事故当時右両側部分を管理していなかつた。
このように、本件事故当時被告市川市が管理していたのは原告車進行道路のみで、被告車進行道路、排水路及び排水路工事に必要な原告車進行道路の両側部分につき管理をしていなかつた以上、同被告にはこれら道路等につき原告らが主張するような諸措置をとるべき義務がない。
(三) 仮に被告市川市が組合の区画整理実施中であるにもかかわらず被告車進行道路等につき管理義務を負うとしても、原告らの主張する標示・標識等の設置は千葉県公安委員会がなすべきもので、同被告はかかる権限を有しない。
(四) 組合は土地区画整理法一四条により県知事の認可により設立され、同法一二五条により県知事の監督に服してその事業を遂行するのであり、市町村は同法七五条により組合から求められた場合土地区画整理事業に関し専門的知識を有する職員による技術的援助をすることがあるにとどまり、組合に対し支配権、監督権を有するものではない。
(五) 被告市川市は本件事故当時原告車進行道路につき管理権を有していたが、右管理責任は道路が通常有すべき安全性をそなえていれば十分であつて、通常予想され得ない自動車衝突事故までを想定して管理をする必要はない。被告市川市としては道路法に従つた区画線を設置した以上道路に対する設置管理には瑕疵はなかつたのであり、たとい衝突による暴走車を予想して排水路への転落防止のための障壁を設置しても、暴走車はこれに突当り転落同様の損害を蒙ることになるのである。
(六) 本件事故は原告車及び被告車の運転者である浅沼及び被告準之助の過失によつて生じたものであり、仮に被告市川市の道路の設置、管理に瑕疵があつたとしても、その瑕疵と本件事故発生との間には因果関係がない。
第五証拠関係〔略〕
理由
第一 本件事故の責任の所在
一 請求原因一の(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがなく、原本の存在及び成立に争いのない甲第一〇号証、成立に争いのない甲第一二ないし第一七号証、乙第二、第三号証の各一、二、第四号証、丙第五、第六号証の各一及び被告田島準之助本人尋問の結果によれば、本件事故発生に関し、次の事実を認めることができる。
原告車進行道路は千鳥町から行徳駅方面に向うほぼ南北に通ずる舗装部分の幅員約一〇メートルの湊新田海岸線と呼ばれる被告市川市の市道であり(以下甲道路という)、被告車進行道路は高浜町から浦安方面に向うほぼ東西に通ずる舗装部分の幅員約一〇メートルの道路(昭和五一年六月一一日南行徳行徳線として被告市川市の市道として認定される。以下乙道路という)であつて、両道路は本件事故現場を中心とする交通整理の行なわれていない本件交差点において直角に交差している。甲道路は乙道路に対し優先道路であつて、交差点内にその旨を示す区画線である中央線及び路側帯が白線により表示されていた。被告準之助は昭和四九年一月二九日午後七時一三、四分頃被告車を運転して乙道路を高浜町方面から本件交差点へ向け時速約七〇キロメートルで西進中、左斜め方向に甲道路を千鳥町方面から本件交差点へ向け時速約五〇キロメートルで北進中の原告車を発見した。その時点における本件事故現場からの距離関係は被告車が約四〇メートル、原告車が約三〇メートルであつた(従つて、両車間の直線距離は約五〇メートルとなる。)。被告準之助は乙道路を自己の運転する自動車により走行したのは本件事故当日がはじめであつたこともあつて、甲道路が優先道路であることに気付かないまま従前の速度のまま運転を続けたが、本件交差点に近付くも原告車が減速をしないので、そのまま自車の進行を継続すれば原告車の進行を妨害する危険を感じ、本件事故現場の手前約二五メートルの地点で急ブレーキをかけたが間に合わず、自車の前面を原告車の前部運転席ドアーに激突させ、右衝突による衝撃の反動で原告勉が乗車した助手席ドアーが開き、同原告は右ドアーから車外に放出されて転落し、後記第二の一認定の頭部外傷の傷害を負つた。
右の事実によれば、本件事故は交差道路である甲道路が優先道路となつている乙道路を運転する被告準之助が交通整理の行なわれていない本件交差点に入ろうとするに際し、前方注視を怠り、甲道路が優先道路であることに気付かないまま徐行することなく進行し、甲道路を進行する原告車の進行妨害をした過失に起因するものということができる。特にはじめての道路を運転する者は交差道路に近付く都度徐行し道路標識、交差道路上の区画線の有無に注意し、交差道路が優先道路か否かを慎重に確認する義務が要求されるのであり、本件事故当時甲道路上の区画線を確認することは可能であつたことは後記二の(五)において認定するとおりである。
二 原告らは本件事故は被告市川市の道路管理上の瑕疵にも起因する旨主張するので、請求原因二の(三)の(1)ないし(7)に即して順次検討する(以下右主張を(1)の主張、(2)の主張というように略称する)。
(一) (1)の主張について 前記一に述べたように被告市川市はその管理にかかる甲道路上に法令の定めに従つた区画線による優先道路の表示をしたのであるから、これをもつて道路管理者として道路利用者に対する周知方法として十分というべきであり、右表示後は個々の道路利用者の注意又は必要に応じ県公安委員会により交差道路に設置される「前方優先道路」の道路標識又は道路標示(道路交通法四条、道路標識、区画線及び道路標示に関する命令((昭和三五年一二月一七日号外総理府・建設省令第三号))四条二項、九条)による道路利用者に対する注意喚起に委ねれば足るものと解するのが相当である。
(二) (2)の主張について 本件にあらわれた全証拠によるも乙道路につき車両の通行を禁止すべきであつたことを認めることはできない。
(三) (3)の主張について 前掲甲第一四号証及び証人金坂輝男の証言によれば本件事故現場付近の乙道路には若干の高低差が認められるものの右高低差はいわゆる「段差」という程大きな落差ではなく、乙道路上を本件交差点に接近する自動車運転者にとつて徐行義務と前方注視義務を怠りさえしなければ、甲道路上の優先道路を示す区画線を確認するに支障となるものとまでは認めがたい。
(四) (4)の主張について 「前方優先道路」の道路標識又は道路標示は県公安委員会がなすべきものであることは前記(一)に述べたとおりであり、また、信号機の設置も県公安委員会がなすべきであつて(道交法四条)、仮にこれら設備の不設置が瑕疵であるとしてもこれをもつて被告市川市の道路管理上の瑕疵と認めることはできない。また、これら設備を設置するか否かは県公安委員会の裁量的判断に委ねられているものと解すべきであるから、道路管理者としてその設置申請をしてもそれは同委員会の職権の発動を促すにとどまり、申請をすれば必ず同委員会がこれに応じたと推測し得る特段の事情が存しない限り、被告市川市が設置申請をしなかつたとしても、同被告に道路管理上の瑕疵があつたものということはできない。
(五) (5)の主張について 前掲甲第一〇、第一四、第一五号証、乙第二、第三号証の各一、二及び被告田島準之助の本人尋問の結果によれば、本件交差点付近は夜間照明がやや弱く、また、甲道路上の区画線がややうすれていたとはいえ、同被告が自動車運転者が道交法三六条四項に従い交差点に入るに際し徐行して安全な速度を保ち、かつ前方注視を怠りさえしなければ、甲道路上の区画線を認識することは可能であつたと認めることができる(特に乙道路を始めて走行する被告準之助に対する注意義務については前記二において述べたとおりである。)。
(六) (6)の主張について 前掲甲第一五号証、乙第二、第三号証の各一、二によれば、甲道路の本件交差点部分を除いた舗装部分の両側には非舗装部分を隔てて幅二・二メートルの排水路が設置されており、本件事故当時排水路上には蓋がなくコンクリート枠が等間隔で設けられていたに過ぎず、また、甲道路と右排水路との間には柵その他排水路への転落を防止するための設備がなかつたこと、原告車は本件事故による衝突の結果現場から原告車進行方向左斜め前方に約一七メートル隔たつた排水路のコンクリート枠上にまたがるような形で停止したことが認められる。
ところで、原告らの主張する危険防止設備としては右に述べたような甲道路から排水路への転落防止設備の設置、排水路の蓋が考えられるが、かかる設備があつたとしても、本件事故直後助手席ドアー開放による原告の車外転落に起因する受傷を防止し得たか否かについては一概に判定し得るところではない(右設備によつては交差点中央での自動車どうしの衝突である本件事故の発生自体を防止し得ないことは明らかである。)。即ち、本件にあらわれた全証拠によるも原告勉の転落場所は必ずしも明らかではないが、同原告の転落が両車の衝突の衝撃による助手席ドアーの開放が原因であり、しかも、被告車は時速約七〇キロメートルで進行し現場直前の約二五メートルの地点ではじめて急制動措置をとつたことからみて衝突の衝撃は極めて大きかつたものと推測されるから、同原告の転落場所が路上であろうと、排水路内であろうと、はたまた排水路上に蓋があつたと仮定してその蓋の上であろうとその受傷程度にいかほどの差があり得るのかについてはこれを知るべき手掛りとなる資料もない。また、甲道路上に排水路への転落防止設備については、それが頑丈なコンクリート塀であればかえつて衝突による危険が予想されるから考え得るものとしては柵又はガードレール程度の設備であるが、それら設備によつて車両自体を排水路転落を防止する余地はあり得ても、前記認定のような本件事故における両車激突の態様からみて原告勉の車外転落を防止し得たか否かは明らかであるとは認められない。のみならず、ドアー開放により車外に放出された原告勉がこれら設備に激突することも予測されるのであるから、結局のところ、排水路転落防止設備の有無と同原告の受傷及びその程度との間に因果関係を推断することすら困難というほかない。更に排水路上の蓋については、成立に争いのない丙第三号証の一、二及び証人金坂輝男の証言によれば、右排水路は国有地上にあり、組合の区画整理事業の一環として組合により設置されたもので、本件事故当時は換地処分も未了であり組合の管理下にあつたものと認められるから、これをなすべき義務は組合において負担するものと解するのが相当である。
(七) (7)の主張について 組合に対する監督は県知事により行なわれるのであり(土地区画整理法一二五条)、市町村長は土地区画整理事業の施行又はその準備のため、組合の求めにより事業に関し専門的知識を有する職員によつて技術的援助を行なうことがあるのにとどまるのである(同法七五条)。
(八) 以上(一)ないし(七)に述べたところによれば、本件事故発生が被告市川市の道路の設置又は管理上の瑕疵にも起因するとの原告らの主張はいずれも採用することはできない。
三 被告らの過失相殺の主張について検討する。
(一) 被告らは原告車の運転者浅沼にも安全運転義務違反ありと主張する。前掲甲第一〇、第一七号証によれば、浅沼は自己の走行する甲道路が交差道路である乙道路に対し優先道路であり、乙道路を走行する運転者は交通法規を遵守し交差点において当然徐行するものと信頼して、時速五〇キロメートルのまま自車を運転して本件交差点内に進入し本件事故に遭遇したものと認められる。しかし、道交法三六条四項の交差点内における一般的な安全運転義務は優先道路進行車にも課せられるのであるし、既に認定したように、本件交差点付近の照明は必ずしも強度であつたとはいいがたいこと、前掲甲第一六、第一七号証によれば、本件交差点の東南方(甲道路の東側、乙道路の南側にあつて両道路が交差する空地の交差点付近)には幅約五メートル、高さ約一・五メートルの残土が二山あり、甲道路を南から(原告車)、乙道路を東から(被告車)からそれぞれ本件交差点に向う自動車は本件交差点に接近する時点で極めて短時間ではあるが互に残土の山のため相手車の動静の確認が困難になることが認められることに徴すれば、浅沼がかかることを念頭におくことなく従前の速度を保持したまま原告車を運転して本件交差点に進入したことにつき、これを過失として、原告らの本件事故による損害を算定するにあたつて斟酌するのが不法行為の分野における公平の理念に照らし相当であるというべきである。
なお、成立に争いのない乙第四号証及び原告平野君子の本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、原告勉はたまかけ、荷役、船揚げ等の作業を目的とし、従業員約三〇名の株式会社ワールド産業株式会社(訴外会社)の代表取締役、浅沼はその従業員であるところ、浅沼は本件事故当日訴外会社所有の原告車に当日勤務を終えた原告外数名の従業員を乗車させ帰社する途中に本件事故に遭遇したことが認められるところ、訴外会社の規模、営業内容に照らし代表取締役である原告勉は全従業員に対する直接的実質的監督者であると認めて差支えないから、その監督に服する浅沼の訴外会社の義務に従事中の前記過失をいわゆる被害者側の過失と認めるのが相当である。
(二) 次に、被告田島両名は原告勉が助手席ドアーをロツクしなかつたことを過失として主張する。しかし、既に認定したように、助手席のドアーの開放は両車の衝突の衝撃によるものであり、しかもその衝撃は相当強度であつたと推認されるから、仮にドアーロツクをしていたとしても、ドアーの開放を完全に防止し得たか否かについては疑念をさしはさまざるを得ないのである。従つて、仮に原告勉がドアーロツクをしなかつたとしても、そのことと同原告が車外へ放出され受傷したこととの間に因果関係が存したものとは認めがたい。
四 前掲甲第一二号証、成立に争いのない甲第一一号証、被告田島準之助の本人尋問の結果により真正に成立したと認められる乙第一号証の一ないし三(乙第一号証の一、三のうち官公署作成部分の成立は争いがない)、被告田島準之助、田島てつの各本人尋問の結果によれば、被告準之助は昭和四八年九月まで自宅で田島縫製の屋号でYシヤツ、作業衣等の縫製に従事していたが、加工賃が安く収入が少なかつたので、同年一〇月から兄板橋晋一の経営する板橋建設株式会社(以下板橋建設という)に勤務することとなり、自宅では縫製業をやめ屋号を田島作業衣店と改称して作業衣の仕入販売に転業したこと、同店の経営は、日中の販売は被告てつが担当し、仕入れ、配達、帳簿の記帳等は主として被告準之助が勤務から帰宅後に当日の販売、注文状況に応じてこれに従事することにより行なわれていたが、経営状態は思わしくなく、遂に被告準之助は昭和五一年に市川税務署に対し自己名義で同店の廃業届を提出したこと、税務署に対する同店の所得申告は被告準之助名義でなされていたことが認められる。
この事実によれば、被告準之助は板橋建設に日中勤務している以上田島作業衣店の経営に全面的には関与し得ないことは明らかであり、被告てつなくしてはその経営を維持継続することは不可能であつたと認めることができるから、同店の経営は被告田島両名の共同経営にかかるものと認めるのが相当である。
そして、前掲甲第一一、第一二号証によれば、田島作業衣店の商品の仕入れは被告準之助が帰宅後被告車を運転して行なつており、本件事故も被告準之助が同店の商品仕入れのため被告車を運転中に惹起されたものであることが認められるから、被告てつは田島作業衣店の共同経営者として被告準之助をして自己のため運行の用に供していたものというべきである。従つて、被告てつは自賠法三条により原告らが蒙つた損害を賠償する責任がある。
第二 損害
一 原告平野君子の本人尋問の結果により原本の存在と成立を認め得る甲第二号証、第四号証の四、弁論の全趣旨により原本の存在と成立を認め得る甲第三号証、第四号証の一ないし三及び原告平野君子本人尋問の結果によれば、原告準之助は本件事故により頭部外傷(脳挫傷)の傷害を受けたため、いずれも妻である原告君子の付添により事故当日の昭和四九年一月二九日から同年三月一〇日まで葛南病院、同日から同年五月一六日まで三井記念病院において入院治療を受け、昭和五〇年二月一九日病状固定と診断され、同年四月二二日障害等級三級三号と認定されたこと、同原告は右受傷の結果軽度の運動失調、軽度の歩行障害、左半身感覚低下、言語障害等の身体上の機能障害、逆行性健忘症(受傷前三年間の記憶喪失)、感情障害(狂暴、怒りつぽい)、思考力低下等の精神機能障害の後遺症が残り、家族の介添なしでは日常生活を営むことができず、また、右受傷により現在及び将来とも自ら稼働し収入を得ることは不可能であることが認められる。
そこで、以下に本件事故により原告らの被つた損害について検討する。
二 原告勉
(一) 過失相殺前の財産的損害(弁護士費用を除く) 四一九〇万三七六九円
1 逸失利益 合計 三九九六万三四〇三円
原告平野君子の本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認められる甲第五号証の一、二によれば、原告勉は本件事故当時訴外会社の代表取締役として一ケ月一五万三〇〇〇円(直前三か月の平均額)の賃金を得ていたが、前記のとおり本件事故による受傷により将来にわたつて収入を得ることが不可能となつたことが認められる。そこで、原告勉が請求する期間の区分に従つて逸失利益を算定する。
(1) 昭和四九年二月から昭和五〇年二月までの一三か月分として一八〇万一八〇〇円
一か月一五万三〇〇〇円の割合で算出し一三か月分一九八万九〇〇〇円から原告勉の自認する労災保険よりの受給分一八万七二〇〇円を控除した金額。
(2) 昭和五〇年三月から昭和五一年六月まで(本訴提起まで)の一六か月分として三一〇万六七二円
本件事故当時である昭和四九年一月現在の原告勉(三四歳)の月額賃金は前記のとおり一五万三〇〇〇円であるところ、昭和四九年賃金センサス第一表による三〇歳から三四歳までの男子労働者の平均月額賃金は別紙計算表1のとおり一七万八九一六円であるから、原告の右月額賃金は右平均額のほぼ八五%に相当する。そして、昭和五〇年賃金センサス第一表による三五歳から三九歳までの男子労働者の平均月額賃金は別紙計算表2のとおり二二万七九九一円であるから、右請求期間における原告の得べかりし月額賃金はその八五%である一九万三七九二円と認めるのが相当である。従つて右請求期間(一六か月)における原告の得べかりし利益は三一〇万六七二円と算出される。
(3) 昭和五一年七月から昭和七五年六月まで(本訴提起から稼働可能期間満了まで)の分として三五〇六万九三一円
昭和五一年賃金センサス第一表による三五歳から三九歳までの男子労働者の平均年額賃金は別紙計算表3のとおり二九八万九三〇〇円であるから、控え目にみて本訴提起後稼働可能期間満了まで少なくとも毎年その八五%である二五四万九〇五円の収入を得ることができたものと予測することができる。そして原告勉の場合稼働可能期間は本訴提起後二四年間と認めるのが相当であるから、別紙計算表4記載のとおり右期間における原告の喪失した得べかりし利益の昭和五一年七月(本訴提起時)当時のライプニツツ方式により算出した現価額は三五〇六万九三一円となる。
2 付添看護費合計二三万七〇〇〇円
(1) 前記一認定の入院一〇八日(昭和四九年一月二九日から同年五月一六日まで)間の妻の付添看護につき一日二〇〇〇円の割合で算出した二一万六〇〇〇円
(2) 弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第八号証の一ないし六、原告平野君子の本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第九号証の一ないし一五及び同原告本人尋問の結果により、原告勉主張の昭和五〇年六月二三日から昭和五一年六月までの間に同原告が妻原告君子の付添により三井記念病院へ通院した日数と認められる二一日間の添付看護費につき一日一〇〇〇円の割合で算出した二万一〇〇〇円
3 入通院雑費合計八万二五一六円
(1) 弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第六号証の一ないし三、第七号証により昭和四九年一月二九日から同年三月一〇日まで入院した葛南病院においては原告勉が支出したと認められる入院雑費二万八二五六円及び同年三月一〇日同病院から三井記念病院へ転院するに際し同原告が支出したと認められる寝台自動車代九〇〇〇円以上合計三万七二五六円
(2) 前記一認定の昭和四九年三月一一日から同年五月一六日までの三井記念病院の入院期間中の雑費につき一日五〇〇円の割合で算出した三万三五〇〇円
(3) 前記2の(2)に認定した二一日間の原告勉の肩書住所から三井記念病院所在地(前掲甲第三号証によれば東京都千代田区神田和泉町一番地であると認められる)までの通院交通費につき一日分として相当と認められる五六〇円の割合で算出した一万一七六〇円
4 治療費三三万八五〇円
前掲甲第八号証の一ないし六、第九号証の一ないし一五により前記2の(2)に認定した昭和五〇年六月二三日から昭和五一年六月までの三井記念病院における通院治療費として認められる三三万八五〇円
5 将来の治療費、通院費、付添看護費合計一二九万円
前記2の(2)、3の(3)、4に認定したところによれば、本訴提起(昭和五一年七月一〇日)直前頃における一年間に原告勉の負担すべき治療費、通院費、付添看護費の合計は三六万三六一〇円になるが、原告平野君子本人尋問の結果によれば、その後原告勉はひとりで通院していることが認められること及び前記一に認定した本件事故による原告の症状に照らせば、控え目にみて今後五年間にわたり毎年三〇万円の支出が予測されるとみるのが相当であるから、ライプニツツ方式(係数四・三二九四)により中間利息を控除すると本訴提起時点におけるこれら諸費用の現価は一二九万円(千円以下切捨)となる。
(二) 過失相殺後の財産的損害 三七七一万三三九二円
ところで、本件事故による損害の算定にあたつて原告車の運転者である浅沼の過失を斟酌すべきことは既に第一の三の(一)において述べたとおりであり、その割合は一割をもつて相当とすべきである。よつて、原告勉の請求し得べき財産上の損害は前記1ないし5の合計額四一九〇万三七六九円の九割に相当する三七七一万三三九二円である。
(三) 精神的損害 七二〇万円
前記一に認定した原告の症状に照らしその精神的苦痛に対する慰藉料は七二〇万円が相当であるというべきである。そのうちわけは入院一〇八日に対する分九〇万円、原告が請求するその後の通院九か月に対する分三〇万円、後遺症に対する分六〇〇万円である。
(四) 以上(二)及び(三)を合算した四四九一万三三九二円が原告勉が弁護士費用を除いた本件事故により被つた損害額であるが、同原告が自賠責保険金より一五九六万八四五〇円の支払いを受けたことは当事者間に争いないからこれを右損害額から控除すると、同原告が請求し得べき弁護士費用を除いた損害額は二八九四万四九四二円となる。
三 原告君子
原告君子が原告勉の妻であることは当事者間に争いがなく、原告平野君子本人尋問の結果によれば、原告君子は前記一に認定したような多くの身体上及び精神上の機能障害の後遺症ある原告勉の三度の食事をはじめとする日常生活の世話をしているが、このため自己の対外的な行動範囲も自ら制約を受け、また、当初狂暴的な感情障害の故にしばしば原告勉から発作的に殴打暴行を受け、現在はその回数も少なくなつたものの毎日の看護に疲れ事故後の症状の重い段階ではしばしば離婚を考え、疾状が固定した現在でも時折同じ心境になることもあるが、その都度原告勉が自ら好んでこのような状態になつたわけではなく自分をおいて他に同原告の世話をする者はいないと気をとり直して毎日を耐えていることが認められ、かかる原告君子の生活関係は原告勉の前記後遺症が固定状態にあつて回復の見込みない以上原告勉が生存している限り継続するものと推認される。かかる事情を勘案すれば、原告君子は本件事故により蒙つた妻としての精神的苦痛は夫の死亡の場合に比して極度に劣ることはないものと認めるべきであり、これに対する慰藉料は一〇〇万円と算定するのが相当である。
四 原告栄人
原告栄人が原告勉の実父であることは当事者間に争いないが、原告平野君子本人尋問の結果によれば、原告勉、君子夫婦は結婚以来原告栄人と同居したことはなく、同原告は原告勉の弟と同居していることが認められる。原告栄人が実父として原告勉の前記受傷につき精神的苦痛を蒙つたことは想像に難くないが、右のような生活関係その他諸般の事情に照らせば、未だ実子の生命侵害の場合に比し著しく劣らない程度の苦痛とは認めがたい。
五 原告勉、君子の弁護士費用
前記三及び四に認定した原告両名の本件事故によるものとして請求し得べき損害額、本件事案の内容、訴訟経過に照らし弁護士費用は原告勉につき一五〇万円、原告君子につき五万円が相当であると認められる。
第三 以上によれば、原告らの本訴請求は原告勉の被告準之助、てつに対する分につき三〇四四万四九四二円(前記二(四)の金額と前記五の金額の合計)及びうち弁護士費用を除く二八九四万四九四二円については本訴状送達の翌日である昭和五一年九月一四日以降、うち弁護士費用一五〇万円についてはその履行期が第一審判決の言渡の日であるとの原告の主張に従い本判決言渡の翌日である昭和五四年九月一八日以降各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があり、原告君子の右両被告に対する分につき一〇五万円(前記四の金額と前記五の金額の合計)及びうち慰藉料一〇〇万円については前同様昭和五一年九月一四日以降、うち弁護士費用五万円については前同様昭和五四年九月一八日以降各完済に至るまで前同率による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、原告勉、君子の右被告両名に対するその余の請求、原告栄人の右被告両名に対する請求、原告らの被告市川市に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松野嘉貞)
計算表
きまつて支給する現金給与額 (A) (月額)
年間賞与その他の特別給与額 (B) (年額)
1 昭和49年における男子労働者(30歳~34歳)の平均月額賃金178,916円
(A)=139,800円 (B)=469,400円
平均月額賃金=(139,800×12+469,400)×1/12=178,916
2 昭和50年における男子労働者(35歳~39歳)の平均月額賃金227,991円
(A)=171,300円 (B)=680,300円
平均月額賃金=(171,300×12+680,300)×1/12=227,991
3 昭和51年における男子労働者(35歳~39歳)の平均年額賃金2,989,300円
(A)=192,200円 (B)=682,900円
平均年額賃金=192,200×12+682,900=2,989,300
4 昭和51年7月から昭和75年6月までの逸失利益の昭和51年7月における現価額 35,060,917円
年収 2,540,905円
係数(24年ライプニツツ方式)13.7986
2,540,905×13.7986=35,060,931