千葉地方裁判所 昭和54年(わ)994号 判決 1981年4月24日
主文
被告人を罰金二〇万円に処する。
右罰金刑を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五四年一月三一日午後四時三〇分ころ、業務として、大型貨物自動車(足立一一か八九九四号)を運転して千葉県道五一二号線を千葉県習志野市方面から同県船橋市宮本方面に向つて進行中、同県船橋市前原西一丁目三六番地の八地先の同県道と国道二九六号線との信号機により交通整理の行なわれている交差点に差しかかり、折から自車進行方向の上り車線の車輌が渋滞していたため右交差点上の船橋市宮本方面寄り横断歩道直前で一旦停止したが、自車は全長一〇・八三メートルに及び地上から荷台下部までの空間が一メートル余も存在するうえ、同所は自車左側部から道路左側ガードレールまでの距離が一メートル足らずの狭小なうえ、路面に凹凸が存在したから再度発進するにあたつては、自車の周辺を注視し歩行者自転車等の有無及び動静に留意してその安全を確認するのはもとより、特に自車左側の安全には十全を尽くすべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、折りから通行中の中学生中村信子が自車前方の横断歩道を右から左へ渡り切り更に自車左側部に沿つて後方へ歩いていくのを自車左サイドミラーで確認し、同女が自車左側通過するのを待つたのみで、その直後に深沢雄一(当時七歳)が自転車に乗つて自車後方から自車左側に進入して来るのに気づかず、右横断歩道の歩行者用信号機が赤色燈火になつたのを機に直ちに漫然時速約二キロメートルの速度で発進した過失により自車左側を並進中の前記深沢雄一運転の自転車に自車左側部を接触せしめ、同所において同人の右腕を自車左後輪で轢過し、よつて、同人に対して加療約一年八カ月を要し、肩関節部より前腕中央部に至るケロイド形成の後遺症を伴う右上腕骨骨折等の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)(省略)
(被告人の過失について)
一 主位的訴因について
本件の主位的訴因は、「被告人は、前記日時ころ、業務として大型貨物自動車を運転し、前記交差点を同方向にむかい進行中、交通渋滞のため同交差点出口に設けられている横断歩道の直前に停止した後発進するにあたり、前同様の業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前者の動きに気をとられ右信号機の表示に注意せず、且つ、横断者の有無等その安全確認不十分のまま漫然時速約二、三キロメートルで発進した過失により、右横断歩道を信号に従い右から左に横断中の深沢雄一(当時七年)運転の自転車に気がつかず、同車に自車左前部を衝突転倒させたうえ、その右腕を左後輪で轢過し、よつて同人に前記傷害を負わせたものである。」というにあるが、被害者が右横断歩道を信号に従い右から左に横断したとあること並びに被害者の乗つた自転車を被告人の左前部で衝突転倒させたことについて、いずれも、これを認めるに足りる証拠がない。
もつとも、検察官の主張する主位的訴因に添う証拠として被害者深沢雄一に対する当裁判所の尋問調書、司法警察員作成の昭和五四年四月一三日付実況見分調書中の深沢雄一の説明部分並びにその信用性を裏づける証拠として証人今泉清、同深沢美紀子、同阿野美幸の当公判廷における各供述、岩上初江に対する当裁判所の尋問調書が存在するが、他方本件事故直前及び事故直後の目撃者である証人中村信子は当公判廷において、被害者は被告車輌後方から進行してきて左側部分に進入した旨の供述をしているのであつて、結局、本件事故の認定については、右証人深沢雄一の証言と同中村信子の証言のいずれを採用するかによつて被告人の過失の有無及びその程度が左右されることになる。
そこで按ずるに、まず、証拠によつて認められる客観的事実に基いて検討すると、深沢雄一の供述に添う事実として本件の被害車輌である自転車の後部泥除が右側に曲損している事実を認めることができるが、右曲損が本件事故によつて生じたものであるか否かは明白ではなく、右事実をもつて、右供述を裏付けることはできない一方、被害者深沢雄一は身体の右側に傷害を負つているのであり、その部位及び形状更に現場の位置関係に照すと被害者は被告人運転の車輌と同一方向に進行していた可能性が大であつて、証人中村信子の供述はこれに符合する。
次に証人深沢雄一の供述の経緯を見るに、証人三橋稔、同今泉清の当公判廷における各供述、医師三橋稔作成の診断書、医師佐藤希志雄作成の診断書(写)によれば、右証人は本件事故当時頭部打撲による重傷で脳震とうを起こしていて本件事故の翌日司法警察員が取調べた際、「加害車輌の前から行つたのか、後から行つたのか」との趣旨の問に対して返答ができず、「信号は何色だつたか、青だつたか」の趣旨の尋問に対してかすかに肯いた程度であつたことが認められるのであつて、右の事実に照すと重傷を負つていた被害者深沢雄一は右の指す信号を何の位置のものと理解して肯いたのか全く不明であつて、同人は本件事故の直前に通行した方向については全く表現していなかつたに等しいと言わなければならず、同人の年令をも考え併せると、暗示或いは誘導を受け易く現場へ行くことなく適確な表現をとり得る能力は存在しなかつたと認めざるを得ないが、同人が初めて現場において供述したのは、本体事故後二カ月余を経過した同年四月一三日であつたところ、証人深沢美記子、同阿野美幸の当公判廷における各供述によれば同人らは本件事故の翌日病院で未だ充分回復していない深沢雄一に図面も示すことなく質問して、同人が主位的訴因の如く通行したように一方的に理解して学校に対する事故報告書も作成したなどの既成事実が存在したことが認められ、深沢雄一もこれに大きな影響を受けていたことを推認し得るのであり、要するに同人の供述はその経緯に照してもその信用性に極めて重大な疑問を挟む余地がある。
なお、証人深沢美紀子は深沢雄一の母親であり、立場上有利に理解し且つ表現することは致し方のないところでもあり、証人阿野美幸の当公判廷における供述にしても「自分が自転車で横断中に事故に遭つたと直接雄一君が話していたと思います」旨の供述部分があるがこの点については明確な記憶が存するとも認められないのみならず、右の事故状況については「お母さんからも聞きました」旨の供述部分もあり更に「証人がこの事故はどうして起きたのと聞いた時にまずお答えになつたのはお母さんの方ですか」との尋問に「そうです」と供述している部分もあり、被害者本人の「言葉を一言一句覚えていません」との供述部分もあるので、これらを考慮すると右証人の事故状況についての供述は被害者本人の言辞をもとになされているのかあるいは被害者の母親の言辞をもとになされているのか不明確であり、その供述の信用性にはやはり疑問があると言わなければならず、被害者深沢雄一の供述の信用性を裏づけるものと認めることはできないし、又証人岩上初江の当裁判所に対する尋問調書中には、被害者深沢雄一が同証人宅を本件事故発生直前の「午後四時一三分か同一八分に帰宅した」旨の供述部分があり、右供述によれば、右証人宅と本件事故現場及び被害者宅との位置関係を考慮すると、被害者深沢雄一が本件事故当時の前記横断歩道を横断したことがあり得ることを推測することは可能であるが、右証人の供述は本件事故発生後一年余りも経過した後のものであること、及び右供述部分にある様な被害者深沢雄一の帰宅時間の正確な記憶の根拠が不明確であるのみならず、当時の天候が霧雨であつた事実に照すと、右供述内容が本件事故当日と同一日を指すものか疑問の余地があるばかりでなく、仮に右供述が真実であつたとしてもそのことから被害者深沢雄一が前記横断歩道を横断したと直ちに推認することには無理があるのみならず、一度横断し帰路についていたとしても、何らかの理由で引き返すこともあり得るから、右証人の供述にも被害者深沢雄一の供述の信用性を裏づけるものと認めることはできない。
これに対して、証人中村信子の当公判廷における供述は、同人が本件事故とは全く利害関係のない第三者であることから、特段の事由がない限り信用に価するものであるが、検察官は1、右証人の司法警察員に対する供述調書中(最も重要な本件の目撃者であるが、検察官に対する供述調書は存在しない。)「怪我をした男の子は、私の歩いていた前の方からはきませんし、横断歩道を渡つたのも気がつきませんでした。後の方から走つてきたのではないかと思いました。」との供述記載部分が存在すること、2、右中村の当公判廷における供述中に相矛盾する点があり、また、実況見分調書中の指示説明部分をとらえて衝突地点との矛盾があるので右中村の観察力・記憶力・表現力に疑問があることを理由に同証人の供述は信用性に乏しい旨主張するが、右1については同調書の作成者である証人今泉清の当公判廷における供述によれば、右調書は本件事故現場付近の空地において作成されたものであるところ、右調書には作成場所について船橋警察署と記載してあるばかりでなく、作成日以前の昭和五四年三月二一日に本件事故付近で右中村信子のなした供述を、それから三日も経過した後の同月二四日右中村信子が真実の作成場所である本件事故現場付近の空地にやつてくる直前に右調書を作成記載し、既に完成した調書を後からやつてきた右中村に読み聞かせて署名指印させたものであつて、右の様な作成経過は中学生である同人の供述録取の方法として極めて慎重性を欠き適切なものではなく、その信用性に重大な疑問を投げかけざるを得ないのであり、又その記載自体「後方から来たと思う」という曖昧なものであり、更に同人立会の二通の実況見分調書(昭和五四年三月二〇日付、同月二四日付)にも深沢雄一の進行方法についての記載が全く存しないところ、捜査官としては、この様な重大な事実につき尋問していないはずはないとすれば、右供述調書と同一の記載があるはずであることからしても、右調書の存在をもつて、証人中村信子の当公判廷における供述を左右するものではなく、次に右2の点についても、本件事故目撃当時から一年四カ月余を経過した当公判廷における供述に多少の矛盾があつたり、実況見分調書中の指示説明部分に多少の誤差があつたとしても右中村の観察力・記憶力・表現力を問題とするまでのことでもなく、その余の点を詳細に検討するも同人が被害者深沢雄一の進行方向を全く逆に記憶したり、故意に記憶に反する証言をしなければならない理由は絶無である。
以上、本件事故により発生した客観的具体的な結果に照しても、証言自体の信用性を検討しても、いずれの点においても証人中村信子の供述が真実に符合すると認めざるを得ないのである。
従つて本件主位的訴因については、それを認めるに足る証拠がないことに帰着する。
二 予備的訴因について
弁護人は、本件事故につき、自動車の運転者は、交差点において赤信号に従つて一時停止し、次の青信号に従つて従前の進路を変更することなく、直進する場合は、具体的に危険を予見しうる特段の事情がない限り逐一、左右側方及び後方を確認する注意義務は存しないと解すべきところ、被告人は本件事故発生直前に、自車サイド・ミラーにより、中村信子が自車左側を通行して自車最後部に至るまで確認していたが、右中村信子が当時身長一五〇センチメートル乃至一五五センチメートル位で傘をさしていたうえ、レインコートを着用していたため地上から高さ一八〇センチメートル乃至一九〇センチメートルからレインコート下部までの空間の視界を遮ぎつていたうえ、気象状況も霧雨で日没前であり見通し困難であつて、後方から子供用自転車に乗つて進行して来る深沢雄一の存在(頭部の位置は一メートル位)を認めることが不可能であつた故、被告人は本件事故につき予見可能性がなく無過失であると主張する。
しかしながら、前掲証拠によれば、被告人運転車輌のサイドミラーの位置は地上から二メートル八二センチメートルの高さにあつて、見通し状況は極めて良く、中村信子及び深沢雄一の通行状態が弁護人主張のとおり、或いは、如何なる位置関係にあつたとしても、左サイドミラーによる後方の見通しは充分可能なものであつたことが認められ、右の見通し状況並びに後方より自転車に乗つて進行して来る深沢雄一が当時七歳であつたこと、自車左側道路幅が狭小なうえ路面も滑らかでなかつたこと、自車の荷台が高く、子供用自転車はその下の空間に入る可能性もあつたことなど判示状況下にあつては同人の動静を充分注視して発進すべき業務上の注意義務が存在したと言うべきである。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するところ、所定刑中罰金刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を罰金二〇万円に処し、右の罰金を完納することができない時は、刑法第一八条により、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
本件犯行は大型貨物自動車を業務として運転する被告人が国道上を進行中渋滞のためいつたん停止した後、更に進行するため発進するにあたり、自車の左側道路に進行して来た小学校二年生の被害者の運転する自転車に気づかず、漫然と発進した過失により、自車と右自転車とを接触せしめ、被害者の右腕を自車左後輪で轢過した事案であるところ、右轢過による傷害は後遺障害を伴うものであつて、極めて重大な結果を惹起した点においてその刑責を軽視することはできないが、他方その過失の程度を検討するに被告人は一旦停止した車輌をそのまま直進せしめたに過ぎず、発進の直前には一応自車左側の安全を確認したが、その直後に被害者が進行して来たもので若干不運であつたと認められ、又発進直前のトラックの左側の狭小な道路部分に侵入した被害者の過失も小さくなく責任の全部を被告人に負わせるわけには行かないものであり、更に、被告人には昭和四七年に運転免許を取得して以来前科前歴はなく、日頃より交通規則を遵守し慎重な運転をしていた真面目な社会人であつたことがうかがわれるのみならず、事故後の救護措置も適切であつたこと、充分反省していると認められることなど有利な点も認められ、加えて示談は成立していないものの被告人は当初示談成立の希望をもつていたが本件事故について過失割合が判明しなかつたこと並びに被害者の両親が激怒の情を鎮静せしめるに至らず高額な損害賠償を要求したことなどが原因で今日に至つている事情も存在するので示談不成立をもつて被告人に不利益な事由とすることもできないことも併せ考え、これらの諸事情を総合して考慮したうえ、主文のとおり量刑した。
よつて主文のとおり判決する。