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千葉地方裁判所 昭和56年(ワ)748号 判決 1992年3月09日

原告

X1

外六名

右原告ら訴訟代理人弁護士

渥美雅子

山田由紀子

原田勝子

村井瑛子

右原告ら訴訟復代理人弁護士

野田くるみ

大島有紀子

清田乃り子

右原告ら輔佐人

大津裕司

被告

野村靖

主文

被告は、原告X1に対し一〇〇八万二三五〇円、同X2に対し五六三万〇六五〇円、同X3に対し一〇九五万六三〇〇円、同X4に対し六三三万五七〇〇円、同X5に対し二〇八万一三三〇円、同X6に対し三一万一五四〇円、同X7に対し五〇万円並びに原告X1、同X2、同X3及び同X4の各金員に対する昭和五六年五月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員、原告X5、同X6及び同X7の各金員に対する同年八月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員の各支払をせよ。

原告X1及び同X3を除く原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。

訴訟費用中、原告X1及び同X3と被告との間に生じたものはいずれも被告の負担とし、原告X2と被告との間に生じたものはこれを五分してその二を原告X2の、その余を被告のそれぞれ負担とし、原告X4と被告との間に生じたものはこれを一〇分して三を原告X4の、その余を被告のそれぞれ負担とし、原告X5と被告との間に生じたものはこれを五分してその二を原告X5の、その余を被告のそれぞれ負担とし、原告X6と被告との間に生じたものはこれを一〇分してその三を原告X6の、その余を被告のそれぞれ負担とし、原告X7と被告との間に生じたものはこれを四分してその一を原告X7の、その余を被告のそれぞれ負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告X1に対し一〇〇八万二三五〇円、同X2に対し一〇六三万〇六五〇円、同X3に対し一〇九五万六三〇〇円、同X4に対し一〇三三万五七〇〇円、同X5に対し四六九万一三三〇円、同X6に対し六〇万一九九〇円、同X7に対し一九五万三〇五〇円並びに原告X1、同X2、同X3及び同X4の各金員に対する昭和五六年五月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員、原告X5、同X6及び同X7の各金員に対する同年八月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員の各支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  被告の地位

被告は、昭和三六年に日本医科大学を卒業して医師になり、国立東静病院及び古河工業病院にそれぞれ勤務した後、昭和四七年四月から、被告の肩書地において、被告が産婦人科を、被告の妻が小児科を担当する夫婦共同経営の野村病院(以下「被告病院」という。)を開業し、患者の診療に携わってきた者である。

2  被告の原告らに対する医療過誤

(一) 原告X1に対する医療過誤

(1) 原告X1の健康状態

原告X1(以下「原告X1」という。)は、昭和一四年七月二〇日に出生し、昭和四一年に婚姻し、同年に長男を正常分べんで出産した。原告X1は、出生以来、長期入院・手術等を要するほどの既往症・流産等の経験がなく、健康状態も良好であった。

(2) 原告X1と被告との診療契約の締結

原告X1は、昭和五五年一月末から便秘がちとなり、多少の腰痛を覚えるようになり、これと平行して生理が止まって帯下があったので、妊娠の可能性もあると考え、同年二月二日、被告病院を訪れ、被告に対してその診断及び治療を求め、これを応諾した被告との間に診療契約を締結した。

(3) 被告の診断と原告X1の入院

被告は、原告X1を問診(原告X1の右主訴と最終月経日の各聴取)、内診及び超音波断層撮影をし、「妊娠七週目である。子宮炎、附属器炎であり、子宮が腸と癒着している。直ちに入院治療をしないと死んでしまう。」と診断した。

右診断を告げられた原告X1は、極度の不安に陥り、一四年振りに妊娠した胎児の生命維持と原告自身の健康回復のために入院もやむを得ないと決意し、同月四日、被告病院に入院した。

(4) 被告の治療内容

被告は、同月五日、原告X1に対し、突然妊娠中絶手術をする旨言い渡し、出産を希望する原告X1の懇請にもかかわらず、「産めば母子共に危ない。」と断言し、妊娠中絶手術掻爬(そうは)術をした。

さらに、被告は、同月九日、開腹による子宮単純全摘出及び右附属器(卵巣・卵管等)切除をした。

原告X1の手術創部は良好に接着し、同月一六日に抜糸された。しかし、被告は、初診時には約一か月の加療を要すると診断しながら、同年三月初めには更に向後一か月の入院加療を要する旨診断して入院を続けることを命じ、同月中旬ごろには新たに心不全を診断をし、同年四月初めには更に向後二か月の入院加療を要する旨診断して退院を許可しなかったが、原告X1は、同月八日、被告の制止を振り切って退院した。

(5) 被告の原告X1に対する債務不履行

ア 説明義務違反

初診時に原告X1が被告から告げられた病名は子宮炎及び附属器炎だけであり、病状については具体的な説明は何もなく、ただ「入院しないと死んでしまう。」というものであり、被告は、原告X1に対し、病名、病状、治療見込みについてそれ以上の説明をしていない。被告は、原告X1の症状を妊娠のほかに、子宮炎、附属器炎及び汎(はん)発性腹膜炎と診断し、かつ、初診時から心不全の診断をしていたかの如くであり、当初から中絶手術と子宮全摘出手術の二回の手術を予定したものと推認し得るが、このような重篤の症状である旨の具体的かつ原告X1に了解可能な説明を何もしていない。

そして、妊娠中絶手術については、被告は、原告X1の主訴に対して妊娠七週と診断し、かつ、切迫流産の疑いがあるやに申し向けた程度であるが、原告X1は、「このままでは母子共に危ない。」と言われ、その旨信じ込み、人工流産を承諾した。また、子宮全摘出手術に至っては、原告X1は、当日の朝に看護婦から突然に「今日手術ですよ。」と言われ、「院長からまだ何も聞かされてないのに、どうして手術をしなければいけないのですか。」と問い質したところ、婦長から「あらそう。まだなの?じゃあ院長から聞いといてあげるわね。」と言われただけで、何の説明も受けなかった。したがって、原告X1は、これら二回の手術について形式的には承諾をしたかに見えるものの、誤信した原告X1が錯誤によって承諾したものであるから、これをもって適法な承諾をしたとはいい難い。

さらに、被告は、原告X1に対し、術後二か月間もの長期にわたる入院について、その必要性、治療効果等に関する説明をしていない。

以上、要するに、被告は、原告X1に対し、病名、病状、治療見込み、他の治療方法の可能性、二度にわたる手術の必要性、手術後長期入院を要する理由、その効果等に関して何らの具体的説明を行っていないのである。

イ 手術適応の不存在

被告は、原告X1の症状を子宮炎であると同時に妊娠七週目であると医学常識上けうな診断をし、腹膜炎の典型的症状がほとんどないのに腹膜炎と診断している。また、子宮疾患治療のための保存療法をほとんど施すことなく、しかも妊娠の継続を希望する原告X1に対してそのための保存療法をすることなく、中絶手術・子宮全摘出手術を敢行した(なお、被告は同年二月五日に原告X1の人工妊娠中絶手術をしたのに引き続いて同月九日に子宮摘出手術を行っているが、摘出手術が必要であるならば、殊更に人工妊娠中絶手術をする必要性は認められない。)。これを要するに、被告と診療契約を締結した当時の原告X1の主訴あるいはその診察結果からすれば、原告X1の疾患は治療を要する程度の子宮疾患であったとしても、それはせいぜい保存療法をもって足りる程度のものであったはずであり、これを偽って手術をし、あまつさえ出産を望んでいた原告X1に対して過剰仮想の危険を告知して中絶手術を強行したということができる。

ウ 入院治療適応の不存在

被告は、原告X1に対し、入院後約一か月半を経た同年三月中旬ごろに新たに心不全という診断をした(ちなみに、これに疑問を持った原告X1は、同年四月七日に千葉県木更津市の薬丸病院において別途診断を受けたところ、同病院では異常なしの診断であった。)。そこで、原告X1は翌八日に強行退院をしたのであるが、通常は術後二週間程度で退院させているにもかかわらず、被告は、手術後八週間(抜糸後七週間)を経過した当時においてもなお入院を命じ、不必要な入院を強要した。

(二) 原告X2に対する医療過誤

(1) 原告X2の健康状態

原告X2(以下「原告X2」という。)は、昭和一三年四月二六日に出生し、昭和三三年一二月一日に婚姻し、昭和三四年五月一二日に長女を、昭和三八年七月三〇日に長男をそれぞれ正常分べんで出産した。原告X2は、昭和五三年までに移動性関節リュウマチにり患した以外には特別な既往症もなく、健康であった。

(2) 原告X2と被告との診療契約の締結

原告X2は、同年五月七日ごろに生理後一〇日を過ぎているにもかかわらず、再び生理のような状態(少量の性器出血と下腹部のだるさ)となったので、不正出血を心配して、同月一七日、被告病院を訪れ、被告に対してその診断及び治療を求め、これを応諾した被告との間に診療契約を締結した。

(3) 被告の診断と原告X2の入院

被告は、原告X2を問診し、次いで内診して「子宮に卵ぐらいのおできができている。子宮筋腫(しゅ)みたいなものだが、おなかを開けてみないと分からない。子宮の中におできができていることは確かだ。それを取らないと、だんだん大きくなっていく。手術した方が早く治るし、ほうっておけば治療するのにすごい時間が掛かるし、下手をすると、おできが腐り始めて、体に毒が回る。子宮全部を取るしかない。腹膜炎を起こしている。」などと告げた。

被告の診断が実は子宮がんなのではないかとの疑念を抱いた原告X2は、被告病院から帰宅すると直ちに家族に相談すると共に入院の準備をし始めたが、入院後の家族のことや手術のことを考えている内に息苦しくなり、翌一八日午前一時ごろ、被告病院に入院した。

(4) 被告の治療内容

被告は、同日、原告X2に対し、手術前の検査として血圧測定、血液検査などをしたが、原告X2の血圧が七五から九八と低く、手術ができないので、最高血圧が一〇〇を超えるまで点滴で栄養をとることにし、同月二七日まで点滴を続けた。

被告は、同日、原告X2の最高血圧が一一二に達したので、原告X2に対し、子宮を摘出するとのみ告げて、開腹手術をし、子宮、左附属器及び虫垂を摘出した。

被告は、右手術後、原告X2に対し、毎日抗生剤を主とする点滴による投与を行い、一日置きの回診で手術の縫合部位を見、同月六日から同年八月一七日までの間に七回の内診をした。被告が原告X2に対して退院の見通しについて何らの説明をしないので、業を煮やした原告X2が夫を通して同年七月二〇日ごろから再三にわたってそれについて質問をしたが、被告は、「しこりがまだあるから退院できない。」と言うのみであった。原告X2は、他の患者や近所の人の話から被告病院が他の病院よりも入院期間が長いことや、入院患者達が次々に入院中に他の病院の診察を受けた上被告病院を強行退院していることを知り、同年八月七日、被告に対し、「しこりが取れないのなら必ず通院するから、退院させて下さい。」と言って、被告からの退院許可のないまま退院し、以後同月一九日まで通院して点滴を受けた。

(5) 被告の原告X2に対する債務不履行

ア 説明義務違反

被告は、原告X2に対し、遅くとも手術についての具体的承諾を求める際までに、診断の根拠を示して病名を告げ、その疾病について選択可能な治療方法のすべてを説明すべきであり、その説明方法も、いたずらに原告X2の不安をかきたてることのないように可能な限り客観的にかつ原告の理解しやすい方法(文献や図を示す等)ですべきであるのに、これを怠り、病名については子宮筋腫か子宮がんか腹膜炎か分からないような説明をし、その治療方法についても子宮全摘出以外に方法がないように説明し、さらにその説明方法も「おできが腐り始めて体に毒が回る。」など殊更に原告X2の子宮がんへの不安や恐怖心をかきたてる不穏当な説明をした。

したがって、原告X2の子宮摘出手術に対する承諾は、被告が適法な説明義務を怠った結果、被告の不適法な説明を盲信して錯誤に陥ってしたものであり、真意に出た適法な承諾とはいえない。

また、被告は、原告X2に対し、左附属器及び中垂の摘出の可能性については全く説明していないのであるから、それらの摘出については原告X2の承諾のないものである。

さらに、被告は、原告X2が術後三日ほどして退院について質問したのに対して「そんなこと、今手術したばかりなのに聞くことはない。」と説明を拒否し、前記のとおり原告X2の夫が退院の見通しについて質問したのに対して「しこりがまだあるから退院できない。」と言いながら、右しこりなるものが医学的にどのようなことを指しているのか、それがどうなれば退院できるのかなどについては全く説明をしなかった。

イ 手術適応の不存在

被告が原告X2の疾病を子宮筋腫と診断した根拠は、問診と内診のみであり、腹腔鏡や超音波断層法などの客観的診断方法によったものではない。術後の検査及び鑑定結果によれば、原告X2が子宮筋腫にり患していなかったことは明白である。被告が原告X2の疾病を子宮筋腫であるとした診断は、誤診であった。原告X2は中等度慢性頸(けい)管炎及び中等度慢性卵管炎にり患していたが、その炎症がどの程度腹膜に達していたかは定かでなく、まして手術適応があったか否かは不明である。原告X2は、初診時に一回性器出血と下腹部のだるさがあったのみで、長く自覚症状に悩まされていたわけではない。このような状況下においては、到底手術適応があったとはいえず、他に明確な根拠がない限り、まずは保存的治療を試みるべきである。

ウ 入院治療適応の不存在

子宮全摘手術をした場合には特別の事情のない限り二週間程度の入院で済むところ、被告は、原告X2を手術後七二日(入院扱いの通院を入れれば八三日間)の長きにわたって入院させた。被告が原告X2を右のように長期にわたり入院させたことは、原告X2に対する不当な身体の拘束にほかならない。

(三) 原告X3に対する医療過誤

(1) 原告X3の健康状態

原告X3(以下「原告X3」という。)は、昭和一四年一二月二五日に出生し、昭和四二年に婚姻し、昭和四八年に長女を帝王切開により出産した。原告X3は、過去において虫垂切除をしたことがあるほかは何らの既往症もなく、健康に生活してきた。

原告X3は、昭和五二年九月一四日に初めて被告病院を訪れ、被告から妊娠六か月で出産予定日は昭和五三年一月二一日であるとの診断を受けた。原告X3は、右予定日間近の同月一八日に腹部表面にそうよう感を覚え、被告の診察を受けたところ、足にむくみもあって妊娠中毒症と診断され、薬をもらい帰宅した。そして、原告X3は、買物にも一人で行き、炊事等日常の家事は一人で行っていたが、同月二〇日に陣痛のために被告病院に入院して出産に備えたものの、翌二一日には陣痛が微弱になった。原告X3は、その時、被告から、診察によると子宮が破裂しそうだとして帝王切開を勧められ、夫と共にそれに同意し、同日、帝王切開により長男を出産した。

(2) 被告の診断及び原告X3と被告との診療契約の締結

被告は、同日あるいは翌二二日、原告X3及びその夫に対し、帝王切開のために開腹した際下腹部の疾患を発見したと言い、「手の施しようもないほど子宮が腐っていて、手術しないと死んでしまう。三、四か月点滴して治療してから子宮を取る手術をする。全部で六か月は入院する必要がある。」との診断を告知した。右告知を受けた原告X3は、出産後に通常生じる身体の衰弱、縫合部位の痛み等はあったものの、その他には出産前と同様に腰痛、発熱などの自覚症状は全くなかったが、自分の子宮にこのまま入院を継続して右治療を受けた後右手術を受けなければ死に至るほど重篤な疾病があると信じ、同様に被告の右告知を真実と信じた夫と共に、即日、改めて、被告に対して右手術を含む治療を依頼し、これを受諾した被告との間に診療契約を締結した。

(3) 被告の治療内容

被告は、原告X3に対し、同日から同年二月一七日まで点滴及び三、四種類の薬品の経口投与をし、同月一八日、子宮及び右附属器の摘出手術をした。

被告は、右手術後同年八月三一日までの間、原告X3に対し、連日点滴を行ったが、その他には回診の際に手術の縫合部位を見る程度で、内診もほとんど行わなかった。

原告X3は、当初に六か月の入院を要すると宣告されていたためこの期間はとにかく治療に必要な期間であると信じて入院をしていたが、点滴中を除いて熱もなく、食事、歩行などにも何ら支障もなくて健康な時と全く同じ体調であったため、被告の診療に不審を抱くようになり、同日、被告の制止を押し切って退院した。

(4) 被告の原告X3に対する債務不履行

ア 説明義務違反

被告は、同年一月二一日に子宮摘出手術の告知をした際、原告X3に対し、「子宮がぐちゃぐちゃに腐っている。手術をしないと死んでしまう。」などと告げたのみで、病名を全く告げず、病状、治療の見込み、手術以外の治療の可能性等について具体的な説明を全くしていない。すなわち、被告は、原告X3が自らの身体の状況を素人なりにも把握し、摘出手術について有効な承諾を与える説明をしておらず、かえって、何らの根拠のない虚偽の言辞をもって原告X3を不安に陥らせたのである。

また、右附属器摘出については、被告は、術前、原告X3に対し、その可能性の説明すらしていない。

したがって、被告の原告X3に対する子宮及び右附属器摘出は、原告X3による有効な承諾のないまま行なわれた手術である。

イ 手術適応の不存在

被告は、帝王切開後「子宮が手の施しようもないほど腐っている。」と診断したのであるが、仮に子宮を摘出しなければならないほど重症の子宮疾患があるとすれば、そもそも妊娠すること自体けうであり、原告X3の如く、妊娠した上に胎児が順調に成長し、予定日に二九四〇グラムの子を出産するなどということはほとんどあり得ないことである。事実、原告X3に対する術前の諸検査の結果は、いずれも正常である。例えば、原告X3の入院時の血液検査の結果によれば、赤血球数三九〇万(正常値・三八〇万〜四八〇万)、白血球数五三〇〇(正常値・四〇〇〇〜八五〇〇〇)である。その他炎症の有無を判断するために用いられるAG比の値も正常の範囲内であるし、術後の病理検査の結果についても異常はない。

また、仮に原告X3が慢性腹膜炎にり患していたとしても、抗生物質の投与などの保存的治療が原則であり、開腹手術は不要であった。

ウ 入院治療適応の不存在

子宮摘出手術をするということは、保存的治療と異なり、手術自体が根本的治療なのであるから、その後は専ら手術部位や全身の回復のために入院させておくのが普通であり、その期間は通常二ないし三週間もあれば十分であるところ、被告は、原告X3を術後五か月半もの間入院させ、原告X3に対し、不必要な入院を強要した。

(四) 原告X4に対する医療過誤

(1) 原告X4の健康状態

原告X4(以下「原告X4」という。)は、昭和一八年九月一日に出生し、昭和四六年に婚姻し、昭和四七年ごろに妊娠したが人工中絶をして夫婦の間には子がないものの、生来健康に恵まれ、特記すべき既往症にり患したことはなかった。

原告X4は、昭和五五年一月下旬を最後にその後月経がなかったので、妊娠したのではないかと考え、同年三月二四日に被告病院を訪れ、被告に対して診察を求めたところ、被告は原告X4に対して内診及び尿検査を行った。

(2) 原告X4と被告との診療契約の締結

被告は、右内診において妊娠の有無を診断する目的のためとしては不必要に長時間にわたり、執拗、乱暴とさえいえる方法で指を動かす、爪を立てるようにするなどして、何度も「痛くないか。」と尋ね、原告X4が被告の右行為によってもたらされた痛みについて「痛い。」と答えたところ、原告X4に対し、妊娠三か月で、腹膜炎にり患しており、早期に手術を行わなければ重大な結果に立ち至る旨告げた。そこで、原告X4は、妊娠初期に通常みられる体調の変化(腹部にわずかに重い感じがする。)以外に特別の不快ないし苦痛を覚えたことがなく、腹痛、腰痛等もなかったが、真実自分がそのような疾患にり患しているのであれば、右疾患についての医学的解明とそれに対する適切な治療を受けなければならないと考え、早速夫と相談した上、改めて、妊娠中絶と右医学的解明及びその治療の依頼をし、これに応じた被告との間で診療契約を締結した。

(3) 被告の治療内容

被告は、その際、原告X4に対し、可及的に速かに被告病院に入院することを勧めながら、できるだけ安静にしているように指示したほかは、何らの措置、処方を行わなかった。

原告X4が同年四月一日に被告病院に入院したので、被告は、同日、原告X4に対し、血液型検査、血液の生化学検査、梅毒検査をした上、原告X4の同意の下に妊娠中絶手術をし、同日から同月一一日まで連日点滴を行った。また、被告は、原告X4に対し、同月三日に分泌物による結核菌検査を、同月七日及び同月一二日に血液の生化学検査を、同日の開腹手術の直前に腹部の超音波断層撮影、胸部のレントゲン撮影及び心電図検査をそれぞれ行ったが、同日、原告X4の「どこを切るのですか。」の問いに対して「開けてみなければ分からない。」とのみ答えただけで、原告X4の腹部を縦に切開して子宮全部及び左附属器を摘出する手術を行った。ところが、被告は、右手術後、原告X4の夫に対して摘出したという臓器一個を示して卵巣を片方摘出した旨告げ、原告X4に対しても同じく卵巣を片方摘出したとのみ告げた。

被告は、原告X4に対し、手術後も同年五月二三日まで、連日手術前と同様の点滴を行い、同年四月二一日、同年五月一日及び同月一二日に各血液検査を、同年四月一四日に腹水による結核菌検査をそれぞれ行ったが、診察行為は、回診の際に縫合部のガーゼを交換し、触診するのみであった。

原告X4は、抜糸後四日ほどして通常の生活ができるほどに回復していたのに、被告から「大分良くなったが、まだまだ当分かかる。あと半年はかかるかもしれない。」と言われて不審に思っていたところ、見舞客から「子宮を取った人でも二週間くらいの入院なのに長いわね。」と言われ、被告病院の看護婦からも「ほかの病院で本当にその病気かどうか診てもらった方がいい。そうしている人もいる。」などと言われ、被告に対して不信を抱くに至った。そして、原告X4は、夫と相談の上退院の決意を固め、同年五月二三日、被告が「ここの病院でしかこの病気は分からないから、ほかのどこの病院に行っても駄目だ。」と言うところを強行退院するに至った。

原告X4は、退院後三日して、玄々堂医院で受診したところ、始めて子宮がなくなっていることを告げられ、驚愕した。そして、膣(ちつ)炎、骨盤内結合織炎(軽度)の診断を受け、三回の通院で完治した。

(4) 被告の原告X4に対する債務不履行

ア 説明義務違反

原告X4が初診の日の夕刻に勤務先に提出するべく被告作成の診断書を取ったところ、そこに子宮炎等の診断名が記載されていたが、被告は、原告X4に対し、病名については腹膜炎以外に何らの説明をもしていない。被告は、原告X4に対し、病状、実施予定の医療行為とその内容、予想される危険性、代替可能な他の治療方法等についてはもちろん、手術の部位についてすら具体的な説明を全く行っていない。被告に診断された重大疾患の快癒を望んで手術を受けるのもやむを得ないと思っていた原告X4もさすがに不安にかられてどのような手術をするのか説明を求めたが、被告は、開けてみなければ分からないとのみ告げて、子宮摘出及び左附属器摘出手術の可能性についてすら何らの説明もしていない。

被告は、原告X4に対し、手術後においても手術内容、回復の見込み等を説明しないどころか、前記のとおり、原告X4及びその夫に対して卵巣を片方摘出したとのみ告げている。

したがって、医学上の知識が皆無に等しく、被告の診断を信頼し、その治療に全面的に依存しなければならない原告X4が思いもかけない被告の宣言にすっかり動転し、自己の生命・身体に対する重大な結果を回避するために必要やむを得ないものと思い込んで手術に承諾を与えたとしても、右のような状況下での承諾は、被告の原告X4の身体に対する侵襲の違法性を阻却するものではあり得ない。しかも、原告X4は、被告に対し、腹膜炎の手術以上の子宮摘出及び左附属器摘出について承諾を与えていない。

イ 手術適応の不存在

被告の原告X4に対する診察は内診及び尿検査のみである。そして、細菌検査もすべて陰性であり、血液検査にも異常がなく、平熱であり、原告X4に自覚症状は全くなかった。このような状態から手術適応を裏付ける根拠は十分でない。

手術後の病理検査の「腹膜炎を併発した子宮せん(腺)筋症」という所見も、直ちに子宮摘出及び左附属器摘出の合理性を裏付けるものではなく、子宮摘出及び左附属器摘出の必要性を根拠付けるものとしては不十分である。

ウ 入院適応の不存在

子宮全摘出手術をした場合でも特別の事情のない限り二週間程度の入院が普通であるところ、被告は、原告X4を、同年四月一二日の手術後四二日間も入院させて、不当に身体を拘束した。

(五) 原告X5に対する医療過誤

(1) 原告X5の健康状態

原告X5(以下「原告X5」という。)は、昭和二一年九月二三日に出生し、昭和五二年三月に婚姻し、同年八月に長女を正常分べんで出産した。原告X5は、昭和五四年二月に妊娠七か月で妊娠中毒による早期破水のために胎児を死産したものの、それ以外はほとんど病気にかかったこともなかった。

原告X5は、同年九月初旬以降月経がなく、腰背部に鈍痛を覚えたので、妊娠したのではないかと考え、同年九月一七日、被告病院を訪れたが、被告が不在だったので、同月二六日再び被告病院を訪れて被告に対して診察を求めたところ、被告は原告X5に対して問診、内診、尿検査及び超音波断層撮影による診察をした。

(2) 原告X5と被告との診療契約の締結と被告の診断及び治療の内容

ア 第一回診療契約の締結と被告の診断及び治療の内容

被告は、右内診の際、長時間原告X5の腹部の内側と外側両方から強く押し、原告X5に対し、何度も「痛くないか。」と尋ねた。原告X5は、右触診によって感じる痛みがあったため、「痛い。」と答えた。被告は、原告X5に対し、「妊娠二か月、左卵管炎、附属器炎、限局性腹膜炎」と診断し、「直ちに入院しなければ体が腐ってしまう。」と告げた。そこで、原告X5は、改めて、被告に対し、家庭の事情によって直ちに入院することはできないが、自分が真実このような疾病にり患しているのであれば、取りあえず通院で適切な治療を受けたい旨述べ、これを認めた被告との間で診療契約を締結した。そして、被告は、原告X5に対し、シーティー(セファロスポリン系抗生物質)一日二グラム、ビタミンB・C、タチオン(肝庇護剤)等を投与した。

イ 第二回診療契約の締結と被告の診断及び治療の内容

原告X5は、同年一〇月中旬ごろから少量の性器出血をみたので、先に流産の経験があることから再度の流産をおそれ、同月一六日、被告病院を訪れて診察を求め、これに応じた被告との間で診療契約を締結した。

被告は、同日、診察の上、「切迫流産の疑いがある。」と診断した。そして、同日から同年一一月二日まで、原告X5に対し、通院で、流産防止のため主としてプロゲストン(黄体ホルモン)を投与をした。しかし、原告X5は、性器からの出血の量が次第に増えていったので、同月五日、被告病院に入院した。被告は、原告X5に対し、内診及び超音波断層撮影などを随時行いながら、プロゲストン、シーティー一日二グラム、ビタミンB・C、タチオン、ポタコール(輸液用電解質)等の点滴を行ったが、同月一五日、胎児が装置に写らなくなり、胎児死亡による不全流産と診断し、子宮内容の掻爬術を行った。

ウ 第三回診療契約の締結と被告の診断及び治療の内容

原告X5は右掻爬後も被告の退院許可がないまま入院を継続していたところ、被告は、同月二二日、原告X5に対し、問診及び内診をし、右内診の際、(1)の時と同様の触診によって感じる痛みがあったため「痛い。」と答えたが、右問診と内診によって妊娠の点を除いて(1)と全く同じ診断をし、その治療を行うためには引き続き入院の要がある旨を告げたので、原告X5は、それらの医学的な解明と入院を含む適切な治療をすることを依頼し、それを受諾した被告との間で診療契約を締結した。

原告X5は同年一二月一三日までは入院で、同月一四日から昭和五五年三月九日までは通院で、同月一〇日から同月二三日までは入院でそれぞれ被告の治療を受けたが、被告は、原告X5に対し、昭和五四年一二月六日には欝(うっ)血性心不全の、昭和五五年三月一八日には右卵巣腹膜炎、腸癒着等の各病名を追加した。しかし、被告が原告X5に対して行った治療の内容は、昭和五四年一一月一五日からのと同一内容のポタコール、タチオン、フラット(ビタミンB2)、ビタミンC、シーティー等の点滴による投与であった。なお、原告X5は、同年一二月末ごろ、右シーティーの副作用によりカンジダ性膣炎を併発し、それに対する治療として退院するまでの約三か月間膣洗浄を受けた。

ちなみに、原告X5は、被告から「右卵巣腹膜炎により卵巣摘出手術をしなければならない。」と告げられていたが、昭和五五年三月二三日、被告病院を強行退院した。そして、同年四月一九日、薬丸病院の医師林晴男の診察を受けたところ、カンジダ性膣炎のほかは何らの子宮疾患も認められないとの診断であった。

(3) 被告の原告X5に対する債務不履行

ア 説明義務違反

被告は、原告X5に対し、三回の各診療契約に基づく診療において、病状、治療見込みについて納得がいくような具体的説明を全くしていない。かえって、被告は、原告X5に対し、「おなかが腐っている。」と原告X5ががんではないかとの不安を抱く虚偽の説明をし、原告X5から「左卵管炎をこれだけ治療しているのに、今ごろになって右卵巣腹膜炎というのはどういうことか。」と問い質され、「以前は子宮が大きかったので右側がよく分からなかった。」などと虚偽の弁明をしている。このことから明らかなように、被告は、原告X5に対し、単に過失によって病状等を説明しなかったという不作為のみではなく、故意に真実に反する説明をしたものである。

イ 治療適応の不存在

被告の診療行為のうち、左卵管炎、右卵巣腹膜炎(あるいは子宮腹膜炎)、欝血性心不全、腸癒着は、それらの診断を裏付ける根拠は何もない。検査結果を見ても、白血球数、血色素数等若干の数値の不足はあっても、これをもって右診断を根拠付けるほどではなく、また治療を要するほどでもない。

被告の原告X5に対する投薬の基本となっているのはシーティー一日二グラムの連日投与であるが、このような投薬の仕方は、不適切であり、このような投薬によって原告X5の症状が殊更に良好になったとの効果は、温度板を見ても見当たらない。むしろ、原告X5には、妊娠及び切迫流産のほかは何らの病変もなかったものと考えるのが自然である。

それにもかかわらず、被告は、原告X5に対し、連日シーティー一日二グラムの長期投与を行い、カンジダ性膣炎を誘発した。原告X5の右膣炎は、明らかに医原病であり、被告は、原告X5に対し、何らの理由なく薬物を投与することによって傷害を負わせたといわなければならない。

ウ 入院適応の不存在

被告は、昭和五四年一一月一五日、原告X5に対し、胎児死亡により子宮内容掻爬術を行ったが、この程度の胎児(がちょうの卵大)の掻爬術は通常日帰り手術が可能なものであり、入院の必要はない。したがって、同月一六日から昭和五五年三月二三日までの入院治療行為はどのような意味においてもその必要性が認められず、不必要な入院治療であったといわざるを得ない。被告の診断・治療の経緯を見てみると、被告は、原告X5に対し、虚偽の病名を告げて入院をさせようと試みたが、これを果たせず、原告X5がたまたま流産という別の原因で入院してきて子宮内容の掻爬を受けた後現に入院しているという立場を利用し、故意に退院許可を与えなかったばかりか、次々に入院を要するかの如き虚偽かつ重大な病名を告げて被告病院内に不当に拘束したものである。

(六) 原告X6に対する医療過誤

(1) 原告X6の健康状態

原告X6(以下「原告X6」という。)は、昭和三一年七月一日に出生し、昭和五四年二月に結婚した。原告X6は、生来健康に恵まれ、従来長期入院、手術等を要するほどの既往症にり患したことはない。なお、原告X6は、昭和五六年一月、長男を正常分べんで出産している。

原告X6は、昭和五四年八月下旬から微熱があり、月経がなく少量の性器出血をみたので、妊娠したのではないかと考え、同年九月二八日、被告病院を訪れて被告に対して診察を求めたところ、被告は原告X6に対して問診、内診及び尿検査をした。

(2) 原告X6と被告との診療契約の締結と被告の診断及び治療の内容

ア 第一回診療契約の締結と被告の診断及び治療の内容

被告は、右内診の際、妊娠の有無を判断する目的のためとしては不必要に時間をかけて原告X6の腹部内を乱暴とさえいえる方法で指を動かすなどして、原告X6に対し、「痛くないか。」と尋ねた。原告X6は、被告の右行為によってもたらされた痛みに対して「痛い。」と答えた。被告は、原告X6に対し、「妊娠五週、切迫流産の疑い、片方(右又は左)の卵管炎」と診断し、卵管炎について「胎児が一定程度に発育した段階で、薬物療法により治療することが望ましい。」と告げた。原告X6は、妊娠初期に通常みられる程度の体調の変化以外に特別な苦痛を覚えたことはなく、腹痛、腰痛等も全くなかったものの、改めて、被告に対し、流産防止の措置と共に自分が卵管炎にり患しているのであれば、それに対する適切な治療を行うことを依頼し、これを受諾した被告との間に診療契約を締結した。

被告は、原告X6に対し、原則として連日通院することを求め、随時内診及び超音波診断を行い、プロゲストン等を注射及び経口により投与した。

被告は、同年一二月二二日、原告X6に対し、胎児死亡と診断し、掻爬のために入院を要することを告げ、同月二四日、入院した原告X6に対し、掻爬術を施した。

イ 第二回診療契約の締結と被告の診断及び治療の内容

被告は、その直後、原告X6に対し、子宮炎にもり患している旨の診断をし、引き続き入院を要する旨告げた。そこで、原告X6は、被告に対し、自分が真実そのような疾病にり患しているものであれば、右疾病に関する医学的解明とそれに対する適切な治療行為を行うことを依頼し、これを応諾した被告との間に重ねて診療契約を締結した。

被告は、原告X6に対し、連日ポタコール、タチオン等の点滴を行った。そして、昭和五五年一月六、七日ごろ、腹膜炎にもなっていることを告げた。原告X6は、同月九日、被告病院を抜け出して薬丸病院で受診したところ、内診した医師から「何ともない。」と言われた。原告X6は、この薬丸病院での診断により即刻にも被告病院を退院するため、同日午後五時過ぎ、夫並びに夫の母及び兄と連れ立って被告の自宅まで赴き、被告に対し、「東京の方の病院に移りたい。」との口実で退院許可を願い出た。被告は、それに対して明日内診してからと返答し、翌一〇日、原告X6に対し、今でも子宮炎等にり患していると思わせるために故意に激痛を伴う内診を行い、「ああもうだめだ。」と言い、手術を勧めた。しかし、原告X6は、被告病院を強行に退院した。

ちなみに、原告X6は、退院直後、念のため駒病院でも診察を受けた。同病院では、中絶や出産後子宮が元のように戻る「子宮復故」が完全でない「子宮復故不全」が認められるが入院の必要はないと診断され、同病院では、子宮清掃と投薬、その後一度通院時に再投薬の治療をしただけであった。

(3) 被告の原告X6に対する債務不履行

ア 説明義務違反

被告は、第二回診療契約を締結した昭和五四年一二月二四日、原告X6に対し、原告X6が自らの状況を素人なりにも把握し、入院治療について自己決定をするための入院の必要性、実効性、更に入院期間の見込み等について全く説明をしていない。

イ 入院治療適応の不存在

原告X6の血液検査の結果はいずれを取っても正常の範囲内であり、もちろん白血球数、AG比も正常である。また、炎症を訴えるような発熱もない。他病院における診断の結果も前記のとおりである。

以上の事実から、原告X6には当時入院治療をしなければならないような病気は全くなく、したがって、被告の原告X6に対する入院指示及び点滴治療は不必要なものである。

(七) 原告X7に対する医療過誤

(1) 原告X7の健康状態

原告X7(以下「原告X7」という。)は、昭和二八年九月二九日に出生し、昭和五〇年四月に婚姻し、昭和五一年一月に長男を正常分べんで出産した。原告X7は、昭和五二年七月に急性膀胱(ぼうこう)炎になったほかは特別な既往症にり患したことがなかった。

原告X7は、昭和五四年六月六日、妊娠の診察を受けるために被告病院を訪れ、被告に対し、無月経、六か月以前からの黄色の帯下、外陰部そうよう感を訴えたところ、被告から、妊娠二か月、カンジダ性膣炎、外陰炎と診断され、投薬を受けると共に以来被告病院で出産する予定で定期的に検診を受けていた。

(2) 原告X7と被告との診療契約の締結と被告の診断及び治療の内容

ア 第一回診療契約の締結と被告の診断及び治療の内容

原告X7は、同年一二月二二日の定期検診において、被告に対し、その少し前に何時間か左側腹部に痛みを感じた日があったので、そのことを話した。そうすると、被告は、側腹部を触診し超音波断層装置で下腹部及び左腎(じん)臓を撮影した上、慢性腎盂(じんう)炎と診断し、原告X7に対し、出産後引き続き三か月被告病院に入院して治療するように述べたので、原告X7は、被告の言を信じて出産後その治療を依頼することを承諾したが、被告病院に入院することについては家にいまだ四歳の長男とこれから生まれる子を残すことになるので困難である旨を訴え、通院による治療を強く希望したところ、被告もそれを認め、ここに原告X7と被告との間に腎盂炎について通院による診療契約が締結された。

原告X7は、昭和五五年一月二四日に被告病院において長女を出産し、同月三一日に退院したが、右診療契約に基づいて、同月二月一日から毎日被告病院に通院し、一日一時間半程度ポタコール、ビタミンC、タチオン、フラッド、シーティーなどの点滴による治療を受けた。

イ 第二回診療契約の締結と被告の診断及び治療の内容

原告X7は、同年一月初めごろ(右出産より約二〇日前ごろ)から長く立っていたり歩いたりすると右横腹に痛みを覚えるようになったため、被告に対してその旨を訴えたところ、被告は、「今は出産前で診察できないから、出産後一か月ぐらいしたら診てみましょう。」と言っていたが、同年二月二五日、原告X7を内診して腎盂炎のほかに子宮内膜症にもり患していると診断した。そして、原告X7に対し、子宮内膜症について図を書きながら子宮摘出手術が必要である旨告げた。原告X7は、その場で右手術について承諾することを避けて帰宅し、医学辞典で調べて保存的治療も可能であることを知ったので、翌日、被告に対して薬による適切な治療行為をすることを求めたところ、被告もそれに応じ、ここに原告X7と被告との間に先の腎盂炎の治療に加えて子宮内膜症について診療契約が締結された。

しかし、被告は、同年三月初め以降も、原告X7に対し、一日一時間半程度ポタコール、ビタミンC、タチオン、フラッド、シーティーなどを点滴したのみで、従前の治療方法と全く変わりがなかった。

原告X7は、被告が腎盂炎について連日全く同じ内容の点滴を続けるばかりで他にこれというほどの治療行為もせず、子宮内膜炎と診断した後も点滴の内容が変わらなかったことや、通院して三か月近く経っても治癒の見込みが立たないことに不審を抱き、同年四月二一日に薬丸病院に赴いて医師林晴男の診察を受けたところ、腎盂炎にも子宮内膜症にもり患していないとの診断であったため、以後、被告に無断で被告病院への通院を打ち切った。

(3) 被告の原告X7に対する債務不履行

ア 説明義務違反

被告は、原告X7との第一回診療契約を締結するに当たり、原告X7に対し、「慢性腎盂炎で出産後引き続き三か月入院して治療する必要がある。」と告げたが、それ以外には一般に医師が患者に説明すべき、症状、実施予定の医療行為やその内容、代替可能な他の治療行為の有無などについて何らの説明もしなかった。

また、被告は、原告X7との第二回診療契約を締結するに当たり、原告X7に対し、子宮摘出手術以外に治療法がないものと信じさせようとした。

イ 治療適応の不存在

慢性腎盂炎の診断は、的中率一三ないし一七パーセントといわれるほど難しいもので、問診、触診及び超音波断層撮影のみで診断を下すことは不可能に近く、尿検査、血液検査などを行い、尿中の細菌の有無、血中抗体価、白血球数の増多などを調べる必要がある。ところが、被告は、診断を下すに当たってこれらの検査を全くしていない。しかも、原告X7は、被告の診断の真偽を確めるために、昭和五四年一二月二七日、薬丸病院で診察を受けており、尿検査と内診の結果、異常なしと診断されている(それにもかかわらず、原告X7が被告の言に従って治療を受けたのは、ひとえに原告X7が被告病院で出産せざるを得ない状況にあったためである。)。

百歩譲って、被告の診断が全く根拠のないものではなかったとしても、被告の原告X7に体する治療の基本は連日のシーティー一日二グラムの点滴であるが、このような治療法は、不適切であり、効果はない。

また、子宮内膜症については、被告自身そのような診断を下した覚えがないと主張しており、診療録中にも何らの記載がないのであるから、説明義務の問題はさておき、治療の必要性がなかったことは明らかである。

3  原告らの損害

(一) 慰謝料

(1) 被告の原告らに対する高度に違法な診療行為

原告らの損害を論じるに当たっては、被告の診療行為そのものが前述の如く極めて違法性の強いものであることを指摘しなければならない。

それは、従来の医療過誤訴訟で論じられてきたような、一症例について個別に発生した診断ミス、治療ミス、手術ミスとは性格が異なるものであり、被告の現代医学ではとうてい認められないある種の独断、あるいは経済上の目的により、たまたま被告病院を訪れた患者に対してほぼ同様の手口をもって加えられた人体に対する一連の違法な侵襲行為である。医師による患者の人体に対する違法な侵襲行為は、医師でなくては行い得ない人体に対する侵害であり、免許制度等に基づく社会の医師に対する強度の信頼性や、その信頼を基礎として与えられた医師の患者に対する優位性と医師の各種保険制度及び税制により担保された収益性に鑑みると、その反社会性が極めて大きいと見るべきである。

したがって、一般人が人体に対する侵害をした場合よりもその違法性は極めて強いというべく、そのことはまた当然に損害額殊に慰謝料の算定において十分に考慮されるべきであると思料する。

(2) 原告X1、同X2、同X3及び同X4の慰謝料

原告X1、同X2、同X3及び同X4は、いずれも次のような肉体的・精神的損害を被った。

① 被告の不必要な手術によっていずれも子宮及び卵巣の一方を喪失し、永久に受胎能力を喪失した。女性にとって受胎能力の持つ意味は大きい。将来妊娠・出産の意図があるか否かにかかわらず、能力それ自体がなくなってしまうのであるから、一種のハンディキャッパーにされたのも同然である。もちろん、現に妊娠・出産の意思があるならばなおさらその損害は甚大である。

② また、子宮卵巣の摘出によって、腰に力が入らない、重いものが持てない、性生活に対する興味をなくした、等という現象が一様に発現する。これらの現象は、生活能力の低下、また人生をエンジョイする能力の低下を招き、ひいては家庭生活の不和を招来しかねない。右原告らの中には現に家庭の不和を来たした者もいる。

③ さらに、腹部に残された創口(縫合痕)は醜く、そのことを絶えず引け目に思う気持が払しょくし切れない。

④ 加えて、その手術に前後して不必要な入院を強要されたため、右原告らは、短い場合で約一か月半、長い場合は約六か月に及ぶ期間、被告病院内に閉じ込められた。これによって行動の自由、家庭生活を行う自由を妨げられた損害も甚大である。

⑤ なお、右原告らは、いずれも四〇歳前後の女性であるが、女性の平均寿命が八〇歳に到達しようとしている今日、およそその半分を経過したに過ぎない。残された半生を女性として生きて行く上で、子宮及び卵巣(一方)がないという女性としては肉体的に決定的な負因を背負い続けなければならない。時には心ない者から「もう女ではない。」という具合にやゆされ、自らも「愛情生活は自分にとってもはや無縁のもの」と言い聞かせながら生きて行かなければならないのである。また、中年以後に起きるであろう、ホルモン分泌の変化に関連して、更年期障害、老化現象などが通常の女性に発現するよりも早く、通常とは異なる契機と順序で起こり得るであろうと絶えず不安と屈辱におののきながら暮さなければならない。

以上のようなもろもろの肉体的ハンディキャップ、生活上の支障、精神的苦痛はとうてい筆舌には尽くし得るものではなく、また金銭に換算し得るものでもないが、あえてこれを金銭で評価するとすれば、少なく見積っても一〇〇〇万円を下るものではないので、右原告らの慰謝料額は、それぞれ一〇〇〇万円とするのが相当である。

(3) 原告X5及び同X6の慰謝料

原告X5及び同X6は、共に、被告の不適切な診断ないし不適切な治療行為によって、自己の健康に対する不安にさいなまれ、かつ、不必要な入院を強制され、行動の自由、家庭生活の自由を不当に奪われた。これによって被った右原告らの精神的苦痛を金銭に見積れば、一日について三万円を下らない。

よって、原告X5の慰謝料額は昭和五四年一一月一六日から昭和五五年三月三一日までの入院日数一三七日を乗じた四一一万円、原告X6のそれは入院日数一七日を乗じた五一万円とするのが相当である。

(4) 原告X7の慰謝料

原告X7は、被告の違法な診断、治療によって、自己の健康に対する不安にさいなまれ、連日通院するために著しい家庭生活における犠牲を強いられた。これによって被った原告X7の精神的苦痛を金銭に見積れば、一日について二万円を下らない。

よって、原告X7の慰謝料額は、通院日数八一日を乗じた一六二万円とするのが相当である。

(二) 原告らが被告に支払った診療費

前述した被告の原告らに対する不必要な診療に対して、原告らは、被告に対し、診療費名下に次のとおり金員を支払い、同額の損害を被った。

(1) 原告X1 八万二三五〇円

(2) 原告X2 六三万〇六五〇円

(3) 原告X3 九五万六三〇〇円

(4) 原告X4 三三万五七〇〇円

(5) 原告X5 五八万一三三〇円

(6) 原告X6 九万一九九〇円

(7) 原告X7 三三万三〇五〇円

よって、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償として、原告X1は一〇〇八万二三五〇円、同X2は一〇六三万〇六五〇円、同X3は一〇九五万六三〇〇円、同X4は一〇三三万五七〇〇円、同X5は四六九万一三三〇円、同X6は六〇万一九九〇円、同X7は一九五万三〇五〇円並びに原告X1、同X2、同X3及び同X4の各金員に対する右原告らの訴状が被告に対して送達された日の翌日である昭和五六年五月一日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告X5、同X6及び同X7の各金員に対する右原告らの各訴状が被告に対して送達された日の翌日である同年八月八日から各支払済みまで右割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1のうち、被告が昭和三六年に日本医科大学を卒業し、昭和四七年から被告の肩書地において野村病院を開業したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(原告X1関係)

2(一)(1) 請求の原因2(一)(1)のうち、原告X1の健康状態が良好であったことは否認し、その余の事実は不知。

(2) 同2(一)(2)のうち、原告X1が昭和五五年二月二日に被告病院を訪れ、被告に対して診断及び治療を求め、被告がそれを応諾したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(3) 同2(一)(3)のうち、被告が原告X1を問診(原告X1の主訴と最終月経日の各聴取)、内診及び超音波診断をし、「妊娠七週目である。子宮炎、附属器炎であり、子宮が腸と癒着している。」と診断したこと、原告X1が同月四日に被告病院に入院したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4) 同2(一)(4)のうち、被告が同月五日に原告X1に対して妊娠中絶手術掻爬術をしたこと、被告が同月九日に開腹による子宮摘出及び右附属器切除をしたこと、原告X1の手術創部が良好に経過し、同月一六日に抜糸されたこと、被告が原告X1に対して入院約一か月後の時点で欝血性心不全の診断をしたこと、原告X1が同年四月八日に被告に対して突然退院を申し出て、治療を中断して退院してしまったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(5)ア 同2(一)(5)ア及びイのうち、被告が原告X1の症状を妊娠のほかに、切迫流産の疑い、子宮炎、附属器炎及び汎発性腹膜炎と診断したことは認めるが、その余は否認ないし争う。被告は、原告X1に対し、その疾病を子宮炎、附属器炎、汎発性腹膜炎と説明し、子宮及びその周囲の炎症が進んでいるので、腹部・腰痛が激しいと思われる。通院して点滴及び内服薬で治す方法もあるが、完全に治すにはとても長い期間掛かると思われる。手術して子宮その他の悪いところを摘出すれば、痛みもなくなり、完全に治すことができると話し、手術を勧め、家族とも相談するようにと言って帰宅させたところ、原告X1は、同年二月四日、手術することに決定したと言って被告病院に入院した。

イ 同2(一)(5)ウのうち、原告X1が薬丸病院において異常なしと診断されたことは不知、その余は否認ないし争う。被告は、原告X1の心電図を取った結果、欝血性心不全と診断したものである。欝血性心不全は、体の状態が悪くなるとなったり、普通は一過性であることが多い。原告X1の場合には、腹膜炎があって体が衰弱したため心臓に負担がかかり、欝血性心不全を起こしたものと思われる。被告は、心電図等から原告X1に重要な心臓病があるかどうかを判断し、ないということで治療を行っている。

(原告X2関係)

(二)(1) 請求の原因2(二)(1)のうち、原告X2が健康であったことは否認し、その余の事実は不知。

(2) 同2(二)(2)のうち、原告X2が昭和五三年五月一〇日からの性器出血(と下腹部痛)のために同月一七日に被告病院を訪れて被告に対して診断を求め、被告がそれに応じたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(3) 同2(二)(3)のうち、被告が原告X2を問診及び内診したこと、被告が原告X2に対して(癒着性)子宮筋腫及び(限局性)腹膜炎と診断したこと、原告X2が翌一八日午前一時ごろに被告病院に入院したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(4) 同2(二)(4)のうち、被告が同日原告X2に対して血圧測定、血液検査などをしたこと、被告が同月二七日に原告X2の子宮、左附属器及び虫垂を摘出したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(5) 同2(二)(5)は、否認ないし争う。被告は、同月一七日、原告X2に対し、子宮が炎症を起こしており、一部にしこりがある。他の臓器と癒着しているので、完全に治すにはとても長い期間がかかると思われる。手術して子宮を摘出し、癒着部位をはく離・切除し、その後に炎症している部分を治療すれば完全に治すことができる、と説明し、家族とも相談するように言って帰宅させたところ、原告X2は、翌一八日、子宮摘出手術の依頼のため被告病院に入院した。また、虫垂の手術は、原告X2の申出により行ったものである。そして、被告は、同年七月二五日の診察の結果今後二週間で退院予定と診断し、同年八月七日の診察で同日退院予定と診断したところ、原告X2の希望等により後一〇日入院しているということで、原告X2の意思で同月一九日に退院している。

(原告X3関係)

(三)(1) 請求の原因2(三)(1)のうち、原告X3が昭和五二年九月一四日に初めて被告病院を訪れ、被告から妊娠六か月で出産予定日は昭和五三年一月二一日であるとの診断を受けたこと、原告X3が昭和五二年九月一八日に被告の診察を受けたこと、原告X3が同月二〇日に被告病院に入院し、翌二一日に帝王切開により長男を出産したことは認めるが、原告X3が昭和一四年一二月二五日に出生し、昭和四二年に婚姻し、昭和四八年に長女を帝王切開により出産したこと、原告X3が過去において虫垂切除をしたことがあることは不知、その余の事実は否認する。

(2) 同2(三)(2)の事実はすべて否認する。

(3) 同2(三)(3)のうち、被告が原告X3に対して昭和五三年一月二一日から同年二月一七日まで点滴及び三、四種類の薬品の経口投与をし、同月一八日、子宮及び右附属器の摘出手術をしたこと、被告が右手術後同年八月三一日までの間原告X3に対して連日点滴を行ったこと、原告X3が当初に被告から六か月の入院を要すると宣告されていたこと、原告X3が同日被告病院を退院したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4)ア 同2(三)(4)ア及びイは否認ないし争う。

イ 同2(三)(4)ウのうち、通常の状態の子宮摘出手術の場合には二〜三週間で退院することができることは認めるが、その余は否認ないし争う。原告X3の場合には、子宮及び周囲の状態が特に悪く、手術後、血液、尿検査、問診、外診、内診の結果により病状の変化を見ながら治療を行ったものである。

(原告X4関係)

(四)(1) 請求の原因2(四)(1)のうち、原告X4が昭和五五年三月二四日に被告病院を訪れたこと、被告が原告X4に対して内診及び尿検査を行ったことは認めるが、原告X4が昭和一八年九月一日に出生し、昭和四六年に婚姻し、昭和四七年ごろに妊娠したが人工中絶をして夫婦の間には子がないことは不知、その余の事実は否認する。

(2) 同2(四)(2)のうち、被告が原告X4に対して妊娠しており腹膜炎にり患している旨の診断をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。原告X4の主訴は、無月経、腹部膨満感、体がだるい、疲れやすい、腰痛、下腹部痛であった。したがって、原告X4が妊娠検査だけに来院したものでないことは明らかである。

(3) 同2(四)(3)のうち、被告が同日原告X4に対してできるだけ安静にしているように指示したほかは、何らの措置、処方を行わなかったこと、原告X4が同年四月一日に被告病院に入院したこと、被告が同日原告X4に対して血液型検査、血液の生化学検査、梅毒検査をし、その同意の下に妊娠中絶手術をしたこと、被告が原告X4に対して同日から連日点滴を行い、同月三日に分泌物による結核菌検査を、同月一二日の開腹手術の直前に胸部のレントゲン撮影及び心電図検査をそれぞれ行ったこと、被告が同日原告X4の腹部を縦に切開して子宮全部及び左附属器を摘出する手術を行ったこと、被告が原告X4に対して手術後も同年五月二三日まで連日手術前と同様の点滴を行い、同年四月二一日、同年五月一日及び同月一二日に各血液検査を行ったこと、原告X4が同月二三日に被告病院を退院したことは認めるが、原告X4が見舞客から「子宮を取った人でも二週間くらいの入院なのに長いわね。」と言われたことは不知、その余の事実は否認ないし争う。

(4)ア 同2(四)(4)アのうち、被告が原告X4について切迫流産の疑い、子宮膣部糜爛(びらん)、汎発性腹膜炎、子宮炎、附属器炎、結合織炎等と診断していることは認めるが、その余は否認ないし争う。

イ 同2(四)(4)イは否認ないし争う。

ウ 同2(四)(4)ウのうち、通常の状態の子宮摘出手術の場合には二〜三週間で退院することができること、原告X4が同年四月一二日の手術後四二日間入院していたことは認めるが、その余は否認ないし争う。

(原告X5関係)

(五)(1) 請求の原因2(五)(1)のうち、原告X5が昭和五四年九月一七日及び同月二六日に被告病院を訪れたこと、被告が同月二六日に原告X5に対して問診、内診、尿検査及び超音波断層撮影による診察をしたことは認めるが、原告X5が昭和二一年九月二三日に出生し、昭和五二年三月に婚姻し、同月八月に長女を正常分べんで出産したこと、原告X5が昭和五四年二月に妊娠七か月で妊娠中毒による早期破水のために胎児を死産したこと、原告X5が同年九月初旬以降月経がなく、腰背部に鈍痛を覚えたので、妊娠したのではないかと考えたことは不知、その余の事実は否認する。

(2)ア 同2(五)(2)アのうち、被告が同年九月二六日に原告X5に対して「妊娠二か月、左卵管炎、附属器炎、限局性腹膜炎」と診断したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告は、同日、原告X5に対し、右の診断のほか「切迫流産の疑い、子宮内膜炎、左附属器炎」の診断をしている。

イ 同2(五)(2)イのうち、原告X5が同年一〇月一六日に被告病院を訪れて被告の診察を受けたこと、原告X5に性器からの出血があったこと、被告が同日から同年一一月二日まで原告X5に対して通院で流産防止のためにプロゲストン等を投与したこと、原告X5が同月五日に被告病院に入院したこと、被告が原告X5に対して内診及び超音波診断などを随時行いながら、プロゲストン、シーティー、ビタミンC、タチオン、ポタコールR等を投与したこと、被告が同月一五日に胎児が右超音波断層撮影装置に写らなくなり、原告X5に対して胎児死亡による不全流産と診断し、子宮内容の掻爬術を行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

ウ 同2(五)(2)ウのうち、被告が原告X5のいうところの第三回診療契約に基づいて原告X5に対して行った治療の内容がポタコール、タチオン、フラット(ビタミンB2)、ビタミンC、シーティー等の点滴による投与であったこと、原告X5が同年一二月末ごろにカンジダ性膣炎を併発し、それに対する治療として退院するまでの約三か月間膣洗浄を受けたことは認めるが、原告X5が同年四月一九日に薬丸病院の医師林晴男の診察を受けたところ、カンジダ性膣炎のほかは何らの子宮疾患も認められないとの診断であったことは不知、その余の事実は否認する。

(3) 同2(五)(3)はすべて否認ないし争う。

(原告X6関係)

(六)(1) 請求の原因2(六)(1)のうち、原告X6が昭和五四年九月二八日に被告病院を訪れて被告に対して診察を求め、被告が原告X6に対して問診、内診及び尿検査をしたことは認めるが、その余の事実は不知。

(2)ア 同2(六)(2)アのうち、被告が原告X6に対して「妊娠五週、切迫流産の疑い、卵管炎」と診断し、卵管炎について「胎児が一定程度に発育した段階で、薬物療法により治療することが望ましい。」と告げたこと、被告が同年一二月二二日までの間原告X6に対して随時内診及び超音波診断を行い、プロゲストン等を注射及び経口により投与したこと、被告が同日原告X6に対して胎児死亡と診断したこと、被告が同月二四日に原告X6に対して掻爬術を施したことは認めるが、原告X6が妊娠初期に通常みられる程度の体調の変化以外に特別な苦痛を覚えたことはなく、腹痛、腰痛等も全くなかったことは不知、その余の事実は否認する。被告は、同年九月二八日、原告X6に対し、右の診断のほかに、「子宮炎、限局性腹膜炎、扁桃腺(へんとうせん)炎、咽頭(いんとう)炎」と診断した。

イ 同2(六)(2)イのうち、被告が同年一二月二二日から原告X6に対してポタコール、タチオン等の点滴を行ったこと、原告X6が昭和五五年一月一〇日に被告病院を退院したことは認めるが、原告X6が同月九日に被告病院を抜け出して薬丸病院で受診したところ、内診した医師から「何ともない。」と言われたこと、原告X6が退院直後に念のため駒病院でも診察を受け、同病院で中絶や出産後子宮が元のように戻る「子宮復故」が完全でない「子宮復故不全」が認められるが入院の必要はないと診断され、同病院では子宮清掃と投薬、その後一度通院時に再投薬の治療をしただけであったことは不知、その余の事実は否認する。

(3)ア 同2(六)(3)アは否認ないし争う。被告は、昭和五四年九月二八日、原告X6に対し、カルテ記載の病名を述べ、十分内容について説明を加えている。

イ 同2(六)(3)イは否認ないし争う。

(原告X7関係)

(七)(1) 請求の原因2(七)(1)のうち、原告X7が同年六月六日に妊娠の診察を受けるために被告病院を訪れ、被告に対して無月経、六か月以前からの黄色の帯下、外陰部そうよう感を訴えたところ、被告から妊娠二か月、カンジダ性膣炎、外陰炎と診断され、投薬を受けると共に以来被告病院で出産する予定で定期的に検診を受けていたことは認めるが、その余の事実は不知。

(2)ア 同2(七)(2)アのうち、原告X7が同年一二月二二日に被告に対して同月中旬に左側腹部に痛みがあったと訴えたこと、被告が側腹部を触診し超音波断層撮影装置で下腹部及び左腎臓を撮影した上、慢性腎盂炎と診断したこと、原告X7が昭和五五年一月二四日に被告病院において長女を出産し同月三一日に退院したこと、原告X7が同年二月一日から毎日被告病院に通院し、一日一時間半程度ポタコール、ビタミンC、タチオン、フラッド、シーティーなどの点滴による治療を受けたことは認めるが、原告X7が昭和五四年一二月二二日のその少し前に何時間か左側腹部に痛みを感じた日があったことは不知、その余の事実は否認する。

イ 同2(七)(2)イのうち、被告が昭和五五年三月初め以降も原告X7に対して一日一時間半程度ホタコール、ビタミンC、タチオン、フラッド、シーティーなどを点滴したことは認めるが、原告X7が同年四月二一日に薬丸病院に赴いて医師林晴男の診察を受けたところ、腎盂炎にも子宮内膜症にもり患していないとの診断であったことは不知、その余の事実は否認ないし争う。

(3)ア 同2(七)(3)アは否認ないし争う。被告は、原告X7に対し、十分治療の方法・見通しを説明しており、最初三か月ぐらいで完治するのではないかと説明している。

イ 同2(七)(3)イのうち、慢性腎盂炎の診断が難しいものであることは認めるが、原告X7が被告の診断の真偽を確めるために昭和五四年一二月二七日に薬丸病院において診察を受け、尿検査と内診の結果、異常なしと診断されたことは不知、その余は否認ないし争う。

3(一)(1) 請求の原因3(一)(1)及び(2)は否認ないし争う。

(2) 同3(一)(3)のうち、原告X6が被告の不適切な診断によって、自己の健康に対する不安にさいなまれ、かつ、不必要な入院を強制され、行動の自由、家庭生活の自由を不当に奪われたことは否認し、その余は争う。

(3) 同3(一)(4)は否認する。

(二) 請求の原因3(二)のうち、(1)ないし(4)は否認ないし争い、(5)及び(6)は争い、(7)は否認する。

三  抗弁

(原告X1関係)

1 請求の原因2(一)に対し

(一) 原告X1の主訴と被告の診察及び診断

(1) 原告X1の主訴

原告X1が昭和五五年二月二日に被告病院を訪れて被告に対して述べた主訴は、「無月経、昭和五四年一二月二〇日ごろ及び昭和五五年一月二八日から同年二月二日までの間、性器出血があった。腹部痛、仕事(ちゅう房)をして家に帰るとだるい。体を動かすことができずつらかった。腰痛、人工流産を希望する。」というものであった。

(2) 被告の初診時における診察

被告は、同日、原告X1に対し、問診、内診及び超音波診断をしたが、内診の結果は次のような状態であった。すなわち、「子宮膣部は、横径で閉じている。子宮は、前傾、前屈である。緊密さはわずかに軟かく手拳大であり、可動性はない。右附属器に軽く圧鋭敏感があり、左附属器に圧鋭敏感、抵抗感がある。ダグラス窩(か)に圧鋭敏感がある。分泌物は、黄色、多量で、悪臭を放つ。」

なお、被告は、看護婦に命じて、原告X1について「①ゴナビス(妊娠反応)検査(+)、②細菌培養検査、③結核菌培養検査、④腎(じん)機能検査、⑤肝機能検査、⑥白血球数検査、⑦血液型検査及び⑧T・P・H・A定性検査(梅毒検査)」をした。

(3) 被告の診断

被告は、右診察の結果、原告X1に対し、「①切迫流産の疑い、②子宮炎、附属器炎、汎発性腹膜炎」であると診断した。

(4) 被告の入院時における診察

被告は、同月四日、原告X1を再度診察したが、初診時と同じであった。

(二) 被告の原告X1に対する手術及び治療

(1) 妊娠中絶手術

被告は、原告X1の初診時の際の強い希望により、同月五日、原告X1に対し、妊娠中絶手術をした。

(2) 子宮及び左附属器各摘出手術

被告は、同月九日に原告X1に対して単純性子宮全摘出手術及び左附属器摘出手術を行ったが、同月五日に妊娠中絶手術を行ったのは、妊娠中は子宮摘出手術がしにくいためである。すなわち、妊娠中は子宮周囲の血管の増殖・肥大があり、同時に子宮筋層が肥大しており出血しやすいのである。また、入院後手術まで四〜五日を要しているが、これは、術前検査の結果の判断、中絶後の状態の回復その他投薬により体の状態を安定させるため必要であったものである。

手術の経過は、次のとおりである。午後二時〇五分に手術を開始した。正中線切開で腹腔(こう)を開くと、筋膜、腹膜に炎症所見があった。子宮は、手拳大で、赤くしゅ(腫)脹し、軟かくもろかった。左骨盤漏斗靱(じん)帯は、S字状結腸に癒着し、両側の附属器、広靱帯、結合織に強い炎症所見があった。ほとんど健康部位は見当たらず、子宮下部は、炎症性にしゅ脹肥大し、このため、左尿管は、基靱帯及びその周囲の結合織、子宮動静脈を含めた大小の血管その他の靱帯によって覆われ、また膀胱子宮靱帯、膀胱に炎症が及んでおり、子宮動静脈の部位から膀胱子宮靱帯の部位まで子宮の側面にぴったり着いていた。この尿管のはく離に二時間ほどの時間を費やした。右側の尿管は比較的癒着が少なかった。手術終了は午後五時二五分であった。

(3) 手術後の経過

手術は成功し、手術後の経過は順調で、同月一六日に全抜糸をし、同月一九日以降の診断では、手術創も良好に接着しており、その後入院中、腹壁に抵抗感、軽い圧鋭敏感が続いていた。

(4) 入院中使用した薬品

注射で、①ポタコール、タチオン、フラッド、②シーティー、③二〇パーセントG二〇グルタール等を、経口で、キモタブ、アクチム、アランタ、プルセニド、ノイキノン、フェーマス等を、肝機能、腎機能、血液等の検査の結果を見ながら、薬を変える等して投与し続けた。

(原告X2関係)

2 請求の原因2(二)に対し

(一) 原告X2の主訴と被告の診察及び診断

(1) 原告X2の主訴

原告X2が昭和五三年五月一七日に被告病院を訪れて被告に対して述べた主訴は、「同月一〇日から同月一七日まで少量の性器出血が続いている。下腹部痛(+)。」というものであり、当日微熱があった。

(2) 被告の初診時における診察

被告は、原告X2に対して問診及び内診をしたが、内診の結果は次のような状態であった。すなわち、「子宮口は、横に閉じている。子宮は、後屈、後傾である。緊密度は、弾力性があり、硬い。大きさは、手拳大である。可動性はない。両側の附属器は触れる。圧鋭敏感はない。膣分泌物は、出血性で、少ない。」

(3) 被告の診断

被告は、右診断の結果、原告X2に対し、「①癒着性子宮筋腫、子宮膣部糜爛、②限局性腹膜炎、貧血」と診断した。

(4) 被告の入院時における検査

被告、同月一八日、原告X2に対し、主として、①子宮がんの検査、②血液一般(白血球、赤血球、ヘモグロビン、ヘマトグリット)、③心電図、④腎機能及び⑤肝機能の検査を行った。

(二) 被告の原告X2に対する手術及び治療

(1) 子宮及び左附属器各摘出手術

被告は、同月二七日に原告X2に対して単純性子宮全摘出手術及び左附属器摘出手術を行ったが、右手術まで約一〇日を経過しているのは、炎症がひどいので、投薬・点滴で炎症を抑えて手術をしやすい状態にするためであった。

手術の経過は、次のとおりである。午後一時五〇分に手術を開始した。正中線切開で腹腔を開く。腹膜は、赤色で、強い炎症所見があった。子宮は、手拳大で、赤い。左附属器は、赤い。左附属器からダグラス窩にかけて膿瘍(のうよう)があり、S字状結腸にかけて強い癒着があった。その周囲の大網は、赤くて癒着があり、小腸は、暗薄褐色を呈していた。型の如く、左円靱帯より切断し、子宮を全摘した。右附属器は、比較的健康だったので、摘出しなかった。腹腔を三層に縫合して手術を終えた。手術終了は午後四時五〇分であった。

虫垂の摘出手術は、前記のとおり原告X2の申出によって行った。また、卵巣についても原告X2の同意を得ていたが、左卵巣を摘出したのみである。

右手術により、原告X2は、筋腫による出血、汎発性腹膜炎、炎症による出血、腹腔膿瘍、卵管炎、子宮炎にり患していたことも判明した。

(2) 手術後の経過

手術後は順調な経過をたどった。手術後同月二九日まで絶食し、同月三〇日排気のあった後昼食から流動食となった。そして、同年六月三日に抜糸し、同月から常食となった。

被告は、同月六日、原告X2に対し、細菌培養検査を行った。

(3) 手術後治療に用いた薬

注射で、①トランサミン、②エスジン、③二〇パーセントキリット、五パーセントキリット、④ブルタール、⑤タチオン、フラッド、⑥ビタミンC、⑦シーティー、⑧バントシンを、経口で、①フェーマス、②ネオマイゾン、③キモタブ、④アクチム、⑤アスコンプ、⑥プルセニド、⑦セレナール、⑧ウロサイダル等であり、定期的に血液一般、腎機能及び肝機能の検査を行い、その検査結果により最も適切な薬を与えた。

(原告X3関係)

3 請求の原因2(三)に対し

(一) 原告X3と被告との子宮摘出についての診療契約の締結

被告は、前記原告X3に対する帝王切開手術後一か月程度手術後の経過を見ていたが、それは順調に推移した。被告は、その時点で、原告X3に対し、「帝王切開の時の子宮の状態は悪く、一部壊死状態がある。このままにしておくと、下腹部痛が取れず、だんだんひどくなると他の部分、例えば、腸、胃の方まで炎症が広がる可能性があるので、子宮摘出術が望ましい。」と伝えたところ、原告X3は、二、三日後に、被告に対し、子宮摘出手術を依頼してきた。

(二) 被告の原告X3に対する手術及び治療

(1) 子宮摘出手術

被告は、昭和五三年二月一八日に原告X3に対して子宮摘出手術を行ったが、手術を帝王切開手術と子宮摘出手術の二度に分けてした理由は、妊娠中の子宮には血液が大量に流れ込んできており、一度に子宮まで摘出すると、大量出血のため母体に対する危険性があるので、不可能だからである。そこで、被告は、一か月程度原告X3の術後の様子を見て、その間抗生剤等を投与し、炎症を少しでも抑え、子宮が小さくなり手術がしやすい状態になるのを待っていたからである。

手術の経過は、次のとおりである。午後一時に手術を開始した。前回の帝王切開の部位を切除して腹腔を開く。腹膜、子宮、大網、子宮旁結合織、膀胱の癒着が強く、解剖学的位置は全く判明しなかった。位置の判明に努め、比較的健康部位よりはく離切除した。特に左子宮下部、頸部、子宮旁結合織の癒着が強度で、はく離切除が特に困難であった。右及び中央の腹膜の癒着が強く、このはく離も困難であった。子宮を完全にはく離切除した後、型の如く左円靱帯より切断し、子宮を摘出した。子宮は、もろく、壊死状の部分が多かった。腹腔の腹膜の位置が判明しなかった。腹膜を引き出し、完全に人工的に腹腔を作り出した。腹壁を三層に縫合して手術を終えた。手術終了は午後六時一五分であった。

(2) 手術後の経過(投薬を含む。)

原告X3には子宮及び周囲に壊死状の部位があったため、出血量が八二〇立方センチメートルと多く(普通は、一五〇立方センチメートル程度)、そのため術後の看護を特に慎重に行った。点滴で、キリット、タチオン、ビタミンC、フラッド、シーティー、バイオペン等を投与した。

同月二一日排気があり、手術後の経過は良好であった。薬は、ネオマイゾン、キモタブ、アクチム、アスコンプ、フェーマス等を与える。

同月二二日、投薬をフエントレックス、ダイエースに切り替える。

その後、血液、尿等の検査の結果を見ながら、点滴等を続けた。

同年四月七日、内診を行う。その結果は、膣断端は、右側に硬結がある。わずかに圧鋭敏感がある。広く抵抗感を感じる。左側は圧鋭敏感がない。分泌物は、白色で、少ない。

同年五月六日の内診所見。右側の患部が縮小している。

その後、原告X3の状態及び血液、尿等の検査の結果を見ながら投薬を行ったところ、患部が日毎に縮小して行った。

(原告X4関係)

4 請求の原因2(四)に対し

(一) 被告の原告X4に対する初診時の内診所見及び診断

(1) 被告の内診所見

原告X4の主訴は前記二2(四)(2)のとおりであり、被告の原告X4に対する初診時の内診所見は次のとおりである。「子宮口は円形で閉じている。子宮は、後屈、後傾で、子宮体部がはっきりとは感じることができない(炎症が強い場合には、このようなことが多い。)。子宮体部は、軟性であり、大きさが大きい。可動性はない。右附属器には、軽い硬結があり、軽い圧鋭敏感がある。左附属器には、軽い抵抗感、軽い圧鋭敏感がある。ダグラス窩には、軽い圧鋭敏感がある。膣分泌物は、黄色で、多い。」

(2) 被告の診断

被告は、右問診及び内診の結果、原告X4に対し、妊娠している(三か月の初め)、切迫流産の疑い、子宮膣部糜爛、汎発性腹膜炎、子宮炎、附属器炎、結合織炎と診断した。そして、被告は、原告X4に対し、「医学的には手術をして子宮及び左附属器を摘出することが望ましい。炎症が他の臓器に及んでいるので、子宮を摘出した後に、炎症している部分の治療を行った方が結果が良いと思われる。それには、入院は約三か月くらいかかる。経済的な面等について家族にもよく相談してくるように。」と告げて家に帰した。

(二) 被告の原告X4に対する手術及び治療

(1) 手術前の経緯

原告X4は、昭和五五年四月一日、子宮摘出手術及び左附属器摘出手術を求めて被告病院に入院した。

被告は、同日、原告X4の希望に基づいて妊娠中絶手術を行った。そして、被告は、一週間後の子宮摘出手術及び左附属器摘出手術をしやすくするべく、炎症を抑え、身体の一般状態を良くするため、原告X4に対し、セポール、キモタブ、アクチム、アランタを投与した。また、右手術を控えて、原告X4の身体の状態を知るため、血液一般、腎機能、肝機能、梅毒及び血液型の検査を行った。

被告は、同月三日、原告X4を内診したが、「子宮体部は、不鮮明に触れる。子宮体部は、少し軟かく、大きさが大きい。」という所見で、初診の時と変化がなかった。なお、膣分泌物の細菌培養、結核菌培養検査を行い、そのほか、超音波、胸部レントゲン、心電図の検査を行った。

被告は、同月七日及び一一日、原告X4に対し、血液一般、肝機能、腎機能の検査を行い、前回検査との比較において投薬の状況を把握した。

(2) 手術の経過

検査の結果及び身体の一般状態から、同月一二日に手術に適当な状態になった。

手術の経過は、次のとおりである。午後二時一〇分に手術を開始した。正中線切開で腹腔を開くと、皮下脂肪、筋肉に炎症所見があり、血管に富んでいて出血しやすかった。腹膜は、厚く赤くしゅ脹していた。この状態が上腹部まで及んでいた。腹水は、約五〇立方センチメートルほどあって、血性のものであった。子宮は、軟性で、赤くしゅ脹し、左側及びその近くの円靱帯、広靱帯、骨盤漏斗靱帯は、軟性にしゅ脹し、血管に富み、また卵管、卵巣も同様であった。右側部分は、子宮の近くも左側ほどのものではなかったが、炎症所見は、広範囲に広がっていた。膀胱と骨盤腹膜は、黄色に厚く肥厚し、骨盤腹膜は、せん孔していた。大網も、上腹まで赤くしゅ脹し、汎発性腹膜炎の症状を呈していた。型の如く、左円靱帯より切断し、なるべくひどい炎症所見のある所より切断し、左附属器及び子宮を切断した。子宮の左側の所見及び手術の経過を詳述すると、左尿管は、炎症のため子宮側面に癒着し、その周囲は、炎症性肥厚肥大が強く、血管に富んでいたが、子宮部静脈その他の血管を尿管から分離、はく離し、完全に尿管を分離したものである。そして、腹壁を三層に縫合して手術を終えた。手術終了は午後四時三〇分であった。

(3) 手術後の経過

手術後の経過は、順調で、七日目に抜糸した。その後、腹部の軽い膨満、腹壁の抵抗感、圧鋭敏感が認められた。日時を経過するにつれ、右の状態はだんだん良くなってきたが、同年五月二三日、まだ完全には治癒しない状態であったが、原告X4が希望して退院した。

(4) 手術後治療に用いた薬

手術後当日は、点滴で、ポタコールR五〇〇立方センチメートル、タチオン二〇〇ミリグラム、フラッド、ケーツー、ビタミンC、シーティー等を投与した。

翌一三日は、右薬に加えて、ワゴスチグミン、ブルタール等を投与した。

原告X4の入院中は、一〇日に一度、血液一般、腎機能及び肝機能等の検査を行い、状態を見ながら、投薬、加療を行った。

(原告X5関係)

5 請求の原因2(五)に対し

(一) 通院期における原告X5の主訴と被告の診察、診断及び治療

(1) 初診時における原告X5の主訴と被告の診察及び診断

原告X5の昭和五四年九月一七日における主訴は、「無月経、同月一四日朝に性器から少量の出血があった。腹部に膨満感がある。」というものであった。

被告は、原告X5の右主訴を聞き問診した結果、「切迫流産の疑い」と診断したが、原告X5が今日は時間がない、来週来るからその時詳しく見て欲しいと言うので、帰宅させた。

(2) 再診時における原告X5の主訴と被告の診察、診断及び検査

原告X5の同月二六日における主訴は、前回の主訴に加えて「二週間前から腰痛がある。」というものであった。

被告は、原告X5を問診及び内診したが、右内診所見は次のとおりである。「子宮口は、横に閉じている。子宮は、後屈、後傾である。子宮の硬さは少々軟性であり、大きさはがちょう卵大より小さい。わずかに可動性がある。左附属器に圧鋭敏感がある。ダグラス窩に圧鋭敏感がある。わずかに抵抗感もある。膣分泌物は、白くて少ない。」

被告は、右問診及び内診の結果、「切迫流産の疑い、子宮内膜炎、左附属器炎」と診断した。そして、原告X5に対し、ひどくなれば、入院して治療した方が望ましいと告げた。

妊娠初期のため投薬を控え、様子を見ることにし、膣洗浄を行うと共に、ゴナビス、血液一般の各検査を行った。

(3) 再々診時以降における原告X5の主訴と被告の診察、診断及び治療

原告X5は、同年一〇月一六日、被告に対し、「腰痛がある。チョコレート色の性器出血があった。」と訴えた。被告の内診所見は、「子宮は、後屈、後傾で、硬さは軟性であり、大きさはがちょう卵大より大きく、わずかに可動性がある。左附属器に弱い圧鋭敏感と弱い抵抗感がある。ダグラス窩に圧鋭敏感がある。分泌物は、黒くて少ない。」で、前回より病状が進んでいることが確認された。被告は、原告X5に対し、「切迫流産、外陰炎」と診断し、原告X5が前に流産しており、今度は是非とも産みたいと希望したので、注射によりプロゲストン、ケーツーを、内服によりプロゲストン、セポール、キモタブ、アクチム等を投与した。

被告は、同月一七日、原告X5に対し、注射によりプロゲストン、ケーツーを投与し、超音波断層撮影を行う。

被告は、同月一八日から同年一一月二日まで、原告X5に対し、従前と同じ注射及び内服で投薬した。原告X5は、同日、被告に対し、昼に強い下腹部痛があったと訴えた。被告は、それを卵管炎のためと思った。

(二) 入院期における原告X5の主訴と被告の診察、診断及び治療

(1) 入院当日における原告X5の主訴と被告の診察、診断及び治療

原告X5は、同月五日、被告に対し、「わずかに薄く茶色の性器出血があり、従前よりわずかながら量が増加した。下腹部痛、腰痛がある。」と訴えた。

被告は、原告X5を内診して「子宮口は、横に閉じている。子宮は、後屈、後傾であり、硬さは軟性、大きさはがちょう卵大で、可動性がわずかに制限されている。左附属器に広範囲な抵抗感、圧鋭敏感がある。ダグラス窩の左側に圧鋭敏感がある。分泌物は、黒くて少ない。」との所見を得た。

被告は、原告X5に対し、「妊娠三か月、切迫流産、限局性腹膜炎、附属器炎」と診断してそのことを告げた。

原告X5が強く出産を望んで入院を希望したので、被告は、同日、原告X5の入院を認めた。

被告は、入院後、原告X5に対し、点滴でポタコールR、ビタミンC、タチオン、フラッド、シーティーを、内服でプロゲストン、グルコース、ケーツーを投与した。

(2) 入院翌日から流産と診断した前日までの被告の診察

被告の同月六日から同月一四日までの原告X5に対する臨床所見は、「下腹部に弱い抵抗感、弱い圧鋭敏感があり、分泌物は、薄く、茶色で少ない。微熱がある。」であり、炎症が下腹部全体に及んでいることが判明した。

(3) 流産と診断した当日の被告の診察、診断及び子宮内容物除去手術

被告は、同月一五日、原告X5を内診したところ、「子宮口は、横に閉じている。子宮は、後屈、後傾であり、硬さはわずかに軟性、大きさはがちょう卵大で、可動性があり、右側面に弱い圧鋭敏感がある。左附属器には圧鋭敏感がない。ダグラス窩に圧鋭敏感がある。分泌物は、薄い茶色で少ない。」であった。また、超音波断層撮影を行った。右超音波断層撮影及び内診の結果、はっきり胎児が胎内死亡したことが確定したので、子宮内容の除去を行ったところ、絨(じゅう)毛上皮、脱落膜が存在した。

そして、右内診の結果によれば、これまでの治療によって左附属器の新しい炎症は治まったが、右附属器の古い炎症が顕在化したことになる。

(4) 子宮内容除去手術の翌日以降の被告の診察、診断及び治療

原告X5が子供をもう一人欲しいので入院を続け、病気を完全に治したいという強い希望を述べたことから、被告は、同月一六日から、原告X5に対し、随時、血液一般、肝機能、腎機能等の検査を行い、体の一般状態を見ながら、内服でセポール、キモタブ、アクチム及びアスコンプを、点滴でポタコールR、ビタミンC、タチオン、フラッド及びシーティーを与えた。

被告は、同月二二日、原告X5を内診し、「子宮は、後屈、後傾であり、硬さ及び大きさは正常であり、ほんのわずか可動性がある。右附属器は、全く弱く、硬結があり、子宮の後壁にわずかに圧鋭敏感がある。子宮の右側面に弱い硬結と弱い圧鋭敏感がある。ダグラス窩に圧鋭敏感がある。」との所見を得た。なお、原告X5が背中側湾症にかかっていることを心配していたので、被告は、レントゲン写真を撮った。

被告は、同月二四日以降、原告X5が風邪を引いて微熱を出したためその治療をしたが、被告のそのころの原告X5に対するその他の所見及び治療は、従前のとおりであった。

原告X5は、同年一二月六日、被告に対し、「呼吸困難、心臓部の重圧感」を訴えた。微熱があり、せきをしていた。被告は、原告X5を診察したところ、「心臓は清音である。規則正しい。明瞭で強い。遅脈である。胸部に気管支音(ラ音)がある。」ため、欝血性心不全と診断し、原告X5に対し、ノイキノン(強心剤)を投与した。

被告は、同月七日、原告X5を内診し、「子宮は、後屈、後傾であり、硬さ及び大きさは正常であり、わずかに可動性がある。子宮の右側面に弱い硬結と弱い圧鋭敏感がある。ダグラス窩に圧鋭敏感がある。分泌物は、白く、多い。」という所見であった。

なお、同月ごろ年末のためという原告X5の希望により、被告が原告X5に対して入院中ではあるが一時帰宅を認めたことがある。また、昭和五五年一月一日から同月六日までは治療を中止している。

昭和五四年一二月八日から昭和五五年二月二一日までの原告X5の臨床所見は従来とほぼ同じで、被告は、昭和五四年一二月一三日、同月二七日、昭和五五年一月一〇日、同月二三日、同年二月二一日にそれぞれ原告X5を内診したが、その所見は、「子宮は、後屈、後傾であり、硬さ及び大きさは正常である。子宮の右側面に弱い硬結と弱い圧鋭敏感がある。ダグラス窩は、正常である。分泌物は、白く、わずかに増える。」であった。なお、被告は、同月一〇日から、原告X5に対し、入院中ではあるが夜の帰宅を許可した。

同月二九日ごろから原告X5の臨床所見が、右側下腹部は弱い抵抗感、全く弱い圧鋭敏感となり、原告X5は、少しずつではあるが、着実に治癒に向かっていた。

被告は、同年三月五日、内診したところ、「子宮は、後屈、後傾であり、硬さは正常で、可動性があった。右附属器部位にほんのわずかな抵抗感がある。子宮の右側面に弱い硬結、全く弱い圧鋭敏感がある。分泌物は、白く、少ない。」であった。以上のようにかなり状態が良くなったが、直ちに退院させると病状が再び進行するおそれがあるので、もう少しこのままの状態で治療を続けることとした。

そして、被告は、原告X5に対し、入院治療を続け、同月三一日、ほぼ完治の状態で退院許可をした。

(原告X6関係)

6 請求の原因2(六)に対し

(一) 通院期における原告X6の主訴と被告の診察、診断及び治療

(1) 初診時における原告X6の主訴と被告の診察及び診断

原告X6の昭和五四年九月二八日における主訴は、「無月経、性器から少量の出血があった。一年前に妊娠中絶してから体の具合が悪かった。体がだるく、下腹部痛があった。」というものであった。

被告は、原告X6を問診及び内診を含む診察をし、ゴナビス等の検査をしたが、右内診所見は、「子宮口は、円形で閉じている。子宮は、後屈、後傾である。子宮の硬さは少々軟らかく、大きさはがちょう卵大より小さく、可動性がある。右附属器に弱い抵抗感がある。卵管に弱い硬結、弱い圧鋭敏感がある。ダグラス窩に弱い圧鋭敏感がある。分泌物は、黄色で少ない。」であり、その他の診察所見は、胸部には異常がない。咽頭及び扁桃線がしゅ脹している。」であった。

被告は、右診察の結果、「妊娠五週、切迫流産、扁桃腺炎、咽頭炎、卵管炎、子宮炎、限局性腹膜炎」であると診断した。なお、ゴナビス(+)で、妊娠反応検査は、プラスであった。

被告は、原告X6に対し、妊娠初期のため抗炎症剤の投与を避け、流産防止の治療を行い、様子を見ることとして、流産防止のためプロゲストンを、扁桃腺の治療のためエリスロマイシン(抗生剤)及びメジプロP(せき止め)を投与した。

(2) 再診時以降における原告X6の主訴と被告の診察、診断及び治療

原告X6は、同年一〇月二日、被告に対し、「少量の性器出血があった。」と訴えた。被告は、原告X6に対し、プロゲストン、ケーツーを投与した。

同月五日の原告X6の主訴及び被告の投薬は、前回と同じである。

被告は、同月二九日、妊娠九週の原告X6を内診して「子宮口は、円形で閉じている。子宮は、後屈、後傾である。子宮の硬さは少し軟らかく、大きさは超がちょう卵大である。可動性がある。両側の附属器には触れない。分泌物は、薄い黄色で少ない。」の所見を得た。投薬は、前回と同じである。

原告X6は、同月三〇日、被告に対し、出血は少ないと述べた。被告は、流産止めの薬を与えた。

被告は、同月三一日、問診の結果、原告X6をあと三日治療して出血が治まれば治療を終了すると診断した。

同年一一月一日に原告X6が朝少量の出血があったと述べたので、被告は、原告X6に対し、流産止めの薬を注射した。

被告は、同月二日、問診の結果、原告X6に対する治療を中止することにした。

同月五日に原告X6が再来院して少量の出血があったと言うので、被告は、原告X6に対し、流産止めの薬を注射した。

同月六日も同様の経緯であったが、同月七日には出血がなかった。しかし、同月八日に少量の出血があり、同月九日にも少量の薄い赤色の出血があったので、被告は、原告X6に対し、明日内診し超音波診断をすることを伝えた。

被告が同月一〇日に妊娠一一週の原告X6を内診したところ、「子宮口は、閉じている。子宮は、前屈、前傾である。子宮の硬さは少し軟らかく、大きさは手拳大である。可動性は少し制限されている。両側の附属器には触れない。弱い圧鋭敏感がある。分泌物は、黄色で増量している。」であった。膣の分泌物を検査したところ、トリコモナス菌が検出された。超音波診断の結果、胎児の心臓が動いているのが見えた。

一一月一二日に少量の出血が認められたが、被告は、原告X6に対し、同月一四日にあと一回注射をして治療を終わることを告げ、翌一五日に出血もないのでこれで来院の必要がないことを伝えた。

同月二一日に原告X6が来院してまた少量の出血があったと言うので、被告は、原告X6に対し、流産止めの薬を注射した。

同月二二日及び同月二七日も同様の経緯であった。

同月二八日にも出血があり、被告は、原告X6の超音波断層撮影を行ったところ、胎児の大きさが四か月にしては小さかったが、もう少し様子を見ることにした。

同月二九、三〇の両日には出血があったが、原告X6の主訴によると同年一二月三日には出血がなかった。しかし、同月四、五の両日には少量の出血があった。

同月六ないし八日は出血はない。

同月一〇日に出血はなかったが、被告は、原告X6の超音波断層撮影を行った。胎児が大きくなっていないので、胎児死亡の可能性もあるが、胎児が写っているので、様子を見ることにした。原告X6に対して従前の注射をする。

被告は、同月一七日にも原告X6に対して右と同じ注射をし、今週末ごろもう一度内診し、超音波を見てはっきりさせることを告げた。

被告は、同月二二日、妊娠一七週の原告X6に対し、内診し超音波を見た。内診所見は、「子宮口は、横径に閉じている。子宮は、後屈、後傾である。子宮の硬さは少し軟らかく、大きさは超手拳卵大である。可動性が少し制限されている。右附属器に弱く広い抵抗感があり、全く弱い圧鋭敏感がある。左附属器に抵抗感、弱い圧鋭敏感がある。ダグラス窩に圧鋭敏感がある。分泌物は、薄く黒く少ない。」であった。超音波により、胎児死亡を確認した。被告は、原告X6に対し、以上の説明をし、月曜日に入院して子宮内容除去術を行うと告げた。

(二) 入院期における被告の診察、診断及び治療

(1) 入院当日における被告の診察、診断及び治療

被告は、同月二四日、入院してきた原告X6に対し、子宮内容除去術を行い、脱落膜及び絨毛らしいものを確認した。そして、入院後は子宮の炎症部位の治療を行うことを説明し、内服でセポール、キモタブ、アクチム及びアランタを、注射でポタコールR、ビタミンC、タチオン、フラッド、シーティー(1g)×2をそれぞれ投与した。

(2) 入院翌日から退院までの被告の診察

手術後の経過は順調であった。

同月二五日には、下腹部に抵抗感、弱い圧鋭敏感があった。分泌物は、薄く出血性で少ない。

同月二六日には、微熱があり、下腹部に抵抗感、弱い圧鋭敏感があった。

同月二七日には、前日の状態に加えて、下腹部痛があった。

同月二八日には、顔色が少し青く、全身状態が良くない。下腹部に抵抗感、弱い圧鋭敏感があった。分泌物は、薄く出血性で少ない。

同月二九日、昭和五五年一月四、五の両日にも、下腹部に抵抗感、弱い圧鋭敏感があった。分泌物は、薄く出血性で少ない。

同月七日の内診所見は、「子宮口は、円形に閉じている。子宮は、後屈、後傾である。子宮の硬さと大きさは正常である。可動性はない。右附属器に抵抗感、硬結、弱い圧鋭敏感がある。ダグラス窩に圧鋭敏感がある。分泌物は、黄色で少し薄く血性で増量している。」であった。

同月一〇日の内診所見は、「子宮口は、横に閉じている。子宮は、前屈、前傾し、硬さと大きさは正常である。可動性は少し制限されている。両側の附属器は、触れる。右附属器に広い抵抗感がある。圧鋭敏感がある。左附属器に抵抗感、圧鋭敏感がある。ダグラス窩に圧鋭敏感がある。」であった。このように炎症所見がまだ残っていたが、被告は、原告X6の希望により退院を許可した。

(原告X7関係)

7 請求の原因2(七)に対し

(一) 原告X7の腎盂炎り患

原告X7は、昭和五二年七月二六日、急性腎盂炎にり患した。被告は、原告X7に対し、入院治療を勧め、原告X7は、いったんは入院したが、すぐに自分で退院したため治療を受けることができなかった。

(二) 原告X7の妊娠等とそれに対する被告の診断及び治療

原告X7は、昭和五四年六月六日、妊娠診察のため被告病院を訪れ、被告から、切迫流産、カンジダ性膣炎、外陰炎の診断を受け、以後同年一二月六日まで二〇回にわたり、その治療及び検診を受けた。

(三) 被告の原告X7に対する腎盂炎等の診断とその治療

(1) 被告の原告X7に対する腎盂炎等の診断

原告X7は、同月二二日、被告に対し、側腹部痛を訴えた。被告の診察の結果、妊娠については異常がなかったが、左側腹部に触診により軽いしゅ脹があった。被告は、更に超音波検査等を行い、慢性腎盂炎と診断し、原告X7に対し、その旨を説明したところ、原告X7は、分べん後にその治療を受けることを希望した。

原告X7が昭和五五年一月一四日に左側腹痛を訴えたので、被告が触診したところ、軽いしゅ脹があった。

原告X7は、同月二一日、被告に対し、右側腹部痛が一〇日前からあったことを訴えた。被告は、触診の結果、右側腹部もしゅ脹していることが判明した。被告は、右触診、問診等の結果、原告X7に対し、「妊娠一〇か月、附属器炎(慢性)、限局性腹膜炎(慢性)」と診断した。

(2) 被告の原告X7に対する腎盂炎等の治療

被告は、同月二二日、原告X7に対し、セポール、キモタブ及びアクチムを投与した。なお、被告は、同月二三日、原告X7の妊娠状態を診察している。

原告X7が同月二四日に女児を正常分べんで出産したので、被告は、この日から、附属器炎、限局性腹膜炎、慢性腎盂炎の治療を行い、点滴でポタコールR、タチオン、ビタミンC、フラッド及びシーティーを、内服でセポール、キモタブ及びアクチムをそれぞれ投与した。

被告は、同年二月一日から同年四月二一日まで、原告X7に対し、その希望で通院による治療を行った。

被告の診察所見によれば、同年二月一日には両側の腹部がしゅ脹しており、同月二日及び四日にはそれに加えて右側の下腹部に圧鋭敏感、抵抗感があった。

被告は、同月五日、原告X7を診察した結果、その症状は炎症のあった附属器が妊娠のため腹部両側の上部に押し上げられ、その部位の腹膜等の臓器に炎症が広がってそこがしゅ脹し、腹痛を感じたもので、分べんの後、附属器が下ってきて、下腹部痛が発現し、側腹部痛と重なったものと判断した。

被告は、同月六日から同月二三日まで、原告X7に対し、前と同じような治療を続けた。その間の同月二一日の診察では右側の下腹部の症状に変化が現われ、右側の下腹部は、弱い圧鋭敏感、弱い抵抗感となり、病状が少し良くなってきた。

被告は、同月二五日、原告X7を内診した。その所見は、次のとおりである。「子宮口は、横径に閉じている。子宮は、前屈、前傾し、右側に軽い圧鋭敏感があり、硬さと大きさは正常である。可動性はある。右附属器に軽い圧鋭敏感、軽い抵抗感がある。ダグラス窩に軽い圧鋭敏感がある。分泌物は、黄色で少ない。」

同月二六日の診察所見では、左側の腹部がしゅ脹している。右側の腹部の炎症所見がなくなったが、右側の下腹部に軽い抵抗感、軽い圧鋭敏感がある。

被告は、同月二七日から同年三月一五日まで、同月二、九の両日を除いて毎日、原告X7に対し、前と同じような治療を続けた。

同月一七日の診察所見では、左側腹部の症状が軽減し、軽いしゅ脹となった。

被告は、同月一八日から同月二二日まで、同月二〇日を除いて毎日、原告X7に対し、前と同じような治療を続けた。

被告は、同月二四日、原告X7を内診した。その所見は、次のとおりである。「子宮口は、横径に閉じている。子宮は、前屈、前傾し、硬さと大きさは正常である。可動性はあり、軽い圧鋭敏感がある。右附属器に軽い抵抗感、軽い圧鋭敏感がある。ダグラス窩に軽い圧鋭敏感がある。分泌物は、白く量が多い。」

被告は、同月二五日から同年四月一一日まで、同年三月二七、三〇日及び同年四月六日の三日を除いて毎日、原告X7に対し、前と同じような治療を続けた。その間の同月七日の診察所見では、左側腹部の症状が軽減し、軽いしゅ脹となった。

被告は、同月一二日、原告X7を内診した。その所見は、次のとおりである。「子宮口は、横に閉じている。子宮は、前屈、前傾し、硬さと大きさは正常である。可動性はある。右附属器の子宮の起始部から子宮の右側面にかけて全く弱い圧鋭敏感がある。左附属器は、正常である。ダグラス窩に全く弱い圧鋭敏感がある。分泌物は、白く量が多い。」

同月一四日と翌一五日の各診察(触診及び問診)所見では、左側腹部に全く弱いしゅ脹があり、右側の下腹部に軽い抵抗感、全く弱い圧鋭敏感があった。

同月一六日の診察所見では、右側の下腹部に全く弱い抵抗感があった。

被告は、同月一七、一八の両日、原告X7に対し、前と同じような治療を続けた。

被告は、同月二一日、原告X7に対し、幾分炎症所見が残っているが、ほとんど全治に近いので、今後の養生に気を付ければ自然の回復力で治癒されるものと思われると告げて、治療を完了した。

四  抗弁に対する認否

(原告X1)

1(一)(1) 抗弁1(一)(1)のうち、原告X1が昭和五五年二月二日に被告病院を訪れて被告に対して無月経及び腰痛を訴えたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(2) 同1(一)(2)のうち、被告が同日原告X1に対して問診、内診及び超音波断層撮影をしたことは認めるが、その余の事実は争う。

(3) 同1(一)(3)のうち、被告が同日原告X1に対して子宮炎及び附属器炎と診断したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4) 同1(一)(4)のうち、被告が同月四日に原告X1を再度診察したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)(1) 抗弁1(一)(1)のうち、被告が同月五日に原告X1に対して妊娠中絶手術をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(2) 同1(一)(2)のうち、被告が同月九日に原告X1に対して開腹による単純性子宮全摘出手術及び左附属器摘出手術を行ったことは認めるが、その余の事実は争う。

(3) 同1(一)(3)のうち、被告が同月一六日に原告X1の手術部位の全抜糸をしたことは認めるが、その余の事実は争う。

(4) 同1(一)(4)のうち、被告が原告X1に対して入院中シーティーを投与し続けたことは認めるが、その余の事実は争う。

(原告X2)

2(一)(1) 抗弁2(一)(1)のうち、原告X2が昭和五三年五月一七日に被告病院を訪れて被告に対して同月七日(一〇日ではない。)から同月一七日まで少量の性器出血が続いている。下腹部痛があると訴えたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(2) 同2(一)(2)のうち、被告が原告X2に対して問診及び内診をしたことは認めるが、その余の事実は争う。

(3) 同2(一)(3)のうち、被告が原告X2に対して癒着性子宮筋腫及び腹膜炎と診断したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(4) 同2(一)(4)の事実は争う。

(二)(1) 抗弁2(二)(1)のうち、被告が同月二七日に原告X2に対して単純性子宮全摘出手術、左附属器摘出手術及び虫垂摘出手術を行ったことは認めるが、その余は否認ないし争う。

(2)同2(一)(2)のうち、被告が同月六月六日に原告X2に対して細菌培養検査を行ったことは認めるが、その余の事実は争う。

(3) 同2(一)(3)のうち、原告X2が手術後六日目ぐらいから食事をすることができるようになったこと、被告が手術後原告X2に対して点滴でシーティーを、内服でフェーマス、ネオマイゾン等を与えたことは認めるが、その余の事実は争う。

(原告X3)

3(一) 抗弁3(一)の事実は否認する。

(二)(1) 抗弁3(二)(1)のうち、被告が昭和五三年二月一八日に原告X3に対して子宮摘出手術を行ったことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。被告は、右手術の際、原告X3の承諾のないまま右附属器も摘出している。

(2) 同3(二)(2)のうち、被告が右手術後原告X3に対して点滴を続けたことは認めるが、その余の事実は争う。

(原告X4)

4(一)(1) 抗弁4(一)(1)のうち、原告X4が被告に対して無月経であることを述べたことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(2) 同4(一)(2)のうち、被告が原告X4に対して妊娠三か月の初め及び腹膜炎と診断したこと、被告が原告X4を家に帰したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)(1) 抗弁4(二)(1)のうち、原告X4が昭和五五年四月一日に手術を求めて被告病院に入院したこと、被告が同日原告X4の希望に基づいて妊娠中絶手術を行ったこと、被告が原告X4に対して点滴による投薬をし、梅毒、血液型等の検査や心電図検査を行ったことは認めるが、その余の事実は争う。

(2) 同4(二)(2)のうち、被告が同月一二日に原告X4に対して手術を行い、左附属器及び子宮を摘出したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(3) 同4(二)(3)のうち、被告主張のころに抜糸したこと、原告X4が同年五月二三日に退院したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(4) 同4(二)(4)のうち、被告が右手術後入院中に連日原告X4に対して点滴でポタコール、タチオン等を投与し、同年四月二一日、同年五月一日及び同月一二日に血液一般の検査を行ったことは認めるが、その余の事実は争う。

(原告X5)

5(一)(1) 抗弁5(一)(1)の事実は否認する。

(2) 同5(一)(2)のうち、原告X5の昭和五四年九月二六日における主訴が無月経及び腰痛であったこと、被告が原告X5を問診及び内診したこと、被告が原告X5に対して附属器炎と診断したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(3) 同5(一)(3)のうち、原告X5が同年一〇月一六日に被告に対して腰痛及び性器出血を訴えたこと、被告が原告X5に対して切迫流産の疑い(切迫流産ではない。)と診断したこと、被告が原告X5に対して注射によりプロゲストン、ケーツーを、内服によりプロゲストン、セポール等を投与したこと、被告が原告X5に対して超音波診断を行ったことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(二)(1)抗弁5(二)(1)のうち、被告が原告X5に対して限局性腹膜炎、附属器炎と診断してそのことを告げたこと、原告X5が同年一一月五日に被告病院に入院したこと、被告が入院後原告X5に対して点滴でポタコール、タチオン及びシーティーを、内服でプロゲストン及びケーツーをそれぞれ投与したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(2) 同5(二)(2)の事実は争う。

(3) 同5(二)(3)のうち、被告が同月一五日に原告X5に対して超音波断層撮影を行い、胎児が胎内死亡したことを診断したこと、被告が原告X5の子宮内容の除去をを行ったことは認めるが、その余は否認ないし争う。

(4) 同5(二)(4)のうち、被告が同月一六日から原告X5に対して点滴でポタコールR、ビタミンC、タチオン、フラッド及びシーティーを与えたこと、被告が同年一二月六日ごろに原告X5に対して欝血性心不全と診断したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(原告X6)

6(一)(1) 抗弁6(一)(1)のうち、原告X6の昭和五四年九月二八日における主訴が無月経、性器からの少量の出血であったこと、被告が原告X6を問診及び内診を含む診察をし、原告X6に対して妊娠五週、切迫流産の疑い(切迫流産ではない。)及び卵管炎と診断したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(2) 同6(一)(2)のうち、被告が原告X6に対してプロゲストン等を投与したこと、被告が随時原告X6に対して内診及び超音波断層撮影を行ったこと、被告が同年一二月二二日に原告X6に対して胎児死亡を診断したことは認めるが、その余の事実は争う。

(二)(1) 抗弁6(一)(1)のうち、原告X6が同月二四日に被告病院に入院したこと、被告が同日原告X6に対して子宮内容除去術を行ったこと、被告が同日原告X6に対して点滴でポタコール、タチオン等を投与したことは認めるが、その余の事実は争う。

(2) 同6(一)(2)のうち、被告が随時原告X6に対して内診したこと、原告X6が昭和五五年一月一〇日に被告病院を退院したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(原告X7)

7(一) 抗弁7(一)は争う。原告X7は、昭和五二年七月二六日朝に左側腹部痛等に見舞われたので被告病院に赴いて野村玲子の診察を受け、膀胱炎と思われると診断されたが、その夜再び左側腹部痛が激しくなったので、同日午後九時三〇分、被告の診察を受けたところ、急性腎盂炎と診断され、三週間の入院を勧められた。しかし、念のため翌日君津中央病院で診察を受けたところ、同病院では何ら異常がなく治療を要する疾病は認められないと診断されたため、原告X7は、被告に対し、その旨を告げて入院を断わった。

(二) 抗弁7(二)のうち、原告X7が昭和五四年六月六日に妊娠診察のため被告病院を訪れ、被告からカンジダ性膣炎、外陰炎の診断を受けたこと、原告X7が以後被告から検診を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三)(1) 抗弁7(三)(1)のうち、原告X7が同年一二月二二日に被告に対して側腹部痛を訴えたこと、被告が触診と超音波断層撮影を行い、慢性腎盂炎と診断したことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(2) 同7(三)(2)のうち、原告X7が昭和五五年一月二四日に被告病院で女児を正常分べんで出産したこと、被告が同年二月一日から同年四月二一日まで原告X7に対してその希望で通院による治療を行ったこと、被告がその間点滴でポタコール、タチオン、ビタミンC、フラッド及びシーティーを投与したこと、被告が同年二月二五日、同年三月二四日及び同年四月一二日に原告X7を内診し、一〇日に一度程度の採尿の際とたまたま原告X7が点滴しているときに回診があった際に原告X7を診察したことは認めるが、その余は否認ないし争う。

第三  証拠<省略>

理由

一被告の原告らに対する診療経過認定の困難性について

本件においては、後にそれぞれの該当する箇所で判示するように、被告の提出した原告らに対する診療録(カルテ)の全部又は一部が被告ないしその関係者によって改ざんされているか改ざんされている可能性が高いばかりでなく、被告本人尋問において被告本人が原告ら訴訟代理人らの尋問に対して右訴訟代理人らをちょうろう、ばとうするなどして尋問をはぐらかしあるいは回避したり(ちなみに、被告は、自己の訴訟代理人を解任している。)果ては質問が気に入らないとして証人席から当事者席にいる右訴訟代理人らに対してボールペンを投げ付けたり原告X5に対して殴り掛かる気勢を示すなどして誠実に供述しない(このことは、当裁判所に顕著な事実である。)ため、被告の原告らに対する詳細な診療の経過を認定することが著しく困難である。

二被告の医師歴について

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、被告本人尋問の結果及び弁論の弁趣旨によれば、次の角括弧外の事実を認めることができる。

被告は、〔昭和三六年に日本医科大学を卒業して〕翌三七年に医師になり、同年春に同大学第一病院産婦人科教室に医局員として入り、昭和四七年三月まで同教室に所属しながら昭和四一年ごろに一年半ほど国立東静病院に、その後幾つか地方の病院や一年ほど足尾銅山古河工業所付属病院にそれぞれ派遣されたりしたが、〔昭和四七年〕四月〔に被告の肩書地において被告病院を開業し、〕以来被告が主として産婦人科を、被告の妻、野村玲子が主として小児科を担当して患者の診療に携わってきた。

三原告X1の損害賠償請求について

1  被告の原告X1に対する医療過誤

(一)  被告の原告X1に対する診療経過

(1) 原告X1の健康状態

<書証番号略>、原告X1本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告X1は、昭和一四年七月二〇日に出生し、昭和四〇年に婚姻し、昭和四一年に長男を正常分べんで出産した。昭和四六年四月からは千葉県富津市職員になり、富津中学校に調理員として勤務していた。原告X1は、出生以来、長期入院・手術等を要するほどの病気にかかったり妊娠中絶や流産をしたりしたこともなかったが、便秘勝ちではあった。昭和五五年一月ごろに腰に多少の痛みがあり、胃がむかついたので、胃腸でも悪いのではないかと思い、同月二四日に同市青木一六四一所在の三枝病院に行って検査をしてもらったところ、慢性胃炎、S時結腸過長症及び結腸下垂症と診断され、同月二九日まで治療を受けた。しかし、腰痛が去らず、前年一二月まで順調だった月経がなくて少量の薄い茶色の帯下があったので、産婦人科の診察を受けた方がよいのではないかと考えた。

(2) 原告X1と被告との診療契約の締結

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>並びに原告X1及び被告各本人尋問の結果によれば、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X1は、昭和五五年二月二日、〕以前妹がお産をしたときに見舞に行ったことのある〔被告病院を訪れ、〕診療を求めた。原告X1は、はじめ野村玲子の問診を受け、次いで被告の診察を受けた。

(3) 被告の診断

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X1及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告のそれは、一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

原告X1は、野村玲子に対し、前記の腰痛、無月経及び帯下を訴え、〔被告の問診〕の際にも同様の訴えをした。〔被告は、原告X1を内診し〕ながら、幾度となく痛くないかと聞き、原告X1が被告の乱暴ともいえる内診にたまりかねて痛いと言うまで執拗な内診を続けた。被告は、原告X1から尿を提出させて妊娠検査を行い、同県千葉市小仲台二―八―一五所在の江東微生物千葉研究所に対して検査を依頼すべき細菌検査、結核菌培養検査等のために膣から分泌物を採取し、超音波断層撮影を行ったが、その写真には子宮の輪郭が鮮明に写っており、胎児―といっても、まだ胚子―もはっきり写し出されている。また被告はもちろん野村玲子も、自ら又は看護婦に指示して原告X1の体温を測定しておらず、それについて問診すらしていない。ところが、〔被告は、原告X1に対し、「妊娠七週目である。〕腹膜炎にかかっており、〔子宮が腸と癒着している。〕直ちに入院治療をしないと死んでしまう。」旨の診断を告げた。右診断を告げられた原告X1は、極度の不安に陥り、一四年振りに妊娠した胎児の生命維持と自分自身の健康回復のために入院もやむを得ないと決意し、勤務先の同市教育委員会委員長に提出してその療養休暇の承認を得るために被告から診断書を作成してもらったところ、右診断書には「汎発性腹膜炎、子宮炎、附属器炎」といった病名が記載されていた。なお、被告は、同研究所に対し、細菌検査及び結核菌培養検査の依頼をしている。

右の角括弧外の事実を認めることができる。<書証番号略>(被告の原告X1に対する同日の診療録)の記載中には、右初診時における・原告X1からの右以外の主訴として「腹部痛、仕事(ちゅう房)をして家に帰るとだるい。体を動かすことできずつらかった。腰痛、人工流産を希望する。」旨の、被告の原告X1に対する内診の結果として「子宮の緊密さはわずかに軟かく、子宮は手拳大であり、可動性がない。右附属器に軽く圧鋭敏感があり、左附属器に圧鋭敏感、抵抗感がある。ダグラス窩に圧鋭敏感がある。膣分泌物は、黄色、多量で、悪臭を放つ。」旨の、被告が原告X1に対して診断した傷病名として「切迫流産の疑い、子宮炎、附属器炎、汎発性腹膜炎」の旨の、原告X1に対してした右以外の検査として「腎機能検査、肝機能検査、白血球数検査、血液型検査及びT・P・H・A定性検査(梅毒検査)」の旨の各部分があり、被告本人の供述中にもそれに符合する部分がある。しかしながら、右各記載部分は、右に判示した超音波断層撮影の写真と全く相反する内容であり、しかも被告提出の<書証番号略>を精査しても、右各検査に対応する結果の報告書等が全く見当たらないことに加えて、原告X1本人尋問の結果によれば右記載部分と全く異なる事実を認めることができ、これらの事実を併せ考えると、その一部又は全部が改ざんされた可能性が高い上、原告X1本人尋問の結果に照らすと、右各記載部分及び供述部分は共に採用することができない。また、<書証番号略>の記載中右認定に反する部分は、原告X1本人尋問の結果に照らして採用することができない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(4) 原告X1の入院と入院当日の被告の治療

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X1及び被告各本人尋問の結果(ただし、共に一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X1は、同月四日〕午後に、〔被告病院に入院した。〕被告は、直ちに、看護婦に命じて、原告X1に対し、点滴によりセファロスポリン系の抗生物質であるシーティー二グラム等を投与した(以下においては、特に断わらない限り、看護婦が被告から明示又は黙示に指示されて実施した被告の診療の補助や看護等の行為も、端的に被告が実施したものとして判示する。)。その上で、原告X1に対し二度にわたり体温を測定させて申告させたところ、三七度一分及び三七度七分であったので、微熱があると判断した。また、原告X1から採血をし、同研究所に対し、それを送って血液学検査及び生化学検査の依頼をしている。同研究所は、同日、同月二日に依頼を受けた細菌検査、結核菌培養検査と右血液学検査及び生化学検査をしている。右各検査の結果は、次のとおりである。すなわち、細菌検査では陽球菌が検出され(ただし、その程度は、(+)である。)、その感受性検査ではアルビオシンT、コリスチン、アミノペンジルペニシリン、セファロスポリン系の抗生物質であるセハロジン及びフラジオマイシンは(−)であり、カナマイシンは(+)であり、クロラムフェニコール、エリスロマイシン及びミノマイシンはであった。結核菌培養検査は陰性であった。血液学検査では白血球数が生理的範囲よりわずかに少なく、平均赤血球容積が生理的範囲よりごくわずか大きかったが、赤血球数、血色素量、ヘマトクリット、平均赤血球血色素量及び平均赤血球血色素濃度はいずれも生理的範囲内であり、生化学検査ではナトリウムが正常値よりごくわずか低かったが、TP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼのGOT及びGPT、アルカリフォスターゼ、尿素、カリウム、クロール及びA/Gはいずれも正常値であった。もっとも、同研究所が被告に対して右結核菌培養検査の結果を報告したのは、同年三月二七日であり、その他の検査の結果を報告したのは、同年二月四日から数日後のことである。

右の角括弧外の事実を認めることができる。<書証番号略>(被告の原告X1に対する同日から同月一〇日までの診療録)の記載中には、右入院時における・被告の原告X1に対する診察の結果として同月「四日、腹部膨満感、抵抗感、圧鋭敏感」の旨の部分があり、被告本人の供述中にはそれに符合する部分があるが、右記載部分は被告が診療の合間に書いたにしてはあまりにも整然と書かれているばかりでなく、<書証番号略>により認められる・同日の原告X1からの採血が他にそれを記載した診療録等がない(<書証番号略>にそれに見合う記載があるが、それが改ざんされた可能性が高いことは、前に判示したとおりである。)にもかかわらずその記載がない上、原告X1本人尋問の結果によれば右記載部分と全く異なる事実を認めることができ、これらの事実を併せ考えると、右記載部分は改ざんされた可能性が高いから、右記載部分及び供述部分は採用することができないし、他方右採血を否定する原告X1本人の供述部分も<書証番号略>に徴してにわかに信用できない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(5) 被告の原告X1に対する妊娠中絶手術

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>並びに原告X1及び被告各本人尋問の結果・(ただし、被告のそれは、一部)を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

原告X1は、同月五日、被告病院の看護婦長から、突然これから中絶をする旨を告げられた。驚いた原告X1が右看護婦長に対して「私は子供が欲しいんです。」と言って妊娠中絶を拒んだが、右看護婦長は、「そんなことしたら母子共に危ないから駄目だ。」と言い、原告X1を手術室に連れて行って診察台に乗せ、人工妊娠中絶同意書に原告X1及び夫のAの署名をさせそれぞれの名下に原告X1の拇印を押させた。そして、〔被告は、原告X1に対し、妊娠中絶手術掻爬術を行った。〕そして、その後、原告X1に対し、胸部レントゲン検査及び心電図検査をそれぞれ行った。なお、同日、原告X1に対し、点滴及び検温をしている。

右の角括弧外の事実を認めることができる。<書証番号略>の記載中には「同月五日、腹膜抵抗感、圧鋭敏感」の旨の部分があり、被告本人の供述中にもそれに符合する部分があるが、<書証番号略>の記載が改ざんされた可能性が高いことは前記のとおりであるから、右記載部分及ぶ供述部分は共に採用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(6) 被告の原告X1に対する妊娠中絶手術の翌日から子宮等摘出手術の前日までの治療

<書証番号略>、並びに原告X1及び被告各本人尋問の結果(ただし、原告X1本人のそれは、一部)を総合すると、次の事実を認めることができる。

被告は、原告X1に対し、同月六日には超音波検査をし、点滴で従前と同じ投薬をし、定時の検温をした。右検温の結果は、三六度七分と三七度二分である。翌七日には点滴で従前と同じ投薬をし、定期の検温をした。右検温の結果は、三七度と三六度五分である。翌八日には点滴で従前と同じ投薬をし、定時の検温をした。右検温の結果は、三六度六分と三六度八分である。なお、同日、高圧かん腸をしている。

右の事実を認めることができる。<書証番号略>の記載中には「同月六日、腹壁広範囲に抵抗感、圧鋭敏感」の旨の、「同月七日、腰痛、咽頭痛、下腹部痛、腹壁抵抗感、圧鋭敏感」の旨の、「同月八日、腹壁広範に抵抗感、圧鋭敏感」の旨の各部分があるが、<書証番号略>の記載が改ざんされた可能性が高いことは前記のとおりであるから、右各記載部分は採用できないし、原告X1本人の供述中右認定に反する部分は、<書証番号略>に照らしてにわかに信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(7) 被告の原告X1に対する子宮等摘出手術

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X1及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告のそれは、一部)並びに証拠保全(当庁昭和五七年(モ)第一二〇二号、第一二〇四号及び一二〇五号)における裁判官小見山進の検証の結果及び鑑定人岩沢博司の鑑定の結果を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

同月九日午前の定時の検温では、三六度八分であった。原告X1は、保証人名目の前記Aと共に、被告病院宛の定型の手術承諾書にそれぞれ署名・押印して、被告に対し、それを提出した。原告X1は、被告に対し、「先生、どんな具合でしょうか。がんではないでしょうか。」と尋ねたところ、被告は、「そんなことは一切ない。とにかく子宮がぐちゃぐちゃに腐って腸の方まで癒着している。」と答えるのみでそれ以上の説明はしなかった。〔被告は、同日午後、原告X1に対し、開腹による子宮単純全摘出及び右附属器(卵巣、卵管等)切除の手術〕と共に虫垂切除の手術をした。右手術による出血量は、三八〇ミリリットルである。そして、被告は、前記江東微生物千葉研究所(以下、単に「江東微生物千葉研究所」という。)に対し、原告X1から摘出・切除した子宮及び左附属器の病理組織・塗抹細胞検査を依頼している。ところが、右子宮膣部、子宮体部及び卵管組織の三個のプレパラートからは、卵管外膜において軽度の線維性の肥厚が見られ、過去に何らかの病変のあったことは考えられるものの、治療を要する変化を示す所見は見られず、したがって、手術適応に結びつく所見は認められない。

右の角括弧外の事実を認めることができる。<書証番号略>(被告の原告X1に対する子宮等摘出の手術記録)の記載中には「右手術は、同日午後二時〇五分に執刀を開始し、同日午後五時二五分に終了した。正中線切開で腹腔を開くと、筋膜、腹膜に炎症所見があった。子宮は、手拳大で、赤くしゅ脹し、軟かくもろかった。左骨盤漏斗靱帯は、S字状結腸に癒着し、両側の附属器、広靱帯、結合織に強い炎症所見があった。ほとんど健康部位は見当たらず、子宮下部は、炎症性にしゅ脹肥大し、このため、左尿管は、基靱帯及びその周囲の結合織、子宮動静脈を含めた大小の血管その他の靱帯によって覆われ、また膀胱子宮靱帯、膀胱に炎症が及んでおり、子宮動静脈の部位から膀胱子宮靱帯の部位まで子宮の側面にぴったり着いていた。この尿管のはく離に二時間ほどの時間を費やした。右側の尿管は比較的癒着が少なかった。」旨の部分があり、<書証番号略>(被告の同研究所に対する原告X1から切り出した臓器の病理組織・塗抹細胞検査申込書)の記載中には右記載部分を主要な点において要約したような部分があり、被告本人の供述中には<書証番号略>の右記載部分に符合する部分があるが、<書証番号略>の右記載部分には被告が右手術と兼ねて原告X1の虫垂切除をしていながらその記載がないことや、<書証番号略>により認められる・尿管のはく離に二時間ほどもかかる手術をしたにしては出血量が少ないことに徴すると、多大の疑義がある上、総じて右鑑定人岩沢博司の鑑定の結果に照らすと、右各記載部分及び供述部分はいずれも採用の限りでない。また、<書証番号略>(同研究所の被告病院に対する右検査(臨床病理組織検査)の報告書)の記載中には同研究所がした病理組織学診断が「子宮筋腫、線維性腹膜炎」である旨の部分があるが、右記載部分は、証拠保全(当庁昭和五七年(モ)第一二〇三号)における裁判官小見山進の検証の結果により認められる・同研究所が原告X3の子宮ブロック又は該ブロックを右研究所において検査用に切断して作成したプレパラートを紛失していることや、<書証番号略>及び弁論の全趣旨により認められる・被告が同研究所に対して右病理組織・塗抹細胞検査を依頼した際に申込書に臨床診断として「汎発性腹膜炎、子宮炎、附属器炎」及び右のように手術又は局所所見を書き、同研究所に渡していること、それらの事実により推認される・同研究所が検査資料の保管も不十分な程度の病理組織の検査施設であり、病理組織学診断において被告の記載した臨床診断ないし手術・局所所見の影響を受けた可能性がある上、総じて右鑑定人岩沢博司の鑑定の結果に照らして採用できない。さらに、<書証番号略>の記載中には原告X1が昭和五四年二月七日及び同月九日に下腹部痛及び腰痛を示した旨の部分があるが、右記載部分は、<書証番号略>(被告病院の原告X1に対する右子宮等摘出手術の看護記録の一部)の記載と食い違っており、しかも<書証番号略>の記載が改ざんされた可能性が高いことは前記のとおりであるから、右記載部分は採用できない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(8) 被告の原告X1に対する子宮等摘出手術の翌日以後の治療と原告X1の退院

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X1本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる<書証番号略>(ただし、一部)並びに原告X1及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告のそれは、一部)を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X1の手術創部は、良好に経過し、同月一六日に抜糸された。〕ところが、〔被告は、入院後約一か月の時点で、原告X1に対し、欝血性心不全の診断をした。〕同年三月二四日の定時の検温では三六度四分と三六度二分であり、同日行われた血液学検査では平均赤血球容積が生理的範囲より若干大きく、平均赤血球血色素量が右範囲よりごくわずかに多かったが、白血球数、赤血球数、血色素量、ヘマトクリット及び平均赤血球血色素濃度はいずれも右範囲内であり、生化学検査ではTP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼのGOT及びGPT、アルカリフォスターゼ、ナトリウム、尿素、カリウム、クロール並びにA/Gはいずれも正常値であった。それにもかかわらず、被告は、同年四月二日、原告X1に対して汎発性腹膜炎、子宮炎、附属器炎により約二か月の安静治療を要する旨の診断をし、入院を継続させていた。そして、同年三月二七日に原告X1がカンジダ膣炎になっていることが判明したが、被告は、相変わらずシーティー二グラム等の投与を続けていた。原告X1は、看護婦らから、被告病院は一度入院すると退院することができない、ここの先生は信用できないから、よその病院に行って診察してもらった方が良いといったことを言われて不安になり、同年四月七日、被告病院を抜け出して同県木更津市富士見二丁目七番一号所在のマザークリニックに行き、医師林晴男の診察を受けたところ、心電図検査では異常が認められず、カンジダ膣炎と診断された。そこで、〔原告X1は、翌八日、被告に対し、退院を申し出て治療を中断して退院した。〕なお、原告X1は、同年五月二日まで、右マザークリニックに通院してカンジダ膣炎の治療を受け、治癒している。

右の角括弧外の事実を認めることができる。<書証番号略>の記載中には被告が原告X1に対して同年二月一〇日から同年四月八日までほぼ毎日診察し原告X1の腹壁に圧鋭敏感、抵抗感等の疾患のあった旨の部分があり、被告本人の供述中には右記載部分と符合する部分があるが、右記載部分及び供述部分は、<書証番号略>(被告病院の原告X1についての病床日誌)の記載と食い違っており(例えば、<書証番号略>の記載中には熱がある旨の部分があるが、<書証番号略>によれば、定時の検温では三六度と三六度六分である。)、しかも<書証番号略>の記載が改ざんされた可能性が高いことは前記のとおりであるところ、<書証番号略>の記載も前記の<書証番号略>の記載と同様の形状の事実から改ざんされた可能性が高いから、右各記載部分及び供述部分は採用の限りでなく、<書証番号略>(医師林晴男作成の原告X1に対する診断書)の記載中には下腹部痛との部分があるが、右記載部分は、原告X1本人尋問の結果により認められる原告X1に同年四月七日当時自発的な下腹部痛がなく、ただ原告X1が右林晴男に対し被告におなかを押されると痛いと述べたのを右林晴男が原告X1の主訴と誤解して診断したものであることを認めることができるので、採用することができない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  被告の原告X1に対する診療契約に基づく債務不履行

<書証番号略>及び被告本人尋問の結果によれば、被告は、原告X1に対し、同年二月二日の初診時において、切迫流産の疑い、子宮炎、附属器炎、汎発性腹膜炎と診断したとのことである。そして、その汎発性腹膜炎は、慢性のものであると判断し、かつ、続発性のものであると判断したかの如くである。また、右にいう子宮炎は、原告X1の子宮の炎症が内膜のみに限局されずに筋膜及び外膜に拡大していたので、子宮内膜炎、子宮筋層炎及び子宮外膜炎を一括して呼んだものであり、そのうちの子宮内膜炎は、細菌感染によるものであって、陽球菌が起炎菌であると考えたということであることを認めることができる。

しかしながら、<書証番号略>及び弁論の全趣旨を総合すると、汎発性腹膜炎と診断する目安は、発熱、腹痛及び白血球の増加の症状の出ることである。慢性腹膜炎には、特異性のものと非特異性のものがあり、非特異性のものはまれであり、特異性のものとして多いのは結核性腹膜炎で、その他淋(りん)菌性腹膜炎、肺炎双球菌性腹膜炎がある。結核性腹膜炎の症状としては、大部分は慢性に経過し、微熱、腹満感、鈍痛、便通異常、軽度の圧痛などの腹部局所症状のほかに貧血、全身倦怠、食欲不振、あるいは赤沈高進などの症状がある。また、子宮内膜炎のうちの子宮体内膜炎には急性のものと慢性のものとがあるが、急性の非産褥(じょく)性内膜炎のような独立した炎症は日常の臨床ではまれであり、慢性のものの診断は、試験掻爬術を行い、組織学的検査を行えば診断は容易に決定される。急性子宮頸内膜炎の代表というべきものは淋菌性で、この場合、軽度の発熱、下腹部痛、腰痛を訴えることが多い。慢性子宮頸内膜炎の症状は、帯下、腰痛、下腹部痛、膀胱障害などがある。附属器炎は、多くの場合、子宮内膜炎が原因になることを認めることができるから、臨床医としては、以上のうちの幾つかの症状ないし検査の結果が出た場合においてそれらを総合してはじめて、子宮炎、附属器炎、汎発性腹膜炎の診断を下せることになるというべきところ、原告X1の右初診時における被告に対する主訴が多少の腰痛、無月経及び少量の薄い茶色の帯下であり、被告が原告X1に対して行った検査が妊娠検査を別とすると超音波断層検査だけであって、原告X1から膣分泌物を採取して江東微生物千葉研究所に依頼しようとした検査も細菌検査、結核菌培養検査程度であったこと(被告本人の供述中同年二月二日右研究所に対して原告X1の血液学検査及び生化学検査を依頼したが、右研究所の受付けが同月四日になった旨の部分は、<書証番号略>により認められる・同研究所の右結核菌培養検査の受付けが同月二日であることに徴して信用できない。)、被告が原告X1の体温を測定しておらず、それについて問診すらしていないことは前記のとおりであり、前記三1(一)(3)の事実によれば、被告は、右初診時において、原告X1に対し、発熱の有無を確めた気配がなく、食欲や腹満感があるか否かを尋ねた様子もない。また、被告は、いうところの原告X1の慢性腹膜炎を続発性のものと判断したかの如くでありながら、原告X1から、急性腹膜炎にり患したことを聞き出していない。いわんや、試験掻爬術を行い、内膜標本の組織検査などをした形跡がない。かえって、原告X1が主訴において下腹部痛を告げないとみるや、乱暴な内診によって原告X1の腹部に強い圧迫を加えるなどして無体にも腹部痛を与え、それをもって原告X1に腹部痛があったことにしている。原告X1の無月経は、妊娠したためであることを認めることができる。そうだとすると、被告は、つまりは原告X1に対して右帯下(ただし、<書証番号略>及び弁論の全趣旨によれば、被告は、それを性器出血と判断したものの如くであることを認めることができ、それが右切迫流産の疑いの診断の大きな根拠になったのではないかと思われる。いずれにしても、<書証番号略>によれば、被告の原告X1に対する右初診時の診療録には右帯下の記載がないことを認めることができる。)と腰痛あるいは腰痛だけで慢性の汎発性腹膜炎、子宮炎、附属器炎と診断し、細菌検査及び結核菌培養検査を同研究所に依頼しようと考えながら、その結果すら待たずに原告X1に対して手術を勧めていることを認めることができる。したがって、被告の原告X1に対する右診断及び手術の勧告は、当時の臨床医学の水準からいって到底理解し得ないものであり、医師の裁量の範囲を口にするのもおこがましいものであって、右事実に、前記の被告が原告X1に対して入院当日からその後間もなく原告X1の膣分泌物から検出された陽球菌にはセファロスポリン系の抗生物質であるセハロジンの感受性がないことが判明しながら退院まで連日同じセファロスポリン系の抗生物質であるシーティー二グラムずつ投与していることや、入院した翌日に原告X1が出産を希望しているにもかかわらずしかも満足な診察もしないで妊娠中絶手術を行うことを決定していることなどを併せ考えると、誤診というよりは何らかの不当な意図の下に疾病を作り出したとみるべきである(したがって、説明義務違反の以前の問題であるから、それについて判断することを要しないというべきである。)。

そして、原告X1に同年二月二日の時点において治療を要するほどの疾患がなかったこと、いわんや子宮全摘出術等の手術の適応がなかったこと、ところが、被告が原告X1に対して腹膜炎等にり患している旨の診察等の結果を告げて入院を勧め、それを適切な診察等の結果の告知であると信じた原告X1を入院させると共に原告X1ないし夫に妊娠中絶手術及び子宮全摘出手術等の手術を承諾させて右各手術を実施したこと、被告が原告X1に対してその膣分泌物から検出された陽球菌にセファロスポリン系の抗生物質であるセハロジンの感受性がないことの判明した同年二月一〇日ごろ以降も同年四月八日に退院するまで連日同じセファロスポリン系の抗生物質であるシーティー二グラムその他の薬品を投与していたこと、同年三月二七日に原告X1がカンジダ膣炎になっていたことは前記のとおりであり、<書証番号略>及び弁論の全趣旨を総合すると、細菌感染症の治療において抗生物質等の抗菌薬を投与するときは、急性の尿路感染症であれば三日、慢性のそれであっても五日投与して無効であれば、その抗菌薬の投与法はその細菌に対して不適切であると見切りをつけるべきであるとされており、加えて、抗生物質を長期間使用すると、膣内のカンジダ菌が菌交代現象によって異常に増殖してカンジダ膣炎になることがあることを認めることができる。右の事実によれば、被告は、原告X1に対し、無用な治療それも入院治療を行ったばかりでなく、不当にも妊娠中絶手術及び子宮全摘出術等の手術を行い、さらには医原性のカンジダ膣炎にり患させたことを推認することができる。

そうとすると、被告は、原告X1に対し、前記の何らかの不当な意図の下に行った乱診の延長として、治療にかこつけてその身体を拘束し、あろうことかそれを損傷したものであるというべきであるから、原告X1と被告との診療契約に基づく被告の債務の不完全な履行として、被告には原告X1のそれによって被った損害を賠償する責任があるといわなければならない。

2  原告X1の損害

(一)  治療実費

<書証番号略>並びに原告X1本人尋問の結果によれば、原告X1が被告に対して支払った治療実費は、八万二三五〇円であることを認めることができる。

(二)  慰謝料

前記三1(一)の事実並びに原告X1本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認められる・原告X1が腰に力が入らない、重いものが持てないなどの子宮及び右附属器摘出の後遺症状や腹部の醜い手術痕の残存に悩まされていることその他諸般の事情を総合勘案すると、原告X1の精神的苦痛、肉体的苦痛を慰謝すべき額は、一〇〇〇万円が相当である。

四原告X2の損害賠償請求について

1  被告の原告X2に対する医療過誤

(一)  被告の原告X2に対する診療経過

(1) 原告X2の健康状態

<書証番号略>及び原告X2本人尋問の結果によれば、原告X2は、昭和一三年四月二六日に出生し、昭和三三年に婚姻して、翌三四年に長女を、昭和三八年に長男をそれぞれ正常分べんで出産した。原告X2は、若いときに関節リゥウマチを患ったほかには大きな病気をしたことがなかった。もっとも、原告X2は、以前から顔色が悪かった。原告X2は、昭和五三年五月七日ごろ、前月末に終わった生理から一〇日ほど経っているのに少量の性器出血があり、体が熱っぽく腹部が張る感じで生理のときと同じような状態になり、そのような状態が続いたので、同年二月ごろに受けた子宮がんの集団検診では異常がないということになっていたが、不正出血を心配して近所の被告病院で診てもらう気になったことを認めることができ、右認定に反する<書証番号略>(被告の原告X2に対する診療録の一部)の記載部分は原告X2本人尋問の結果に照らして採用することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2) 原告X2と被告との診療契約の締結

原告X2が同日に被告病院を訪れて被告に対して診断を求め、被告がそれに応じたことについては当事者間に争いがない。

(3) 被告の診断と原告X2の入院

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X2及び被告各本人尋問の結果(ただし、共に一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X2は、被告に対し、〕同月一〇日から〔同月一七日まで少量の性器出血が続いている、下腹部痛がある〕、立ち暗みがする〔と訴えた。被告は、〕原告X2の右主訴を聞いた後更に若干の問診をし、次いで〔原告X2を内診した〕ところ、子宮口は、横に閉じている。子宮は、後屈、後傾である。緊密度は、弾力性があり、硬い。大きさは、手拳大である。可動性はない。両側の附属器は触れる。圧鋭敏感はない。膣分泌物は、出血性で、少ないという所見であった。被告は、以上の問診及び内診から、原告X2の病名を〔癒着性子宮筋腫、〕子宮膣部糜爛(びらん)、限局性〔腹膜炎、〕貧血、筋腫による出血〔と診断し、〕江東微生物千葉研究所の血液学検査に出すべき採血をした。そして、原告X2に対し、「子宮におできができている。子宮筋腫みたいなものだが、おなかを開けてみないと分からない。ポリープのような小さいものではないらしい。それを取らないと、だんだん大きくなっていく。手術した方が早く治るし、ほうっておけば治療するのにすごい時間がかかるし、下手をすると、おできが腐り始めて、体に毒が回る。腹膜炎を起こしている。」などと診察の結果を告げた。原告X2は、右診断を聞いて動悸がしてきて、被告に対してその旨を訴えたところ、被告から、体に毒が回ると動悸が一層ひどくなる趣旨のことを言われた。原告X2は、被告病院から帰って家族に相談すると共に入院の準備をし始めたが、入院後の家族のことや手術のことを考えている内に息苦しくなり、〔翌一八日午前一時ごろ、被告病院に入院した。〕

右の角括弧外の事実を認めることができ、右認定に反する原告本人及び被告本人の各供述部分は、共に信用することができない。

(4) 入院当日から手術前日までの被告の治療

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X1及び被告各本人尋問の結果(ただし、共に一部)並びに弁論の全趣旨を総合するならば、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔被告は、同日、原告X2に対し、問診程度の簡単な診察をし、血圧測定、血液(学)検査など(ただし、子宮がんの検査を含まない。)をした。〕江東微生物千葉研究所は、同日、前日及び同月一八日に原告X2から採取された血液学検査をした。その成績は、前日及び同月一八日分共赤血球数、ヘマトクリット及び血色素量は正常値であったが、白血球数は、前日又は同月一八日分が九九〇〇、同日又は前日分が九一〇〇でいずれも正常値の上限八五〇〇を超えていた。被告は、翌一九日、原告X2を内診している。前回の所見とは、子宮の緊密度が少々軟かいに、子宮に圧鋭敏感があるに、左附属器に圧鋭敏感、抵抗感があるにそれぞれ変ったことと、部位は不明であるが(おそらく子宮膣部であろう。)糜爛はないが加わったことが目に付く。そして、被告は、原告X2に対し、入院当日はトランサミン、エスジンを、翌一九日はそれに加えて二〇パーセントキリット、ブルタールを、同月二〇日から手術前日の同月二六日までは連日それらに加えて五パーセントキリット、タチオン、フラッド、シーティーを投与した。原告X2の血圧は、同月一八日が収縮期一〇二、拡張期七二で同月二五日まではその前後で推移したが、同月二六日には収縮期一二八、拡張期六八になった。原告X2の姉は、同月二五日、被告病院に対し、定型の手術承諾書に原告X2の夫・Bとその保証人としての原告X2の父・Cの各署名を代筆して差し入れている。そして、被告は、翌二六日、原告X2に対し、高圧かん腸を行った。

右の角括弧外の事実を認めることができ、右認定に反する<書証番号略>(被告病院の原告X2についての病床日誌の一部)の記載部分及び原告本人の供述部分は<書証番号略>に照らして採用できないし、被告本人の供述部分は信用することができない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(5) 被告の原告X2に対する子宮等摘出手術

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X1及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告のそれは、一部)並びに証拠保全(当庁昭和五七年(モ)第一二〇二号、第一二〇四号及び一二〇五号)における裁判官小見山進の検証の結果及び鑑定人岩沢博司の鑑定の結果を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

被告は、同月二七日までに、原告X2に対し、手術についておなかを開けてみなければ何とも言えないけれども、腹膜炎を起こしているから、子宮は多分取るであろうと説明していたが、〔同日行われた〕開腹による〔手術では、子宮ばかりでなく左附属器及び虫垂をも摘出した。〕右手術による出血量は、三一五グラムである。右手術の結果、被告は、原告X2の病名を汎発性腹膜炎、貧血、炎症による出血、腹腔膿瘍、卵管炎、子宮炎に変更している。被告は、その直後ごろ、江東微生物千葉研究所に対し、原告X2から摘出した附属器を含む子宮の病理組織・塗抹細胞検査を依頼しているが、同研究所が同年六月一日に被告病院に対して提出した臨床病理組織検査報告書の病理組織学診断においてすら、高等度慢性頸管炎、非特異性の中等度慢性卵管炎であった。ところが、同研究所が保管していた・原告X2から切り出された子宮膣部、子宮体部(筋層、外膜)及び卵管組織の三個のプレパラート中には、子宮筋腫を推測するものは見られない。腹腔膿瘍は、卵管の炎症が他の腹膜に及んだと考えれば推測できるが、確定できない。腹膜の病変については、子宮外膜、卵管外膜の部分のプレパラートから、子宮外膜に軽度、卵管外膜に中等度の慢性炎症があり、この部分に限局した炎症が認められ、他の腹膜部分についての炎症を推測できるが、確定することはできない。卵管の炎症が腹膜に及んだと考え、卵管、子宮体部にみられる炎症がその部分現象と考えられる。右プレパラートを総合判断して考えられる原告X2の病名は、中等度慢性頸管炎、中等度慢性化膿性卵管炎である。その手術適応は、臨床所見、臨床検査等の総合判断によるべきであって、プレパラートのみからは判定できない。

右の角括弧外の事実を認めることができ、<書証番号略>(手術記録)の各記載中手術の術式及び経過に関する若干の部分は、前記のとおり被告は右手術の際原告X2の虫垂を切除したにもかかわらずその記載がない上右鑑定の結果に徴して採用の限りでなく、したがって、それに見合う被告本人の供述部分も信用することができないし、<書証番号略>(病理組織・塗抹細胞検査申込書)の記載中被告が右研究所に対して塗抹材料の一つとして虫垂を提供した旨の部分は、<書証番号略>に徴して採用できない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(6) 被告の原告X2に対する子宮等摘出手術の翌日以後の治療と原告X2の退院

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>並びに原告X2及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告のそれは、一部)を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

被告は、右手術後の、それも同月三日に抜糸をした後である〔同月六日に〕なって初めて、江東微生物千葉研究所に対し、〔原告X2の細菌(一般菌・結核菌)検査を依頼し、〕生化学検査に至っては手術後二週間以上も経った同月一二日になって初めて依頼している。そして、右細菌検査の結果は陰性であり、右生化学検査の結果は、ナトリウムが一八六mEq/Lで正常値の上限である一四五を大幅に超えていたが、TP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼのGOT及びGPT、アルカリフォスターゼ、ナトリウム、尿素、カリウム、クロール並びにA/Gはいずれも正常値であった。被告は、右手術後、原告X2に対し、毎日〔点滴でシーティーを、内服でフェーマス、ネオマイゾン等を与え〕、一日置き程度の回診で手術の縫合部位を見、同月一六日から同年八月七日までの間に四回又は五回の内診をした。原告X2は右手術後三日ほどして被告に対し退院の見通しについて尋ねたところ、被告は、それについて説明するどころか今手術をしたばかりで聞くことはないと言って叱り付け、原告X2が同年七月二〇日ごろから再三にわたって体調も良いから退院をさせてもらいたい旨申し出ても、被告は、しこりがあると言って退院を許可しなかった。原告X2は、他の患者や近所の人の話から被告病院が他の病院よりも入院期間が長いことや、入院患者達が次々に入院中に他の病院の診察を受けた上被告病院を強行退院していることを知り、同年八月一二日、被告に対し、「しこりが取れないのなら必ず通院するから、退院させて下さい。」と言って、被告から退院許可をもらって退院し、以後同月一九日まで通院したが、右通院中の治療がただ点滴をするだけであったので、それも自分の判断で止めてしまった。

右角括弧外の事実を認めることができ、右認定に反する被告本人の次の各記載部分と見合う部分を含む供述部分は原告X2本人尋問の結果に照らして信用することができないし、<書証番号略>(被告の原告X2に対する診療録の一部)及び<書証番号略>(被告病院の原告X2についての病床日誌の一部)の各記載中被告が同月一七日に原告X2に対して内診している旨及び原告X2が同月一九日に退院した旨の部分は<書証番号略>(被告病院の看護日誌)及び原告X2本人尋問の結果に照らして改ざんされた可能性が高くいずれも採用することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  被告の原告X2に対する債務不履行

被告が初診時に原告X2に対して問診及び内診の結果癒着性子宮筋腫、子宮膣部糜爛、限局性腹膜炎、貧血、筋腫による出血と診断し、手術を勧めたこと、被告が翌日に入院した原告X2に対して内診をして糜爛はないと診断したこと、原告X2に対する子宮等摘出手術の結果、原告X2の右病名を汎発性腹膜炎、貧血、炎症による出血、腹腔膿瘍、卵管炎、子宮炎に変更したこと、汎発性腹膜炎と診断する目安が熱発、腹痛及び白血球の増加の症状の出ることであること、慢性腹膜炎に特異性のものと非特異性のものがあって、非特異性のものはまれであり、特異性のものとして多いのは結核性腹膜炎で、その他淋菌性腹膜炎、肺炎双球菌性腹膜炎があること、結核性腹膜炎の症状としては、大部分は慢性に経過し、微熱、腹満感、鈍痛、便通異常、軽度の圧痛などの腹部局所症状のほかに貧血、全身倦怠、食欲不振、あるいは赤沈高進などの症状があることは前記のとおりである。そして、<書証番号略>及び弁論の全趣旨を総合すると、子宮筋腫は、産婦人科臨床において三〇〜五〇歳台の女性にしばしば見られる疾患である。子宮筋腫には漿膜下筋腫、粘膜下筋種及び壁内筋腫があり、症状は、発生部位と、大きさと続発変化又は合併症の有無及び性質によって変化するが、自覚的症状としては、過多月経と不正子宮出血で、貧血、めまい、心悸亢(こう)進などが現われるほか、腫瘤(りゅう)による圧迫症状、循環障害による諸症状がある。診断は双合診で不整に腫大した硬い腫瘤を触知してつけることができるが、細胞診及び組織診を行って悪性腫瘍の存在を否定しておくことが大切である。附属器の腫瘍が子宮体部に固着している場合には鑑別が容易でないが、問診と綿密な内診所見によって鑑別する。腹腔鏡や超音波断層法、CTスキャンなどを利用することができる。また、限局性腹膜炎は、それが急性続発性のものであっても、症状は汎発性のものに比べて軽いことが多く、治療は膿瘍の処置に準じ、緊急手術の適用ではないことを認めることができる。そして、原告X2が初診時に満四〇歳で、顔色が悪く、被告に対して一週間ほど少量の性器出血が続いている。下腹部痛がある、立ち暗みがすると訴えたこと、被告が原告X2の右主訴を聞いた後更に若干の問診をし、次いで原告X2を内診したところ、子宮の可動性がなく、両側の附属器は触れ、膣分泌物が出血性で、少ないという所見であったこと、被告が原告X2に対して診断の概要を伝えると、原告X2が動悸がすると訴えたこと、血液学検査をしようとしたことを考えると、被告が原告X2の疾患について子宮筋腫と骨盤内の炎症を疑うことは妥当な診断であるというべきである。しかしながら、被告が原告に対して内診をして子宮の大きさが手拳大であったことは前記のとおりであり、前記四1(一)(1)及び(3)の各事実によれば、被告が右筋腫の位置、大きさ及び個数を確定しようとした形跡がないこと、子宮の硬さと筋腫の硬さを分別していないこと、原告X2が三か月ほど前に子宮がんの集団検診を受け異常がないということになっていたとはいえ被告が細胞診及び組織診をしようとした形跡がなく、腹腔鏡等の内視鏡検査や超音波断層検査などをしようとしたり、細菌検査や生化学検査をしようとした形跡もないこと、被告が原告X2の体温を測定しようとした形跡がないことを認めることができる。右の臨床所見、臨床検査等に、前記の・江東微生物研究所が同年六月一日に被告病院に対して提出した臨床病理組織検査報告書の病理組織学診断においてすら、高等度慢性頸管炎、非特異性の中等度慢性卵管炎であったこと、ところが、同研究所が保管していた・原告X2から切り出された子宮膣部、子宮体部(筋層、外膜)及び卵管組織の三個のプレパラートを総合判断して考えられる原告X2の病名は、中等度慢性頸管炎、中等度慢性化膿性卵管炎であること、右プレパラート中には、子宮筋腫を推測するものは見られないこと、腹膜の病変については、子宮外膜、卵管外膜の部分のプレパラートから、子宮外膜に軽度、卵管外膜に中等度の慢性炎症があり、この部分に限局した炎症が認められ、他の腹膜部分についての炎症を推測できるが、確定することはできないこと、せいぜい卵管の炎症が腹膜に及んだと考え、卵管、子宮体部にみられる炎症がその部分現象と考えられる程度であることを併せ考えると、被告が初診時に原告X2に対して癒着性子宮筋腫、子宮膣部糜爛、筋腫による出血と診断したことは誤りであり、しかも、その誤診は、当時の臨床医の水準からいって理解に苦しむほどのものである。また、限局性腹膜炎の診断にしても、適切なものといえるか否かに疑問があり、前記の医師の広範な裁量を考慮しても、初診の段階で右の程度の問診及び内診からその診断を下したことは軽率のそしりを免れない。そして、原告X2が中等度慢性頸管炎、中等度慢性化膿性卵管炎にり患しており、それについて手術適応の可能性があったとしても、被告が原告X2に対して下した右診断からはそれについて子宮及び左附属器摘出手術の適応があったとすることはできないといわざるを得ない。また、虫垂の摘出については原告X2の承諾ないし同意がないから、たとえ右虫垂の摘出が原告X2の健康上有益であったとしても、患者には伝染性の疾病にり患していてその治療を拒むことが公序良俗に反する等の特段の事情がない限り自己の健康の維持や疾病の治療を自ら決定する権利があるから、原告X2の自己決定権を侵害するものとしてその違法性を否定することはできないというべきである(したがって、それらに関する説明義務違反については、判断するまでもないことである。)。

そうとすると、被告には、右誤診に基づく子宮等の摘出手術ばかりでなく、右誤診に基づく入院治療も前記原告X2と被告との診療契約における被告の債務の不完全な履行として原告X2のそれによって被った損害を賠償する責任があるといわなければならない。

2  原告X2の損害

(一)  治療実費

<書証番号略>及び原告X2本人尋問の結果によれば、原告X2が被告に対して支払った治療実費は、六三万〇六五〇円であることを認めることができる。

(二)  慰謝料

前記四1(一)の事実並びに原告X2本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認められる・原告X2が昭和五三年五月一八日から同年八月一二日までに及ぶ長期入院及び子宮等の摘出による性生活に対する興味の喪失なども一因となって離婚したことその他諸般の事情を総合勘案すると、原告X2の精神的苦痛、肉体的苦痛を慰謝すべき額は、五〇〇万円が相当である。

五原告X3の損害賠償請求について

1  被告の原告X3に対する医療過誤

(一)  被告の原告X3に対する診療経過

(1) 原告X3の健康状態

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、また、<書証番号略>、原告X2及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告のそれは、一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

原告X3は、昭和一四年一二月二五日に出生し、昭和四二年に婚姻した。原告X3は、一度流産しそうになり人工妊娠中絶をしたことがある。原告X3は、昭和四八年、長女を帝王切開により出産した。原告X3は、過去において虫垂切除をしたことがあるほかは何らの既往症もなく、また生理は順調で、生理痛や帯下に悩まされたこともなく、健康であった。〔原告X3は、昭和五二年九月一四日に初めて被告病院を訪れ、被告から妊娠六か月で出産予定日は昭和五三年一月二一日であるとの診断を受けた。原告X3は、右予定日間近の同月一八日に〕腹部表面にそうよう感を覚え、〔被告の診察を受けた〕ところ、足にむくみもあって妊娠中毒症と診断され、薬をもらって帰宅した。そして、原告X3は、買物にも一人で行き、炊事等日常の家事は一人で行っていたが、〔同月二〇日午後九時ごろに〕陣痛のために〔被告病院に入院して〕出産に備えたものの、翌二一日には陣痛が微弱になった。それが子宮破裂の兆候とはいえないにもかかわらず、原告X3は、そのとき、被告から、診察によると子宮が破裂しそうだとして帝王切開を勧められ、夫と共にそれに同意し、〔同日に帝王切開により長男を出産した。〕出血量は、四五五ミリリットルである。なお、出産した長男の体重は二九四〇グラムであり、頭囲は34.0センチメートルであった。

右の角括弧外の事実を認めることができる。<書証番号略>(被告の原告X3に対する診療録の一部)の記載中には、被告は、昭和五二年九月一四日、原告X3に対し、妊娠中毒症、妊娠貧血の診断をした旨の部分があるが、右書証によれば、原告X3は、同日の検査で尿蛋白(たんぱく)及び尿糖は共に(一)であり、血圧は収縮期一三六、拡張期八八であることを認めることができるばかりでなく、右書証の同日の他の部分には浮腫等の症状、血色素量、赤血球数、ヘマトクリット等の検査及び妊娠中毒症及び貧血に対する投薬等のそれをうかがわせる記載が全くない上、原告X3本人尋問の結果によれば、原告X3は、当日、被告から、通常の妊娠の検診を受けただけであり、その後は昭和五三年一月一八日まで被告はもとより他の医師からも何らかの診療を受けたり売薬を服用したりしたことがないことを認めることができるから、右記載部分は後日に改ざんされたものであることが明らかである。また、<書証番号略>(被告病院の原告X3についての病床日誌の一部)の各記載中には「診断」の欄に「前回帝王切開の子宮破裂」との部分が、<書証番号略>(右帝王切開の手術記録の一部)の記載中には横にきれいに子宮破裂部位があったとの部分がそれぞれある。そして、(A)原告X3が長女の出産を帝王切開によったこと、原告X3が晩期妊娠中毒症にり患していたことは前記のとおりであり、<書証番号略>並びに原告X3及び被告各本人尋問の結果を総合すると、原告X3が長女の出産を帝王切開によったのは、医師から産道が細いので経膣分娩が無理だと言われたためであること、右帝王切開創の縫合部位から後日糸が出てきたこと、原告X3は、同月二〇日午後九時ごろに入院した時点では強い陣痛があったのに、翌二一日朝ごろには陣痛が微弱になったことを認めることができる。しかし、他方において、(B)被告が同月二一日に原告X3に対して行った帝王切開の手術による出血量が四五五ミリリットルであったことは前記のとおりであり、<書証番号略>、原告X3本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、被告の原告X3に対する診療録には同月二〇日から翌二一日にかけての記載がなく、また、右帝王切開術施行時の麻酔記録及び分娩(べん)時記録並びに右期間中の看護記録及び病床記録中には、子宮破裂又はその切迫はもちろんのこと過強陣痛、けいれん的な陣痛その他分べんの異常又はその兆候をうかがわせる記載が全くないこと、被告は、原告X3が被告病院に入院してから同月二一日朝ごろの微弱陣痛になった時点までは、原告X3の診察をしていないこと、ちなみに、右帝王切開術の術前麻酔が開始されたのは、同日午後〇時五〇分であること、右帝王切開で出生した長男に何らの障害も生じていないことを認めることができる。右(B)の事実に照らして考えると、(A)の事実から右子宮破裂を推認することはできない。そうだとすれば、<書証番号略>の右子宮破裂部位の存在の記載部分は後日に改ざんされた可能性が高いものであるということができる。したがって、<書証番号略>の右各記載部分は採用できないし、被告本人の供述中右各記載部分に吻合する部分も信用することができない。他に右角括弧外の事実の認定を左右するに足りる証拠はない。

(2) 被告の診断及び原告X3と被告との診療契約の締結

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>並びに原告X3及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告のそれは、一部)を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X3は、同日から、〕五パーセントキリット、タチオン、ビタミンC、フラッド、シーティーの〔点滴等の投与を受け、〕同月二八日に抜糸された。同月三一日ごろの血液学検査では、血色素量が正常値よりわずかに少なかったが、赤血球数、白血球数及びヘマトクリットは正常値であり、生化学検査では、アルカリフォスターゼ、ナトリウム及びA/Gが正常値よりわずかに低く、カリウムが正常値よりわずかに高かったが、TP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼ、尿素及びクロールは正常値であった。体温も同年二月に入ってからはほぼ平熱で推移している。ところが、原告X3は、右出産後間もなく、被告から、帝王切開したら手の施しようもないほどおなかの中が腐っていて、手術をしないと死んでしまう、腹膜炎にかかっている。三か月ほど治療してから子宮を取る手術をする、全部で六か月は入院する必要がある、と告げられた。右告知を受けた原告X3は、自分の子宮にこのまま入院を継続して右治療を受けた後右手術を受けなければ死に至るほど重篤な疾病があると信じ、同様に被告の右告知を真実と信じた夫・Dと共に、即日、改めて、被告に対して右手術を含む治療を依頼し、これを受諾した被告との間に診療契約を締結した。

右の角括弧外の事実を認めることができ、右認定に反する被告本人の供述部分は信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(3) 被告の原告X3に対する子宮等摘出手術

原告X3が一度流産しそうになって人工中絶をしたことがあり、昭和四八年に帝王切開術と過去に虫垂切除術を受けたことがあったものの、これといった病気をしたこともなく、また生理は順調で、生理痛や帯下に悩まされたこともなく、健康であったこと、原告X3が予定日である同年一月二一日に帝王切開により長男を出産したこと、そのときの出血量が四五五ミリリットルであったこと、出産した長男の体重は二九四〇グラムであり、長男に何らの障害も生じていないこと、原告X3の同月三一日ごろの血液学検査では、血色素量が正常値よりわずかに少なかったが、赤血球数、白血球数及びヘマトクリットは正常値であり、生化学検査では、アルカリフォスターゼ、ナトリウム及びA/Gが正常値よりわずかに低く、カリウムが正常値よりわずかに高かったが、TP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼ、尿素及びクロールは正常値であったこと、体温も同年二月に入ってからはほぼ平熱で推移していたことは前記のとおりであり、右事実によれば、原告X3には骨盤内ないし腹腔に何らの炎症もないか、あったとしてもごく軽微なものであって保存的療法で十分に治癒可能なものであったことを推認することができる。<書証番号略>の記載中には、右長男出生の帝王切開術の所見として、子宮筋がもろく、炎症所見が強く、少々壊死があった旨の記載部分があるが、<書証番号略>の子宮破裂部位が存在した旨の記載部分が改ざんされたものである可能性が高いことは前記のとおりであるから、<書証番号略>の存在によりそれと同一時期にそれと一体となって筆記されたことが認められるところの子宮筋がもろく、炎症所見が強く、少々壊死があった旨の記載部分も後日に改ざんされたものである可能性が高いといわなければならない。そうとすると、<書証番号略>の各記載中には原告X3が同月一八日時点において腹膜炎、強度の癒着性子宮、子宮炎、子宮膿瘍、腹腔膿瘍、慢性結合織炎にり患していたといった部分や、<書証番号略>の記載中には右子宮等摘出手術の所見として「前回の帝王切開の部位を切除して腹腔を開く。腹膜、子宮、大網、子宮旁結合織、膀胱の癒着が強く、解剖学的位置は全く判明しなかった。位置の判明に努め、比較的健康部位よりはく離切除した。特に左子宮下部、頸部、子宮旁結合織の癒着が強度で、はく離切除が特に困難であった。右及び中央の腹膜の癒着が強く、このはく離も困難であった。子宮を完全にはく離切除した後、型の如く左円靱帯より切断し、子宮を摘出した。子宮は、もろく、壊死状の部分が多かった。腹腔の腹膜の位置が判明しなかった。腹膜を引き出し、完全に人工的に腹腔を作り出した。腹壁を三層に縫合して手術を終えた。」旨の部分が、<書証番号略>の記載中にはその概要を図示した部分がそれぞれあるが、右手術所見に右附属器の摘出の記載がない不審はおくとしても、右各記載部分は、虚偽である可能性が高いものであって、いずれも採用することができない。したがって、被告本人の供述中<書証番号略>の右記載部分を含む右各記載部分と吻合する部分も信用できない道理である。また、<書証番号略>の記載中には、江東微生物研究所が被告において右子宮等摘出術で原告X3から切り出した子宮体部及び膣部を病理組織学診断すると子宮筋層炎及び糜爛性子宮頸管炎である旨の部分があるが、右記載部分は、右研究所が原告X3の子宮ブロック又は該ブロックを右研究所において検査用に切断して作成したプレパラートを紛失していること、被告が原告X1の子宮等摘出術で原告X1から切り出した子宮膣部、子宮体部及び卵管組織の三個のプレパラートからは、治療を要する変化を示す所見は見られず、したがって、手術適応に結びつく所見は認められないにもかかわらず、同研究所がした右臓器の病理組織学診断では子宮筋腫、繊維性腹膜炎となっていることは前記のとおりであって、右事実に照らしてにわかに採用することができない。他に右推認を動かすに足りる証拠はない。

ところが、次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>及び被告本人尋問の結果によれば、次の角括弧外の事実を認めることができる。

被告は、同月一七日、原告X3に対し、簡単な診察をした。そして、〔翌一八日、〕原告X3が腹膜炎、強度の癒着性子宮、子宮炎、子宮膿瘍、腹腔膿瘍、慢性結合織炎にり患しているとして、〔原告X3に対し、子宮及び右附属器の摘出手術を行った。〕右の単純子宮全摘出術及び右附属器摘出術の施行には、麻酔医が参加していない。なお、被告は、原告X3から、右附属器の摘出については明確な同意を得ていない。

(4) 子宮等摘出手術後原告X3の退院までの経過

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X3及び被告各本人尋問の結果によれば、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔被告は、右子宮等摘出手術後同年八月三一日までの間、原告X3に対し、連日点滴を行い、〕数回にわたり血液学検査及び生化学検査も行ったが、診察は、回診の際に手術の縫合部位を見る程度で、内診はほとんど行わなかった。〔原告X3は、当初に、被告から、六か月の入院を要すると宣告されていた〕ためこの期間はとにかく治療に必要な期間であると信じて入院をしていたが、点滴中を除いて熱もなく、食事、歩行などにも何らの支障もなくて健康な時と全く同じ体調であったため、〔同日、退院した。〕

(二)  被告の原告X3に対する虚偽の疾患の告知による診療契約の締結とそれに基づく被告の債務不履行

被告が帝王切開術施行後間もなくして原告X3に対して腹膜炎等の虚偽の疾患を告知して子宮摘出術の施行を目的とする診療契約の申込みの誘引をし、それを真に受けた原告X3からその申込みを受けてそれに応諾する形で原告X3と右診療契約を締結したこと、被告が右診療契約の履行として原告X3に対して子宮摘出術を施行し、またその際に原告X3の同意がないにもかかわらず原告X3に対して右附属器摘出術を施行し、その予後の治療名目で原告X3に対して約五か月半に及ぶ入院をさせたことは前記のとおりである。被告の右のような手術及び治療行為は、本来的には不法行為をもって問擬されるべきものであろうが、債務不履行として見るならば、一見すると右診療契約上の債務を履行をしたかに見えながら右診療契約の締結が虚偽の疾患の告知に起因する以上は、右の債務の履行をしたこと自体が医師側の診療義務違反になり、医療過誤に当たるか安全配慮義務違反に当たるかは別として右診療契約上の債務不履行になるというべきである。

そうとすると、被告が右の子宮摘出術の施行の際に原告X3の同意がないにもかかわらず原告X3に対して右附属器摘出術を行って右附属器を摘出したことや不要な長期の入院をさせたことは、それぞれ別個の義務違反行為とみるべきでなく、右診療契約上の債務不履行と相当因果関係のある損害として律すれば足りると解すべく、また、被告の説明義務違反を問うまでもないことである。したがって、被告の原告X3に対する子宮摘出手術の必要の告知にはじまる一連の行為は原告X3と被告との診療契約に基づく被告の債務の不完全な履行として、被告には原告X3のそれによって被った損害を賠償する責任があるといわなければならない。

2  原告X3の損害

(一)  治療実費

<書証番号略>並びに原告X3本人尋問の結果によれば、原告X3が被告に対して自由診療費等として九五万六三〇〇円以上を支払っていることを認めることができる。

(二)  慰謝料

前記五1(一)の事実及び原告X3本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認められる・原告X3が子宮等の摘出による性生活に対する興味の喪失から夫・Dとの間にある種の隔意を生じていることなど諸般の事情を総合勘案すると、原告X3の精神的苦痛、肉体的苦痛を慰謝すべき額は、一〇〇〇万円が相当である。

六原告X4の損害賠償請求について

1  被告の原告X4に対する医療過誤

(一)  被告の原告X4に対する診療経過

(1) 原告X4の健康状態

原告X4本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告X4は、昭和一八年九月一四日に出生し、昭和四六年に婚姻し、婚姻して間もなく妊娠したが、婚姻したばかりで生活が安定していなかったので、人工中絶をした。昭和五三年四月一日、千葉県富津市職員に採用され、国民宿舎に調理人として勤務するようになった。原告X4は、生来健康に恵まれ、特記すべき既往症はなかった。

(2) 原告X4と被告との診療契約の締結

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X4及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告本人のそれは、一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

原告X4は、昭和五五年一月ごろを最後に生理がなかったので、妊娠したのではないかと考え、〔同年三月二四日に被告病院を訪れ、〕被告に対して診察を求めた。〔原告X4は、〕被告の問診に応えて、同年一月ごろを最後に〔月経がない、〕体がちょっとだるい、疲れやすいといった〔ことを言った。被告は、原告X4に対し、内診及び尿検査を行い、〕更に、超音波断層診断を行い、〔妊娠していることを伝えた。〕原告X4は、それを聞いて、かねて夫との相談で仕事を続ける都合上その時期に出産するわけにはいかなかったことから、被告に対し、人工中絶を希望した。右の内診所見は、「子宮口は円形で閉じている。子宮は、後屈、後傾で、子宮体部がはっきりとは感じることができない。子宮体部は、軟性であり、大きさが大きい。可動性はない。右附属器には、軽い硬結があり、軽い圧鋭敏感がある。左附属器には、軽い抵抗感、軽い圧鋭敏感がある。ダグラス窩には、軽い圧鋭敏感がある。」というものであった。〔被告は、〕右診察及び検査の結果、さらに切迫流産の疑い、子宮膣部糜爛、汎発性腹膜炎、子宮炎、附属器炎、結合織炎であると診断し、〔原告X4に対し、〕おなかの中が大変なことになっていると言い、原告から、何ですかと聞かれると、〔腹膜炎〕で入院しなければ治らない〔と告げた。被告は、その際、〕被告の右告知に驚いて帰って夫と相談する旨返事をする〔原告X4に対し、できるだけ安静にしているように指示したほかは、何らの措置、処方を行っていない。〕原告X4は、被告病院の表で原告X4を送ってきて診察が終わるのを待っていた夫と相談して入院して治療を受けることになり、同市役所に療養休暇願いを申し出た後、被告病院に電話して入院治療を受けることを伝えたところ、被告病院から同年四月一日に入院するように言われた。

右角括弧外の事実を認めることができる。右認定に反する被告本人の供述部分は、原告X4本人尋問の結果に照らして信用できない。また、<書証番号略>(被告の原告X4に対する診療録の一部)の記載中には原告X4が被告に対して腰痛及び下腹部痛を訴えたかの如き部分と、右内診所見として「膣分泌物は、黄色で、多い。」といった部分があるが、右記載部分は、原告X4本人尋問の結果に照らして採用することができない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(3) 原告X4の入院と被告の原告X4に対する子宮等摘出手術

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X4及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告本人のそれは、一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X4が同年四月一日に被告病院に入院したので、被告は、同日、原告X4に対し、血液型検査、生化学検査、梅毒検査〕、血液学検査〔をした。〕右生化学検査の成績は、TP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼ、アルカリフォスターゼ、尿素、ナトリウム、カリウム、クロール及びA/Gにおいてすべて正常値であり、右血液学検査の成績は、平均赤血球血色素濃度において女性の生理的範囲より若干低かったが、白血球数、赤血球数、血色素量、ヘマトクリット及び平均赤血球容積及び平均赤血球血色素量において生理的範囲であり、梅毒検査の成績は陰性であった。〔被告は、同日、原告X4に対し、その同意の下に妊娠中絶手術をし、同日から同月一一日まで連日〕ポタコールR、タチオン、フラッド、ビタミンC、シーティー等の〔点滴を行った。また、被告は、原告X4に対し、同月三日に〕四週間決定及び七週間決定の各〔分泌物による結核菌検査〕及び細菌検査並びに心電図検査を、同月七日及び同月一二日に生化学検査を、〔同日の開腹手術の直前に胸部のレントゲン撮影及び心電図検査をそれぞれ行った。〕ちなみに、右各結核菌検査は後に共に陰性であることが判明しており、その他の検査でも同日の生化学検査において白血球数が一立方ミリメートル当たり三八〇〇と生理的範囲の下限を下回ったりする成績が出ているが、いずれも特記しなければならない異常な成績又は結果は出ていない。〔被告は、同日、〕原告X4の「どこを切るのですか。」の問いに対して「開けてみなければ分からない。」とのみ答えただけで、麻酔医の協力も得ずに〔原告X4の腹部を縦に切開して子宮全部及び左附属器を摘出する手術を行った。〕右手術による全出血量は、三五〇立方センチメートルである。ところが、被告は、右手術後、原告X4の夫に対して摘出したという臓器一個を示して卵巣を片方摘出した旨告げ、原告X4に対しても同じく卵巣を片方摘出したとのみ告げた。ところで、江東微生物研究所が保管していた・原告X4から切り出された子宮膣部、子宮体部及び卵管組織の三個のプレパラートを総合判断して考えられる原告X4の病名は、軽度の子宮腺筋症、軽度の卵管周囲炎であり、右の子宮腺筋症の手術適応は、臨床所見、臨床検査等の総合判断によるべきであって、右プレパラートのみからは判定できない。

右の角括弧外の事実を認めることができる。右認定に反する被告本人の供述部分は信用できない。また、<書証番号略>(被告の原告X4に対する診療録の一部)の記載中には、同月二日及び三日の各診察時に原告X4に下腹部痛、腰痛があったとか、同日の原告X4に対する内診所見が「子宮体部は、不鮮明に触れる。子宮体部は、少し軟かく、大きさが少々大きい。」であるとかいった部分が、<書証番号略>(被告の原告X4に対する子宮全摘出術及び左附属器摘出術の手術記録の一部)の記載中には、腹腔を開くと、皮下脂肪、筋肉に炎症所見があり、血管に富んでいて出血しやすかった。腹膜は、厚く赤くしゅ脹していた。この状態が上腹部まで及んでいた。腹水は、約五〇立方センチメートルほどあって、血性のものであった。子宮は、軟性で、赤くしゅ脹し、左側及びその近くの円靱帯、広靱帯、骨盤漏斗靱帯は、軟性にしゅ脹し、血管に富み、また卵管、卵巣も同様であった。右側部分は、子宮の近くも左側ほどのものではなかったが、炎症所見は、広範囲に広がっていた。膀胱と骨盤腹膜は、黄色に厚く肥厚し、骨盤腹膜は、せん孔していた。大網も、上腹まで赤くしゅ脹し、汎発性腹膜炎の症状を呈していた。型の如く、左円靱帯より切断し、なるべくひどい炎症所見のある所より切断し、左附属器及び子宮を切断した。子宮の左側の所見及び手術の経過を詳述すると、左尿管は、炎症のため子宮側面に癒着し、その周囲は、炎症性肥厚肥大が強く、血管に富んでいたが、子宮部静脈その他の血管を尿管から分離、はく離し、完全に尿管を分離した旨の部分が、<書証番号略>(江東微生物千葉研究所の被告病院に対する原告X4についての臨床病理組織検査報告書)の記載中には、病理組織学診断によれば腹膜炎を併発した子宮腺筋症である旨の部分がそれぞれあるが、右各記載部分は、鑑定人岩沢博司の鑑定の結果に照らして(なお、<書証番号略>の記載部分は、手術記録にしては内容、書体共あまりにも整然と記載され過ぎているきらいがあり、かつ、説明的であって、後記<書証番号略>と同様に後日改ざんされた可能性がある。)いずれも採用することができない。更に、<書証番号略>(被告の原告X4に対する診療録の一部)の記載中右角括弧外の事実についての認定に反する部分は、後記<書証番号略>と同じく改ざんされた可能性が高いから、採用することができない。他に右角括弧外の事実についての認定を左右するに足りる証拠はない。

(4) 子宮等摘出手術後原告X4の退院までの経過

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X4及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告本人のそれは、一部)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔被告は、原告X4に対し、手術後も同年五月二三日まで、連日手術前と同様の点滴を行い、同年四月二一日、同年五月一日、同月一二日〕及び同月二二日〔に各血液検査を〕、同年四月一四日に腹水による結核菌検査をそれぞれ〔行った〕が、診察行為は、回診の際に縫合部のガーゼを交換し、触診し、二週間ごとに内診するのみであった。なお、同年五月二二日の生化学検査の成績は、TP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼ、アルカリフォスターゼ、尿素、ナトリウム、カリウム、クロール及びA/Gにおいてすべて正常値であり、血液学検査の成績は、赤血球数において女性の生理的範囲より多かったが、白血球数、血色素量、ヘマトクリット、平均赤血球容積、平均赤血球血色素量及び平均赤血球色素濃度においていずれも生理的範囲であった。原告X4は、同年四月一九日の抜糸後四日ほどして通常の生活ができるほどに回復していたのに、被告から「大分良くなったが、まだまだ当分かかる。あと半年はかかるかもしれない。」と言われて不審に思っていたところ、見舞客から「子宮を取った人でも二週間くらいで退院するのよ。子宮を取ってもいないのに長いわね。」と言われ、被告病院の看護婦からも「ほかの病院で本当にその病気かどうか診てもらった方がいい。そうしている人もいる。」などと言われ、被告に対して不信を抱くに至った。そして、〔原告X4は、〕夫と相談の上退院の決意を固め、〔同年五月二三日、〕被告が「ここの病院でしかこの病気は分からないから、ほかのどこの病院に行っても駄目だ。」と言うところを強行〔退院する〕に至った。

右の角括弧外の事実を認定することができる。右認定に反する被告本人の供述部分は信用することができないし、<書証番号略>(被告の原告X4に対する同年四月一二日の子宮等摘出術施行直後から同年五月二三日の原告X4の退院時までの診療録)の各記載部分も次の理由から採用の限りでない。すなわち、<書証番号略>によれば、被告は、原告X2に対する診療録においては、三か月の間に九日分のそれもかなりバラエティーに富んだ診察の結果しか記載していないことを、<書証番号略>によれば、被告は、原告X3に対する診療録においては、約六か月半の間に一一日分のそれもかなりバラエティーに富んだ診察の結果しか記載していないことをそれぞれ認めることができるところ、<書証番号略>の記載部分は、昭和五五年四月一二日の子宮等摘出術施行直後から同年五月二三日の原告X4の退院時までの間ほとんど連日、二〜三行ずつ内容、書体共整然とそれもそれほどの変化もない診療の結果が記載されており、<書証番号略>、原告X5本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、(千葉県)君津郡・木更津市医師会等に対して昭和五五年九月中旬ごろから被告病院において診療を受けた者の中より被告病院の診療に不審があるとの苦情が相次いで寄せられるようになり、同年一一月中旬ごろに日本母性保護医協会の医師である理事らが被告の作成した診療録十数件分を調査した際に診療録に記入すべきものとされている症状その他の日暦記入漏れがあり、調査をした右理事が被告に対してこれでは手術との因果関係を判断できないとして厳重な注意をしていることを認めることができ、原告X1、同X2、同X3及び同X4の被告に対する本訴の昭和五六年六月二二日午前一〇時に開かれた第一回口頭弁論期日において右原告らが被告に対して右原告らに対する各診療録、手術記録、病床日誌、検査所見、温度板、細胞診検査報告書及び臨床病理組織検査報告書の提出命令を申し立てたところ、被告が昭和五八年五月二四日午前一〇時に開かれた第一五回口頭弁論期日になってようやくそれらを提出したので、右原告らが右各文書提出命令の申立てを撤回したことは本件訴訟記録上明らかである。右の事実によれば、<書証番号略>の記載部分は、被告ないし関係者が改ざんした可能性が高いものであることを推認することができる。他に右の角括弧外の事実についての認定を左右するに足りる証拠はない。

(5) 原告X4の退院直後の他医院における診療

<書証番号略>及び右本人尋問の結果によれば、原告X4は、右のように被告病院を強行退院しながらも病気が気になって、右退院三日後の昭和五五年五月二六日、玄々堂医院で受診したところ、初めて子宮がなくなっていることを告げられ、驚愕した。そして、膣炎、骨盤内結合織炎(軽度)の診断を受け、同年六月二〇日まで一二回にわたり通院して治療を受け治癒したことを認めることができる。

(二)  被告の原告X4に対する債務不履行

被告が初診時に原告X4に対して診察及び検査の結果、切迫流産の疑い、子宮膣部糜爛、汎発性腹膜炎、子宮炎、附属器炎、結合織炎であると診断しながら、腹膜炎であることのみを告げて手術を勧めたこと、汎発性腹膜炎と診断する目安が熱発、腹痛及び白血球の増加の症状の出ることであること、慢性腹膜炎に特異性のものと非特異性のものがあって、非特異性のものはまれであり、特異性のものとして多いのは結核性腹膜炎で、その他淋菌性腹膜炎、肺炎双球菌性腹膜炎があること、結核性腹膜炎の症状としては、大部分は慢性に経過し、微熱、腹満感、鈍痛、便通異常、軽度の圧痛などの腹部局所症状のほかに貧血、全身倦怠、食欲不振、あるいは赤沈高進などの症状があることは前記のとおりである。そして、原告X4が以前に人工妊娠中絶をしており、被告の問診に答えて体がちょっとだるい、疲れやすいといったことを言ったこと、被告が原告X4を内診したところ、子宮体部がはっきりとは感じることができず、軟性であり、大きさが大きく、可動性がない、右附属器に軽い硬結があり、軽い圧鋭敏感がある、左附属器に軽い抵抗感、軽い圧鋭敏感がある、ダグラス窩に軽い圧鋭敏感があるという所見であったこと、被告が原告X2に対して超音波断層診断もしていることは前記のとおりであり、それらのことを考えると、被告が原告X4の疾患について骨盤内の炎症を疑うことは妥当な診断であるというべきである。しかしながら、原告X4本人尋問の結果によれば、被告は、原告X4が下腹部痛及び腰痛を訴えていないのに、乱暴ともいえる双合診によって無理矢理下腹部痛を生じさせたことを認めることができる(右認定に反する被告本人の供述部分は信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。)上、前記六1(一)(2)及び(3)の各事実によれば、被告が原告X4に対して細菌検査や生化学検査をしようとした形跡がないこと、被告が原告X4の体温や赤血球沈降速度を測定しようとした形跡がないことを認めることができる。右の臨床所見、臨床検査がなされていない状況等に、前記の、江東微生物研究所が保管していた・原告X4から切り出された子宮膣部、子宮体部及び卵管組織の三個のプレパラートを総合判断して考えられる原告X4の病名が軽度の子宮腺筋症、軽度の卵管周囲炎であることを併せ考えると、被告が初診時に原告X4に対して手術適応の汎発性腹膜炎と診断したことは誤りであったというよりは、それを作り上げたというべきである(したがって、説明義務違反の以前の問題であるから、それについて判断することを要しないというべきである。)。そして、原告X4が子宮腺筋症にり患しており、それについて手術適応の可能性があったとしても、被告が原告X4に対して下した右診断からはそれについて子宮及び左附属器摘出手術の適応があったとすることはできない。しかも、前記のとおり子宮及び左附属器の摘出については、原告X4の明確な承諾ないし同意がないから、たとえ医師の治療に対する広範な裁量を考慮したとしても法的に許容されるものではなく、被告は、医療の名において原告X4の身体に違法な侵襲を加えると共に拘束を行ったものであるといわなければならない。

そうとすると、被告には右乱診に基づく子宮等の摘出手術ばかりでなく、右乱診に基づく入院治療も前記原告X4と被告との診療契約における被告の債務の不完全な履行として原告X4のそれによって被った損害を賠償する責任があるといわなければならない。

2  原告X4の損害

(一)  治療実費

<書証番号略>及び原告X4本人尋問の結果によれば、原告X4が被告に対して支払った治療実費は、三三万五七〇〇円であることを認めることができる。

(二)  慰謝料

前記六1(一)の事実並びに原告X4本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認められる・原告X4は、将来的には子供を生む希望を有していたこと、長期の入院のために職場の昇給で不利益を被ったこと、不審な診療で新聞等に大きく取り上げられた被告病院に入院して治療を受けたことから職場に居づらくなって結局転職せざるを得なかったことその他諸般の事情を総合勘案すると、原告X4の精神的苦痛、肉体的苦痛を慰謝すべき額は、六〇〇万円が相当である。

七原告X5の損害賠償請求について

1  被告の原告X5に対する医療過誤

(一)  被告の原告X5に対する診療経過

(1) 原告X5の健康状態

<書証番号略>及び原告X5本人尋問の結果を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

原告X5は、昭和二一年九月二三日に出生し、昭和五二年三月に婚姻した。原告X5は、同年八月に長女を正常分べんで出産したが、昭和五四年二月に妊娠七か月で早期破水のために胎児を死産した。しかし、それ以外はほとんど病気にかかったこともなかった。

(2) 原告X5と被告との診療契約の締結

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>及び原告X5本人尋問の結果を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X5は、〕同年九月初旬以降月経がなく、重い物を持ったとき腰背部に鈍痛を覚えたので、妊娠したとするとまた流産することがあってはいけないと思って、妊娠の有無を検査してもらうため、〔同月一七日、被告病院を訪れた〕が、被告が不在だったので、〔同月二六日〕再び被告病院を訪れ、被告に対して診察を求めたところ、〔被告は原告X5に対して問診、内診、尿検査及び超音波断層撮影による診察をした。〕被告は、右の診察の際、原告X5に対し、長い時間をかけて激痛を伴う内診(双合診)をした。原告X5が被告に対して何でこんなに痛いのかと尋ねると、被告は、卵管炎のためだと答えた。そして、〔被告は、「妊娠二か月、左卵管炎、附属器炎、限局性腹膜炎」と診断し、〕原告X5に対し、その旨を告げると共に、「おなかが腐っている。入院して点滴治療をしないと体が腐って死んでしまう。入院すれば二週間で治る。」と入院を勧めたが、原告X5が家庭の事情によって直ちに入院することはできない旨を伝えると、「まだ赤ちゃんが固まらない時期だから投薬はしない。仕事はやめて絶対に安静にしていなければいけない。子供を抱いてもいけない。」などと指示した。そこで、原告X5は、被告の指示を守ってそれまでしていた内職をやめ、自宅で安静にしていた。

右の角括弧外の事実を認めることができる。右認定に反する被告本人の供述部分は原告X5本人尋問の結果に照らして信用することができない。また、<書証番号略>(被告の原告X5に関する診療録の一部)の記載中には被告は同月一七日に原告X5に対して切迫流産の疑いの診断した旨の部分があり、<書証番号略>(右診療録の一部)の記載中には原告X5が同日被告に対して無月経、同月一四日朝に性器から少量の出血があった、腹部に膨満感があると訴え、被告が原告X5のゴナビス検査をしたところ、(一)であったが、原告X5が今日は時間がない、来週診察にくる旨の部分がある。そうだとすると、被告は、原告X5に対し、内診もせず、ゴナビス検査も(一)でありながら、原告X5に対する右程度の問診で切迫流産の疑いと診断したことになるばかりでなく、後記のとおり被告は同年一〇月一六日になって初めて原告X5に対して流産止めの薬品を投与しているから、切迫流産の疑いと診断しながら同日まで一か月もの間何らの治療もしないで放置したことになる。右の事実に原告X5本人尋問の結果により認められる・原告X5が同日被告の診察を受けていない事実によれば、右各記載部分は後日改ざんされたものであることを推認することができる。また、<書証番号略>の記載中には、被告は同年九月二六日に原告X5に対して切迫流産の疑い、貧血、子宮内膜炎とも診断した旨の部分もあり、<書証番号略>(右診療録の一部)の記載中には原告X5の白血球数が五一〇〇、赤血球数が四一一万、判読不能(Hbか)が七五パーセント、判読不能(Htか)が三六パーセントとの、左附属器は新しく炎症が起きたため、症状が強く表れたもので、右の古い経過をもっている附属器周囲の臓器はその強い症状に押し隠されたもの、このため、原発巣が最後の治療部位として残るのが通例であるとの各部分がある。しかし、被告が原告X5に対して流産止めの投薬をしたのは右のように同年一〇月一六日になってからであり、被告の原告X5に対する検査記録を含む診療録中には右の血液学検査成績に見合う報告書が見当たらないし、右のいかにも弁解調の説明が右附属器炎の診断もしていないのに記載されていることは理解し難いことであるから、<書証番号略>の右各記載部分も後日改ざんしたものであることを推認することができる。したがって、右各記載部分は共に採用の限りでない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(3) 原告X5の流産と被告による子宮内容除去

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>並びに原告X5及び被告各本人尋問の結果(ただし、被告本人のそれは、一部)によれば、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X5は、〕同年一〇月一五日夜にごく少量のチョコレート色の〔性器出血があったので、翌一六日、被告病院を訪れて被告の診察を求めた。被告は、同日、診察の上〕、切迫流産と診断した。そして、〔同日から同年一一月二日まで、原告X5に対し、通院で、流産防止のため主としてプロゲストン(黄体ホルモン)〕等〔を投与をした。〕原告X5は、その後も性器からチョコレート色の出血が続き、同年一一月に入ると右の出血の色が赤く変わったので、〔同月五日、被告病院に入院した。被告は、原告X5に対し、内診及び超音波断層撮影などを随時行いながら、プロゲストン、シーティー一日二グラム、ビタミンC、タチオン、ポタコール(輸液用電解質)等の点滴を行ったが、同月一五日、胎児が装置に写らなくなり、胎児死亡による不全流産と診断し、子宮内容の掻爬術を行った。〕

右の角括弧外の事実を認めることができる。右認定に反する被告本人の供述部分は信用することができない。また、<書証番号略>の記載中には被告が同年一〇月一六日に原告X5に対して切迫流産のほかに外陰炎と診断した旨の部分があり、<書証番号略>の各記載中には原告X5が同年一一月五日に妊娠三か月、切迫流産のほかに附属器炎及び限局性腹膜炎で入院した旨の部分があるが、<書証番号略>の右の両記載部分は、実質的に見るとそごしているというべきである上、成立に争いのない<書証番号略>及び原告X5本人尋問の結果によれば、原告X5の同日の体温は平熱であることを、原告X5本人尋問の結果によれば、原告X5は、同日の時点で下腹部痛も腰痛もなかったことを(<書証番号略>の記載中には原告X5が同日被告に対して下腹部痛及び腰痛(+)を訴えた旨の部分があるが、原告X5本人尋問の結果によれば、原告X5が右の下腹部痛を訴えたのは被告の内診によったものであり、右の腰痛を訴えたことがないことを認めることができるから、右記載部分は採用することができない。)、<書証番号略>によれば、原告X5の同月六日の血液学検査では、赤血球数、白血球数、ヘマトクリット及び血色素量は正常値であり、生化学検査でも、TP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼ、アルカリフォスターゼ、CCF、ビリルビン(ただし、直接ビリルビンのみ正常値0.2に対して0.16であるが、他のビリルビン単位は、共に正常値である。)、尿素、ナトリウム、カリウム、クロール及びA/Gはいずれも正常値であったことをそれぞれ認めることができるから、共に採用することができない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(4) 被告の原告X5に対する腹膜炎の診療

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X5本人尋問の結果(ただし、一部)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

原告X5は、右子宮内容除去術を受けた後の同年一一月一六日からも入院を継続して〔ポタコールR、ビタミンC、タチオン、フラッド及びシーティーの点滴を受けていた。〕同月二二日、被告の診察を受けたが、検診台上で被告の双合診を受けた際、余りの激痛に思わず検診台のカーテンの上から診察する被告の腕を払いのけようとしたほどであった。被告は、原告X5に対し、「子宮腹膜炎だ。この病気が原因で赤ちゃんが駄目になった。今のうちに完全に直しておこう。」と言い、治療の方法としては「このまま入院して点滴をするほかにはない。」と説明した。原告X5は、同年一二月一三日までは入院で、同月一四日から昭和五五年三月九日までは通院で、同月一〇日から同月三一日ごろまでは入院でそれぞれ被告の治療を受けた。〔被告が右入通院を通じて原告X5に対して行った治療の内容は、〕子宮内容除去直後からのと同一内容の〔ポタコール、タチオン、フラット(ビタミンB2)、ビタミンC、シーティー等の点滴による投与であった。〕原告X5が昭和五四年一二月六日ごろに風邪を引いて顔がむくんだとき、被告は、欝血性心不全の診断を下し、その投薬をしている。また、〔原告X5は、同年一二月末ごろ、〕右シーティーの副作用により〔カンジダ性膣炎を併発し、それに対する治療として退院するまでの約三か月間膣洗浄を受けた。〕被告は、昭和五五年三月一八日、原告X5を内診しながら、「治ったよ。長くかかったけれどもよかったね。」と言ったが、原告X5が右側が痛いと伝えると、超音波断層診断をし、写真を見ながら卵巣腹膜炎だと告げた。その告知を受けた原告X5は、被告に対し、はじめ左の卵管炎だったものがどうして右側の卵巣腹膜炎になったのか、これだけ点滴を受けているのに、何で卵巣腹膜炎になるのかと問い詰めた。被告は、それに対し、「おなかに赤ちゃんがいたのでよく見ることができなかった。子宮は完全に治ったけれども今度は卵巣の方に来た。」と説明した。原告X5は、被告ないし被告病院の治療についてかねがね芳しくない風評を聞いていたが、被告の右説明を聞いてだまされているのではないかと疑うようになり、その後の回診の際に被告から腸が癒着して入院したときよりも悪くなっていると言われて、完全にだまされていると思うようになった。そして、原告X5は、金銭的理由等を口実にして退院を願い出てその許可を受け、同月三一日ごろ、被告病院を退院した。

右の角括弧外の事実を認めることができる。右認定に反する被告本人の供述部分は信用することができない。原告X5本人の供述中の原告X5が同月二三日に被告病院を退院し、同月二四、二五の両日通院して治療を受けたが、その後は被告による治療を打ち切った旨の部分も、<書証番号略>に照らしてにわかに信用することができない。また、<書証番号略>(被告の原告X5に対する昭和五四年一一月一五日から昭和五五年三月三一日までの診療録)の各記載部分は、前記六1(一)(4)の反証排斥における説示と同じ理由(ただし、原告X5が被告に対して原告X5に対する診療録、手術記録、病床日誌、検査所見、温度板、細胞診検査報告書及び臨床病理組織検査報告書の提出命令を申し立てたのは、原告X5の被告に対する本訴の昭和五六年九月一四日午前一〇時に開かれた第一回口頭弁論期日においてであり、被告がそれらを提出し、そのため原告X5が右文書提出命令の申立てを撤回したのは、昭和五八年五月二四日午前一〇時に開かれた第一四回口頭弁論期日になってである。)で採用することができない。他に右角括弧外の事実の認定を左右するに足りる証拠はない。

(5) 原告X5の退院直後の他医院における診療

<書証番号略>及び右本人尋問の結果によれば、原告X5は、昭和五五年四月一七日、前記マザークリニックで受診したところ、カンジダ膣炎のほかは何らの子宮疾患も認められないとの診断であったことを認めることができる。

(二)  被告の原告X5に対する債務不履行

被告が初診時に原告X5に対して診察及び検査の結果左卵管炎、附属器炎、限局性腹膜炎と診断して入院を勧め、原告X5が入院することができない旨を伝えると、仕事をやめて絶対に安静にし、子供を抱いてもいけないなどと指示したこと、そこで、原告X5が被告の指示を守ってそれまでしていた内職をやめ、自宅で安静にしていたこと、被告が昭和五四年一一月二二日に被告病院に入院中の原告X5に対して子宮腹膜炎と診断して入院を継続することを勧めたこと、そのため、原告X5が同年一二月一三日までは入院で、同月一四日から昭和五五年三月九日までは通院で、同月一〇日から同月三一日ごろまでは入院でそれぞれ被告の治療を受けたこと、汎発性腹膜炎と診断する目安が熱発、腹痛及び白血球の増加の症状の出ることであること、慢性腹膜炎に特異性のものと非特異性のものがあって、非特異性のものはまれであり、特異性のものとして多いのは結核性腹膜炎で、その他淋菌性腹膜炎、肺炎双球菌性腹膜炎があること、結核性腹膜炎の症状としては、大部分は慢性に経過し、微熱、腹満感、鈍痛、便通異常、軽度の圧痛などの腹部局所症状のほかに貧血、全身倦怠、食欲不振、あるいは赤沈高進などの症状があること、限局性腹膜炎がそれが急性続発性のものであっても、症状は汎発性のものに比べて軽いことが多く、治療は膿瘍の処置に準じることは前記のとおりである。しかしながら、原告X5が昭和五四年九月二六日に被告に対して診察を求めたのは、同月九月初旬以降月経がなく、重い物を持ったとき腰背部に鈍痛を覚えたので、妊娠したとするとまた流産することがあってはいけないと思って、妊娠の有無を検査してもらうためであったのであり、原告X5が下腹部痛を訴えたのは、被告の乱暴ともいえる双合診によるものであったこと、原告X5の同年一一月六日の血液学検査で、赤血球数、白血球数、ヘマトクリット及び血色素量が正常値であり、生化学検査で、TP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼ、アルカリフォスターゼ、CCF、ビリルビン(ただし、直接ビリルビンのみ正常値0.2に対して0.16であるが、他のビリルビン単位は、共に正常値である。)、尿素、ナトリウム、カリウム、クロール、A/Gがいずれも正常値であったこと、原告X5が同月二二日に下腹部痛を訴えたのも、検診台上で被告の同様の双合診を受けた際の思わず診察台のカーテンの上から診察する被告の腕を払いのけようとしたほどの激痛によるものであって、自発痛ではないことも前記のとおりである。その上、前記七1(一)(2)の事実によれば、被告が同年九月二六日の時点で原告X5に対して細菌検査、血液学検査及び生化学検査をしようとした形跡がないこと、被告が原告X5の体温や赤血球沈降速度を測定しようとした形跡がないことを認めることができる。これらの事実によれば、被告が初診時に原告X5に対して入院適応の限発生腹膜炎と診断したことは誤りであったというよりは、それを作り上げたというべく、被告が同年一一月二二日に原告X5に対して入院適応の腹膜炎と診断したこともその延長線のことであるというべきであり(したがって、被告の原告X5に対する説明義務違反については判断の要をみないというべきである。)、それに加えて、前記のとおり、被告は、原告X5に対し、連日シーティー一日二グラムの長期投与を行い、カンジダ膣炎を誘発したのであって、被告は、医療の名において原告X5の身体にこれらの違法な侵襲及び拘束を加えたものであるといわなければならない。

そうすると、被告には、右乱診に基づく入院治療すなわち弁論の全趣旨により認められる・流産による子宮内容除去術施行による入院は当日程度であるから同年一一月一六日以降の入院治療ばかりでなく、右初診時における妊娠の点を除く診療も原告X5と被告との診療契約における被告の債務の不完全な履行として原告X5のそれによって被った損害を賠償する責任があるといわなければならない。

2  原告X5の損害

(一)  治療実費

<書証番号略>及び原告X5本人尋問の結果によれば、原告X5が被告に対して支払った治療実費は、昭和五四年一一月一六日から同月三〇日までの入院差額料一万五〇〇〇円と同年一二月一日から昭和五五年三月三一日までの治療実費五六万六三三〇円の合計五八万一三三〇円であることを認めることができる。

(二)  慰謝料

前記七1(一)の事実その他諸般の事情を総合勘案すると、原告X5の精神的苦痛、肉体的苦痛を慰謝すべき額は、一五〇万円が相当である。

八原告X6の損害賠償請求について

1  被告の原告X6に対する医療過誤

(一)  被告の原告X6に対する診療経過

(1) 原告X6の健康状態

<書証番号略>、原告X6本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告X6は、昭和三一年七月一日に出生し、昭和五四年二月に婚姻した。原告X6は、生来健康に恵まれ、従来長期入院、手術等を要するほどの既往症にり患したことはない。なお、原告X6は、昭和五六年一月に長男を、昭和五八年一二月に二男をそれぞれ正常分べんで出産している。原告X6は、昭和五四年八月下旬から月経がなく少量の性器出血をみたので、妊娠したのではないかと考え、自宅から歩いて行けるところにある被告病院で妊娠反応検診を受ける気になった。ちなみに、原告X6は、それまで月経は順調で、月経痛もなく、まして腹痛・腰痛に悩まされたことはなかった。

(2) 原告X6と被告との診療契約の締結

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X6本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X6は、同年九月二八日、被告病院を訪れて被告に対して〕同年八月下旬から生理がない、少量の性器出血がある、微熱があり今朝体温を測ったら三七度だったと訴えて診察を求めたところ、被告は原告X6に対して問診、内診及び尿検査をした〕が、右内診(双合診)は、長い時間をかけての激痛を伴うものであった。〔被告は、右診察及び検査の結果、〕妊娠五週、切迫流産の疑い、扁桃腺炎、咽頭炎、卵管炎と診断し、〔原告X6に対し、妊娠五週で、〕片方(右又は左)の〔卵管炎にり患している旨を告げ、〕一応流産止めの注射をしておくと言って、流産防止のためプロゲストンと扁桃腺の治療のためエリスロマイシン(抗生剤)及びメジプロP(せき止め)の注射をした。そして、原告X6の右の卵管炎はどうしたら治るかとの質問に対し、〔被告は、「胎児が一定程度に発育した段階で、薬物療法により治療することが望ましい。」旨説明した。〕

右の角括弧外の事実を認めることができる。<書証番号略>(被告の原告X6に対する診療録の一部)の記載中には被告が同日原告X6に対して子宮炎及び限局性腹膜炎にもり患していると診断した旨の部分があるが、右記載部分は、その下の原告X6の疾患の図示と合わないから、後日改ざんされた可能性が高いというべく、したがって採用することができない。他に右角括弧外の事実の認定を左右するに足りる証拠はない。

(3) 原告X6の流産と被告による子宮内容除去

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X6本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

原告X6は、その後も少量の出血が続き、同年一二月二二日まで、連日又は若干の間を置いて通院した。〔被告は、原告X6に対し、随時内診及び超音波診断を行い、プロゲストン等を注射及び経口により投与した。〕原告X6は、右超音波断層診断において、同年一一月上旬ごろの時点では異常がないと言われたが、同月二八日ごろの時点では四か月にしては少し小さ目だ言われ、同年一二月上旬ごろの時点では胎児が余りよく写っていなかったので様子を見ようと言われた。そして、〔同年一二月二二日、〕超音波断層診断等の結果、被告から、〔胎児死亡と診断され、〕掻爬のために入院を要すると言われて、〔同月二四日、入院し、〕子宮内容の〔掻爬を受けた。〕

右の角括弧外の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(4) 被告の原告X6に対する卵管炎、腹膜炎の診療

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、原告X6本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

被告は、右子宮内容除去術施行の直後、原告X6の夫とその母に対し、原告X6が左右卵管炎及び子宮炎にり患しており引き続き入院して治療することを要する旨告げた。しかし、原告X6の同日の血液学検査では、赤血球数、白血球数、ヘマトクリット及び血色素量はすべて正常値であり、生化学検査でも、TP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼ、アルカリフォスターゼ、尿素、ナトリウム、カリウム、クロール、A/Gはすべて正常値であり、体温も被告病院での入院を通じてほぼ平熱か平熱に近い微熱であった。〔被告は、原告X6に対し、連日ポタコール、タチオン等の点滴を行った。〕また、毎日のように回診して腹部を触診し、右子宮内容除去後二週間して例の時間的に長く激痛を伴う双合診をして、まだ治っていないと告げた。ちなみに、原告X6が被告の双合診によって受ける痛みは、頭の先から足の先まで激痛が走るというものであって、激痛に耐えかねて体を動かし、看護婦に体を押さえられたこともあるほどの異常なものである。被告は、昭和五五年一月六日ごろ、原告X6に対し、腹膜炎にもなっていることを告げた。原告X6は、熱もなく、腹痛もなく、健康体そのものであるのにそのような診断をするのはおかしいと思い、夫の兄の勧めもあって、同月九日、被告病院を抜け出して薬丸病院で受診したところ、診察した医師から「何ともない。」と言われた。原告X6は、この薬丸病院での診断により即刻にも被告病院を退院するため、同日午後五時過ぎ、夫並びに夫の母及び兄と連れ立って被告の自宅まで赴き、被告に対し、「東京の方の病院に移りたい。」との口実で退院許可を願い出た。被告は、それに対して明日内診してからと返答し、翌一〇日、原告X6に対し、今でも子宮炎等にり患していると思わせるために故意に激痛を伴う内診を行い、「ああもうだめだ。」と言い、手術を勧めた。しかし、原告X6が手術するにしてもしないにしても東京の病院に替わると言うと、被告は、東京の病院に行ってもこの病気を治せる人はいない、いたとしても外国に行ってしまった、私しか治せないなどと言ったが、原告X6の退院の決意が固いのを見て退院を許可したので、〔原告X6は、〕直ちに〔退院した。〕

右の角括弧外の事実を認めることができ、右認定に反する<書証番号略>(被告の原告X6に対する昭和五四年一二月一七日から昭和五五年一月一〇日までの診療録。ただし、<書証番号略>は、昭和五四年一二月二五日以降の分)の各記載部分は、前記七1(一)(4)の反証排斥における説示と同じ理由で採用することができないし、<書証番号略>(江東微生物千葉研究所の被告病院に対する原告X6についての臨床病理組織検査報告書)の記載中には、被告は原告X6の子宮内容除去をした際脱落膜及び絨毛らしいものを確認し、それを昭和五五年一月七日になって同研究所に対して提出し、病理組織学診断をしてもらったところ、脱落膜組織の残存であり、脱落膜には繊維の沈着がみられた旨の部分があるが、その所見の下には悪性変化ないし異型所見はみられないとの部分もある上、<書証番号略>に照らすと、いまだ右認定を左右するに足りるものとはいえないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(5) 原告X6の退院直後の他病院における診療

<書証番号略>及び右本人尋問の結果によれば、原告X6は、右退院直後、念のため同県木更津市三の二の二八所在の駒病院でも診察を受けた。同病院では、流産後子宮復故不全が認められるが腹膜炎等の手術の必要は認められないと診断され、子宮内容清掃術を受け薬を与えられただけで帰宅し、その後一度通院して再投薬の治療を受けたのみであったことを認めることができる。

(二)  被告の原告X6に対する債務不履行

被告が初診時に原告X6に対して診察の結果卵管炎と診断して胎児が一定程度に発育した段階における治療を勧めたこと、被告が昭和五四年一二月二四日に被告病院に入院中の原告X6の夫らに原告X6が左右卵管炎及び子宮炎にり患しているとして入院を継続して治療することを勧めたこと、そのため、原告X6が昭和五五年一月一〇日まで入院して被告の治療を受けたこと、被告が原告X6に対して右入院中の同月六日ごろに腹膜炎にり患していると告げ、原告X6が退院を願い出た翌日である同月一〇日にはその手術を勧めたこと、汎発性腹膜炎と診断する目安が熱発、腹痛及び白血球の増加の症状の出ることであること、慢性腹膜炎に特異性のものと非特異性のものがあって、非特異性のものはまれであり、特異性のものとして多いのは結核性腹膜炎で、その他淋菌性腹膜炎、肺炎双球菌性腹膜炎があること、結核性腹膜炎の症状としては、大部分は慢性に経過し、微熱、腹満感、鈍痛、便通異常、軽度の圧痛などの腹部局所症状のほかに貧血、全身倦怠、食欲不振、あるいは赤沈高進などの症状があること、限局性腹膜炎がそれが急性続発性のものであっても、症状は汎発性のものに比べて軽いことが多く、治療は膿瘍の処置に準じること、被告のいう子宮炎が子宮内膜炎、子宮筋層炎及び子宮外膜炎を一括して呼んだものであり、子宮内膜炎のうちの子宮体内膜炎には急性のものと慢性のものとがあるが、急性の非産褥性内膜炎のような独立した炎症は日常の臨床ではまれであり、慢性のものの診断は、試験掻爬術を行い、組織学的検査を行えば診断は容易に決定され、急性子宮頸内膜炎の代表というべきものは淋菌性で、この場合、軽度の発熱、下腹部痛、腰痛を訴えることが多く、慢性子宮頸内膜炎の症状は、帯下、腰痛、下腹部痛、膀胱障害などがあることは前記のとおりであり、<書証番号略>によれば、卵管炎を含む附属器炎や子宮内膜炎、筋層炎のような子宮内感染等を総称する女子骨盤内感染症すなわちPIDの症状、所見は、下腹部痛、骨盤痛、発熱、炎症部位の圧痛、腹膜刺激症状、白血球数増加、赤沈促進、CRP陽性化などであり、診断は比較的容易であることを認めることができる。しかしながら、原告X6が昭和五四年九月二八日に被告に対して診察を求めたのは、同年八月下旬以降月経がなく、少量の性器出血があったので、妊娠したのではないかと考えて、妊娠の有無を検査してもらうためであったのであり、原告X6の月経が順調で原告X6が月経痛や腰痛に悩んだようなことがないこと、原告X6が下腹部痛を訴えたとすればそれは、被告の乱暴ともいえる双合診によるものであって自発痛ではないこと、原告X6の同年一二月二四日の血液学検査の成績が、赤血球数、白血球数、ヘマトクリット及び血色素量においてすべて正常値であり、生化学検査の成績も、TP、MG、TTT、ZTT、トランスアミナーゼ、アルカリフォスターゼ、尿素、ナトリウム、カリウム、クロール、A/Gにおいてすべて正常値であり、体温も被告病院での入院を通じてほぼ平熱か平熱に近い微熱であったことも前記のとおりである。その上、前記八1(一)(2)の事実によれば、被告が同年九月二八日の時点で原告X6に対して細菌検査及び血液学検査、生化学検査ないし腹水中の白血球数の検査をしようとした形跡がないこと、被告が原告X6の赤血球沈降速度を測定しようとした形跡もないことを認めることができる。これらの事実によれば、被告が初診時に原告X5に対して治療適応の卵管炎と診断したことは誤りであったというよりは、それを作り上げたというべく、被告が原告X6に対して同年一二月二四日に入院治療適応の左右卵管炎及び子宮炎と、昭和五五年一月六日ごろに入院治療適応の腹膜炎と、同月一〇日に手術適応の腹膜炎等と診断したこともその延長線のことであるというべきであって(したがって、被告の原告X6に対する説明義務違反について判断をする必要がないというべきである。)、被告は、医療の名において原告X6の身体に違法な侵襲及び拘束を加えたものであるといわなければならない。

そうとすると、被告には右乱診に基づく入院治療すなわち前記のとおり流産による子宮内容除去術施行による入院は当日程度であるから昭和五四年一二月二五日以降の入院治療ばかりでなく、右初診時における妊娠、扁桃腺炎及び咽頭炎の点を除く診療も原告X6と被告との診療契約における被告の債務の不完全な履行として原告X6のそれによって被った損害を賠償する責任があるといわなければならない。

2  原告X6の損害

(一)  治療実費

原告X6は、被告に対して支払った治療実費が一五万七五四〇円である旨主張するが、<書証番号略>及び右本人尋問の結果によれば、原告X6は、被告に対し、昭和五四年一二月二四日から昭和五五年一月一〇日までの治療実費として一五万七五四〇円を支払っていること、しかし、そのうちには子宮内容除去の費用四万五〇〇〇円と、昭和五四年一二月二四日の入院差額料一〇〇〇円が含まれていることを認めることができるから、被告の原告X6との診療契約の債務不履行によって原告X6が被った治療実費は、一一万一五四〇円であるというべく、したがって、原告X6の右主張はその限度で理由があるが、その余は理由がない。

(二)  慰謝料

前記八1(一)の事実その他諸般の事情を総合勘案すると、原告X6の精神的苦痛、肉体的苦痛を慰謝すべき額は、二〇万円が相当である。

九原告X7の損害賠償請求について

1  被告の原告X7に対する医療過誤

(一)  被告の原告X7に対する診療経過

(1) 原告X7の健康状態

<書証番号略>及び原告X7本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告X7は、昭和二八年九月二九日に出生し、昭和五〇年四月に婚姻し、昭和五一年一月に長男を正常分べんで出産した。原告X7は、昭和五二年七月に急性膀胱炎になったことがあった。すなわち、原告X7は、同月二六日朝に左側腹部痛等に見舞われたので被告病院に赴いて野村玲子の診察を受け、膀胱炎と思われると診断されたが、その夜再び左側腹部痛が激しくなったので、同日午後九時三〇分、被告の診察を受けたところ、左側腹部痛以外には熱発がないにもかかわらず、急性腎盂炎と診断され、三週間の入院を勧められ、いったんは病室に入ったが、家に置いてきた長男の処置を済ませてくると言って帰宅し、夫に勧められて翌日念のために君津中央病院で診察を受けたところ、同病院では何ら異常がなく治療を要する疾病は認められないと診断されたため、原告X7は、夫を通じて、被告に対し、その旨を告げて入院を断ったことがあった。

右の事実を認めることができる。<書証番号略>(被告の原告X7に対する診療録の一部)の記載中には、原告X7に昭和五二年七月二六日午後九時三〇分の時点で三九度の熱があった旨の部分があるが、右記載部分は、原告X7本人尋問の結果に照らして採用することができない。そして、<書証番号略>の、原告X7の同日の細菌検査ではグラム陰性杆(かん)菌が105/ml検出された旨の記載部分は、<書証番号略>に照らすと、いまだ右認定を左右するに足りるものとはいえない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2) 原告X7と被告との診療契約の締結

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>及び原告X7本人尋問の結果を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X7は、昭和五四年六月六日、妊娠の診察を受けるために被告病院を訪れ、被告に対し、無月経、六か月以前からの黄色の帯下、外陰部そうよう感を訴えたところ、被告から、妊娠二か月、カンジダ膣炎、外陰炎と診断され、〕その治療のために通院して〔投薬を受けると共に以来被告病院で出産する予定で定期的に検診を受けていた。〕しかし、原告X7に対する同日の細菌検査では、カンジダは陰性である。

右の角括弧外の事実を認めることができる。<書証番号略>の記載中には、原告X7が昭和五四年六月六日に被告に対して軽い下腹部痛があり、一週間前から少量の性器出血が続いていることをも訴えた旨の部分があり、<書証番号略>(右診療録の一部)の記載中には、被告が同日原告X7に対してカンジダ膣炎、外陰炎のほかに切迫流産(の疑い)の診断をした旨の部分があるが、右各記載部分は、原告X7本人尋問の結果に照らして採用することができない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(3) 原告X7の定期検診と被告の慢性腎盂炎等の診断

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、右本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X7は、同年一二月二二日〕の定期検診において、〔被告に対し、〕前日に立っていると〔左側腹部に〕重いような鈍い〔痛みを感じた〕ので、その〔ことを話した。〕そうすると、〔被告は、側腹部を触診し超音波断層装置で下腹部及び左腎臓を撮影した上、慢性腎盂炎と診断し、〕三か月間の治療を要すると告げた。原告X7は、胎児のことを考え、その治療は出産後にして欲しいと述べ、被告の了解を得た。原告X7は、被告の右診断に不審を持ち、同月二七日ごろ、薬丸病院で診察を受けたところ、何でもないと言われた。しかし、原告X7は、自宅のすぐ近くにある被告病院が小児科を併設しており、長男やこれから生まれる子がかかることもあることを考え、被告病院で出産することにした。被告は、昭和五五年一月七日の定期検診において、原告X7に対し、妊娠中毒症と診断している。原告X7に(+)の浮腫があることによる診断であるが、糖及び尿蛋白は(−)であり、血圧は収縮期一二二、拡張期八〇である。また、血液学検査の成績は、赤血球数、白血球数、ヘマトクリット及び血色素量においてすべて正常値であった。原告X7は、同月二一日の定期検診において、被告に対し、長い時間立っていると右側腹部に重いような鈍い痛みを感じたので、そのことを訴えた。被告は、診察し、右側腹部に腫ちょうを認め、妊娠中毒症、附属器炎、限局性腹膜炎、カンジダ膣炎と診断したが、原告X7に対しては、帯下が多い、一応洗浄しようとのみ告げている。しかし、原告X7に(+)の浮腫はあったが、糖及び尿蛋白は(−)であり、血圧は収縮期一二六、拡張期七〇である。また、細菌検査では、カンジダは陰性である。

右の角括弧外の事実を認めることができ、<書証番号略>(右診療録の一部)の・原告X7が同月一四日に被告に対して左側腹部痛を訴えた旨の記載部分は原告X7本人尋問の結果に照らして採用することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(4) 原告X7の出産と被告のその後の原告X7に対する診療

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>及び右本人尋問の結果を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔原告X7は、昭和五五年一月二四日、被告病院において〕体重三〇四〇グラムの〔長女を〕正常分べんで〔出産した。〕被告は、その日から、原告X7に対し、附属器炎、限局性腹膜炎及び慢性腎盂炎の治療として、点滴でポタコールR、タチオン、ビタミンC、フラッド及びシーティー二グラムの、経口でセポール四錠、キモタブ及びアクチムの各投与を開始した。〔原告X7は、〕被告に対し、右治療を入院したまま続けることは家に四歳の長男と生まれたばかりの長女を残すことになるから困難である旨を述べ、通院による治療を強く希望したところ、被告もそれを認めたので、〔同月三一日に退院し、同年二月一日から毎日被告病院に通院し、一日一時間半程度ポタコール、ビタミンC、タチオン、フラッド、シーティー〕二グラム〔などの点滴による治療を受けた。〕被告は、同月二日になってから同年三月三一日までの間に、頻繁に原告X7の尿沈渣をしているが、白血球数は同日を除いて〇〜二個で同日のみ八個であり、上皮は扁平上皮が〇〜二個であって、腎上皮については検査をしていない。原告X7は、同年二月二五日の出産後の一か月検診の際、被告に対し、前の右側腹部の痛みのことを話したところ、〔被告は、原告X7を内診して〕子宮内膜症にもり患していると診断した。そして、原告X7に対し、子宮内膜症について図を書きながら子宮摘出手術が必要である旨告げた。原告X7は、その場で右手術について承諾することを避けて帰宅し、医学辞典で調べて保存的治療も可能であることを知ったので、翌日、被告に対して薬による適切な治療をすることを求めたところ、被告は、それを了承した。ちなみに、被告の原告X7に対する同年一月二四日以降の診療録には、同年二月二五日の分に子宮と思われる絵が描かれ子宮の右側に炎症を表わしたかの如きものが書かれているものの、子宮内膜症その他子宮についての疾病の記載は一切ないが、被告病院の原告X7についての同年三月二日からの病床日誌の診断の欄には、それまでの慢性腎盂炎、限局性腹膜炎、カンジダ膣炎、附属器炎に加えて子宮炎が記載されるようになった。なお、原告X7に対する同月二八日の血液学検査の成績は、白血球数、赤血球数、血色素量、ヘマトクリット、平均赤血球容積、平均赤血球血色素量及び平均赤血球血色素濃度においてすべて正常値であったが、生化学検査の成績は、TP、ZTT、トランスアミナーゼ、アルカリフォスターゼ、尿素、及びA/Gはいずれも正常値であったものの、MG、TTT及びクロールはいずれも正常値よりやや高く、カリウム及びクロールは共に正常値よりやや低かった。しかし、同年三月八日の生化学検査では、それらもTTTを除いて正常値になり、同月一八日の生化学検査では、それも正常値になっている。また、同年二月一二日及び同年三月三日の各細菌検査では、それぞれグラム陰性杆菌が103/ml検出されているが、同年一月二四日、同年二月二日、同月二二日、同年三月一四日、同月三一日及び同年四月一二日の各細菌検査では一般菌塗抹及び培養共陰性である。そして、右グラム陰性杆菌の感受性検査では、ミノマイシンはであったが、セハロジンは(−)であった。〔被告は、同年三月初め以降も、原告X7に対し、一日一時間半程度ポタコール、ビタミンC、タチオン、フラッド、シーティー〕二グラム〔などを点滴し、〕同年二月二五日からはセポールに変えてメタコリマイシンを、同年三月八日からはそれに変えてミノマイシンを経口で投与し、〔同月二四日及び同年四月一二日に原告X7を内診し、一〇日に一度程度の採尿の際とたまたま原告X7が点滴しているときに回診があった際に原告X7を診察した〕のみで、従前の治療方法と全く変わりがなかった。かえって、原告X7に対する同月三一日の細菌検査ではカンジダが(+)になっている。原告X7は、被告が腎盂炎について連日全く同じ内容の点滴を続けるばかりで他にこれというほどの治療行為もせず、子宮内膜症と診断した後も点滴の内容が変わらなかったことや、通院して三か月近く経っても治癒の見込みが立たないことに不審を抱き、同年四月二一日に薬丸病院に赴いて医師林晴男の診察及び尿検査を受けたところ、腎盂炎にも子宮内膜症にもり患していないとの診断であったため、以後、被告に無断で被告病院への通院を打ち切った。

右の角括弧外の事実を認めることができる。<書証番号略>(被告の原告X7に対する昭和五五年二月一日から同年三月二一日までの診療録)の各記載部分は前記七1(一)(4)の反証排斥における説示と同じ理由で採用することができない。<書証番号略>(被告病院の看護日誌の一部)、<書証番号略>(被告病院の原告X7についての病床日誌の一部)の・原告X7が同年二月一日から引き続いて入院し、同年四月二一日に退院した旨の記載部分は、<書証番号略>(被告の原告X7に対する同年一月三一日退院許可の記載がある。)、<書証番号略>(原告X7の病床日誌の同年二月一日の食餌欄に食止めの記載があり、同年四月二一日までの同欄に何らの記載もない。)及び原告X7本人尋問の結果に照らして採用することができない。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  被告の原告X7に対する債務不履行

被告が昭和五四年六月六日に原告X7に対して診察の結果カンジダ膣炎と診断したが、同日の細菌検査ではカンジダが陰性であったこと、被告が同年一二月二二日に原告X7に対してその主訴、側腹部の触診及び超音波断層診断のみで、二年前の原告X7に対する自らの急性腎盂炎の診断が他の病院では否定されたことを知りながらなお慢性腎盂炎と診断して三か月間の治療を勧めたこと、原告X7が被告の右診断に不審を抱いて同月二七日ごろ他の病院で診察を受けたところ、何でもないと言われたこと、被告が昭和五五年一月二一日に原告X7に対してその主訴及び視診ないし触診程度の診察で附属器炎、限局性腹膜炎及びカンジダ膣炎と診断したが、このときも細菌検査ではカンジダが陰性であったこと、原告X7が同月二四日に長女を正常分べんで出産していること、被告が同日から原告X7に対して慢性腎盂炎、附属器炎及び限局性腹膜炎の治療を開始したこと、原告X7が同年二月一日からは同年四月二一日まで連日被告病院に通院してその治療を受けたこと、被告が同年二月二五日に原告X7から以前の右側腹部痛の話を聞いて内診の上それだけで子宮内膜症であると診断し、原告X7に対してその旨を告げて子宮摘出手術を勧めたこと、もっとも、被告の右診断の病名は原告X7が子宮(内膜)炎を聞き間違えた可能性もあること、原告X7が同年四月二一日に他の病院で診察及び尿検査を受けたところ、腎盂炎でも子宮内膜症でもないとの診断であったこと、汎発性腹膜炎と診断する目安が熱発、腹痛及び白血球の増加の症状の出ることであること、慢性腹膜炎に特異性のものと非特異性のものがあって、非特異性のものはまれであり、特異性のものとして多いのは結核性腹膜炎で、その他淋菌性腹膜炎、肺炎双球菌性腹膜炎があること、結核性腹膜炎の症状としては、大部分は慢性に経過し、微熱、腹満感、鈍痛、便通異常、軽度の圧痛などの腹部局所症状のほかに貧血、全身倦怠、食欲不振、あるいは赤沈高進などの症状があること、限局性腹膜炎がそれが急性続発性のものであっても、症状は汎発性のものに比べて軽いことが多く、治療は膿瘍の処置に準じること、被告のいう子宮炎が子宮内膜炎、子宮筋層炎及び子宮外膜炎を一括して呼んだものであり、子宮内膜炎のうちの子宮体内膜炎には急性のものと慢性のものとがあるが、急性の非産褥性内膜炎のような独立した炎症は日常の臨床ではまれであり、慢性のものの診断は、試験掻爬術を行い、組織学的検査を行えば診断は容易に決定され、急性子宮頸内膜炎の代表というべきものは淋菌性で、この場合、軽度の発熱、下腹部痛、腰痛を訴えることが多く、慢性子宮頸内膜炎の症状は、帯下、腰痛、下腹部痛、膀胱障害などがあること、附属器炎や子宮内膜炎のような子宮内感染等を総称する女子骨盤内感染症すなわちPIDの症状、所見は、下腹部痛、骨盤痛、発熱、炎症部位の圧痛、腹膜刺激症状、白血球数増加、赤沈促進、CRP陽性化などであり、診断は比較的容易であること、細菌感染症の治療において抗生物質等の抗菌薬を投与するときは、急性の尿路感染症であれば三日、慢性のそれであっても五日投与して無効であれば、その抗菌薬の投与法はその細菌に対して不適切であると見切りをつけるべきであるとされており、加えて、抗生物質を長期間使用すると、膣内のカンジダ菌が菌交代現象によって異常に増殖してカンジダ膣炎になることがあることは前記のとおりであり、慢性腎盂炎の診断が難しいものであることについては当事者間に争いがないところ、<書証番号略>及び弁論の全趣旨を総合すると、慢性腎盂炎の症状は、多尿、発熱などであり、その診断は、尿からの細菌培養、尿沈渣での尿中の白血球の増多、CRP検査などにより、その治療は、起炎菌の感受性のある抗生物質の短期間における大量使用であることを認めることができる。しかしながら、原告X7が昭和五四年六月六日に被告に対して診察を求めたのは、月経がなかったので、妊娠したのではないかと考えて、妊娠の有無を検査してもらうためであったのであり、原告X7の主訴が無月経、六か月以前からの黄色の帯下及び外陰部そうよう感であったことも前記のとおりである。その上、前記九1(一)(3)の事実によれば、被告が同年一二月二二日の時点で原告X7に対して多尿、発熱などの問診及び尿からの一般菌の培養検査、尿沈渣の検査、CRP検査を含む生化学検査などをしようとした形跡がないこと、被告が原告X7に対する昭和五五年一月七日の血液学検査で白血球数が正常値であることを知っていたこと、被告が同月二一日及び同年二月二五日の各時点で原告X7に対して細菌検査、血液学検査、生化学検査ないし腹水中の白血球数の検査をしようとしたり赤血球沈降速度を測定しようとした形跡もないことを認めることができる。前記九1(一)(1)ないし(3)の事実を含む以上の事実によれば、被告が昭和五五年六月六日に外陰炎と診断したことは正当であり、また、原告X7が同年一二月二二日ごろに膀胱炎にり患したのではないかとみられるが、被告が原告X7に対して昭和五四年六月六日の時点でカンジダ膣炎と、同年一二月二二日の時点で治療適応の慢性腎盂炎と、昭和五五年一月二一日の時点で治療適応の附属器炎、限局性腹膜炎及びカンジダ膣炎と、同年二月二五日の時点で手術適応の子宮内膜炎又は子宮内膜症とそれぞれ診断したことは誤りであったというよりは、それを作り上げたというべきであり(したがって、説明義務違反の以前の問題であるから、それについて判断することを要しないというべきである。)、また、同年三月三一日ごろには長期にわたる抗生物質の投与によりカンジダ膣炎を誘発させたというべきであって、被告は、遅くとも同年二月一日以降の通院による診察、投薬等については医療の名において原告X7の身体に違法な侵襲を加えたものであるといわなければならない。

そうとすると、被告には、右の同日以降の乱診に基づく通院治療について原告X7と被告との診療契約における被告の債務の不完全な履行として原告X7のそれによって被った損害を賠償する責任があるといわなければならない。

2  原告X7の損害

(一)  治療実費

原告X7は、被告に対して治療実費として三三万三〇五〇円を支払った旨主張し、原告X7本人の供述中には原告X7は被告に対して三三万円ないし三四万円ぐらいの治療実費を支払った旨の部分があるが、右のとおり被告の原告X7に対する診療契約に基づく債務不履行は同日以降の通院によるものに限定されるべきであるところ、右金額のうちどの部分が被告の債務不履行に基づくものであるかを特定することができないから、原告X7の右主張は理由がないといわざるを得ない。

(二)  慰謝料

前記八1(一)の事実その他諸般の事情を総合勘案すると、原告X7の精神的苦痛、肉体的苦痛を慰謝すべき額は、五〇万円が相当である。

一〇原告らの被告に対する本件訴状の送達

被告に対する原告X1、同X2、同X3及び同X4の本件訴状が昭和五六年四月三〇日に、原告X5、同X6及び同X7の本件各訴状が同年八月七日にそれぞれ送達されたことは本件訴訟記録上明らかである。

一一結論

よって、原告らの各本訴請求中、原告X1及び同X3の各請求と、原告X2の五六三万〇六五〇円、同X4の六三三万五七〇〇円、同X5の二〇八万一三三〇円、同X6の三一万一五四〇円及び同X7の五〇万円並びに原告X1、同X2、同X3及び同X4の各金員に対する昭和五六年五月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員、原告X5、同X6及び同X7の各金員に対する同年八月八日から各支払済みまで年五分の割合による金員の各支払を求める部分はいずれも理由があるから認容し、原告X2、同X4、同X5、同X6及び同X7のその余の各請求はいずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官並木茂 裁判官春日通良 裁判官本間健裕は、転補のため署名・押印することができない。裁判長裁判官並木茂)

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