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千葉地方裁判所 昭和61年(ワ)39号 判決 1988年3月23日

原告 甲野太郎

被告 国

右代表者法務大臣 林田悠紀夫

右指定代理人 竹澤雅二郎

<ほか六名>

被告 中村勲

<ほか一名>

被告ら三名訴訟代理人弁護士 中村勲

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、原告に対し金一四八五万八〇〇〇円及び内金四八五万八〇〇〇円に対する昭和四四年八月一三日から完済に至るまで年一四・八パーセントの割合による金員、並びに、内金一〇〇〇万円に対する昭和五九年九月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四四年二月一三日父甲野松太郎の死亡により同人の遺産である農地及び家屋等を相続した(以下「本件相続」という。)が、右遺産のうち千葉県香取郡《番地省略》外三筆の農地は、昭和四一年七月に建設が決定された新東京国際空港の建設予定地内に所在していた(以下右農地を「本件農地」という。)。

2  被告

(一) 被告国は、大蔵省の下に国税庁を設け、千葉県成田市域について成田税務署を設置し、国税事務を処理させているものである。

(二) 被告中村勲(以下「被告中村」という。)、同松戸亮(以下「被告松戸」という。)は、昭和四四年当時いずれも成田税務署に勤務する国家公務員で、被告中村は署長、被告松戸は直税課資産税相談係長の地位にあった。

3  (不法行為)

(一) 被告松戸の不法行為

(1) 原告は、本件相続に伴う相続税の申告のため申告期限の最終日である昭和四四年八月一三日、遠藤英夫税理士とともに成田税務署に赴いた。

原告は、同署で応対した被告松戸に対し、「相続税の申告をしたいが空港予定地を差別しないでやって欲しい。」旨述べたところ、被告松戸はこれをうなづいて了承した様子を示したものの「書くのは大変でしょう」と言いながら勝手に申告書の所要事項を自ら全部記載した。ところが、右記載にかかる相続税額は、他の一般の相続税・財産評価基準によらず、「買収予定価額」を基準にして算定されており、額が五三三万五〇〇〇円であったので原告は「それは高すぎる。計算の基準が違う。」と抗議した。

被告松戸は、原告の異議に対し、「今日はもう遅いから直せない。」「あとで直すことができるから、ともかく今日は私の書いたものを出してほしい。」「今日出しておかないと延滞税がとられる。」などと言って原告に押印を強要した。

原告は、被告松戸の右言動により、一方では「買収予定価額」によらない納税申告があらためて可能であると誤信するとともに、他方では予期しない不利益を強いられることを怖れ右申告書(以下「本件申告書」という。)に署名押印し提出した(以下同申告書による申告を「本件申告」という。)。

(2) 被告松戸は、原告が、空港予定地内の土地を相続したこと、「買収予定価額」で算定された不当に高い相続税を課せられることに反対していたこと、及び右同日が原告の申告期限の最終日であることを知っていたのであるから、税法上の専門知識を有する公務員として原告に対し原告の意向に添った形での申告が可能であることを告知し、その方法を指導すべき義務を有していた。すなわち、原告の意向である本件農地についても「買収予定価額」を基準にしないで相続税額を算定する方法で申告書を記載し、もしそれが税務署の算定基準の評価と違うのであれば申告後に税務署の処分として更正処分を行えばよいはずであった。しかるに被告松戸は右義務に違反し、原告に損失を負わせる目的で右(1)の言動に出た。

(二) 被告中村の不法行為

(1) 原告は、昭和四四年九月上旬ころ、本件申告書を訂正するために、合計四回にわたり成田税務署を訪れた。

一回目及び二回目は原告一人で行き、窓口職員に対し、本件申告を更正して貰いたい旨を述べたが、その際被告中村は、原告が昭和四四年八月一三日に被告松戸の行為によって「買収予定価額」による納税申告を強いられたこと及び原告が右納税申告に強い不満をもち更正請求の手続を取りたい旨の意思をもっていたことを被告松戸などの成田税務署の署員から報告を受けて知っていながら窓口職員に指示して、同人らをして原告に対し「提出した以上、納税申告書は直せない」旨回答させた。

(2) 原告は、三回目には当時参議院議員であった加瀬完(以下「加瀬議員」という。)を同行して成田税務署を訪れた。被告中村が応対したので原告と加瀬議員は、被告中村に対して「同年八月一三日提出の本件申告書は、原告の意思と全く違うものである。事実にも反している。直ちに書き直してもらいたい。原告は成田空港建設に反対しており、公団の買収に応ずるつもりは全くない。従って、税務署も当然一般農地並みで取り扱うべきである。」旨申し出た。この時被告中村は原告の申告書作成については、「税務署にも問題があったようですね。」とあたかも原告の申し出を承認するかのような言い方をしながら、具体的な更正請求手続については何らの指導もせず、原告の持参した「異議申立ての理由」と題する文書につき、「正式の文書で出して欲しい」と言ったのみであった。そのため、原告は、後日異議申立書を提出すれば、本件申告が訂正されるものと誤信した。

(3) 原告は、同年九月一九日、朝日新聞社の松本記者を同行し、適法な更正請求の内容を有する異議申立書を持参し、成田税務署を訪れた。

しかし、被告中村は、「正式の文書で出して欲しい」旨の前言を翻し、受付職員をして受取拒否の態度をとらしめた。松本記者に説得され、ようやく異議申立書を受け取ったが、その後何ら調査せず、右書面の頭書名が異議申立書であることを唯一の理由にして、更正の申立てとしては受理せず異議申立書として国税局長に回送した。

(4) 右(1)及び(2)の各行為は、いずれも、被告中村が国税通則法二三条の「更正の請求」の手続について納税者たる原告に対し、指導ないし教示すべき義務を有しながらそれに違反し、原告の更正請求期間の徒過することを目的として故意に行ったものであり、(3)の行為は、国税通則法二四条の職権による調査及び更正をなすべき義務に違反したものである。

4  損害及び因果関係

(一) 相続税本税及び延滞税相当額

(1) 原告は、前記3(一)のとおり昭和四四年八月一三日、被告松戸の行為により相続税額五三三万五〇〇〇円と記載した本件申告書を提出させられ同(二)のとおり被告中村の行為により更正請求を妨げられ、同請求期間を徒過せしめられた。

原告は、昭和四四年九月二二日、成田税務署に、本件農地を空港建設予定地外の土地と同様に評価して算出した相続税額四七万七〇〇〇円を納付したが、成田税務署は、昭和四八年一一月二一日、相続税本税四八五万八〇〇〇円と延滞税の徴収として、原告所有の香取郡大栄町新田字道印田台一五五番、同一五六番及び同一六七番の山林合計三五〇三平方メートルを差押えた(以下「本件差押処分」という。)。

原告は、昭和四八年一二月二七日、本件差押処分に対し異議申立てをし、昭和五一年一月一九日、成田税務署長を被告として本件差押処分の取消を求め、東京国税不服審判所長を被告として本件差押処分に対する裁決の取消を求める訴え(東京地方裁判所昭和五一年(行ウ)第七号不動産差押処分等取消請求事件、以下右訴えを「前訴(一)」という。)を提起した。さらに、昭和五三年三月一六日、本件申告書に基づく五三三万五〇〇〇円の相続税債務(以下「本件相続税債務」という。)の不存在を求め、国を被告として訴え(同裁判所昭和五三年(行ウ)第二七号相続税債務不存在確認請求事件、以下右訴えを「前訴(二)」という。)を提起した。右各訴えは併合審理され、同裁判所でいずれも請求棄却の判決を受けた。東京高等裁判所に控訴したが控訴棄却の判決があり上告したが、昭和五九年九月一八日、最高裁判所で上告棄却の判決があり確定した。(なお、原告は、昭和五九年一〇月一七日、再審請求を東京高等裁判所に提起したが同裁判所で再審却下の判決があり、上告したが昭和六〇年一二月一九日、最高裁判所で上告棄却の言渡しがあった。)。

(2) 原告の本件相続税債務は、昭和四四年二月一三日に原告の父甲野松太郎が死亡し、原告に相続が開始された時に抽象的な納税義務として発生し、同年八月一三日の本件申告によって第一次的にその額が確定し、同年九月一三日更正期間の一か月(当時)が過ぎ、成田税務署の更正処分もなされないことによって第二次的に確定し、昭和五九年九月一八日に前記二つの訴えにつき最高裁判所で上告棄却の判決によって最終的に額が確定したものである。

したがって、本件相続税債務額と前記3の被告松戸及び同中村の行為との間には密接不可分の関係がある。同様に両被告の行為による本件差押処分に基づき原告の土地は公売される可能性がある。よって、原告は、まず本件相続税債務と原告が納付済みである適正な相続税額四七万七〇〇〇円の差額の四八五万八〇〇〇円(相続税本税相当額)とこれに対する昭和四四年八月一三日以降の年一四・八パーセントの割合による金額(延滞税相当額)相当の損害を蒙った。

(二) 違法状態の回復のために支出した費用

また、原告は、被告らの行為によって負わしめられた本件相続税債務を撤回させ、憲法により保障された基本的人権を守るため一六年間にわたり裁判所、法律事務所などに出向かざるを得ず、そのため、金四〇〇万円を下らない出費を余儀なくされた。

(三) 慰藉料

原告が一六年間にわたり違法状態におかれた苦痛は言語に絶するものでありその精神的損害は金四〇〇万円を下らない。

(四) 弁護士費用

原告は、本訴提起に際し、原告代理人であった弁護士に対し、弁護士費用として金二〇〇万円の支払を約した。右金員は、原告が被告らの前記不法行為により蒙った損害であるから被告らにおいてこれを賠償すべき義務がある。

5  被告らの責任

(一) 被告松戸、同中村は、前記記載の理由によって、各々民法七〇九条により原告に対し不法行為責任を負うものである。

なお、国家賠償法一条によって国又は公共団体が賠償責任を負担する場合であっても、次の理由から加害公務員は被害者に対し、直接損害賠償責任を負うと解すべきである。

(1) 民法では機関個人又は被用者自身の被害者に対する直接責任を認めているので、加害者が公務員であるという理由だけで異なる取扱いをすべき必要がない。

(2) 国家賠償法においては公務員の職権濫用に対して民衆による監督作用を営むことが期待されているが、公務員個人に対する直接の賠償請求は右の趣旨の具体的なあらわれとして尊重されるべきである。

(3) 国家賠償法の求償権の制度は軽過失の場合を除外しているが、求償権はそもそも国又は公共団体と公務員との内部関係の問題であるから、右の軽過失の除外は対外関係を拘束するものではない。

(二) 被告松戸、同中村は公権力を行使する国家公務員であり、その職務を行うにあたり前記不法行為をなしたものである。よって、被告国は国家賠償法一条により責任を負う。

(三) 各被告の責任は民法七一九条の共同不法行為責任の関係にある。

6  よって、原告は、民法七〇九条、国家賠償法一条、民法七一九条による不法行為損害賠償請求権に基づき、被告らに対し被告らが連帯して原告に対し金一四八五万八〇〇〇円及び内金四八五万八〇〇〇円(相続税本税相当額)に対する昭和四四年八月一三日以降右完済に至るまで延滞税率相当の年一四・八パーセントの割合による金員、並びに、内金一〇〇〇万円に対する前訴(一)及び(二)の判決確定の日の翌日たる昭和五九年九月一九日以降右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1、2の各事実は認める。

2(一)  同3(一)については、(1)のうち原告が昭和四四年八月一三日、遠藤英夫税理士とともに成田税務署に来署したこと、右日時は本件相続にかかる相続税の法定申告期限の期限日であったこと、及び同署において被告松戸が応対した事実は認め、その余の事実は否認する。

(二) 同3(二)の事実は否認する。

3(一)  同4(一)(1)のうち、原告が昭和四四年八月一三日、被告松戸の行為により相続税額五三三万五〇〇〇円と記載した本件申告書を提出させられたこと、及び被告中村の行為により更正請求を妨げられ同請求期間を徒過せしめられたことは否認し、その余の事実は認める。

(二) 同4(一)(2)、(二)、(三)及び(四)の主張は争う。

4  同5の主張は争う。

5  被告らの反論

(一) 公務員による不法行為の不存在

(1) (被告松戸の不法行為の不存在)

遠藤英夫税理士は、被告松戸に対し、「今日が原告の申告期限であるが申告書を書いてやれないので、本人を連れてきた。」と話し、原告をその場に残して立ち去った。原告もまた、ひとりで申告書を作成することは大変であるとの様子を示したので被告松戸は、申告書の代筆を依頼されたものと考え、これに応じてやることとし、原告が持参した戸籍謄本、相続財産に係る固定資産税評価証明書及び被相続人の氏名住所等のみを記入してある申告書用紙等を提出させたうえ、主として右固定資産税評価証明書の記載に基づき、原告とも適宜問答しながら、申告書中の相続財産の明細欄等の記入を進めた。

空港建設予定地内の土地については予定地外の土地とは異なる特別の地目別標準価額(坪当たり宅地四六六〇円、田三五七〇円、畑三二六〇円、山林二六八〇円)が東京国税局が定めた評価基準により定められていたので、相続した土地が空港建設予定地内にあるかどうかを原告に確めたところ、原告は、空港建設は自分とは関係がない旨答えた。しかし、被告松戸は、同税務署備付の地図と照合して空港建設予定地内に所在することが確認された農地については、右評価基準に従ってその価額を記入し、これらの価額を基礎として相続税額を五三三万五〇〇〇円とする申告書を作成した。この間、原告は被告松戸の机の向い側に坐っており、同被告が誤って空港建設予定地外にある土地にも右評価基準による価額を付したのに対し、その誤りを指摘して訂正させたりした。また、原告は、相続税額が五三三万五〇〇〇円と算出されたことについて高すぎるとして疑問あるいは不服を述べたが、被告松戸が農地を評価基準により評価すれば右の額になるとし、申告に誤りがあったときはあとで修正申告や更正の請求によって是正することができる旨説明して、同日中に申告書を提出するようすすめたところ、原告は、一応納得し、申告書に署名押印してこれを提出した。

なお、申告を終えた原告は、被告松戸のすすめに従って、申告に係る相続税の年賦延納の手続をとることとし、同被告の案内で直ちに同税務署の担当係に行き、申告税額のうち現金納付をする三三万五〇〇〇円を除いた五〇〇万円につき昭和四四年から一〇年間で五〇万円ずつ分納する旨の相続税延納申請書兼徴収猶予申請書を提出した(ただし、この申請は、原告が所定の担保の提供をしなかったので、後日却下された。)。

以上のとおり、被告松戸の行為は、詐術的言辞を用い又は強要して原告に対し、真意にあらざる申告をさせたものではない。

(2) (被告中村の不法行為の不存在)

原告は、昭和四四年九月一日、成田税務署に署長(被告中村)に面会を求めて来署したが、被告中村は面談せず、上席調査官が面接した。その際、原告からは「被相続人の死亡前の意思もあり空港への売渡しには反対である。政府の施策による空港計画により財産評価が上昇することは困る。」旨の意見が述べられた。これに対し調査官は、時価より低い評価基準により評価しており、公平な立場であることを説明した。なお、この際、原告から相続税の年賦延納申請が出ていることに関し、これが納税者に有利な制度であることを説明したところ、原告もこれを納得し、後日相続登記が終わり次第、土地の権利証、印鑑証明書を持参して延納申請に必要な書類の補完をする旨を約して帰宅した。

右同日ころ、加瀬議員は、東京国税局長に面会を求め、原告の前記相続税申告に関し、空港公団の買収価格が売買実例とはいえず、当局の評価基準が不当である旨述べて、これについての善処方を陳情した。これに対し、東京国税局担当官は、同月四日、加瀬議員に、当局の評価基準は相当であり、原告の相続税申告についてその基準によらないこととする余地はない旨を回答した。

同月八日成田税務署は、前記相続税額のうち延納申請の対象となっていない金三三万五〇〇〇円が未納である旨の督促状を原告宛に発送した。

同月一二日、朝日新聞の松本記者が成田税務署に来て、原告の相続税に関して取材を求めたので、同署総務係長及び上席調査官が面接したが、当局は、「納税者個人のことに関しては税法上の守秘義務との関係上取材に応じ難い」旨を説明し、一般的な空港建設予定地内にかかる評価基準についての説明に止めた。

同月一九日、原告は松本記者を同行して成田税務署に来署し、同日付けの異議申立書を提出したので、同署はこれを受理した。

同月二四日、加瀬議員が原告を同伴して東京国税局長に面会を求め、右異議申立書添付の「異議申立ての理由」とされている部分を提出し、原告の相続税申告に関する対象土地についての評価額の善処方を陳情した。これに対し、同国税局担当官は、同月二九日、加瀬議員を訪ねて、陳情の件につき、要望に沿い難い旨を回答したが、加瀬議員は、評価基準の不適用について、再度検討してほしい旨を重ねて要請した。

以上のとおり、本件の経過にあらわれた原告の意図は、その相続税額に関し、国税当局が定めている評価基準に依らないもので税額を算出してほしいという原告の一方的な要望としての陳情にすぎず、被告中村の行為は、原告の更正請求を受付けなかったとか、更正請求期間を徒過させたとかいわれるべきものではない。また、被告中村において、原告の相続税の申告内容が本件農地の評価額について適正なものであると判断し、この判断に一見して明白かつ重大な過誤がない以上、申告内容に過誤があることを前提とした、その是正のための手続である更正の請求の手続があることを教示しなければならないものではなく、また、その旨の手続をとることを行政指導しなければならないものではない。

なお、昭和四四年九月一九日付けの原告提出の「異議申告書」を仮に更正の請求とみるとしても、昭和四四年当時における国税通則法二三条は、納税申告書に関する更正の請求は、法定申告期限から一か月以内に限っていたのであるから既に右の期限を徒過した後の不適法なものである。

また、税務署長たる被告中村が国税通則法二四条に基づいて職権更正をなすべき義務がないことは、同被告が原告の当初の相続税申告に基づく本件農地の評価額が適正なものと判断し、したがって原告からのその後の「右評価額が高すぎる」との申出については理由がないと思料する以上当然のことである(ちなみに、同被告の本件農地の評価額が相当であることは、前訴(一)、(二)の判決の確定により明らかである。)。

(二) 因果関係の欠如

(1) 相続税本税のうち四八五万八〇〇〇円について

本件相続に関し、原告に対し、相続税債務五三三万五〇〇〇円が生じることになることは前訴(二)の確定判決により明らかであり、右の相続税債務中、原告の納得しない部分を目して損害であるとする原告の主張は、失当である。

(2) 違法状態の回復のために支出した費用について

原告主張の費用というものは、本来違法というべくもない行政庁の行為に関し、独自の誤った見解に基づいてそれが違法であると主張して自己の判断で提訴等に出費したものであり、因果関係はない。

(3) 慰藉料、弁護士費用について

これらの費用も、行政庁の違法にあらざる行為を独自の見解で違法と主張することにより生ずるというものに過ぎず、そこに因果関係はない。

(三) 被告松戸、同中村の損害賠償責任の不存在

公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、当該公務員の所属する国がその被害者に対して賠償の責めに任ずるのであって、公務員個人は民法七〇九条による損害賠償責任を負わない。

したがって、被告松戸・同中村に対する本訴損害賠償請求は、それ自体失当として理由がない。

三  抗弁(消滅時効)

1  原告主張の被告松戸・同中村の不法行為はいずれも昭和四四年中に生じたものである。国家賠償請求権の消滅時効は民法七二四条によるが、ここに「加害者を知る」とは、原告主張の不法行為をなした者が成田税務署職員であることが原告に判明していれば充分であるところ、右は原告主張の不法行為時に直ちに判明していた。

2  申告納税制度の下における租税債務は、申告によって具体的な租税債務が確定し直ちに租税債権としての執行力が付与されるので原告の本件相続税額も、その申告がなされた時点で確定しているし、原告の主張する更正請求の期間を徒過せしめられたという点も、その時点で直ちに損害に結びつくものといえる。したがって前訴(一)、(二)において原告が敗訴したことにより、原告の主張する不法行為に基づく損害が確定したという関係にはならない。

3  右1の行為の後である昭和四四年末から起算して三年が経過した昭和四七年末の時点で本訴損害賠償請求権は時効により消滅した。

4  被告らは右時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

争う。

前訴(一)、(二)において、もし原告が勝訴すればそもそも不法行為による損害は発生しない。また、税法理論に照らしても本件の相続税債務額が最終的に確定するのは前訴(一)、(二)の確定時である。したがって、原告が損害を蒙ったことを確実に知ったのは前訴(一)、(二)につき最高裁判所で上告棄却の敗訴判決があった昭和五九年九月一八日である。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1及び2の各事実は当事者間に争いがない。

二  まず、被告松戸及び同中村に対する民法七〇九条に基づく損害賠償請求につき判断する。

公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、当該公務員の所属する国がその被害者に対して賠償の責めに任ずるのであって、公務員個人は民法七〇九条による損害賠償責任を負わないと解するのが相当である(最高裁昭和二八年(オ)第六二五号、同昭和三〇年四月一九日第三小法廷判決・民集九巻五号五三四頁、最高裁昭和三七年(オ)第二四八号、同昭和四〇年三月五日第二小法廷判決・裁判集民事七八号一九頁、最高裁昭和四〇年(オ)第四〇一号、同四〇年九月二八日第三小法廷判決・裁判集民事八〇号五五三頁、最高裁昭和四六年(オ)第四二五号、同昭和四六年九月三日第二小法廷判決・裁判集民事一〇三号四九一頁、判時六四五号七二頁、最高裁昭和四六年(オ)第六六五号、同昭和四七年三月二一日第三小法廷判決・裁判集民事一〇五号三〇九頁、判時六六六号五〇頁・判タ二七七号一三八頁、最高裁昭和四九年(オ)第四一九号、同昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁参照。)。

原告の右被告両名に対する本訴請求は、右被告両名の公務の遂行に関し不法行為があるとして民法七〇九条により損害賠償を求めているものであること本訴請求原因から明らかである。

してみると、右被告両名に対する本訴請求はその余の点につき判断するまでもなくいずれも理由がない。

三  次に、被告国に対する国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求につき判断する。

1  まず、被告松戸の不法行為を構成要素とする主張につき判断する。

(一)(1)  成田税務署が昭和四八年一一月二一日、相続税本税四八五万八〇〇〇円と延滞税の徴収として本件差押処分をしたこと、原告は昭和四八年一二月二七日本件差押処分に対し異議申立てをし、昭和五一年一月一九日本件差押処分の取消を求め成田税務署長と国税不服審判所長を被告として前訴(一)を提起したこと、さらに昭和五三年三月一六日、本件相続税債務の不存在を求め、国を被告として前訴(二)を提起したこと、右各訴えが併合審理されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(2) ところで《証拠省略》によれば、原告の求めた裁判は、前訴(一)では成田税務署長に対して本件差押処分を取り消すこと及び国税不服審判所長に対して本件差押処分に対する審査請求を棄却した裁決を取り消すことであり、前訴(二)では国に対して本件相続税債務を負担していないことの確認であったこと、ところで前訴(一)(二)でいずれも原告は、本件差押処分の原因となった本件相続税債務の負担について違法な瑕疵があったこと、即ち、原告が昭和四四年八月一三日になした本件申告は、被告松戸が本件申告書に一方的に記入したうえ、原告に対し後に更正請求できる旨信じさせて署名押印を強要したうえ右申告書を提出させることにより成立したもので、原告の意思に基づかないものであるから、本件相続税の課税は自己申告の原則に違反し無効なものである旨を主たる争点の一つとして主張したこと、これに対し前訴(一)の被告の成田税務署長及び前訴(二)の被告国は、右原告主張の強要にわたる事実は存在しない旨主張して争ったこと、前訴(一)(二)の第一審判決は、本件申告がなされるまでの被告松戸の行為が勧奨ないし説得の域を超える強制的なものであったとは認め難く、したがって自己申告の原則に違反するものではないと前記被告の主張を認めて原告の請求を棄却したこと、控訴審においても右争点については何らの追加も撤回もなされなかったことが認められる。

(3) そして東京高等裁判所で前訴(一)(二)につき控訴棄却の判決があったこと、原告が上告したが昭和五九年九月一八日最高裁判所で上告棄却の判決があり前訴(一)(二)は確定したこと、その後原告は昭和五九年一〇月一七日東京高等裁判所に再審請求をしたが同裁判所で再審却下の判決があり上告したが昭和六〇年一二月一九日、最高裁判所で上告棄却の言渡しがあったことは当事者間に争いがない。

(二)  ところで、本訴は、本件申告につき、被告松戸の違法行為があったことを構成要素とする国家賠償請求であるところ、右事実によれば、原告が、本訴において主張する違法と、前訴(一)の本件差押処分の取消訴訟において主張した違法とは、その内容において異なるものではないことが認められるから、前訴(一)において原告が請求棄却の確定判決を受け、本件差押処分につき取消原因となる違法の存在が否定された以上、その既判力により、本訴において本件差押処分が違法であることの前提となる本件申告についての被告松戸の行為が違法であるとの判断はできないものと解するのが相当である。

してみると、被告松戸の不法行為を構成要素とする国家賠償一条一項の損害賠償請求は違法の要件を欠き、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

(三)  更に付け加えるに、前記(一)の事実によれば、前訴(二)の訴訟物は原告と国との間の本件相続税債務の存否であり本訴の訴訟物とは訴訟物を異にするが、前訴(二)は、本訴と同一当事者間でなされ、しかも原告は前訴(二)において、本訴で請求原因として主張しているのと同一の被告松戸の行為が本件申告につき自己申告違反により申告の無効をもたらすような違法な行為に該当する旨の主張・立証を尽したこと、その結果前訴(二)の判決は本件申告がなされるまでの被告松戸の行為が勧奨ないし説得の域を超える強制的なものであったとは認められない旨判断して原告の請求を棄却したこと、本訴は、前訴(二)の判決の確定により確定された本件相続税債務相当額をもって被告松戸の不法行為により蒙った損害の主たるものとし、その余の損害は、右相続税債務相当額につき国家賠償請求権が肯定されることによりはじめて損害として認められるべき性質のものであること、本訴の主要な争点は前訴(二)と同一であって、その法的構成を相続税債務不存在確認請求から同債務相当額等の国家賠償請求へと変えたにすぎないうえ、請求の経済的利益において前訴と実質的にはほぼ同一であるといいうること、申告納税方式の租税である相続税においては、相続又は遺贈による財産の取得の時に納税義務が成立し、納税の申告によって原則として納付すべき税額が確定するのであるから、相続税債務の負担をもって損害と主張するのであれば、右主張はすでに前訴(二)の当時本訴被告を相手として本訴と同一の請求をすることが可能であったこと、本訴において被告松戸の不法行為を構成要素とする国家賠償法に基づく損害賠償請求の主張を許すと、前訴(二)と本訴とで審理の内容が実質的に同一となり、実質的には、すでに確定した前訴(二)の審理のむし返しを許すこととなり、被告国の地位を不当に長く不安定状態におくことになること等を考慮すれば、被告松戸の不法行為を構成要素とする本訴の主張は、信義則に照し、到底許されないものといわなければならない。

(四)  以上(二)、(三)のいずれの理由によっても、被告松戸の不法行為を構成要素とする国家賠償法一条一項の損害賠償請求は理由がない。

2  次に、被告中村の不法行為を構成要素とする主張につき判断する。

(一)  昭和四四年当時の国税通則法二三条一項では、法定申告期限から一か月以内に限り、税務署長に対し、その申告にかかる課税標準等又は税額等につき更正をすべき旨の請求をすることができる旨規定し、さらに同条二項では、更正の請求をしようとする者は、申告に係る課税標準等又は税額等、更正後の課税標準等又は税額等、その更正の請求をする理由、当該請求をするに至った事情の詳細その他参考となるべき事項を記載した更正請求書を税務署長に提出しなければならない旨規定する。

ところで、原告が請求原因3(二)(1)及び(2)において被告中村の不法行為として主張するところをみるに、原告が国税通則法二三条二項の規定する更正請求書を原告の相続税の法定申告期限である昭和四四年八月一三日から一か月以内に提出しなかったことは右主張自体から明白であるから、原告の右主張は要するに、被告中村は、税務署長として更正請求の手続につき原告に対し行政指導ないし教示すべき義務を有するのにそれに違反したというに尽きる。

しかし、更正請求の手続につき、税務署長において納税者に行政指導ないし教示すべき旨を命じた法令はなく、したがって原告の右主張にかかる被告中村の行為は、そもそも何らの違法性も有しないものといわざるをえない。

(二)  次に、原告が請求原因3(二)(3)において被告中村の不法行為として主張するところをみるに、仮に右主張のとおりに異議申立書をもって更正請求書とみうるとしても、右主張自体から異議申立書の提出日がすでに更正請求期限を徒過した後であり、したがって右申立書をもってする更正の請求が不適法なものであることは明らかであるから、原告の右主張は要するに被告中村は職権による調査及び更正(国税通則法二四条)をすべき義務を有するのにそれに違反したというに尽きる。

しかし、更正は申告納税方式の租税につき租税行政庁に与えられた二次的な課税標準又は税額等を確定する権限にすぎないと解するのが相当であり、したがって原告の右主張にかかる被告中村の行為はそもそも何らの違法性(義務違反)も有しないものといわざるを得ない。

(三)  そうすると、原告が被告中村の不法行為として主張する行為は全て違法性を欠くこととなり、したがって被告中村の不法行為を構成要素とする国家賠償請求は理由がないこととなる。

(四)  更に付け加え、損害及び因果関係の点についても判断する。

原告は本訴において、第一に、原告が本件申告により負担するに至った相続税債務のうち四七万七〇〇〇円を差し引いた残額部分をもって被告らの不法行為による損害として主張する。

ところで、前記のとおり、申告納税方式の租税である相続税においては、相続又は遺贈による財産の取得の時に納税義務が成立し、納税者の申告によって原則として納付すべき税額が確定するのであるから、相続税債務の負担をもって被告らの不法行為による損害というのであれば、相続による財産の取得につき、あるいは納税申告につき被告らの不法行為が介在していることが必要条件になる。そして、前記のとおり、更正は租税行政庁に与えられた二次的な課税標準又は税額等を確定する権限であって、更正を行わないことによって相続税債務が二次的に確定するという効果が生じるものではない。

しかるに、原告主張の被告中村の不法行為(請求原因3(二))はいずれも被告中村が本件申告後の更正請求を妨げたとするものであり、仮に原告主張の事実が全て存在したとしても、右主張にかかる被告中村の行為により本件相続税債務の負担が確定したという関係は認められず、したがって被告中村の右行為と右損害との間に因果関係はない。

右損害と被告中村の行為との間に因果関係が認められない以上、右損害についての国家賠償請求が認容されてはじめて損害たり得る性質を有する請求原因4(二)ないし(四)記載の各損害と被告中村の行為との間の因果関係も認められない。

(五)  以上、右いずれの理由によっても、被告中村の不法行為を構成要素とする国家賠償法一条一項の損害賠償請求は理由がない。

四  よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告らに対する本訴各請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上村多平 裁判官 増山宏 鈴木信行)

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