千葉地方裁判所 昭和62年(ワ)1254号 判決 1991年1月28日
原告
関克也
右訴訟代理人弁護士
上田誠吉
同
石井正二
同
山田安太郎
同
市川清文
同
梶原利之
同
守川幸男
同
安原幸彦
同
大槻厚志
同
鈴木守
同
田久保公規
被告
千葉県
右代表者知事
沼田武
右訴訟代理人弁護士
石川泰三
同
岡田暢雄
同
秋葉信幸
同
今西一男
同
三宅幹子
右指定代理人
澤井三郎
外八名
主文
被告は、原告に対し、一〇〇万円及びうち九〇万円に対する昭和六二年一月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、三六〇万円及びうち三〇〇万円に対する昭和六二年一月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は、昭和六二年一月一五日当時日本民主青年同盟(以下「民青同盟」という。)千葉県東部地区委員会委員長であった者であるが、同日午前一一時二〇分ごろから、同県東金市岩崎一丁目一番に所在する同市中央公民館前の歩車道の区別のある道路の幅員3.5メートルの歩道上(以下「本件現場」という。)において、民青同盟員一五名と共に、同公民館で行われた成人式に参加した青年らを対象にして、同委員会発行の「成人式おめでとう――あなたも署名を――」と題するビラの配布と核兵器廃絶の署名活動をしていた。
2(一) 同県警察本部東金警察署(以下「東金署」という。)巡査甲野良彦(以下「甲野」という。)及び巡査部長乙川一寿(以下「乙川」という。)は同日午前一一時三五分ごろ、パトロールカーで本件現場に到着し、原告らに対し、強圧的な態度で、「署名やビラ撒きに許可を取っているか。」「許可を取っていなければ、道路交通法違反だ。」などと申し向けてきた。本件現場は通常はほとんど人通りがなく、しかも、原告及び右民青同盟員一五名は右歩道上約六〇メートルの範囲内の右公民館敷地に通ずる三か所の出入口付近に二、三人ずつ六グループに分かれ、歩道端にたたずんだままビラの配布と署名の呼び掛けを行っていたが、右成人式が終了しても参加者の大半は同公民館内にとどまったり中央階段に至る通路付近で足を止めて談笑していて同公民館の右三か所の出入口から本件現場の歩道に出てきた者は極少数であったので、甲野及び乙川に対し、ビラ配布や署名活動には許可を要しない旨反論し、妨害・干渉を止めるように要求したが、甲野及び乙川は、それに耳を貸さず、原告らに対し、「許可を取っていなければ違反だ。」「責任者はだれだ。」「責任者の名前を言え。」と詰め寄ってきた。原告らは、甲野及び乙川から執拗に妨害・干渉を加えられ、ビラ配布や署名活動を続行することが事実上不可能になったことから、それを中止して引き上げた方がよいと判断し、甲野及び乙川に対し、「止めて帰ります。」と口々に言いながら、右歩道上を東方に一一メートルほど移動した。
(二) ところが、甲野は、帰り掛けた原告に追いすがってその腕をつかんで離さず、「名前を言え。」「名前を言わなければ帰さないぞ。」などと言って、今にも原告を連行しかねない気勢を示したが、原告らの強い抗議に手を離したので、原告は、一時その場を離れて後方に移動した。しかし、甲野及び乙川が他の民青同盟員らに対して詰問等の矛先を向けたので、原告がその状況を見かねてその場に戻ると、甲野及び乙川は、再び原告に対して狙いをつけ、右公民館前の花壇縁石に座る体勢にあった原告に対し、「名前を言え。」「名前を言わないなら一緒に来い。」と言ってその腕をつかんで引っ張り、原告がそれを拒否して手を引くや、原告の行為が公務執行妨害罪にも道路交通法違反にも該当しないことを知りながら、仮に知らなかったとしても警察官としては当然に知るべきであるにもかかわらず不注意にもそれを知らずに、違法にも手錠を取り出して、「公務執行妨害罪で逮捕するぞ。」などと申し向け、原告が逮捕されまいとして後ずさるようにして花壇の中に座り込む状態になったところ、「道路交通法違反と公務執行妨害罪で逮捕する。」と言って、甲野が原告に覆いかぶさり、乙川が原告の後方に回って、二人がかりで原告の右手に手錠を掛けて逮捕し、連行されまいとして座り込もうとする原告を、手錠の一方の輪を持って引きずった上、前記パトロールカーに押し込んだ。原告は、甲野及び乙川の右暴行により、全治八日を要する右前膊伸側擦過傷の傷害を負った。
(三) 原告は、右パトロールカーで東金署に連行され、同署警備課長警部補丙沢一義(以下「丙沢」という。)から、被疑罪名は道路交通法違反である旨告げられた上、約一〇分間にわたり取調べを受けたが、右取調べ開始当初から、丙沢に対し、国民救援会か自由法曹団の弁護士に連絡するように要求し、弁護士との接見を求め続けたので、丙沢は、千葉中央法律事務所に連絡した。
3 甲野は、原告を逮捕する際、勢い余って自分の足を原告に当てて原告の眼鏡を弾き飛ばし、その片方のレンズを脱落させて損壊した。右眼鏡は、民青同盟員の小金井恵子が拾って乙川に渡している。原告は、眼鏡なしでは一メートル先もはっきり見えないため、同署に連行された当初から、丙沢に対し、右眼鏡を渡すように要求したが、丙沢ら同署員は、原告に対して右眼鏡を返還しなければならないことを知りながら、違法にも現在に至るまで原告に対して右眼鏡を返還することを拒んでいる。
4 同署交通課長警部丁海敏彦(以下「丁海」という。)は、甲野及び乙川から原告の引致を受け、原告の行為が道路交通法に違反するものではないことを知りながら、仮に知らなかったとしても、警察官としては当然に知るべきであるにもかかわらず不注意にもそれを知らずに、違法にも原告を同月一七日午後一時三〇分まで同署に留置した。
5(一) 丙沢からの前記連絡により原告の弁護人になろうとした弁護士石井正二(以下「石井」という。)は同月一五日午後一時一〇分ごろから単独で、同じく弁護士市川清文(以下「市川」という。)は同日午後二時四五分ごろから石井と共に、ほぼ一〇分置きに継続的に、原告の捜査主任官である丁海に対し、原告との接見を申し入れた。原告は、前記の丙沢から取調べを受けた後、別の警察官からも取調べを受けたが、取調べは同日午後二時ごろには終了しており、丁海は、同日午後二時過ぎ以降には取調べが終了していて原告が石井及び市川と接見することができることを知りながら、違法にも同署員をして同署玄関前に人垣を作らせて石井及び市川が玄関内に立ち入ることを拒んだばかりでなく、石井及び市川との協議はおろか、接見の日時を指定することもせず、単に「取調べ中」と称して原告を石井及び市川に接見させなかった。そして、丁海は、同日午後五時四〇分ごろ、原告との接見を申し入れた石井及び市川に対し、同署警務課長藤崎某(以下「藤崎」という。)を通じて、官庁執務時間外であり、かつ取調べ中であるから同日中の接見要求には応じられないとし、翌一六日の執務時間(午前八時半から午後五時一五分まで)内であれば、弁護士からの接見の申入れがあり次第接見させることを確約した。
(二) しかし、丁海は、石井と同様の経緯により原告の弁護人になろうとした弁護士梶原利之(以下「梶原」という。)及び山田安太郎(以下「山田」という。)並びに市川らが翌一六日午前九時ごろから原告との接見を申し入れたのに対し、捜査の必要がなくしたがって原告が右弁護士らと接見することができることを知りながら、違法にも同日午前一一時まで原告が右弁護士らと接見することを認めなかった。
6 原告は、甲野、乙川、丁海らの行為により、次のとおり損害を被った。
(一) 慰謝料
(1) 原告は、ビラ配布や署名活動を適正な方法で行っていたにもかかわらず、押し倒されるようにして逮捕され、片手に手錠をはめられたまま人目にさらされるように引きずられながらパトロールカーに押し込まれ、さらに、逮捕後約四九時間半にわたって違法に留置されたのであって、その身体、自由、人格に対する侵害は重大である。
(2) 原告は、甲野及び乙川の暴行により全治八日間を要する右前膊伸側擦過傷の傷害を負った。
(3) 原告は、二二時間にわたって、被疑者としての基本的権利である弁護士との接見交通を妨害された。
(4) 原告は、逮捕される際、眼鏡を損壊され、留置期間中眼鏡を返還されず、眼鏡を使用できない苦痛を強いられ、取調調書の文字を読むこともできない状況で取調べに耐えざるを得なかった。また、右眼鏡はいまだに返還されていない。
(5) 原告は、本件事件発生直後に、勤務先の農業共同組合の理事から、「東金でああいうことをやっては困るよ。」と言われ、その後、いわば農協の顔ともいうべき広報担当の仕事及び将来の重要な仕事を担う足掛かりとなるポストである農協青年部の事務局長の職からはずされ、農協の保険を担当する共済課へ異例の人事異動を命ぜられた。これは、本件逮捕留置に起因するものとしか考えられない。
以上のとおりであって、原告が甲野、乙川、丁海らの行為によって被った肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料額は、三〇〇万円を下ることはない。
(二) 弁護士費用
原告が本件訴訟を提起、追行するためには、弁護士の協力が必要不可欠であるから、弁護士費用も本件違法行為と相当因果関係にある損害というべきである。その額は、着手金・報酬合わせて、請求額のそれぞれ一割に相当する各三〇万円、合計六〇万円を下回ることはない。
よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償として、慰謝料三〇〇万円及び弁護士費用六〇万円の合計三六〇万円並びにうち慰謝料三〇〇万円に対する本件各不法行為の最終日である昭和六二年一月一七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求の原因に対する認否及び被告の主張
1 請求の原因1のうち、原告が昭和六二年一月一五日に本件現場において、約一五名の者と共に千葉県東金市中央公民館で行われた成人式に参加した青年らを対象にしてビラ配布と署名活動をしていたことは認めるが、原告が当時民青同盟県東部地区委員会委員長であったこと、ビラ配布及び署名活動の開始時刻は不知。
2(一) 請求の原因2の(一)のうち、東金署巡査甲野及び巡査部長乙川が原告の主張をする日時ごろにパトロールカーで本件現場に到着し、原告らに対して道路使用許可を取っているか質問し、許可を取っていなければ道路交通法違反である旨警告したこと、原告らが右公民館敷地に通ずる三か所の出入口付近でビラの配布と署名活動をしていたこと、原告らが甲野及び乙川に対してビラ配布や署名活動には許可を要しない旨反論したこと、甲野及び乙川が許可を事前に取得しなければ道路交通法違反となる旨警告すると共に責任者を明らかにするよう求めたこと、原告が歩道上を東方に移動したことは認めるが、甲野及び乙川がはじめに警告した際の態度が強圧的であったこと、本件現場が通常はほとんど人通りがないこと、原告らが、二、三人ずつ六グループに分かれ、歩道端にたたずんだままビラ配布等をしていたこと、本件現場の歩道に出てきた者は極少人数であったこと、甲野及び乙川が原告らに対して妨害・干渉を加えたこと、原告らが甲野及び乙川に対して「やめて帰ります。」と口々に言ったことは否認する。
本件現場付近には、ショッピングセンター「サンピア」・同市役所・税務署・同県山武支庁・東金商工会館・同市立東金図書館などが集中している。さらに、本件現場付近には、商店が多く存する。本件現場は、同市内において特に人通りの多い地点である。同日は、成人式参加者が二六八名おり、参加者が会場から退場するには会場(二階)からそのままブリッジを同市道方向へ約一五メートル直進し、左右いずれかの階段を降りることになる。公民館の利用者の多くは、現に当日の成人式参加者も多くは、右の階段のうち、南西側の階段を通行していた。南西側階段を降りるとすぐ左側に、公民館敷地から歩道への出入口(以下「南西側出入口」という。)がある。南西側階段を降りた者は、ほとんどが南西側出入口から歩道に出る。甲野らが原告らのビラ配布等を現認した際、本件現場は、成人式会場からの退場者、迎えにきた者その他の者の通行が多く、その後三〇分ないし四〇分は、退場者等が短時間に集中して通行し、更に込み合うことが予想される特殊な状況にあった。原告らは、右の三か所の出入口付近毎にグループを形成し、合計三グループになっていた。原告は、右の三か所のうちの一番南西側に位置する出入口すなわち南西側出入口付近で、四〜五名の者と共に、ビラ配布等を行っていた。原告らのグループは、原告を含め二〜三名の者が署名を求めるために、縦約五〇センチメートル、横約七〇センチメートルの画板を腹部の前に路面と平行に突き出すようにして首から下げていたため、幅約5.1メートルの南西側出入口の実際に通行できる部分はかなり狭くなっていた上、残る者も新成人や他の通行人に対して前に立ちふさがる、避けて通る人には追いすがって話し掛ける等動きながらビラの配布等を行っており、原告が行ったビラの配布行為は、道路交通法(以下「道交法」という。)七七条一項四号、同県道路交通法施行細則(以下「施行細則」という。)一一条九号に該当し、あらかじめ東金署長の許可を受けなければならなかった。なお、自分が責任者であると述べた原告が氏名を明らかにしないまま東方へ立ち去ろうとしたので、乙川及び甲野は、原告に対し、氏名・住所を明らかにするよう求めながら歩道上を東方に移動した。
(二) 同2の(二)のうち、甲野が原告の右上腕付近のジャンバーを軽くつかんで立ち去り掛けた原告を引き止め、名前を言うよう求めたこと、原告が歩道上を東方に立ち去ってしまったこと、原告が戻ってきたこと、甲野が原告の腕に手を触れて引き止め、氏名を明らかにするように求めたこと、原告が後ずさりをし、花壇に座り込む形になったこと、乙川及び甲野がその場で「道路交通法違反で逮捕する。」と告げて原告を逮捕したこと、手錠を掛けたまま原告をパトロールカーまで連行し、乗車させたこと、逮捕及び連行の過程で、原告が右前膊伸側に軽度の擦過傷を負ったことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。
前記のとおり、原告が行ったビラ配布行為は道交法七七条一項四号、施行細則一一条九号違反である。仮に原告の行為が右違反に当たらないとしても、当時の本件現場の状況に照らして道路使用許可が必要だと判断した乙川及び甲野に過失はない。そして、原告は、乙川及び甲野から道交法違反の被疑者として住所・氏名を明らかにするよう再三説得を受けたにもかかわらず、これを拒否して逃走しようとしたのであり、逮捕の必要性があったものである。
また、原告は、花壇に座り込み、仰向けになって体をねじる等激しく抵抗し、また、原告と共にビラ配布していた仲間も原告を逮捕させまいと原告と甲野らの間に入ったり甲野らの手を引っ張ったりなど逮捕行為を妨害したので、甲野及び乙川は、妨害者に対して、「これ以上やると公務執行妨害で逮捕することになる。」旨を警告せざるを得なかった。また、原告は、パトロールカーへの乗車を拒否し、歩道とパトロールカーとの間のガードレールにしがみついて抵抗した上、原告の仲間数名も原告の身柄を奪還しようとして、乙川らの手を引っ張る等の激しい妨害を行ったため、乙川らは応援に駆けつけた警察官二名の協力を得てようやく原告をパトロールカーに乗車させた。このように、原告の手首の擦過傷は、逮捕の際の原告自身の激しい抵抗によるものであり、その傷の程度からみても、警察官の実力行使は逮捕行為として相当性の範囲内であって何ら違法ではない。
(三) 同2の(三)のうち、原告が右パトロールカーで東金署に連行され、同署警備課長丙沢から被疑罪名は道路交通法違反である旨告げられたこと、原告が丙沢に対して国民救援会か自由法曹団の弁護士に連絡するように要求したこと、丙沢が原告の要求に基づいて、千葉中央法律事務所に連絡したことは認める。
3 請求の原因3のうち、乙川及び甲野が原告を逮捕した際に原告の眼鏡が外れて落ちたこと、留置中原告が眼鏡を使用しなかったことは認めるが、小金井恵子が乙川に対して原告の眼鏡を渡したこと、したがって、東金署で原告の眼鏡を保管していること、原告が丙沢らに対して眼鏡の返還を要求し続けたことは否認する。原告は、甲野及び乙川から逮捕される際、手足をバタバタさせるなど抵抗したためにその眼鏡が外れて地上に落ち、自分のでん部でそれを損壊したものである。
4 請求の原因4のうち、送検まで留置したのが本件についての捜査主任官である同署交通課長丁海であることは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。
乙川及び甲野は、東金署において、同月一五日午後零時五分、原告を引致した。また、原告に掛けた手錠を開錠しようとしたところ、故障していて開錠できなかったため、やむなく手錠を切断して外し、原告が手首の痛みを訴えていたので、直ちに患部を消毒し、軟こうを塗る等の手当てをした上、同日午後零時二〇分ごろ弁解録取の手続きを行った。原告は、弁解録取に際し、住所及び氏名並びに犯罪事実について完全に黙秘したため、原告を釈放すればそのまま所在不明となり、事後捜査が不可能となることは明白で、原告を留置する必要があると認められた。したがって、原告を留置したことに何ら違法性はない。ちなみに、当日は祝日であったため当直主任の同署交通係長窪田某(以下「窪田」という。)が本件について捜査主任官であったが、窪田が交通事故が発生したため急きょ出動し不在であったので、そのころ同署に到着した丁海が窪田に代わって逮捕警察官その他から事件の概要について報告を受けると共に捜査方針の検討に入ったのである。
5(一) 請求の原因5の(一)のうち、石井が同日午後一時三〇分ごろ、石井と市川が同日午後二時四五分ごろ、それぞれ同署を訪れ、「逮捕された者に会わせろ。」と申し入れたこと、また、同日午後五時一五分ごろ、庁舎警備の警察官を通じて再度原告との接見申入れがあったことは認めるが、その余の事実は、石井及び市川が丙沢からの前記連絡により原告の弁護人になろうとしたとの点を除いて否認し、主張は争う。
原告が逮捕された当日は祝日であり、同署では数名の当直員しか勤務していなかったが、原告と共にビラ配布していたグループからの集団的な抗議活動が予想されたので、同署では警務主任戸田彰(以下「戸田」という。)ほか非番の署員を召集して庁舎警備に当たらせた。同日午後一時過ぎごろから同署正面玄関向かいの駐車場に人が集まり始め、やがて十数名位が正面玄関前で庁舎警備についていた警察官らに対して大声で「逮捕された者に会わせろ。」「不当逮捕だ。」等の抗議やば声を浴びせる等の行為を繰り返したが、弁護士からの正式の接見申入れはなかった。石井が同日午後一時四〇分ごろに七〜八名の抗議集団と一緒に同署玄関前で庁舎警備についていた戸田に対して原告との接見を申し入れた。当直主任の窪田は、戸田からの報告を受け、玄関前に出て石井と対応したが、当時は原告に対する取調べに引き続き、同日午後一時三五分から留置手続きに入っていたため、「今は会わせることはできない。」旨回答した。したがって、右の時点で接見に応じなかったことは違法ではない。
前記の経緯で窪田に代わって逮捕警察官その他から事件の報告を受けると共に捜査方針の検討に入った丁海は、原告が住所、氏名をはじめ犯罪事実についてもすべて黙秘していたため、まず第一に原告の身元を確認すること、並行して交通事件の基本である被疑者立会いの現場の実況見分を実施して現場を把握した上取調べを行うこと等の捜査方針を立てた。丁海は右方針に沿って同署員に対して捜査を指示したが、同署前には常時三、四〇名の抗議者が詰めかけており、二台の宣伝カーによるスピーカーを通じての抗議や付近住民に対する宣伝がひっきりなしに流され、正面玄関及び車両の出入口である裏門付近にも抗議者が押し掛け、庁舎警備の警察官に対して激しい抗議や挑発行為を断続的に行っていたため、直ちに原告を同署から本件現場まで連れて行くことが困難な状況であった。そこで丁海は、同署前の抗議状況が収まり次第、直ちに実況見分に出動できるように同署員を待機させた。
同日午後二時四〇分ごろ、玄関前の戸田に対して石井及び市川から原告に対する接見の申入れがなされた。戸田から報告を受けた丁海は、前述の捜査方針に従い、被疑者立会いの実況見分を実施すべく待機中であり、その後に被疑者の取調べ等の捜査を行う必要があったことから、当日中に接見の時間を取ることは困難であると判断し、接見の時間を「翌一六日の午前一一時から午前一二時までの間に一五分間」と指定し、同月一五日午後二時四五分ごろ、戸田を通じて石井及び市川に対してその旨を伝えた。石井は、右指定の内容を手帳にメモした上、戸田に対して指定の内容を再確認して同署の玄関前から引き上げた。刑事訴訟法三九条三項に基づいて接見の日時の指定をなし得る「捜査のため必要あるとき」とは、当該事件の内容・性質、捜査の進展状況、弁護活動の態様等の事情を総合的に勘案して、弁護人又は弁護人になろうとする者との接見を無制限に認めるならば捜査の遂行に支障をきたすと認められる場合をいうものと解するのが相当である。そうとすると、右のとおり丁海は石井及び市川からの接見申入れに対して具体的な接見の時間を指定したが、右指定は当時の捜査状況に照らして必要であり、右具体的指定を行ったことについて違法はない。
丁海は、同日午後三時二七分から四〇分ごろまで、原告の身元確認の一環として丙沢に原告の取調べを行わせたが、原告の住所・氏名についての手掛かりは得られなかった。また、丁海は、同署員に対して実況見分の実施のためにいつでも出動できるように待機を指示していたが、同署周辺での抗議状況が一向に衰えないので、とりあえず暗くなる前に逮捕警察官の立会いで実況見分に着手し、抗議の状況が穏やかになり次第原告を本件現場に臨場させることとし、同日午後四時過ぎ、逮捕警察官らを実況見分に向かわせた。そして、同日午後五時一五分ごろ、庁舎警備の警察官を通じて再度原告との接見申入れがあったが、丁海は、同日午後二時四五分の時点と基本的な捜査状況の変化がなかったので、藤崎を通じて既に指定した「翌一六日の午前一一時から午前一二時までの間の一五分間」に接見していただく旨を改めて回答した。
(二) 同5の(二)のうち、同月一六日午前一一時から接見が行われたこと、それに先立って弁護士から接見の申入れがあったことは認めるが、その余の事実は、弁護士梶原及び同山田が石井と同様の経緯により原告の弁護人になろうとしたとの点を除いて否認し、主張は争う。同日は、本来の捜査主任官である窪田が午前八時三〇分から午前一〇時四五分ごろまで原告を取り調べ、前日に指定した時間どおり午前一一時少し前から弁護士と接見させており、したがって、同日についても丁海が違法に弁護士と原告との接見を拒んだ事実はない。
6 請求の原因6は、(一)の(1)ないし(4)の各事実に対する認否については前記のとおりであるが、全体として否認及び争うものである。
第三 証拠<省略>
理由
一原告が昭和六二年一月一五日に本件現場において約一五名の者と共に千葉県東金市中央公民館で行われた成人式に参加した青年らを対象にしてビラ配布と署名活動をしていたことについては、当事者間に争いがなく、右の約一五名の者が民青同盟員であったこと、右の配布したビラが民青同盟同県東部地区委員会発行の「成人式おめでとう――あなたも署名を――」と題したものであり、右の署名活動が核兵器廃絶であったことについては、被告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。そして、<証拠>によれば、原告は、当時、同委員会委員長をしていたこと、原告らが本件現場においてビラ配布と署名活動を開始した時刻は、同日午前一一時二〇分ごろであったことを認めることができる。
二1 東金署巡査甲野及び巡査部長乙川が同日午前一一時三五分ごろにパトロールカーで本件現場に到着し、原告らに対して道路使用許可を取っているか質問し、許可を取っていなければ、道路交通法違反である旨警告したこと、原告らが、右公民館敷地に通ずる三か所の出入口付近でビラの配布と署名活動をしていたこと、原告らが甲野及び乙川に対してビラ配布や署名活動には許可を要しない旨反論したこと、甲野及び乙川が許可を事前に取得しなければ道路交通法違反となる旨警告すると共に責任者を明らかにするよう求めたこと、甲野が原告の右上腕付近のジャンバーを軽くつかんで立ち去り掛けた原告を引き止め、名前を言うよう求めたこと、原告が歩道上を東方(東北方向)に立ち去ってしまったことについては、当事者間に争いがない。そして<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。
本件現場は、JR東日本東金線東金駅東口から駅前の広場を通って東南方に一直線に伸びる同市のメインストリートを東南方向に向かって二百数十メートル進み、それとほぼ直角に交差する幅員約二〇メートルの歩車道の区別のある道路を東北方向に左折して右道路の北西側の歩道上の交差点から約一五メートルの地点を起点として東北方に約六〇メートルの区間である。したがって、本件現場は、同駅から直線距離で約二八〇メートルの至便な所であるが、メインストリートから外れており、右歩道沿いには健康センター、右公民館、山武郡広域行政組合等の公共的な建物が建ち並んでいて商店舗がない等のことから、右歩道の普段の人等の通行量は多いという程ではない。同日に同公民館で行われた成人式の出席者は、新成人二七〇名、来賓・講師三〇名及び主催者側職員四二名の合計三四二名であり、右出席者は、式が終了して同日午前一一時二五分ごろから退場を始めた。原告らは、本件現場約六〇メートルの間に、同公民館敷地に通ずる三か所の出入口の南西側の出入口の両脇付近及び南西脇の車道寄り付近と真ん中の出入口の両脇付近と北東側の出入口の北東脇付近に二、三名ずつに分かれ、うち約半数が縦四五センチメートル、横六〇センチメートルの画板を持って主として署名活動をし、残りの者が主としてビラの配布をしていた。同公民館には、その敷地から直接に又は隣接する同市役所等の敷地を通って間接に公道に通ずる出入口が一二か所あるが、成人式が行われた同公民館二階講堂の出入口の構造や位置、それを出てから一見して目に入る同市内の繁華街や同駅方面への公道との距離等からすると、右出席者のうち、徒歩の者の多くは右の南西側の出入口を利用するものとみられる。しかし、右出席者のうちには自動車で来た者も少なくなく、また、同公民館二階講堂から右の南西側の出入口近くと真ん中の出入口近くに降り口の分かれる階段までの間の相当に広い通路や右階段等で立ち止まって談笑している者も多くいて、退場が始まってから一〇分ほど経過した同日午前一一時三五分ごろでも本件現場に出てくる者はそれほど多くなく、その後も本件現場に出てくる者が一時に急激に増えるような兆候はなかった。乙川及び甲野は、東金署外勤課パトカー係として、同日午前九時三〇分ころからパトロールカーに乗務して同署管内における交通指導・取締り、防犯活動等の警ら活動に当たっていて、本件現場付近を通りかかり、原告らが本件現場において成人式を終えて本件現場に出てきた新成人らに対しビラ配布及び署名活動をしていることを現認した。乙川及び甲野は、当時、ビラ配り等は極めて例外的な場合を除いて所轄警察署長の道路の使用許可が必要であると考えていた。乙川及び甲野と原告らとの間で本件現場の右の南西側の出入口付近においてビラの配布や署名活動に所轄警察署長の許可が必要か否か等をめぐってしばらく言い争いが続いたが、原告らは、そのような状況ではビラ配布及び署名活動を中止して引き上げた方がよいと判断し、乙川及び甲野に対し、口々に「止めて帰ります。」と言いながら、本件現場を東北方向に一〇メートルほど移動した。
以上の事実を認めることができ、右認定に反する<証拠>はいずれも採用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
2 道交法七七条第一項は、所轄警察署長の許可を受けなければならない行為を一号ないし四号に定めるが、四号は、「前各号に掲げるもののほか、道路において祭礼行事をし、又はロケーションをする等一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしようとするもの」と規定する。そして、施行細則一一条は、「法七七条一項四号の規定により公安委員会が署長の許可を受けなければならないものとして定める行為は次の各号に掲げるものとする。」としてその各号が道交法七七条一項四号の授権に基づく規定であることを明らかにした上、九号で「交通のひんぱんな道路において広告又は宣伝のため、文書、図画、その他の物を通行する者に交付すること。」と定める。したがって、千葉県において文書、図画、その他の物を通行する者に交付しようとする者があらかじめ所轄警察署長の許可を受けなければならないのは、
① 一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為で、交通のひんぱんな道路において広告又は宣伝のためにする場合か、
② 道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、交通のひんぱんな道路において広告又は宣伝のためにする場合か
であると解すべきである。そうとすると、同県においては、普段は人等の通行量が多いという程でなく、かつ、特定の状況下においても人等が一時に急激に増えて人等がひっきりなしに行き交うというような兆候のない相応の幅員の歩道上で人等の通行が大きく阻害されるようなおそれのない間隔である程度の人数の者が通常の方法で行うビラ配布行為は、道交法七七条一項四号、施行細則一一条九号に該当しないことが明らかであるから、原告らの前記ビラ配布行為は、道交法七七条一項四号、施行細則一一条九号に該当せず、したがって、右ビラ配布をするに当たって東金署長の許可を必要としなかったものである。
3 歩道上を一旦は東方(東北方向)に立ち去った原告が本件現場に戻ってきたこと、甲野が原告の腕に手を触れて引き止め、氏名を明らかにするように求めたこと、原告が後ずさりをし、花壇に座り込む形になったこと、乙川及び甲野がその場で「道路交通法違反で逮捕する。」と告げて原告を逮捕したこと、手錠をかけたまま原告をパトロールカーまで連行し、乗車させたこと、逮捕及び連行の過程で、原告が右前膊伸側に軽度の擦過傷を負ったことについては当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、甲野及び乙川は、原告が本件現場を一旦立ち去った後も、原告と一緒にビラ配布等をしていた者のうちのその場に残っていた者に対し、更に、強く責任者の名前等を明らかにするように要求し、甲野が落としたノートを右の残っていた者の一人並木幹男が拾い上げたことからその返還をめぐってトラブルが起こった。そのような状況を見兼ねた原告がその場に戻ると、甲野は、原告に対し、再び、名前・住所等を明らかにするように求め、名前と住所を言わないのであれば道路交通法違反で逮捕することになる旨告げた。原告と一緒にビラの配布等をしていた者の中には、そのころ、通行人や同公民館の階段等にいる新成人らに対し、大きな声で繰り返し警察官が暴力を振るっているとか、パトカーを取り囲もうとか呼び掛けて乙川及び甲野に対する抵抗を扇動するような言辞をろうする者がいた。原告が名前・住所等を言うことを拒んで、本件現場を東北方向に後ずさるようにして移動し、前記公民館の敷地の南西側の出入口と真ん中の出入口との間の歩道の北西側との境に沿うように設けられている花壇の縁石の真ん中の出入口寄りに腰掛けるような姿勢になったので、甲野及び乙川は、それを追うようにして原告に近づき、原告がさらに花壇の中に後退して座り込んで逮捕されまいとして手足を激しく動かして抵抗するのを花壇内に上がりこんだ甲野が前から、同じく乙川が原告の後方に回って、二人掛かりで原告の右手に手錠を掛けて逮捕した。そして、甲野及び乙川は、連行されまいとして足を突っ張ったりする原告の両腕を両側からつかむようにして原告を前記パトロールカーまで連行しようとしたが、原告と一緒にビラの配布等をしていた者数名が甲野や乙川の前に立ちふさがったりその腕や原告の腕を引っ張ったりして右の連行を妨害したりしたので、甲野が右の妨害をしている者に対して「これ以上やると、公務執行妨害で逮捕するぞ。」と警告した。原告がその後もガードレールにしがみついたりして連行されまいとしたので、無線で駆け付けた警察官二名の応援を得て原告を右パトロールカーの後部座席に押し込んだ。原告が右逮捕及び連行の過程で負った前膊伸側擦過傷の程度は全治八日を要するものであったことを認めることができ、右認定に反する<証拠>はいずれも採用することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
4 以上の事実によれば、千葉県警察本部東金署外勤課に勤務する警察官である乙川及び甲野は、その職務である警ら活動に従事中、本件現場においてビラ配布をしている原告を現認し、同警察本部の警察官であれば原告の右ビラ配布行為が道交法七七条一項四号、施行細則一一条九号に該当しないことを知り得べきであったにもかかわらず不注意にもそれに該当し東金署長の許可を要するものと誤信し、違法に原告を道交法違反の被疑罪名で逮捕して原告に後記の損害を加えたといわなければならない。
三1 乙川及び甲野が原告を逮捕した際に原告が掛けていた眼鏡が外れて落ちたことについては当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、地面に落ちた原告の眼鏡の片方のレンズが割れたことを認めることができる。原告の顔から眼鏡が外れたのが甲野の体が原告の掛けていた眼鏡に当たったことによるとの点については、原告本人の供述と証人乙川の供述が対立していて、それを確定することができないが、乙川及び甲野による原告の逮捕について国家賠償法一条一項に基づく責任が成立し、原告の顔から眼鏡が外れたのが甲野及び乙川による原告の身体に対する有形力の行使を伴う逮捕に起因する以上、甲野ないし乙川の体が原告の掛けていた眼鏡に接触したことによるか否かにかかわりなく、被告は、同条項に基づいてそれを賠償する責任があるといわなければならない。
2 原告は、右眼鏡は小金井恵子が拾って乙川に渡したが、丙沢ら東金署員は現在に至るまで原告に対して右眼鏡を返還することを拒んでいる旨主張し、<証拠>にはそれに沿う記載部分があるが、右記載部分は<証拠>と対比して採用することができないし、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって、原告の右主張は理由がない。
四原告が前記パトロールカーで東金署に連行されたことについては当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、乙川及び甲野は、逮捕した原告を東金署に連行して昭和六二年一月一五日午後零時五分ごろ同署において司法警察員に引致した。そして、原告の右手に掛けられていた手錠が壊れていて開錠しなかったため、同署員がこれをカッターで切断して外した上、原告の手首付近の傷の手当てをした。同署警部補月足某(以下「月足」という。)は、同日午後零時二〇分ごろ、同署一階の取調室において、原告に対し、弁解録取を行った。原告は、その際、氏名、住所はもちろん被疑事実についても黙秘していた。月足は、引き続いて原告を取り調べたが、原告は、黙秘を続けていた。右の弁解録取等に立ち会った警察官は、原告を留置場に連行し、身体捜検等をした上で留置担当の警察官に対して原告を引き渡し、原告を留置する手続をした。そして、原告は丁海が原告を検察官に送致した同月一七日午後一時三〇分ごろまで、同署に留置されていたことを認めることができる。
現行犯で逮捕された被疑者の引致を受けた司法警察員は、被疑者に対して弁解の機会を与えた上、留置の必要がないと思料するときは直ちにこれを釈放しなければならない(刑事訴訟法二一六条、二〇三条一項)。そして、留置は逮捕状態を継続するものであるから、逮捕において被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由があると認められることを要求されるのと同様に、留置においても被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由があると認められることを要求されているというべきである。原告の引致を受けた司法警察員が月足か同署のその他の警察官かは必ずしも明らかではないが、千葉県警察本部東金署の当日におけるその職務を担当していた警察官であったことは明らかであるから、その司法警察員を具体的な地位、階級、氏名等をもって特定する必要はないと解されるところ、右の事実によれば、原告の引致を受けた同署の司法警察員は、原告が、氏名、住所、被疑事実等を黙秘していたことにかまけて、原告を逮捕した警察官である乙川又は甲野からそのときの事情を聴取する等によって前記二に判示したとおり原告に道交法七七条一項四号、施行細則一一条九号違反に該当する嫌疑がないことを知り得べきであるのにこれを怠り、違法に原告を道交法違反で留置したといわざるを得ない。
五1 原告が東金署警備課長丙沢に対して国民救援会か自由法曹団の弁護士に連絡するように要求したこと、丙沢が原告の要求に基づいて、千葉中央法律事務所に連絡したこと、石井が同月一五日午後一時三〇分ごろ、石井と市川が同日午後二時四五分ごろ、それぞれ同署を訪れ、「逮捕された者に会わせろ。」と申し入れたこと、また、同日午後五時一五分ごろ、庁舎警備の警察官を通じて再度原告との接見申入れがあったこと、原告が同月一六日午前一一時から弁護士と接見したこと、それに先立って弁護士から接見の申入れがあったことについては、当事者間に争いがない。そして、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
原告が自由法曹団の弁護士に連絡するように要求したのは、弁解録取を受けた際であり、原告の右の弁護士に対する連絡の要求は、自由法曹団所属の弁護士を弁護人に選任することの意思を表示したものであった。月足が原告の弁解録取及び取調べに掛けた時間はおおむね一時間であり、同日午後一時三五分ごろに原告の留置手続を取った。本件の捜査主任官は当日が祝日であったことから当直主任の窪田であったが、窪田がそのころ発生した交通事故の処理に出動していたため、休暇を取って自宅にいたところ当直から身柄事件が発生した旨の電話連絡を受けてそのころ出署した丁海が捜査主任官を代行し、原告の取調べ、その身元確認、共犯者の割り出し、目撃者の確保と原告及び逮捕警察官の立会いによる実況見分を行う方針を立てた。なお、丙沢が原告の要求に基づいて千葉中央法律事務所に連絡したのは、丁海が出署してから間もなくである。他方、自由法曹団に所属する弁護士である石井は、日本共産党千葉県東部地区委員会から連絡を受け、同日午後一時一五分ごろに同署玄関前に行き、ドア越しに中仕切りの中にいる警察官に対して原告との接見を申し入れた。その警察官は、中に引っ込み、しばらくして戻って来て、今は会わせられないそうだと回答した。そのころから同署前には原告の逮捕に抗議する人達が集まり始め、抗議のシュプレヒコール等をするようになって騒がしくなり、それに対応して同署警察官による同署玄関前等の警備が厳重になっていった。石井はその後も断続的に数回にわたり右玄関前で警備に当たっていた警察官に対して原告との接見を申し入れたが、警察官は、それに取り合わなかったり、ただ、今は会わせられないとの返事を伝えるのみであった。石井が同日午後二時四〇分ごろに何度目かの接見を申し入れたところ、同署警務課長藤崎は、取調べ中であるから会わせられない旨返答した。丁海は、部下の警察官に対し、原告及び逮捕警察官立会いの実況見分の実施を命じていたが、同署玄関前及び通用門付近に原告の逮捕等を抗議する人達がいて、原告を実況見分の立会いに連れ出すことによって同署前又は本件現場においてトラブルが発生することをおそれ、しばらく待機するように指示をしており、石井の接見の申入れに対しては、同署次長と協議をして右のように実況見分を実施することができないでいたことから取調べ中を理由にそれを断わることにしたものである。そのころになると、原告の逮捕等に対する抗議に二台の宣伝カーが加わり、うち一台が同署玄関前で通行人等に対して、他の一台が同署周辺の住宅街や商店街を回ってそれぞれ同署警察官による原告の不当逮捕と弁護士との接見妨害を訴えていた。千葉中央法律事務所の弁護士から連絡を受けた自由法曹団に所属する弁護士の市川が同署に到着し、石井と共に右玄関ドア前で警備に当たっていた警察官に対して原告との接見を申し入れたところ、中に取り次いだ警察官が取調べ中であることを理由に接見を拒む返事を持ち帰ってきた。石井及び市川が引き続き右玄関前の警察官に対して、責任者を明らかにすること、責任者と直接に話をさせること、接見の時間を明確にすること等を繰り返し要求していたところ、窪田と藤崎が右玄関前に出てきたが、窪田及び藤崎は、責任者は窪田であること、しかし、取調べ中であるから原告には会わせられないと述べるにとどまった。丁海は丙沢に命じて同日午後三時三〇分ごろから約二〇分間原告を取り調べさせたが、原告は、黙秘を続けたままであった。石井及び市川が同日午後五時半ごろに行った接見申入れに対し、藤崎は、自分が責任者であることを宣言すると共に、取調べ中のほか新たに執務時間外であることを理由にして当日の接見申入れを拒否する旨の最終回答をしたが、翌日の執務時間内であれば申入れがあり次第接見させることを約束した。窪田は、翌一六日午前八時三〇分ごろから午前一〇時四五分ごろまで原告を取り調べた。市川並びにその要請を受けた弁護士山田及び同梶原の同日午前九時ごろの同署警察官に対する原告との接見申入れは、取調べ中を理由に断られた。原告が同日午前一一時になってようやく接見することができた弁護士は、山田と梶原である。
以上の事実を認めることができ、<証拠>はいずれも信用することができないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
2 捜査機関は、弁護人又は弁護人となろうとする者(以下「弁護人等」という)から被疑者との接見の申出があったときは、原則として何時でも接見の機会を与えなければならないのであり、現に被疑者を取調べ中であるとか、実況見分、検証等に立ち会わせる必要がある等捜査の中断による支障が顕著な場合には、弁護人等と協議してできる限り速やかな接見のための日時を指定し、被疑者が防御のため弁護人等と打ち合わせることのできるような措置をとるべきである(最高裁昭和四九年(オ)第一〇八八号、昭和五三年七月一〇日第一小法廷判決、民集三二巻五号八二〇頁)。そして、刑事訴訟法三九条一項の「弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人となろうとする者」とは、同法三〇条所定の弁護人選任権を有する者から当該被疑事件について弁護の依頼を受け、受任の意思を有しながら、いまだ選任手続としての弁護人選任届の作成、その捜査機関への提出又は口頭による届出等を行っていない者をいうと解される。
3 本項1の事実によれば、石井が東金署に赴いた当初において本件被疑事件について原告の弁護人となろうとする者であったかには疑義がないとはいえないが、市川が本件被疑事件について原告の弁護人となろうとする者であったことは明らかであり、市川が同署に到着して石井に対して暗黙にでもせよ原告が千葉中央法律事務所の弁護士を通して自由法曹団に所属する弁護士を弁護人に選任する意思を表示している旨を伝えてからは、石井も本件被疑事件について原告の弁護人となろうとする者であったということができる。そして、同月一五日午後一時三五分ごろに原告の留置手続が取られた後は、同日午後三時三〇分ごろまでの間は原告の取調べ自体は中断していた。確かに、丁海は、同日午後二時四〇分ごろには部下の警察官に対して原告を立ち会わせて本件現場における実況見分を命じたが、同署玄関前及び通用門付近に原告の逮捕等を抗議する人達がいて、原告を実況見分の立会いに連れ出すことによって同署前又は本件現場においてトラブルが発生することをおそれ、しばらく待機するように指示をしている。そして、それが原告を立ち会わせての実況見分の準備段階であって、これを中断して接見を認めると改めてその準備をし直さなければならないといった事情すなわち「捜査の必要」があり、石井及び市川の接見の申出に直ちに応ずることができなかったこともやむを得なかったといえなくもない。しかし、そうだとしても、千葉県警察本部東金署交通課長であった丁海は、原告の依頼によりその弁護人となろうとする石井及び市川から原告との接見の申出があったのであるから、本件被疑事件の捜査主任官を代行する者として、石井及び市川と協議して――場合によっては右の実況見分を早期に実施するために同署及び本件現場の周辺から抗議の人達を立ち退かせることについて石井及び市川の協力を求めるなどして、右の実況見分の実施のめどを立てた上――できる限り速やかな接見のための日時(それは、以上の経緯に鑑みれば、遅くとも同日夕刻までとみるべきである。)を指定し、原告が防御のため石井ないし市川と打ち合わせることのできるような措置を取るべきであったにもかかわらずそれを怠り、違法にも取調べ中の口実を構えて石井及び市川の原告との接見のための日時を指定して原告が防御のため石井ないし市川と打ち合わせることのできるような措置をとらなかったといわなければならない。
六1 以上の事実によれば、原告は、東金署員による負傷を伴う逮捕、眼鏡の損壊、留置、弁護人との接見妨害等により肉体的、精神的な苦痛を被ったことを認めることができ、本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、右の苦痛に対する慰謝料としては、九〇万円をもって相当とするというべきである。
2 弁論の全趣旨によれば、原告は、原告訴訟代理人らに対し、本件訴訟の提起及び追行を委任し、弁護士費用を支払うことを約したことを認めることができるところ、本件事案の性質、認容額その他諸般の事情を考慮すると、本件不法行為による損害として負担させるべき弁護士費用は、一〇万円とするのが相当である。
七以上のとおりであって、原告の本訴請求は、慰謝料九〇万円及び弁護士費用一〇万円の合計一〇〇万円並びにうち慰謝料九〇万円に対する(ちなみに、原告は、弁護士費用に対しては遅延損害金を請求していない。)本件の一連の不法行為の最終日である昭和六二年一月一七日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官並木茂 裁判官春日通良 裁判官石原寿記)