千葉地方裁判所佐原支部 昭和33年(わ)34号 判決 1958年11月12日
主文
被告人Y1を懲役八月に処する。
但し未決勾留日数中六拾日を右本刑に算入する。
被告人Y2を懲役参月に処する。
但し本裁判確定の日より参年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用の内、国選弁護人野口佑夫に支給した分、証人A、同B、同C、同D、同E、同Fに支給した分は被告人Y1の負担とし、国選弁護人有竹雅己に支給した分、証人N、同G、同Hに支給した分は被告人Y2の負担とし、その余は折半し被告人等の負担とする。
本件公訴事実中被告人Y2が相被告人Y1と共謀の上Dを恐喝したとの点及び被告人Y2がDに対し強談威迫をしたとの点はいずれも無罪。
理由
(罪となるべき事実)
第一、被告人Y1は昭和二三年より昭和三二年までの間に順次賭博、窃盗、傷害、脅迫、恐喝、同未遂、脅迫罪により懲役或は罰金の刑を受けたる犯罪歴を有し現在保護観察中のものであるが、家業たる農を嫌い数年前よりC(昭和一〇年○月○日生)を情婦にもち酒色に耽り、昭和三一年頃居町栗源町飲食店において知合いとなつた相被告人Y2と親交を結び昭和三三年二月頃より香取郡<以下省略>なるY2方の一室に右Cと同棲するようになりその生家より食糧等を得て徒食の日を送つていたところ、たまたま昭和三三年四月四日頃の夕刻Cが佐原市よりの帰途、かねて土木工事の現場監督として面識あり又遠縁にあたるI(明治四三年○月○日生)とバスの中で邂逅し、共に佐原市飲食店天清に赴いて飲食し、夜遅く帰宅したところから、翌五日頃の朝Cに対し前夜の行動を詰問し同人より前夜の行動を聞知したので、嫉妬深き被告人Y1はIを招致して面詰し自己の鬱憤を晴らし、あわせてIより金員を喝取しようと企て、共に飲酒していた被告人Y2は被告人Y1の意中を察知して同人に命ぜられるままに同日正午頃I方に呼出に赴き同人に対し前夜の同人とCとの行動をほのめかし、ついで被告人Y2方に来たIに対し酒気を帯びた被告人Y1は「天清で何をしたか、たとえ正式の嬶でなくても人の女房とこんなことをされるのはいやなものだ、お前だつて嬶があるだろう」など云いながらIの着ていたシャツの胸倉を取り三、四回ギチギチを喰わせ、更に「堀越組の者がお前達の二階に上がるのを見て知らせてくれた、二階でどんなことをした、この始末をどうしてくれるんだ、Cはお前にくれるから連れて行け」など申し向け、この様子を傍観していた被告人Y2は「マア待つて」と被告人Y1を制止し、Iを庭に連れ出し同人に対し「あれでは只ではすまない金を少し出してあやまれ」と申し向け、同人をしてこのまま要求に応じないとき如何なる暴行脅迫を受くるやも測り知れず又このことが妻子の耳に入れば如何なる家庭争議が起るやも知れずと困惑畏怖させ同人をして同日午後二時頃同所において被告人Y2に現金五、〇〇〇円を手交させもつて被告人両名共謀の上これを喝取し
第二、被告人Y1はDがJの刑務所に服役留守中なるを奇貨としてその妻K方に出入し兎角の風評のあるのを聞知し、競輪等の遊興費等に窮していた折柄これを種にしてDより金円を喝取しようと企て、昭和三三年五月上旬の夜Lと共謀の上同人と共に香取郡<以下省略>D方に赴いたが同人が不在であつたので同人の妻M(四八年)に対し被告人Y1と前記Lとはこもごも「旦那(D)がバンタ(J)の所に出入りしているそうだ」「俺はバンタとは牢屋で一緒で背中に南無妙法蓮華経とほつてある、皇太子の婚礼が近くあるのでバンタは大赦で出て来るだろう、バンタが出て来たら財産をとられてしまう、兎に角明朝六時までに旦那をよこしてくれ」など申し向け、同人を畏怖させ帰宅し更にその翌朝六時頃前記LをしてDを香取郡<以下省略>Y2に同道させ、同家六畳の間においてL等立会の上被告人Y1がLを指しながら、被告人Y1のD方における前夜の言動により畏怖していたDに対し「この人がバンタの親爺と刑務所に一緒に入つて出て来たのであるが帰つたら留守中を見廻つてくれと頼まれた、お前はバンタのおつかあの所え入り込んでいるだろう、バンタも近く帰つてくるが只では済まない、然し俺達が黙つていれば世間でなんと云つても大丈夫だ」などと申し向け、Lはこれに合槌をうつて「刑務所の飯はうまくない、二度と行くものではない」など申し向け同人を脅迫した上L等はその場から一旦立去り、被告人Y1はDに対し「金を五、〇〇〇円何んとかしてくれオーバーを担保にする」など申し向け同人をして要求に応じないときは如何なる暴行脅迫をも加えられかねないと畏怖させ、同人をして間もなく現金五、〇〇〇円をその場に持参させ貸借名下に交付させこれを喝取し
第三、被告人Y2は昭和三三年七月一七日前記第一のIに対する恐喝被疑事件の被疑者として逮捕状を執行、ついで同月一九日勾留状を執行されて佐原警察署に留置され右被疑事件と併せて前記第二のDに対する恐喝被疑事件についても取調を受け、同年八月四日一旦釈放されたものであるが、同日午後六時頃被害者である香取郡<以下省略>なる前記D方に赴き同人に対する前記恐喝被疑事件の捜査若しくは審判に必要なる知識を有するものと認められる同人の妻Mに対し用件も告げず「今日勤めて帰つて来た、これで明るみに出られてよい」「旦那はいないか、いなければ夜来てくれるように伝えてくれ、こうなるのはお前の新爺が悪いからだ、今晩来てくれるよう伝えてくれ」など申し向け気勢を示し同人に不安困惑の念を生ぜしめ、もつて当該事件に関しMを威迫し
たものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人の主張に対する判断)
被告人Y1の弁護人は右判示第一の事実につき判示五、〇〇〇円の金員は被告人Y1において受領しうべき権限ある慰藉料なる旨主張するが、被告人Y1と判示Cとの身分関係は妾関係にすぎない。かような場合被告人Y1は正式の婚姻関係と云う特種の関係にある場合と異なり法律上第三者たる判示Iに対し自己に夫権ありと主張することは許されず、仮に判示の程度を一歩進めIとCとが情交関係を結びそのため事実上被告人Y1の精神的平和がみだされ精神上の苦痛を受けたとしてもIの行為を目して法律上違法性ありと云い難く、従つてIに対する損害賠償の請求は許されないものと云わねばならぬのでこの点に関する弁護人の主張は採用しない。
(法令の適用)
被告人等の判示第一の所為及び被告人Y1の判示第二の所為は各刑法第二四九条第一項に該当し、被告人Y2の判示第三の所為は刑法第一〇五条ノ二、刑法の一部を改正する法律(昭和三三年四月三〇日法律第一〇七号)附則第三項、罰金等臨時措置法第三条に該当するので、後者につき所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪にかかるので同法第四七条、第一〇条を適用し、被告人Y1につき犯情重き判示第二の罪につき、被告人Y2につき重き判示第一の罪につき夫々併合罪の加重をなしその刑期範囲内において被告人Y1を懲役八月に処し、尚刑法第二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入し、被告人Y2につき懲役三月に処し、尚刑の執行を猶予するの情状ありと認め刑法第二五条第一項第一号を適用して三年間右刑の執行を猶予すべく、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条を適用して各被告人をして主文記載の如く負担せしむるを相当と認む。
(無罪の説明)
本件公訴事実中被告人Y2が被告人Y1と共謀して判示第二の犯行をなしたとの公訴事実については、これを認むるに足る証拠がないから刑訴法第三三六条を適用してこの点については無罪の言渡をする。
更に本件公訴事実中、「被告人Y2は昭和三三年七月一七日恐喝事件の被疑者として逮捕共犯者Y1と共に佐原警察署に留置取調を受け同年八月四日一旦釈放されたものであるが、翌八月五日午前六時頃前記恐喝事件の被害者であり同事件の捜査若しくは審判に必要なる知識を有すると認めらるるDを香取郡<以下省略>の自宅に呼び寄せ同人に対し当該事件に関し「示談書を出したと云うがまだ出ないではないか、俺は帰つて来たがY1がまだ出ないから示談書を出してくれ、文句は俺が書くから印だけ貸してくれ」等と強引に示談書の差出方を要求し、以つて同人に対し強談威迫の行為をなしたものである」との点につき審按するに、被告人Y2の検察官に対する昭和三三年九月一二日附供述調書、証人Dの当公廷における供述、その他判示第三の事実につき挙げた証拠を綜合すれば被告人Y2は昭和三三年七月一七日Iに対する恐喝被疑事件の被疑者として逮捕状を執行、ついで同月一九日勾留状を執行されて佐原警察署に勾留されその際右被疑事件と併せてDに対する恐喝被疑事件についても取調を受け、同年八月四日釈放され帰宅後直ちに午後六時頃被害者のD方を訪れ同人の妻Mに面接しMに対し判示第三の行動に出たこと、翌八月四日被告人の妻を遣わしDの来訪を求め同人に対し示談書の所在について尋ね示談書が町の駐在所に掲出されていることがわかつたが、被告人Y2は「もし紛失でもしていたら又出さなければならないからその時は自分が示談書を拵えるから判を貸してくれ」と云い、Dはこれに対し「今日は忙しいから家に判を置いて行くから使つてよい」と答えた事実が認められ、以上の事実の内被告人Y2がDを示談書の件につき自宅に呼寄せた点に社会通念上多少穏当を欠くところがあるが以上認定の所為をもつて俄に刑法第一〇五条ノ二にいわゆる強談威迫と認め難く、結局この点については公訴事実に対し犯罪の証明がないことに帰するので刑事訴訟法第三三六条を適用して無罪の言渡をする。
以上の理由により主文の通り判決する。
(裁判官 高野一郎)