千葉地方裁判所松戸支部 平成9年(ワ)667号 判決 1999年2月23日
原告
加藤春吉
右訴訟代理人弁護士
蒲田孝代
(他三名)
被告
有限会社櫟山交通
右代表者代表取締役
野山慶蔵
右訴訟代理人弁護士
渡辺修
同
吉沢貞男
同
山西克彦
同
冨田武夫
同
伊藤昌毅
同
峰隆之
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一原告の請求
一 原告が、被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
二 被告は、原告に対し、平成九年八月から毎月二八日限り金二三万七九三六円及びこれに対する各支払期日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告に対し、平成九年七月二〇日から被告が同日付解雇の意思表示を取り消すまで一日一万円の割合による金員を支払え。
四 仮執行の宣言
第二事案の概要
本件は、被告が平成九年六月一六日原告に対してした平成九年七月二〇日付解雇(以下「本件解雇」という)の意思表示及び平成一〇年一月八日付で原告に対してした解雇(以下「予備的解雇」という)の意思表示は、被告の解雇権の濫用にあたり無効であり、かつ、原告の人格権を侵害する不法行為であるとして、原告が、被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに、平成九年八月から毎月二八日限り金二三万七九三六円の割合による賃金及びこれに対する各支払期日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金及び平成九年七月二〇日から被告が同日付解雇の意思表示を取り消すまで一日一万円の割合による慰謝料の支払を求めたものである。
(争いのない事実)
一 被告は、昭和四一年一一月九日に設立された有限会社であり、主にタクシーによる一般乗用旅客自動車運送事業を営んでおり、本社営業所、松戸営業所、松戸第二営業所、浦安営業所を置き、平成九年八月一日現在の資本金は五〇〇〇万円であり、雇用する従業員数は約二二〇名、保有する車両台数は約九〇台である。
二 原告は、昭和五五年七月二一日、被告の従業員として雇用され、原・被告間に期間の定めのない労働契約が成立した。原告は、被告の従業員で組織する櫟山交通労働組合の組合員であり、昭和五八年三月二日以降、同組合の執行委員長を務めてきた。被告は、昭和五八年七月一九日、原告を解雇したが、数回にわたる裁判所の仮処分決定、判決及び労働委員会の救済命令等を経て、平成元年一一月六日、原・被告間に和解が成立し、以降、原告は、本件解雇に至るまで被告会社のタクシー運転手として就労してきた。
三 被告が営むタクシー事業は、公共交通機関として、タクシーを利用する旅客を安全・確実に目的地に輸送する必要上、旅客の生命・身体の安全を確保する高度の義務が課せられている。その一環として、タクシー運転業務に従事する乗務員については、普通第二種免許の資格を有することが必要であり、かつ、千葉県タクシー運転者登録センターに登録することが義務付けられている。
四 松戸警察署は、平成九年三月一四日、被告松戸営業所に勤務していた乗務員渡辺政之を免許取消後の無免許運転で逮捕し、更に同年五月三〇日、有印公文書(免許証)偽造と同行使の疑いで再逮捕した。逮捕の理由は、同人は平成八年六月に運転免許が取消されたため、千葉県公安委員会に返納すべき運転免許証をカラーコピーで複製し、これを厚紙に貼り付けて偽造して使用し、かつ、無免許運転をしたというものである。渡辺乗務員は、偽造した運転免許証を免許証ケースに入れ、被告の運行管理者による始業時点呼に際して、右免許証ケースを提示して乗務に就いていた。
五 櫟山交通労働組合の執行委員長である原告は、平成九年六月一〇日頃、渡辺乗務員の右事件が捜査当局に発覚したことについて、被告のタクシー業務の運行・労務管理体制が従前から運輸規則等の法規を遵守せず極めて杜撰である旨を指摘する組合ビラ(書証略、以下「本件ビラ」という)を作成・配付した。
六 被告は、原告に対し、平成九年六月一六日、原告を同年七月二〇日付で解雇(本件解雇)する旨の意思表示をした。その際、被告代表取締役野山慶蔵から原告に手渡された解雇通知書(書証略)には、「原告は会社の名誉信用を毀損する言動を繰り返しており、会社従業員としての適格性を著しく欠くものである」と記載されている。
七 本件解雇後、櫟山交通労働組合は、被告に対し、原告を解雇した理由の趣旨説明と解雇撤回を求めて団体交渉を行ったが、被告代表取締役野山慶蔵は、解雇撤回を拒絶するとともに、解雇理由の説明については、原告が本件ビラを外部に配付したことが被告の名誉信用を毀損したものであると回答するに止まった。
八 原告は、平成九年七月下旬、再び本件ビラと同一内容のビラを配付した。被告は、原告に対し、平成一〇年一月八日付で、二度にわたるビラ配付行為を理由として予備的解雇の意思表示をした。
九 原告の本件解雇前の賃金は、毎月二〇日締め、同月二八日払いであり、原告の平成八年度の賃金合計額は金二八五万五二四二円(書証略)で、一か月当たりの賃金は金二三万七九三六円であった。
第三争点
被告の原告に対する本件解雇及び予備的解雇は、解雇権の濫用にあたり無効であり、かつ、原告の人格権を侵害する不法行為であるか否か。
(原告の主張)
一 本件解雇及び予備的解雇は、いわゆる普通解雇であるが、普通解雇の場合であっても、労働者を解雇するには、社会通念上相当と認められるだけの合理的理由を必要とし、それを欠く解雇は無効である。
本件解雇は、被告が高度の安全性を要求される公共交通機関であるタクシー運送業者としての適格性を欠くような杜撰な運行・労務管理を行ってきたことについて、原告が労働者の立場から、乗務員の運転に命を預ける乗客の「知る権利」にこたえて、これを告発し改善を要求するという憲法上保障された正当な言論行為を捉えて、被告が原告を不当に解雇したものである。
二 被告の運行管理体制は杜撰なものであった。被告の松戸営業所における平成八年七月以降の営業所長兼運行管理者は高塚和郎であった。しかし、高塚所長は、運行管理者とはいっても名前だけにすぎず、その実態は他の乗務員同様の隔日勤務をこなすタクシー乗務員兼納金係にすぎない存在であった。したがって、被告の松戸営業所には事実上運行管理者が不在であった。被告は、点呼記録を改ざんし運行管理者である高塚所長の乗務の事実を隠蔽している。これは、被告自身が正常な運行管理が実施できていない状況にあることを認識していた証左である。
三 被告の松戸営業所では従前自動車運送事業等運輸規則が要求している始業時点呼が実施されていなかった。被告が始業時にわずかでも免許証確認を行うようになったのは、平成五年九月ころ発生したイースタン事件以後のことであり、それ以前は皆無であった。しかも、イースタン事件以後も被告の免許証確認は改善されず、免許証提示が求められるのはせいぜい年数回ほどでしかなかったというのが実態である。被告の松戸営業所における出庫時の状況は、乗務員にエンジンキー等を渡して営業に出しているだけにすぎず、運輸規則が乗客の安全な輸送を確保するために運行管理者に義務づけている「始業時点呼」が行われていたとは到底いえないものであった。帰庫時点呼についても、高塚所長が出勤してくる午前六時半頃以前は事務所は無人で鍵が掛けられており、帰庫した乗務員は休憩室にある留守番金庫に納金しており、帰庫時点呼は行われていない。被告が「始業時点呼」「帰庫時点呼」と呼んでいるものは、単なる顔見せであり、納金・配車作業にすぎない。被告が乗客の安全輸送の趣旨で「始業時点呼」「帰庫時点呼」の実施を義務づけている運輸規則を遵守していないことは明らかである。
このような被告の杜撰な運行管理は、専従の運行管理者を設置せず、徹夜明けの乗務員を名目だけの運行管理者に据えるという被告の安易な経営方針に由来する構造的な欠陥を有しており、被告には公共交通機関であるタクシー運送事業者としての自覚と適格性が欠けていると批判されてもやむをえない。
四 被告の渡辺乗務員の事件は、刑事事件としては、都合三回、合計一六五日間にわたる免許停止期間中の無免許タクシー乗務に引き続いて発生した有印公文書(免許証)偽造・同行使と無免許運転であるが、渡辺事件を社会的事件として捉えるならば、渡辺乗務員という本来とっくの昔にタクシー乗務から排除されるべき運転不適格者が、被告の運行管理体制の構造的欠陥のもとで、長期間そのことを秘匿しタクシー乗務員として稼働し続けた結果、不特定多数の国民の生命・身体が危険に晒されたという事件である。
被告は、公共交通機関として適正な労務管理を行うことが要請され、営利追及に走って運転者を事故や違反に追い込むことがあってはならないところ、<1>専従の運行管理者を置かないで運輸規則に従った始業時点呼、帰庫時点呼を実施しない、<2>事故や違反を誘発する極端な累進歩合給制度を採っている、<3>陸運支局の監査前に点呼記録等を改ざんする、など「安全軽視・営利優先主義」の経営姿勢を貫いている。渡辺乗務員の事件は、このような被告の経営姿勢と密接に関連して発生したものである。
五 原告の本件ビラの配付行為は、渡辺乗務員の無免許運転・免許証偽造・同行使による逮捕に乗じて、事実に反する教宣を行ったものではない。被告の運行管理の実態に鑑みれば、被告が虚偽であると指摘する本件ビラの「櫟山交通はその点呼等は行われていませんでした」という記述も、「本事件はおきるべきしておきた事件でした」という記述も、いずれも的を射た適切な批判である。原告は、これまで陸運支局等監督官庁に度々被告に対し適正な運行管理を実施させるよう申告してきた。しかし、被告は、陸運支局の監査などに対しては記録類を改ざんしたり、その前後の期間だけ点呼を行うなどして杜撰な運行管理の実態を糊塗し続け、結局、改善されない状態が続いてきた。被告の野山社長は、以前、イースタン事件が起きた際、乗務員の無免許運転が発生しないよう被告でも始業時点呼を確実に実施することを約束し、短期間ではあるが、免許証確認を行うようになった。にもかかわらず、被告は、専従の管理者を置くことの重要性を自覚せず、安易に明番従業員に業務させることで良しとする公共交通機関としての自覚の不徹底によって、結局、原告との約束も反故にされ、元の木阿弥となってしまった。
原告は、渡辺乗務員の事件の発生を知ったとき、大変残念な思いにかられ、今度こそイースタン千葉交通株式会社がとったような誠意ある処置を被告にとってもらわなければ被告は永久に改善されることはないと考え、本件ビラを配付したものであり、被告の運行管理を批判した原告の動機は、建設的なものであって、「渡辺乗務員の逮捕に乗じた」などという不純なものではない。
六 原告の被告に対する運行管理批判は、公共交通機関であるタクシーの利用者・一般国民の「知る権利」にも奉仕するものであり、このような表現行為は手厚く保護されるべきであり、反面、被告は、利用者・国民の利益のために厳しい批判も甘受すべき立場にある。しかし、被告は、渡辺乗務員の事件を専ら刑事事件としてだけに矮小化し、自己の非を棚に上げて、正当な批判を行った原告を排除せんとしている。原告は、被告から「不良従業員」であるとして解雇される謂われはない。原告は、本件ビラ(書証略)をいずれも駅構内に待機しているタクシー乗務員に一枚ずつ手渡していったものであり、一般市民には配付していない。利用者から被告に「点呼しないで乗せるのか」という電話が十数本あったという話も、被告は電話の相手方の住所・氏名をメモしておらず到底信用できない。したがって、本件ビラによって現実に被告の信用が毀損されたということはありえない。被告は、本件解雇をするにあたり、事前に一度も原告本人から事情聴取をしなかった。被告は、原告が組合活動として行った行為を捉えて解雇という重大な処分を行う以上、原告本人に解雇理由を告げ、釈明の機会を与える程度の手続を踏むべきであった。
七 本件解雇は、タクシー運賃改定に伴い運賃値上げ分の配分について労働者の賃金等に充当するよう、陸運局から指導されていた状況下において、賃金協定改定をめぐり厳しい労使交渉が行われていた最中の出来事であり、原告が指導する櫟山交通労働組合の存在を嫌悪する被告が、組合の力を減退させるため、配車差別等の一連の組合攻撃を行う中で起きたものである。被告の本件解雇の真の意図は、原告を職場から追放し、原告が定年になるまで紛争解決を引き延ばして、原告が執行委員長を務める櫟山交通労働組合を壊滅させようとする不当労働行為である。
八 被告は、原告につき解雇理由が全く存在しないことを知悉しながら、原告の率いる櫟山交通労働組合が日頃から被告に各種法令・通達を遵守し適正な経営を行うよう要求していることを嫌悪して、原告を職場から強制的に追放すべく、自らの運行・労務管理の欠陥を棚に上げて、原告に「不良従業員」のレッテルを貼り付けて、いわば見せしめ的に不当解雇処分を敢行したものであるから、本件解雇は原告の人格権を著しく侵害する違法な行為(不法行為)である。
九 以上のとおり、本件解雇は、原告が正当な批判を行ったことを解雇理由とするものであって、客観的合理性と社会的相当性を欠く解雇であり、一見して明白な解雇権の濫用にあたり無効であって、普通解雇として効力を生じる余地はない。
(被告の主張)
一 原告は、被告乗務員渡辺の無免許運転・免許証偽造・同行使による逮捕に乗じて、本件ビラを配付して、被告に対する事実に反した誹謗中傷をなし、被告の信用を著しく毀損する行為に出た。すなわち、被告乗務員渡辺が、カラーコピーで複製・偽造した運転免許証を使用して乗務(無免許運転)したことを理由に逮捕されるという、被告にとって晴天の霹靂の如き事件が発生し、これによって被告の信用が必要以上に傷付けられることを防ぐことが急務とされた状況下で、原告は、平成九年六月一〇日頃、自ら執行委員長をしていた櫟山交通労働組合の名義で、「あきれた無免許二年間乗務員として使う櫟山交通」と題する本件ビラ(書証略)約五〇〇枚を作成し、被告の主要な営業区域である市川市及び松戸市内の市川駅、松戸駅、八柱駅、五香駅を中心に自ら配付して教宣を行う挙に出た。本件ビラは、最上段に太文字の横書きで右のとおりの見出しを掲げており、被告が無免許運転の乗務員を承知の上で二年間も使用していたかの如く強烈にアピールしている。その上で、本件ビラの内容として、「事業者は、乗務しようとする運転者に対し点呼を行わなければなりません。しかし、櫟山交通はその点呼等は行われていませんでした」と虚偽の事実を記載した。さらに、「本事件はおきるべきしておきた事件でした。組合は一五年間も長い期間陸運支局に申告し適切な指導を求めて参りましたが、ようとして改善されずおきた事件でした」と事実に反する記載をし、その上で、続けて「事業者として、適切な運行管理を行っていなかったのは事業者野山であります」「なにが被害者だ、なにが裁判だ。あきれてものがいえません。当事者としての能力がないことを自ら述べているといわれてもやむをえません」「被害者は、お客様であり県民、市民であることを忘れないでもらいたいと願う」と記載した。右内容によれば、本件ビラは、被告が運輸規則に定められた始業時点呼を行わず、組合による一五年間という長期に及ぶ指摘も無視し、そのため本件は起こるべくして起きたもので、被告はタクシー事業を営む当事者としての能力はないと非難するものである。渡辺乗務員の事件が長期間の無免許運転であって、被告のタクシー事業の安全性・確実性に対する利用者の信頼に重大な影響を与えるものであることに照らすと、原告が本件ビラを配付して事実に反する教宣を行ったことは、被告に対する極めて重大な誹謗中傷であり、被告の従業員としての信頼関係を完全に断ち切る非違行為である。
二 被告は、こうした不良従業員との労働契約をこのまま維持していくことは到底不可能であり、就業規則(書証略)四〇条三号、五号に基づき、本件解雇に処したものである。
ところが、原告は、無反省にも本件解雇直後の平成九年七月二六日に再び本件ビラと同一内容のビラ(書証略)を同一地域に多数配付し、重ねて被告の対外的信用を著しく毀損した。そこで、被告は、原告に対し、平成一〇年一月八日付で二度にわたるビラ配付行為を理由として予備的解雇の意思表示をした。
三 被告の業務は、始業時点呼から実施される。乗務員の勤務形態は、大半が隔日勤務で主に遅番勤務(午前一〇時から翌朝五時まで)をしている。乗務員は、出勤日に出社すると、被告の運行管理者から必ず始業時点呼を受け、車両を点検して出庫し、乗務に就いている。すなわち、乗務員は、<1>免許証の提示・確認、<2>乗務員の健康状態、服装の点検等を経て、運行管理者からタクシーの鍵を手渡され、所定の場所に車両を移動させて、始業時点呼(運行前点呼)を受ける。始業時点呼は、運行管理者が見ている前で実施させ、車両の安全性を確認させる。その後、運行管理者は乗務員に乗務員証と乗務記録を手渡し、乗務員は出庫し乗務に就いている。
始業時点呼を行う管理者は、松戸営業所の場合、運行管理者の高塚所長と代務者の班長四名(平成九年当時は鈴木雄一、錦見佳章、須藤日出雄、野山新一)である。出社した乗務員は、事務所のカウンター越しに運転免許証を提示し、これを班長が確認し、併せて服装・健康状態を点検する。万一、免許証を所持していない場合には、取りに帰らせる。点検が終了した後に乗務員にエンジンキーを渡し、営業車を事務所前の黄色いペンキで二台分の枠で指定した位置に移動させ、車両の状態を点検させる。点検場所は事務所内から窓越しに見通せる場所にあり、高塚所長や班長が、乗務員が確実に点検しているかどうかを確認することができる。点検が不十分と認めた場合には、再度点検のやり直しをさせる。車両点検終了後、乗務員は乗務員証、乗務記録、チャート紙を受け取り、伝達事項を聞いて営業を開始する。
終業時に乗務員は帰庫の報告をする。遅番の乗務員は通常午前六時半頃に営業所に戻っており、その場合、高塚所長が報告を受ける。深夜二時、三時に帰庫する乗務員については、午前六時頃高塚所長が出社した時点で乗務記録を点検する。
四 このように被告の松戸営業所においては免許証の確認を含めて始業時点呼がきちんと実施されていたことから、渡辺乗務員は、営業車の配車を受けるために免許証の偽造に及んだものである。カラーコピーの技術的な発達によって本物そっくりの極めて精巧なコピーが作成できるようになった。渡辺乗務員のケースでも、極めて精巧なコピーによる偽造がなされており、偽造免許証を所持していた同人が平成八年一一月頃、警察官の職務質問を受けた際にこれを呈示したところ、免許証を確認した警察官も特に不審を持つことがなかったほど精巧に偽造された免許証であった。職業運転手である渡辺乗務員が重罪である有印公文書偽造・同行使罪を敢えて犯してまで運行管理者の点呼をすり抜けて運転業務に従事していたことは、被告にとって全く予期せざる衝撃的な事柄であり、被告は、かかる事態を受け、運輸当局の平成九年七月の通達(自動車交通局技術安全部保安・環境課長及び関東陸運局整備部長の「乗務員に対する関係法令遵守に係る指導監督の徹底について」)を待つことなく、渡辺乗務員の逮捕直後の平成九年三月から始業時点呼を従前どおり確実に実施し、かつ運転免許証の確認について免許証入れから取り出して確認する方法にいち早く改め遺漏なきを期している。
五 被告が平成九年当時始業時点呼を確実に実施していたことは、行政当局も認めており、被告は始業時点呼の不実施を理由とする処分は受けていない。原告の本件ビラによる虚偽事実に基づく教宣は、被告の始業時点呼の不実施という事実無根の教宣であり、全く謂われなく被告を誹謗中傷し、被告の信用を著しく毀損した重大な非違行為である。実際、原告による本件ビラ配付後、タクシー利用者と称する者から「点呼をしないで乗せるのか」など被告の乗務員管理を質す電話や苦情の電話などが相次ぐといった事態ともなっており、かかる行為に出た原告の責任は重大である。
したがって、被告としては、このような重大な非違行為をした原告との労働契約を維持していくことは到底不可能であり、原告を普通解雇に処した本件解雇及び予備的解雇は、いずれも解雇権の濫用にはあたらず、その有効性は明らかである。
第四争点に対する判断
争点(被告の原告に対する本件解雇及び予備的解雇は、解雇権の濫用にあたり無効であり、かつ原告の人格権を侵害する不法行為であるか否か)について争いのない事実、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、以下のとおり認められる。
一 原告は、昭和五八年三月二日、櫟山交通労働組合の執行委員長に就任して以来、被告従業員の労働条件の改善、賃金カット規定の廃止などを掲げて労働組合活動を続けてきた。この間、被告は、昭和五八年七月一九日、原告の乗車拒否を理由に原告を解雇したが、数回にわたる裁判所の仮処分決定、判決及び労働委員会の救済命令等を経て、平成元年一一月六日、原・被告間に和解が成立し、原告は、復職してタクシーの乗務に就くとともに、櫟山交通労働組合の執行委員長として、日頃から被告に対し各種法令・通達を遵守し適正な経営を行うよう要求し、これまで陸運支局等監督官庁に対し度々被告に適正な運行管理を実施させるよう申告するなどしてきた。このようなことから、被告と櫟山交通労働組合との労使関係は必ずしも円満な関係にはなかった。
二 被告本社営業所に勤務していた乗務員渡辺政之は、平成七年五月頃、それまでの道路交通法違反の点数の累積によって運転免許の取消しが必至となったため、免許証の取消後も運転免許証を保有しているように装って、被告のタクシー運転手として働き続けようと考え、同月下旬頃、自分の自動車運転免許証の表面をカラーコピー機で複写した上、これを厚紙に貼り付けて原寸大に切り抜くなどして、有印公文書である千葉県公安委員会作成名義の自動車運転免許証の外観を有する文書を偽造し、その後、被告本社営業所及び松戸営業所において、営業車の配車を受けるに際して、被告の運行管理者らに対し、右偽造に係る運転免許証を免許証ケースに入れ真正な運転免許証のように装って右免許証ケースを提示して行使し、かつ、平成七年六月七日の運転免許取消後、被告の営業車に乗務するなどして継続的に無免許運転を続けてきた。
渡辺乗務員は、カラーコピー機の技術的な発達によって本物そっくりの極めて精巧なコピーが作成できるようになったことを利用して、自動車運転免許証を偽造した。右偽造された免許証は、同人が平成八年一一月頃警察官の職務質問を受けた際に所持していた偽造免許証を呈示したところ、免許証を確認した警察官も特に不審を持つことがなかったほど精巧に偽造された免許証であった。
三 松戸警察署は、平成九年三月一四日、被告松戸営業所に勤務していた渡辺乗務員を道路交通法違反(無免許運転)で逮捕し、更に、同年五月三〇日、有印公文書(運転免許証)偽造と同行使の疑いで再逮捕した。渡辺乗務員の右犯行及び逮捕の事実は、翌五月三一日、新聞報道されたが、渡辺乗務員が被告会社に勤務するタクシー運転手であることまでは報道されなかった。
被告の従業員であり職業運転手である渡辺乗務員が有印公文書偽造・同行使罪を敢えて犯してまで運行管理者の点呼をすり抜けて運転業務に従事していたことは、被告の全く予期していなかった事柄であり、被告は、渡辺乗務員の事件の発生に驚くとともに、かかる事態を受け、運輸当局の平成九年七月の通達(自動車交通局技術安全部保安・環境課長及び関東陸運局整備部長の「乗務員に対する関係法令遵守に係る指導監督の徹底について」)を待つことなく、渡辺乗務員の逮捕直後の平成九年三月から始業時点呼を確実に実施し、かつ運転免許証の確認について免許証入れから取り出して確認する方法にいち早く改め遺漏なきを期してきた。このように、公共交通機関としてタクシー事業を営み、旅客の生命・身体の安全を確保する高度の義務が課せられている被告は、渡辺乗務員の事件発覚後、速やかに乗務員の運行管理を適正・厳格に行うよう努め、同様の事件の再発を防止するとともに、渡辺乗務員の右事件の発生によって被告の信用が必要以上に傷付けられることを心配し、これを防ぐことを急務としてきた。
四 ところが、櫟山交通労働組合の執行委員長である原告は、平成九年六月一〇日頃、渡辺乗務員の事件が捜査当局に発覚したことについて、自ら執行委員長をしていた櫟山交通労働組合の名義で、被告のタクシー業務の運行・労務管理体制が従前から運輸規則等の法規を遵守せず極めて杜撰である旨を指摘する組合ビラ(本件ビラ)数百枚を作成し、被告の主要な営業区域である市川市及び松戸市内の市川駅、松戸駅、八柱駅、五香駅を中心に自ら配付した。
本件ビラは、最上段に太文字の横書きで「あきれた無免許二年間乗務員として使う櫟山交通」と題する見出しを掲げており、渡辺乗務員の事件を報じる新聞記事も登載されていた。同記事は、「失効免許証カラーコピー、松戸の運転手 容疑で送検、タクシー業務で使用」との見出しを掲げていた。
本件ビラの記載内容は、「事業者は、乗務しようとする運転者に対し点呼を行わなければなりません。しかし、櫟山交通は、その点呼等は行われていませんでした」「本事件はおきるべくしておきた事件でした。組合は一五年間も長い期間、陸運支局に申告をし適切な指導を求めて参りましたが、ようとして改善されずおきた事件でした」「櫟山交通代表野山は、本事件に関し、陸運支局におもむき『会社は被害者だ、裁判やってやる』と述べたそうです」「事業者として、適切な運行管理をしていなかったのは事業者野山であります」「なにが被害者だ、なにが裁判だ。あきれてものがいえません。当事者としての能力がないことを自ら述べているといわれてもやむをえません」「被害者は、お客様であり県民、市民であることを忘れないでもらいたいと願う」というものである。
本件ビラの見出しを含めた記載内容は、読者に被告が無免許運転の乗務員を承知の上で二年間も使用していたかのような誤解を生じさせるおそれがあるものであり、また、本件ビラは、被告が運輸規則に定められた始業時点呼を行わず、組合による一五年間という長期に及ぶ指摘も無視し、そのため本件は起こるべくして起きたもので、被告はタクシー事業を営む当事者としての能力はないと非難し、これを公表するものである。原告による本件ビラ配付後、タクシー利用者と称する者から被告に対し「点呼をしないで乗せるのか」などと被告の乗務員管理を質す電話や苦情の電話などが相次ぎ、被告は対応に苦慮した。
五 被告は、渡辺乗務員の事件が運転免許証を偽造・行使し、長期間にわたり無免許運転を続けたものであって、被告のタクシー事業の安全性・確実性に対する利用者の信頼に重大な影響を与えるものであることに照らし、原告が本件ビラを配付して事実に反する教宣を行ったことは、被告に対する極めて重大な誹謗中傷であり、被告の従業員としての信頼関係を完全に断ち切る非違行為であるとして、原告に対し、平成九年六月一六日、原告を同年七月二〇日付で解雇(本件解雇)する旨の意思表示をした。その際、被告代表取締役野山慶蔵から原告に手渡された解雇通知書(書証略)には、「原告は会社の名誉信用を毀損する言動を繰り返しており、会社従業員としての適格性を著しく欠くものである」と記載されている。
六 タクシー事業における始業時点呼は、タクシー業務の安全確保のために必要な絶対条件であり、被告のタクシー事業が公共交通機関としての責務を果していく上で必須の手続であり、運輸規則二二条によっても義務づけられている。旅客は、タクシー会社が正規の認可を受けた会社であり、タクシーの乗務にあたり、始業時点呼等の所定の安全確認を行い、かつ、資格を有する乗務員が安全・確実に輸送してくれることを当然の前提に、タクシーを利用するのであって、無資格者がタクシーを運転することは全く予想していない。したがって、タクシー会社が始業時点呼を行わず、そのために無資格者にタクシー業務をさせていたとすれば、旅客の信頼を失い会社の信用を失墜し経営上深刻かつ重大な影響を被ることになる。このことは、渡辺乗務員の事件のように、タクシー会社が始業時点呼を行っており、無資格者がタクシーに乗務していることを予期していなかったときに、「タクシー会社が始業時点呼を行わず、そのために無資格者にタクシー乗務をさせていた」と事実に反する事項が公表された場合にも、タクシー会社が旅客の信頼を失い会社の信用を失墜し経営上深刻かつ重大な影響を被ることになる点では同様である。
七 被告の乗務員の就業に際しては、乗務員は、出社後管理者から始業時点呼を受け、車両を点検して出庫し、乗務に就くことになる。被告の乗務員の勤務形態は、大半が隔日勤務で主に遅番勤務(午前一〇時から翌朝五時まで)をしている。乗務員は、出勤日に出社すると、被告の管理者から次のような始業時点呼を受ける。乗務員は、<1>免許証の提示・確認、<2>乗務員の健康状態、服装の点検等を経て、運行管理者からタクシーの鍵を手渡され、所定の場所に車両を移動させて、始業時点呼(運行前点呼)を受ける。始業時点呼は、運行管理者と代務者の前で実施させ、車両の安全性を点検・確認させる。その後、運行管理者は乗務員に乗務員証と乗務記録を手渡し、乗務員は出庫し、乗務に就くことになる。
始業時点呼を行う管理者は、松戸営業所の場合、運行管理者の高塚所長と代務者の班長四名(平成九年当時は鈴木雄一、錦見佳章、須藤日出雄、野山新一)である。出社した乗務員は、事務所のカウンター越しに運転免許証を提示し、これを班長が確認し、併せて服装・健康状態を点検する。万一、免許証を所持していない場合には、取りに帰らせる。右の点検が終了した後に乗務員にエンジンキーを渡し、平成九年当時は営業車を事務所前の黄色いペンキで二台分の枠で指定した位置に移動させ、車両の状態を点検させていた。点検場所は事務所内から窓越しに見通せる場所にあり、高塚所長や班長が、乗務員が確実に点検しているかどうかを確認することができた。点検が不十分と認めた場合には、再度点検のやり直しをさせる。乗務員は、車両点検終了後、乗務員証、乗務記録、チャート紙を受け取り、伝達事項を聞いて営業を開始する。
終業時に乗務員は帰庫の報告をする。遅番の乗務員は通常午前六時半頃に営業所に戻っており、その場合、高塚所長が報告を受ける。深夜二時、三時に帰庫する乗務員については、午前六時頃高塚所長が出社した時点で乗務記録を点検することになっている。
八 ところで、被告の各営業所では従前運輸規則が要求している始業時点呼における運転免許証の提示・確認は必ずしも励行されていなかったが、平成五年九月ころ発生したイースタン事件(被告のタクシーとイースタン千葉交通株式会社のタクシーが交通事故を起こした際、イースタン千葉交通の運転手が無免許であることが発覚した事件)以後、被告は始業時点呼において免許証確認を厳格に行うようになった。その後、年月の経過とともに運行管理の担当者によっては被告の免許証確認が励行されないような事態も生じていたが、渡辺乗務員が営業車の配車を受けるために免許証の偽造に及んだことからみても、被告の松戸営業所において免許証の確認を含めて始業時点呼が実施されていたことは、明らかである。
被告は、平成九年三月に渡辺乗務員が無免許運転で逮捕された以降は、始業時点呼において免許証の点検・確認を厳格に実施してきた。
九 原告は、本件解雇直後の平成九年七月二六日に再び本件ビラと同一内容のビラ(書証略)を同一地域に多数配付した。そこで、被告は、原告に対し、平成一〇年一月八日付で二度にわたるビラ配付行為を理由として予備的解雇の意思表示をした。
右認定の事実によれば、タクシー事業における始業時点呼は、タクシー業務の安全確保のために必要な絶対条件であり、被告のタクシー事業が公共交通機関としての責務を果していく上で必須の手続であり、運輸規則二二条によっても義務づけられており、旅客は、タクシー会社が正規の認可を受けた会社であり、タクシーの乗務にあたり、始業時点呼の所定の安全確認を行い、かつ、資格を有する乗務員が安全・確実に輸送してくれることを当然の前提に、タクシーを利用するのであって、無資格者がタクシーを運転することは全く予想していないから、タクシー会社が始業時点呼を行わず、そのために無資格者にタクシー乗務をさせていたとすれば、旅客の信頼を失い信用を完全に失墜し経営上深刻かつ重大な影響を被ることになるところ、本件ビラの内容は、読者に被告が無免許運転の乗務員を承知の上で二年間も使用していたかのような誤解を生じさせるおそれがあるものであり、また、本件ビラは、被告が運輸規則に定められた始業時点呼を行わず、組合による一五年間という長期に及ぶ指摘も無視し、そのため本件は起こるべくして起きたもので、被告はタクシー事業を営む当事者としての能力はないと非難し、これを公表したものであって、前認定のとおり、被告は、タクシー業務を営むにあたり、被告の松戸営業所において免許証の確認を含めて始業時点呼を実施してきており、渡辺乗務員がカラーコピー機を利用して極めて精巧な自動車運転免許証を偽造して点呼の際これを提示したため、同人の免許証の偽造と無免許運転を見抜けなかったものであるが、被告が渡辺乗務員の無免許運転を承知の上で同人を営業車に乗務させていたものではないから、原告が本件ビラを広範囲に多数配付して事実に反する事項を公表したことは、被告のタクシー事業の安全性・確実性に対する利用者の信頼と被告の信用に重大な影響を与えるものであり、被告の信用を著しく毀損し、原・被告間の信頼関係を根底から覆す不当なものであって、正当な批判・言論行為であるとは到底いえず、被告が、このような重大な非違行為をした原告との労働契約を維持・継続していくことは不可能であるとして、原告を本件解雇に処したことは、誠にやむを得ないものというべきであり、社会通念上合理性を欠くということはできないから、本件解雇が解雇権の濫用にあたり無効であるとはいえず、また、原告の人格権を侵害する不法行為であるということもできない。
第五結論
以上によれば、原告の本件請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 小野剛)